岡田監督、左サイド問題の解決に着手

2008/06/19(木)

2008年6月18日:グランパスと関係があり、素晴らしい左足を持ち、岡田武史監督が強い関心を寄せている選手――。1998年当時なら、ワールドカップ・フランス大会の日本代表22人に入った平野孝を想像したかもしれないが、10年後の今はもちろん本田圭佑のことである。

2010年ワールドカップ・アジア最終予選への進出が決まった現在、岡田監督は代表の弱点解決に着手しつつある。言うまでもなく、未だ解消されていない弱点の1つは、左サイドを担当する左利きの選手がいないという点だ。そのため岡田監督は、埼玉スタジアムでの日曜日のバーレーン戦を前に、オリンピック代表から本田を昇格させ、さらに復調した安田を再招集した。

私が駒野のファンであることは以前にも書いたが、私が好きなのは右サイドにいるときの駒野であり、左サイドにいるときではない。駒野の場合、なかなかのクロスを上げるときもあるが、左足でボールをうまくミートできるかどうかはまさに出たとこ勝負。相手が強くなる最終予選では、大切なところでのちょっとしたミスが勝敗を左右するだろう。
それゆえ、このポジションの強化が不可欠であり、今週の代表合宿そして場合によってはバーレーン戦で本田を見てみたい、そう岡田監督が考えるのももっともである。

同じような立場にあった平野と同様に、本田は生まれつきの左利きで、高い身体能力を持っている。基本的には攻撃志向の選手ではあるが、左サイドの深い位置でも仕事ができ、4バックの左サイドを任せることもできる。
そして、本田のもう1つのセールスポイントは、セットプレーの巧みさ。オリンピック代表がカメルーンと戦った先日の試合でも、本田は、大きく曲がりながら落ちるフリーキックとともに、相手のディフェンダーとキーパーの生命を脅かすようなフリーキックの両方を披露していた。本田は、リベリーノのような爆発的なフリーキックを打つ技術を習得しつつあるのだろうか? そうに違いない、と私は思った。

結果的に、日本はバンコクであっさりと勝利を得た。強力な爆撃隊(闘莉王と中沢)がタイの守備陣を打ち破るのに時間はそれほどかからなかったが、ボールをサイドに回して流れの中で点をとるには、まだまだ前線を強化する必要があると感じた。
果たすべき使命は果たしたのだから、俊輔を休ませるのは至極当然。マナマで不本意な敗北を喫した日本はモチベーションが高まっており、俊輔を欠いてもバーレーンを撃破できるはずだ。俊輔を休ませ、右足首の治療に専念させる。それからセルティックの夏のトレーニングで調子を上げさせ、9月の大事な試合に呼び戻せばよいのである。
リベンジしたい気持ちはよくわかるが、バーレーン戦で俊輔を使うというリスクをわざわざ負う必要はまったくないと思う。

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梅崎の一長一短

2008/06/16(月)

2008年6月13日:梅崎司、素早くそして賢い…そして同時になんとも鬱陶しい選手である。本当に良い選手なんだ。日本サッカー史上最高の選手になれるほどの大いなる可能性を秘めた21歳の優れた選手。だが彼は簡単に、そして度々、グラウンドに倒れこむ。皆さんは、彼のそんな姿に違和感を覚えないだろうか?

木曜夜に国立競技場で行なわれたカメルーン戦、おそらく梅崎は日本記録を作ったのではないだろうか。ボールに6回しか触っていないのに7回もフリーキックを貰ったのだから。オーケー、少し表現が大ゲサだったかもしれない。しかし、彼は倒れこむ度にレフリーがフリーキックをくれることを期待するかのように、やりすぎる。これはあまりにも危険な賭けだ。もしもレフリーがそれを流したら――よくあることだ――その間、彼はゲームから離れることになる。ピッチに転がりアピールしたり、文句を言うことがチームにとって良いわけがあるまい。
優れた選手であることは間違いない。カメルーン戦で、18名のオリンピック代表入りを確実にしたことだろう。

前半9分、梅先は右サイドから森本に低いクロスを合わせ、決定的なチャンスをお膳立てした。ただ、これは森本がファーポストへ大きく外してしまった。オリンピック代表の座が危うい彼にとっては痛恨のミスである。
森本が右サイドバックのジョルジュ・ヌドゥムに対するショッキングなプレーで退場にならなかったのはラッキー以外の何でもない。親善試合ということ、まだ27分だったことなどから、レフリーも大目に見たのだろう。あのプレーにはレッドカードが出て当然だと思ったし、夜にテレビで見返してその思いをさらに強めた。森本の代表入りは厳しいが、梅崎は間違いないだろう。

話をトゥーロン国際大会に戻そう。レッズの若き戦士、梅崎はフランス戦で見事なヘディングシュートを決めた。遅れてボックスに走り込んでくると、岡崎の右からの絶妙なクロスをドンピシャのタイミングで、ニアポストからファーポストへヘッドで叩き込んだのだ。DFには梅先の姿が見えていなかっただろうし、GKもなす術がなかった。
それは開始16分のことで、梅先は試合中、フランス選手とベンチを悩ませ続けた(彼のディフェンスも、フランスにとって鬱陶しいものなら私も文句はないのだが…)。

カメルーン戦で彼は、ジョスラン・マエビの好セーブに阻まれたが、技アリのサイドボレーでシュートを放つなど、マーカーをかわして上手いタイミングでボックスへ走りこんでいた。67分でベンチへ戻ったときには、反町監督は熱烈な握手を求めた。まるで「よくやった!代表チーム入り決定だ!」とでも言うように。
梅先には明るい未来が待っている。その資格がある。まだ、フリーキックの名人とまではいかないものの、良いフリーキックも持っている。フリーキックをもらう名人であることは間違いないのだけれど。

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巻の起用が論理的

2008/06/12(木)

2008年6月11日:岡田武史監督は、思慮の深さで定評がある。しかし、出場停止処分となった大久保の代わりとして土曜日のバンコクの試合で使う選手については、あまり考え込まないで欲しい。はっきり言って、答えは簡単。巻を起用して空中戦での強さを活かし、この試合をモノにすればいいだけなのだから。

遠藤と俊輔という右利きと左利きのフリーキックのエキスパートが二人揃い、中澤と闘莉王がいる。このチームに巻が加われば、日本が勝利する可能性は大きく高まるだろう。ホームのオマーン戦で立証されたように、ゴール前にシンプルにボールを集めるのはまったく間違いではない。土曜日のタイ戦では、試合開始からこのアプローチをとって欲しい。

日本はタイに比べて体が大きく、強く、さらに敏捷性と経験があり、技術も優れている。つまり、実際にはあらゆる面で優位に立っているのだ。落とし穴があるとすれば、メンタル面だろう。タイに自由にプレーさせ、そのような状況で求められる対応力と冷静さが欠ければ、厄介なことになるかもしれない。
そのためにも、巻を起用すべきである。巻ならば、その空中戦の強さによって1人または2人の相手ディフェンダーを引き付けて他の日本選手がつけ込むスペースを生み出すことができる。ちょうど、羽生がジェフユナイテッドでやっていたみたいに。

ファーポストでマーカーより高くジャンプし、ボールをヘディングで危険なゾーンに落とすことができるのが、巻の最大の強みである。そうなれば、玉田がチャンスをモノにすることができる。
バックから強力な爆撃隊が加わるフリーキックとコーナーキックにさらに1枚戦力が加われば、日本は十分な数のチャンスを作り出し、楽々と勝利できるはずだ。

かっこいいサッカーにはならないかもしれない。岡田監督が究極の目標とするスタイルにもならないかもしれない。だが、今回のような相手では、そうすることが現実的で論理的なのだ。
勝点さえ取れば、それがどんなやり方だったかを気にする人はいない。それに、その夜の結果によっては、3次予選を1試合残した状態で最終予選進出が決定する可能性がある。

大久保が出場停止になっていなくても、タイ戦では、たとえ玉田をベンチに下げてでも体力的に優れた選手を前線に入れ必勝を期すべきだという意見が出ていたと思う。しかし今は、巻か矢野のいずれかを玉田と組ませるしか選択肢はなくなっている。となれば、経験豊富な巻を選ぶのが妥当だろう。
雪が降った2月の埼玉でのホーム戦では、日本はタイを4−1で破った(中澤と巻がともに得点したのをお忘れなく!)。セットプレーでの空中戦の強さという利点を生かしてプレーすれば、バンコクの湿気の中でも同じような試合ができるはずだ。

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オーバーエイジ論議に終止符

2008/06/09(月)

2008年6月6日:大事な試合が次々と近づいてくる。6月12日(木)のU−23(23歳以下)日本対カメルーン戦もそうだ。試合の結果はさほど重要ではないが、反町監督とオリンピック候補選手にとっては非常に重要なのだ。
NACK5スタジアムで行なった大宮アルディージャとの練習試合の後、反町監督と話をした。そのとき彼は、カメルーン戦後にオーバーエイジの選手を決めると言っていた。もちろん、誰を選ぶかを発表するのではなく、オーバーエイジ枠を使うかどうか決める、ということである。

23歳以上の選手を1人、2人、そして3人とチームに加えることを決断すれば、シーズン真っ最中のJ1クラブも考慮することになる。
「仮に、闘莉王、鈴木啓太、そして高原を選べば、レッズファンに怒られてしまう」と反町監督。「JFAとチームの間で交渉が必要です」。
私は、日本代表はオーバーエイジ枠を使わずにオリンピックへ行くべきだと思っている。反町監督には、ゴールキーパー2人を含めわずか18人しか枠がない。そして監督には、優れたチームを組むのに十分な選手がいる。

ここでは、メダルについては考えていない。日本の場合、オリンピック・サッカーのメダルについて述べると要点がずれてしまう。他の多くの競技と違い、オリンピックは選手たちの目指すべき頂点ではないのだ。
ワールドカップのはるか下どころか、大陸選手権大会(コンチネンタルチャンピオンシップ)やクラブ選手権大会(クラブシャンピオンシップ)よりも下。できることなら、JFAが、将来に向けた若い選手を選んでほしい。オリンピックを、若手選手が経験を積み代表チームへと上がるための踏み台にしてもらいたい。

3人のオーバーエイジ選手がチームを強化するとはいえ、森重の代わりに中澤、梅崎に代えて俊輔というように、才能ある若手の貴重な経験をベテラン選手が奪うのを見たくはない。補足すると、9月にはワールドカップの最終予選が始まる。8月の中国でベテランを消耗させず、彼らを見るのは最終予選まで待ちたいものだ。
反町監督は、21名のカメルーン戦メンバーを発表した。他にも、フル代表に入っている長友、内田、香川、負傷中の安田もいるのだ。18名を選ぶのはとても難しい。ただ、木曜日が過ぎれば少しクリアになってくるだろう。

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横浜での悲報と凱歌

2008/06/05(木)

2008年6月3日:月曜日。その日は不安で始まり、悲しいニュースが追い討ちをかけ、そして日産スタジアムでのオマーン戦快勝で幕を閉じた。
今回の試合は、力を出すことなくバーレーンに敗れた日本代表にとって大事な試合であったが、その日の午後遅く、我々がスタジアムに入場する列に並んでいるところに、長沼健氏の訃報が伝わってきた。
その瞬間、岡田監督の選手起用とフォーメーションに関する議論など、どうでもよくなった。日本がサッカー界のパイオニアを失ってしまった、その瞬間には。

日本サッカー協会(JFA)の前会長と最後におしゃべりをしたとき、埼玉スタジアム2002で行なわれた大会に1,000人以上の子供たちが参加してくれたと話していた。長沼氏はこの成果にとても誇らしげで、とても嬉しそうで、目がキラキラ輝いていた。まるで少年が初めてサッカーシューズを履いたときみたいに――。

国歌斉唱前の黙祷と選手たちの黒い腕章が重苦しい雰囲気を醸し出していたが、その後に日本代表は一転して活き活きとしたプレーを見せ、誇るべき結果を出した。
日本は、この試合ですべきことをすべて、楽々とやってのけたのだ。戦術や選手起用なんてどうでもいい。最も印象深かったのは、選手たちの勝利への渇望、積極的な姿勢、威厳。アジアのトップチームとしての地位が問われる試合だったが、選手たちは見事なプレーで実力を証明し、最後まで観客を魅了したのだ。
キャプテン中沢の大胆なヘディングシュートで、試合は動き始めた。バックから怒涛のごとく駆け上がっていた闘莉王を中村俊輔が見逃さなかったがために生まれた、大久保の冷静沈着なシュート。それから、松井の左サイドでの素晴らしい仕事を引き継いだ、中村俊輔のゴール隅に決めた右足のシュート。

予想どおりではあったが、試合後の会話とテレビのリプレイはペナルティエリア付近での俊輔の魔法に焦点が当てられていた。しかし、松井の貢献も見逃してはならない。フランスでプレーしている、この優雅な選手はますます完成度が高まっている。京都にいた、若くて、軽いプレーの選手がいまや風格を身につけ、ワールドカップを目指す日本の中心的選手となったのである。
それから、試合終了のホイッスルが鳴ったときのファンの歓声! そこには、日本の理想の姿、あるべき姿、鮮やかな青の残像があった。

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スーパーマンから透明人間になったタカ

2008/06/02(月)

2008年5月30日:どんなストライカーでも、ゴールから遠ざかればフォームを崩すもの。そんな時、たいていの監督はこう言うだろう。
「彼がシュートを何本か外したとしても、さほど心配はしない。すべての試合でゴールを決めることなどできないし、誰でもそういう時はある。それよりも、シュートする機会に恵まれない方がよっぽど心配だ」。

高原直泰も例外ではない。タカが単にシュートを外しているだけなら、岡田武史監督も彼をチームに残すだろう。高原の実績からしても、それは時間の問題。またゴールを決めるようになるのだから。だが、問題は彼がシュートを打つ機会に全く恵まれていないということなのだ。毎試合シュートを外しまくっているのではなく、存在感自体がない。2007年アジアカップのスーパースター高原は、透明人間になってしまったのだろうか。

高原が途中交代させられた直近のレッズの試合後、私はゲルト・エンゲルス監督とブンデスリーガから復帰した彼について話す機会があった。
「もちろん彼は不安だろうね。でもそう深刻なことでもないよ。シュートを外したから交代させられたというなら別だけどね」とエンゲルス監督。高原とチームは、まだお互いに慣れていない。高原がチームに馴染み、相手ディフェンスに対してどのようにして攻めるか学んでしまえば、ゴールは必然的に生まれるはずだと楽観しているとエンゲルス監督は言う。そしてこう続けた。「もちろん、彼は現状に不満を持っているよ。今の彼はオーバーワーク、冷静じゃないと思う。我慢が必要だな。それが一番のポイントだ」。

先日のキリンカップ、パラグアイ戦で途中出場した――後半18分、巻に代わって登場――高原だったが、明らかに調子を崩していた。高原の復調…そう、以前の高原に戻すにはレッズへ帰すのが一番だと考え、岡田監督は代表メンバーから外すことにした。
高原はきっと、戻ってくる。6月に入りこれ以上の不運に見舞われなければ、ワールドカップ最終予選に必要とされる選手なのである。南アフリカ目指し、透明人間はスーパーヒーローに戻れるはずだ。

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岡田監督の尽きぬ悩み

2008/05/29(木)

2008年5月28日:キリンカップの目的が月曜日のオマーン戦に向けた日本代表の準備にあったのだとすれば、その準備状況に対する岡田武史監督の懸念は1週間前より深まっているに違いない。彼がどのようなスタメン、フォーメーションで臨むのかは、ゴールキーパー(楢崎)と最終ラインの4人(駒野、中沢、闘莉王、長友)以外は定かではない。
もちろん、中村俊輔もスタメンに入るだろうから、確実なのはこれで6人。残りは確定したとは言いがたい状態だ。それに、日本は4−4−2と4−5−1のどちらを採用するのだろう?

今後数日間で岡田監督がどのような決断を下すのかはわからないが、1つだけ確かなことがある。日本は、開始から猛攻を仕掛け、早い時間にゴールを奪わなければならない。ゴールを奪えないまま試合が進めば進むほど、選手たち――そしてファンたちも――の苛立ちが募るようになるからだ。
オマーンは深く引いてくると見なければならない。引き分けで満足なのだから。つまり、日本はパラグアイ戦ではうまくできなかったが、動き回ってディフェンスの裏をとり、ゴール前にボールを入れてゴール至近距離でチャンスを作る必要があるのだ。選手たちがディフェンダーに勝負を挑み、積極的にシュートを打ち、全体的に速いテンポでプレーすることで、オマーンにプレッシャーをかけて欲しい。

パラグアイ戦では、ビルドアップするのに無駄に労力をかけすぎ、相手がさほど危険だと思っていないエリアでのパス・パス・パスが多すぎた。そうなればオマーンは喜んで深く引き、パス交換を見守ることだろう。反対に、試合開始から日本が積極的にサイドや中央から勝負を仕掛ければ、浮き足立つかもしれない。そのためには、大久保を起用して欲しい。大久保はポジティブな思考をする選手。俊輔にうってつけのゾーンでフリーキックを得るコツも知っている。
私なら、松井は左サイドに置く。フルバックを抜き去るための技術とスピードを持ち、正確なクロスを供給できるからだ。同じような理由で右サイドは山瀬。彼本来の位置ではないけれど。

私が見たいのは、スピード豊かでダイナミックなウィングでのプレー、それから中盤からの厚みのある攻撃だ。日本代表は、ボールを持つたびに中盤の複雑なパス回しにこだわりすぎ、チャンスを作ることもなく動きが瓦解してしまう傾向があったから。
鈴木と今野が中盤の中央でチームのバランスをとり、俊輔は大久保――ルーニーのようなワントップのスタイル――の後ろで自由に動き回らせるようにする。このチームには、スピード、確実さ、奥行き、経験、バランス、高さ、それからさらに言えばゴール――少なくとも2つ(しかも前半だけで)!――が備わっているのではないだろうか。

私が選んだ月曜日の先発メンバーは次の通りだ(4−4−1−1)
楢崎、駒野 – 中沢 – 闘莉王 - 長友、山瀬 – 鈴木 – 今野 – 松井、中村俊輔、大久保

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李の五輪代表入りは確定

2008/05/26(月)

2008年5月23日:李忠成がこれまで反町康治監督率いる18名のオリンピック代表候補に入っていなかったのなら、これで決まりだろう。
若手の有力選手が集まるトゥーロン国際大会。オランダを1−0で破った試合で日本の唯一のゴールを挙げた柏レイソルのストライカーは、勤勉さと勇気を見せた。実際のところ、日本のフォワード陣はかなり手薄な状態。反町監督にはあまり選択の余地がない。オーバーエイジ枠の有力候補に大久保嘉人が挙がっているくらいなのだ。

李は、オランダ戦後も代表の座を確保し得る良いプレーをしている。ターゲットマンとしてはかなり軽量ではあるが、スピードと鋭い左足を持っている。そして、テクニックとパワーでオランダのマーカーを打ち負かし、左足のアウトサイドでゴールを挙げたのだ。さらに言うと、私はピッチでの態度に見られる彼の人間性が好きだ。

日本代表でもう一人輝いていたのが、キャプテンの水本(テレビフィードでは右サイドバックの伊野波をキャプテンとしていた)と並んで4バックの真ん中でプレーした森重真人である。ただし、バックスのポジション争いは熾烈。青山、伊野波、水本、吉田、森重に加えて牧野がいる。彼らの誰をとっても代表として遜色はない。オリンピック代表のディフェンスの中央に闘莉王や中澤が必要だと言う人もいるが、私には理解できない。バックスは日本代表の強い部分でもあるのだ。とはいえ、若い選手の方が闘莉王や中澤より優れていると言いたいわけではない。

反町監督のフォーメーションは、李をトップに水野、谷口、そして本田圭佑が彼をサポートする4−2−3−1という興味深いもの。これは、この年代の選手にストライカーが不足している日本にとって理に叶った解決策だ。欧州チャンピオンズリーグでのルーニーやドログバのように、ローンレンジャー(1トップ)を置くのは近代サッカーの流行りでもある。
谷口は大宮NACK5スタジアムで行なわれた先の練習試合で2ゴールを挙げた。反町監督はエリア付近からのシュートを期待して、いつもフロンターレでプレーしている位置より前で使ったのだ。

最後に伊野波について一言。ファウルはとられていないが、伊野波は序盤、悪質なシャツプリング――シャツを引っ張る行為――をいくつか犯していた。反町監督がこれを注意していることを願う。
オリンピックで日本のゴールは、非常に貴重になるかもしれない。であるからして、こんな不必要なファウルでPKやエリア近くでのフリーキックを与えないよう、十分に注意する必要がある。そんな姑息でリスクの高い手を使わずとも、伊野波は相手ストライカーを負かすことができる選手のはずである。

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自発的行動でエスカレーションの回避を

2008/05/22(木)

2008年5月21日:土曜日の埼玉スタジアムは、不穏な雰囲気となった。2組に分かれたファンの間で物が飛び交い、ファンを分離していたフェンスが押し倒された。そして、スタジアムの外側で待ち構える1万人のホームチームのサポーターがようやく散開するまでの3時間半、800人のアウェーチームのファンが安全上の理由によりスタジアム内に足止めされたのだ。

私は80年代の古き悪き時代を思い出した。当時はこのような出来事が、イングランド内でのサッカーの試合そしてイングランド代表がプレーするあらゆる場所において、日常茶飯事だった。ただし、現時点では日本のフーリガン問題は議論すべきほど大規模なものにはなっていないし、当局も早急な処置をとれる態勢にはある。
さまざまな制裁が課せられる可能性があり、状況をうまくコントロールできなかった浦和に罰金が科せられるのは確実だろうが、ファンも重要な役割をしっかりと果たす必要がある。
たとえばイングランドのサポーターは、選手の人種を誹謗した人物を見つけた場合、警備員に知らせるよう求められている。スタジアム内での人種差別と戦うためである。こうしたことがJリーグでもできないものか。相手側のファンが投げつけた物体が子どもに当たれば、その子は試合を観に来なくなるだろうし、母親も来なくなるだろう。それはJリーグの評判や将来にとって大きな痛手となる。

日本のサッカーは、家族で楽しめるというのが自慢で、それはまったく素晴らしいことでもある。70〜80年代にイングランドのあちこちで危険にさらされながら観戦してきた私には、Jリーグの試合会場の雰囲気は今でも新鮮なものに思える。
だから、責任感のあるガンバファンは、無責任なガンバファンが水風船を投げているのを見かければ、彼(または彼女)を叱責して欲しい(「または彼女」と書いたのは、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズの首謀的人物が女性であったことがよく知られているからだ)。
トラブルメーカーには勇気を持って意見を言い、必要とあれば彼(または彼女!)を当局に突き出そう。何かしよう――このような自発的な行動が問題の予防に大いに役立つのだ。

Jリーグが公認サポーターグループの代表を招集し、たとえば鹿島ホームでのレッズ戦あるいはガンバホームでのレッズ戦といった舞台でのエスカレーションを避けるためにとるべき行動をアドバイスするのも悪くはない。埼玉でのあのシーンが日本でのフーリガン行為の始まりではなく、終わりとなるように願おう。もっとも、この問題が済んだことだとは、私にはどうも思えないのだが…。

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厳しい環境で成功を手にした松井

2008/05/19(月)

2008年5月16日:キリンカップ、そしてワールドカップ予選までのあいだ、誰がニュースの主役になるか、なんてことは聞くまでもない。当然、それは中村俊輔だ。バーレーン戦では、彼の持つセットプレーと大舞台での経験がないことが日本代表に大きく響いた。
そして海外組のもう一人、メディアへの露出が増えるであろうと私が期待しているのが松井大輔だ。

フランスのルマンで大活躍している京都の“紫王子(パープル・プリンス)”は岡田ジャパンのキープレーヤーとなるかもしれない。私が感心するのはそのプレーだけではない。それ以上に、2004年にフランスへ渡って以来、いかに彼がフランスでの生活に馴染んだか、である。
正直なところ、フランスは住みやすい国ではない。他のヨーロッパの人間にとっても、言葉は難しいし、街も非常に異質、ときとして排他的だ。そんななか、ヨーロッパでイングランド、スペイン、イタリア、そしてドイツの4大リーグに続く5番目のフランスリーグで名声を得た松井は素晴らしい。

2000年の京都入団から彼を見てきた人たちのなかには、フランスでの成功に驚いている人もいるかもしれない。もちろん技術的にも優れているし、観衆を魅了する華やかさも持ち合わせている。しかし少々目立ちたがり屋で独りよがりなところもあった。
1998年当時、フィリップ・トルシエ監督が小野伸二について感じていたのと同じように、ピム・ファーベーク監督も京都で松井が受けていたスーパースター扱いにフラストレーションを感じていた。スピードがありフィジカルなアフリカ人プレーヤーの多いリーグで生き残るために、松井は自身のスタイルに鋼の身体と規律を加えなければならなかった。

岡田監督が4−4−2を採用する場合、後方に優れたディフェンダーを配置すれば、松井は左サイドMFとして最適だ。残念だが中田浩二に出番はこない。しかし、おそらく松井にとってベストのフォーメーションは3−4−2−1。センターフォワードの後ろに置いて守備的な役割を軽減してやれば、松井は2人のシャドウストライカーの1人になれるだろう。いずれのポジションでプレーするにしても、松井は日本代表の攻撃陣に必要とされるペースを与えてくれるに違いない。

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二兎を得るのは大変

2008/05/15(木)

2008年5月13日:数年前のシーズン中に、岡田武史氏がJリーグとアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の両方を同年に勝ちとることの難しさについて述べていた。「二兎を得ようとするようなものだ」と当時横浜F・マリノスを率いていた岡田元監督は表現した。それぞれの兎が別々の方向に逃げて行くため、それを追う者は二兎の動きを見ながら、どちらを狙ったらいいのかを選択しなければならないのである。

昨シーズン、浦和レッズは狙うべき兎をはっきりと定め、ACLという兎を得ることができたが、そのためJリーグに集中することが難しくなり、結果的に失速、僅差で優勝を逃すことを余儀なくされた。現在は、昨季の浦和の失速により恩恵を受けたチーム、鹿島アントラーズが同じような立場にある。
2007年にJリーグ優勝という兎を得たチームは、今季のリーグ戦では首位に8ポイント差をつけられているが、ACLではベスト8の座を確保するために奮闘している。ガンバ大阪がすでに1次リーグ突破を決め、シードされている浦和に続いてJリーグでは2つめの準々決勝進出チームとなった。アントラーズも1次リーグ突破はかなり有望だが、クリアしなければならないハードルがもう1つ残されている。つまり、ヴェトナムでの最終戦を勝ち、北京国安に引導を渡す必要があるのだ。

ホームでヴェトナムのナムディンを6−0で破っているのだから、勝点3を得られなければそれこそ大番狂わせということになる。だが、とにかくこの5月21日のアウェー戦をなんとかものにし、リーグ戦突破を確実なものにする必要がある。
NACK5で大宮アルディージャと引き分けたあと、オズワルド・オリヴェイラ監督は、「2つのチームを用意してこのような厳しいスケジュールに対処するのが理想的である」と語った。移動、環境とコンディションの違い、それから日本への帰国を手ぐすね引いて待ち構えている手強いJ1のチーム。2つの戦線で戦う際には、とりわけこの最後のファクターが重要である、とオズワルド監督は言う。他のJ1チームはJ1での戦いだけに焦点を絞り、十分に準備することができるからだ。

もっとも、オズワルド監督は言い訳をしているのではない。まったく違う。彼は、二兎を追うことの難しさを示した、岡田理論を詳述しただけである。もしアントラーズがガンバに続いてベスト8入りを決めれば――つまり、準々決勝に日本の3チームが進出し、同じ国のチームの対戦が避けられるように抽選されるため3チームがベスト4に入るチャンスが生まれるようになれば――少なくともチームを再編成する時間を持てるようになるだろう。
さて、そうなったとき。オズワルド監督はどちらの兎を追いかけ、捕まえようとするのだろう?

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ジェフ・メモ 〜ミラー監督就任〜

2008/05/12(月)

2008年5月10日:2008年、埼玉スタジアム2002はJリーグの監督たちの墓場と化しつつある。
埼玉での試合に負けた翌日にクビになった監督は今のところまだ2人。そう言うのは少々大げさかもしれない。しかし監督たちを包むムードは不気味なほど似ている。
1人目は新シーズンが始まってわずか2試合、ホームでグランパスに敗れた後にクビとなったホルガー・オジェック監督。そして今週、ヨジップ・クゼ監督が2人目となった。クゼ監督は勝点を2しか挙げることができず、就任からわずか11試合で去ることとなった。

その翌日の木曜日、ジェフはその後任としてアレックス・ミラー監督の就任を発表した。彼はジェフをJ2降格から救うためにアンフィールドを後にしたのだ。ミラー監督にはもちろん自身の考えがあるだろうが、オジェック監督の後を継いでレッズの監督に就任し、チームをリーグ首位に導いているゲルト・エンゲルス監督の言に注意深く耳を傾けると良いかもしれない。

正直なところ、エンゲルス監督には良い選手、より大きく、より経験のある選手が揃っている。しかしながら、彼の観察力によるものも大きい。エンゲルス監督の最初の仕事は、選手たちが楽しく練習し、試合を楽しみにできるよう、チームのムードを変えることだった。そう彼は語っている。さらに、よりダイレクトでストレートに、ピッチを右往左往しないプレーをチームに心がけさせた。

ミラー監督がまずはじめに気づき、間違いなくウンザリするのは、日本人選手が危険なエリア、例えば自身のペナルティエリア付近でもショートパスを多用することだろう。これがうまくゆき、チームが危機を脱することができれば、観ていても楽しい。ただチームが自信喪失状態にある時には自殺行為に近い。ミラー監督は最初に、チームに安全なプレーをするようにと言うはずだ。つまり、エリア内でボールを繋ぐより、ボールを外へ蹴り出し逃げろということである。これは非常にイギリス的に見えるかもしれない。しかし同時に、そうした追い詰められた状況では非常に現実的かつリスクが少ないのだ。

もう1つ、エンゲルス監督のポイントを上げるとすれば、それは固定されたフォーメーションを作ったこと。それにより選手たちはそれぞれ自分の役割を理解し、交代が必要な時でも途中出場の選手がプレーしやすい。なんだか、トルシエ監督の声が聞こえてきそうだな…。
クゼ監督は、シーズン開始から4−5−1を使おうとしていた。しかし故障者の多さと戦略的崩壊で、システムどころかチームを固定することができなかった。自信を喪失し、故障者の多いチームを率いてスタートするミラー監督も、同じ悩みを抱えることになるだろう。とはいえ、ミラー監督には多少時間がある。13節を終え夏の中断期間に入るまで残りホームで2試合。他のチームから遅れること4ヶ月。ジェフのシーズンが一から始まるようなものだ。

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フクアリの呪いを打ち破れ

2008/05/08(木)

※ジェフ千葉は7日にヨジップ・クゼ監督の解任を発表していますが、本コラムは同日早朝に書かれたものです。あらかじめご了承ください。

2008年5月7日:現在のジェフユナイテッドの惨状をいかに表現すべきか。勝点の満点が33なのに対し、実際に得た勝点は2。マスコミではすでに監督の去就が大きく取りざたされ、舞台裏では新選手をテストし獲得しようとする必死ながらも実りのない努力が進行している。

それでも変わらないのは、千葉の忠誠心溢れる人々からのサポートである。
火曜日の埼玉スタジアム2002には、このような人々が数千人集まった。アウェーチームのスタンドを埋め尽くした黄色のサポーターの数は、初期の頃に市原臨海競技場に集まっていたその総数より多いくらい。
オーストラリア出身のセンターバック、エディ・ボスナーは言う。「僕がこれまでプレーしたクラブのなかでも、最高のサポーターだ」。
「ディナモザクレブでこんな成績なら、外で食事することもできないだろうね。絶対に無理。でも、このクラブには…素晴らしいサポーターがいる」
だが、もっとも気の毒なのがジェフのサポーターであることも確かだ。寄る辺となっていたオシム・ワールドが崩壊し、廃墟のなかに取り残されてしまったのだから。

私の見通しはごく少数派のものではあったが、正直言って、シーズンはじめにはこれほど事態が悪化するとは思っていなかった。
もちろん、レギュラーとして確固たる地位を築いていた水本、水野、佐藤、羽生、山岸の5人を失ったのは痛かったが、斉藤−下村−巻のバックボーンは残っていたし、それらの選手をサポートすべきオシム時代のベテラン、ハングリーな新獲得選手、そして右サイドバックの松本、中盤の米倉に代表される印象的な若手、さらに外国人選手も揃っていた。
また、等々力で快勝したナビスコカップの初戦も観ていたので、私は、ジェフはそこそこやれそうだと思った。

ただしリーグ戦では、フクダ電子アリーナの呪いがまたも襲い掛かった。シーズンの流れを決めたのは、ホームでのヴィッセル神戸戦だったと思う。この試合、ジェフは1−0とリードしたままロスタイムに入ろうとしていたが、鈴木規郎の1発のロケット弾によってすべてが台無しに。1−1の引き分けに終わったのだ。
ジェフがその試合をなんとか凌ぎきり、リーグ戦で4位の座と勝点3を死守していたなら、以降は順調に波に乗り、さらに成長することができていただろう。心からそう感じている。
いまは、シーズン当初のようなきびきびした動きが見られなくなっている。レッズに0−3で敗れたあとのキャプテンの下村は、まるで打ちひしがれた人だった。
自信を失っている、というのが下村の言葉。昨シーズンと比較すると攻撃時のボールを持った選手へのサポートが少ないので、ジェフはまるで10人でプレーしているようだった。また、レッズがボールを持ったときにも、ジェフは10人でプレーしているように見えた。横浜F・マリノスに敗れた(0−3)後には、選手同士の口論があり、キャプテンの自分が割って入ったとも下村は言っていた。

問題は山積しているが、私は今でも、ジェフにはこの状況から脱出してJ1に残留するだけの力があると思っている。夏の長い中断期間に入る前に、ジェフには2つのホームゲーム――相手は京都と大分――を控えている。そこで勝点6をあげれば、ジェフは息を吹き返すだろう。
そして、もしフクアリでまたも(これまでのように)躓くようならば、ジェフに必要なのは新監督ではなく、祈祷師(エクソシスト)かと思われる。

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朴智星、縁の下の力持ち

2008/05/05(月)

2008年5月2日:アレックス・ファーガソン卿は言う。5月21日に行なわれる欧州チャンピオンズリーグ決勝、チェルシー戦のメンバー表のトップにはポール・スコールズが来るだろうと。では京都パープルサンガで頭角を現し、今やオールドトラフォードでも人気を誇るMF朴智星はどうなのだろう。
バルセロナを破った準決勝での活躍で、朴はおそらくモスクワでの決勝ではスターティングメンバーに入ってくるだろう。
もう一度言おう。圧倒的な運動量で攻撃でも守備でもバルサを翻弄し続けた朴は、マンUの縁の下の力持ち。チームの公式サイトで、彼が“勤勉”とか“肺が破裂する程の活躍”と言われる所以だ。彼こそアジアサッカー界の誇り。韓国にとって、Jリーグにとって、そして京都パープルサンガにとって。

彼はプロ意識を持ちつづけ、常にベストのプレーを忘れない。飾りもトリックもない、ただ堅実にプレーする。精神力も強く、正しいプレーを選択する能力に長けている。
プレーだけでなく、それは彼のキャリアについても同じことがいえる。朴はKリーグでプレーせず、2000年6月に京都パープルサンガに入団。良き師フース・ヒディンクを追って2003年1月にPSVアイントホーフェンに移籍した。そこで欧州CL準決勝のミラン戦での活躍するなど地位を確立した後、2005年7月にファーガソンに請われてマンUに移った。以来、深刻なひざの故障と戦いながらも成長を続け、いま再び桧舞台を迎えようとしている。

AFCが4月22日に発表した候補者リスト21名の中には、朴の名はなかった。アジアサッカー連盟にはいま一度、2008年の年間優秀選手の候補者リストに彼を入れる事を望む。そもそも、11月発表の賞の候補者を4月に発表しなくてはならないのか。理解に苦しむところだ。
AFCのメインの大会、アジアチャンピオンズリーグだって、ようやく盛り上がり始めたところ。最優秀選手など、誰にも予想できないだろう。

だが、私にアジア最優秀選手の話はさせないで欲しい。今年のこれまでの活躍を見る限り、朴は私のリストの中に入っている。そう、たった一人のリストにね。

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レッズを生き返らせたのは、やっぱり闘莉王

2008/05/01(木)

2008年4月30日:ゲルト・エンゲルス率いる浦和レッズが劇的な復活を果たしているが、その最大の要因の1つは、ディフェンダーからミッドフィルダーに転向した田中マルクス闘莉王の活躍である。闘莉王を前に配置するのは当初、彼のエネルギーと積極性でチームに刺激を与えようとする、応急的な処置のように思えた。
しかしこの策が成功しているため、闘莉王はまだしばらく中盤の中央でプレーする可能性が高い。ご難続きの鈴木啓太がウィルスと数キロの体重減と戦っている現状では、なおさらである。

レッズはシーズンの早い時期に立ち直りのきっかけを必要としていたが、闘莉王がそのリーダーシップ、他の選手の良い部分を引き出す能力、そしてピッチにおける空中戦の強さによりチームを立ち直らせた。
火曜日の埼玉スタジアム2002でのコンサドーレ札幌戦、4−2という慌しい展開の試合をモノにしたチームのなかでも、闘莉王の働きは際立っていた。レッズでは、闘莉王は高原やエジミウソン以上に危険な選手。レッズを止めたいのなら彼を自由にプレーさせてはならない。コンサドーレの三浦俊也監督はそう認識していた。

「フリーキックのときにどのディフェンダーがマンツーマンでマークしても、闘莉王にはまったくかないませんでした」と三浦監督。
「これが、J2とJ1の大きな違いですね。J1では、コーナーキックやフリーキックの精度が高く、どのチームにも空中戦が得意な選手がいます。新潟の矢野とか、鹿島の田代、それから浦和の闘莉王…」。

コンサドーレ戦で、闘莉王は今季リーグ戦5ゴール目を記録した。アウェーチームのディフェンス陣をなぎ倒しながら、梅崎の左サイドからのコーナーキックをヘディングでファーポストに決めたのだが、コンサドーレにはなす術がまったくなかった。

しかし試合終了後も長く議論の対象になったのは、無効となったゴール、つまり0−1で追いかけていたレッズの前半19分における幻のゴールの方だった。そのときもやはり、梅崎から完璧なパスがきた。梅崎はフリーキックでシュートを狙っていたが、ファーポストに闘莉王を見つけてキックの角度を変更。驚異的なジャンプをした闘莉王には、ジャンプの途中で高原に気づいてボールを折り返す余裕があり、高原が流れるような動きでそのボールを見事にシュートした。素晴らしいゴール、みんながそう思った。スタジアムのスコアボードのオペレーターもそう思ってスコアを1−1にしたし、スタジアムのアナウンサーもゴールだと思った。しかし、その後に闘莉王のオフサイドが宣告されたのである。

ここで注目すべきは空中戦における闘莉王の勇敢さではなく、彼の試合勘であるのは言うまでもない。ホルガー・オジェック前監督は、闘莉王の両足を使ったパスレンジの広さを、ドイツを代表するフルバック、アンドレアス・ブレーメに例えていたくらいだ。エンゲルス監督は、闘莉王は現在の中盤のポジョションでもバックのときと同じように代表レベルのプレーができると確信している。だが代表レベルかどうかは私には関係ないことだ、とも語っていた。
それを判断するのは日本代表チームの岡田武史監督の仕事。緊張感に欠ける彼のチームにも、バーレーンでの失速から立ち直るための刺激が必要だ。闘莉王が日本代表の中盤の中央を務めるのか? 日本代表監督にとっては、キリンカップまでに考慮すべき価値のある選択肢であることは確かだろう。

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夢を諦めない“スッポン”北斗

2008/04/28(月)

2008年4月25日:反町康治監督が最後に必要とするものは、オリンピック代表チームに自身の考えを加えることのできる、もう一人の幅のある選手である。1年半に渡る故障から復活した中村北斗が、まさにその“もう一人”。

水曜日に行なわれたオリンピックトライアル、NACK5スタジアムでの2試合の練習試合のうち1試合、大宮戦にフル出場した22歳の北斗(誰もが彼を下の名前で呼ぶ)をじっくり観察していた。
2006年にアビスパでプレーしていた頃、ダイナミックで攻撃的な右サイドバックだった昔の北斗では必ずしもなかったが、北京オリンピックまでは3ヶ月の調整期間がある。私は反町監督に特に北斗のことについて聞いてみた。北斗は2006年に膝のじん帯を負傷する以前は、私のお気に入りの若手選手の一人だったのだ。
「彼はまだ100パーセントではありません」反町監督は答えた。「彼はもっとできるはず。まあ、プレーは悪くなかったですよ」。しばしの沈黙の後、「うちには、良いサイドプレーヤーがたくさんいますからね」と続けた。

確かに、反町監督が3−5−2システムを採用するなら、内田、水野、そして長友に次いで現時点で北斗は4番目のチョイスだろう。4バックを採るなら内田、長友に次いで3番目。これでは、キーパーを含む18人の代表に選ばれるには不十分だ。2007年、わずか3試合しかプレーしていない北斗にとっては難しい注文かもしれない。彼にできるのは、体調を整えベストを尽くすことだろう。

水曜日、4バックの右サイドで彼がプレーをするのを観られたのはもちろん喜ばしいことだ。そして彼にとっても、大宮の経験豊富な左サイドである波戸や藤本との対戦は良いトレーニングになったはずだ。タフで積極果敢なフルバックとして、そして優れたマンマーカーでもある北斗には、一度噛み付いたら離さない“スッポン”のニックネームがある。イングランドのサッカー界ではこういう選手を“テリア”と呼ぶ。小さいながらも踵に噛み付いたら二度と離さないという犬だ。
まあカメだろうがイヌだろうが、これだけは確か。一度すべてを失ったかに見え、そして復活。北斗はそう簡単にオリンピック代表の夢を手放さないだろう。

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京都の怒りもわかる

2008/04/24(木)

2008年4月23日:サッカーの将来を憂いたくなるような試合がある。たとえば、土曜日にビッグスワンで行なわれたアルビレックス新潟と京都サンガの試合。私の率直な感想は、恥ずべき試合であり、Jリーグそしてモダンサッカーの現状に対するひどい逆宣伝だというものだった。
サッカーを観ていると、こんな試合に出くわすこともある。とはいえ、Jリーグの全クラブのキャプテン/監督に集まってもらい、ひたすら正直にプレーし、欺瞞を排除し、観るに値する、立派で魅力的な作品を日本のサッカーファンに提供しようと呼びかけたくなるような試合ではあった。

子供っぽい意見といわれるのは承知の上。でも、ひどい試合だった。みなさんご存知だろうが、京都は3人の選手が退場処分になり、挙句には加藤久監督までもが退席処分。選手が次々に退場となると、クラブカラーに合わせたように「カトキュー(加藤監督の愛称)」の顔は怒りで紫色になり、怒りの度合いはテクニカルエリアの形状を素晴らしい足技で再設計するまでに至っていた。

そりゃ、彼だって怒るだろう。シジクレイにアタリバ、増嶋が試合終了を待たずにロッカーに引っ込んでしまったのだから。だが、そんなに荒れた試合だったのだろうか? 出されたカードの数だけ見ればそういうことになるのだが、内実はまったく違う。
より詳しく言えば、監督が退席し、ピッチ上に選手がわずか8人しかいない状態で京都が試合終了を迎えるようになったのは、シミュレーションと負傷のフリが巧妙に行なわれたこと――それからレフェリーの経験不足――が原因だ。

アレッサンドロと矢野へのファウルにより、キャプテンのシジクレイが2枚のイエローカードをもらい前半に退場。その後、アタリバにはいきなりレッドカードが提示されたが、その理由は、テレビ・カメラが捕らえていない、ボールとは関係のない場所における矢野との接触であった。また、増嶋も2枚のイエローカードで退場。1枚目は矢野に対する微妙なファウル判定に対して不満を述べたためで、さらに2枚目のイエローは空中戦での衝突が理由。その相手は…そう、ご名答。矢野である。

今シーズン、私は京都の試合を3試合観ている。増嶋の空中戦での強さ、具体的にはジャンプのタイミングにはいつも感心させられていた。彼はジョン・テリーのような体格をしているわけでもない。どちらかと言えばSMAPのメンバーに近いだろうか。さらに付け加えれば、カードが連発される混乱状態のなか、京都のベテラン選手・森岡が、グラウンドに寝転がる矢野に話しかけた内容も詳しく知りたいところである。
アルビレックスは今シーズンのリーグ戦初勝利を挙げたが、このような大混乱では誰も満足していないことだろう。

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FC東京と岡田監督を感心させた若きリーダー長友

2008/04/21(月)

2008年4月18日:岡田武史監督は、若手にチャンスを与えることをためらわない。1998年初頭、ワールドカップ・フランス大会の日本代表22名を選出するとき、結局は外された3名のうちの一人となった市川大祐、そして小野伸二が良い例だ。

4月21〜23日のトレーニングキャンプに招集された選手の中にも、興味深い若手がいる。21歳のフルバック、FC東京の長友佑都である。チームの情報によると、長友は明治大学から入団したばかりのルーキーながら、すでにピッチ内外でリーダーとしての素質を発揮し始めているらしい。
例えば2月に新宿で行なわれたファン感謝祭では、長友は新加入のエメルソンにお辞儀の仕方とサポーターへの感謝の言葉を教えていた。そしてさらに土曜日、騒々しい東京ダービー、ヴェルディ戦に勝利した後、長友は試合終了後のホィッスルが吹かれた後もピッチに残り、アウェー席にいたFC東京ファンの前で、決勝ゴールを挙げた羽生に勝利の儀式のお手本を見せていた。
長友自身がゴールを挙げたわけではないが、試合終了間際、ロスタイムにヴェルディのエリア内で、彼の存在が今野のヘディングシュートから途中出場した相手側の柴崎のオウンゴールに繋がったといえる。

長友はジュビロ磐田の駒野のようにとてもタフなディフェンダー。彼を振り切るのは難しい。ヴェルディのフッキも今回の東京ダービーで身にしみて感じたことだろう。
FC東京では右サイドには徳永がいるため左サイドバックを務めているが、長友は右サイドもできる。実際1−1の引き分けに終わったU−23代表のアンゴラとの親善試合では右ウィングバックをこなし、ゴールを挙げた豊田にクロスを供給している。

今回岡田ジャパンに招集されたことで、彼が北京オリンピック代表の18名に残る可能性はグンと増した。オリンピック代表の反町監督には右サイドに内田と水野、左サイドには安田と本田という経験ある選手がいる。とはいえ多才な長友がメンバーに残る可能性は高い。
近い将来、多くの大きな場面で彼を見ることになるだろうが、北京オリンピック出場はプロとして始まったばかりの彼のキャリアにとってパーフェクトな出だしと言えるだろう。

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埼玉の“Fワード”

2008/04/17(木)

面白いと考えるか、悪趣味だととらえるか。試合の一部なのか、それともやりすぎなのか…。「埼玉事件」について、どのようにお考えだろうか。

私が言っているのは、先週土曜日、埼玉スタジアム2002でのビッグマッチの前にアントラーズのファンが掲げたレッズ向けの下品なメッセージのことである。
メッセージは、「F**k You Reds」という3つの単語を大きく表示させるつもりだったのだろうが、それぞれの文字が大観衆のなかでバラバラになり、巨大なジグソーパズルのようになってしまった。
なんとか表示できたのは1つ目の文字列の「F**k」(文字が隠されている部分はご想像の通り、おめでとうございます)だけで、2つめの文字列は「Y」だけがさびしく孤立。残りの部分は3つ目の文字列とごっちゃになって「R EOU」となり、その直後に「D」と「S」が漂っていた。つまり、1つ目の文字列以降は「Y R EOU D S」となっていたのである。

試合前のこの余興は前半の試合内容以上に注目を集めた。何といっても、この文字列がゴール裏で前進後退、右往左往していたのだから。実際のところ、ひどく面白かった。アントラーズ・ファンは毎試合メッセージを組み立て、それを最初に判読した人に賞品を贈呈すべきだと私は思った。
メッセージの内容がついに明らかになったとき、我々は2つのことを学んだ。試合をしている2つのクラブの敵対関係がもはや修復不可能なほど悪化しているということ、そして茨城県には英語教師が著しく不足しているということである。おそらく、茨城県では、「ジ*コ」みたいに話せるよう、皆がポルトガル語を勉強しているのだろう。

アントラーズのファンは、ハーフタイムに自ら進んでアクションを起こした。3つの文字列でメッセージを構成するのをあきらめ、より大胆な「F**k Reds」というメッセージを採用したのである。
試合終了の笛が吹かれ0−2での敗戦が決まったときに「F**k」だけを掲げればよかったのに、と同僚の一人が冗談めかして言っていたが、永井の2点目のゴールが決まった後のアントラーズ・ファンにはユーモアの余裕はなかった。

近くにいたマスコミの人々の反応はさまざま。浦和を日本のマンチェスター・ユナイテッドに、鹿島をリバプールに喩えたうえで、両クラブの激しいライバル心が顕著になり、「すばらしい」と評した人がいた。
またある人は、日本人は“Fワード”のインパクトあるいは重大性を十分に理解してはおらず、例のメッセージは敵意からきたものではなく、ファンを扇動することを目的としたものであると指摘した。

レッズのゲルト・エンゲルス監督は試合後、メッセージが目に入らなくて良かったと話した。「悪趣味だよ。主催者やホームチームにはどうすることもできないしね。あまり格好の良いものじゃない」。
この点については、私はエンゲルスに賛成だ。悪趣味だし、扇動も度が過ぎる。日本サッカーの発展に合わせて、チームそしてファンの間でライバル心が高まるのは大賛成だが、今回の埼玉事件のあとにどのような事態が待ち構えているのかを心配する必要がある。横断幕だけの問題で収まれば良いのだが。

鹿島は心からの謝罪をすべきである。レッズ・ファンに深く頭を垂れ、アジアチャンピオンズリーグの覇者に無礼な振る舞いをして本当に申し訳なかったと浦和のファンに詫び、浦和ファン全員にジ*コまたは野沢のポスターを無料でプレゼントするのだ。
そのときの、レッズの反応はどうなるのだろう? 私は、Fで始まる4文字の言葉が返ってくる可能性が高いと思うな。

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“ジーコ・ダービー”の望みを打ち砕いたチェルシー

2008/04/14(月)

2008年4月12日:日本では、いわゆる“ジーコ・ダービー”というものはなくなってしまったが、アジアやヨーロッパのチャンピオンズリーグにはその可能性が残っていた。
ジーコ・ダービー?
そう。フェネルバフチェが欧州チャンピオンズリーグを制し、アントラーズがアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で優勝すれば、12月に開催されるFIFAクラブワールドカップで“ジーコ・ダービー”が実現したのだ。もちろん、実現の可能性は大きくなかった。そしてそれは水曜の夜、フェネルバフチェとの準々決勝・第1戦を落としたチェルシーが第2戦でジーコのチームを破ったことで望みが絶たれた。
だが同時にそれは、12月に来日するのはリバプールかチェルシーかマンチェスター・ユナイテッド、あるいはバルセロナ? という日本のファンにとって魅力ある可能性を残したことになる。悪くない話だ。

鹿島アントラーズについて言えば、彼らはまだガンバ大阪と同じくACLの戦いの真っ只中。それから、決勝ラウンドから登場する昨年の覇者・浦和レッズも忘れてはならない。
余談になるが、私にはAFC(アジアサッカー連盟)の考え方がどうもよく分からない。昨季王者にグループリーグを免除することは、宣伝効果やマーケティングのチャンスを逃すこと。もったいないと思うのだ。

さて。グループリーグを半分終えた時点で、アントラーズとガンバは各グループの首位を走っている。準決勝進出8チームのうち3チームを、日本のクラブが占める可能性も高い。準々決勝で同一国のチーム同士がぶつかることはないので、準決勝進出の4チームのうち3チームを占めることだってあり得る。

水曜日に行なわれたアントラーズ対北京国安戦は、冴えない試合だった。寒風吹きすさぶなか、わずか6,487人の観衆が選手たちを盛り上げようとしていた。ホームチームにとってひじょうに苦しい内容ではあったが、1−0の勝利で勝点3を得たことは大きい。良いプレーが出来なくても勝つのが、良いチームと言われる。そしてアントラーズはそれをやってみせた。
この試合の功労者は、なんといっても曽ヶ端だろう。チアゴのPKを阻止しただけでなく、試合終了まで集中力を途絶えさせることがなかった。
6試合を終え上位2チームが勝点で並んだ場合、順位は直接対決の結果で決まる。左ウィングのマルティネスのシュートを足で止めた曽ヶ端のセーブが、大きく響くことになるかもしれない。

イングランドのプレミアリーグのように、Jリーグの3チームがCL(ACL)の準決勝に残ることを祈ろう。アジアでの昨季までの対戦成績以上に、Jリーグは強い。そしてそれが疑う余地もない事実であることを、彼らは証明できるはずだ。

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フロンターレを完封した京都の“カトナチオ”

2008/04/10(木)

2008年4月8日:ディフェンス学を学ぶ者のために、京都サンガF.C.が土曜日(5日)に等々力陸上競技場で上級者クラスの講習を行なった。
京都はスリーバックで目覚しい働きをした35歳のシジクレイが中心となり、川崎フロンターレの攻撃をことごとくはじき返した。フロンターレも青息吐息で攻め立てたが、本陣の攻略までには至らず。0−1での敗戦という辛い結果を甘受するしかなかった。

この試合は、京都にとってはJ1復帰以来初のアウェー戦勝利。加藤久監督の功績は大いに讃えられなければならない。加藤監督の守備陣は見事に訓練されており、カウンターアタックはぞっとするほどの迫力。イタリア名物“カテナチオ”の日本版が誕生したとさえ思えた。今後はこのシステムを“カトナチオ”と呼ぼうではないか。

1960年代にインテルの指揮を執ったアルゼンチン出身のエレニオ・エレーラ監督が好んで使ったカテナオチ(イタリア語で閂(かんぬき)の意味)は、ネガティブなスタイルのサッカーそのものの象徴となった。だが私は、京都あるいは加藤監督を批判する気など微塵もない。
むしろその反対で、前線にキープ力とスピード(ジュニーニョ)パワー(チョン)を装備し、さらにサイドからの攻撃(森および山岸)高さ(寺田)中盤の構成力(中村、大橋)を持つ危険な相手に対し、チームが一丸となって行なったディフェンス方法を称賛したいのである。

京都のディフェンダーは地に足をしっかりと着けてタックルすべきボールを見定め、無謀な飛び出しで自らを役立たずな存在にするような真似はしなかった。また、必ず相手フォワードの内側に付き、壁となってシュートやクロスを防いだ。その守備は観ているものを感心させたし、相手チームをジワジワ苦しめた。
ジュニーニョに対するシジクレイの仕事ぶりは、あらゆるディフェンダーのお手本となるものだった。また、右側の増島と左側の手島はともにベテランらしい落ち着きと集中力を発揮。後半早々に手島がピッチを去ると、シジクレイが左に移り、森岡がバックの中央に入ってディフェンス陣を統括してチームをリフレッシュさせた。

中盤の中央は、アタリバがずっと引いた位置にいるなかで、佐藤勇人がビックリ箱のような働き――スッと飛び出してはボールを持っているフロンターレ選手を脅かし、その後またもとの場所に戻る――をしていた。
そして、まさに“カトナチオ”スタイルの京都は後半の半ば過ぎに反撃、柳沢の決勝ゴールで1−0という完璧な“カテナチオ”的勝利を達成したのである。

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ストイコビッチ監督、英国式の大宮を堪能

2008/04/07(月)

2008年4月4日:ドラガン・ストイコビッチ監督にとって、水曜夜の大宮アルディージャ初訪問は楽しいものとなった。チームのプレーも納得のゆくもの。前半を終え1点のリードを許していたものの、結局2−1の逆転勝ちを収めた。さらには新たに“NACK5スタジアム”としてリニューアルオープンしたスタジアムにも大満足だったようだ。
「素晴らしいね。まさにサッカーのために作られたスタジアムだよ。雰囲気だけでなくピッチもスヌーカーがプレーできるほど素晴らしいよ」。

美しい絵のように大宮公園の一角に位置するスタジアムの改修で、大宮アルディージャはJリーグでもトップクラスのホームグラウンドを得た。座席もピッチに近く、ゴール裏の急勾配のスタンドはスタジアム全体の歓声を増幅させる。
「イギリススタイルだね」グランパス監督はそう続けた。「ピッチが本当に近く指示が出しやすい。コーチだけでなく選手たちにとっても非常にいい。すべてが素晴らしいよ」。

ストイコビッチ監督は現役時代、その卓越したボールテクニックとその仕草でわたしたち観衆を楽しませてくれた。監督としての彼はとても穏やか。しかし前半には、レフトサイドバックの阿部翔平に向かってボールをパンチしてスローインを促すなど、ファンに今でも激情家の一面を見せてくれた。
どういうことだったのかを尋ねると、彼は笑って答えた。
「ラインに沿ってなるべく遠くへスローインを入れるよう言ったんだ。不用意に中へスローインを入れてボールを奪われ、カウンターを許したりするからね。0−1で負けていたんだし、彼に“起きろ!”って言ったんだよ」。

見ていて楽しいゲームは時が過ぎるのも早い。そんななか、そして日本代表の岡田武史監督の前で阿部は非常に素晴らしいプレーをしていた。レアンドロのファーポストへの見事なヘディングシュートをクリアしたかと思えば、前線に上がり攻撃に加わった。ひとつプレーを挙げるとするなら、左足でタイガー・ウッズでさえ自画自賛しそうな強烈なスピンをかけたパスだろう。171cmという身長はディフェンダーとしては大きくないが、後半にはマリノスの小宮山のように積極的にヘッドで競り合い、勝つ場面もあった。

「阿部。彼はとても面白い選手だ」。ストイコビッチ監督はお気に入りのトルシエ監督の口癖を真似して言った。「身長はそれほど高くないが、ジャンプ力があるし、ジャンプするタイミングが良い。これはディフェンダーにとって重要なことなんだ。それに彼はいつも(前線に)上がること、オーバーラップしてクロスを上げることを考えている。そういう血が流れているんだろうね」。岡田監督も、そのことに気づいたに違いない。

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ついに勝利。それにフェアプレーも

2008/04/03(木)

厳しい新シーズンの出だしとなったこのチームには、週末のゲームに団結して臨むことが何より必要だった。そして、彼らは見事に団結し、シーズン初勝利を飾っただけでなく、流れのなかから3つのゴールを奪った。忠誠心溢れるサポーターは、ようやくいつも通りにシーズンが進行し、これからは順位を上げていくはずだと感じているに違いない。
そう、まさに印象的なパフォーマンス。そのチームの名は、徳島ヴォルティス(ごめんなさい、浦和レッズの話だと思った?)。

J1の試合がなかった土曜日のお楽しみは、湘南ベルマーレ対徳島ヴォルティス戦。実際期待通りの試合となり、とくに平塚競技場の4,474人の観客のなかにいたアウェーチームのファンにとってはこたえられないものとなった。ヴォルティス・ファンの数はさほど多くなかったが、息のつけない展開のなかで自チームを懸命に応援し、最終的には3−2で勝利を祝うことができた。

たくさんの横断幕が張られていたが、そのなかに「Share good times and bad times(良いときも悪いときもいつも一緒)」と書かれていたものがあった。なかなかの出来栄えであったが、そう見えたのにはセイドゥ・ドゥンビアのダイナミックなプレーが少なからず貢献していたのだろう。
柏レイソルで頭角を現すことができなかったこのコートジボワール出身の20歳のフォーワードは、ベルマーレ戦で1ゴールを挙げただけでなく、玉乃淳と阿部祐太郎が決めた他の2点もお膳立て。勝利の立役者となった。現在彼は、徳島の注目選手である。

この試合ではたくさんのゴールが生まれたが、なかでも最高だったのは勝ち越し点となった76分の阿部のゴール。ベルマーレが攻勢をかけているなか、ドゥンビアが先陣を切り、右サイドからのヴォルティスのカウンターが始まった。ドゥンビアは自らのスピードとパワーを最大限に発揮し、かつてエスパルスの守備の要であった斉藤俊秀をあっさり抜き去り絶好のクロスを供給。ドゥンビアの突進にぴたりと合わせて動いていた阿部がボールに全身を投げ出し、フライングヘッドで強烈なシュートを決めた。

ただし、ヴォルティスが勝点3の獲得を祝うまでには、防戦一方となる場面も何回かあった。このときに徳島のキャプテンである西河翔吾が見せた一連のフェアプレーとスポーツマンシップを、私は賞賛したい。
まもなく90分が経過しようというころ。徳島が3−2でリードを保っていたときに、ベルマーレのキャプテン、ジャーン・ウィッテと空中戦で競り合った徳島のディフェンダーがピッチに倒れこんだ。そのディフェンダーが倒れたままだったので、はじめは、ケガをしたふりをしてトレーナーを呼び時間稼ぎをするつもりかと思った。だが西河は、そのチームメートに立ち上がりプレーを続けるように合図を送ったのである。
ゲーム全体に影響を及ぼすようなことでないが、現在の風潮のなかではホッとするような光景だった。というわけで、私のフェアプレー賞は、西河翔吾に決まりだ。

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成す術なしの日本が得損なったもの

2008/03/31(月)

2008年3月29日発:「日本は成す術がなかった」。バーレーンのミラン・マチャラ監督のその短いコメントがすべてである。これまでに何度か日本と対戦し、日本のサッカーを熟知している“中東の魔術師”のあまりにも厳しいコメント。しかし水曜夜、日本はアウェーのバーレーンに0−1で敗れ、6月まで続く4試合のグループ予選で自分たちにプレッシャーがかかる状況を作ってしまった。それがフェアな評価といえよう。
ピッチ上の日本代表はペースも上がらず、お疲れ気味。リーダーシップも経験も欠いていたように見えた。バーレーンのボールに対する素早いプレスに、ボールキープどころかリズムに乗ることさえできずに終わった。

マチャラ監督が語ったように例え“成す術がなかった”としても、日本だって“得るもの”はあったはずだ。試合終了まであと13分のところで、川口が重大ミスを犯すまでは…。スコアレスドローに持ち込み勝点1を得る。バーレーンだってその結果に十分満足したはずなのだ。
主導権も握れず、単調な攻撃ばかりの日本だったが、それでも後半にはゴールを挙げるチャンスが二度あった。
バーレーンがゴールを挙げる前には駒野が右サイドから上げた絶妙なクロスを大久保が決め損ね、バーレーンが先制した後には阿部が、やはり決め損なった。これらの決定的なチャンスを決められなかったのは、技術的な問題ではなく自信の欠如というべきだろう。

彼らの不甲斐ないプレーと試合結果が影響したのかはわからないが、翌日の国立競技場でのU−23日本代表のアンゴラとの親善試合の観客はわずか1万2,718人。しかし少なくとも、観戦した人々には、強豪と対戦するU−23代表選手のエネルギーと大望が見えたはずである。
特にMF中央、細貝と青山敏弘のコンビに、私はあらためて感心した。反町監督のオリンピック代表メンバー18名への生き残りを賭け、頑張ってきたのだろう。ボールを追い、攻撃を阻止し、そしてボールを奪って攻撃選手にボールをフィードしつつチームを動かし続けた。
試合終盤には、細貝はまるで闘莉王のように相手ペナルティエリアで体を張ってプレーしていた。リードを守りきれず同点に終わったのは残念だが、彼らは胸を張って競技場を後にしたし、サポーターたちも彼らを誇りに思うことができた。
前夜のバーレーンでは、こうはいかなったのだが…。

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勝点1なら悪くない

2008/03/27(木)

2008年3月27日:日本代表は水曜夜にバーレーンでワールドカップ3次予選を戦うが、この試合が岡田武史のチームにとって厳しい試練となることは確かだろう。
3次予選の6試合のうち今回が日本にとって最も難しい試合になることは、ずっと前から分かってはいた。現状では、引き分けて、雪の埼玉でタイから奪った勝点3に積み上げられれば悪くない結果ということになるのだろう。仮に日本が負けたとしても、まだ残り4試合。なんとかグループ2位以内に入り、10チームが2組に分かれて戦う最終予選進出の10チームの枠に入るのは可能だろう。

バーレーンでのアウェー戦後、残りの4試合はすべて6月に行なわれる。まず2日にホームでオマーン戦があり、次にアウェーでのオマーン戦(7日)。さらにアウェーでのタイ戦、ホームでのバーレーン戦(22日)が予定されている。
この連戦への準備として、5月にキリンカップの2試合が組まれている。岡田監督には、ヨーロッパから招集した選手をチームに馴染ませるチャンスが充分にあるということだ。
それでは誰を呼ぶのかということになるのだが…私は、岡田監督が今回のバーレーン戦に中村俊輔を招集しなかったのが、今なお残念でならない。中村の招集は所属クラブであるセルティックでのプレーに“専念”させるために見送られた、という記事をあちこちで見かける。だが、水曜日の予定はどうなんだ?

中村は日曜にセルティックの一員としてグレトナ戦に出場した。土曜日にはレンジャーズとのオールドファーム・ダービーに出場する予定となっている。しかし、だからといってバーレーン戦に出場できないということはない。
中村を招集しなかったのは、“クラブに専念”させるためではなかった。岡田監督が準備に時間をかけたかったからで、試合の2日前に中村を練習に参加させることを望まなかったからだ。

私自身は、例のグレタナ – セルティック戦の有無に関わらず、岡田は中村を選ぶべきであったと、理由を挙げてすでに書いている。だから、ここで同じ理由を書くのは止めておこう。
中村は、月曜、火曜、そして水曜をグラスゴーでぶらぶら過ごすのだろう。だがその間に日本代表はさほど離れていないところでワールドカップ予選を戦い、他の選手たちは国際試合が組まれている週であるため世界中を飛び回り、自国のためにプレーしようとしている、と言えば充分だろう。
実際のところ私には、日本のテレビ局あるいは新聞が、セレブ解説者として俊輔をバーレーンに招待しなかったことのほうが驚きである!

今夜? 私の予想は0−0だ。両チームともグループでの初戦を勝っているし、最終予選に進出する可能性が最も高い2チームと見られている。したがって、優先順位はグループ最大のライバルにこんなに早い時点で負けないようにすることとなるだろう。

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リズムが掴めないフロンターレの“ファブ・4”

2008/03/24(月)

2008年3月21日:リーグ開幕から3試合(ナビスコ杯も含む)。現時点でフロンターレの“ファブ・4”がいまだにゴールを挙げていないなんて、誰が予想していただろうか。
ジュニーニョ、鄭大世、我那覇和樹、そしてフッキの4人が揃ってノーゴール。これまでのフロンターレの2ゴールはMF森(ヴェルディ戦)と大橋(ヴィッセル戦)によるものだ。ところで、大橋のゴールは素晴らしかった。惜しむべきはその時点でチームは0−4だったということだ。

そして木曜の午後、寒さと雨、そして強風で荒れ模様の等々力スタジアムでジェフ千葉と対戦したフロンターレは、千葉DFにノーゴールに抑えられ、そしてカウンターで2ゴールを失うという散々な試合だった。
興味深いのは、フロンターレの関塚監督がチーム名を“カミカゼ・フロンターレ”とでも変えた方がハマるような総攻撃体制のスリートップを早々に諦めてしまったらしいことだ。千葉戦では本来の3−5−2に戻し、我那覇とジュニーニョをトップに、鄭大世をベンチに置いた。そしてフッキは故障。
フロンターレに詳しいある人物は、フッキの故障は精神的なもので、ゴールが挙げられず、かつてヴェルディでキングとして君臨したのが嘘のように自信を喪失していると言う。
本当なのだろうか? 超人ハルクが凡人ハルクになってしまったのというのだろうか?

アジアチャンピオンズリーグの出場もなく、確立された基盤の上に爆発力のある攻撃陣が揃った今年のフロンターレは強い。私はそう思っていた。もちろん、30試合以上のリーグ戦を残し、ナビスコカップの予選グループ戦では千葉を逆転可能な5試合を残している。まだまだ挽回は可能だ。
とはいえ、ジェフ戦ではスピードとインサイドのパワーゲームで相手をねじ伏せるようないつものフロンターレではなかった。
我那覇はまったくペースが上がらず、交代出場した鄭大世はボスナーのタックルにしてやられ、さらには後半から出場した19歳、米倉には憲剛不在のフロンターレMF相手に自由にカウンター攻撃を組み立てられていた。

この米倉はおもしろい選手だ。
チームを去った“五井ギャラクティコ”羽生と同じ背番号(22)、同じ出身校、同じポジション(攻撃型MF)。ただ、体型だけが違う。羽生がワンマン駅伝チームのように走り回ってポジションを取るのに対し、米倉はピッチ上重要なエリアで体を張ってポジションを取る。
一方、フロンターレの最大の見せ場は、大橋の強風を利用して内側に曲げたコーナーキックでGK立石を爪先立ちにさせたことぐらいだろうか。

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エンゲルス監督の七転び八起き

2008/03/20(木)

2008年3月18日:波乱の土曜日と騒乱の日曜日が過ぎ去った月曜日、大原サッカー場の様子はまったくいつも通りだった。前日に容赦なく解雇されたホルガー・オジェク前監督はすでに過去の人。ゲルト・エンゲルスが“またも”スポットライトの中央にいた。
クリップボードを手に持ったエンゲルス監督は、流暢な日本語で、混沌のなか新シーズンを迎えたチームを再び正しい軌道に戻そうとしていた。彼と一緒にいる選手の数はそれほど多くはなかった。代表招集とケガで持ち駒の数が少なくっていたからなのだが、ナビスコカップを戦うチームの基礎は明らかに整っていた。

月曜日の練習でとりわけ目を引いたのは、新入団選手である梅崎司のセットプレーでの巧みさ。素早い動作から蹴ったボールがスワーブしながら壁を越える、いやらしいフリーキックを何発も見せ、キックの度にゴールキーパーをあわてさせていた。デビッド・ベッカムの技巧をずっと勉強していたのだろうか? どうやら、そのようである。

練習後、エンゲルス監督は非公式の記者会見を2度開いた。まずは日本語で、それから英語で。アジアチャンピオンの監督に電撃昇格したというのに、彼は極めてリラックスして見えた。
イベントが目白押しとなった前日の慌しさを自ら振り返ったときには、人間的な一面も見られた。「その日の午前中に昇格が決まり、午後は4時からの公式記者会見の準備をしていたから、練習後に子どもたちとぶらぶら過ごす計画が台無しになってしまったよ」。彼はそう語ったのである!

「子どもたちに納得してもらうため、事情を説明した」。
「子どもたちの最初の質問は、『ホルガーはどうしているの?』だった。とても優しい子たちだよ。彼らは、私が同じ経験をしたとき、私がどんな気持ちだったかを知っているんだ。こういう仕事なんだよ、と言うしかなかったね」

現実的な話をすると、日本語のできる人物が練習を直接指揮し、練習グラウンドやチーム・ミーティング、試合現場で通訳者を通じてメッセージを全員に伝える必要がなくなったことは、大きな意味を持つだろう。
さらに、エンゲルス監督は、何か不満があるときはメディアに伝えるのではなく直接自分に言ってくるよう選手たちに話すつもりでいる。ベテラン選手のオジェク批判がコミュニケーションの崩壊をもたらしたのを知っているからだ。

「隠す必要なんてまったくない。選手も知っているよ」とエンゲルス監督。
「私に直接言ってもいいし、コーチに話して、コーチから私に伝わるようにしてもいい。私は、1日24時間、彼らの話に耳を傾ける」

ただし、エンゲルス監督への批判はあまりなさそうである。クラブは建て直しの真っ最中。新監督は分け隔てのない好人物で、選手たちに敬愛されている。エンゲルス監督はフリューゲルスの消滅という挫折を味わい、さらにジェフユナイテッドと京都で解雇の憂き目に遭っているが、歴史が証明しているように、彼は生き残っている。そして、またも日本サッカーのトップに上り詰めたのである。

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俊輔を外したのは岡田監督のミス?

2008/03/17(月)

2008年3月14日:金曜午後に発表されたバーレーン戦(3月26日)に向けた中東遠征メンバーについて、いくつか話したい。
まずは稲本の招集。中盤を強化したい日本にとって、これは歓迎すべきことだろう。次に玉田。復調しているのなら、使わないテはない。ワールドカップ、ブラジル戦でのゴールは誰もが鮮明に覚えている。
そして、俊輔の招集見送りだ。これについては賛否両論。いや、どちらかと言うと否定的な見方が多い。

今回の見送りについて、ある人は、3月15日、18日、23日とセルティックでの試合を、ワールドカップ予選の3日前にはグレトナでのアウェーゲームを控えているのが理由だという。チームに合流して2セッション、ひょっとすると1セッションしかトレーニングできないかもしれないタイトなスケジュール。そんななか、わざわざ招集することもないと。
他方、俊輔は好調で良いプレーをしているし、グラスゴーから中東なら日本から行くより近い。岡田監督は俊輔を招集すべきだったという意見もある。

スケジュールがキツイのはわかるが、私はそれでも、岡田監督は俊輔を招集すべきだったと思う。日本代表のミッドフィールドが完璧というわけではあるまい。稲本がタフさと中央からの突破力を加えてくれるとはいえ、それでも俊輔の力は必要とされる。
この一戦はタフなゲームになるだろう。
素晴らしいフリーキック、中澤のヘッドにどんぴしゃりと合わせるコーナーキック、飛び出した玉田へのスルーパス、そして弧を描いてキーパーを避けるようにネットへ刺さるシュート。これらの中村のワンプレーが全てを変える可能性があるのだ。

それに加え、この21名は全員が初日から集結するわけではなく、準備も各自バラバラとなる。メンバーの多くは月曜日にドバイへ向け出発するが、ガンバとアントラーズの5名は水曜のアジアチャンピオンズリーグを終えてから金曜に。フランクフルトの稲本は木曜に合流する。そこからチームは数日かけ、徐々に準備することになる。
こうした状況とこの試合の重要性を考えるとき、俊輔を呼ばないのは岡田監督のミスのような気がする。どうやら、バルセロナとはプレーできるがバーレーンとはできないということらしい。

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オレンジ・ダービーを制したのは黄色い恐怖

2008/03/13(木)

2008年3月12日:土曜日にはアルディージャ対アルビレックスの「オレンジ・ダービー」が大宮で行なわれたが、アルディージャの勝利に貢献したのは黄色い恐怖だった。
アルディージャが2−0でアルビレックスを退けたその試合、軽やかな足どりと目にも鮮やかな黄色のシューズで、ペドロ・ジュニオールが只者ではないことを立証した。このブラジル出身の21歳のフォワードは、素早い動きと賢さでアルビレックスのDF陣に仕事をさせず、自身初ゴールでもある先制点を決めたほか、2点目のシーンでも相手DFを振り切ってからのシュートで小林大悟のゴールをお膳立てした。

前半に2点をリードされたアルビレックスは、後半早々から大宮DFに波状攻撃を仕掛け、ゴール裏に詰め掛けたサポーターの近くまで突き進んだ。しかしその初期の猛攻でもゴールラインを割ることができず、大宮が逃げ切りそうな雰囲気となった。
全体的に見れば、この試合ではアルディージャが改修されたNACK5スタジアム大宮で完璧なスタートを決った。ファンも、これからのシーズンに向けての自信を心のなかに芽生えさせたに違いない。ホームゲームのために埼玉県内を旅行していた時代が終わり、シーズン当初から本当のホームグラウンドを持てただけでなく、ついに海外から優秀な選手を獲得できたかもしれないのだ。
今年がJ1での4度目のシーズンになるが、これまでの最終順位は13位、12位、15位と、J1の安定勢力と呼べるほどにはなっていない。チームに密接に関わってきた人なら誰でも、その主な原因は失敗続きの外国人選手獲得にあると知っている。こうした失敗が常に、アルディージャのJ1での足かせとなっていたのである。

かつて監督を務めていた三浦俊也氏は、たとえ相手が大分でも、両チームの外国人選手を比べては愚痴をこぼしていたものだ。それは昨年のロバート・ファーベックも同様。誰か、覚えているかな? アリソン、エニウトン、サーレス…まあ、これくらいにしておこう。ただし、レアンドロは2007年に守備の要となり、今シーズンも順調なスタートを切った。また、ペドロ・ジュニオールとデニス・マルケスが入団したのは昨年の8月だった。

昨シーズンの後半は、デニス・マルケスの方がペドロ・ジュニオールより良さそうな印象を受けたのだが、アルビレックス戦はベンチだったし、その前のプレシーズンマッチではペドロ・ジュニオールがなかなかのプレーをしていた。
外国人が少しばかり安定した状態でシーズンを迎えられたことは、経験豊かな選手が揃っているチームを引き継いだ樋口靖洋新監督にとって大きな安心材料となっているはずだ。
開幕戦では、ペドロ・ジュニオールが黄色いブーツでの華々しいステップで大宮を勝利に導いた。アルディージャ・ファンは、彼がすごいゴールを決めるコツ(英語で“knack”)を知っていて、それをNACK5スタジアムで発揮して欲しいと思っていることだろう。

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J1の“スーパーリーグ”、優勝候補はレッズ

2008/03/10(月)

2008年3月7日:Jリーグの優勝を予想するのは難しい。そう、たとえシーズン最終日であっても。
シーズンの開幕前日になんて、これはもうほとんど不可能? いや最近流行りの言葉でいうと「不可能なんてあり得ない」だ。だって、2008年のチャンピオンはJ1“スーパーリーグ”の中から出るのだから。
ここで私が言う“スーパーリーグ”とは、レッズを筆頭にガンバ、アントラーズそしてダークホースのフロンターレの4チームだ。この4チーム以外に優勝争いに加わってくるチームは、たとえば、中村俊輔が夏にF・マリノスに復帰しチームを小笠原流に変身させるとか、そんなことが起きない限りおそらくないだろう。

ワシントンの得点力、MF長谷部のゲームメイク、そして小野の技を失いはしたが、今シーズンの私の一押しは浦和レッズだ。さらに、故障中の三都主とロブソン・ポンテは復帰までまだ数週間かかる見込みで、浦和としては良いスタートが必要になってくるだろう。
冬の間、レッズは良い補強ができた。高原とエジミウソンは良いコンビになるだろうと確信している。これまでのワシントンのワンマンショーではなく、彼ら2人でゴールを競いつつ挙げていくだろう。また梅崎の加入も大きい。積極果敢な攻撃型MFの彼は行動範囲も広く、中盤を攻撃にうまく結びつけてくれるはずだ。

自陣深くからの疾走でレッズサポーターの人気も高かった長谷部。浦和では彼の可能性を十分に活かしきれていなかったように思う。彼にはゲームをがっちりと握り、支配する能力があるのだ。とは言え、チームの核として阿部と鈴木啓太のコンビは彼の移籍で開いた穴を十分埋められるはずだ。すなわち、ディフェンスのカバーだけでなく攻撃がうまく機能するための基盤が揃った。トータルで見て、レッズの中盤はより強力になったと言える。
レッズは各ポジションに2人の選手がいる。さらに、ガンバやアントラーズと違いアジアチャンピオンズリーグで準々決勝まで試合を行なわなくて済むのだ。

一方、昨シーズン不本意な成績に終わったフロンターレだが、今シーズンは優勝争いに加われるだけの戦力は揃っている。爆発力のあるフッキがチームに新たな側面を持たせ、山岸がミッドフィールド左サイドを引き締める。ここ数シーズンの安定感に加え、フロンターレの今回の強さは本物だ。
昨年はガンバを優勝候補としたが、だとしても、私の優勝候補はレッズである。

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テレビの役割とは

2008/03/06(木)

2008年3月5日:英語にほとんど非の打ちどころがない、鹿島アントラーズのオズワルド・オリヴェイラ監督が、どの試合のあともメディアに対してコメントする様子は、まるでコメント製造機のようだ。
土曜日のゼロックススーパーカップ後も、彼はとりわけ調子がよかった。この試合は、ある英字新聞ではゼロックス・スーパーメス(スーパー騒動)と表現されていたが、まさにその通り。オズワルド監督の鋭い洞察には、このような問題でテレビが担っている役割――むしろ、どちらかというとテレビが担っていない役割――に関するものも含まれていた。私も以前に書いたことがあるのだが、この地でのテレビ局のアプローチは、イングランド、それからおそらく他のほとんどすべての国とは大きく異なっている。
オズワルド監督は、議論の的となる出来事が「やり過ごされ」、画面が次の瞬間にあっさりと「飛ぶ」ことがよくあると指摘した。スローモーションの再生なしに。分析もなしに。議論もなしに。誰が正しくて、誰が悪かったのか?

土曜日の試合のスポーツニュースは、ファウルの大盤振る舞いを受け、レッドカードから認められないゴール、ペナルティ・キックの裁定からキックのやり直し(両サイド)まで、そしてもちろん稀にしかないピッチへの侵入事件までを徹底的に切り刻み、消費した。
週末のサッカー番組でこのような瞬間をさまざまなアングルから繰り返し繰り返し再生し、レフェリーの誤審と思える事例(久保のペナルティ)を映すだけなく、レフェリーと彼のアシスタントが正しかった事例、たとえばクロスを出す前に新井場に対するオフサイドを示すフラッグがはっきりと上げられていた前半の田代のゴール取り消しも放送すれば、エンターテインメントになるし、教育的でもあるのではないだろうか? オフサイドを犯したのは、田代ではなかったのである。

最初に見たときには、レフェリーの判断の多くが誤っている、あるいは厳しいように思えるものだが、リプレーにより審判が正しかったことが判明することも多い。たとえば、イングランド・プレミアリーグの実況アナウンサーがレフェリーに謝罪し、実際にはレフェリーの裁定が素晴らしかったと認めたことも幾度かはあった。

土曜日には問題があまりも大きくなり、何が何だか分からない状態になっていた。テレビの評論家たちによる徹底的な議論そして分析があれば多少は助かっただろう。しかし、そんなことはありえない。日曜早朝に私が見たG+チャンネルでの再放送はPK戦後の大混乱を無視。佐藤寿人のヒーロー・インタビューに焦点を当て、背後で起こっていたドラマと騒ぎは完全に蚊帳の外であった。
オズワルド監督は両チームに公正な評価をしようとし、サンフレッチェへのレッドカードもアンフェアであると思うと語りながら、PK戦でダニーロと本山が失敗したときにはサンフレッチェのキーパーの方が、曽ケ端がストヤノフと斉藤のキックをセーブしたときよりもゴールラインの前に出ていたと指摘した。
議論を行ない、結論を得るには格好の話題だが、私が試合後に見た土曜日と日曜日の番組では、それらすべてが、オズワルド監督の言うように「やり過ごされて」いた。

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Jリーグスーパーマーケットは大盛況

2008/03/03(月)

2008年3月1日:ボールを蹴ることなく、サッカーシーズンのハイライトの一つが終了した。
金曜午後、ザ・プリンスパークタワー東京で「2008Jリーグキックオフカンファレンス」が開催され、全33チームから監督、選手が集まった。そこには大久保、岩政、鈴木啓太、下村、玉田、そして徳永の姿もあった。あるJリーグの役員はこのイベントを、メディアにとってシーズン・プレビューのための“スーパーマーケット”のようなものと表現していたが、この豪華なイベントに700名をこえるメディアが集まった。

イングランドのフットボール・ライターズ・アソシエーション(フットボール記者協会)主催の、シーズン終了後にロンドンで行なわれるプレーヤー・オブ・ザ・イヤーの授賞式以外に、このような華やかなイベントは記憶にない。これらのイベントには選手や監督が大勢参加するが、公式行事というよりはむしろ、ディナーテーブルを囲んで談笑したり、リラックスする非公式なものだ。

もちろん、イングランドと日本では事情が異なる。
サッカーが生活の一部でメディアが常に注目しているイングランドでは、このようなシーズン前の盛大なイベントは必要ない。施設がどんなに貧弱だろうが、メディア対応がどんなに無愛想でも、そして時として監督や選手がどんなに取材に対して非協力的であっても、メディアは群がってくるのだ。
一方、Jリーグはサッカーを確立させるために、歴史と伝統溢れる野球や相撲に夢中になるメディアを勧誘し、しっかり捕まえる必要がある。そういう点において、Jリーグは非常にうまくやってきたと言える。33チームのカラフルなブースでは豊富な情報が提供され、金曜日は大盛況だった。

カンファレンスのメインテーマは、2010年までに年間総入場者数を1100万人にするという目標を掲げた 「イレブンミリオン・プロジェクト」。昨年の数字は880万人。目標を達成するには毎シーズン7%の観客増が必要となる。今年の目標は、J1、J2、ナビスコカップ、そして3チームが出場するアジアチャンピオンズリーグの各ホームゲームを併せて950万人。おそらくそれは達成できるだろう。
日本のスポーツ界において、Jリーグは着実に地位を築いてきた。だが、将来Jリーグがこの華やかな「スーパーマーケット」を閉店することは私には想像できない。

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ジェフの光明

2008/02/28(木)

2008年2月27日:最初の印象が誤っている場合がある。とりわけ長期にわたる戦いが始まる前には――。
しかし、土曜日のフクダ電子アリーナでのジェフユナイテッド千葉を見れば、冬にチームの戦力の半分を失った今シーズンも、多くの人が予想しているほど苦しいものにはならないかもしれないと思えてくる。
ホームにレイソルを迎えた「ちばぎんカップ」でのプレーは活気とエネルギーに溢れ、選手たちは自分たちの実力を証明しようとしているように見えた。それは1つの時代の終わりというよりは、新しい顔ぶれを起用する機会を得た、新しいチームのスタートのようだった。

試合後、ヨジップ・クゼ新監督もこの点を認識していたようで、チームが順位表の下のほうに沈む危険はない、とジェフのファンを元気づけた。時間はかかるかもしれないが、チームにはかなりの潜在能力を持つ、優秀な若手選手が何人かいるし、自分には「本格的な」チームを作るのに充分な経験がある、と彼は語った。

さらに、その場にいた誰もが気づいたように、チームにはエディ・ボスナーがいる。
身長191センチ、体重88キロ。坊主頭のオーストラリア出身のこのセンターバックは、ゲームがとてもよく見え、左足のすさまじいフリーキックも持っている。12,933人の観客のなかにいたジェフの熱狂的ファンは、レイソルの選手たちを仰天させたらしいざっくり切り裂くタックルを見て、すっかり彼が気に入ったようだ。また、今シーズン、彼の荒々しいスタイルに対するレフェリーの対応方法も興味深い。レフェリーには、ファウルとハードタックルをはっきりと見極め、相手選手のリアクションではなくタックルそのものから判断を下して欲しいと思う。

バックの水本と、水野、佐藤、羽生、山岸という中盤の4人組を失ったジェフでは、欠けた部分をボスナーが早急に補う必要があるだろうし、同じことが斉藤や、出戻りの坂本、ニューリーダーの下村(私の昨年度のジェフのMVP)のようなベテラン選手、そして復調したときの巻にも求められるだろう。

巻が不在の日曜日の試合、クゼ監督は4−1−4−1のフォーメーションで中島を4バックの前の中盤の底に起用、レイナウドをワントップにした。監督が大きな期待をかけているのは野洲高校出身の青木孝太。彼はその試合ではじめは中盤の左サイドでプレーし、途中からはトップ下でプレーした。
野洲高校時代の活躍、そしてJ1での時折の出場を見た者ならわかるように、青木は素晴らしい左足を持っている。クゼ監督は、20歳にして「偉大な」選手になる素質を持っていると感じているらしい。

ジェフには、いつだって明るい面がある。スター選手はいなくなったが、その抜けた穴はすぐに埋められている。正直言って、現時点では入れ替わった選手が抜けた5人に匹敵するとは言えないけれど。ただし、6人あるいは7人の選手を故障で欠いていた土曜日の試合を観ればわかるように、現時点でのジェフの前途は明るい。

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冷静さを失わなかった日本代表

2008/02/25(月)

2008年2月23日:水曜夜の東アジア選手権、日本代表は2つの勝利を収めたと言える。まずアウェーでの1−0の勝利、そしてもう一つの勝利は挑発的で暴力的な環境のなかで見事な対応をしたことだ。

とりわけ最悪だったのはもちろん後半10分、安田理大に対するGK宗磊の酷いファウル。その瞬間私は、1982年に開催された歴史的なワールドカップ準決勝、西ドイツ代表GKシューマッハがフランスのバチストンに対して犯したファウルを思い出していた。バチストンが中央を突破してボールを蹴った瞬間、突進してきた相手GKに体当たりを食らうというその状況は、今回と非常によく似ていた。
全身で相手選手にぶち当たりながら、ピッチで意識を失い倒れているバチストンを心配する素振りも見せず、腰に手を当てゴールキックを蹴ろうとしていたシューマッハの方が、さらに悪質だった。

少なくとも宗磊はイエローカードをもらったが、審判がこのプレーをファウルだと判断したのであれば、あれはレッドカードでなくてはならなかったはずだ。ボールはすでに蹴られた後で、中国のGKは安田に対して右足で飛び蹴りを狙った。故意で危険なプレーだったのは明らか。日本側が激怒するのは当然だ。

他にもある。特に中国選手の手荒いプレーに怒り、ピッチに数分間倒れていてもおかしくないような場面でもすぐに立ち上がりプレーを続けた楢崎の自制心とスポーツマンシップには敬意を払いたい。ここでも私は、1982年W杯準決勝、フランスのウィング、ディディエ・シスがルーズボールをめぐって大胆にもシューマッハに挑み、無慈悲な怒れるドイツ人GKを感じたのを思い出した(ヘラルド・“トニー”・シューマッハについては、彼の自伝『開始の笛・原題:Anpfiff』を読まれることをお勧めする)。

厳しい状況のもと、中国選手たちが試合も冷静さも失いつつあるなかで、日本選手たちはときとして芝居がかったプレーを見せたものの冷静にプレーを続けた。これは大きな評価に値する。いずれにしても、これはサッカー界、特にアジアのサッカー界にとって大きなイメージダウンだ。
数時間後、チャンピオンズリーグ、セルティック対バルセロナの試合を見るためにテレビをつけ、ホッとした。重慶での馬鹿げた試合後の清涼剤だ。

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年齢制限と年齢違反

2008/02/21(木)

2008年2月20日:年齢制限のある大会でオーバーエイジの選手をプレーさせたとして、いくつかのサッカー協会に処分を下したアジアサッカー連盟には満点を与えたい。
U−16アジア選手権の予選中に行なったMRIテストの結果を受け、北朝鮮とイラク、タジキスタンには罰金とともに失格処分が、予選を通過しなかったバングラディシュ、ブータン、カンボジア、キルギスタンそしてマカオ5ヶ国には罰金が科せられた。サッカーの統括機関としては正しい措置だが、規則を巧妙に破ろうとする試みを撲滅するのは不可能な課題でもある。
こうした事柄から思い出されるのは、1994年にジャカルタで開かれたU−19アジア選手権、つまり日本が決勝にシリアで敗れた大会での出来事だ。

その舞台裏では、どのチームが「クリーン」で、どのチームがルールに従っていないのかをみんなが噂していたし、見た目は年齢制限通りに見えるものの、パスポートの中身はどうやらそうでないらしい選手も何人かいた。
私は、準決勝で勝利を収めたあとのシリア選手にインタビューしたことを覚えている。我々は広大な国立競技場のメインスタンドに腰掛け、通訳が付いてくれた。インタビューは行きつ戻りつしながらも無事に進行。私がいつも通り、最後にその選手の経歴について質問するまでは。

「誕生日を教えてくれるかな?」
私はなんの下心もなく、そう尋ねた。初めて会話が行き詰まり、通訳がその選手と議論を始めた。経歴に疑わしい部分があるのは明らかで、選手と通訳はそわそわし始めた。そのとき、私は理由を理解した。彼らも私が当惑しているのに気が付いたのだと思う。それまでインタビューは順調に進んでおり、彼らはとてもフレンドリーで、協力的だった。私は、バッグのなかを探して、すべての選手の誕生日が記されているチーム・リストを取り出して締めくくることにした。

「あった、あった」と私は言った。「この通りかな?」
2人は嬉しそうにうなずき、我々は握手をして、分かれた。危機は回避されたのである。

ちなみに、そのときの日本代表は、名古屋グランパスエイトに入団することになる、ゲームメーカーの伊藤卓がキャプテンを務めていた。鹿島アントラーズでケガに苦しみながら選手生活を送ることになる熊谷浩二が、中央のミッドフィルダーであるにもかかわらず、最優秀ディフェンス選手に選ばれた。また、前線には大木勉がいた。
あぁ、それから記憶が曖昧なのだが、日本の右サイドにはなかなか良い選手がいたなあ。なんて名前だったかな? 確か、ヒデトシとかいう名前だったような…。

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安田は岡田ジャパン左サイドの新オプション

2008/02/18(月)

2008年2月16日:岡田体制になって、まだ日は浅い。中国で開催される東アジア選手権で監督はプレーヤーたちのことをより詳しく知り、そして戦術を公式の大会という環境で試すことができる。
岡田監督が何とかしたいと思うであろうことを一つ挙げるなら、それはチームに、特にディフェンスにバランスを持たせる左利きの選手を見つけることだ。現時点では駒野を左サイドバックとして起用しているが、彼にとっては本来右サイドの方がプレーしやすいし、より効果的だ。
岡田監督の右サイドのオプションは内田、そしてジーコ監督のお気に入りだった加地と、豊富だ。したがって駒野は左サイドに回されることになる。私は駒野の大ファン。彼の粘り強さや前向きな姿勢を尊敬している。彼の頑強な体つきは対戦相手にとって厄介なものだ。しかし彼を左で使うというのは、あくまで一時的な妥協案に見える。

最近追加招集された20歳の安田が、岡田監督の新たなオプションとなるはずだ。安田はユース、オリンピック代表、そしてフル代表へと急速に成長してきた。7日間で3試合を戦うこの中国で、彼は間違いなく初出場を果たすだろう。
岡田監督の4−4−2システムでは、2人のフルバックは中盤の選手へというよりフォワードに幅を与えることが求められる。したがって左サイドのプレーヤーは、コンスタントに正確なクロスを上げることが必要となる。
駒野の左足からのクロスは、お世辞にも安定しているとは言えない。安田が安定したクロスを上げてくれれば、日本の攻撃に新たな一面を持たせ、エリアの中でより危険なものにできる。

候補は他にもいる。たとえばレッズで復調すればアレックス、さらにはマリノスの小宮山。
もう一人、左足のスペシャリストを挙げるとすると、ヴィッセル神戸の古賀誠史だろう。昨季途中に、元ボスである松田監督がアビスパから獲得した28歳の選手だ。中国でのチームの出来次第ではあるが、左サイドにより自然なバランスをもたせるために、岡田監督が経験のある選手を探するなら、新シーズンが始まったら元マリノスの古賀を試してみるのも良いだろう。

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千葉と寺田の朗報

2008/02/14(木)

2008年2月13日:2人の有望選手が、シーズン早々のU−23日本代表の遠征メンバーに選ばれた。1人はアルビレックス新潟の千葉和彦、もう1人はガンバ大阪の寺田紳一である。
日本代表が厳しい予選を戦っているときには、いずれもキープレーヤーと呼べるほどではなかったが、現在の2人は今後の数ヶ月で18人のオリンピック最終メンバーの座に居座りそうな勢いがある。

千葉はディフェンダーとして登録されているが、中央のミッドフィルダーとしてもプレーすることができる選手で、サッカーをよく知っているのは間違いない。1つ1つの動きを見ていればそれがはっきりとわかるし、数の限られている最終代表の座を射止めるには、そのような万能性が大きくものを言う。
昨シーズン、埼玉スタジアム2002でのレッズ対アルビレックス戦で素晴らしいプレーを見せたことを覚えている。チームは終盤のポンテの劇的な一撃により0−1で敗れたが、千葉は山のようなワシントンをマンマークし、見事に仕事をこなしていた。
ワシントンは、シュートを決めるだけでなく、フリーキックやペナルティーをもらうのも得意。しかし千葉は集中力と意志をもってプレーし、大柄なブラジル人が無理を通そうとするのを頑と拒否、職務を充実に果たしていた。
簡潔に言えば、千葉はしっかりとした態度でその才能を発揮して見せたのである。その姿は、昨シーズン、ジェフのメンバーとして等々力でジュニーニョをマークした水本とそっくり。若い日本人選手が懸命にプレーする姿、とりわけ経験と実績を持つブラジル人ストライカーと渡り合おうとする姿を見るのはいつも楽しいものである。

寺田については、私は素晴らしい可能性を秘めた選手であると思っている。速くて、鋭くて、大胆。両足を使うことができ、ゴールへの嗅覚もある。寺田が今シーズン、素晴らしいコンビネーションを誇るガンバの中盤でレギュラーの座を獲得するには、実力をコンスタントに発揮できることを監督の西野にアピールする必要があるだろうが、その素質には疑問の余地がない。
千葉も寺田も、2007年の末端メンバーの立場から、2008年のオリンピック代表に躍進できるだけの資質は充分にある。私はそう感じている。

中国での東アジアサッカー選手権に参加する日本代表チームについて言えば、すべてを賭けてプレーすべきは4人のストライカーだ。
高原、大久保、巻。岡田監督のトップ3のフォワードが全員欠場のため、播戸、矢野、前田、田代はアピールのチャンスを得たことになる。個人的には、播戸のゴールを期待している。先週の雪の埼玉でのタイ戦で、半袖、手袋なしの姿で途中出場した彼のことだから、きっと活躍できるはずである。あのときの播戸の姿こそ、まさにサムライ・スピリットではないか!

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日本代表のDFに違う一面を持たせた坪井

2008/02/11(月)

2008年2月9日:坪井慶介の日本代表引退という決断は、大きな驚きだった。キャップ数40を誇る28歳のDF坪井は、岡田武史監督率いる日本代表には自分の居場所はないと感じ、金曜日、今後は浦和レッズでのプレーに専念すると発表した。

先週土曜日、私は千葉県稲毛市で行なわれていた代表チームのトレーニングで坪井を見たが、彼はハツラツとしていた。しかし、彼は水曜日のタイ戦18名のメンバーには選ばれなかった。監督は中澤−阿部のコンビでディフェンスの中央を固定、ベンチには坪井や岩政でなく水本を置くことを選んだのだ。
3バックのレッズで右サイドバックを務める坪井にとって不利だったのは、岡田監督が4バックを採用していることだ。彼のスピードやマンマークの技術は3バックだからこそ非常に有効。レッズの攻撃中、ディフェンスの要として相手側FWのカウンターに目を光らせるのに、坪井ほどの適任者はいない。彼のペース、そして1対1での読みは、相手のカウンターを阻止するのに非常に効果的だ。この点において、坪井は代表チームに一味違う貢献をしてきた。しかし、水本の台頭により坪井の日本代表DFとしての序列が下位へ押しやられてしまった。

中国での東アジア選手権を欠場するもう一人のレッズプレーヤーは高原だ。高原はドイツから帰国して以来、精彩を欠いている。しかし復調した高原がどの程度やれるかは周知の事実。この点について、岡田監督は不安を持っていない。
中国での3試合は、岡田監督がチームの5人のフォワード、巻、矢野、播戸、大久保、そして前田のコンビネーションを試す良い機会になるだろう。

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タイ代表監督の興味深い指摘

2008/02/07(木)

2008年2月6日:日本のサッカー・ファン、とりわけ横浜F・マリノスのファンにとって興味深い話題を紹介しよう。
山瀬功治と中村俊輔では、どちらが良い選手なのだろう? タイ代表のチャンビット・パラシービン監督の答えには揺るぎがない。彼は山瀬の方が上だと考えている。月曜日の午後、西が丘サッカー場での練習後に少数のメディアから取材を受けたとき、このマリノスのゲーム・メーカーは日本のトップ・プレーヤーの1人だと述べた。

最も注目している日本人選手は誰かという質問には、チャンビット監督はチームのバックボーンである中澤佑二、鈴木啓太、高原直泰の名前を挙げ、さらに「ただし、先日の試合で2ゴールを記録した選手も大好きだ」と付け加えた。
山瀬ですね、とメディアが指摘すると、「そう、山瀬だ」と監督。「私は、彼の方が中村より良い選手だと思う。若くて、まだ伸びしろがある」

それは憲剛と俊輔、どちらの中村ですか?
「スコットランドにいる方だね」とチャンビット監督は明言した。
面白い…。それに、山瀬にとっては自信になる発言である。岡田武史監督はどう考えているのだろう、と私は思った。その答えは、まもなく分かる。一連のワールドカップ予選が進行し、中村(憲剛ではなく俊輔の方)がセルティックで本来のゲーム勘を取り戻すようになれば――。

チャンビット監督は自チームの選手についても面白い指摘をした。タイ代表の多くがJリーグでプレーすることを夢見ているという。そのため選手たちは日本戦にやる気をみなぎらせており、タイ代表の才能豊かな選手がJリーグのスカウトの目にとまればいいのだが、と。
上品な発想だし、タイの選手がJリーグにスパイスを添える可能性について考えるのも楽しいものだが、どうやら期待は薄い。私自身は、クラブの選手獲得ポリシーがもっと多様になればよいと思っている。しかし、タイの選手にできて、日本人の選手にできないことというと…一体なんだろう?

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山瀬をタイ戦スタメンに!

2008/02/04(月)

2008年2月2日:監督というものは時として、思いがけないチームの成長を目の当たりにするものだ。先日のボスニア対日本戦を例に取ってみよう。
前半33分、巻の負傷により山瀬が途中出場した。山瀬は動きの緩慢だった日本の中盤に活力を与え、その存在感を示すのに時間はかからなかった。そして後半、山瀬は1点のお膳立てをし、その後自身でも2得点を挙げる活躍をみせた。
水曜に行なわれるタイ戦ではおそらく、横浜F・マリノスの業師・山瀬が中村憲剛にから右サイド先発メンバーの座を奪うだろう。そのくらいのプレーをしたのだ。そうなると、鈴木はボランチ、遠藤を左サイドにそして大久保は高原と巻の下、ダイヤモンドのトップでプレーすることになるだろう。

フォワードライン後方という難しいポジションではあったが、ボスニア戦で大久保を先発起用したのは非常に良かった。チリ戦では純然たるフォワードとしてプレーし、このポジションで大久保がうまく機能するのか不安だったのだ。ゴールに繋げられなかったのはアンラッキーだったけれど、大久保は、深い位置からボスニアのディフェンス陣の後ろを取る良い走りを見せていた。

チリ戦では巻がボールの回りを動き回り、高原にシュートチャンスを作っていた。ということは、巻が同じように動きまわり、そして高原がエリア内でオープンスペースを探すことで相手ディフェンスは大久保の突進を計算する暇もなくなるだろう。
山瀬は自信に溢れ非常に積極的、シュートを打つ気満々。彼のおかげでチームやファンのムードが上がったと思う。

試合後のコメントで岡田監督は、前半は選手にその気がなかったというか、綺麗に決めようとし過ぎていたと語った。ゴールを目前にし、パスを選択するより自身の役目を果たすべき時に、遠藤と内田はシュートを打たなかった。
これは日本代表にとって昨日今日起こった問題ではないが、少なくとも岡田監督にはこの点についてはもっと厳しく、交代させるとかチームから外すぐらいの手段でもって対してもらいたいと思うほど十分腹立たしい程イライラさせるものだ。このレベルでは、そのくらい非常に大事なことだ。

ワールドカップ3次予選を目前に控え、試合開始からやるべき事をきちんとやれば、タイ戦は何の問題もなく勝てるだろう。積極的に、そしてとにかくシュートを打たねばならない。チャンスを逃すことなく決めること…。私の予想スターティングメンバーは、川口、内田、中澤、阿部、駒野、鈴木、山瀬、遠藤、大久保、巻、高原だ。

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調子は悪くても、俊輔は俊輔

2008/01/31(木)

2008年1月30日:岡田武史監督が下すべきもっとも重大な決断の1つは、中村俊輔の処遇である。中村をジーコと同じようにキー・プレーヤーとするの、それとも、やがて関係を絶つのか。岡田監督は、試合の勝敗を決める一瞬のきらめきを得るために中村をレギュラーとして使い続ける覚悟を決めるのだろうか?
今後数ヶ月は中村起用法に注目が集まるだろうが、それより何より、中村は調子を戻さなければならない。

日曜日のフォルカーク戦での中村のデキは充分というには程遠かったが、前半ロスタイムに上げたクロスボールが、この試合唯一の得点となるスコット・マクドナルドのヘディング・シュートを生み出した。
俊輔らしいプレーだった。この時点まではまるでお客さんのようで、彼の位置である、中盤の右側でボールを触ることはほとんどなかった。

それからロスタイムの3分の間には、ペナルティ・エリア右側にスペースを見つけて右足でボールをコントロール。もちろん左足にボールを持ち替え、走りこんで来たマクドナルドの動きを察知し、宝石のようなクロスを上げたのである。
コメンテーターが賞賛した。「あとはシュートを入れるだけの、完璧なアシストだ」。後半の中村はコメンテーターの言う“魅惑的なフリーキック”でフォルカーク・ディフェンスを翻弄。67分、途中交代でピッチを去るときには「明白なチームへの貢献」をコメンテーターに讃えられた。

まだ負傷離脱からの復帰途上であるため、動きにはまだキレがなく、スピードも物足りなく見えた。だが彼が最も求められるのは、試合の流れを変えてしまう、一瞬のプレーなのだ。
選手にとって何より必要なのは、試合に対処できる体調の良さである。岡田監督はそのあたりをうまく見きわめなければならないが、今すぐやる必要はない。それは5月末のキリンカップ、そしてホームで2試合、アウェーで2試合が予定されている6月のワールドカップ予選の時期が最適だろう。

セルティックの話題を続けるが、水野のジェフからの移籍がついに本決まりとなった。シーズン半ばだというのに、おなじみのグリーンと白の横縞に背番号「29」が付いたシャツがすでにオフィシャル・ウェブサイトで販売されている、しかも大幅なディスカウント価格で――。
契約期間は3年半。水野はスコットランドにじっくり腰を落ち着け、実力をアピールすることができる。それに、ひょっとして契約期間が終了するころには、見事なグラスゴー・アクセントを駆使するようになっているかもしれない!

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岡田監督始動

2008/01/28(月)

2008年1月26日:日本の選手たちが、金曜夜に開かれた記者会見で岡田武史監督が見せたパフォーマンスを真似できれば、日本代表の未来は明るい。そこには、やる気に熱く燃える男がいた。真剣に毅然としながらも、時折ジョークを飛ばす余裕。オレ流を貫く自信に満ち溢れていた。現場から距離をおいたのが良いリフレッシュになったのは明らかだ。

1997年、加茂監督更迭を受けアシスタントコーチから監督になった頃よりもずいぶんと力強い。言うなれば、サラリーマンのオカちゃんから岡田社長になったというところ。
とにかくやってみよう、そして試合に勝つための準備をしようという、ということが、その練習風景から見てとれる。前に監督を務めた時の保守的な手法からの、もう一つの変化だ。

岡田監督は、2010年のワールドカップで世界にインパクトを与える新しいブランドのサッカーを築きたいと語った。そしてそれを実現するため、スピード、スタミナ、積極性、そしてとりわけチームワークを選手たちに求める。早くも岡田監督の目にとまった一人の選手を挙げるならそれは、オリンピック代表のキャプテン、水本だ。4バックを採用するとなれば、彼はディフェンスの中央で中澤のパートナーになるだろう。

昨シーズン、水本はジェフで急成長した。ガンバはそのプレーに目をつけ、獲得を決断したのである。岡田監督がピッチ上の選手に求める素質を、水本は備えている。
大久保にも同じことが言える。日本代表としてのゴール数が誤解を招きやすいが、彼はデータで見るよりもずっと良い選手だ。昨年の日本代表の最終戦、エジプト戦でのゴールが大久保をその呪縛から解放し、今後のゴール量産に繋がってくれることを願いたい。

監督と選手の関係も、信頼と尊敬に基づいた非常にプロフェッショナルなものに見える。岡田監督が異議を許容する姿は想像できないし、それ以前に、異議に直面することもないだろう。どのようなプランでゴールを達成するのか、岡田監督は掌握している。
金曜日に話していたが、少なくとも2月6日のワールドカップ予選、タイ戦までは多少の準備時間がある。この試合が、最初のターゲット。チリ、ボスニアとの親善試合が、そこに向けた正しい方向性を示してくれるだろう。

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北京は本田を待ってくれる

2008/01/24(木)

2008年1月23日:本田圭佑は、選手生活の適切な時期に、海外で運試しをしようとしている。この左利きのミッドフィルダーはまだ21歳。VVVフェンロ(オランダ)との契約期間は2年半となっているため、長い時間をかけてオランダリーグに慣れ、自身を成長させることができる。もし成功すれば、オランダのより大きなクラブ、あるいはヨーロッパのより大きなリーグに移ることも期待できる。たとえ移籍先に馴染めなくとも、帰国して日本でキャリアの再構築を図ればいい。ちょうど、グルノーブルで短期間プレーしたあとの梅崎と同じように。

身長182センチ、体重72キロの本田の体格は、オランダリーグに充分対応できるものである。ただし、日本よりフィジカルが強く、タックルと空中戦はより激しく、厳しいと感じるだろう。
私の母国では、サッカーをプレーする権利を勝ちとらなければならない、という表現がある。とりあえずは、より激しくプレーし、より多く走り、より積極的にプレーして相手を圧倒しなければならない、といった意味だ。そうして初めて、スタイルを発揮し、魅力的なサッカーができるようになるのである。
これは本田が最初に学ばなければならないことであり、戦術と技術の両方で、この新しい思考方法と規律に順応せねばならない。

技術面では、本田の左足が素晴らしさには疑いの余地がない。オリンピック予選の香港戦での驚異的なフリーキックは、誰も忘れることができないだろう。あのときは右サイドからのシュートが急カーブを描きながら落下、ファーサイドのゴール隅に突き刺さり、香港のキーパーは立ち尽くすだけだった。もちろん、このような特技はおまけのようなもの。本田のプレーを表現するには、フリーキックのスペシャリストという呼び名だけではまったく不十分だ。
本田は、左サイドでのプレーぶりにより、セフ・フォーセンのお気に入りの1人となっていた。オリンピック代表の招集で本田が不在のときにリーグ戦でチームが敗れたあと、このオランダ人監督がさんざんぼやいていたのを、そして、不満を漏らすだけの権利は充分にあると自分自身で思ったものだ。

ガンバの安田が台頭してきたため、本田はもはや無条件でオリンピック代表に選出される存在ではなくなっている。しかし、しばらくの間は、本田はこんな心配をするべきではない。優先順位と目標は、フェンロで自らの立場を確固たるものにし、ヨーロッパで成功することにある。これからの数ヶ月、北京のことは後回しでもよいのだ。

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キーガン、ガンバ、そしてシアラー

2008/01/21(月)

2008年1月19日:先日、ジェフユナイテッドが重大局面を迎えていると書いた。イングランドでも、意味は違うものの同様のことがニューカッスルで起こっている。ケビン・キーガンが監督に就任したのだ。“ジョーディーの救世主”と呼ばれた彼の、監督としては2回目、トータルでは3回目のニューカッスル入りだ。

イングランドのサッカーや文化を勉強している学生たちのために言っておこう。“ジョーディー”とはタイン川下流域で生まれ育った人たちのことである。キーガン監督はタイン川近くで生まれたわけではなく、多くのニューカッスルファンもジョーディーではない。しかし、ジョーディーの民衆にとってキーガンはヒーローであり、彼の復帰は世界中のニューカッスルファンにとって喜ばしいことだ。もちろん、私もうれしい。

先週末、マジパイズはオールドトラフォードで0−6の惨敗を喫し物笑いの種となった。あの有名な黒白ストライプのユニフォームを着るチームに何が期待できるのか、というパロディだった。しかし今、プライドと希望が再び生まれている。
1970年代半ばのオールドトラフォードでのリーグカップ戦で、ニューカッスルが2−7と大敗したことがある。だがその試合の彼らは決して、内容ではスコアほど劣っていなかったし、ファンも恥じる理由はなかった。そう、今日でも“We are the Mags”というニューカッスルのチームソングの中に「俺たちに7−2で勝ったマンU(マンチェスター・ユナイテッド)なんか大嫌いさ」という歌詞がある。

さて、次はキーガンと日本について。
1996年夏に万博記念競技場で行なわれたニューカッスル戦、どのくらいのガンバファンが観にいっていたのだろう。キーガンは当時の監督。1−3の敗戦ながら、“サーレス”ファーディナンドが美しいヘッドで1得点を挙げた。当時の名古屋グランパスエイトの監督、アーセン・ベンゲルもスタンドで観戦していた。
私はニューカッスルの朝刊紙、“ザ・ジャーナル”の仕事で、バンコクからシンガポールを経て吹田で終了した彼らの遠征を取材していた。正直なところ、強豪マジパイズの極東遠征の取材は楽勝だろうと高をくくっていた。

バンコクでチームのホテルを訪れたとき、ファンに追われながらロビーを足早に通り過ぎるキーガン監督を見かけた。私は自己紹介をしたが、キーガン監督には緊急な用事があり「申し訳ない。いま時間がないんだ。シアラーと契約したところでね。後で話そう」と語った。ニューカッスルはアラン・シアラーと1500万ポンドの契約を結び、史上最高額の契約金の記録を作ったばかり。そしてキーガン監督は、シンガポールでこの新加入選手と会うことになっていたのだ。
おかげで、私のバカンス気はすっかり吹き飛んでしまった!

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ユナイテッドじゃなくなったジェフ

2008/01/17(木)

2008年1月16日:ジェフユナイテッド・ファンの苦しみは、いつ終わるのだろう? 新シーズンの始まりはまだ7週間も先なのに、二大スポンサーの古河電工とJR東日本にとっての「我らが不満の冬」が去ると、ユナイテッドな状態ではなくなったジェフが早くも降格候補として囁かれている。
水本(ガンバ)水野(セルティック)佐藤(京都)山岸(フロンターレ)羽生(FC東京)が移籍濃厚あるいはすでに移籍。万能選手である坂本のアルビレックスからの復帰が、唯一の明るい話題である。
ジェフは、これまでにも良い選手――山口、茶野、村井、阿部――を失う傾向があったが、これほどの規模の流出はかつてなく、1月の段階で“J1残留危機クラブ”と表現しても誇張にならなくなってしまった。

まあ、1996年と1997年にガンバを指揮した、クロアチア人監督のヨジップ・クゼを迎えたのは確かである。ただし、トレーニングが再開されたとき、どれほどの選手が揃っているかは定かではない。
ジェフにとっては、まったく残念な状況。ナビスコカップで2度優勝し、蘇我駅より近く、リーグでも最高のスタジアムの1つに数えられるフクダ電子アリーナを持つこのクラブは、すべてが順調であるように見えたのに。

昨シーズン、グラウンドの外でクラブ関係者と話したとき、その関係者は、シーズンチケットの保有者数が市原臨海競技場時代の1,800人から5,000人に急増したと言っていた。これはクラブにとっては素晴らしい数字だ。さらに、ジェフは遠く五井にあった市原臨海競技場でのホーム戦の観客数と同じくらいの数の観客を、アウェーでも動員できるようになりつつあった。

注目に値する魅力的なチーム。優れた選手を何人か擁していたジェフは、上昇の一途にあった。しかし、現在は崩壊状態。最近では羽生のFC東京移籍が重い一撃…。
羽生は、ユナイテッドのなかでも際立っていた選手の1人で、オシムが評価していた日本選手の特性を具現化した選手だった。もっとも、羽生の才能と潜在能力は、オシムが評価する以前の2002年に、ジョゼフ・ベングロシュ前監督も認めていた。
それが、筑波大学からユナイテッドへの入団を羽生に決めさせた最大の理由で、メディアが阿部に注目していたときも、ベングロシュは、羽生のように日ごとに、試合ごとに急速に伸びる選手は見たことがないと語っていた。またベングロシュは、羽生がプロのクラブに入るまでに大学で数年間を無駄にしたのは残念だったと話していた――彼によると、プロに入るのが6年遅かったそうである。

幸せだった頃の思い出。いま、ジェフのファンに残されているのは、それだけだ。

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水野は俊輔2世ではない

2008/01/14(月)

2008年1月11日:さて、水野晃樹は“中村俊輔2世”なのだろうか? ここ数年間ジェフでプレーする彼を私は見てきたが、そのテの比較をしたことがなかった。だが、スコットランドのメディアは今、セルティック繋がりで彼をそう紹介しているのだ。私には、水野と中村が日本人であるということ以外、何ら共通点を見出すことができない。

そういえば数年前、イングランドの新聞社が「西澤明訓が日本で中田英寿と同じくらい人気のある選手というのは本当なのか」と尋ねてきた。ボルトンの夕刊紙からの電話だったが、私が、西澤は中田英寿や中田浩二ほどの人気はないと答えると彼らは非常にがっかりしていた。

水野はもちろん俊輔と同じ日本人ではあるが、“中村俊輔2世”とは程遠い。水野晃樹は根本的に右ウィングで、持ち前のスピードでマーカーを振り切りクロスを上げるタイプの選手。時には自身で中へ切れ込み、左足でも、右でもシュートを放つ。さらには中央でもプレーでき、トップ下で動き回って中央でディフェンダーの間を走りぬける。

つまり、水野は“中村俊輔2世”などではない。まったく違う選手だ。しかし、チームに貢献できる力は十分に持っている。セルティックのゴードン・ストラカン監督が典型的な日本人プレーヤーを探しているというのなら、水野はスピードはないものの時間とスペースさえあれば最高のパサー。セットプレーのスペシャリストである俊輔よりもはるかに日本人らしいプレーヤーだ。
スティーブ・ペリマン氏が日本にいた頃、彼は「中村は左足で豆の缶詰を開けることもできる」と私に語った。まぁ仮にそれが事実だとしても、私は足で開けた缶詰など味見したくないけどね…。

もしこの移籍が成立したら、水野のペースと中村のパスのコンビネーションはかなりうまくいくのではないだろうか。とは言え、ジェフファンにとってはさらに嬉しくないニュースである。

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またもスマートなガンバのルーカス獲得

2008/01/10(木)

例によって、ガンバ大阪が外国人選手の移籍市場で活発に動いている――ただし、彼の獲得にはそれほど苦労はなかったようだ。
今回、ガンバは、遠くFC東京にいた経験豊かなストライカー、ルーカスをターゲットとし、獲得に成功した。これまでの外国人選手と同じく、ルーカスはまったくリスクがない。これまでJリーグで数シーズンプレーしており、ストライカーとしての安定した実力が立証されているからである。
リーグ戦120試合出場で48ゴールという実績はなかなかのもの。来シーズンはパワフルなバレーとのコンビで力を発揮することだろう。ちなみに、バレーもヴァンフォーレ甲府から獲得した選手であることは言うまでもない。
ルーカスは残念な経緯で退団しなければならなかったマグノ・アウベスの後釜だが、ガンバはブラジルにも再び足を踏み入れ、ディフェンス陣でシジクレイの穴を埋める選手としてインテルナショナルからミネイロを獲得した。

とりあえず、Jリーグの他クラブで成功した外国人選手を獲得するという、ガンバのポリシーに話を戻そう。このクラブは選手の記録を綿密に調査し、ピッチの内外での気性もチェック。その上で、より多くのお金とタイトルに挑戦するチャンスをオファーするのである。本当にわかりやすいやり方でしょう?

数日前、私はこの方法について日本人の同僚と議論したのだが、この同僚はまったく異なる見解を持っていた。
クラブが海外に赴き新外国人選手を獲得してリーグへの関心を高めようとしないのは、日本サッカーにとって好ましいことではない。彼はそう考えていた。また、クラブが外国(ブラジルのこと。ほとんどのクラブではイマジネーションの欠如により外国といえばブラジルということになる)の新顔の選手に絶えずオファーを続ければ、ファンを引きつけることになると言うのである。

私には、理解に苦しむ考えだった。まったく未知の選手(とそのエージェント)にクラブは今まで以上のお金を費やすべき、つまりノンリーグの選手にプレミアリーグ並みの報酬を支払うべきだと言っているように思えるからだ。
そういう観点から見れば、ガンバのポリシーはまったく堅実なもので、うまいビジネスのやり方に思える。最高の外国人選手をガンバが「奪っている」と感じているクラブは、当初から2年または3年の契約を提示すべきなのだ。もっとも、そうするのは当然ながら大きなギャンブル。高いリスクがつきまとうものであるのだが…。
ガンバのポリシーを否定する人がいるのが、私には理解できない。

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トータルフットボール、トータルジャパン

2008/01/07(月)

2008年1月5日:日本代表監督に復帰して以来、岡田武史監督のコメントには彼の本心が随所に見られる。まず最初に選手たちに、目標はワールドカップ史上アジアのチーム最高の成績を残すこと、つまり2010年南アフリカワールドカップで3位以上に入ることだと告げた。さらに正月のインタビューでは、1974年に“トータルフットボール”としてサッカー史上にその名を刻んだオランダチームのように、史上に残る“ジャパン”ブランドのサッカーをしたいと語った。

もちろん彼の意図は、名将リヌス・ミケルスの戦術を真似ようということではない。そのためにはクライフ、ニースケンス、ファンハネヘン、ハーン、クロル、レップ…今でも名前がすらすらと出てくるような荘々たる顔ぶれの名選手の発掘、さらにはオレンジ・マジックが必要になる!
それよりはむしろ、日本らしいスピード、動き、パス回し、そして組織力を活かしたユニークなサッカー、オシム監督指揮下の日本代表がアジアカップで垣間見せたあのサッカーを完成させようということだろう。
南アフリカに向けてのタフな道のり(最低14試合、最高18試合)を控えた岡田監督からのなんという力強く野心に溢れた言葉だろう。

タイ、バーレーン、そしてオマーンを相手に日本はアウェーでもホームでするのと同じように主導権を握らねばならない。それだけでなく、プレーによりシャープさを加え、より積極果敢にゴールを狙っていく必要がある。
であるからこそ、私は大久保が今年一番注目の選手、高原のJリーグ復帰、レッズ移籍は岡田監督と日本代表にとって大きなボーナスだと思うのである。

高原は代表チームでの地位を危機に晒しながら、ヨーロッパのベンチで時間を無駄にする必要などない。埼玉スタジアムの5万人のファンや日本各地の満員のスタジアムでプレーできるのだ。高原のJ復帰で、アウェー戦でも数千人のファンが増えるだろう。何より、代表監督の目の届くところでプレーし、スケジュールだって合わせることができる。
非常に大事な時期を迎える日本サッカー界にとって、高原の復帰は賢明な選択だったと言える。そう、“トータルジャパン”の実現に向けて…。

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サンフレッチェの説得活動は続く

2008/01/04(金)

2008年1月2日:アントラーズとサンフレッチェが戦った元日の天皇杯決勝のあと、試合に出てさえいなかった選手の話題が多く出た。そのこと自体が、日本でもっとも期待されている選手の一人、柏木陽介の成長ぶりを物語っている。
J2降格が決まった今、柏木はサンフレッチェに残留すべきなのか、それとも満足のゆくオファーを受け入れキャリアアップを目指すべきなのか。柏レイソルが触手を伸ばしているそうだが、おそらく他のクラブも同様だろう。

J2でプレーする場合、オリンピック代表に選ばれる可能性そして2008年にA代表でプレーする可能性は減少するのだろうか?
当然、サンフレッチェでは柏木の残留を望んでいる。柏木はピッチ上のプレーだけでなく、その商品価値を考えればピッチ外でも重要な存在。柏木を出場停止処分で欠いたサンフレッチェが0−2で破れた天皇杯決勝後、私はクラブの常務取締役を務める高田豊治氏と少し話す機会があった。

柏木は残留して、J2でフルシーズン――チーム数増加により、来季は42試合――を戦うべき。そうすることでより安定したプレーができるようになる、というのが高田氏の見解だ。
「彼はまだとても若い。デキの良いときと悪いときがあるのは当然だと思う」。12月15日に20歳になった中盤の魔法使いについて、高田氏はこのように語った。「サンフレッチェに残留すれば、来季は好不調のギャップを埋められるようになり、プレーのレベルがより安定するようになるでしょう」。

高田氏の考え方は現実的で納得もできる。J2で1シーズンを過ごすことが、必ずしも後退を意味するものではないことも証明されている。
たとえば、京都の元監督で現在はレッズの監督補佐を務めるゲルト・エンゲルスに、パク・チソン(朴智星)が京都の一員としてJ2でプレーした結果どれほど成長したかを聞いてみればよい。過酷なスケジュールのなか、若き韓国人選手はほとんど毎週、土曜―水曜―土曜という間隔で厳しい試合に臨まなければならなかった。その結果、パク・チソンは練習では決して身につけることのできない切れ味を身につけたのである。PSV(オランダ)もマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)も、その点は認めるだろう。

広島の同じく有力選手・駒野友一の場合は、すでに代表チームで地位を確立しているので柏木とは状況が異なる。駒野については、ヴィッセル神戸が獲得を目指している。
ただし高田氏によれば、日本代表の岡田武史監督は、たとえ駒野や他の選手がJ2でプレーすることになっても選考の対象にすると言明しているという。

2007年にも懸命に努力したが、サンフレッチェは有力選手にJ2でプレーしてもらうための説得活動を今も続けている。さて、選手相手のこの戦いでクラブはどれだけの結果を出せるだろう?
1−1のドロー。これが妥当な予想か。

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梅崎獲得で幸先の良いスタートを切ったレッズ

2007/12/31(月)

2007年12月29日:ここ数週間、浦和レッズが大分トリニータの梅崎司を獲得するという噂がささやかれていたが、水曜日、正式に移籍が決定した。
若干ハタチの梅崎だが、スピードと頭脳は群を抜いている。彼は様々な攻撃的ポジションをこなすことができ、1年前にジェフから移籍した阿部勇樹が守備的ポジションでそうだったように、監督にとっては様々なオプションが増える。
レッズは移籍金を公表していないが、報道によると2億円だそうだ。降格の危機を避けたい大分は、これで来季に向け全ポジションの補強を行なえる。当面に間は、大分はもちろんのこと、いまだ補強の終わらない浦和も積極的に移籍話をすすめることだろう。

先日の天皇杯5回戦、千葉で行なわれたガンバ対トリニータ戦で、私は著名な日本人エージェントと話をした。
アジアチャンピオンズリーグでの勝利とJリーグの観客収入で、浦和には潤沢な資金がある。彼らが獲得を狙う上位3選手は、梅崎、FC東京の今野、そしてサンフレッチェの柏木。日本人エージェントによると、レッズは長谷部、そして、1月あるいは来夏にヨーロッパ移籍の可能性がある鈴木の後釜が必要なのだという。
他にレッズへの移籍が噂されているのは、サンフレッチェの駒野、そしてワシントンの代役としてアルビレックスのエジミウソン。埼玉ではまだまだ移籍話が進行している。

梅崎の獲得は、幸先の良いスタートだ。彼はレッズの攻撃にひらめきと創造性を与えてくれることだろう。タイプとしては大久保似で、トップ下を走り回ってオープンスペースを探し得点に結びつけることができる。
JリーグでMVPに輝いたロブソン・ポンテの負傷は、梅崎にとっては来季の先発の座を獲得するチャンス。ただし、レッズのような強豪チームで自身の存在を示すことは大きな挑戦でもある。
さらに言うと、梅崎にはオリンピック代表入りの可能性も残されている。北京へ向け、反町ジャパンは進化し続けている。

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降格にめげず進むサンフレッチェ

2007/12/27(木)

2007年度Jリーグのシーズン最大の驚きは、サンフレッチェ広島の降格だった。
選手たちの顔ぶれを見れば、残留するに充分なほどの若さと戦力が備わっていたように思うが、サンフレッチェは入替え戦で京都サンガに敗れた。その後、3本の矢が元気を取り戻し、天皇杯の準決勝まで勝ち進んだのは、まったく見事である。その後の結果がどうなろうと、少なくともサンフレッチェのプライドはいくらか回復しただろうし、降格という憂き目を経験したサポーターにも元気を与えることになった。

正直なとこと、私はサンフレッチェが降格争いに加わるとは予想していなかった。全体的な選手の質から見ても、J2に落ちるとは夢にも思わなかったのである。
リベロのストヤノフ、中盤の中央の戸田と青山、前線のウェズレイと佐藤というチームのバックボーンを、トップ下の柏木、サイドの駒野と服部が補強するという陣容。さらに、森崎ツインズの経験と巧みさが加わり、バックにはユース代表チームのキャプテンである槙野、ゴールには下田という人材もいる。なぜサンフレッチェが瓦解したのかを解き明かすのが、難しいくらいである。
総じて言えば、サンフレッチェには順位表の中位で定着するのに不可欠な要素である、優れたディフェンダーが1人欠けていた――さらに言えば、サンフレッチェの降格こそが、Jリーグの進化を強く裏付ける証拠となっているのである。

ここ数ヶ月でも、Jリーグの進化を示す例がほかにも2つあった。1つはU−22(22歳以下)代表の北京オリンピック出場権獲得。もう1つはリーグ優勝でシーズンを終えようとしていた浦和レッズの見事なまでの苦戦ぶり。
反町ジャパンにはこれまでのチームのようなスター選手はいなかったが、チームは普段からJリーグ・サッカーで鍛えられ、良いプレーができるようになった。典型的な例としてすぐに思い浮かぶのは、水本と水野のジェフユナイテッド・デュオだ。

レッズについては、自信に満ちていると思える時期もあったが、最後の5試合で勝つことができなかった。最初の3試合を連続で引き分け、最後の2試合はホームでアントラーズに、アウェーで横浜FCに敗戦。この結果も、トップリーグの層の厚さを立証しており、実際にグランパス、フロンターレ、エスパルスがいずれもシーズン終盤に浦和から勝点を奪い取っているのである。
サンフレッチェは高価な代償を支払うハメになったが、一連の流れをトロフィーで食い止めることも依然として可能なのである。

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“非公式”なフラメンゴ対リバプール戦の“公式”な記憶

2007/12/24(月)

2007年12月21日:それが公式であろうとなかろうと、1981年のトヨタカップでジーコ率いるフラメンゴがリバプールを3−0で撃破したという事実は誰も否定できない。たとえFIFA(国際サッカー連盟)であっても。
しかしながら、FIFAは現在のFIFAクラブワールドカップ(W杯)以前の勝者を認めないことで、彼らの功績を奪おうとしている。ジーコ氏もこの決定には不満を持っており、「FIFAの見解ではこの試合は行なわれなかったことになる。これはリバプールにとっては喜ばしいことなのかもしれないが、これは“オフィスで座っているだけの人々”が選手やファン、そしてメディアからサッカーの歴史を奪うことだ」と語った。
イングランドの自宅でその試合を見ていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。ジーコは得点を挙げることはできなかったものの、強力なリバプールをフラメンゴが叩きのめしたその試合のMVPに選出された。

リバプールのイングランド代表CBフィル・トンプソンの試合後のインタビューも記憶に残っている。彼は、リバプールは決して負けていなかったと強調。フラメンゴへの一切の賞賛を拒否した。
冬の陽射しのなか、東京・国立競技場を埋め尽くしたサポーターたちの鳴らすホーンが絶え間なく鳴り響き、日本中を湧かせたあの日のことも、よく覚えている。その素晴らしく、そしてエキゾチックな感動が、遥か遠くから伝わってきた。

しかし先日、日本で行なわれたクラブW杯で、FIFAは自身が主催する4つの大会しか公式に認定しないと発表した。ホーム&アウェーの2試合後、トヨタカップとして1試合を戦う他の方式は、公式な大会として認めないというのだ。まあ、何とでも好きにすればいい。人の記憶まで消すことはできまい。FIFAが認めようが認めまいが、フラメンゴのトヨタカップでの勝利は彼らの公式な功績として残る。

その試合は、1982年スペインW杯で有名になったあの伝説の“黄金のカルテット”ジーコ、ファルカン、ソクラテスそしてトニーニョ・セレーゾの誕生を感じさせた試合でもあった。彼らはもちろん偉大な選手たちだ。しかしW杯でのイタリア戦、肝心なところで守りきれなかったり(ロッシのハットトリックで2−3の敗戦)、時々ポカをするCFのセルジーニョがいたりと、チームとしては偉大とまではいかない。
私は以前、当時鹿島の監督を務めていたトニーニョ・セレーゾ氏にこの話についてインタビューをした。彼は首を振り、1982年のブラジル代表チームは偉大なチームではなかったと、自ら認めた。結局のところ、彼らは準決勝にも進むことができなかったのだ。

いずれにせよ、ジーコ氏もFIFAの決定についてはそれほど気に留めないだろう。伝統と歴史を理解する人たちなら誰もが、1981年に行なわれたフラメンゴ対リバプールの一戦の衝撃と素晴らしさを十分理解しているのだから――。

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夢見心地のオズワルド監督

2007/12/20(木)

2007年12月19日:月曜夜のJリーグアウォーズは、今シーズンのチャンピオンが鹿島アントラーズであるという事実を忘れさせるようなものとなった。ベスト11にはレッズから5人、ナビスコカップ王者のガンバから3人が選ばれ、年間最終選手はロブソン・ポンテ。レッズはさらに、アジアチャンピオンズリーグでの優勝、FIFAクラブワールドカップの3位が評価され、特別賞が与えられた。

ただし、特筆すべきものといえばオズワルド・オリベイラ監督の表情が全て。彼の嬉しそうな笑顔が事実を物語っていた。つまり、チャンピオンはアントラーズで、彼が今も夢見心地だということである。
最終節でアントラーズがエスパルスを3−0で破り、レッズがアウェーで横浜FCに0−1で敗れたため、アントラーズは最後に浦和を飛び越えた。そうしてアントラーズが5度目のリーグ優勝と計10度目のメジャータイトルを獲得してから2週間以上が過ぎた。
シーズン最終戦までの9連勝を含め、信じられないような仕事をやってのけたというのに、オズワルド監督がいまだに来シーズンの契約を更改していないのが、私には驚きである。
「これからの2週間で話がまとまるはずだ」とオズワルド監督は語った。
アントラーズファンは、最後の最後にどんでん返しがおこらないよう祈り続けることになるだろう。なぜなら彼は、過去の常勝アントラーズ時代の監督のような充分な選手層と金銭的な余裕がないまま、就任1年目で素晴らしい業績を残したのである。彼の起用した選手は求められたプレーをし、不安定な立ち上がりのあと、この監督は強固なチーム・スピリットを作り上げたのである。

ベスト11の選出については、オズワルド監督は鹿島から2〜3人の選手、とくにゴールキーパーの曽ヶ端と若手のライトバックの内田が選ばれるかもしれないと思っていたようだが、あまり気にかけてもいなかった。
私の場合、MVPはいつも優勝チームの精神的支柱となる選手を選ぶことにしているので、今回は岩政とした。岩政はアントラーズからただ1人、ベスト11に選ばれた。オズワルドに彼の選ぶMVPは誰かと尋ねたところ、彼はフロンターレのストライカー・ジュニーニョを選んだ。ただし、22ゴールで得点王を受賞するためMVPには選ばれないだろうとも思っていたそうだ。
さて、その素質と潜在能力からオズワルドがひそかに期待している選手はだれだろう? じつは、野沢である。野沢はシーズンの残り1試合の時点でレッズを破った、浦和スタジアムの試合であの美しく、きわめて重要なゴールを決めた選手である。

もちろん、アントラーズがリーグとカップのダブル優勝をする可能性も充分にありうる。土曜日に天皇杯の準々決勝を戦う相手は、ホンダFC。来シーズンを見据える前に、オズワルド・アントラーズにはまだもう1つやり遂げるべき仕事が残されているのだ。

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マルディーニにブーイング? 〜壊れたレッズファン〜

2007/12/17(月)

2007年12月15日:レッズファンの皆さんに、いくつか話しておきたいことがある。アジアチャンピオンズリーグ、そしてFIFAクラブワールドカップ(W杯)で大勢のファンがチームをサポートする姿は、非常に印象深いものだった。スタンドもまるで劇場の観客のように静かで、どちらかというと練習試合のようだったクラブW杯(トヨタカップ)で、あなた方は素晴らしい雰囲気を作ってくれたと言っても良いだろう。

しかし…あの名選手、パオロ・マルディーニに対するブーイング! あれは一体どういうことなのだろう? マルディーニは、その態度、誠実さ、プロ意識のどれをとってもサッカー選手のお手本のようなプレーヤー。紳士であり素晴らしいプレーヤーなのだ。彼のような偉大な選手が残り10分でピッチに現れたなら、たとえ相手チームであろうとそれなりの迎え方があろうというもの。何でもかんでも、ブーイングすれば良いというわけではない。それをレッズファンは知るべきだ。

例えば、田中達也にファウルを犯した土屋や、ジュビロの監督として埼玉スタジアムにやってきた山本昌邦・元オリンピック代表監督にレッズファンがブーイングをするのは正当化できる。私も、一サッカーファンとして特に文句はない。これもサッカーの一部。ブーイングを受けた側も、それに慣れていかねばならない。

しかし、マルディーニにブーイング? マルディーニが横浜の日本人ミランファンからだけでなく、スタジアムから盛大な歓声で迎えられていたら、どんなに素晴らしかったことか。セリエAのライバル・インテルのサポーターだって、マルディーニにはブーイングをしないのに…。
レッズファンも、味の素スタジアムのFC東京ファンを見習うべきだろう。イングランドから帰国した川口能活がジュビロ磐田のGKとしてやって来た、あのときのFC東京サポーターの対応には非常に感心した。
マルディーニほどではないにしても、川口も紳士。サッカーの伝道師と言って良い。ゴール裏に陣取ったウルトラス東京は、川口にスタンディングオベーションを送ったのだ。
フーリガンが席巻するイングランドに育った私は、GKがそれに応えると応援と歓声がヤジやVサインに変わるだろうと、半ば期待していた。しかし、東京のファンの態度は素晴らしいものだった。マルディーニにブーイング? レッズファンよ、あなた方はこんなレベルではないはずだ。

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ガンバの新星・寺田

2007/12/13(木)

2007年12月12日:土曜日にフクダ電子アリーナにやって来た熱心なファンをもてなしたのは、面白い試合と、強豪チームの主力選手へと急速に成長しつつある選手がまたも見せた素晴らしい個人技だった。その試合は天皇杯5回戦のガンバ大阪対大分トリニータ戦。選手はガンバ大阪の寺田紳一。今シーズン、寺田については以前にも書いたが、将来にはさらに多くとりあげることになるだろう。

活気に溢れ、知性的な攻撃型MFの寺田はまだ22歳。名門ガンバ大阪ユース出身の選手だ。この日は先制点を左足で、2点目のシュートを右足で決めただけでなく、中盤からタイミングよく前線に駆け上がり、自信と想像力を90分にわたって見せつけ、ガンバの3−1の勝利に貢献した。

最初のゴールはペナルティ・エリアの端から左足を一閃して決めたもので、その巧妙さと正確さが皆を驚かせた。また、2つめは右足でカーブをかけたボールをファーサイドに決める、小野伸二がよくやる類のシュート。あのような絶好のポジションをとったときからそうするのを決めていたのは明らかで、その証拠に寺田は自らのスペースを作り出し、ボールをファーポストにふわりと浮かすための角度をとっていたのである。試合の実況なら、「見事なゴール」あるいは「華麗なゴール」と表現するべきプレーで、いずれの表現もあの「小野タッチ」の技量に相応するものだった。

3,285人という観客数の少なさは驚くには値しなかったが、天皇杯への関心が弱まっていることは、はっきり分かった。とはいえ、千葉県の蘇我でガンバ大阪対大分トリニータ戦とはね。いまどき、こんな無意味なことがあるとは――。長いシーズンを戦ってきた両チーム、両チームのファン、あるいは地元のチームであるジェフユナイテッドのゲームを望む千葉の人々にとって、何の意味があるというのだろう? まったくもって、おめでたい。

天皇杯は今年で87回目。華やかさを保ちながら、過ぎ去りし日々の高貴な方針を守ろうとする努力はわかるが、JFA(日本サッカー協会)がこの大会の時期とフォーマットを大幅に変更しなければならないのは明白だ。しかし、この話題はまた別の機会に…。

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豪州代表監督の座に就いたピム氏

2007/12/10(月)

2007年12月8日:オーストラリア・サッカー協会にとって、代表チームの新監督選出は難しい選択だったに違いない。最終候補の2人は日本のサッカーファンにも馴染み深いフィリップ・トルシエ氏とピム・ファーベーク氏。最終的にファーベーク氏が監督に就任、2010年南アフリカ・ワールドカップの出場を目指す。
一方、トルシエ氏は自身のキャリアの建て直しを今しばらく待たねばならない。日本での良き4年間の後、2002年に日本を去ってからというもの、彼は思うように事が運んでいない。

トルシエ氏がベルティ・フォクツ氏とともにスコットランド代表監督の最終候補に挙げられていた数年前、私はスコットランドサッカー協会(SFA)にコンタクトを取った。もちろんSFAは、“トルシエ氏かフォクツ氏かの二択だった”とは認めないだろうが、そのとき私は、トルシエ氏がスコットランド代表チームの建て直しには適役だと話した。
彼は日本代表チームでしたように、才能ある若い選手を発掘し、代表チームのシステムにうまくはめ込むことに長けている。時に不可解なこともあるのだが…。

さて、話をピム氏に戻そう。彼はサッカー界でも指折りの“ナイスガイ”だ。関わりを持った誰もが、それを証言してくれるだろう。
ピム氏は1999年にJ2の大宮、翌2003年にはJ1の京都を率い、また2002年ワールドカップではヒディンク監督のアシスタントを、そして2006年ワールドカップではアドフォカート監督のアシスタントを務めた。
韓国滞在時、彼は日本でプレーする韓国人選手をチェックするため定期的に来日していた。彼とコーヒーを飲みながら話すのは、いつも楽しかった。

アジアのサッカーを熟知し、特に日本と韓国に関する知識は南アフリカへの長い道のりには非常に役に立つ(日本の場合少なくとも14試合、最終予選で3位になった場合はプレーオフを含めて18試合を戦う)。
オーストラリアのトッププレーヤーのほとんどはイングランドのプレミアリーグでプレーし、イングランドは母国オランダに近く、とても便利だ。
しかし、ピム監督はオーストラリアに住み、Aリーグの選手たちでチームを組み立てると言う。もちろん彼の言い分はもっともである。ヨーロッパに住んでいればヨーロッパの選手には目が届く。しかし、オーストラリアの選手たちには行き届かないからだ。

サッカー人気が盛り上がったいま。彼はとても良いタイミングでオーストラリアへ行く。何より、日本や韓国のように言葉の障壁がなく英語でコミュニケーションがとれるのがいい。
日本の誰もが、ピム監督の活躍を祈ることだろう。もちろん日本が出場を決めたら、の話ではあるが…。

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そろそろMVPの季節だけれど…

2007/12/06(木)

2007年12月5日:浦和レッズがまさかの敗北を喫し、鹿島アントラーズが優勝という信じられない結末となり、2007年のJリーグMVPの選考もわけがわからない状況になっている。
Jリーグには傑出した資質を持った選手が何人かいるが、私自身は、MVPはつねに優勝チームから選ばれるべきだと考えている。
レッズがそのまま優勝していたら、ロブソン・ポンテが有力な候補だったろうし、鈴木啓太と阿部勇樹も候補に入っていただろう。とはいえ、12月17日のJリーグ・アウォーズの夜、このなかの1人が受賞者になっている可能性もなきにしもあらず。

しかし、私の選ぶMVPは鹿島の選手。このクラブでも候補を3人に絞り込んでいる。第1候補は、自らの実力を発揮しただけでなく、若く、経験不足の選手が起用されることのよくあったフォワード陣を牽引することでもチームに貢献した、Jリーグの渡り鳥・マルキーニョスである。マルキーニョスは敏捷に相手ディフェンダーを抜き去るプレーが特色だが、素晴らしいゴールもいくつか決めている。

候補の2番手は、小笠原満男になるだろう。もちろん、彼が鹿島でプレーしたのは、イタリアから戻ってからの半シーズンだけだ。しかし、アントラーズは彼抜きでも優勝していただろうか? 小笠原の貢献と影響力なしで、アントラーズはチームとしてあんなに成熟、発展し、9連勝を飾っただろうか?
2つの疑問に対する答えは、間違いなく「ノー」だ。だからと言って、私がシーズンMVPとして小笠原を選ぶということにはならないのだが。

ということで、3番目の候補に話は移るが、この選手が私の最有力候補となりそうである。その選手の名前は、岩政大樹。
この大柄のセンターハーフは私の好きなタイプの――行動で範を示し、全身全霊でプレーする、相手にとって手強い――選手だ。言い換えれば、岩政はアントラーズの伝説・秋田の後継者となる資質を持つ選手なのである。ちなみに、秋田は今シーズン、京都で引退を表明したが、彼のスピリットは岩政の姿を借り鹿島で今も息づいているのだ。
岩政にはこれ以上の褒め言葉は必要ないだろうし、今シーズンのアントラーズの戦う姿勢を具現化したのが彼だと思う。
ここ2シーズンは闘莉王(浦和)と中澤(横浜FM)がMVPを獲得しており、ディフェンダーにも正当な評価が下されるのが立証されている。今回、私が選ぶのは、岩政になりそうである。

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岡田監督――JFAの安全で理に叶った選択

2007/12/03(月)

2007年11月30日:“安全で理に叶った”というのが、実践主義者、岡田武史氏のコーチング哲学を表す二つのキーワード。そして彼がJFA(日本サッカー協会)にとっての“安全で理に叶った選択”だった。これが、岡田氏をイビチャ・オシム監督の後任として指名したというニュースを聞いて受けた印象だ。
もちろん岡田氏には1998年フランスワールドカップ(W杯)で日本代表を率いた経験がある。第一線(トップレベルの監督)から長く離れ、来年2月に始まる2010年南アフリカW杯予選にむけて十分リフレッシュし、準備は万端だろう。

97年、加茂周監督のアシスタントコーチを務めていた岡田氏はアジア最終予選、アウェーでの2連戦で更迭された加茂監督の後を受け監督に昇格した。彼はチームを生き返らせ、韓国で大きな勝利を挙げ、ジョホールバルでの忘れえぬ一夜、イランとのプレーオフで日本代表を勝利に導いたのだ。今回もまた、彼は途中から大役を受け継ぐことになる。しかも脳梗塞で倒れたオシム監督の後という衝撃的な状況下。倒れる以前のオシム監督は、新たなスタイルを確立しチームを順調に立て直しているところだった。岡田氏の仕事は、チームのムードを保ちつつ、彼なりのタッチをチームに加えることだ。

横浜F・マリノス監督時代の経験から、岡田氏はJリーグの選手達、そしてヨーロッパ組の選手について熟知している。そう、彼はまさに安全で理に叶った選択なのだ。JFAは今さら外国へ目を向ける必要はない。他にも西野監督やオジェック監督といった適任者がいる。後者のオジェック監督には、日本語の話せるエンゲルス・コーチがピッチでもミーティングルームでもサポートしてくれる。
世界のサッカー界同様ショックを受けたJFAにとって岡田氏はまさに適役だったのだろう。最後にもう一度言おう。彼はJFAにとって“安全で理に叶った”人選だったのだ。

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“怖いものなし”の横浜FCの怖さ

2007/11/29(木)

11月27日:シーズン最終日になってもJリーグ王者が決まっていないという状況を、誰が想像しただろう? レッズが早い時期に決着をつけ、12月の第2週に予定されているFIFAクラブ・ワールドカップに備えるものと思われていた。しかし、シーズン最終週になってこの状況。2連覇を確実なものにするためには、レッズはもう1つ勝たなければならないのである。もちろん、世評ではレッズが土曜日の日産スタジアムで横浜FCを破ると見られている。
だがJリーグのシーズン最終日には――とりわけ、あのスタジアムでは――、何が起こっても不思議ではないということを、我々は知っている。それを最もよく知るのが、久保竜彦である!

横浜FC側から試合を見てみよう。彼らにとって今回の試合は、悲惨なシーズンを盛り上げて締めくくり、J2に戻る前の冬の数ヶ月を良い気分で過ごせる材料をファンに与えることができる、願ってもない機会だ。
失うものが何もない横浜FCに対し、レッズは優勝だけでなくプライドまで、すべてを失うことになる。結局のところ、アジア・チャンピオンズリーグで優勝したがために、レッズは全てのライバルにとって魅力的な標的になってしまった。これは余分なプレッシャーではあるが、今後のレッズはこのようなプレッシャーとうまく付き合う方法も学ばなければならない。

ワシントンが土曜日のアントラーズ戦で退場処分を受けていたら、レッズにとって事態はより厄介なことになっていたかもしれない。前半の新井場に対するレイト・チャージで警告処分を受けたあとも、後半には曽ヶ端とルーズボールを追いかけ、曽ヶ端に躓いたような格好で倒れた場面があった。

ワシントンがシミュレーション――はっきり言えば、ダイビング――により警告を受けるかどうかは微妙な場面だったが、レフェリーが彼にイエローカードを突きつけ、その後レッドカードを突きつけても、私はまったく驚かなかっただろう。ワシントンが躓いた演技をし、空中で体をひねったのは明らかだ。しかし、PKをアピールしなかったことが幸いしたのだろう。おそらくワシントンは倒れてから正気を取り戻し、立ち上がってプレーを続けようと決めたのだと思う。あまり欲張ると報いが来ることを理解したに違いない。

いずれにしろ、アントラーズの選手たちが怒り狂っている姿を見られたのは良かった。正直言って、相手選手がダイブをしてPKあるいはFKを得ようとしているのに対して怒り狂う選手を見るのが、私は大好きだ。日本ではまだこのような姿が充分に見られていない。私はそう思っている(ダイブする姿はうんざりするほど見ているが)。

相手選手がレフェリーを欺こうとする、誰かを警告あるいは退場にしようとしていると感じたときは、そのままを言ってやればいいのだ! お前はうそつきだ、と言ってやればいい。グラウンドにいる全員に、ヤツが嘘つきだと知らせてやればいいのだ。狼狽させ、恥ずかしい思いをさせてやればいい。そうすれば、その選手は二度とそんなことはしないだろう。まあ、少なくとも次の試合までは……。

レッズ対アントラーズ戦の総評を言えば、アントラーズの徹底的にプロフェッショナルな、かつてのようなパフォーマンスが見られた。野沢の見事なゴール。闘莉王のハンドに対するレフェリーの慧眼。最初は厳しすぎるように見えたが、判断を的確だった。しかし後半、アントラーズのゴール前にいた相馬は、どうして、どうして得意の左足でシュートを打たず、ワシントンにパスしようとしたのだろう?

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陰のヒーロー、青山敏弘

2007/11/26(月)

11月23日:成功しているチームには、スターの存在がつきもの。しかし、U−22(22歳以下)日本代表の場合はどうだろう?
「チーム自体がスターなのだ」。かのフィリップ・トルシエ元日本代表監督なら、誇らしげにそう言うに違いない。北京五輪の出場権獲得が最大の勝利であると位置づけられたこの年代の選手たちにとって、それは言い得ている。

しかしながら、スター選手がいないというのはそれほど悪いことなのだろうか? このチームには賞賛に値する陰のヒーローが何人もいる。
あえて一人を選ぶとすれば、私はサンフレッチェのMF青山敏弘を挙げたい。なかでも9月に行なわれたホームでのカタール戦(1−0)の勝利は、途中出場した青山敏の貢献が非常に大きい。彼は見事な使命感と読みでタックルあるいはインターセプトを繰り出し、カタールの攻撃を寸断した。派手さはないが、これぞ集中力と練習の成果だ。

そして水曜の夜、サウジアラビアの決定的チャンスをゴールラインでブロックし、日本代表を救った。あの早い時間帯に得点を許そうものなら、結果はまったく違ったものになっていただろう。そうなればサウジアラビアはリードを守ることに努め、スポーツマンシップやサッカーのプレーは欠如し、茶番劇と化していたと思う。5分毎に担架が運び込まれ、GKも、CKやFKがサウジのゴールエリアに蹴りこまれる度に倒れこんだことだろう。日本にとって、先制点を奪われることは許されなかった。
そう、青山敏の貢献は日本チームだけでなく、試合そのものを救ったのだ。このほか細貝も、彼と並んで中盤でチームに堅固さ、経験、そして活力を与え、良いプレーをしていた。今シーズン、レッズの好調で大きな自信を得たようだ。

北京五輪の出場権獲得は大きな成功と言えるが、チームとしての完成にはまだ遠い。反町監督はそれを誰よりもよく理解している。だが反町監督にはまとまりのあるチーム、努力を惜しまないチーム、そして予選を通して大きく成長しタフになったチームがある。だからこそ、たとえスターがいなくとも十分なのである。

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すぐそこ、でもまだはるか彼方

2007/11/22(木)

11月20日:北京オリンピックまで、あとたったの1勝――あるいは1引き分け――。水曜夜に国立競技場で行なわれるサウジアラビア戦を前にした、日本代表の状況だ。そう、オリンピックは手が届きそうなほど近くにあるが、サウジアラビアも勝てば出場権を手にできるため、出場決定までの道のりは長い。
水曜日の試合を、張り詰めた魅力的なものにするお膳立てはすべて整った。数ヶ月にわたる予選が、カップ戦の決勝のような形――勝者がすべてを手にする試合、今回の日本は引き分けでもすべてを手にできる――に凝縮されるのである。

カタールでの敗戦後、日本はベトナム戦で見事に立ち直り、実力と経験の違いを見せつけ、そしてゴールを量産して鮮やかに勝利した。
反町監督は、4ゴールを挙げた攻撃陣を賞賛した。4ゴールのうち2本はレイソルの元気溢れる李が、1本はペナルティ・スポットから本田が、もう1本は細貝が見事なヘディングで決めた。

この試合、反町監督は守備的MFを青山(広島)1人にするというリスクを負い、攻撃が好きな広島のチームメート柏木と組ませた。右の水野と左の本田が中盤にバランスと深みを与え、李と走力のある岡崎が攻撃を引っ張った。
最初のゴールはセットプレーからディフェンスのミスによってもたらされたものだったが、2点目は本田の巧みな素晴らしいクロスを李がしっかりと合わせたもの。彼にとってはこの夜2つめのゴールだった。
李はピッチ内外で特色と個性を発揮しており、Jリーグでの私のお気に入りの1人であるフランサをお手本に、自身の特長をアピールする方法をしっかりと学んでいるようである。

もちろん、水曜日の「決勝戦」に向けて日本は有利な立場にある。しかし守備を固めて、引き分けを狙ったプレーをするのは自殺行為だ。日本はまずそうしたプレーはしないと確信している。そう、先制点がおそろしく重要な意味をもつからだ。
日本は非常にクレバーで成熟したプレーで試合を支配し、勝利を焦って攻めすぎてはいけない。ときにはカウンターの機会をじっと待つというな、メリハリのきいた試合をしなければならない。

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“レッズ対ロッソネーリ”有意義な一戦となるか?

2007/11/19(月)

11月16日:水曜夜の埼玉スタジアムでは全てがうまくいき、浦和レッズはアジアチャンピオンに輝いた。そして来月行なわれるFIFAクラブワールドカップ(W杯)ですべてがうまく運ぶと、この国のサッカー史上最も魅力ある試合を戦えることになる。
12月13日木曜日、レッズは横浜の日産スタジアムでACミランとクラブW杯の準決勝で対戦するかもしれないのだ。まさに、この国にとって期待の一戦だろう。

世界のトップチームと日本のチームの公式戦。それも練習試合や親善試合でなく優勝を競う一戦、世界が注目する一戦、日本のサッカーにスポットライトが当たる戦いなのだ。もちろん、レッズとロッソ・ネーリ(イタリア語で「赤と黒」。ミランの愛称「ロッソ・ネロ」の複数形)の対戦はまだ決まっていない。彼らはまず、ニュージーランドのワイタケレ・ユナイテッドとイランのセパハン(皆さんの記憶にもまだ新しいはず)によるプレーオフの勝者に勝たなければならない。

アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝以前から、セパハンのクラブW杯出場は決定していた。レッズは、ACLで勝てばアジアチャンピオンとして、負ければ同一サッカー協会から二つのチームが出場することを禁じたFIFA(国際サッカー連盟)のルールに従い開催国としてプレーオフに出場するというわけだ。

2−2で引き分けた後、アウェー・ルールによりフィジーのバを破ってオセアニアチャンピオンになったキウィズに、セパハンは間違いなく勝つだろう。しかし、ACL決勝でセパハンを下したレッズが、再び彼らに勝てるというわけでもない。準決勝でミランと戦うのは、どのチームにとっても魅力的なのだ。
12月10日の月曜日、豊田スタジアムでセパハンあるいはワイタケレと戦うレッズは、なんとしても勝たねばならない。おそらく、何千というレッズファンが名古屋へ向かうことだろう。彼らのACL制覇を受け、レッズという“ブランド”は国内に広がったに違いない。つまり、レッズは強力なサポートが得られるのだ。
すでに11月も半ば。しかし、今シーズンの終わりはまだ遠い。

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J2マラソンの先頭走者コンサドーレ

2007/11/15(木)

10月13日:超重要な試合が目白押しの今日この頃、このコラムの書き出しをどうするのかも悩むところである。というわけで、今回は上位の話題から始めることにしよう。J2の上位の話題から。

前大宮監督である三浦俊也監督の指揮の下、コンサドーレ札幌は長い長い昇格レースのゴールに近づきつつある。48試合のうちの46試合を終え、コンサドーレの勝点は87。2位のヴェルディとは2ポイントの差がある。3位は、45試合消化で勝点81の京都サンガF.C.で、その下にベガルタ仙台(45試合消化で勝ち点80)とセレッソ大阪(45試合消化で勝ち点78)が続いている。
規定では、上位2チームが自動昇格し、3位がJ1で16位のチームと入替え戦を行なうことになっている。日曜日には札幌ドームで、首位コンサドーレと3位京都の上位対決が行なわれる。

先日、絵に描いたような美しさのコンサドーレ宮の沢練習グラウンドで“青年トシ”を取材した。グラウンドの一方の側にはチューダー様式の家と、何かと話題のスポンサー・石屋製菓が所有するピンクのチョコレート工場があり、その向こうには山々と風車。まったくうっとりする環境だ。とりわけ、北海道の早い冬に明るい陽光が差し込んでいる景色は申し分がない。

開幕直後にリードを奪って大差をつけたのだが、後続の集団がじわじわと迫る。チームは現在、必死に逃げ切ろうとしているマラソン・ランナーのような状況に置かれているのに、監督はリラックスしているようだった。
「ここでの暮らしが気に入っています。ストレスがないですからね」。練習を終え、グラウンド内を1日8〜10キロ走る日課に入る前に、そう話してくれた。「岡田さんも気に入っていたようですよ」。
「岡田さん」とは、もちろん1998年の狂乱のあとに札幌に避難した岡田武史のことである。

シーズン開幕前、正直言って私はヴェルディや京都、仙台、セレッソ、ベルマーレ、アビスパといったチームが揃うリーグで、コンサドーレに昇格のチャンスが巡ってくるとは思いもしなかった。
「私も。驚きましたよ」とトシは言う。「1年目のシーズンは3位か4位で上出来。来シーズンに昇格を狙える位置にいたいと思っていました。しかし5月からずっと首位に立っていて、選手たちはそうした状況にもうまく対処しています。毎日、一生懸命やっている」。

札幌の選手たちは、あともう少し一生懸命のプレーを続けなければならないだろう。日曜日の京都戦後、コンサドーレはシーズン最終日まで試合がない。最終日の12月1日、コンサドーレはまたもホームで、最下位にいる水戸ホーリーホックと対戦する。

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また一つ、ガンバの賢明な策

2007/11/12(月)

11月9日:ガンバ大阪は、よほどツボを心得ていると見える。そしてそれは、外国人選手の獲得法に現れている。シジクレイ、マグノ・アウベス、そしてバレー、ガンバはすでに日本のチームで結果を出し信頼も勝ち得ている選手を獲得する。リスクはない。

そして今度は、西野朗監督との契約を2009年のシーズン終了まで、2年間延長した。それも、1年ではなく2年の延長というところが賢明だ。万が一、日本サッカー協会(JFA)が西野監督を代表監督として指名した場合、ガンバはそれなりの補償を要求することができる。これはもちろん、オシムジャパンがうまくいかなかった場合だ。
とはいえ、私はオシムジャパンがうまくいかないと言っているのではない。オシム監督の下、日本代表はうまく軌道にのっていると思う。しかし、この世界では何が起こるかわからない。かのジョゼ・モウリーニョ氏も、言うだろう。

西野監督は間違いなく、JFAの次期監督候補リストの筆頭にいる。
2005年のリーグ制覇、そして今度はナビスコカップを制し、ガンバはリーグのトップチームとしての地位を確立した。ユースチームにも確固たるポリシーがあり、チームに貢献できない選手には決してお金をかけない。

FC東京の守備の要・今野が、この冬に吹田へ行くのではないかという噂が流れている。FC東京ファンにとっては受け入れがたい話だが、ガンバにとってはこの上なく素晴らしいものだ。
今野は明神のように頑強で頼り甲斐があり、自身の持つ全てをチームに捧げ、前へ前へと引っ張っていくタイプの選手だ。この、柏レイソルのかつてのスター・明神について、フィリップ・トルシエ元監督は以前、「自分のパーフェクトチームには、8人の明神と他の3人の選手がいれば良い」と最大の賛辞を述べている。
明神は毎試合、10点満点中7点の活躍をしてくれる。決して6点ではない。トルシエはそう言った。

今野も同じくらい、いや、彼はそれ以上だ。実際、今野には10.5点をつけても良いと思うことがある。シーズン開幕当初の私の優勝予想は、ガンバだった。
残り4試合。彼らのチャンスは遠のいたように見えが、しかしこれはガンバが落ちたというより浦和の意志の強さと層の厚さによるところが大きい。ガンバも、それはよく理解している。だからこそ、西野監督と新契約を結んだのである。

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ガンバのニューヒーロー、安田

2007/11/08(木)

安田理大にとっては、この上ない週末だ!
実際には、この上ないシーズン。19歳のこのレフトバック/ウィングバックは、クラブで、そして(少なくとも年齢別の)代表で、まさに頭角を現したのである。イビチャ・オシム監督が彼をフル代表に昇格させるのも、間違いなく時間の問題だろう。
代表チームには、生まれつきの左利きの選手が必要なポジションが空いている。現在、オシム監督には加地と駒野という堅実なライトバックが2人いるが、駒野はそのポジションでの秀でた候補者が不足しているために、左サイドでのプレーを余儀なくされている。

私は今もマリノスの小宮山が好きで、彼は注目に値する選手であると考えている。だが、安田がガンバで台頭し、日本代表にも登用され、今年のカナダではU−20代表(20歳以下)でプレー。現在は、北京を目指すU−22代表(22歳以下)にも入るようになった。
安田はスピードがあり、前線に駆け上がるのを好む。これは多くのレフトバックに見られる傾向。ロベルト・カルロスやアシュリー・コールが頭に浮かぶが、安田のプレーを見て私がいつも思い出すのは、元イングランド代表のレフトバック、グレアム・ル・ソーである――左サイドを貪欲に動き回る「せわしなさ」がそっくり。

話を、数週間前に東京で開催された日本対カタールのオリンピック予選に戻そう。
私は、あの試合は安田を後半に起用する絶好の舞台だと思っていた。ただし、左バックの伊野波と交代するのではなく、伊野波の前で彼を助け、チームにバランスを与えることで、カタールの右サイドを下がらせるのだ。あの試合ではカタールの選手が伊野波を取り囲んでいた。ただし、10人の日本が1−0で勝利したから、最終的には反町監督の選択が正しかったことが証明されたのだが――。

ハノイで勝点3が必要となった状況で、反町監督は好調の安田を先発起用するかもしれない。ともかく、現在の安田はJリーグ・ナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞し、さらに決勝戦では決勝ゴールを挙げMVPにも選ばれたのだ。いまは自信満々に違いない。

ナビスコカップの決勝では、安田は左サイドで堅実にプレーし、やる気に満ちているときには相手選手にとっておそろしく危険な存在となりえる――そうでないときには味方選手にとって危険な存在となりえる――フロンターレの変わり者・森と対峙していた。ゴールを挙げたとき、安田は一気に駆け上がり、適切なときに適切な位置――つまり森の前――にて、バレーの右サイドからの低いクロスに反応した。

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J1――上位に入るか下位に甘んじるか

2007/11/05(月)

11月1日:シーズン終盤に入り、優勝や昇格、降格とは無縁の中で多くのチームが戦っている。そうしたチームの1つが、ヴィッセル神戸。しかし松田浩監督には、今シーズンまだ達成したいゴールがある。
「我々の目標はトップ9位に入ることです」。柏に3−1の勝利を収め、目標達成に向け大いに意気の上がる監督はそう語った。
「Jリーグは上位9チームと下位9チームの2つに分かれます。シーズン当初の目標は、上位9チームに入ることでした。そして今、我々はその目標達成まであと一息のところにいる」。
確かに、ヴィッセルは30試合を終え勝点41で10位。4試合を残し、9位の横浜F・マリノスとのポイント差ははわずか2だ。

ヴィッセルは常に積極補強を行なってきた。柏戦にも、左サイドのMF古賀誠史や守備的MFのディビッドソン純マーカスといった途中移籍組が出場している。以前、本コラムで述べたように、古賀の獲得はチームにとって大きかった。彼は左サイドにバランスをもたらし、おかげでキャプテンの大久保はもっと前方でプレーできる。
大久保は本来、純粋のゴールゲッター。ディフェンスの間を走りまわりシュートを放つのが彼の役目で、左MFというポジションは合わないのだ。

松田監督は以前、アビスパの古賀はお気に入りの選手の一人で、彼とセンターハーフの千代反田をシーズン当初獲得しようと考えていたと語っている。また古賀について「彼はチーム一の天然の左利き」と評した。
ディビッドソンは大宮在籍時、昨季終了間際に三浦俊也前監督の信頼を失うまでは良いプレーをしていた。しかしアルビレックス移籍は功を奏さず、プレー機会も全くなかった。
柏戦では後半から、ミッドフィールドのアンカーとして――悪天候の中アンカーという言葉はピッタリだ――投入された。長期的な将来はまだ不透明だが、少なくとも彼は今、プレーできる環境にいる。

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柏でのずぶ濡れの午後

2007/11/01(木)

10月30日:PK戦はくじ引きのようなもの。なんて言ったのは誰だ? その人は土曜日の午後、レイソルがホームにヴィッセル神戸を迎えた、日立スタジアムにいなかったのだろう。あの試合こそ、くじ引きと呼ぶべきものだった!
あれはサッカーじゃない。間違いなく。どちらかと言えば、プレー不可能なピッチでの水球だ。
私は午後12時30分、キックオフの90分前にスタジアムに到着したのだが、根性の据わったイエロー・モンキーズはすでにゴール裏の場所に集まり、即席の青いカバーの下で雨を避けていた。用意周到。豪雨の影響をなくそうと大型のローラーが勝ち目のない戦いに臨み、キックオフに備えて投光照明が厚い雲の下で光り、どしゃぶりの雨は…さらにひどくなっていた。

試合を順延する国も多くあるのだろうけれど、私自身は、「やればいいじゃん」という考え。どちらのチームも条件は同じだし、グラウンドには9,000人ほどのファンがいた。テレビ中継も待機していた。放映予定となっている試合の延期の手配など、考えられない。

実際、試合が始まってみると、それはなかなかの見ものだった。良いパスがひどいパスに変わり、ひどいパスが良いパスになった。選手たちは頭を使って環境に順応し、技術を修正しなければならなかった――溺れる危険があるにはあったが。
結果的には、ヴィッセルの方がより順応力があった。水のなかでの動きをよく心得ているヴィッセルは、ヴェッセル(vissel:「船舶」の意味)と改称してはどうだろう。

とりわけ巧かったのがレアンドロ。このブラジル出身のフォワードは、パスしたボールが自分の目の前で止まってしまうような状況に素早く対処した。ボールが泥んこのなかで止まり、ディフェンダーが対処できなくなることを見越し、ボールをよく追いかけていた。
レアンドロの最初のゴールは、古賀誠史――神戸の松田浩監督が望んだ彼の獲得は大成功だった。左サイドのバランスがとれ、大久保が中盤を縦横に動けるようになった――からの見事なクロスに合わせた、きれいなヘディングシュート。2ゴール目は、環境をよく考えた素晴らしいもので、小さな振りで南の背後にボールを運んだチップシュートだった。

ただし、レイソルのブラジル人FWフランサには、同情を申し上げる。この芸術家は、台風が残したずぶ濡れのカンバスにも傑作を描こうとしていた。

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埼玉での準決勝の重要性

2007/10/29(月)

東京・10月26日:浦和レッズにとって、水曜夜に行なわれたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の準決勝、城南戦の勝利は非常に大きな意味を持つ。アジアサッカー界の発展という観点から見ると、ここ15年で最大級の意味。業界筋ではそう言われている。
ピッチの外ではスポンサー、マーケティング、テレビ中継、そしてピッチ上でもJリーグや各世代の代表チーム等、日本がアジアのサッカーを引っ張ってきたのは疑うべくもない。しかし、2002年、アジアサッカー連盟により、アジアクラブ選手権とアジアカップウィナーズカップ、そしてアジアスーパーカップ(前述の2大会の勝者同士で争われた)が「アジアチャンピオンズリーグ」として統合されて以来、欠けているものが一つあった。それはもちろん、日本のチームの勝利だ。

それがいま、変わろうとしている。レッズがセパハン(イラン)とのACL決勝に進んだのだ。マーケティング担当者たちは、一晩で大会の注目度が新たなレベルに達することを感じとっている。
「92年アジアカップ優勝、1993年のJリーグ誕生、97年フランスワールドカップ出場を決めたイラン戦の勝利。今回のレッズの決勝進出は、それらと同じくらい重要な意味を持つものです」。北アジアを管轄するワールドスポーツグループ香港支社のニック・モールド支社長はそう語った。
埼玉スタジアムで試合が行なわれた水曜の夜、すべてが終了した午後10時10分を回った頃の会話だ。

試合が全てだった。因縁の対決、そして試合の重要性にも関わらず、素晴らしい試合内容…。
ゲームは代表戦を彷彿させるような雰囲気のなか、キックオフ。私は、97年の国立競技場でのワールドカップ予選、日本対韓国に思いを馳せていた。
1点リードから逆に1−2とリードを許した時には、結果も当時と同じになるかと思われた。しかし今回は、長谷部がレッズを救ってくれた。そうして日本人(それからブラジル人とドイツ人監督)は、PK戦を制したのだ。
ドイツ人…準決勝PK戦…レッズが負けるわけがない。

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横浜FCが学ぶべき教訓

2007/10/25(木)

10月23日:降格というのは避けられないものだが、そのときが実際に訪れると心が痛む。
横浜FCにはそれが来るのが早く、土曜日に神戸で0−3と敗れ、J1の試合が5試合も残っている状態で早々のJ2復帰が決まってしまった。
数字は嘘をつかない。昨季のJ2王者にトップリーグで戦えるだけの選手層の厚みがなかったことは、数字が示している。29試合でわずかに3勝、これまでに奪ったゴールは17に過ぎず、勝点は8月18日以来、18という低い水準で留まっている。

昨シーズン、このチームの後塵を拝し、J2で2位だったレイソル、そしてアビスパとのプレーオフで昇格を勝ち取ったヴィッセルの両チームは、潤沢な資金、日本人選手のバランスの良さ、外国人選手の質の高さにより、横浜FCよりはるかに良いシーズンを送っている。

J2では、老練で、したたかな横浜FCはあまりミスを犯さず、規律正しく、一貫性のあるプレーでマラソン・レースのようなシーズンを首位でゴールした。しかしJ1では少しばかり力が足りなく、存在感を示すほどの選手層または勢いに欠けていた。簡単に言えば、ここまでが精一杯。あとは落ちるしかなかったのである。
高木琢也からジュリオ・レアルに監督を代えても事態は好転せず、つかの間の刺激になることもなく、10月20日という早い時期に降格が確定した。

シーズン開幕の時には、横浜FCは前途洋々であるように思えなかっただろうか?
開幕戦では、レッズに埼玉スタジアムで1−2と敗れたものの、新たに獲得した久保がいきなり年間最高ゴールの候補になるような強烈なシュートを決め、その後は三ツ沢で信じられないような試合をして、マリノスという巨艦を相手に1−0の勝利を収めた。あのときには、いかにもダービーという気分が充満し、試合後にそれぞれのチームが対照的な雰囲気でグラウンドから横浜駅にぞろぞろと向かう様子は、まさにサッカーならではの光景だった。

ただし今となっては、あれがまるで去年のことのように思える。次の試合――アウェーの大宮アルディージャにとっては大事な土曜日の試合――では、横浜FCが降格という事実をどのように受け止めているのかを見てみたい。

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大久保はオシム・ジグソーパズルの1ピースとなり得るか

2007/10/22(月)

10月19日:とにもかくにも、良かった。これで少しは安堵できるのではないだろうか。大久保嘉人がようやく、最高レベルで結果を出してくれた。
水曜日の対エジプト戦、4−1の勝利で見せた2本の素晴らしいゴール。誰もが待ち焦がれていたそのゴールは、2003年5月31日の代表デビュー以来21戦目にしてやっと訪れた。確かに、出場したうちの何戦かは交代要員として数分プレーしただけだった。しかしそれでも、出場機会が増えるにつれ、彼にかかるプレッシャーは増していった。そしてようやく…。

長らく待ち焦がれていたら、それは2本同時にやってきた。そう、まるでイングランドのバスのようだ。
これで20試合ノーゴールだったのが、21試合2ゴール。一晩でゴール成功率が跳ね上がり、大久保にとっても良かった。
一般に、このレベルのストライカーでは3試合に1ゴールが適正な成功率と言われている。この調子でいけば、大久保は来年には適正な成功率へ上げることができる。この2ゴールで呪縛から解かれ、これからも積極的にゴールを狙っていってほしい。

大久保に最初にチャンスを与えたのは、ジーコだった。2003年、ジーコは大久保についてよく語っていた。しかし大久保はゴールを挙げることができず、監督のお気に入りリストから外れ、2006年ワールドカップ代表入りのチャンスを逃してしまった。

オシム監督も、彼の素質はよくわかっていた。だがまずは大久保に学ばせ、そしてチャンスを待たせた。そして水曜日、大久保は監督の信頼に応え代表への定着に向けて一歩前進したのだ。
とはいえ、この先には、田中達也、佐藤寿人、そして播戸竜二との激しいポジション争いが待っている。
それでも大久保ファンにとっては、オシム監督のジグソーパズル、チームのスタイルと個性にあったピースが見つかったと感じたことだろう。結果はさておき、今回の2ゴールは日本代表にとって今年最後のボーナスだ。

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賭ける価値のあるギャンブル。監督ピクシー

2007/10/18(木)

10月16日:ドラガン・ストイコビッチがレッドスター・ベオグラードの会長の座を去るというニュースが流れたときには、次の行き先は決まりきっているように見えた。もちろん、行き先は名古屋。クラブとは深いつながりがあるし、長らく不遇をかこってきたグランパス・ファンは、彼をいまだにヒーローとして崇めているのだから…。
その後すぐ、新たな報道があった。グランパスは、シーズン終了後の辞任を示唆していたセフ・フェルフォーセン監督の後釜として、本当に「ピクシー」と交渉していたのだ。

サッカーでは、1プラス1は必ずしも2になるとは限らないが、今回のピクシー報道について言えば、現時点では実現性がかなり高い。契約が無事成立して、ストイコビッチに日本に戻ってきてほしい。彼は、きわめて興味深く面白い人物で、世界中で尊敬されている。

ピッチでは、レフェリーのストイコビッチに対する扱いがあまりに不当だと、よく思ったものだ。レフェリーが彼の激しい気性に過剰反応し、むやみにイエローカードを出す傾向があったのである。怒りやすいという評判が先に伝わり、ちょっとしたことでも大騒ぎになってしまう。それから、さらに事態は悪化した!
彼はピッチの横で、いかに振舞うのだろう? 物静かで自制心を持ち、成熟した責任ある態度を見せる? それともブッフバルトのように、イライラやむかつき、怒りによって、あるいはそれらがすべて溜まりにたまって、芝生にスーツの上着を投げつけるようになる可能性のほうが高いのだろうか?

1つ確かなことは、グランパス・ファンが彼を敬愛し、彼を救世主と崇める。また選手たちは彼を尊敬し、刺激を受けるということだ。結局のところ、毎年毎年、Jリーグの有力チームになろうとしてなれずにいる(この事実を認めようではないか)グランパスにとって、今回のストイコビッチとの交渉は理にかなったものである。

フェルフォーセンの方針の功罪については、「功」の部分も少しはあったが、チームにとっては「罪」のほうが大きくなってしまった。彼がツキに見放され、選手の故障、とりわけディフェンダーの故障に苦しめられたのは事実だが、あれほど見事なスタートを切りながら上位からは大きく離されてしまった。
フェルフォーセンのために言っておくと、彼は、いつも上位5位以内に入れば上出来だと話していた。しかし、現状ではその位置まで駆け上がることは絶望的だ。まぁ、降格の危険もないけれど。

ピクシーがすべてを一変させてくれるのだろうか? クラブでは、彼の監督就任については、やってみる価値のあるギャンブル――そして、ピッチ内外でのクラブのイメージアップを保証するもの――と考えているようだ。ピクシーの復帰は名古屋だけでなく、Jリーグにとっても喜ばしいものとなるだろう。

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フロンターレはACL制覇に挑戦しただけ

2007/10/15(月)

東京・10月12日:川崎フロンターレ論争を、私は今も興味深く見守っている。アジアチャンピオンズリーグの準々決勝、第1戦と第2戦の間に開催された柏でのJリーグ戦で、フロンターレは先発メンバーのほとんどを休養させた。これは正しかったのだろうか?あるいは、他のJ1チームやファンのために最強メンバーでレイソル戦に臨むべきだったのだろうか?

私にしてみれば、答えは明快。フロンターレの行動は正当なものだ。どの選手を起用するかは、いかなる試合でも、誰も、彼らに指図するべきでない。プレーした選手たちは、プロとして登録されているのだ。当然、先発メンバーとして選ばれてもおかしくない。

見方を変えれば、彼らは標準レベルに達していない、という侮辱にもなる。
事実、9月23日の柏戦に臨んだフロンターレ陣営を見てみると、十分に強い。川島、佐原、河村、伊藤、井川、養父、谷口、フランシスマール、大橋、我那覇、黒津。このメンバーで毎週戦ったとしても、おそらくJ1でやっていけるだろう。
後半にチームが崩壊し0−4で負けはしたが、良いチームだった。勝つか引き分けていれば、誰も文句は言わなかっただろう。

今回のことは、他のJチームがこれまで満足な結果を残せなかったアジアチャンピオンズリーグを、フロンターレが真剣に考えていた表れだろう。それに、対戦相手のレイソルはタイトル争いも降格争いもしていない。
たとえばそんな状況であれば、ライバルチームが文句を言うかもしれないが、それでもそれはフロンターレの問題ではない。彼らはチームにとってベストな選択をしただけ。アジアチャンピオンズリーグ制覇を狙っただけなのだ。そう、それで処分されるいわれはない。

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ガンバの意気を示した寺田のプレー

2007/10/11(木)

10月9日:浦和レッズにプレッシャーをかけ続ける意欲がガンバにあるかどうかは、疑わしい。そう思っている人たちに、土曜午後の日立スタジアムでの試合を見せてやりたかった。バレーが負傷して前半だけでピッチを去り、後半開始早々6分に先制点を奪われたときには、ガンバの前途は暗澹としているように見えた。
しかしガンバはチームを立て直した。スタイリッシュなプレーで反撃し、最終的には2−1の勝利を収めて勝点3を獲得。ディフェンディング・チャンピオンへの追撃の手を緩めなかった。日曜にレッズが勝ったので、1位と2位の勝点差は依然として6だが、残りが6試合ある状況では、タイトルの行方はまだ不透明だ。

土曜の柏では3ゴールが生まれたが、うち2つは最高級だった。
1つは、レイソルのフランサが右足で放った、めったに見られないような華麗なシュート。ボールはゴールポストの外からカーブを描きながらゴールに入り、レイソルの先制点となった。李忠成の仕事ぶりも見事で、彼が右サイドから切れ込んだ結果、ボールがフランカのところに渡り、あの強烈なシュートが生まれたのである。2人の素晴らしい仕事があのシュートに結びついたのだが、敵陣深くに位置するセンターフォワードのプレー方法については、李は最高のお手本だ。

ガンバの同点ゴールも美しかった。播戸が加持の右サイドからのピンポイント・クロスにジャンプして合わせ、南の守るゴールに力強くヘッディングシュートを決めた。
ガンバの決勝点はどうだったかって? 寺田がペナルティエリアに切り込み、相手ディフェンスともつれて倒れてPKが与えられたが、あの判定は厳しすぎるように思えた。ただし、右サイドの小林亮にとっては不必要なイエローカードだった。

喧騒が収まるのを待ってから、遠藤が、彼のトレードマークの1つであるPKを決めた。遠藤は、PKをとても簡単そうに決める。もちろん、そうでないときもあるのだろうが、あのように平然とPKを決められるようになるには、精神力と自信、それからしっかりとしたテクニックが必要である。

ただし、この日の午後に私を本当に感心させたガンバの選手は、前述の寺田だ。ご多分に洩れずクラブのユースチーム出身。この22歳の攻撃型ミッドフィルダーは、後半にギアを一段上げたようにピッチ中を駆け巡り、クロスを上げたかと思うと、ドリブル突破を見せ、その次にはシュートを放っていた。私は、ガンバ逆転の原動力となったのは寺田であり、すでに実績のあるチームメートたちが彼の野心に満ちたプレーに応えたのだと思った。

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新潟でひときわ輝く千葉

2007/10/08(月)

10月5日:2〜3週間前のある夜、大宮でワシントンに出くわし少しばかり話しをした。
彼に日本人DFの中で誰が一番やりにくいかと尋ねると、まず中澤、そして岩政の名を挙げた。しかし今なら、アルビレックス新潟の千葉和彦も彼のリストに入ってくるかもしれない。

埼玉スタジアムで行なわれた第27節のレッズ対アルビレックス戦で、千葉はとても良いプレーをしていた。まだ22歳の彼はワシントンのマンマークを、しかもワシントンのホームグラウンドで任された。日曜の午後に請け負う役割としては、決して嬉しいものではない。
しかし千葉は、目を見張るような活躍で見事にその役目を果たした。ワシントンがその試合でゴールを挙げられなかったのは、千葉の溢れる闘志と途切れることのない集中力によるものだ。

水本のように個性あふれるプレーヤーで、たとえ相手がリーグ屈指のブラジル人ストライカーでも一歩も引かない。また、伊野波のように年齢以上に熟成し、冷静なプレーで周囲の選手たちを引っ張る。さらには阿部のように、バックスでもセントラルMFとして素晴らしいプレーをする。シーズン開幕当初、私は実際に駒場での大宮戦で見ている。

要するに千葉は、オランダでの経験もさることながら、生まれながらにしてサッカー選手なのだ。いまは2006年5月のアルビレックスでのデビュー以来、Jリーグの選手としての自身を確立している最中。身長183cm、体重74kgと恵まれた体格、2本の素晴らしい足、スマートな頭脳を持ち、そしてさらにサッカーに取り組む態度も良い。相手DFを抜いてボールを運ぶ能力を見せたかと思えば、果敢にパーフェクトなタイミングでワシントンをブロックしていた。
オシム・ジャパンは、多用性と適応性を重視する。千葉がオシム監督のプランに入ってくる可能性は、十分ある。

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アルディージャに突きつけられた厳しい課題

2007/10/04(木)

10月1日:少し前に埼玉スタジアムでレッズを破り、最近は日産スタジアムでマリノスに勝ったチームだと聞けば、優勝を狙えるチームだと思うだろう。
しかし、そうではない。話題の主は大宮アルディージャ。上記の2試合で注目に値する結果を出したにもかかわらず、27試合を終え勝点24。順位表の下から2番目の17位と、自動降格圏から脱け出せないでいる。

佐久間監督は残留(降格安全圏)にはあとどれだけ勝点が必要かと尋ねられると、勝点40と答えた。つまり、残り7試合で5勝1引き分けの成績が求められる。
選手たちにとっては厳しい要求だが、アルディージャの今後のスケジュールには、同じように降格の危機にある、サンフレッチェとのホーム戦、横浜FCとのアウェー戦、大分とのホーム戦、甲府とのアウェー戦が含まれている。しかもトリニータと戦う11月7日には、アルディージャは改修を終えた大宮公園のホームスタジアムにようやく戻ることができる。

確かなことが1つある。佐久間監督は、駒場の乳牛牧場を離れ、芝生のピッチでプレーできることを喜ぶだろう。
佐久間監督は言う。「うちには、テクニックのある小柄な選手がたくさんいる。だから、ピッチ状態の良い埼玉と日産スタジアムで、レッズとマリノスに勝てた。駒場では、ピッチが悪くてサッカーにならない。体力の勝負になるから」。

前の週にホームでジェフに0−1と惜敗したあと、大宮は調子とモチベーションをV字回復させ、素晴らしい2ゴールでマリノスを破った(2−0)。
かつては名古屋グランパスのバッドボーイズの1人で、Jクラブを渡り歩く平野孝はキックオフ前にマリノスファンから厳しい野次を浴びていたが、ファーポストに決めたジャンピングヘッドで最高のお返しをした。平野にとっては、この試合がアルディージャでの2戦目。チームには5月21日に合流していたが、練習初日に負ったヒザの故障に苦しみ、2ヶ月の欠場を余儀なくされていたのである。
「人柄の良い、経験豊かなプロフェッショナルで、練習も毎日全力でやっている。信頼している」というのが、かつてマリノスに在籍していた平野に対する佐久間の評価だ。

2点目を決めたのは吉原。走り込んで来て榎本を唖然とさせるほど強烈な右足のシュートを決め、そのままゴール裏の大宮ファンのところまで走り抜けてしまった。広大な日産スタジアムでは、この間の距離が2kmほどあったが…。もっとも讃えられるべきは審判の柏原丈二氏だ。彼は吉原の栄光の瞬間をそのまま続けさせたのである。時計は見ていたが、イエローカードは出さなかった。まさに、良識あるレフェリングである。

まったく楽しいことに、4分ほど試合を止めた吉原がイエローカードをもらったのは、結局、中澤を引きずり倒したとき!まあ、何もかもうまくはいかないもの…。7試合で5勝という結果、佐久間監督にとっては案外ありえないことではないのだろう。

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フロンターレFW鄭大世の弁護

2007/10/01(月)

9月28日:水曜夜に川崎フロンターレが等々力で敗れた結果、アジアチャンピオンズリーグでの日本チーム同士による決勝戦の望みは打ち砕かれた。
PK戦前から、正直私は最悪の結果を想像していた。試合自体はフロンターレが支配していたが、決定的なチャンスを逃していた。対するセパハンは後半開始前からPK戦を狙うかのような試合運び。全てがセパハンの勝利へと向かっていたようだった。そんな状況下、セパハンは失うものが何もなく、一方のフロンターレはさらに大きなプレッシャーを背負う。フロンターレはそれでも結果を出そうとしていたが、結局、叶わなかった。

ここは、セパハンを褒めるべきだろう。彼らは運も味方に付け、GKアバス・モハマディのファインセーブと決定力不足のフロンターレ(特にジュニーニョ)に救われたのだ。大柄で頑強、時として暴力的、そして極めて冷笑的なセパハンのDFに対して、ジュニーニョはいつもより小さく、そして軽く見えた。しかしそのスピードとスペースを探す目で、彼は攻撃をつづけるフロンターレの中で得点圏に何度も身を置いていた。
大胆不敵な鄭大世(チョン・テセ)とジュニーニョの2トップでは我那覇の出番は少なく、数分プレーしただけだった。

鄭のディフェンスについて、私から一言。
延長に入り、鄭がセンターハーフのハジ・アギリーとの空中戦でヒジを使っているとセパハン選手たちがクレームをつけていたが、あれはヒジでなく頭だ。ジャンプするのが少々遅かっただけ。しかし悪意のあるものではなく、何と言うかそう…韓国スタイル?
アギリーのチームメイトの芝居じみたリアクションからして、大量に出血でもしていたのだろう。医師と担架がピッチに呼ばれた。

こういう場面は、主審は非常に判断が難しい。選手が本当に負傷しているのか、もしくは他の選手同様、怪我したフリをしているのか。見極めなくてはならない。この時は実際に負傷していたのだが、事態をしばらく見ていた主審を、誰が責められるだろう? セパハンの選手達はここまでに何度も、怪我を装っていたのだ。
セパハンは鄭がヒジ打ちをしたと事を荒立てようとしたが、実際のところ彼はヒジを使っていない。ゲームが再開された時に寄って来たセパハンDFに対し、自分の頭を指していた。

フロンターレが消えた今、レッズには頑張ってもらいたい。
ファンとして言わせてもらえば、アジアや世界に対して誇れる成功を残してきたし、チャンピオンズリーグでそれを示し、FIFAクラブワールドカップの出場権を獲得してもらいたいものだ。たとえJリーグで何位に終わろうとも。

マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン卿も溢れんばかりのレッズファンに感心し、プレミアリーグのトップ10以下のチームになら、レッズは決して引けを取らないとコメントしている。
トップ10? その程度かなあ?

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駒場と味スタの両極端な試合

2007/09/27(木)

週末に、奇妙な試合が2つ。
土曜日、私は浦和駒場スタジアムでのアルディージャ対ジェフユナイテッド戦に向かった。ピッチの状態が悪いなかでの試合は、日本サッカーの逆宣伝だった。
大宮の試合は、J1残留を目指すチームとは思えないもの。まるでプレシーズンのエキジビションか、両チームにとって何の意味も持たないシーズン終盤の消化試合のよう…。

斉藤のゴールでジェフが1−0の勝利を収めたが、相手が10人になった後半に追加点を挙げられなかったのは、アマル・オシム監督にとって大きな悩みの種だ。結局、ジェフが完封勝利できたのは、自陣ゴール・マウスのなかで最初にタイミングよくボールをインターセプトし、それからペナルティ・エリアのちょうど外で見事なタックルを見せた、リベロの中島のプレーがあったからである。
しかし、全体的には見どころの乏しい試合で、パスミスがあまりに多く、創造性あるいはコンビネーションの妙が楽しめる瞬間はほとんどなかった。

日曜日の味スタは、FC東京対エスパルス。こちらのほうがずっと、ずっと良かった。
試合開始後しばらくは、一方のチームが圧倒的に試合を支配していた――しかも、それはホームチームではなかった。エスパルスは私がこれまで見てきたなかでもっとも大柄なチームで、本当に見事な立ち上がりを見せ、自信満々。よく組織されていた。
だが突如、2点のリードを奪われた。

東京の1点目のゴールは、右サイドの石川のクロスにダイビング・ヘッドで合わせ、ファーサイドにゴールを入れてしまった、高木和道の不運なオウンゴール。これはむしろ石川を褒めるべきで、うまく抜け出してから、ハーフボレーで供給したクロスは華麗だった。

直後の赤嶺のシュートも同様で、福西がペナルティ・エリア内に猛然とダッシュした後に、ニアサイドに左足で倒れ込みながらのハーフボレーを放ったのだ。
ゲームを支配していたにも関わらず、エスパルスは苦しい立場に追い込まれ、敗北が迫ってきた。試合の様相があっという間に変わったのは信じられないくらいだったが、東京は今野がチームを牽引したおかげで、流れを2度と引き渡すことはないように見えた。

しばらくはディフェンスの中央での藤山の相棒役を割り当てられていたが、首尾よく中盤の中央の位置に戻ることができた今野は、いつも私のMVPだ――しかも、この評価は試合前、キックオフの前から決まっているのだ。今野より良いプレーをして、私のMVPを獲得する選手もいるにはいるが、そんなことは、まあ稀である。

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2つの好結果。だが準々決勝はまだ終わっていない

2007/09/24(月)

9月21日:水曜夜に行なわれたアジアチャンピオンズリーグの準々決勝・第1戦、日本勢は2チームとも、とりあえず満足のいく結果を残した。レッズはホームで全北モーターズを2−1で破り、フロンターレはイランでセパハン相手にスコアレスドロー。

レッズは全北を相手に、試合の大半を優位に進めていた。全北はいつになく元気がなく、ほぼ全ての面でレッズに劣っていた。そう、レッズのロブソン・ポンテが残り10分で交代するまでは…。ポンテの交代とともにレッズはゲームの主導権と勢いを失い、対する全北は勢いを取り戻し、パニックを起こしはじめたレッズから試合終了間際に1点を返した。
それでも、オジェック監督の言うように、レッズは勝った。オジェック監督は、第2戦も積極的に攻めていくと断言した。アウェーゴール・ルールのおかげで、全北は1−0で勝ちさえすれば準決勝に進める。だが、レッズは間違いなく得点を挙げる攻撃力を持っている。

一方、フロンターレは等々力での対セパハン戦ではまだ課題が残っている。
アウェーでの第1戦のスコアレスドローはフロンターレにとって良い結果と言えるが、セパハンにとっても、悪い結果でもない。ホームチームは、第1戦でゴールを挙げられなければ、次戦が非常に重要となる。
フロンターレは有利な立場にあるが、それでもセパハンは非常に危険な相手だ。彼らが1点でもゴールを挙げれば、フロンターレは2ゴールが必要になる。

そう、等々力での最初のゴールは、とても大きな意味を持つことになるだろう。だが、フロンターレは早く試合を決めてしまおうと焦らないことだ。そして、セパハンのカウンターに十分気をつけなくてはならない。相手に得点を与える危険を覚悟で頭から攻めていくのか、それとも慎重に相手ディフェンスを崩していくのか――。フロンターレがどのような作戦で戦うのか、興味深い。

先ほども言ったとおり、セパハンにとって、ホームでの第1戦のスコアレスドローは決して悪い結果ではないのだ。試合のペースをつかもうと、第2戦でホームチームにかかるプレッシャーは大きい。
表向きは、日本のチームにとって第1戦の試合結果は良かったように見える。しかし第2戦の90分で何が起こるのかは、まだわからないのだ。

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選手交代が伏線となった、大分劇場のどんでん返し

2007/09/20(木)

9月18日:ロスタイムもすでに、ほぼ消費されている。試合はアウェーチームが2−1でリード。選手交代もまだ2回。さて、次に予想されるのは?
そう、アウェーチームのベンチが動き、選手交代を告げるボードが掲げられる。11番の左ウィングと2番のセンターバックを代えるようだ。11番はできるだけゆっくり歩いてピッチを離れ、貴重な数秒を稼ぐ。背番号2は自陣ゴールに向かって走る。自チームがコーナーキックの守備側だからだ。

ボールが上げられ、選手がジャンプしてヘディング・シュート。ゴールネットが揺れ、ホームチームが2−2となる劇的な同点ゴールを決めた。
アウェーチームがキックオフし、試合終了のホイッスル。ディフェンスを補強しようとしたアウェーチームは、ツキに見放されただけなのだろうか? それとも、露骨な時間稼ぎのために行なった無意味な選手交代の報いを受け、試合のリズムを損なってしまったのだろうか?

この「戦術」をどのように評価するかは自由だが、土曜の夜、等々力での川崎フロンターレ戦で大分のシャムスカ監督がとった選択は、まったくの逆効果だったように思う。
この試合は、3分のロスタイムに突入した時点では1−1だった。しかし途中出場の大分の西山哲平が左足でゴール下隅にシュートを決めて2−1とし、流れを一変させた。ここで、ゴール裏の大分ファン、選手、それからベンチは大騒ぎ。まるでワールドカップで優勝したかのような喜びよう。

当然、フロンターレは2度目の同点を目指して攻め上がり、強引に右側からのコーナーキックを得た。シャムスカ監督はこの時点で鈴木慎吾(11番)を三木隆司(2番)に代えようとしたが、レフェリーはプレー続行を指示。大分はこのコーナーは防いだが、再びコーナーキックを与えた。今度は左側から。
ここで、大分は選手交代。フロンターレは途中出場の大橋がコーナーキックを蹴り、これも途中出場の井川が大分ディフェンスの混乱を衝き、2−2となる同点のヘディング・ゴール。試合は振り出しに戻った。大分の選手たちはドーハ・スタイルで等々力の芝に崩れ落ちる。

終了間際にあんな交代をしたシャムスカ監督の自業自得。私はそう思わずにはいられなかった。彼のチームは集中し、おそらくフロンターレの最後のチャンスを防ぎきろうとしていた。コーナーキックに対処し、なんとか守りきろうという気構えができていたのである。
その後、選手交代があった数秒で、すべてがストップしてしまった。大分の選手たちが警戒を緩め、集中力を失い、フロンターレに主導権を握られてしまったのだろうか?私は、この空白が同点に結びついたのだと思っている。つまり、選手交代は大分ではなく、フロンターレが有利になるように働いたのだ。振り返れば、シャムスカ監督はそのままプレーを続けさせ、チームの忍耐力を信頼しなければならなかったのだろう。

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成長を続ける反町ジャパン

2007/09/18(火)

9月14日:水曜日に行なわれたカタール戦(オリンピック予選)は、日本代表にとって大きな一勝となった。68分に退場者を1人出しながら、スピードがあり屈強、がむしゃらに攻めてくる相手に対して素晴らしい勝利だった。
オリンピック予選が始まった頃の日本代表には、私は正直なところ、北京へ行けるかどうか自信がもてなかった。しかし、彼らは間違いなく良くなってきているし、よりダイナミックに、チームもまとまり、プロらしくなってきている。そしてアウェーでの2試合を控えた今、彼らは3試合を戦い勝点7でグループC首位と好位置につけている。

しかし、ここにきて反町監督は、再び修正を加えなければならなくなった。次戦、本田拓也は出場停止だし、梶山はケガをしてしまった。中盤の要の2人が出られない。さて、反町監督はどうするのだろう?
最初の一手は、シンプルだ。本田の代わりに青山敏弘を中盤のキーマンとして使う。青山は水曜日の試合では、56分から梶山に代わって途中出場し、攻め込んでくるカタールのFWにタックルしてボールを奪うなど、日本の1−0の勝利に大きく貢献した。
そして、反町監督はアウェーでの2試合に向け強固な基盤を作るために、伊野波を中盤の中央に持ってくるのではなかろうか。出場停止の本田はカタール戦後に戻ってくるが、彼なら新しい4バックスの左サイドに容易にフィットできるはずだ。

カタール戦後半の伊野波は、まるで台風の目の中にいるようだった。そして、慣れない左バックとして、過酷な状況架でよく頑張っていた。攻撃的な家永でさえディフェンスのヘルプで動きまわっていたし、反町監督はチームの左サイド強化のために、安田を伊野波の前方に投入するのではないかと思っていた。
ところが彼は、水野を引っ込め家永を右サイドにスイッチさせた。この試合終盤の彼のプレーは非常に素晴らしく、ボールをキープし、カウンターの拠点となっていた。一切のくだらない茶番を断ち、チームが彼を必要としている時に堅く確実なプレーを見せてくれた。まさに、この日の家永のプレーは今まで私が見た中で最高のものだった。

一方、中盤強化のためにもう一人、小林が投入された。だが、なぜ彼は顔を覆ってピッチを転げまわってばかりいたのだろう。終盤に入り、わずか1点のリードを守るにはすぐに起き上がりチームを助けなければならないはずだ。それとも彼は、自分のためにゲームが中断されるとでも思ったのだろうか。
もちろんゲームは止まるはずもなく、小林は立ち上がりバツが悪そうに駆け戻ってくるしかなかった。これはとても悪い傾向。監督は選手達に止めさせなければならない。特に、退場者を出しチームがすでに10人になっている時には――。

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勝点2を失ったのはどちらか?

2007/09/13(木)

9月11日:勝点1を得たのか、それとも勝点2を失ったのか? それが問題となるは、土曜日に行なわれたオリンピック予選、アウェーでサウジアラビアに0−0と引き分けた日本代表である。
試合前は、スコアレスドローで良しとされていたが、63分にサウジが1人退場。10人になると、流れは日本に向き始めていた。期せずして、勝点3をまるまる手に入れるチャンスが訪れたのだ。日本はそのチャンスをモノにすることができなかった。しかし0−0という結果を、勝点2の損失ととらえるべきではない。私は今でも、アウェー戦としては満足できる結果であると評価しているし、日本は水曜夜のカタールとの大一番に向け、体勢をととのえることができたと考えている。

退場者が出たチームが奮起するのは、よくあることだ。選手たちは憤りを覚え、それぞれ懸命に走るようになる。そうして(退場者が出る前の)その状態を維持したり、あるいはさらに向上させたりすればヒーローとして扱われるから、モチベーションも数段上がる。
サウジはまさにそのケース。10人でよく戦った。だがそれでも結局、ホーム戦で勝点1を得たのではなく、勝点2を失ったという見方になるだろう。

反町監督の選手起用は、興味深かった。平山を外しただけでなく、右サイドバックに内田を入れ、水野を前にスライド、さらに森島をワントップにして、そのサポートに家長を置いたのだ。
内田はこれまでずっと鹿島でやってきたようなプレーを見せて良かったが、水野は中央寄りでプレーしたため、あまり効果を発揮していなかった。正直言って、私は、水野が右サイドを全速力で駆け上がり、ディフェンスを抜き去ったり、あるいは内に切れ込んだりして、それからクロスを上げるほうが好ましいと思っている。
故障から復帰した伊野波がリベロとして帰ってきたのは、心強かった。反町監督は水本をそのままキャプテンにしていたが…。青山、伊野波、水本のスリーバックは、オリンピック予選の最終予選に入っても以前のままの素晴らしい姿を維持しなければならないが、日本の問題点はフォワードにある。彼らは点がとれないだけでなく、中盤の支配もできないのだ。

ホームのカタール戦を前に、反町監督は今こそ、内田を犠牲にして水野を右サイドに残すべきかどうか、それから森島とコンビを組むストライカーをもう1人起用すべきかどうかを決断しなければならない。
2試合で勝点4を獲得し、日本の北京への道のりは依然として順調だ。しかし、国立競技場で行なわれるカタールとのホームゲームでは、その後の2試合がアウェーとなることも考慮して、必ず勝点3をとらなければならない。

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なでしこジャパンに課せられた高い目標

2007/09/10(月)

9月7日:ブラジルを2−1で下し、ワールドカップに弾みをつけて臨める機会などそうそうあるものではない。しかし、9月11日火曜日に上海でイングランドとFIFA女子ワールドカップの初戦を戦う “なでしこジャパン”は、その好機を得た。
キリンビールのバックアップを受け、国立競技場でカナダ、ジェフのホームスタジアムであるフクダ電子アリーナでブラジルと、なでしこジャパンはワールドカップに向けた良いウォーミングアップをすることができた。

私は2試合とも観に行ったのだが、残念なことに、観客はまばら。木曜夜の国立は2,000人にも満たず、好天に恵まれた日曜午後のフクアリでさえようやく4,000人を超えた程度だった。
とはいえ、スタジアムに訪れたファンの熱狂ぶりは素晴らしく、女子サッカー日本代表の周囲には良い雰囲気が漂っている。

日本サッカー協会(JFA)も女子サッカーの発展に費用を惜しまず、日本の女子サッカー界は現在とても恵まれた環境にある。
JFAの川淵三郎会長はキリンチャレンジカップのプログラムで、「すべての日本代表チームの中で、“なでしこジャパン”だけが世界レベルに達しつつある。“なでしこジャパン”の躍進は間違いなく他の日本代表チームに大きな影響を与えてくるだろう」と述べている。
2007年ワールドカップと2008年北京オリンピックの目標は準決勝進出、そして長期的には2015年までに世界のトップ5(現在は世界第10位)を目指すという、キャプテンからの心強いメッセージだ。
そうはいっても、川淵氏とJFAが掲げる今回のワールドカップ、そして来年のオリンピックの目標は高い。仮に彼女たちが目標を達成できなかったとしても、それを失敗と位置づけないでもらいたいと思う。

初戦の相手イングランドについて、どのくらい強いのかと数人が尋ねてきたが、私は正直なところさっぱりわからない。
もちろん女子サッカーは好きだが、イングランドが今どうなっているかを追いかけているわけではないのだ。エミール・へスキー以外に、誰がイングランド代表にいるかさえ知らない。
幸運なことに、先日、埃にまみれた書類の中からポケットサイズのサッカー年鑑、“Playfair Foorball Annual 2004-2005”を見つけた。
その年鑑の“その他”のカテゴリーの中に“女子サッカー”の章があった。実際には章などというものでなく、329ページの下半分、イングランドFAアカデミー、U−17リーグの記事の下という程度だ。

2004年の女子リーグはアーセナルがチャールトンに1ポイント差をつけ優勝。QPR(クィーンズ・パーク・レンジャース)のホームグラウンド、ロフタスロードで行なわれたカップ戦も、アーセナルが3−0でチャールトンを破った。
「観客1万2,000人以上、フリーティングがレディーガンナーズの全得点をマーク!」
見出し記者(ヘッドラインライター)にとっては、願ったり叶ったりの試合というところだろうか。

女子サッカーの人気は世界レベルで上昇しており、日本もそれについていこうとしている。
来週の中国では、是非がんばってもらいたい。グループAの日本は、イングランド、アルゼンチン、そしてドイツと対戦する。とても楽しみだ。他の多くの人にも、そうであって欲しいものだ。

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チョのゴールでエスパルス前進

2007/09/06(木)

9月4日:1つのゴールが明暗を分ける。それがローカル・ダービーで、ロスタイムが4分を経過した時点ならなおさらだ。
土曜日のエコパでの静岡ダービー。藤本淳吾の絶妙なフリーキックにチョ・ジェジンが体を折り曲げ頭で合わせ、この試合唯一のゴールを決めたとき、時計は94分を指そうとしていた。
ゴールのあとには荒々しい祝福シーン。チョはユニフォームを脱ぎ、ゴール裏のエスパルスファンに投げ入れた。それはかなり見ものだった。それからタトゥもなかなか印象深かった。

一方、相手のダメージは深刻だ。ジュビロの監督で、かつては守備の要だったアジウソンは0−1の敗北を受けて辞任。クラブは内部昇格の内山篤新監督のもとで、またも過去の栄光を取り戻すための活動を始めねばならない。しかし、栄光を取り戻すのは今シーズンではない。ジュビロは現在、勝点34で9位。J1の無風地帯にいるのだ。

エスパルスについて言えば、これ以上順位を落とすことはないだろう。
長谷川健太は限られた手駒で素晴らしい仕事をしているし、チームにはあらゆるポジョションに魅力的な、若きタレントが揃っている。中盤の中央では、スティーブ・ペリマンがその在任時に日本最高のMFと評した伊東がすべてを取り仕切っており、さらにフェルナンジーニョの並外れたテクニックがブラジル風の彩を添える。そして前線ではチョが強さと安定感を発揮している。

エスパルスは勝点44で4。首位のレッズとは8ポイント差があり、まだタイトルに挑戦できる位置ではないし、ダークホースとも言えないだろう。ダークホースの称号は、鹿島アントラーズにこそ与えられるべきだ。フロンターレを圧倒した鹿島の力を無視することはできない。
しかし、これからのシーズンでさらに経験を積めば、エスパルスも2008年には優勝を狙えるだけのチームとなるだろう。
その一方で、地域内のライバルであるジュビロは、またも、またもやり直しである。
最初に書いたように、1つのゴールが明暗を分けるのだ。

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情熱と感情、そして…

2007/09/03(月)

8月31日:「サッカーとは情熱と感情のスポーツだ」。FIFAのセップ・ブラッター会長は常にそう語っている。
名古屋グランパスエイトの実直なオランダ人監督、セフ・フェルホーセン氏は先日、等々力スタジアムで少々それらを露にしすぎだようだ。そしてあっという間に退席処分となってしまった。個人的には、フェルホーセン監督にとって厳しい判定だったと思っている。しかも1度でなく2度も…。

フロンターレのペナルティエリア内でルーズボールを奪おうとした左ウィングの本田がイエローをもらったのは、アンラッキーとしか言いようがない。あれはまったく正当なもので、逆にファウルでフリーキックをもらっても不思議ではないプレーだった。それなのに、イエローカード?
そして、それは本田の2枚目の警告だった。結果、イエロー2枚でレッドカード。68分に本田は退場となってしまった。

チームは1−0と好調にリードしており、フェルホーセン監督はその判定に怒り心頭。それを観衆にも隠そうとしなかった。彼が何語を使ったかはわからないが、そんなことはどうでもいい。たとえスワヒリ語でも、意味は十分通じただろう。
本田が退場となり、試合は続行。観客は、何とか追いつこうとするフロンターレを相手にグランパスが時間を稼いでリードを守るのをゆったりと観戦するはずだった。

ところが、そうはならなかった。
ラインズマンの一人が、フェルホーセン監督の派手なヤジを主審に知らせる必要があると考えたのだろう。主審は監督に退席を命じた。結局これは、落ち着いたかに見えた状況を再び悪化させただけだった。
まあ、仕方のないことなのかもしれない。フェルホーセン監督も、彼の濃いヒゲよりもしつこい文句をズケズケと言ったのだ。ブラッター会長の言う、“情熱と感情”以上にね。
しかしながら、あの場面でラインズマンが監督のヤジを無視して試合を続けさせてくれれば良かったのにと思う。試合がどう転ぶかわからない状態で主力選手を失った監督への同情が、少しくらいあっても…。少なくとも試合終了のホイッスルが吹かれるまでは試合も落ち着いていただろうに、これで再びヒートアップしてしまった。
サッカーでは、オフィシャルはあらゆる非難に耐えなければならないのは私もよく承知している。
しかし、ついカッとしてしまった人に対して、時として寛大さを見せる場面があっても良いのではないだろうか。

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サンフレッチェの矢印は上向き

2007/08/30(木)

ゴール・マシーンのウェズレイが出場停止でも、土曜夜のサンフレッチェ広島は日産スタジアムで横浜F・マリノスを相手によく戦い、2−2で引き分けた。
右サイドの駒野、中央の戸田と青山、それから左サイドの服部。中盤を構成する4人が私は特に気に入った。駒野と服部はサイドからの攻撃の選択肢を自然に増やしているだけでなく、3バックのディフェンスのサイドのカバーも行なっている。ちなみに、そのディフェンスの要となっているのは、かつてジェフでお気に入りだったストヤノフだ。

戸田が2002年のワールドカップと同じ中盤の真ん中におり、現在のオリンピック代表である青山がエンジンルームでの相棒。この3−4−2−1のフォーメーションはコンパクトでバランスがとれており、柔軟性がある。
3−4−2−1の「1」は、佐藤寿人。4バックの裏をとる俊敏な動きで、その夜を通じて、ホーム・チームのディフェンス陣を苦しめていた。佐藤は本当に聡明で、独創的な選手だ。ペナルティエリア内では天性のストライカーとなるが、それだけではなく、ピッチのどこにいてもチームに大いなる貢献をしている。

中盤の4選手がうまく連係しているおかげで、柏木と森崎浩司は自由に攻撃に参加し、佐藤をサポートできる――実際、この2人がともにゴールを挙げた。
柏木は今シーズン、日本代表で頭角を現している。ユースチームからオリンピック代表チームへの昇格を果たし、トップレベルの選手としての地位を築きつつある。まだ19歳。全ての試合で観客を魅了するプレーを期待するのは無理というものだが、ファンは彼が次にゴールを挙げたときにどのようなパフォーマンスを見せるのかが楽しみでしかたないのである。

ヴィッセル神戸を相手に、ペナルティエリア付近からフリーで芸術的なゴールを決めたことは以前にも書いたが、あのゴールは、彼に特別な才能が宿っていることを示すものだった。努力を続け、成長を続け、笑顔を見せ続けてくれることを願おうではないか。彼は、日本サッカーの新たな息吹なのだから――。
サンフレッチェは入替え戦を戦わなければならない16位とわずかに5ポイント差なのだが、「3本の矢」が降格争いに向かうことはない。土曜夜の試合を観て、私はそう確信した。

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日本代表復活!〜心強い勝利〜

2007/08/27(月)

8月24日:アジアカップ後、最初のこの試合。イビチャ・オシム監督やサポーターたちにとってこれ以上の結果はないだろう。
素晴らしい2本のゴールで強豪相手にホームでの勝利! ベトナムから戻り、PTSDもどうやらなさそうだ。とりわけ注目すべきは、カメルーン戦での2ゴールはいずれもアジアカップに出場していなかった選手が挙げたということ。闘莉王はケガで欠場、山瀬は選出されていなかった。

闘莉王の欠場がアジアカップでどれだけ響いたか…。前半の彼のヘッドはそれを証明した。この長身のセンターバックには、チャンスを待つのでなく、自ら作り出す力がある。
ハノイでの日本代表は、あまりにも消極的だった。特にカタールとのオープニングゲームでは、パスにこだわり、ペースを作ることもしなかった。だからこそ、今回の闘莉王の復帰はとても目立つ。彼のリーダーシップとポジショニングは、ピッチ上でチームに大きな影響を与える。オシム監督には、闘莉王をチームキャプテンに指名してもらいたいものだ。

山瀬は今季、マリノスで絶好調。代表復帰が確実視されていた。彼の美しいゴールは、オシム監督にビッグ・スマイルをもたらした。山瀬は自信に満ち、また、ペナルティエリア外からでもシュートを打とうとする意志、それをやってのける技術も持ち合わせている。
その見事なシュート。オリンピック最終予選の日本対ベトナム戦前に東京・国立競技場のスクリーンで見ていたファンから、感嘆のため息が漏れた。

ヨーロッパ組の招集なし。新選手が数人加わった代表チームは、オシム監督の代表再建第三段階の幕開けだ。大久保、前田、そして田中が代表への定着を狙うなか、チームはペース、堅実さ、そして活力に溢れ、特に山瀬は、その素晴らしいゴールで存在を示していた。

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五輪代表はシンプルなプレーを

2007/08/23(木)

8月21日:北京オリンピックの最終予選がまもなく始まろうとしている。私は、日本の選択肢は1つしかないと思っている。ひたすら、シンプルにプレーするのだ。
日本の特長は、右に水野、左に本田がいる両サイドと、センターフォワードの平山の空中戦の強さにある。私が今も平山に全幅の信頼をおいているわけではないことは読者の皆さんもご存知だろうし、彼がJ1で通用する実力があるかどうかも定かではない。しかしこの年代のグループでは、確実に空中戦で強さを発揮できるだろう。

このような直接的なスタイルでのプレーは、オシムが代表チームでやろうとしていることとは異なるが、ベトナム、サウジアラビアそしてカタールが揃ったグループで日本が首位になるには、これが最も確率の高い方法であると確信している。
最優先すべきは両サイドにボールを集め、ペナルティ・エリアにいる平山にクロスを送り、相手守備を壊滅させること。原始的な方法かもしれない。読まれやすい方法かもしれない。しかし、実際的な方法でもあるのだ。

日本代表にこれだけはやって欲しくないと思っているのは、パスを回しすぎて、危険なエリアでボールを奪われたり、シュートチャンスをいたずらに無駄にすることだ。今回のオリンピック代表は、結果は出しているものの、過去のゲームでこのような過ちを犯してきている。
これでは平山が活きないし、反町監督は明らかに、「アテネ・オリンピックの代表だったこの男が攻撃陣の中心」と決めているようだ。それゆえに、より洗練され、機動性と技術に優れるボビー・カレン(カレン・ロバート)を代表から外したのである。

日本代表のディフェンスは悪くないと思う。しかし、中盤の中央の人材が足りないようだ。このエリアを支配するほどの選手がいないのは確かだが、相手を両サイドに拡散させることで、中盤に平山へのボール供給ラインを確立することはできる。そこらは、もう1人のストライカーと攻撃的MFの仕事。平山をサポートし、混乱状態のペナルティ・エリア内にいち早く駆けつけなければならない。

最初に言ったように、格好良くはないが、それが日本にとって最も確実な方法だと思う。 何度もポジション変更をするような複雑なパス回しに平山を参加させても意味がない。彼を中央に居座らせ、オフサイドだけには気をつけろと言い含め、そのうえで、フォーメーションに応じてウィングあるいはフルバックから平山にボールを合わせるようにするのが得策である。
日本にはこのグループを勝ち抜ける力があると信じているが、そのためには、自分たちの強みを徹底的に、臆せずに発揮する必要があるだろう。

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ベッカム物語を飾る余興

2007/08/20(月)

8月17日:プレーすればトップニュース。ケガをしてもトップニュース。フリーキックを決めれば、さらに大きく取り上げられる。
デビッド・ベッカムの話題は尽きることがなく、ロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した今も、見出しの数々が我々を笑わせてくれる。
それらはすべて、ヒット映画「ベッカムに恋して」(原題:Bend it like Beckham)をもじったものだ。

例えば――

ベッカムが足首のケガで試合を欠場すれば、「Bench(ベンチ) it like Beckham」
ロスで売られているベッカム・グッズの多さには「Vend(売る) it like Beckham」
足首のケガの回復については「Mend(修理する) it like Beckham」

ピッチの内外を問わず、こうしたヘッドラインはサッカーの余興のようなもの。それにしても、編集者たちはいつまでこの手のヘッドラインを引っ張る気なのか…。
他にもこんなものが出てきたりするかもしれない。

ビバリーヒルズの豪邸のガーデニングで賞をもらい「Tend(手入れする) it like Beckham」
他クラブへの移籍を受け「Lend(貸し出す) it like Beckham」
フリーキックでハットトリックを達成、イングランド代表を引退すれば「End(終わる) it like Beckham」
右ウィングから右バックへポジションが変えるなら「Defend(守る) it like Beckham」

このコラムを読んでくれている日本のみなさん、サッカーを通してあなたのボキャブラリーを増やすチャンスですよ。とりわけ、陳腐なベッカム・ヘッドラインでね。皆さんも何か他に思いつきませんか?

ベッカムとイングランドについて言うと、スティーブ・マクラーレン監督が親善試合のドイツ戦に体調不十分のベッカムを招集するのが理解できない。
完全に回復するまでそっとしておき、2名のGKを含む12人だけ選ぶ。オシム監督のやり方の方が、ずっと良いのではないだろうか。数ヶ月前の欧州選手権予選では見向きもしなかったのに、なぜいま、親善試合にベッカムが必要なのか。おかしな話だ。

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ジュニーニョみたいなフィニッシュ

2007/08/16(木)

8月15日:ジャーン・カルロ・ウィッテがFC東京で全盛期にあったとき、私はよく「彼は日本の若き選手がお手本にすべき、理想的なディフェンダーである」と思ったものだ。
ジャーンは90分にわたりディフェンスの方法を講義した。空中戦でも地上戦でも闘争心に溢れ、積極的で、ボールをクリアすべきとき、パスすべきとき、さらに一気に攻め上がり攻撃陣を支援すべきときを知っていた。
フォワードの選手に目を移すと、土曜日には、別のブラジル人選手が上級者向けのレッスンをしていた。このときの教科は、「ゴールを奪うコツ」。

フロンターレがフクアリでジェフを3−1で破った試合。ジュニーニョのハットトリックは彼の無駄のなさと決定力を際立たせるものだった。ジェフ・ディフェンスの隙間を縫うように長い距離を走り回ることもなく、飛距離30メートルの電撃シュートがゴールの隅に突き刺さることもなかったが、3つのゴールが、まったく別々のスタイルで、精密に決められた。
最初は、立石が辛うじてボールを弾いたあとに至近距離から決めたもので、先を読む能力とポジショニングの良さで奪ったゴール。ジュニーニョは適切なときに適切な場所にいて、そのような瞬間が来るのに備えていた。簡単なゴールに見えたが、そう見えるようにするには、まずゴールを決められる場所にポジションをとっていなければならないのである。

2つめは、自信と即興性で決めたものだった。足の振りをできる限り小さくし、つま先でボールを突いたようなシュート。私は、ロマーリオあるいはロナウドみたいだなと思った。まばたきする間の出来事。シュートの直前、ジュニーニョはペナルティエリアの中にいて、2人のディフェンダーにマークされていた。しかし次の瞬間には、ボールがゴールの隅のネットを揺らしていた。2002年のワールドカップ準決勝、埼玉、トルコ戦でのロナウドじゃないか?

私のお気に入りは3つめのゴール。右サイドを進んできたジュニーニョは、いとも簡単そうにボールを受けると、ファーサイドに低い弾道のシュートを放ち、またも立石にまったく仕事をさせなかった。
このゴールは、類まれな才能が生みだしたもので、仲間のプロ選手を含め、あらゆる年代の選手たちのお手本となるものだった。
「ベッカムみたいなカーブボール」があるのなら、「ジュニーニョみたいなフィニッシュ」があってもおかしくないほどである。

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小笠原復帰とJ1の新展開

2007/08/13(月)

8月11日:鹿島アントラーズに要注意!
長い中断期間からのJ1再開を控え、ガンバ大阪や浦和レッズはそう考えているはずだ。
ガンバとは11ポイント差がついているが、小笠原のメッシーナからの復帰でアントラーズはガラッと変わるだろう。さらには、柳沢もケガから復帰。残り16試合でタイトル争いに加わるのに、戦力は十分だ。

とはいえ、1敗しかしていないガンバやレッズに比べ、アントラーズはすでに4敗。彼らに2敗以上する余裕はない。また、今の差を縮めるには引き分けではダメだ。オズワルド・オリベイラ監督も、この差を埋めるには攻め続けて勝ち続けるしかないとわかっている。今後のアントラーズの試合は、緊張感にあふれるエキサイティングなものになるだろう。

小笠原の存在がチームに与える影響とは、すなわち周囲の選手を生かすということだ。今のチームは選手層がとても厚い。
ディフェンスの要だった秋田の後継者・岩政は、私のお気に入りの選手の一人だ。最近、レッズのFWワシントンと話した時、日本人DFの中で対戦しづらいのは誰か聞いてみた。彼はまず中澤を、続いて、長身で頑強、そして厳しく強固なプレーをする岩政を挙げた。あのワシントンも、彼を高く評価しているのだ。

アントラーズ以外では、川崎フロンターレも無視できない。アジア・チャンピオンズリーグで準々決勝に進出した後、Jリーグではすっかりおとなしくなってしまった。しかし、国立で行なわれたナビスコカップの甲府戦での素晴らしい勝利を見た人たちには、彼らがハングリーさとスピリットを取り戻したことに気づいただろう。
フロンターレは、勝点28でガンバとは13ポイント差。アントラーズ同様、上位2チームが調子を落とすことを願いながら、とにかく「当たって砕けろ」の精神でやるしかない。

ここで、ニューカッスル・ファンとして一言。
「どんな大きなリードも、あっと言う間に素っ飛んでしまうものさ…。」

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もう1つ、オシムに求めること

2007/08/09(木)

JFA(日本サッカー協会)の川淵三郎会長が、オシムに関する議論で良い点を突いている。監督はPKを見守るべきで、ピッチの外に引き揚げるべきではない、と語ったのだ。
この件については、私は川口キャプテンではなく、川淵氏に同意せざるを得ない。サッカールー(オーストラリア代表)とのPK戦の前から、これまでのジェフでの行動を見て、オシムは必ず控え室に引き揚げるとわかってはいたが、韓国戦のクライマックスを見ようともしないのにはさすがに驚いた。

オーストラリア戦後、オシムは「日本代表の試合中に心臓発作で死にたくない」と語っていたが、韓国戦で私が思ったのは、「彼は退屈で死にたくないんだろうな」ということだけだった。
PK戦を最後まで見守ろう。そうオシムが考えを改めるタイミングがあったならば、あのときがまさにそのとき。結局のところ、俊輔が助走でシューズのひもを踏んで転び、頭からボールにぶつかって、そのヘディング・シュートが韓国のキーパーに捕られでもしない限り、あるいは遠藤がいきなりペナルティエリアからクロスを上げようとでもしない限り、事態はそれ以上悪くなりようがなかったのである。
日本がPK戦で敗れため、現在のオシムは、チームにとってのジンクス云々という言い訳はできなくなっている。だから、次回は(当然、2010年の南アフリカでも)、どうか選手たちに付き添ってやって欲しい。

オシムがピッチを去る光景以外で面白かったのは、彼がチームの円陣に加わっている姿だ。羽生2人分、ひょっとしたら3人分くらいあるオシムが、連帯感を掻き立てる、このどちらかと言うと感傷的な行動に加わっている姿は、どう見ても居心地よさそうには見えなかった。

ここで不屈の姿勢で知られるアルフ・ラムジーが、1966年のワールドカップ決勝のイングランド対西ドイツ戦が延長戦に突入する前に行なった、チャーチル風の演説を紹介しよう。
ラムジーは選手たちに、「諸君、もう相手は参っている。さあ、トドメを刺して来い」と告げた(実際に「諸君」なんて言葉を使ったのかどうかは定かではないが、そのほうがラムジーらしい)。

ところで、チームが円陣を組んだときの日本の選手とスタッフの数を数えた人はいるだろうか? 数百人もいたよね! みんな、何をしている人たちなのだろう? エージェント? ヘアドレッサー? ネイルアーティスト?
まあ、JFAにはこれら取り巻きがみんな必要なのだろうな。

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南アフリカへのチケットまで最大18試合!?

2007/08/06(月)

8月4日:一体どうやってこれだけの試合スケジュールを組むんだ? そう頭を悩ませている方には、Jリーグのスケジュール編成担当者の苦労をご理解いただけるだろう。
アジアサッカー連盟(AFC)は金曜日、2010年ワールドカップ予選の概要と日程を発表した。日本代表は南アフリカへのチケットを得るために最大18試合を戦う必要が生じるかもしれない。
今後さらに、カタールで開催される次回アジアカップの日程が2011年1月に決まる。今大会で4位に終わった日本は、この予選も戦わねばならない。
こうして見ると、かなり多忙なスケジュール編成…。スケジュール編成担当者には、すべての国が納得できるように頑張ってもらいたいものだ。

皆さんご存知だろうと思いますが、2010年ワールドカップの予選で日本代表は、出場43ヶ国中、オーストラリア、韓国、サウジアラビアに続く、そしてイランの前の第4シード。これらの上位5チームは、4チームずつ5組に分かれて行なわれる予選を勝ち上がってきた15チームと共に、予選第3ラウンドから試合を戦う。
そして、各組の上位2チームが予選第4ラウンドへ進出。つまり日本代表は、2008年2月6日から9月10日の間に6試合を戦うのだ。

予選第4ラウンドでは、勝ち残った10チームが5チームずつ2組に分かれる。日本代表は(勝ち残ったと仮定して)2008年10月15日から翌年9月9日までにさらに8試合を行ない、各組上位2チームが南アフリカへのチケットを獲得。3位チーム同士がホーム&アウェイのプレーオフを戦い、その勝者はオセアニアの優勝チームと南アフリカへの最後のチケットをかけて戦うことになる。

仮に日本代表が予選第4ラウンドのグループ3位に終わった場合、ワールドカップの出場権を得るために18試合を戦うことになる。最後の4試合が行なわれるのは、10月10日から11月21日。そう、2009年のJリーグのクライマックス期と重なってしまうのだ。
そうした状況で、いかにして2011年アジアカップの予選をもスケジュールに組み込むのだろう。日本代表が南アフリカW杯の出場権を獲得するのに不可欠な、欧州組のフィジカル、そしてメンタルコンディションは大丈夫なのだろうか?
この先2シーズン、欧州移籍のチャンスがある日本人選手にとって、これは非常に大きな検討材料となることだろう。

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日本代表の悲惨な幕切れ

2007/08/02(木)

7月31日:日本対韓国戦については、言わぬが花というものかもしれない。しかしこの試合が歴史に書き加えられる前に――まあ、JFA(日本サッカー協会)としてはできればあらゆる記録からこの試合を抹消したいところだろうが――少し言っておきたい。
どうしようもない内容だと思ったし、時おり、日本サッカーにとって屈辱的だとも感じた。選手たちががんばろうとすればするほど、事態はますます悪化。最終的には、レフェリーが延長戦終了のホイッスルを吹いて全選手を悲惨な状況から救い出した。

両チームともこんな舞台には立ちたくはなかっただろうが、重大な2つの理由が存在していたため、この試合に勝たなければならなかった。
1つは、それが日韓戦だったから。
もう1つは、この試合の勝者に2011年にカタールで開催される次回アジアカップの出場権が与えられる――予選が免除される6ヶ国のうちの1つとして――ため、2010年のワールドカップ・イヤーに予選を戦わなければならないという厄介な状況を回避できるからである。

こうした事情はあったが、オシムが先発メンバーを1人しか変えず、FW巻の代わりにMF山岸を入れ、高原のワントップにしたことは今も不思議でならない。
このフォーメーションは前線の重要なエリアで人数が1人少なくなるため、カタール戦では機能せず、韓国戦でもやっぱり機能しなかった。まったくもって得点がとれそうにないのだ。
オシムはメンバーを大幅に入れ替えチームをリフレッシュさせ、クラブに戻る前にレギュラー陣を休ませるべきだった。それで負けたならまだ納得できただろうけれど、PK戦とはいえレギュラーを揃えて敗れたことで、これまでやってきた素晴らしいサッカーを台無しにしてしまった。

グループリーグを終えオーストラリアを下したあと、さらに言えばサウジ戦で負けたあとも、私は日本代表にきわめて良い印象を持っていた。
しかし、土曜の試合は余計だった。中澤のシュートを至近距離でイがブロックしたこと、カンの退場で韓国チームは負けても言い訳が立つ状態になったこと、羽生のシュートがボールを見てもいなかったディフェンダーに当たったこと、韓国チームが楽々とPKを決めたこと…。試合が進むにつれ、すべての流れが韓国の勝利に向かい始めた。

そうして最終的に、数多(あまた)のPKを外した悲運の選手のなかに羽生の名前が加えられることになった。羽生はPK戦のことはできるだけ早く忘れ、他の日本選手は今回の3位決定戦の存在そのものを忘れるよう努めるべきだろう。

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ギュネス監督「技術力と体力だけでは足りない」

2007/07/30(月)

7月28日:木曜夜に行なわれたFC東京とFCソウルによるプレシーズンマッチは、観戦の価値のある試合だった。無得点に終わり、サッカー自体はパッとしないものだったが、セノール・ギュネス監督から話を聞けたからだ。
トルコ代表の元GKでキャプテンも務めたギュネス監督は、2002年ワールドカップで日本、韓国を破りトルコを3位に導いた。この年のUEFA年間最優秀監督賞を受賞。FCソウルの監督となって6ヶ月経った彼は、この極東のサッカーについて面白いことを言っていた。

基本的に、日本は技術的に、韓国は体力的に優れているが、しかし、世界のトップレベルに追いつくには両国の選手ともそれだけでは足りないのだと彼は話した。手短に言うと、もっと考える、しかももっと素早く考える必要がある、と。

「ワールドカップでは、メンタル面での成長が必要だ。選手たちがゲームを自らの手でお膳立てし、組み立てることは容易じゃない」
通訳を介し、彼はそう語った。
「サッカーは技術と体力だけでは戦えない。どんな状況でも試合をコントロールできる精神力が必要だ」
「両国とも、もっと素早い決断力が必要だ。これが一番の問題だ。ボールを受けたとき、常に次のステップを決め、ボールを蹴る前に全てを決めなくてはならない」
これをできた唯一の選手が、中田英寿。彼はボールを受ける前に次の動きを考えていた。彼がアジアで突出した選手たりえた最大の理由は、ギュネス監督が挙げたサッカー選手に必要な2つの資質――技術レベル、たくましい体――をもっていたことだ。

水曜夜に日本代表は2−3でサウジアラビアに敗れたが、ここに中田のような選手がいればと、オシム監督も思ったことだろう。日本は二度まで追いついたのだが、三度は無理だった。マレクの爆発力の前に、空中でも地上でも、阿部、中沢、そして川口は対応できなかったのだ。
サウジアラビアは強かった。何と言っても、彼らはワールドカップに4大会連続出場をしているのだ。今回の試合結果は、決して驚きではなかった。そう、“落胆”ではあったけど“意外”ではなかった。

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とりあえず、基礎はできた

2007/07/26(木)

7月24日:日本代表がオーストラリアを破った試合では良い面がたくさん見られたが、イビチャ・オシム監督が修正を望むような、悪い面もいくつ見られた。
良い面としては、新生日本代表が冷静で自信に満ちた態度でゲームを支配したこと。高原の素晴らしいゴールですぐに同点に追いついたこと。最後の最後まで集中力と規律を維持できたことなどが挙げられる。
いずれも、心理的そして肉体的に強いチーム、つまり自分たちの力と監督の能力を信頼しているチームに見られる傾向だ。

ただしそのパフォーマンスは満足ばかりではなく、不満に感じるところもいくつかあり、初戦でカタールに引き分けた(1−1)あとに不満に思った点も繰り返された。
やはり、日本はゴールが見えたらもっとシュートを打つべきだ。その1つが前半の中澤。自陣深くでボールを持った中澤はドリブル突破し、彼の前に誰も立ちはだからないので前進を続けた。
中澤は自信と気迫に満ちていたから、私はゴール前25〜30m地点で大胆にシュートを打って欲しいと思っていた。しかし実際は確信が持てなかったようで、シュートを打たず、ペナルティ・エリア近くにいた高原を探し始めた。ボールはカットされ、中澤は大急ぎで自陣に戻らなければならなかった。

これは一例に過ぎないが、日本代表のこのようなプレーについては中村俊輔がハノイで何回か指摘している。延長のある時点で、相手が10人なのに日本のパス回しがあまりに多いのは、オーストラリアの選手を催眠術にかけ、眠らせてからゴールを狙うという作戦なのか? とさえ思った。

巻の特長は空中戦、とくにファーポストでの競り合いの強さにある(ジェフのファンとガンバのディフェンスは、彼が驚異的なジャンプをして新居のゴールのお膳立てした、今シーズンのフクアリの試合を覚えていることだろう)。しかしオーストラリア戦では、日本はゴール前にクロスを上げたくないかのように見え、ペナルティ・エリアの外でもたもたボール回しをする場面があまりにも多かった。
俊輔が相手陣内深くに切り込んだとき、巻がファーポストで彼らしい仕事をした。オーストラリアはミリガンがもたついている間に、タカ(高原)が右足から左足に切り替え、この試合でも見事なゴールを決めた。

日本は、ボールをキープするときと、勝負に出るときの切り替えができなければならない。また、予想できない、爆発的な要素を見つける必要もあるだろう(この役割については、私のお勧めはやっぱり大久保嘉人だ!)。
しかし、新生日本代表のスタイルと特長ははっきりした――オシムは自身の使命を着々と果たしている。

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貫禄のマンチェスター・ユナイテッド

2007/07/23(月)

7月20日:今週初めに来日したマンチェスター・ユナイテッド(マン・U)は、素晴らしい親善大使だった。
記者会見、チャリティ、練習、試合、サイン会と、おそらく彼らは日本と戦ったベトナムのGKより忙しかったに違いない。

火曜の夜、レッド・デビルズは浦和レッドダイヤモンズと対戦した。
ジメジメした夜に行なわれた、イングランドと日本チャンピオンの対戦には、5万8000人ものファンが押し寄せた。
その夜の埼玉郊外は雨が降り、肌寒いほど。クリケット観戦でオールド・トラフォード(マンUのホームスタジアムとは別)へ向かっている時のことを私に思い出させた。

マン・Uの遠征は、AFC(アジアサッカー連盟)やFIFA(国際サッカー連盟)から激しい非難を浴びている。マン・Uのようなヨーロッパの有名チームがアジアにやってくると、彼らばかりがさまざまな面で得をし、アジアは何も得られないと考えられがちだからだ。
さらには、ベトナム、マレーシア、インドネシア、そしてタイ(これで全部、どこも忘れていないよね?)でアジアカップが開催されている最中の遠征は、アジアへの侮辱とも言われている。
しかし、そんな話はまったくナンセンス。サー・アレックス・ファーガソンもそのことについて、ハッキリと答えている。

ファーガソン監督は、アジアカップとスケジュールが重なってしまったのは残念だが、選手たちは1年おきにヨーロッパ選手権やワールドカップを戦わなくてはならず、せっかくの機会を無駄にできなかったと語った。
また、サッカースクールやチャリティは決して、他チームのファンを奪うためではないと。「私たちばかりが得をしているわけではない。私たちもまた、与えている」。彼はそう付け加えた。

内舘秀樹がクリスチアーノ・ロナウドばりのゴールでエドウィン・ファンデルサールを翻弄し、そして小野伸二は、体力は衰えようとも才は失わないことを証明するような天才的なゴールを決め、試合は2−2の引き分けに終わった。
試合後、ファーガソン監督は、山田と小野をとりわけ褒め称えた。
「ナンバー6(山田)がとても良かった。非常に頭が良いし、よく動く。気に入ったよ」
「それから後半のナンバー8(小野)。良いシュート、うまいシュートだったね」

リオ・ファーディナンドも、小野について背番号ではなく名前を挙げて語った。
「小野はとても能力の高い選手。今夜もそれを見せてくれたよね。フェイエノールト時代から、彼のことは好きだったんだ」

さあ伸二よ、次は何が・・・?

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ゴールラッシュのなかで光ったDF小宮山

2007/07/19(木)

現在、日本の選手とファンが注目するカップ戦は、アジアカップだけではない。嵐に見舞われた週末には、国内でも楽しみな試合があった。
ナビスコカップは準々決勝・第2戦の4試合が行なわれ、合計23ゴールが生まれた。内訳は、ガンバ大阪対浦和レッズ戦7ゴール(5−2)、FC東京対横浜F・マリノス戦(2−4)と川崎フロンターレ対ヴァンフォーレ甲府戦(4−2)がそれぞれ6ゴール、鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島戦(3−1)が4ゴールだ。

私は土曜日は味スタでFC東京対マリノス、日曜日は国立でフロンターレ対ヴァンフォーレを観戦したのだが、どちらも派手な試合だった。
マリノスは2戦合計では4−3と僅差の勝ち抜けとなったが、第2戦の途中では、キャプテンである山瀬功治のダイナミックなパフォーマンスがあったおかげで、4−0でリードする場面も見られた。山瀬はびしょ濡れのなかで爆発。狙い澄ました右足のシュートをゴール上隅に決めて先制点をもたらしたほか、その後ルーズボールを奪って完璧なクロスを送り、大島の2点目のヘディング・シュートをアシストした。

山瀬がFC東京を葬った奮闘ぶりは、彼らに個人的な恨みでもあるのかと思うほどだった。これまで相次ぐ負傷に苦しんできた山瀬はまだ25歳。かつてなかったほどのキレあるいは質の高さを発揮していた。
山瀬以外にマリノスで印象深かった選手としては、22歳のレフトバック、小宮山がいる。小宮山は聡明で精力的。日本代表のイビチャ・オシム監督が気に入りそうな、気迫に満ちたプレーをする。また、両足でプレーすることができ、空中戦でも臆することがない。目の前の敵には誰であろうと立ち向かい、打点の高いヘディングで競り合いを制する場面がいくつか見られた。

日曜日に最も不運だった選手は、甲府のストライカーの須藤だ。チームが2試合で記録した5ゴールはすべて彼が決めたものであったが、それでも最終的に、チームはフロンターレに敗れたのである。
台風が首都に接近しているという警告を聞かずに国立競技場までやって来た1万人のファンにとっては、ファンタジックな試合であったことだろう。ゴールが量産され、すさまじいスピードで攻守が入れ替わる、まさにトーナメントの準々決勝にふさわしい試合。片方のチームが試合を支配したかと思うと、突然もう一方が主導権を奪い返すといった試合展開のなかに、甲府のチームメートである秋本と井上の激しい言葉のやりとりや、甲府のディフェンダー池端とフロンターレのストライカー鄭大世のレスリング試合といった出来事も盛り込まれていた。
結局、23歳以下の選手を対象としたナビスコカップ・ニューヒーロー賞の投票で私の一票を獲得したのは、小宮山だった。

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良い手本を示した駒野

2007/07/16(月)

7月14日:だいぶ良くなってきたと思いませんか?
日本代表はUAEを破った(3−1)だけでなく、プロとしてきちっと仕事をした。プレーに強固さと切れ味が、特にDF陣に出てきた。そして日本にとって非常に有利なペナルティのおかげで、ハーフタイムには勝利を確実なものとした。
とはいえ、UAEが1人少ない10人にもかかわらずバックスを1人引いて戦えたことや、川口、阿部、中澤の連携にはコミュニケーションに問題があることなど、不安材料もある。

サポーターは、勝利にはしゃいでばかりもいられない。まだ勝点4を得ただけ。そしてまだ開催国との最後のグループゲームが残っているのだ。
日本選手達にとってはまたとない経験になるだろう。驚くべき雰囲気に飲み込まれることなく試合を支配するために、相手チームを速攻で押さえこまなければならない。みっともない番狂わせを避けるためにも。
優れた技術と経験、そして高さのアドバンテージで日本は勝利を収めるだろうけれど、ベトナムは頭から徹底的に叩きのめす必要がある。

UAE戦では高原が素晴らしい2点を挙げ、日本の優位さを誇示することができた。しかしこれは高原にスペースを与えた巻の存在が大きい。
だが、私が最も感心したのは駒野だ。ゲーム序盤に見せた左ウィングからのカットイン、そしてシュート。さらにその直後、今度は遠藤が中盤を駆け上がりゴールを狙った。
日本選手たちが積極的な姿勢を見せてくれたのは非常に喜ばしいことだし、その甲斐あって、その夜の試合の流れを決めることができた。
パス回しばかりで、シュートできるポジションにあってもシュートを打たないのではなく、残りの試合でもこのポジティブな姿勢を保ってくれることを願う。

オシム監督も、シュートを打つよう檄を飛ばしていたに違いない。そして駒野のようにシュートが外れても、激を飛ばし続けたに違いない。
試合が三分の一も過ぎないうちに、高原の2得点で日本はゲームを支配。そしてUAEのペナルティで試合は決定的となった。
キーパーがファーポストに浮き球を上げた遠藤を掴んだとして、主審がペナルティを科した時、私は正直、そのコールが信じられなかった。しかし、それは日本の心配することではない。そしてこの物議を払拭するように、俊輔がPKを冷静に決めたのだ。

試合終盤になると、オシム監督はキーとなる選手を今後に備えて休ませ、攻撃の手を緩めないために、巻と元JEFの阿部のもとに羽生(高原と交代)と水野(中村俊輔と交代)を投入した――その様子は、JFAは“JEF FOOTBALL ASSOCIATION”なのでは思えるほどだった。
月曜日はお祭り騒ぎになることだろう。日本の目標はまだ達成されるたわけではないのだ。しかし、ずいぶん良くなってきている。

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もっと積極的に攻めないと

2007/07/12(木)

2007年6月10日:カタール戦の引き分け(1−1)という結果に、イビチャ・オシム監督が腹を立てているのは確かだ。私も腹立たしかったし、日本の多くのファンもそうだっただろう。
言うまでもないが、日本が楽に勝てる試合だった。圧倒的にボールを支配していたし、選手一人一人の資質、そして大舞台での経験といった点では、相手チームとは格が違っていた。
しかし、追加点を挙げられなかったため、カタールにも追いつき引き分けるチャンスが最後まで残されていたのも確か。そのチャンスをものにされ、その夜がぶち壊しになってしまった。

阿部については、同点ゴールの引き金となったファウル、つまり日本が勝つ明らかなチャンスの1つをモノにできなかったことを責めようとは思わない。
どう見たって、阿部は川口が出てきてボールをクリアするのを待っていた。キーパーが来ていないことに気づいた彼はパニック状態に陥り、フリーキックを与えてしまったのだ。ミスを犯したあとの阿部のボディ・ランゲージがゲームの行く末を物語っていた――「同点にされるかもしれない」。

チャンスについて言えば、真っ先に頭に浮かぶのは高原の美しいヘディングに合わせたものの、バーの上を越えた山岸の左足のハーフボレーと、カーブをかけたボールがファーポストの外を通った終盤の羽生のシュート。この2つだ。

いや、もういい。チャンスを逃したことにはイライラしたが、私の怒りの原因はそれではない。
私ががっかりしたのは、ゴールが見えているのに日本がシュートを打たなかったことだ。とくに目立ったのが遠藤。彼はまるでアシスト王を狙っているようだった。日本は、遠めからゴール前にボールを放り込む代わりに、複雑に入り組んだパス回しをして、ボールを確実にゴールに入れようとしていた。日本はダイレクトなアプローチをもっと増やし、ピッチの残り3分の1の地点まで攻め込んだときには、よりダイナミックかつ積極的にプレーしなければならなかったし、そうしなければならないと思う。
そのためには、同じことを繰り返すが、私なら巻を高原と組ませ、ミッドフィルダーを1人減らす。ただし、減らすのは私のマン・オブ・ザ・マッチの鈴木啓太ではない。

巻と高原が並べば、地上戦でも空中戦でもより多くの選択肢が生まれるだろう。巻はゴールを挙げなくとも何かをやってくれる。チームのために懸命に動き回り、つねに相手ディフェンダーの脅威となってくれるのだ。
カタール戦の結果は期待はずれだったが、13日の金曜日、UAE戦に勝てないようであれば、日本は本当に厄介なことになってくるだろう。

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アジアカップ優勝候補の日本。しかし…

2007/07/09(月)

7月7日:6月5日、コロンビア戦に引き分けた(0−0)試合を見て、日本代表にはアジアカップで優勝する力が十分にあると確信した。調子の上がらない前半を乗り切ると、後半はコロンビアに対し良いプレーを見せ健闘した。
チームとしてのまとまりや、イビチャ・オシム監督指揮のもと、選手たちの目的意識、目指すプレーを感じることができたし、アジアのライバルたちを寄せ付けない、自分たちのサッカーをしていた。

約1ヶ月にわたるアジアカップが始まろうとしている。おそらく日本は良いプレーをしてくれることだろう。
優勝を断言はしないが、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会予選へ向け、そして2006年大会では叶わなかったが、本戦での健闘に向けチームが順調に来ていると感じさせてくれることだろう。

オシム監督にとって、ベトナムでのアジアカップは勝って当たり前の状況だ。
2人の前任者、2000年のトルシエ、そして2004年のジーコも、日本をアジアチャンピオンに導いている。
仮に日本が3大会連続、通算4度目の優勝を逃したとしても、ファンがオシム監督はトルシエやジーコよりも劣っていると言い出さないよう私は願っている。
決して、そんなことはないのだ。

オシム監督は、自身の目標についてハッキリ言及したことがない。
その一方で、ワールドカップ出場はアジアカップ優勝よりも重要だと言う。だが選手のセレクションを見ると、決してそうは考えていないような気がする。
もし監督が現在よりも先のことを考えているのなら、左サイドの本田、攻撃的MFの家長、そしてリベロの伊野波ら、オリンピック代表がアジアカップの代表23名に選ばれていただろう。
今回、伊野波は播戸の負傷により代表入りした。伊野波は、オシム監督により多くのオプションを与えてくれることだろう。

闘莉王と水本がいなくても、坪井、阿部、中澤の3バック、それから加地、中澤、阿部、駒野の4バックはアジアカップを制するのに十分強力な布陣だ。
コロンビア戦での阿部と中澤のコンビは非常に良かった。また、伊野波は阿部の交代要員としてリベロやミッドフィールド中央でプレーできる。そして何より伊野波にとって、先輩たちとプレーして得るものは大きいはずだ。

アジアカップで日本は優勝できるだろう。もしできなくても、それで世界が終わるわけではない。オシム監督のサッカーは、しっかり根付いてきている。

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ウェーブはご勘弁を

2007/07/05(木)

感じ方は人によって違うのだろうが、U−20(20歳以下)ワールドカップで日本がスコットランドを3−1で破った試合の観戦は、まったくもって奇妙な体験だった。
結果は日本にとって申し分のないもの。だが、周囲の雰囲気が、控えめに言っても尋常ではないのである。
試合中だというのにあちこち歩き回っている人々がいるし、そこかしこにテントがある。それに大勢の観客は無音状態に陥っているしで、選手たちはきっと、練習場にいるような気分になったことだろう。

選手たちは牧場からスタジアムのピッチまで散歩に来たようにも見え、サッカーの試合は夏祭りの催しの1つになっているようだった。次はどんなイベントがあるのだろう? なんてことを私は考えていた。男の子たちの袋競争か、それとも女の子たちがスプーンで卵を運ぶ競争? あるいは、どっかの野菜生産者協会が新たまねぎの展示会でも開くのだろうか?

とにかく、試合会場の雰囲気はまったく常軌を逸していた。そして、この状況をさらに悪化させたのが、後半のウェーブ。無粋なことを言って申し訳ないのだが、FIFAはすべてのサッカー・グラウンドでのウェーブを禁止すべきだ。ウェーブを引き起こしたと認められた人物はただちにスタジアムから追い出し、スタジアムへの立ち入りを生涯にわたって禁止すべきである。ウェーブは、皆が楽しんでいるということを示すものではなく、退屈しているという証拠。サッカー人生を変えることになるかもしれない瞬間に全身全霊を傾けている選手たちに、失礼である。

想像して欲しい…。やる気十分の若き選手が、自宅の庭で2年間練習してきたクライフ・ターンをついに成功させたとき――。観客の大半はあらぬ方向を見て、ウェーブがこちらにやってくるのを待ち構えているのである。
サッカーは娯楽ではないのだ!
「サッカーは人生ではない――それよりはるかに重要なものである」
今は亡きリバプールの名将ビル・シャンクリーがこのようなことを言っていた。

大柄なスコットランドの選手を相手に、日本代表は自信に満ちたチームプレーで優位に立ったが(とくに目立ったのが梅崎)、少し残念だったのはケガをしたフリをした選手がいたことと(梅崎)、終了間際の5分間にボールをコーナーに運んで時間稼ぎをしようとした選手がいたことである(これも梅崎)。
中立な立場にあるカナダの人々は、アイスホッケーの激しいプレーに馴染んでいるので、芝居がかった振る舞いには反発を示し、“ケガをした”選手には容赦ないブーイングと野次を浴びせた。まったくお見事!
ただし、ウェーブだけはご勘弁を。

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ストヤノフ問題:ジェフのただ1つの解決策

2007/07/02(月)

6月29日:イビチャ・オシムが去り、そして祖母井GMと阿部主将が去り、チームは転落していった。
そして今度は、ストヤノフがチームを去る。
ジェフ千葉にとって、この12ヶ月は惨たんたるものだった。非常に寂しいことだが、チームがストヤノフ問題を解決するには契約解除しかなかった。ストヤノフはアマル・オシム監督とチームについて批判し、それについての謝罪を拒否した。こうなってしまっては、チームにはもうストヤノフを放出するしか道がなかった。

今シーズン、特に5月26日のガンバとのホームゲームの敗戦で、アマル・オシム監督の解雇は近いと感じていた(考えすぎかもしれないが…)。
しかし、いったんストヤノフが公にそれを口にしてしまったら。チームとしては、“反乱”したイチ選手の望み通りのことをするわけにはいかない。チームを経営しているのは経営陣ではなく、選手であるかのように見えてしまうからだ。

事態がこう着状態に陥った時、その選手がどんなに良い選手であろうと、ファンから絶大な支持を受けていようと、チームはまず、そういう“反乱”選手をチームから放出するという強い態度を示さなくてはならない。
そうして、ジェフからまた1人離れていく(チーム内のイザコザ。ホームでのまたもやの敗戦といえるかもしれない)。

ストヤノフはもちろん、今でも素晴らしいサッカー選手だ。気持ちのうえでは、私は彼の熱烈なファンクラブ会員であったことをここに白状しよう。
彼は真のリベロであり、選手2人分のスキルを持っている。キーパーからボールを受け、50メートル先、レフトサイドの山岸やライトサイドの水野へパスを出す。そんなプレーを見るのが好きだった。
しかし彼が最も素晴らしくエレガントなのは、まるでオーストリアのアルペンスキーヤーがスラロームでゲートの間を滑走していくように、2人、3人といとも簡単にすり抜け前線へ攻め上がっていく時だ。そして、巧みなワンツーを駆使しゴール前へ出てシュートを放つ。

ディフェンスでも、彼は相手フォワードを翻弄し、相手に時間もスペースもまだ余裕があるように思わせる。そして彼は完璧なタックルのタイミングを計り、一瞬のスキにボールを奪うのだ。
絶好調のストヤノフは、他のJリーグの選手とはレベルが違う。しかも見ていて滑稽さを感じるぐらいに、いとも易々とプレーしてみせる。

しかし、ピッチ上でカッカしやすい部分があることは否定できない。ピッチ外で彼が犯した最大の過ちは、感情のままを公の場に出してしまい、チームに選択肢を与えなかったことだ。
試合結果はどうなったかって? オウンゴールで、またしてもジェフが負けたよ…。

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柏木をひたすら賞賛したい

2007/06/28(木)

土曜日、特別な選手になれる資質を持った若者が、特別なゴールを決めた。
サンフレッチェ広島ユース出身で、弱冠19歳の柏木陽介が、神戸戦で真の意味で美しいゴール――リプレーを見れば見るほど素晴らしく思えるゴール――を決めたのである。
当然ながらシュートは左足で打たれたもの。チャンスを生み出したのは佐藤とウェズレイの見事なポジション・チェンジだった。ペナルティ・エリア付近でフリーでボールを受けると、柏木はワンタッチでボール・コントロール。左足でボールを包み込むようにして理想的なシュートを打つと、ボールは左サイドからゴールのファーサイド隅に突き刺さった。

まさに、“(ベッカムではなく)俊輔みたいなカーブボール” !(※)それはフリーで打った素晴らしいシュート。相手選手の気分を害したり、挑発したりすることもなかったゴール後の祝福シーンでは、彼の創造性がまたも発揮されることとなった。
ロジェ・ミラ・スタイルでお尻をくねらせたあと、柏木はボーリングを実施。ボールをレーンに転がし、おそらくストライクをとったときのようなポーズをとった。

試合は結果的に2−3で敗れたが、サンフレッチェの2つ目のゴールもなかなかのものだった。このときは右サイドの駒野が供給した熟練のクロスに合わせた、ウェズレイの教科書に載っているようなヘディングシュート。
しかし、駒野が守備から攻撃に切り替え右サイドをするすると駆け上がり、決定的なパスを送るタイミングを見計らうことを可能にしたのは、一体誰なのだろう? やはり、柏木なのだ。柏木は、イビチャ・オシムが見たら喜びそうなボールタッチ、スピード、冷静さと頭の切り替えの速さを披露したのである。

もちろん、オシムは柏木のことをすでによく知っている。間近に迫ったカナダでのU−20FIFAワールドカップは、この若者がその才能を知らしめる完璧な舞台となるだろう。
かなりの才能があるということと、今回のような大きな舞台で潜在能力を発揮するというのはまったくの別物だ。
とはいえ、現時点では、柏木陽介にはハリー・キューウェルとハリー・ポッターを足して2で割ったような個性がある。そう、左利きの、優しそうな策略家で、その両足で魔法を使うのである!

※訳注
2002年公開(日本は2003年)のイギリス映画「ベッカムに恋して」の原題を訳すと、「ベッカムみたいなカーブボール(Bend it like Beckham)」となる

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中田とMLSの強力タッグ

2007/06/25(月)

6月22日:引退から約1年、何も言わないが中田英寿が再び注目を浴びている。
木曜日に東京の海外特派員クラブで開かれた昼食会で、日本代表のイビチャ・オシム監督は、もし中田が現役に復帰するなら代表チームの扉は開いていると語った。
さて、中田の復帰はあるのだろうか?

1994年、ジャカルタでのU−19アジアユースに日本代表として出場して以来、私は彼を見続けてきた。中田の現役復帰、あり得ない話ではないと思う。
事実、ベッカムのギャラクシー移籍の記事を目にする度に、米国メジャーリーグサッカーは中田の自身の再発見にはパーフェクトではないだろうかと考えていた。中田は、アジアのベッカムだ。中田の米国での現役復帰は、米国サッカー界に大きな刺激を与える。ベッカム同様、誰にとってもその効果は大きい。

中田はまだ30歳。もう3〜4年、少なくとも2010年ワールドカップまではプレーできる。MLSでの現役復帰は十分可能だろう。
先日行なわれたフィーゴ主催のチャリティ・マッチのハイライトを見たが、長髪になった中田は、ベルマーレ平塚にいた若かりし頃を髣髴とさせた。
引退はあまりにも早すぎたし、あのようなサッカー環境に身を置いてみて、一度は失ったサッカーに対する興味が再燃したかもしれない。ひょっとすると遠征ばかりの日々に飽き、自身のルーツが欲しかっただけなのかもしれない。

成長しつつあるリーグと有名人としての生活を楽しむなら、米国をおいて他にはないだろう。米国の若者・大衆文化は中田にとって魅力的なはず。なんと言っても、あの巨大なマーケットは彼の経歴にさらにハクをつけるには十分だ。
例えばそう。東京、ニューヨーク、パリ、ロンドン、ローマ、ミラノ…といった世界の都市にレストランチェーンを展開するとか――。メニュー、装飾品、家具、衣類をはじめとするさまざまな“ナカタ”ブランドの商品が世界中に溢れるのだ。
これこそ、彼の運命だ!

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補強が必要な軽量級の大宮

2007/06/21(木)

6月19日:等々力でのアンチ・クライマックスが幕開けとなった土曜日のJリーグは、駒場でのドラマチックな結末という爽快な様式で幕切れとなった。
関東でのサッカー三昧の最初に供されたのは、陽光降り注ぐ等々力でのフロンターレ対レイソル。この試合、中村憲剛はまさに彼らしいプレーを見せたが、両チームのフォワードが決定機を何度も無駄にして、退屈なスコアレスドローに終わった。
月曜日にアジアカップの代表候補発表を控え、私は我那覇にゴールを決めて欲しいと思っていた。しかしそれは叶わず、我那覇の今季リーグ戦でのゴールは1のまま。彼には自信という特効薬が必要だ(この特効薬は、Jリーグの規定違反にはならないかな?)。

午後の等々力から夕方の駒場に移ると、そこは素晴らしい雰囲気。スタジアムには約1万7,000人の観客が詰めかけていた。スタジアムの3分の2はオレンジ色に覆われ、残りの3分の1は…やはりオレンジ色だった。そう、アルディージャ対アルビレックスだからね。
このオレンジ・ダービーは、提起された問題点とそのドラマ性という点では、まさにその名に値するものだった。

まず、新潟の右ウィンガーの松下がハーフタイムの6分前に退場となった。2枚目のイエローカード――スパイクの裏を向けたタックルだとレフェリーがみなした――については様々な意見があるだろうが、バカらしいのは1枚目のイエローカードをもらった行動だ。
25分を過ぎてもゲームは均衡状態。どちらかといえばアルビレックスが押し気味だったが、松下はボールを蹴り出して無意味に試合を遅らせた。松下にイエローカードを示したレフェリーの長田の判断は正しく、アルビレックスの鈴木監督には、オフィシャルではなく、自チームの選手に厳しく当たって欲しいものだ。

一人多く、数的優位に立った大宮は、吉原のゴールと途中出場の若林の高い打点のヘディングシュートで2−1の勝利を収めた。
両ゴールに大きく貢献したのは小林大悟だったのだが、彼は依然として、絶好調時とは程遠い状態。元気の良い吉原や藤本とは対照的だった。
しかし、ボールを持ち、大悟ならではのプレーを見せられると、ロバート・ファーベーク監督は彼をずっとピッチでプレーさせ、大切なときに実力を発揮してもらいたいと願うことだろう。

残念ながら、大宮の外国人選手のレベルはやはり物足りないまま。チームが低迷しているなかでも、先発メンバーに入っていたのはセンターバックのレアンドロだけで、フォワードの2人はベンチにいた。
ルーマニアやブラジルにスカウト旅行に出かければ、攻撃陣と中盤の中央を埋める選手が見つかり、創造的だけれども線の細い大宮の選手たちをサポートできるようになるかもしれない。

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“りんご注意報”発令!

2007/06/18(月)

6月15日:物事は良い方に考えよう。
そう、日本のチーム同士のアジアチャンピオンズリーグ決勝戦!
レッズ対フロンターレ、会場は初戦が等々力、第2戦はさいたまスタジアム。日本にとってパーフェクトなシナリオだと思わないかい?

決勝ラウンドの抽選の結果、それも十分可能なのだ。
抽選前から、レッズとフロンターレが準々決勝でぶつからないことは分かっていた。しかし準決勝については対戦しない保証はなかった。もちろん、準決勝に進めたと仮定しての話だが。

一方、決勝に日本のチームのどちらかが間違いなく進めるという意味で、準決勝で戦かった方が良いという人もいる。しかしそれは悲観的というもの。彼らはそれぞれのグループを勝ち上がってきたのだ。どうせなら“超”ポジティブに、両者とも決勝に進出するという希望を持っていい。
だって予選リーグ各グループ4チーム中の上位2チームでなく、首位のわずか1チームが勝ち上がってきた。その実力差はわずかだ。

準々決勝でレッズとフロンターレが、全北現代モータースとセパハンをそれぞれ破り、何としても日本チーム同士の決勝を実現させるという意欲を持ち準決勝を戦ってくれるよう期待しよう。
レッズの第1戦は9月19日。前回大会優勝の全北現代をホームで迎え撃つ。一方のフロンターレは9月26日の第2戦をホームで戦う。

イランに観戦に行くことを考えているフロンターレサポーターの皆さんに、私からひとつアドバイスをしよう。
どうぞヘルメットを持って行ってください!
これは2005年3月のワールドカップ予選、イラン対日本の試合に“弾丸”ツアーで800人の日本サポーターと共にテヘランへ行った私の経験上のアドバイス。

正午頃、昼食のためにホテルへ到着した我々に、キックオフの6時間前だというのにすでに10万人のファンがアザディスタジアム入りしていると知らされた。
日本人サポーターを乗せたバスの一団が到着した時の様子は、まるで大衆への見世物として虐殺される奴隷。あの映画、「グラディエーター」の1シーンのようだった。
結果は1−2の敗戦だったが、私たちに用意されたシートは福西が同点弾を決めたゴールの真後ろだった。
しかし後ろはイラン人サポーターの大群が溢れており、私たちめがけてミサイルを(幸運なことに核弾頭は搭載していなかったが…)滝のように浴びせてきた。
ある女性などは、背後の巨大スコアボードを見ようと振り返った瞬間にりんごが顔面を直撃した。運良く目には当たらなかったが彼女の頬は大きく腫れ上がっていた。

フロンターレファンの皆さん、どうかヘルメットを持っていってください。そして、飛んでくるりんごにはお気をつけて。2階席からの一撃は、なかなか強烈ですよ。

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1強? 2強? それとも3強?

2007/06/14(木)

先週末はJ1全34節中の第14節。あとから振り返れば、2007年シーズンのターニング・ポイントになっているかもしれない。
あっという間にガンバ大阪が勝点7差をつけ首位に立っている。ただし、レッズはA3チャンピオンズカップ出場のため試合がなかった(ところで、この3つのAは何を意味しているのだろう? 「Another Avoidable Absence(今回もやむなく欠席)」の略?)。
レッズは試合をしていないにも関わらず、2位につけている。そう、順位の近いチームがその日に勝てなかったからだ。2強のマッチレースを予想していた人にとっては、すでに憂慮すべき状況となっているのである。

さまざまな理由が重なり、ホームでヴィッセル神戸を3−1で下したアルビレック新潟が4位に躍進した。
シーズン当初、私はアルビレックスが弱体化していた(現在は改善しつつある)FC東京を味スタで粉砕した試合を観戦し、そこで目撃したもの――つまり、3人の良い外国人選手を擁する、きちんとよくまとまったチーム――に感心した。
神戸戦では外国人選手は2人だけだったが、その2人が3ゴール全ての得点者となった。

中盤の右側の位置でプレーしていたマルシオ・リシャルデスが最初の2ゴールをマーク。1点目はゴールの隅ではなく、ゴール中央に向かう軌道で榎本達也の意表をついたフリーキック。もう1つは、至近距離からの、きれいにミートしたヘディングシュートだった。
3点目も、2点目と同じようなスタイリッシュなヘディングシュート。これはエジミウソンが、彼らしいクレバーな動きから決めた。ちなみに、エジミウソンは私のお気に入りの外国人選手の1人で、そのパワーとバランスを兼ね備えた能力は魅力的であり、危険でもある。
実際、彼はいつも安定したプレーを見せている。ガンバが彼をとらなかったのが私には不思議でならない。その能力と性格が保証されているブラジル出身の選手を小規模なクラブから獲得するという、リスクを犯さないやり方がガンバの得意技なのに! 来シーズンには、獲得するかもしれないね。

シーズンはまだ半ばにも達していないが、勝点7の差はガンバにとっては上々の成果。ライバルにとっては今後プレッシャーとなるだろう。
個人的には、ガンバに追いつける能力があるチームは2つだと思っている。レッズとフロンターレである。ただし、この両チームは引き分けがあまりに多く、今シーズンの勝利数はガンバの9勝にくらべて、6勝ずつに留まっている。それが、ガンバとの勝点差になっているのだ。
中盤と攻撃陣については、ガンバはピッチにも、ベンチにも豊富な人材を揃えている。唯一の弱みを挙げるなら、それはセンターバックのシジクレイと山口をカバーする選手が物足りないことである。

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高原復活!

2007/06/11(月)

6月7日発:間違いない!タカ復活だ!
キリンカップの2試合、そして3月のペルー戦。高原直泰は再び日本のリードマンとしてピッチに帰ってきた。ハングリーで、さらに成長した姿で見事に復活を遂げたのだ。

正直なところ、私は、ハンブルグで低迷し、切れ味を失っていた高原への興味を失っていた。日本代表としてプレーしても、当時の彼は“それまでの彼”ではなかった。
その態度は自信や意欲に満ちているというより、結果を伴わない単なるうぬぼれにすぎなかった。
しかし、最近の高原は持ち味をフルに発揮してひた向きにプレーしている。フランクフルトに移籍してからというもの、調子が良い。チームの一員として得点を挙げ、タックルをして激しくボールを追っている。

駒野の右からの正確なクロスに飛び込みヘッドで合わせた、モンテネグロ戦でのゴールは絶品だった。
コロンビア戦では決勝点となるはずだった右からの決定的なヘッドを外してしまったが、非常に良い出来だった。
コロンビアは特に後半開始早々、激しくマークしてきた。それで高原は試合中、相手の肘撃ちについてオランダ人主審に激しく抗議していた。

オシム監督の4−5−1システムにおいて、高原は前線で良いプレーをしていた。個人的には、ペルー戦の時のように、巻とのコンビを試合開始から見たかったのだけれど。
一方で、稲本をあれほど前で使うというのは妙な選択だった。オシム監督も過ちだと気づき、後半に彼を交代させていた。
イナはゲームに集中できなかったようだ。彼はオーバーラップの好きな守備的MF。従って、あのポジションでは何をすべきか分からなかったのだろう。
ナイジェリアで開催された1999年のFIFAワールドユース日本代表のチーム編成をしていたトルシエ氏は、稲本はセンターバック向きだと常々考えていると言ったことがある。
それはまだ実現していないが、稲本の新たな将来像が見たいのなら、フランクフルトやオシムジャパンではそれも一つのオプションかもしれない。

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スタイル際立つなでしこジャパン

2007/06/07(木)

先日の夜のオリンピック女子サッカー予選。韓国を6−1で破った日本代表については、良い点が多すぎて、なにから語り始めればよいのかわからないくらいである。
もちろん、結果は申し分のないもの。予選3連勝は、来夏の北京行きを確信させるものだった。勝ち方も素晴らしく、いろんな選手がゴールを決め、日本選手の才能と技術を見せつけた。

いつものように、日本は真の意味でのフェアプレー精神を持って試合に臨み、JFAはもちろん、サッカーそのものの評価を高めるようなプレーを見せた。
女子のなかでも体格で優位に立っているとは言えない日本代表は、世界のトップクラス相手にもチャンスを得られるような、独自のプレースタイルと戦術を育んできた。オシム・ジャパン同様、「なでしこジャパン」も自分たちの長所であるスピード、ポジションチェンジ、そして組織を最大限に発揮しようとしている。
なかでも私は、宮本が底、沢がトップ、酒井が右で、宮間が左に位置する、中盤のダイヤモンドがお気に入りだ。酒井と宮間の2人は正確無比に動くミサイルのようで、ディフェンスラインから両サイドを駆け上がるフルバックとの連携が素晴らしい。

もっとも、日本代表はむやみやたらとクロスを上げるという方法はとらなかった。ゴール前のクロスは、今年のワールドカップで大柄な相手ディフェンスの餌食になるのが関の山だと思われるからだ。この問題に対処するために、日本代表は非常に興味深く、チームに合った戦略を用意していた。
クロスを長め――ファーポストのさらに向こう――に蹴れば、受ける選手は最後の最後に後ろに下がってマークを外し、ボールを中央に折り返すことができるのだ。そうなれば相手DFは対処に困り、味方のFWはゴール前に侵入して至近距離からシュートを打てる。結果、小柄なセンターフォワードと大柄なセンターハーフとの直接的な接触を回避することができる。
これはまさにゴールを生み出すための戦術。スペースとスピードを活かすプレーで攻撃のリズムを良くすれば、この戦術はさらに効果的なものになるだろう。

なでしこジャパンの印象は上々。大橋浩司監督の手腕も、今後の戦いで信頼のおけるものだということが明らかになった。選手たち自身も楽しんでいるようで、男子のトップレベルの試合によくあるような、皮肉な行為やずるいプレーはまったく見られない。
韓国国歌が流れる前、ホームのファンと日本代表の選手たちは一様に喝采を送った。試合後、日本選手が場内を一周しているときに韓国ファンの小さな一団が拍手を送っていたのも良かった。
ただ1つ残念だったのは、気持ちの良い日曜日の夜に国立競技場に集まったファンの数が、わずか8,779人だったこと。
このチームはもっとたくさんの人を集めるだけの価値があるし、タイを迎える8月12日の試合にはもっとも多くのファンに応援してもらいたい。

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日本勝利!輝く駒野

2007/06/04(月)

6月2日:後半に入りプレーの質が落ち、頂けないプレーが目立ったものの、金曜夜のモンテネグロ戦――2−0で勝利――では十分な収穫があった。まずは、前半で試合を決めた二つの素晴らしいゴール。
先制点は、まさに日頃の練習グラウンドでのプレーにさらに磨きがかかったものだったと言える。
遠藤が左コーナーから左足でちょうど良い角度のボールを上げ、競り勝った中澤がファーサイドでパワフルなヘッドを決めた。中澤は攻守両方で自身の価値を再び証明したのだ。

2点目のゴールは、さらに素晴らしいもの。中村憲剛のサイドチェンジを受けた駒野が、右サイドから見事なクロス。これをニアサイドの高原がヘッドで決めた。
その数分前のプレーで高原は、駒野の深すぎるクロスに対し苛立ちの表情でニアポストを指差していた。しかし駒野はすぐさま修正し、次のプレーでは完璧なクロスで高原のヘッドをお膳立てしたのだ。

ペルー戦につづき、駒野がこの試合の私が選ぶMVPだ。
右サイドバックで先発した駒野は、水野が入ってからは逆サイドへ回り、活力、激しさ、そして多用性でオシムジャパンのキープレーヤーとしての位置を確立した。彼は危険な状況でボールをクリアするタイミング、パスを出して押し上げるタイミングをよくわかっている。
そして何より、サッカーに対する姿勢がピカイチなのだ。与えられた役割をしっかり果たす、最高のチームプレーヤー。あのトルシエ監督が好んで使いそうな選手である。

オシム監督のサッカーでは、頭の回転や反応の素早さのみならず、足の速さが要求される。これはモンテネグロ戦で気づいたことなのだが、選手たちはちょっとしたミスからでもこぼれ球を奪えるよう、一歩前で相手選手をマークしていた。
このようなペースとポジション、そして複雑なパス回しでプレーすれば、当然ミスが起こる。
しかし日本の選手たちは状況を把握し、相手のミスを先読みすることを学んだようだ。

モンテネグロのサッカーは、スローテンポで大胆さに欠けると言われる。
しかし、旧ユーゴのチームはどこもサッカーを熟知しており、軽んじるべきではない。ただこの試合では、日本の中盤のプレスがモンテネグロに大きなプレッシャーを与え、ゲームのリズムをつかませなかった。
火曜夜に埼玉で対戦するコロンビアは、さらに強いはず。しかし、日本だって負けていない。

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オシムの選択肢をさらに増やした中田の代表復帰

2007/05/31(木)

そして、3人になった…。
ペルー戦で中村俊輔と高原直泰を選んだイビチャ・オシム日本代表監督。キリンカップでは中田浩二を招集し、海外組の数を3人に増やした。
私も含め多くの観察者は、浩二の代表復帰を歓迎するだろう。彼には、たくさんの資質がある。

まずは、その多様性。ディフェンスでも、ミッドフィールドでも、複数のポジションをこなすことができる。
次に、サッカーにおける頭の良さ。これは高い集中力に裏付けられたもので、オシムは、動き回れる選手とともに、考えられる選手をチームに求めている。
3つ目は、代表レベルでの経験が豊富であること。浩二はワールドカップの代表メンバーに2度入っている。
4つ目は、ヨーロッパでプレーし続けているということ。ゴタゴタ続きのフランスを経て、現在はバーゼルに安住の地を見つけている。これは、性格の強さと意欲の高さを示している。Jリーグに復帰しても簡単に対応できるだろう。
総合的に見ると、中田は依然として代表チームに多くをもたらしてくれる存在であり、オシムは、たとえゲーム中であっても、必要な場合には彼の多様性に賭けることができるだろう。

オシムの代表候補リストでは、浩二はディフェンダーとなっている。現在の私の一番のお気に入り・水本と同じだ。
ジェフはいま辛いシーズンを送っているが、水本は未来の希望の星だ。ストヤノフとジョルジェビッチの負傷によって水本への注目が高まり、現在、彼はリーダーとしての資質を示し始めている。
以前私は、水本の姿勢にはぶれがなく、フロンターレ対ジェフ戦では自らを奮い立たせ、ジュニーニョとの言葉のやりとりでも互角に対峙していた、と書いた。今回のキリンカップでの経験は、彼のキャリアをさらに高めることになるだろう。またそれは、仲間のオリンピック代表のメンバーも同様である。

キリンカップの代表チームには、タレントが揃っている。オシムにとって最も大変な仕事は、正しい組み合わせを見つけ、誰を選ぶかではなく、誰を外すかを決めることになるだろう。
帰ってきた中田浩二がオシムの選択肢を増やしたわけだが、とりわけ阿部と今野が関係する場合の選択肢が、一段と増えることになる。

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レッズファンに敬意を表したシドニーFC監督

2007/05/28(月)

5月24日:水曜夜に行なわれたアジアチャンピオンズリーグで浦和レッズに0−0と引き分けた後の、シドニーFCのブランコ・カリーナ監督による浦和評は正しいものだった。
大会にふさわしい環境を整えたさいたまスタジアムの4万4793人の観衆を目の当たりにし、カリーナ監督は畏敬の念に包まれていた(私の見たところ、うち4万4700人が赤いシャツを、93人がシドニーのシャツを着ていた)。

カリーナ監督いわく、「浦和は非常に素晴らしいチーム」。「それから、このスタジアムも」。
カリーナ監督は浦和ファンについても語った。
「サポーターも、素晴らしいの一言。彼らはアジアのみならず世界でも最高のサポーターだ。お祝いを言うよ」。
「それから、アジアの強豪とこれだけの接戦ができたことは嬉しいし、誇りに思う」と、手放しで絶賛。もちろん、彼の言葉は正しい。

以前にも言ったが、レッズがアジアチャンピオンズリーグを制して12月に開催されるFIFAクラブワールドカップの出場権を獲得できれば、日本サッカーを世界にアピールしてくれることだろう。
日本にこれほど熱烈なサポーターがいて、ヨーロッパの“ビッグリーガー”たちが夢見るような平均観客数をあげているチームがあることなんて、世界の人々は知りもしないはず。
彼らの存在は、もっと知られるべきだ。

現在、Jリーグはとても良い状態にある。
その中でもレッズは、ファンもチームもズバ抜けて優れている。
他チームはというと、アルビレックスが安定してホーム観客数を確保している。さらに他のチームも、とりわけガンバはレッズと同レベルの力を持っているが、総合的には浦和ほどのチームはない。
水曜夜の、シドニーFCが相手の試合に約4万5000人の観衆が集まるとは、大したもの。
通常19時キックオフのところを19時半にしたチームの決定も、ホーム3戦連続で大観衆を集めている要因だ。

試合後、レッズファンがシドニーFCに温かい拍手を送っていた。
また、コーナー辺りに陣取るわずかなシドニーファンに、着ていたユニフォームを投げこむシドニー選手もいた。なんとも心温まる光景。わざわざ遠くまで来た甲斐があったというものだ。

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2010年W杯なら、日本で

2007/05/24(木)

5月23日:例のゼップ・ブラッターの心地よい発言は、日本のサッカーファンの耳には届いていないのだろうか?
南アフリカが2010年の次期ワールドカップ(W杯)の開催国として相応しくないとみなされた場合の代替開催国として、日本が有力視――アメリカがいるため最有力ではないが――されているという話である。
もちろん、FIFA(国際サッカー連盟)が南アフリカの開催権を無効にする可能性はごくわずかだ。ブラッター会長が言っているように、開催地が変更されるのは、自然災害があった場合だけ。政治的・財政的圧力は問題にならない。

それに、緊急の代替開催国として日本が選ばれる可能性はさらに小さいだろう――しかしBBCのインタービューでこの話題が出たとき、近代サッカーの世界的な一員としてブラッターが日本に言及したのは確かである。
ブラッターの言うのも、もっともだ。日本なら準備時間がわずかしかなくても――韓国との共催ではなく、独力で――次期W杯を開催できるだろう。
そう、日本にはW杯開催を半分だけ受け持った2002年に使用された10のスタジアムがまだ残っている。まあ、宮城については、まだ存在するという噂があるだけで、誰もはっきりとは知らないようだが…。

これらのスタジアムに、FC東京の本拠地・味の素スタジアムや、名古屋グランパスが時おり使用する豊田スタジアム、それに広島のビッグアーチまで加えれば、日本には最高水準のスタジアムが充分以上に揃う。32チーム出場8グループ制のW杯を明日にでも開催できるくらいだ。
ホテルも揃っているし、交通システムは申し分なし。それにファンは、前回は半分だけだったW杯を、今度はフルスケールで経験できる。もちろん、スポンサーも問題ない。
群集にまつわる問題も発生しないだろう。地元ファンは来訪者なら誰でも歓迎するだろうし、日本の警察は自制心を見せ、外国からやって来たファンに襲い掛かるイタリアの警察みたいな振る舞いはしないだろう。
日本にW杯が帰ってくれば、それは素晴らしいことだし、FIFAそして世界にとっても大成功だと思う。

ブラッターは近い将来、南アフリカだけでなく、2014年のブラジルについても大きな決断をしなくてはならない。どの報告を読んでも、近代的で、安全なスタジアムでのW杯開催はブラジルではありえそうになく、米国、オーストラリア、日本それからイングランドなどはいずれも、万一の場合の予備開催国と自覚しておいて良い状況だ。
2010年大会と2014年大会は、現時点では、まだ既決事項とはまったく言えないのである。

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我那覇ドーピング問題で好例を作ったJリーグ

2007/05/21(月)

5月18日:我那覇和樹のドーピング問題は、特にチームドクターにとって良い教訓となった。
禁止薬物は使用されなかったとはいえ、我那覇がFIFAとJリーグで禁止されている静脈注射を受けたことを知ったフロンターレ。そして、次に日付をさかのぼって6試合の出場停止処分を下したJリーグ。全ての関係者により、非常に良い解決策がとられたと思う。
チームへの1000万円の制裁金とあわせて、Jリーグの処罰は適切かつ全てのチームにとって良い警鐘となるだろう。

強硬な反ドーピング派は、フロンターレと我那覇への処罰は軽すぎると考えるかもしれないが、スポーツ団体はこうした感情的で複雑な問題に対し過剰反応しがちだ。
そして時として、ガチガチのガイドラインに従い必要以上の厳罰を科してしまう。だが、今回のJリーグの処置は適切だった。
出場停止処分は、フロンターレが3−1の勝利を収めた5月13日の甲府戦で終わった。このコラムを書いている今ごろ、我那覇は土曜日の大分戦に呼び戻されていることだろう。

我那覇の不在中、何人かの選手がスコアラーとしての責務を果たした。
その一人が、先週の甲府戦での森勇介。右アウトサイドキックで華麗なゴールを決めた右ウィングの森は、ゴールデンウィーク早々のジェフ千葉戦でも鄭大世に素晴らしいクロスを上げた。
彼には才能がある。しかし非常に短気という欠点がある。
昨年のナビスコカップ準決勝での出来事で、ジェフファンたちもそれは百も承知。先日の等々力での試合では、試合終了間際にジェフのプレスでケガしたフリをして倒れこんだ。これには私もうんざりした。
すぐさま立ち上がりディフェンスのフォローに戻るべきだったにもかかわらず、起き上がるなりラインズマンに猛烈な抗議をし、イエローカードをもらったのだ。

いやはや。最近の等々力は退屈しない。

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横浜FCを盛り上げた、カズの新たな偉業

2007/05/17(木)

どれだけ年をとっていたって、学ぶことはできる。それにもちろん、どれだけ若くても、巨匠・三浦知良から学ぶことはできる。
土曜日に彼が決めたゴール。素晴らしかったよね。走り込み左足でボールを強く打ち、サンフレッチェのゴールに叩き込んだ。完璧なジェットコースター・ボレー。

私が気に入ったのは、カズがいきなりシュートを打ったところだ! Jリーグでは――まあ、その点についてはエミレーツ・スタジアム(アーセナルの本拠地)でも同じことだが――選手が不必要にワンタッチを加え、結局シュートのチャンスを逃してしまうシーンがあまりに多い。
さらに悪いことに、フォワードならシュートだけを考えるべきときにも、ボールをコントロールしたり、クロスを上げたりしようとする。
だから私は、カズのゴールがとても気に入ったのだ。あれ以上走れないのだから、あの位置からシュートを打つしかないじゃないか、と言う皮肉屋もいるかもしれない。すでに42分になっていたし、彼らの言うとおりなのかもしれないが、カズは自分が何をしたいのかをわかっていたし、あの難しい技をまるで教科書に載っているような方法でやってのけたのだ。

あのテのシュートは、しばしばとんでもない方向に行ってしまう。しかしボールはバーの上を風船のように漂ったが、ぴったりのタイミングで上昇を止め、移動遊園地のジェットコースターみたいに急降下した。結果は、カズの新たな偉業の達成――40歳の人間のJリーグ初ゴール。
このゴールから若い選手(たとえば、ゴン中山)が学びとるべき教訓は、ゴールの前では自分の能力を信じる、ということである。チャンスをモノにすることを恐れてはならない。とくに1−0でリードしていて、ハーフタイムまで2分くらいしかないときには。
試合のこの段階では失うものは何もなく、得るものしかない。カズはギャンブルに出て、切り札を引き当てたのだ。あの素晴らしいジェットコースター・ボレーで(日本のコメンテーターは「ループ・シュート」と――英語の「チップ(chip)」や「ロブ(lob)」と同じような意味で――呼んでいたが、あのシュートに対する正当な評価とは言い難い)。

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アジアサッカー界の不幸

2007/05/14(月)

AFCの次なる考えは何だろう?
マンチェスター・ユナイテッド(マン・U)のアジア遠征、とりわけマレーシアでの試合に関する対応はAFCの汚点と言える。
AFCはもちろんアジアサッカー連盟(Asian Football Confederation)の略だが、今回は“サッカーに起こったもう一つの不幸”(Another Football Calamity)と言うべきだろう。

連盟は、マン・Uの7月遠征を望んでいない。マン・Uの滞在先である日本、韓国、マカオではアジアカップは行なわれないのだが、皆にアジアカップに注目してもらいたいからだ。
さらに連盟は、アジアに対して失礼だと考えている。
マン・Uファンはアジアにもたくさんおり、実際、彼らの遠征により多くの人々がサッカーに注目するにもかかわらず…。

もちろん、連盟にも長所はあるし、サポートを受ける資格は十分あると、私は思いたい。しかし、等々力で行なわれたアジアチャンピオンズリーグのフロンターレ対アレマ・マラン戦で私の目に入ってきたのは、たった12人の選手しか連れてこなかったインドネシアのチーム。そして、ベンチに座ったたった一人の交代要員のGKだった。
チーム自体に30人、試合にも20人の選手が登録できるにもかかわらず、だ。
その光景はまったくお笑い種だったし、また13人目の選手が空港に来るはずだったのに現れず、携帯電話も繋がらなかったという話は、茶番以外の何ものでもない。きっと彼はテレビでマン・Uの試合でも見ていたのだろう。

そもそも、マン・Uが来なかったとしてもAFCには問題が山積している。
それを、世界で圧倒的な人気があるからと非難されるのは、まったく迷惑というもの。これは“ブランド力”の違いだ。
7月29日、ジャカルタでのアジアカップ決勝戦の2日前にマン・Uにマレーシアを訪れて欲しくないというのなら、なぜ、ジオディーヌ・ジダンが7月6〜8日にインドネシアに来ることを許すのだろう。
人々は7月7日のアジアカップ開幕など忘れ、きっとジダンのワールドカップでの頭突きについて話すことだろう。
さらに何故、レディングがソウルで、リバプールとポンペイ、そしてフルハムが7月に香港でプレーすることは許可するのだろう。
アジアのサッカーファンがアジアカップから目をそむけるのを防ぐ努力を、AFCはできないのだろうか?

まったくAFCには笑わせられる。
とはいえ、笑っていられないほどこれは真剣な問題なのだ。
彼らの年間最優秀賞は現実味を失った。
2006年のアジアユース最優秀選手賞には、女子の優秀選手に輝いた18歳、中国の馬暁旭が選ばれた。
私が女子サッカーを応援していることは、読者の皆さんもよくご存知だと思うが、しかしこれは公正(Politically Correct)というより狂気の沙汰(Plain Crazy)だ。
今年はどうなるのだろう?
ひょっとすると、フットサルの選手が最優秀選手に選ばれるかもしれない。
賭けてみますか?

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味スタでサッカーとフィッシュ&チップスを

2007/05/10(木)

踏んだり蹴ったりの状況が続くFC東京ファンにとって、いまは試練のときである。
まあ、フィッシュ&チップスをつまみに、ビールを2、3杯飲めば、気分も晴れるだろう!
FC東京が味の素スタジアムにジェフユナイテッドを迎えるとき――正確にいうと5月12日午後7時――が迫っている。

FC東京を支える人々への感謝のしるしとして、クラブでは「イングランドDay(UK Day)」を企画しており、東京エリアに住む多くの英国の人々に数多く観戦してもらいたいと考えている。
英国人にはスペシャル・ディスカウント価格でチケットを販売。ファンは英国の伝統的な食べ物であるフィッシュ&チップス、それから英国特有のペール・エール(色の淡いビール、ただしアルコール度は日本のビールより高い)を楽しむことができる。英国大使館も協力しているため、試合前にはお祭りのような雰囲気が醸し出されるかもしれない。

UK Dayというテーマが生まれたのは、FC東京にとっては当然の成り行き。このチームのホームゲームでは、イングランド的な雰囲気を出そうとする、いくつかの工夫が見られる。
まず思い浮かぶのは、試合前に流れる、リバプールのアンセム「ユール・ネバー・ウォーク・アローン(You'll never walk alone)」と、ブラックプール出身で、日本在住の英国人スティーブ・スペンサーが行なう英語でのアナウンスだ(彼は英国のマッチデイ・プログラムによくあるような、独特の表現を使って選手紹介をする)。
さらにスティーブは、英国人がそうであるように、音楽が大好きだ。ザ・ジャムの「ザッツ・エンターテイメント」やオアシスの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は味スタの定番。土曜の夜にこのイベントの特典を利用する英国人が、フィッシュ&チップス(古い新聞紙に包まれ、塩がかかっていて、ビネガーが染み出ているといいな)を貪り、1パイントか2パイント(あるいはそれ以上)のエールを飲みながらこれらの曲を聴くと、少しホームシックな気分になるかもしれない。

イングランドのサッカー・スタジアムでの食べ物という話題になると、1980年代後半、ロンドン・プロウレーンにおけるウィンブルドン対ニューカッスル・ユナイテッド戦のとてもおかしな話をどうしても思い出してしまう。
キックオフの1時間ほど前、北東部からニューカッスルの取材にやって来た私と他の5〜6名のサッカーライターは、センターサークル辺りをうろつきながら肉汁たっぷりのハンバーガーを楽しんでいた。
よだれが出るくらいおいしそうなハンバーガーに私がガブリと食らいつこうとすると、肩越しに伸びてきた手がハンバーガーをひったくった。振り返って犯人を見つけたが、若く、茶目っ気たっぷりのポール・ガスコインの敏捷さにかなうはずがない。ガスコインはハンバーガーを全部口に詰め込むと、あっという間に咀嚼し、腹に収めてしまった。キックオフの1時間前だというのに!

この試合は、ウィンブルドンのフーリガン、ヴィニー・ジョーンズが自らの手を使ってガッザ(ガスコイン)に与えた肉体的な虐待で有名というか、悪名高くなったのだが――。しかし、それはまた別の、長い、長いお話。
味スタで、フィッシュ&チップスを楽しもうじゃないか!

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水本の台頭とマリノスのゴールラッシュ

2007/05/07(月)

5月5日発:オフシーズンに阿部勇樹がジェフ千葉から浦和レッズに移籍して以来、アマル・オシム監督は新しいチームリーダーの出現を待っていたに違いない。そして、見つけたようだ。彼の名は、水本裕貴。
オリンピック代表DFの水本は現在21歳。阿部の抜けた後、精神的な支柱として千葉で素晴らしいシーズンを過ごしている。彼はタフでスピードがあるだけでなく、空中戦でもグラウンドでも素晴らしい。そして何より、その姿勢が良い。
これは、有力で危険な外国人選手と対峙する日本人選手には特に必要な資質だ。

先日等々力で行なわれたフロンターレ対ジェフ千葉戦を例にとってみよう。
その日の水本の役目は、ジュニーニョをマークすること。
スピードと才気溢れるブラジル人プレーヤーのマークは、容易なことではない。
二人は試合中に何度か言葉を交わしていたが、そこでも負けていなかった。
水本はフィジカル面でもメンタル面でも自分自身をコントロールできる。近い将来日本代表チームの中心となることだろう。

千葉の次戦、さいたまスタジアムでのレッズ戦では、斎藤が後半早々に退場処分を受け苦戦を強いられていた。チームは0−1とリードされていたが、水本は闘志を見せ同点弾を決めた。
等々力とさいたまスタジアムでの2つの引き分け(いずれも1−1)は、ジェフにとっては好結果と言えるだろう。
しかし彼らはまず、上位を目指すためのコンスタントな体制を見つけなければならない。
日曜夜に好調レイソルとの千葉ダービー(フクアリ)を控えている千葉にとって、それは簡単なことではないのだが。

自信という面で言うなら、現時点で横浜F・マリノスに勝るものはいない。
13ゴールを挙げての3連勝。失点1という成績が全てを語っている。
フロンターレを迎えた日産スタジアムに3万3000人以上ものファンが訪れたのは、喜ばしい限り。
私はF・マリノスの3連勝の初戦、大分戦(5−0)を観たのだが、あの巨大なスタジアムに集まった観衆は、わずかに1万7000人強だった。
ホームチーム(F・マリノス)で印象的だったのは、大島と坂田が高い位置でプレッシャーをかけ、相手のミスを誘うディフェンス。山瀬兄弟も絶好調だし、マリノスファンは楽しみが増えそうだ。

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嵐のあとの菅沼

2007/05/03(木)

土曜午後の日立柏サッカー場には、感嘆すべきことがたくさんあった。
レイソル対グランパスの開始を49分遅らせた雷雨はまったく印象的で、よく晴れた暖かい日が、雷鳴と稲光をともなう土砂降りと強風に突如襲われたのである。
固い絆を誇るレイソルのイエロー・モンキーズもゴール裏からの退散を余儀なくされ、壁の向こう側にある高い木の下の安全地帯、つまり本来の生息地を目指したようだった。
それに、稲妻のなかにはごく近くで光ったものもあった。実際、その後に行なわれた試合のグランパスのフォワードより、ゴール近くに迫ったものもあったくらいだ。
雷雨のあとはひんやりとした夜がやってきたが、レイソルファン、とくにバックスタンドにいるファンが、Jリーグでも最高のスタジアムの1つで素晴らしい雰囲気を作り出していた。

積極的なプレーにより2−0の勝利を収めたレイソルの1点目は、李忠成が軽やかに決めたもの。2点目は李がお膳立てをし、菅沼実が見事にフィニッシュを決めた美しい得点だった。
今季5点目を記録した菅沼は、自信と冷静さを余すところなく披露した。李が名古屋の不用意なクリアをインターセプトし、走りこんで来た菅沼にヘディングでパス。菅沼は右サイドから内側に切れ込み、右足のインサイドで狙い澄ましたようにシュートを決めた。
走りこんで来たスピードを緩めることなく、菅沼はボールをワンタッチでコントロールし、ペナルティ・エリアの端から櫛野の守るゴールの左下隅にボールを強く蹴り込んだ。前半終了5分前にこのゴールがあったおかげで、レイソルは試合をコントロールし、勝点3をまるまる得ようとする名古屋の終盤の猛攻撃を阻止することができたのだ。

菅沼は面白い選手だ。フィリップ・トルシエならそう言っていたことだろう。菅沼は柏のジュニアユースの出身で、ユースチームを経て、トップチームに入団したのだが、現在に至るまでに、ブラジルのビットーリア、そしてJ2の愛媛FCでプレーしていた時期もある――しかもまだ21歳。
昨シーズン、愛媛でレンタル選手としてプレーしていた間、菅沼はリーグ戦45試合で11ゴールを記録。まだ始まって間もないJ1でのこれまでの活躍を論評するとすれば、昨シーズン出場したJ2での厳しい試合の経験がすべて彼の糧になっているのは明らかである。

2001年に京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)の一員としてJ2でプレーした経験が朴智星(パク・チソン)を変貌させた。ゲルト・エンゲルスがかつて力説していたことをいつも思い出す。
「毎週毎週トレーニングするのも良いけれど、厳しい試合でのプレーに勝るものはない」。2人がともに京都にいたとき、エンゲルスは朴智星についてそのように語っていた。
「J2では、土曜日、水曜日、土曜日というスケジュールでプレーすることがよくあるのだけれど、1年を通して朴が絶えず成長、向上しているのがわかったよ。彼には厳しい試合を戦う機会がとても多くあったからね。J2でのそのシーズン、彼は38試合のリーグ戦に出場し、本当に力をつけていったんだ」。

つまり、J1からJ2への降格、あるいは大きなクラブから小さなクラブへの移籍(たとえば菅沼の場合、それにレイソルも昨シーズンJ2を経験した)は、下のレベルでプレーするように感じられ、悔しいものだと思われるかもしれないが、充分な出場機会が与えられていないと感じる若手選手には、冒険してみるだけの価値があるキャリア転換のチャンスなのである。

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フロンターレの当たり月

2007/04/30(月)

川崎フロンターレにとって、2007年4月はJリーグでの9年の歴史の中でとりわけブレイクした月として記憶されることだろう。
それはさいたまスタジアムで浦和を2−1で破ったからだけではなく、アジアの舞台でも彼らのカラー(色)を見せ付けたからだ。
アジアチャンピオンズリーグ・グループFは残りわずか2試合。韓国の全南ドラゴンズに2連勝したフロンターレは彼らに6ポイント差をつけており、ベスト8進出をほぼ手中に収めている。

同大会での日本チームのふがいない成績は周知の通り。韓国のライバルチームを相手にアウェーで3−1の勝利を収め、そして水曜夜には等々力で3−0と、2勝をもぎ取ったことは大きな進歩と言えるだろう。
その前にホームゲームで行なわれたバンコク大学との無様な引き分け試合(1−1)と違いJリーグのムードに溢れるフロンターレは、タフで必死になる韓国チームでさえも手に負えなかった。
最終ラインは強くアグレッシブ、中盤はクリエイティブでよく動き、そしてスピーディーでデンジャラスなフォワード陣。彼らのパワーとペース、そして組織力は日本で最も恐るべきチームへと変身させた。
箕輪、寺田、伊藤。この3バックの、落ちてくるまで待つことのない浮き球への攻撃的な姿勢はとても良い。
こうした、一歩間違えばミスを犯し混乱しがちな状況下でも、ミスも少なくリスクを犯さない彼らは安定した守備ができていた。

全南とのホームゲームは、実際は3−0というスコア以上に接戦だった。
1点リードされた全南は後半に入りボールをキープして積極果敢に攻め、試合の主導権を握った。また、フリーキックも得て、まるでホームチームのようだった。
一方のフロンターレは、プレッシャーを与えカウンターを繰り返していた。
しかし、先制点を決めたジュニーニョが81分に鄭大世のゴールをお膳立て。勝点3をほぼ手中にすると、さらに鄭は1ゴールを挙げた。
この日、我那覇の代役を務めた鄭は非常に良くやっていた。
ポジショニングも良く、典型的な韓国スタイルのプレーを見せていた。

とは言え、サッカーシーズンはまだまだこれから。
フロンターレは日曜日にホームでジェフ千葉と対戦する。
しかし明日の等々力で何が起ころうとも、2007年4月は川崎の“ビンテージ・イヤー”ならぬ“ビンテージ・マンス”として記憶に残ることだろう。

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敦ゴールをもう一度

2007/04/26(木)

鹿島アントラーズが前進しようとしはじめた正にそのとき、そして、柳沢敦が前進しようとしはじめた正にそのときに、またもすべてが停止状態になってしまった。
左足の骨折のため、アントラーズのキャプテンは今後3ヶ月離脱する。ファンはもちろん、チームにとってもまったく残念な結果だ。

その選手生活を通じて、柳沢はクラブのため、そして代表チームのためにファンタスティックなゴールをいくつか決めており、彼を崇拝する者も多い。今も私の記憶に焼きついているゴールの1つは、柏の葉公園総合競技場のレイソル戦で決めた、目を見張るような独走ゴールだ。柳沢は持ち前の素晴らしい加速力を活かしてホームチームのディフェンスをすり抜け、素敵で、渋いゴールを決めた。

今シーズン、彼がプレーしているのを見たのは3−3で引き分けた千葉戦の一度だけ。アントラーズのオズワルド・オリベイラ監督はその試合の後、柳沢がピークの状態に近づいていると話していた。
柳沢は横浜FCとのアウェー戦での美しい決勝ゴール、そして日曜日に清水エスパルスに2−1で勝利した試合の2ゴールで、オズワルド監督の発言が正しかったことを証明した。
清水戦での柳沢の最初のゴールは、故障から復帰した、聡明で豊かな技量を持つゲームメイカー・野沢との見事なコンビネーションから生まれたもの。2点目はファーポストでの、美しく正確なヘディングシュート。
2点目は柳沢のおなじみのスタイルで、トップクラスのストライカーには不可欠の捕食本能が余すところなく発揮されたものだった。

故障のため、残念ながら柳沢はしばらく試合に出られなくなる。順位表を上り始めたチームの勢いがそがれるのは、避けられそうにない。
今週末の仮定の話になるが、アントラーズに絶好調の柳沢がいれば浦和にとっては大きな脅威になっていたはずだ。ただし、埼玉県から大挙して押し寄せるファンとホームチームの復調のおかげで、たとえ柳沢がいなくとも、大観衆の前で激しい戦いが繰り広げられることになるだろう。

今回の戦線離脱により、7月に行なわれるアジアカップでの代表復帰の希望も消えてしまった。
柳沢本人はそんなことを考えようとしないもしれないが、私は、彼がブルーのユニフォームに袖をとおし、0−0で引き分けたクロアチア戦でひどいシュートミスを犯したドイツの悪夢を葬るチャンスがもう一度あると秘かに確信しているのだ。
評論家の多くは彼のあのミスだけを心に刻もうとするだろうけれど、柳沢はこれまでに数多くの素晴らしいゴールを決めており、代表失格の烙印を押すのは正当な評価とは言い難い。

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JリーグとJFAが解決すべき五輪問題

2007/04/23(月)

4月21日発:週の半ばに、オリンピック日本代表チームは水野と本田のゴールで2点を挙げシリアを破った。
しかし、ジェフ千葉や名古屋グランパスエイトの監督は、これについてどう感じているのだろう。

駒場スタジアムで行なわれた名古屋対大宮戦後、私はセフ・フェルフォーセン監督と話をした。
エキサイティングでチームにとっても重要な左サイドプレーヤーである本田は、もちろんこの試合には出場できなかった。オリンピック予選のためU−22代表としてダマスカスに行っていたからだ。
オリンピック予選のために本田をチームから出さねばならないことについてどう考えているかを尋ねると、フェルフォーセン監督からは、オランダ人らしい率直な答えが返ってきた。

第一声は、「あり得ないね!」。
「まったくフェアじゃない。どのチームにとっても、それは間違っている」彼はそうつづけた。
私も、彼の意見に賛成だ。
水野と水本を欠き、神戸に負けたアマル・オシム監督も同意見だろう。
この2人を欠くことはオシム監督にとって、グランパスが駒場で本田を欠く以上に大きい。
国際試合がある一方で、監督の座を賭けた試合もほぼ毎試合という今日、オリンピック代表のためにチームの有能な若手選手を失わなければならないのは、あり得ないことだ。
おそらく日本は、他のどの国よりもオリンピックサッカーに重きを置いている。
しかしやはり、このようにスケジュールが重複することは避けるべきだろう。

決して、オリンピック代表に選手を送ることに反対なわけではないと、フェルフォーセン監督は強調した。
彼をイラつかせているのは、Jリーグはナビスコカップにベストメンバーを出すよう要請しているにもかかわらず、チームは選手をJFAのために送りださなければならず、リーグ戦を欠場するしかないということだ。
「1時間くれたら、私がシーズンスケジュールを作るよ」。
こんなスケジュールは、プロリーグにはあってはならない。そう言ったフェルフォーセン監督の意見だ。
まったくもって彼は正しい。

J1の試合を戦うチームが選手を失うなんて、まるでばかげている。
先週土曜日にレッズと対戦したレイソルも然り。
JFAとJリーグに振り回され、トップスコアラーの菅沼と李を欠いたレイソルは、リーグの首位争いをしているチームとは違うチームだ。
なるべく早い時期に、首脳陣がこの問題を解決してくれることを願いたい。
代表チームのためにリーグ優勝をかけて戦っているチームが選手を失う。そんなことはあってはならない。

フェルフォーセン監督とコーチ、そして私たちが話して出したこの問題の解決策は、こうだ。
シーズンにはスケジュールを変更する余裕があるのだから、選手を送り出すチームに、試合延期申し立ての権利を与えてはどうだろう。

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審判も褒めてあげよう

2007/04/19(木)

審判というのは、たいていは良からぬ理由でニュースに採り上げられるもの。問題が発生して始めて、その存在が浮き彫りになる。
だから、審判が良い仕事をしたときには賞賛してあげよう。週末、私が観た2試合はまさにそんな試合だった。

まずは大宮が駒場に名古屋を迎えた試合。審判は奥谷彰男氏。彼は試合をうまくコントロールしていたと思う。できるかぎりプレーを続行させようとしていたし、トレーナーがピッチに入り倒れている選手のもとへ駆け寄るのを許さず、プレーが中断することを抑えるよう努めていた。
「倒れている」という言葉を非常に気前よく使ったが、もちろん、「倒れている」選手の多くはまったくケガなどしていない。

大宮が27分に得点するまで、名古屋の選手のこの種の振る舞いには目に余るものがあった。
とはいえ、審判に試合を止める気がないと悟った選手たちが素早く自力で立ち上る姿を見るのも、楽しいものである。
大宮のブラジル人センターバック・レアンドロが終盤に退場になったから、大宮ファンは奥谷審判の仕事ぶりについて私と異なる意見を持っているかもしれないが、それでも審判の判断はまったく適切なものだったと思う。

レアンドロは藤田俊哉へのレイトチャージにより前半に最初の警告を受け、アルディージャが1−0のリードを守り抜こうとしているときに遅延行為で2枚目のイエローカードをもらった。大宮が自陣深くでフリーキックを得ると、レアンドロはいったん自分が蹴るような素振りを見せ、その後、心変わりをしたかのようにその場を離れ、キーパーの荒谷に処置を任せたのだ。
レアンドロの行動はまさに審判団を愚弄したもの。彼に2枚目のイエローカードを出した奥谷の判断は、まったくもって正しかった。レアンドロは出場停止となったが、非難されるべきは誰なのか? 奥谷でないのは確かである。

もう1つの試合は、日曜日に国立競技場で行なわれたレイソル対浦和戦。あるいは、浦和対レイソル戦と言うべきか。浦和のファンが大挙結集した結果、チャンピオン・チームのホームゲームのようになってしまったのだから。
この試合をさばいたのは松尾一氏。レイソルのブラジル人ストライカー、フランサの見え透いたダイブに警告を与えた判断は賞賛に値する。柏サイドの「イエロー・モンキーズ」には悪いが、フランサの行ないはイエローカードをもらうためにやったとしか思えないものだった。
まったく接触していないのにレッズのペナルティエリアで倒れたフランサは、闘莉王に警告処分を与え、彼を退場させようとしたのである。
闘莉王はその直前にイエローカードをもらっていた。空中戦での古賀のヒジ打ちが危険だという自身の申し立てに審判が何の措置もとらなかったと怒り、審判に不満をぶつけたのである。

フランサがダイブをしたとき、レイソルは0−2と2点のビハインドを負っていた。闘莉王がディフェンスのため後方から追いかけてきたときに、フランサはこれしかないと思い、あのような行動をとったのだ。
幸運にも、審判の松尾はそのテに引っかからなかった。もっとも、ゴール裏のレッズ・ファンは、松尾がポケットに手を伸ばしたとき、闘莉王に2枚目のイエローカードが出るのかもしれないと心配したに違いない。

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自分の価値を再び知らしめた阿部

2007/04/16(月)

浦和レッズはシーズンオフにジェフ千葉から阿部勇樹を獲得したが、その価値は十分あったようだ。
阿部はセンターMFで、リベロで、そしてゴールゲッターでもある。
また、レッズの直近の試合では左サイドバックをこなし、決勝ゴールを挙げた。
それは水曜夜にさいたまスタジアム2002で行なわれたアジアチャンピオンズリーグ、上海申花戦(1−0)でのこと。
最近の大分戦での素晴らしい2本でもわかるように、阿部のヘディングはJリーグでも屈指だ。
この試合でも、ポンテのフリーキックに合わせて再びそれを証明してみせた。
上海の時間稼ぎで再びアジアチャンピオンズリーグが茶番化するおそれもあっただけに、サッカーの試合を観たかった観客たちは前半43分、阿部のゴールに安堵の歓声をあげた。

すでに2敗を喫しており、もう負けられない上海だったが、彼らはまるで残り5分で1−0のリードを守るような戦いぶりだった。
それは攻め上がる時やコーナーキックを得た時に顕著に現れていた。
CK(コーナーキック)を蹴る選手はノロノロと歩き、膠着状態を保つために少しでも時間を稼ごうとする。
それが分からなかったのは審判だけなのだろうか?
記者仲間が指摘していたが、もし上海が本当にリードしていたらどうなっていただろう?
考えるまでもなく、ゴールキーパーは始終“怪我”をしていたことだろう。

レッズと、それから韓国で素晴らしい勝利を挙げたフロンターレに「おめでとう」を言いたい。
特にバンコク・ユニバーシティとのホーム戦のぶざまな戦いを忘れたいフロンターレは、断固たる意志でそれをやってのけ、ステージ半ばでグループの主導権を握った。
ただ、試合スケジュールについては、1つ考えさせられたことがある。
実はこの水曜日、アジアチャンピオンズリーグの試合と同じ日にナビスコカップとJ2の試合があった。
これではアジアの大会の中で日本のチームに注目する機会を失い、アジアチャンピオンズリーグの重要性を希薄にしてしまう。
注目の機会を逸するという点についてはナビスコカップにとっても同じで、理解しがたい。
今週の水曜日には、U−22日本代表がシリアでオリンピック予選を戦う。
幸いなことに、アジアチャンピオンズリーグもJ1もJ2も、そしてナビスコカップもない。

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アルビレックスを後押しする、坂本の経験

2007/04/12(木)

土曜日の味の素スタジアムでの試合を見れば、アルビレックス新潟がキリッとまとまったチームを作り上げ、トップリーグでの地位を揺るぎないものにしつつあることがわかっただろう。
FC東京を3−1で破ったその日の午後は、かつてのジェフユナイテッドの隊長・坂本がとりわけ印象に残っている。彼は私のお気に入りの若手選手の1人である伊野波を徹底的に苦しめていた。
ジェフ時代の坂本はあらゆる位置でプレーしており、両サイドも、ディフェンスも、中盤もできる多様性が特色だった。だがアルビレックスでは、オーソドックスな4バックの左サイドが定位置となっている。
坂本の前には爆発力のある鈴木慎吾。2人の危険なコンビネーションにより、FC東京は4バックの右サイドにいる伊野波のスピード不足が露呈した。私は、伊野波はどちらかというとセントラルDFか守備的MFとしての方が、その真の才能を発揮できると思っている。

アルビレックスの先制ゴールを決めたのは坂本。必死の様子の川口から、まるで赤ん坊からキャンデーを取り上げるみたいに簡単にボールを奪い、あっさりとシュートを決めた。川口は後ろに下がって伊野波をサポートしようとしていたのだが、まるで悲運を1人で背負っている感じだった。坂本はタイミングを見定め、ハナカマキリのように情け容赦なく襲いかかった。すべてがあっという間の出来事。

アルビレックスには、なかなか高さもある。特にセントラルDFの永田と千代反田。それにストライカーの矢野の高さが目立つ。日本代表のオシム監督が矢野に目をつけたのも納得だ。矢野は常に動き回り、いつもスペースを探している。TBSお気に入りのサッカー選手・久保――野生的で、予測不可能、マークするのが厄介――にも、少し似たところがある。

外国人選手では、シルビーニョがアルビレックスの中盤を指揮し、東京戦ではゲームを支配していた。攻撃陣では、強靭なエジミウソンが中心的存在。東京戦で1ゴール挙げたが、もうあと2点くらい決めてもおかしくはなかった。今でもチームの躍進に欠かせない存在である。
第3の外国人選手、マルシオ・リシャルデスはサンカイターノ(ブラジル)でプレーしていた選手。中盤の右側でプレーし、ゴールに切れ込むスタイルが合っているようだ。

東京とは違い、アルビレックスは1つのチームとしての姿勢を崩すことがなく、ボールを正確に回す。そのチームで全ての中心になっているのが、リシャルデスだ。東京が得たオウンゴールもリシャルデスが中心となったもの。鈴木規朗の左からのクロスを、彼がゴールに押し込んだのだ。
そう、アルビレックスは、自信たっぷりで組織だったチームなのだ。チャンピオンになれるほどの構成ではないが、順位表の下位ではなく、上の方の、首位近くに位置できるだけの力があり、どんな相手でも、ホームでもアウェーでも、恥ずかしくない試合ができる。

最後はやはり、GK北野にも触れなければならない。誇張するつもりはないが、終盤にルーカスのシュートを阻んだセーブは、ワールドクラスだった。東京にすっかり馴染んでいるこのブラジル人FWは、ゴール横の角度のない位置から放った、カーブをかけたシュートが上手く軌道に乗っていると思ったことだろう。しかし北野が体をいっぱいに伸ばし、右手でボールをバーの上に押し出したのである。
それはもう驚嘆すべきセーブで、今季の最優秀セーブの有力候補に挙がるほどのもの。Jリーグ、あるいはテレビ局がそのような賞を設けたら、の話なのだけれど。

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吉原宏太待望論

2007/04/09(月)

4月7日:大宮アルディージャのロバート・ファーベーク監督にとって、順調な滑り出しとはいかなかった。
この原稿を書いている時点で、チームはJ1で4戦全敗。しかし、ナビスコカップでは3試合を戦い2勝1分け。その引き分けの1試合は、寒く雨模様の水曜日に柏スタジアムで行なわれたレイソル戦(0−0)だった。

試合後、私はファーベーク監督から興味深い話を聞いた。
J1経験も長く、才能もありながらいまだその才能を十分に開花させていない選手、吉原宏太(29)についてだ。
レイソル戦では、吉原は4−4−2システムの右MFでプレーし、チームの攻撃にペースと広がりを持たせる良いプレーをしていた。
またディフェンスでも、彼がカバーする自陣サイド深くまで戻りタックルを繰り返していた。
試合終了まで20分を切ると、彼は森田と共に前方へ上がり、ボールをコントロールし相手DFからボールを守りながらゴール方向へ身体を向ける技術を見せた。
ファーベーク監督も、ようやく真の宏太が見えはじめていると感じているようだ。もちろんここに来るまでは容易な道ではなかった。

「彼とはグァムのトレーニングキャンプで2度ほど話し合ってね。もっと練習しなければだめだ、そうでなければ、キミはもう終わりだと言ったんだ」と、ファーベーク監督。
「それから、去年までのDVDをチェックしたことを話した。『DVDを見る度に、キミは良いプレーをしているし、良いストライカーだと思う。けれど私が監督になってからは、まだ一度もそれを見せてもらっていない。私が見たい宏太はDVDの中の宏太。今のキミは別人だ』とね」。

水曜日の彼のプレーをファーベーク監督も認めており、どうやら監督のメッセージは吉原に届いたようだ。
「今までの宏太とは違う。彼はデンジャラスだ。ボールもキープできるしゴールも挙げられる。これまで色々あったけれど、ようやくここまできた。私もとてもうれしいし、彼を誇りに思うよ」。
吉原がエリア内でフィニッシュまでもっていく能力を、フィリップ・トルシエ元日本代表監督は“日本のロマリオ”だと評したことがある。そうファーベーク監督に話したところ、このドイツ人監督は次のように言った。
「彼には能力がある。しかし、今はまだ80%。もう2〜3週間もすれば90〜95%まで発揮できる。そうすれば彼はチームにとって大きな存在になるだろうね」。

監督の話は、大宮ファンにとって心強いに違いない。彼らもシャープで貪欲な吉原を求めている。
シーズンはすでにサバイバル戦の様相を見せており、吉原のゴールが必要なのだ。また吉原自身も、新監督の哲学に勇気付けられているはずだ。
今までの“待って待って”のプレースタイルから、監督の言葉を借りれば、より大胆な“攻撃的なサッカーにチャレンジ”へと変わり始めている。

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名古屋グランパス、出足は上々

2007/04/05(木)

名古屋グランパス“フォー(4)”と呼ぼうじゃないか――少なくとも、今の間は。
J1の新シーズンは4節を終え、4連勝で勝点が満点の12である名古屋が、得失点差でガンバを上回り堂々と首位の座にいる。
まだ始まったばかりではあるが、クラブはもちろん、新しい挑戦者の出現を待ち望んでいた全国の中立的な立場の人々にとっても、これは喜ばしいことだ。

好調なスタートを切れた理由として、名古屋のオランダ人監督セフ・フェルフォーセンは、良いプレシーズンを送れたこと、そして昨シーズンからチームを安定的かつ継続的に維持できたことを挙げている。
それはそうだとしても、グランパスはマレク・スピラールが長期欠場――日曜日の三ツ沢でフェルフォーセンが語ったところによると、今年中の復帰は絶望的とのこと――を余儀なくされたほか、ヴェルディでスタイリッシュなディフェンダーとして名を馳せながら、巨人揃いのフロンターレでは活躍の場を見出せなかった米山篤志(等々力ではボールボーイのほうが「ヨネ」より大きいのである)も欠場中である。

さて、グランパスは今の順位を維持できるのだろうか。
シーズン終了時にトップ5に入っていれば現在の状況下では上出来だと、フェルフォーセンは言う。
「グランパスにはトップチームのレベルの選手が13〜14人いるが、浦和やガンバはもちろん、フロンターレやエスパルスでもそのようなレベルの選手が20〜22人いる」。
「私たちは魔法のチームではない。規律と強いメンタリティーで戦う、ごく普通のチームだ。トップチームのレベルの選手は13〜14人ほどだが、その後に続く選手も経験はないながらも資質はある」。

日曜日の横浜FC戦は、2−1ではなくもっと楽に勝てるはずだった。しかしとにかく、杉本恵太のニアポストへの閃光のようなヘディング・シュートと、その杉本が右サイドを素晴らしいスピードで駆け抜けた後の山口慶のファーポストへのふわりとしたシュートがあり、試合をモノにした。

グランパスはとてもよく組織された3−5−2システムを採っており、大森征之、藤田俊哉とフローデ・ヨンセンがチームの強力な背骨となっている。
中村直志と本田圭祐がチームに厚みを与え、山口とキム・ジョンウが中盤を強固なものにし、竹内彬と増川隆洋がバックで大森の両サイドを固める。杉本がヘディング決めたグランパスの同点ゴールは、左サイドからの増川の鋭く、狙い澄ましたようなクロスから生まれたもの。2点目は杉本を走らせる中村の巧妙なパスが起点となり、完璧なタイミングでディフェンスの裏をとった杉本が山口の決勝点を演出した。
自分たちのチームがゴ―ルを2つ決めると、グランパスのファンがゴール裏で大きな声を出していた。それはそうだろう。ピクシー後の味気ない数年間を過ごした彼らが喜んだって、誰も文句は言えない。

現在35歳の藤田は、今シーズンのグランパスエイトには欠かせない存在。能力と経験はもちろんだが、彼のリーダーシップと戦術的な頭脳がチームを支えている。絶頂期のジュビロでしていたようにグラウンド全体を走り回ることはできなくなっているかもしれないが、藤田は、どこにいなければならないか、何をやらなければならないかがわかっている。
グランパスに幸あれ。このチームが上位にいるとサッカーがさらに楽しくなる。

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“熱すぎる”イングランド代表監督の座

2007/04/02(月)

3月30日発:今ほど、イギリス人であるのが恥ずかしかったことはない。
イングランド代表がユーロ2008の予選で苦戦しているから。それだけではない。選手や監督がファンに浴びせられた激しい批判のせいだ。

私たちは今でも、イングランドはフットボールの「母国」であると考えている。しかし、そのフットボールは1966年のワールドカップ以来イングランドに戻ってきていない。
それ以降も、イングランドは何人もの偉大な選手を輩出し、時には素晴らしい、そう、たとえば1990年ワールドカップの時のようなチームも生み出した。しかし監督については、控えめに言っても様々な論争を引き起こしてきた。

いま苦境に、いや大苦境に立たされているのはスティーブ・マクラレーン監督。アレックス・ファーガソン氏やスヴェン・ゴラン・エリクソン氏からも賞賛されるような監督としての実績を持っているのだが、鈍く、カリスマ性に欠けるというのが彼の評だ。
イングランドサポーターたちの間に、監督に対する敬意がなかなか広まってくれない。
チームを応援するために世界中を飛び回っている彼らが、今はチームにブーイングを浴びせている。この状況はサッカー協会を不安にさせているに違いない。
ミッドウィークに行なわれた対アンドラ戦の勝利(3−0)も、プレッシャーを和らげてはくれなかった。
マクラーレン監督も、一体どうすればサポーターが喜んでくれるのだろうと頭を悩ませているに違いない。

ここが、日本とイングランドの決定的な違いだ。
日本では、たとえチームが苦戦していてもファンはチームをサポートしてくれる。
ところがイングランドでは、私たちファンもメディアもプレッシャーを与え続け、常にニュースや議論に溢れていること、ある意味では失敗してくれることさえ願うのだ。
1997年に国立競技場で行なわれたUAE戦が1−1の引き分けに終わり、98年ワールドカップ出場が絶望かと思われたときに噴出した日本のサポーターの怒り、そして93年の、いわゆる「ドーハの悲劇」については記憶にも新しい。
しかしそれらはすべて試合終了のホイッスル後、スタジアムの外でのこと。チームが勝点3を争い奮闘している試合中ではない。

サッカー協会がもう少し慎重にエリクソン監督の後任を選んでいたなら、今ごろイングランドはどうなっていただろう。
協会はルイス・フェリペ・スコラーリ監督を選ぶこともできた。しかし、彼らは2006年ワールドカップ後でなく、その前の契約にこだわったのだ。
私はこのことをスコラーリ監督の近い友人で、女子バレーブラジル代表監督でもあるジョゼー・ホベルト・ギマライス氏から聞いた。
彼は私に、「(ポルトガル代表の)スコラーリ監督はドイツから私に何度か電話をかけてきて、イングランドがどうしてワールドカップ前に契約をしたがるのかわからないと言っていたよ」と話した。
協会の姿勢が違っていれば、スコラーリ監督はイングランドに来ていただろう。

マクラーレン監督は明らかに窮地に立たされている。ロンドンのメディアは、テリー・ベナブルス氏の復帰を願っている。
現時点で私が選ぶなら、マンチェスター・ユナイテッドの右ウィングとしてで活躍し、またマン・Uでプレーしつつリバプール大学で勉強し、そしてレディングでも監督として好成績を残したステーィブ・コッペル氏かな。

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オシムの新たなお気に入り、駒野

2007/03/29(木)

高原がゴールを決め、俊輔が凱旋したのだから、ヨーロッパ組の2人がペルー戦後にメディアンの脚光を浴びたのは当然のこと。
しかし、私が選ぶ日本代表の「マン・オブ・ザ・マッチ」は、この2人ではなかった。私のMVPは、駒野友一である。彼は日本の左サイドで良いプレーをしたし、すぐにオシムのお気に入りになったのだとも思う。

駒野は、あまり敵に回したくないタイプの選手ではないだろうか。駒野を相手にプレーするのはとても厄介だし、フラストレーションもたまりそうだ。まったくフリーにさせてくれないと思っていたら、逆に自分が振り切られてしまう。
状況を見るために、1〜2秒ボールを持っても大丈夫だと思っていると、タフで、ちっちゃなテリアみたいに足元に絡んできて、ボールを奪い去っていく。どんな手段を駆使しても彼を振り切ることはできず、相手選手は忍耐力と意志の強さがテストされるのである。

ペルー戦で、駒野はいたるところに出没した。左サイドを素早く、積極的に駆け上がり、逆サイドの加地のお手本となった。私はこれまでずっと加地のファンで、今もそうなのだが、両サイドを比較すると、今回は駒野のほうがはるかに積極的で、野心的であった。
前半、加地にはもっとも攻め上がり、相手選手と勝負して欲しかったのだが、リスクを犯して背後にカバーがいない状態になるのを嫌がっているように見えた。
阿部と啓太がいるというのに…。
この2人には、状況を素早く読み、ピッチ上を移動して両サイドをカバーする能力が備わっているのに…。

フルバック/ウィングバック/サイドプレーヤーについては、日本は人材が豊富だ。右サイドには加地と水野、左サイドには三都主、駒野、本田がいる。それに、もちろん、駒野はどちらのサイドでもプレーできる。
現在25歳(7月に26歳になる)駒野はまだまだ成長の余地があり、オシムのもとでさらに進化するだろう。スピードがあり、プレーの範囲が広く、爆発力がある駒野はまさにオシムの大好きなタイプ――そして、相手選手の大嫌いなタイプ――である。

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忘れてしまいたい等々力での1日

2007/03/26(月)

ホームで行なわれた川崎フロンターレ対バンコク・ユニバーシティ?
こんなもの、消化試合のはずだよね?
前半で2−0、そして後半に4点を追加して6−0の勝利。それでもバンコクは十分ラッキー…そんな試合になるはずだった。
なのに、どうしてこんなことになるわけ?

我那覇が足首の故障でベンチにいたとはいえ、正直なところ、私は川崎がここまで悪いプレーをするとは思わなかった。
関塚監督にしても、我那覇の投入なんて想定外だったにちがいない。
しかし、非常事態には非常手段を取らねばならない。
我那覇は後半途中でピッチに入り、絶不調にあえぐチームを立て直そうとした。そうして、相手のオウンゴールで何とか同点に追いつくことができたフロンターレだったが、勝ち越し点は挙げられず、1−1の引き分け。屈辱の勝点1にとどまった。
カウンターの動きがシャープで、さらに無気力で落ち着かないフロンターレからゴールを挙げ自信に満ちていたバンコク相手に、最悪の結果になっていた可能性だってあった。

川崎の選手たちは、まるで機械のように大きく、強く、容赦なく、そして無慈悲に、そのスピードと攻撃力でJリーグのライバルたちをコテンパに打ちのめすことに慣れっこになっているのだ。
しかしアジアの舞台で、Jリーグの獰猛なライオンは臆病な仔ねずみに豹変してしまった。
スローなスタートで開始早々にあっさりとゴールを奪われると、そのまま流れを掴むことなく試合は終了した。

展開は遅く、パス回しも非常に悪い。サイドにも中央にも、ジュニーニョのスピードを使ってバンコクDFの裏へパスを通すことさえできなかった。
マギヌンは調子も悪くはなく何とかチームを引っ張ろうとしていたし、リベロの寺田も前方へと押していた。だが、憲剛は良い所がなかった。
そしてチームのプレーメーカーのデキが、そのままチームの不調につながってしまった。
全体的には、フロンターレにとって、そして彼らのグループFを突破して準々決勝へ進出するという希望にとって、この日は良くない1日だった。そうは言っても、アウェーで勝利し勝点を4にすればまだ望みはある。
しかし、もっといい状況で全南ドラゴンズとの対戦に臨めたはず…。

フロンターレが勢いづくのを防ぐため、番狂わせを狙うバンコク・ユニバーシティがありとあらゆる手を使ってくることは必至。選手による時間稼ぎが行なわれ、特にキーパーは何度もケガしたフリをして倒れ、試合は次第に茶番と化していた。選手たちの思考がそうしたアンフェアなプレーに固執されてしまった状況では、レフェリーにはロスタイムを増やす以外に手立てはない。
この日のロスタイムはわずか4分。とにかくひどい試合だった。しかし、フロンターレはこれ以上悪くなることはないはずだ。

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タカ巻はいかが?

2007/03/22(木)

ここ一番で大仕事をしてくれるフォワードを見分けるには、少しばかりプレシャーをかけるのが最上の策である。
土曜日のペルーとの親善試合のための選手選考において、イビチャ・オシムがまさにこの策をストライカーたちに打った。
日曜日に発表された代表選手18人中、フォワードはフランクフルトの高原だけ。
巻、我那覇、播戸、佐藤、それにひょっとしたら大久保が候補となっている、残りのフォワードの選出は、なんらかの理由――体調不十分とか、ゴール不十分とか――により全員保留となった。
水曜日(祝日)にナビスコカップとアジアチャンピオンズリーグの試合が控えているため、オシムは、しばらく様子を見て、それから何人かを追加発表することにしたのだろう。
そうなれば、ストライカーがオシムの関心を得る方法は1つしかない。そう、ゴールだ。

私は、土曜日のアントラーズ戦で巻を見て、プレーは問題ないと思った。何も特別なことはなく、ゴールもなかったし、人間ブルドーザーの岩政に上手くマークされていたけれど。
ただ、後半に面白いシーンがあった。
短い時間に、ハーフウェイ付近にいた彼のところに3回連続でボールが回ってきたのだが、どの機会でも岩政が厳しく体を当ててきた。ハードだがフェアな、秋田スタイル。それ自体はまったく問題はない。もっとも、3度目にはジェフのトレーナーがピッチにスコップを持ち込み、ターフに埋もれた巻を掘り出さなくてはならなかった。

巻は懸命にプレーし、決してサボらなかった。ひたすら走り、ボールをもらおうとしていた。きつい当たりにすぐに見舞われるのは承知の上。それでも彼はすぐに立ち上がり、さらに勝負を挑むのである。
だから、いまだゴールは生まれていないが、私ならやはり巻を選ぶ――羽生が中盤の底から上がって来なくてはならず、新居がまだJ1へ対応の途である現在のジェフにおいて、彼が前線で孤軍奮闘していることを忘れないで欲しい。
新居はゴールが量産された土曜日の試合で初ゴールのチャンスがあったが、ストヤノフの左サイドからの見事なクロスにフリーで合わせたヘディング・シュートはバーに阻まれた。

佐藤は開幕戦でFC東京を苦しませ、日本代表でも途中出場で必ずインパクトを与えている。また、播戸は気迫とエネルギーに満ちている。ファボンを退場させた前週の芝居がかった振る舞いは遺憾だが…。彼は「ハムレット」のオーディションを受けていたのか、まるで毒殺か絞殺、あるいはその両方をされたというような演技をした。
我那覇は、横浜FCに大勝した土曜日の試合をケガのため欠場。そのため、オシムは高原の相棒を決定するのを先延ばしにしたのかもしれない。
高原がドイツでゴールを次々と記録している現在、タカと巻の取り合わせが良いように思える。一方が走り、もう一方がゴールするのだ。
タカ巻。なかなかいけるでしょ? 土曜日の夜、蘇我駅近くの居酒屋で注文する人がいるんじゃないかな。

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ダービー敗戦に気落ちするマリノス社長

2007/03/19(月)

何が憂鬱かって、横浜ダービーの終わった今、左伴繁雄氏ほど憂鬱な気分の人はいないだろう。
3月10日、三ツ沢球技場で、自分のチームがJ1に昇格したばかりの横浜FCに敗れるのを見た左伴社長は、当然ながら大きく落胆した。しかし、その後、彼の落胆はさらに大きなものとなった。
アウェーチーム(マリノス)のファンたちはダービーマッチの雰囲気を盛り上げていたが、試合終了のホイッスルが吹かれたその時、チームに対する拒否感をあらわにした。
新シーズンが開幕してまだ2試合だが、この敗戦はマリノスファンを大きく傷つけ、何より左伴氏を大きく傷つけるものとなった。

「2003年、2004年と連覇したチームとは違うということを、自覚しなければならないんです」。
試合後、彼はメインスタジアム下の通路で私にそうつぶやいた。
「我々はニューカッスル・ユナイテッドというよりサンダーランドですね」。
左伴社長は熱烈なニューカッスル・ユナイテッドサポーター。現在は下部リーグにいるものの、かつては北西イングランドでニューカッスルと熾烈なライバル争いをしていたサンダーランドを引き合いにしたそのコメントは、非常に辛いものだっただろう。
マリノスの財政が逼迫しているのは明らか。左伴社長はニューカッスルとサンダーランドを比較したコメントで、これを認めている。
2003年、2004年と連続1位、そして2005年、2006年は連続9位。
その成績がすべてを物語っている。

同じ“Magpie仲間”(Magpieはカササギの意。ニューカッスルのニック愛称)として私は彼を励まそうと思い、松田、栗原、鈴木隆行ら横浜ダービーには出られなかった選手の名前を挙げたが、彼らの不在を言い訳にしなかったのは社長の偉いところだ。
山瀬功治がシーズン開幕から非常に好調なことさえ、彼にとってはおそらく慰めにはならないだろう。
開幕戦で素晴らしいゴールを挙げた山瀬は、三ツ沢でも絶好調だった。
日本代表のイビチャ・オシム監督が愛する日本人選手の長所を惜しみなく見せつけ、ブロックされようがインターセプトされようが、何度となく横浜FCの中盤を自由自在に動き回った。
手足の長いレフトバックの20歳の田中裕介、途中交代出場するや否やその存在感を発揮した野洲高校出身の18歳の乾貴士も、とても良かった。

マリノスは経験豊富で、チームの要もしっかりしており、若い才能だって揃っている。ただし、外国人選手の質をみると、J2を渡り歩いたマルクス、そしてケガの多いマルケスと、どちらもサッカー選手としては高齢。何とかしたいところである。

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澤の活躍、さわやかな勝利

2007/03/15(木)

3−0なら申し分なかったのだが、土曜日に国立競技場で行なわれた女子ワールドカップ(W杯)予選で、日本がメキシコを2−0で破ったことを不満に思う人はいないだろう。
90分終了時点でのバランスを見たうえで、さらにメキシコが時おり極めて危険に見えたという点を考慮すれば、日本は第1戦を素晴らしい結果で切り抜けたと言える。
このホーム&アウェーのプレーオフはまだまだ終わったわけではなく、日本がW杯に出場するためには、土曜日のトルカで、東京以上の内容とは言わないけれど、同じくらい良いプレーをしなければならないだろう。
そう。危うくメキシコに先制点を許すところだった、宮本の中盤での不注意なミスや、ボールをきちんとクリアできなかったときのように、ディフェンスがパニックに襲われることを、なくせば良いのである。

メキシコにも、何度かゴールを奪うチャンスがあった。しかし、日本のGK福元が好調だったのに対し、メキシコはキャプテンのドミンゲスにまったくツキがなく、ゴールかと思われた長距離のロブも、ボールはクロスバーの上部に当たってしまった。
結果的には、2−0の勝利は日本にとっては期待を十分に持てるものだが、第2戦を消化試合とみられるほどではない。

日本の2つのゴールは、その過程もフィニッシュも素晴らしいもので、澤が1点目を決めたほか、宮間の2点目もアシストした。
最初のゴールは印象的だった。左サイドをオーバーラップした宇津木が完璧なクロスを中央に供給。ペナルティ・スポット付近にいた澤がジャンプの最高点でボールをミートし、ヘディング・シュートをゴールのファー・コーナーへと見事に運んだ。
2点目のゴールでは、澤が左サイドですべての仕事をこなした。マーク――女性だけど「マーク」――をサイドで抜いて、走りこんできた宮間に絶妙のクロス。宮間は強烈なヘディングでボールをネットに突き刺した。クラウチや平山でなくても、空中戦で強くなれるのだということを、澤(164cm)と宮間(157cm)が堂々と立証してくれたのである。

全体的には、両チームのゴール前での場面が多く、また中断も少なく、観ていて楽しいゲームだった。前半はロスタイムが全くなく、後半も終盤の87分にレフェリーがトレーナーのピッチ入りを初めて認めた分の2分だけ。それも、トレーナーがピッチに入ったのは、2点をリードする日本選手が時間稼ぎのために「ケガ」をしたせいではなく、左足首をひねったメキシコ選手のもとに駆けつけるためだ。
モダンサッカーの最高レベルにおいても、フェアプレーは今も健在なのだ。少なくとも女子サッカーにおいては。

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“インドネシア祭”にスパイスを加えたワシントン

2007/03/12(月)

先日のさいたまスタジアムでも、ワシントンは絶好調だった。
得点の話ではない。もちろん皆さんご存知だと思うけれど、アジアチャンピオンズリーグでのペルシク・ケディリ戦(3−0)では、ワシントンはネットを揺らすことができなかった。そう、ゴールではなく、交代させられた(イングランド風に言うと“引きずり出された”)ときのリアクションのことだ。

後半の半ば、2−0とリードしていたレッズ。しかしいまひとつピリッとせず、ペースを変えるには“野人”の投入が必要なことは明らかだった。
ただ、誰と交代するのか?
ワシントンは、まさか自分が交代させられるとは思ってなかったようで、21番のボードが示されるとベンチに確認していた。
「え?オレ?」
「イヤだよボス。もうすぐゴールを挙げるよ」

おそらくワシントンの平均得点数から言っても、ここまでチャンスを逃し続けていた彼がそろそろゴールを決める頃だっただろう。
しかし彼は交代させられ、グローブとユニフォームを投げ捨てた。
通路付近にいた人の話によると、彼はポルトガル語で思いつく限りの悪態をつきながらロッカールームへ消えていったそうだ。

「ワシントンはどこにいますか? ロッカールーム?」
試合後、レッズのゲルト・エンゲルス・コーチに尋ねると、
「いや、もう彼はいないよ」
エンゲルスは顔をしかめてそう答えた。
「もうチームバスに乗ったのですか?」
「だと、良いんだけどね」
エンゲルスは心配そうだったが、チラッと笑いながらそう答えた。

試合後の記者会見、ホルガー・オジェック監督には、まるでアーセン・ベンゲルのような印象を受けた。
ベンゲルが彼のチームに有利な微妙な判定をすべて見ているわけでないように、オジェック監督はワシントンがピッチを出た時何が起こっていたのかわからなかったと語り、すぐ話題を岡野に切り替えた。
FIFA外交の経験が非常に役に立ったようだ。

とは言え、これは重要な問題。ワシントンは自身の言動について罰を受けなければならない。
埼玉県の全ての若い選手たちが彼を真似て、交代させられるとグローブやユニフォームを投げ捨てるなんてことはあってはならないのだ。
ファンだって、浦和美園駅の運賃精算機に並ばされ、着ているワシントンのレプリカユニフォームを投げ捨て始めるかもしれない。

さて、この一方的な試合についても一言いわせてもらおう。
ペルシク・ケディリ(インドネシア)のイワン・ボーディアント監督は、レッズの3得点全てをGK(Wahyudi)の責任だと言った。
たしかに、最初の2点はそうだ。しかし3点目もそうだろうか?
小野伸二が決めたペナルティエリア手前からの左足のシュート。これまでキーパーのせいにするのはかなり酷だろう。
小野にしてみれば寝ていても打てるシュートかもしれないが、技ありの1本。
ワシントンとは大違いだ。

ところで…ワシントンのグローブがほしい人はいらっしゃいませんか?
いや、68分しか使ってないものですけどね。

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苦しい開幕戦をモノにした優勝候補たち

2007/03/08(木)

短距離走であれ、マラソンであれ、競争において機先を制するのは簡単なことではない。
ワールドカップのグループリーグは短距離走。プレーするのはたった3試合だから、ミスは許されない。
初戦に勝てば、次のラウンドに片足をかけた状態となり(たとえば、オーストラリア)、負ければプレッシャーがのしかかってくる(たとえば、日本)。Jリーグはマラソンだ。9ヶ月をかけて34試合を戦うので、出遅れても挽回する余地は十分ある。
だから、ここ最近の優勝チームである浦和とガンバの勝敗にも若干の危惧はあった。しかし両チームとも、引き分けでもおかしくないような苦しい開幕戦ではあったものの、終わってみれば勝点3を手にしていた。

シーズンの始まりは楽観的な見通しや新たな野心で満ちており、クラブには、新加入選手や新監督が自分たちを約束の地に導いてくれるかもしれないという思いがある。
そんななかでの、レッズとガンバが手探り状態で勝利を収めたという事実は、今年も甘くはないぞというメッセージをJ1の他のチームに投げかけた。
レッズは埼玉での横浜FC戦を終了間際の永井のゴールによって2−1で勝ち越し、ガンバはホームの大宮戦で、新加入のバレーがゴールを決めて1−0の勝利に貢献した。
64分に途中出場したバレーが終了2分前に決めたゴールはまさに思いもかけないものだった。ペナルティ・エリアの端でバウンドしたボールを左足で蹴ったシュートはキーパーの頭を越えてゴールに落ち、ガンバ――私の本命チーム――は完璧なスタートを切ることができた。

また、スタイルはそれぞれ大きく異なるものの、素晴らしいゴールが2つあった。
横浜FCの久保が左足で放ったロケット弾はスペクタクル。久保が右サイドから動き始めたとき、小野はもう少し間合いを詰めるべきだったが、あんな遠い位置からゴール上隅に決めるなんて、誰が予想しただろう? 久保が甦ったことを示すシュートだった。
体調がしっかり整い、試合勘が研ぎ澄まされれば、久保は今でも驚きと意外性に満ちており、きわめて危険な存在となることができる。
マリノスの山瀬も、ホームの甲府戦で鮮やかなゴールを決めた。優れた加速力とボール・コントロール、冷静さを見せつけた山瀬は、選手生活の初期の大ケガ以降、最高の状態のようだ。

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貫禄ある王者ガンバ

2007/03/05(月)

今日の午後に開幕するJリーグの今シーズンを占ってみよう。
前置きは抜きにして本題に入る。
私の優勝予想はズバリ、ガンバ大阪だ。

いや、なに。ガンバがゼロックススーパーカップで浦和を4−0で破ったからではない。
外国人選手の質だけでなく、何よりも日本人選手の質という面で最も優れているように見えるからだ。
彼らのサッカーは非常に組織的でまた活力にあふれ、魅力的。そう、言わば資金力のあるジェフだ。

様々なチームを渡り歩いてきたシジクレイがディフェンスの要。マグノ・アウベスは大分トリニータ、そして昨シーズンはガンバでその得点能力を証明してきた。新加入のバレーは相手DFにとって厄介な存在になるだろう。
3人は日本のサッカーを熟知している。経営陣も、彼らの働きについて不安はない。
これまでガンバの顔だった宮本はザルツブルグへ移籍してしまったが、西野監督にはシジクレイや山口をはじめ、豊富なディフェンダー陣がいる。
しかしながら、ディフェンスに限って言うと、レッズの方が有利だろう。

ガンバの強みは中盤だ。
遠藤はJリーグ屈指の選手。ボールハンドリング能力とキープ力は、非常に優れたものがある。トルシエ元日本代表監督は以前、遠藤のパス範囲、そしてシュートレンジの広さをして、“和製レドンド”と評していた。
さらには復活した明神、めきめきと頭角を現している橋本が中盤の核として安定性をもたらし、加地と家長がチームに幅を与えている。
そして頭脳的で創造性豊かな二川がチャンスを呼ぶのだ。中盤のポジション争いは熾烈で、誰一人、気を抜けない。
また、前線には運動量豊富な播戸もいる。播戸、マグノ・アウベス、そしてバレー。3人が揃ったガンバの得点力は強力だ。

驚異的な活躍を見せた2005年につづいて、ガンバは再び王者の貫禄を取り戻した。そのシーズンの最終戦を等々力スタジアムで観戦した人々は、そのシーンを決して忘れられないだろう。
昨シーズンは、連覇まであと一息だった。
西野監督の就任からガンバが頭角を現すまで、私の予想より2年ほど余計に時間がかかってしまったのだが、彼らはオールラウンドなチーム能力で優勝争いをつづけてくれることだろう。
そう、ガンバが私の優勝候補だ。

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日本対メキシコ、よみがえる銅メダルの思い出

2007/03/01(木)

これからの数週間、日本にとって大きな意味を持つゲームがいくつか控えている。と言っても、北京オリンピックの出場権獲得を目指している22歳以下代表の話でも、あるいは3月24日に今年初戦にペルー戦が予定されている日本代表の話でもない。
私が言っているのは、女子代表の話。9月に中国で行なわれるワールドカップの出場権を賭けて、もうすぐ日本の女子代表がメキシコとホーム&アウェーのプレーオフを戦うのである。
ホームでの第1戦は3月10日に東京の国立競技場で、アウェーの第2戦はその1週間後にメキシコで行なわれる。
残念ながら、ホームでの試合は一連のJリーグの試合とスケジュールが重なるが、国立にはたくさんの観客が集まり、「ガールズ・イン・ブルー」がCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)の代表と競い合うのを観ることだろう。

正直なところ、アテネオリンピックで私にとって最高の瞬間の1つは、日本女子チームが1次リーグの初戦でスウェーデンを1−0で破ったときである。
その試合は大会の正式な開会式の数日前に、辺鄙と言えなくもない場所で行なわれたのだが、沢穂希とその仲間たちが、ヨーロッパの強チームを封じるためのお手本のようなプレーを見せた。試合終了のホイッスルが吹かれたとき、あちこちで感動的なシーンが見られ、なかでも、特別観覧席で観戦していたJFA(日本サッカー協会)会長・川淵三郎の喜びようは格段だった。
あの試合は日本サッカーにとって大きな意味を持ち、日本での女子サッカーの普及を後押しするものとなった。

現在、大橋浩司監督が指揮を執る日本チームがワールドカップ出場を勝ちとるまでに残された障害は2つだけ。2つ目の障害はメキシコで乗り越えなければならない。
選手たちがモチベーションあるいは刺激が欲しいのであれば、前JFA会長の岡野俊一郎に話を聞けばよい。彼なら、1968年のメキシコ・オリンピックでの男子チームの活躍ぶりを今でも生き生きと描写してくれるだろう。
あの年、日本代表は有名なアステカ・スタジアムの10万人の観客の目前でメキシコを破り、銅メダルを獲得した。試合の後、選手たちの消耗はすさまじく、スタッフの助けを借りなければ水分も摂れないほどだった。
彼らは厳しい環境のなか、チームのため、国のためにすべてを捧げ、伝説のストライカー釜本の2ゴールにより開催国メキシコとの試合で銅メダルを勝ち取ったのである。
「なでしこジャパン」がその再現を見せてくれ、1991年の女子ワールドカップ創設以来全大会出場という誇るべき記録を継続してくれるように願おうではないか。

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スターへの階段を昇るサイツ

2007/02/26(月)

世界のベストキーパーがそろっている国といえば、現時点では米国以外に見当たらない。
ブラッド・フリーデル、ティム・ハワード、そしてマーカス・ハーネマン。この3選手はいずれもイングランド・プレミアリーグのブラックバーン、エバートン、そしてレディングでそれぞれプレーしている。またケイシー・ケラーはブンデスリーガのボルシア・メンヘングランドバッハでキャプテンを務めている。
そして今週熊本から届いたレポートによると、どうやら米国はまた、新たにクリス・サイツという19歳の珠玉を得たようだ。
身長190cmとキーパーとして恵まれた体躯を持つサイツは、メリーランド大学を2年で中退。メジャーリーグ・サッカーのレアル・ソルトレイクシティ入りしたのだが、ヨーロッパへ行くのも時間の問題だろう。

バンクス、シルトン、クレメンス、シーマンと、イングランドは常にキーパーには自信を持っていた。それがいつの間にか、トップクオリティの“キャット” については米国の後塵を拝すようになった。“キャット”というのはピーター・ボネッティのニックネームで、以来、キーパーをこう呼ぶようになった。もちろん彼がお皿からミルクを飲むからではなく、その跳躍力からついたものだ。

さて、ではなぜ彼らが我々イングランドの上を行くようになってしまったのだろうか。
まず基本的に、米国人はキーパーである前にスポーツマンだ。
彼らはバスケットボールのような高度な手と目のコーディネーションを必要とするスポーツをして育ってきている。したがって“キャット”の仕事に慣れるのはいとも簡単なのだ。

ここに、面白い話がある。
NBAのスター、コービー・ブライアントの父親で、現在は日本でコーチをしているジョー・ブライアント氏が昨年外国人スポーツライター協会の会合に出席した時に、実はコービーはユベントスのキーパーになりたかったのだと明かした。
ジョー、いや“ゼリービーン”(大好物だったのでこう呼ばれた)は当時、イタリアでプロバスケット選手としてプレーしており、自然とサッカーに興味を持つようになったという。
ベッカム主将の元でコービーがロサンゼルス・ギャラクシーのゴールを守っている場面を想像してみると良い。

イングランドでも、“自然に”という意味では似たような道を辿ってキーパーは選ばれる。ゴールの外で何もできないヤツを、邪魔にならないようにゴールの中に入れておくのだ。誰もゴールマウスの中になんて入りたくないから、シュートを決められたら交代となる。
しかし、すぐに代わりたいからといってわざとゴールを許せば、マウスの中に留まることになる。
きっと、こんなやり方だったから追いつかれてしまったんだろうな。
そしてスポーツ万能の米国人が、真の“トップキャット”になってしまったに違いない。

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待ち続けたジェフ・ファンへの報い

2007/02/22(木)

ジェフのファンは、期待と安堵の思いで新選手獲得のニュースを受け止めたに違いない。
期待はワールドカップ出場の経験を持つDFネナド・ジョルジュビッチの獲得は願ってもない補強に見えること、安堵は新シーズンのリーグ戦開幕まで2週間を切っている状況からくるものだ。

この27歳のセルビア人選手は、クラブの公式発表では「DF」に名を連ねているが、これは「TYDF」――とても・役に立つ・ディフェンダー――の略だと解釈したほうが良いかもしれない。ジョルジュビッチはディフェンスの中央でも、フルバックでもプレーできる。
また、中盤の真ん中でチームのバランスをとる役割(日本で言うところの「ボランチ」)をした経験もある。“セルビア・モンテネグロの阿部”と表現したいようなプレースタイルで、いろいろな役割を楽々と、高いレベルで務めることができる。それに身長も若干高めで、183cmある。
阿部はレッズのディフェンスと中盤を補強するために獲得されたが、ジョルジュビッチもジェフで同じような働きをすると思われるし、そうなれば日本人選手間の競争もさらに激しくなるだろう。

数週間前はまだ迫力不足だったジェフだが、現在はかなり臨戦態勢が整っている。オシム監督はストヤノフを中心に構成されるバック陣、そして中盤の中央についてはいくつもの選択肢を持てるようになるだろう。
ストヤノフの能力――プレーだけに集中しているときには、おそらくJリーグで最も完成された選手――と、起伏の激しい気性については、以前に書いた通り。彼は、電話ボックスのなかで議論を始めてしまうようなタイプの男である。
しかし、ジョルジュビッチとストヤノフがバックで上手く折り合い、売り出し中の水本とクレバーな斉藤がそこに加われば、なかなか崩されないチームとなる。
ジョルジュビッチがチームの戦力を相当底上げするのは間違いない。かつてのユーゴスラビアであるセルビア出身の選手は、その天賦の才と創造性、即興性によりヨーロッパのブラジル人という評判を得ている。
その一例が、ドラガン・ストイコビッチだ。セルビアの選手はみな、良いプレーをしていたかと思うと、一瞬で自滅してしまう。フクアリ(フクダ電子アリーナ)では、ブルガリア人選手が同じことをやってくれるだろうが――。

なにはともあれ、ジェフ・ファンはこの知らせを長らく待った甲斐があった。ジョルジュビッチはなかなかの働きを見せてくれるだろう。それに、昨年のドイツ・ワールドカップでセルビア・モンテネグロがアルゼンチンに6点も許したのは、彼の責任ではない。なにしろ、そのとき彼はベンチにいたのだから!

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予想ゲームは続く

2007/02/19(月)

来月のペルー戦に、イビチャ・オシム監督がヨーロッパ組を数名招集すると決めたとしたら、その顔ぶれを想像するのは実に楽しいものとなるだろう。
メディアでは、俊輔はもちろん、松井、高原、中田浩二、そしてアレックスなど数人の名前が取り沙汰されている。

個人的には、チームの半数をヨーロッパから呼び寄せ、昨年の後半を費やし築いたチームの土台をぶち壊すようなことをするはずはないと思っている。
さらに、現在招集している選手たちをテストしているこの段階で、新たに4人も5人も加える必要があるのだろうか?
オシム監督が数人の選手について招集しない理由として挙げているのとはまったく異なるが、今回は中村と松井の2人で落ち着くような気がする。
高原を候補に挙げる方も多いだろうが、私は今ひとつ感心しない。オシム監督のお気に入りは巻と我那覇で、3人目の候補として高松がいる。さらに播戸と佐藤もいるし、新人の矢野を加えなかったとしても、その組合せはいくらでも考えられるのだ。

高原が所属するフランクフルトは、金曜夜にシュツットガルトに0−4と大敗したが、最新の集計によれば、高原の今季通算ゴール数は7。確かにゴール率は悪くない。
しかし、オシム監督に「高原が必要」と思わせるのには十分な数字だろうか?
確かかどうかは分からないが、オシム監督は一過性よりも継続性を好むタイプの監督だ。そう、(あらためてテストするまでもなく)高原にはこれまでにチャンスがあったのだ。

アレックス? もちろん彼はオシム監督のアジアカップのプランに入っているだろう。しかし現時点では、浦和からザルツブルグへ移籍したばかりの彼をオーストリアへ残し、少しでも日常生活やトレーニングに慣れるよう専念させたいところだろう。新しい環境に移ったばかりの彼には、波風は必要ない。
アレックスのことはオシム監督も知り尽くしているし、代表候補にはレッズでアレックスの代役を務めたこともある相馬、さらには頑強な駒野もいる。オシム監督もこの2人で納得するだろう。

こうしている間にも、推測や憶測は飛び交う。
もしもヨーロッパ組からの招集があるのなら、俊輔と松井が本命。そして高原が穴といったところだろうか。

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俊輔招集の時期が来た?

2007/02/15(木)

俊輔ファンは、3月24日の帰郷の準備をしておいても良いのかもしれない。その日、日本代表は日産スタジアムでペルー代表と今年最初の試合をする。
イビチャ・オシム監督が中村を招集するつもりかどうかは、もちろん私にはわからない――でもなんとなく、その時期がそろそろ来たのではないかとは感じているのだ。

ワールドカップ後にジーコの後を受けて以来、オシムが優先していたのは、フレッシュなメンバーを加え、チームのムードを変えること。だが、この課題はすでに達成されたと感じている方が多いだろう。
オシムは、Jリーグの選手たちにとって良きテストの場となるであろう試合にヨーロッパから選手を呼び寄せても意味はないと感じているようだし、ヨーロッパ組の選手について精通していないというわけでもない。
しかし現在、オシムの狙いは7月のアジアカップで王者の座を防衛することに傾きつつあり、オシムは次の段階へと踏み出そうとしている――というのが、ペルー戦に俊輔を呼び戻すのではないかと私が感じている理由だ。

こうした招集はタイミングがすべて。代表チームの事情だけでなく、選手の事情も考慮しなければならない。オシムはそう話したことがある。
中村がクラブのサッカーに集中できるようになったためヨーロッパで最高のシーズンを過ごし、フープス(セルティックの愛称)で絶えず活躍できているというのは、偶然ではないのだ。

セルティックがACミランと戦う欧州チャンピオンズリーグ・ベスト16の試合は2月20日と3月7日に予定されており、もしこのスコットランドのチームが勝ち進んだ場合、準決勝は4月3日から4月11日の間に行なわれる。
スコティッシュ・プレミアリーグでは、セルティックは3月18日にフォルカーク戦が、3月31日にダンディ・ユナイテッド戦が組まれている――つまり、3月24日の横浜での日本対ペルー戦は俊輔の帰国にうってつけなのだ。
また、ハノイに向かう前の試合はキリンカップの2試合が予定されているのみという状況だけに、オシムとしては、俊輔がチームにどのようにフィットするか見てみたいのではないだろうか。

そう、あらゆる事柄がペルー戦での俊輔招集――満員の観客とJFAへのたくさんの現金収入――に向かっているのである。
私には、ありえる話に思えるのだが…。


 

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湘南はディフェンスからのチーム作り

2007/02/12(月)

強いチームが作りたいのなら、まずはディフェンスからというのが定石だ。
そして2007年、ベテランDFをチームに加えJ2からの昇格を狙う湘南ベルマーレが、まさにこのパターンだ。

すでに斉藤俊秀をエスパルスから、そしてジャーン・ウィッテをFC東京から獲得した湘南は、元日本代表の右サイドバック、名良橋晃をアントラーズから新たに獲得した。
名良橋と斉藤はワールドカップ・フランス大会で岡田武史監督が率いた日本代表のメンバーで、斉藤は主将でリベロの井原正巳の交代要員。一方の名良橋は3−5−2システムの右サイドのスタメンだった。
反対サイドのウィングは当時アントラーズでチームメイトだった相馬直樹で、このコンビはアントラーズでは4バックのフランクとして、そして代表チームではウィングバックとして、それぞれのチームの原動力だった。
名良橋、秋田、ファビアーノ、相馬の4バックといえば、黄金時代のアントラーズを支えたディフェンス陣で、ファンにとっては言い慣れた名前。チームを作りあげていくには、ディフェンスが強固な土台となるのだ。

深刻な怪我、そして若手ライトバック・内田篤人の台頭によりアントラーズから放出された35歳の名良橋だが、J1で310試合、日本代表で38試合出場という経験と共に“古巣”ベルマーレへ帰ってきた。
京都が秋田&森岡のコンビがチームの支えとなる事を期待しているように、斉藤の資質、そしてジャーンの闘争心はベルマーレディフェンスの核として大いに役立つことだろう。
一方、名良橋のキャリアを見習いたい若干18歳の内田は、U−22日本代表として2月21日に熊本でアメリカとの親善試合に望み国際舞台への1歩を踏み出すことになる。

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完璧な世界大使・アンリ

2007/02/08(木)

ティエリ・アンリと一緒に時間を過ごしたことのある人なら誰でも、先日彼がジレットの「グローバル・アンバサダー(世界大使)」に選ばれたのはまったく当然だと考えるだろう。
アンリは、「ジレット・チャンピオンズ」というプログラムでアンバサダーに任命された3人のスポーツマンのうち1人。他2人はタイガー・ウッズとロジャー・フェデラーだった。
これ以上ないと思えるほどの評価のされ方で、ピッチ内外でのアンリの姿勢と業績にふさわしい称号だ。

私は、ティエリに独占インタビューをする幸運に恵まれたことがある。場所は、ハートフォードシャー州の田園地帯、セント・オーバンスのロンドンコーニーにある、アーセナルの豪華なトレーニングセンター。時期はそう、2001年の今頃で、突然の依頼にもかかわらずインタビューのアレンジをしてくれたのは、誰あろう、アーセン・ベンゲル!
その当時、日本を発つ前に会うという約束をベンゲルから取り付けており、このガナーズ(アーセナルの愛称)の監督と長時間のおしゃべりをしたあと、私は、カリスマ的な人気を博しているアンリにインタビューできないものか尋ねてみたのだ。ベンゲルの後押しにより、アーセナルの広報担当者が約1週間後にアンリにインタビューするアポを入れてくれ…そういうことになった。

カメラマンと、カメラマンのアシスタントとともに、我々はインタビュー開始の2時間ほど前にロンドンコーニーを再訪問。緊張して待機していた。そしてついに、その人物に出会えたのだ。アンリは、練習場のピッチからそのままファッション・カタログのページに飛び込んだのではないかと思えるくらい、カジュアルで、スキのない服装。
インタビューは20分間の予定だったのだが、アンリが広報担当者に「もう少し続けてもいいよ」という合図を送ってから1時間経っても、私たちはまだ話をしていた。それから、カメラマンが手際よくこしらえた「スタジオ」で、追加の写真撮影が行なわれた。
この時点でアンリはすでに1998年のワールドカップ(W杯)そして2000年のヨーロッパ選手権で優勝を経験していたのだが、98年W杯におけるブラジルとの決勝戦でプレーしていないのは意外なこと。聞けば、彼はベンチスタートで途中出場する予定だったが、68分にドゥサイイーが退場処分を受け、エメ・ジャケ監督が当初の計画を変更せざるをえなくなってしまったという。

インタビューでアンリは、フランス代表のW杯での躍進により政治では成し遂げられないような形でフランス国民が結束したこと、ユーロ2000ではフランスのファンがその2年前の自国におけるW杯のときよりはるかに騒々しく、情熱的になっていたことを話した。
また、ユベントスから救い出し、オーソドックスなウィングからセンターフォワードに変身させてくれたベンゲルには生涯かけても返せないほどの恩義を感じている、とも話していた。
アンリは親しみやすく愉快で、そして真面目で誠実――そう、まさに完璧なグローバル・アンバサダーだった。

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単なる噂にすぎなかった俊輔の帰国

2007/02/05(月)

2月2日・東京発:クラブが公式サイトで否定しなければならないことがあるとすれば、それは重大なこと。それは誰もが認めるところだ。
今週のセルティックと中村俊輔の場合も然りだ。

移籍期限前日の1月30日(火)、セルティックの公式サイトの見出しは“中村の移籍はない”だった。
「この話はまったくナンセンス」と俊輔は語った。
「セルティックには大変満足しているし、今シーズンもとても楽しみにしている」。2段落に渡る記事は、インターネットで出回った「俊輔は今夏にセルティックを去り、Jリーグに復帰する」という報道を否定するものだった。

移籍期限の翌日、私はJリーグ関係者と中村俊輔が日本に帰ってくる可能性について話したのだが、彼も、まだ先のことだろうと、その報道を信じてはいなかった。
何よりも、ヨーロッパで活躍できる場をようやく見つけた今、俊輔が日本に帰ろうと考えるだろうか。
小さなリーグの強豪チームでプレーすることにより、俊輔は毎週のように彼の“マジック”を披露できる。
だからこそ自信に満ち、また、ゴードン・ストラカン監督も彼を手放しで誉める。

欧州チャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦のように、間もなく行なわれるACミラン戦でも、俊輔は自身の左足一振りで何でもできると感じている。
事実、ACミランのカカーがセルティックと俊輔についてuefa.comで面白いことを言っている。

先にも述べたが、俊輔は自身にとってパーフェクトな環境に落ち着いたのだ。
世界が注目するなか、有名なチームでサッカーを楽しめる。
彼はスコティッシュ・プレミアリーグのスター選手の一人で、欧州チャンピオンズリーグという楽しみもある。
彼の好調ぶりとマンチェスター・ユナイテッド戦での鮮烈なゴールを考えると、ストーブリーグ中にイングランドやスペインへの移籍話が出なかったことが私には驚きだった。
強豪リーグも、俊輔が然るべき場に落ち着いたと思っているのでなければね…。

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森本に巡ってきたチャンス

2007/02/01(木)

森本貴幸が週末にイタリアでのデビュー戦で決めたゴールは、引退してしまった中田英寿のことを思い起こさせるものだった。
みなさんは憶えてらっしゃるだろうか…。中田は1998年のセリエAに旋風を巻き起こした。ペルージャの一員としてデビューしたユベントス戦、チームは3−4で敗れたものの、2ゴールを奪取――しかも、もしも監督が中田にPKを蹴らせていれば、ハットトリックを達成していたかもしれないのである。

いま、ついに森本が新聞の見出しを飾るようになった。
カターニャのベンチで辛抱強く待機していた18歳のストライカーに出場機会が与えられたのは、日曜日にベルガモで行なわれたアタランタ戦の84分。そのとき、カターニャは0−1とリードを許していたが、森本がペナルティ・エリア内で素早く動いて自信に満ちたゴールを決め、チームに勝点1をもたらしたのだ。
今回結果を出したことで、今後はもっと長い時間プレーさせてもらえるだろうが、4位タイと好調のカターニャでは、スタメンの保証はない。
ヴェルディ時代のツルツル頭の森本のプレーを見たことがある者はみな、彼ならスタメンをとってもおかしくないと証言するだろう。キレがあり、強靭な身体を持ち、運動量も多い。つまり、聡明で、危険な選手としての資質を備えているのである。

オジー・アルディレスがヴェルディの監督を務めていたとき、森本について長い時間語り合ったことがある。アルディレスが私に話したのは、マンチェスター・ユナイテッドの監督であるサー・アレックス・ファーガソンが森本を高く評価しており、ユーストーナメントで彼を見て以来、その成長を注意深く見守ろうとしているということだった。
アルディレスは、ケビン・キーガンやゴードン・ストラカンといった監督たちと同じような人身掌握術を持っており、つねに選手を褒め、自分が最高だと選手に思わせるのだが、このかつてのトットナムのスター選手が森本を純粋に評価しているのは間違いないと思われた。

ティーンエイジャーの森本はヴェルディからシチリア島のクラブに夏までレンタルされる予定だが、オリンピック代表監督である反町のプランに組み込まれることもあるかもしれない。
U−22日本代表は、2008年北京オリンピックの出場権獲得のための準備段階では、強力な存在感を持つ選手が少し欠けているように思える。森本の爆発力が加われば、チームの幅が広がるのは確実だろう。
もっとも、それはまだ先のこと。セリエAのデビュー戦で注目を浴びるようなゴールを決めた森本がカターニャでその実力を発揮する機会が、今後さらに増えて欲しいものである。

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スケジュール発表に沸きあがる期待

2007/01/29(月)

1月27日発:毎年のことなのだが、新シーズンのスケジュールの発表はいつも、私たちをワクワクさせてくれる。
サッカーに満ちた週末、頻繁にサッカーを享受できる日々がまた戻ってくるのだ。

どのチームも希望、楽観、そして期待にあふれている。
チームを去った者がいれば、新しくヒーローとして加わった者もいる。また、チームの成功のために招聘された新しい監督がいて、前のシーズンの経験から多くを学んだ監督もいる。
そう、全員が同じスタートラインに立つのだ。
そして、私たちのシーズンが始まる。
うーん。そう、少なくとも2週間は…。

先週の木曜日、2007年のスケジュールが発表された。そして誰もが初戦に注目する。
そのご私は、カラっと晴れあがり野球もオフシーズン、まさにサッカーのための季節を外して暑くしけた季節をJリーグが選んだことも忘れて、いつもボクシングデー(ボクシングデーとはクリスマスの翌日の12月26日のことで、郵便配達人や使用人など日頃サービスを提供してくれている人たちにギフトを贈る日。イングランドでは、この日に必ずサッカーの試合が開催される)を見てしまう。いやはや、古くからの習慣はなかなかなくならないものだ。
まあ、これは別の話だけれど。

3月3日、新しいシーズンがスタートする。ストーブリーグの結果がピッチで試される。
開幕戦注目の一戦は、等々力で行なわれるフロンターレ対アントラーズだろうか。ブラジル人監督のもとで覇権回復を目指す新生アントラーズにとって、これは厄介なテストになるに違いない。
アウェーでのフロンターレ戦はとにかく厳しいし、どのチームにとっても、例えホームであってもフロンターレは対戦したくない相手の一つだ。

スペインサッカーの影響を受けた原博実監督が指揮する攻撃型のクラブ・FC東京のサポーターにとっては、波乱のシーズンになるだろう。ただし、新たにチームに加わったコスタリカ出身で、これまでチームを転々としてきた負傷がちのストライカー、パウロ・ワンチョペの健康状態によるところが大きいと思われる。
サンフレッチェと対戦するFC東京。まずは勝点3をとりたいところだ。

横浜F・マリノスの早野宏史監督は、日産スタジアムで甲府の亡霊を払わねばならない。
彼がレイソルの監督を務めていた2年前、日立台での一戦でディフェンスの要・土屋をしてヴァンフォーレのバレーを止められず、6ゴールを奪われJ2に降格させられた苦い経験があるのだ。
シーズン開幕のために、新潟のオレンジ軍団は大分までの長距離遠征をしなければならない。また一方、エスパルスオレンジ軍団はFW大久保嘉人を擁するクラブ、J1復帰を果たしたヴィッセル神戸を日本平で迎え撃つ。
J1覇者のレッズは、久保と奥が新たに加わったJ2王者・横浜FCをホームに迎える。
またガンバのパワフルな攻撃陣は、土屋がヴェルディに移籍し、守備に不安を残す大宮からゴールを狙う。

そして3月4日には、J1に昇格したレイソルが復活したジュビロを、名古屋がジェフをホームで迎え撃つ――ジェフとしては、ホームでグランパスと戦いたいところだったろうけれど。

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避けようがなかった阿部の移籍

2007/01/25(木)

遅かれ早かれ、阿部はジェフユナイテッドを去る運命にあったのだ。
ジェフのイビチャ・オシム前監督は、3年前のプレシーズンにおける懇談でこうなることをすでに予見していた――むしろ意外に遅かったのを驚いているかもしれない。
オシムによると、お金と野心のあるビッグクラブが介入してきたときに、チーム最高の選手の慰留に失敗するのが、ジェフの常。阿部のレッズへ移籍でも、まさに同じことが繰り返されたのである。

阿部の抜けた穴は、ジェフにとってあまりにも大きいものとなるだろう。阿部はクラブのシンボルであり、誇り高く、統率力のあるキャプテン。また、複数のポジションをこなせる選手でもあった。
ただし、ほとんどのケースでは佐藤勇人と並んで中盤の中央でプレーしており、実際には、前線の阿部と佐藤にリベロのストヤノフが加わった三頭体制がチームの基本であった。
とはいえ、これからプレーするレッズ、そして現在の日本代表における阿部のポジションは、中央に闘莉王、左側に坪井が入る、スリーバックの右側に落ち着きそうである。

ジェフ・ファンは、たとえ今シーズンではなくても、近い将来、次にチームを去るのが誰なのか気が気でないに違いない。
巻? 水野? 水本? それとも羽生?
マルチプレーヤーの坂本の新潟移籍には、まだ救いがある。水野が穴を埋め、スタメンに名を連ねることになりそうだからだ――これは、クラブにとっても、代表にとっても朗報である。
敏捷でクレバーな水野は、右サイドはもちろんのこと中央寄りのポジションでも効果的な働きをし、巻の背後の奥深くから攻撃に参加することができる。

噂によると山岸が阿部の後を受けキャプテンになるそうだが、もしそうなら、私にとっては意外な人選だ。責任感を持たせれば少しはおとなしくなるだろうと考え、オシム・ジュニアはストヤノフをキャプテンに指名するのではないかと思っていた。
その奔放な才能を言葉ではなく、足技で表現しているときには、このブルガリア人選手は間違いなくJリーグで最高のオールラウンド・プレーヤーとなり、1人でディフェンスラインを構築できるし、攻撃に参加しては一度に3〜4人をドリブルで抜き去ることができる。
やる気になったときの彼は、もはやJリーグのレベルではない――ただし、出場停止でベンチに座っていては何の役にも立たない。

阿部はストヤノフから、そして“プロフェッサー”斉藤から、今後も守備の要諦を学びとることができたのに、ジェフ・ファンにとって残念なことに、学んだことをこれからは浦和のために活かすのである。
正直言うと、私は次のシーズンのジェフ対浦和戦が待ち遠しくてならない。昨シーズンの試合は絶品といえるもので、スリルに満ちた試合展開のなか、巻と中島のゴールでジェフが2−0の完封勝ちを収めた。
阿部が移籍した今シーズンの試合は、より格別なものになるだろう。

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横浜が、変わる

2007/01/22(月)

1月20日・東京発:久保竜彦を獲得した横浜FCと、鈴木隆行を獲得した横浜F・マリノス。さて、どちらが得をしたのだろう?
私は以前から鈴木のファン。さらに久保の健康状態にはいまだ不安が残る。やはり現時点ではマリノスだろうか。
もちろん、健康状態さえ万全なら久保はJリーグの中でも特筆すべき選手だ。
パワフルな左足でシュートするのか、はたまたパスを出しペナルティエリアに侵入し、彼の後を追ってきたディフェンダーを踏みつけ、高さのあるヘディングを合わせるべくクロスを待つのか。彼はその予測不可能なプレーでマークマンを翻弄する。
それが久保の魅力なのだ。

30歳にしていまだ荒削り。マークしにくく、ディフェンダーが久保の動きを読むのはさらに難しい。
しかし、それも彼が健康であればこそだ。横浜FCはもちろん、環境が変わり、新たにJ1に昇格したチームを引っ張っていくことで彼の運が変わることを望んでいる。
そしてもちろんゴールも…。

マリノスで久保の後釜を務めるのが、レッドスター・ベオグラードから日本に戻って来た鈴木隆行だ。
例えば2003年、25試合で16得点を挙げた全盛期の久保と違い、鈴木は決してスコアラーではなかった。
1シーズンで鈴木が挙げた得点の最高記録は、ヨーロッパへ移籍する前の2001年、26試合で6ゴールだ。しかし、彼のプレーはそのゴールの数では語れない。
鈴木はずば抜けたチームプレーヤー。
チームメートのためにスペースを作ろうと激しい当たりも厭わない、溌剌としたチームリーダーなのだ。

かつて私は、鈴木と大久保のペアは日本代表にとって素晴らしいFW陣となるのではと思ったが、ドイツ・ワールドカップ前に2人はジーコ監督のレーダーから消え、二度と23人の代表枠を争うことはなかった。
鈴木もまた30歳、そして全盛期は過ぎた。しかし、彼はマリノスの攻撃の核となり、ディフェンダーを振り回すことだろう。
ペナルティエリア内でフリーキックを得るのも上手いし、そんな彼に山瀬も満足することだろう。

久保も鈴木も、新チームに豊富な経験とリーダーシップをもたらし、チームの成功の大きな鍵を握ることになるだろう。
マリノスの場合、成功とは再びタイトル争いに加わること。
一方、横浜FCはそこまで高望みはしていない。久保はチームを盛り上げるためにゴールが必要になるだろう。

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賢いガンバの外国人選手獲得ポリシー

2007/01/18(木)

ガンバ大阪にはまったく脱帽である。それは、昨シーズン、リーグチャンピオンの座を防衛するのに失敗していても関係はない。
現在伝えられている移籍話を見る限り、ガンバは、外国人選手の獲得というリスキーで、高くつくビジネスについて完璧なポリシーを構築しているようだ。
ごく単純に言えば、ガンバは最初に他のクラブが獲得した選手をひとまず監視し、実力が十分あると判断すれば、あとはより高額な金額を提示して吹田市に招くだけなのである!
まあ、こう言ってしまうとポリシーをあまりにも単純化したことになるかもしれないけれど、2007年に契約する3人の外国人選手はすべて日本で実績を残しており、さらに英国のサッカー・スラングを使えば、「仕事がデキる」のである。

今回ガンバに加わるのは、大柄でパワフルなフォワードのバレー。バレーは昨シーズン、甲府のメンバーとして印象的な働きをしたから、リスクがあったとは言えない。素晴らしい態度の立派なプロで、チームのために懸命にプレーする選手だ――2005年の昇格/降格プレーオフで甲府の全6得点を決めた後の彼の感極まった姿を、私はいつまでも忘れることはないだろう(号泣の場面がなければ、記憶に残るのは、10ゴールでも決められたのに、あまりにも多くのチャンスを逃した姿になっていたことだろう!)。
バレーはマグノ・アウベスやシジクレイとともにガンバの青と黒のピンストライプのユニフォームを着ることになり、代わってフェルナンジーニョがエスパルスに入団、そのまた代わりにマルキーニョスがアントラーズに入団するのだ!

ゴールを量産したアラウージョの後釜として、マグノ・アウベスを大分から獲得したときも、リスクはなかった。シジクレイのときも同様で、彼はガンバ入団までの数シーズンを日本のさまざまなクラブでプレーしていた。
実際、私には、彼が山形の一員として、栃木グリーン・スタジアムで名古屋グランパスエイトと引き分けた天皇杯の試合でプレーするのを観た記憶がある。たしかペナルティキックを外したはずだ(もし記憶違いなら、シジクレイに心からお詫びしたい!)。
あれは1998年。フィリップ・トルシエも現場にいて、彼が指揮するシドニー・オリンピックの代表メンバーに招集した、グランパスの福田健二を視察していた。

シジクレイ、マグノ・アウベス、そしてバレー…。ガンバは賢いビジネスをしているようだ。それはもちろん、どちらかというと地味なチーム(たとえば、大分、甲府、ヴィッセル)でプレーし、日本で地歩を築いた優秀な選手を獲得するだけのお金と信望がガンバにはあるということに他ならない。
即戦力となるスーパースターをブラジルから獲得しようと、明確なビジョンもないまま暗闇で手探りするような選手探しをするクラブが多いなか、ガンバはピッチ内外での働きを熟知している選手を獲得しているのである。

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MLS、ギャラクシー移籍を決めたベッカム

2007/01/15(月)

1月12日・東京発:数週間前にこのコラムでデビッド・ベッカムが移籍するかもしれない、スターの欲しいJチームは彼の獲得を…と書いた。
さて皆さん、ベッカムはレアル・マドリード(スペイン)を出ることになりました。
ただ、彼の行く先は日本ではなかった。
いやなに、気にすることはない。ただ、考える価値はあるといった程度だったから。

彼はロサンゼルス・ギャラクシーと巨額の契約を結び、サッカーをなかなか受け入れようとしない米国にサッカーを広めるべく、移籍する。
今回の移籍については、痛烈な批判もある。
私が見たとあるサッカーに関するウェブサイトでは、“ベッカムはアメリカに身売りし、さらには妻であるポッシュ・スパイスはハリウッド進出を決めた”と書いてあった。
まあ、1998年ワールドカップのアルゼンチン戦でレッドカードをもらって以来、“民衆の敵ナンバーワン”となり、さらには昨夏のドイツでもイングランド・メディアの非難の的となった彼。この程度の批判が出るのは、容易に予想できる。
私はイングランドの5試合中4試合を見に行ったが、私の周囲にはいつでも、彼の失敗を期待するメディア陣がいた。

パスがとんでもないところへ行くように…
フリーキックがそれますように…
交代させられますように…
と。
そうなのだ。これがイングランドのメディアの体質なのだ。
散々持ち上げておいてから、叩きつぶす。

日本では中田や中村、そしてイチロー、松井、さらに今では松坂大輔のようなスターは守られている。
しかしイングランドでは、彼らの鼻をへし折る。
寂しいことだが、それが現実なのだ。

個人的には、ベッカムの移籍は良いことだと思う。
米国のサッカー人気を上げるという大きな挑戦を、ベッカムは引き受けたのだ。米国でなくたって同等な契約を、彼なら結べたはずだ。
そもそも彼には、そんな巨額は必要ないかもしれないけれどね。

ベッカムは礼儀正しい男だ。
そして何よりサッカーを愛し、プライドと情熱をもってプレーしている。
だからこそ昨シーズン、多くのレアル・マドリードファンはベッカムがキャプテンを務めることを望んでいた。

ベッカムはまだ31歳。
ギャラクシーやMLS自体にも、多くの影響を与えることができるだろう。
何もセリエAのミランへ行って退屈なサッカーをすることなどないし、イングランドへ戻り、四六時中、粗(あら)探しをしてバッシングするメディアとの毎日を過ごす必要もあるまい。
これは、あくまで個人的な意見だけどね。

ベッカムはこれまで十分にイングランドのためにプレーしてきた。そしてさらに今後は、米国とサッカー全体のためにプレーするのだ。
サッカーは彼に富をもたらした。しかし彼は多くをサッカーに注いできたし、報われて当然なのだ。
ベッカムよ、頑張ってくれ!米国は君を必要としている!

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コンサドーレが期待する三浦監督の手腕

2007/01/11(木)

指揮するチームが大宮アルディージャからコンサドーレ札幌に変わる来シーズンは、三浦俊也にとって未知の経験となるだろう。
言うまでもなく、大宮は兄貴分である浦和の巨大な赤い影に覆われながら、埼玉の第2のチームとして存続している。
しかし札幌では、コンサドーレは北海道の誇り。Jリーグの注目の的なのだ。

2004年に大宮をJ1に昇格させ、2005年、2006年を通してトップリーグでの地位を維持させてきた三浦監督が、2007年には自チームにも同じことを起こしてくれることを、コンサドーレのサポーターは期待するだろう。
結局のところ、J2のチームを昇格させることと、すでに確固たる地位を築いているチームをJ1で指揮することはかなり違い、コンサドーレが三浦監督を起用した理由もそこにある。
昨シーズン、コンサドーレのJ2最終成績は13チーム中4位。全48試合を消化した時点で、自動昇格圏にあるチームとは16の勝点差があった。コンサドーレがこの差を埋めるにはかなりの底上げが必要で、三浦は例によって詳細な目標を設定するのだろう。

個人的には、三浦監督は大宮で、とくに2005年のJ1初年度にはなかなかの仕事をしたと思っている。
トップリーグでの2シーズン目は昇格直後のシーズンよりはるかに難しい、とは三浦監督がつねに言っていることだが、昨シーズンの大宮も、外国人選手の質が充分でなかったため、はからずもその通りとなってしまった。
昨年の今頃、小林大悟と土屋征夫に代表されるような、才能のある日本人選手を何人か獲得したが、チームには体格面とフィジカル面での強さが欠けていた。また、ホームスタジアムがなかったことも見過ごしてはならない。
これは大宮にとって大きな痛手であり、今シーズンも改装された大宮公園を利用できるのは10月になってからである。

ロバート・ファーベーク新監督を迎えた大宮の目下の優先事項は、より堅実にプレーし、危険なエリアでの個人の不注意なミス――年を食ってきたトニーニョがしょっちゅうやっていた類のもの――をなくすことにある。
大宮ではファーベークがチームを次のステップに発展させてくれるのを期待するだろうが、コンサドーレでは三浦監督のコーチ術と経験を生かし、チームをかつていた場所、つまりJ1に戻すことを目指すだろう。
総体的に見れば、札幌のファンはチームへの忠誠心と情熱ではJリーグでも最高の部類に入るのだから、北海道のこのチームが昇格すれば、2008年のJ1はさらに楽しいものとなるだろう。
私が今から楽しみにしているのは、2008年の開幕戦、大宮公園でのアルディージャとコンサドーレの対戦。舞台はもちろん、J2ではなく、J1だ!

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フィーゴ獲得はお金のムダ

2007/01/08(月)

1月6日発:「なんて無駄金を使ったんだ!」
イングランドでサッカー観戦に行くと、スタンドでよく耳にするフレーズだ。
これは対戦相手のクラブが高額で獲得した選手がヘマをやらかした時、たとえば絶好のチャンスにシュートを外してしまったような時に使う。
しかし、今回私がこの苦言を呈したいのは、インテルからルイス・フィーゴの獲得を検討しているサウジアラビアのアルイテハドに対してだ。

先週、彼の移籍はほぼ確定的と見られていた。
しかしここにきて、インテル側は6月に契約が切れるまでフィーゴの移籍はないと否定している。
報道によると、契約は1月から6月までの6ヶ月で800万ドル(約9億6千万円)ということだ。
新聞紙上やテレビの報道では移籍金についての言及はなかったものの、フィーゴがインテルの支配下にある以上、当然アルイテハドは何がしかの移籍金を支払わなくてはならない。
7月にならなければ、フィーゴは自由契約にはならないのだ。

いずれにせよ、わずか6ヶ月で800万ドルなんていうのは、私に言わせればまったくの無駄だ。
おそらくこの金額には税金は含まれていないだろうし、得をするのはフィーゴだけということになる。

最近のコラムで、私はJリーグにもビッグネームが必要だと書いた。
たとえば、ベッカム、ロナウド、そしてロベルト・カルロスのような選手が必要だ、と…。
ただし、それはあくまで6ヶ月なんて短期間ではなく、そしてもっと妥当な金額でだ。

フィーゴはどうかって?
おそらく彼は日本では苦労するだろう。
日本の試合展開は彼には速すぎるだろうし、なによりもサッカー人生の終焉間近の彼自身、新しい環境の中で一からスタートしようとするモチベーションは持ち合わせていないだろう。
いったん代表チームから引退し、そして復帰して出場したドイツワールドカップでは、常に疲れているように見えた。
日本の蒸し暑い7月、8月は厳しいだろう。

フィーゴのアルイテハド移籍は、実現するかもしれない。しかし、フィーゴに支払われる金額を見たインテルとしては、当然それに見合った移籍金を要求することだろう。
なぜかって?
それは彼らの当然の権利だからだ。
もちろん、この契約についてフィーゴが自分自身を責めることはできない。
しかし、アルイテハドがこの契約で支払った額に見合った結果を得ることは難しいだろう。
本当にまったくの無駄だ!

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そろそろ天皇杯の枠組見直しを

2007/01/04(木)

元日、浦和レッズがリーグ戦とカップ戦の2冠を達成し、ギド・ブッフバルトが監督として指揮を執った3年間をハッピーエンドで締め括った。
88分、右サイドの野人(岡野)からの低いクロスに永井が合わせてガンバのゴールを破り、この試合で唯一の得点となった決勝ゴールを決めた。これは信じられないような決着と言えるのではないだろうか。
後半はガンバが優勢に立っており、ゴールを奪うのはこちらの方だと思っていた。実際、ツネ(宮本)は、山口のクロスに対するニアサイドからのヘディングを合わせ損なって願ってもないチャンスを逃し、自身のハッピーエンドを飾るのに失敗した。また、レッズのGK都築は素晴らしいセーブをいくつか見せ、かつての所属チームの攻撃を完封した。

カップ戦の決勝戦とはこういうもの。レッズは長いシーズンの掉尾にベストメンバーとは程遠いチーム構成で臨み、勝利を飾ることができたのである。
個人的には、両チームとも疲れきって見え、天皇杯は余分な大会であるように思えた。1ヶ月前に埼玉スタジアムでレッズがガンバを破り、リーグ・チャンピオンを勝ち取ったときが、事実上のシーズンの終わりではなかったのだろうか?
以前にも書いたが、発展を遂げた日本サッカーにとって、天皇杯の枠組はふさわしいものではなくなっている。天皇杯の価値を高めるには、JFA(日本サッカー協会)の大会の再構築を行なう必要がある。
その第一歩として、天皇杯の出場資格をJ1、J2とJFLのチームだけに限定すれば良いだろう。高校も、大学も参加しないことにするのだ。
J1の18チームは第2ラウンドから参戦し、第1ラウンドを勝ち抜いたJ2とJFLの14チームに合流する。
つまり、第2ラウンドでは32チームが、第3ラウンドでは16チームが戦い、その後に準々決勝、準決勝、そして決勝へと進むのである。

ナビスコカップを夏の間に終えられれば、天皇杯は9月頃からスタートできるようになり、それぞれのラウンドをJ1のスケジュールに組み入れることもできる。そうなれば、全チームがベストメンバーで戦うことができ、現在のように、外国人選手が帰国し、シーズンの間ずっとベンチにいた選手を起用して戦うということもなくなるだろう。
さらに、準決勝と決勝以外では中立地開催をやめてはどうだろう。ラウンドが進むごとに、JFAハウスで月曜日午後に抽選を行ない、当たりクジを引いたほうがホームで試合を開催する権利を獲得することにするのだ。
そうすれば、勝ち残ってきたJFLやJ2のチームが浦和のようなビッグクラブとホームで戦うチャンスを得られるようになる。試合会場を事前に設定されていない抽選のほうが、現在のフォーマットよりはるかに魅力的になるだろう。
現在のフォーマットでは、疲労困憊したチームと忍耐強いファンが、中立地に向かうために長い距離を移動しなければならない。

私は、天皇杯は今も意義があると思っている。しかし、今の時代のサッカーに合わせるためには大胆な変革も必要である。

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秋田と京都はベストマッチ!

2006/12/31(日)

京都サンガが、グランパスからDF秋田豊を獲得した。
これはきわめて賢明なことだと思う。
京都は今シーズンJ2に降格し、J1とJ2を行ったり来たりする“ヨーヨーチーム”になってしまった感がある。
もしも、去年の今の時期に秋田くらいの質と経験を持つ選手を獲得していたなら、ムダなゴールを与えることなくJ1に残留できていたかもしれない。

秋田は私好みの選手。闘争心溢れるセンターハーフ。彼はまさにイングランドスタイルのディフェンダーそのものだ。
自ら見本を示し、相手のセンターフォワードに己の存在を見せつけ、90分間の1対1の戦いも厭わない。
そしてチームの勝利に大きく貢献するのだ。

秋田の京都移籍は双方にとって良いことだ。
京都は彼の経験と貢献を得ることができ、秋田は現役としてまた新たな1年を迎えられる。
そして秋田にとっては、コーチとしての道も開けてくるのではないだろうか。
秋田の持つ知識と能力は、チームメイトにも大きな力となり得る。

もちろん、J2での1年は長く辛い。
京都のコーチ陣は決して若くない秋田の体のことも気づかわなければならない。
ケガや出場停止は、長いマラソンレースの中で大きな代償となり跳ね返ってくる。
秋田がシーズンの全試合に出場できるとは考えにくい。

しかし京都にとっては、彼がそこにいるというだけで違うはず。
それがピッチであろうがベンチであろうが、来季のサンガにとって秋田の存在は大きな価値があるのだ。
空中戦に強い彼の周囲には、こぼれ球を拾えるスピードのある選手が必要となってくるだろう。
これも京都には有意義なことだ。
若手選手たちには、秋田と一緒にプレーをすることは活きた勉強ができる素晴らしい機会となる。
秋田の、ピッチ内外でのプロ意識。これはチームにかけがいのない効果を与えるはずだ。

秋田は、これまでも日本サッカー界に大きく貢献してきた。
そしてさらに、J2での彼の存在は多くのサッカーファンに感謝されることだろう。

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ACLではフロンターレにも注目を

2006/12/28(木)

浦和レッズばかりが注目されるのは、現時点では至極当然のことである。
初めてリーグ・チャンピオンの栄誉を獲得したし、天皇杯でも勝ち進んでいる。また、ギド・ブッフバルトはまもなくシュツットガルト(ドイツ)に帰ってしまうし、闘莉王はJリーグのMVPに輝いた…。
しかし、川崎フロンターレにも注目して欲しい。
勇猛果敢な戦いぶりでレッズに次ぐ2位となったフロンターレも、来年のアジアチャンピオンズリーズに日本の代表として出場する――しかも、グループリーグを勝ち抜き、ベスト8に進出する可能性が高い。

組合せ抽選の結果、レッズがグループEでシドニーFC(オーストラリア)上海申花(中国)そしてペルシク・ケディリ(インドネシア)と同組になったのに対して、フロンターレはグループFでバンコク・ユニバーシティ(タイ)アレマ・マラン(インドネシア)全南ドラゴンズ(韓国)と対戦する。
大会の規定はタフなもので、準々決勝に進出できるのは各グループの1位チームだけ。したがって、とりこぼしは許されない。

しかしながら、フロンターレにグループリーグを勝ち抜ける力があるのも確かだ。フロンターレは、J1の他のどのチームとも似ていない、独自のプレースタイルを持っており、私はアジアチャンピオンズリーグでもこのスタイルを維持して欲しいと思っている。
フロンターレには、チームのバックボーンを形成する大柄な選手が何人かおり、さらに前後左右に展開するスピードと中村憲剛を中心とする細緻な中盤がある。フィジカル的に劣るチームとの対戦――たとえば、大宮アルディージャ戦――では情け容赦なく攻め立て、相手を屈服させるのだ。

来シーズンのチャンピオンズリーグでも、とくに韓国のチームを相手にして同じような戦いぶりを見せれば、その動き回るスタイルは相手にとって脅威になるかもしれない。フロンターレが全南とのホーム戦、そしてアウェー戦でもエンジンを全開にして戦うのを見るのが楽しみである。グループ1位は、この両チームで争うのが確実だ。
アウェーでの条件や環境の違いに苦しむこともあるかもしれないが、それでもフロンターレならバンコク・ユニバーシティとアレマ・マランを一蹴できるはずである。

1つ、確かなことがある。レッズとフロンターレはともに、来年のアジアチャンピオンズリーグに全力で挑むだろう。なんといっても、この大会の先には、FIFAクラブワールドカップという、おいしいご褒美が待ち受けているのだから。

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パーフェクトなタイミング 〜宮本の移籍〜

2006/12/25(月)

12月23日発:宮本恒靖と三都主に、エキサイティングな1年がやってくる。
海外移籍が噂されて数シーズンが過ぎたいま、ようやく彼らの望みが叶うのだ。
2人はオーストリア1部リーグのザルツブルグでチームメートとなる。

ジョバンニ・トラパットーニとローター・マテウスが率いるザルツブルグは、エナジードリンクで有名なレッドブルがスポンサーをしている。
つまり、チームには潤沢な資金がありツネとアレックスにかなりのサラリーを払うことができるというわけだ。
彼らにとっては環境を変える素晴らしいチャンスだし、美しい国でサッカーができるうえ、フィリップ・トルシエが言っていたように、日本を出て経験をつむことで人間としても成長できる。

闘莉王にポジションを奪われ日本代表から外れた宮本にとっては、ガンバを去ることで失うものは何もない。移籍は十分納得できる。
彼には十分資格があるし、きっと素晴らしい日本のサッカー大使であり続けてくれるはずだ。
経済学を学び、選手としての経験、そして語学力を活かして、ゆくゆくは日本サッカー協会という巨大企業を引っ張っていく存在に? それとも日本代表監督?
おそらく、彼の思いのままだろう。
ガンバに残留したとしても、宮本にはもう得るものが何もない。
2005年にはリーグチャンピオンになったし、今年も惜しいところまでいった。そう、彼のオーストリアへの移籍は完璧なタイミングと言える。

アレックスについては、彼の移籍は日本のすべての左サイドの選手にとって良い刺激になるだろう。
イビチャ・オシム監督は、ここまでヨーロッパ組の選手たちのライフスタイルや体内時計を狂わせることを避け、Jリーグの選手を中心にメンバーを選んできていた。2007年、このポリシーは変わるかもしれない。
オシム監督は7月のアジアカップに向けてチームを作っており、海外から数名の選手を呼び戻し、新しい構成のチームへとまとめあげるかもしれない。

とはいえ、オシム監督はすでにアレックスのことを知り尽くしている。呼び戻される選手の中には入ってこないだろう。
むしろ、オーストリアで落ち着くまでの数ヶ月、アレックスは向こうに残す方が良いのではないだろうか。
そして、代表チームでプレーできる新しい左サイドを探すべきだろう。
すでに駒野がいるのだが、オシム監督はグランパスの本田、ガンバの家長、さらにはレッズの相馬を試してみる可能性がある。
相馬は浦和レッズのアレックスの後釜。彼は2〜3年前にヴェルディで注目を浴びた頃のフォームを取り戻す必要がある。

来年どこへ旅行しようか迷っている皆さん!
ザルツブルグはいかが?

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2人のディフェンダーの受賞

2006/12/21(木)

ディフェンダーが個人として最高の栄誉を獲得する時代になったようである。
このような賞はフォワードや花形のプレーヤー、ゴール・ゲッターに贈られることがあまりに多く、ディフェンダーの価値ある仕事は報われないことが多かった。
ディフェンダーという仕事はファンタジスタに比べて派手なものではなく、したがって新聞の見出しになることもそれほどない。だからと言って、ディフェンダーが評価に値しないというわけはない。

そういうわけで、今週の2つの賞の受賞者発表は私にとって喜ばしいものとなった。FIFA年間最優秀選手がファビオ・カンナバーロに贈られ、さらに我らが闘莉王がJリーグMVPとなったのである。
私にとっては、どちらの受賞も自然で、当然なものだった。
ディフェンスが重視されたたワールドカップにおいて、カンナバーロはイタリアのなかでもはっきりと際立っていた。カンナバーロは、ここ何シーズンか私が高く評価していた選手で、世界中のどの監督であっても、彼がいるチームで指揮を執りたいと思うだろう。カンナバーロはタフで、人を惹きつける、生まれつきのリーダー。空中戦でも、地上の混戦にも強い。

カンナバーロはレアルで成功していないと言う評論家もいるかもしれないが、個人的には、そんなことはあまり関係ないと思っている。なんと言っても、2006年はワールドカップ・イヤーであり、ドイツで起こったこと――あるいは起こらなかったこと――が、1年の象徴になるべきだ
それゆえ、カンナバーロがジダンやロナウジーニョを差し置いて選ばれたのは、当然のこと。
カンナバーロがジダンやロナウジーニョより優れたサッカー選手なのか? もちろん、そうではない。しかし、カンナバーロは自分のポジションで立派な仕事をしたし、本当に大事なときに最高のプレーをしたのである。

同じことが闘莉王にも当てはまる。
少し前にこのコラムで書いたように、闘莉王はどのチームでプレーしてもそのチームの中心人物となる選手で、今シーズンは浦和レッズのシンボルとなっている。
ドイツでのワールドカップの直前、日本外国人スポーツ記者協会にギド・ブッフバルトを招いた夜のことを、私は決して忘れないだろう。ゲスト・スピーカーのブッフバルトは、「闘莉王は日本最高のディフェンダーであるが、ここ2年間、ジーコからレッズの選手について聞かれたことはなかった」と語った。
闘莉王がドイツ行きの飛行機に乗り、オーストラリアとクロアチアを相手に奮戦したらどうなっていたか、と私は今でも思う。

もっとも、あれは遠い昔のことであるし、闘莉王はイビチャ・オシムが率いる日本代表で長く活躍することが期待されている。私は、彼が日本代表のキャプテンに任命されるべきだと依然として考えているし、オシムがそうしなかったのが少し不思議でもある。
総じて言えば、カンナバーロと闘莉王の受賞はサッカーにとって良いことである。

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バルサ 〜完璧な勝者〜

2006/12/18(月)

12月15日・東京発:バルサで良かった。特にロナウジーニョがいて良かった。
木曜夜、雨の横浜スタジアムは素晴らしい一夜となった。
試合開始当初、私は少々不安だった。
というのも、6万2000人もの観衆が集まったスタジアムだったが、盛り上がりにイマイチ欠けていたからだ。
ハーフタイムに入っても、観衆はまるでシンフォニーオーケストラのコンサートに来たかのようにおとなしく、スタジアムは相変わらず静かなまま。
それが、試合終了のホイッスルが鳴った時、スタジアムはようやく“サッカースタジアムはこうあるべき”という姿になっていた。観客もやっと盛り上がり、バルセロナファンはプライドに満ち、バルセロナファンでない人々もバルセロナの素晴らしいプレーに感嘆しきりだった。

試合は、後半に入るとFIFAクラブワールドカップの準決勝というより、エキシビジョンマッチの様相を帯びてきていた。
バルセロナはメキシコからやってきた相手に華やかで、素早い攻撃をしかけ、完全に試合を支配した。
そんな中で生まれた最初のゴールは、ロナウジーニョのヒールパス、イニエスタの複雑なプレー、そして正確無比なグドヨンセンのフィニッシュ。それはもはやサッカーなどというものでなく、緑のカンバスに色とりどりのペイントで美しく仕上げた、芸術品のようなゴールだった。

私のお気に入りのラファエル・マルケスが2点目をヘッドで押し込み、まるで赤ん坊からキャンディーを奪うくらい簡単なヘディングシュートだったとでも言うかのように、親指を吸うセレブレーションポーズを見せた。
そして、3点目は多くの観衆のお目当てでもあったロナウジーニョ。
ルーズボールをペナルティエリアで拾い、冷静さとテクニックをもっていともたやすくボールにカーブをかけ、コーナーに決めた。
まさに個人技の極み。
そして、ゴールを目前にしていかに落ち着き、いかに集中するか、全選手のお手本となるプレーだった。

そして4点目。これ以上何を言うべきだろうか?
ペナルティエリアのわずかに外の混戦からボールを奪ったロナウジーニョから、パスを受けたデコが相手陣内コーナーまで素晴らしいドライブ。迅速をもってなるバルサのカウンター、そしてデコの教科書通りの素晴らしいドライブ力を見せ付けられた。
デコのプレーは本当に素晴らしかった。彼のボールコントロール能力と試合を見る目は、クラブ・アメリカのディフェンスを翻弄し続けた。

ロスタイム再びロナウジーニョが巧みなドリブルから放った絶品のチップシュートがクロスバーに当たるシーンがあったりと、試合はハイテンションのまま終了。
その頃には、観客は試合開始時の静寂から一転、惜しみない賞賛の拍手を選手に送ったのだった。
数年にわたりトヨタカップの試合を見てきたが、チームが観客に活力と情熱を与えることは容易なことではない。
ところが、バルサは素晴らしいサッカースタイルでそれをやってのけ、日曜日の決勝にむかって大会を盛り上げてくれた。
試合自体やゴール以外に強烈に私の印象に残ったのは、試合開始時と試合終了時の歓声の違い。
ピッチ内外を問わず、まさにバルサの完勝というべきだろう。

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ホイッスルのあとの情熱と感動

2006/12/14(木)

Jリーグは、その短い歴史のなかに数多くのものを得てきたが、昇格/降格を決めるプレーオフ以上のものはない。
昨シーズンは、ヴァンフォーレ甲府が圧倒的なスタイルで柏レイソルを降格させるという、センセーショナルな結果となった。甲府は、2試合を連勝。ホームで2−1で勝ったあとの日立台でのアウェー戦では、バレーが6ゴールを挙げるという爆発ぶり――実際には10点とってもおかしくないくらいだった!――で、6−2で勝利した。

今回は、前回に比べてゴールの数はそれほど多くはなく、2戦合計で2点だけだったが、ドラマ性はきわめて高く、結果的にヴィッセル神戸がアビスパ福岡に代わってトップリーグ入りを決めた。
感極まったような三浦アツの表情、涙を流す両チームのファンのアップ、シーズン当初にアビスパを解雇され、今は神戸を昇格させ、感慨にひたる神戸の松田浩監督。なんという筋書きだろう!

終了間際には、ゴール前の大混戦もあった。ボールがあらゆる方向を行き来し、まるでピンボール・マシンのようだったが、最終的には神戸がボールをゴールから掻き出した。
あのボールが入っていれば、両チームはそれまでの位置、つまりアビスパはJ1に、ヴィッセルはJ2に留まることになっていたのである。これがこの競技の魅力。9ヶ月間の努力の末にある、最後の運命の数秒間によってすべてが変わってしまうことがある。

最終的には、アウェーゴール・ルールにより、スコアが同点の場合はアウェー戦のゴールが2倍になるため(読者のほとんどがご存知なのはわかっているけれど、念のためにね!)神戸が昇格を決めた。
後半、近藤がヴィッセルのゴールを決めてからというもの、アビスパはひたすら奮闘した。2ゴールが必要になったからだ。
1ゴールは得たが、もう1つがどうしても奪えず、試合終了のホイッスルが吹かれると歓喜と絶望のシーンが生まれた――このときのテレビの放送は満点と言えるもので、サッカーという劇場のなかに留まり、その劇場のなかで生まれたドラマを余すところなく伝えていた。

皆さんがどうなのかは分からないけれど、私は、試合終了のホイッスルの直後にCMが入り、ビデオ再生とスタジオでのおしゃべりが流されると本当に腹立たしい気分になる。
選手たちがピッチを去るところ――あるいは場合によっては、ピッチに倒れこみ、その場で思考する、ドルトムントでの中田英寿のような姿――を見たいのだ(ところで、中田英寿は今もあの場所にいて、サニーサイドアップ(編集注:中田の所属事務所)がトレーに食事を乗せて運び、ブンデスリーガのチームが中田の邪魔にならないようにプレーしているという噂は本当なのだろうか?)。

繰り返すが、私は試合終了のホイッスルのあとのシーンが見たいのだ。選手たちのユニフォームの交換、ファンへの感謝、ファンの怒りから逃れるために走り去る姿…ここには、FIFAの会長のゼップ・プラッターがいつも言っている、サッカーの情熱と感動――しかも、戦いが終っているのに!――がある。
J1とJ2のプレーオフは、素晴らしいアイデアであり、長いシーズンの棹尾に味わう刺激だ。
それから、フェアプレーをした両チームを祝福したい(まあ、それなりに。第1戦ではアビスパが時間稼ぎをしたし、第2戦ではヴィッセルがそれを行なった。とくに、パク・カンジョがシューズの紐で演じた茶番は、間違いなくレッドカードに値するものだ)。

忠実で、騒々しいファンを持つアビスパがJ1からいなくなるのは寂しいが、ヴィッセルや他のチームの例を見てもわかるように、君たちはすぐに戻って来られるのだ。

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バレーがレッズに…Jストーブリーグ噂話

2006/12/11(月)

12月9日発:誰が残り、誰が去り、そしてまた誰がやってくるのだろう?
日本のサッカーにとって面白い季節がやってきた。クラブが選手や監督を解雇し、そして来季のチームを強くしてくれる(あるいはそれほど助けにはならないかもしれない)選手を探す時期が来たのだ。

鹿島は積極的に動いており、パウロ・アウトゥオリ監督、ベテランの名良橋、本田、そしてブラジル人のフェルナンドとアレックス・ミレイロがチームを去る。監督とジャーンが去るFC東京も、積極的だ。
ちなみに2〜3年前、私は、ジャーンは来日外国人選手の中で最も優れた選手で、若手の見本になるだろうと思ったものだ。彼はリスクもなく、闘争心あふれるセンターハーフ、そして毎週90分間をフルで戦えるからだ。

大宮アルディージャでは、ベテランのブラジル人選手、トニーニョが(12月2日に)Jリーグ最後の試合を戦った。また、天皇杯後には三浦俊也監督がチームを去り、おそらくコンサドーレ札幌の監督となる。
これは、これから話すことと共に、私が先日聞いた噂である。
#ヴァンフォーレ甲府のブラジル人ストライカー、バレーが浦和レッズに移籍
#大宮は三浦監督の後任としてピム・ファーベックの弟を起用

先にも述べたが、これらはあくまで噂。実現するかどうかわからない。
イギリスのジャーナリズムではこういう事を“凧を飛ばす”と言う。
どうしてかって?
ある凧は空高く舞うが、しかしその一方、地面に落ちる凧もあるからだ。

バレーの獲得はレッズにとってまたとない補強。来季のアジアチャンピオンズリーグに向けた、クラブの意欲を示すことになる。間違いなく、レッズはバレー獲りに動く。
そして、“アジア版のUEFAチャンピオンズリーグ”を真剣に勝ちにいくレッズを、日本中が応援することだろう。
ワシントン、ポンテ、山田、達也、そして永井がいるとはいえ、ミッドウィークの試合、そしておそらくオーストラリアでも、レッズはとにかく攻撃力が必要となる。

先ごろ、私はさいたまスタジアムでバレーのプレーを見た。
彼は非常に好調で、大柄なわりにスピードがあり、ボールを持たせると危険な選手だ。
まっすぐでそしてポジティブ、さらにこぼれ球をネットに押し込むのに最適なタイミングで最適なポジションにいるのだ。
バレーがレッズに移籍したなら、チームの戦力を落とすことなくワシントンにかかる負担を軽減できる。
そして、守備を薄くしても攻撃しなくてはならない時には、ポンテを後ろに控えさせ、彼ら二人にトップを張らせることもできるのだ。

レッズファンにとって、来年はアジアにも彼らの“ブランド”が広がりとてもエキサイティングな一年になることだろう。
もちろん三菱は、市場開拓のためにアウェーゲームでも十分にプロモーション活動を行なうだろう。
バレーがレッズに(ガンバも彼に触手を伸ばしている)移り、そしてピム・ファーベック元大宮監督の弟が大宮の監督になる。
現時点では、これらはまだ噂の段階だ。
我々としては、どの凧が空高く舞い上がりどの凧が地面に激突するか、これは待って見るしかないだろう。

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サッカーはシンプルに!

2006/12/07(木)

シーズンが終わろうとしているときには、議論の余地のない事実がいくつか明らかになる。
たとえば、浦和レッズが日本で最高のチームだということ。34試合を戦ったあとの順位表は、嘘をつかない。また、ワシントンとマグノ・アウベスが、それぞれ26ゴールを挙げ、得点王に輝いた。

しかし、他のランキングについては、正直言って、私はあまり注目してはいない。たとえば、アシスト王。それから、先日あるサッカー雑誌で読んだ「ゴースト(goast)」ランキングと「ゴールキーパーの防御率」。
ゴーストに防御率? サッカーの話なのか、野球の話なのか? とくに、この2つはどうしたものか。
アシスト・ランキングについては、悪いけど、私はこれを統計とはみなしていない。この数字は、アシストした選手ではなく、ゴールを挙げた選手に左右されるから、実態を反映したものとは言えないからだ。

たとえば、中盤の選手がドリブルで5人を抜き去り、ストライカーに素晴らしいパスを出して、ストライカーがシュートを外した場合。ゴールが生まれなかったのだから、アシストも記録されない。
その一方、ある選手がチームメートに短い横パスを渡し、そのチームメートがゴール前30メートルの位置からゴール上隅に強烈なシュートを叩き込むこともある。ゴールは賞賛されるべきだが、その得点者に55メートルのパスを送った人間にもアシストが記録される。

だから、私はアシスト・ランキングを不公平だと考えているのだ。アシスト・ランキングに反映されるのは得点で、選手のクリエイティブな才能ではない。アシスト・ランキングの上位にいる選手に才能がないと言っているのではない。もちろん、彼らは才能に恵また選手だが、ランキング自体は、アシストする選手ではなく、ゴールを決める選手によって決められるのだ。

「ゴースト」ランキングは、ゴールとアシストをプラスとしたもので、それゆえに「ゴースト」と呼ばれている。まったく、よく考えるものだ! このランキングは、以前にアイスホッケーで見たことがあるが、サッカーにはないものだった。英国人の感覚で言えば、アシスト・ランキングと同じように、このランキングもとても北米的な発想である。
ついでに書いておくと、ゴースト・ランキングのトップは、ともに31ポイントを挙げたジュニーニョとワシントン(フロンターレの選手は20ゴール・11アシスト、大柄のブラジル選手は26ゴール・5アシスト)だった。

さらに、ゴールキーパーの防御率というものもある。これは、1試合あたりにキーパーが許した平均ゴール数だ。面白いものだが、あまりにもアメリカ的で私の趣味ではない!
ああ、サッカーはもっとシンプルなものだったのに。「浦和レッズ3−2ガンバ大阪」といったようなものが、私にとって唯一知る必要のあるデータなのである!

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ある街の物語

2006/12/04(月)

東京・12月2日発:一方では、涙と怒りをあらわにした横浜フリューゲルスの選手たちがJリーグに別れを告げたのは、それほど昔のことではなかったように思える。
それは1998年の終わり。Jリーグを日本スポーツ界の頂点に押し上げたバブルがはじけた後の、三ツ沢スタジアムでのことだった。
しかしまた一方では、それは遠い過去の話のような気もする。
Jリーグは当時まだ2ステージ制だったし、J2もなかった。クラブはとうに峠を過ぎた選手たちに、それこそ馬鹿げた給料を払い(パウロ・フットレ、フリューゲルス・1998年)また、入場料収入が非常に少なじ時期に、ビジネスセンスが欠如しているとしか思えないような投資(セザール・サンパイオ、ジーニョ、そしてエバイールのトリオに1000万ドルを投資した――確かに彼らには才能はあったが…)をしていた。

1999年。フリューゲルスは消滅し、横浜マリノスは横浜F・マリノスとなった。その後、フリューゲルスの灰から横浜FCが誕生。2001年にJFLからJ2に参入してきた。
そして来る2007年、横浜FCはJ1に昇格し、横浜・Fマリノスとダービーマッチを戦うことになる。
これは驚くべきサクセスストーリだ。

今年のJ2の優勝争いは激しかった。
レイソルとヴィッセル神戸がペースを掴んでいたように見えたが、終盤に失速。横浜FCがあっという間に彼らを追い抜き、優勝してしまった。
2006年シーズンの最終日、横浜FCは栄冠を一身に浴びていた。その一方で、神戸と柏はJ1昇格の残り1枠を賭け、またセレッソもしくはアビスパとのプレーオフを避けるべく戦う(編集注:12月2日時点)。

横浜FCの復活は、チームや応援し続けたサポーターたちの勝利だけでなく、Jリーグ、そしてサッカー界の勝利でもある。
ピッチの内外を問わず、優れたチームマネージメント(高木琢也監督の功績はもちろん大きい)と、ハングリーな選手たち、経験豊富な真のプロフェッショナルが揃えば、チームは無理なくゴールを達成できるのだ。
とは言え、チームの誰もがこう言うだろう。まだ始まったばかりだ、と。
基礎はできあがったが、ただそれだけなのだ。
J1で確固たるポジションを築き、それを長期にわたり維持するために、横浜FCは、来季、さらにその先に向けて難しい選択をしていくことになる。

佐藤工業が撤退し、全日空がマリノスに移ってフリューゲルスは消滅した。
これはJリーグにとって苦い経験だった。
横浜FCは、これらの苦い経験から学んだのだ。そしてリーグの未来は良いものになるだろう。

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今年も、歴史は繰り返すのか?

2006/11/30(木)

それはないだろう。ありえるはずが、ないじゃなないか。
埼玉スタジアム2002でのレッズ対ガンバ。ちなみに、チケットは数週間前に完売している。
ガンバが浦和を抜くには、3点差以上の勝利が必要。やっぱり、ありえない。チャンピオンはすでに決まっており、土曜日のスタジアムは、アウェー・チーム用の一角を除き、赤・黒・白のビッグ・パーティーの場となるだろう。

そう、それが土曜日の論理的なシナリオなのだ。
しかし、ここ最近の数シーズン、Jリーグは論理で解決できるものではないことを見せつけられている。したがって「レッズ0−3ガンバ」なんて結果も排除はできない。
ちょっと想像してみてほしい。ガンバが2−0でリードして、残りはロスタイムの4分だけ。そのとき、マグノ・アウベスがペナルティ・エリア内で倒れ、レフェリーがPKを宣告。マグノ・アウベスがPKを決める――そして、ガンバがまたも信じられないような結末でリーグ・チャンピオンの座を防衛。
あるいは、マグノ・アウベスがPKを失敗――そして、ブッフバルトが指揮する最後のリーグ戦で初のリーグ・チャンピオンの座に就く。

2003年の最終戦で久保がロスタイムにヘディング・シュートを決めてマリノスがジュビロを破り、第2ステージ優勝と両ステージ完全制覇を決めたのを見ているから、さらには2005年のリーグ最終節でガンバが等々力で勝っているのを見ているので、私は、土曜日は何が起こっても不思議ではないという気分になっている。
サッカーでは、予想外のことが起こるもの。とりわけ日本でその傾向が顕著なのは、最近の歴史を見れば明らかである。

現実的に考えると、試合は0−0または1−1で終了し、ちょっとアンチクライマックスな雰囲気でレッズがチャンピオンになりそうだ。アンチクライマックスというのは中立な立場のファンにとってということで、もちろんレッズファンにとってはそうはならないだろう。なんといっても、タイトルは1日ではなく、1シーズンを費やして勝ちとったものなのだから。
それゆえ、最近では優勝チームがリーグの最高のチームということになっている。
2リーグ制の頃は必ずしもそうではなく、年間を通じてもっとも安定した強さを発揮したチームがホーム&アウェーのプレーオフにも進めないということもありえたし、最終的にリーグ・チャンピオンとなったチームが総合順位では2位のチームより勝点が数ポイント少ないということもありえた。
そのような日々が過ぎさったのは、幸いだ。
しかし、衝撃的で、信じられないような結末は今も存在しており、サッカーから決して消え去らないだろう。

私の予想?
引き分けだ。スコアは1−1。レッズが先制し(ワシントン、35分)ガンバが後半終盤に追いつき(マグノ・アウベス、80分)、ハラハラさせながら試合終了。タイトルは、レッズに。
しかし、ひょっとするとまた…。

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MVP候補に挙がるレッズトリオ

2006/11/27(月)

11月25日発:今年もまた、Jリーグアウォーズの時期がやってきた。今年のJリーグMVPには誰が選ばれるだろう。
とある日の午後、さいたまスタジアムでメディア仲間数人と話していると、3人の名前があがった。3人ともレッズの選手だ。

ワシントンを有力視する人が多いが、私の最有力候補は彼ではない。
もちろん、ワシントンは価値ある選手だ。
彼ほどの得点能力があれば、どんな選手だって価値があると言える。
彼は浦和に移籍してくる前にヴェルディでもこれを証明してみせた。
そして今年、J1の得点王としてゴールデンシューズ・トロフィーを手にするのはほぼ間違いないだろう。
ワシントンについては文句のつけようがないはずだ。数字は誤魔化しがきかないし、一目瞭然だ。

次に名前が挙がったのは、山田暢久だった。
いや、ノブヒサ・デルピエロと呼ぶべきだろうか。
先日の甲府戦での彼のゴールは、それほどに素晴らしかった。
ただし甲府にとっては、2つのPKにレッドカードと、試合から得るものは何もないと感じるほどの扱いを受けていた。

シーズン開幕間もない頃、私は山田の得点能力について書いた。
チャンスに飛びつき、そしてゴールを見たとたんにパニックに陥るほかの選手たちと違って、彼はいつもクールで落ち着いている。
だからこそ甲府戦で見せたように、左ウィングから切れ込み、3人のディフェンダーをかわしてファーポストにカーブをかけた美しいシュートを放てるのだ。
ニューカッスル・ユナイテッドやトットナムでポール・ガスコインのこうしたゴールをよく見たものだ。ノブヒサ・デルピエロにとってこれ以上の賛辞はないだろう。

タイトル争いが佳境に入るにつれ、山田も神憑りの様子を見せている。ポンテやワシントンとのコンビネーションが好調、またミッドフィールド中央から長谷部や啓太が、そしてウィングバックの平川とアレックスがきちんとサポートできる今、甲府戦で達也や伸二がベンチにいるのも頷ける。
後半開始早々、キーパーの頭上を越し、ゲーム最初のゴールとなったワシントンのヘディングを呼んだ、山田の左足からのクロスはまさに完璧だった。

それから、そう、闘莉王を忘れてはいけない。
彼は常に全力でプレーし、チームの核となれる選手だ。
闘莉王はレッズが許したゴールはすべて自身の屈辱と考えている。
要は、相手チームが得点を挙げ喜ぶ姿を見るのが何よりも嫌いなのだ。
得点されてもうなだれることなく、やり返すべく得点を狙っているのだ。

これらすべてを考えると、私のJリーグMVP最有力候補は闘莉王。次点は啓太だ。ほとんどの場合、こうした賞は得点を挙げ注目を浴びる選手が受賞している。しかし、重要でありながら目立たない役割を果たしている選手だって等しく表彰されるべきだ。
マリノスが完全優勝を果たした時、MVPは中澤もしくは久保、奥に与えられるべきだったのに、エメルソンが受賞したのはまだ記憶に新しい。

なんにせよ、12月18日にすべてがハッキリする。

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シュンスーキ、再び!

2006/11/23(木)

う〜ん、中村俊輔をほめたたえる表現はまだ残っているのだろうか?
かつてのマリノスのマジシャンが、セルティックのメンバーとしてまたもやってのけた。舞台は、火曜夜(日本では水曜早朝)にグラスゴーで行なわれた欧州チャンピオンズリーグのグループリーグ。相手はマンチェスター・ユナイテッドだ。

数週間前にオールド・トラフォードで見せたフリーキックもなかなか良かったが、今回のは美しかった。私が見てきた俊輔のゴールのなかでも最高のものの1つ。だが、フランスのコンフェデーレーションズカップでバルテスのゴールを破ったフリーキックにはまだ及ばないか…。
フランスでのフリーキックは、彼にとっては「ありえない方向」のゴール。ゴールの左に蹴りこんだのだ。しかし、今度のマンチェスター・U戦の宝石のようなフリーキックは、ゴールの右側――左利きの選手には、ずっと狙いやすいアングル――からのものだった。

ゴール前約25メートルの距離から俊輔が蹴った、完璧なフリーキックのボールは壁の上――それもはるか上――を越えてから急速に沈み、クロスバーの下をくぐってゴール上隅に。キーパーにはまったくお手上げの一本だ。
ゴールが決まった状況も申し分がなかった。全世界に多くのファンを持つ、2つのビッグ・クラブが戦った、いわゆる「ブリテンの戦い」の第2幕の81分に記録されたのである。

英語の実況は、日本の視聴者にとっては「生のサッカー英語」についての興味深いレッスンとなっただろう。早朝の放送中(俊輔のゴールが決まったのは、日本時間の午前6時25分頃)私がピックアップしたフレーズをいくつか紹介しよう。
「絶対的な完璧さ」とは、アナリストのデイビッド・プリートの弁。彼はまた、俊輔のゴールを、「ワンダフル・ゴール」そして「途方もないスキルが垣間見られた」と表現した。
プリートは、専門的な分析をしたり、プレーの合間に会話を繋いだりする実況チームの「キャスター」だが、解説者は同じゴールについて、「息を呑むようなゴール」「魔法の瞬間」と語った。
それから数分後、セルティックの1点リードのなか俊輔が交代でピッチを去るとき、解説者は「驚愕のゴールに対するスタンディング・オベーション」について話した。
ワンダフル、息を呑む、驚愕…冒頭で述べたように、俊輔のフリーキックを表現する英語はもうそう多くは残っていない。

私は、セルティックの勝利は正当なものだと思った。というのも、オールド・トラフォードでの第1戦でのPKは、ユナイテッド(これはマンチェスター・Uのこと。ニューカッスルでも、リーズでも、ジェフでもないし、他のあらゆるユナイテッドでもない。そもそも、不遜なマンチェ・ファンはそんなユナイテッドは相手にしない)に与えられるべきものではなかったからだ。
ちなみに、あのときはGKボルツがギグスにファウルを犯したと宣告された。今回、ボルツがリベンジを果たした。試合終了直前にサアのPKをセーブしたのだが、サアのゴールが決まるようにはまったく見えなかったでしょう。どういうわけか自分でもわからないのだが、私はいつも、「左利きの選手はPKを外す」と思ってしまう。サアは闘莉王に教えてもらったほうが良いのかもしれないね!
もちろん、右に跳んでサアのシュートを掻き出そうとしたとき、ボルツはゴールラインのずっと前にいたが、審判/線審が勇気を出してこの行為を違反だと断じたことが、完璧にラインから離れているときでも、どれくらいあるだろうか?

何はともあれ、中村がグラスゴーでの素晴らしい一夜を経験した。少し前に書いたように、スペイン・リーガエスパニョーラに挑んでおそらくベンチ暮らしをするよりも、セルティックに残留したこの決断は正解だ。
問題は…テレビの解説者が「シュンスケ(シュンスキ)」という発音をいつ学ぶかである。「シュンスーキ」という「スー」を強調した言い方ではなくて。
選手やファンについては心配はいらない。みんな、シンプルに「ナカ」と呼んでいるからね!

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オシム・ジャパンに寄せる期待

2006/11/20(月)

11月18日発:ワールドカップへの大きな期待で始まった1年は、水曜夜に行なわれたサウジアラビア戦(3−1)の勝利で未来への大きな期待と共に締めくくられた。
日本の勝利を見て嬉しかったし、また、同時にホッとした。
というのも、オシム・ジャパンの未来形を垣間見られたからである。

就任してまだ間もないオシム監督だが、優れた若い選手たちを起用してきた。
そして、才能と知性にあふれた選手たちは監督の指示をよく聞き、こうも早く監督から学んでいることは喜ばしい限りだ。
サウジ戦の2ゴール目を例にとってみよう。
我那覇の精巧なヘッダーを生んだ、今野が右サイドから左足で上げたクロスは素晴らしいものだった。
左サイドに走りこんだ駒野からのクロスを冷静に決めた3点目もそう。我那覇は難しいプレーでも簡単に決めて見せる。

闘莉王のプレーも良かった。
素晴らしいチームリーダーで精神的支柱でもある彼のゴールにより、試合は日本ペースになった。
ただし、彼にPKを蹴らせたことには少々疑問が残る。
PKは彼の得意分野ではない。
闘莉王はゴールに詰め、昔ながらの泥にまみれながらディフェンスをこじ開けゴールを決めるタイプの選手。
PK???
彼には似合わない。

ところで、サウジアラビアにPKを与えたオーストラリア人の主審は、一体何を見ていたのだろう?
テレビのリプレイを見た私に言わせると、あれはまるでジョーク。
サウジの選手が勝手に転んだだけでは?
ひょっとすると、ワールドカップで試合終了間際にイタリアのグロッソにやられたオーストラリア人として主審は“フォワードが転んだらディフェンダーが無実でもPKを与える”という、かの主審の手本を真似たのかもしれない。

先にも述べたが、試合結果を見て私は非常に嬉しかったし、安心もした。
これは個人的な意見だが、オシム監督が引き受けた仕事の大変さを理解していない人が多すぎると思う。
ワールドカップで崩壊したチームを立て直すには、新しい手法、新しい方向等、あらゆるものが必要なのだ。
オシム監督はこれらをこなしてきた。今後は欧州組の中からチームに貢献できる選手を加える段階に入っていくが、チームの将来は非常にエキサイティングなものになるだろう。
強いチームを作るにはチームのバランスを崩してはならないことを、オシム監督はもちろん承知している。
しかし、監督が見せてきたJリーグでプレーする選手たちへの信頼は、ピッチ上でブルーのシャツをまとった成果、エネルギー、そして誇りとして報われるはずだ。

昨年の今頃、多くの人が日本代表に期待を寄せていたが、私はそこまで自信がもてなかった。
しかし今、私は日本代表への期待に胸を膨らませている。

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それでも大事なサウジ戦

2006/11/16(木)

名古屋発・11月15日:日本とサウジアラビアの両国がすでに来年のアジアカップ本大会出場を決めているものの、水曜日の夜に札幌で行なわれる試合は、やはり重要な意味を持つと思う。
読者の皆さんがこのコラムを読んでいるときには、試合はすでに終わっており、その試合結果が、オシムの再建プロセスの第1段階が完了したことを示しているかもしれない。
この試合を重要視するのは、以下のような理由からだ。

もし、日本が素晴らしい内容でこのアジアの強豪に勝てば、オシムの方針が正しかったことになる。現在の選手の多くが、来年も、その先の将来も、代表に残るだろう。
しかし、内容がまずく、散々な結果ということになれば、オシムは、来年のための戦略そして選手選出ポリシーを見直さなければならなくなるだろう。
そうなれば、もちろん、ヨーロッパ組の出番だ。ヨーロッパ組のうちの数人――たとえば、中村と松井――を来年のアジアカップに招集することをオシムが考えているのは確かだ。そのため、来年の春に日本代表がヨーロッパで1つ2つ親善試合をするというのも悪くないアイデアである。
オシムが使ってきたJリーグの選手にとっても良い経験になるし、同時に、オシムにとっても、クラブでの活動と体内時計の妨げにならない方法でヨーロッパ組をチームに合流させるチャンスとなる。

サウジアラビア戦は無意味だという見方もあるが、こうした理由で私はその見解には賛同しない。今回の試合は、オシムの再建の第1段階の最後に行なう、きわめて重要なテスト。私はそう思っている。
個人的な意見としては、ジュビロの前田が選ばれたのが良かった。前田はいつも激しく速いプレーをしているし、非常に創造性豊か。走りながら直接的な動きをしている。タイプとしては、得点のチャンスがやってきたときに、躊躇せず自分を疑うこともしない選手のように見える。
言い換えると、あまり考えすぎないのだ。考えすぎは、フォワードにとって厄介なものになることがあるが、前田は体の動くままにプレーしているようだ。

これを読んでいる今、皆さんは日本対サウジ戦の結果を知っているだろうけれど、現在の私は、日本が見事なプレーを見せ、2006年ワールドカップ後の再建活動の第1段階が成功裏に完了したことを示してくれるだろう、と感じている。

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高原は先発の座を守らねばならない

2006/11/13(月)

名古屋発・11月11日:ああそうだった。高原直泰のことを忘れていた。
彼はどうしたかな思っていた矢先、高原はフランクフルト(ドイツ)で連続ゴールを挙げ、その存在が再び浮かび上がってきた。
こうなってくると、「オシム監督は高原を代表に選ぶべきだ」とファンやメディアが盛んに言い出すことだろう。
しかし私は、現時点ではそうは思っていない。

私が高原ファンクラブに入る、いやファンクラブのメンバーシップを更新するには、2ゴール(今季通算では3ゴール)では不十分だ。
私は、病気で2002年ワールドカップ(W杯)代表チームの選から漏れるまで、ジュビロ磐田で、オリンピックチームで、そして日本代表でゴールを挙げていた頃の高原の大ファンだった。
高原は2006年W杯での最大の失望だった。
そして、ひょっとすると彼はもう二度と日本代表でプレーできないのではないかとさえ思ったし、今でもその疑念は晴れていない。

W杯の数週間前、私はクロアチアの新聞の取材でジーコ監督にインタビューした。
その際、ジーコ監督はW杯で活躍するであろう3人の選手の名前を挙げた。
中田英寿、俊輔、そして…そう、高原だ。
それは少し楽天的かなと、私はそのとき思った。
日本で、アルゼンチンで、そしてドイツでも、高原は世界レベルのディフェンダーを相手に戦えることを証明しきれなかった。
とはいえ、ハンブルグからフランクフルトへの移籍で彼をリフレッシュし、停滞していたキャリアを前進させたようだ。

さて、それでは。Jリーグでプレーする選手たちを一通りテストしたオシム監督の来年のプランの中に、高原の名前はあるのだろうか?
もちろん高原のことは注視しているはずだ。ブンデスリーガでコンスタントに得点できるということは、良い選手に決まっている。
ただ、オシム監督に招集を決断させるには、彼はいまの調子を維持しなくてはならない。
それも、数週間ではなく数ヶ月という単位で。

以前にも話したことだが、もう一度言っておこう。
欧州組の選手たちを今年は招集せず、彼らを所属クラブでのプレーに専念させたオシム監督の決断は正しい。
高原自身も、インドやイエメンのような国々と対戦する度に帰国せずに済むのは助かると言っていた。
来年のアジアカップ連覇を狙う代表チームに、欧州組を合流させるにはまだまだ時間がある。それがオシム監督の考えなのだ。

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セントジェームズ・パークでの火の玉ファーギーの思い出

2006/11/09(木)

11月8日・名古屋発:サー・アレックス・ファーガソンは、今日の賞賛に充分値するだけの功績を残してきた。
現代のサッカーで、プレミアリーグになる前から、20年にわたり現職を務めてきたのは驚異的なことである。しかも、毎シーズン、関係するあらゆる大会でタイトル獲得が期待される運命にある、あのようなビッグクラブで。

イングランド北東部の朝刊紙でニューカッスル・ユナイテッドの担当記者をしていたころ、ある晴れた日の午後のセントジェームズ・パークで、火の玉ファーギーの怒りの矢面に立たされたことがある。
ニューカッスルがマンチェスター・ユナイテッドを2−1で破った直後、みんなの話題になっていたのは、マンチェスター・ユナイテッドのノーマン・ホワイトサイドがニューカッスルのジョン・アンダーソンに見舞った、ひどいタックルだった。ホワイトサイドは北アイルランド出身の大柄な強いフォワードで、戦闘的なプレースタイルでよく知られていた。一方のアンダーソンは敏捷でタフな右サイドまたは中央のディフェンダーで、アイランド代表でもプレーしていた。
ホワイトサイドのファウルはショッキングなもので、アンダーソンはタッチライン沿いで苦悶するしかなかった。アンダーソンは、選手が負傷したふりをするようになる前の、古いタイプ。痛くもないのに倒れるなんてことは決してしない選手だった。ホワイトサイドは当時、その規律上の問題とファウルがよくマスコミで採り上げられていた。

それはそうとして、試合後、ファーギーがセントジェームズ・パークのロビーにやって来た。そこでは、マスコミ陣が心細げに待機していた。
彼が我々の一団の前で立ち止まったとき、1人の年長の記者が明らかに震えていた。ファーギーは試合に負け怒っていたし、マンチェスター・ユナイテッドのあの激しやすい選手について質問されていたからだ。ファーギーがその質問を一蹴すると、質問をした記者は黙り込んでしまった。明らかに、その記者は、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルそのものについて、ファーギーの見解を聞きたかったのだが、勇気を奮い起こすことができなかったのだ。
私は、ファーギーの真横に立っていた。私は若くて無邪気で、ナイーブだったので、簡潔にファーギーにこう話しかけた。
「彼が言いたいのは、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルについて、あなたがどう思ったかということだと思うのですが?」
その時点で、みんな、ファーギーの怒りが届かないところまで一目散に逃げようとしていた。
ファーギーは私のほうを向き、叱り始めた。「君たちは最近、どうしていつもホワイトサイドのことを聞くんだ? みんなで質問すれば怖くないって具合に質問を繰り返し、彼をとても苦しめているじゃないか。彼は、1試合で1回ファウルを犯しただけなのに、君たちはそのことばかり話題にする。ファウルは他にもあったのに、どういうつもりだ? ホワイトハウスは、今では審判に目を付けられている。君たちが散々書き立てるからね」。

まあ、そんな感じだった。1987年、ひょっとすると1988年のことだから、詳細を全て覚えているわけではない――それに、私のテープレコーダーは、あの時、ファーギーのすさまじい熱気を浴びて溶けてしまった。
ファーギーの癇癪は、もちろん、次の日の全紙の見出しとなった。
「ホワイトハウスのほうが犠牲者だと!」
「大男のノーマンなんか辞めさせろ!」
そんな感じだ。
記者たちはみんな、ファーギーからあんな反応を引き出した私に感謝し、気持ちはわかるとでも言うように私の肩を叩いた。まるで、私がカップ戦の決勝のPK戦でシュートを外したみたいに。
しかし、私は、彼を怒らせたとは全く思っていなかった。私は、ある特定のプレーに関する具体的な質問を1つしただけなのに、彼が感情を爆発させたのである。そうなのだよ…Jリーグでの人生は、ずっとずっと穏やかなのだよ!

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なぜジェフが責めを負う?

2006/11/06(月)

東京発(11月4日):まずは、ナビスコカップ連覇を果たしたジェフ千葉におめでとうと言いたい。
正直なところ、ホームで大宮アルディージャに惨敗したのを見て、彼らが連覇するなんて思ってもみなかった。
しかし、水野と、Jリーグ最高のヘッダー(ヘディングの名手)であることを改めて証明してみせた阿部主将のゴールで鹿島アントラーズを粉砕したのだ。

ナビスコカップ決勝の日の朝、ある日本人サッカーライターと話をしたのだが、ジェフに対するメディアの評価が二分されていることを知りとても驚いた。
わかりやすく言うと、ある新聞はオシム体制を嫌っており、日本代表もジェフも失敗すれば良いとさえ思っている。
そしてもう一方は、ジーコ監督の後を引き継いだ彼を100%サポートするとまではいかなくとも、静かに見守っているというのだ。
ジェフがこれまで誰かに対して何をしたというわけでもないし、こうした状態はあまりに不可解だ。

もちろん、ある人々(主に浦和近辺に住み、赤や黒のシャツを着ている)がリーグを引っ張ってきた鹿島アントラーズやジュビロ磐田を嫌うのは理解できる。それは、多くのイングランド人がマンチェスター・ユナイテッドやリバプールを嫌うのと同じだ。
しかしなぜジェフ千葉を?

数あるクラブの中で、私はジェフを評価していることを隠そうとしていない。それにはいくつかの理由がある。
まず、地域に根付いたフレンドリーなクラブであるということ。
リーグの中での地位に関していうと、財政的には苦しいなかで運営されてきているということ。
経営陣のトップはとてもうまいことクラブを運営してきたし、ファンはチームの成績の良し悪しに関わらずサポートしてくれる。
そして、才能ある日本人選手を育ててきている。

ひょっとすると、オシム監督は日本代表に彼の教え子を多く選びすぎたのかもしれない。
しかしこれは、あくまで必要とされるポジションに他の選手たちが現れるまでの一時的なものだ。
よく知るジェフの選手たちは、オシムにとって信用できる存在なのだ。また同時に、選手たちも監督が求めるものを熟知している。
そう、だから、(ジェフの選手が多く選ばれるのは)現時点では仕方の無いことだと思う。

ただし、巻、阿部、水本、そしておそらく羽生は、オシム監督が率いる限り代表に定着するだろう。彼らはオシム監督の愛する“日本人選手としての特徴”を持っている。
仮にオシム監督が本当にジェフを偏重しているのなら、ジェフで最も過小評価されている選手、斎藤大輔を選んでいただろう。
私は密かに、斎藤を“プロフェッサー”と呼んでいる。彼はディフェンスの何たるやをよく知っており、水本にとって理想的な教師でもあるのだ。

ジェフ千葉を批判するようなナンセンスは、もう十分だろう。
1997年のバブル崩壊以来、彼らはJリーグで大きな成功を収めてきた。
オシム監督は、時に日本のメディアに対し無礼な振る舞いをしているかもしれない。
そう、あのトルシエ監督がそうだったように。
穏やかなジーコ監督とスターを集めた代表チームを懐かしんでいるメディアも多いのかもしれない。
しかし、それにしたってジェフを責めるのはお門(おかど)違いというものだ。

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ブラッター会長、姑息なプレーにもご発言を

2006/11/02(木)

近頃、最新のゼップ・ブラッター的問題提起をフォローしていますか?
読んでみると、とても面白い内容だ…いつものように。
当初、ブラッターは、イタリアのせいでオーストラリア代表がワールドカップ敗退を余儀なくされたことをオーストラリアの人々に謝罪したと伝えられていた。私にとっては、あれはダイビングとインチキで台無しにされた、今回のワールドカップのなかでも最悪で、もっとも憂鬱なシーンの1つ。
あのとき、オーストラリアのDFルーカス・ニールがボールを奪おうとすると、イタリアの左バックのファビオ・グロッソがわざとらしく転倒した。私見では、あれは決してPKではなかった。グロッソの狙いはただ1つ。彼はすれっからしのプロ意識でその課題を果たしたのだ。

残念なことに、「疑わしき被告選手は罰せず」という考慮もなしに、審判が拙速に決断を下してしまうことがある。そのようなことが、とてもアンフェアな方法で起こり、オーストラリアの異議申し立てに対して残酷な判断が下されたのである。オーストラリア式フットボールやラグビー、クリケットといった、ラフでタフなスポーツになじんできたスポーツ好きのオージーが、なんとか好きになろうとしているスポーツで自分たちがだまされたという感想を抱いたとしても、不思議ではない。

それはそうとして、ブラッターはその後、自分のコメントを蒸し返し、イタリアを批判するつもりはなく、ただオーストラリアに同情の気持ちを伝えたかっただけだ、と語った。
同情の気持ちだって?
そんなものが、一体何になるんだ?
FIFAのトップであるブラッターこそが、ダイビングや姑息なプレーを野放しにして、現在のレベルにまでエスカレートさせた張本人なのだ。彼なら、ずるい行ないをした選手を罰するためにビデオ再生の制度を導入し、人を欺くプレーに断固たる処置をとることだってできたはずなのだが、彼が選んだ方法は、FIFAのフェアプレー・スローガンがもはや存在していないような環境で、哀れな審判を苦しめること。

2006年のワールドカップは、私的には大変な失望であった。グロッソとニールのペナルティ事件のような出来事がいくつかあったのが、その主な理由だ。
ブラッターは、この病的な状況を矯正するためにもっと積極的に発言すべきで、真実を語り、今そこにある状況を明らかにするのを恐れてはならない。

スケールはもっと小さく、はるかに小さくなるが、土曜日の駒場の大宮対FC東京の試合でも、議論の的となるような出来事があった。
後半に1−0でリードしていたFC東京の選手が、どう見たってまったく異常がないように思えるときに、自陣で倒れこんだ。チームメートがボールを外に蹴り出して試合を止め、本当は必要のない治療を倒れた選手に受けさせようとしたが、その「負傷した」選手が自力で立ち上がったのだ。
今度は大宮のスローイン。東京のファンからはブーイング。アルディージャの選手がボールを東京の選手に戻すのを拒んだからである。大宮の三浦俊也監督が、ボールをキープして攻撃に移るよう選手を促したからだ。大宮は1点のビハインドを負っていたし、東京が図々しくゲームを止めたのには何の理由もなかった。

東京ファンのみなさん―― 私は君たちも、君たちのチームのことも評価している。だけど、あのときのことは、完全に君たちの方が間違っているよ。大宮には、スローインで君たちのチームにボールを返す義理なんて全くなかった。大宮がプレーを続行したのは正解だし、レフェリーもそれを認めていた。
以前にも書いたが、ゲームを止めるのはレフェリーの仕事。リードしているときの時間稼ぎのために、「負傷した」選手のチームメートがする仕事ではない。最近のサッカーでは、この種のやり口があまりにも多すぎる。

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ベッカムを獲れ!

2006/10/30(月)

東京発(10月28日):デビッド・ベッカムの去就が決まらない。
あのデビッド・ベッカムがベンチに座っている。
そして彼はスペインを離れたがっている。

ベッカム家――あるいは“ベッキンガム宮殿”(イングランドでは、女王の住居であるバッキンガム宮殿に倣ってこう呼ぶ)――の生活は、決して退屈ではない。
デビッドは彼のローラーコースターのようなサッカー人生の最後の挑戦として、おそらく移籍したいのではないだろうか。
となると、Jリーグのどこかのクラブが勇猛果敢なキング・デビッド獲得に動いたりはしないのだろうか。

いや、そうあってもらいたいと思っている。
彼が欲しいなら、今がそのタイミング。
ベッカムの契約がまとまっていない。
チームは新しい外国人選手が欲しい。
そして“ポッシュ・スパイス”(ビクトリア夫人)にとって日本のメディアからの注目は望むところ。
そう、すべてに納得がいくのだ。

だから日産よ、トヨタよ、いや三木谷さんでもいい。
マリノスとグランパスは戦力補強が必要だし、資金力に問題はない。
一方、神戸は単にJ1復帰だけでなく、満員のスタジアムを取り戻せるのだ。
獲得して悲惨な結果を味わった2002年ワールドカップのトルコ代表の補欠選手と違い、デビッド・ベッカムなら支払った以上のものをチームにもたらしてくれる。
何よりも、ベッカムはサッカーを愛している。そしてサッカーの親善大使でもある。
子どもにとってはお手本となり、ファンにとってはまさにアイドル。
スタジアムへ押し寄せる観客数はうなぎ昇り。世界中のサッカーファンの目が日本へ向かうことに疑いはない。

個人的には、イングランド代表のスティーブ・マクラレン新監督がベッカムをこんなにもあっさり代表チームから外してしまったのは大きな間違いだと考えている。
イングランドはともかく、ベッカムにとってはまずまずのワールドカップだったと思うし、彼はまだまだ代表チームに貢献できるはずだ。
何を言いだすのだと思う方もいるだろうが、日本のチームが真剣にベッカムの獲得を考えても良いのではないだろうか。
ベッカムがアメリカのメジャーリーグサッカーでキャリアを終えるかもしれないなどという報道さえあるのだ。
もし彼がそう考えているとすれば、当然、日本でプレーすることだって考えるはず。
ベッカム獲得には相当な費用がかかるだろう。
しかし、これまでにJリーグのクラブが3流のブラジル選手に支払ってきた金額を考えてみると良い。
Jリーグのクラブよ、ベッカムを獲れ!
決して夢なんかじゃない!

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味スタで見た夢

2006/10/26(木)

現在は火曜日の午後。私は、目の前にあるピンク色のサッカー専門紙をじっと眺めている。
紙面には「FC東京3−2ガンバ大阪」と書かれているが、いまだにまったく信じられない。おそらくミスプリントだろう。
味スタでの、あの劇的な試合から2日経っているというのに、私はいまだにぼんやりした状態だ。あれは現実だったのだろうか? それとも、夢を見ていただけ?
FC東京がリーグチャンピオンを相手に0−2から逆転したというだけでなく、立て続けに3得点を奪ってしまったのだ。
素晴らしいゴールの連続。その後の狂乱状態。なんとか家に帰り着いたときも、目のなかでは青と赤の残像ばかりがスローモーションで再生されていた。

読者の皆さんは、FC東京のゴールの記事はすでにお読みになっていると思うが、私のコメントもここで付け加えておきたい。
最初は、今野。今野はデビュー当時から私の好きな選手の1人で、ナビスコカップの試合後に行なわれるニューヒーロー賞の投票では、いつも今野に投票していたくらいだ。そう、FC東京の試合でないときも!
今野のゴールでいちばん気に入った点は、ボールに届くと彼が実際に信じていたことだ。0−2と2点のビハインドを負っているときの、頭上へのロングパス。あのような状況では、諦め、ボールがキーパーに流れるままにしている選手もいることだろう。だが、ライオンハート・今野は違う。決して諦めず、持ち前の俊敏さ、ボールタッチ、冷静なフィニッシュで反撃の口火を切った。

次は、規朗(鈴木)の番だ。このゴールを、なんと表現すればよいのだろう? ミサイルのような轟音を立てながらゴール上隅に突き刺さったシュート。私の席から良く見えた。ガンバのキーパーがボールを止めに入っていたなら、体ごと持っていかれ、ボールと一緒にゴールネットに突き刺さっていたことだろう。そう、信じられないようなゴールだった。ロベルト・カルロスの電撃シュートも、比べものにならない。

そして、決勝ゴールを挙げたのは“Fly High”ナオ(石川)。左サイドでまたも今野が仕事をし、密集地帯でボールを捌く。鈴木のクロスに、石川はうっとりするようなボールタッチでスペースを作り出し、それから、柔らかな、カーブのかかったロナウド・スタイルのゴール。いとおしむように蹴りだしたボールが、ゴールの隅に転がった。
そのゴールが決まったとき、スタジアムが爆発した。私自身も、正直言って、まあ、かなり感情的になっていた。すさまじい逆転劇だったし、残念なシーズンを過ごしてきた偉大な東京ファンだけに許された、格好の贈り物だ。

ガンバの選手もファンも、大きなショックを受けたようだ。もう少しで勝点3を挙げ、浦和が手の届くところに近づくはずだったのに、あっという間に残り6試合で勝点6差になってしまった。この不幸な運命のいたずらに意気消沈してしまう可能性もある。
そう、あれは飛田給での驚くべき午後。それとも、あれは夢に過ぎなかったのだろうか?

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グラスゴーで俊輔が得た多大な利益

2006/10/23(月)

東京発(10月21日):セルティックに残留した中村俊輔の決断は、正しかったようだ。
昨季終了後の俊輔の目標はスペインでプレーすることで、彼はセルティックをその踏み台として考えているだけ。そんな報道がイギリスで流れた。
しかし、スコットランドリーグは俊輔にとって申し分ないし、また、さらに彼はセルティックに大きく貢献してきている。

リーグのレベルは俊輔にちょうど良い。小さなリーグで強者としてプレーすることで、その技術を如何なく発揮できるのだ。
よりテンポの速いイギリス・サッカーの中で、レッジーナにいた頃よりも速いペースでプレーしている。
左足でクールにトップコーナーに決めハットトリックを達成したダンディ・ユナイテッド戦、そして3−0でベンフィカを粉砕した欧州チャンピオンズリーグの90分間。
俊輔はチームにすっかり定着し、楽しんでプレーしている。
スペインに行き一からやり直すより、スコットランドでプレーすることを選んだのはまさに正解だったようだ。

そしてこれは、“おそらく”日本にとっても喜ばしいことだ。
オシム監督が就任した日本代表で、俊輔が引き続きプレーするつもりなら、彼自身もステップアップしなくてはならない。
フリーキックのスペシャリストとしてだけでなく、もっと走り、オープンプレーで貢献することが必要になる。
もちろん今もそうしているし、だからこそニュースにも彼の名が挙がるのだ。
しかしそれでもオシム監督が俊輔を招集せずJリーグの選手をテストしているのは、正しいことだと思う。

代表チームの門は俊輔に閉じられてしまったわけではない。
来年になり新生日本代表に貫禄と新たな次元を加える必要が出たとき、オシム監督は俊輔を招集するかもしれない。
啓太と阿部、もしくは今野を守備的MFに、そして巻と播戸もしくは達也の後方に俊輔が控える。そんな布陣を思い浮かべてみてほしい。
オシム監督にとってそれはまだ将来のオプション。
そう、来年夏のアジアカップ決勝に向けての…。

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北斗と中西――バロンの2人のチームメート

2006/10/19(木)

アビスパ福岡が、今季J1に残留できるかどうかはわからないが、このチームに日本屈指の若手選手がいるのは確かである。
そう、またも中村。今回は、北斗のほうだ。北斗はまだ21歳で、前途には素晴らしい未来が待ち受けているように思える。
残念ながら、駒場での日曜日のレッズ戦、北斗は出場停止。試合は戦力に劣るアビスパがまったく予想通り1−2で敗れた。

福岡は、Jリーグを放浪するストライカー、マルセロ・バロンの現代の滞在先だ。イングランドでは、「バロンがプレーしたクラブはジャック・ニクラス――参考までに言うが、伝説的ゴルファーのこと――より多い」とでも言うところか。しかしここは日本なので、「バロンがプレーしたクラブはジャンボ尾崎より多い」というのがより適切かと思われる。
言い換えれば、バロンは日本での10年間であちこち移籍し、過去、現在、未来のJリーグのスターについて多少なりとも見聞を広げてきたわけだ。
私が中村北斗について尋ねると、バロンからは、身体能力については本当に感心しているという答えが返ってきた。
「過去の選手のなかでは、誰に似ているかな?」。バロンに尋ねた。
2、3秒おいてバロンはこう答えた。「僕がジェフにいた頃は、中西永輔が右サイドにいた。北斗を見ると、あの頃の中西を思い出すよ。ただし、もっと俊敏だけどね」。

アビスパにとって苦しいシーズンが続くなか、北斗は複数のポジションでプレーをしている。何ヶ月も前に千葉で見たときは、45分をライトバックとして、残り45分を右のミッドフィルダーとしてプレーしていた。それ以降は中盤の中央に移り、エンジンルームの役割を果たしている。
バロンが確信する、北斗のベスト・ポジションは、たとえばFC東京の“Fly High”石川直宏のような高い位置でのウイングではなく、右のバックのようだ。その位置なら右足でボールを持てるし、ほとんどの時間、前を向いてプレーできる。

アビスパが来シーズンも北斗を保有できるかどうかに、興味がわく。他のビッグクラブが彼を欲しがるのは想像できるし、アビスパ側では、J1に残るにしても、J2に落ちるにしても、チーム強化のためには巨額の移籍金を手に入れる必要があると考えるかもしれないからだ。
ただし、現時点では、アビスパはまだ降格が確定していない。セレッソ、アビスパ、それから京都が三つ巴で16位の座を争っており、16位になると、12月にJ2の3位チームとホーム&アウェーのプレーオフを戦うことになる。

32歳のブラジル人バロンについて言えば、彼は自分自身で好調だと感じており、試合終了間際に途中出場する以上の貢献も、できると考えているようだ。今週の試合で、バロンそしてアビスパを待ち受けている間近の未来がどのようなものであったのかが明らかになるように、中村北斗を待ち受けている遠い未来も、やがて明らかになるのだろう。

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播戸、憲剛そして犬 〜 インド戦ハイライト 〜

2006/10/16(月)

東京(10月14日)発:弱いチームと対戦する場合の問題点は、いかに優れたチームでも自身のレベルを落としてしまうということだ。
バンガロールの荒れたピッチに加え、照明が消えたり犬が走り回りプレーが中断する状況下での3−0の勝利だったが、日本はもっとうまく戦えたはずだ。

アジアカップ予選で、新生オシムジャパンが世界サッカーの舞台に名乗りを上げた。
遠征、ロードでの生活環境、ピッチ内外での様々なコンディション、そして対戦相手の能力…。日本の選手たちはこれらを学んでいく。
この先、厳しい条件下に置かれ、プレッシャーがかかった時に、こうした経験が活かされるのだ。
オシム監督もまた、選手たちのことを、彼らの能力だけでなく姿勢や精神的な面も含めて学んでいく。

ガーナ戦後のコラムで私は、試合終了直前、同点に追いつくチャンスにシュートを外した播戸のリアクションをオシム監督は喜んだだろうと書いた。
もちろん播戸がシュート決めてくれていればもっと良かったのだろうが、チャンスを逃しながらも示した情熱と激しさ。これが彼にインド戦で先発の座を勝ち取らせたのだ。
この試合で播戸は2得点を挙げたのだが、ゴールを挙げるチャンスはほかにもあった。
そして、日本代表としての地位を得た。
播戸にかかっているのだ。他の誰でもなく播戸に…。
彼はどのくらいこの地位をキープできるのだろうか。

中村憲剛のゴール、そしてゴール後のアピールも素晴らしかった。
彼の右足から繰り出された強烈なシュート。
そして得点後、ユニフォームのJFAロゴにキスをしたその姿は、彼のプライドと人間性を垣間見る瞬間だった。
彼もまた代表としてこれからも注目されることだろう。

先週の土曜日、ガーナ戦後のインタビューで憲剛が安っぽく甘ったるい“シュンスケ扱い”を受けているのを見た。
新しい“ファンタジスタ”、新しい“シュンスケ”として売り出したいメディアの意図が丸見え。
しかし、サッカーでは地味な役割の選手も等しく重要であることを忘れてはいけない。

インド対日本戦のハイライト…?
いやいや違いますよ。
日本のマークをことごとく外し、ピッチ上に広大なスペースを作り出し、あの試合で一番恐るべき選手とも言うべきあの“犬”じゃない。
それは、播戸のダイビングヘッドを呼んだアレックスのクロス。
照明が一基消えていてスタジアムが暗かったが、あれは本当にアレックスの“右足”だったのだろうか?
左ではなく右のハーフボレーでドンピシャのクロス?
左足だけでなく両足を使えるアレックスはどれだけ凄くなるのだろうか。これからももっと彼のそんなプレーが見たいものだ。

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ファンタジスタには早すぎる

2006/10/12(木)

近頃、関心を集めている話題の1つは、日本代表の試合のチケットがもはやプラチナ・チケットでなくなりつつあるということである。
言い方をかえると「一般大衆はチームにスーパースターのいない日本代表をどうしても観たいとは思っていないのではないか」ということだ。
私の答えは、「どうでもいいじゃないか、そんなことは関係ない」。おそらくオシムも、どうでもいいと思っていることだろう。俊輔が出ていないから代表を観たくないというファンが2、3千人いたとしても、それは“そんなファン”にとっての問題に過ぎない。オシムにはまったく関係のないことだし、JFAの問題でもない(ちなみに、JFAは「ジェフ・サッカー協会(JEF Football Association)」の略だ(笑))。
オシムが見ているのは、将来である。現在は、若い、新顔の、やる気に満ちた選手をテストして、ガーナのようなチームを相手にプレーするチャンスを与えているところだ。目下のところは、これが正しいやり方。「ファンタジスタ」や「欧州のスター」で構成されたチームは、ドイツで試し、散々な結果になってしまったのだから…。

もう1つの論点。
オシムの代表監督就任直後に行なわれた3つのホームゲームの観客動員は素晴らしかった。私の正直な感想である。トリニダード・トバゴ戦は国立に4万7,000人以上、イエメンとのアジアカップ予選は新潟に4万人以上、ガーナとの親善試合では日産スタジアムに5万2,000人以上を集めたのだ。
誰が見ても、これはすごい観客動員力である。たとえば、イングランドがトリニダード・トバゴとマンチェスターで親善試合をやるとしたら、いったいどれだけ入るか。まあ、3万人といったところか。ニューカッスルでイエメン戦? 2万人くらいかな?

私の意見を言わせてもらえば、もっとも大切なのはドイツで崩壊状態となった代表チームを新たに作り上げること。ジーコは素晴らしい選手を何人か引き継いだが、後任者には何も残しはしなかったという点は、誰にも忘れずにいてもらいたい。
オシムはこの仕事の適任者で、日本の真のサッカーファンは、彼のやろうとしていることを評価するようになるだろう。私は、俊輔や他のヨーロッパ組の選手の時代が終わったと言っているのではない。しかし、この過渡期には、日本国内の状況とJリーグでプレーしている選手たちに着目しなければならないのだ。
誰もが忍耐強くなり、新生オシム・ジャパンを支援する必要がある。それが日本サッカーの未来に繋がるからだ。ガーナとの親善試合に俊輔や高原、稲本、大黒を呼び戻すのは時間の無駄。大きな後退だ。たとえ、それで横浜に5万2,000人ではなく、6万5,000人を動員したとしても。

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日本に未来像を垣間見せてくれたガーナ

2006/10/10(火)

東京(10月7日)発:イビチャ・オシム監督は、まだ若い彼の日本代表チームに厳しい試練を課したかった。
そして、ガーナ戦はまさに彼の望むとおりのものだった。
キックオフの瞬間から、私はブラックスターズ(ガーナ代表の愛称)のスピード、パワー、チームワーク、そして彼らの自信に感心させられた。
さらに、試合が進むにつれ彼らはますます強くなり、後半早々に試合を完璧に支配してしまった。

ガーナにとってこの試合は当然の結果。誰もが勝利を当たりまえこととして受け止めるだろう。
まばたきをするヒマもない間に決まったゴールは、両チームの違いを如実に表していた。
日本はこのレベルでのプレーをまだ学んでいる状態。一方のガーナは「試合経験」として語るなら、日本の数段階上を走っている。
こういう状況では、試合が引き分けに終わっても日本にとっては十分な結果だろうと思っていた。

結局、日本代表は0−1で敗れたわけだが、新生日本代表の印象は悲観するには程遠いものだった。
特に、水本、山岸はこの試合が代表デビュー戦だったし、阿部や今野らが違うポジションについていたことを考えると、概して日本はこの厳しい試験によく立ち向かっていたと思う。
とは言え、この試合で明らかになったことがある。相手を圧倒しようとするなら、日本はこぼれ球を拾わなければならない。これは絶対条件だ。
日本の選手がタックルを受け、もしくは相手選手がタックルを受けボールがこぼれた時には、他の日本人選手が正しいポジショニングでボールをキープしなくてはならない。

こうした並々ならぬペースで試合が進む場合、適切なファーストタッチ、自分の周りで何が起こっているのか的確に把握することが必要とされる。それらがあって初めて、ピッチ上でのリズムと弾みが生まれるのだ。
代表チームはまだこのレベルには達していないが、これはオシム監督が起用した選手の数から考えても仕方の無いことだろう。
しかし、新監督の下でベストメンバーが固定され彼らの動きがもっと自然にそしてシステム化されてくれば、自然とそうなっていくだろう。

ガーナ戦、後半のある時点ではまるで大人対少年の試合を見ているようだった。
そう、青いユニフォームを着た少年たちだ!
しかし決して日本がまったくレベル的に劣っているということではない。
彼らは肉弾戦にも十分準備してきたことを見せつけたし、ペースを読み、判断しながら前線への押し上げを見せた。
試合終了間際になり播戸が同点に追いつくチャンスを得たが、右足を的確にボールに当てることができず、シュートはサイドへ外れた。
ただ、シュートを外した彼の怒りのこもったリアクションを見たオシム監督は、必ず彼にまたチャンスを与えてくれるはずだ。

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シンガポールでの話題は、日本人選手より韓国人選手

2006/10/05(木)

イングランド・サッカー中毒になりたいのなら、アジアではシンガポールに勝る地はない。
日本もなかなか良いが、時差がシンガポールより1時間早いため、東南アジアで観るほうががイングランドの試合開始時間に合わせやすい。また、シンガポールの英字新聞には、イングランド・プレミアリーグ(現地では「EPL」と呼ばれている)の記事やニュースが満載。私としては、悪いけれど「プレミアリーグ」という名称にこだわりたいと思う。「EPL」というのはあまりにもブランドっぽくて、サッカーファンではなく、マーケティング人種が使う用語のように聞こえるからだ。

私は、シンガポールでの長いウィークエンドから戻ったばかり。シンガポールでの会話の中心は、「イングランドではなぜ韓国人選手のほうが日本人選手より成功しているのか?」ということだった。
良い質問だし、議論のための格好の話題だ。以下は私の対応。
総じて言えば、韓国人選手の方がフィジカルが強く、当たりの激しいプレーをするので、速いテンポの試合にも日本人より長時間対応できる。
韓国人選手の方が技術的に優れているとは思わないが、イングランドのプレースタイルに適しているのは確かである。韓国人選手は一心不乱にプレーし、ひたすら走り続けるが、ヨーロッパに渡った日本人選手はどちらかというとファンタジスタタイプ。イタリアのような技術的で、展開の遅いリーグのほうが生き残れる可能性が高い。
これが、マンチェスター・ユナイテッド、レディングそしてトットナムにおける、ここ数週間/数ヶ月のパク・チソン、ソル・ギヒョン、イ・ヨンピョらを見たうえでの私の評価だ。

一方、アン・ジョンファンの例も考えてみよう。上記の3人と比較しても、明らかに彼のほうが天分に恵まれているし、華やかさもあるのだが、ヨーロッパでは悲惨な結果となっている。
アンは、ビッグクラブとは言えないペルージャでも活躍することができなかった。言うまでもなく、ペルージャは中田英寿がズバ抜けた活躍をし、巨額の金が動いたローマ移籍への基礎を築いたクラブである。ペルージャ以降も、アンはフランスそしてドイツで苦戦。彼が成功した唯一の外国は、日本である。彼のプレースタイルは、技術的なプレーが多い、この国のスタイルに合っているのだろう。

私は今でも、日本人選手はイングランドで成功できると考えている。たとえば、加地のような選手なら成功するかもしれない。
もっとも、しばらくの間、シンガポールのサッカーファンの話題の中心は日本人選手ではなく韓国人選手ということになるのだろう。それはそれで、仕方のないことではある。

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W杯決勝、解決策は再試合?

2006/10/02(月)

9月30日発:ワールドカップ(W杯)決勝の決着をPK戦でつけるのは間違いなのだろうか。
確かにこれは大きな課題だが、代わりにどんな方式を採用するべきかは、さらに難しい問題だ。

FIFAのゼップ・ブラッター会長は2010年W杯では新方式を採用すると語り、再試合や両チームの選手を減らしての延長戦、もしくはゴールデンゴール方式での延長戦を行なうなど、再びこの話題が持ち上がっている。
イングランドで生まれ、FAカップを見て育った私は、再試合が良いのではないかと思っている。ぬかるんだピッチに投光器、また中立地(リーズのエランドロードで行なわれたウェスト・ハム対エバートン、ニューカッスル対ボルトン戦が良い例)での再試合、さらには再々試合など思い出深いものが多い。
当時は、チームは決着がつくまで戦ったものだ。ゴールデンゴールやPK戦などもちろん無い。全身全霊を尽くして戦い、ドラマが繰り広げられた。

ただ、W杯の決勝となれば、何度も再試合を繰り返すわけにはいかない。
今回のW杯では、決勝戦のあと2日間は再試合を開催することができた。しかしそれでも同点のまま終わることだってある。それでは同じ問題の繰り返しだ。
選手の人数を減らしての延長戦に至っては、問題外。
サッカーとは11対11でプレーするものであって8対8で行なわれるものではない。こんな案は早急に葬ってもらいたい。

私は90分の試合の後、最長30分のゴールデンゴール方式による延長戦を行なうことに賛成だ。
すなわち、延長戦でどちらかのチームがゴールをした時点で、試合は終了する。
ゴールデンゴール方式がアンフェアだという人もいる。
しかしなぜ?
チームはすでに90分間という時間を与えられていたのだ。
最初にゴールしたチームが勝つとわかっていれば、必死で攻撃するはずだ。

30分の延長戦でも決着がつかなければ、再試合でなくPK戦で決着をつければ良い。心技を込めた試合の決着としては満足のいく方法ではないかもしれない。
しかし他にどうしろと言うのだろう。
他に良い方法があると?
他の人の意見も、ぜひ聞いてみたいものだ。

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レッズのひどい勝利

2006/09/28(木)

なあ、レッズ・ファンよ…。まず気持ちを落ち着かせ、それから読んでくれよな。どうせあんたたちの気に入るものにはならないだろうからさ!(ひどい言葉遣いをお詫びします。なれなれしくて、尊大な書き方をしたのは、内容を、より効果的に伝えたいからなのです)
エスパルスを1−0で下したものの、土曜日のレッズはひどかった。達也はどうしたのだ? 私は若き田中の大ファンなのだが、いつもの彼のプレーではなかった。
達也、君はボールをもらうと、前に走るんだ。ひたすら走るんだ。そして、シュート!
立ち止まって、ワシントンを探す必要なんかない。「生ビール」を手に、残っていた炒りピスタチオを口に運びながら、私は大柄のブラジル人が楽々とゴールを決めるのを見ていたのだが、君は「アシスト王」になる必要なんかないんだ。自分でゴールを狙え――ワシントンは無視してね。シュートを外したり、パスをしなくて、ワシントンが君を怒鳴っても。

まあ、その話はもういい。
今度は、レッズのあからさまな時間稼ぎ戦術に話題を移そう。時間稼ぎをしたのは、最後の…どれくらいだろう…30分くらい? いや、もっと長かったかもしれない。
山岸がゴールキックやペナルティエリア外からのフリーキックを蹴るまでに、途方もない時間がかかった。
シナリオはこうだ。
レッズの選手が自陣奥深くでファールをもらい、坪井あるいは闘莉王(とにかくファールをもらった者)がフリーキックを蹴る準備をする。しかし、ボールに向かって助走を始めようとするその寸前に、件の選手はその場所から歩み去る。山岸がその選手をフィールドに追い払っているからだ。ボールは山岸が蹴ることになる。

山岸は、1−0でリードしているときに数秒・数分を無駄に消費することにかけては権威である。最初は水を一口飲み、それから「居酒屋」で汗かきサラリーマンがおしぼりでやるみたいにタオルで顔を拭く。そのうち、レッズがリードしているときには、これら一連の動作の後に電子メールを何通か送信し、携帯電話でエージェントを呼び出して来シーズンの契約について話し合い、ゴールネットにかけていた小説を数ページ読んで、それからおもむろにボールをキックするようになるのだろう。
実際、土曜日の山岸は三都主がかすんでみえるほど見事だった…試合の終盤、ちょっとした接触でついにピッチに倒れこんだあたりは、まさにアカデミー賞ものの演技。三都主が山岸の演技を大いに参考したのは想像に難くなく、最終的には、彼は転倒を小出しに何回も行なう方法を採用した。ただし、どの部門のオスカーになるのだろうか――悲劇なのか、喜劇なのか?

その日の午後を通してレッズに1度も警告を与えなかったレフェリーは、後半の最後に「ロス・タイム」を4分付け足した。私の感じでは、ロス・タイムは14分にすべきだった――まあ、私は世間知らずの傍観者に過ぎないんだけれどね!

ごめんね、レッズ・ファンのみんな。でも、君たちのチームは、優勝のチャンスがあるチームのようには見えなかったよ。
ビールが欲しい――それとピスタチオね。

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フクアリが再び最高のショーの場に

2006/09/25(月)

東京(9月22日)発:水曜日にフクアリで行なわれたナビスコカップ準決勝・第2戦、ジェフ対フロンターレ戦は、開始早々白熱した展開となった。
そしてフロンターレの見事な反撃!
考えてみると劇的な幕切れでもあった。
歓喜に包まれる阿部とチームメート、敗北にうなだれる森とチームメート…。
全体として見ると、日本一のスタジアムでの最高のショーだったというわけだ。

前々から言っていることだが、クラブ、市、そして県が新しいスタジアムを建てる場合、フクダ電子アリーナを見学すべき、いや、いっそそのまま真似すべきだ。
駅に近く、収容観客数も1万8500名とちょうど良い。陸上用のトラックもないし、四方を囲まれているので騒音問題もない。さらにファンがピッチ近くで試合を見られる(それでもプレミアリーグに比べればまだ遠い。プレミアリーグではコーナーキックの時など、最前列のファンは選手に手を伸ばせば届くくらいの距離だ。私にとっては「近い」というのはこのくらいでないとね)。

とにかく、この環境が試合のテンポや興奮度に大きな影響を与えていると思う。私はこれまで40以上の国でサッカーを見てきたが、今シーズンのジェフ対レッズ戦は、試合の雰囲気という点ではどこにも劣らない。
スタンドの2/3が黄色に、そして残りが明るい赤で埋め尽くされたその様子は、もはや単なるサッカーの試合ではなく特別なイベントと言ってよい。

水曜日のフロンターレファンは巣晴らしかった。坂本と山岸のゴールで前半早々にジェフに2点のリードを許した(しかも彼らの陣取るスタンド目前にあるゴールにだ)にもかかわらず、彼らはシュンうつむくことなく歌い続けた。
こんな時イングランドのファンは静まり返り、トイレに向かう。そしてチームが後ろでなく前に進み始めてから、気を取り直してまた応援を始めるのだ。
こうしたファンの意気込みがフロンターレの選手を奮い立たせ、彼らの反撃を促したに違いない。
フロンターレファンの熱意と、手に汗握る試合後の敗戦を静かに受け止めた潔さに心から拍手を送りたい。

おっと…これだけは言っておかなくては。
“がーーーなはーーー オレ!オレ!”
この我那覇ソングは最高だ。
前にも一度聞いたことがあるのだが、どこで聞いたのかはっきりしない。
ひょっして、休暇で沖縄に行った時だったかな?

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小笠原のような野沢のゴール

2006/09/21(木)

先週末のJリーグには、なかなか見事なシュートがいくつかあった。
レッズでは、闘莉王が美しいゴールを決めた。左サイドから切れ込み(一体全体、彼はあんな所で何をしていたのだろう?)、右足で巻いたボールがファーポストに突き刺さった。安貞桓(アン・ジョンファン)がよく見せるシュートで、「闘莉王を日本代表の新キャプテンに!」という私のキャンペーンを勢いづかせるようなシュートだった。

そのシュートは、夕方にテレビで観た。というのも、日中は国立競技場に、清水エスパルスが驚異的な無敗記録を更新するのを観に行っていたのである。鹿島戦のキックオフ前に、私はすでに頭の中でコラムを書き上げていた。それは情熱的なコラムで、新鮮で、魅力的で、気迫に満ちたチームを作り上げた(長谷川)健太(監督)を賛美するもの…。

案の定、エスパルスは負けた。
ただし、この試合でもファインゴールが見られた。
野沢拓也のゴールだ。野沢はアントラーズのスタッフからはこれまでずっと高い評価を受けてきたが、すでに25歳。いまだにJリーグでアピールするのに躍起になっている。
土曜日のエスパルス戦でのゴールは、鋭いボールタッチ、広い視野、優れたテクニックを持っている選手にしかできないものだった。離れたところから西部のポジショニングを見定めて打った、ゴール前30mからの右足のシュートは、GKの頭上を越え、クロスバーの下を通った。西部はボールに触れたものの、ボールの軌道を変えるまでには至らなかった。まさに賞賛に値する、野沢のワンダフルゴールだった。

あまりにも素晴らしいシュート。そう、まるで小笠原のように。
アントラーズの前キャプテンがメッシーナに1年の期限付き移籍をしている今は、野沢にとってはレベルアップをはかり、小笠原との創造性の差を埋める絶好のチャンスである。

「テクニックは、最高レベルにある」。土曜日の試合後、アントラーズのパウロ・アウトゥオリ監督は野沢についてそう語った。
「しかし、もっとアピールしなければいけないし、さらに効果的に得点に貢献しないとね」。
「小笠原はピッチの上でもっと頭を使っていたが、野沢はボールを持っていてもいなくても機動性がある。これからが楽しみな選手だ」。

私はこのブラジル人監督に、小笠原は代表に復帰するかどうかたずねた。
「そう思いたいね」とアウトゥオリ。「小笠原がミスター・オシムの望むようなプレーをすれば、代表に復帰できるだろう。彼はミスター・オシムが何を求めているかを知っているし、メッシーナでそれをアピールすることができる」。

つまり、パウロ・アウトゥオリによれば、小笠原はすべてを失ったわけではないし、それは鹿島も同じことなのだ。アントラーズは現在5位。残り11試合で勝点10上回るガンバを追いかけている。
アウトゥオリは言う。「残り全試合に勝たなければならないし、ミスは1つも許されない」。
土曜のような見事なゴールを野沢がもう少し見せれば、チームにも弾みがつくだろう。

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俊輔の新たな傑作

2006/09/18(月)

東京(9月15日)発:先日の欧州チャンピオンズリーグ、マンチェスター・ユナイテッド対セルティックの素晴らしい試合、そして中村俊輔の素晴らしいゴールをご覧になっただろうか?
それは、ゴール前約25mの距離から相手GKエドウィン・ファンデルサールの堅く高い壁を見事に破る、素晴らしいフリーキックだった。

木曜夜にその試合をテレビで確認する前に、私はある記事を読んでいた。
その記事には、俊輔のフリーキックはトップコーナーに決まったと書いてあったので、私の中では映像で見る前にすでにイメージがあった。
しかし実際は、トップコーナーに決まったのではなかった。
だからこそ、スカイTVのコメンテーター、マーティン・タイラー氏とアンディ・グレイ氏がそのゴールに熱狂していたのだ。

俊輔のフリーキックは、壁を越えて高く上がったボールがまるで木の葉が垂直に落下するような――いわゆるミシェル・プラティニの“フォーリングリーフ”スタイル――ものではなく、ボールはマンチェスター・Uの壁をギリギリで越え、そのままゴール中ほどに決まった。
ファンデルサールにはボールがまったく見えなかったようで、ゴールの反対側のサイドにまるでオランダニレが根を下ろしたように立ちつくしていた。

そのフリーキックを見るまで、タイラー氏は俊輔のことを「フリーキックのアーティスト」と呼んでいたが、そのゴールが決まるとすぐさまこう付け加えた。
「最高傑作がまた生まれました!素晴らしい!」
グレイ氏はボールの低い弾道に着目し、そして同時に、バグパイプで「アメージンググレイス」を聞き、ハギスを食べるスコットランド人、そしてラフでタフな典型的なイングランドのセンターフォワードだった彼らしく、ジャンプし、顔でボールを受けてでもフリーキックを止めようとしなかったマンチェスター・Uのストライカー、ルイス・サアを批判した。

マンチェスター・Uが3−2と1点をリードし、セルティックが同点に追いつこうとしていた終盤、タイラー氏は、セルティックがペナルティボックス付近でフリーキックを得ることができれば“中村俊輔の左足の一振り(スゥイッシュ)”で同点においつくとさえ言った。
これは俊輔のキックを、画家が優しく筆を振るうさまに例えた良い表現だ。
この試合は、俊輔の記念すべきゴールとイングランドサッカーをアピールする素晴らしいものだった。
ただしそれは、マンチェスター・UがセルティックのGKボルツによるギッグスへのチャージで得たPKのことではない。

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楽しみなビドゥカのアジア杯参戦

2006/09/14(木)

オーストラリアのアジアサッカー連盟への加盟は、この地域のサッカー振興という観点から見れば願ってもないことである。端的に言えば、クラブレベルでも代表レベルでも、オーストラリアが倒すべき目標になったのだ。
オーストラリアは先のワールドカップですでにその実力を証明している。日本を破り、セカンドラウンド1回戦(ベスト16)ではイタリアと対戦。終了間際に主審が不可解な判定でイタリアにPK与えたため、惜敗した。

最近入ったニュースによると、マーク・ビドゥカが今後もサッカールー(オーストラリア代表の愛称)でプレーする意向を表明しており、日本が3大会連続の大陸チャンピオンの座を狙う、来夏のアジアカップ本大会でプレーするそうだ。
ビドゥカはワールドカップ後に代表チームから身を引くとみられていたが、気力がまだ衰えていないことは明らかだ。
ビドゥカだけでなく、ひょっとすると、ハリー・キューエル、ティム・ケーヒル、ルーカス・ニールといった中心選手たちがプレーすれば、世界のサッカー界からのアジア大会への注目は否が応でも高まるだろう。また、日本や韓国、イラン、サウジアラビアといったアジアの列強にとっても、アジア大会での優勝は大きな勲章となる。

2000年のレバノン大会、2004年の中国大会では、日本はアジアのトップにあることを立証したが、オーストラリアがいる今度の大会は、日本にとって過去2回の大会よりずっと厳しい戦いになるはずだ。
もちろん、それまでには日本代表もイビチャ・オシムの指揮下でかなり多くの試合をこなしているはずで、チームも形ができ、勝つためにすべきことを正確に把握できていることだろう。
オシムとJFA(日本サッカー協会)にとっては、トルシエによるチーム再構築の途上に行なわれた2000年大会同様、今回のアジアカップは2010年ワールドカップに向けての大きな試金石となる。

オシムが、ヨーロッパでプレーしている選手、とくに中村俊輔を使うつもりがあるのなら、アジアカップはその絶好の機会だ。日本は、インドやイエメンといったJ2レベルのチームが含まれていたグループリーグの突破を決めたが、アジアカップの本大会はレベルがまったく違うのだ。
オシムは、何が何でもタイトルを獲りたいと考えるのだろうか? それとも、さらに大きな目標である2010年ワールドカップまで続く、チーム構築過程の一段階に過ぎないと考えるのか?
それを判断するのはまだ早すぎるが、私としては、オシムはヨーロッパの選手を招集して一からやり直すよりは、いま使っている選手たちを今後も使い続けるものと思いたい。
オシムはJリーグの選手の実力を信じ、自分の見る目を信じ、そして、新生日本代表の構築はそこが出発点であると信じているのだと思う。
このようなさまざまな事情が、来年のアジアカップでの日本対オーストラリア戦をとても魅力的なものにしている。

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Jで再起をかける平山

2006/09/11(月)

9月9日発:平山相太の物語は、意外な展開を見せた。
アテネオリンピックの日本代表のセンターフォワードは先週、暗雲立ち込めるなかヘラクレス(オランダ)を去った。
クラブは、彼がオフ中に体重が増加し、コンディションが悪いので解雇すると発表した。
平山にとってはオランダでのわずか2シーズン目だったが、(移籍先する)Jリーグのクラブを探すため帰国すると報じられている。

これは、若い平山にとっては良いことだろう。そもそも、国見高校卒業後に筑波大学に進んだことが大きなマイナスだった。
彼がプロのサッカー界で生きていくことを目標としているのだとしたら、Jリーグのクラブに入るべきだったのだ。
平山は、また一からやり直さなければならない。Jリーグのクラブに入ることになれば(もちろん数多くのチームがオファーを出すだろう)、すぐにゲームのペースを掴むことができるはずだ。おそらく、オランダにいるよりも早く…。

アテネオリンピックの時、そしてその後にメディアの注目を浴びてきたからと言って、すぐさまJリーグで活躍できるとは限らない。
まずはJリーグに馴染み、選手として成熟することが必要だ。そして結果を出すことに集中しなくてはならない。
さもなければ、平山のプロとしてのキャリアはスタートする前に終わってしまう。

私は、彼がうまくヘラクレスに溶け込んだと思っていただけに、先週オランダから飛び込んできたニュースには驚いた。
昨シーズンは良いゴールも挙げていたし、ボールを持ちすぎるとかオフサイドが多いなど、私が彼を不器用な選手だと評価していたオリンピック予選の頃より、ずっとサッカー選手らしくなってきていた。
ただし、平山はまだ若い。
良いコーチに出会い、経験を積むことで変わっていくだろう。

彼の最大の武器は高さだが、しかしこれだけで成功できるほど甘くはない。
私は、平山が日本に帰国し、Jリーグのクラブで新たなキャリアをスタートさせることを願っている。
平山がオシム監督の目に留まることを望んでいるのなら、彼の居場所はただ一つしかない。
そしてそれは、オランダのベンチではないことは間違いない。

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敗因は手数のかけすぎ

2006/09/07(木)

サウジアラビアとの試合が進むにつれ、ホームチームが点を取りそうな雰囲気が色濃くなり、日本の敗勢が明らかになった。
結果はそのとおり。サウジアラビアが後半の中盤にこの試合唯一のゴールを奪い、日本はイビチャ・オシム新監督就任後3試合目で初の敗戦を喫した。
試合終了のホイッスルが鳴ったとき、私は物足りなさを感じていた。日本は勝てる試合だったし、少なくとも引き分けにはできたはず。負ける試合ではなかったからだ。

まず、改善された点から話そう。(8月16日の)イエメン戦後、オシムは、日本チームの自陣でのパス回しを各駅停車に喩え、日本選手のプレーは遅すぎると批判していたが、サウジ戦では見違えるほどテンポが良くなっていた。バックから前線へのボール供給はずっと速くなり、日本はその速いペースをずっと保とうとしていた。
それにより日本はなかなかのチャンスをいくつか作り出しており、田中達也が前半に最も目立つ存在となっていた。もちろん、ハーフタイム直前のあのチャンスは低いシュートで決めて欲しかったが、遠藤がカーブをかけたシュートを放ったときにも、彼は陰で仕事をしていた。結局、遠藤のシュートはサウジアラビアのゴールキーパーの見事なセーブに阻まれてしまったが。
後半にも、巻と我那覇が揃ってヘッディングシュートを外した。したがって日本は敗北の言い訳はできないのだが、当然、オシムは言い訳しなかった。

ボスニア人監督は、日本選手は子どものようにプレーすることがあると語った。これは私の推測に過ぎないのだが、オシムは、2つの局面で見られた、手をかけすぎたプレーを言っていたのではないかと思う。
こうしたプレーがサウジのゴールに結びついたのである。日本はハーフラインあたりのタッチ沿いで不注意にボールを奪われ、チーム全体が危機に陥った。選手に当たったボールが右に跳ね返った結果、サウジのストライカーの前に転がり、日本は無防備になり、ゴールのはるか前に犯したミスの代償を払わされてしまった。
また、日本はレンジ内にいるのにシュートを打つのが少なすぎるとも思った。日本選手は、自陣からフィールドの3分の2を過ぎるとパス回しが多くなりすぎ、サウジは楽にプレッシャーをかけ、ボールを奪うことができていた。
前半に遠藤がやったように、ペナルティエリアの外からシュートを打って欲しいと思っていたが、羽生が終了間際にシュートを放った。これは悪くないシュートで、もう少しでゴールの上隅に入りそうであった。

ファンの皆さんは、この敗戦にあまり落ち込まないほうが良いだろう。サウジはワールドカップの強豪とまではいかないが、アジアの強豪。特にホームでは強みを発揮するチームだ。水曜日のアウェーのイエメン戦は、まだ成長途上にある日本が犯したミスを即座に修正するチャンスとなるだろう。

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伊野波招集…代表の今、そして未来のために

2006/09/04(月)

9月2日発:驚くほど短い間に、イビチャ・オシム監督率いる日本代表チームの改革が進んでいる。
先ごろ新たに代表に招集されたニューフェイスの中には、U−21代表から瞬く間にA代表入りを叶えた伊野波雅彦がいる。
オシム監督は、才能ある若手選手、可能性を秘めた選手を国際舞台に引き上げることをためらわない。
フィリップ・トルシエ元日本代表監督もよくこうした代表選抜を行なっていたが、日本代表チームの将来にとって、これは非常にエキサイティングなことだ。

伊野波をおだてるつもりはないが、彼は、私の10年間にわたる日本での生活の中で見た選手の中で最も成熟したオールラウンドプレーヤーの一人だ。
初めて彼に注目したのは、昨秋マカオで開催された東アジア選手権でFC東京のチームメイト・徳永とともに日本代表としてプレーしていた時だ。
伊野波はボランチとして出場していたのだが、まるでベテラン選手のようにボールを回し、プレーをつなげていた。その様子は、まさに彼はボランチとなるべく生まれてきたかのようだった。

そして今季はじめ、FC東京のガーロ監督は伊野波を古臭いマンマーカー、現代版・控えめなクラウディオ・ジェンティーレとして起用した。
私は、駒場でレッズのポンテを、そして等々力ではフロンターレのジュニーニョを徹底的に潰していたのを見た。
ただ、等々力ではガーロ監督は終了間際に伊野波のポジションを変更し、ジュニーニョをフリーにしてしまうという致命的なミスを犯した。
最後に私がFC東京の試合を見た時には、ガーロ監督はすでにギャロー(絞首台)に送られていたが、伊野波はベンチスタート。左サイドのMFとしてプレーした後、中央に移った。
それは確か国立競技場で行なわれたアビスパ戦。彼はJリーグ初ゴールを稲妻のようなヘディングで決めた。

一言で言えば、伊野波はピッチ上のどのポジションでもこなせる。しかし特に右サイドバック、リベロ、そしてボランチが良いようだ。
オシム監督が彼を中東遠征の2試合で使うかどうか。それは現時点では重要ではない。
ただ、今回の代表に伊野波が選ばれたことは、オシム監督が年齢や所属チームに関係なく日本らしいサッカーのできる選手を選ぶという意思があらわれている。以前にも言ったが、ひょっとするとサウジアラビアやイエメンを相手に悲惨な結果を招くこともあるかもしれない。
しかしそれは、チームをゼロから立て直す上で払わなければならない代償。
トルシエ監督も同じ道を通った。そしてJFA(日本サッカー協会)から厳しいプレッシャーを受けたわけだが、結果としてそれに見合うだけの価値あるチームを作り上げたのだ。
失意のドイツ・ワールドカップ後、日本のファンたちにとって今は辛抱の時期。
伊野波のような選手たちが、きっと明るい未来をもたらしてくれるだろう。

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小笠原の完璧な移籍タイミング

2006/08/31(木)

ついに、小笠原満男の活躍の場が日本からイタリアに変わることになった。
ここ数シーズン、この中盤のプレーメーカーにはずっと移籍のうわさが出ていたが、月曜日、小笠原は日本から1年間のレンタル移籍をするメッシーナに旅立った。
彼が海外を目指すのは、わかる――それに、急いで日本を出たがることも。

結局のところ、彼に残された選択肢はそれほど多くはなかった。確かに、鹿島に残り、日本代表に招集されるのを待つというテも、あるにはあった。
しかし、すでに直近2回のワールドカップでプレーしており、オシムから声がかからない現状では、小笠原は自身の代表選手としてのキャリアは終わったと感じているにちがいない。チャンスがあるのにイタリアに渡らないテはない。おそらく、最後のチャンスに。
今の状況での移籍は完璧なタイミング。日本代表に残るためにクラブに好印象を与えなければならないというプレッシャーもなく、小笠原が新たな環境で成功する条件は整っているのである。

代表チームについて言えば、オシムのポリシーにより多くの選手たちが将来についてより慎重に考えるようになり、選手たちはヨーロッパのクラブからのオファーにも簡単に飛びつかなくなると思う。
オシムがJリーグの選手の能力に信頼を寄せているのは明らか。彼は、日本でプレーすることはヨーロッパでプレーすることに比べて不利にはならないと事あるごとに立証している。
若手選手たちは、オファーが来た場合にはこのオシムの姿勢も慎重に考慮しなければならないが、小笠原はこの分類には入らない。
彼はすでに代表チームで一定の評価を受けており、いまさらアピールするものもないし、失うものもない。
小笠原はイタリアでリラックスし、プレーを楽しめばよいし、小さな子どもを含めた家族たちとの新しい生活に慣れ親しむことだけを考えればよい。そして、日本代表としての遠征や苦労については、考えないようにしてもいいだろう。

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ミッション・インコンプリート。マリノスを去った岡田監督

2006/08/28(月)

東京(8月26日)発:いずれにせよ、岡田武史監督は辞めざるを得なかったようだ。
彼の指揮する横浜F・マリノスの状況は悪くなる一方。チームの早期再建の見通しがつかない。
そうして、水曜日にホームで大宮に1−2で敗れた後、結局、岡田監督は辞任した。

私は復活したFC東京と石川直宏を見に国立へ行っており、三ツ沢には行かなかったのだがテレビで試合のハイライトを見た。
松田がPKを決め同点に追いついたものの、試合終了間際に吉原に決勝点を決められてしまった。
テレビに映し出された岡田監督の姿には、完全に手詰まりとなった様子が表れていた。
だから、翌日彼の辞任が発表されても驚きはなかった。

マリノスを去る岡田監督には、おそらく仕事の達成感はないだろう。
2003年、2004年とリーグ優勝を果たしたものの、アジアレベルではアジアチャンピオンズリーグ優勝を逃した。
今シーズン、私は岡田監督の将来について度々考えていた。
98年ワールドカップ・フランス大会で日本代表を指揮し、マリノスでリーグを2度制覇した彼の未来は、結局のところ、落ちるしかなかったのではないか…。

おそらく、彼はしばらく解説者として現場から離れるのではないだろうか。
J1昇格を目指すJ2のクラブからJ1優勝を目指すクラブまで、彼を欲しがるクラブは多いはずだ。
岡田監督は自分の道をしっかりと歩くタイプの人間。
自分のやりたい事が現れるのを待つだろう。
メディアの注目から逃れるため、札幌で弱小J2チームの監督を引き受けた時のように“荒野”へ身を投じることを願うかもしれない。
2007年のシーズンはきっとそうするのではないだろうか。
監督就任の要請は事欠かないが、しかし彼は、新たなチャンレンジを急いではいない。

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闘莉王こそキャプテンの器

2006/08/24(木)

就任間もないイビチャ・オシム日本代表監督に、次期キャプテンは誰かという質問が投げかけられた。
キャプテンというものは新しい選手たちのグループから自然と生まれ出てくるものだが、当面は、経験豊富で尊敬もされている川口能活がキャプテン・マークを着けることになるだろう、というのがオシムの返答だった。

さて。その後2試合が行なわれ、長期にわたってキャプテンを任せられる選手が私なりにわかったように思う。
もちろん、それは闘莉王!
まあまあ、確かに彼はまだ日本代表で2試合しかプレーしていないさ。だけど、それがどうした。闘莉王は生まれついてのリーダー。ブルー(それからレッド)を愛し、ピンチを救うためならレンガの壁だって突き破って駆けつけてくれるだろう。
ポジションも完璧にキャプテン向きで、日本代表の前のキャプテンである宮本、そして井原と同じ。現在のイングランド代表でも、同じポジションのジョン・テリーがキャプテンを務めている。
私は、2010年に南アフリカで開催されるワールドカップの優勝チームのキャプテンとしてキング・デビッド(ベッカム)の後任となるのはジェラードよりテリーのほうがふさわしいと常々思っていたし、闘莉王を見ているとテリーを思い出してしまうのだ――まあ、2人のサラリーの差(推定)はおいといて。

オシムには他の選択肢もある。ヨシ(川口)をそのままキャプテンに据えても良いし、ジェフの主将・阿部勇樹を昇格させる手もある。また、他のレッズの選手、坪井または啓太(鈴木)にキャプテンを任せることもできる。
だが、闘莉王は代表チーム内の他の誰よりも存在感があるし、オシムのチームでスタメン入りが確実視されているのも、ここでは重要な要因だろう。

また、キャプテンを務めるのは闘莉王本人にとっても良いことだ。闘莉王は自身に負わされた責任を楽しむだろうし、他の選手の手本となり、みんなが協力して最大限の力を発揮し、たとえ上手くいかない場合でも決して頭を垂れないようメンバーを鼓舞するだろう。
そう、闘莉王こそが宮本の後継者となるべき男。サウジとイエメンでのアウェー2連戦では、私の願望がぜひ実現して欲しいものだ。
さらに言えば、彼は2010年ワールドカップでもまだ29歳。センターバックとしてピークを迎えているのである。

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成長した松井、代表入りは目前

2006/08/21(月)

東京発(8月19日):日本代表のイビチャ・オシム新監督が、ドイツで打ちのめされた代表チームを再建しはじめたいま、国内を活動の基点としている選手たちに注目が集まるのはきわめて当たり前のことだ。
しかしオシム監督は、ヨーロッパでプレーしている選手たちのことを忘れてしまっているわけではない。彼らもチームの建て直しに必要なのだ。
ただし、“誰が?”そして“いつ?”に関しては別問題。その疑問の答えは近いうちに得られるだろう。
とは言うものの、私が耳にする唯一の名前は、“松井大輔”である。

先週土曜日の夜、私はテレビでルマンの試合のハイライトを見たのだが、松井は絶好調のようだった。そのプレーは速く、自信にあふれており、2〜3人のディフェンダーをドリブルで抜き去るプレーを数回見せ、すっかりチームのMFの要となっているようだ。
事実、彼は私の大好きな選手の一人。そのプレーはイングランド代表でニューカッスルに所属していたピーター・ベアズリーを彷彿させた。
ビアズリーはケビン・キーガンやクリス・ワドルと並んでマグパイズの中核を務め、また、イングランド代表では多くのゲーリー・リネカーのゴールを演出した。ビアズリーはスピードがあり、また、賢い選手だった。
バランスやコントロールにも優れ、背の低さに見合わないタフさも持っていた。
キーガンとよく似たタイプの選手だったが、彼よりも天賦の才を備えていた。

皆さんご存知のとおり、松井はジーコ監督の代表チームの選考からは外れた。
しかし、それは必ずしも悪いことだったとは思っていない。
当時、彼が代表チームから漏れたことを私は驚きとして受け止めたが、ニュースとしては巻の代表チーム入りの方が大きく扱われた。
オシム監督はヨーロッパでプレーする選手たち全てを見捨てたわけではない。
そして松井は彼のリストのトップに入っているに違いない。
松井はJリーグ時代と比較して大きな成長を見せているし、規律と責任感に溢れている。
つまり、彼はチームのためにプレーしており、彼自身のためにプレーしているのではないのだ。
そしてさらに、フランスで多くの大切な事を学んできた。

日本代表の次の試練は9月にアウェーで行なわれるサウジアラビア戦とイエメン戦。それらの試合は新生日本代表にとって厳しいテストとなるだろう。
個人的には、オシム監督がこのままJリーグの選手に目を向け、より日本らしいチームに育ててくれることを望んでいる。
次のアウェーでの2試合をとおして日本代表に何が欠けているのかを見極め(おそらく彼は既にわかっているだろう)、それからヨーロッパ組の状況に目を向けることができる。
そう、松井の代表招集は時間の問題だ。

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ジェフの選手の招集は当然の評価

2006/08/17(木)

イビチャ・オシムがイエメン戦の日本代表メンバーにジェフの選手を4人選んだことを“サプライズ”とする人はいないだろう。
また、選ばれたジェフの選手たちは代表チームに値しないと言う人もいないだろう。
4人のうちの2人、巻と阿部は、A3チャンピオンズカップ後の招集が確実視されていた。巻は2006年ワールドカップ(W杯)でもプレーした――ただし個人的な意見を言えば、もう少しプレーさせて欲しかった。巻はオーストラリア戦の60分過ぎに投入すべきだった。そのときには高原と柳沢は明らかに疲れきっていたし、まだ試合をモノにすることができる状況だった。そう、つまり、日本が勝っていたということだ。

阿部はW杯前の数ヶ月間、オシムの求める全てをこなしていた。オシムは、自らのチームの若きリーダーのメンバー落ちを知らされたとき、苦い思いをしたことだろう。
したがって、巻と阿部の招集は十分に予想できた。しかし、羽生と佐藤勇人についてはそうではなかった。
もっとも、羽生と勇人はジェフの「駅伝スタイル」そしてスピリットの象徴的な存在。この2人は味方に引継ぐまで走り続け、決してあきらめず、その粘り強さと積極性でしばしば相手をも驚かす。
相手チームが自陣深くでボールをキープしているとき、羽生と勇人がプレッシャーをかけに行く姿を見てみると良い。2人は交代でミッドフィールドからダッシュし、まるでビックリ箱のように、あるいは自然ドキュメンタリーで観るハエトリグサのように相手に襲いかかるのである。観察、急襲、撤退――まばたきをする間にその一連の動きがなされる。

羽生の招集をとりわけ喜ぶだろうと思われるコーチに、アストン・ビラやセルティックを率いたこともあるジョゼフ・ベングロシュ氏がいる。「ドクター・ジョー」はジェフの監督を務めていた当時、夢中で羽生のことを話していたものだ。筑波大学を出た22歳の羽生ではなく、16歳の頃から指導できていたら、というのが、彼の叶わぬ望みだった。

勇人も、双子の弟の寿人と同じようにゴールがどこにあるかを知っている小柄な素晴らしい選手である。オシムのチームがイエメン戦でどんな試合をするのかはわからないが、巻とそのサポート役である達也(田中)と羽生で構成された3トップは、非常に魅力的だ。大胆な展開とすばやい動きが発揮されれば、イエメンのDF陣は今日が何曜日なのかも、あるいは自分たちがいるのが新潟なのかナイジェリアなのかネパールなのかもわからなくなってしまうかもしれない。
したがって、アウェーのイエメンはゲームをできるだけゆっくりと進めようとするだろう。日本を苦しめるのにはその方法しかないわけで、ホームの日本にとってはフラストレーションのたまる夜になり、スピードとともに忍耐も必要になるかもしれない。

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闘莉王、長谷部、達也…日本の“ライジングレッズ”

2006/08/14(月)

8月12日(東京発):水曜日、国立競技場に掲げられた横断幕の一つが全てを物語っていた。
「ライジングレッズ」
オシム・ジャパンはまだスタートしたばかりだが、浦和レッズの3人のプレーヤーは、彼らが新生オシム・ジャパンの中で重要な役割を果しえることを存分に見せ付けた。
ディフェンス陣では闘莉王が、積極果敢で強烈な守備をチームにもたらした。
彼は空中戦に強いだけでなく、ゲームをよく読み、タイミングよくパスをカットしてボールをクリアしていた。

闘莉王の前では、オシム・ジャパンの3人のMFの1人、長谷部がこれ以上の強化は必要ないと思われるほどのレベルの違いを見せつけた。その姿は若かりしロベルト・バッジョを思い起こさせるものだった。
彼はロベルト・バッジョのボールタッチ、技術、そして優雅さを持ち、さらにパワーと存在感も兼ね備えている。
昨年の天皇杯で彼のゴールを見たが、それはまさに1990年ワールドカップのチェコ戦でバッジョが見せたゴールの再現のようだった。
長谷部のパスは、シンプルなパスではない。
ただ単にボールを蹴るのではなく、まるでボールを愛撫する感じ。
前半に見せた右ウィングへの数本のパスは、彼のテクニックの美しい見本のようだった。
まだ22歳の長谷部は、これからもどんどん成長していってくれるだろう。

そして、田中達也。
彼の疲れ知らずの働きはゴールにも値する。
トリニダード・トバゴ戦でも、敵陣の奥深くまでよく走っていた。

フォーメーションについては、常に議論が重ねられ、意見の分かれるところだ。
今回私の見たところでは、4−3−3、いやもっと細かく分けると4−1−2−2−1を採用していた。
鈴木啓太をボランチに置き、我那覇の1トップ。そして山瀬と達也が彼をサポートする。
達也は我那覇と並んで2トップだったと言う人もいたが、私の見たところ、達也はやや下がり気味だったように思う。
だからこそ、時として鋭い走りこみを見せていたし、ボールを深い位置で受けてディフェンダーに挑んでいけたのではないだろうか。

もう一人の“レッズ”坪井は、ジーコ監督指揮下の代表の時よりも、より周囲に指示を出していた。
そして三都主は、駒野が後ろに控えているおかげでより自由に攻撃参加ができていた。
鈴木啓太は普段通り、ミッドフィールドの後方で落ち着いたプレーを見せていたが、彼には、特に後半に助けが必要だった。彼の補佐役は阿部がこなしてくれるだろう。
トリニダード・トバゴ戦はまさに“ライジングレッズ”を見せ付けた試合だったが、同時に紛れもなくこれは“ライジングジャパン”でもあるのだ。

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A3杯に意義はある、しかしタイミングが問題

2006/08/10(木)

火曜日の夜に東京で行なわれたA3チャンピオンズカップのジェフユナイテッド対ガンバ戦は、まさに優勝のかかった試合と感じさせる内容だった。
展開が速くて激しい試合で、両チームに意外な出来事や疑問に思うプレーがあった。
ご存知のとおり、最終的にはガンバが2−0で勝ったが、トロフィーと優勝賞金の40万米ドルを手にしたのは、ガンバでも、ジェフでもなかった。優勝は蔚山現代(韓国)。イ・チョンスの活躍が印象的だった。

A3は終わっても、私には複雑な感情が残った。この大会は開催する価値があるものなのか? それとも、お金は稼げるが、1年のスケジュールを台無しにし、Jリーグのシーズンを中断させるだけの、よくある大会なのか?
総合的に見れば、毎年開催するだけの価値はあるが、シーズン半ばに行なうべきではない。たとえば、3月上旬のプレーシーズンマッチにしたほうが、参加する3ヶ国にとって意味があるし、参加チームにとっても来るべき国内シーズンに備えてメンバーの微調整を行なう機会となるだろう。
今年、2006年大会の時期はまったく意味が無いもので、調整期間にしかならないイライラするような中断を再びJ1にもたらしただけでなく、日本代表のオシム新監督が強力な2チームから選手を招集するチャンスをも奪ってしまったのである。

ガンバ対ジェフ戦は、先月フクダ電子アリーナで行なわれたJ1の試合に続き、大阪のクラブが千葉のチームを返り討ちにした。
遠藤は、ガンバのヒーローから憎まれ役へと早変わり。最初はガンバの先制点となる素晴らしいフリーキックをゴールの下隅に決めた。しかしその後、図々しくもPKを得ようとしたある行為で、高価かつ恥ずかしい代償を払わされた(ペナルティ・エリア外でマグノ・アウベスが空中を飛んだあれは、本当にフリーキックをもらうようなものだったのだろうか? 私には、ペナルティ・エリアに進入しようとしたときの左足のドリブルが大きくなりすぎ、仕方ないから夜空に向かって跳び上がったように見えたのだが。リプレーを見れば私が間違っていたということになるのかもしれないが、フリーキックには思えなかった)。

その直後、阿部が元気な明神に接触したプレーで、審判はPKを与えた。遠藤はあまりにもリラックスした様子で、ゆっくりした足取りでボールをキック。まるでバックパッスのようなボールを立石に送り、簡単にセーブされてしまった。
韓国人審判はジェフにお返しをしなければならないとでも思ったのか、坂本がオリンピックの北島康介ばりのダイブを披露すると、ジェフにPKを与えた。それはアテネの北島も真っ青になるくらいのダイブで、金メダル級というか、金メダルを2つとれるくらいの見事な飛び込みっぷり! 審判がペナルティ・スポットを指差したとき、記者席で笑っていたのは私だけではなかった。
もっとも、阿部が蹴ったPKはボールが神宮球場まで届くのではないかという、大ホームランとなった。

試合自体は、ガンバが2−0でリードしていても当然の展開。1−1でもおかしくはなかったのだが、PKの失敗が2つあったため、依然としてガンバが1−0でリードしていた。サッカーとは、なんてすごいゲームなんだろう!
状況打破を任されたのは播戸。目を見張るようなダイビングヘディングシュートがバーの下をくぐりゴールに入った。
播戸は最近のリーグ戦でも「フクアリ」でゴールを挙げている。そのときも、右足で下隅に蹴りこんだ、なかなかのフィニッシュだった。
来週のイエメン戦に備え、オシムがジェフ、ガンバ、アントラーズの選手の招集を考えるのなら、播戸の代表入りもありえないことではないだろう。

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代表チームのムードを変えるオシム

2006/08/07(月)

8月5日発:わずか13人の選出だったが、オシム・ジャパンにとってエキサイティングなスタートとなった。
5人は初代表、そして若手の再招集者が数人…、そしてなんと13人中6人が浦和所属。オシム・ジャパンはブルーでなくレッドに身を包み、“レッドサムライ”と“レッドフィーバー”と呼ばれるようになるのではないかと思うほどだ。
ドイツでの不完全燃焼を一掃するためにも、日本にはこうしたフレッシュなスタートが必要だった。日本に滞在する時間が長いオシム監督は、優秀な選手、チームに必要な強固なキャラクターを備えた選手を見抜く目を持っており、チーム再建に迅速に着手した。

個人的には、闘莉王が代表に戻ってきたのが嬉しい。まだまだ荒削りな闘莉王だが、ディフェンスライン、そして前線に上がった時のフォワードラインを、責任を持って強固なものにしてくれるだろう。
昨年12月の時点で、オーストラリアやクロアチア戦では体力的不安があるとわかっていながら、ジーコ監督はなぜ彼にチャンスを与えなかったのか、今でも私にはそれが理解できない。
闘莉王なら、オーストラリアとの空中戦も望むところだっただろう。
エリアで仁王立ちとなり、「こんなものか?」とオーストラリアのロングボールを待っている彼の姿が、皆さんの目にも浮かぶのではないだろうか。

さらに嬉しいことに、ジーコ監督がわずかな時間しか見なかった今野が代表に戻ってくる。
今野を起用せず、また育てもしなかったことは、ジーコの犯した最大の間違いの一つと言える。
ここ数シーズン、今野は明らかな可能性を見せていた。
しかしジーコは彼を無視し、若い彼の2年間の代表としてのキャリアを無駄にしたのだ。

小林大悟は、大宮で輝きを見せている。しかしオシム監督の下ではさらに走らなくてはならないだろう。さらに彼の選出は、中村俊輔の将来に大きな影響を与えるに違いない。
田中隼麿は4バックでもMFを5人起用するシステムでも、右サイドの経験が豊富だ。同じポジションの加地にプレッシャーを与えることになるが、オシム監督は加地を高く評価しており、今後もおそらく加地が第一候補だろう。
数年前、まだ隼麿がまだヴェルディにいた頃、当時のロリ・サンドリ監督が彼はいずれ日本代表の右サイドバックになるだろうと言ったが、それが現実になろうとしている。

長谷部は格の違いを見せている。また一方、我那覇はフロンターレの前線を牽引して好調なチームの原動力となっている。
A3チャンピオンズカップのために巻を招集できない今、オシム監督には高さが必要だ。我那覇はその高さをチームに与え、さらにはきっと、ゴールももたらしてくれるだろう。

ワールドカップ・ドイツ大会が終わり、ジーコ監督の下ですっかり腑抜けになった日本代表のムードを変える必要があったオシムには、結局のところ、明るく想像力のあるスタートが必要なのだ。

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フロンターレ、首位を行く

2006/08/03(木)

そろそろ、川崎フロンターレを正真正銘のJリーグ・チャンピン候補に加えても良いだろう。
今シーズンのフロンターレは一貫して良いプレーを見せているが、私には、まだタイトルを狙えるとまでは言いがたいところがあった。
理由はたった1つ。これまでこんな高い順位に到達した経験がないチームだったから、プレッシャーに対応できるかどうか疑問だったのだ。分かる人には分かるだろうが、フロンターレにはビッグな選手はいるが、ビッグ・ネームはいないのである!
しかし、全34節のうちの16節を終了した時点でもフロンターレは勝点34で首位を守っており、浦和レッズとガンバ大阪とは1差。また、4位の鹿島アントラーズには3差をつけている。
優勝争いは、この4チームに絞られただろう。それより下位にいる横浜F・マリノスやジュビロ磐田といった実績ある「ビッグ・チーム」のなかに、シーズン後半にチーム力を大幅にアップできるところはないように思えるからだ。

フロンターレの躍進は、日本のサッカーにとって良いことである。タイトルを狙えるチームが多いほど、リーグは面白くなる。
フロンターレは、自滅も崩壊もしないのではないだろうか。タフな選手が揃っているのは明らかだし、チーム・スピリットもチーム構成もしっかりしており、首位に立っていることでやる気も十分だろう。
ワールドカップ後のJ1再開以降の成績は、なかなかのもの。ただし、ホームで浦和に0−2で敗れた試合は、別にしなければならない…。私は等々力に何度も足を運んでいるが、このスタジアムに2万3,000人ものファンが入るとは思いもしなかった。しかし、浦和戦は例外的なイベントだった。レッズはたくさんのファンを引き連れて来ただけでなく、その魅力でホームチームのサポーターの足も等々力に運ばせた。
この敗戦の前後には、アウェーで鹿島を4−2、ホームでガンバを3−2で破るという見事な試合があった。さらに直近のアウェーでの大分戦は手堅く1−1のドロー。
駒場の浦和戦での大分のプレーを見たあとでは、アウェーでの引き分けはフロンターレにとって上出来だと思えるし、最後まで優勝を争える力があることを再認識させた試合だった。

しかし、戦いの再開は8月12日まで待たなければならない。J1の日程に、またもイライラさせる中断期間が組み込まれているからだ。ただし、再開後の試合は待っただけの価値があるものとなるだろう。等々力でのフロンターレ対マリノス。今度も満員になるのは確実だろう。

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達也の決勝ゴールに見た複雑な思い

2006/07/31(月)

7月29日発:サッカーでは時として、喜ばしいことと残念なことが同時に起こる。
水曜夜、駒場で行なわれた浦和レッズ対大分トリニータ戦(1−0で浦和が勝利)が、まさにそうだ。
それは78分、田中達也がこの試合唯一のゴールを決めたその瞬間だった。
達也の素晴らしくクールなゴール。
あの大怪我からようやく戻ってきたことを示した。
しかし同時に私は、大分が気の毒だと思わざるを得なかった。
これが、残念なことである。

その瞬間まで、私は大分はもっと良いチームだと思っていた。
仮に試合が引き分けに終わっていたとしても、浦和は不満を持たなかっただろう。
アウェーチームは巧妙にボールをキープして試合のペースを握り、そして時折、浦和のディフェンスの隙を素早く突いた。大分のこの慎重な試合運びにレッズファンはヤジを飛ばしていたが、その様子や、彼らがピッチの3分の1でボールを回しているのを見るのは面白かった。

大分は何度か明らかなチャンスを作っていたものの、フィニッシュの精度を欠き、ゴールを奪うに至らなかった。しかしレッズは達也がここぞという時に決め、それが勝負を決した。
レッズファンは大分の作戦に対し盛んにブーイングを飛ばしていたが、そんなことより彼らは自分のチームの心配をした方が良いかもしれない。
前半、長谷部から達也に絶妙なパスが渡り、達也の強烈なシュートを西川がなんとかセーブしたシーンもあったとはいえ、結局のところ、長谷部、鈴木啓太、そして小野をセンターに据えた5人のMFをしてボールを奪うことができずに終わった。

大分は非常にいいプレーをしていたが、試合巧者のレッズにとっては珍しいシーンだった。ただ残念だったのは、後半に入り引き分け、勝点1が見えてきた時にそれまでの作戦を捨て時間稼ぎに走ったことだ。
「そうした行為は相手チームに対し、自分たちがフェアに戦えるチームではないと宣伝しているようなものだ」。スティーブ・ペリマン監督の言葉を思い出した。

内舘からのショートパスをスペースに走りこんだ達也が受け、ゴールを挙げて試合を決めた。走る意欲と、ゴールが見えたらシュートを打つという積極性を見せた達也の良いフィニッシュだった。達也には、オシム監督に招集されても、常にこの積極性を持っていてもらいたいものだ。

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森本には、失うものなどないのだ

2006/07/27(木)

若き森本に幸あれ!
東京ヴェルディ1969からカターニャに1年間レンタル移籍する、このティーンエイジャーに、失うものなどあるのだろうか?
私は全く何もないと思うし、今回の経験はためになりこそすれ、無駄になることはないと感じている。
彼はまだ代表チームがどうこうという立場でもないし、海外移籍が彼の招集の足かせになるとも思えない。
森本は、まだとても若く、選手生活が始まったばかり。つまり、どう考えても海外移籍がマイナスになるとは思えないのだ。

カターニャで活躍し、ビッグクラブの関心を買うようなら、選手として「一人前」になるかもしれないし、日本の2部リーグ(J2)でプレーしている現状では選手として「ブレーク」するかどうか定かでない。近い将来に年齢限定の日本代表になるのが当面の目標だろうが、そのためだけに日本に残ってプレーするのというのでは、もったいない。

森本を観るための旅行を計画しているメディアやファンが、うらやましい!
私がカターニャを訪れたのは、1990年代の初頭。そのときはサッカー観戦ではなく、スコットランドで開催される7人制ラグビー世界大会の予選「シシリー・セブン」に出場していたラグビーの香港チームの取材だった。
イタリアのほとんどの街と同じように、カターニャは素敵なところで、観光名所もいっぱい。しかも観光の間に立ち寄るレストランもとてもたくさんあった!

森本は、サッカー選手としても、世界に旅立ったばかりの若者としても、カターニャで素晴らしい時間を過ごすことだろう。
今回のチャンスをものにできるかどうかについては、何とも言えない。
セリエBから上がってきた多くのクラブと同様、カターニャもセリエA残留のために苦労するのは確実。森本も、長く、苦しい日曜日の午後を経験することがあるだろう。
しかし、森本は選手としてはまだ原石の状態。伸びしろがある。彼はスピードがあり、強く、ボールを持ったときも積極的にプレーする選手。ゴールの決め方も知っている。

かつてヴェルディで監督を務めたオジー・アルディレスから聞いた話だが、ユース大会で森本のプレーを観たアレックス・ファーガソンが森本の大ファンになったそうだ。アルディレスによれば、マンチェスター・ユナイテッドが森本の成長ぶりを観察していたそうだ。しかしマンチェスター・ユナイテッドからの動きはない…いまのところは。
セリエAのカターニャでシーズンを過ごすようになれば、J2のヴェルディにいるときよりも注目を集めるようになるだろうが、森本にはプレッシャーは全くないだろう。
森本は、ピッチ外ではリラックスし、一生懸命練習し、一生懸命プレーし、イタリアでの生活を楽しめばよい。総じて言えば、才能ある若きフォワードにとって、そしておそらく日本サッカーの遠い将来にとって、今回の移籍は歓迎すべきものである。

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“冬シーズン”開催は検討の価値あり

2006/07/24(月)

7月22日発:彼の行く手には、大きな仕事が待ち構えている。
いや、イビチャ・オシム監督ではない。
新しいJリーグチェアマン、鬼武健二氏だ。

ここ最近、Jリーグには少なからず変革が必要だと思っていた。
個人的な意見ではあるが、改善の余地はあまりにも多くある。
オールスターゲームをやめるなど、リーグには合理化すべき点があるのだ。
私ならまず、シーズンの開催を夏から冬へと根本的に変更する。
暑く、また湿気の多い7月や8月にサッカーをするのは過酷すぎる。
9月初旬にシーズンをスタートし、5月に終えるヨーロッパ方式が良いのではないだろうか。
そうすれば、6月や7月に開催されるワールドカップやコンフェデレーションズカップといった大会に、シーズンを中断させることなく代表チームを招集できる。
また、ヨーロッパ方式を採用することでヨーロッパの移籍市場(通常選手の契約は6月30日まで)にスケジュールを合わせることができ、各チームは選手を放出するのも加入させるのも容易になる。

もう一つの利点、そして私が非常に重要なファクターだと思うのは、メディアへの露出度だ。
現時点ではJリーグと野球のシーズンが重なっていて、天皇杯は別として12月から2月に空白期間が生じている。
もしJリーグが9月から5月にかけてシーズンを開催すれば、野球がオフシーズンの冬の間、メディアの関心を独占できるのだ。
二つのスポーツが対抗している今、ナショナルチームは別として、依然として野球人気の高さはサッカーのそれとは比べ物にならない。

さらに、もしJリーグがヨーロッパ方式を採用すれば、平日に試合をする必要性が低くなる。水曜夜の試合は大観衆を集めにくい、そして1試合の平均観客数を下げている。9月から5月のシーズンにすれば平日の試合はナビスコカップや天皇杯のために使えば良いのだ。

もちろん、冬に開催することによって、札幌、山形、そして新潟などは厳しい環境の中での試合になるという欠点もある。
しかし、札幌にはドームがあるし、山形や新潟はスケジュールを調節してホームゲームを晩夏、秋、そして春に大部分を集中させれば、空白月は2ヶ月ほどで済む。
そうした変更について、当然ながら問題点や反論はあろうと思う。しかし9月から5月のシーズンへ変更する利点は、そうした欠点をはるかに上回ると思う。
総合的に見て、シーズンもずっとスムースに開催できる。
新任のJリーグチェアマンがこうしたことをチラッとでも考えているかどうか、私にはわからないが、子細なリサーチを行ない、検討してみる価値は十分にあると思う。
長期的な視野に立ってみれば、日本サッカー界のためになるはずだ。

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オシムの流儀は、全力プレーとチームへの貢献

2006/07/20(木)

日本代表のワールドカップでの不甲斐ないプレーを考えれば、日本人選手のヨーロッパのクラブへの移籍話がさほど多くないのも、当然かもしれない。
それに、現在の状況下ではこれは悪いことでもない。
ジーコ時代の最大の問題の1つは、相当数の主力選手がヨーロッパのクラブに在籍しながら、そのうちの何人かはピッチ上よりベンチで過ごす時間のほうが長いことだった。
そうした選手が代表チームでプレーするときには、当然、実戦慣れしていない――毎日トレーニングをしていても、相手のいる試合で実際にプレーするのとは違うからだ。

ヨーロッパでプレーしている日本人選手はJリーグの選手より優れている、というのがジーコの持論。そうでなければ、ヨーロッパのクラブが契約してくれるはずがないではないか、というのがその根拠である。その意見も分からないでもないが、Jリーグの選手たちにも広く目を向け自身の見聞を広めようとせず、試合に出ていないヨーロッパ組の選手たちを手放しで信頼していた、その姿勢は許容できるものではなかった。

最近報じられたJFA(日本サッカー協会)の川淵キャプテンのコメントによれば、オシムはジーコとは違うアプローチをとるようだ。オシムは、2002年の韓国代表でヒディンクがとった方針、つまりどこのクラブに所属していようとも、代表選手はそのクラブのレギュラーでなければならないという方針を貫くのだろう(たとえば、アン・ジョンファンは2002年の代表の落選候補だった。もし彼が韓国に戻らず、あのままペルージャに残っていれば代表ではプレーしていなかっただろう)。
オシムがこのような方針をとることは、Jリーグにとっても、選手にとっても、大歓迎だろう。ジーコとは違い、オシムは、アジアレベルから世界レベルにまでステップ・アップできる選手を見出すことができるだろうし、トルシエと同じような方法で若手選手を刺激してゆくだろう。

また、選手たち(それから、できれば彼らの代理人たち)は、舞い込んできたヨーロッパからのオファーに飛びつく前に、慎重に考えるようにもなるだろう。
絶えずプレーし、ゴールを挙げ、自信を持っている巻ではなく、ブンデスリーガでたいした働きもできていない高原を、なぜ代表監督が選ばなければならないのか?
最高のレベルでは、個々の選手の技量にはあまり大きな違いはなく、自信と調子が大きな違いをもたらすのである。
だから私は、オシムの選手選考は斬新で冒険的なものになり、このようなアプローチが国内サッカー全体に浸透するようになることを期待している。オシムは、暗く、抑圧されたジーコ時代が終わって差し込んできた一筋の光であり、希望なのだ。

ヨーロッパへのパスポートが代表チームへのパスポートという状況は好ましいものではない。オシムは自分の原理原則を犠牲にしてまで、いわゆる「ファンタジスタ」を使い続けることはないだろう。
女性ファンにハンサムだと思われているとか、テレビ局がメランコリックな「迷子の子ども」みたいな表情をしている選手のインタビューを流したがっているとか、そんな理由は、彼には通じない。問題は、その選手のスタイルがオシムのスタイル、日本代表のスタイルにフィットしているかどうか。つまり、選手は走らなければならず、ひたすら走り続けて、さらに走らなければならないのである。チームのために全力を尽くす気のない選手はお呼びではなない。オシムは、全力を尽くすことを流儀にしており、実際、全力を尽くす選手を重用している。
ヨーロッパが、最高レベルでの成功を望む日本人選手にとっての唯一の選択肢というわけではない。もうそんな時代ではないのだ。

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FIFAは恐れずビデオ判定を導入すべき

2006/07/17(月)

7月15日発:ジダンとマテラッツィのいざこざは、醜い挑発とそれに対する暴力行為でサッカー界に大きな波紋を投げかけた。
しかしこの醜態が、最終的には良い結果を生むことだって可能かもしれない。
例えば、FIFA(国際サッカー連盟)がビデオを審判の補助として導入し、試合中の誤審を訂正するようになるとか…。
個人的には、FIFAは数年前にビデオを導入すべきだったと考えている。ビデオ導入をためらったことが、サッカー界の進歩を遅らせたのではないかとも思うのだ。

ジダンの退場直後、ビデオリプレイは繰り返し何度も放映された。しかし、それはジダンの行為を糾弾するために使われたのだ。
主審はこの行為を見ていない。試合はピッチの反対側で展開されており、1組の目しか持たない主審に罪はない。しかし、ピッチサイドの両チームのベンチの間でビデオモニターでリプレイを見ていた第4の審判員がこれを見ていた。
FIFAは即座にこれを否定した。第4の審判はジダンの頭突きを自身の目で目撃し、主審に伝えたと。さらに、彼らはビデオは一切使っていないと強調した。

ここで大きな疑問が残る。このような事態が起こった時に、テレビモニターでリプレイを見て確認することの一体何がいけないのだろうか?
FIFAのゼップ・プラッター会長はそうした変更を歓迎するどころか、ビデオの導入は審判の権威を失墜させると言う。
しかし、ビデオの導入は主審、副審が正しい判定を下すのに大いに役立つに違いない。
ブラッター会長は、レフリーだって人間、誰にだって間違いはあると言うが、これだけ技術が進歩し、かつ近代サッカーにこれだけ巨額のお金が絡んできている現在、それだけではあまりにも説得力がない。

1998年ワールドカップの準決勝のフランス対クロアチア戦で、ビリッチがケガをしたふりをしてフランスのブランが退場させられた一件をよく思い出す。ブランは2試合の出場停止となり、自国でのワールドカップ決勝に出場できなかった。
テレビのリプレイで世界中の人々がビリッチが審判をまんまと騙した様子を見たにもかかわらず、FIFAは判定を覆すことを拒否した。
不正行為をした者が勝ち、正直な選手が負けたのだ。
この時、状況が違っていて、ビデオ判定が導入されていたとしたらどうなっていたか考えてみると良い。
試合後、審判がビデオでビリッチの芝居を目にし、2試合の出場停止を取り消す。これについて誰が文句を言うだろうか? 今でも、ブランが決勝に出場できなかったのは当然だと心から言えるのだろうか?

FIFAは即刻、ビデオの導入を決めるべきだ。
試合の流れを止めるなどとは言えないはずだ。
特に今回のワールドカップでは、そうした卑劣なファウルでどれだけのホイッスルが吹かれたことか…。
もう、試合に流れなんてものはないじゃないか。

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ジダンには「ゴールデン頭突き賞」を

2006/07/13(木)

冗談としか思えない。
何の話か。もちろん、ワールドカップのMVP(「ゴールデンボール賞」)がジダンに決まったことである。
FIFA(国際サッカー連盟)は、この賞の名称を「ゴールデン頭突き賞」に変えたほうがいいのかもしれない。いっそ、「ゴールデンハゲ頭突き賞」でもいいくらいだ。
こんな賞の贈り方ではまったくサッカーのためにならないし、FIFAは決定を覆すよう動くべきだったと思う。

実際、サッカーファンであるかないかにかかわらず、たくさんの人にとって、この受賞はお笑いでしかないだろう。ジダンの暴力行為は世界を震撼させ、サッカーの歴史でも最高の選手の1人という自身への評価(私はそうは評価していないが)を台無しにしてしまったからだ。
能力あるいは天賦の才、そしてキャプテンシーというものは責任と自制があって初めて成り立つもの。ジダンのフーリガン的な振る舞いには、言い訳は一切認めらない。たとえ、おしゃべりのマテラッツィが彼を「テロリストの売春婦の息子」と呼んだとしても。

ジダンには、そんな中傷の相手をしないくらいの器量の大きさがあってしかるべきなのだが、その短気を抑えることができず、1998年のワールドカップでも、フランスのグループリーグ2戦目、サウジアラビア戦で相手を踏みつけ、退場を宣告されている。その行為も悪意に満ちたもので、ジダンには2試合の出場停止の処分が下され、フランスが決勝に進出するまでの大きな足かせとなった。
決勝戦では、ご存知のとおり、ジダンはブラジルを相手にヘディングで2ゴールを挙げ、サウジ戦での暴力行為には蓋がされた。

ジダンがサッカーシューズを脱ぎ、引退してしまった今となっては、問題を隠すことも、贖罪することもできない。
しかし、賞の選考を振り返ってみよう。この賞は記者の投票によって決まる。各記者がMVP候補の上位3人を選んで投票し、1位に選ばれた選手には5点、2位には3点、3位には1点が与えられる仕組みだ。
個人的な意見を言えば、私ならカンナバーロに投票していただろう。彼はイタリアのディフェンスの中核として、とくにネスタが負傷で欠場する中、見事な働きをしていた。ジダンが退場にならず、そしてフランスが優勝していたとしても、私はカンナバーロに投票していただろう。ただし、カンナバーロがOGで3点を献上し、PKも1回与え、さらにつば吐きや同様の不快な行為で退場を食らっている場合は、その限りではないが…。

私はジダンには投票しなかっただろうし、多くの人はロマンチックな理由でジダンに投票したのだと思う。2004年に代表チームから引退したジダンが1年後に34歳で復帰し、選手生活最後の試合となる決勝戦にチームを導いたことは、なんだかんだ言っても素晴らしいストーリーなのだ!
問題は、多くの記者が決勝戦の前に投票していたことである。決勝戦のあと、インタビューや記事の執筆で大忙しのジャーナリストたちにとって、いちばん煩わせられたくない存在が投票用紙の記入を迫るFIFAの「背広組」だったからだ(たとえば、日本のナビスコカップでは事情が違い、FC東京のそれぞれの試合のあとに余裕を持って今野か伊野波かを決められる!)。
世界中のウェブサイトで面白いコメントをたくさん読んだが、酔っ払いやハゲ頭の山羊みたいな行動が原因でレッドカードをもらっても、その選手の全体的な評価には影響しない、という意見があった。本当かねえ?
言わせてもらうと、決勝戦で退場を食らってPK戦に出られず、結果的に同僚を疲弊させ、チームを敗北させた。ワールドカップ全体から見れば、これは大したことではないのだろうか?

今回の件で、数シーズン前の三都主アレサンドロのことを少し思い出した。当時エスパルスに所属していた三都主はジュビロとのチャンピオンシップの第2戦で退場を食らい、結果的にジュビロがJリーグチャンピオンになった。次の日、三都主はJリーグのMVPを受賞したのだが、私はこれもおかしな話だと思っていた(最近の例では、エメルソンがいるが、もうその話はやめておこう! ところで、エメルソンは来週、19歳になるようだ)。
投票は深夜まで受付けているものの、メディアには早めの投票を呼びかけていたため、このシステムは、間違いやバカらしい結果を生み出す原因となっている。次回は、決勝戦の翌朝に投票結果を吟味し、技術委員会との議論を経て最優秀選手賞を選んだほうが良い。言い換えれば、メディアの投票は賞に影響を与えるが、賞を決定するわけではない。
ジダンは不面目な立場にある。取りやめることもできたのに、FIFAがこの賞を与えたため、サッカー全体の評価が失墜した。受賞者としてはカンナバーロのほうがふさわしかった。もっとも、カンナバーロ本人は気にしてもいないだろね…なんたって、4年の間ワールドカップを保持できるのだから!

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もういい加減に終わりにしよう!

2006/07/10(月)

7月8日発:ここ最近、ワールドカップでのダイビング、ケガを装う行為、そしてファウルぎりぎりのプレーに関する記事をよく目にする。これは非常に良い傾向だと思う。国際サッカー連盟(FIFA)も、そうした撲滅しなければならない忌むべきことがあるという事実を認めた。
私が“喜ばしい”と書いたのは、常々メディアはこのような穢れた事実を書かず、最近の流行として受け入れているように感じられていたからだ。
この問題について、私はここ数年ずっと書き続けてきた。そして私は今後も、このような卑劣な行為から目を背けるつもりはない。

以前、とある日本人記者に“古いサッカーにしがみついている”と批判されたことがあるのだが、彼が言っていたのはおそらく“正直なサッカー”という意味だったという程度に考えている。
私は、こうした行為について一言モノ申さずにはいられないようだ。そのおかげで、シュツットガルトで行なわれたイングランド対エクアドル戦の記者席では激しい口論まで引き起こしてしまった。

試合開始のホイッスルから、エクアドルは0−0の引き分け、延長戦、そしてPK戦に持ち込むことを明らかに狙っていた。そしてそれは、ただのぶち壊し屋から勇敢なヒーローになれる機会があっても変わらなかった。
一人のエクアドル選手が大したプレーでもないのにピッチに大げさに倒れ、彼のチームメイトがボールを外へ蹴り出した時、私は思わずペンを机の上に投げ捨て「ふざけるな!」と言ってしまった(実際は“F”から始まる汚い言葉を使ってしまったのだが…)。
激情を抑えられなかったことについては、素直に反省せねばなるまい。

私の右隣には4〜5人のスペイン語圏のジャーナリストが座っていた。
彼らは明らかにエクアドルを応援していた。
そう、応援していたのだ。
彼らは私がエクアドルの選手がケガをしたフリをしていると感じていることに気分を害したようで、私が口にした“F”から始まる言葉を何度か繰り返していたその様子はそれはそれで面白かったが…。

「じゃあ“F…”リオ・ファーディナンドはどうなんだ?」。
私の隣の、ペンもノートも持っていないヤツが言った。
「あの“F…”フェアープレーキングだよ」。
そして彼はヒジ打ちのマネを始めた。それはまるで、グループFの初戦、日本対オーストラリア戦で、コーナーフラッグの所でボクシングの仕草でゴールを祝ったオーストラリア代表のティム・ケーヒルのようだった(今でも思い出したくないシーンだったかもしれませんね。読者の皆さん、申し訳ない)。
「女のゲームでなく男のゲームだからね」。私はそうやり返した。

ここまででお分かりのとおり、この件については様々な見方がある。
おかしなことだが、イングランドの“ベッキンガム宮殿”のプリンスが見事なフリーキックで得点を挙げた後は、エクアドルのそうしたプレーはピタッとなくなったのだ。
もちろんその後は珍しいことに、エクアドルも得点を挙げようとしていた。
私の隣にいた連中にも、チームがリードを許すと時間稼ぎが減るという理屈がわかっただろうか?
いや、おそらく無理だろう。

とにかく、ポルトガル、特にクリスティアーノ・ロナウドには感謝している。
今回のワールドカップで、サッカーの醜い部分をすべてさらけ出してくれた。
そして、今年後半に選手、審判、コーチで組織する委員会でこれらの問題について話し合うと語った、“フェアプレーの皇帝”フランツ・ベッケンバウアーにも…。
もちろんその頃にはそんな問題はなくなっているかもしれないけれどね。
選手さえ本気で望めば、フェアプレーを取り戻すことなど簡単なのだ。

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中田のラストゲーム、そして思い出

2006/07/06(木)

たしかに、ブラジル戦後の中田英寿の様子は尋常ではなかった。
間違いなく、彼にとって最後のワールドカップの試合だと思ったし、おそらく日本代表での最後の試合なのだろうとも思った。
しかし、プロとしての最後の試合になるとは、思いもしなかった。
言うまでもなく、中田は自分でルールを決め、自力で目標を達成してきた。それがこの男のやり方であり、ライルスタイルなのだ。
彼は、決して付和雷同しなかったし、立ち止まろうともしなかった。ひたすら動き続け、自分自身に勝とうとしていた。
今、彼の新たなチャレンジが始まろうとしている。ピッチの外で。しかし、これまでやって見せてきたように、彼には成功するための資質がある。

中田についての思い出はたくさんあるが、ブラジル戦のさなかに私が思い出していたのは、はじめて彼のプレーを見たときのことだった。あれは1994年、ジャカルタのアジアユース選手権でのこと。中田はU−19日本代表の一員としてプレーしていた。

ブラジルとの試合は終盤にさしかかり、ブラジルが勝点3をほぼ手中にしている状況。日本は左サイドを攻め上がり、中田はファーポストまで走ってボールが来るのを待ち受けていた。
ボールは来なかった――そして、中田は崩れ落ちた。腹立たしそうに。チャンスがつぶれたあの瞬間、中田はこれがゴールの最後のチャンス――ボールがネットに突き刺さり、ラインズマンの旗が下に降ろされ、レフェリーがセンターサークルを指し示したときの快感を得られる最後のチャンス――とわかっていたに違いない。
チャンスが去ったあと、ブラジルが再び速攻を仕掛け、さらにゴールが生まれそうになると、中田は再び立ち上がり自陣に向かって走り出した。私は中田の姿を目で追っていたが、彼は明らかに疲れきっていた。頭を上下に揺らして走る姿は、全エネルギーを使い果たし、純粋に本能だけに頼って生きているように見えた。

試合終了後に起きたことは、もちろん、広く伝えられている。ドルトムントのメディア席から観ていた私は、彼の健康状態が心配でならなかった。同じように感じていた人間も少数いたようで、そのなかの2人、宮本とアドリーノは中田のもとに近づき、彼の状態を確かめていた。
そのとき、私はこれが彼の日本代表での最後の試合になるのだと感じた。あれが彼からファンへの「ありがとう」というメッセージ。今週、彼が引退を発表したときには、ドルトムントでのあの出来事を考えれば当然の結果であるように思えた。

中田は、自分自身のキャリアが今後下り坂になるのを知っていたのだと思う。いたずらに選手生活を延ばしてクラブからクラブへと渡り歩き、レベルをどんどん下げながらも、30代半ばまでサッカーで食べて行きたいという気持ちは全くなかったようだ。
彼の計画はそれよりはるかに壮大である。どこでプレーするのかを心配し、先行き不透明なままシーズン開幕を待つ必要もなくなり、現在の彼はむしろ安堵しているのだろう。
現時点では、私が抱いている中田についての思い出はこのようなものだ。ただし、将来には、より楽しい思い出がよみがえってくるのだろう。

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オシム騒動に決着を!

2006/07/03(月)

7月1日発:オシム監督をめぐるドタバタ劇の真相は、一体何なのだろう。
日本サッカー協会(JFA)にとって、手順はいたって単純なものになると思っていた。

まず、JFA技術委員会がワールドカップ後のジーコ監督の後継者リストを作る。
次に、リスト中の最有力候補者にコンタクトを取る。彼がどこかのチームの監督なら、チームと連絡を取り、彼と話をする許可をもらう。
そして候補者にオファーを出し、契約期間や給料等の条件面を提示、合意できない場合は次の候補者を当たる。今回ならオジェックかな?
合意に達したなら、次はチームとの交渉だ。もちろんこれは「もし必要なら」である。
そして最後に、メディアに向け新たな代表監督就任を発表する。

しかし、6月から7月になろうとしているのにオシム監督をめぐる迷走劇はいまだに続いている。日本サッカー界のため、そしてオシム氏がそもそも監督として採用されるべきでなかった、かのブラジル人監督によって受けたダメージの修復に着手できるよう、この迷走劇が早く終わってくれることを願うばかりだ。

ドイツから日本へ帰国するや否やJFAの川淵三郎キャプテンがオシム監督と交渉していることを明らかにした。そしてさらに、その交渉はワールドカップ前から既に始まっていたという。これには驚かされた。
これは明らかに、川淵キャプテンの巧妙な政治的手腕だ。オシム監督の名前を挙げることにより、ジーコ監督と日本のワールドカップ敗退への人々の関心をそらしたのだ。
その発表は、オシム監督との交渉の打診さえ来ていなかったジェフ千葉を含め多くの人を驚かせた。

金曜日夕方のNHKのニュースで、岐阜でバツが悪そうに花束をもらっているオシム氏を見た。
JFA、ジェフそしてオシム監督。三者の間で近日中に話をまとめ、正式に発表してほしい。そうすれば我々は1日も早くジーコ監督のことを過去の事にし、前へ進むことができるのだ。
新たにチームを再建する必要がある日本代表の監督には、日本人選手のことをよく理解しているオシム監督が最適。私は2年ほど前からそう言ってきた。
今から2010年ワールドカップのことを考える必要はない。特に、オシム氏の場合は…。
2007年のアジアカップまでの1年、長くとも2年の契約で十分だ。そして誰もが満足したなら、そのときに2010年ワールドカップまでの契約を考えれば良い。

それから、ジーコ氏の哲学の継承者としてオシム氏が最適であるという川淵キャプテンのコメントを聞くのには、もううんざりしている。
これは、何の経験もなく、4年という長期間に何も結果を残せなかったジーコ氏と違い、名将として尊敬され、実績も残しているオシム氏に対する侮辱だろう。

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闘莉王を試していれば…

2006/06/29(木)

遠く離れた東京で開かれた日本代表監督退任記者会見でのジーコのコメントを、とても興味深く読んだ。
日本がワールドカップで苦戦したのは、背の高い選手が少ないからで、これがオーストラリア戦はもちろん、クロアチア戦でも響いた。ジーコはそう指摘している。
これが事実だとしても、ジーコは、ライプツィヒで抽選が行なわれた去年の12月から、この点を認識していたはずである。日本はタフで、当たりの強いチームと同組になったと分かっていただろうし、今年初めにサンフランシスコで行なわれた親善試合で米国にズタズタに切り裂かれたときには、警告音がさらに大きく鳴っていたはずである。
しかしジーコはディフェンスの強化にはまったく手を打たなかった。したことといえば、以前からいる選手を重用することだけ。

前にもこのコラムで書いたが、調子さえ良ければ、松田直樹はJリーグで最高の日本人選手だ。ただし、彼は2005年、ワールドカップ予選を前にして自ら代表合宿を離れ、ジーコのみならず自分自身をも失望させる結果となってしまった。そうした経緯を考えれば、ジーコが松田を二度と招集しなかったのも理解できる。
ただし、この言い分は浦和レッズの闘莉王には当てはまらない。ペナルティエリア付近で荒っぽいことをすることがあるものの、彼の高さと筋肉は将来の日本代表に大いに役立つだろう。
2006年の一連の親善試合のなかで、私は、闘莉王はジーコが試す価値のある選手だと思っていた。しかし、ジーコは1度も闘莉王を招集しなかった。

レッズのギド・ブッフバルト監督は、坪井が先に代表チームに招集されたが、日本で最高のディフェンダーで最もヘッディングが強いのは闘莉王だと今シーズンずっと言い続けていた。
5月末に行なわれた外国人スポーツライター協会の会合で、ゲストとして講演したブッフバルトは、ジーコとサッカーの話をする機会は2年前に一度あったきりだと聴衆に語った。

なぜジーコは闘莉王にチャンスを与えないのかと質問されると、ブッフバルトはこう答えた。
「私にはわかりません。しかし聞いたところによると、闘莉王はピッチ上で喋り過ぎるとジーコは考えているそうです」。
おかしな話である。ジーコはいつも、相互のコミュニケーションの欠如が日本人選手の欠点だと言っているのに!
だから私は、日本には十分な高さを持った選手がいないという意見には賛成しない。こういう議論を聞いていると、日本のディフェンダーの体格について日本人記者から疑問を投げかけられたときのフィリップ・トルシエの返答を思い出す。

「メキシコには、松田くらい背の高い選手はいますか?」。
トルシエは言った。
「メキシコはいつもワールドカップに出ています。日本にとってこのことは問題ではないのです」。
もちろん、ジーコがやっておくべきだったことをいまさら話しても遅すぎる。しかし、新しい選手を入れ、チームをリフレッシュさせようとしなかった彼の姿勢が、日本の凋落の1つの原因となったのである。

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ヒデとガッザ

2006/06/26(月)

ハノーバー(6月23日)発:ヒデが“ガッザの涙”を再現することになろうとは、一体誰が考えただろう。
人前で感情をめったに露にしない日本の“アイスマン”中田英寿は、イングランドのポール・ガスコイン、そしてチームの敗退で悔し涙を流したその他大勢の選手達とともに、その名を歴史に連ねた。

ガスコインは、1990年のワールドカップ・イタリア大会、準決勝のドイツ戦でのことだった。トーマス・ベルトルドへのファウルでイエローをもらい、仮に決勝進出を決めても累積警告で決勝戦に出られなくなったガッザの目から、とめどなく涙があふれ出た。
チームメイトのゲーリー・リネカーが、ベンチで悲観に暮れるガッザを気遣っていたその姿が忘れられない。結局、イングランドはドイツにPK戦の末に敗れ、ガッザの目には再び涙が溢れた。
しかし、彼の涙は国中の人々の心を掴んだ。そうして彼の人生はすっかり変わってしまった。

自己中心的な選手だとか、サッカー選手というよりビジネスマンだと言われ、イタリア、イングランドと渡り歩いたヒデもまた然り。
しかし、ブラジル戦終了のホイッスル後に見せた、中田の絶望ともいえる落胆の姿はこうした誤解を氷解させた。
チームメイト達がファンに挨拶をしてロッカールームへ消えていったその後も、センターサークルで横たわっている姿には心が痛んだ。

実は私は、中田が心身ともに疲れ果てているように見え、彼の健康を心配していた。
試合がブラジル優位に進んでいた後半半ば、中田浩二が投入されるとヒデはより前方へ上がっていた。日本が攻撃をしかけボールを失う度に、ディフェンスのヘルプで駆け戻るヒデのその姿が次第に辛そうに見えてきたのだ。
彼の体力はどんどん奪われ、ガス欠のまま走っているその姿は、まるで車の後ろでクビを振っているおもちゃの犬のようだった。

この試合、このワールドカップは、彼にとって非常に大きな意味があった。日本の1次リーグ敗退というフラストレーション、ブラジルを相手に日本が何もできなかったという事実は、非常に重かったに違いない。
中田はチームのことを考えているし、常にそうしてきた。ただ彼の場合、それが他の人と少し違い、多くの日本人にとって理解しがたいものなのだろう。
世の皮肉屋と疑い深い人たちに聞いてもらいたい。彼は日本のために精一杯戦った。1990年、ガスコインが帰国後ヒーローとなり伝説となったような評価に値するべきものなのだ。

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2010年も加地は当確

2006/06/22(木)

今回のワールドカップの日本代表を見渡してみると、2010年のワールドカップ・南アフリカ大会にも代表メンバー候補となっていると自信を持って言えそうなフィールドプレーヤーは、そう多くない。
(それに、日本が地区予選を勝ち抜いたら、という前提がつく。次回の地区予選では、実績あるアジアの強国となるオーストラリアが厄介なライバルとなるだろう。)
最も可能性がありそうな選手の1人は、攻撃でも守備でも、右サイドで精力的な働きを見せる、日本のカフーこと加地亮だ。
ニュルンベルクのクロアチア戦での加地は、日本代表でも指折りのパフォーマンスを発揮した。
クロアチアの左サイド、身体能力に優れたバビッチの攻め上がりに対処しながら、加地は隙を見つけては前線に駆け上がって相手ゴール前であわやというシーンを何回か演出した。

かつてFC東京に在籍し、現在はガンバ大阪でプレーしているこの選手は、4バックのライトバックでも、中盤5人の右サイドでも同じようにプレーすることができ、ここ2年ほどはジーコにとって不可欠な存在となっている。
徳永(FC東京)と中村(福岡)、ともに才能豊かな若手選手が右サイドバックいることも、ポジョションを奪われかねないというプレッシャーを常に加地に与えることになりそう。これも良いことだ。一方、オーストラリア戦で彼の代役を務めた万能選手の駒野は、左サイドに移り、三都主のポジションを狙うようアドバイスを受けるかもしれない。

クロアチア戦の加地の動きは興味深いものだった。4−4−2のフォーメーションで、ジーコは鹿島で名良橋と相馬に求めたようなサイド攻撃を加地と三都主に求めた。
両サイドを攻め上がり、深い位置からゴール前にクロスを供給するのは多彩な中盤の選手ではなく、加地と三都主の仕事。そのためにはチーム全体が上手く機能し、2人が適切なタイミングで、適切な位置にいるようにしなければならない。日本が時間をかけてボールをキープし、さらに冒険的なパスやまずいボールコントロールで不用意にボールを手放さなければ、2人が攻め上がるチャンスが多く生まれ、さらに相手DFを本来の位置から引きずりだせる。
日本代表はワールドカップ後に大きく作り変える必要があると感じているが、加地はそのままの位置で残るだろう。

もっとも、クロアチア戦での日本のMVPは、FIFAの公式の受賞者は中田英寿となったが、間違いなく川口だった。
オーストラリア戦で崩壊したあと、日本代表はうなだれてしまったが、川口がムードを変えた。スルナの強烈なPKに対して左に低く飛んだセーブはお見事。ペナルティの判定は妥当なもので、プルショに裏をとられたツネ(宮本)が慌ててボールを奪いに行った代償を払わされたのだ。
ヨシ(川口)は大一番に強いことをあらためてアピールし、ヒーローと賞賛されるに値するだけの働きをしたのである。

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“ルーニー狂騒曲”に終焉を

2006/06/19(月)

ボン発(6月16日):イングランド代表のスベン・ゴラン・エリクソン監督は、トリニダード・トバゴに2−0で勝利した後、“ウェイン・ルーニー狂騒曲”の終結を歓迎すると多くの人々に話していた。
7週間前のマンチェスターユナイテッド対チェルシー戦でルーニーが右足を負傷して以来、イングランドの新聞のスポーツページには連日、ルーニーの中足骨についての記事で溢れていた。
しかし木曜日、ニュールンベルグでルーニーは途中出場ながら33分間プレーした。ワールドカップに初出場したのだ。

「ようやく騒ぎが収まってホッとしたよ」。
試合後の記者会見でエリクソン監督はそう言った。
「毎日毎日同じ話ばかりで我々もうんざりしていたんだ。でもそれも終わりだ」。
エリクソン監督は“騒ぎは終わった”と思っているらしい。

さて、次の質問。
「この24時間について話してもらえませんか?」
一人の記者が、医者の話や検査についての詳細を尋ねた。
サッカーの話題より医学の話ばかりで、まるで、ドラマ『ER』や『シカゴホープ』を見ているような錯覚を私は覚えた。

質問はさらに続く。
「ルーニーは次のスウェーデン戦に出れますか?」
エリクソン監督は苛立ちを抑えながら、トリニダード・トバゴ戦後のルーニーのコンディションについては1、2日待たねばわからないと答えた。

そしてピーター・クラウチへの質問。
「ルーニーが加わることでチームはどのように盛り上がりましたか?」
明らかに、クラウチもうんざりしていた。
「チームを盛り上げたのはウェインだけじゃない。レノンやダウニングもだ。攻撃陣は疲れていたからね」クラウチはそう答えた。

エリクソン監督は心底望んでいるようだが、これを見て皆さんにもおわかりのように、残念ながら“ルーニー狂騒曲”は完全には終わっていないようだ。
ルーニーの名前は、記者たちが陳腐なヘッドラインを書くのに最適なのだ。
例えばこんな感じ。
パラグアイ戦でルーニーがプレーしなかった時の見出しは「ウィッシュ・ルー・アー・ヒヤー(Wish you are here)」だったし、イングランドが2試合で勝点6を挙げ決勝ラウンド進出を決めた時は「ウィ・アー・スルー(We are through)」やアメリカ流に「ウェイン・トゥー・ゴー(Way to go)」などの見出しが紙面を躍った。
一人の選手がこれほど長い間スポーツニュースの話題を独占することはない。これはどれだけルーニーが特別な選手なのかという証拠。
しかし、最近のイングランドの記者会見に出席するのは苦痛だ。
次の質問が何なのか聞かなくてもわかる。
そう、ウェイン・ルーニーだ。

そこで私なりにこの“ルーニー狂騒曲”に便乗してみた。
「ディス・イズ・オール・ウェイン・ザ・トップ(This is all way over the top!)」
「ライト・アバウト・ザ・サッカルーズ・インステッド(Write about the Socceroos instead!)」
「ファーギー・シンクス・スヴェン・イズ・ア・ルーナティック・フォア・ブリンギング・ウェイン・バック・ソー・クィックリー(Fergie thinks Sven is a lunatic for bringing Wayne back so quickly!)」

読者の皆さんには本当(トゥルーリー)に申し訳ない。
しかしこれでこの馬鹿げた騒動は終わりにします。
じゃないと皆さんに怒られて(アンルーリー)しまいそうだ。
“ルーニー協騒曲”は、もう終わりにしよう。

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なぜ、巻を連れて来たのか?

2006/06/15(木)

ここドイツでワールドカップのイングランド代表を追いかけているメディアの多くは、パラグアイ戦でテオ・ウォルコットにチャンスを与えなかったスベン・ゴラン・エリクソンに批判的である。
ウォルコットのような、若くて未知の才能をとりあえず使ってみてはどうだ? ベンチ要員にするのは攻撃陣と噛み合わないとわかってからでも遅くはないのではないか、という理屈だ。
イングランドの慎重な戦い方に対して、このような考え方をする人が多くいたが、日本がサッカールーに敗れた後、私も似たようなことを考えていた。

唯一のサプライズとして巻を召集したのだから、オーストラリア戦の終盤は彼がワールドカップ・デビューを果たすのにうってつけだと思ったのだ。
しかし、そうはならなかった。中田ヒデそして中村と並んでプレーする第3のプレーメーカーではなく、気迫の守りをしてくれるフレッシュな体力を持った選手が日本代表に必要だったとき、ジーコは小野を起用するという不可解な選択をとったのだ。
このシチュエーションに必要なのは巻だと思った。ジーコは巻をピッチに送り出し、動くものなら何でも、できれば金と緑のシャツをひたすら追いかけるように指示することもできたはずである。

日本は後半が進むにつれどんどん深い位置で守るようになっていたが、巻なら前線で守備を行ない、ボールを持っているオージーのディフェンダーやミッドフィルダーを悩ませ、彼らにプレッシャーをかけることもできただろう。それに、巻の背の高さとフレッシュな体力はオーストラリアのディフェンダーにとっても厄介だったはず。アタッカーとしても脅威になったかもしれない。

もっとも、そうはならず、交代で入ったオーストラリア選手が日本のペナルティエリアの外側あたりで秩序正しく列を作り、次々とハイボールが供給されて来るのを待つという状況となってしまった。
サッカールーがゴールを破るのは時間の問題にすぎず、川口が判断ミスを犯した直後にケーヒルが同点ゴールを決めたのは、驚きでもなんでもなかった。
ヨシには、気の毒と言うしかない。前半と後半を通じて、見事なセーブを次々と見せ、MVP並みの活躍をしていたのに…。
ミスがあったのは、左サイドからニールがスローインを入れたときだった。キーパーは前に飛び出したが、まったくボールに触れず、絶好の位置にいたケーヒルがルーズボールを強烈にとらえた。
これがまさに、終わりの始まりであった。日本が、瞬く間に崩壊してしまったのだ。クロアチア戦で巻に有意義な働きをさせても遅くはない。私はそう願っている。そうしないのなら、一体、何のために彼を連れてきたのだろう?

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ドイツの初戦勝利を祝うボン

2006/06/12(月)

ボン発(6月9日):私がこの記事を書いているインターネットカフェの外の騒ぎ。皆さんにも伝わるだろうか?
クレイジー!
熱狂!
2006年ワールドカップの幕が完璧な形で切って落とされた。

車がクラクションを鳴らし、窓からドイツの国旗をはためかせて通り過ぎていく。
家族はレストランやカフェでドイツ対コスタリカ戦のテレビ観戦を終え、夕日を浴びながら家路へ。子供たちは顔を赤、黄、黒にペイントしている。
若い男女のグループが巨大な旗を振りながら歩き、車の流れを止めている。
とは言っても、誰もがハッピーなわけではない。パトカーはけたたましいサイレンを鳴らしながら酔っ払いのスピード違反車を追いかけていく。
歓喜の列はケネディブリッジを越え、日本代表が宿泊しているボンのヒルトンホテルまでつづいている。日本代表の選手たちも、2006年ワールドカップに来ている実感を味わっていることだろう。

金曜日の今日、私は日本ではなくイングランドのトレーニングを見に、フランクフルトへ来た。ここに来て非常に好調と言われるイングランドチームを、一度見ておきたかったのだ。そしてそれはとても満足できるものだった。
フランクフルトからボンへ帰る途中、ブラックフォレストから来たというドイツ人のグループに誘われ、列車のバーで冷たいビールを飲みスタジアムで火照った体を潤した。
ドイツのリードが2−1、3−1と広がり、そして4−2…フランクフルトからボンへ向かう列車の乗客たちは試合の様子を追いながら、タイムアップ時にはすっかり盛り上がっていた。
ビールで体も潤い、ボンについた私はこの保守的な町の興奮ぶりに驚いた。

サッカーほど国を一つにするスポーツは他にない。ワールドカップで開催国のチームが期待通りの活躍をしている時のように、愛国心を高揚させるものは、戦争だけだという記事をつい最近読んだ。
そう。ワールドカップマジックの始まりだ。
そしていま、イングランドと日本はそれぞれのスタートを待っている。

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やっと親善試合が終わった!

2006/06/08(木)

やっと、全て終わった。
2006年ワールドカップ・ドイツ大会に向けた日本代表の強化試合は、土曜日のマルタ戦(1−0で勝利)をもって正式に終了した。
しかし、ジーコ体制の4年間で戦った数多くの親善試合と同じように、マルタ戦もまったくの時間の無駄だった。
ジーコは一体何を学んだのだろう?
おそらく、何も…。
今回の中身のない勝利が、チームの士気と自信にどれほど効果があったのだろう?答えは、上に同じだ。
開始早々に日本の決勝点となるゴールを決めた玉田を除いて、誰にとってもあまり収穫のない試合だった。
マルタを完封したディフェンスの選手たちも、相手のレベルの低さをわかっていただろう。

試合中、たくさんの選手交代が行なわれたが、こちらもやはり意味はなく、日本は明らかに格下の相手を打ち破るのに苦労をしていた。まるで、個人の寄せ集めがおざなりにプレーしているような試合。本番になれば誰が選ばれ、誰が選ばれないか、選手たちはみなそれを知っているからだ。
もっとも、私自身は準備試合が終わって安心しているし、ジーコもそうかもしれない。
ジーコは、本当の戦いができる、オーストラリア戦を待ち遠しく思っているかもしれない。
テストはもうないし、やたら多くの選手交代もないし、言い訳も、もうない――あとは、グループFの初戦で、2つのチームが勝点3という大きな成果を得るために戦うだけなのである。

日曜日は、小野、稲本、小笠原、そして巻が途中出場した。高原と柳沢が欠場したにもかかわらず、ジーコが巻を先発で使わなかったのには驚いた。大黒はゲーム途中で送り出すのにうってつけの選手だからだ。
元ガンバ大阪のこのフォワードは、後半に出てくると危険な存在となる。彼のゴール前での動きの鋭さは大いに認めるが、私には、今回のような高いレベルでスタメンの11人に名を連ね、終始一貫して仕事ができるタイプの選手だとは思えないのだ。
60分か70分は巻が走り回って相手DFを消耗させ、それから大黒を送り出し、試合を決める方が…。

今回、玉田はチャンスをものにした。しかし最近、ジーコが4−4−2を採用したときの中盤の左サイドのほうが玉田に向いていると思うことがある。その場合、彼の後ろには堅実な左バックが必要だが。
それから中田浩二について。以前書いたことを繰り返すことになるのだが、彼をディフェンスの左サイドに使うのはもったいない。浩二は経験もサッカー選手としての頭脳も持っているのだから、中盤の中央で使うべき選手だ。
私は、3−5−2あるいは4−4−2の中盤で、中田浩二がもう1人の中田(英寿)と並んでプレーするところを見たくて仕方ない。中田浩二は天性のディフェンダーであるとともに、前線に駆け上がり、ゴールを決められる選手でもある。
前に書いたように、これまでの親善試合はどれも、問題を解決するより新しい問題を生み出してばかりいたように思えるが、とにかくそれが終わったのは喜ばしいことである。

さあ来い、オージー!
日本代表は、もうやるしかないのである。

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FIFAは馬鹿げたシャツプリングをなくす努力を!

2006/06/05(月)

東京発(6月2日):FIFA(国際サッカー連盟)は毎回、ワールドカップで遅まきながら近代サッカーの悪しき流行を取り締まろうとしている。
過去には背後からのタックル(この危険な行為はいまだに行なわれている。ドイツのシュバインシュタイガーが加地に対して犯したファウルは記憶に新しい)とシミュレーション。ダイビングにも注文をつけている(しかし、これもまたドイツのオドンコールがあからさまなファウルでイエローをもらい、この行為がまだはびこっている事を明らかにした)。
この先数週間、ドイツでレフリー達は何に目を光らせるだろうか?
個人的には、答えはハッキリしている。それはシャツを引っ張る行為(シャツプリング)だ。

新聞や雑誌上で、相手選手のユニフォームを引っ張っている選手の写真を見たことがある人は非常に多いはず…。
例えば先日のドイツ戦。柳沢をマークしていたボロフスキが彼のシャツを引き裂き、アツシの“6パック”腹筋(ビールや缶チューハイの6本パックを想像してもらえば私が“6パック”と表現したのを分かってもらえるんじゃないかな)があらわになった。
実際、それはまるで二人が打ち合わせていたかのようだった――ボロフスキが柳沢のシャツをわざと破き、テレビカメラがこの看板男の胸板を映し出す。そしてそれを見ている日本のフィットネスクラブやトレーニングジムのオーナー達が彼をCMキャラクターに起用しようと申込みが殺到する。そしてボロブスキーには巨額の契約金の一部が入る…。
いやいや、これは少々こじつけが過ぎた。しかし誰かがヤナギにオファーを出す可能性がないとも言えない。

とはいえ、これは深刻な問題だ。
“純粋”なファールと違い、意図的で計画的。ダイビングのように芸術の域にまで達しつつある。
レフリーの目前でわからないように相手選手のシャツを掴むなんて、できるのだろうか?現実にそれは日常的に行なわれ、その結果、選手達はレフリーの注意を引き、ファウルをもらうためにグラウンドに大げさに倒れるのだ。
シャツプリングは巧妙でずる賢い。シャツを引っ張った選手は何事もなかったようにそのままプレーを続ける。それじゃあ、やったもの勝ち? それとも、やられた選手がイエローやフリーキックをもらうために立ち止まったり、倒れたりして伸びたシャツをレフリーに見せたら良い?

FIFAには、ワールドカップでこの問題に真剣に対処してもらいたい。明らかに意図的なシャツプリングにはイエローカード、そして2度目にはレッドカードを出すべきだ。
オフィシャルがこのシャツプリングに対して真剣だと示さない限り、こうした行為はなくならないのだ。

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中田に直接決めて欲しかった

2006/06/01(木)

月曜日の夕方に東京で開かれた外国人スポーツライター協会の会合で、ギド・ブッフバルト(浦和監督)がゲスト講演した。
ワールドカップの優勝者であるとともに地元シュツットガルトの大使でもある、レッズのボスは、外国のスポーツメディアに最新の準備状況とドイツの人々の希望と期待を伝えるにはピッタリの人選だった。
しかし、サッカー界の人間である彼からは、当然ながら、日本やブラジル、ヨーロッパのサッカーについても興味深い話が聞けた。

ブッフバルトが日本人選手に感じていることの1つは、ゴール前での攻撃精神の欠如だ。もちろん、ブッフバルトがこの話題を語るのにうってつけの人物というわけでもないが、彼に語る資格が全くないわけでもない。
日本人選手は完璧なゴールを求めると感じている人がいる。日本人選手は、パスして、パスして、最後にボールをゆっくりとネットに流し込みたいのである。アーセナルのファンは、自分たちのチームはシュートを打たずにこまごまと(パス交換を)やりすぎると感じているが、それと同じことだ。

ギドの言葉は、水曜日の早朝にドイツ対日本戦を観ている私の頭に新鮮なまま残っていた。
その言葉がとくに鮮やかに思い出されたのは終了間際、日本が素晴らしい得点チャンスを得たにもかかわらず無駄にしてしまったとき。
右サイドの俊輔からの精妙なクロス。俊輔は、中田英寿が機敏な動きでファーサイドに走るのを見ていたのである。ボールが届いたとき、私は中田が体を投げ出してシュートすると確信していた。2002年のワールドカップのチュニジア戦、最近ではボスニア戦でやったように――。
しかし中田はボールを折り返し、走りこんで来る大黒に合わせようとしたのだ。
言うまでもないが、中田は自分でゴールを狙うべきだった。確かに角度はあまりなかったが、あんなにゴールの近くにいたのだから、ニアポストからレーマンの脇を破ることが十分できたし、ファー・ポストを狙う時間的余裕もあった。
中田が大黒にボールを渡し、大黒が最終的に囲まれ、チャンスが消滅したとき、私は信じられないような思いがした。テレビのカメラは大黒を映していたが、チャンスをモノにできなかったのは大黒ではなく、中田の方だ。

中田がゴールを決めていれば、中盤で彼と俊輔が相互に影響しあい、次々と日本のチャンスを作り出していた、この試合がより印象的なものになっていただろう。柳沢もスペースに数多く走りこみ負傷からの復調をアピールし、ジーコが信頼するのももっともだと思わせる結果を出した。
もっとも、2点を挙げたのは高原で、2点とも素晴らしいシュートだった。とはいえ、2点目のときのドイツのディフェンダー、とくにバラックは、高原が体をひねりながらペナルティーエリア内に入り込むのを許すべきではなかった。

中田には、日本が息を吹き返すゴールを決めるチャンスが回ってきた――しかし、パスが1本多かった。
反省する時間はまだあるはずだし、6月12日のオーストラリア戦で同じようなチャンスが巡ってくれば、中田は一心不乱にゴールを狙うものと思いたい。

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イングランドこそ巻に理想的

2006/05/29(月)

巻についてもう少しだけ…。
今や彼は話題の中心、日本サッカー界の新しいスターとなっている。
先日のナビスコカップ、エスパルス戦で1−0の勝利を巻抜きで収め、ジェフファンは少なからずホッとしたことだろう。
もちろん、前線での彼の速さ、存在感がないのは、寂しいファンにとって限り。しかし、チームは予選リーグを勝ち抜いた。

試合後、私は巻のパートナー、“スーパーマリオ”ハースに意見を聞く機会を得た。
オーストリア出身の彼は、巻の急成長に非常に感心している。
「彼は試合をするたびに良くなっているよ。ジーコ監督がワールドカップ代表に選んだのは当然だね」彼は言う。
巻の成長に伴い、ヨーロッパへの移籍が取り沙汰されるのは時間の問題だろう。そしてハースは、巻の活躍の舞台となる、とあるリーグが彼を待っていると考えているようだ。
「巻のスタイルには、イングランドのサッカーが合っているんじゃないかな」。
「巻の長所はヘッドが強いこと、それからよく走ることだ。イングランドではロングボールとクロスを多用するからね」。

チェルシーのジョン・テリーのようなDFに巻は苦戦するのではと尋ねてみると、「そうだね。接戦では苦戦するかもしれないね」と答えた。
「だけど巻がボールを持って走れば、あのスピードには彼らもお手上げだよ」。Jリーグで華麗な技を見せているハースからの絶賛の言葉だ。
彼と巻のコンビはリーグチャンピオンを狙ううえでの弾頭になるだけに、ジェフファンはハースがこの先ケガをしないことを祈るのみだ。

ワールドカップ代表チームは既にドイツ入りした。
ミッドフィールドはグループリーグのライバル達に一泡吹かせられるほど強烈でパワフルに見える。
しかし、やはりディフェンスが少し弱いように思える。できれば松田、そしてジーコがチャンスを与えていれば闘莉王が見たかった。
4−4−2ではディフェンスの欠如が露呈し、ミッドフィールドでのパワー不足が目立つ。ジーコは3−5−2を選択するようだ。

宮本がリベロとして走り、そして中澤の高さと坪井のスピードで、ディフェンスは4−4−2の時ほど脆くは見えない。
しかし、福西と中田英寿の守備的MFのコンビは、DF陣を守るために激しいタックルを繰り返さなくてはならないだろうし、加地とアレックスは両サイドを確保するためにマラソンランナーのように走り続けなければならないだろう。

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平塚での午後

2006/05/25(木)

J1もナビスコカップもなかったので、5月20日の土曜日はJ2観戦にうってつけの日となった。
だから、「美しい海」と言う意味のベルマーレがプレーする、神奈川の海岸で1日を過ごすのも悪くはない。
湘南はホームに水戸ホーリーホックを迎え、最終的にはアウェーチームが3−1で勝利を収めた。

この週末、私はテレビのスポーツニュース番組を土曜日に1つ、日曜日に1つ、計2つ観たが、どちらの番組でもこの試合のゴールシーンは流れず、とても残念だった――もちろん、あなたがベルマーレファンなら話は別だが。
その試合の最初のゴールは、水戸のMF小椋が決めたもの。そんなものがあればの話だが、「シーズン最優秀ゴール」の候補となるような1発だった。
小椋が右足で力いっぱいボールを蹴った地点はゴールから35mは離れていたはず。美しい海からの強い風を追い風に、ボールは小林が大慌てで守るホームチームのゴール上隅に届いた。あんな距離からのシュートを決められた小林を責めるのは酷というもの。あの状況では、川口と楢崎と土肥が全員でゴールを守っていたとしても、電撃的なシュートは阻止できなかっただろう。そう、それほどすごかったのである。
水戸の2点目も見事なもので、このときは金がもう少し前からシュートを決めた。また、3点目は、フラストレーションのたまったベルマーレのディフェンスにペナルティエリア内で倒されたアンダーソンが自ら決めたPKだった。

0−3とされたベルマーレは、かつてのレイソルの人気者、加藤が渦巻く風を利用してボールにカーブをかけ、左サイドから直接ファーポストに決め、終了間際に1点を返すのが精一杯だった。加藤も分かっていたと思うが、散々やられてきたホームチームがあのような時間帯にゴールしても、大勢には影響しない。

試合後、ベルマーレの上田監督はがっくりと落ち込んでいた。彼はどうしても勝って順位を少しでも上げたいと考えていたのだが、敗れたため5位に留まることとなった。
上田監督によれば、J2では13チームのうちの6〜7チームに昇格のチャンスがあるそうなのだが、レイソル独走という、恐れていた事態になりそうな気配もある。ベルマーレが3,504人のファンの前でプレーしていたのに対して、元の所属選手として有名な中田英寿は日本代表チームの一員としてJヴィレッジで約1万3,000人のファンに見守られながら練習をしていた。
もちろん、中田は一介のサッカー選手ではなくなっており、そんな状態がもう何年も続いている。中田はいまや数百万ドル規模の産業。平塚における彼の名残は、「nakata.net」の広告ボードと、かつてのプレーメーカーを指していると思われる「Pride Gate 7」と書かれた大きなバナー(現在のキャプテンである佐藤に捧げたものだったら、ごめんなさい!)に今も見られる。

1994年、インドネシア・ジャカルタのアジアユース選手権でU−19日本代表の一員としてプレーする中田を初めて見たときのことを思い出すと、サッカー人生というものはどのように転ぶかわからないものだなと思う。当時、中田はサイドでプレーしており、伊藤卓が日本代表のキャプテンで、プレーメーカーだった。
伊藤はすでにJリーグでのキャリアを終えており、彼は今、ある大学でコーチを務めている。一方の中田は、世界で活躍するスーパースターだ。

電車が平塚駅を離れると、短い雷雨から一転。空は見事に晴れ渡り、きれいな青空に虹が見えた。虹のかなたに行けば夢がかなうという言い伝えは、本当かもしれない――だって、中田英寿はそれを実現したのだから!

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ドイツW杯、中田浩二はまだチームに貢献できる

2006/05/22(月)

東京発(5月20日):ジーコの代表メンバー発表は、将来の日本人選手たちへの警告となるだろう。海外移籍は、選手として成功するために必ずしも必要なことではないと…。
選手たちはそうしたチャンスが来た時、自身のキャリアに大きな影響を与えることを理解したうえで、どの国のどんなクラブへ行くのか慎重に選ばなければならない。

理由は様々だが、松井大輔、大久保嘉人、そして鈴木隆行はワールドカップ・ドイツ大会の日本代表メンバー23人から漏れた。彼らが日本でレギュラーとしてプレーし、ジーコが実際に彼らのプレーを見ることができていたら、選ばれるチャンスはもっと大きかったのではないだろうか。
私は、彼らの海外移籍が間違っていたと言いたいわけではない。ただ、あっけなく視界から消えてしまうこともありえるということだ。

メンバー発表の会見に集まった日本人スポーツライターと話をした時、ヨーロッパへ移籍したもう一人のJリーグスターが話題に上がった。
マルセイユで散々な時を過ごし、バーゼルで何とか自身のキャリアの軌道を修正しようとしている中田浩二を、ジーコは果たして選出するのだろうか?
ありがたいことに、ジーコは中田浩二を招集した。ジーコが彼を先発起用してくれるだろうと期待している。

ジーコは、いわゆる“鹿島チルドレン”を特別扱いすると言われているが、中田浩二については当てはまらない。
事実、ジーコ時代の鹿島では、中田浩二はいつも過小評価され、うまく活用されていなかった。彼は代表チームで、より貢献できるはずだと思っている。
4−4−2と3−5−2。ジーコがどんなシステムを取るかに関わらず、チームをまとめるためには中央に二人のMFが必要だ。
少なくともそのうちの一人、できれば二人とも天性の守備的選手が良い。現時点では福西が有力だが、中田浩二も彼より明らかに優れているとは言えないまでも、同じくらい適していると思う。
鹿島では、彼はいつも中央でチームをコントロールしていたし、経験もある。そして何より、日本代表の中で同じことができるだけの頭脳を持っている。

ジーコの戦術に常に含まれているわけではないが、中田浩二が不用意に攻撃を急がないという戦術を維持し、後方でどっしり構えることでミッドフィールドにバランスを保つことができる。
さらに、中田浩二と福西を並べて起用すれば、高くて弾力のある壁をピッチ中央に作ることだってできる。ただし、ジーコは基本的に創造的で攻撃的な選手を好む傾向があるので、その可能性は低いだろう。
とは言え、中田浩二を選んだことでジーコ監督はミッドフィールドにより多くのオプションを持った。中田浩二は4バックではアレックスに代わって左のサイドバックを務めることもできるのだ(アレックスがダイビングと馬鹿げたファウルで2枚のイエローを食らって出場停止になった時にはね)。

中田浩二が今どんな状態なのかは、はっきりとはわからない。しかし、ワールドカップまでは3週間のトレーニング期間と、2試合のテストマッチがある。
ドイツワールドカップでは、中田浩二はチームに大きく貢献できるだろう。

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巻のサクセス・ストーリー

2006/05/18(木)

ワールドカップの日本代表に巻誠一郎が選出されたことは、巻個人だけでなく、Jリーグ全体にとっての勝利だった。
もし巻が選ばれていなかったなら、本人だけでなく、サッカーに携わる多くの人々が失望し、やる気をなくしていただろう。
しかし、ジーコの大胆な決断――まあ、これまでの慎重な姿勢から見れば大胆と言っても良いだろう――により、全国の若き選手たちが、努力を続け、希望を捨てずにいればトップ・レベルでも報いられるのだという希望を持てるようになったのだ。

今シーズン、私はジェフのイビチャ・オシム監督と巻を話題に二度ほどじっくり話し合ったのだが、オシムは、自らのチームのやる気に満ちたセンターフォワードをいくら褒めても褒めたりないといった様子だった。
「彼はすべての日本人選手のお手本」というのが、コメントの1つ。「まったく無名の存在から、代表チームにまで駆け上ったんだ」。
またオシムは、「どのチームにも巻のような選手が不可欠だ」とも語った。つまり、試合の後半、おそらく残り30分くらいから途中出場し、疲れを知らずに走り回って局面を打開する選手として、巻を表現しているのである。

「テクニックはさほど大したものじゃないが、ハートはとても、とても強い」とオシムは言う。
シーズンが進むにつれ、巻に対する支援が大いに高まり、日本国内の英字メディアからの支援も見られた。

巻の爆発力と価値を如実に示す試合を選ぶとすれば、それはジェフがホームで浦和に2−0で勝った試合だろう。
その試合、巻は強烈なドライブのかかった見事なシュートをサイドネットに決めただけでなく、ジェフの前線に立ち、闘莉王のパワーと坪井のスピードを相手に厳しく消耗の激しい戦いを繰り広げていた。

その後のキリンカップの2試合では、巻は現状での試合勘と調子の良さを改めてアピール。その姿は、さまざまな故障に苦しみ、かつてのような、力強く、予想不能の独特なスタイルを見せられなかった久保とは対照的だった。
ジーコはみんなをさんざん待たせ、最後に巻を発表しようとしたのだろう。普通の状態での論理的帰結と言える久保か、それとも巻か?
ジーコは後者を選んだ。そして、サッカーに携わる多くの人々に笑顔をもたらし、明るい気分にさせた。

巻ほど、この栄誉にふさわしい選手はいない。オシムが言うように、無名の存在(駒澤大学出身地)から代表チームに駆け上がり、たった3シーズンでワールドカップの代表にまでなってしまったのだ。
まさに、全国の若い選手を励ますようなサクセス・ストーリーである。

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パーフェクトタイミング

2006/05/15(月)

東京発(5月12日):ここ数日好調な小野伸二を見て、安心したレッズファンも多いことだろう。
先週日曜日の埼玉スタジアム2002で、小野は素晴らしい2ゴールで鹿島アントラーズを粉砕した。
そしてその2日後に大阪で行なわれたブルガリア戦では、途中出場ながらかつての自信と信頼感を感じさせてくれた。

実は私も他の多くの人と同じように、今年の小野については大変心配していた。
(チームに)フィットしているように見えなかったし、シャープさもない。そして何より試合中に全く存在感がなかった。
実際、その存在感のなさに、私は時として小野は途中交代してしまったかのような錯覚をおぼえた。
まったく“小野らしく”なかったのだ。

しかしチーム内では、ポンテと長谷部、そして彼らの後方で鈴木啓太がサポートしていることにより小野は時間をかけて体調をベストに調整していく余裕を得られた。
小野は正真正銘のプロフェッショナルだ。
彼のこれまでの悲運なケガの数々を考えると、そうしたことさえ起こらなければ最も良いコンディションでワールドカップを迎えられるだろう。

アントラーズ戦での2ゴールは別として、私が最も感心したのは相手MF中後に倒された後、無傷で立ち上がったことだった。
小野が倒れたのを見たベンチのギド・ブッフバルト監督、ゲルト・エンゲルスコーチ、そしてスタジアムの5万人のレッズファンは「またか!」「最近続出している中足骨骨折か?」と、最悪の事態を想像したに違いない。
しかし小野はそのままプレーを続行、そして残り4分となったところでレッズファンの大歓声のなかベンチに下がった。

さて、小野は6月12日、オーストラリア戦に先発出場するだろうか?
もちろん、これからまだ何が起こるかわからないので、今それを言うのは早い。
では、どのポジションが良いだろうか?
これは以前にも言ったことなのだが、経験を活かして流れを読み、ゲームをコントロールできる守備的MFが一番適しているのではないだろうか。
そしておそらく、中田英寿ではなく守備的な福西とコンビを組むだろう。
中田も小野も攻撃的な選手だ。小笠原、中田、小野、そして中村という4人のMFの組み合わせは才には溢れている。しかし、オーストラリアやクロアチアに対しては中盤の抑えが足りない。
ジーコ監督も、現時点でそうした細かな心配をする必要はない。
今は小野が戻ってきたことを、ただ喜んでいるだろう。

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松田のいない日本代表

2006/05/11(木)

ジーコがワールドカップ(W杯)の代表メンバーを発表する5月15日が刻一刻と近づいているが、Jリーグ最高峰とも言える、この選手が招集されることはなさそうである。
ただし、彼は故障しているわけではない。
体調は問題なし。クラブの情報筋によると、W杯に行けそうもないので落ち込んでいるそうだ。
話題の主は、横浜F・マリノスのキャプテン、松田直樹である。

この29歳のセンターバックが、日本でトップクラスのオールラウンドプレーヤーであるのは確かだ。彼がその気になれば、このレベルでならどんなことだってやってのけるほどの能力があるし、私は2年前、松田はJリーグのレベルを超えており、さらに成長するためにはヨーロッパに渡る必要があると書いたと記憶している。
松田は頑強で身体能力の優れたディフェンダーで、3バックならどのポジションでも任せられるし、4バックならストッパーもリベロもこなせる。技術もあり視野も広いので、ディフェンスの前に置けば素晴らしい「ボランチ」になるかもしれない。

さらに言えば、先日味の素スタジアムで行なわれたナビスコカップのFC東京戦、松田は中盤からボールをキープして前線に攻め込み、絶妙のチップシュートを決めているのだが、これは今シーズンのこれまでで最高のゴールの1つだった。それはまるで、エリック・カントナを髣髴させるような素晴らしいゴール。同じようなことができる日本人選手はそれほど多くないだろう。

しかし、それなのに、松田は日本代表の23人には選ばれそうにない――理由は自分自身にあることを、彼もわかっているだろう。
「8人組」による鹿島での悪名高き無断外出のあと、ジーコは規律違反に対しは厳しい姿勢を貫いている。昨年の代表合宿で先発メンバーに選ばれなかったことに不満を抱き、合宿を無断で離れた松田はまさに高い代償を支払わされたのだ。
ジーコが忠誠心をなにより重視していることはことあるごとに立証されており、松田が代表に復帰する道は閉ざされたまま。
ただし、私は自分の意見を曲げようとしないジーコを批判しているのではない。ただ、松田の起こした短気が、彼自身にとっても、日本代表チームにとっても、高いものとなったと言っているのである。
松田―宮本―中澤のバックラインは、ジーコがドイツで起用するどのようなディフェンスラインよりも強力になるのではないだろうか? 松田がいれば、3バックの中心、あるいは4バックの中央についてジーコはより柔軟な選手起用ができるようになるのではないだろうか?

ヨーロッパ組の選手を全員揃えても、松田以上の選手はそういない。
松田は時間を1年戻し、自尊心を抑えて代表合宿に留まっていれば…と後悔しているのではないだろうか。
ああ、しかし、ジーコにとっても、松田にとっても、もう遅いのだ。

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熱狂と冷静のあいだで

2006/05/08(月)

東京発(5月6日):もし浦和レッズが存在しなかったら、Jリーグは一体どうなるのだろう?
ホーム/アウェーに関わらず、浦和レッズはJリーグを毎試合盛り上げてくれる。来シーズン、彼らがアジアチャンピオンズリーグに参戦すれば、このアジアトップチームによる大会への関心が日本で高まるだろう。

例えば、先日のさいたまダービー。レッズ側スタンドで陽の光をいっぱい浴びた赤・黒、・白のフラッグが振られる様は本当に素晴らしい光景だった。
そしてフクダ電子アリーナでのアウェー戦、ジェフ千葉戦ではアウェースタンドからの声援の壁がチームを鼓舞していた。
それがホームであれアウェーであれ、レッズファンの老若男女は動くJリーグ広告塔だ。彼らはチームがJ2へ転落した時でさえチームへの忠誠心を示していたし、それはこれからもずっと続くだろう。

だからこそ、千葉で試合終了のホイッスルが吹かれた時のレッズファンのリアクションには少なからず驚いた。チームが0−2で敗れたとはいえ、まるでチャンピオンシップで優勝したかのように彼らのヒーローを祝福するジェフサポーターに向かって、レッズサポーター達はブーイングと野次を繰り広げていた。これは少々行き過ぎではないだろうか。
以前にも言ったが、チームがやる気のないプレーで試合に負けた時には、ファンは何としてもチームに彼らの意思を伝えるべきだ。お金を払っているのはファンなのだから。
しかし、チームが一生懸命プレーしたうえでより良いチームに敗れたのなら、選手たちの健闘をたたえるか、そうでなければ静かにスタジアムを去れば良い。

千葉での一戦はまさにこれだったと思う。レッズは精一杯頑張ったが、この日は対戦相手の方がずっとデキが良かった。事実、最高のプレーをしたDFストヤノフ、ミッドフィールドで奮闘した阿部、そして最前線に巻を揃えたジェフのエネルギーと意欲の結集は、レッズを団結力もリズムもない単なるスターの寄せ集めのように見せた。
ポンテは、一体何度不用意なヒールパスで相手にボールを献上しただろう。ジェフはレッズに落ち着く暇を与えることなく攻め続け、その日のピッチにはポンテのチームメイトがいないようにさえ思えた。
レッズファンの皆さん、ここはジェフを褒めようではないか。彼らは素晴らしいプレーをした。勝って当然だったのだ。

あまりにも狂信的な応援と過剰な期待は、レッズの選手たちが自らをコントロールしにくくするという負の一面を持っている。例えばホームでの対大宮戦の鈴木啓太、そして千葉戦でのワシントンがそうだ。
鈴木の場合、彼が前半、桜井に対して犯した手荒なファウルで一発退場にならなかったのはラッキーだったろう。大宮側が珍しくプレッシャーをかけ続けた際に自陣ペナルティエリアでFKを与えられなかったことに対し、彼は明らかに怒っていた。そしてそのイライラを桜井にぶつけたのだ。
一方、千葉でのワシントンは完全に我を失っていた。巻と闘莉王が競り合った時にファウルを取られなかった時にはレフリーに向かって叫んでいた。
ワシントンはゴールを量産しているが、彼がそのエネルギーを文句を言うことではなくプレーにもっと注げば、さらに多くのゴールを挙げることができるだろう。
レッズには素晴らしいファンがついている。しかしそれは選手たちが常にゲームをコントロールできるということを意味するのではない。それはレフリーの仕事なのだ。

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柳沢には時間が味方

2006/05/04(木)

「柳沢問題」は、ルーニーの場合のような大話題とはなっていないが、柳沢本人とジーコにとってはやはり重要な問題である。
火曜日にジーコが発表したキリンカップ日本代表には柳沢の名前がなかったが、彼が故障からの回復途上にあることを考えれば、まったく当然のことだ。
なんといっても、ジーコがドイツ行きの「最後の」23人を選ぶ期限、5月15日までにはまだ2週間あるわけだし、そのあとでも選手が故障し、正当な診断書の提出があった場合にはメンバーの入れかえができる。
つまり、時(とき)は柳沢に味方しており、柳沢に限らず誰も今からパニックに陥る必要はない。

もちろん、ルーニーの故障が4年前のベッカムのように大々的なニュースとなっているイングランドとは、事情が異なる。
イングランドのズベン・ゴラン・エリクソン監督は、マンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソン監督の希望に反し、ルーニーの代表招集を決めたようだ。ワールドカップ本大会のセカンドラウンドに間に合ってくれれば良いというのがエリクソンの考えなのだろう。イングランドは、パラグアイ、トリニダード・トバゴ、スウェーデンと同組のグループリーグは楽に突破できるだけの戦力があるし、ドイツでは、セカンドラウンドは6月24日――ルーニーの負傷から8週間後――にならないと始まらないのだ。

ジーコの場合、柳沢に対してそれほど悠長に構えてはいられない。日本は6月12日のオーストラリア戦の試合開始からトッププレーヤーを揃えて臨まなければならない。
オーストラリア戦は日本にとってきわめて重要な一戦。オーストラリアからはできれば勝点3を、最低でも勝点1をとらなければならないのだ。より厳しい相手であるクロアチアとブラジルがあとに控えているからだ。
ジーコのコメントから判断するに、今後順調に回復し、再び同じ箇所を負傷することがなければ、柳沢がワールドカップ行きの23人の枠に入るのは明らかだ。
ジーコが高原と久保を好んでいるのも周知の事実。ドイツにフォワードを4人しか連れて行かないつもりなら、残りの席は1つだけ。
高原、久保、柳沢と一緒に行く選手は、必然的に彼らとは異なったタイプの選手ということになり、最後の切符は大黒のところに行くのが確実なようだ。ジーコはガンバに所属していたこのストライカーには特別な才能があると認識しており、実際、大黒はワールドカップ予選やコンフェデレーションズカップで日本代表にいくつか貴重なゴールをもたらしている。
だから、つまり…(鈴木)隆行は脱落、玉田、巻も、佐藤も脱落で、大久保(みなさん、まだ彼を覚えていますか?)も脱落ということになる。
私なら、このように選ぶと言っているのではない。なぜなら、もし私が選ぶのであれば、現在の体調と調子を考慮して巻を選ぶ。しかし、現実は前述のようになりつつあるということだ。

いろんな選手の骨折が世界中で問題を巻き起こしているのは確かだが、土曜日の夜、チェルシーとマンチェスター・ユナイテッドのテレビ中継で聞いた、ロビー・アール――元ウィンブルドンのミッドフィールダー――のコメントが面白かった。彼が言うには、選手たちがより軽く、よりソフトなシューズを好むようになったため、足の保護がおざなりになり、その結果、「中足骨(英語では、“metatarsal”)」の骨折が増えるようになった。
少し前までは、ほとんどのサッカーファンが、中足骨とはなんなのか、あるいは体のどの部位にあるのか(ヒジかい、それとも鼻?)を知っているなんてありえないことだったが、今では中足骨は、ポッシュ・スパイスやブルックリン、ロメオとともに、ベッカムの歴史の大きな部分を占めるようになっているのである。

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俊輔はセルティックに残るべきだ

2006/05/01(月)

東京発(4月28日)05−06シーズン、ヨーロッパで満足のいく時間を送れたといえる日本人選手はそう多くない。
中村俊輔は、その数少ない選手の中で最も満足できるシーズンを送った一人だ。それだけに、彼が来シーズンはセルティックに残留せず、スペイン移籍を希望していると頻繁に耳にするのが私には不思議でたまらない。
スペインでプレーするのが俊輔の夢だということは、よく知っている。しかし私は、サポーターも多い今の強豪チームに残留すべきだと思っている。

現実を直視しよう。イタリア、レッジーナでの3年間、俊輔は成功しなかった。そして昨年の夏、真偽は定かではないが、スペインのチームが彼に興味を示していたものの、彼はスコットランド移籍を決意した。
俊輔と彼のプレースタイルはスコットランド移籍でパーフェクトに作用した。小さなリーグの強豪チームで、俊輔はプレイメーカーとして開花したのだ。
ミッドフィールドでレノンやキーンといった選手と共にプレーすることで、これまで彼の弱点とされてきたディフェンス面での負担が大きく軽減できた。
さらに、彼を取り巻く選手たちの個人的力量はセルティックのライバルチームよりずっと優れている。つまり、俊輔はスペースと時間を思いのままに使って相手DFを分断するパスを自在に繰り出せるのだ。彼は自分のゲームを思う存分することができるし、周囲からも、とても良いプレーしているように見える。

セルティックは堂々のリーグ優勝を遂げ、来季の欧州チャンピオンズリーグ出場を決めた。これは俊輔にとって大きなチャレンジのはずだ。荷物をまとめ、スペインという新しい環境で一から始める必要がどこにあるのだろうか?
スペインの強豪の中で生き残りをかけて争わなくてはならない中位のチームに移籍したとしたら、どうなるのだろう?
また、イタリアでの二の舞になりかねない。彼の華やかではあるが脆くもある技術は、時として万能の熟練MFに取って代わられてしまい、コンスタントに出場することができなくなってしまう。

俊輔よ、キミはスコットランドに残るべきだ。
ハギス(スコットランドへ行こうと思っている日本人のみなさんには、この風味のよい伝統料理がオススメだ。日本語で言う「美味しい」というのとは違うかもしれないが…)とその雰囲気、そしてレンジャースとのオールドファーム・ダービーを、さらにはプレーすること、チームの勝利を楽しむことだ。
セルティックは初めてヨーロピアンカップを制したイギリスのチーム(1967年、あの有名な“リスボン・ライオンズ”として決勝でインテルを2−1で破った)でもある。
グラスゴーに残り、心を落ち着かせ、ワールドカップを迎えるべきだ。そしてドイツでどんなことが起きようともセルティックに戻り、来季の欧州チャンピオンズリーグを味わう…そう、もちろんハギスもね。

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ベンゲルの考え違い

2006/04/27(木)

東京発(4月26日):アーセナル(イングランド)を欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝に導いた、アーセン・ベンゲル監督にお祝いを申し上げたい。
言うまでもなく、ベンゲルは今でも日本とりわけ名古屋で愛情を込めて思い出される存在であり、JFA(日本サッカー協会)が日本代表監督の候補に挙げているのも至極当然だ。
ベンゲルとはこれまで2度ほど話す機会があり、彼によると、日本代表監督の仕事は気に入るだろうけれど――時期尚早ということだった。日本代表監督の職はパートタイムの仕事。半ば引退した状態で受けるには良いが、まだクラブサッカーから身を引くつもりはないとベンゲルは言った。

アーセナルが初の欧州CL決勝進出を果たそうとしており、さらに由緒ある――しかし小さい――ハイバリーからGKのキックが届きそうな距離にある新スタジアムへの移転を間近に控えているなか、それは仕方のないことだと思う。それにベンゲルはレアル・マドリード(スペイン)の監督候補にも挙がっているらしく、日本で仕事をしている彼の親友によれば(分かった、分かった、スチュアート・バクスターのことだよ!)、今シーズン終了後にもレアルに行くかもしれないそうだ。
つまり、日本はベンゲルに指揮をとってもらうまでもう少し待たなければならないのである。おそらく、2010年の南アフリカワールドカップがJFAにとってより現実的な見通しなのだろう。

ベンゲルの力量は認めるが、ノースロンドン・ダービーで起きた出来事を巡る議論では、私は残念ながらベンゲルの側には立てない。アーセナルがハイバリーでスパーズ(トットナム・ホットスパーズ)と戦った、土曜午後のノースロンドン・ダービーは、その晩に日本でも生中継で観ることができた。
(状況を)簡単に説明すると、アーセナルの2人の選手がスパーズの選手と競り合おうとして衝突してしまったのである。この2人の選手、エブエとジウベルトはぶつかり合い、芝の上に倒れ込んでいたが、明らかに、頭と頭がぶつかるような深刻な事態ではなかったことは指摘しておかなければならない。
スパーズはプレーを続け、ゴールを決めた。ベンゲルは怒り狂った。スパーズがボールをピッチ外に蹴り出し、倒れているアーセナルの選手が処置受けられるようにするだろうと考えていたからだ。

個人的には、スパーズがゲームを続けたのは当然で、ベンゲルが相手側のマルティン・ヨル監督を批判したのは間違いだったと思う。
今回は、戦っている両チームの選手が強くぶつかり合い、そのいずれかが負傷したわけではない。事情はまったく違うのである。
しかしいずれにしろ、ボールをピッチ外に蹴り出し、選手が負傷しているか否かにかかわらず処置を受けさせようとするチームが、最近多すぎる気がする。
よくある光景だ…。あるチームがリードしていると、リードしている側のチームの選手が芝生に倒れ、時間稼ぎをする。それから、その選手のチームのGKまたはチームメイトがボールをピッチ外に蹴り出し、試合を止める。医療スタッフがやってくる。すると、なんとまあ、彼はまったくケガなんてしていないのである。これは現代サッカーに侵食している新しい形態の時間稼ぎの方法。反則すれすれのプレーだ。

試合を止めるのはレフェリーの仕事で、選手の仕事ではない。また私は、日本のレフェリーはもっと強い態度をとるべきだと思う。レフェリーはゲームを続行させ、「負傷した」選手に立ち上がるように告げるべきだ。あるいは、ボールをわざと外に蹴り出し、レフェリーの許可なしにゲームを止めた選手にはイエローカードを提示するべきである。
その後、リスタートのときにボールを相手チームに蹴り返してやるチームもあるが、それは親切の度が過ぎると思う。自分たちは負けていて、ゲームを遅らせた相手チームは隊形を完全に組みなおしているのだ。
最近は、一体誰がレフェリーなのだろう?

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三ツ沢での出来事

2006/04/24(月)

東京発(4月21日):MF山口から城へのFK、そしてカズのクロスを城がヘッドで押し込み、ゴール!
まるで過去の、とりわけ1998年ワールドカップが近づいてきた頃の記事のようだが、実はこれは火曜夜、三ツ沢競技場での出来事なのだ。

J2の横浜FC対ヴィッセル神戸戦のこと。スタジアムには観客が溢れ、隣接するマンションのバルコニーから人々が身を乗り出して覗いていた。
(いや、これは言い過ぎた。実際の観客数は3,286人。近くのマンションの住人がベランダから観戦しているのは、三ツ沢では毎度のことだ。でも、ここでは雰囲気を出したかったんだ!)

皆さんご存知のように、試合は城の2発のヘッドで横浜が2−1の勝利を収めた。1点目はオフサイドトラップを破ったキングカズの左からのピンポイントクロスに合わせたもの。2点目は、誰もがファウルだと判断してプレーが止まった間に決めた、物議を醸し出しそうなゴールシーンだった。ゲームは醜く、見ていて満足できるものではなかった。さらに、神戸にとっては、GK荻がボールをキャッチした相手GK菅野に突っ込むという、さらに酷い状況に陥った。

どちらかというとコミカルで笑いを誘うものだったが、腹を立てた菅野が荻を相手のペナルティエリアまで追いかけるという事態に…。そして横浜の選手(私はあまりの事に笑ってしまって誰だか見ていなかった)が荻を突き飛ばし、荻がレッドカードをもらう直前にはさらに数人の選手がその輪に加わった。
そのシーンは映画、“The Keystone Cops”やコメディ番組の“Benny Hill Show”のような、皆が皆を追いかけるといったもの。しかし試合終了のホイッスルが鳴った時、ヴィッセル陣営では誰一人として笑ってなかった。
それでも全体的に見ると、元フリューゲルズのスター三浦淳宏がキャプテンとして地元に帰ってきたし、カリスマ的存在のスチュアート・バクスター監督、そして彼の新たなアシスタントのラファ・ベニテス…いや、ファン・ペドロ(次回は気をつけて見て欲しいのだが、スタンドから見るとペドロ・コーチはリバプールのスペイン人監督に瓜二つだ)が揃っていて、ファンにとって入場料は惜しくないはずだ。

試合前、私は高木琢也監督と少し話をした。彼は横浜FCでの新しい仕事、幸運にも恵まれ上向きのチームについて非常に冷静に、現実的にみていた。
彼は私にMF内田に注目するよう言った。背番号は「10」。私は勝手に、彼はファンタジスタに違いないと思ったのだが、高木監督は首を横に振り、内田は二つのペナルティエリアの間を走りまわるだけでなく、常に得点を狙っていると語った。
私は尋ねた。「それじゃあ、ランパードみたいな感じですか?」
「そうですね、リトル・ランパードといったところかな!」。
高木監督はそう答えた(内田は身長166cm、体重58kg)。

J2ではここ最近、たくさん試合が行なわれている。J1の日程と都合がつく限り、J2の試合も見るだけの価値が十分ある。

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ツネのストッキング、俊輔のレガースくらいは…

2006/04/20(木)

土曜午後の等々力陸上競技場、フロンターレ対アルディージャ戦の観客のなかに、名古屋グランパスエイトのセフ・フォルフォーセン監督がいた。
彼は、次の土曜日に名古屋がホームで対戦するフロンターレの偵察に来ていたのだが、少し言葉を交わしただけで有益な情報をたくさん仕入れていることがわかった。
フォルフォーセンは、日本のサッカー全般、さらには日本人選手についてとても面白いコメントを発した。

彼の言うことはもっともだと思えるもので、正直言って、私も過去に同じような思いを抱いたことがあった。まさに、日本サッカー界の新参者が、まだはっきりと残っているヨーロッパでの記憶と比較して真っ先に気がつく事柄だ。
彼が指摘していたことを記してみよう。
基本的にフォルフォーセンは、選手たちがサポーターへの対応に十分に時間を割いていないと感じている。夜にパーティを開けというのではなく、練習や試合後によくあるような状況での応対をもっと良くしろといっているのだ。

「選手とファンの間に大きな溝があるように思うんだ」とフォルフォーセンは言い、その溝を埋めるのは選手の責任だと付け加えた。
それから、彼は実例をいくつか挙げた。
練習後、選手たちは豪華なSUV車に駆け込む前に少しだけ時間をとり、どんな天気でも数時間も待っているファンにサインをしたり写真撮影をしても良いのではないか。
また試合のあと、ファンがチームのバスから10mしか離れていないところにいても、選手たちが無視することも多々あるという。

フォルフォーセンはヨーロッパでプレーするある日本選手の事例も紹介した。その選手の名前はここでは書かないが、クラブで彼が練習するのを見るためにわざわざやって来た、日本サポーターの小グループを無視して通り過ぎて行ったそうだ。
「すこし傲慢に見えたね」とフォルフォーセン。
私も、このような例を代表チームで、とくにアウェーで見たことがある。2000人ぐらいの「代表ダイハード」な人々(ちょっと待って、このフレーズはマーケティング的な価値があるかもしれない…商標登録しておいたほうが良いかもしれない!)が、多額のお金を払い、長い距離を旅して、ボーイズ・イン・ブルーを応援しに来ているのに、試合後にはあっさり無視されるのである。
選手たちはどうしてサポーターたちのところに駆け寄り、手を振らないのかと不思議に思うことがよくある。おみやげの1つや2つ、投げてやってもいいじゃないか。
ツネのストッキングや俊輔のシンパッド、ヒデの手袋…JFA(日本サッカー協会)なら、彼らの少しの出費を補填してやるなんて簡単なことだ!
もちろん、フォルフォーセンはすべての選手がそうだと言っているのではないし、例外もあるだろう。彼は第一印象を一般化して話しているだけで、良い点をついていると私も認めざるをえない。

Jリーグの試合後、選手たちは結果(勝ち・負け・引き分け)に関わらず、ファンに儀礼的におじぎをするが、もっと感謝の念や感情を表に出しても良いのにと感じる。
「サポーターを尊敬しなければならない」とフォルフォーセンは言う。「サポーターがいなければ、プロサッカーは存続できないのだから」。
さあ、選手たちよ…。次の機会には本当にファンのことを思っていることを示し、ファンにストッキングや手袋を投げてやってくれ――そうすれば、ファンはもう片方のストッキングや手袋をゲットして一揃いにするためにまたやって来るのだ!

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バティ、スーケル、そして“ヤマゴール”

2006/04/17(月)

東京発(4月14日):日本の有力なフォワード達がスタイルを真似すべきゴールゲッターを探すとしたら、それは彼らが想像しているよりもずっと身近にいるだろう。
そう、そのゴールゲッターは日本でプレーしている。しかも、そのゴールゲッターは日本人なのだ!

私のこの意見に、皆さんは驚かれるかもしれない。その選手がジーコ監督のもとで、日本代表として頻繁にプレーしていたと聞けば更に驚くことだろう。
まだ、分かりませんか?
それは、山田暢久をおいて他にない。浦和レッズの万能DFの彼は、水曜夜に駒場で行なわれたナビスコカップ、アビスパ福岡戦でその卓越した得点能力を再び見せ付けてくれた。
アビスパの右サイドのMF平島からボールを奪うと左へ切り込みGK神山の守るゴールへボールを叩き込んだのだ。クール!
GKまで凍らせてしまう山田。“アイスマン”と呼ばれるべきだ。
しかし、ここ最近で彼の見事なゴールを見たのはこれが最初ではない。その前にも、叩き込むのではなく、デリケートなタッチで、まるで撫でるかのように見事なゴールを決めている。

私は山田のゴールでUEFAのテクニカルディレクター、アンディ・ロクスバーグ氏との会話を思い出した。彼は1998年フランスワールドカップ時のスコットランド代表監督だ(日本代表監督就任直前のフィリップ・トルシエ氏が、アフリカのサッカーについて素晴らしいスピーチをしたそのセミナーでの出来事である)。
日本はアルゼンチン、クロアチアに0−1で敗戦。さらにジャマイカにも1−2で敗れ、1次リーグで敗退していた。ロクスバーグ氏は、アルゼンチンにバティストゥータ、クロアチアにスーケルがいるという事実は別として、これらのチームとは少し違いがあると語った(実際にはこれは非常に大きな違いだ)。

「世界のトップストライカーを見ると良いよ」。ロクスバーグ氏は言った。
「ゴールを挙げるチャンスを得た時に、いかに彼らがリラックスしているかを見るんだ」。「日本のFWを見てみるとね、彼らは急ぎすぎているんだ。チャンスが来るとパニックに陥りチャンスを逃してしまっている」。

もう8年も前の事になるが、そんな内容の会話だった。
水曜日の夜にロクスバーグ氏が駒場にいて、山田の美しいゴールを見ていたなら、彼はきっとこう思っただろう。
『ワォ!日本のストライカーも1998年に比べて随分と良くなったものだ』

水曜は黒部と並んでトップでプレーした山田だが、ご存知のとおり、彼は決してストライカーではない。
4−4−2では右サイドバック、3−5−2では右ウィングバック、そしてトップ下と、山田はこれらのポジションを全てこなしてきた。しかし彼がFWとしてプレーするのを見たのは今回が初めてだった。
この夜、山田はGKとの1対1であっさりゴールを決めた。バティストゥータやスーケルがそうしたように…。
そう、最高のゴールだった。
かつてバティストゥータのゴールが“バティゴール!”と呼ばれたように、レッズの新たなスコアリングセンセーションを“ヤマゴール!”と呼ぼうじゃはないか!

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マリノス、駒場で不発

2006/04/13(木)

横浜F・マリノスは一体どうなってしまったのだろう?
ここ数日で私はマリノスの試合を2度観たのだが、控え選手を含めたチーム力は申し分ないのに、どうしても優勝するチームには見えないのだ。
もっとも直近の試合は、土曜日の浦和駒場スタジアム。
相手は大宮アルディージャ。レッズの出ていないJリーグの試合を駒場で観るのは、なんともおかしな気分だった。
いつもロビーで試合前のタバコを吸っているアシスタントコーチ、ゲルト・エンゲルスはどこに行ったんだ? 右サイドを駆け上がる野人はどうしたんだ?

マリノスも、おかしな気分になっていたに違いない。モチベーションも危機感も欠けており、1−2の敗戦もまったく当然と言えるような内容だった。
敗戦後の岡田武史監督は不機嫌きわまりないといった様子。そのため、私は英語で話しかけるのを遠慮した。彼の英会話能力は全く問題ないのだけれど…。私は彼が通り過ぎるのを静観し、あまり近づかないようにした!でも、彼が悪いわけでもない。

彼が指揮する、高給のスター選手たちは地味な大宮に苦汁を飲まされた。そのプレーぶりは野次を浴びせかけられた、試合後の大規模な「アウェーの洗礼」も当然と思えるようなものだった。
あれだけのメンバーが揃っているのだから、マリノスにはだらしないプレーに対する弁解の余地などないはずである。
松田、栗原、中澤が強固な3バックを形成。22歳の栗原は、ドイツワールドカップ(W杯)後の日本代表に招集される可能性がある有望選手だ。空中戦に強く、彼の左右に位置する2人の「達人」から多くを学ぶことができる。
中盤もバランスが良い。右サイドには田中、左サイドにはドゥトラがおり、中央では上野とマグロンが下支えし、吉田が久保とマルケスという2人のストライカーと連携するのを助ける。
ただし、吉田は少し線が細く、インパクトのあるプレーがあまりないため、フォワード2人があまり有効に機能できていない。
久保は、大宮のまずい守備に乗じて得意のヘディングでゴールを決めたものの、あまり目立つシーンはなく、体調は100%の状態からは程遠いようだった。ドイツW杯で久保に大きな期待を寄せるであろう日本代表のジーコ監督にとって、今の久保の状態は悩みの種になっているに違いない。

マルケスはクレバーな選手だが、日産スタジアムでFC東京と1−1で引き分けた、先週の試合での伊野波のマンマークが軽いトラウマとして残っているように見えた。マルケスはまるで伊野波が自分の肩の上にいると感じながらプレーしているようで(そのときには同じ県内にもいなかったのに)、まったくゲームに溶け込むことができなかった。
いつも元気な坂田と獰猛な大島はペナルティボックスエリア内では危険な存在だが、岡田監督のチーム自体が単調で無気力なプレーを見せているため、終盤に起死回生の働きを見せることができなかった。
中澤と久保は代表チームのことを考え自重しているのかもしれない。もしそうなら、マリノスファンはW杯後のリーグ戦再開までにレッズにあまり大差をつけられないよう、ひたすら願うしかないだろう。

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イングランドと対照的な静かな日本の代表監督候補報道

2006/04/10(月)

東京発(4月7日):現時点で日本と、イングランドの共通点はなんだろうか?そう、ジーコ監督とスベン・ゴラン・エリクソン監督はワールドカップ(W杯)終了後、二人とも辞任する。すなわち、両国ともに新しい監督を探しているということだ。
イングランドの新聞には、このスウェーデン人監督の後継者に関する記事がほぼ毎日溢れているが、一方、日本の新聞は非常に静かだ。
そこで今回は、外部からではなくサッカー界内部の色々な情報源から最近得た情報をもとに、少しゴシップを提供しよう。

最も直近に聞いた話によると、日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎キャプテンは日本人監督を採用する考えに傾いているらしい。最有力候補は、西野朗氏だそうだ。
アトランタオリンピックの代表チームを率いた彼には、ガンバを昨シーズンのチャンピオンに導いたという大きな実績がある。さらに、もしJFAがオリンピック代表とA代表の両方を兼任させようとするならば、色々な年齢レベルでの選手達の質を知る人間を選択するのは理に叶っている。
事実、W杯後に2年契約で日本人監督に2007年アジアカップと2008年北京オリンピックを任せるというのは理屈に合う。さらにいうなら、仮に外国人監督の有力候補が2006年に日本に来られないとしたら(例えばベンゲル監督のような)日本のことを全く知らない、ゼロからスタートしなければならない監督にお金を使う必要はない。

とにかく、直近で私が聞いた話では川淵氏はどうやら西野監督を推しているようだ。
外国人監督に目を向けてみると、前リバプール監督のジェラール・ウリエ氏はJFA技術部に尊敬されていることはよく知られた話。しかし彼がそう早くリヨンを去るとは考え難い。
もう一人の名前は、高い評判を得ながら昨シーズン終了後に鹿島を去りブラジルで監督をしている、前アントラーズ監督のトニーニョ・セレーゾ氏である。ブラジルでは監督の交代は日常茶飯事なので、それについては問題ないが、ブラジルのチームに対するJFAからの補償金だ。
また、前アルビレックス監督の反町氏がオリンピック代表の指揮を執ると考えている人は多いようだ。もしこれが事実なら、日本は2007年アジアカップまでの1年契約だとしてもA代表の監督が必要になる。それは誰だろう? オシム氏? いや、西野氏? それとも岡田氏?
皆の話では、JFA技術委員会は今月末までに候補者のリストをまとめて川淵キャプテンに提出するらしい。
日本のマスコミがイギリスのマスコミが日常に書くような憶測を盛んに書き始めるのは、それからになるだろう。

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巻のチャンスはどれくらい?

2006/04/06(木)

ワールドカップが近づけば近づくほど、私には、巻誠一郎がドイツに行くのではないかと思えてならない。
ただし、「弾丸ツアー」の1ファンとしてではない。
23名の日本代表の1人として、ドイツに行くという意味だ。FIFA(国際サッカー連盟)指定の最終登録期限が5月15日という早めの時期に設定されており、代表メンバーはそれ以前にジーコにより選出される。

さて、データを見てみよう。
第一:巻は体調に問題がない。完璧な状態といって良いほどだ。つまり、全く故障を抱えておらず、毎週のゲームに出場しているのである。
第二:試合への対応が万全だ。ピッチでは動きが切れているし、ゲーム勘も冴えている。
第三:毎週90分間プレーしている。
第四:ゴールを挙げている。今シーズンは、Jリーグの6試合で3ゴールを記録している。

通常は、上記のような要素が揃っていてもさほど特別なことではない。
しかし、日本代表のFWは普通の状況にはないのだ。巻のライバルで、上記の要素すべてにチェックマークが入る選手は何人いるだろう。
柳沢は負傷。久保は復調の途中でいつ壊れるかわからない状態。高原はハンブルガーSV(ドイツ)の控えメンバー。(鈴木)隆行はベオグラードの霧の彼方。マジョルカにいる(大久保)嘉人はジーコのレーダーの射程外。玉田は昔の姿を取り戻そうと苦闘中。大黒はフランスの草サッカーのようなレベルでプレーしている。

他に、誰かいたかな?
ああ、そうだ、佐藤寿人がいた。エクアドル戦のゴールは鮮やかだったし、ゴールに負けず劣らず見事なクロスを供給したアレックスも、2年間の沈黙の後、ようやく再点火の兆しが見え始めた感じだった。
日本代表“C”チームで彼の相棒である巻を除けば、佐藤はすべての要素にチェックマークが入る唯一の選手である。

土曜日、私は巻が出場した等々力でのフロンターレ対ジェフ戦を観た。
展開が速く当たりの激しい試合で、午後の間ずっとタックルが飛び交っていたが、レフェリーの穴沢努氏の試合コントロールは素晴らしかった。このレフェリーは、見え透いたダイブ(たとえば、ジュニーニョのやったようなもの)と純粋な転倒の違い、そして正当なショルダー・チャージ(伊藤が巻にやったようなもの)とプッシングの違いをわかっており、ゲームの進行をできるだけ妨げないようにしていた。
フロンターレのスリーバックは箕輪、寺田、伊藤の身長がいずれも180センチ以上――佐藤羽生が勇人の肩の上に立ったときと同じ高さ――あり、「バスケット・スリー」と呼んでも良いほどだが、このトリオがあまりうまく活用されていない。
しかし、巻は試合中ずっと疲弊した状態で、ストッキングをずり下ろしながら走り回り、チームの2−2の引き分けに貢献した。
試合後、ジェフのオシム監督に話を聞くと、「どんなチームにも、それが日本代表であっても、巻のような選手が不可欠だ」と語った。
オシム監督によれば、代表チームでの巻は、たとえばハーフタイムか残り30分くらいのところで途中出場させ、疲れの見える相手DFをかき回す役割を与えると最も効力を発揮するそうだ。

「3年間まったく故障なし。奇跡だ!」。
「とても勇気があり…タックルもできる…テクニックはそれほどすごくはないが、チームに対する思いは、とてもとても強い」。
これが、巻に対するオシムの総評。
私は、前述したさまざまな要素を考慮して、巻にチャンスが来るのではないかと考えるようになっている。
しかし、ジーコはどう考えているのだろう?

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ドイツ人とソーセージ、そして梶山

2006/04/03(月)

東京発(3月31日):ピッチ上やベンチの中を除いて、Jリーグの試合で外国人の姿を見るのは稀だ。
時にはエージェントが自分の担当する選手をチェックしに来たり、ヨーロッパのクラブのスカウトの姿を見ることもある。

先日、等々力陸上競技場でブンデスリーガ、ボルフスブルクのチーフスカウトであるウールリッヒ・モー氏に会った。
彼が言うには、誰か特定の選手を見に来たというわけでなく、Jリーグのシーン全般、そしてギド・ブッフバルト監督、イビチャ・オシム監督に会いに来たらしい。
水曜日にはナビスコカップの予選リーグ、レッズ対FC東京戦を見るため駒場スタジアムに来ており、試合後、私は彼と話をした。
モー氏は日本のチームのスピード、攻撃力、前方への動き、そして日本人選手の技術に感心したと語った。また、ヨーロッパのサッカーを教えられる若い選手の獲得に興味を示していた。
彼は、誰が良い選手なのか尋ねてきた。それで私はFC東京の徳永、今野、伊野波の名を挙げたが、彼はより創造的で攻撃的な梶山のプレーが気に入ったようだ。
私がまだイギリスの新聞社で働いていたなら、すぐにでもノートパソコンを取り出し記事を書き始めるところだ。

『ブンデスリーガのボルフスブルグ、FC東京の若きテクニシャン梶山陽平の獲得へ』
『チーフスカウトのウールリッヒ・モー氏が水曜日の浦和戦に出場した20歳の若手実力派MFを視察。チームは彼に100万ポンドを用意する準備がある』
『FC東京は才能ある若手選手の放出を渋っているが、梶山はすでにドイツ語のレッスンをスタート。ソーセージとザワークラウトを毎食たべ、ブンデスリーガでの生活に向け準備を始めている』

イギリスのサッカーライターなら、試合後の何気ない会話にこんな記事で反応するだろう。しかしこんな記事が実現する可能性だってあるはずだ。
だって、梶山の名前(実際はナンバー23と彼は言っていた)を出したのは私ではなく彼なのだ!
とはいえ、日本人DFがヨーロッパに移籍できるチャンスは明らかに多くない。東欧出身の190cmクラスのFWがペナルティエリアに潜む、タフでフィジカルなブンデスリーガでは身長が高いことは絶対条件だからだ。

「レッズのナンバー2(坪井)が良いね」。以前の試合を持ち出し、モー氏は言った。
「彼はスピードもあるし、積極的でテクニックもある。だけど身長があと10cmあったらね…。ドイツではやはりDFには長身の選手が望まれるんだ。MFやストライカーは、コーチしやすい若くて優秀な選手が良い」。

日本にも長身のDFがいないわけではない。例えばマリノスの中澤や松田は背が高いし、また、フロンターレのDF陣はピッチから出るとまるでバスケットボール選手のようだ。しかし、より創造的な選手の方がヨーロッパのスカウトの目に留まるチャンスは多いことは間違いない。
梶山は20歳、MF、身長180cm、体重は75kg…。ちょっと待てよ、私は記事を考えていたのだ。

『バイエルン・ミュンヘンはマンチェスター・ユナイテッドに移籍するミヒャエル・バラックに代わる選手としてFC東京の1000万ポンドクラスの実力派MF梶山陽平を…』

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スタッブスの対抗措置

2006/03/30(木)

典型的な古いタイプのセンターハーフについて思いを馳せると、アラン・スタッブスのような選手が脳裏に浮かぶ。
このエバートンのベテランDFは常に誠心誠意のプレーする、生真面目な選手だが、最近、プレミアリーグの外国人選手について興味深いコメントをしたと報じられた。
要約すると、反則すれすれのずる賢いプレーが顕著に増えているのは外国からやって来た選手たちに責任がある。スタッブスはそう感じているようだ――それに、そうした傾向を食い止めるために、運営当局は迅速な対応をとるべきだとも考えているようだ。
スタッブスが語っているのは、私たちが毎週Jリーグで見ている類のもの、つまり、ダイビングしてFKやPKを勝ちとろうとする選手、負傷したふりをして時間稼ぎをする選手(土曜日のジュビロ対フロンターレ戦の終盤をチェックしてみると良い)、相手選手にイエローカードを与えるようレフェリーに要求する選手たちのことである。

「最近、我が国のサッカーには外国的なものが染み付いている」。リバプールとのマージーサイドダービーのあと、スタッブスはそう語った。
「外国人選手がプレミアシップに及ぼしている影響は、良いものがたくさんあるし、その逆もある」。

個人的には、スタッブスのような経験豊かで、正直なプロフェッショナルがはっきりと意見を述べてくれたのを嬉しく思う。そうでなくては、彼は将来、ばかげた振る舞いが見られる現在ではなく、古き良き時代――しかも、そんなに昔のことではない――を思い出すようになるだろう。
もっとも、スタッブスは外国人選手を槍玉に挙げているが、英国の選手だってダイブはしている。リー・ボウヤー(我が愛するニューカッスル・ユナイテッド所属)やチェルシーのショーン・ライト=フィリップスだって、そうした振る舞いをしているし、2002年のワールドカップでは、札幌のイングランド対アルゼンチン戦でアシュリー・コールが一目でわかるようなダイビングをするのを見て、いやな思いをしたものだ。
だから、このような現象は今に始まったことではないし、状況はさらに悪化しているのである。
選手自身もこのような振る舞いをやめさせるために行動を起こす必要があり、たとえば、痛くもないのになぜ寝転がっているのかと相手選手に尋ねてはどうかとスタッブスは言っている。
私も、ペナルティを得ようとダイブしたFWにDFが真情を吐露するのを見たい。

実は先日、このような例がセルティックでプレーする中村俊輔がダイブしたときにあったのだ。相手はハイバーニアンだったと思うが、俊輔がペナルティエリア周辺でダイブしたとき、2人の大柄なDFが俊輔をどやしつけたのである。
相手が欺瞞を働いているとわかったときには、日本人選手も同じような態度をとるべきだと私は思っている。インチキをするやつは叱り飛ばしてやれ! 恥をかかせてやれ! レフェリーを欺こうとしている行為をグラウンドの全員に知らしめてやれ!

レフェリーも厳しい態度で応対し、ピッチの半分の長さを走って負傷したふりをしている選手に駆け寄るのではなく、試合を進めるべきである。
相手選手にイエローカードを出させるために、カードをかざすジェスチャーをレフェリーに示す選手にも、スポーツマンらしくない振る舞いに対するイエローカードを出すべきである、とスタッブスは感じているようだ――私もまったく同感だ。
選手が正直に振る舞うようになれば、レフェリーという仕事がどれほど楽しいものになるか、想像してみて欲しい。
残念ながら、最近ではこのようなことは儚き望みとなっている。イングランドにおいても…。

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アビスパファン、まだまだこれからだ!

2006/03/27(月)

東京発(3月24日):トップリーグ昇格後、4試合まったく勝てないアビスパ福岡(皆さんがこのコラムを読む頃は5試合になっているかもしれない)だが、先週末の千葉戦では、彼らは非常にハングリーで生き生きとしていた。
事実、ジェフにとっては前半を1−1の同点で終えたのはとてもラッキーだったし、さらに言えば、試合を2−2の引き分けで終えたことはもっとラッキーだった。

アビスパはジェフのホームスタジアムであるフクダ電子アリーナ、略して“フクアリ”で勇敢に、そして自信満々に戦った。
90分を通してハイテンポで走り、パスを繰り出し続けたのだ。アビスパがフレッシュで、スピーディ、さらに大胆だった一方、その日のジェフは珍しくバラバラで無気力。リズムやモチベーションも欠けて見えた。
実際、ハーフタイムに入った時、“I said hey! What’s going on?”(ヘイ!一体どうしたんだ?)というコーラスの入ったキャッチーなポップミュージックが流れた。
彼らは心ここにあらずといった感じで、その時の私は「ヘイ!一体何をやっているんだ?ジェフユナイテッド!」という心境だった。
そう、ハーフタイムに、大胆な5−4−0のフォーメーションに整列した千葉のチアリーダーたちの方がよっぽどスムーズに動いていた。旗を持っていたにもかかわらず、だ。

しかし、ここはアビスパを褒めよう。彼らがこういうプレーを続けられれば、今シーズンのJ1で生き残ることができるはずだ。
「Jリーグのトップクラスのチームにあと一歩で勝てたのは、満足な結果だったのではないですか?」
試合後、私は答えを分かっていたがアビスパの松田浩監督に尋ねてみた。
彼は「そんなハズないでしょう。だって2回もリードしていたんですよ」と答えた。
松田監督は、両ハーフの終盤のミスは単純なものだったと言った。
「原因は、若くて経験の少ない選手が多いことですね」。彼はそう付け加えた。
「ロスタイムに入ってからは、いかに集中力を保つかがカギです」。

福岡を前夜9時に出発し、キックオフの2時間前の午後2時にグラウンドに到着したファンも少なくない。アビスパはファンからも多大なサポートを受けていると言って間違いない。
「私たちは3年かけてチームを作ってきました。私はチーム、戦術、4−4−2のシステム、そして攻守ともに自信を持っています」。
そう語る監督の言葉は、そんな熱狂的アビスパファンにとってとても心強いことだろう。
「このチームと戦術はJ1で十分通用すると思っています。ただ、選手個人の質は浦和レッズやガンバ大阪のように優れているわけではありません。ここまで3試合勝てていないのは、ただそれだけの理由です」。
松田監督はシーズン開幕からの3試合の引き分けについてそう話したが、アビスパはその後、ホームでグランパスにも0−1で敗れた。

アビスパにとってJ1残留に十分な明るい材料が千葉戦で見えたとはいえ、その自信を失わないためにも早く1勝が欲しいところだ。
ただ、皆さんがこのコラムを読む頃には、もう既に1勝しているかもしれませんね。

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発展途上の監督・ガーロが得た教訓

2006/03/23(木)

万全を期したと監督が思ったそのときに、何もかもがガラガラと崩れてしまうことがある!
火曜日の午後、等々力陸上競技場で行なわれた川崎フロンターレ対FC東京戦で、その実例が見られた。試合自体は、とても見ごたえがあったが、結果は2−2のドローに終わった。
引き分けという結果は妥当なものだったが、就任1年目のアレッシャンドレ・ガーロ監督の見事な選手起用により後半に息を吹き返したFC東京が、勝利をほぼ手中にしていたように見えた試合でもあった。
前半は1−0でフロンターレがリード。そこで、ガーロは動かなければならないと判断した。

ガーロは、危険なジュニーニョをマンマークするために、魅力的な若手MF伊野波を起用。その結果、バックには茂庭とジャーンの2人だけが残ることになった。
さらにガーロは2人のフルバックを前に押し上げ、右サイドの徳永と左サイドの鈴木にはさらに前に上がり攻撃をするよう指示、2人はある程度攻撃的にプレーした。
そして、私の大好きな選手の1人で、ドイツワールドカップの日本代表に選ばれないのが残念というか、個人的には不思議に思える今野は少し引き気味になり、ディフェンスを支援した。

ジャーンが飛び込みながら頭で合わせ、同点シュートを決めたあと、右サイドで徳永(なんて良い選手なのだろう!)が価値ある仕事をし、ジュビロからやって来た侵略者・川口が巧妙なゴールを決め、東京が2−1と逆転。
この時点では、ガーロの戦術的な選手交代は文句なしの満点。後半、ゴール裏で飛び跳ねる大勢のファンに向かって攻め上がるFC東京が勝点3をほぼ手中に収めているように見えた。

しかしその後、残念なことに、ガーロはすべてを台無しにしてしまった。ガーロは疲れの見えたMF宮沢に代えDF増嶋を起用、伊野波を中盤の中央の位置に下げた。この時点で、残りはわずか5分程度。試合の残り時間は増嶋がジュニーニョの面倒を見ればよいとガーロが考えていたのは明らかだ。
このとき、FC東京がばらばらになった。伊野波はジュニーニョのマークという仕事を見事にこなし、茂庭とジャーンの負担を軽減していたが、終盤に交代で入って来た選手が試合の流れについて行くのは簡単ではない。相手がジュニューニョとなれば、それはさらに厄介だ! 俊敏なブラジル人選手はチャンスを見つけると、MF中村と二度にわたってパスを交換し、これまた見事な中村の同点ゴールを演出した。

振り返ってみれば、ガーロに他の選択肢があったのは間違いない。おそらく、増嶋にはむしろ中盤で今野と並んでプレーするよう指示し、伊野波に引き続きジュニーニョのマークをさせれば良かったのだろう。
全体的には、すでにとても戦術的な戦いとなっており、ジュニーニョが試合の終盤にわずかではあるが、彼には十分といえるスペースを利用し、その能力を見せつけたのである。

38歳のガーロは監督としてはまだ若く、今はまだ自分のチームの選手のことを学んでいる段階である。
ガーロにとって、等々力での経験は今後の教訓となるだろう。最後の交代までは、とてもうまくいっていたのだから。

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京都の紫の悪夢

2006/03/20(月)

3月17日発:新シーズンがスタートしてまだ2試合。しかし、京都パープルサンガにとって、物事は良い方向に進んでないようだ。
2戦2敗、しかも惨敗。また、最初のホームゲームだというのに観衆は8000人にも満たなかった。
もちろん、軌道修正する時間はまだ十分ある。しかしJ2から昇格したチームの誰もが恐れ、避けたい状況がまさにこれだ。

シーズンが始まる前から、京都は選手層が薄く、経験も浅いようには見えていた。 2005年にJ2優勝を果たした選手達との約束を守った、柱谷幸一監督がオフの間に行なった補強はわずかに二人。ジェフのストライカー林、そしてガンバのDF児玉だ。
開幕試合をアウェーで、横浜F・マリノスと戦うということは簡単なことではない。岡田武史監督率いるマリノスは京都のキーパーのまずさも手伝い4−1で快勝した。
そして次はホームでの川崎フロンターレ戦。両者がJ2で戦ったのはそんなに昔ではない。しかし今回はJ1で、西京極で対戦し、フロンターレが7−2で大勝した。
フロンターレが2試合で挙げたゴールは13。一方、京都は得失点差マイナス8の11失点。言うまでもなく、この体たらくではJ1最下位も当然。京都は18位と最下位で他のチームから大きく水をあけられている。

私は京都の2試合をいずれも観戦していないが、テレビのスポーツニュースでハイライトは見た。
ディフェンスは悲惨な状態で、特にフロンターレとのホームゲームでは、川崎のフォワード陣は何の抵抗もなくまるでシュートコンテストのように易々と攻撃を展開していた。
こんなシーンを以前から見せられている京都ファンは、まことに気の毒だとしか言いようがない。
フロンターレ戦に来たサポーターはわずか7921人だったとはいえ、京都ファンのすべてがスタジアムにすぐに戻ってくることを期待するのは難しい。

土曜日にジュビロとアウェーで戦った後、京都は春分の日の夜にサンフレッチェ広島と対戦する。
サンフレッチェは小野剛監督のもと着々と力をつけてきた。この一戦は京都にとってJ1定着を確実にするための厳しいテストとなるだろう。
京都は少しでも早くJ1に適応し、自信を得る努力をすべきだろう。長いシーズンでこんなに早く、大きく出遅れている余裕はない。

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レッズ対ジュビロ 〜土曜日はこうでなくちゃ!〜

2006/03/16(木)

サッカーが日本のスポーツシーンそして社会生活にどれほど浸透しているのかを、実感するときがある。
土曜日が、その一例だった。
埼玉スタジアム2002でのレッズ対ジュビロ戦。日本サッカー界で日の出の勢いにあるチームと、落日のチームの戦い。どうしても見逃せない一戦だ。
陽光きらめき、春の息吹が感じられる一日。グラウンドに向かう、大勢の浦和ファンに春もつられてやって来たようだった。
電車のなかはまさにカオス。ただし、楽しいカオス。いたるところに赤色があり、電車や駅の階段はあらゆる世代のファンでいっぱい。ワクワクした雰囲気があちこちにある。

大宮駅から浦和美園駅までには乗換えが2回あり、すんなりいったためしがないのだが、この日はさらにファンの進むペースが遅いため、より長い道のりとなった。
浦和美園駅で外気に触れ、離陸前のきらきら光る宇宙船のようなスタジアムの銀の輪郭が遠くで招いているのを見ると、ようやく速足で歩けるようになる。さまざまなレプリカ・ユニフォームを売っているキオスクを過ぎると、露店では試合前に食べる色々なスナックが売られている。
英国人としては、ドネルケバブ(大きな肉の塊を回転させながら焼く、トルコ料理)を見ると懐かしい気分になるが、列があまりにも長く、しかも料理の給仕が遅すぎるため、列に加わり、これ以上時間を延ばそうという気にはならない。

スタジアムに到着すると、広場は太陽の下でピクニックをする家族でぎっしり。三菱自動車が新しいモデルのプロモーションを行なっており、遠くにある公園と草の生い茂った土手はサッカーをする子供たちに占領されている。
そう、まさにサッカーの世界――しかも、ライバル関係にある2チームの対戦なのに、騒乱の兆しもない(日本人の読者の方々は、私がなぜこんなことを指摘するのか不思議に思われるかもしれない。しかし、私が育ってきたのは70年代のイングランドであることを忘れないで欲しい。あのころは、どの試合でも、電車の駅やバス・ステーションの1歩外に出た瞬間から試合後に家の近くの駅に帰り着くまで、バイオレンスな雰囲気が満ち満ちていたのである!遠くで聞こえる警察のサイレン、犬の咆哮、叫び声、あちこちを走り回って他の人々をパニックに陥れる連中…彼らが走り回っていたのはトラブルを起こすためだったのか、それともトラブルを回避するためだったのか? それは今もわからない)。
だから、何年経っても日本の雰囲気は私にとって新鮮で、そして特別だ。明るくさわやかで楽しい。

報道受付けのデスクに向かってスタジアム内を歩き回っていると、アウェー用のコーナーで、ジュビロファンが「ヨシカツ・コール」を始めていた。おそらく、川口と仲間のキーパーたちが試合前の練習に現れたのだろう。レッズファンがブーイングやヤジで応戦する…素晴らしい!
キックオフが近づくと、スタジアムが壮大な舞台となった。陽射しのなか、ジュビロの熱烈な信者がかざすスカイブルーのライン以外は、客席全体が赤で覆われ、5万6000人以上の人々が試合開始を待っている。
そう、土曜日の午後はこうでなくちゃ。

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チャンピオンズリーグ・アジアスタイル

2006/03/13(月)

3月10日発:先日のアジアチャンピオンズリーグ(CL)、蔚山戦でのヴェルディファンの揺ぎない応援は素晴らしかった。
敗戦が確実になっても90分間眠ることなく、歌い続けたその応援は実に感動的。しかし、あまりにも観衆が気の毒だったのではないだろうか?

アジアCLは、欧州チャンピオンズリーグのアジア版であるはずだ。しかし、そうなるのはまだまだ先の話だろう。
ヴェルディ対蔚山戦の当日、私は珍しく早朝に目が覚めた。
目覚ましのアラームが鳴るかなり前に私を起こしたのは、国立競技場で行なわれる“世紀の一戦”への興奮や緊張感であるはずがなかった。何か、他に虫の知らせでもあったに違いない。
無意識にテレビをつけた私の目に飛び込んできたのは、チェルシー戦でのロナウジーニョの素晴らしいゴールシーンだった。
何と言う色彩、スペクタクル、そして環境なのだろう…アジアCLにも、こんなものが叶う日は来るのだろうか?

現実を見よう。(ヴェルディ対蔚山戦のような)こうした試合は見るのは不愉快きわまりないと言わざるを得ない。なぜ、わざわざこんな試合を見に来なくてはならないのか?家で皿を洗ったり、もっと有意義に時間を使えるのではないかと思ってしまうのだ。
他国のクラブと対戦するということは、果たしてこの言葉が正しいのかはともかくとして、私を“おびき寄せる”はずのものではないだろうか。
しかしこうした試合、少なくとも日本で行なわれる試合については、ホームチームが強すぎる。もしくはアウェーチームが日本チームを何とか止めようと思いつく限りのトリックを使ってくる。
いずれにしても、ほとんどの試合はまるで茶番。時間稼ぎやチーティングなど程度の低いプレーに満ちた、見るに耐えないものになる。

例えば水曜日の試合では、韓国の選手達はことあるごとにグラウンドに倒れ、しかもたいがい大げさな叫び声を出していた。できればもう一度テレビのリプレーでこれらの疑わしいファウルの数々を見たいものだ。少なからずそれらのファウルについてはボディーコンタクトがまったくなかったか、最少だったように見えた。
そしてアウェーチームがリードするや否や、これらの猿芝居はますます酷くなっていった。

この世界の悪い部分である。しかし西アジアにいくと更に悪くなる。最も多く目にするのはゴールキーパーが怪我したフリをすることだ。コーナーキック、フリーキック、競り合いの度に倒れこむ。ゴールキーパーがピッチで転がるなか、他の選手達はレフェリーや対戦相手に試合を止めるようプレッシャーをかける。そしてこれらの見え透いた茶番が試合終了まで続くのだ。
韓国のプサンで行なわれた2002年のアジア大会で、パレスチナが日本に対してこうした手を使った。できるだけ長く0−0のまま試合を引っ張ろうとしたのだ。後半に入り日本がリードを奪うと、さすがのパレスチナもようやくサッカーを始めた。同点に追いつくためにはゴールが必要だからだ。もちろん彼らは練習でもそんな事はやったことがなかったはずだ。

ヴェルディ0−2蔚山、観衆4436人。これは韓国での観衆を考えると悪くない数字だ。
さて、ラモス監督と選手は別として、5月3日に行なわれる第2戦を見に蔚山へ行こうっていう人はいますか?
私はおそらく、日本に残って皿洗いをしているでしょうね。

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埼玉で見た「2つのハーフがある試合」

2006/03/09(木)

英語では、「2つのハーフがある試合」という言い方をよくする。
もちろん、どの試合も各45分のハーフで構成されているし、ノックアウトシステムでは、90分で決着がつかないと、さらに15分ずつのハーフが用意されている。
ここで言う「2つのハーフがある試合」とは、具体的に言うと、それぞれのハーフの内容がまったく異なっている試合ということ。サッカーではこんな試合がよくある。

土曜日の午後、大宮アルディージャがホームの埼玉スタジアム2002にジェフユナイテッドを迎えた試合も、そんな試合だった。
前半のジェフは素晴らしかった。それは、ときおり、自分は1974年のオランダ代表を観ているのではないかと思えるほど。斉藤はまるでクロルのようで、自陣のペナルティエリアで守備をしていたかと思うと、その1分後には相手ゴール前で攻撃に参加していた。阿部はニースケンス。チームを積極的に引っ張っていた。また、モジャモジャのブロンドではなかったけれど、巻はレップのようだった。

それじゃあ、クライフは誰かって?
残念ながら、クライフは唯一無二の存在(ペレとマラドーナのどちらが歴代最高の選手かと議論している、最近のFIFAのナンセンスぶりは一体何なのだろう? 最高はクライフに決まっている。その次はアラン・シアラーだろう…。この部分はもちろん、ニューカッスル・ユナイテッドのファンとしての見解だけどね)。

まあ、私はジェフの素晴らしさを大げさに表現しているのかもしれない。だって、1974年のオランダ代表なら、前半で大宮を完全に叩き潰していただろうし…それに今やっても同じことができるかもしれない(アルディージャファンの皆さん、ごめんなさい…軽いジョークですよ)。
ジェフは斉藤がファーサイドにカーブする素晴らしいゴールを決め先制したが、その直後、まずいディフェンスのせいで、コーナーキックから冨田にヘディングで同点弾を決められてしまった。

それから、巻がゴールを決めてジェフが再びリード…この時点で、試合が始まってまだ15分しか経過していなかった。
ジェフのショーは続き、古典的なオシムスタイルの、聡明で創造的で動き回るサッカーを披露していた。レッズ、マリノス、アントラーズ、ガンバ、それからジュビロの存在をとりあえず無視するとすれば、今シーズンの順位表のトップに立つのは、このチームしかないのではないか!しかし、それは前半のお話――覚えてらっしゃるだろうか? この試合は「2つのハーフがある試合」なのだ。

1時間を経過したあたりで、坂本のオウンゴール(ゼロックス・スーパーカップのガンバ戦で見せた、長谷部―坪井の連係弾ほど見事ではなかったが、大画面で繰り返し観る価値のあるものだった)で大宮が追いつく。それから、ジェフの崩壊が始まった。
佐藤勇人が小さなファウルを短い間に2回繰り返して――痛そうな素振りを見せた大宮の選手も情けないが――レッドカードをもらうと、その直後に小林大悟が若き日のカズのような俊敏さでヘディングシュートを決め3−2とし、大宮がこの試合で初めてリードを奪う。
悪いことは重なるもので、坂本のオウンゴール、勇人のレッドカードがあったが、大悟のヘディングが決まったのも、ハースがハムストリング(太もも裏)をさすりながらピッチの外に出た直後だった。

「彼も痛かったけれど、チームも痛かったのでは?」。私は試合後、オシムにたずねた。
「そうでしょうかね?」オシムは、微笑みながら、完全に意味ありげな様子で答えた。
ジェフの悲惨な午後を締めくくるように、トニーニョが大宮の4点目となるヘディングシュートを決め、オレンジ軍団(1974年のオランダではなく、2006年のアルディージャ)が試合を完全に掌握した。

さて、トータル・フットボールの話はこれくらいにしておこう!
J1で勝つには、ジェフは文字通りどの試合でも最大の力を発揮する必要がある。しかし、すでに勇人が出場停止、ハースは故障。
大宮から土屋をレンタル移籍で獲得したほうが良いかもしれない。もっとも、土屋はまだハーフ1回分しか出ていないわけだけれど…。

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J2、J1、開幕週のお楽しみ

2006/03/06(月)

今週末はJリーグにとって特別な週末だ。
単に、新たなシーズンの開幕日だからではない。今シーズンから、J2は土曜日に、そしてJ1は日曜日に試合を行なうことになる。
ただし、土曜に吹田市で激突するガンバ対レッズ戦は別である。

まるでJ1を土曜日に、そしてJ2を日曜日に開催していた古き良き日が帰ってきたようだ。当時、ファンたちは週末に2ゲームを観戦できたものだった。
土曜日に行なわれる関東での試合を1試合選び、そして翌日にJ2に目を向ける。こんな感じで私は楽しんでいた。

個人的にJリーグはそういう形式に戻した方が良いと思う。
もちろん、J1の数試合は日曜日に開催すれば良いだろう。特に関東ではチーム数が多いからだ。ただし、基本的に週末の2日目はJ2の試合日とする。
こうすることによってJ2もメディアの注目を集めやすいし、より多くの観客を呼べる。特定のチームのファンではない人たちは間違いなく、J2よりJ1の試合へ行くだろう。
もし毎週日曜日にJ2の6試合が行なわれ、J1は1〜2試合しかないとしたら、サッカーファンがJ2の試合に足を運んでくれる可能性は高くなるのではないだろうか。

となると、今週末の関東エリアのサッカーファンたちはどこへでかけるだろう?吹田まで行くのはお金もかかるのでガンバ対レッズ戦は問題外だ(貧乏なフリーのサッカーライターのための寄付は喜んでお受けしたい)。
他にはと言うと、愛媛か鳥栖か。
いやいや、どちらも沖縄や台北からの方が近かったりするのかな?
となると、レイソルかヴェルディだな。

柏ゴール裏の“イエローモンキー”はいつ見ても楽しい(いやレイソルのサッカーだってそうだ)。そして彼らの土曜日の対戦相手、湘南ベルマーレはJリーグの中でも最も美しいストライプ、ロイヤルブルーとライムグリーンを身にまとう(安藤美姫も次に滑る時はベルマーレストライプの衣装を着てみてはどうだろう。もちろんブーツとスネ当てとまではいかないだろうけれど・・・)。

一方、国立でヴォルティスと対戦するかつての強豪ヴェルディの試合は、これまた見ものだ。
ラモス、柱谷、都並、そして菊池が揃った(しかもベンチに!)ヴェルディは以前のような王者に見える。
彼らはコーチングスタッフ獲得にかなりの額を費やしたことだろう。しかし埼玉県に移った両小林を含む昨シーズンのほとんどの選手がチームを離れた今、チームに選手は残っているのだろうか?
読者の皆さん、どの試合を見るかはともかくとして、どうぞ週末を楽しんでください。そして是非私への寄付もお忘れなく(コインでなく、できれば5000円札以上でね!)。

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グランパス新監督が望む、玉田の復活

2006/03/02(木)

1993年のJリーグ発足をイングランドで最も有名な選手(ゲリー・リネカー)とともに迎え、その後、モダンサッカーの偉大な監督の1人(アーセン・ベンゲル)が指揮を執ったクラブだというのに、名古屋グランパスエイトは、J1で忘れ去られたチームとなってしまった。
トヨタから寛大な支援を受けているにもかかわらず、グランパスは自分たちよりはるかに小さい財務リソース、選手層そしてファンベースしか持たないクラブにも遅れをとるようになってしまった。
総括すれば、グランパスは非常に寂しい状態で2005年を終えた。順位は屈辱的な14位。優勝請負人のブラジル人監督、ネルシーニョが去ったのはずいぶん前のこと。今度はオランダ人のセフ・フェルホーセン氏が監督に就任し、グランパスの建て直しを担うことになった。

先週末に東京で行なわれたJリーグの毎年恒例の記者向け懇談会で、立派過ぎると言えなくもない口ひげを生やしたセフ・フェルホーセンと楽しく話す機会があった。
当然かもしれないが、フェルホーセンは新シーズンを間近にして気分が高揚しており、選手たちはとてもやる気に満ちていると語った。実際には、あまりにもやる気がありすぎ、シーズン前に故障者が何人か出てしまっていた。
負傷者リストには、歴戦の兵(つわもの)秋田豊、いつも若々しい藤田俊哉、それからベルギーのクラブ・ブルージュから移籍してきたスロバキア人のマレク・スピラールが名を連ねているが、フェルホーセンは、医療スタッフに全幅の信頼を寄せていると話していた。どうやら、すでにみんなが回復していることを知っているようだ。

それから話題はころっと変わり、「玉田圭司! 玉田圭司! 玉田圭司、ウォーーー!」というふうになった(読者には申し訳ないが、そのときは自分が日立柏サッカー場にいるのかと思った)。もちろん、玉田は降格したレイソルから、およそ3億円の移籍金――ええと、これは、私がこの移籍契約の関係者から聞いた額――でグランパスに入団した。
私はここ2、3年ほど玉田の大ファンだったが、最近は見解が変わってきた。私の、そしておそらくジーコの見解では、玉田は名古屋で再び実力を証明しなければならない。そのときというのはもちろん、彼が完全に復調したときである。

私は、パスコースに駆け出し、ディフェンダーと対峙し、あの素敵な左足でゴールを決める、ハングリーでエネルギーに満ちた玉田が見たいのだ。彼の不調と自信の欠如がレイソル全体に波及したように思えるが、玉田――それに柏――は、それぞれに異なった場所で再スタートをきることができるようになった。
「彼のことは大事に扱わなければならない」とフェルホーセンは言う。「カギを握る選手だし、彼が普通のレベルに戻るための時間を与えなければならない。」
「昨シーズンは、玉田にとって最高のシーズンというわけでもなかったようだが、もともと高い資質を持ったとても素晴らしいストライカーだったのだから、すぐに素晴らしい状態に戻るだろう」。

グランパスはJリーグ創設時の10チームの1つで、Jリーグにとって重要なクラブ。Jリーグは『強いグランパス』を求めているのだ。だからフェルホーセンには、斬新な手法と楽観主義でチームを一変させてもらいたい。
それに、グランパスファンは柏で作られた「玉田圭司」応援歌を口ずさむのをずっと楽しみにしているかもしれない。なんたって、あれはJリーグでも屈指の素晴らしい歌なんだから!!

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優勝候補のレッズ、そして数チームが後を追う

2006/02/27(月)

最後の最後、土壇場でガンバ大阪が接戦を制し優勝を遂げた、2005シーズン最終戦のようなドラマを、Jリーグは今年も再現できるだろうか?
最終節を残して5チームに優勝のチャンスがある。こんなシーンにお目にかかることはないだろう。しかし、かと言って、イングランドのチェルシー、イタリアのユベントス、スペインのバルセロナ、そしてドイツのバイエルン・ミュンヘンのような、いわゆる“スーパーチーム”、ダントツの独走でタイトルを手中に収めるようなチームはない。

先日、ジェフのイビチャ・オシム監督と話をした。彼は、8〜9チームはコンスタントなプレーで上位争いをし、そして、そのうち3〜4チームが優勝争いをするだろうと予想しているらしい。
昨季はガンバが勝点60で優勝し、レッズ、アントラーズ、ジェフ、そしてセレッソが同59と、わずか1ポイント差の中に5チームがひしめいていた。
今季はと言うと、さらに2つの優勝経験チームがタイトル争いに加わるだろう。
「今、横浜とジュビロが非常にいいね」。オシムは言った。「当然だけどね」。

(ガンバ大阪の)西野朗監督もオシムと同じ考えだ。彼は、レッズとマリノスが今年のガンバにとって最大の脅威になると考えている。
西野監督は、昨季のマリノスとジュビロはアジアチャンピオンズリーグ(CL)の影響が大きすぎたと感じている。両チームは6試合多く戦い、ミッドウィークの試合のために広い大陸を行ったり来たりしなければならなかったからだ。
アジアCLに関わったことが、彼らに肉体的、そして精神的負担を与えたことは疑うまでもない。今年12月に開催されるFIFAクラブ選手権(FIFAクラブワールドチャンピオンシップ)への出場権を得られるとは言え、(横浜F・マリノスの)岡田武史監督はアジアCLに参加しなくても良いということにホッとしていることだろう。
岡田監督は余計なストレスや面倒とは無縁のJリーグチャンピオンとして、FIFAのこのイベントへの出場資格を獲得することを選びたいだろう。

私は以前、ガンバが優勝するだろうと予想したが、今回はそうは予想しない。
彼らはアジアCLに出場しなければならないだけでなく、昨季驚異の49ゴールを叩き出したアラウージョと大黒がいないのだ。
昨季、ガンバにタイトルをもたらしたのは彼らの攻撃力。守備力ではなかった。マグノ・アウベス、播戸、そしてフェルナンジーニョのFW陣の攻撃力は、2005年のFW陣のそれとは程遠い。右サイドの加地、そして明神がミッドフィールドの中央を抑え、おそらくディフェンスはよりタイトになるだろう。

優勝の最有力候補は、小野、ワシントン、相馬、そして黒部を新たに迎え入れたレッズだ。
しかしオシム監督が言うように、1つのチームが独走するようなことにはならないだろう。私もそう思う。

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『小笠原に恋して』

2006/02/23(木)

先日、私は1年前に英国で買った“David Beckham Annual”(「デビッド・ベッカム年報」)を読んでいた。
「デビッドの記念日」という見出しの下には、1996年8月17日の金字塔的偉業が記録されていた。
「セルハースト・パークでのウィンブルドン戦、デビッドはハーフラインあたりから衝撃的なゴールを決め、その名を知らしめた」と日誌には記されている。
「そのゴールが決まったのは、2−0でユナイテッドがリードした試合の終盤。ベックス(ベッカムの愛称)はこう回想する。『キーパーのニール・サリバンが前に出ているのが見えたので、ロブで頭を越そうと決めたんだ。それからは、みんなが言うように、歴史になっちゃったね』」。

なんとなく「デビッド・ベッカム」が「小笠原満男」に見える。
そう、土曜日のフィンランド戦で小笠原が見せたロングシュートは、ベッカム級だった。実際には、ドンズ(ウィンブルドンの愛称)を相手に決めたベッカムのシュートより良かった。小笠原のシュートのほうがもっと距離があったからだが、もちろん、マンチェスター・ユナイテッドがプレーするイングランド・プレミアリーグの試合ではないので、世界中の多くの人がこのシュートを見るというわけにはいかない。

日曜日の日本のスポーツ紙や一般紙は、実際の距離を決めかねていた――50mと報じるところもあったし、55mも、57mも、58m、さらには60mというのもあった。しかし、距離の判断はどうであれ、各紙のメッセージは明らかであった。エコパと日本は、疑いようのない才能を持った1人の日本人選手が放った、真に驚異的なゴールを目撃したのである。
右足でシュートを放ったとき、小笠原は自陣にいた。前述のケースのベッカムと同じように、彼もキーパーが8mほど前に出ていることに気がついた。彼のキックは、完璧と言うしかないものだった。

タイガー・ウッズがフェアウェイから打っても、あれほどピンにピタリとつけることはできなかっただろう。小笠原が美しく浮かせたボールは、まさに正確かつ精密。
あの状況下では、フィンランドのGKを批判することはできない。GKの身になってみれば分かる。1人の日本人選手が日本側のハーフでボールを受け、前方にフィードする態勢にある。FWへのロングパスなら、GKはゴールエリアから飛び出して割って入る備えをする。しかし、GKは不意にそのボールがパスではないことを悟った。ボールが強く蹴られたからだが、背後にスペースはほとんどない。GKは後ずさりしてゴールラインを死守しようとしたが、バランスを崩し、バーの下に落ちてきたボールに触れることもできなかった。完璧だ!
そう、GKを責めるのは酷というものだ。GKのせいにすれば、小笠原の素晴らしさが少し色あせてしまうではないか。

1996年、その衝撃的なゴールを足がかりとし、ベッカムはスーパースターへの階段を駆け上がった。スケールこそ小さくなるが、小笠原の信じられないようなゴールも日本サッカーの歴史にずっと刻まれることだろう。
映画『ベッカムに恋して』は世界中で放映された有名な作品だが、今回、小笠原があの長い距離からゴールネットに突き刺したベッカム・スタイルのシュートは、映画のタイトルを『小笠原に恋して』にしたほうが良いと思わせるようなものだった。

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小倉の引退決意

2006/02/20(月)

先日、とある短信が目に留まった。それは小さな記事だったが、私は大きなショックを受けた。
記事の内容は、小倉隆史がJリーグから引退するというものだった。
扱いが小さい理由は明白。現在32歳になる小倉は2002年以来J1でプレーしていないし、それ以前から存在感を失いつつあったからだ。

私は1995年の天皇杯準決勝、鹿島アントラーズを5−1で粉砕した試合で2得点を挙げた、若く絶好調だった小倉についてのアーセン・ベンゲルのコメントが忘れられない。
当時、香港から東京に来ていた私は、その試合が見たかったし、1994年の秋にUAEのアブダビで会って以来ご無沙汰だったベンゲルにも会っていろいろと話をしたかった。94年に会った時のベンゲルは、ちょうどモナコを離れ、グランパスの監督に就任する前だった。
試合後の記者会見で小倉について聞かれたベンゲルは、“彼が望むだけ”良くなると言った。世界最高レベルで成功するにあまりある小倉の才能を理解していたベンゲルからの、最高の賛辞だった。素材と素質はすでに持っている。あとは姿勢と意欲があれば良いのだと、ベンゲルは小倉を評した。

しかし。プロサッカーというものは時として非常に残酷である。わずか2ヶ月後の1996年2月、マレーシアで行なわれていたオリンピック代表チームの合宿で小倉は膝に重傷を負い、残りの予選、そしてアトランタ五輪の欠場を余儀なくされた。
小倉の復活は絶望的と見なされ、1999年にグランパスを去ると、小倉はジェフ、ヴェルディ、札幌と渡り歩き、2003年からは甲府でプレーしていた。
“レフティ・モンスター(左利き/左足の怪物)”と称された小倉は、左利きの日本人選手史上最高の選手の一人として、いつまでも記憶に残るだろう。たくましい体、183cmの長身、彼は全てを持っていた。しかし怪我のために自身の持てる可能性を開花させることなく終わってしまった。

94年5月のキリンカップ。スター選手がひしめくフランスを相手に日本は1−4の敗戦を喫したが、小倉は日本唯一のゴールを決めた。そして、そのシーズンには就任1年目のベンゲル率いるグランパスのフォワードとして37試合で14ゴールを挙げた(天皇杯は5試合で5ゴール)。

記事を読んだ数日後、土曜夜のサッカー番組に出演している元気な小倉を見た。
彼がどれだけ偉大になれたのかは、もう誰にもわからない。しかし彼は自身のキャリアを通して、自身の才能に見合うだけの正しい姿勢と強い意欲を持っていたことを十分に証明した。
そして、これこそベンゲルが望んでいたことだったのだ。

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未来のために、伸二は後ろに

2006/02/16(木)

米国戦で、ジーコがワントップの後ろの位置に小野伸二を起用したのは、まあ、勇敢だったし、大胆であった。
しかし、試合に出られるほど体調が整っていなかったのを割り引いたとしても、伸二が聡明で、創造的かつ攻撃的な選手であった時代が終わったのは明らかだった。
現在の伸二は、縦横無尽に動き回る魅力的な選手という、かつてのイメージから離れ、中盤の底の将軍、保護者、支援者、提供者となっている。見た目は若者だが、老人のような配慮ができる選手になっており、日本にとっては中盤のエンジンルームに欲しい選手。前線では彼の資質を十分に発揮できないかもしれない。

もっとも、この試合でジーコが3−4−2−1のフォーメーションで久保の後ろに小野と小笠原と並べ、彼が前線でプレーするのを見たかったというのも分かる。
スピードがあり、仕上がりもモチベーションも十分な米国を相手に、日本は前半にリードを奪われ、さらに後半早々に追加点を許したが、その問題がシステムにあったとは私は思わない。
個人レベルで日本の選手が差をつけられ、圧倒されたにすぎないのだ。私は今でも3−4−2−1こそ日本がとるべき道だと思っている。そうすればジーコは中盤に6人の選手を配置でき、基本的に守備陣が5人(バックの3人と中央のミッドフィルダー2人)、攻撃陣も5人(ウイングバックの2人と2人のシャドーストライカー、それからもちろんセンターフォワード)というバランスの良い構成が可能になる。

ジーコは、最初の10分は良いプレーができていたと指摘していたが、まさにその通りだった。同じポジションにいた小野と小笠原の仕事は相手ディフェンダーに時間を与えず、プレッシャーのかかった状態にし、クリアするのが精一杯だと思わせること。
俊輔が復帰すれば同じ仕事をするのだろうけれど、2人のシャドーストライカーは前線で効果的な守備もしなければならず、大変な役割ではある。
伸二が後ろに下がったほうが良いと思う、もう1つの理由は、最近の故障から復帰したあと、長期的に体調を維持できるのかどうかということが、やはりジーコと浦和にとっての懸念となるに違いないからだ。

ワントップの後方の2人の攻撃的ミッドフィルダーは、中村や小笠原、さらには大久保や中田英寿のほうが良いとジーコが考えた場合、小野は中盤の底のミッドフィルダーのポジションを中田(英寿と浩二の両方)や稲本、福西、阿部、遠藤、それから今は長谷部(できれば今野も)と争わなければならなくなる。
クラブや代表における伸二の過酷なスケジュールを考え、彼が頑張り過ぎないよう、急ぎ過ぎないよう、願おうではないか。

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オシムの的外れな批判

2006/02/13(月)

ジェフユナイテッドのイビチャ・オシム監督のコメントは、いつも傾聴に値する。ただし、今週、中田英寿と中村俊輔を批判したのは少しやりすぎではないかと思う。
クロアチアの新聞のインタビューは、日本のメディアおよび日本の英字紙でもとりあげられたが、そのなかでオシムは、中田と中村はあまり働いていない、と発言したのである。
「ジーコは、中田と中村のせいで苦しむだろう。2人はクラニチャルのようには走らず、ボールを持つだけ」という、オシムの発言が引用されていた。彼は、クロアチアのゲームメーカーで、ズラトコ・クラニチャル代表監督の息子ニコ・クラニチャルと日本のコンビを比較していた。

ところで、私は先日、香港でクラニチャルを2度見た。彼は、毎年行なわれるカールスバーグカップで、メンバー落ちのクロアチアチームに入ってプレーしていた。
まさしく、クラニチャルは完成されたテクニシャンで、エレガントなボールさばきを見せ、攻撃を加速させるようなショートパスを数多く送っていた。
しかし、ボールを奪われることも何回かあった。原因は主に不正確なパス。動きが緩慢に見えることもあった。香港まで随行してきたクロアチアの記者たちと彼について話し合ってみたが、息子の方のクラニチャルはまだこれからの選手、というのが結論だった。

私の意見にみんなが賛成してくれたのは嬉しかったが、もちろん、ドイツでベストメンバーのクロアチアチームに入れば、クラニチャルははるかに良く見えるだろう。
中田、中村との比較では、中田のほうがクラニチャルよりはるかに力感があり、プレーのテンポも速い。スタミナも中田の資質の1つなので、私には、オシム――私が大いに評価しているコーチ――がなぜ、中田はあまり走らないと考えたのか、不思議でならない。

俊輔については、存在感があるのは認めるが、中田のような持続力がない。スコットランドでも後半にしばしば交代させられるが、理由はそのあたりにあるのだ。
中村の才能はあらゆるところで垣間見られる。その技術、その視野、そのパス、そしてなによりそのワールドクラスのフリーキック。とくに、現在のサッカーではフリーキックを過小評価してはならない。最高レベルの試合では、1つのセットプレーで勝敗が決まる場合が多くあるからだ。

クロアチアの新聞のインタビューで、オシムはいくつか面白い発言もしていた。
たとえば、ジーコは新しい選手を使おうとせず、クラブで結果を出していない選手にこだわり、攻撃を重視するあまりディフェンスのバランスにあまり配慮しないと述べていたし、個人に責任を委ねるというジーコのポリシーは日本人の気質には合っていない、とも言っていた。
ただし、中田と中村があまり走らないというのは、的外れである。

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やっぱり久保に期待

2006/02/09(木)

数ヶ月前の久保竜彦は、ワールドカップの日本代表を目指す競争から脱落したかのように見えていた。
しかし、新しい年がやってくるとともに、ジーコにその存在感を改めて見せつけるチャンスがやってきた。
今週、サンフランシスコで米国と親善試合を戦う日本代表には、ヨーロッパ組のストライカーが含まれていない。そのため、久保には自身の復調とチームにとっての価値をアピールする舞台が与えられたのである。
体調が万全なら、久保には何か特別なもの、何か違うものが、確かにある。

あらゆる日本人フォワードのなかでも、久保は空中戦で抜群の強さを誇っており、高いジャンプを持つ彼はつねに相手マーカーの脅威となっている。
また、フィジカルも強く、しかもペナルティエリア内を遠慮なく動き回るため、そのふてぶてしいプレースタイルはディフェンダーにとっては悩みの種である。
地上戦での久保は、予測不可能だ。次に何をするつもりなのか全く読めないのである。こんなありえないような位置から、強烈な左足でシュートを打つつもりなのか? あるいはパス? それともドリブルか?

久保の復帰により、ジーコは強固な相手ディフェンスの鍵を開く人物を手に入れることになる。また、今でも私は、2002年ワールドカップの代表選考で西澤ではなく久保を選ばなかったのはトルシエのミスだったと感じている。
日本のストライカーのリストを一覧すれば、ドイツ行きの席はまだ十分に余裕がある。鈴木、柳沢、高原、そして久保は、いずれも3−4−2−1の1トップとしてプレーできるが、もし久保の体調が良いことがわかり、しかも何点かゴールを決めたなら、久保の代表入りの可能性は大きくなるだろう。
これまで、私は久保を代表候補としては考えていなかった。その理由は、久保は故障のカタログのような状態で、2004年の9月以来、代表でプレーしていなかったからというだけに過ぎない。

久保がクラブそして代表で普通にプレーできるというなら話は別だ。そうなれば、久保には確実に代表の座が与えられなければならない。
当面は、センターフォワードとして先発する2人は(鈴木)隆之と柳沢、控えは大黒と大久保という考えを変えないつもりだが、サッカーでは、あらゆることが一瞬にして変わってしまうこともある。

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キャリアの軌道修正を果たした中田浩二

2006/02/06(月)

2月3日:中田浩二がようやくマルセイユを去った。
新聞などで私が見た元アントラーズのスターはいつも笑顔だったが、彼はフランスで辛い時期を過ごしてきた。
しかし今、その悪夢が醒めた。スイスのFCバーゼルへの移籍が決定したのだ。契約期間は2008年6月までである。

個人的に、この移籍は中田浩二にとって非常に良いことだと思う。おそらく小野伸二もこのような契約を望んでいたのではないだろうか。
まず、スイスは非常に素晴らしい国だ。英語が幅広く話されており、中田は、フランス、ドイツ、そしてイタリアといった様々なヨーロッパ文化の融合を楽しめることだろう。
次に、スイスのサッカーは中田がインパクトを与えられるレベルにある。フランスリーグのマルセイユから見れば明らかなステップダウンだが、選手にとっては必ずしも後退というわけではない。
彼は再びプレーに集中し、1軍のレギュラー定着を目指すことができる。

中田には、バーゼルで成功するための素質、経験、そして多様性があることは間違いない。そして彼もこの新たな素晴らしい環境に解放感を感じているはずだ。
ヨーロッパ残留を決めた中田の幸運を祈りたい。彼はイスラエルに移籍することもできたのだが、しかしマルセイユに戻り、もっと魅力的な話を待った。そして今、彼はスイスにそれを見つけたのだ。

ピッチ上のポジションについては、私は今でも彼が日本で最も天性あふれる守備的ミッドフィルダーだと思っている。
4−4−2、3−5−2、そして3−4−2−1のいずれのシステムでも守備的ミッドフィルダーとしてフィットする。ゲームを読む力にも長けており、チームの中盤にバランスをもたらすことができる。さらに、中田英寿、小野、稲本、そして福西の誰とでもコンビを組めるのだ。
試合勘を取り戻した中田浩二は、ジーコに多くのオプションをもたらすはずだ。バーゼル移籍は単に彼自身だけでなく、日本代表のためにもなり、ジーコも歓迎していることだろう。

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韓国に芽生えはじめた自信

2006/02/02(木)

中国の春節(旧正月)の時期に香港で行なわれているカールスバーグ・カップ。韓国代表を取り巻く輪のなかに、とても懐かしい顔が1つあった。
それは、2002年ワールドカップ(W杯)の代表に入っていた数人の選手でも、伝説的な選手から転身を果たし、現在は監督のディック・アドフォカートの補佐を務めているホン・ミョンボ(洪明甫)でもない。
懐かしかったのは、ブロンドのもじゃもじゃ頭のピム・ファーベークである。もちろん、彼は日本でもおなじみの顔。4年前には韓国でフース・ヒディンクのアシスタントコーチも務めた。

天気が良く、暖かい木曜日の朝。香港島の小さなスタジアムで韓国代表の練習が終わったあと、私はピムとのおしゃべりを楽しんだ。ピムの指摘を受けずとも、韓国の選手たちに何らかの変化があったのは見てとれた。
彼らは、以前よりずっと開放的で、リラックスしているように見えた。ピッチでコミュニケーションをとる機会も多くなり、アドフォカートが――非常にずけずけとした言い方で――意見を述べると、選手たちは即座に耳を傾け、実践する。
大会主催者によると、韓国の選手たちの態度はホテルでも変わらないらしい。ロビーでファンとしゃべったり、クロアチアの選手たちとも言葉を交わしているそうだ。
クロアチアと韓国の選手が冗談を言い合っている姿はなかなか想像できないが、これも、韓国の選手が開放的になり、ピッチの内外で殻から出ようとしている証拠なのだろう。

長い間、韓国の選手はむっつりとしていて機械みたいだと言われ、ほとんど笑わず、いつもプレッシャーを感じながらプレーしていた。
しかし、4年前のワールドカップで準決勝まで進み、最終的に4位という実績を残したことで、明らかに韓国の選手はこれまでよりはるかに大きな自信とプライドを持つようになった。そして、それが態度にも現れているのである。
もちろん、ハードな練習、ハードなプレーには変わりはないが、現在は、精力的な動き、スピードそして身体のパワーに、内面の強さと自信が備わっているように思える。
ピムはこのような事柄をすべて指摘した。4年前に比べ、はるかに準備が進んでいると感じているようだ。(W杯までに)まだ数試合が予定されているし、ヨーロッパ組の選手もチームに招集されるようになるので、トーゴ、フランスそしてスイスと戦うW杯のグループリーグ突破も有望だろう。

日曜日、韓国は2−0でクロアチアを破った。左サイドのウイングバック、キム・ドンジン(金東進)とFWイ・チョンス(李天秀)のゴールはどちらも見事なもの。1点目は、中盤のクロアチアサイドでボールを受けたキムが、一旦フォワードにボールを預けてから走りこんで決めた鋭いロングシュート。2点目は、GKイ・ウンジェ(李雲在)の大きなクリアボールをセンターフォワードのイ・ドングク(李東国)がコントロールし、ボールを受けたイ・チョンスが豊富な運動量を生かして決めたが、いずれも一連の動きのなかでクロアチアの守備を崩したものだった。

韓国はホームではなかなか負けないチームになっているが、体で勝るヨーロッパのチームと戦うアウェー戦でも、同じようにならなければならないとアドフォカートは話している。
クロアチア戦での印象的なパフォーマンス――正直言って、クロアチア代表は正規のレギュラーが1人しかいなかったが――から判断すれば、韓国がこの新たな目標を達成するのも近いかもしれない。

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オランダで大きく成長した平山

2006/01/30(月)

1月27日発:日本のサッカーファン10人に、好きなストライカーは誰かと尋ねたなら、おそらく10通りの答えが返ってくることだろう。
中澤がいるディフェンス、中田英寿、中村、そして小野がいるミッドフィルダーと違い、日本には、誰もがすぐに思い浮かべるズバ抜けたフォワードがいない。
だからこそ、今なおワールドカップ日本代表FWの座は確定しておらず、平山相太にチャンスを与えようかという動きも出てきているのだ。

平山は現在、オランダ1部リーグのヘラクレスでプレーし、得点を挙げている。
ヨーロッパに移籍して以来、この痩身のストライカーは、アテネオリンピックの頃の未成熟でアンバランスだった頃から大きな進化を遂げている。
今ではバランスも良くキレも増し、空中戦でも地上戦でも得点を挙げている。

オリンピック予選の頃、彼を取り巻く報道は馬鹿げた熱気を帯びていた。ベンチに座っている時でさえ、テレビ各局は彼ばかりを追いかけていた。そんななか、私は彼の能力や可能性について心に留めていた。
正直なところ、プロリーグでの十分な経験もない彼は、オリンピック代表になるには早すぎると感じていた。
ハンドやオフサイドなどもよく犯していたし、時にあまりにも不器用にさえ見えた。だから、彼がプロの道ではなく筑波大学進学を決めた時には、平山の短いキャリアは終焉を迎えたように感じた。
それだけに、平山がヘラクレスと契約したのを知った時は非常に嬉しかった。そして、彼がプロ生活の中でどれだけ成長したかは誰もが認めるところだ。オランダリーグのコーチ陣、そして選手達の中での毎日の練習は、彼のサッカーを大きく成長させたし、今やチームメートやファンからも愛されているようだ。

このコラムを書いているいま現在、彼は7ゴールを挙げている。この調子を維持しつづけられたなら、例えば、2月末に行なわれるボスニア戦でドイツへ行くジーコ監督が、平山に注目する可能性は高い。彼がいるのはドイツからそう離れた場所ではないし、トレーニングキャンプに参加させ、そのプレーをじっくり見る事は、誰に悪影響を与えるわけでもない。
平山が代表に招集された場合の私の唯一の心配は、メディアが再び彼に過剰なスポットライトを当てることだ。
そんな光景は見るに忍びない。

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またも判明した、エメルソンの偽り

2006/01/26(木)

昔と同じように、エメルソンの最近のニュースも…偽りに関するものであった。
大げさに倒れ込み、大ケガを負ったかのように転げまわり、相手選手を退場に追い込もうと必死になる。あの、エメルソンのピッチでの姿を見ていた日本のサッカーファンにとっては、今回のニュースは驚きでも何でもないのかもしれない。
ゴールを量産してくれるから、レッズファンやコーチ陣はこうした行動には目をつぶっていたが、結局、エメルソンはファンやコーチをも欺き、昨シーズン、クラブを見捨ててカタールに移籍したのだ。

今回は、当局がついに彼の偽りに気づき、リオデジャネイロ空港から中東に戻ろうとしていたところを逮捕した。
パスポートには1981年9月6日生まれと記されていた。これは2000年2月、コンサドーレ札幌に入団した際にJリーグに登録したのと同じ生年月日である。
ブラジルの当局は事情を事細かに調べ、出生証明書の本来の生年月日が1978年12月6日になっているのを発見した。言い換えれば、エメルソンは私たちに信じ込ませていた年齢より3歳サバを読んでいたのだ。

(これを聞いて)みなさんは驚いただろうか?
いや、そんなわけはない。私も驚かなかった。
私はいつも彼の公の年齢を疑っていて、ナビスコカップの試合のメンバー表に掲載されている名前の横にアスタリスクが付けられているのを見ては笑いが止まらなかったものだ。
このアスタリスクは、ナビスコカップのニューヒーロー賞の資格がある選手を示していた。つまり彼も23歳以下だというわけだ。もっとも、私はこの賞にエメルソンを選ぶつもりはまったくなかった――全試合でダブル・ハットトリックを達成しても選ばなかっただろう。

エメルソンの実年齢は27歳。2000年のシーズン開始時にコンサドーレに入団したときは21歳だった。
不思議なのは、ブラジルへの出入国を頻繁に繰り返していた彼が、なぜ今になって逮捕されたかということだ。出入国管理局に密告した者がいたのだろうか?
それに、彼はなぜ出生証明書を改ざんしたのだろう? 年齢制限があるレベルのブラジル代表としてプレーするチャンスを、より多く得ようとしたのだろうか? 中東の湾岸で今のような富を築く期間をさらに延長させようとしたのだろうか?

もちろん、日本での得点記録は有効である。ゴールの記録と年齢は関係ない。とはいえ、みんなが彼の実年齢を知ったのは確かである。

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W杯日本代表ジグソーパズル、真ん中は中田だ!

2006/01/23(月)

1月29日から宮崎で行なわれる今年最初の代表合宿に向け、Jリーグの選手たちが準備を始める。いよいよ、ドイツワールドカップ(W杯)に出場する日本代表メンバー23人への絞り込みがスタートするのだ。
読者の皆さんや私のような人間にとっては、これはゲームのようなもの。誰を残し、誰を外すのか、アイデアや視点を議論するのは楽しいものである。
しかし、選手たちにとってはもちろん真剣勝負。W杯の代表に選ばれることは人生を変えるほどの体験だし、選出された選手は、その後のキャリア、人生の中でその名声を楽しむことができる。

私のリストのトップに来るのは、やはり中田英寿だ。彼は先週末のブラックバーン戦でプロ初の退場処分を受けた。しかしイングランドでの報道によると、この出来事が逆にボルトンファンの間で彼の人気を高める結果になったという。
それは彼のチームへの貢献とミッドフィールドのライバルたちとのポジション争いに対する意欲の現れだ。レッドカードも、頻繁にもらう――例えばアルパイのように――のでなければ、悪いことばかりでもない。

最近、中田を見れば見るほど、ジーコは中盤の“ボランチ”として彼を必要とするだろうと思うようになった。
中田は天性の攻撃的プレーヤーだ。しかし、今やチームの支柱となるまでに成熟し、成長した。
4−4−2、あるいは3−5−2、ジーコがどちらを採用するにしても、私なら中田をミッドフィールドの中央に配き、チームの指揮を執らせる。
オーストラリアやクロアチアのようなチームと対戦するとき、彼の経験はより重要なものとなる。中田はゲームをより後方からコントロールできるだろう。

仮に、中田がより前の方でプレーするとなるとチームから孤立し、ピッチ上で最も重要な中盤において指揮力の低下を招くのではないだろうか。
俊輔、小笠原、そして松井大輔。ジーコには攻撃のオプションは他にたくさんある。しかし守備陣は、そうはいかない。
小野伸二がどの程度回復するのか、また中田浩二の調子がどうなのかは誰も知りえない。ただ、ウェストブロムの稲本の出場機会が最近増えているのは朗報だ。ドイツへ向けてキレも良くなり、準備できることだろう。

23人の代表メンバーについては、またお話しする機会があるだろう。しかし現時点では、私はミッドフィールドの中央には中田英寿の名を記そうと思う。
うーん。さあ、残りは22人だ…。

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アジアカップ予選をめぐる問題

2006/01/19(木)

近頃のアジアサッカー連盟(AFC)はどうなっているのだろう?
まず、2005年アジア年間最優秀選手の選考がお笑いだった。AFCは、クアラルンプールでの夕食会と授賞式に参加できない選手を選考対象からはずしたのである。その結果、サウジアラビアの…えぇ〜と…なんとかいう名前の選手(もう忘れちゃった)が年間最優秀選手に輝いた。

それから、2007年アジアカップの予選がおかしなことになった。
ドロー(抽選)が行なわれる前から、私は、ワールドカップ(W杯)出場が決まったアジアの4チームが来年のアジアカップ予選を戦うのは、ドイツでの本大会が終わってからにすべきだと考えていた。これら4チーム――日本、イラン、サウジアラビア、韓国――が、今年の前半をW杯の強化期間に充てるべきなのは、まったく当然のことだ。
しかし、日本が3月1日にサウジと対戦することが決まると、日本サッカー協会(JFA)はこの試合の実施に全面的に賛同。欧州でプレーする選手を全て中東に招集して真剣勝負ができるのでW杯の良い準備になるという見解を示した。

その後、サウジが日本の同意なしに、アジアカップ予選を9月1日まで延期してほしいとAFCに要請した。日本との試合の代わりに、サウジはセルビア・モンテネグロと親善試合を行なうという。
AFCはこの要請を聞き入れ、その結果、3月1日の日本の試合相手がいなくなってしまった。最終的な原因は、アジアの統括団体の不手際にある。

しかし、「キャプテン川淵」が助けに来てくれた!
日本は、3月1日にドイツでボスニアと対戦できるよう調整しており、そのときはW杯で戦うスタジアムを使いたいとJFA会長が明らかにしたのである。
いくつかの理由から、これは賢い対応であると言える。
第一に、ボスニアはクロアチア同様、かつてのユーゴスラビアの一部。W杯ドイツ大会の2戦目の相手と似たようなスタイルでプレーすると思われる。
次に、ヨーロッパで試合をすれば、そこで活動する日本人選手の体内時計の調整が最小限で済む。
第三に、昨夏のコンフェデレーションズカップに続き、日本代表が改めてドイツを「感じる」ことができる。

そして、大会が近づく時期にヨーロッパの土地で勝利すれば、日本選手にとって大いなる自信となる。
つまり、日本代表は今回の残念な出来事をチャンスに変えることができるのである。
それにしても、この大切な時期にW杯出場4ヶ国(新規加盟のオーストラリアは除く)にさらなる負担を強いるようなAFCのアイデアにはまったく感心できない。

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今でも鈴木には資質が十分ある

2006/01/16(月)

鈴木隆行が、再びヨーロッパのスポットライトを浴びている。レッドスター・ベオグラードが獲得を狙っているというのだ。
先年と同じレベルではないと言っても、このような有名なヨーロッパのチームから望まれるということは、一部の日本のサッカー通を驚かせるものかもしれない。しかしこれは、彼の資質を証明しているとも言える。
“隆行ファン”の私は、ジーコが彼を2006年ワールドカップ(W杯)の日本代表に選んでくれるであろうことを熱望している。
彼は素晴らしいチームプレーヤーだ。疲れ知らずでラインをリードし、ノンストップで走りディフェンダーを疲労させ、チームメートのためにスペースを作る。また、FKを獲得する術をよく知っている。こうした戦術は、私はどうしても好きになれないのだが、現代サッカーに必要不可欠となっている。

今日では、多くの試合がこうしたセットプレーによって決している。隆行がFKを獲得し、俊輔が蹴る。ドイツでは何が起こるかわからない。
批評家たちは、55試合で11ゴールという日本代表でのゴール率を指摘する。ストライカーとしての合格ライン“3試合に1ゴール”に程遠いと言うが、ゴールを挙げることは彼の主の役割ではないのだ。
私にとって、鈴木のゴールは“ボーナス”に近い。そして2つの素晴らしいゴールが脳裏にすぐ浮かぶ。
最初のゴールは2002年W杯の日本代表が挙げた最初のゴールだ。ベルギーの1点リードから1−1の同点に追いついた、あのゴールだ。
2つめは2004年、オマーンでのゴール。俊輔の左クロスをヘッドで押し込んだ、その試合唯一のゴールとなった決勝点だ。予選の決勝ラウンド進出を決定付けた、極めて重要なゴールと言っても良い。

彼はベルギーで活躍できなかった。それは事実だ。しかし、肉体的にも精神的にも、ヨーロッパでやっていけるだけのものは持っているし、フォワードラインに大きな影響を与えられると思う。
W杯まで数ヶ月となったいまの時点で日本を離れることは、彼の代表選出のチャンスに影響があるだろうか?
ジーコは彼のことを熟知しているし、代表の青い(アウェー用はアイボリー)ユニフォームを身に付けた彼が頼れる存在であることも知っている。個人的には、影響はないと思っている。
鈴木が再びヨーロッパを目指すことは、誰も責められない。彼は29歳。おそらく今回が、このレベルで自身を試す最後のチャンスとなるかもしれないのだから。

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高校サッカーの悪しき兆候

2006/01/12(木)

月曜日(9日)に国立競技場で行なわれた高校サッカー選手権の決勝は、全体的にはとても楽しいイベントだった。
知的で創造的な攻撃サッカーが見られたし、競技場の雰囲気と熱気がさらに花を添えていた。
しかし準決勝と決勝には、若干の憂慮すべきことがあった。

まず、このレベルのこれまでの試合よりはるかに多くのダイビングが見られた。私が日本で高校サッカーを初めて見たのは1998年のことだが、FKやPK目当ての小賢しいプレーをしない選手たちの姿がとても印象的だった。正直にプレーしている選手たちが新鮮に見えたものだ。
トップ・レフェリーのレスリー・モットラムも当時、私と同じように感じており、選手たちがダイブをするようになるのはプロになってからだと話していた。現在のサッカーには、多額の金銭が絡んでいるのである。

本年の高校サッカー選手権。大会が佳境にさしかかると、ダイブという点に関しては高校生もJリーグの選手もほとんど違いがないようだった。
ドリブルしていた選手が、激しくもフェアなタックルでボールを奪われると、つんのめって空中で体をひねったり回転させたりするのだ。幸いなことに、レフェリーも注意深く対処し、ゲームをそのまま流していた。すると、件(くだん)の選手は自分で立ち上がるのである。

また、タックルを受けたあとに倒れたままでいる選手があまりにも多いとも感じた。彼らはさっと立ち上がってゲームに戻るのではなく、サポーターの声援が起こるのを待ち、それからふらふらと立ち上がる。

以前にも書いたが、イングランドではフットボールは男のゲームとみなされている――つまり、男は痛そうな素振りをしない。それは相手に弱みを見せることになるからである。言い換えれば、いつまでも文句を言い、 ケガをしたふりをしているのを見ると、相手ディフェンダーは「敵のフォワードは軟弱なやつだ」と考えるのだ。
フォワードがタックルをものともせず平然としていると、ディフェンダーは厄介な相手だと感じる。

将来的には、高校サッカーのレフェリーには特別な配慮を持って試合に臨んで欲しい。
現在のサッカーには姑息なプレーがあまりにも多いが、若い年代の試合から、そのようなプレーを罰するようにしなければならない。
コーチもサッカーの精神を守る義務を負っている。FKをもらおうとするような行動は慎むよう、選手たちを教育すべきである。それはベンチから見ていて分かるはずだし、適切なタイミングで自分の選手を物静かに叱るのは当然の行為。
今後、若者たちには芝居がかった振る舞いではなく、サッカーだけに集中してもらいたい。みんな最初はとても立派なのだが、悪いことほど上達が速いのである。

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小笠原に与えられたチャンス

2006/01/09(月)

日本に帰るか、それともイングランドに残るか?その結果に関わらず小笠原満男はウェストハム・ユナイテッドで日本人選手の評価を上げてくることだろう。
アントラーズのプレーメイカーは、ただいま東ロンドンのチームでトライアル中。アラン・パデュー監督を早々に感心させたようだ。

小笠原の渡欧は一時的なものとみられているが、この世界では何が起こるかわからない。
彼はヨーロッパでプレーしたい。そして、ウェストハムには資金がある。
しかし、だからといってすぐに小笠原と契約するという訳ではない。プレミアリーグは世界的にも魅力があり、チームは世界中から選手を選べるのだ。
そして日本人選手は大きな問題を抱えている。そう、彼らは日本で高額の年俸をもらっており、代理人は相当額の契約を要求するということである。チームへの移籍金、契約金、さらに年俸や諸経費を加算していくとかなりの額になってしまう。

小笠原は、プレミアリーグで十分生き残っていけると思う。頭の良い選手だし、自分のことくらいうまくやるだろう。タックルは中田英寿ほどハードではないが荒っぽいプレーにも対応できるし、必要とあらば彼自身も恐れることなくハードなプレーをする。
イングランドでプレーするのに必要とされる能力も、精神的強さや体力的資質も持ち合わせている。
プレミアリーグではJリーグや代表の時ほどボールを持つ時間はなく、彼は多少なりともカルチャーショックを受けることだろう。
ボールを持ちすぎると相手ディフェンダーに潰されるし、イングランドではレフリーも試合の流れを止めることは少ないうえに、ケガをしていない選手にグズグズさせたり試合を止めたりさせることはない。

彼に合うチームにさえ入れれば、小笠原は成功できる。プレミアリーグに慣れるには、ウェストハムはほど良いレベルのチーム。彼は真剣だし、より高いレベルでプレーするチャンスを与えられるべきだ。何とか実現すれば良いなと思う。
今週の小笠原のトレーニングを見た後、ハマーズのパデュー監督は日本人選手の“活力”と“態度”についてコメントした。
小笠原はこれらをしっかり持ち合わせている。しかし彼はピッチでもっとこれらを見せていかなければならない。チームメイトに話しかけ、時には叫びながらコミュニケートしていく必要があるだろう。
言い換えれば、彼は静かすぎるのだ。基本的な英会話を早く学び、自身の考えを伝える自信を持つことが、海外での彼の可能性を実現するためのファーストステップ。
これは彼にとってサッカーをプレーする以外での最大の試練になるだろう。

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すべての道はドイツに通ず 〜 2006年プレビュー 〜

2006/01/05(木)

今年は、前半はもちろんのこと、ひょっとすると後半もサッカーファンの話題の中心になるものがある。
そう、2006年ワールドカップ・ドイツ大会である。大会は、6月9日にミュンヘンで開幕し、7月9日にベルリンで幕を閉じる。
日本にとって重要な日は6月12日、18日、22日の3日間。それぞれの日にグループFで同組となったオーストラリア、クロアチア、ブラジルと試合を行ない、上位2チームに許されるベスト16進出を目指す。

ジーコも、この4年の任期の最後にタフな決断を下さなければならないことはよくわかっているだろうし、これからは、最終的に23人に絞られる日本代表候補のあらゆるプレーが精査、議論されるようになるだろう。
ヨーロッパでプレーしている選手たち、特に小野伸二の体調そして試合勘については、いまだ多くの疑問符が付く状況。ジーコは今後数ヶ月の経過を忍耐強く見守るしかない。
私には、この問題はジーコにとってさほど憂慮すべきものではないように思える。というのも、ジーコはその時点で使える選手を選ばなければならないわけだし、調子の良くない選手がいれば、メディアやファンにとっての「ビッグ・スター」であっても、選考からふるい落とさなければならないからだ。
それに、交代選手に十分な選択肢がないわけでもない。ジーコは、在任中にピッチ内のさまざまなポジションでたくさんの選手を試してきた。目下のところ、ジーコはフィールドプレーヤー20人のうちの17人をすでに決めている様子。代表に選ばれるかどうか微妙な立場にある選手にも、今後の数ヶ月でアピールするチャンスが残されている。

とはいえ、最大の問題は、「日本はこのグループを勝ち抜き、セカンドラウンドに進めるのか?」ということである。
私は、日本はとても厳しいグループに入ったと思っている。ブラジル、オーストラリアの両チームは、私の意見では、ドロー(抽選)の各ポットで最も当たりたくないチームであったからだ。シード国以外のヨーロッパのポットでは、日本はオランダとの対戦は回避できが、しかしクロアチアも厳しい相手だ。
というのも、クロアチアは予選10試合で7勝3分けという成績を残しており、スウェーデンをホームとアウェーの両方で破っているのだ。しかも、予選の同じ組にはブルガリアとハンガリーがいたのである。

日本が次のラウンドに進出するチャンスを得るためには、少なくとも1つの勝ちと1つの引き分けが必要であり、カイザースラウテルンでサッカールー(オーストラリア代表の愛称)と戦う緒戦が、まさにすべての流れを決めるだろう。
F組ではブラジルとクロアチアの勝ち抜け(上位2チーム)が有力視されているため、日本とオーストラリアは最初からすさまじいプレッシャーのなかでプレーしなければならないのである。
しかし、日本が自分たちの強み――スピード、機動力、速いパス回し、組織力および規律――を発揮すれば、体が大きく、身体能力に優れたオーストラリアやクロアチアを苦しめることができるかもしれない。私が、上手くやれば日本が1勝できると言うのは、ネガティブになっているからではなく、ただ現実的になろうとしているからである。
こんな風に考えるようになったのは、ジーコのチームのタレントではなく、相手チームの戦力をもっぱら評価したからである――特にヒディンク監督率いるオーストラリアを過小評価してはならない。
日本がセカンドラウンドに進出できたなら、就任当初のあらゆる問題や混乱を帳消しにして、ジーコに任せたのは成功だったと評価してよいだろう。

もっとも、ワールドカップの前には2007年アジアカップの予選があるし、3月の初めにはJリーグも開幕する。今回のJリーグのシーズンも、長く、中断期間の多いシーズンとなるが、天皇杯で優勝し、さらにゴールマシーンのワシントンの入団が予想される浦和レッズが、現時点では2006年のJ1リーグ優勝の本命となっている。
J1に昇格するヴァンフォーレ甲府そしてJ2に参加する愛媛FCも歓迎したい。両クラブの参加により、サッカーがより多くの地域で根付き、受け入れられるようになり、Jリーグの人気がさらに高まるようになるだろう。

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1ステージ制が大成功した年 〜 2005年回顧 〜

2005/12/29(木)

日本のサッカー関係者は、素晴らしい成功を収めた2005年のピッチ内外の出来事を誇りを持って振り返ればよい。
国内では、1ステージ制のJリーグが大成功を収め、将来に向けての礎となった。
海外では、2006年ワールドカップ本大会への出場を楽々と決め、来年6月のドイツおよび国内での盛り上がりが大いに楽しみな状況だ。

次に、全体を見ると、日本ではサッカーの人気がとても健全な状態にあり、Jリーグの観客数も、J1は堅実な数字を維持、J2でも増加の傾向にある。また、代表チームは、ホームでならどのようなチームと試合をしても(たとえば、チャドやマカオが相手でも)、スタジアムを満員にできる人気を保っており、青のユニフォームを愛するファンの気持ちは、今や国のシンボルとして世界中で認知されるようになった。

昨年の今頃は、J1での1ステージ制導入が予定されるなか、悲観的な見方があったのも確かだ。ファンは、2回の短距離競争ではなく、1回の長距離競争を見たいのだろうか? 応援するチームが優勝戦線から脱落してもチームを応援し続けてくれるのだろうか?
こうした懸念は十分理解できるものだった。1996年の1ステージ制は、観客数という点からは成功とは言えず、次の年に取りやめとなってしまったからだ。

しかし、2005年には、Jリーグのファンも試合内容と同じように成長しており、PK戦や延長戦、ゴールデンゴールやホーム&アウェーのプレーオフといったわざとらしい仕掛けのない、正統的なリーグ戦に対応できるようになっていることが立証されたのだ。
言い換えれば、シーズン最後の日に、33試合も戦ったあとで(!)、5つのチームにまだ優勝の可能性があるという状況が生まれたのは、変革を行なおうとしたJリーグの勇気が報われた証だ。
これは信じられないようなシナリオだった。幸運なことに、私は、あの「スーパー・サタデー」の等々力において、ガンバが感動的かつ劇的な状況で優勝を勝ち取ったのを見た。
また、バンコクでは、スタジアムへの入場を許された少数の人間の1人として、日本が北朝鮮を破り、ドイツ行きの切符を掴むのも見ることができた。後半の最後に大黒が2点目のゴールを決め、「野人スタイル」で歓喜し、走り回った、あの瞬間をどう表現すればいいのだろう!

Jリーグ・アウォーズについては、アラウージョのMVP受賞は文句のつけようのないものである。33試合出場で33ゴールという活躍は、不安定なディフェンスという欠点を補って余りあるもの。アラウージョがブラジルに戻り、大黒がフランスでプレーするため、来シーズンのガンバは一から出直さなければならない。

2006年のJリーグが、2005年ほどの大成功を収められるかどうかは難しいところだが、ワールドカップが今よりさらに多くの関心を集め、より多くのヒーローを生み出すため、国内の試合内容もさらに進化を続け、Jリーグが日本のスポーツ・シーンを支える重要な要素となる、と私は信じている。

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“バック・トゥー・ザ・フューチャー”未来へ向かうヴェルディ

2005/12/26(月)

映画館やテレビで新旧の名作が上映されるクリスマスから正月にかけてのこの時期は、映画ファンにとっていつも楽しみな季節だ。
映画で言うなら、さしずめラモス瑠偉を新監督に迎えたヴェルディのお気に入りは“バック・トゥー・ザ・フューチャー”だろう。
これは全く予想外の展開ではない。ラモスがシーズン途中で早野監督のアシスタントとしてレイソルに迎えられた時から、すでに噂はあった。
私は正直、彼がそのひらめきとやる気、またサッカーの知識と経験でレイソルをJ2降格から救ってくれるだろうと思っていた。
残念ながら、それは叶わなかった。そして彼はヴェルディをJ1へ復帰・再生させるべく新たな挑戦をすることになった。

ラモス監督にとって、これは決して簡単なことではない。ワシントンは浦和に移籍してしまっていないし、おそらくチームに潤沢な資金はない。
必然的に、来季の読売ランドには多くのニューフェースが集まってくる。ヴェルディ川崎のスターとして活躍したラモス監督は、彼らをチームとして一つにまとめていかねばならない。
来シーズンのJ2は13チームで4ラウンド、各チームが48試合を戦う。ラモス監督がチームを再生する時間はある。
ヴェルディをトップチームに復活させるには、1シーズン以上かかるかもしれない。経営陣も、彼に一晩で奇跡を起こさせようとは期待していないだろう。
ヴェルディには剛と柔のバランスが必要だ。彼のビーチサッカー代表監督としての経験は、有利というより不利になる。二つはまったく異種のスポーツだからだ。
日本でコーチとして名を挙げる素晴らしいチャンスを、ラモスは得た。そして今、ヴェルディは彼の経験と影響をこれまで以上に必要としているのだ。

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英国人には残念な、ブラジルづくしの年の暮れ

2005/12/22(木)

1人の英国人として、2005年の暮れはあまり楽しくはない。
今朝、テレビのスイッチを入れると、あらゆるチャンネルのスポーツニュースでブラジルが話題になっているのだ。
まず、ロナウジーニョが2年連続でFIFA年間最優秀選手を受賞した。
次に、日曜日のFIFA世界クラブ選手権の決勝でリバプールを破ったサンパウロが地元に帰り、トヨタカップのお披露目をした。さらに、サンパウロのGKロジェリオ・セニがMVPとしての活躍を評価され、市の「名誉市民」になった――しかも、この名誉を授与した市長は、サンパウロのライバルであるパルメイラスの熱烈なサポーターだというではないか!
ああ…。そして締めくくりは、先日勝利した試合でバルセロナの一員としてプレーし、スペインリーグがウィンターブレイクに入る前にチームが首位を確保するのに貢献した、ロナウジーニョの姿だった。

だからそう、英国人にとってはどうしても楽しい1日ではなかった。まもなく2006年になり、6月にはワールドカップがあるというのにだ。
ロナウジーニョが最優秀選手を再び受賞したことには、文句はない。だって、彼のプレーはランバードより、エトオよりも見事だったのだから。ロナウジーニョは、現時点では、この星でもっとも魅力的な選手。数年前、マンチェスター・ユナイテッドは彼を獲得するためにどうしてもっと頑張らなかったのだろう。

次にサンパウロについて。まあ、たくさんの人が、横浜でリバプールに勝てた(1−0)のはラッキーだったと言っている。コーナーキックの数はリバプールの17に対してサンパウロは0。リバプールは3つのゴールを取り消された。それから、ルガーノのジェラードに対する荒削りなタックルは退場に値するものだ。
勝敗を決するのは、ゴールの数。コーナーキックの数ではない。リバプールのゴールを取り消したとき、審判は適切な位置にいるように見えた。ただ、3度目はとてもきわどいものだった。それから、ルガーノはレッドカードをもらってもおかしくはなかったが、もし右サイドに流れてきたジェラードに対するあのファウルで実際に退場になっていたら、多くの人が驚いただろう。
そう、サンパウロのディフェンスは素晴らしかった。良いフルバックが2人いて、良いキーパーがペナルティエリアを支配していた。

私は、ベニテスは選択を誤り、用心しすぎて、その代償を払う結果になってしまったのではないかと思う。前半の1分に、ジェラードが右から送ったクロスに合わせたヘディングシュートをモリエンテスは決めておくべきだったが、シュートミスはサンパウロにとって救いだった。ブラジルのチームはまず守り、それから攻撃した。まさに、シンプルなサッカー。
ブラジルが他のライバルたちに対して大きな心理的優位を保ったまま、2006年を迎えるのは間違いない。それでも私は、イングランドがドイツで優勝する可能性もそこそこあるのではないかと感じている。

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双方にとって不可解な小野とレッズの動向

2005/12/19(月)

小野伸二が良い選手であることは、誰もが認めるところである。しかし、浦和レッズが彼を日本に呼び戻そうとしているのは、少々不可解だ。
小野がヨーロッパを出たいと思っているのなら、なおのこと理解に苦しむ。

小野の現在のポジションは明らか。今はケガが回復し、来年6月のワールドカップでプレーできるかどうか様子を見ている状態だ。
ここで言うケガの回復とは、試合に出場できるようになるまでの回復である。
グループリーグ最終戦、ブラジルと対戦する時点まで突破の可能性を残すには、日本は精神的にも肉体的に強くなる必要がある。それというのも、最初の2試合で、タフで闘争的なオーストラリア、クロアチアと戦わなければならないからだ。

レッズにしてみれば、ケガから回復途中の小野を助けたいのだろう。これは素晴らしいことだと思う。小野がケガから完全に復活すれば、チームは日本最高のサッカー選手の一人と契約できるということだ。
とはいえ小野にとっては、浦和に復帰するということは明らかな“後退”だ。

私は以前から、小野にとってフェイエノールトはスペインやイングランドのより大きなチーム、より大きなリーグへの足がかりに過ぎないと思っていた。
彼がケガを避け、ここまで出場機会を奪われることがなかったなら、そうなっていたはずだ。
事実、彼の移籍を準備していたと明かしたフェイエノールトにとって、今回のケガは本当に余計なものだったのだ。ひょっとすると、彼がヨーロッパで自身の可能性を開花させる機会はもうないのかもしれない。

体調万全の小野は見ていてとても楽しい選手。それだけに、彼自身にとって、チームにとって、そして日本のサッカーにとってこれは非常に残念なことだ。
現時点では、小野のレッズ復帰は間違っていると私は思う。彼にはまだ時間がある。ケガを治し、ヨーロッパでのキャリアを続けることだ。
ロッテルダムででは、ないだろうけれど…。

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2006年に甲府市に行く、新しい理由

2005/12/15(木)

来シーズン、レイソルとヴァンフォーレがそろってJ1でプレーできないのというのは、もったいない気分だ。
こんなことを言う理由は主に両チームのファンにある。プレーオフの2試合の雰囲気は、どちらも、まさに「ファン・タスティック」だった。
小瀬陸上競技場では、レイソルがレイナウドの見事なヘディングシュートで先制すると、覚えているだろうか、アウェーのファンはジーンズの上半身を裸にして忠誠心を示したのだ(シャツを脱ぎ捨てたのは男性ファンだけだったのは指摘しておきたい。ただし、記者席からは離れた場所だったし、とくに照明が消えている間ははっきりとは見えなかったけれど)。

なんにしろ、冷え込みのきつい山梨県で、レイソル信奉者の心意気を示した素晴らしいショーだった。ホームチームのファンは良く心得ていて、「Curva Kofu」の周囲にしっかりと密集していた。
プレーオフの「前半」が終了したにすぎないにしても、甲府のファンも結局、2−1の勝利のあとは狂喜した。
そのシーンと雰囲気は、昔の日々を鮮やかに思い出させてくれた。イングランド・FAカップの1回戦、ノンプロのリーグのクラブがプロの下部リーグに所属しているクラブを破ったときは、こんな感じだった。
ノンプロのリーグのチームには肉屋やパン屋、あるいはロウソク立てを作る職人もいたかもしれないが(ここで言うノンプロのリーグとは、フットボール・リーグの傘下にないリーグのことだ。プレミアシップができる前には、4つのディビジョンのリーグが共通の全国的なプロリーグの傘下にあった)、彼らが、良い給料、良い待遇を受けているライバルを相手に大番狂わせをやってのけることがあった。

第2戦では、千葉県の冬の太陽の下、甲府のファンは元気いっぱいゴール裏に集まり、青と赤の色彩はまるでFC東京のサポーターのようだった。
第1戦では、かつて大宮アルディージャでプレーしていた大柄のセンターフォワードのバレーが動きの遅いレイソルのディフェンス陣を大いに混乱させていたが、今回の彼は手が付けられない状態だった。
バレーはなんと6ゴールを決めたのだが、レイソルのディフェンスの間を駆け抜ける姿は、10点だって取れそうなくらいであった。素晴らしいフィニッシュもいくつかあり、とくにゴール前で上手くボールをコントロールし、南の前で絶妙なチップ・シュートを決めた1点目、それから全力のシュートをゴールの上部に決めた3点目は目を見張るものだった。2点目のゴールは、本当のところ、PKを与えるべきではないと思ったが、それもバレーには関係のないことだ。

私は、「No Reysol No Life」のあとに「Without Reysol Where We Go?」と書かれた、レイソルの横断幕が大好きだ。
英語教師のようなことは言いたくないが、「Without Reysol Where We Go?」のところは、誰かが”do”を入れるのを忘れたのだろう。「Without Reysol Where Do We Go?」のほうがよろしいが、レイソルのファンや出資企業の日立にとっては、いまさらどうでもいいことなのだろう。
我々みんなが知っているように、レイソルはJ2に降格し、甲府がJ1に昇格する。
2006年には、城跡や武田神社以外にも、甲府市を訪れる、素晴らしい理由ができるのである。

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徳永の選択はFC東京

2005/12/12(月)

先日、徳永が結局FC東京と契約を結んだという記事を読んで、私は少なからず驚いた。
バレンシアや鹿島アントラーズ入りが噂されていたこともあり、正直、その可能性は低いと思っていた。
最近マカオで行なわれた東アジア選手権で彼と話した時、私は、FC東京など眼中にないという印象を受けた。事実、鹿島の名を挙げたのは徳永自身だったし、闘争心溢れる名良橋の代役にピッタリだと私も思った。
バレンシアについては、正式契約するのではと考えていた人もいるし、12月に2週間ほどトレーニングに行き、そして日本に帰ってくると考えていた人もいるようだ。
しかし結局、彼は極めて妥当な選択をし、早稲田大学に在籍しながら非常に良くプレーしていたFC東京と契約を結んだ。

徳永は才能に満ち溢れた万能選手だ。FC東京では、複数のポジションをうまくこなしていくだろう。
しかし、彼の“ガスマン”(東京ガスはFC東京のスポンサーである)入団は、現在の右サイドバック・加地の将来に疑問を投げかけることになる。
ここ数週間、右サイド強化を図るガンバへ加地が移籍するのではという噂がある。
今シーズン失点が多く、ディフェンスの強化が急務であることが明白なガンバということもあって、つじつまが合う。
また、ガンバとゴールについて語るとなると、フランス2部リーグのグルノーブル移籍が濃厚の大黒のことも外せない。
おそらくグルノーブルは好条件を大黒に提示するだろう。彼にとっても、ヨーロッパ移籍の素晴らしい機会になるだろう。しかし、タイミング的にはあまりにも間が悪い。

ドイツワールドカップまであと6週間しかないのだ。大黒は間違いなくジーコ監督率いる23名の代表メンバーに入ってくるだろう。日本に残留すれば代表のすべてのトレーニングマッチに参加できるし、ガンバでプレーすることで良いコンディションを維持できる。
もしフランスへ行くことになれば、フランスの生活様式に合わないかもしれない。言葉だって難しいし、何より、先発出場の保証さえないかもしれない。それに、グルノーブルだって代表の親善試合の度に大黒を出したくはないだろう。
となると、ジーコ監督の“レーダー”から彼は消えてしまうかもしれないのだ。
そう、あの大久保のように…。

ガンバは大黒に複数年契約を提示した。私は、彼はガンバに残るべきだと思っている。そしてワールドカップでプレーし、得点を挙げる(ブラジル戦がいいな)。それから、より高給で、グルノーブルよりも良いチームへ移籍する。そうすれば、ガンバにもより多くの移籍金が入るというものだ。
これで全員がハッピーになるのではないだろうか。

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勝利と優勝をもたらしたストライカー

2005/12/08(木)

友人に完璧なクリスマス・プレゼントを贈りたいとお考えの方には、「A Miscellany of Football(サッカー雑文集)」がおすすめだ。
これは、Past Times of Oxford発行の小型の本で、表紙に書かれているとおり「サッカーファンが喜ぶ、気の利いたセリフ、ためになる話、名言」が満載である。
名言のなかには、アストン・アストン・ビラとダービーカウンティで監督を務めたジョン・グレゴリーの言葉も入っている。
「ストライカーは勝利をもたらすが、ディフェンダーは優勝をもたらす」というのがそれだ。

ただし、これはガンバ大阪にはあてはまらない!
ガンバの場合、まったく正反対。リーグ戦34試合で58ゴールも許したのに、幸運にも84ものゴールを挙げ、その結果、勝利が次々と転がり込んできたのだ。
だからガンバでは、ストライカーが勝利をもたらし、さらに優勝をももたらしたのである。

12月20日のJリーグ・アウォーズの夜、アラウージョがJリーグMVPに選ばれると私が考える理由も、そこにある。33試合で33ゴールという記録は文句なし。土曜日の等々力での2ゴールは、見ているだけで楽しくなるものだった。
最初のゴールは、フェルナンジーニョとのワン・ツーのあと、左足でボールをカーブさせ鮮やかにファーポストの内側に決めたもので、キーパーにはどうすることもできないシュート。また、2点目のゴールは、生粋のストライカーらしく、どんぴしゃりの時間に、どんぴしゃりの場所に完璧なタイミングで走りこみ、至近距離から決めたものだった。

マン・オブ・ザ・マッチやシーズンMVPを選ぶとき、私は、決勝ゴールや複数のゴールを挙げた選手を避けがちだ。それでは安易すぎる。それよりも私は、もっと堅実で、あらゆる局面でチームに貢献した選手、派手でなくともチームに不可欠な働きをした選手を好むのである。
おかしな選考基準だと思われるかもしれないが、たとえば、レアル・マドリードなら、ベッカムでも、ジダンでも、ラウールでも、ロビーニョでもなく、やっぱりエルゲラ! 彼は私好みの選手で、いつも素晴らしい仕事をしている(アルゼンチンのハビエル・サネッティも同じようなタイプの選手)。

しかし、2005年のJリーグではアラウージョ以上に賞にふさわしい選手は考えられないし、来シーズン、彼がガンバでプレーしないのはとても残念だ。
エスパルスからアラウージョを獲得するという決断をした人物は、それが誰であれ、大いに賞賛されてしかるべきだ。アラウージョがいなくてもガンバが優勝したとは、とても思えない。
それとは別に、ガンバがあんなにたくさんのゴールを許した理由を探すのも難しいことではない。寺田がヘディングで決めたフロンターレの1点目を見れば明らかだ。ガンバのディフェンスはコーナーキックの時、すでにフリーでヘディングするチャンスを寺田に与えていた。その時は、ボールはバーの上を越えたが、その後すぐにまたフリーになるチャンスを与えてしまい、今度は寺田がチャンスをものにしたのである。

ディフェンスのミスはあったが、ガンバは立派なチャンピオン。34試合を終えた後の順位表はうそをつかないのだ。
アラウージョには、さらにたくさんのトロフィーが与えられるだろう。得点王と、そして、おそらくMVPのトロフィーが…。

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ヴェルディよ、現実とJ2での戦いに立ち向かえ

2005/12/05(月)

土曜日(12月3日)に行なわれるヴェルディのJ1最後のホームゲームが盛り上がらない理由は、何ひとつない。
ヴェルディは何週にもわたって低迷しつづけ、先週の土曜日にJ2降格が決まった。
全員(選手、役員、そしてサポーターも)が陰気に悲嘆に暮れるより、むしろ、ヴェルディ魂と自信を新たに築き直すことだ。そして、終わってしまった過去にとらわれることなく、新たなチャレンジを見つめるべきなのだ。

来季、ヴェルディは初めてJ2でシーズンを過ごす。そして皮肉にも、新たに改善されたアジアチャンピオンズリーグへの初出場が決まっている。
だが、残念がってばかりはいられないし、過去の栄光を盾にJ2は楽勝だなどと楽観視していてはいけない。
34試合を終えた順位表は、嘘をつかない。ヴェルディはJ2に落ちるべくして落ちたのだ。彼らはその結果を真正面から受け止めるべきだし、さらにその結果を糧とすべきなのだ。選手たちの涙など見たくない。握りしめた拳(こぶし)、ファイティングスピリット、そして来季への希望こそが見たい。
アジアチャンピオンズリーグの場も、彼らを鍛えてくれることだろう。特に韓国チャンピオンと対戦することは、J2でシーズンを過ごす彼らにとって大きな利益になるはずだ。

個人的には、ヴェルディの衰退には驚いている。
シーズン開幕当初、私はヴェルディを優勝候補のダークホースとして名前をあげた。マリノス、アントラーズ、そしてジュビロのような明らかな優勝候補ではないが、全てがうまくハマれば可能性は十分あったはずなのだ。
私がヴェルディをダークホースと考えたのは、前のシーズンの天皇杯優勝、加えてワシントンと戸田の獲得したことによるものだった。
ワシントンのことはヨーロッパや日本のいくつかのチームが狙っていたが、ヴェルディが獲得レースに勝利した。ワシントンの(プレー)態度やそのゴールの数に、クラブは満足しているだろう。

戸田は、特にミッドフィールドでヴェルディが必要としていた芯と経験をもたらすだろうと思っていた。小林慶行や小林大悟は、技術はある。しかし必要とされていたのは、キーンやビエラ、スーネスのような闘志溢れる選手だった。私は戸田こそピッタリだと思ったのだが、彼は早々にアルディレス監督の信頼を失い、フラストレーションに満ちたシーズン終了と共にヴェルディを去るようだ。
とはいえ、ヴェルディは全てを失うわけではない。平本と森本がチームに残れば、来季はJ2最強の攻撃力を誇ることになる。

しかし何より重要なことは、一時代を築いた誇りと情熱を再び見つけることだ。
これは教えてもらうことではなく、来シーズン選手自身がしなければならないこと。そう、再びトップチームに返り咲くために…。

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すべてのプレッシャーはセレッソに

2005/12/01(木)

土曜日はどうなるのだろう?
いつもと同じように、Jリーグ・ウォッチャーには魅力的なオプションがいくつも用意されている。
しかし、今週の土曜日、シーズン最後の土曜日は、特別だ。
実際、5つのチームにまだ優勝の可能性があるという、信じられないような状況になっているのだ。

最近でも、優勝争いが最後までもつれたシーズンは何度かある。たとえば2003年のセカンドステージでは、久保がホームの磐田戦で最後の最後にゴールを決め、マリノスの優勝が決まったが、各チームが33試合を終えてこのような状況になったことはない。
今回はセレッソが主導権を握っている。セレッソは2位のガンバに勝点1差をつけており、ホームの長居スタジアムでFC東京と戦う。
FC東京に勝つのは容易なことではないだろう。ホームチームにはありとあらゆるプレッシャーがかかるだろうし、長居も――そうなって欲しいのだが――めずらしく満員になると予想されている。

セレッソは、過去にも同じような立場に立ったことがある。5年前のファーストステージは、ホームでの最終戦で川崎フロンターレに勝たなければならなかった。延長戦での勝利に与えられる勝点2(古いシステムが廃止されて、良かったと思いませんか?)でも十分だったが、負けてしまい、マリノスが国立競技場でどんでん返しのファーストステージ優勝を祝ったのである。
今回、セレッソはプレッシャーに対処できるのだろうか? どうなのか判断しがたいところではある。今季ここまで、セレッソにはまったくプレッシャーがなかったからだ。しばらくの間はガンバとアントラーズのマッチレースだったが、誰も気づかぬうちにセレッソが優勝戦線に浮上し、現在は優勝に最も近い位置にいるのだ。

優勝の行方は、自力優勝の権利を持っているセレッソ次第ということになる。
もしセレッソが失敗し、引き分けあるいは敗れるとしても、ガンバは等々力で川崎フロンターレに勝つために十分なモチベーションと決意を持って戦えるだろうか?この質問への答えも、やはり分からない。ここ数試合の敗戦で、ガンバは自信ではなく、疑心暗鬼のかたまりになっているに違いない。
セレッソと2差の勝点56の位置には、まだレッズがいるし、アントラーズもジェフもいる。
レッズはビッグスワンでアルビレックス新潟戦。アントラーズがホームに迎え撃つのは、またも悲惨なシーズンとなり、今回もJ1残留のためにプレーオフを戦わなければならないレイソル。ジェフはホームで名古屋と戦う。

33試合を消化した時点でこのような状況となるのはきわめて異例のこと。Jリーグのプランナーも、1996年以来の1ステージ制のシーズンがこれほどドラマチックな結末を迎えるとは予想していなかっただろう。
こうなったのも、思い切って2ステージ制を廃止したから。できれば2ステージ制はもう見たくない。

とはいえ、問題が1つある。Jリーグには、優勝トロフィーとそのレプリカがいくつあるのだろう? 土曜日には、優勝チームに授与するために5つの別々の都市で、5つのトロフィーを用意しておかなければならないのだ!

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ありがとう、ジョージ・ベスト!

2005/11/28(月)

美しい秋晴れの東京。太陽は明るく輝き、そしてひんやりと心地よい朝。
しかし同時に、とても寂しい朝となった。数時間前、ジョージ・ベストが59歳で亡くなったという知らせが飛び込んできたのだ。
アルコール依存症に、彼はついに勝つことができなかった。そしてそれは、彼のあまりにも早すぎる死へとつながってしまった。

BBCワールドでは、ノンストップで彼への追悼番組を放送している。当然のことなのだろうけれど、現時点で彼のことを取り沙汰すのはあまりにも不適切で不公平に思えてしかたない。
ジョージは、そのプレーで人々の記憶に残るのだろうか?それとも、その贅沢三昧の私生活でだろうか?
もちろんサッカーがなければ、彼にセレブとしてのライフスタイルはなかった。

日本の若い読者の多くは、ジョージ・ベストを知らないだろう。そしてこれから、彼のことなど聞いたことがないという人が増えていく。サッカーは、日本ではまだまだ新興スポーツなのだ。
ジョージはサッカー選手であると同時に、エンターテイナーだった。彼は速く、バレリーナのようなバランス感覚を持ち、そして何より勇気があった。彼がボールを持つとディフェンダーは恐れおののいた。立ち向かってくるディフェンダーを、彼は思いのまま手玉にとったものだ。
時にそれは、まるで闘牛を見ているようだった。ジョージがケープをまとい剣を手にし、戦いに疲れ果てた雄牛がまるで早く殺してくれと言わんばかりのよう。

ジョージ・ベストがまだマンチェスター・ユナイテッド(マンチェスター・U=イングランド)に所属していた頃、私のホームタウンチーム、ハリファックス・タウンと対戦したことがある。
それは、ワトニーカップと呼ばれるプレシーズンの大会。ワトニーカップは前シーズンに各4つのディビジョンで最も得点を挙げた4チームによって行なわれていたが、廃止になって久しい。
70年代前半、あの強豪マンチェスター・Uがハリファックスの質素なシェイスタジアムに来たのだ。その日は雨。私たちの前に立っていた1人の女性が傘を差したので、後ろの男性たちが「前が見えない」とひと悶着おきたっけ…。
当時、男たちは傘など持ち歩かないものだった。雨に濡れることを気にするほどヤワではない。彼らは雨をよけるためにハンチング帽をかぶり、さらにタバコが濡れないようにした。何せ、彼らは試合中ずっとタバコを吸っていたのだ。
そしてもちろん、皆立って試合を観ていた。当時は、座席シートなどは金持ちのためのもの。真のファンは雨の日も雪の日も吹きっさらしのテラスに立ち、寒さを堪えるために足踏みしながら観戦し、最後の5分は、試合終了と同時に駐車場やバス停にダッシュできるようゲートの前で観ていた。

とにかく、なんとあのジョージ・ベストがシェイスタジアムに来た。そして、さらに彼はPKを外したのだ。それこそ30年以上も前のこと。私の記憶が正しければ、彼はあまりにも緩く蹴りすぎ、ハリファックスのGKに容易にキャッチされてしまった。
彼のチームメートで、名ウィングだったウィリー・モーガンが得点を挙げたが、試合はハリファックスが2−1で勝った。なんという大番狂わせだっただろう!

イギリスの誰もが、“5人目のビートル”と呼ばれたジョージ・ベストの生涯を、引退した後も追いかけてきた。多くの人が彼を助けようとしたが、結局できなかった。
そう、今日はあまりにも悲しい土曜日だ。皆さんには是非、テレビのニュースを見てもらいたい。そして、買えるものならビデオを買って見てもらいたい。彼はそれほど優れたサッカー選手だったのだ…。

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降格は世界の終わりではない

2005/11/24(木)

いつかはそうなる運命だったのだろう。
ヴィッセル神戸のJ2降格が決まった。
実際のところ、ここ数シーズンずっとその恐れがあったわけだが、ヴィッセルはひたすら頑張って今年まで持ちこたえてきた。しかしついに、J1の地位を失ってしまったのである。
もちろん神戸のファンにはつらい日々だろうが、降格は世界の終わりではない。

1970年代にマンチェスター・ユナイテッド(マンU)がイングランドのトップリーグから降格したことを記憶している。マンUはそれから力をつけてトップリーグに戻り、以降、どんどん強くなった。
とはいえ、ヴィッセルにとって皮肉なのは、三木谷浩史氏が資金を提供するようになって2シーズン目に降格が決まったことである。
次々と投資がなされれば、ヴィッセルは後に誕生した「楽天ゴールデン・イーグルズ」と共に強くなってゆくのではないかと期待されていた。

しかし、結果はその反対。イルハン・マンスズは広告塔としては立派だったが、選手としては調子が上がらず、高価な無駄遣いとなった。短期間の日本滞在で彼がとてもリッチになったことは間違いない。
パトリック・エムボマも体調が不十分。彼を獲得したこと自体が不思議でもあった。ヴィッセルは明らかに「ネーム・バリュー」あるいはスター性を求め、三木谷社長がオーナーとなった最初のシーズンで2度も手痛い仕打ちに遭った。
それよりずっと良かったのは、三浦淳宏の獲得だろう。三浦淳は三浦知良に代わって今季途中からキャプテンを務めたが、短い蜜月の期間はあったものの、彼のリーダーシップもチームを救うことはできなかった。
フェアに評価すれば、ヴィッセルもシーズン半ばに効果的な選手獲得をいくつかしていた。たとえば、マリノスから遠藤、アントラーズから金古を獲得したし、チームにとって今季3人目の指揮官となったパベル・ジェハーク監督も、チェコの選手たちを呼び寄せた。

ヴィッセルがJ1残留に失敗したという事実は、Jリーグがどれほど質的に向上したかを示している。最近では層がかなり厚くなり、降格ゾーンから逃れ、残留を確実にするには、大分のように安定した成績を残さけなればならないのだ。
2つか3つ勝って、またスランプに陥るというのは、スランプの間に下位チームが調子を取り戻して上位に立ってしまうので上手くいかない。
最初に言ったように、神戸にとってはつらい日々になるだろう。とくに三木谷社長は、純粋に市の誇りになるようなチームを作ろうとしていたので、なおさらだ。

日曜日、降格が決まったあとの三木谷社長のコメントは心強いもので、ヴィッセルは1シーズンでJ1に復帰し、今後もトップクラスのチームを作るという目標に変わりはないと語っていた。
来シーズン、ヴィッセルは44試合を戦うことになる。これで忍耐強くチーム作りができるし、再建のチャンスにもなる。
問題の多い船出だったが、三木谷社長がサッカー、そしてヴィッセルから離れて行かず、またファンも同じように行動するよう期待しよう。

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レッズファンはアルパイの暴力行為には驚かない

2005/11/21(月)

さぁ今回は、アルパイ・オザランは誰のせいにするつもりだろう?
レフリー?
(対戦相手の)スイス代表?
それとも、鈴木隆行?

先週半ばに行なわれた2006年ワールドカップ(W杯)欧州予選のプレーオフ、トルコ対スイス戦のハイライト(いやむしろローライトと言うべきか)を皆さんがご覧になったかどうかわからないが、試合終了後のシーンは衝撃的なものだった。
この試合はトルコが4−2で勝利を挙げたが、アウェーゴールのルールが適用されスイスがドイツW杯の出場権を獲得した。試合後、選手たちがピッチから走って退場しようとしていた時、スタンドから“ミサイル”が飛んできた。
世界でも最も熱狂的なスタジアムの一つ、イスタンブールでは、これは避けようがない。何せ、数年前にはリーズ(プレミアリーグ)の2人のサポーターが刺し殺されるという事件が起きたスタジアムなのだ。

1人のスイス選手が、トルコのチームトレーナーを追い越す際に彼の左足を蹴飛ばした。そして、1人のトルコ選手がそれに報復しようとしたのだ。
レッズファンの皆さん、それが誰かわかりますか?
そう、アルパイ。アルパイがスイス選手を後ろから蹴飛ばした。ただし、トルコのチームトレーナーを蹴飛ばした選手ではなかった。
これが発端となり、ロッカールームへ向かう通路でのレスリングマッチへと発展した。実際、私にはあの場に浜口京子やアニマル浜口がいたようにさえ思えた。
これは恥ずべき光景なのだが、アルパイの場合は予想の範囲内のものだった。
彼はデビッド・ベッカムへの“口撃”によりプレミアリーグを追い出され、韓国では所属チームを飛び出し、さらに、度重なる規律違反の結果浦和を解雇された張本人なのだ。

シーズン開幕日のさいたまスタジアムの天気も、今日のようにすっきりと晴れていた。そんな日に、アルパイは鈴木隆行への暴力行為で退場になった。
レッズのスタッフやファンが鈴木を責めるのはたやすいことだ。しかし、彼がフリーキックを獲得するためにそうした手(テ)を使うのは、周知の事実だ。
アルパイが鈴木の策にまんまとハマり、彼のアゴを掴んで退場になったという事実は他の誰でもなくアルパイ自身のせい。年齢と、そして経験から、彼はもっと物事を理解しているはずなのである。しかし明らかに、彼は理解していなかった。そして今、FIFA(国際サッカー連盟)から選手資格を剥奪される可能性さえある。

アルパイが、ピッチの外ではとてもフレンドリーで礼儀正しい。日本にいた頃の彼を知っている人間は、みな口をそろえてそう言う。
しかしながらいったんピッチに立つと、彼の頭上を“赤い霧”が包んでしまう。レッズも、この霧の被害者だ。今回の乱闘騒ぎで、レッズは彼を解雇したことが正しかったと感じただろう。

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セレッソの注目は小林采配

2005/11/17(木)

今年のJリーグで最も予想が難しいものの1つは、シーズン最優秀監督賞の行方である。
優勝チームの監督はもちろんだが、それ以外にも何人か候補がいる。
その1人に必ず入ってくるのが、セレッソ大阪の小林伸二監督だ。
小林監督はチームに奇跡をもたらし、残り4試合となった時点でも、セレッソ大阪にはリーグ優勝の可能性が残っている。

土曜日の午後、私は味の素スタジアムでセレッソがヴェルディに1−0で勝利した試合を観戦した。セレッソのパフォーマンスは、これといって特別なところはなかったが、それでも勝点3をとってしまった。これは、良いチームの証である。
もちろん、ヴェルディには少なくても1点、ひょっとすればそれ以上の得点を挙げるチャンスがあった。試合後、ヴェルディのバドン監督が指摘したように、ヴェルディには8回から10回のチャンスがあった。しかし、いずれも実を結ばなかったのだ。もう少しシュートを多く打っていれば何とかなったかもしれないが、自信を失いかけているチームによくあるように、選手は自分自身を信頼できず、ボールと、それから責任をチームメイトに引き受けさせようとしていた。

途中出場の平本は調子が良さそうで、やる気もみなぎっているようだったが、枠内にシュートが飛んでいかなかった。元気のいい玉乃も自力で素晴らしいチャンスを作ったが、やはり枠内に飛ばない。
しかし、こんな場面はほんの一例に過ぎず、全体的にはセレッソにとって苦しい試合だった。チャンスはほとんどなく、後半44分、古橋が見事なフリーキックを蹴り、ようやくこの試合唯一のゴールを高木が守るゴールマウスのニアポスト下隅に決めた。
セレッソが勝点3を獲得するには、この1点で十分なはず。ブルーノ・クアドロスが終了間際に負傷したふりをして、チームを同点の危機に導こうとしていたのは余計だった。ロスタイム、ブルーノ・クアドロスが自陣ペナルティーエリア内で倒れたときには、彼には何も起こっていなかった。私は、彼がすぐにピッチに戻ろうとするのを許さなかった奥谷レフェリーに拍手を贈った。
実際、チームメイトと一緒にリードを守るためにプレーしていなければならないときに、ブルーノ・クアドロスがタッチライン沿いに立ってピッチに入る許可を待っている間、ヴェルディが同点に追いつき、このウソつきなセレッソ選手を懲らしめてやればよかったのにとも思った。

現在、セレッソは勝点53。首位ガンバとの4ポイント差は変わっていないが、直前の勝ち試合は、ゼ・カルロス、久藤、西沢といったレギュラークラスを数人欠いた状態でのものだった。
中盤の中央でプレーしている布部と下村は純粋な意味での繋ぎ役。バックの前田は見るたびに上手くなり、古橋は知性があり、よく動き回るフォワードだ。
小林監督は素晴らしい仕事をしている。しかし、最優秀監督賞の行方は予断を許さない状態だ。

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JFAが注目するなか、西野監督はプレッシャーをはねのけられるか

2005/11/14(月)

ガンバ大阪にとって、特に西野朗監督にとって、試練の時だ。
3週間前、ガンバは少なくとも1つ、いや、2〜3のタイトルだって取れるのではないかと思わせるほど好調だった。
27試合を終え、ガンバは鹿島アントラーズに5ポイントの差をつけリーグ首位。そして、ジェフ千葉とのナビスコカップ決勝、さらには天皇杯が控えていた。
しかしホームでの大分戦、アウェーでのFC東京戦の連敗で鹿島に1差と迫られ、今では5ポイントのなかに5チームがひしめいている。

このようななか、ガンバは先週ナビスコカップ決勝に臨んだが、結果は0−0の引き分け。PK戦の末、ジェフに敗れた。
3冠の夢は断たれた。しかしガンバと西野監督はリーグ初制覇を成し遂げ、関西初のJリーグタイトルをもたらすだろう。
彼らの目標はハッキリしている。とはいえ、鹿島には優勝するだけの力が十分あることは証明済みだし、浦和レッズだって、昨年セカンドステージ制覇した実績がある。
首位を死守しようとするガンバにすべてのプレッシャーがかかるなか、こうした優勝争いの経験は極めて重要である。

一方、鹿島には、2000年に就任1年目で3冠を達成し、これまでに日本の全タイトルを獲得してきたトニーニョ・セレーゾ監督がいる。
今年はセレーゾ監督の最後の年。彼が去るという発表は、チームの結束を強めたに違いない。誰もが、特に選手やサポーターは、多大な貢献をしてくれた彼を良い形で見送ってあげたいところだろう。
こうした結束、経験、そして静かな決意はシーズン終了間際になってチームを鼓舞する大きな原動力となる。一方のガンバには、ここまで好調だっただけに首位を守ろうというプレッシャーがかかる。

数年前、西野監督はレイソル時代にナビスコカップを制し、リーグでもセカンドステージ制覇目前までいったことがあった。その時はセカンドステージ最終日、国立競技場での鹿島戦がスコアレスドローに終わり、優勝できなかった。
ワールドカップが終わり、ジーコが去った後、日本サッカー協会(JFA)が日本人監督を候補として考える場合、ガンバの優勝は西野監督を日本代表監督の有力後継者に押し上げるだろう。
もちろん、西野監督には今は他に考えることがたくさんあり、日本代表監督のことまで考えていられない。とはいえ、この数週間、数ヶ月先、JFAにとっては重要な要因となっていく。
もしガンバが首位の座を守りきり、西野監督がこのプレッシャーをはねのけることができれば、この元オリンピック代表監督は来年夏にはジーコの後継者の最有力候補になることだろう。

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オシム発言から生まれた「FIFAワールドプレミアリーグ」構想

2005/11/10(木)

ジェフがナビスコカップの決勝戦でガンバ大阪を破ったあと、ジェフのイビチャ・オシム監督から(いつものように)面白い発言が出た。
オシムは、優勝という結果は素晴らしいが、クラブが得られるのは賞金だけであるとし、ナビスコカップ優勝の価値について疑問を呈した。
オシムは、ナビスコカップとヨーロッパのカップ形式の大会を比較していたのである。ヨーロッパでは、国内カップ戦の優勝チームには次のシーズンのUEFAカップ出場権が与えられるからだ。
UEFAカップはヨーロッパでは2番目のクラスのクラブ大会。実入りが多く、ゴージャスな欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)とは比べものにならない。
しかしそれでも、ヨーロッパ規模の大会への出場権は、国内のカップ戦に対する意欲を高める大きなインセンティブとなっている。

ナビスコカップ決勝戦のあと、共同通信のインタビューでオシムは、ナビスコカップの優勝チームに次のシーズンのUEFAカップ出場権を与えてはどうだろう、と語っていた。
もちろん、冗談だと思う。だって、日本のクラブがヨーロッパでプレーできるわけがない。
不可能、ですよね?

まあ、カザフスタンが所属先をアジアからヨーロッパに鞍替えしたのはそれほど前のことではないし、オーストラリアもオセアニアからアジアに移ってきた。
ヨーロッパがもっと金儲けをしたいのなら――最近のサッカー界では皆そうだが、日本のチームを招待して、欧州CLかUEFAカップへの参加を認めるなんてことも、ありえる話だ。テレビの放映権料や関連グッズの販売、チケット収入などで、かなりの金額になるだろう。

言うまでもないが、遠征や日程という難問もあるだろうし、アジアの統括団体はおそらく参加を認めないだろう。
しかし、将来のことなんて誰にもわからないし、欧州CLが発展して「FIFAワールドプレミアリーグ」なんてものができるかもしれない。そうなれば、出場チーム総数は12くらいで、試合は国内リーグ戦とヨーロッパのカップ戦のスケジュールの合間に組まれるようになり、なにかと問題のタネになりつつある、FIFAの定めたインターナショナルマッチデーは廃止されるだろう。

そりゃあ、私だって、突飛で、非現実的なコンセプトであるのはわかっている。しかし、サッカーの世界はどんどん狭くなっており、全世界からの需要を満たすには新しいアイデアが必要なのだ。
FIFAワールドプレミアリーグ。う〜ん、私にはそう悪くないように思える。
11月の、風が強くて、じめじめした水曜日。市原臨海競技場でのジェフド対バルセロナなんて試合。
ロナウジーニョは、この真剣勝負の場でマーカーを務める、実力と意外性を備えた斉藤を何回くらいかわせるのだろう!
ま、たぶん、そこのところはオシムがうまくやるだろうけどね。


 

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天皇杯に取って代わるナビスコ杯

2005/11/07(月)

土曜日だ。カップ戦の決勝だ!
イングランドで言うなら、シーズンの幕を下ろすFAカップ。これは夏休みに入る直前、5月に行なわれる。
日本でカップ戦決勝といえば、最近ではリーグカップのことを指す。日本のFAカップにあたる天皇杯に代わって、ナビスコがスポンサードするこのイベントが年々重要になってきている。
天皇杯は、通常はシーズン終了まで本格的には始まらない。そうはいっても、有力クラブにとっての天皇杯はシーズンの初めにすでに始まっているのだ。

私はこのシステムがどうしても好きになれない。すべてのチームが天皇杯を真剣に戦っていると言えないからだ。さっさとシーズンを終わらせ、長い休暇を楽しもうとしている。
サポーターも、さほど興味を持っていないようだ。正月の決勝戦以外は観客もそれほど入らない。ここは晴れの舞台。天気もたいがいスッキリと晴れ渡り、サッカーには完璧のシチュエーションだ。チームもここまで頑張ってきて、声援を送ってくれたサポーターのためにもトロフィーを獲得し、長い1年にピリオドを打ちたいところだ。
天皇杯だって、以前はシーズンの最後を飾る一大イベントだったのだ。そして、国内サッカーをより高い水準に引き上げた。
しかし時は流れ、Jリーグの素晴らしい成功と共にサッカー文化が日本中で育ってきた。

ナビスコカップも天皇杯も、完璧とは言えない。しかし外国人である私の目には、ナビスコカップの方がより価値のあるタイトルに映る。
土曜(11月5日)に国立競技場で行なわれるナビスコカップの決勝戦。どちらが勝つとしても好ゲームになるだろう。
ガンバ対ジェフ、万年劣等生対万年優等生の対決。関西(のガンバ)はどうしてもタイトルが欲しい。一方のジェフにとっては、思慮深い経営陣、こじんまりとしたホームタウンのサポーター、素晴らしいコーチと才能溢れる地元選手たちの集約を証明するチャンスだ。
土曜日は、サッカーにとって素晴らしい1日になるだろう。

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マカオで光る伊野波

2005/11/03(木)

ここマカオで、土曜日の午後に東アジア大会の日本とチャイニーズ・タイペイの試合を観戦しているなんて、妙な気分である(チャイニーズ・タイペイとは台湾のことだが、中国を刺激しないためという政治的な理由でスポーツ団体ではこのような名称を使っている)。
なんにしろ、マカオ理工科大学の運動場のメインスタンドに足を踏み入れると、いつものように青いシャツを着た熱心なサポーターたちがいて、そのうちの1人が太鼓を叩き、もう1人が歌の指揮をしていた。
驚いたことに、彼らはチャイニーズ・タイペイから来たサポーター。“Taiwan”の文字がプリントされた青のスカーフを振り、おそろいの青のTシャツの背中には“Soul? Just”というスローガンが入っていた。
日本で見る多くのスローガンと同じように、私には全く意味がわからなかったが、このような文化的衝突はいつも楽しいものだ。

日本はとても良いプレーを見せ、後半に4点を決めて6−1で勝った。
とはいえ、チャイニーズ・タイペイは強い相手ではなく、とくにバックが弱点。大柄のセンターフォワード小松が優位さを生かし、2ゴールを挙げた。187センチのこの選手は関西学院大学でプレーしており、第2の平山といったところ。
また、オランダで行なわれたワールドユースでキャプテンを務めた兵藤(ただし、今回のチームでは徳永がリーダーとなっている)が、長い距離からドライブがかかった見事なシュートを決めた。彼にはどうやらファンクラブもあるようだ。

試合後、私はフェンス越しに桜の花が付いたプラスチック製の枝を振り、選手たちの注目を引いていた数人の日本人に取材を試みた。
彼らが持っていた横断幕の1つには、“Hyodo – Pride of WMW”と書かれている。“WMW”は、Waseda(早稲田)Maroon(えび茶)White(白)の略で、かなりしゃれているが、正直言うと、私には20歳の学生の選手にこんなに熱心なサポートがいることが驚きだった。

日本のチームでは、セントラルミッドフィルダーの伊野波(宮崎出身・阪南大)が本当に気に入った。
伊野波のプレーを見て、私は、伊藤卓がキャプテンを務め、中田英寿もいた1994年インドネシアのユース日本代表で熊谷(浩二)を初めて見たときのことを思い出した。ディフェンスの少し前にいた伊野波は、中盤のスィーパーのようにルーズボールを処理し、タックルやパスのようなシンプルなプレーを正確にこなしていた。
基本的なことを言っているように思われるかもしれないが、正確なパス、安全なパスを仲間に送りつづけることは、ことあるごとに華々しいスルーパスを狙うのと違ってかなりの自制心と成熟度が必要とされるのである。

今夜(水曜日)、日本はメインのマカオスタジアムで韓国とあたるが、すでに準決勝進出は決まっている。
マカオでの日韓戦。そのあとはポルトガル料理のレストランでディナーと赤ワイン。それからたぶん、新しくできたオシャレなカジノにくり出し、ヴィッセル神戸を買えるくらい大勝ちするかもしれない(笑)。
そう、サッカーライターは大変なのだ――でも、誰かがこの仕事をやらないとね!

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もっと女子サッカーをサポートしよう

2005/10/31(月)

オリンピックでの女子サッカーの参加国を10ヶ国から12ヶ国へと増やす。国際オリンピック委員会(IOC)のこの決定に、国際サッカー連盟(FIFA)は当然のごとく歓声を上げた。
これは女子競技の価値を正等に評価したもので、人気が上がっていることの表れでもある。
例えば昨年、男子サッカーと同じように感動的でドラマチックだった2つのスポーツシーンがある。
1つ目はアテネオリンピック予選、国立競技場で行なわれた北朝鮮戦の快勝。そしてもう1つは、アテネオリンピックで強豪スウェーデンに劇的な勝利を収めたこと(1−0)だ。
いや、正確に言うと、試合はアテネではなくギリシャ北部の都市で行なわれたんだけれどね。

16個もの金メダルを取った日本だが、この試合はオリンピックのハイライトとして記憶に残るものだ。奪った得点はわずか1点だったが、あと2点は取れていた(澤穂希はあまりにもアンラッキーだった)。決意と魂のこもったプレーを見せ、試合終了のホイッスルがなった時には、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンに感激の涙を流させた。
その後は連敗したが、女子代表は国民に誇りをもたらし、Lリーグに新たな息吹を生む環境を作り上げ得たのだ。

女子の試合は、男性から批判を受けることが多い。これは私も長年同じように感じていた。パワフルでない、展開が遅い、テクニックにばかり注目が集まる、などである。
しかし、女子サッカーはフェアプレー精神にあふれており、ダイビングや、怪我を装った時間稼ぎはほとんど見られない。例えばスウェーデン戦。日本は試合終了間際にさまざまな作戦をとることもできた。しかし彼女達はオープンに、そして笑みさえ浮かべながらプレーし続けた。それは近代サッカーに見る爽やかな変化であったと言える。

10チームというのは良くない。12チームでも完璧とは言えない。ただし、北京ではおそらく4チームずつ3グループに分かれてリーグ戦を戦い、8チームが準々決勝に駒を進めることになるだろう。すなわち、各組の上位2チームと3位のうち上位2チームが進出する。
個人的には、この方式には大きな不満がある。8チームが準々決勝に進むのなら、10チームや12チームでなく16チームが望ましい。
しかしFIFAは現状を踏まえて動かなければならない。そう、北京では12チーム(に増える)ということなのだ。
今回の、参加チーム数増加の決定は、至極当然のことだと思う。そして、女子サッカーは世界中のサポートを受けて然るべき競技なのだ。

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ツネが最優先すべきはW杯

2005/10/27(木)

宮本恒靖は、必ずしも幸運に恵まれた選手というわけではない。
2002年のワールドカップでは、骨折した鼻を保護するためにバットマンのようなマスクをつけ、その名を馳せた。
現在、リーグとカップの2冠——ひょっとすると天皇杯も奪取して3冠になるかもれないが——に向けまい進しているガンバにあって、宮本は右ヒザの故障により約1ヶ月間の欠場を強いられている。
負傷したのは土曜日。調子を上げきている大分トリニータにホームで敗れた(1−2)試合の終了間際で、ガンバは数分の間に二重のショックを受けた。

11月5日に行なわれるジェフとのナビスコカップ決勝を欠場するのは確実なようで——もっとも、最近では本当の回復期間はなかなか予想しにくいのだが、ガンバに忠誠を尽くしてきた宮本にとってはなんとも残念なこととなった。
しかしナビスコカップの決勝が控えていようと、シーズンの残り試合が控えていようと、宮本本人は無理に復帰を急いではならないと自覚しているだろう。
理由は簡単。2006年のワールドカップが最優先事項だからだ。
じん帯が完治しないまま早期に復帰し、ケガが再発すれば、宮本はずっと厄介な問題を抱えることになってしまう。
数週間の欠場が数ヶ月になればワールドカップに向けた日本代表の強化スケジュールに頭から参加するのは不可能になるだろうし、大方の人々と同じく宮本も、代表で実績を築いてきた選手を信頼し続けるというジーコのやり方は理解しているだろう。

今後数週間は、宮本がワールドカップで活躍するために重要な意味を持っている。宮本は根気強くなり、日本代表の一員であることを自覚してガンバへの愛着を自制しなければならない。
もちろん、宮本がいるといないとではナビスコカップの決勝は違ったものになるだろうが、故障が予想以上に長引かなければ、リーグ戦の終盤には復帰の準備が整うだろう。
右足が完治し、その上でリーグ・チャンピオンとしてJ1のシーズンを終えることができれば、ついに宮本が幸運を感じるときが来るのかもしれない。

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中国人スター選手はクラブ経営にとってプラス?

2005/10/24(月)

「彼らが日本人選手と契約すれば、それはクラブ経営にとっても有益であり、日本企業のスポンサーを獲得できるかもしれない」
こんな文章を読むのには、私同様みなさんもうんざりしているはずだ。
え、意味がわからないって?
では、こんな風に変えてみよう。
「日本のクラブがこの選手と契約すれば、クラブの経営にとって有益であり、彼の母国での成功に多くの利益が付随してくる」

ここでいう“国”は中国だ。では、選手というのは…?
申し訳ない。いまここで彼の名前をみなさんに明かすわけにはいかないのです。彼はまだ中国でプレーしている。正体をバラせば、所属しているチームと揉めごとが起きかねない。

しかし彼は良い選手だし、国際経験も豊富。そして何より、日本でプレーすることを望んでいる。Jリーグ入りを打診している彼の代理人の手助けをしているので、よく分かっている。
現時点では具体的に移籍の話を進めているわけではなく、そのための相談をしている段階。私もまだ10%のコミッションを要求しているわけではない(笑)。
冗談はさておき、実現すればいいなぁと思っている。

まず、先にも述べたように彼は良い選手だ。中国の国内リーグは現在メチャクチャな状態。彼はもっと良い環境でプレーすべきだと思う。
第二に、Jリーグに外国人プレーヤー獲得の場をさらに広げてもらいたいし、もっと創意工夫のある選手獲得をしてもらいたい。
フロントはブラジル人に洗脳されているのではないかとさえ思う。海千山千の代理人によって、世間知らずの日本のクラブが三流選手を一流の年俸で売りつけられているのを折にふれて目にする。

多くのトップクラス韓国人選手がJリーグでプレーするなか、中国人選手はというと、ヨーロッパでは孫継海(マンチェスター・シティ)、李鉄(エバートン)、范志毅(クリスタルパレス)らがプレーしているものの、Jリーグには非常に少ない。
もちろん、代理人はその選手がどれだけクラブ経営に役立つかを力説するのだが、中国人選手は非常にリーズナブルだ。
日本のチームがトップクラスの中国人選手と契約すれば、彼の母国のファンだけでなく、日本に進出している中国企業からのサポートも期待できる。また一方ではチームの親企業(例えば三菱、日産、トヨタなど)は中国市場でのビジネス拡大を狙うことだってできるのだ。
その選手が3人の外国人枠に入れるほど良い選手であれば、お互いにとってメリットのある話で、私は、彼がその条件を十分に満たしていると自信を持って言える。近いうちに、みなさんもこの件について耳にすることになるだろう。
もし実現したら、私も10%のコミッションを要求することにしよう。
いや、20%もらおうかな(笑)。

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妥協を拒んだJFAのマッチメーク

2005/10/20(木)

11月16日に東京で行なわれる親善試合の相手をコートジボワールからトーゴに変えた、JFA(日本サッカー協会)の断固たる姿勢を評価したい。
当初はコートジボワールが来日する予定だったが、ディディエ・ドログバをはじめとするベストメンバーが揃わないことが明らかになり、日本は代わりにトーゴを招くことを決めた。
この決定に、チェルシーは大喜びしているにちがいない。大金を払って獲得した選手がシーズン半ばに日本まで往復し、国際親善試合で負傷するというリスクを負うのは、チェルシーにとって最も好ましくない事態だからだ。

その一方で、コートジボワール・サッカー協会にとっては大金を手にする機会がフイになった。おそらくJFAは相当な額を支払う用意があったと予想される。
JFAは、数年前のナイジェリア戦での失敗を教訓にしたのだと思う。
その試合は日本が3−0で勝ったが、ほとんど冗談のようなもの。代表戦でのゴール奪取率を大幅にアップさせた高原以外の関係者にとっては、まったくの時間の無駄であった。

私事で申し訳ないが、もうすぐ私の誕生日で、この時期になるとあの試合を思い出すのだ! ナイジェリアは5人の交代枠を埋めるだけの選手もいなかった。ベンチにいたのは確かキーパーの交代要員を含めた4人だけ。まさに日本への侮辱そのものだった。
その夜で記憶に残しておくべきことといえば、国家を歌った男性が着けていたナイジェリアの伝統的な被りものだけで、ひょっとすると、その男性が被りものを脱ぎ、背番号16のユニフォームを着てナイジェリアベンチに座るのではないかと思っていた。

今回は、JFAは毅然とした態度をとり、コートジボワールとの交渉を打ち切りトーゴを新たな交渉相手とした。
トーゴは楽しみな相手である。コートジボワールと同様、トーゴもワールドカップ初出場の国だ。今予選、アフリカでは革命とも呼ぶべき動きがあり、セネガルやカメルーン、ナイジェリアといった国々が予選で脱落した。
トーゴはベストメンバーを派遣すると約束したが、さて、ベストメンバーでなかった場合に、それに気づく人間がいるのだろうか? 重要なのは、トーゴが今回の試合を真剣に受け止め、そこで得られる経験や人々の注目、そしてもちろん現金に見合うだけのプレーをするかどうかである。
国立競技場での茶番劇のような試合は、もうごめんこうむりたい。

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いま大阪に注目が集まる!

2005/10/17(月)

今週末は大阪に要注目だ。
ガンバかって?
いやいやセレッソのことだ。

ここで、J1の順位表とスケジュールを見てみよう。ひょっとすると、日曜の午後には状況が一変してしまっているかもしれない。
これまでにJ1で何が起こってきたかを忘れてしまったという方のために、一度整理してみよう。26試合を終了し、ガンバが勝点51で首位に立っている。2位は同48でアントラーズ、そして同43でセレッソが3位につけている。
現時点でまだ8試合、勝点にして24ポイントが残っている。そう、まだ何が起こるかわからない。
もしかすると、今週末にその“何か”が起こるかもしれない。

ガンバは土曜夜にヴィッセルとアウェーで対戦する。紙上の予想では、ガンバが勝点3を手にすることはほぼ間違いない。
しかし関西同士の対戦。ヴィッセルは何としてもヴェルディと5差の最下位から脱出したい。もちろん、最下位のチームが首位のチームを破るのは大きな驚きだが、仮に31ポイントの差がついていたとしても、同じ地域のチーム同士の戦いでは何が起こるかわからないものだ。

日曜日には、アントラーズが静岡スタジアムでジュビロと戦う。こちらは同地域のチームではないが、これは伝統ある(あくまでJリーグでの話だが)チーム同士の、まさに日本の“エル・クラシコ”(伝統の一戦)である。
勝点42で4位につけているジュビロも、まだタイトル争いから脱落したわけではなく、勝機は十分にある。
セレッソはというと、好調だった開幕当初から一転し、現在はJ2降格ゾーンに低迷中の大宮アルティージャと、土曜日にホームで対戦する。
仮に、ヴィッセルが関西ダービーでガンバ相手に金星を挙げ、ジュビロが“Jクラシコ”でアントラーズを下し、そしてセレッソが長居スタジアムでアルティージャに勝つとしよう。
すると、順位はガンバ(勝点51)、アントラーズ(同48)そしてセレッソ(同46)となり、首位から3位までの間がわずか5ポイントに縮まるのだ。

セレッソにプレッシャーはない。ガンバ、アントラーズ、レッズ、そしてマリノスが注目を受けながらしのぎを削ってきたその間に、静かに順位を上げてきた。大宮戦も、リラックスして試合に臨めるだろう。
ガンバとアントラーズがまるでボクサーのようにがっぷり四つに組み合う横で、セレッソはこれまでどおり、マイペースで戦えば良いのだ。

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FIFA裁定の犠牲となったウズベキスタン

2005/10/13(木)

土曜夜のウズベキスタン対バーレーン戦は、見ていて気の毒な試合だった。
特に、前半早々にバーレーンが先制点を挙げたとき…。
その後すぐに同点に追いついたものの、ホームチームに同情せずにはいられなかった。
あるテレビ解説者が言っていたように、FIFA(国際サッカー連盟)は、ウズベキスタンにペナルティキック(PK)が与えられた前半39分から再開することにした方が、より公正だったと思う。

そのときはウズベキスタンが1−0と1点リードしており、PKが成功すれば2−0になるはずだった。
もちろん、最初の試合の話ではPKは決まった。しかし日本人の吉田主審は当然ながらゴールを認めなかった。キッカーがボールを蹴る前に、ウズベキスタンの選手がペナルティ・エリアに入っていたからだ。
しかし吉田主審は、ウズベキスタンにPKのやり直しを命じる代わりに、バーレーンに間接フリーキックを与えたのだ——近くにいた副審や第4の審判が吉田主審に助言しなかったのも、いまだに信じられない。

再試合となった注目の第2戦を1−1の引き分けで終え、両チームは水曜日にバーレーンのマナマで第2戦を戦う。
第2戦ではバーレーン有利と予想されるが、ウズベキスタンにはピッチ上の誰よりも経験豊かなカシモフや、シャツキフという好調なストライカーがいる。
1994年のアジア大会を観るために広島を訪れたのを、私は今も憶えている。そのときも左利きの将軍カシモフがウズベキスタンの中盤におり、ウズベキスタンはビックアーチでの決勝で中国を4−2で破って金メダルを獲得したのである。
ほかにも、ゴールキーパーのシェイキン、センターバックのティホノフ、左ウイングバックのレベデフ、攻撃的ミッドフィルダーのアブドゥライモフ、決定力のあるフォワードのシュクイリンらが記憶に残っている。

それから11年が経ち、ウズベキスタンはまだワールドカップ予選を勝ち抜いていないが、もしバーレーンで敗れ去るのであれば、不当な裁定の犠牲になったと言わざるをえない。
最初の試合のあと、ウズベキスタンは3−0の勝利とするよう申し立てたが、これはあまりにも欲張りすぎ。FIFAに却下された。
前半39分から試合を再開しても、結果がどうなるかなんて誰にも分かりはしないのに…。ウズベキスタンがPKを外すかもしれない。そうなればゲーム全体の流れが変わり、ひょっとするとバーレーンが4−1で勝つかもしれないのだ。逆にPKが決まったなら、バーレーンが一気に崩れ、ウズベキスタンが5−0で勝つことになるかもしれない。
これがサッカーの面白いところである。何が起こるかなんて、誰にも分からない。そして、物議をかもす元となる事象が発生する可能性があちこちに潜んでいるのも、サッカーなのである。

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アジア年間MVPは誰に?

2005/10/10(月)

2005年アジア年間最優秀選手を選ぶとしたら、あなたは誰を選びますか?
どうしてこんなことを聞くのかと言うと、今年もまたこの時期になったからだ。クリスマスと同じで、年々早くやって来るような気がする。
中田英寿? いや、彼が良かったのは後半の半年間だけだ。
中村俊輔? コンフェデレーションでの活躍、そしてセルティックサポーターも彼を気に入っている。しかし俊輔ファンの皆さん、残念ながら彼でもない。
元PSVで現在はトットナムに所属し、2002年ワールドカップ(W杯)で頭角を現して以来、進化を遂げている李榮杓(イ・ヨンピョ)だろうか? 彼はエキサイティングな左サイドプレーヤーだ。しかし、彼がMVP? いや私はそうは思わない。

なぜ私がこの3名を挙げたかと言うと、金曜日にアジアサッカー連盟(AFC)が発表した10名の候補者リストに彼らが入っているからだ。リストにはサウジアラビアから3名(なぜ?)イラン、日本、そして韓国から各2名、そしてウズベキスタンから1名が名前を連ねている。
投票権を持つのは、AFCの執行委員と加入45ヶ国の代表チームの監督、そしてAFCのパートナーであるワールドスポーツグループである。
投票者は3名の選手を選ぶ。1位の選手には5ポイント、2位の選手には3点、そして3位の選手には1ポイントが与えられ、10選手のうち最もポイントの多い選手がMVPとして11月30日に表彰される。

私なら誰にするかって?
そうだなぁ…単に、所属チーム、いやアジアチャンピオンズリーグだけでなく、母国以外のリーグで活躍している選手であるべきだと思う。
自身の名前、国、そしてアジアを世界に知らしめた、誰か。
以前の中田のように、より高いレベルでプレーできることを証明し、アジアのサッカーを知らしめた、誰か。
そう、まさに朴智星(パク・チソン)のような。

彼は2002年W杯で準決勝に出場し、その後PSVのメンバーとして欧州チャンピオンズリーグ準決勝に出場(2005年)、そして現在はマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)でプレーしている。
京都パープルサンガでプレーしていたこともある彼こそ、2005年の年間MVPにふさわしいのではないだろうか。
彼にはその資格が十分ある。受賞してもらいたいものだ。

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やっぱりカズから目が離せない

2005/10/06(木)

キングは、どうしたってニュースになってしまうようだ。
ほんの数週間のうちに神戸から横浜、そしてシドニーへ。三浦知良の光り輝くスター性が改めて立証された。
今週のはじめ、カズの横浜FCからシドニーFCへの期限付き移籍が決まり、この日本のスポーツ界の代表的存在が、12月に日本で開催されるFIFA(国際サッカー連盟)の新たなイベント、世界クラブ世界選手権に出場できるようになった。

今回の決定は、オーストラリア側にはなかなかの広報効果をもたらした。シドニーFCはイベントを通して熱狂的な日本人ファンの応援を期待できるだろう。
ご存知のとおり、オーストラリアはオセアニア連盟からアジア連盟への移籍についてFIFAの承認を受けている。そしてシドニーの関係者は、今回のカズの移籍が2つの国、2つの大陸を結ぶ架け橋になるものと期待を寄せている。
また、カズが最善を尽くし、仕事のあらゆる場面でプロフェッショナルな態度を貫くことも、関係者は知っている。練習場でも、スポンサーやメディア、同僚、ファンに対しても、カズはプロフェッショナルなのである。
かつてほどの勢いやきらめきはないかもしれないが、ハングリー精神や野心は失っていないし、宣伝効果やファンへの対応といった面で、シドニーの投資に応えるシーンが数多く見られるだろう。

イベント主催側も万々歳だろう。シドニーFCが、応援するクラブのない開催地・日本のサポーターの楽しみになるからだ。
アジアチャンピオンズリーグで横浜F・マリノスとジュビロ磐田はノックアウトステージに進めず、エメルソンを補強したアルサドも最近敗退した(これ以上浦和レッズのファンを刺激したくないので、この件に関するコメントは差し控えたい)。
しかし今、カズがシドニーFCのメンバーとしてプレーするだけでなく、サンパウロとリバプールが南米とヨーロッパの「ビッグ2」となっているので、チケットも順調にさばけることだろう——マリノスとジュビロが早々と脱落してしまった後、この点がFIFA(それから電通)の悩みの種だったに違いない。

カズに関して言えば、たとえ2〜3ヶ月であっても素晴らしい都市に移ることになる。
オーストラリアでは、サッカー(オーストラリア式フットボールという独自のブランドのフットボールがあるためオージーたちもサッカーと呼ぶ)はラグビーリーグ(13人制ラグビー)やラグビー・ユニオン(15人制ラグビー)、クリケット、オーストラリア式フットボールの後塵を拝する存在だが、関係者たちは、1993年の日本でのJリーグ発足時と同じように、新たに創設した「A−リーグ」をアピールするための活動を続けている。
カズにとっては、今回の移籍は英会話が上達するチャンスでもある。英会話の能力は、世界を股にかけた長い選手生活に終止符を打ったあとも、彼のキャリアに大いに役立つはずだ。

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ジーコ最大の悩み

2005/10/03(月)

2006年ドイツワールドカップ代表の選考へ向け、ジーコは最も大変な頭痛を抱えることになる。
東欧遠征2試合のメンバーリストを見て、さらにオールスター戦や諸事情のために代表から外れている顔ぶれを見ると、それがよく分かる。
GK3名と数名のDFは別として、MFとFWのポジション争いはますます熾烈になってきている。
ラトビア戦とウクライナ戦の4人の代表ストライカーは鈴木、柳沢、高原、そして大久保だが、しかし他にも大黒、玉田、田中、巻、さらには久保も控えている。
MFは明らかに日本の強み。したがって23人の代表メンバー(うち3人はGK)を選ぶとき、ジーコがFWを4人以上選ぶとは思えない。

現状では、私なら鈴木、柳沢、大久保、そして大黒を選ぶ。
このメンバーならジーコジャパンに安定性と意外性の両方を等しく与えられる。鈴木もしくは柳沢をトップに置き、大久保がサポートに回る。そして大黒はベンチに控え、相手ディフェンダーが疲れ、オープンスペースが生まれるのを待つのだ。
では高原はどうするのか?
ワールドカップはドイツで開催される。そして高原は現在ドイツのハンブルグでプレーしている。そんなことは重々承知のうえだが、いざとなればジーコは情などを見せないだろう。
ここ最近、高原はコンスタントにプレーしているとは言いがたい。事実、テヘランでのイラン戦(1−2で敗戦)での高原は酷いもの。ボールもコントロールできず、自信さえ失っている状態だった。

鈴木、柳沢、大黒へのジーコの信頼は篤い。さらに玉田はレイソルでの調子がいまひとつとは言えジーコのお気に入りだ。
大久保も同じくジーコのお気に入りなのだが、有り余るほどの素質を持ちながらも大久保は完成品からはまだ程遠い。達也(田中)と巻は、あくまで万が一の時の保険のようなものだ。
では久保は? おそらくジーコは、体調面に不安を残す彼を既に候補から外しているだろう。
この2試合の遠征は、高原にとって自身を証明する重要な機会になるだろう。

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勝つため?それとも楽しませるため?

2005/09/29(木)

たいていの場合、アーセン・ベンゲル(アーセナル監督)の話は道理が通っている。
しかし、勝点制度を変更し、各チームがよりたくさんの得点を挙げるのを奨励しようというアイデアは、まったくの的外れである。
アーセンのプランというのは、3−0や5−2といった3点差以上で勝利したチームにボーナスポイントを与えるというものだ。
そうすれば、2−0でリードしているチームも攻撃を続ける気になり、これまで以上の「エンターテイメント」がファンに提供されるようになると言うのである。

このアイデアはどうだろう?
正直言って私は気に入らないし、フランスのこのプロフェッサーにしてはあまりにも短絡的な提案だと思う。
また、サッカーは勝つためにやるものなのか、それとも楽しませるためにやるものなのか、という疑問も感じる。

何年も前だが、イングランドの北東部でサンダーランドが退屈で全くリスクを冒さないサッカーをし、石にしがみついてでも1部残留を果たそうとしていたことがあった。
とりわけ面白みのない試合のあと、1人の記者がサンダーランドのアラン・ダーバン監督に、もっとファンが喜ぶような試合をしようとは思わないのか、とたずねた。
すると監督は「エンターテイメントが見たいのなら、サーカスに行けばいい」と答えた。「私がしなければならない仕事は、サッカーの試合に勝ち、チームを1部に残留させることだ」。

ファンというものは勝者に味方するもの。1994年ワールドカップの決勝で、0−0の引き分け後にブラジルがPK戦でイタリアに勝ったとき、多くのブラジル人が失望したとは思えない。
ドゥンガとマウロ・シルバが中盤にいたこのときのブラジルチームは、際立って創造的でも、楽しくもなかったが、ローマリオという傑出したストライカーがいたし、ベベトという最適な補佐役もいた。
ブラジル代表といえば、常に楽しく攻撃的で、天賦の才に裏打ちされたサッカーが連想される。しかしこのときのメンバーには、栄光の1970年以来手にしていないワールドカップトロフィーを奪還するために、自分たちはより現実的に、より組織的に、よりヨーロッパ的にプレーしなければならないという自覚があった。

現在のアーセナル、そして他のプレミアリーグのチームにとっての癪の種は、チェルシーばかりがいつも、しかも僅差で勝っているということである。チェルシーにはジョゼ・モウリーニョという抜け目のない監督がいるが、この監督は攻撃すべきときと、店じまいをすべきときを心得ている。
大半の監督にとって、完璧な結果とは1−0の勝利なのだろう。
しっかり守り、決勝点を奪い、それからゲームを締めくくる。
時には面白みに欠けるが、チームが勝っていればファンは文句を言わないだろう。
だから、サッカーとは勝つためにやるものであり、喜ばせるためにやるものではない。両方が揃っていれば申し分ないが…そう、1970年のブラジルのように。

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名匠ロブソン・ポンテ

2005/09/26(月)

これまで何度となく見た光景ではないだろうか?
浦和レッズの“ナンバー10”がゴールを挙げ、チームが勝利を収める。
いや、もちろんエメルソンのことではない。彼はもういないのだから。
私が言っているのは、エメルソンに代わってやって来たロブソン・ポンテである。

ここでハッキリさせておかなければならない。ポンテは横浜F・マリノスに移籍した山瀬の穴を埋めるために移籍してきたのであって、エメルソンから受け継いだのは背番号だけ。ポジションも違う。
事実、数週間前の日曜日、私がレッズの大原グランドへエメルソンを探しに行った時にはすでにポンテは来日しており、レバークーゼン(ドイツ・ブンデスリーガ)からの移籍が決定する直前だった。
エメルソンの代わりのストライカーとして獲得したのはトミスラフ・マリッチだが、レッズのゴールゲッターでありヒーローだった“エメ”が中近東の金持ちクラブへ移った衝撃をポンテが和らげてくれた。

エメルソンもポンテも、大して変わらないのではないだろうか。
エメルソンは瞬発力と爆発力で相手のディフェンスをこじ開ける、いわば正面の窓をぶち破るタイプ。ポンテはより繊細で創造的。ポンテはまるで腕利きの錠前師のように慎重に鍵をこじ開け、裏口から侵入する。
ポンテは移籍以来6試合に出場し、すでに4ゴールを挙げている。これはMFとしてはこの上ない数字。だからこそレッズはまだ優勝争いに残っているのだ。

24試合を終え、ガンバ(勝点47)とアントラーズ(勝点46)の上位2チームが優位に立っているが、レッズも勝点40で3位につけており、まだそれほど離されていない。
レッズの希望は、土曜日に吹田市で行なわれるガンバ対アントラーズ戦が引き分けに終わり、ホームで行なわれる対横浜F・マリノス戦で勝点3を得ること。ただ、勝点32の10位でタイトル争いから脱落したとはいえ、マリノスはさいたまスタジアムの大観衆の前で、プライドを賭けてレッズに立ち向かってくるだろう。
シーズン終了まで残り10試合。すなわちまだ勝点30がかかっている。上位下位を問わず、全てのチームが戦い続ける。

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モナコ、ベンゲル、名古屋…デシャン?

2005/09/22(木)

数年前、正確には1994年のことだが、私は仕事でアラブ首長国連邦(UAE)にいた。
アブダビスタジアムの記者席に向かう途中、スタンドに見覚えのある顔を見つけた。
最初、顔と名前が結びつかず、アジアサッカー連盟担当の同僚に、スタンドにいるあの上品なヨーロッパ紳士は誰だったかなと聞いた。
同僚が名前を言うと、『ワールドサッカー』誌に掲載されていた記事と写真がすぐに思い出された。
その人物は、アーセン・ベンゲルだった。
ベンゲルは7年間務めたモナコの監督を辞めたばかりで、FIFA(国際サッカー連盟)の主催するコーチングコースの指導者としてUAEにいたのである。
次の立ち寄り先は日本。ベンゲルは私にJリーグのことを尋ね、サンフレッチェのバクスター監督とは知り合いなのだと言っていた。しかし、名古屋グランパスエイトとの交渉に応じるつもりだとは一言も言わなかった! その後のことは、ご存知のとおりだ。

私がこのシーンを思い出したのには、2つの伏線がある。
1つは、日曜日にネルシーニョを解雇した名古屋が、新監督を必要としていること。
もう1つは、モナコを率いていたディディエ・デシャン監督が月曜日に辞任したことだ。
2つの出来事には、何らかの関係があるのだろうか?
あるかもしれないし、ないかもしれない。
サッカー界では何があってもおかしくない。デシャンにヨーロッパ各地から多数のオファーが寄せられるのは確実だが、同じチームで監督を務めたベンゲル同様、彼も気分を一新したいと考えるかもしれない。

1998年のワールドカップ・フランス大会のときのスピーチでベンゲルが語ったのは、Jリーグで自分がいかにリフレッシュできたかということ。フランスに幻滅していた、とも話していた。当時はマルセイユの八百長スキャンダルでもちきりだったからで、日本での滞在はベンゲルに希望と楽観主義をもたらした。その恩恵を受けたのがアーセナルで、それは今も変わっていない。

ベンゲルの場合:モナコ→名古屋→ハイバリー(アーセナルの本拠地)
デシャンの場合:モナコ→名古屋? その可能性はある?

名古屋には、デシャンを獲得するだけの金銭的余裕がある。それは間違いない。また、 名古屋は必死だ。つまり、状況を一変させられる大物監督がどうしても欲しいのである。
天皇杯で2度優勝したほかには、名古屋はJリーグのタイトルを獲得していない。ベンゲル時代に惜しいところまでいったが、ステージ優勝も、ナビスコカップ制覇も果たしていないのである。
おそらく私は、偶然の一致から大胆な結論を導こうとしているのだろう!
しかし、考えてみる価値はある。デシャンには充電が必要だと判断した場合、ベンゲルならきっと、日本に移るべきだと勧めるだろう。

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生き残りをかけるレイソル

2005/09/19(月)

ラモス瑠偉のマジックは健在なのだろうか?
その華奢な脚や素早く器用な足ではなく、サッカー頭脳のことである。
柏レイソルには何かが必要だった。ここまで何をやっても結果は同じ、リーグ下位に低迷し、忠実で情熱的なサポーターを苛立たせてきた。

ラモスが早野宏史監督のアシスタントコーチとして“イエローサブマリン”――黄色を身にまとい、常に底をウロウロしている現状のレイソルにふさわしい――に加わったのは、今週のこと。
チームは、この長髪の元日本代表MFの存在が、練習でも、またピッチ上でも選手達に良い刺激を与えてくれるだろうと期待している。
私はここ2〜3年間、レイソルについて良い選手が揃っていて下位に低迷するようなチームではないと言ってきた。そして、それは現在でもそうだ。
にもかかわらず、何もかもがうまく機能しない。監督を代えたり、外国人選手を入れかえたり、さらには経験豊富な日本人選手を呼んでみたり…。それでもレイソルは低迷し続けている。
おそらくこれは技術や能力ではなく、自信やモチベーションの問題ではないだろうか。だからこそ、このチームにとってラモスが貴重な存在になり得るのではないか。

タッチライン上にラモスがいることで選手達は鼓舞され、恐れたり自信を喪失した状態でプレーするのではなく、サッカーを楽しみ、リラックスしてプレーできるようになるかもしれない。
レイソルは調子を取り戻し、FC東京のように順位を上げていくのではないかと思えるときがある。
しかし再び手ひどい敗戦を食らい、元の木阿弥になってしまう。

土曜日には、ラモスとレイソルは首位争いを展開するガンバ大阪をホームに迎える。これは新たなスタートを切るための良いチャンスだ。
23試合を終え、ガンバは勝点47を挙げているが、これはレイソルより23ポイントも多い。
首位を走り、2位以下に少しでも差をつけたいガンバと、15位でわずか2ポイント差に降格ゾーンが目前に迫っているレイソル。

レイソルが人気のあるラモスと契約したのは興味深いことだ。しかし早野監督にとってみれば、有名なアシスタントを得たことでさらにプレッシャーを受けることにもなるだろう。

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アラウージョのいないオールスターなんて!

2005/09/15(木)

もういいじゃないか!
これが「オールスターゲーム」?
じゃあ、Jリーグで初タイトルに向け邁進(まいしん)するガンバ大阪の原動力となっている選手はどこにいるんだ?

Jリーグは12日、「2005 JOMOオールスターサッカー」(10月9日・大分)の出場選手を発表したが、そこには、23試合で24ゴールをマークしているアラウージョの名前はなかった。
オールスター出場選手は1チームにつき3名までというルールがある。そのためガンバからは宮本、遠藤、大黒の代表トリオが選ばれ、素晴らしい左足を持った魅惑的なストライカーの出場は叶わなかったのである。
アラウージョの落選を例に挙げるまでもなく、オールスターゲームは今シーズン限りでやめるべきだ。
今年だけではなく以前にも書いているが、オールスターはすでにその役目を終え、「賞味期限」を過ぎているように思える。オールスターというのはサッカー界では異質なコンセプトで、すでにぎっしり詰まっている試合日程をさらに厳しくするといった意味しかなく、選手から見れば、正直言ってあまり出たくない催しになっているのではないだろうか。

今年も、オールスターは日本代表の東欧遠征(2試合予定)の間に組まれているため、ジーコは10月8日のラトビア戦ではベストメンバーを組むことができない。
関係者はこのイベントの開催を――あるいは「開催しないことを」と言ったほうが適切かもしれないが――長期的かつ厳しい視点に立って検討し、そろそろおしまいにしたほうが良いと心から思う。
もちろん当初は、新たなプロリーグに対するファンの関心や共感を喚起するために意味あるイベントだったが、現在、Jリーグは日本のスポーツ文化のなかで確固たる地位を築いている。そしてファンも純粋に、特定のクラブを応援することで競技を楽しむようになっている。まあ、この話はここまでにしておこう。

オールスターゲームは、いつもスポンサーからの手厚いサポートとJリーグの見事な運営によって行なわれている。JOMOには別の形でサポートしてもらうようにすることもできるはずである。
たとえば、バークレイズ銀行が冠スポンサーとなっているイングランドのプレミアリーグ(名称は「Barclays English Premier League」)のように、「JOMO Jリーグ・チャンピオンシップ」といったような冠名によるサポート方法もあるだろう。
あるいは、「JOMOシーズン最優秀選手」なんていうのはどうだろう?
イベントスポンサーになり、「JOMO Jリーグ・アウォード」という方法もあるかもしれない。そう、「JOMOオールスターサッカー」以外のどんなものであっても大丈夫だろう。シーズン終了後に発表されるMVPの有力候補であるアラウージョが出ないことで、オールスターの魅力はさらに損なわれているのだから。

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完璧なお手本、ガンバトリオ

2005/09/12(月)

今シーズンのJ1でガンバ大阪が好調なワケを説明するのは、難しいことではない。
得点ランキングを見れば、それは一目瞭然だ。
アラウージョは21ゴールを挙げ、ヴェルディのブラジル人ストライカー、ワシントンに6差をつけてランキングトップ(編集注:第22節終了時点。以下全て)。
大黒将志が日本人トップの14ゴールで3位、そしてフェルナンジーニョが5ゴールを記録している。

さらに注目すべきは、3選手とも22試合すべてに出場しているということ。全試合先発フル出場でなくても、常に試合に出られる状態ということだ。
試合数が増え、怪我やイエローカードはある意味避けられないなか、これはガンバにとって大きなプラス要因となっている。
古傷に触れるようだが、エメルソンが出場停止になることなく常に出場していれば、浦和レッズは何勝できていただろうか。
日本にやってくる外国人選手にとって、プロとしての姿勢を示すことは非常に大事だ。ガンバの第3のブラジル人選手、シジクレイがその典型である。

数年前、栃木グリーンスタジアムで行なわれた天皇杯の名古屋グランパスエイト戦でのことだが、私は当時モンテディオ山形に所属していた彼がPKを外すのを見た。
あれは確か1998年。当時日本代表を率いていたフィリップ・トルシエ監督がオリンピック代表候補だったグランパスのストライカー、福田健二を見に来ていた。
こんな例えを持ち出すのはシジクレイには申し訳ないが、彼がいかに長きに渡って活躍しているかという現れ。その勤勉さと高いプロ意識で、彼は今やガンバのトップに登りつめた。

シジクレイとその仲間達は、このまま首位に残れるだろうか?
個人的には、彼らはやってくれるだろうと思っている。シーズン開幕直後、さいたまスタジアムでの浦和戦を見て、私はとても感心した。選手達も初優勝が目前にあるのだとよく理解している。
もちろん、まだ予断は許さない。数週間は混戦が続くだろう。しかし重要なことは、アラウージョ、大黒、フェルナンジーニョの3人が証明しているように、ピッチ上でやるべきことをやり続けることなのである。

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中田浩二にチャンス到来

2005/09/08(木)

ジーコジャパンの最大の収穫の1つは、加地亮を見出し、育てたこと。
最大のマイナス点の1つは、中田浩二を積極的に起用しなかったこと。
しかし、これからはそうではなくなるかもしれない。というのも、水曜日の夜に行なわれるホンジュラスとの親善試合の先発メンバーに、ジーコが中田浩二の名を挙げているのだ。

4−4−2と3−5−2のどちらのフォーメーションでも守備的ミッドフィルダーは2人必要で、それは浩二の本来のポジションだ。しかしジーコは彼をあまり重用しようとしてこなかった。
トルシエ時代の浩二は、ミッドフィルダーではなく3バックの左サイドではあったが、不動の先発メンバーだった。
だから、ジーコが中田浩二を中盤のエンジンルームに配置し、同じく欧州組の選手で2002年ワールドカップのヒーロー・稲本潤一と並べてプレーさせるのは楽しみだ。
この2人が組めば、稲本が前線に駆け上がったときに中田浩二が守備陣の前で留まるような形になり、攻守のバランスが上手くとれるようになるはずである。

中田浩二は試合をとてもよく読める選手で、チームのテンポとバランスを保てる。また年齢の割に経験も豊富で、マルセイユへの移籍によりその個性はますます際立ったものとなっている。
私は、試合の前後に歴代の鹿島アントラーズの監督たちに何度もインタービューしてきた。そこでいつも出てくるのが、中田浩二だった。
監督たちは前述したような浩二の資質を褒め、“鹿島オーケストラ”の指揮者は中田浩二だと言っていた。
ただし、代表チームのこのポジションは競争が激しい。小野が招集できる状態だったなら、中田浩二は選ばれていなかったかもしれない。
個人的には、守備的ミッドフィルダーの先発は小野と浩二が一番いいと思う。そのときには稲本と福西が控えに回るのだが、この4人はワールドカップの代表選考でも明らかに有利な立場にある。

しかし、ワールドカップはまだ先。選手たちにはドイツのことを考える余裕などまだない。サッカーの常套句を使えば、選手たちは目の前の試合を大切にすべきで、そこで自身の長所をアピールし、そして何より、どんな状況でもコンスタントに高いレベルのプレーができることをみせなければならない。
今回、浩二にチャンスが与えられた。彼ならきっとチャンスをものにするだろうし、日本代表チームはこれからさらに良くなるだろう。

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宮本と石川の正しい決断

2005/09/05(月)

最近、二人の日本人選手がトレビソ(イタリア・セリエA)への移籍を拒否したという記事を頼もしい気持ちで読んだ。
土曜日には宮本恒靖が移籍を正式に断り、ガンバ大阪残留を決めた。
その3日後には石川直宏が、同じくFC東京残留を決めた。
ここ3〜4年、宮本はヨーロッパへの移籍に興味を持っていたが、今回の移籍話はタイミングが悪いと感じたようである。
あまり考える時間はなかったが、家族のこと、そして直近の将来を考えて大阪に残ることにしたという。
宮本は正しい判断をしたと思う。

ワールドカップ(W杯)は目前。彼は日本代表のキャプテンだ。W杯へ向けての準備では、その中心的な役割を担わなければならない。
その確かなものを、不確かなものと交換する必要など全くないのだ。
セリエAで低迷するチームでレギュラーとしてプレーできずに自信を喪失するかもしれず、イライラがつのり、家族やプライベートライフにまで影響を及ぼしかねない。
一方、ガンバ大阪はリーグの首位争いをしている。ナビスコカップやさらには天皇杯も狙えるだろう。
ツネはガンバで仲間と一緒に優勝したいと語った。それはまた、関西のサッカーの起爆剤となるかもしれない。
ツネは次回を待つという。おそらくそれは来年夏のドイツW杯後。小笠原がそうだったように、W杯は全ての選手にとって自身の質と価値を披露する絶好の機会なのだ。ツネの場合、英語が堪能ということはきっと大きな助けとなるだろう。

一方、石川はどうだろう。
彼の場合はトレビソに移籍したとしても充分納得できただろうと思っている。FC東京は足踏み状態(どちらかというとやや後退していると言うべきか…)。石川がW杯の日本代表に選ばれるチャンスは限りなく低いだろう。
私個人としては、彼が代表に選ばれるのを見たい。彼はペースメーカーにもなれるし、攻撃でもチームに力を与えられるからだ。
しかしジーコ監督の目に留まるチャンスがある限り、そこでプレーし、選出されるよう願いつづけなくてはならない。トレビソに移籍すれば、チャンスは全く消えてしまうかもしれなかった。
日本だって、そう悪くはない。隣の芝がいつも青いとは限らないのだ。

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苦境に光る、三浦淳宏

2005/09/01(木)

3試合で勝点7。なかには浦和レッズと引き分けた試合もある。
まるで優勝争いをしているチームのような成績。
でも、そうじゃないんだなぁ。これは優勝争いとは正反対の位置にいる、ヴィッセル神戸の成績なのだ。

8月20日のJ1再開以来、ヴィッセルはホームで名古屋グランパスエイトを破り、浦和でレッズと引き分け、その後ホームで大分に勝利した。
勝点19で順位はまだ最下位であるものの、17位の大分と勝点で並び、低迷している他のチームも視界に入ってきた。
この復活の触媒となっているのが、新キャプテンの三浦淳宏である。

先日の夜、駒場スタジアムでの彼のフリーキックをご覧になっただろうか?
ゴールまでおよそ35メートルの地点からの絶品のフリーキックで、全力で蹴り、しかもカーブがかかっているというデビッド・ベッカム並みの右足フリーキックだった。その後もアツの活躍は続き、土曜日にトリニータに勝利した試合でも、レッズ戦ほどスペクタクルなものではなかったがゴールを決めている。
明らかに、アツはキャプテンとして、それからウイングではなく攻撃的ミッドフィルダーとして、自身の役割を楽しんでいるようである。
右利きの左バックだったアツだが、ヴェルディではスランプに陥り、相馬崇人(ここ数試合は体調不良で欠場中)にポジションを奪われてしまった。
アツに必要だったのは新たにチャンレンジする機会で、神戸にはそれがあった。
シーズン当初とは構成ががらりと変わってしまったチームで、アツはピッチの内外でリーダーとなっている。また、ピッチ上での顔ぶれも変わり、バックには金古とマルティン、中盤には遠藤彰弘、前線にはイヴォが入るようになった。

一連の補強は、1シーズンに松永とエメルソン・レオンという2人の監督を唐突に解任したクラブをJ1に残留させるために、オーナーの三木谷浩史が打った最後の策のように思える。
ヴィッセルの3人目の監督、パベル・ジェハークに、これまでの一連の解任劇は気になるかと尋ねたときの、彼の回答が見事だった。
「私で最後になればいいね」。パベルはそう答えたのである。

今シーズンの勝点の目標については、他のチームの状況がほとんど予測不可能だから特に定めていないと語った。そのかわり一戦一戦に集中し、近い順位にいるチームに追いついてゆくつもりなのだろう。
この計画は功を奏しており、アツは中盤でチームを鼓舞する役割を果たしている。
ポジションが変わったせいで、アレックスのバックアップとしてワールドカップに出場するチャンスが減るかどうかは、議論の分かれるところである。ジーコは一度信頼を寄せた選手はあまり変えたがらない。
もっとも、そんなことは今のアツにとってはどうでもいいことなのかもしれない。ヴィッセルが彼を雇った目的、そして彼がすべき仕事は、チームをJ1に残留させることだからだ。
今のところ状況は好転しつつあり、パベルが依然として今季3人目の監督として指揮を執っている。

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試合の流れを守る野田主審

2005/08/29(月)

数週間前、私はレフェリーを批判するコラムを書いた。
読者のみなさんの反応は賛否両論。ある方は英語で、私の記事は全くの見当違いであるとおっしゃっていた。
確かにそうだろう。だからこそ私はそのコラムの中で、本来レフェリー批判はしたくないということ、そして近代サッカーにおいてレフェリーという仕事はどれだけ大変なことなのか説明したのだ。
そこでバランスを取るために、今回はつい最近のJリーグの試合で素晴らしい仕事をしたレフェリーについて書くことをお許し願いたい。

それは駒場スタジアムで行なわれた浦和対神戸戦。主審は30歳の野田祐樹氏だった。
その試合での彼のジャッジは、試合をいかにして止めないで進行させるか、厳しいタックルとファウルをいかにして区別するか、時間稼ぎをしようとする選手達の心理をいかにうまく読むかなど、まさに教科書通りの内容だった。

前半、アレックスが中盤でヴィッセルの選手2人をかわしたが、ボールを奪われてしまった。アレックスは守備に戻らずその場に倒れこみ、怪我を装いフリーキックをもらおうとした。
ファウルではなかった。アレックスは前半で交代してしまったが、その時に怪我をしたとは思えなかった。浦和サポーターのブーイングの中、野田主審はそのままプレーを続行させた。
その後プレーが止まった時、アレックスは主審に対して非常に腹を立てていたが、主審は正しかった。
子供の遊びではないのだ(少なくともそうだったはずだ)。身体的接触は必ずあるものだし、一人の選手が試合を止めるべきだと思ったからといって、試合はストップしないのである。

その数分後、今度はヴィッセルの佐伯が右ウィングのポンテを掴んだ。野田主審はしっかりとファウルを見ていたが、レッズのアドバンテージを取り、そしてアドバンテージがなくなった時点でようやくホィッスルを吹いた。
これも彼の素晴らしいジャッジ。どちらのチームも文句のつけようがない。

ヴィッセルが2−1と1点をリードしたまま試合も終盤に入り、佐伯が転んだ。誰の目にも彼が時間稼ぎをしよとしているのは明らかだった。野田主審は、やはり見ていた。すぐに佐伯に駆け寄り起き上がるよう言い渡し、試合を中断することはなかった。
佐伯がすぐに立ち上がったのを見て、おそらく野田主審はそう言ったのであろうと想像しただけなのだが…。

試合を見ていた野田主審はどの選手よりもフィットし、速かった。そして常にプレーに遅れることなく的確なポジションで的確な判断を下していた。
そう、それは誰にとっても満足できる試合だった。

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オシムも期待する、阿部のW杯代表入り

2005/08/25(木)

日曜夜の日立柏サッカー場、阿部勇樹が中盤で見せたプレーは、今シーズン私が見たなかで屈指のものだった。
ジェフのキャプテンを務める阿部は、あらゆる場所に出没した。
薩川に強烈なタックルをお見舞いしたかと思えば、その直後に前線に繰り出し、攻撃に加わっているのである。
ディフェンスで素晴らしいプレーをするストヤノフ、中盤を統率する阿部、いつも掴みどころがなくクレバーな羽生。彼らを揃えたジェフが長い時間ゲームを支配し、2−1よりもっと楽なスコアで勝ってもおかしくなかった。

試合後、私は「オシム・ショー」に出席し、いつも魅力的で、楽しい、この監督の発言を待っていた。
これまで、オシムは自分のチームの選手については控えめな論評を下す傾向があり、常に地に足をつけた堅実さ、石橋を叩いても渡らないような慎重さを好んでいた。
だから、阿部のプレーは素晴らしかった、と話を向けたとき、私はオシムに一蹴されるのを楽しみにしていたのだ!

しかし、そうはならなかった。彼は微笑みを浮かべ、次のように話した。
「阿部にはいつも満足しているよ」。
そしてさらに、もう少し努力すれば、阿部は代表チームの一員として来年ドイツに行ける、とも言ったのである。
「どんな努力ですか?」私は質問した。
「あらゆる努力だ。ランニング、タックル、シュート、あらゆる面で向上しなければならない」。

オシムによれば、ディフェンス面における阿部の力量はすでになかなかのレベルに達しており、とりわけタックル、フィジカルでの強さ、プレーの読み、ヘディングは素晴らしいが、攻撃面での成長が必要だそうだ。
「彼は、もっと危険な選手にならなければならない」とオシムは言う。
「中盤から良いタイミングで上がって行けるし、どちらの足でも20メートルあるいは25メートルのシュートが打てる。しかし、もっと努力しなければならない。今後3ヶ月で、あらゆることを10パーセント向上させなければならない」。

オシムは、小野や稲本、中田浩二、福西、遠藤、今野らが名を連ねる守備的ミッドフィールダーのポジションは競争が熾烈だということを十分理解している。しかしそれでも総合力を上げれば阿部にもチャンスはあると感じているのである。
経験豊富な監督からこのような心強い言葉を与えられた阿部は、今後数週間で何をすべきかをよく心得ているはずだ。
それに、チャンスがあるとオシムが言ったのなら、本当にチャンスはあるのである。

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名良橋の穴を埋めた加地

2005/08/22(月)

ジーコ・ジャパンの大きな収穫の一つは加地亮。これは疑うまでもない。
FC東京のDF加地は、ジーコの4−4−2または3−5−2システムの右サイドバック/右サイドウィングバックの座を勝ち取った。
日本代表候補をあれこれ考えていると、おそらくほとんどのポジションで意見が食い違うはず。
ただし、加地は例外だ。

4−4−2では田中隼磨が安定した右サイドバックになれるだろうし、3−5−2システムでは石川直宏が右ウィングバックとして良いかもしれない。
しかし、加地の持つダイナミックさと安定性は群を抜いている。2006年ドイツワールドカップのアジア最終予選、2−1の勝利を収めたイラン戦で代表初ゴールを挙げたのも当然だろう。
それは、クールにサイドキックで決めた加地のまっすぐなゴールだった。もちろんゴールを挙げるには正しいポジショニングが必要だ。
左サイドの玉田の素晴らしい走りと、キーパーから離れていく低い完璧なクロス。キーパー、ディフェンダー、そして大黒が飛び込むが及ばない。そこにいたのが加地だ。ファーポストからきっちりと決めた。
そう、彼にはこのゴールを挙げる資格があったのだ。彼はジーコに寄せられていた信頼に応え、厳しい立場にあるコーチに安らかな眠りをもたらした。ワールドカップの1年前に決まった2つのウィングバックのポジションのうち、左サイドのアレックスは試合の度に、攻撃力は落ちはしたもののディフェンダーとして成長を見せている。
そしていま、25歳の加地がようやく名良橋晃の抜けた穴を埋めたようだ。

私は名良橋の、そして岡田武史監督のファンだ。名良橋と相馬のコンビはアントラーズでも日本代表、特にフランスワールドカップの時には非常に良く機能していた。
しかし岡田監督の後継者、トルシエは名良橋について後先を考えずにポジションを離れ、攻撃参加する傾向があると考えていたようだ。
結局トルシエは右サイド強化のために信頼できる明神、そしてリザーブには市川を選び、波戸は不運にも2002年ワールドカップの日本代表チームから外れた。
しかし今はジーコの信奉者、加地がいる。イラン戦でのゴールは、加地にとってごく当然の結果だ。ただし、ゴールを奪うことが彼のメインの仕事ではない。

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“第3のチーム”にもう一度チャンスを

2005/08/18(木)

またも、ジーコは彼の「影の代表」をひたすら信頼し、このチームにこだわり続けるようだ。
今夜、横浜で行なわれるイランとのワールドカップ予選に、ジーコは韓国の東アジア選手権で北朝鮮に0−1で敗れたメンバーを再び起用する。
同大会の中国戦そして韓国戦で結果を出したのに、“第3のチーム”を控えに回すつもりなのだ。

個人的には、ジーコはまた判断を誤ったと思う。
あるいは、一部の選手たちに代表でアピールする最後のチャンスを与え、それから欧州組と国内組の組合わせを考え、本番に向けての総仕上げに臨むつもりなのかもしれない。
私としては、少なくとも茂庭、今野、村井の3人は今度の試合でも見たいし、代表のレギュラーでもやれるんだとアピールするチャンスを彼らに与えて欲しい。

以前にも書いたことがあるが、トップクラスの選手を全て招集できたときの先発メンバーについては、文句はあまりない。しかし今回は、東アジア選手権で活躍した選手たちに代表の一員としての地位を築かせ、実績を残している選手たちにプレッシャーを与えさせても良いのではないだろうか。
まるでジーコはすでに最強チームの先発とその控えを決めていて、その座は来年の夏まで「一見さんお断り」の状態になっているように思える。たとえ新しい選手にチャンスを与え、その選手がどんなに素晴らしい結果を出したとしても…。

東アジア選手権では、古株の選手たちがヨーロッパのクラブに戻っていたので、ジーコは新顔を招集するしかなかったのだが、イラン戦では東アジア選手権以前のように新顔を見過ごしにするつもりのようだ。
今回の試合に欧州組を招集したくないのなら——それも至極もっともだが、ジーコはなぜ、こうした厳しい試合で東アジア選手権組を徹底的にテストしようとしないのだろう?

ワールドカップ予選だから、日本はなんとしても勝ちに行かなければならない。今後の数ヶ月でこの試合ほどプレッシャーのかかる試合はないだろう。
イランはスピードがあり、フィジカルも強いだろうから、茂庭や今野、村井といった選手たちにはよいテストになる。ジーコが彼らの能力を疑うのは、今回の試合で彼らを試してからでも遅くはない。自分の「ファミリー」以外の選手をジーコはなかなか信用しようとはせず、そうすることをほとんど嫌悪しているのである。

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中田がついにイングランドへ

2005/08/15(月)

このコラムを皆さんが読んでいる頃には、中田英寿のボルトン・ワンダラーズ移籍が決まっていれば良いのだが…。
もうそろそろ、イングランドへ移るべき時だろう。
サッカーキャリアの歯車が狂い始めたパルマ時代から、中田はイタリアであまりにも無為な時間を過ごしてきた。
今回、当時パルマを率いていたプランデッリ氏がフィオレンティーナの監督に就任し、それに伴い中田の移籍も容易に予想できた。

私は少なくともこの2年間、中田はイングランドへ移るべきだと言ってきた。そういう意味では、彼のエージェントがきちんと仕事をしてきたとは思えない。
中田は英語も上手いし、パワーもあり頑強で、タックルも厭わず挑戦を怖れない。彼のプレースタイルはまさにイングランドスタイルにマッチしているのだ。
彼は自身の能力ほどにはゴールを挙げられていないが、ボルトンではきっとうまくやっていけると思う。

ボルトンはイングランド北部、私の故郷の近くのペニンヒルズの反対側にある。
イタリア、特にフローレンスという美しい町からイングランドへ移籍することは彼にとっては大きなカルチャーショックだろう。しかし中田はそろそろ復活しても良い頃だ。
ボルトンでは出場機会も得られるだろうし、スタジアムが半分空席のイタリア(フィオレンティーナは違ったが)と違ってサッカーを取り巻く環境は新鮮でエキサイティングなものになるはず。
これこそ中田に必要だったものだし、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナル、チェルシーといったプレミアリーグの強豪相手に彼の力を見せつけ、きっとうまくやっていってくれるはずだと私は思う。

もちろん、中田はロンドンのクラブに行きたかっただろう。2年ほど前にはチェルシー移籍が濃厚に思われたが、チェルシーはパルマのムトゥと契約してしまった。
しかし中田にはまだまだ時間が残されている。そして日本のサッカーのイメージをより良くする力を持っているのだ。
周囲がいかに疑問符をつけようとも、私は彼の才能と意欲を信じている。
彼はまだまだ群を抜く日本のベストプレーヤーなのだ。

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ガッザとシェリル〜1992年の思い出〜

2005/08/11(木)

ポール・ガスコインが今なおニュースになっているのは不思議な感じがするし、やりきれない気持ちになる。
先日、私はある短い記事を読んでいた。見出しは「妻を愛してなどいなかった、とガッザ語る」。
内容は、見なくたってわかるだろう!
記事中でガスコインは、シェリルとの結婚は2人の子供を手元においておくための方策にすぎなかったと話している。
この発言は、私には驚きでもなんでもない。1992年、私はローマでシェリルに会ったのだが、彼女に良い印象は受けなかった。

私はオリンピックの取材のため勤務していた香港の新聞からバルセロナに派遣されていたのだが、スペインからの帰り道はヨーロッパのどの主要都市にも立ち寄ることができた。
航空会社のリストを見て、私はローマを選んだ。ガスコインがラツィオと契約を結んだばかりだったからだ。
イングランドでニューカッスル・ユナイテッドの担当記者をしていたときに、私はガスコインとかなり気心が知れた仲になっていた。そう、今でも彼のことだけで2ヶ月分以上の記事が書けるほど!
それはともかく、ガスコインはテニスもすばらしく上手で、釣りも大好きだった。ノーサンバーランドの沖合まで釣りに連れて行ってもらい、ガッザが釣ったサーモンをディナーで食したというのが私の自慢。でも、それもまた別のお話。

話を戻すと、ある晴れた日の朝、私はラツィオの練習グラウンドの外でガッザが登場するのを待っていた。
1年前にスパーズの一員としてとしてフォレストとFAカップ決勝戦を戦ったときに酷い怪我を負った彼。その膝のリハビリを依然続けており、他の選手と離れて別メニューのトレーニングをしていた。
2時間後、彼が真っ赤なBMWだったか、メルセデスベンツだったか(13年も前のことだからね!)でやって来て、私を見て驚いたような表情をした。
「おたく、こんなところでなにやってるの?」。
彼は強い北東部の訛りで尋ねてきた(実際は"What yee deein' 'ere?"と言ったのだが、英語に翻訳すると"What are you doing here, kind sir?"となる)。
「君に会いに来たんじゃないか。何だと思ったんだい?」と私は答えた。
「今夜(“tonight”ではなく“toneet”)は、どこに泊まるんだ?」と、彼。
私は、コロシアムのすぐ近くにあるダウンタウンのホテルを予約してあると言った。

「あいにくだな」と彼は言った。「仲間は昨夜みんな帰っちゃったし、大きな屋敷には俺しかいないんだけどさ.…」
私は、がっかりさせられるのを待った。
「でも、これから空港にシェリーを迎えに行かなくちゃならないんだ。彼女は喜ばないだろうがね」。
普段はとても無頓着で、陽気なガッザが、別人のようになっていた。
空港に向かう前、彼は練習グラウンドに案内してくれ、私はドル、リードレ、ヴィンター、ベッペ・シニョーリといった選手たちを間近で見た。

彼が戻ってくると、シェリルが助手席にいた。
ポールは、ニューカッスル時代からの親しい記者として——タブロイド紙のゴシップ・コラムニストではないという意味を込めて——私をシェリルに紹介しようとしたが、シェリルは興味がなさそうだった。とても気取った感じで横を向き、ポールは困惑しているようだった。
そのとき、私は彼を気の毒に感じ、こう思った。「なあ、ポール、なんでこんなことになっちゃったんだよ?」

ブロンドの髪、スーパーモデルのようなファッション。非情さと抜け目のなさを持った彼女の人生の目標はサッカー選手の妻になることであり、今、彼女は大当たりを引いたのだ。
ポールが彼女を愛してなんかいなかったと実際に言ったとしても、彼女が彼を愛してなんかいなかったのも確かだ。
私は当時もそう思っていたし、今もそう思っている。
彼女は自分の目的を果たしただけなのだ。

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ジーコはイラン戦に新顔を残すべき

2005/08/08(月)

韓国で行なわれている東アジア選手権の結果の良し悪しに関わらず、ジーコは今回の日本代表の戦いぶりから多くのことを確実に学んだはずである。
まず、これほど多くの新しい選手がブルーのユニフォームに身を包んだのを見るのは、新鮮なことだ。
これはジーコがずっとできていなかった部分。これまで、明らかにチーム改革が必要な時でもジーコは同じ選手を使い続けてきた。
田中達也、今野、村井といった選手たちは少なくとも日本代表のプレーに活気を与えた。
彼らに代表チームに慣れる時間が残されているかどうかは別として、仮に1年前に選出されていたとしたら、今頃どんな選手になっていただろうか。

しかし、これまでの控え選手にこだわってきたことについては、ジーコなりの理由がある。その彼らにも今ではポジションを守るというプレッシャーがようやく生まれた。
ある日本のフットボール・ウォッチャーが、ジーコは“ジーコファミリー”――と言ってもそれは別に兄弟のことではない――を作り上げたのだと私に言ったことがある。
選手たちはジーコと共にワールドカップ(W杯)予選を戦い、アジアカップを勝ち抜いてきた。ジーコの考え方で彼らより優れた選手がいないとしたら、なぜ変えなければならないのだろう?
結局のところ、なぜジーコがチームの将来を考えなければならないのかということだ。

彼にとって大事なのは“今”なのだ。日本代表が勝ってさえいれば、自身が去った後のチームのことを考える必要があるのだろうか。
彼の評価は来年の夏、ドイツで出る。そしてそのためには経験豊かな選手が欲しいのだ。
ただ、ここでの大きな疑問は「ジーコの判断は正しいのか」ということ。
名選手は必ずしも名監督にあらず。コーチングの才能を持って生まれた人間にとっては、ハイレベルなプレーができることは必ずしも必要ではない。

ジーコがこのまま新しい選手の何人かを使ってくれることを願おう。特にイランとの“デッドラバー”で…。
ちなみに“デッドラバー”というのはテニス用語で、団体戦で勝っても負けても何の意味も持たない試合という意味である。
日本とイランはすでにドイツW杯の出場権を獲得している。しかしジーコにとって、この試合は東アジア選手権のために選んだ選手たち――特に今野、村井、茂庭(彼は初選出ではないが)そして田中達也――にチャンスを与える良い機会だ。

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遅すぎる平山のプロ転向

2005/08/04(木)

ここ最近ずっと、日本のある選手が私にはどうも不可解な存在となっており、その状態がいまだ続いている。
その選手とは平山相太である。平山は現実のサッカー界ではさほど大きな功績を残していないにもかかわらず、日本ではメディアのお気に入りとなっている。
読者の皆さんならお察しいただけるかもしれないが、私には、メディアが平山をこれほど持ち上げる理由が理解できない。

オーケイ。平山は年齢のわりに背が高い。同世代の日本人選手のなかでは際立った長身で、よって学生レベルでは空中戦で抜群の強さを発揮できる。
オリンピック代表のデビュー戦でも、ファーポスト側に素晴らしいヘディングシュートを決めているが、やはりまだまだ未熟。これから一皮剥ける必要がある。
正直なところ、平山にオリンピック代表のエースを任せるのは時期尚早だったように思えたし、彼に多大の信頼を寄せたのは山本監督の失敗だったと、今でも思っている。高原が使えない状況ではあったが、鈴木隆行でもはるかに良い仕事をしていただろう。

しかし、これは過去の話。このコラムの論点ではない。
先日、平山がしばらくの間フェイエノールトの練習に参加するという記事を読んだ。興味深い動きだし、驚きでもある。というのも、平山は筑波大学での活動に専念し、大学を卒業するまでプロでプレーするつもりはないのだと思っていたからだ。
国見高校卒業後にJリーグのクラブに入団せず、筑波大学に進学するという平山の選択は、私にはまったく不可解なものだった。22歳で大学を卒業し、それからプロになるというのでは6年遅いのである。
無駄にした6年の間に、若い選手は実戦で非常に多くのことを学ぶことができる。22歳からステップアップするのはとても難しく、26歳から28歳を選手としてのピークと考えれば、そこに到達するために残されている時間は6年か7年しかないことになる。
おそらく平山も後悔していて、それがフェイエノールトの練習参加という動きに結び付いたのかもしれない。

フェイエノールトが獲得するとしたら、平山にとっては申し分のない状況となるだろう。小さなリーグの大きなクラブでプレーし、特定の試合だけに出場させ、じっくり育てる方針を持ったコーチの管理、教育を受けられるのである。
日本では過大評価されているが、平山はまだ完成品には程遠い。しかし、オランダで彼が自分自身の本当の価値を知れば、まだまだチャンスはある。あるいはJリーグでプレーしても、同じような学習効果は得られるだろう。
平山が今後も日本に残り、筑波大学でプレーするのなら、それは時間の無駄だ。そして日本では、彼の価値、あるいは潜在能力が正当に評価されることはないだろう。

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決断すべきはクラブ。FIFAではない

2005/08/01(月)

FIFA(国際サッカー連盟)の事務総長ウルス・リンジ氏は、ヨーロッパのクラブチームによるアジアツアーに批判的である。
リンジ氏は、基本的にレアル・マドリード(スペイン)やマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)がアジア遠征を行なっても、アジアのサッカー界にとって何のメリットもないと言う。
本来なら地元アジアの試合に注がれるべきお金が、ただでさえ裕福なヨーロッパのクラブチームをさらに豊かにしているだけだ、と。
果たしてそうだろうか?
個人的には、全くそうは思わない。
思うに、ヨーロッパのこうしたクラブチームの遠征は世界的にサッカーをプロモートできるし、ファンにとっても世界のスターに近づくことのできる良い機会だ。

1〜2週間前、私はハンブルガーSV(ドイツ)とバルセロナ(スペイン)を見に、埼玉スタジアムまで出かけた。
最初のゲームはまさに時間の無駄、知っている選手なんていやしなかった。
高原のいないハンブルガーが埼玉スタジアムでプレー?一体誰が見に行くというんだろう?
高原がいるハンブルガーが、静岡スタジアムエコパで彼がかつて所属していたジュビロ磐田と戦う…。これなら合点もいくというものだ。

埼玉でのバルセロナ戦は、ずっとマシだった。
浦和美園行きの電車も親善試合の雰囲気たっぷりで、バルセロナのユニフォームに身を包んだ多くのファンと浦和の赤いユニフォームのファンで溢れていた。
ロナウジーニョやエトオを欠いていたとはいえ、バルサは強いチームを送り込んできたし、試合はサポーターたちにとってそれなりに楽しめるものだった。
“それなりに”と言ったのは、そもそも私がこういうゲームが好きではないから。
サッカーはエンターテイメントではなく、情熱であり緊張感であり、そして結果こそが全てである。

スポンサーに遠征費を出す財力があり、ファンが望んでいるのなら、それを批判するべきではない。
リンジ氏はアジアのクラブチームやリーグのプロらしからぬ行ないを批判した方がよっぽどいい。
近年、特に中国ではあまりにも不正行為が多い。それなのになぜ、スポンサーはこうしてアジアの地方リーグに無駄金を落としていくのだろう。
Jリーグはアジアで最も魅力的なリーグで、ファンやスポンサーそしてテレビマネーを惹きつける。
ファンがレアル・マドリード対ヴェルディ戦、あるいはジュビロ戦を見に行かないというなら、リンジ氏の批判も理解できる。
しかし、彼らが試合を見に行くのになぜFIFAが批判しなければならないのだろう?
こういう試合をやめるかどうかはクラブやファンが決めれば良いことであって、FIFAの口出しするところではない。

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俊輔に求められる、速さと激しさへの対応

2005/07/28(木)

結局、中村俊輔の移籍先はセルティックになった。
セルティックのゴードン・ストラカン監督にとっても、俊輔本人にとっても、勇気ある決断だ。
間違いなく、スコットランドとイタリアのリーグでは全く違ったサッカーが展開されている。
イタリアでは、まるでチェスのようにゆったりと戦術的に流れる試合が多くあるが、スコットランドのサッカーは速く、激しい。
だから、俊輔がかの地でうまくやれるかどうか心配で仕方ない。彼は圧倒的なスピードがあるわけでもなければ、フィジカルがずば抜けて強いわけでもない。
中田英寿がスコットランドあるいはイングランドに移籍するというのなら、彼なら心配いらないよと自信を持って言えるだろう。
でも、俊輔はどうだろう?
はっきりとは分からない。

そうはいっても、レンジャースとのグラスゴー・ダービーで俊輔がプレーする姿を想像するだけでもワクワクする。
グラスゴー・ダービーにはもちろん、単なるサッカーの試合では終わらない、とても深い背景がある。セルティックがグラスゴーのカソリックの人々を代表しているのに対し、レンジャースはプロテスタントを代表しているのだ。
ダービーのときには街中が息をひそめ、勝ったチームのファンは次のダービーまで人生を謳歌できる。
プレーは重厚で、速く、そしてタックルがあらゆる角度から飛び、試合展開にはよどみが全くない。

俊輔が直面するもう1つの違いは、レフェリーがプレーを流すケースがはるかに多いことだろう。セリエAを退屈なものにしている、あのイタリア・スタイルのホイッスルからリスタートという場面があまりないのだ。
とにかく、俊輔には頑張ってもらいたい。
順位表の真ん中あたりをうろうろし、セリエA残留だけを目指していたレッジーナとは違い、セルティックでは少なくとも優勝トロフィーを手にするチャンスが得られる。
イタリアを出るのは良いことだし、スコットランドのサッカーに対応できれば、俊輔のプレーの質は必ず上がるだろう。

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キング・カズよ!退位はまだ早い!

2005/07/25(月)

そして再び、カリスマ三浦知良の華やかな物語の新たな章がはじまった。
ヴィッセル神戸から横浜FCへの移籍は、おそらく両者にとって――ここで言う両者とはカズと横浜FCだが――良いことだろう(もしかすると、実際ヴィッセルにとっても良いことなのかもしれない)。
神戸でのカズは明らかに“終わって”いた。そして彼は、それに気付くセンスとプライドを持っていた。
J1で最下位に甘んじている神戸から、カズはJ2へ行くことを決断し、関西から神奈川へ移ることにしたのだ。

カズが横浜FCでどれほどの年俸をもらうのかは分からない。ただ正直言って、年俸などどうでも良いのではないだろうか?彼は必ず、年俸以上の働きをしてくれるはずだ。
J2に観客を呼んでくれるだろうし、カズの仕事に対する姿勢とプロ意識はチームの若い選手たちの良い見本になることだろう。
真のプロフェッショナルとして自らにハードなトレーニングを課し、ピッチの外でも自身を律しているカズを悪く言う人間は、Jリーグには1人としていない。
全盛期に比べれば、スピードは落ちたかもしれない。しかし彼の頭脳は少しも衰えていない。何よりもチームメートやチーム、そして自分自身に対する責任感の強さはあの頃のままだ。

少し前のことだが、私はヴィッセルの試合を見に大宮へ行った。神戸はあっさり敗れ、結局その試合がエメルソン・レオン監督の最後のゲームとなった。
試合後、私はチームの窮状について聞こうと三木谷氏を正面ゲートで待っていた。彼が現れる前に、カズが通り過ぎた。やはり彼は今でもスターだ。
大宮のサポーターたちはこんな目の前で憧れのスターに会えるとは思っていなかったらしく、老いも若きも群集の中を通り過ぎていくカズの写真を撮っていた。
カズのスターとしての魅力、そして彼の人間性は、必ずやJ2の、そして特に横浜FCの起爆剤となるだろう。
カズと城の2トップ?
どこかで聞いた覚えがありませんか?

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アルディレス、またも解任

2005/07/21(木)

こうなるのも仕方がないか。
1−7、0−7、0−6…。このような状況で監督の座に居つづけるのは難しく、オジー・アルディレスはまたもや職を失った。
ヴェルディを天皇杯優勝に導いてから数ヶ月が経った火曜日、このアルゼンチン人監督はクラブから解雇を言い渡されたのだ。
沈み行く船を立て直すために、ヴェルディはできる限りのチャンスを彼に与えてきたが、磐田での0−6の敗戦により万事休す。
アルディレスは7週間の中断期間にクラブが十分な対応をしなかったことの責任をとらされた形だが、クラブにとっても今回のことは貴重な教訓になるだろう。

ヴェルディは、オジーの言うところの「ガッツのある」パフォーマンスで先々週の東京ダービーを0−0の引き分けに持ち込み、ガンバとレッズにそれぞれ7ゴールを許した惨憺たる状況からは脱しつつあるように見えた。
その次の試合は3−1とヴィッセル神戸をリードしながら三浦淳宏を中心とした神戸の逆襲に遭ってしまったが、なんとか3−3で引き分けることができた。
そして、アウェーの磐田戦で0−6の敗戦。ホームチームの前田の活躍がとても印象に残った試合だった。

ヴェルディはいかにも“アルディレス的”なチームだった。素敵な、技術のあるチームで、デキの良いときには試合でとても魅力的なサッカーを披露した。
ヴェルディには大悟と慶行、2人の小林や相馬、森本など素晴らしい才能を持つ選手が何人かいるが、以前のアルディレスのチームと同様、しっかりとした芯が通っておらず、守備での規律が欠けている。
ワシントン、平本、森本という強靭な体を持つ選手がそろっている前線を除けば、チームとして戦うのに必要な肉体的な強さがなく、チーム・スピリットという観点からみれば、アルディレスはそれをチーム全体に行き渡らせることができないでいた。
キャプテンのヤマタク(山田卓也)のような誇り高きヴェルディの戦士がいるにもかかわらず、このチームは自らのモチベーションを一定以上に上げようとはしなかった。

こうした事態になれば、クラブとしては打てる手を打つしかない。
もっとも、アルディレスが去っても、チームには生き残るのには十分なだけの良い選手が揃っている。必要なのは、彼らを鼓舞し、ピリッとしたプレーをさせる、タフな監督の存在である。そういえば、最近、トルシエはどうしているのだろう?
それとも、ペリマンかなあ?

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アルディレス、またも解任

2005/07/21(木)

こうなるのも仕方がないか。
1−7、0−7、0−6…。このような状況で監督の座に居つづけるのは難しく、オジー・アルディレスはまたもや職を失った。
ヴェルディを天皇杯優勝に導いてから数ヶ月が経った火曜日、このアルゼンチン人監督はクラブから解雇を言い渡されたのだ。
沈み行く船を立て直すために、ヴェルディはできる限りのチャンスを彼に与えてきたが、磐田での0−6の敗戦により万事休す。
アルディレスは7週間の中断期間にクラブが十分な対応をしなかったことの責任をとらされた形だが、クラブにとっても今回のことは貴重な教訓になるだろう。

ヴェルディは、オジーの言うところの「ガッツのある」パフォーマンスで先々週の東京ダービーを0−0の引き分けに持ち込み、ガンバとレッズにそれぞれ7ゴールを許した惨憺たる状況からは脱しつつあるように見えた。
その次の試合は3−1とヴィッセル神戸をリードしながら三浦淳宏を中心とした神戸の逆襲に遭ってしまったが、なんとか3−3で引き分けることができた。
そして、アウェーの磐田戦で0−6の敗戦。ホームチームの前田の活躍がとても印象に残った試合だった。

ヴェルディはいかにも“アルディレス的”なチームだった。素敵な、技術のあるチームで、デキの良いときには試合でとても魅力的なサッカーを披露した。
ヴェルディには大悟と慶行、2人の小林や相馬、森本など素晴らしい才能を持つ選手が何人かいるが、以前のアルディレスのチームと同様、しっかりとした芯が通っておらず、守備での規律が欠けている。
ワシントン、平本、森本という強靭な体を持つ選手がそろっている前線を除けば、チームとして戦うのに必要な肉体的な強さがなく、チーム・スピリットという観点からみれば、アルディレスはそれをチーム全体に行き渡らせることができないでいた。
キャプテンのヤマタク(山田卓也)のような誇り高きヴェルディの戦士がいるにもかかわらず、このチームは自らのモチベーションを一定以上に上げようとはしなかった。

こうした事態になれば、クラブとしては打てる手を打つしかない。
もっとも、アルディレスが去っても、チームには生き残るのには十分なだけの良い選手が揃っている。必要なのは、彼らを鼓舞し、ピリッとしたプレーをさせる、タフな監督の存在である。そういえば、最近、トルシエはどうしているのだろう?
それとも、ペリマンかなあ?

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ダービーにおける情熱と暴力の際どいライン

2005/07/18(月)

今シーズン、Jリーグは地元対決いわゆる“ローカルダービー”を積極的に取り入れようとしている。
世界中のサッカーファンがそうであるように、日本のサポーターにも自分の応援するチームにプライドと情熱を持ってほしいと考えているからだ。
しかしそれは、必ずしも必要以上に加熱して良いということではない。
その線引きは非常に難しい。些細なことで脳内のスイッチが切り替わり、その本人でさえ生涯後悔するような行動を引き起こしかねないのだ。

先週の土曜日(9日)に味の素スタジアムで行なわれた“東京ダービー”でのこと。1人のFC東京サポーターがヴェルディサポーターに灰皿を投げつけ、3名の負傷者が出た。
負傷者のなかには警官もおり、灰皿を投げた本人はその場で逮捕、連行されている。
私は試合が終わるまでこの事件のことを知らなかった。ただ、試合前に売店へ見るからに体に悪そうなスナックを買いに行った時、いつも正面スタンドの左側に陣取っているはずのFC東京サポーターの声援がすぐ近くから聞こえ、驚いた。彼らはその日に限っては中央にいたのだ。

FC東京の村林裕専務は普段は朗らかな人物なのだが、試合後の彼は明らかに動揺していたし、また、サポーターのイメージを落とすことになりはしないだろうかと心配していた。
彼によると、事件が起きたとき、約200人のサポーターがヴェルディサポーターの近くで応援歌を歌っていたそうだ。それがたった1人の人間が起こした行動によって、全て台無しになってしまったのだ。
問題を起こす人間というのは常にほんの一握りしかいない。これは、評論家によるイングランドのフーリガン評だ。
「トラブルはいつも一握りの人間によって引き起こされる」というのはお決まりのフレーズ。
例えば1998年のワールドカップ。マルセイユに2万5000人のイングランドサポーターがいて、そのほんの一握りの人たち(例えば1%としよう。250人かな?どうも数学は苦手だ)がトラブルを引き起こしたとしよう。ごく一握りといっても、それでも大勢のフーリガンということになる。

シーズンはじめに起きた柏レイソルの件といい、Jリーグは常に教訓を得ている。
レイソルファンと1人のFC東京のフーリガン。彼らがチームの成績が良くない時にこうした行為を犯したのは、もちろん偶然ではない。
FC東京もレイソルも(13日に)ようやく勝利を手にしている。うまくいけば、全てが普通に戻るだろう。
一見害がないようでも、FC東京は今後、サポーターがアウェー側近くに集まったり、そこで歌ったりしないようにした方が良いだろう。
そうすれば挑発行為や野次などを防げる。暴力はたいてい、そんなことがきっかけで起こるのだ。

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驚く価値もない、エメルソンの移籍

2005/07/14(木)

エメルソンのカタール移籍は、驚くに値しない。
「金のためだよ」。レッズのコーチングスタッフの1人が言った。不在の“ヒーロー”の最新情報を知りたくて、土曜日に大原練習場へ出かけたときのことだ。「サッカーのためじゃない」。彼はそう付け加えた。
「選手が、その選手生活の終了間際にプレーして最後の大金を稼ぐ場所だね」。
現代のサッカーではその場所をカタールといい、今回はアルサドがその舞台となる。

エメルソンも、明らかに金銭面を考慮したようだ。
とても、とてもたくさんのお金。エメルソンは浦和で年間100万ドル(約1億1000万円)以上を稼いでいたと言われているが、それを上回る額。おそらくはるかに上回る額だ。
エメルソンが日本で不可解な移籍をするようになったのは、たいして昔のことではない。
2000年にコンサドーレ札幌で34試合に出場し、31ゴールを記録したが、エメルソンが前年のJ2王者のメンバーとしてJ1に登場することはなかった。
エメルソンは川崎フロンターレに移籍し、J2に残ったのだ。川崎Fだけが、彼の金銭面での要求に応えられたからだ。あるいは、彼の代理人の金銭面での要求と言うべきかもしれない。

J2でのエメルソンはピッチ内を縦横無尽に駆け回って相手選手を翻弄し、とても楽しそうだった。しかし、次のシーズンの途中、2001年の夏に浦和へ移籍した。
もちろん、エメルソンはゴールを量産してずいぶんとレッズファンを喜ばせてきたが、彼と、彼の代理人はもう少しファンを大切に扱うべきだっただろう。
エメルソンにはブラジルでの長い休暇が与えられていたが、再来日、そしてキャンプへの参加が2〜3日遅れることが当たり前のようになっていた。
2〜3日の遅れがやがて2〜3週間となり、告知が壁に貼り出され、彼はもう日本には戻ってこないということが明らかになった。
いわゆる彼の“仲間”が埼玉ダービーで大宮アルディージャに負けていた頃、エメルソンは大盤振る舞いの移籍契約の詳細をつめるためにヨーロッパにいたのだ。

あまりにもナイーブすぎる、あまりにも英国人的で善悪にこだわりすぎる。私をそう批判する人もいるかもしれない。
そういう人たちは、こう言うかもしれない。
「なあ、エメルソンはプロなんだぜ。短い選手生活のなかで、できるだけ多く稼がなければならないんだよ。これまでの人生で誰にも親切にしてもらえなかったのに、自分から親切に振舞う必要がどこにあるんだい?」
それも、わかる。
しかし、サッカーにはお金では割り切れないものがある。それは個人のプライドであり、忠誠心、チームのため、クラブのためにプレーするということだ。
彼を崇拝していたサポーターは、ひどく落ち込んでいるに違いない。
しかし、こんなことは驚くに値しないと考えてほしい。
そのゴールや才能は認めるけれど、私個人としては、この先エメルソンに戻って来て欲しいなんてことは少しも思わないだろう。

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ヴェルディは中断期間に何をしていたのか

2005/07/11(月)

この世で、時計を1週間戻したいと思っているのは誰かと尋ねられたなら、それはオジー・アルディレスに違いない。
先週の今頃、東京ヴェルディ1969は他のJ1チームと同じように、7週間の中断期間後のシーズン再開を待ち望んでいた。
しかし再開後、ヴェルディは2戦連続で7失点した。読売ランドに警報が鳴り響いている。

先週の土曜日は万博でガンバ大阪に1−7で敗戦。水曜の夜にはホームグラウンドとも言える国立競技場で、浦和レッズに0−7と完膚なきまでに叩きのめされた。
私はそのどちらの試合にも行っていないのだが、ゴールは全てテレビのハイライトで見た。
プロにあるまじき失点の山と、チームの混迷の様(さま)は、ヴェルディファンにとって非常に不快なものだったに違いない。
確かに、ガンバはアラウージョ、フェルナンジーニョ、そして大黒といったダイナミックな攻撃力を擁しているのだが、彼らは学生と試合をしているような気分だったに違いない。
浦和戦では相手にツキがあったのも確かだが、それは言い訳にはならない。
結局のところ、チームが2試合で連続7失点を喫するというのは、もはや技術や戦術の問題というよりハートと意欲の問題なのだ。

土曜日に味スタで行なわれる東京ダービー以降のその全てが、このアルゼンチン人監督、アルディレスの去就に影響してくる。
チームとしては、6試合を消化する7月末までは監督の進退問題については触れないと聞いているが、先の2試合のようなことが繰り返されるとなれば、そうもいかないだろう。
最初の2試合はまさに“崩壊”だったが、ヴェルディにとって東京ダービーはプライドを取り戻し、また、勝ち方を忘れてしまっているFC東京とのわずかな勝点差を広げる絶好のチャンスだ。
いずれにしても、今夜は非常に際どいダービーになりそうだ。
そしてみなさんは、精神的・肉体的にこれほど酷い状態で戻ってくるとは、ヴェルディは中断期間に一体何をしていたのだろうと思うことだろう。

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「エメルソン弁当」の後味

2005/07/07(木)

土曜日(2日)の夜、埼玉スタジアム2002の外で「エメルソン弁当」が売られていたのは、なかなか面白いい光景だった。
当然、私は買わなかった。皆さんがご存知のように、エメルソンは私好みの選手ではないからだ。
ストライカーとしての能力が問題なのではない。
私が好きではないのはサッカーに対する姿勢だ。エメルソンはいつでも、FKやPKをもらおうとしたり負傷したフリをしたり、そして相手選手を警告や退場処分に陥れようとする。
いずれにしろ、こんなことは、現時点ではまったく問題ではなくなってしまった。彼はまたもやクラブとファンを失望させてしまったのだ。

「彼はいつ帰って来るの?」
私はギド(ブッフバルト監督)にそう尋ねた。土曜日、アルビレックスに勝ったあとのことだ。
「分からないんだ」。ギドは正直に答えた。
「どこにいるの?」というのが、私のその後の質問。
「分からないんだ」。ギドは同じ言葉を繰り返した。「信じられないよ!」。

まったくおっしゃる通りだ。高い給料をもらい、明らかにJリーグより高いレベルのプレーができる選手が、休暇が終わっても姿を現さないというのだから…。
いくつかの情報筋によると、最初は幼い子供が熱を出したということで来日が遅れ、それから彼の妻が米国の通過ビザを取らなければならないということで、さらに来日が遅れた。
私は、柏レイソルのエジウソン騒動を思い出した。あの時はブラジルの歯医者に診てもらう必要があるから来日が遅れる、ということだった。

レッズには、アルパイのケースと同様に、エメルソンには厳しい態度で接してほしいと本当に思う。今回が初めてではないのだ。
実際、ハンス・オフト元監督は2003年、ナビスコカップで優勝したシーズンに総額6万米ドルの罰金をエメルソンに科したと言っていた。来日の遅れや練習への遅刻がその理由だった。

「目覚まし時計を買ったほうが安く済むぞと、彼には言ったんだけどね」。オフトは言っていた。
今回のギドはニコリともしなかったが、それももっともである。
7月にはJリーグのゲームが6試合あり、鹿島を追うレッズは最大18ポイントを挙げることが可能だ。
すでにレッズは1試合を戦い、エメルソン抜きで勝点3を獲得した。彼が戻ってきても、いきなりの起用はありえないように思える。調整が十分ではないと予想されるからだ。それに、クラブのために懸命にプレーしている田中や永井たちを、ギドは外せるだろうか?

さて、エメルソン弁当に話を戻そう。
この話題で、もちろん、ジョークがいくつかできている。1つは、「エメルソン弁当を開けると中身は空っぽ」というものだ。弁当の中身が消えてしまったのだ!もう1つは、「弁当を開けると、怒り狂ったファンに切り刻まれたエメルソンの肉が入っている」というもの。
レッズファンは、これからもエメルソンを敬愛しつづけるのだろうか?
悲しいけど、そういうことになるのだろう。

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自分を責めるしかないアルパイ

2005/07/04(月)

それは数週間前のことだった。自宅でくつろいでいると、電話が鳴った。
携帯電話ではなく、自宅の電話だ。
きっとまた、2007年4月のさいたまスタジアムでのホームゲームのチケットは267枚しか残っていません、という浦和レッズからのファックスだろうと思った。まだどこと対戦するかもわからないと言うのに…。
ファックスの高いトーンが聞こえるだろうと思いつつ受話器を取った耳に、消え入るような声が聞こえてきた。
「ハロー、ハロー、ムッシュ・ウォーカーですか?」。
ご想像の通り彼女はフランス人。サッカーのエージェントで働いている。
「ムッシュ・アルパイ・オザランの電話番号を教えてもらえませんか?」。
私は、電話番号は知らないと答え、かわりに浦和レッズの番号を教えた。“ムッシュ・アルパイ”の電話番号を教えてもらうには、クラブに電話をするのが早いだろう。

彼女は「あるフランスのチームがアルパイを獲得したがっているんです」と付け加えた。
「ええ、恐らく彼なら獲得に時間はかからないでしょうね」。私はそう答えた。
「なぜですか?契約が切れるんですか?それとも、あまり調子が良くないとか?」。彼女は尋ねた。
「えぇと…。いや、それどころか彼は全くプレーしていないんですよ。レッドカードとイエローカードをもらい続けていてね。恐らく今シーズンは、ブラッド・ピットがバレンタインデーにもらう以上のカードをもらってるんじゃないかな」。
(実際には、ブラッド・ピットのくだりはフト思っただけで口にはしなかった。次回のために覚えておくことにしよう。)

翌日、アルパイはまたも退場になった。大宮スタジアムで大宮アルディージャがヴィッセル神戸を粉砕するのを見ていた時、私の日本人の同僚が新潟の同僚から聞いたと教えてくれたのだ。
そして案の定、今週アルパイは契約満了まで6ヶ月を残して解雇された。
思えばシーズン開幕戦の鹿島アントラーズ戦で退場になったのが、全ての予兆だったのかもしれない。
退場処分を受けるまで、アルパイは鈴木隆行にイライラしていた。
正直、それはそんなに難しいことではない。鈴木隆行はみんなをイラつかせる。しかしアルパイはまんまとハマってしまったのだ。
アルパイは鈴木のあごを掴み、鈴木は再び倒れた。その日、鈴木は度々ピッチに倒れていたので、ペナルティエリアの周辺には鈴木の体の跡が残っていると噂されていた。まるで『Xファイル』のような話だ。

アルパイの気の短さは折り紙つきだった。しかし、ピッチ外ではとても良い奴でフレンドリーなのだ。それがピッチ上では豹変してしまう。
チームへの貢献、決意…人は様々なことを言うだろう。
しかし選手は、海外へ移籍したらその国のサッカーというものを学ばなければならない。
日本のサッカーは危険や乱暴というものとは縁遠い。にもかかわらずアルパイは試合終了の笛を聞くまでピッチに残ることができない。時にはハーフタイムの笛を聞くことさえできないのだ。
彼は、日本サッカー界で大きく飛躍する機会と高額の給料を与えてくれたチームを裏切り、そして彼自身を裏切った。
良い選手で個性的。日本のサッカーにもっと様々なものを与えられたはずなだけに、残念でならない。

おっと失礼。また電話だ。
きっと、さっきのフランスのエージェントに違いない。

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鹿島に追いつくのはどこだ?

2005/06/30(木)

長い中断期間がもうすぐ終わり、Jリーグのファースト・ディビジョンが土曜日に再開する。
それぞれのチームがキャンプを行ない、調整試合を戦い、移籍話も活発だったから、まるでシーズンが始まる時のような、そんな感じがしませんか?
しかしもちろん、J1はすでに12節を消化しており、22節を残した状態。
つまり、鹿島アントラーズが勝点9差をつけてトップに君臨しているとはいえ、まだまだ先は長いのである。

ニューカッスル・ユナイテッドのファンとしての過去の辛い経験から、私は、シーズン当初に大差をつけて首位に立っていたチームがあっけなく崩れるケースがあるのを知っているのだ!
だから、第2集団にいるチームのファンには、自分のチームを見放さずにいて欲しいと思う。チャンピオンになるまでの長い道のりには、信じられないような、驚くようなことがたくさん待ち受けているからだ。

先日の外国スポーツライター協会の会合で、ゲスト・スピーカーを務めたマリノスの岡田武史監督は、1チームの独走状態になってしまうと観客数は減るのだろうか、という質問を受けた。
「あなたは、マリノスが鹿島に追いつけないと考えてらっしゃるのですか?」岡田監督は笑って答えた。
「優勝争いが2つか3つのチームに絞られれば、それ以外のチームのファンのなかには、シーズンの途中で興味をなくす人もでるでしょう」と岡田監督は続ける。
「しかし今は、1チームだけが大きくリードしていて、追いつく可能性のあるチームもいくつかあるという状況です」。

まさしく、アントラーズが頑張り続けられるかどうかが注目の的となっている。鍵になるのは、キャプテンの小笠原満男がチームに残るかどうかだろう。
噂によると、イタリア・セリエAのラッツィオが彼をローマに呼びたがっているそうだが、そうなれば、小笠原の抜けた大きな穴を埋めるのは不可能だろう。

では、鹿島に追いつけるのはどのチームか。
まあ、マリノスはそのなかの1つには数えられるだろう。アデマールと安貞桓(アン・ジョンファン)に代わる新たなストライカーの獲得に苦戦しているとも耳にしたけれど…。
ドイツでプレーしているアイウトンやルイゾンとも交渉しているそうだが、具体的なニュースはまだない。

浦和レッズはこれから調子を上げ、諦めることなくチャレンジしてくるだろう。また、ガンバ大阪にもチャンスはあるはずだ。
ガンバはあらゆるポジションに良い選手が揃っているが、特に攻撃陣はフェルナンジーニョ、アラウージョ、大黒と人材が揃っている。また、その後ろを支えるメンバーも強力で、宮本、シジクレイ、遠藤、そのほかにも経験豊富な選手が数多くいる。だから、ガンバを忘れるわけにはいかない。
良い選手が多いジュビロ磐田もうまく再スタートを切れるかもしれない。

さて。アントラーズを追いかける戦いが土曜日に再開する。私は、アントラーズがペースを落とし、これからの数週間で一気に混戦模様になると考えている。
そう、次の中断までが勝負なのだ!

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前進あるのみ!チームを牽引する宮本

2005/06/27(月)

ドイツワールドカップまで残り1年を切った。さらにチームを強化するために、今後何をしていく必要があるのだろうか?
バンコクでの北朝鮮戦勝利の後、“キャプテン・ツネ”が語った最も重要なことの1つは、ヨーロッパや南米のチームとの対戦をもっと増やすということだった。

コンフェデレーションカップでは、日本はFIFA(国際サッカー連盟)の6つの連盟のうち3つ、北中米カリブ海地区(メキシコ)、ヨーロッパ(ギリシャ)そして南米(ブラジル)のチームと戦うチャンスがあった。
メキシコ戦が残念な結果に終わった後、日本は大きく、フィジカルの強いギリシャにうまく対応し、そしてブラジルを本気にさせた。
そう、日本はそのどちらのスタイルにも対応できることを見せつけたのである。ジーコの次の課題は、中央に基盤を見つけることだ。
それはつまり、ディフェンスに強くフィジカルな選手たち、そしてまたスピードがあり創造的な攻撃力を持つ選手を揃えること。
ジーコ自身がドイツで語ったところによると、現在のところそれはバランスと組織力の問題で、うまく機能するコンビネーションを探っているところだという。

日本の特徴はもちろんスピード、動き、そしてテクニックだが、世界の最高レベルで成功するためには、これだけでは不十分である。
彼らに必要なものは、ピッチ上で1対1を制することができるフィジカルの強さ、そしてペナルティエリアで相手と戦える空中戦での強さだ。
UEFA(欧州サッカー連盟)のテクニカルディレクター、アンディ・ロクスブルグ氏はFIFAの公式サイトで、攻撃を焦らず、必要とあらばテンポを変えることを学ぶべきだと語っている。

あらゆる面でこの数ヶ月はやることがたくさんある。
南米やヨーロッパのチームとアウェーで戦うことは、日本が独自の特別なスタイルを確立させるのに役立つはずだし、それはジーコにとっても、選手を選択するうえでプラスになるはずだ。

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"ケルンの奇跡"は奇跡なのか?

2005/06/23(木)

さあ、今夜の準備はできていますか?
“ケルンの奇跡”は起こりえるのだろうか?
ひょっとすると、起こるかもしれない。とくに、ブラジルのカルロス・アルベルト・パレイラ監督の発言が本当で、コンフェデレーションズカップの重要な日本戦でロナウジーニョやカカーといった主力選手を温存するようなら、何が起こるかは分からない。

もっとも、誰が出ないかは問題ではない。ブラジル代表は誰が出てきても、みな良い選手なのだから。
私には、日本が克服すべき最大の障害はメンタル面の問題で、サッカーそのものではないように思える。
ブラジルが素晴らしいのは分かっているが、彼らだってスーパーマンではない。このことは、先日ブラジルを破ったメキシコが証明してくれた。
だから、日本がこのことを心に刻んで試合に臨み、その歴史と、おなじみのカナリア・イエローのシャツへの畏怖を忘れてプレーすれば、良い試合になるのではないだろうか。

勝てるかって? う〜ん、それは分からない。まず何より、ブラジルに得点させないようにしなければならない。これは困難な課題だ。
ブラジルが1度ゴールを決めれば、日本は2度、ゴールを奪わなければならなくなる。そして日本は、ゴールを量産するようなチームではない。ですよね?
それに重要なのは、ブラジルは引き分けで準決勝に進出できるけれど、日本は勝利が必要であるということ。実際、これは日本にとって悪いシチュエーションではない。
ブラジルは少しばかりリラックスして、引き分け狙いのプレーをするかもしれない。そうなれば、日本にも終了間際にパンチを不意打ちするチャンスが生まれる。決めるのは、もちろん、大黒だ。
このシナリオはありえない話ではない。だから日本は冷静かつ組織的にプレーし、0−0の状態をできるだけ長くキープしなければならない。勝利のゴールを狙うのはそれからだ。
日本があまりに早い時間にゴールを奪えば、寝ていたブラジルを起こし、怒らせることになり、仕返しを受けるハメになるかもしれない!

もっとも、今夜ケルンで何があっても、欧州王者のギリシャに1−0で勝ったことにより、コンフェデレーションズカップでの日本の戦いぶりは成功とみなされる。ギリシャ戦での日本のパフォーマンスは見事で、大柄で小回りの利かないギリシャをパスと動きで寸断していた。
ユーロ2004で優勝した時も、ギリシャはあの程度だったのだろうか?
そんなことはないだろうけれど、ギリシャはワールドカップ予選のリーグ戦でも良い試合ができず、その不調ぶりは日本戦でも証明された。
ギリシャは不調で、日本も見事なまでにチャンスをモノにできなかったが、それでも日本の成長は見てとれた。
ギリシャ戦の勝利は日本サッカーの歴史でも最大級の成果として評価されなければならない。コンフェデレーションズカップはワールドカップに次いで2番目に大きい、FIFAの大会だ。

だから、今夜の試合を前にして、私からファンの皆さんへのメッセージは次のようになる。「リラックスして楽しもうよ」。
日本が勝利を収め、強豪ブラジルには絶対に勝てないのだという思い込みを葬り去ることを心から願っている。

*編集注
 このコラムは6月22日に書かれたものです

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ベンゲル的洞察

2005/06/20(月)

日本代表チームについて、“外部”からのコメントを聞くのはいつも面白い。
サッカー全般に対する広い知識を持ち、さらに内部情報を知っている“外部”のコメントは特に興味深いものだ。
コンフェデレーションカップ、メキシコ対日本戦のハーフタイムのアーセン・ベンゲル氏(アーセナル監督)の解説は、この試合のハイライトだったといっても良い。
ベンゲル氏は3人の日本選手、特に柳沢の前線での動き、右サイドでの加地のパワー、そして中田英寿のチームをまとめるオールラウンドな能力に感心したと言った。

前半の日本は非常に出来が良かったが、後半に入りメキシコが支配力を増していくとともにリズムとバランスを失っていった。
ニアポストから繊細なタッチでファー側の隅に決めた柳沢のゴールは、小笠原と加地の優れたボールコントロール、視野、そして技術から繰り出されたランとクロスによる産物だ。
一方、メキシコの2つのゴールは、日本の守備のまずさを象徴していた。
ロングレンジからうまく決められたとはいえ、1本目のゴールではディフェンスの前にスペースを空けすぎたし、2本目については空中戦の当たりが弱かった。こういう状況で、日本代表にとって中澤がいかに重要だろうか!

ジーコ監督の3−4−2−1システムは、非常に面白いフォーメーションだと思う。ただ、ポジションの人選について微調整がまだ必要だろう。
私なら中田浩二と福西を守備的MFに置いてディフェンスを強化し、中田英寿を小笠原と並べて前方に配置。俊輔はベンチに下げる。メキシコ戦の俊輔は疲れて動きも遅く、弱かったようだ。柳沢の下に中田と小笠原のペアを置く方が、よりダイナミックで効果的だと思う。

予選を突破するため、日本はギリシャに勝ち、そしてブラジル戦を引き分けに持ち込まなくてはならないという厳しい状況にある(*)。ただ仮に日本が準決勝へ進出できなかったとしても、私はそれほど心配することはないと思う。3年かけて、ジーコ監督は日本の長所を活かしたシステムを考え出した。
あとは、各ポジションにどの選手を使うか、それだけだ。

*編集注
このコラムは6月18日(ギリシャ対日本戦前)に書かれたものです

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レオン曰く「日本は10年前の方が強かった」

2005/06/16(木)

神戸のエメルソン・レオン監督(*)、ヴェルディのワシントン、まもなく始まるコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)…。
先日、このようなことが一挙に脳裏に浮かび上がる瞬間があった。土曜日、レオン監督が低迷中のヴィッセルを率い、大宮でナビスコカップを戦っていた時だ。
みなさんは覚えてらっしゃるだろうか?日本と韓国で開催された2001年のコンフェデ杯では、レオン監督はブラジルの監督を務めていた。そして当時、ブラジルの攻撃陣を引っ張っていたのがワシントンで、ゲームメーカーは同じくヴェルディでプレーすることになるラモンだった。

土曜日の大宮戦の後、私は今月のコンフェデ杯についてレオン監督に尋ねる機会を得た。コンフェデ杯で、日本代表は22日にケルンでブラジルと再戦するのだ。
4年前のブラジルは、茨城でのグループリーグで日本と対戦し、0−0で引き分けた。しかし今度は、そんなわけにはいかないだろうとレオン監督は考えているらしい。

「今度の試合は日本のホームじゃない。戦いの場はドイツだ。これには大きな違いがある。ドイツでは、日本は勝てないだろう」。
実際、最近の日本代表について、レオン監督はどちらかと言えばあまり肯定的ではなかった。
もちろん、彼は日本のサッカーに精通した人物だし、エスパルス(93〜94年)、ヴェルディ(96年)の監督を務めていたこともある。その彼が、日本代表は10年前の方が強かったと考えているのだ!
レオン監督によると、ブラジルにはあらゆるテクニックが揃っているが、最近の日本代表は戦術だけ。傑出した個人がいないという。
「今の日本は別のチームになっている」。
「スーパースターがいなくて、ただチームがあるだけだ。いまは、試合の流れを変えるのはスーパースターなんだよ」。

中田英寿はこのカテゴリーには入らないのか、と私は示唆/抗弁した。
「入らないね。日本にはビッグスターもいない。スーパースターっていうのはロビーニョやロナウジーニョ、ジダンのことだ」。
う〜ん…。これは非常に面白い。
日本代表のフィリップ・トルシエ前監督がこの言葉を耳にしたら大変なことになっていただろう。トルシエの哲学は、サッカーのチームではあらゆる選手がそれぞれ具体的な役割を担い、どの選手も等しく重要であり、スーパースターは必要ない、というものだからだ。
もちろん、レオンの意見も尊重されるべきだ。ロナウジーニョのような選手なら、その優れた技術の一端を披露することでスコアレスドローの試合を1−0の勝利に変えられる。こうした指摘には誰もが納得するだろう。

しかし、10年前の日本代表の方が強かった、なんて意見には賛同できませんよね? 10年前、実際には1995年6月だったが、私はイングランドでアンブロカップに出場する日本代表を追いかけ、ウェンブリーでのイングランド戦、グディソンパークのブラジル戦、ノッティンガム・フォレストのスウェーデン戦を観戦した。
当時はカズやゴンがフォワードで、バックには井原や柱谷がいた…。
しかし中盤には中田や小野のような資質をもった選手はいなかった。
いずれにしても、2003年のコンフェデ杯から日本がどれくらい進歩したかは、もうすぐ分かる。

*編集注
このコラムは6月15日、神戸のレオン監督解任が発表される前に書かれたものです

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バンコク雑記

2005/06/13(月)

そう。1997年のジョホールバルとは状況が少し違ったが、2005年のバンコクも、“日本代表”の歴史に刻まれる都市となるだろう。
1968年のメキシコシティのように歓喜に包まれたり、1993年のドーハのように悲観に暮れたり。歴史に刻まれるその理由は様々だ。

バンコクは疑うまでもなく、真のサッカー都市。その証拠は至るところにある。人々が世界の有名チームのレプリカユニフォームを着て仕事をしているのだ。
レアル・マドリード、インテル、バイエルン・ミュンヘン、リバプール(当然ながらいま最も売れている)、そして…ジェフ!?
いや、本当なんだ。

北朝鮮対日本戦が行なわれる日の朝、私はバンコク国立競技場周辺のスポーツショップを見て回った。そう、黄色を避けながらね。どうしてかって?黄色といえば、やっぱりブラジルだ。それは遠慮したい。
ところが、黄色の山の中に少し違った黄色、緑のエリの付いたものを見つけたのだ。ラックから引っ張り出してみると、そこにはまぎれもなく赤、黄、緑の紋章とその上に「ジェフ市原」と書いてある。
もちろん買いましたとも!ホームシックだったしね。結局全部で7枚買って、合計2800円、1枚400円だった(アディダスさん、ごめんなさい!)。
他の6枚はすべて代表チームのもので、それぞれ違う色、デザインだった。これは誕生日やクリスマスのプレゼントにピッタリだ。

それにしても、だ。ジェフのユニフォームがなぜバンコクに?
店員に尋ねてみたところ、製造元のオール・リーグ・スポーツが、日本のチームの中で最も良いデザインだと考えた1チームを選んだのだという。ジェフはホームゲームの何試合かを蘇我だけでなくバンコクでも開催してはどうだろう。

え?試合?日本が北朝鮮に負けるなんてことは、これっぽっちも心配していなかった。
そんなことよりも試合前に売店で飲み物を買った時、お金をちょろまかされるんじゃないかってことの方がよっぽど心配だった。
とにかく猛烈に暑い。ミネラルウォーターを5本買ったのだが、財布には1000バーツ札(約3300円)しかなかった。
水は1本10バーツ。私が店員にお金を渡すと、彼はお釣りを取って来ると言い、ニコニコと愛想の良いアシスタントに売店を任せて出て行った。
10分待っても彼は戻ってこない。私は自分の犯した間違いに気付き始めていた。1000バーツといえば、おそらく売上げの少ない日の2日分に相当するだろう。そして彼は、私が試合を見に来ていることも、じきスタジアムの中へ入っていくであろうことも分かっていたに違いない。
そうやって最悪の事態を思い浮かべながら、私は汗にまみれていた。彼が10枚の100バーツ紙幣を手に戻ってきたとき、どれだけホッとしたことか。
彼は「100バーツで10本買わないかい?」と言ってきた。
しかし私は5本しか買えないと答えた。なぜかって?だって、ジェフにお金を全部つぎこんでしまっていたからね!

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アレックスには罰金を

2005/06/09(木)

うん、今回はジーコに脱帽だ。
プレッシャーのかかるバーレーン戦(8日)では、このブラジル人監督の打つ手がすべて当たったのではないだろうか?
私は、彼の3−4−2−1のフォーメーションが本当に気に入った。理由は、代表の強み、つまり中盤を活かしていたからだ。
このフォーメーションのおかげで、小野を故障で欠いても6人のミッドフィルダーを起用できたし、ついに正しいバランスを見つけられた。
バックの3人は安定し、ピッチの左右に並んだ中盤の4人は日本チームに堅牢さと十分な広がりを与えるものだった。
7人の選手が守りに備えているので、残りの3人は攻撃に集中すればよい。
中村と小笠原は自由に動き回ってワントップの柳沢をサポートすることができた。この3人プラス中田英が入った連係で、この試合唯一のゴールが生まれたのである。

UAE戦後、ジーコは鈴木を擁護したものの、この試合では彼を先発で起用せず、アントラーズにおける彼のかつての同僚を攻撃の前線に送りだした。
その夜はすべてがうまく機能し、日本が試合の主導権を握ってボールを支配し、バーレーンには決定的とも言えないチャンスを2、3度与えただけであった。
ゴールが生まれると生まれないのでは、なんと大きな違いがあることだろう!
突然、日本代表はリラックスし、楽観的になった。もう予選突破が決まったみたいに…。
実際には、予選突破はバンコクの北朝鮮戦で決めなければならない。
出場停止で中村、中田英、アレックスを欠いても、最終予選で0勝4敗のチームに勝つか引き分けるのは、日本にとって十分可能なことだろう。

それはそうとして、アレックスは一体何をしていたのだろう?
ペナルティキックを得ようと不必要なダイブをし、またもイエローカードをもらうなんて、まったくばかげた行為だ。
JFA(日本サッカー協会)には、アレックスに罰金を科して欲しいものだ。今回のような行為は日本サッカー全体に悪影響を及ぼすからだ。
2年前のコンフェデレーションズカップ、ニュージーランド戦でアレックスに退場処分が下されていたら、その後の結果はかなり違っていたかもしれない。
その試合でアレックスは序盤に無様なファウルで警告処分を受けていたが、相手のペナルティーエリア内でのダイビングには2枚目のイエローカードが出されるべきだった。アレックスは罰則を免れ、日本は3−0で快勝。そうして、このことは忘れ去られた。
JFAは、彼に欺瞞的な行為をやめ、きちんと“サッカー”をするよう申し渡すべきである。

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“レイソル&トルシエ”こそパーフェクトコンビ!?

2005/06/06(月)

ここ最近何かと話題を提供している柏レイソル。
勝点が多いわけでなく、ゴール数も多くない。それでも、このクラブには退屈させられないのだ。
まず、先週土曜日のジェフ千葉戦。1−5の敗戦後に起きた、監督解任などを求めての“座り込み”についてはっきりしておきたいことがある。
レイソルファンは何か問題を起こしたわけではなく、もちろん暴力に訴えたわけでもない。
当然のことながら彼らはただイライラし、案じていたのだ。それでも、抗議行動は平穏に行なわれた。

聞くところによると、いくつかのメディアでレイソルファンがまた騒動を起こしたと報じられ、クラブ側は憤慨しているという。
そうではない。彼らは溢れる情熱の中で、自身の想いを聞いてもらいたかっただけ。そして、「柏レイソル」と叫び、チームへの支持を示したのだ。
1人の年配のサポーターがファンの大多数が支持する提案をしたとき、おそらく3歳か4歳ほどの子どもも含めて100人くらいの人々が歓声をあげる様(さま)は面白いものだった。
レイソルファンは、直ちにクラブの社長もしくは監督と話し合いの場を持つことを要求。これに対し、クラブ側は今季の成績について深々と頭を下げ謝罪し、日曜日の午前に日立台で行なうサポーターズカンファレンスの前に彼らをなだめようとした。

チームの経営陣には、当然ながら多くの疑問が投げかけられることだろう。
個人的には、レイソルが抱える最大の問題の一つはチームに即しない外国人選手の獲得だと考えている。
フロント陣の弱さ、つまり経営陣の弱さが、レイソルを代理人が思うままの扱いやすいクラブにしてしまったのではないだろうか。新たなネットワークを構築し、ブラジルや韓国以外にももっと目を向けるべきだ。

今チームに在籍している選手の中では、クレーベルは良い選手だ。しかしチームのこうした状態が続けば、果たして彼もいつまでチームにいてくれるだろうかと考えざるを得ない。
コーチ陣を見てみると、チームはこれまで、ブラジル人、イギリス人、そして日本人を試してみた。しかし、その誰もがチームの現状を打破できなかった。この点も、チームの問題の一つであるに違いない。
そしてタフな監督。これこそが、今チームが必要としているものだ。フィリップ・トルシエ氏の監督就任の可能性を確認してみても良いのではないだろうか?彼なら安易な妥協はしない。とは言え、彼を柏に迎えることは、これを嫌がる選手やスタッフも多いだろうが…。
まぁ良いではないか!ひょっとすると、これこそがチームに必要なものかもしれない。

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2度目のトルシエ・ジャパンはありえない!

2005/06/02(木)

先日のフィリップ・トルシエのコメントを、皆さんはお読みになったでしょうか。
どうやらトルシエは日本代表監督への復帰を希望しているようで、選手をピッチ上で自由にプレーさせていない、とジーコを批判した。
これは本当にトルシエの発言なのだろうか?
もしそうなら、ずいぶんご立派なご意見である。トルシエは、フォーメーションや戦略における融通の利かなさでは定評があるからだ。もっとも、才能のある若手選手には惜しまずチャンスを与えたし、タフな選手に育て上げようとはしていた。

では、近い将来、トルシエが元の仕事に戻る可能性はあるのだろうか?
私には、答えは分かりきっている。ありえない、だ。
バーレーンでの試合、それからバンコクでの北朝鮮戦で日本代表が芳しい結果を残せず、ジーコの更迭が不可避になった場合でも、JFA(日本サッカー協会)の川淵キャプテンが次の代表監督候補にトルシエを挙げる可能性は全くないと思える。
なにかと話題を呼んだ日本代表監督就任当初、トルシエはJリーグの日程を延期し、親善試合のための準備時間をもっと与えて欲しいというような趣旨の発言をした。その試合は、実際に彼の代表監督第1戦となった、大阪・長居でのエジプト戦だったと思う。
それから数日後、当時Jリーグのチェアマンを務めていた川淵氏はトルシエの発言に対してコメントを求められ、代表監督を辛辣に批判した。

「彼は10年間アフリカで仕事をしていた。日本にやって来て早々、Jリーグそのものを変えようなんておこがましいにもほどがある」というのが川淵氏の発言の主旨だった。
だから、ありえない話なのだ。
日本を出てからのトルシエは、順風満帆というわけではない。最初は(右ひざの)手術を受け、長いリハビリ期間を過ごさなければならなかった。それから、カタール代表監督の仕事も短期間で終わり、マルセイユでの数か月は苦労続きだった。

私は、トルシエが中国代表監督に就任する可能性ならあると思う。混乱状態にあるプロリーグではあるが、信念を持って選手を選びだして新チームを作り上げ、2007年のアジアカップ、それから、もちろん、より大きな意味を持つ2008年の北京オリンピックを目指すのである。
トルシエにはこの仕事がぴったりだ。若い選手を抜擢し、少しばかり厳しく当たることで、よく走り、よく組織され、高い規律を持ったチームを作り上げる。
トルシエ中国代表監督。
私には、日本代表監督よりこちらのほうがふさわしいと思える。

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キリン杯の敗戦で守勢に立たされるジーコ

2005/05/30(月)

選手として、ジーコは攻撃の天才としてその名を馳せた。
しかし金曜日、彼は守備的な一面を垣間見せた。
UAE戦では見事なまでに相手の作戦にはまり、選手たちは守りきれずにカウンターで試合を決するゴールを奪われた。残念である。
試合後の記者会見でジーコは、チーム全体を、そして特にある1人の選手をかばった。
彼はさらに、この微妙な時期にはチームをサポートし、選手たちを励ましてくれるようメディアに要請した。こんなことを言えば、例えばブラジルのような熱狂的サッカー大国ではごうごうの非難とあざけりを受ける。

1人の選手がメディアからの非難の的にされていた。
それは誰か?
易々とラインを突破され、ゴールを許してしまった坪井をはじめとするDF陣だろうか?
緩慢な動きでそれほど鋭くもないシュートに対応できず、アングルもカバーできずにゴール隅にボールを蹴り込まれてしまった川口?
いや、それは鈴木隆行だった。彼は日本代表に選出されて以来ずっと、代表としての資質について色々と取り沙汰されてきた。
そこでこの機会に、私の鈴木についての見解を書いてみようと思う。

いま現在、彼はフォワードラインをリードするベストプレーヤーだ。ボールに対するカバー力、ディフェンダーを引きつけてチームメートにオープンスペースを作る能力は、チームのカギでもある。
金曜日はあまり調子が良くなかったが、長身でタフなバーレーンディフェンダーに対抗するには、やはり彼が必要になるだろう。
彼のサポートとして、大久保嘉人がいればなぁ…。しかしジーコはこの火の玉ストライカーを招集しようとしない。これまでにもこのコラムで述べてきたが、大久保はハングリーで、アグレッシブで、強烈なスコアラーだ。彼を招集しないのは監督のミスだろう。どうやらジーコは大久保のことなど忘れてしまったらしい。

私は、鈴木批判の尻馬に乗ろうとは思わない。彼は何度となく、自身の価値を証明してきているからだ。
金曜の夜、決定的なチャンスにヘディングシュートを右に外して同点にできなかったチームの新たなヒーロー、大黒を非難する人は1人もいなかった。ただ、大黒はこのミスをくよくよ考えることなく、また貪欲にゴールを狙っていくことだろう。
ただひとつ、誰もが賛同するのは、バーレーンでの次の一戦は非常に重要で難しいものになるだろうということだ。

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W杯に向け大久保がアピール

2005/05/26(木)

完ぺきなタイミングで、大久保嘉人がそのストライカーとしての才能を改めてジーコにアピールした。
セレッソ大阪のかつてのスター・ストライカーは、現在スペインのマジョルカに所属している。これまで順風満帆というわけではなかったが、週末には価値ある1勝をチームにもたらした。
デポルティボ・ラコルーニャに3−0で勝利した試合では大久保も3点目のゴールを決め、マジョルカにとって意義深いものとなった。
日本代表はホームのキリンカップでペールに0−1で敗れていたため、ジーコにとっては間近に控えたワールドカップ(W杯)予選の新たな検討対象となったことだろう。

心身ともに最高の状態にある大久保は、私にとってはやはり日本最高のストライカーである。彼はどん欲で、そして積極的だ。最高レベルの試合でゴールが次々と生まれるようになるのも、時間の問題だろう。
バーレーンと北朝鮮と戦うW杯予選で、大久保を鈴木隆行のような堅実なくさび役と組ませても良いのではないだろうか?
大久保は日本の救世主、切り札となり、2006年ドイツ大会出場を決めるゴールを挙げるかもしれない。

ジーコは大久保にチャンスを与えるのだろうか?
私は、与えると信じている。これまでずっと、ジーコは大久保を擁護してきたからだ。
玉田は、クラブでも代表でもゴールを決めていないし、大黒がJリーグから代表の先発に駆け上がるにはまだ時間がかかるかもしれない。しばらくの間は、大黒はスーパーサブ的な役割が向いているようにも思える。
高原は、テヘランでの試合とバーレーンとのホーム戦の2試合では、出来は良くないと思った。だから、彼の立場も微妙である。
大久保と鈴木の「コンボ」は、鈴木がフォワードラインを押し上げ、相手ディフェンダーをピッチのあちこちに引きつければ、なかなか危険なものになるだろう。
大久保はスペースを使えるし、ペナルティエリアに入り込み、両足で強力なシュートも打てる。ミスを恐れない。これが彼の良いところだ。

週末、素晴らしいタイミングでアピールした大久保。JFA(日本サッカー協会)には、スペインから、日本代表が6月3日のバーレーン戦に備えて合宿を行なうUAEまでの彼の搭乗券をぜひ予約しておいてもらいたい。
大久保の復帰は、日本代表に予想外のボーナスをもたらしてくれるかもしれない。

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カメルーンの“紳士な巨人”エムボマ

2005/05/23(月)

“その時”は、意外に早く訪れた。
さまざまな怪我と長きに渡って戦ってきたエムボマにとって、引退発表は仕方のないことだった。
ひょっとするとJリーグファンの方でも、彼がまだ日本に、ヴィッセル神戸にいたということを知らなかったという人も少なくないだろう。
たとえそうだとしても、寂しくなることでしょう。

“優しい巨人”のニックネームがピッタリな選手は誰かと尋ねられれば、それはパトリック・エムボマである。いや、彼の人間性に触れた人はみな心が暖かくなるのだ。「優しい」と言うより「紳士」という方がよりふさわしい。
長身で恐れを知らないカメルーン人の彼は、ガンバ大阪での最初のシーズン、Jリーグに火をつけた。彼の素晴らしいゴールはテレビ解説者をも感動させた。
どの角度からもボールをねじこむ彼のゴールはパワフルで、ボールを受け止めたGKごとネットにふっとばすか、ネットを突き破るかと思われるほど。

エムボマは来日する前の数シーズンをフランスですごしていたが、結果は出せずにいた。しかし、日本で挙げたこれらのゴールがヨーロッパのチームの目に留まったのである。
1998年フランスワールドカップ、私は凍てつくような夜にトゥールーズで行なわれたカメルーン対オーストリア戦を観た。試合後はエムボマがガンバを離れ、イタリアのカリアリに移籍するという話で持ちきりだった。
エムボマは選手として全盛期のうちに最高峰のイタリアで自身を試してみたいと考え、1998年のシーズン半ばに日本を去ることを決断した。
その彼が東京ヴェルディ1969に移籍して日本に戻ってきたのだ。私は少なからず驚いた。
彼はカリアリで、またその後パルマで苦戦していた。そしてさらにプレミアリーグのサンダーランド、そしてリビアでプレー。そんな時にヴェルディから誘いが来たのだった。

エジムンドに代わって、経験豊富なチームリーダーとしてエムボマは華やかというより安定したプレーをしていたが、故障によりヴェルディでも出場機会は減っていった。
イルハン・マンスズ獲得という高価な過ちを犯したヴィッセルではあったが、エムボマにラストチャンスを与える決断を選んだ。しかし、うまくはいかなかった。
それでもなお、エムボマは日本のファンからこよなく愛されていくことだろう。Jリーグが彼のサッカー人生の幕を開けたも同然で、彼も日本には恩義を感じているだろう。

2001年のコンフェデレーションカップの時、私は新潟のホテルでカメルーン代表チームを訪ねた。
選手たちが幸せな大家族のようにロビーで座っていた時、エムボマの携帯電話が鳴った。
他の選手たちはエムボマに配慮して静かになった。するとエムボマは子供の声真似をして「もしもし」と電話に出た。
チームメイトは大笑いでフロアを転げまわった。
エムボマが日本のサッカー界に与えたものは大きく、また日本が彼に与えたものも大きい。
カメルーンの“紳士な巨人”の時代には幕が下りた。しかし、人々の中で彼が忘れ去られることはないだろう。

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憂うつな午後を明るくしてくれた小野式CK

2005/05/19(木)

あれは、小野式CK(コーナーキック)と呼ぶべきものだった。
小野といっても、伸二ではない。
剛のほうだ。

土曜日に熊谷スポーツ文化公園陸上競技場にいた人なら——さほど多くはないだろうけれど——、大宮アルディージャ戦の後半にサンフレッチェ広島が見せた、CK前の独創的とさえ言える動きにきっと気づいたことだろう。
キッカーが左側からCKを蹴ろうとしているにも関わらず、大宮のペナルティエリア内にいるサンフレッチェの選手は1人だけ。
サンフレッチェは0−0でゲームを終え、アウェーで勝点を得られればそれで良い、という考えだったのだろうか?
いや、そうではなかった。5、6人の選手がペナルティエリアの外側10m辺りで一列に並び、CKのボールが上がると、一団となってゴール前に突進したのである。2チームが戦闘態勢に入り、グラウンドの中央で衝突しているようだった。
そのCKは成功しなかったが、交代で入った前田俊介が試合終了間際にゴール前をすり抜けて見事なシュートを決め、試合は広島が勝利した。

しかし、やっぱり気になるのはあのCKだ。
小野剛監督の試合後の話によると、あのような作戦をとったのは今シーズンで2度目だったそうだ。最初は横浜F・マリノス戦で、理由は同じだった。
「僕が考案した動きです」と小野は微笑みながら話した。
「大宮には187とか188cmぐらいの、長身で頑強な選手が何人かいるので、選手をマーカーから離しておきたい。キックの前に接触されるのを避けたかったんです」。

う〜ん、面白い。
大宮のディフェンス陣が、マークすべき相手を探しながら誰も見つけられなかった様子は、見ていてなかなか楽しいものであった。
憂うつな午後がほんの少し明るくなったのは事実だ。その日は寒くて、風が強く、どんよりとした雲に覆われており、5月中旬の午後3時キックオフなのに照明が必要な天候だった。
そのうえJリーグの試合には珍しく、ピッチも万全とは言いがたかった。
キックオフのかなり前から、グラウンドキーパーたちが芝のなかの小石を拾い集めなければならなかったほどで、まるで北朝鮮チームの試合直後のような状態。
試合が始まると、ピッチの一部には砂が浮き出ていた。しかし、なにより厄介だったのはボールがおかしなバウンドをすることだった。

「とてもひどい状態でしたね」と小野監督。「両チームにとって、ピッチの状態が悪いのはお互いさまですが、観客の皆さんにとっては迷惑だったでしょう」。
「ピッチ状態が良ければ、両チームとももっと面白くて、技術的で、戦術的なサッカーができたでしょうね」。

収容能力が小さいため、大宮公園サッカー場の使用は今シーズンが最後になるかもしれないという噂もあるが、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場のほうのリスクが大きいのは明白だ。

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今度はピッチ外で、レイソルの苦悩は続く

2005/05/16(月)

柏レイソルの状況は悪化の一途をたどっている。
一体どうしてしまったというのだろう。
資金も潤沢で、良い選手も揃っている。そして何より、情熱的なファンのサポートがある。
ところが、先日の名古屋グランパスエイト戦(0−2で敗戦)ではサポーターの数名が熱くなりすぎたようで、試合後にグランパスファンと揉め事を起こしてしまった。
この悲しむべき出来事に対して、金曜日、柏レイソルに過去最高額の1000万円の罰金を課すとJリーグから発表があった。
レイソルは、ここまでに得た勝点を何点か無効にされるのではないかと恐れていたが、無いものは無効にさえできない。
いや、それは事実じゃない。イエローモンキーズの皆さん、私のジョークに腹を立てられたのであれば謝罪します。結局、ファンの皆さんは十分に傷ついたのだから…。

実際のところ、財力のあるチームにとって1000万円の罰金はそれほど高額ではない。
その額はリカルジーニョが毎シーズン支払う病院代と同じくらいで、チームにとってそれほどの痛手ではないのだ。ただ、このことがチーム全体にとって恥ずべき出来事だということは疑うまでもない。
Jリーグから厳しい処罰を受けることを避けるためだろうか、レイソルは身元の判明した11人のサポーターを無期限入場禁止にし、代表取締役社長と取締役事業統括部長の2名を3ヶ月の減給処分にし、さらにホームゲームでの警備の強化を発表した。
他にも、日立スタジアムの場内ゲートを高くし、よじ登れないようにするそうだ。

グランパスには特に処罰は下されなかったが、厳重注意を受けた。
これは一体何についての厳重注意なのだろうか?
レイソルファンから自分自身を守ろうとしたことに対して?
確かに、何人かのグランパスサポーターはレイソルサポーターに野次を飛ばし挑発したが、これは別に犯罪でも何でもない。しかしこうした行為が広まらないよう、Jリーグは取締まることにした。

順位表を見てみると、レイソルは11試合を消化して勝点10で17位。その下には楽天ゴールデンイーグルス、いや失礼、ヴィッセル神戸がいるだけである。
レイソルの挙げたゴールはわずか9。とにかくゴールを決められない。玉田圭司はいまだ無得点だ。
そういえば今、ウェズレイは何をしているんだろう?
彼は自己中心的だし、チームプレーもできない。さらにピッチでも手抜きが多い…。が、得点力はある。ゴールを量産できる。
たとえば、ウェズレイがレイソルに移籍したら…?彼にはスコアレスドローの試合を1−0の勝ち試合にする力がある。うん、これはいいかもしれない。

さあレイソルサポーターよ、胸を張ろう!
あとは良くなっていくだけじゃないか!
そうだろう?

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関西期待の大阪ダービー

2005/05/12(木)

Jリーグが発展を続けるにつれ、「ダービー・デイ」の重要性がますます大きくなってきているようだ。
その良い例が、土曜日、セレッソが長居スタジアムにガンバを迎える「大阪ダービー」である。
面白い試合になるのは確実だろう。両チームとも、素晴らしい状態を維持しているからだ。

セレッソは瞬発力と組織力を活かしてプレーしており、攻撃陣は森島、古橋、西澤が危険なトライアングルを形成。とてもバランスの良いチームになっている。採用するフォーメーションは3−4−3か、ひょっとすると西澤を前線のターゲットとする3−4−2−1になるかもしれない。
一方のガンバは、相変わらずあらゆるポジションに良い選手が数多く揃っている。大黒はチャンスメーカーとしても、ストライカーとしても絶好調。さらにフェルナンジーニョとアラウージョというブラジル人のサポート役が2人いるため、こちらも攻撃陣は強力だ。
宮本が3バックの中央に復帰しているため、シジクレイと遠藤のコンビが「エンジン・ルーム」となっている中盤は、堅牢さを増しており、コンパクトにまとまっている。
シジクレイはとても安定していて、効果的な仕事をし、日本のサッカーを熟知している。いつもシンプルにプレーしてチームを機能させるよう努めており、まさに優れた「ボランチ」の見本と言える。
どちらのクラブも、大阪ダービーを盛り上げるために懸命な取り組みを続けていて、今週号の『週刊サッカーマガジン』誌ではカラー・ページでこの試合が採り上げられていた。

イングランドでは、地域のダービーは次シーズンの試合日程が発表されたときにファンが最も楽しみにする試合だ。
私の出身地は(マンチェスターとリーズの間にある)ハリファックスで、ハリファックス・タウンは現在、プロのフットボール・リーグより1つ下の「カンファレンス」(5部相当)でプレーしている。
私は次々と組まれるダービー・マッチに育てられたようなもので、たとえばブラッドフォード・シティとハダーズフィールド・タウンはともに4マイルか5マイルくらいしか離れていないところにある。
ダービーのある週は興奮が高まり、学校の友達が仲の良い敵となったものだ。友達が相手のチームを応援する場合、ダービー・デイ当日に彼と並んで応援するなんてことはまったく無理な話だった。
相手チームが得点した時の痛みは、堪え難いものだ。自分のチームのゴールネットにボールが突き刺さるのを見るのは、自分のチームの選手が意気消沈するのを見るのは、相手のファンが大騒ぎしているのを見るのは(そして、それを聞かされるのは!)、楽しい経験とは言い難いものだった。

しかし自分のチームが勝てば、特に敵地で勝てば、その時の順位に関係なく、人生は素晴らしいものになったっけ…。
ダービーで勝てば学校では友達に大威張りできるし、友達は手のひらを返したようにともて慎ましやかに、物静かになった。
そう、ダービーの結果が生活や街の雰囲気に影響を及ぼしていたのである。
Jリーグが創り出そうとしているのは、こうしたものだが、このような伝統を築くには長い時間が必要となるだろう。
長居に大勢の人が詰めかけ、両チームのファンの間で、激烈だが親密なライバル関係が見られれば良いと思う。
え、結果?
今回はめったなことは言えないので、2−2と予想しておこう。ちなみにこれはハーフタイムのスコア予想だけどね!
後半に何が起るかは全く予想できない。
ダービー・デイとは、そういうものなのである。

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ジーコはキリン杯というチャンスを活かせる?

2005/05/09(月)

ジーコがキリンカップの日本代表メンバーを発表する月曜日(9日)を目前に控え、私はなんとか自分の気持ちを盛り上げようとしている。
というのも、毎回のように期待しては裏切られるからだ。サプライズもなければ冒険もなし。毎度おなじみの顔ぶれ…。
新しいメンバーを試す機会があってもジーコの人選はいつも予想の範囲内だし、慣れっこになってしまった。
唯一の話題はヨーロッパ組の中で誰が呼び戻され、誰が体調も良く、誰が先発し…いや、こんな話にも飽きてきた。

そもそも今回のキリンカップ、ペルー戦、UAE戦にヨーロッパ組の選手達をなぜ呼びたいのか、全く理解できない。
長いヨーロッパでのシーズンも終了間近。ベンチでシーズンを過ごしたにしても、彼らに休息を与えてはやれないのだろうか。なぜ「今月末にUAEで会おう。6月3日のワールドカップ最終予選、バーレーン戦の練習に参加してくれ」と言えないのか。
その方がより合点がいくし、ジーコにとっても、プレッシャーの少ないキリンカップは新しい選手を見るチャンスだと思うのだ。

では、ジーコのドアを叩く選手としては、誰がいるだろうか?
実際のところ、それほど多いわけではない。しかしそれでも、代表でどれだけできるのか見てみる価値のある選手が2〜3人はいると思う。
まず、左サイドには三都主の交代要員が必要だ。5月4日に行なわれたジュビロのホームゲーム、ガンバ戦では早々に交代してしまったが、村井がそのポジションには最適かもしれない。
村井がだめなら、ヴェルディの相馬(崇人)はどうだろう。ジーコは、相馬が横浜F・マリノス戦でこれまた右サイドの加地の交代要員として候補に挙げられる田中隼磨と対戦するのを見た。
相馬には可能性がある。しかし彼はまだ未熟で、代表入りは1年後といったところだろうか。サンフレッチェの服部(公太)は27歳と年齢はいっているが、コンシスタントで能力も高い。選ばれれば面白いと思う。

また、私はこれまでFC東京のトリオ、茂庭(照幸)、今野(泰幸)、そして石川(直宏)を支持してきた。しかし現在チームは6連敗中。昨シーズンの好調時でさえ彼らを選ばなかったのに、調子を落としている今この時に彼らを選ぶ道理はない。
ただ、3人の中で今野は見てみたいと思っている。

前線では、ヴィッセルの播戸(竜二)はどうだろうか。最悪のシーズン開幕を切り、自信を失っているかもしれないが、彼には爆発力がある。他のストライカーとは一味違い、途中出場でチームに活力を与えられる選手だ。
先にも述べたが、現時点でJリーグで活躍している選手は少ない。しかしジーコにはこの機会を利用して、少なくとも将来の日本代表候補を見てもらいたい。
月曜日にはそれもはっきりするけれど、期待はしない方が良いだろうな…。

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大宮公園サッカー場のイングランド的雰囲気

2005/05/05(木)

2002年のワールドカップを契機として、日本のあちこちに壮大な建造物がいくつも存在するようになった。
しかし正直に言うと、私はより小さな、よりコンパクトなスタジアムでのサッカー観戦が好きだ。
大宮アルディージャがJ1に昇格してくれたおかげで、飽和状態の関東エリアでも中立の観戦者に新たな選択肢が与えられるようになった。

ここ数週間、私は大宮公園サッカー場に2度足を運び、Jリーグの試合を観戦した。いずれも素晴らしい雰囲気だった。
特にヴェルディ戦では、ビジターチームのファンがゴール裏を濃い緑色に染め上げていたが、それを取り囲むように、スタンドの他の場所は明るいオレンジ色が支配していた。
スタジアムには陸上トラックも、遮蔽物(しゃへいぶつ)もなく、ピッチと観客席の距離がとても近い。
大分戦のように5,000人のファンしか入らなかった試合でも、やっぱり独特の雰囲気があった。大宮が時おりホーム戦を行なう埼玉スタジアム2002では、たとえ観客数が2倍になってもスタジアムの巨大さゆえにこのような雰囲気は醸し出されないだろう。

大宮公園サッカー場は、在りし日のイングランドのノンリーグ、つまり4つのプロリーグに所属していないクラブのグラウンドを思い起こさせる。
イングランドのFAカップのとりわけ1回戦では、下位のプロリーグのチームが地域リーグのクラブとアウェーで戦うことがあった。
こういう時、FAカップの「ロマンス」が生まれ、地域リーグの、パートタイムの選手ばかりのクラブがアウェーのプロチームを破るという番狂わせがよく起った。肉屋や教師、パン屋、配達員の選手たち…決勝ゴールを決め、プロリーグのチームをFAカップから敗退させると、全員がニュースの主役となるのである。

さまざまな街にある、さまざまなスタジアム…やがて屋根裏部屋に積み重ねられる運命にある、試合の日の記念プログラム…ひょっとしたら、ピッチには勾配があるかもしれない…それから、ハーフタイムに食べる、選手たちのワイフが作り、売っていた温かいミートパイ。
休みの日はいつもこんな感じだった。大宮のような素朴な雰囲気のスタジアムを訪れると、このような思い出で胸の中がいっぱいになる。
収容能力は小さいけれど、大宮公園サッカー場にはいつまでもJリーグのホームスタジアムであって欲しい。大宮公園サッカー場は、ファンが間近にプレーを見ることのできる、真の意味でのサッカー・スタジアムだからだ。

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FIFAの“観客なし”の裁定は行き過ぎ

2005/05/02(月)

6月8日に行なわれるワールドカップ(W杯)アジア最終予選、北朝鮮戦の開催地が平壌(ピョンヤン)から第三国に変更されるというチューリッヒからのニュースに、協会関係者、選手、そしてファンは一様に喜んだことだろう。
前回のイラン戦での北朝鮮のファン、そして選手たちの酷い行ないを考えれば、FIFA(国際サッカー連盟)の決断は勇気ある正しいものだった。
新たな開催地はまだ発表されていないが、日本サッカー協会の川淵三郎会長が提案するクアラルンプールと、それたからシンガポール。候補地は2ヶ所あるが、いまだ決定には至っていない。
平壌への輸送や管理の面倒から解放され、日本にとっては肩の荷が下りたといったところだ。
しかしFIFAはなぜ、試合を観客なしで行なうことまで命じたのだろう?
この決定は行き過ぎだ。2万スイスフラン(約180万円)の罰金を課された北朝鮮に、さらに経済的制裁を加えるようなものだと思う。

仮に、試合がシンガポールで開催されるとしよう。
東南アジアには何千という日本人が住んでいる。彼らが試合に押し寄せてくるだろうし、さらには香港など東アジア、そしてもちろん日本からも大勢の日本人がやってくるだろう。
シンガポール人も世界のサッカーファン同様、自国のサッカーが好きで、1966年W杯での北朝鮮の快挙を今も忘れていない。
すなわち、2万人近い日本人、プラス1万人もの現地の人々が集まり、中立国での開催でも素晴らしい環境が整うわけだ。
日本にとってはホームゲームのようなもので、おそらくFIFAは、この状況は避けたいのだろう。
開催地を平壌から変更すること自体、政治的に微妙な現在では日本贔屓(びいき)ととられる。そのうえ、日本の第二の“ホーム”ゲームの状態にすることは度が過ぎるとみられるかもしれない。

個人的には、中立国で、観客を呼んで開催するのが良いと思っている。そうすれば、北朝鮮サッカー協会にも入場料収入が入るのだ。
北朝鮮は金曜の発表から3日の間に上訴することができ、また、その後7日間で彼らの言い分を主張できる。
北朝鮮には“観客なし”の決定について異議を申し立ててほしいし、要請があれば、日本にもそれをサポートしてもらいたい。できればシンガポールで、観客を入れて開催することをFIFAが認めてくれると良いのだが…。
しかし、それで万事めでたし、とはいかない!

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1万ゴール目は誰だ?

2005/04/28(木)

中村直志と人生最高の海外旅行。さて、この2つの間にはどんな関係があるでしょう?
まあ、現時点では、関係はない。
しかし、ここ数日で関係が出てくるかもしれない。名古屋グランパスエイトのこの魅力的な選手が、J1リーグの通算10,000ゴール目を決めるかもしれないからだ。

今後数節の日程を研究していたら、金字塔のゴールを決めるかもしれない選手として、どういうわけか、中村の名前が浮かび上がってきた。
理由は、こうだ。
先週末のゲームが終了した時点で、Jリーグ発足(1993年)以来のJ1通算ゴール数は9,922。あと78ゴールで記録が達成されるわけだ。
今シーズンは、7節終了時点で183ゴールが生まれている。平均すると、1試合2.91ゴール。
この傾向が続くと仮定すると——もちろん、ガンバがFC東京を5−3で破ったような試合もあるだろうが——10,000ゴール目が生まれるのは5月4日の第10節ということになる。
そう…、今週の木曜日や次の日曜日じゃあ早すぎる。エメルソンがゴールの挙げ方を思い出さない限りは…。
Jリーグも、この日にお祝いの準備をしておくと良いだろう。

その日の予定を見ると、開始時間が遅いのはグランパスがホームに大分トリニータを迎える試合で、中村が歴史的なゴールを挙げるのにうってつけだ。
もちろん、的外れな予想かもしれない。しかし、色々な可能性を考えてみるのはまったく楽しいものである。
もしも当たったら、人生最高の休日をどこで過ごそう?

みなさんご存知のように、Jリーグでは10,000ゴール目を決める選手を予想するコンテストを実施している。すでに10万通以上の応募があり、100人以上の選手の名前が挙がっているという。
一番人気はエメルソンで、大黒将志(G大阪)、キング・カズ(神戸)が続いている。
1等——ゴールを決めた選手ではなく、予想を的中させたファン1名に贈られる——は、500万円相当の旅行。幸運な当選者は、好きな場所に、好きな人数で行く旅をオーダーメイドできるのだ。
エントリーの締切りは4月30日(土曜日)。その時には、木曜日の試合が終わっているので、少しは予想もしやすくなっているかもしれない。
さあ、頑張って予想しよう。そうそう、みなさん、おみやげを忘れないでね!

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今野の“ボローニャでの成功”に1票

2005/04/25(月)

浦和レッズの長谷部とFC東京のコンビ、今野と石川に共通しているものは何か、ご存知だろうか?
答えは、スカウトのために来日したボローニャのフロントの目にとまった、である。
Jリーグのある筋の情報によると、ボローニャはこの3人のうちの1人と、来季開幕に間に合うよう6月に契約したい意向らしい。
彼らはみな、非常に面白い選手だ(フィリップ・トルシエも、きっとそう言うはず…)。
では、この3人の中で誰が一番イタリアでうまくやっていけるだろうか?もちろん、ベンチを温めるのではなく、トップチームでレギュラーとしてプレーできるか、という意味である。

イタリアのサッカーは守備と戦術に重きを置く。このことを考慮すると、前線でも効果的にプレーする選手だが、今野が一番イタリア向きではないだろうか。
オリンピック代表としての任務が終わった後、今野はすぐにでもフル代表に選ばれるべきだと思ってきた。彼はすばらしい“エンジン”を持っており、また、ボールの有る無しに関わらず頭脳的な動きをする。
タックルも、オープンスペースへの走り込みもうまい。得点力もある。ユースチームからオリンピック代表と、彼はみるみるうちに成長した。そしてジーコ監督の下でさらに成長し続けていくべきだったのだが、残念ながらまだそれは実現していない。

私は、この3人の中で最もイタリアで成功するチャンスがあるのは、屈強で信頼性の高い今野だと思う。
石川もエキサイティングでダイナミックな選手だが、オリンピックでは山本監督にあまり起用されなかった。私は彼もフル代表に上げられるべき選手だと思う。
スピードも爆発力もありディフェンダーとの勝負もためらわない。彼はチームの右サイドに幅を与えるのだ。
イタリアスタイルのサッカーは、彼の天賦の才能を抑えつけてしまうかもしれない。とはいえ、途中出場でインパクトを与えられる選手にはなるだろう。ただし、石川はそれを望まないのではないだろうか。きっと彼は、スペインやオランダのような、もっとオープンスタイルのサッカーの方が好きだろう。

では、長谷部はどうか?
彼には才能がある。これは確かだ。しかし、イタリアへ行くのはまだ早いと思う。彼はまだ日本で学んでいる途中で、現時点ではイタリアでプレーするには細すぎる。しかし、彼の才能と情熱はイタリア人のスカウトの目にはっきりと映ったようである。
これは3人に共通して言えることだか、彼らは全力でチームのためにプレーし、決して諦めない。ただ、それぞれがまったく違った長所を持っているのである。

さて、今回、浦和レッズが藤田俊哉に興味を示しているのは、長谷部の一件があるからなのだろうか?
それは、じき分かるだろう。


 

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レッドカード事例のテレビ討論を求む

2005/04/21(木)

土曜日(16日)のジェフユナイテッドと鹿島アントラーズの試合で、私には理解できないことがいくつかあった。
まず第一に、レフェリーの上川氏はなぜ、ジェフのブルガリア人DFストヤノフをあんなに唐突に退場にしたのだろう?
アントラーズのレフトバックの新井場がジャンプしたとき、私は北島康介(アテネ五輪・水泳の金メダリスト)が背番号7のユニフォームを着ているのかと思った。それはあまりにも鮮やかな飛び込みだったからだ。

上川氏は間髪入れずにポケットへ手を伸ばした。
混乱の極地のなかで、彼は何を探していたのだろう? レッドカードだろうか、イエローカードだろうか? ひょっとすると、クレジットカードだったのかもしれない。
おそらくそれは、ダイビングをした新井場へのイエローカードだろう。
上川氏は試合開始直後、アントラーズのストライカー、アレックス・ミネイロに最初のイエローカードを突きつけていた。アレックス・ミネイロはジェフのゴール前で櫛野と接触した際にダイビングをし、PKをもらおうとしたのである。

新井場へのイエローでなければ、接触したストヤノフへのものなのだろう。しかし、残っていたディフェンダーはストヤノフだけだっただろうか? 新井場を止めなければ決定的な得点チャンスとなっていたのだろうか? どちらの疑問に対しても、私の答えは「ノー」であった。

しかし、レフェリーはレッドカードをかざした。カードは春の陽射しのなかでキラキラと輝いていた。
信じられなかった。面白くなりそうだと期待していた試合がおかげで台無しになったのである。
それに、ボールがストヤノフの後ろに流れると、新井場は立ち上がろうとしていた。それは誰の目にも明らかだった。

本来、私はレフェリーを批判することが好きではない。レフェリーというのは厄介な仕事だし、最近ではほとんど不可能な仕事だからだ。しかし、今回のように性急な、不必要な判断で、レフェリーが自ら救いようのない行為に走る場合もある。
しかし、もうどうしようもない。ストヤノフは退場となってピッチから去り、結果、アントラーズが4−2で快勝した。
これはきわめて重要なポイントであり、私は、土曜夜のスポーツニュースでストヤノフの事例が時間をかけて分析され、可能な限りさまざまなアングルの画像が何度も映されるのを楽しみにしていた。
イングランドではそうして、このような議論の的となる、ゲームを左右した判断についてパネリストやコメンテーターが果てしなく喋り続けるのである。
しかしNHKの『サタデースポーツ』はこの事例を完全に無視していた。ただ、この試合のワンダフル・ゴール――小笠原の堂々たる2得点や勇人の見事なゴール(この若き佐藤は、なんて素晴らしいんだろう!)、ハースの絶品のシュートなど――は放映した。

その夜はさらに2つのテレビ局にチャンネルを合わせたが、レッドカードの場面はちょっと映っただけで、私の知り限るでは分析はまったくなかった。
2人の選手が接触したのは確かだが、新井場もストヤノフの肩に当たりに行っており、五分五分に見えた。
レッドカードだって? それはないだろう。
繰り返すが、本来、私はレフェリーを批判するのが好きではない。簡単で、安っぽいからだ。しかし、上川氏のこのときの判断は誤りで、不必要な性急さで楽しみを台無しにしてしまったと思う。

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“新・シュンスケ”を守りたい小野監督

2005/04/18(月)

“シュンスケ”は1人では足りなかったのかもしれない。どうやら、日本のサッカー界にはもう1人の“シュンスケ”が誕生したようだ。
その人とは、サンフレッチェ広島の前田俊介(18)である。
高校在籍中の昨年、すでに11試合に出場し1得点を挙げているので、Jリーグファンの皆さんの中には彼を知っている人もいることだろう。

水曜夜(13日)の味の素スタジアムで“新・シュンスケ”は、“旧・シュンスケ”こと中村俊輔に劣らないほどメディアから注目を浴びた。
ヴェルディを4−1で粉砕したその試合で前田は先制点を挙げ、快活で生き生きと活躍した。
コーナーキックからのボールを、身長わずか173cmの選手にフリーで、しかもヘッドで決められるというヴェルディの不甲斐なさが、前半なかばの前田のゴールにつながった。

かつてサンフレッチェやヴェルディでプレーした元日本代表のCF、高木琢也氏から試合前に前田のことを聞いていた私は、ユース出身でプロ1年目の彼のプレーを見るのをとても楽しみにしていた。
私は素晴らしい左足と飄々としたプレースタイル、中背細身で外見も中村にそっくりな選手だろうと思っていた。
しかしこの“シュンスケ”は、外見は中村よりも奥(大介)似。シャツをパンツの上から出し、ソックスは半分下げて履き、どちらかというとだらしない姿をしていた。
またプレーヤーとしても、中村とは似ても似つかなかった。
まず、スピードとオープンでの爆発力があり、大久保のように最前線で忙しく動き回る。さらに彼は1対1を好み、ヴェルディのDF陣に悪夢のような一夜を味あわせた。

スターに飢えた日本のメディアは試合後、必然的に前田俊介に群がった。最初はテレビクルー、そしてレポーターと、前田は20分も壁の前で捕まっていた。
サンフレッチェの小野剛監督は喜ぶべきか憂うべきか、戸惑っていた。
もちろん、チームとしてはメディアの注目は必要である。そして日本人スター選手も必要だ。しかし小野監督は、あまり早いうちから多くの注目を受けることは若い選手に「自分はスターになった」と勘違いさせてしまうと分かっている。

「彼を守らないとね」と小野監督は言う。
「彼には才能がある。しかし、ディフェンスやボールを持っていない時の動きなど、まだ学ばなければならない事がたくさんある。まだ若いし、必要以上の注目はかえって良くない」。
監督の言は正しい。
しかし勝点3も獲得したことだし、この夜だけは彼に群がるメディアを小野監督は歓迎したのだった。

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北朝鮮戦はシンガポールで

2005/04/14(木)

今朝聴いていたラジオによると、日本対北朝鮮が6月8日に平壌(ピョンヤン)で開催されることはなさそうである。
もっともだと思う。私は、日本のファンがこの試合に遠征するのは非常に危険だと感じていた。選手も然りだ。
特に日本が勝った場合、警備関係者にとって大きな問題が発生するかもしれないし、彼らがトラブルを防ぐためにどれだけの働きをしてくれるのかも分からない。

先日、テレビのニュースを見ていたら、こんなことが脳裏をよぎった。テレビには、1万人以上の中国人が様々な問題を理由として反日デモを行なっている光景が映し出されていた。
警官は、ずらりと並んだ中国の群衆が日本大使館に石やビンを投げるのを見ているだけ。
そのうち私は、お祭りの催し物のように、大使館の窓に物を当てた人には警官が景品を進呈するのではないかと考えるようになっていた。
明らかに、警官は群衆を制止しようとはしていなかった。デモ参加者の怒りが自分たちの政府に向けられると困るからだ。うん、なるほどね。

同じことが平壌でも起るかもしれない。だから、試合会場を変えるというのはもっともな考えである。
では、どこに?
う〜ん、ソウルではあまりにも政治的すぎるし、残念ながら香港も今のところそうかもしれない。私自身は、後者が最高の場所だと思っているけれど…。
香港には、日本人がたくさん暮らしているし、日本から試合を観に行く人も多いだろう。また、素晴らしい香港スタジアムには4万人の収容能力があるし、それにかつての英国植民地はサッカーが大好きなのである。

私は8年ものあいだ香港に住み、いまも定期的にかの地を訪れているが、中田英寿や稲本潤一はもちろん、松田直樹などのレプリカ・ユニフォームを着ている中国人の若者をよく見かける。
しかし、反日感情はたぶん香港でも燃え盛っているだろう。1997年の返還以来、大陸との繋がりがずっと深くなっているからだ。

北朝鮮対日本戦が中立地で戦われるようになるのであれば、シンガポールか、アジアサッカー連盟の本部があるマレーシアのクアラルンプールがいいかもしれない。平壌の無人のスタジアムでやるより、その方が良いだろう。無人のスタジアムでも、管理上の問題はまだまだ山積されている。
いずれにしても、今後数日間でこの問題がどのように進展するか、興味津々だ。しかし、警備および輸送という観点から、シンガポールでの北朝鮮対日本というのが私にはとても魅力的で、安全のように思える。
「弾丸ツアー」はまだ企画されていないのかなあ?

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強者レッズを見下ろす弱者アルディージャ

2005/04/11(月)

またもや専門家の目に狂いはなかったようだ。そう思いませんか?
埼玉では一方のチームが開幕ダッシュに成功し、そしてもう一方のチームは下位でポイント獲得を狙って必死にもがいている。
シーズン前の予想が外れるなか、弱小大宮アルディージャは好スタートを切り、一方の王者浦和レッズはあらゆるトラブルを抱え低迷しているのだ。シーズンが進むにつれ、大宮も浦和も収まるべき順位へ昇ったり落ちたりしていくのだろうが、これは日本に限らず、サッカーというものの予測がいかに難しいかということである。

3試合を終え、アルディージャは勝点7を獲得。彼らは充実したシーズンオフを過ごしたようだ。
今が盛りの桜のように、レギュラーに定着した藤本も絶好調で、新しくJ1に昇格したチームを引っ張っている。彼の経験と自信が、J2で6シーズンを戦いJ1に昇格した大宮の成功のカギなのだ。
ブラジルとウェールズ以外の国々では、左サイドの選手の確保は難しい。そんななか、三上は藤本の後ろで左サイドのバランスをもたらす好選手であることを証明した。
レッズ、ヴェルディでプレーしてきた桜井はガンバ戦でゴールを挙げ好スタートを切ったが、それ以来メンバーから外され、現在は故障している。
ペナルティエリアでは、昨年9月に行なった膝の手術から復調しつつある新外国人選手、ブラジル人のクリスティアンが他のチームにとって非常に危険な存在になるだろう。
藤本、桜井、三上、そしてクリスティアンも、すんなりチームに溶けこんでいる。三浦俊也監督が彼らを獲得したフロント陣を手放しで褒めるわけだ。

そして、レッズはと言うと…。
ギド・ブッフバルト監督は、三浦監督と立場を入れ代えられたらどんなにいいかと思っていることだろう。ドラマも物議もいらない。いくばくかの勝点だけで良いのだ。
0−1での敗戦が2試合、アルパイへの2枚のレッドカード、3−3のドローが1試合、そしてネネへのレッドカードが1枚。3試合を終え、勝点わずか1で浦和は17位につけている。

今日のホームでの注目の一戦、ガンバ戦では、出場停止のアルパイ、ネネ、故障中の闘莉王に代わり、坪井がリーグトップクラスの攻撃的チームを相手に急造ディフェンスを率いることになる。
埼玉スタジアムでは何ゴールか見られると思うが、ガンバよりレッズのゴールネットが揺れることの方が多ければ、埼玉スタジアムの観衆たちはさぞ落胆するだろう。
一方、大宮のサポーターたちは新潟での一戦を楽しむはずだ。開幕ダッシュに成功し、しばらくはリラックスして戦える。しかし内心では、いま獲得する勝点がシーズン後半で大きくモノをいうことになると、しっかり分かっている。
そうだ、いま、埼玉が面白い。

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ブラッター的言辞ばかりの記者会見

2005/04/07(木)

皆さんご存知のとおり、火曜日にFIFAのゼップ・ブラッター会長が日本を訪れ、六本木ヒルズの豪華なホテルで記者会見を開いた。
公式には、来訪の目的は、12月に6大陸のクラブ王者が一堂に会して行なわれる新たな大会「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ・トヨタカップ・ジャパン2005」のエンブレムのお披露目であった。

大げさなセレモニーのあとに登場したエンブレムは、まあ言ってみれば、他のほとんどのFIFAのエンブレムとあまりかわり映えのしないもの。
大勢のメディアが欲しかったのは北朝鮮についてのコメントであり、とりわけ6月8日に平壌で予定されている日本とのワールドカップ予選に関するものだった。
しかし、FIFAの会長であるのにもかかわらず、ブラッター氏は無関心を装い、先日のイラン戦での観客のトラブルについては規律委員会が調査しているとコメントした。

もっとも、あらゆる周辺状況から判断すれば、北朝鮮と日本の試合は予定どおり6月8日に実施されるだろう。舞台裏では、アジア・サッカー連盟(AFC)がメディアに提供する全書類の準備を進めているが、これが公表されるのはさらに先になりそうだ。
この試合が非公開となる可能性もわずかにあることはあるが、FIFAとAFCの両者が北朝鮮を刺激したくないと感じているのがうかがえる。北朝鮮がまたもサッカーの国際舞台から撤退するという事態も考えられるからだ。

ブラッター氏がそれ以上詳しく話さなかったことに、みんながっかりした。実際、彼の話し方はありきたりの言辞、つまり英語でいうところの「platitude(プラティチュード)」が満載の「Blattertudes(ブラッタチュード:ブラッター的言辞)」とでも言うべきものだった。
その日の午後に興味を惹いたのは、オセアニア・サッカー連盟(OFC)からAFCへの加入を申し出ているオーストラリアに関する話。
どうやら、この件には誰も反対していない様子で、実現しそうである。
もっとも、3年前にカザフスタンがアジアを離れてヨーロッパに加入したような、ある連盟から他の連盟への移籍はそう簡単に認められるべきではない、とブラッター氏は警告を発している。そうでなければ、それぞれの連盟が強い連盟と弱い連盟に分れてしまい、国際的なイベントを行なう意味が薄れるからだ。

公式会見が終了した後も、この件に関してはメディア間で活発な議論が繰り広げられた。大方の意見は、ブラッター氏の発言では不十分である、というものだった。
FIFAはアジアとオセアニアを再編成し、さらにアジアを東西に分け、東アジアにオセアニアの12ヶ国を統合させたほうが良いのではないだろうか。
言うまでもなく、オセアニアはFIFAに散々な目に遭わされてきた。当初、FIFAはオセアニアに対して2006年ワールドカップの出場枠を1つ与えていたが、南米からの圧力によりその枠を取り上げ、0.5枠としたのだ。
つまり、オセアニア予選の勝者はさらに南米予選5位のチームとホーム&アウエーのプレーオフを戦わなければならないのである。

しかし、FIFA会長の口からは事実上なにも目新しいことは語られず、大勢の報道陣にとってはまさに大いなる失望だった!
ジュビロとマリノスのいずれもが12月の世界クラブ選手権に出場できないという事態になれば、さらに失望は大きくなるだろう。

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“忘れ去られた男?” 〜自身を証明する努力をしつづける稲本〜

2005/04/04(月)

時は移ろいゆくもの…とは言うものの、埼玉スタジアム2002でのワールドカップ(W杯)、ベルギー戦でのゴールで稲本潤一が日本のヒーローになったのは2002年のこと。そんなに遠い過去の話ではない。
今週行なわれたバーレーン戦はベンチスタート。試合終了間際に数秒プレーしただけだった。
この、好感のもてるMFの将来は一体どうなってしまうのだろうと思わずにいられない。
彼はこのままプレミアリーグに残るべきなのだろうか?それともその下のリーグに移る、あるいはさらにレベルを下げ、オランダやベルギーに移籍するべきなのだろうか?
または、昨年末に帰国した川口能活のように、ヨーロッパでのプレーを諦めて帰国すべきなのだろうか?

実際、“イナ”にはもはや日本代表先発メンバーの座は確約されていない。そしてこの状況が続けば、日本代表の座を失うことだってありえる。
ジーコにとって今のところ、小野と福西のペアが守備的MFの第一選択のようだ。小野が累積警告でバーレーン戦を出場停止になると、ジーコは中田英寿をそのポジションに入れた。
トレーニングではとてもリラックスしており、精神的にも充実しているように見えたイナだが、結局、中村と代わってピッチに立った。中村はロスタイムに入ってから、同点に持ち込もうとプレスをかけるバーレーンにボールをさらっと奪われるという無責任なプレーを露呈していた。

アーセナルで1年、フルハムで2年、そしてウェスト・ブロムウィッチで1年。イナのイングランド生活も4シーズン目である。カーディフへのレンタル期間が満了してチームに復帰した稲本だが、まだ、十分には認められていないようだ。
バーレーン戦の前夜、私は彼と話をした。彼は、ウェストブロムに戻ってブライアン・ロブソン監督に自分にはポジションを与える価値があるということを証明しなくてはならないと語った。

これまで私は、プレミアリーグのMFのレベルは稲本には高すぎると考えてきた。体調は良いし、もちろん、(サッカーに取り組む)姿勢、精神力、そして技術にも問題はない。
私が思うに、問題は判断力が追いつかないことではないだろうか。ボールを受けるよりも前に、ボールを受けた後にどうするかを判断しなくてはならないのだ。
イングランドでプレーするなら、イナは右サイドバックが合っている。ボールを扱うにも時間的な余裕があるし、彼の持ち味、オーバーラップしてゴールを狙うというスタイルにも問題は生じない。

とは言え、より重要なのはイナのチームでのキャリアである。
彼はレギュラーとしてプレーすることを考えなければならないし、大衆(要するにジーコである)の目に留まらなければならない。さもなければ、日本が予選突破する・しないに関わらず、2002年W杯のヒーローは2006年のドイツ大会をテレビで見ることになるかもしれない。

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選手たちが立ち上がった

2005/03/31(木)

火曜日の埼玉スタジアム2002での練習後、日本代表のキャプテン宮本恒靖が、多くの人が薄々感じていたことをはっきりさせた…。
つまり、チームの方針を決めるのは選手であり、監督のジーコではないということを示したのである。
これはジーコジャパンの大きな進展と言える。ジーコの方針はここ最近の数ヶ月、数週間、選手を含めた多くの関係者をずっと困惑させてきたからだ。
そうして事実上、選手たちがこの戦いに勝利を収めた。ジーコはぎこちない4−4−2のフォーメーションを捨て、選手たちが支持している、より流動的な3−5−2を採用しなければならなくなったのである。

こうした方針転換に先立ち、テヘランでの敗戦(1−2)から2日後の日曜日、宮本と年長の中田英寿、それからジーコの三者による緊急会議があった。
火曜日に宮本が語ったところによると、ジーコは「提案」には驚かなかったそうだ。ブラジル人監督もとにかく3−5−2に戻してみようと考えていたのである。
チームの方針を決めるののはジーコなのか、選手なのかという質問が出たとき、宮本ははっきりと答えた。
「それは選手の仕事です」。

この発言から、以下の2つの仮説が考えられる。
1つ目は、選手たちが監督への信頼をなくし、自分たちで問題を処理しようとしたということ。そうであれば、ジーコ時代の“終わりの始まり”に繋がるかもしれない。
そしてもう1つは、ジーコが3−5−2を貫く決心をし、これまで明らかに機能していなかった好みのフォーメーションをついに諦めたということ。ジーコが進む道は決まっている。選手たちがすでに進むべき道を示しているからだ。

結果はどうであれ、今回の出来事は関係者全員に好意的に受け止められるに違いない。
心情がついに吐露され、ジーコは監督を続けたいとの思うのであれば、現在の状況を受け入れなければならない。
選手たちとファンが驚異的な忍耐力を発揮し、ジーコもワールドカップ予選の重要な試合をなんとか勝ち上がってきたために、今も監督の座にいる。
3−5−2の方が4−4−2より日本の選手たちにフィットしていることは、もう何ヶ月も前から明らかだった。

ジャマイカと1−1で引き分けた、ジーコの日本代表監督就任初戦の後にも、私は、ジーコのアイデアは立派ではあるが、モダン・サッカーでは実用的でないと述べていた。
フランスで開催された2003年のコンフェデレーションズカップ。日本はJ2レベルのニュージーランドに2−1で勝ったあと、3軍クラスのフランスに敗れ、それから、引き分けでも準決勝進出が決まるコロンビア戦に敗れた。そのとき私は、3−5−2に変更したらどうかと「提案」した。
中田英寿を使えるからといって、フォーメーションまで変えなければならないということはない。

ジーコは、もはや異議申し立てはできない。これまでにも答えを見つけるための十分な時間があったのだ。
彼に監督としての技量が欠けていることが明らかになり、選手たちがついに立ち上がって混乱を収拾し、チームを改めてまとめようとしはじめたのである。この効果は、バーレーン戦ですぐに現れると思う。
誰かがしなければならなかったことだが、今回それをしたのがジーコでなかったのは明らかだ。

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“弾丸ツアー”でテヘラン遠征

2005/03/28(月)

私は今回の「サタデー・コラム」をいつもより2日早く、実際には木曜の朝に書いている。
それにはちゃんとした理由がある。
私は今夜、羽田空港に向かい、「弾丸ツアー」に日本のファンと一緒に初めて参加するのだ。
目的地は、もちろんテヘラン(そうであって欲しい…)。

飛行機が羽田を発つのは金曜の午前3時だが、集合はその5時間前の午後10時。テヘラン到着は現地時間の金曜午前9時40分の予定だ。
ビザと旅行カバンとカメラの装備で、私たち速やかに入国審査を通過しなければならない。そのあと午前の遅い時間に繁華街のホテルに向かい、しばしの休息をとる。
それからホテルでランチ。バスは午後2時30分にスタジアムへ向けて出発する。
アザディ・スタジアムでのキックオフは午後6時5分。でも、イランのファンは早めにやってくるかもしれない…そう、3時間前くらいに!
もしそうなら、約10万人のファンが昼下がりのスタジアムにいることになる。
キックオフが近づくにつれ、緊張と興奮が1時間ごと、1分ごと、1秒ごとに高まっていくことだろう。

日本で暮らす“英国人フーリガン”として、私は今回は記者席からではなく、日本のサポーターを間近で観察し、そしてファンと一緒に座り・立ち上がるのを楽しみにしている。
旅行業界の情報によると、800人のファンが“弾丸ツアー”でテヘランを訪れるそうだ。飛行機は2機で、一方に450人、もう一方に350人が搭乗する。
面白いことに、参加者の20%が女性だ。彼女たちには、イスラム教のイランに入るための厳しい服装規定が伝えられている。
重要なのは、(スカーフで)頭部を覆うということ、それから、身体の線があらわにならないようなゆったりした服を着ることの2点。
テレビで観ることはできるものの、女性は通常、アザディ・スタジアムには入れない。おそらく日本の女性ファンはいつも以上の注目を浴びるだろう。

さて、試合については――。もちろん日本にとってグループBで最も厳しい試合になるだろう。
初戦が引き分けに終わったイランに対して、日本は埼玉で北朝鮮に辛勝している。ホームのイランにとっては、現在進行中の予選を勝ち抜くためにどうしても勝点3が欲しいところである。
日本は引き分けで良いし、日本ならそれができると思う。

私の予想は0−0。これはジーコにとって悪くない結果だろう。日本は予選最終戦となる8月17日の第6戦までイランと対戦しないで済むのだ。しかもその試合は、会場はまだ決まっていないものの日本のホーム戦。もし全てが計画通りに進んでいれば、日本はその時までに十分な勝点を積み上げてドイツでの本大会出場を決めている。そうなれば、イランとのホーム戦は(スケールは小さかったものの)昨年のホームでのシンガポール戦のように、祝賀会のようになるだろう。

試合後、私たちは直接空港に向かい、土曜の午前2時(現地時間)にテヘランを出発。日本時間の土曜夜9時に羽田に到着する。
全て順調にいったなら、私は土曜夜のスポーツ番組の時間には家に着き、アザディ・スタジアムのハイライトを全部チェックするのだ!
さあ、試合を楽しもう!

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マーカスはビエラを目指す!

2005/03/24(木)

ジーコ・ジャパンには、守備的ミッドフィルダーが不足しているわけではない。
ヨーロッパ組では小野、稲本、中田浩二がいるし、遠藤と福西のJリーグ・コンビもいる。
しかし、近い将来にジーコの注目を浴びるかもしれない選手が、もう1人いる。
実際には、とても近い将来になるかもしれない。日本が代表に呼ばなければ、米国が呼ぶかもしれないからだ。

その選手とは、大宮アルディージャのミッドフィルダー、ディビッドソン純マーカス。米国と日本の二重国籍で、いまはどちらの国の代表資格も満たしている。
土曜日、埼玉スタジアムで大宮がアルビレックス新潟を2−0で破ったナビスコカップの試合、ディビッドソン(チームメートたちからはマーカスと呼ばれている)が中盤を支配しているのを見た。
長身でパワフルなディビッドソンが数多くの新潟選手を抜き去り、中盤の奥深くからボールをキープしながら狙いを定めて攻め上がっていく姿は、常に精神を精一杯集中させ、次にすべき行動を決めようとする態度を窺わせるものだった。
また彼は、素晴らしいエンジンも搭載している。試合の終盤にも、長い距離を駆け上がってから惜しいシュートを放っていた。
まさしく、21歳のマーカスには有り余る天賦の才が備わっていると感じられた。JFA(日本サッカー協会)は早めに彼に目をつけておいたほうが良いとも思った。

ディビッドソン純マーカスは、とても興味深い人物である。
父親は米国人で、母親は日本人。母親が米国で美容師になるための勉強をしていたとき、二人は出会った。
自身は東京生まれの東京育ちで、東京ガスのジュニアユースでプレーしたあと、イングランドのサリー州にあるアメリカン・スクール(略称:TASIS)で1年を過ごした(サリーは豊かな南部にあり、瀟洒な住宅地が多い)。
その後、カリフォルニア州パサデナで3年過ごし、そして大宮へ。2003年にデビューした。
好きな選手はアーセナルのフランス人MFパトリック・ビエラで、テレビで見て研究し、ピッチではプレーを真似ようとしているそうだ。

「ビエラはすべてを兼ね揃えた、完ぺきな選手ですね」とマーカスは言う。
「なんていうか…、見習いたい選手です」(※筆者注: これぞまさにアメリカンな「なんていうか(kind of)」というフレーズが出た!)

友達にビエラみたいだと言われるととても嬉しい、とマーカスは話していたが、土曜日はまさにビエラのようなプレーであった。
ちなみに、マーカスという名は、父親が自分の好きなバスケットボール選手、マーカス・ジョンソンにちなんで名付けたそうだ。マーカス・ジョンソンはUCLAのスター選手で、大学でプレーした後NBAに進み、ミルウォーキー・バックスとロサンゼルス・クリッパーズでプレーした。

ワールドカップ予選の後にも、夏にはたくさんの国際試合が予定されている。ジーコには新しい代表選手が何人か必要になるだろう。ディビッドソン純マーカスは、見ておいた方が良い。

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Jリーグにうってつけの米国選手

2005/03/21(月)

フース・ヒディンクは、この地域では名の通った監督だ。
実際には、世界のほとんどでよく知られているだろう。
だから、彼が指揮するクラブ、PSVが欧州チャンピンズリーグの準々決勝に進出しても、それは驚くほどのことではない。

2002年のワールドカップ(W杯)で韓国代表を準決勝に導いた後、オランダに戻ったヒディンクは、李栄杓(イ・ヨンピョ)と朴智星(パク・チソン)の2人を呼び寄せた。
パクはもちろん京都パープルサンガで素晴らしい成功を収めていたが、今シーズンはPSVでも、京都で見られたような最高の調子を維持している。
PSVにはもう1人、とても興味深い選手がいる。俊足の米国人、ダマーカス・ビーズリーだ。

私は2002年W杯で米国の試合を2試合観戦したのだが、そのサッカーの質の高さとともに、個々の選手の成熟度、そして能力にとても感心させられた。
米国はセカンドラウンドの初戦「CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)ダービー」のメキシコ戦は2−0で制したものの、準決勝では残念ながらドイツに0−1で敗れた。
三流のブラジル人選手やJリーグのスタイルになじまない、あるいはなじもうともしない選手に相変わらず大金を投じているJリーグのクラブは、米国を新しい青田買いの地と考えたてみてはどうだろう。

先日、マリノスの練習グラウンドで、この件についてキーパーコーチのディドとおしゃべりをした。
この大柄のオランダ人は米国で指導をした経験があり、そこで出会った若い選手たちの技術レベルやサッカーの知識に驚かされたそうだ。
ディドは、ボスである岡田武史に、米国で才能のある選手を見てくるように勧めたそうで、たぶん岡チャンは多忙をきわめるスケジュールの合間に足を運ぶだろう、ということだった。

私は、米国の選手は日本で大成功すると思っている。
何よりも、彼らは自分の国を代表しているという意気込みを持ってプレーし、米国をサッカー(かの地ではフットボールではなく、サッカー)の国として認識させようとするだろう。その姿勢は第一級だ。
また、米国の選手は体調管理がしっかりしており、良い指導も受けているので、Jリーグのレベルでは魅力的な戦力となるだろう。それに、フィジカルが強いので、日本人選手にとっては難敵となるはずだ。
金銭的にも、ほとんどのブラジル人選手よりはるかに安く済むだろうし、支払った金額以上の価値を見せてくれると思う。
日本と米国は強く結びついているのに、Jリーグのクラブがメジャーリーグ・サッカーというマーケットに目を向けないのが不思議でならない。
まあ、そのうちどこかのクラブがあっと驚くような移籍劇を見せてくれるのではないかという期待は持っていたい。

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ささやかだけれど大切な、長谷川健太のスポーツマンシップ

2005/03/17(木)

土曜日の味の素スタジアムは、まるで昔に戻ったようだった。
ピッチの外には、おなじみのヴェルディの人気者、ラモスと北澤がいて、さらにパラグアイの陽気なGKチラベルトが最上段のエグゼクティブ・ラウンジで観戦していたのだ。
チラベルトはもちろん引退しているが、両チームのGKがともに相手を完封した0−0の試合結果に満足したことだろう。
もっとも、2人のGKが攻撃に参加せず、相手陣地でFKを蹴ろうとしなかったことは残念だったかもしれないが。
また、ジーコの兄であり、アシスタント(テクニカルアドバイザー)であるエドゥーとともに、日本代表のGKコーチ、カンタレリも来ていた。私は、派手ないでたちのヴェルディのGK高木がまたも注目を集めるだろうと思った。

川口が故障で離脱したため、ジーコには、楢崎、土肥に続く(あるいは、土肥、楢崎の順番か?)、日本代表の第3のGKが必要だ。
たぶん、月曜日には高木が代表メンバーに選ばれるんだろうな。
と、考えた私がバカだった。ジーコは鹿島アントラーズの曽ヶ端を招集した。とはいえ、高木にチャンスがやって来るのも、それほど先のことではないだろう。
ピンクのシャツに黒の短パン、ピンクのストッキング、そのうえ白のグラブと白のシューズの高木は、GKというよりは――まあ大柄だが――勝負服に身を包んだジョッキーのようだった。これなら、ジーコの目に入らないわけがない。

両チームともディフェンスが良かったが、とりわけエスパルスの4バックが素晴らしかった。
清水の新監督となった長谷川健太は守備陣を経験豊富な選手で揃え、右サイドには市川、中央には斉藤と森岡。左サイドにはジュビロ磐田から移籍してきた山西を配していた。
斉藤と森岡は危険なワシントンをマークし続けていたが、大変だったようだ。
「ワシントンはとても背が高いし、体も強いですね」と隆三。試合後の彼は、ラップのコンサートに――観客ではなく歌手として――行くような服装をしていた。
「彼は体を使ってボールをキープしますね。背中を向けられるとボールに届かないので、なかなかボールを奪えません」。

清水にとって幸いだったのは、ワシントンのシュートがゴールの枠を外れていたこと。それに、終了間際に放った見事なヘディングは、ボールが西部の手に当たったのだ。
実際には、エスパルスの方により決定的なチャンスがいくつかあった。特に前半、ゴールの外に飛んだ崔兌旭(チェ・テウク)のヘディング・シュートは決定的だった。

後半には、ささやかだけれど注目すべきことが1つあった。ヴェルディが攻勢に立っているとき、ボールがタッチラインを越え、エスパルスのベンチ前に転がった。
ボールを手にした人物は、スローインのために待ちかまえているヴェルディの選手に直接ボールを投げようかどうか、躊躇した。結局、その人物はボールをヴェルディの選手に届かないように放り投げることにした。
タッチライン沿いに立っていた健太は自らそのボールを拾い、ヴェルディの選手に投げた。それからベンチの方を向き、わざわざ混乱を招いたり、プレーを遅らせたりせずに、最初からこうするべきだったということを件の人物に知らしめたのである。

現役時代、誠実で、精力的に動き回るセンターフォワードだった健太が示そうとしたのは、いわばスポーツマンシップであり、これこそが世界中のサッカー界で求められているものだ。
冒頭に述べたように、まるで昔に戻ったようだった。昔は、このようなスポーツマンシップが当たり前だったのだ。現在は、ほとんど注目されなくなっているけれど…。

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シーズン序盤、攻撃力に欠けるマリノス

2005/03/14(月)

日本の整備された鉄道網と、ここ最近のサッカー熱の上昇に、感謝している。水曜日(9日)の夜、私は2つの大陸のチャンピオンズリーグ3試合を見ることができたのだ。
最初の試合は三ツ沢スタジアムで行なわれたアジアチャンピオンズリーグ(CL)、グループFの横浜F・マリノス対山東魯能戦。
試合後、全てのメディアが集まる取材を終え、三ツ沢の丘をおりて街へ戻り、横浜駅近くのイギリススタイルのパブへ行くと、店の大型テレビではACミラン対マンチェスター・ユナイテッド戦の後半が始まるところだった。
そして大宮へ向かう終電に乗って自宅に帰ると、ちょうどフジテレビでチェルシー対バルセロナ戦がスタートした。

それはそれは楽しい夜だった。もちろん、最初の1試合を除いてである。
今シーズンの岡田武史監督は、アジアCLで何とか結果を残そうと必死だ。2003、2004年とJリーグを制してチームは更にレベルアップし、アジアのチャンピオンへ挑戦すべきだと感じているからだ。
しかし彼らのタイトルへの挑戦は、中国チームに活気を奪われ試合をさせてもらえないまま0−1で敗れるという憂鬱なスタートとなってしまった。

岡田監督はチームを落ち着かせる1点が欲しかった。しかし久保、安、そして坂田はみな負傷中。新たにやってきたブラジル人FWアデマールは本調子にはほど遠く、ベンチにいた。
大島は良い選手のようだが、J2の山形から移籍してきたばかりで、J1の速さに適応していく必要がある。また、清水はスピードもあり相手にとっては危険な選手だが、ゴールゲッターではない。
それでもマリノスには、試合を何とかするチャンスが十分あった。そして今、彼らは2戦連続のアウェーゲームを控えている。
ただ、後半の中国チームの呆れるほどの妨害行為には、岡田監督と選手たち、そしてマリノスファンへの同情を禁じえなかった。
足がつったとピッチに倒れ込んで試合を止める。ベンチからピッチへ余計なボールを投げ込んで進行を妨げる。ゴールキーパーはわざと明後日の方向へとボールを蹴り、ボールボーイに別のボールを要求する。

本当にみっともない行為だった。試合終了のホイッスルがなった時、ちょうどベンチ裏から1人のマリノスファンが山東のイレブンに向かって痛烈な野次を浴びせたのは面白かったが…。
彼は風邪をひいていたか、それとも花粉症だったのか。中国人選手とセルビア人のコーチングスタッフに向かって叫ぶために、マスクを外していた。
いいぞ!それくらいやったってかまわないさ。
その後、プレスルームを後にする岡田監督は、非常に深刻な表情をしていた。
12月に日本で行なわれるFIFA世界クラブ選手権に出場するという彼の望みは、今のところはるか遠くにあるようだ。

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テヘランでは中田英寿が不可欠

2005/03/10(木)

月曜日(14日)、ジーコがワールドカップ(W杯)予選のイラン戦およびバーレーン戦の日本代表メンバーを発表する。最大の注目は、「中田が復帰するかどうか」だ。
中田と言っても、英寿の方であって浩二ではない。確かに最近は、同じ中田でも知名度の高い前者より後者の方がマスコミにとりあげられることが多いようだけれど。
フィオレンティーナのMFを欠いても、最近の日本は好成績。中国のアジアカップで優勝したし、W杯予選も全勝している。しかし私はそろそろ、元ベルマーレ平塚のエースを呼び戻す時期であるように思う。

先月、埼玉で北朝鮮と戦った日本には、中盤のリーダーとなる人物、大試合の経験があってチームをまとめられる人物が明らかに欠けていた。
それを補うのが中田である。
中田は、オールラウンドな才能とイタリアでの経験によりリーダーシップを発揮するようになっており、私はいまでも、彼を日本最高の選手で、群を抜いた存在だと思っている。
また、中田は恐れることを知らない。肉体的にタックルを恐れないだけでなく、精神的にも恐れることがない。12万人の熱狂的なイランファン、そしてタレント揃いのイランと戦うテヘランでは、日本にはこうした資質が不可欠なのである。

週末、中田はフィオレンティーナのメンバーとしてはプレーせず、レッジーナ戦ではベンチを温めていたが、これは問題にはならないだろう。
というのも、日本代表は3月17日に日本を発ってフランクフルトに向い、現地で22日まで練習を行なうからだ。そして22日にテヘランに移動し、そこで25日(金曜日)の試合までに、もう2日、練習期間がある。
ジーコも選手たちと過ごす時間が長くなり、「ヨーロッパ組」を組み込んだシステムを練り上げることができる。

テヘランで戦う日本代表にとって、中田は不可欠な存在である。中田が入れば、ジーコ率いる日本は北朝鮮に苦戦したチームから一変することになるだろう。
ジーコには3−5−2のフォーメーションを維持し、中田を中央のゲームメーカーとして2人のストライカーの後ろに配置して欲しいところだが、4−4−2に変更し、中盤の「銀河系軍団」を全員起用するかもしれない。
キャプテンについては、知的で、有力なリーダーの宮本のままでよいと思う。
キャプテンやコーチの重荷を改めて与えなくても、中田はゲームメーカーとして充分な責任を負うのだ。

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サッカーの世界を変えたミケルス氏

2005/03/07(月)

いつもはここで、日本のサッカーについてコラムを書いている。私は日本に住み、日本のサッカーを見ているからだ。
しかし今回は、サッカーについてもっと全般的なことを書こうと思う。金曜日(4日)、私はある記事に大きなショックと悲しみを受けたのだ。
記事というのは、1974年のワールドカップで世界に衝撃を与えた“トータル・フットボール”の生みの親、オランダの名将リヌス・ミケルス氏の死去についてだ。

その年の夏、私は自宅のテレビでワールドカップ(W杯)西ドイツ大会のオランダ代表を見ていた。そして、14歳だった私の人生が変わった。
英国人は海外の趨勢(すうせい)については無関心。66年のW杯を制したこともあって、私たちはいまだにイングランドが世界のトップだと思っていた。
イングランドが優勝したのは、西ドイツ大会のわずか8年前のこと。にもかかわらず、ツキに恵まれたポーランドのGKトマシェフスキー(伝説の名将、ブライアン・クラフにテレビの解説で“道化師”と呼ばれた)によって西ドイツへの道を断たれた。
そう。イングランドは西ドイツ大会には出場さえできなかったのだ。しかしそれでも私たちは“ジョニー・フォーリナー”よりも優れていた(ここで言う“ジョニー・フォーリナー”とは個人名ではなく、外国および外国人を指す代名詞だ)。
これは偏ったイギリスメディアによる独断とプロパガンダだった。

そこに現れたのが、ヨハン・クライフとその仲間達!
ワォ!これがサッカーだ!トータル・フットボールだ!
“戦術家”として知られたミケルス氏は才能溢れる選手を自由に使いこなし、知力、フィットネス、的確な技術、そしてコミュニケーションを必要とするシステムを考案した。
選手全員が攻撃に参加し、ポジションを変え、そして一番近い相手選手をマークすることから、ミケルス氏自身は“プレッシング・フットボール”と呼ぶことを好んでいた。
彼らの走力と視野はサッカーを活性化しただけでなく、スペースと時間を奪うことで対戦相手にサッカーをさせなかった。

74年W杯で私が覚えているのは、天才クライフがまるで自分のオーケストラを指揮するように緑のピッチ上をオレンジで覆いつくす光景だ。
彼らの美しいサッカーは美しいゴールを生み、次の攻撃がどこから来るか掴めず息を切らせる相手チームを置き去りにした。
ウルグアイの攻撃的なアプローチでさえ、優雅でタフなオランダには歯が立たなかった。彼らはこの領域においても十分対応できたのだ。1次リーグではブルガリアが、2次リーグではアルゼンチン、東ドイツ、そしてブラジルが、まるでハエが叩かれるように一蹴され、唯一、柔軟性に富んだスウェーデンだけが1次リーグで何とかスコアレスドローに持ち込んだ。

ミュンヘンでの決勝では、オランダが開催国の西ドイツを引き裂く様を見た。ミケルス氏率いるオランダは、西ドイツがボールに触る前に先制したのだ。
キックオフからオランダは細かくパスを繋ぎ、クライフがエリアに飛び込み、へーネスからファウルを受けた(よく間違われるが、フォクツではない)。
そのPKをニースケンスが決め、オランダが1−0とリード。あとは、オランダがさらに何ゴール決められるか、だった。
しかしチーム内に驕りと慢心が広がり、結局オランダがそれ以上ゴールを挙げることはなかった。
西ドイツのブライトナーがPKで同点にし、そして“爆撃機”ミュラーが決勝点を決めたのは、まだ前半のこと。オレンジの魔術にハマっていた私にとって、それは生涯忘れられない1日だった。

その後、1988年に、北東イングランドでサッカーレポーターをしていた私は西ドイツで開催された欧州選手権(ユーロ)を取材した。ミケルス氏率いるオランダはデュッセルドルフでファンバステンのハットトリックでイングランドを粉砕。ハンブルグで行なわれた準決勝では、やはりファンバステンの決勝点で2−1で西ドイツを破った。
まさに、胸のすくような復讐劇。
ミュンヘンでの決勝では、フリットとファンバステンのアクロバティックで止めようのないボレーでソビエトを破った。
ミケルス氏のオランダはようやく、1974年に受け取るべきだったもの…トロフィーを手に入れたのだ。

ミケルス氏の死去は世界のサッカー界にとって大きなショックであり、寂しい1日となった。
彼は戦術的にゲームを変えただけでなく、ファン、コーチ、そして選手にとっても全く新しい世界を開いた。
リヌス・ミケルスとトータル・フットボール、そして74年W杯で世界に魔法をかけたオレンジの魔術師たちを、人々は忘れないだろう。

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ダークホースはヴェルディ?

2005/03/03(木)

東京ヴェルディ1969は、まるでイングランドの公共バスサービスだ。1969年のバスサービスとは言わないが、現在のバスサービスもさほど変わってはいない。
寒さや雨に耐えながらいくら待ってもバスの姿は見えない。そうこうするうちに、2台一度にやって来るんだ!
長い間タイトルとは無縁だったヴェルディが、元旦の天皇杯優勝につづき、土曜日(2月26日)に横浜国際競技場で行なわれたゼロックス・スーパーカップでも勝利してしまった。
結末にはハラハラさせられたが、素晴らしい試合というわけではなかった。両チームともまだ調整段階で、マリノスは主力選手が何人か欠けていたからだ。
シーズン開幕直前だというのに、久保や安貞桓(アン・ジョンファン)、松田、坂田、アデマール、それから山瀬までもが揃ってピッチの外にいるというのは、岡田監督にとっては憂慮すべき事態だろう。
一方ヴェルディでは、主力選手では米山が欠場していた(この点も指摘しておいたほうがフェアだね)。

ヴェルディが土曜日に勝つ以前から、私はヴェルディが今シーズンのタイトル争いのダークホースになるかもしれないと思っていた。
アルディレスは独特のまとまりを持った、なかなか良いチームを作り上げており、ヴェルディは冬の間に十分な準備をしていた。

ヨーロッパと日本の複数のクラブがワシントンの獲得を目指していたが、ヴェルディは思い切った出費をし、彼との契約を勝ち取ったのである。
ワシントンは昨シーズンのブラジル全国選手権38試合で 34 ゴールをマークしていたが、土曜日にはその記録も当然だなと感じさせられた。
大柄な選手だが、前半は中澤でも捕まえられなかったし、ワシントンがシュート前にペナルティ・ボックスの端で体をひねり、抜き去ろうとしたときには、栗原の体はまるでコマのようにクルクル回らされていた。
さらに後半、マリノスのディフェンス陣を強引に突破し、2度のゴールを決めた時のワシントンは、まるで人間ブルドーザーのようだった。

それから、大橋(マリノス)の見事な先制点につながるクリアミスをしてしまったものの、かつてのエスパルスのファイター、戸田を獲得したのはヴェルディのファインプレーだ。
トルシエのお気に入りながらも、ジーコからはお呼びがかからない戸田の加入により、ヴェルディのバックラインあるいは中盤は大いに補強された。相手選手はみな戸田の存在を意識せざるを得なくなるだろう。
また、平本はずっとお気に入りだったが——柳沢(将之ではなく、敦の方)を思い起こさせる——2005年は彼にとって飛躍の年になるかもしれない。

ヴェルディがダークホースになるかもしれないと思ったのは、チームをまとまったまま維持できるからでもある。他のチームは、代表への招集で一定期間は選手を欠いた状態になるのである。
この点をアルディレスに指摘してみたが、同意は得られなかった。
「そんなことはないよ。今年はうちのチームからも代表選手が出るからね」。
たとえば?
「相馬。素晴らしい選手だし、日本で最高の左バックだと思うよ」。
アレックスやアツ(三浦淳宏)よりも上かな?(もちろん、アルディレスはこの2人をよく知っている)「比較はしたくない」とアルディレスは答えた。
「2人とも友達だからね」。

さあ、読売ランドに面白いシーズンがやって来そうだ!

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大黒がブルーマニアに火をつけた!

2005/02/28(月)

今週、日本サッカー界では興味深い事実と数字が飛び交っていた。
次のワールドカップ(W杯)アジア最終予選、日本のホームゲームにどれだけの応募が来たかご存知だろうか?
驚くべきことに、JFA(日本サッカー協会)が受け取ったバーレーン戦(3月30日)のチケット応募数は、さいたまスタジアムの収容人員6万3700人に対してなんと81万人以上である。
(次のホームゲームと私は書いたが、“次の”ゲームではない。次戦はもちろん、3月25日にテヘランで行なわれるイラン戦だ)

81万という数字は、これまでの記録の北朝鮮戦(2月9日)での申込み数35万の2倍以上だ。
W杯予選の際、世界のサッカー大国でどれほど申込みがあるかは分からないが、おそらくここまでではないだろう。
実際、ヨーロッパや南米のテレビ放送からみるに、スタジアムが満員になることさえないようだし、まして数10万人ものキャンセル待ちリストができるなんて、ありえない!

まぁ北朝鮮を振り返れば、バーレーン戦にこれほど応募が殺到するのも頷ける。電通のデータによると、北朝鮮戦のテレビの視聴率(平均)はなんと47%だったそうだ。
しかし、試合終了間際の数分間、1−1の同点で両チームが勝利への死闘を繰り広げていたその間は57%以上にものぼったという!
ご存知の通り、ロスタイムの大黒のゴールで日本が勝利を勝ち取ったわけだが、その数秒間の白熱ぶりは計り知れないものだ。

Jリーグの新シーズン開幕を目前に控え、これらのデータは日本サッカー界の関係者を勇気付けるものだ。
ただし、日本代表のサポーターがそのまま、Jチームのサポーターであるとは限らない。
地味なリーグサッカーよりも華やかな代表サッカーを好む傾向にあるのは、残念な事だ。
仮に、バーレーン戦のチケットを申込んだ81万人が毎週のJリーグのゲーム15試合(チーム数:30、J1:9試合、J2:6試合)を観戦したとすると、平均観客数はなんと5万4000人になるのだ。
Jリーグにとっては夢のような話だが…。

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レフェリーは大変なんだ!

2005/02/24(木)

あなたはレフェリーになりたいですか?
え、私? 私はごめんですよ!
一度、やってみたことはある。ある夏の夕方、イングランドの自宅裏にある公園でね。

それは、日曜日の草サッカー・リーグに所属する、パブの常連で作ったチーム同士の練習試合だった。どちらのチームの選手もよく知っていたが、その時の私は中立の傍観者。数マイル先にある、他のチームに所属していたからだ。
まあ、傍観者でいるつもりだったのだけれど、レフェリーが来なかった。そして、お楽しみはここから始まる。
「なあ、レフェリーをやってくれよ。ただの親善試合だしさ」と両チームのキャプテンに懇願され、ホイッスルを手渡されてしまった。
25年ほど前のことだが、いま考えると、こんな感じで言い訳したほうが良かったのかもしれない。
「悪いけど、僕はハーフタイムまでしかいられないんだよ。食器洗いを手伝って、犬を獣医に連れて行って、それから、おばあちゃんを教会まで送らなきゃいけないんだ」。

あるいは、おばあちゃんを獣医に連れてゆかなければならない、でもなんでもよかったのだが…。愚かにも、私はレフェリーを引き受けてしまったのである…。
私はすぐに、ピッチの外で友人だった人物が敵に豹変したことを悟った。
ほとんどあらゆる判定に異議が申し立てられた。ときには、とても荒々しく。
スコアなんてどうでもよかったので、思い出せない。覚えているのは、試合終了のホイッスルを早めに吹いたことだけ。なぜって、もう我慢がならなかったのだ。

それから1時間ほどした後にパブで再会すると、みんな私に微笑みかけ、以前のように友好的だった。まるでなにごともなかったかのように。
私の短い経験(およそ87分間!)から言うと、レフェリーはおそろしく困難な仕事だ。実際には、不可能な仕事なのかもしれない。

火曜日の午後、長い間日本でレフェリーを務め、現在はチーフ・インストラクターとなっているレスリー・モットラム氏の興味深くて、楽しいプレゼンテーションが日本サッカー協会で開かれた。そしてそこで、レフェリーが直面している問題がいくつか採り上げられた。
私がとくに気に入ったのは、「シミュレーション」に関する部分だった。
「シミュレーション」というのはダイビングを意味するFIFA(国際サッカー連盟)の業界用語だが、この大柄のスコットランド人の発言は大胆であった。

「これからは、インチキと呼ぶことにしましょう」とモットラム氏は言った。
「プレーヤーがやっているのはインチキにほかならないのですから」。
そう、その通りだ。
あれはシミュレーションではなくインチキで、サッカー界にまん延する現在の疫病なのである。
ダイブをして、フリーキックやペナルティキックを得られなかった選手がレフェリーに不満を言う。ダイブをしたフォワードにまったく触れなかったにもかかわらずペナルティキックを宣告されたディフェンダーも、自己正当化のためにレフェリーに不平を言う。

解決するのは簡単だ。
自重すればいいのだ。正直に、フェアにプレーし、FIFAのフェアプレー・コード」を尊重すればいいのだ。
そうすればレフェリーの仕事もやりやすくなるだろう。近い将来に実現するとは思えないが…。

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日本サポーターからの“ファン”タスティックな反応

2005/02/21(月)

おいおい、一体何が起こっているんだ?
イングランドのサポーターがアウェー戦に出かけることが好きだとは思っていたけれど、しかし日本のサポーターまで……うーん、何てことだ!
どうしてこんなことを言うのかって?

木曜日に私は、3月25日のワールドカップアジア最終予選・イラン対日本戦の取材のためにテヘラン行きのチケットを取ろうと、旅行代理店のHIS(スポーツ・イベントセクション)に電話をかけた。
そう、ホテル無し、飛行機の座席のみの、例の“0泊3日”ツアーだ。
しかしHISの座席はすでに満席で、長蛇のキャンセル待ちリストができていた。
「このリーフレットでは、3月10日申込み締切りとなっているじゃないですか。十分に余裕をもって予約しているのに…」と、私は懇願した。
すると担当の人は、HISは今回のツアーを催行する4社のうちの1社にすぎず、各社が約80席ずつ、合計しても320席しかないのだという。
彼は親切にも、他の3社の電話番号も教えてくれた。

私はそのうちの1社、日本メディア用スペシャルパッケージを扱う西鉄旅行に電話をしてみた。
しかしここでも満席。長いキャンセル待ちリストができていた。
幸運を祈りながら、私は悲しげに「他の2社にもかけてみるべきでしょうか?」と聞いてみた。
「申し訳ありません。どこも同じだと思います。」彼女は同情に満ちた声でそう答えた。

まぁ、いいか。少なくともお金を使わずに済むし、快適な我が家のリビングルームかスポーツバーで見れば良いことだ。それに、翌日にはナビスコカップに行ける。
と、強がってみたものの、正直なところ私はとても楽しみにしていた。
(ツアー価格の)12万9000円は安い。
羽田空港を3月25日の早朝1時30分(木曜(24日)夜と言うべきだろうか)に出発し、テヘランに25日朝9時(現地時間)に到着する。
そして午後6時5分キックオフのアザディ・スタジアムに向かう前に、観光をするのだ。

イランには行ったことがないし、グループBの鍵を握る一戦を、10万人を超える収容人員を誇るスタジアムで観たかった。
しかし…。試合後、午前2時には現地を出発し、土曜日の夜9時半に日本に到着するというハードな旅だというのに、多くの日本人サポーターも同じ気持ちだったようだ。

席が取れた人たちがとても羨ましい。もっと早くから準備しておけばよかった…。何と言っても、私は8年も日本に住んでいるんだからね。こうなると分かっているべきだった。
これだけ多くの人がキャンセル待ちリストに名を連ねているのだ。旅行会社はもう1機チャーターできないものだろうか。
どうか、お願いだ!

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FC東京に厚みを加える、新顔ダニーロ

2005/02/17(木)

フェンス越しの立ち見でも、45分×3本の試合でも、戻って来ることができて嬉しい!
北朝鮮とのワールドカップ予選のドラマと緊張が過ぎ去り、日曜日の午後の小平はずっとリラックスした雰囲気だった。

観ていたのはFC東京とヴァンフォーレ甲府の練習試合。数百人のファンと、かなりの数の報道関係者が集まっていた。
今では昨シーズンがはるか昔のことのよう。代表チームばかりに目が行っていたので、記憶から抜け落ちていた選手たちを見るのは楽しかった。
そのなかには、中盤の宝石・今野や、右サイドで元気いっぱいの石川、鮮やかなプレーを見せるにもかかわらず過小評価されている左サイドの金沢らがいた。
代表チームで疲れているはずだが、もちろん加地もスタメンに入っていた。加地は素晴らしいエンジンを備えており、間違いなくJリーグでも屈指の体力を誇る選手だ。実際、選手生活を終えてからでも、彼ならマラソンを完走できるのではないかと思うほどだ。ピッチでの90分間で、マラソンの距離に匹敵するくらい走っているはずだからだ!

FC東京の新戦力として面白いのは、ケガの多いケリーと入れ代わりに入団した、ブラジル人のダニーロ。
23歳のダニーロは、これまでの半生のほとんどをビーチで過ごしてきたように見える。外見はサッカー選手というよりはオーストラリアのサーファーのようで、ふわりと垂れた前髪、よく陽に焼けた肌、耳には数個のイヤリングを付け、右足の下半分には鮮やかなタトゥがあった。
近づいて見てみると、タトゥは自己アピールのためで、「D-A-N-I-L-O」という自分の名前が縦に彫られていた。どうやらあまり控えめな男ではなさそうだ!

ピッチでは、ケリーとはまったく違うプレースタイルである。
ケリーが純然たるアタッカーで、とてもクレバーで、ハマれば怖い存在であったのに対して、ダニーロはかなり引いた位置でプレーする。
ディフェンダーとボールの間に体を入れるのが上手く、それから右サイドの石川や左サイドの戸田にきれいなパスを送ったり、あるいは中盤でボールをキープしながら同胞のルーカスを探したりする。
よく動き回る選手で、がっしりした体格を盾にしてボールをキープし、ボールに触れられないようにするのだ。
日本代表監督を務めていたころのトルシエは、このような動きができないのが日本人選手の弱点だ、とこぼしていた。あのフランス人監督がダニーロのプレーを見たなら、必ずや感銘を受け、日本人選手にこのようなプレーを学ぶようにアドバイスするだろう。

原監督は、今野、馬場、浅利、三浦(文丈)、宮沢と中盤の中央に錚々たるメンバーを揃えている。したがって原監督のもっとも大切な仕事は、ダニーロの個人技をチームに融合させることと、ダニーロの役割を明確に定義することになる。
いずれにしろ、再びJリーグを身近に感じられて嬉しく思っている。数百人のファンも同じような感慨を抱いたことだろう。

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日本代表の地味男・大黒

2005/02/14(月)

水曜(9日)夜の北朝鮮戦で、日本に思わぬヒーローが現れた。そう、大黒将志である。
ジーコジャパンの新入り、代表2戦目の大黒がピッチに送り込まれたのは残り時間11分、1−1の同点の時だった。
数分後、ロスタイムに入り、振り向きざまにシュートを放った彼は、日本に勝利をもたらす救世主となった。
1年前は久保、そして今回はガンバ大阪の未知のストライカー・大黒だ。
大黒はガンバでそうしているように、北朝鮮のペナルティエリア内で透明人間になった。
ボールがこぼれると、そこには大黒がいた。ネットが揺れ、そして突然のゴール!誰が決めたのか、見た人はいただろうか?

ピッチの外でも、合宿中の大黒は私だけではなく、他のメディアの人間にとっても非常に目立たない存在だった。
このコラムを読んで、大黒が気を悪くしないことを願っている。
ここで言いたいのは、多くのメディアが待ち受けるドレッシングルームからバスに向かう途中のミックスゾーンで、彼はこれまでメディアから無視されてきたということだ。
声をかけられた選手は立ち止まって質問に答えたり、あるいはそのまま素通りすることもできる。スマップのようにもみくちゃにされる選手もいる。しかし他の選手たちは、大黒のようにただ通り抜けるだけである。
私は、外見や舞いが大黒は相馬直樹によく似ているなと思っていた。
ガニ股で走る大黒を見てみてほしい。その姿はまるで相馬では?

大黒にはミックスゾーンでよく話しをするメディアの友人がいるらしい。
しかしそれは雑談といった感じで、ペンが走るわけでもノートのページが忙しくめくられるわでけもない。また、テレビクルーのスポットライトも彼を照らしはしない。
彼は非常に現実的な人間のようだ。ガンバの西野監督はこれまで、数年にわたって大黒のことを声高に吹聴してきた。ガンバに次シーズンの新たなスターが誕生したことは、疑うまでもない。
水曜日の貴重なゴールにより、ピッチ上でもピッチ外でも目立たない地味な選手としての短い選手時代は、おそらく終わるだろう。

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怖れではなく高い意識を見せた日本

2005/02/10(木)

数年前、正確にいうと1997年9月、東京・国立競技場で日本代表の練習を取材したことを覚えている。
そのとき日本代表はホームでのワールドカップ予選を控えていた。相手は、偉大なるライバル、韓国。
非常に重要な一戦で、高い評価を受けているテレビ番組『Futbal Mondial(ワールド・フットボール)』のエグゼクティブ プロデューサー、ゲリー・ハリソンがロンドンから取材に来ているほどだった。

練習前の日本の選手たちは少年のように笑い、ジョークを飛ばし、ふざけあっていた、と私はゲリーに指摘した。
ゲリーは関心を示さなかった。
「それが本心だと思うかい?」と彼は言った。
「思うわけないだろ!」私は即座に、多少皮肉を込めて答えた。
「僕もだよ」とゲリー。「連中はリラックスして見えるように懸命に振る舞っているが、内心はビクビクしているね」。

その時の会話と、彼の鋭い洞察が忘れられない。
また、その時の試合も忘れられない。山口素弘の見事なゴールで日本が先制したにもかかわらず、結局1−2で敗れてしまったからだ。
山口がふわりと浮かせたボールがキーパーの頭上を越え、クロスバーの下、ネットの中に落ちたときのことを、みなさんは覚えているだろうか?
国立は熱狂に包まれた。しかし、すぐに静寂がやってきた。韓国が同点に追いつき、それから逆転したのである。この試合が、監督の加茂周にとっては"終わり"の始まりとなった。
過去のことを持ち出して、申し訳ない。しかし私は水曜日(9日)の北朝鮮戦を前に、気分はすでにワールドカップなのである。

火曜日の夜、私は埼玉スタジアムでの練習を取材した。するとまたもや、日本選手には笑いとジョークがあった。
ロンドンからゲリー・ハリソンが来ていないかと周囲を見回したが、彼の姿はなかった。
今回は様子が違っていた。ゲリーがいたら必ず気付いたと思うが、日本の選手たちはリラックスしていて、自信に満ちており、高い意識を持っていた。
それは、目前の大一番への心配と不安を隠すための振る舞いではなかった。チーム全体にみなぎる高い意識がそのまま反映されていたのである。

公式記者会見でのジーコはきわめてビジネスライクで、俊輔と高原はベンチスタートになると確約した。
ジーコの選択は賢明なものである。ジーコは、これまで彼を失望させなかった国内組への信頼を示したが、欧州組の2人の選手にも、自分たちは用無しだと感じさせない配慮を見せた。
ベンチスタートであっても、俊輔と高原の2人が試合で重要な役割を果たす可能性もある。そう、ちょうど昨年のオマーン戦で久保がやってのけたように!
北朝鮮戦の夜、日本の選手たちは常に高い意識を持ってプレーしなければならない。ただし、気迫に満ち、状態が良く、タフなタックルを誇る北朝鮮チームを破るには、忍耐も必要とされるかもしれない。
日本代表ならやれるし、2−0で勝つと思う。ひょっとすると、途中出場の俊輔のフリーキックで勝利が決まるかも!

*このコラムは2月8日に書かれたものです

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ジーコの大きな前進

2005/02/07(月)

ようやくジーコも気がついたらしい。
そしてこれは、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の北朝鮮戦(埼玉・19時30分)を水曜日に控える日本代表にとって、非常に良いことだ。
木曜日に発表された24人の代表メンバーには、海外組は2人しか含まれていなかった。
この2人というのは、中村俊輔と高原直泰である。リストにはマルセイユの中田浩二の名前もあるが、彼は正式にはまだマルセイユの一員ではない。

カザフスタン戦、シリア戦と2試合を満足な内容で終え、ジーコは北朝鮮戦をJリーグの選手を中心に戦おうと決めた。選手たちも、その重責を喜んで受け入れるだろう。
この決断の意味することとは、肉体的にも精神的にもコンディションが100%ではなく、そして帰国のために長旅を強いられる選手に、代表の座を与える余地はないということだ。
代表から外れた主な選手は、カーディフから呼び戻されると見られていた稲本潤一をはじめ、中田英寿、小野伸二、柳沢敦、そして大久保嘉人といった代表の常連である。
これはジーコのこれまでの方針からの大変革であり、チームの調和や個々の相性を考えた場合、大きな前進である。

昨年の今頃、日本代表はマレーシア戦、イラク戦で2つの勝利を手にし、W杯アジア1次予選のホームゲーム、オマーン戦を目前に控えていた。
しかし、オマーン戦は酷いものだった。体調が万全でなかった中村はPKを外し、後半の決定機にもミスを犯した。そして、チームは大混乱に陥っていた。
しかし後半ロスタイム、ペナルティエリア付近からのボールがまるでパチンコのように決まった、久保の決勝ゴールが日本代表を救った。

しかしジーコは今回、Jリーグの選手たちは日本を代表するだけの力を十分持っており、体調も万全で集中できていると認めたのである。
今回の代表チームはその両方が備わっており、加わるのが中村と高原の2人だけなら、チームパターンが崩れる危険性は最小だろう。
2名の海外組のうち、中村は先発する可能性が高いと思う。彼はジーコお気に入りの選手で、左足、特にフリーキックでディフェンスを崩ることができる。
たった1つのセットプレーが結果を左右する現代サッカーにおいて、こうした選手は必要不可欠だ。
では、高原は?
彼が先発すべきかどうかは、迷うところだ。玉田は鈴木と並んでポジションを得る資格を十分持っていると思う。高原は北朝鮮に疲れが見え始めた頃、交代要員として投入すると有効なのではないだろうか。

バランスの取れた3−5−2システム。チームは大一番の1週間前にすでに落ち着いている。ジーコは、海外組がいつ帰国するのか、彼らの体調はどうなのか、そして彼らがどのくらいチームにフィットするか、どれほど意味のある練習ができるかといった余計な心配をせずに、水曜日の試合に集中できるのだ。
こうしたアプローチは、特にホームゲームにおいて必ずや功を奏するだろう。

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小笠原と玉田のアピールは功を奏する?

2005/02/03(木)

カザフスタン戦はあまりにも一方的な内容で、日本代表の選手たちにとって良い調整となった以外は、あまり価値のないものだった。
しかし後半15分、私にとって特別な瞬間があった。
小笠原が玉田にスルーパスを送り、そこへ走り込んできた玉田が左足で強烈なシュートを放ってこの夜の自身2点目、チームとしてはスコアを4−0にするゴールを決めたときのことだ。
(それにしても、玉田の1点目が右足のシュートだったとは信じられない。でも、ビデオを見ると確かにそうなんだ!)

このときの2人の連係は本当に見事だった。
小笠原は一級品であり、ここ数年間ずっとそうだ。
視野が広く、技術がある。両足で自在にプレーできるし、厳しいタックルもできる。そして1対1にも強い。フィリップ・トルシエはユースチームの頃から小笠原の大ファンだったが、それも頷ける話だ。
実際、トルシエが中田浩二と小笠原のマルセイユ同時移籍を目指さなかったのが、私には意外でならない。

玉田については…。そう、初めて見たときから強い印象を受けていた。
玉田は左足のプレーが魅力的で、ファースト・タッチも素晴らしく、ディフェンスの背後のスペースを突く見事なスピードもある。
ここに小笠原の素早いパスが備われば、2人のコンビが対戦相手にとって大きな脅威となるのは間違いない。

ただし、来週の北朝鮮戦に2人のいずれかが出場するかどうかは分からない。
3−5−2のシステムを採用する場合、ジーコが俊輔をプレーメーカーに起用するのは確実で、小笠原が先発出場する可能性はごくわずかである。
前線では、ジーコの構想においては鈴木がフォワード陣の中心で、実際、鈴木は代表チームで素晴らしい働きを見せている。鈴木は攻撃の最前線に立ち、チームにまとまりを与える存在となっている。チームメートのためにボールをキープすることもできるし、ゴールを狙う嗅覚も鋭い。
とはいえ、ヨーロッパから大久保と高原を呼び戻した場合には、鈴木と高原がワールドカップ予選用のコンビとなり、俊輔が中盤でパス供給の役目を果たすことになるだろう。

先週書いたように、ジーコにとっては厳しい選択を迫られる場面が続く。
このブラジル人監督が、海外でプレーしている選手が最高だと感じているのは確かで、良い選手でなければそもそも海外でプレーできないわけだから、その意見も理解できる。
しかし、2月9日のスタメンに向けての小笠原と玉田のアピール――実際、2人ともシーズン始めにもかかわらず良く仕上がっていたし、相互理解もできていた――もとても強力だった。
そのアピールが功を奏さないのだとしたら、テストマッチに意味はあるのだろうか?

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長い1年の第一歩

2005/01/31(月)

新たな1年がスタートする。日本代表は土曜日に横浜国際総合競技場で行なわれる対カザフスタン戦で、その幕を開けるのだ。
大柄で頑強、そして経験もあり、大崩れすることのないカザフスタン代表は、ジーコ率いるチームを苦しめることになるかもしれない。
チームに自信をつけさせるためにも勝ちたいところだが、ジーコはスコア以上に、スムーズなプレーをチームに求めるだろう。
日本代表にとって今年は慌ただしい1年になるが、今はまだとりたてて慌てる必要はない。
シーズン最初の試合で張り切りすぎて、寒い冬に怪我をしてしまっては元も子もない。2月9日に控えているワールドカップ(W杯)アジア最終予選・グループBの初戦、北朝鮮戦をはじめ、今後の試合に支障をきたしてしまう。

金曜夜に行なわれた公式練習後に語ったとおり、ジーコは90分の間にできるだけ多くの選手を使い、彼らに調整をさせるだろう。
右ひざを故障している宮本はもちろん欠場するが、彼は来週水曜日にさいたまスタジアムで行なわれるシリア戦には出場できるかもしれないと語った。
ディフェンスの中央は松田が引き受け、マリノスでのチームメート、中澤がキャプテンを務めることになる。
中澤はキャプテンに適役だろう。彼は何と言っても私の大好きな選手の一人であり、また日本サッカー界の顔だ。
私は“カイザー・ツネ”に中澤がキャプテンに指名されたことについて尋ねてみた。
「賛成ですね。性格も良いし、強い。良い選択だと思います」。
彼はそう語った。

鹿島からの移籍が決まった中田浩二は現在移籍手続きのためにマルセイユにいるから、代わって遠藤が福西と共にミッドフィールドの中央に入る。
練習では、チームは非常にスムーズに機能していた。ジーコは対カザフスタン戦で、選手たちにこうしたプレーを求めるだろう。
旧ソビエト連邦の国々はどこも見くびることができない。チームのすべきことをきちんと理解できている対戦相手に対してゴールラッシュを期待したりせず、静かに見守ってもらいたい。
今回の試合は北朝鮮戦という大舞台に向けての一歩にすぎないのだから。

*このコラムは1月29日(午前)に書かれたものです

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ジーコが抱える"人選"という難題

2005/01/27(木)

火曜日の午後、三ツ沢競技場で日本代表の練習試合を見た人なら、ジーコが人選という難題に直面していることがわかるだろう。
ヨーロッパの各リーグがシーズンたけなわのため、代表チームは、当然、全員がJリーグの選手だ。
ビッグスターがいないので、ジーコは、コンパクトで、組織立ったチームを編成した。フォーメーションはもちろん3−5−2だ。

ゴールを守るのはヨシ(川口)。ヨシはとても積極的に声を張り上げ、ディフェンダーを絶えず鼓舞したり、讚えたりしていた。バックの3人は田中、松田、中澤。太ももの裏側の軽い痛みのため寒中でのプレーを回避したキャプテン・ツネ(宮本)の代役は松田が務め、ほとんど危険がない時でもボールをできるだけ大きく蹴り出すという、ノーリスクのプレーを見せていた。

連係もバランスも良かった中盤は、右サイドに加地、左サイドにアレックス。福西と中田浩二が中央でプレーした。とりわけ印象に残った浩二は、マルセイユへの移籍が噂されているため、練習後もメディアの注目の的となっていた。
この4人が固める中盤の前では、小笠原が自由にピッチを駆け回り、2人のフォワード、玉田、隆行(鈴木)と連係していた。

高校生相手の試合では、スコアは関係ない。チームにとって最も重要なのは、今週末のカザフスタン戦を前にして、1つのユニットとして機能できたかどうかである。
ジーコが厳しい決断を迫られるのは、2月9日に埼玉で行なわれるワールドカップ予選の北朝鮮戦に向けて、ヨーロッパのスターたちが帰国してきた時だ。
メンタル的にも、身体的にも、好調なのは誰なのだろうか?
体調がいまひとつなのは誰なのだろうか?
誰がレギュラーになり、誰がベンチ・スタートとなるのだろうか?
誰が重宝され、誰が貧乏くじを引くのだろうか?
ジーコは、選手たちが好んでいるのが明らかな、3−5−2のフォーメーションを引き続き採用するのだろうか? それとも4−4−2に切り替え、中盤にスター選手を揃えるのだろうか?

単にオールスターを選んで最高のプレーを期待するよりは、調子が良く、チームに馴染んでいる選手を起用する方が良いということを、ジーコは1次予選で学んだはずである。
決断を下すまでにまだ数日の猶予があるが、本当に厄介な問題を解決するには、充分な期間とは言えない。

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2005年、ジュビロの大望

2005/01/24(月)

この冬、特に磐田方面で移籍市場に活発な動きが見られた。
今週前半、ジュビロはジェフから茶野隆行と村井慎二のコンビを獲得したことを発表。茶野はジュビロのディフェンスラインに経験と幅をもたらし、村井は左ウィングに活力を与えるだろう。
ジヴコヴィッチの放出でジュビロは左サイドのバランスが悪くなっていた。村井はこの穴を埋めるだけでなく、右サイドの西とエキサイティングなウィングコンビネーションを生み出すだろう。

中央で彼らからのクロスを待つのは、ジェフからJ2の京都へレンタル移籍していた“コリアンプレデター”崔龍洙。市原で数シーズン一緒に過ごしてきた村井と崔は当然、お互いのプレーを熟知している。この長身の韓国人FWは両サイドからのクロスに揉み手をするに違いない。
茶野と村井の移籍はジェフにとっては大きな打撃である。残された“五井の星たち”は、リーグのトップクラスに留まるめにも彼らのレベルを上げていかなければならない。

ヨーロッパから川口能活をも獲得したジュビロは、今シーズンの優勝候補の一角である。
川口、田中、福西、そして崔という屋台骨を持つジュビロは、J1のどのチームにとっても恐るべき対戦相手となるだろう。さらに山本監督には、多くの若手とベテラン選手たちがいる。
ターゲットマン・崔の加入により、コーチ(イングランドでは“ルートワン”と言う)からの、より直接的なアプローチが増えることになるかもしれない。それが予想できることだとしても、ディフェンダーが崔から空中でボールを奪うのは至難の技だ。
中盤から崔をサポートするスピードとテクニックにより、今季のジュビロの得点力は大幅にアップするはずである。
山本監督はチームに新しい血と元気な選手たちが必要だと知っており、そして茶野と、特に村井の加入はまさにその求めていたものだった。

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岡田監督、臨戦態勢に入る

2005/01/20(木)

今週はじめ、横浜F・マリノスのファンにとって良いニュースがあった。
岡田武史監督が、いつシーズンに突入しても良い状態に仕上がっているのだ。
選手の調子はわからないが、月曜日に行なわれたクラブの催しで、岡田監督はひたすら自信をにじませながら、2005年のチームの目標を発表した。
岡田監督は幸福で、前向きで、自己抑制もできていたので、適切なタイミングで最大の力を発揮できるように、うまくチームを鼓舞してゆけることだろう。

韓国でのA3杯(A3 NISSAN チャンピオンズカップ2005)やゼロックス・スーパーカップがリーグ戦開幕前から控えており、今年も、日本のチャンピオンチームにとっては長いシーズンになりそうだ。
そのうえアジアチャンピオンズリーグとナビスコカップがあり、さらに12月に日本で開催されるFIFAクラブ世界選手権に出場する可能性もある。

クラブのモットーは「Go the distance(最後までやり抜く)」。このフレーズはボクシング向きにも思えるが、浦和や鹿島、名古屋と言ったヘビー級の挑戦者たちが、必死にチャンピオンをノックアウトしようと挑んでくることだろう。
岡田監督は、1シーズン制(のリーグ戦)で優勝するためには勝点71が必要だと考えている。岡田監督はいつも相手チームを分析し、A、B、Cの3つのカテゴリーに分類するという取る方法をとっている。
さらに、他のリーグのデータもチェックし、獲得可能な全ての勝点の70パーセントを得ればトップでシーズンを終えられると計算した。これら2つのファクターを勘案し、「71」という数字が出たのである。

新しい選手リストを見ると、ぽかりと穴が空いたような状態になっていることに気がつく。背番号10のところに選手がいないのだ。
イタリアのマスコミは、この背番号を付けるのはアレッサンドロ・デルピエロかもしれないと報じているが、岡田監督はこの報道を一笑に付した。
それよりも可能性があるのは、浦和レッズからの移籍を求めているという衝撃のニュースが伝わった、山瀬功治のほうかもしれない。柳想鐡(ユ・サンチョル)と佐藤由紀彦の放出により多額の支出にも対応できるようになっているし、岡田監督自身、山瀬がターゲットだと認めている。
しかし、ストライカーもまだ必要だし、外国人登録選手がドゥトラと安貞恒(アン・ジョンファン)の2人だけになってしまうおそれもある。

「うちが獲得できそうなストライカー、誰か知らない? アンリなんかどうかな?」と岡田監督は笑いながら話していた。
シーズン開幕前に誰がチームに入団するとしても、確かなことが1つある。監督はジョークと、その人の良さは披露してくれるが、仕事に対してはおそろしく厳しいということを、その選手はたちまちのうちに知ることになるだろう。

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大久保、いきなり大活躍!

2005/01/13(木)

これほど見事な新年のスタートはないだろう!
今年は日本サッカー界にとって忙しい1年になりそうだが、この週末はマジョルカに移籍した大久保嘉人がデポルティボ・ラコルーニャ戦でゴールを記録し、話題を独占した。
さすが嘉人!
嘉人がマジョルカで頑張り、チームが1部に残留して今後もレアル・マドリードやバルセロナといったチームと試合ができるようにと、心から願っている。

現在、私は香港にいるのだが(水曜日に東京に戻る予定)、「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」紙にはデポルティボ戦でプレーする大久保の写真が大きく掲載されている。
昨年、中国で開催されたアジアカップで日本代表チームが受けた扱いにも関わらず、日本選手は世界のこの地域ではとても人気がある。
松田や稲本の名前入りの日本代表チームのシャツを着ている中国人の若者たちも見た。こうした光景を見ると、異なった生い立ちを持つ人々がサッカーによって一つになれることが分かる。
たぶん間もなく、彼らは大久保のシャツを着ることになるだろう。

嘉人の活躍は自分のことのように嬉しい。他の選手が苦労したヨーロッパ、とりわけスペインで成功するために、彼が必死で頑張っていたからだ。
ここ数年間、私は日本のサッカー・コミュニティの外国人数人に話を聞いてきたが、その全員が、大久保は海外で成功するだろうと話している。
セレッソ大阪でのかつてのチームメートであるマルセロ・バロンは、大久保のように一途な日本人選手は見たことがない、と言っていた。大久保は、たいていの選手がグループやチームのサポートを求めるような状況でも単独で突破することを怖れない選手なのだそうだ。
アルベルト・ポボルは昨シーズン、セレッソの監督在任時に(※編集注:成績不振を理由に7月に辞任)「大久保は中田英寿以上の天性の才能を持っている」と実際に話していた。
大久保が成功するかどうかは時間が経ってみないと分からないが、素晴らしいスタートを切ったことは確かだ。
もし大久保が今後も素晴らしいプレーを見せ、ゴールを積み重ねたなら、マジョルカが降格した場合にも他の1部リーグへの移籍が可能になるだろう。したがって、降格争いのなかにあっても大久保は高いモチベーションをもってプレーを続けることができるのだ。
サミュエル・エトオはレアル・マドリードからリーグ中位にいたマジョルカにレンタル移籍し、その後バルセロナに入団した。
もちろん、エトオは世界屈指の魅力的なフォワードだが、嘉人にとって良い目標となるだろう。

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ヴィッセル再生に加わるアツ

2005/01/10(月)

三浦淳宏にとって新たなシーズン、そして新たなチームである。
2005年、アツが東京ヴェルディ1969を去りヴィッセル神戸に移籍するというニュースを私は興味深く読んだ。
驚いたかって?
いや、実はそれほどの驚きではなかった。アルディレス監督率いるヴェルディにとって、アツはもう主力選手ではなくなってきていたからだ。
人気も経験もある選手を探していたヴィッセルにとって、この俊足のウィングバックはまさに願ったり叶ったりだろう。

そのキャリアのほとんどを左サイドバックとしてプレーしてきた彼だが、元日本代表の相馬直樹と同じく、もともとは右利きだ。トルシエ監督指揮下の日本代表チームで1度プレーしたことがある、右サイドでプレーできないはずがない。
力強いシュート、そしてコーナーキック並みに効果的なロングスローを持つアツが前線に上がると危険だ。

数シーズン前、私は当時京都パープルサンガの監督を務めていたゲルト・エンゲルスと長時間に渡って話す機会があった。
色々話す中で、海外でプレーする日本人選手についても話題になった。エンゲルスは、三浦淳宏は海外で必ずや成功するであろう日本人選手の一人だと語った。
もちろん、エンゲルスは横浜フリューゲルズで共に過ごしたアツをよく知っており、2人の間にお互いに対する尊敬と友情が生まれるのは当然のことだ。
しかしアツはヨーロッパでプレーする機会には巡り合えなかった。エンゲルスは、アツの身体とその能力はヨーロッパの高いレベルでも充分通用すると感じていた。

2005年のサッカー界はワールドカップ予選に始まり、そして終わる。アツは左サイドのアレックスの交代要員として代表チームにその座を確保するためにも、レギュラーとしてトップチームでプレーする必要がある。
となると、ヴェルディとアツ、双方にとってヴィッセルへの移籍は意味を成してくる。
ヴェルディは、おそらく平均額以上だったアツの年俸を節約でき、アツは再生を願うヴィッセルにおいて彼自身のコンディションをキープすることができるのだ。

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おめでとう、ヴェルディ!

2005/01/06(木)

忠実かつ熱心なヴェルディファンが、ついに報われた!
土曜日(1日)の天皇杯決勝でヴェルディはジュビロを破り、かつては無敵だったヴェルディの低迷期を辛抱強く支えてきたサポーターに誇りが甦ったのである。
ヴェルディファンでありつづけるのは、容易なことではない。

数年前、ヴェルディファンは至る所におり、ポップスター並みの人気を誇る選手を揃えたヴェルディ川崎のファンが東京・国立競技場に詰めかけていた。
しかし、1993年と1994年のJリーグチャンピオンシップ連覇のあと、運命の歯車が狂い始めた。栄光の日々を取り戻すために数十億円を投入したものの徒労に終わり、クラブは衰退への道を辿ったのである。
その後、マリノスやアントラーズ、ジュビロが王者となり、そうしてヴェルディのファン離れは進んだ。
もちろん、勝っているチームをサポートすることは簡単で、これは全世界共通のことだ。だが、負けているチームのサポートは容易ではない。
ヴェルディは数シーズンをリーグの下位あるいは中位で苦しみ、かつてのような大物獲得もなくなった。

そうして2004年、オジー・アルディレスが天皇杯優勝にふさわしい、見事な手腕を発揮したのだ。
このチームを長い間サポートしてきたファンも賞賛に値する。次のシーズンには、Jリーグのチームを応援する人がさらに増えて欲しいものだ。

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2005年の大いなる期待

2005/01/04(火)

2005年、ワールドカップフィーバーは続く。
そう、次のドイツワールドカップは2006年だ。そんなことは承知の上である。しかし日本では、その興奮と緊張が来月から始まるのだ。
緒戦の北朝鮮、さらにバーレーン、イランと、日本代表はそれほど苦労せずに2つあるワールドカップ出場権のうち1つを手にするだろう。
イランはジーコ監督率いるチームを苦しめるだろうけれど、北朝鮮やバーレーンは日本代表にとって経験や狡猾さでかなり劣っていると思う。
1998年のフランス大会、そして2002年韓国との共催大会に続いて、3大会連続の出場は固い。

日本においてワールドカップ予選は、単純にサッカーの試合というわけではなく、特別なイベントなのだ。
1997年、最初に加茂周監督、そして次に岡田武史監督が率いた日本代表がフランスに向けて、まるでローラーコースターのような、そして誰もが記憶に新しいジョホールバルでの対イラン戦を戦ったことは忘れられない。
そして今年の夏、ワールドカップ予選の合間を縫って行なわれるFIFAコンフェデレーションズカップで、日本代表の選手とサポーターは翌年の試練を感じることになるだろう。
個人的には、2006年ワールドカップは史上稀に見る良い大会になると思っている。素晴らしいスタジアム、押し寄せる観衆、そして秀でた組織力。日本代表はアジアを代表してこの素晴らしい大会でプレーするチャンスがあるのだ。

国内に目を向けてみると、Jリーグは1993年のリーグ旗揚げ時よりも20チーム多い30チーム、そしてそのうち18チームがJ1で戦うことになる。
2ステージ制に別れを告げ、世界の主流に加わるのだ。
今度はプレーオフもなく、15試合の短距離競争のようなリーグ戦ではなく、34試合の長い戦いの中で、最もコンシスタントな戦いをしたチームがチャンピオンの栄冠に輝く。
このシステムは1996年に鹿島アントラーズが初のリーグチャンピオンになった時以来。2005年はアントラーズにとってはマリノスやレッズに挑戦するいい機会になるだろう。
サッカーは日本中でその地位を確立しつつあり、ゴールデンゴール方式やPK戦といったからくりはファンに必要無い。
Jリーグは新たなシステムに全幅の自信を持って臨むべきだ。話題豊富な新しい1年、観衆は必ずやついてくるはずである。

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稲本のカーディフ移籍を歓迎

2005/01/02(日)

ようやく、稲本潤一がイングランドで多少なりとも注目を浴び、多少なりとも活動できる状態が整いつつある。
理由はウェールズのクラブへの移籍につきる!
みなさんご存知のように、稲本はウェストブロムウィッチ・アルビオンからカーディフ・シティへのレンタル移籍が決定した。

プレミアリーグからチャンピオンシップリーグ(以前は1部リーグ、それ以前は2部リーグと呼ばれていた)という下部リーグへの移籍とはいえ、イナにとっては良い移籍である。
少なくともプレーする時間が与えられるし、試合のテンポもさほど速くはない。
そのため、昨夏にマンチェスターでのイングランド戦で重傷を負い試合から遠ざかっていたイナも、実戦を積み重ねながら調子を上げてゆくことができるだろう。
ウェストブロムの苦境を見れば、今回の移籍がイナにとって好ましいのは明らかである。「バギーズ」(ウェストブロムの愛称)の新監督ブライアン・ロブソンは、かつて自身が中心選手としてプレーしたクラブの建て直しを、強気なミッドフィルダーであった現役時代とまったく同じスタイルで行なおうとしているのだ。
私は選手時代のロブソンの大ファンだったし、彼のことを理想的なイングランド代表キャプテンだと考えていた。ロブソンは勇敢で、決してあきらめず、時にはただひたすらゴールを目指すために、中盤から前線へと一気に駆け上がることもあった。

しかし、監督としてはどうなのだろう?
疑問を抱いているのは私だけではないはずだし、アルゼンチンのベテラン選手アルメイダを獲得するという先日の決定も、不可解なものだった。
中田英寿のパルマでの成長をずっと見守っていた私は、アルメイダのプレーも数多く見てきたが、アルメイダが全力でプレーできる状態にあることはほとんどなかった。おざなりのプレーをこなすだけで巨額の報酬を手に入れ、そうして次のクラブに移籍するのだった。
ロブソンは、アルメイダが中盤に秩序と経験をもたらしてくれると期待しているが、アルメイダがその期待に応えるためには、パルマ時代とは一変した気迫に満ちたプレーを見せなければならない。彼が精一杯プレーしているかどうかは、ファンがすぐに判断を下すだろう!

一方、イナはプレミアシップの狂騒から離れ、カーディフで体調や試合勘を取り戻すことだけに集中すればよい。
ジーコは、イナの調子が本年のワールドカップ予選までに戻るように望むだろう。グループBの初戦、2月9日のホームでの北朝鮮戦は、小野伸二を欠いた戦いになりそうだからだ。

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日本サッカー界が確実に成長した1年

2004/12/27(月)

2004年は日本の野球界にとって非常に面白い1年となった。そう、「野球界」にとってだ。
このコラムはサッカーについてのコラムのはずだ、ということは百も承知だが、少し説明させて欲しい。
ここ数ヶ月、スポーツニュースというと野球の話が大部分を占めていた。ただし、そのニュースのほとんどは球場の外の話題だ。
2つのチームが多大な経常赤字のために合併。そして右往左往した末に新しいチームの加入が認められたが、野球界は突如、ファン離れを防ぐためには劇的な変化が必要だということに気がついたのだ。

一方、Jリーグは粛々とシーズンを進めていた。
ホーム&アウェー制のサントリーチャンピオンシップ・プレーオフに押し寄せた大勢のファン、新しいナビスコカップチャンピオン、18チーム制の導入が決まったJ1。10チームからスタートしたJリーグは、来シーズンから30チームとなる…。
これは、2ヶ月ほど前、私の北米人の同僚が「Jリーグは日本の野球界を当惑させている」と言ったことと無関係ではない。
しかし、Jリーグの関係者で、このことについてほくそ笑んでいる者はいない。彼らはまだこの国にサッカーの礎を築いている最中であり、まだまだ先は長いことを理解しているからだ。

2004年は日本サッカーにとって、Jリーグレベルでも国際レベルでも満足のいく年だっただろう。
FC東京はナビスコカップ優勝を果たし、歌と活気でチームを元気づけてきたサポーターたちにトロフィーを渡した。
横浜F・マリノスはファーストステージを制し、セカンドステージチャンピオンのレッズをPK戦の末に下してリーグチャンピオンの座を守った。岡田武史監督の経験と実用主義はピッチ上で選手たちによって存分に発揮され、彼は最優秀監督賞を受賞した。
就任1年目のギド・ブッフバルト監督率いるレッズは、どちらのトロフィーも獲れなかったができなかった。しかし来シーズンに向けて、チームはより良い選手を惹きつける魅力と経済力を持っている。

ナビスコカップ決勝、そしてサントリーチャンピオンシップ決勝の2試合、そのいずれの試合も得点シーンは多くなかった。しかしサッカー通の目には、組織にも個人にも、コーチング技術、テクニック、そして戦術の質の向上が見てとれた。
そうでない人達はきっと、90分で5−4という試合を好むだろう。しかし高得点ゲーム、多すぎるゴールは効果的な攻撃というよりもディフェンスの悪さが原因と考えられる。

また私は、ディフェンダーはスター性や独創性がないことから常に過小評価されがちだと考えていたが、今回、中澤佑二がJリーグのMVPに選出された。非常に良いことだと思う。ようやく正当な評価を得たと思うし、中澤はこの賞を受ける資格を十分持っている。
中澤は中国で行なわれたアジアカップでも日本代表として素晴らしい活躍をみせ、2000年にフィリップ・トルシエがレバノンで獲得したタイトルを、今回ジーコ監督のチームの一員として守った。
さらに日本代表は、ドイツワールドカップ(W杯)アジア1次予選を6戦全勝、失点はわずかに1(シンガポールで2−1で勝利した試合)で勝ち抜け、本大会の出場権は手の届くところにある。

今年最もがっかりしたこと(一番驚いたことではないが)は、オリンピックでの日本代表の戦いぶりだろう。春の予選後、全てがうまく回らなくなり始めていた。もし時計の針を戻すことができるのなら、山本監督は全く違うやり方をしただろうと、私は確信している。

とはいえ、全体的に見ると日本のサッカーが大きく成長した1年だった。
最初に述べたように、野球が日本のスポーツ界の話題をさらい、サッカーは目立たなかったかもしれない。しかし、便りのないのは元気な証拠、と言う。
2004年はJリーグにとって素晴らしい1年だったと言える。

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2004/12/20/Mon.

2004/12/23(木)

計画性がないという評価は、日本サッカー協会(JFA)にはあてはまらない。
したがって、JFAがワールドカップ予選の準備として、2つの国を相手に、ホームでの親善試合を立て続けに組んだのも驚くには値しないことだ。
日本代表は来年1月29日にまずカザフスタンと、その後2月2日――つまり、グループB初戦、北朝鮮戦のちょうど1週間前――にシリアと戦う。

数年前、正確には1994年、広島でアジア大会が開催された当時ならば、カザフスタンは日本にとって手強い相手となっていたかもしれない。
しかし、日本サッカーはここ数年間で急速に進歩し、成熟しているので、勝利は固いだろうし、年の初めの景気付けにはなるだろう。
日本がカザフスタンとの試合を組んだのは、体の大きさとフィジカルの強さを期待したからだが、反面、スピードと底力には欠ける。

広島でのアジアカップで、カザフスタンの関係者と話した時のことだ。その関係者は、チームに十分な予算をかけることができたなら、カザフスタンが金メダルをとっていたに違いない、と言っていた。
最終的にはウズベキスタンがビッグアーチで中国を4−2で破って金メダルを手にし、アジアサッカーの新たな時代の到来を告げた。

1つ確かなことがある。カザフの選手には、冬の寒さは影響しないだろう。今年の初めに鹿島で戦った、格下のマレーシアとは事情が違うのである!
その次に日本の相手となるシリア。この中東のチームとの試合は、イランやバーレーンとの試合を想定したものになるはずだ。

同じく1994年、私はジャカルタで開催されたU−19アジアユース選手権も取材したのだが、その時の日本代表は決勝でシリアに敗れている。
印象的だったのは、その時のシリアチームには、年齢の割にとても経験豊かに見える選手が何人かいたこと。2位という結果は、日本にとって悪くないものだった。
当時の日本チームのキャプテンは背番号10のゲームメーカー、伊藤卓で、中田英寿はウイングだったはずだ!
他にも傑出した選手がいて、熊谷浩二は守備的MFだったものの最優秀DFに選出された。
熊谷のキャリアがケガによって大きな影響を受けたのが、残念でならない。

2つの準備試合は、ジーコにとっても、選手にとっても何らかの指針にはなるだろうが、ワールドカップ予選のような緊張度の高い試合にはなりえない。
そのことを最も良く理解しているのは、ほかならぬジーコ自身なのである。

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ビデオ判定がサッカーを救う

2004/12/20(月)

ついに、いや多分、サッカー界も特定の状況下でレフェリーをサポートするためにビデオを導入する。
私は早急に実現すべきだと思うし、FIFA(国際サッカー連盟)はもっと早くから取り入れるべきだったと思う。
FIFAのゼップ・ブラッター会長は日頃から、ビデオの導入はレフェリーの権威を失墜させ、審判の裁定が最終決定であるべきだと語っている。
しかし彼の論点は明らかに的を外れている。ビデオ技術はレフェリーを助けるためにあるのであって、彼らを妨害するためではない。

これについて私はよく、1998年にスタッド・ド・フランスで行なわれたワールドカップ準決勝を思い出す。
フランスがクロアチアを2−1で下したこの試合で、フランスのDFローラン・ブランがありもしないスラベン・ビリッチへのファウルで退場となった。
ビリッチが浅ましくも故意に倒れたのは明らかだったが、ボールに絡んでいなかったためレフェリーは見てさえいなかったのだ。
それにもかかわらずフランスのディフェンスの要、ブランは決勝戦出場停止になってしまった。

世界中のテレビ局のように、FIFAもこうした場合にはビデオを使うべきだと思った。そしてブランの決勝出場を認め、ビリッチをより長い出場停止に処すべきだった。
当時、ビリッチはイングランドのエバートンでプレーしていたが、そのエバートンのファンでさえワールドカップが終わってチームに戻った時に彼のスポーツマンらしからぬ行動にブーイングしていた。

今、ゴールか否かの判定にビデオが使われるというのは良いことである。
オフサイドの判定には使わず、ボールがラインを越えたかどうかの判定に使う。
これは非常にシンプルだ。そしてビデオで明らかになれば双方とも判定に異論は唱えられまい。

これまで、重要な場面でのレフェリーやラインズマンのミスによって不利益をこうむってきた。今やこの世界には何億というお金が関わっている。それにも関わらず基準を向上させる単純な技術を遠ざけてきた。
そして今、UEFA(欧州サッカー連盟)とFIFAがこの件について検討しはじめた。これはサッカー界の明るい将来のための大きな一歩だと私は思う。
ビデオを有効活用することによって不要な抗議もなくなり、もっとフェアなサッカー界になるのではないだろうか。

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中澤、ついにMVP受賞

2004/12/16(木)

Jリーグアウォーズの夜、1年遅れではあったが、ついに正当な評価がなされた。
2003年のJリーグMVPに中澤佑二が選ばれるべきだと感じていたのは、私だけではなかったのである。

昨シーズンは、最終的に中澤の所属する横浜F・マリノスがファースト、セカンド両ステージ制覇を達成した。
当然、最高の個人賞はマリノスのプレーヤーに与えられるはずであったが、結果は異なり、浦和のストライカー、エメルソンがMVPに輝いた。
今回はそうした予想外の出来事もなく、マリノスの年間総合優勝に大いに貢献した中澤がMVPを受賞した。

よく言われるように、タイトルは奪う時よりも、守る時の方が難しい。チャンピオン・チームは全チームの標的となるからだ。
しかし、マリノスは敢然と立ち向かった。結果を出せた要因としては、良く組織され、規律と準備が整ったチームで天性のリーダーとして台頭した中澤の、ささやかとは言えない貢献があった。
中澤が初めてシーズンMVP——華やかでクリエイティブな選手の影に隠れ、見落とされることの多いディフェンダーにはあまり授けられない栄誉——を獲得したのに対し、岡田武史監督は最優秀監督賞を連続受賞した。
ギド・ブッフバルトが僅差の2位だったはずだ。ブッフバルトはナビスコカップの決勝とチャンピオンシップのプレーオフにチームを導いたが、残念ながらレッズはどちらのタイトルも獲れなかった。

今になって思えば、レッズとの第2戦に備えチーム作りをしていた時の岡田監督の言葉は、見事なまでに結果を言い当てていた。
ストライカー陣が故障を抱えているなか、岡田監督は、シーズンもここまで来れば大した問題ではない、と言った。残りは2試合しかないのだから、マリノスには1つか2つのゴールがあれば充分だろう、というのが彼の言い分だった。
この言葉はチャンピオンシップ2試合の内容を言い当てたもので、最終的にマリノスは第1戦の河合のヘディングシュートだけで、PK戦の末、タイトルを獲得することができた。

評論家のなかには、Jリーグのレベルが落ちているという人もいるが、私はこの意見にはどうしても同意できない。
私は、日本のサッカーは急速に成熟化していると感じている。コーチの戦術、そして選手の技術と理解力を見れば、それがよく分かる。
18チームで戦う1シーズン制となる来シーズンは、さらに良くなるのではないかとも思える。

来シーズンも再び、マリノスが各チームの標的になるだろう。
もっとも今は、まったく受賞にふさわしい働きをした中澤をはじめ、マリノスの選手たちは、その成功の余韻を楽しめば良いだろう。

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Jリーグにヨシ復帰の朗報

2004/12/13(月)

川口能活が日本に戻りジュビロ磐田でプレーすることになった。これは彼にとって非常に良いことだ。
また、ジュビロにとっても良いことである。
“ヨシ”はこの3年間、ヨーロッパで成功するためにイングランドのポーツマス、そしてデンマークノアシェランでベストを尽くしてきた。ただ、彼のベストはあと一歩、及ばなかった。
そしてついに彼は、レギュラーとしてプレーするために、また2006年ワールドカップの残りの予選ラウンドにおいて日本代表チームでポジションを確保するために、帰国を決断した。

ヨシがイングランドとデンマークで、厳しく、孤独な時間を耐え抜いてきたであろうことは想像に難くない。横浜F・マリノスでの活躍、そしてファンの絶大な人気を集めていたJリーグでの快適な環境を何故捨てて来たのかと、悔やんだ時期もあったはずだ。
しかし、こうした経験が彼の人格形成を大いに助け、彼をより強くし、良い選手(キーパー)にするのである。
彼はヨーロッパに渡ることにより、可能性を広げようとした。私達は、彼のこの決断に敬意を払うべきだ。
物事は彼の希望したようにはいかなかった。しかし、彼を敗者と呼ぶべきではない。全てが順調で、待遇も良い日本での生活を捨て、新しい挑戦をすることは多大な勇気と志が必要なのだ。

山本昌邦新監督のもと、ジュビロは来シーズンから新しい時代を迎える。彼らは来季から数シーズンに渡って頼れるゴールキーパーと真のプロフェッショナルを手に入れた。これはジュビロのフロントにとって願ってもないことだろう。
もちろん、川口も完璧ではない。そもそも完璧なゴールキーパーなんているのだろうか?
彼はハイボールを入れられ飛び出す時に、判断ミスをする傾向がある。例えば2001年のコンフェデレーションカップ決勝戦、横浜での対フランス戦。そして記憶に新しいところでは、マスカットで行なわれたワールドカップ予選、対オマーン戦などがある。オマーンでは田中がクリアして日本はことなきを得た。
ヨシは来季のJリーグの目玉になり、また、多くのファンが彼の復帰を喜ぶだろう。
最初に述べたように、ヨシの復帰はまさに時宜を得ており、ジュビロはヨシが積んできた経験の分、さらに強くなるに違いない。

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女心とアジアチャンピオンズリーグ

2004/12/09(木)

AFCチャンピオンズリーグ(アジアCL)がUEFAチャンピオンズリーグと並び称されるようになるのは、まだまだ先のことだろう。
しかし、アジアのサッカー関係者たちの努力は続いている。
木曜日の夜、クアラルンプール郊外に新しく建てられた立派な本部で、アジアサッカー連盟(AFC)は2005年のアジアCLの抽選会を行なった。
アジアCLはアジアのトップクラブが集う大会で、日本のクラブは過去2回、あまり良い成績を収めていない。
UEFAチャンピオンズリーグがヨーロッパ・チャンピオンズカップあるいは単にヨーロッパカップと呼ばれていたのと同じように、アジアCLもかつては「アジアクラブ選手権」と呼ばれていた。
今年の大会を振り返り、AFCの事務総長ピーター・ベラパン氏は聴衆を前に次のように語った。
「アジアCLは、アジアを代表するものとなるでしょう。」
「今年の大会では88試合が行なわれ、およそ60万の人々が試合をスタジアムで観戦したほか、数百万人がテレビで視聴しました。」

ベラパン氏は、合計264のゴールが記録された、と語った後、こう付け加えた。「決勝の2試合では9つのゴールが挙げられました。」
決勝の第1戦は、ジェッダの西にある港湾都市で行なわれ、韓国の城南一和天馬がサウジアラビアのアルイテハドを3−1で破ったが、韓国での第2戦ではアルイテハドが5−0で勝利し、2戦合計6−3として優勝をさらった。
ベラパン氏の話は続く。
「今回の歴史的な試合により、私たちは、サッカーはまるで女性のようなものだと、またも痛感いたしました。つまり、予測が不可能だということです!」

AFCでは、この重要なクラブ選手権の人気をさらに高めようと懸命に取り組んでいるが、私も、日本の全サッカーファンに、来シーズンはできる限りスタジアムで試合を観戦して欲しいと呼びかけたい。
他の国の選手を見て、技術や体力のレベルをチェックし、戦術やフォーメーションを分析するのを、私はいつも楽しみにしている。素質のある選手を何人も発見して驚くのだが、これらの選手がトップレベルのリーグに進出することはない。ヨーロッパのリッチなリーグへの選手供給地としては、アジアは南米やアフリカより下に見られているからだ。

ジュビロ磐田は来年、グループEで中国チャンピオンの深○健力宝(*)、韓国・Kリーグのチャンピン(未定)、そしてベトナムのホアンアインと戦う。東アジアのライバルである中国と韓国のチャンピオン・チームと戦うわけだから、天皇杯優勝チームにとっても厳しいグループである。
もう1つの日本チームは横浜F・マリノスか浦和レッズのどちらか(J1年間優勝クラブ)だが、こちらはグループFで、タイのBECテロ・サーサナ、そして中国とインドネシアのカップ戦優勝チーム(ともに未定)と戦う。
このグループなら、マリノスでも、レッズでも、簡単に突破して、準々決勝に進出できるだろう。

日本は、代表チームが2000年のレバノンならびに今年の中国のアジアカップで連覇を達成したものの、アジアCLでは不振が続いている。
できることなら、来年は日本のクラブが真剣にトライし、優勝して欲しいものだ。

*文中「○」は土へんに川

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チャンピオンシップに向けて雰囲気作りをする現実的な岡田監督

2004/12/06(月)

横浜F・マリノスが非常事態にある。
それは故障者が続出していることだ。
日曜日に横浜国際競技場で始まるサントリーチャンピオンシップ、浦和レッズとの2試合を前に、岡田監督はチームの故障者続出について一笑に付した。
特にチームの攻撃の要、久保と安の不在についてである。

「シーズン開始直後なら問題でしたね。ただ、2試合だけですし、1〜2ゴール挙げれば良いのですから」岡田監督はそう語った。
いかにも岡田監督らしい、現実的で論理的な言葉である。
監督の言っていることは、もちろん正しい。ホームゲームに1−0で勝ち、11日のアウェーゲーム(さいたまスタジアム)は0−0で引き分ければ十分なのだ。
マリノスがそうした結果を残せないと、誰が思うだろう。まるで今回のサントリーチャンピオンシップのリハーサルであるかのように、マリノスは10月半ばにさいたまスタジアムで行なわれたレッズ戦に0−0で引き分けている。

マリノスは統制がとれているチームだから、たとえキープレーヤーを欠いても、また浦和のハイスピードな攻撃であっても、それを崩すことは難しいだろう。
レッズのランニングゲームに対し、守備力とカウンター攻撃のマリノスの戦術。この2試合は接戦になるに違いない。

シーズン開始当初、岡田監督はレッズがマリノスのリーグ制覇の壁になるだろうと話していた。そして、彼が正しかった事が証明された。
他のチームが3人の外国人選手しか使えないのに対して、レッズは5人使えるので有利だと指摘していた。
と言うのは、エメルソン、ネネ、アルパイと並んで、闘莉王と三都主、2人の帰化選手がいるからだ。
それにも関わらず、レッズは大事な場面で不安定な一面を見せてしまう。ナビスコカップの決勝ではFC東京にPK戦で敗れ、セカンドステージ優勝がかかった試合ではグランパスにホームで敗れてしまった。サントリーチャンピオンシップでは、彼らはリラックスして自然なゲームをしなければならない。
たとえマリノスに故障者が続出していようと、サントリーチャンピオンシップはどちらに転がるか分からない。

*このコラムは12月3日に書かれたものです

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またも見送られるディフェンダーのMVP受賞

2004/12/02(木)

MVPとは本来、個々の選手への注目を高めるためにあるものだ。
では、サッカーという競技のためにはなっているのだろうか?
個人的な見解だが、私は、なっていない、と思う。アジアサッカー連盟(AFC)の2004年MVP候補3人の顔ぶれを見ればよくわかる。
バーレーンのアラー・フバイルに、イランのアリ・カリミ、そして日本が誇る中村俊輔の3人は、いずれも攻撃の選手である。
ミッドフィルダーもバックも、守備的な選手への評価はまったく見られない。それゆえに私は、こうした賞には根本的な欠陥があると思っている。

たとえば、中国のアジアカップでも、ワールドカップ(W杯)アジア1次予選の一連の試合でも、日本チームで最高のプレーを見せたのは、中澤佑二である。
とりわけ、マスカットでのオマーン戦。日本が1−0で勝利し、8チームで争うワールドカップ最終予選進出を決めた試合の中澤のプレーは記憶に新しい。
ただし、中澤の役割は派手なものではない。クラブでも、代表チームでも、貴重なゴールを決めることはあるが、それは変わりない。

ピッチのなかでのプレーだけでなく、ピッチ外での振る舞いを見ても、私は、中澤が年間アジア最優秀選手にふさわしかったと思う。中澤は試合では懸命に仕事をこなし、そのひたむきさによりトップ・クラスの選手へと登り詰めた。
とても快活な性格なので、ヨーロッパでも十分やっていけるだろう。いちばん最近の情報によると、ドイツのあるクラブが中澤に興味を示しているらしい。世界最高クラスのディフェンダーには伝統的にいつもドイツの選手が入っているものなので、この情報自体が中澤に対する素晴らしい賛辞でもある。

マスカットでの日本代表の試合のあと、AFCの内部の人間が、中澤を年間最優秀選手の候補に入れたいと私に話してくれたが、この試みは失敗に終わったようだ。
もちろん、アジアカップのMVPに選ばれた俊輔が受賞の有力候補に違いない。残りの2人、フバイルとカリミはともにアジアカップで5ゴールを挙げ、W杯1次予選でも自国の最終ラウンド進出に貢献した。
これまで日本とイランの選手がこの賞を独占してきたから、AFCにはバーレーン躍進の象徴として22歳のフバイルを選びたい気持ちもあるのかもしれない。
受賞者は、最終予選の組分けの前日、12月8日にクアラルンプールで発表される予定だ。

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2006年ワールドカップに南北統一チームを

2004/11/29(月)

ドバイで行なわれたワールドカップ(W杯)アジア1次予選、UAE対北朝鮮戦(グループ5)の試合後、北朝鮮代表のユン・ジョンス監督が興味深いコメントをした。
それは、韓国と北朝鮮、両国が最終予選を突破したら、南北統一チームを実現したい、というものだ。
アジア最終予選の抽選は12月9日にクアラルンプールで行なわれる。1次予選を突破した8ヶ国のなかには日本、韓国、そして北朝鮮が含まれている。
しかし当面は、両国とも別の国として予選を戦い自力で予選突破を決めなくてはならないとユン監督は話した。

もし両国が最終予選を勝ち抜くことができたなら、統一チームは可能なのではないだろうか?
私も十分可能であると思うし、FIFA(国際サッカー連盟)のセップ・ブラッター会長も、ここまであらゆる方法でうまくいかなかった事がサッカーを通して可能になるという見方をするだろう。
ドイツW杯出場32ヶ国のうち、4.5ヶ国をアジアが握っており、アジア最終予選では2組の上位2チームが自動的にW杯出場権を得る。
そして各組3位のチームは、北中米カリブ海地区の4位チームとの大陸間プレーオフ出場権をかけて対戦する。
これが、0.5ヶ国の意味するところで、アジア、北中米カリブ海地区がそれぞれ半々を持っているということである。
その4.5カ国という枠をどう埋めるかは、AFC(アジアサッカー連盟)次第。
仮に韓国、北朝鮮が同組の1位と2位になり、統一チームがAFCとFIFAから承認されれば、そのグループの3位チームが自動的にワールドカップ出場権を得ることになる。
そして最下位チームがもう一方の組の3位とプレーオフで戦うことになるのだ。

ここでの最大の問題点は当然、“時間”である。
両国とその役員たちは、統一チームを編成するためにとにかく急ぐ必要がある。
2002年W杯の際に韓国が北朝鮮に統一チームの話を持ちかけた時のように、グズグズしてはいられないのだ。
当時は北朝鮮からの反応がなく、結局実現には至らなかった。
しかしながら公的なものではなくあくまで監督個人の考えとは言え、今回は北朝鮮側からのアイデアであり韓国側も前向きな姿勢を見せている。
これは非常に興味深いアイデアであり、これから数ヶ月、両国の役員たちは知恵を絞ることになるだろう。
とは言え、それまでにまだまだ勝ち抜かなければならない試合がある。
とにもかくにも、両国ともまずは最終予選を突破しなければならないのだ。
そうなって初めて、このアイデアは現実味を帯びてくる。そしてその時、AFCとFIFAは何とか実現しようと努めることだろう。

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優勝を陰で支えた人々

2004/11/25(木)

浦和レッズの救世主、ギド・ブッフバルトは、チームをセカンドステージで優勝させたのだから、賞賛や注目を集めても当然と言える。
しかし、今シーズンは彼のワンマンショーだったわけではなく、他の人々も自分の職務を全うした。
なかでも、同じドイツ人としてブッフバルトの助手となり、同僚となった、ゲルト・エンゲルスの仕事ぶりは特筆すべきものだった。

今回がブッフバルトにとって初の監督業という事実は見逃せないし、エンゲルスを自分の右腕として指名した手腕は見事なものだったといえる。
もちろん、エンゲルスはJリーグでの知識も経験も豊富で、横浜フリューゲルスで監督を務めたのを始めとして、ジェフユナイテッド市原や京都パープルサンガでも指揮を執った。フリューゲルスとサンガでは天皇杯を獲得しており、日本人のメンタリティーだけでなく、プレーにおける長所と短所を熟知している人物である。

その上、言うまでもなく、エンゲルスはサッカー関係の日本語もとても上手で、選手と直接コミュニケートできる能力は大きな利点となっている。
新監督のブッフバルトと経験豊かなエンゲルスの二人は、揺らぐことのない、気迫に満ちた姿勢でレッズを率いた。
ブッフバルトが白馬の背に跨がってグラウンドを1周し、引退式に詰めかけた観客の声援に応えた、1997年の駒場スタジアムでのシーンを、私は決して忘れないだろう。あのシーンはまさに彼の選手生活の最後を飾るもので、あの時の人気を見て、いつの日か必ず、彼は指導者として戻ってくるだろうと思わずにはいられなかった。

もっとも、ブッフバルトの前任者もレッズの成功に大きな貢献を果たした。ハンス・オフトは、2003年のナビスコカップで浦和を優勝に導き、信頼していたアシスタントのビム・ヤンセンともに、今日の成功の基礎を築いた。
オフトとヤンセンはレッズのプレーに規律と方法論を持ち込み、さらに熱狂的で、忠実なサポーターの姿により、クラブは日本中の若くて、才能のある選手の憧れとなった。

また、レッズのセカンドステージ優勝は坪井と山瀬という二人の主力日本人選手なしでは成し遂げられなかったということも記憶に留めておかなければならない。
ナビスコカップ決勝のFC東京戦と、ホームでのグランパスとのリーグ戦という、最高にプレッシャーのかかる2つの試合で浦和が敗れたため、総合優勝を賭けた戦いではわずかに横浜F・マリノスが有利という予想も成り立つが、坪井と山瀬を途中で欠いた状態でも、最後には優勝を勝ち取った浦和レッズの選手層の厚さも証明済みである。
レッズはシーズンの掉尾を勝利で飾りたいところだろうが、現実的で、忍耐強い岡田武史も新たな作戦を練って2試合のプレーオフに臨んでくるだろう。

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ジーコと日本代表が逸したもの

2004/11/22(月)

(日本代表の)プラスの面に目を向けてみよう。日本は2006年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選にパーフェクトレコードで進出した。
6戦全勝、そして許したゴールは3月31日にアウェーで行なわれたシンガポール戦(2−1で勝利)でのわずか1点だけである。

次はマイナス面。水曜夜に行なわれたホームでのシンガポール戦で、ジーコ監督がなぜ代表メンバーの選択肢を広げようとしなかったのか、私には理解できない。
玉田のゴールで1−0の勝利を勝ち取ったとはいえ、ジーコは来年はじまる最終予選のための新たな選手を見る良い機会を逸したのではないだろうか。
ジーコの選択は、ヨーロッパ組の選手たちの陰でベンチに座っていた忠実なプレーヤーに対するご褒美のようだった。
ただしディフェンダーは、三浦淳宏と松田直樹の2人がプレーしているし、必ずしもそうではないらしい。これについてはまた別問題である。

さらに、だ。ジーコはなぜ、選手たちが好み、チームもうまく機能する3−5−2から4−4−2のフォーメーションに戻したのだろうか。
数週間前のコラムで私は楢崎、茂庭、宮本、中澤、石川、今野、中田(浩)、村井、小笠原、鈴木、そして大久保というメンバーをシンガポール戦の代表候補として書いた。
思うに、このラインナップならチームのバックボーンを保ち、これまでのチーム方針を妨げることもない。また一方で、調子の良いJリーグの選手たちにW杯という経験を積ませることもできる。
仮にジーコが、このメンバーではあまりにも変更が多すぎる、また、これでは松田、三浦、藤田そして本山といった控え選手たちとの信頼関係が損なわれると考えたのだとしたら…。ただ単に、新メンバーに「代表とはどういうものなのか」を理解させるために、また来年の代表招集が困難にならないようにするためだけにでも、招集してみてもよかったのではないだろうか。

グループ3ではすでに最終予選進出チームが決定しており、ジーコにはプレッシャーも何もなかった。彼の選手選出のポリシーが、私にはまったく理解できない。大久保は再び代表でプレーするチャンスを得た。しかしまたしてもゴールはならなかった。
それにしても、ジーコはなぜ大久保を先発させなかったのだろう?途中交代では、限られた時間内で初ゴールを挙げたい彼にプレッシャーを与えるだけではないか。できることなら、試合の2〜3日前に大久保を呼び、「先発させるが、リラックスしていつものプレーをするように」と話をする。そうしていれば大久保はゴールを挙げられたかもしれないし、彼につきまとう汚名を晴らすことができたかもしれないのだ。

先にも述べたが、ジーコのW杯予選の記録は6勝0敗である。ただし、この先には強力な対戦相手が待ち受けている。
次の対戦相手の3ヶ国は12月9日、クアラルンプールでの抽選会で決まる。
来年について今言えることは、どうかジーコがフォーメーションを4−4−2に戻さないように、そして、ヨーロッパ組の全選手を同じMF−FWラインで固定するように、ということだ。
もちろん、ジーコも1次予選で様々なことを学んだであろう。今度は全ての代表監督がそうであるように、難しい決断をしなくてはならなくなる。

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北朝鮮代表を追いかけて…

2004/11/18(木)

ミステリアスで秘密主義の孤立国家…。
もちろん、北朝鮮、正式名称で言えば朝鮮民主主義人民共和国のことである。
日本と同じく、北朝鮮も2006年ワールドカップのアジア最終予選進出を決めている。
先月、日本はマスカットで勝利して1次予選・3組突破を決めたが、北朝鮮は2−1でイエメンを破り、同じ日にアラブ首長国連邦(UAE)がアウェーでタイに完敗したため、5組突破が決まった。
そういうわけで、12月9日、1次予選を勝ち抜けた8チームを4チームずつ2つに分ける最終予選の組分け抽選で、日本と北朝鮮が同じグループに入る可能性もあるのである。

今、私がドバイにいるのには、そんな理由もあるのだ。つまり、北朝鮮が水曜日にUAEと戦うので、最終予選の試合が始まる前に北朝鮮を見ておきたいと思ったのである。
北朝鮮代表がUAEに到着したのは月曜日のお昼。平壌(ピョンヤン)から北京、香港、バンコク、バーレーンを経由した18時間の旅のあとであった。チームはすぐ近くのシャラジャーにある「ホテル・ホリデーインターナショナル」にチェックインし、午睡をとり、それからアル・シャラジャー・クラブでの練習に出向いた。

率直に言うと、メンバーはとてもリラックスしていて、友好的そして開放的に見えた。
団長のキム・ジョンシク氏はかつてのFIFAの公認レフェリーで、英語が達者な人だ。彼をサポートするのは、北朝鮮オリンピック委員会事務次長であるリ・ハクム氏。
ユン・ジョンス監督は42歳にしては若く見える人で、かつては代表チームでキャプテンを務めていた。選手時代は代表で10年間プレーしており、1993年にカタールのドーハで行なわれた、1994年ワールドカップ最終予選の北朝鮮代表チームのメンバーでもあった(思い出させて申し訳ない。その後の輝かしい戦績にも関わらず、イラク戦での2−2のドローは今も日本のファンにとって辛い思い出なのに…)。

私は2回の練習を両方見学したが、北朝鮮の選手たちは好調で、頑健で、運動能力が高そうだった。湾岸地帯の熱気のなかでも、全力で走り回っていた。
北朝鮮はUAE、タイ、イエメンと同組のグループを勝ち上がってきた。勝って当然というようなグループではなかったのである。
北朝鮮について詳しい人はあまり多くはいないため、水曜日の夜の試合はとても興味深いものとなるだろう。

火曜日の朝、監督は雑誌『フットボール・アジア』とウエブサイトのインタビューを受けていたが、とても快活で、冗舌だった。水曜日の試合のフォーメーションだけは明らかにされなかったが、それを秘密にするのは彼だけではない。
その夜の公式練習はメディアに公開されていたので、私はタッチライン沿いの北朝鮮ベンチの横に置かれた椅子に腰かけ、自分自身の目で北朝鮮チームを見ることにした。
1966年ワールドカップ・イングランド大会での北朝鮮は今も伝説として語り継がれているわけなのだが、今回の北朝鮮チームにしてみれば、一人の西洋人が自チームに興味を抱いていることが驚きであったようだ。

*このコラムは16日に書かれたものです

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安全圏に一歩近づいたレイソル

2004/11/15(月)

柏レイソルにとって、とても大きな1勝、そして貴重な勝点3だった。
彼らは国立競技場でのアルビレックス新潟戦にどうしても勝つ必要があった。その新潟戦に3−1で勝ち、柏はリーグ最下位のセレッソ大阪に5ポイントの差をつけた。
残り3試合の時点で、セレッソは勝点19、レイソルは同24。セレッソがレイソルに追いつくことは非情に難しくなってきた。セレッソはアウェーでの2試合を含む残り3試合のうち、できれば全勝、少なくとも2勝する必要がある。

ホームスタジアムについて言うと、私はこの数年間で、レイソルにとって日立スタジアムは彼らの要塞であると考えるようになっていた。大き過ぎず、コンパクトなグラウンドで、ファンがピッチに近く素晴らしい環境だ。
熱狂的な“イエローモンキーズ”たちがゴール裏のネットに群がる姿は、アウェーチームに威圧感を与える。
にも関わらず、今シーズンのレイソルは、日立スタジアムではシーズン開幕戦の大分トリニータ戦の2−1の勝利、このわずか1勝しか挙げていないのだ。
チームが好調を維持していくためには、ホームゲームは勝たねばならない。これが今シーズン、レイソルの抱えている根本的な問題である。

彼らの直近の敗戦はホームでのヴェルディ戦。若きストライカー森本に素晴らしい2得点を奪われ、0−2で敗れている。
森本の2ゴールには彼の成長と冷静さがよく出ており、今後6年間にわたって彼が日本の各年代で鍵を握る存在になるだろうと思わせるものだった。2008年に開催される北京オリンピック予選に出場するU−23日本代表でも、彼がプレーする機会は必ずあるだろう。

ヴェルディがレイソルを破ったその翌日、セレッソは磐田で試合終了3分前までリードしていながら、結局2−2で引き分けた。
セレッソのディフェンスで私が最も納得できなかったのは、リーグの中でも屈指のヘッドの強さを誇る福西をペナルティエリア内でフリーにし、その結果、同点ゴールを決められたのは何故なのかということだ。
福西は前半にもヘッドで決めていた。それにも関わらず、名波の左コーナーキックの場面でセレッソディフェンスは福西へのマークを怠ってしまった。日本代表のMF福西がこんな至近距離でミスを犯すはずもない。

こうした小さなミスは、シーズンを通して見ると重くのしかかる。この日、セレッソは貴重な勝点2を逃す結果になった。
今シーズン、ホームで絶不調のレイソルだが、なんとかシーズンを乗り切れそうである。

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大久保なら、大丈夫!

2004/11/11(木)

大久保嘉人がヨーロッパでのプレーを目指す日本人選手のリストに加わることになったのは、当然の帰結と言える。
現時点(※編集注:8日時点)では、どうやらスペインが大久保の移住地になりそうである。もっと正確に言えば、スペインの保養地であるマジョルカ島である。
福岡県出身でセレッソ大阪に所属する22歳の火の玉小僧にとって、これは大きな飛躍のチャンスだろう。スペインの1部リーグはおそらくヨーロッパで、そして世界で最高のリーグだからだ。
若き大久保が6か月間のレンタル契約でマジョルカに移籍するとして。さて、大久保には成功できるだけの資質が備わっているのだろうか?

少し前から、私はこの質問をJリーグの選手や監督たちに幾度となく投げかけているのだが、みな一様に、こう答えた。
「大丈夫。大久保にはヨーロッパで成功できるだけの資質が備わっているよ。」

うまく契約がまとまって欲しいなと思っている。スペインの大舞台で大久保が実力を発揮し、成長してゆく姿を見るのが楽しみでならないからだ。
大久保がみんなから好かれる理由は、そのひたむきさにある。
ゴールを決めることをひたすら愛し、自信と信念を持って相手ディフェンダーをかわし、シュートを放つ。
どんなストライカーでも、たとえロナウドでもミスすることはあるのだが、大久保はそれをいつまでも悔やみ続けたりはせず、ひたすら挽回を目指すのだ。
日本では、明らかにシュートのチャンスという時に、ボールを思い切り蹴らずにワンタッチしようとして、ディフェンダーのタックルを受けたり、自分で責任を負わずにチームメートにパスやクロスを送ろうとするシーンがあまりに多い。

でも、大久保はそうじゃない。
大久保は自分が何をしたいのかを知っていて、ゴールがどこにあるのかも知っている。スペインでも、大久保はこの冷酷な、殺し屋のようなプレーを続けなければならない。
君のことをどん欲だとか、自分勝手だとか言う人たちに耳を貸す必要なんかないんだよ、嘉人!
君はストライカーであり略奪者だ。仕事はゴールを奪うこと――しかもできるだけ多く奪うことなんだ。

もちろん、大久保にはもう1つ別の一面がある。過去に何度もトラブルに首を突っ込んでしまったということだ。
問題は彼の気性、怒り、不満であり、1人の選手が一人前のサッカー選手、そして一人前の男になるための成長途上にあるということなのである。
いま大久保がしなければならないことは、エネルギーを正しい方向に向け、日頃から感情を爆発させないように努め、自分の仕事に集中することなのだ。

スペインでプレーすることは、こうした部分でも助けになるだろう。第一に、レフェリーやアシスタント・レフェリーには日本語の暴言を理解できない。第二に、大久保もJリーグのときのように井の中の蛙ではいられないからだ。
大久保の攻撃性やパワーに驚くスペインのディフェンダーも、少しはいるかもしれない。だから、彼が移籍後すぐにいくつかゴールを決め、チーム内で確固たる地位を築けるように願おうじゃないか。

散々な立ち上がりであったマジョルカも、今後は新監督のエクトル・クーペルのもとで順位を上げてゆくことだろう。
そのとき大久保がチームに貢献できているようなら、夏には完全移籍が実現するかもしれない。

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ジーコ監督の選択にホッとした日本サッカー協会

2004/11/08(月)

ごくごく当然の選択だった。
私が言っているのはもちろん、17日のワールドカップ予選、日本にとって消化試合となったシンガポール戦に数人のベテラン選手を招集するという計画をジーコ監督が断念したことである。
ジーコ監督は金曜日に代表メンバーを発表したが、その中には、ゴン、カズ、そして秋田の名前はなかった。ジーコ監督は日本代表への彼らの貢献に対する感謝の気持ちとして、この3人を選出することを検討していたのだ。
考えそのものは素晴らしいが、こうした場で、この時期に行なうべきものではないだろう。あまりの批判的な報道の多さに、監督は考えを改めた。

今週初めにジーコ監督は、この計画に対する批判は、名前の挙がったベテラン選手に対して失礼だと話していた。
しかし、このジーコ監督の発言は見当違いだろう。
私はオマーンから帰国する際に関西空港で最初にこのニュースを目にした時から、彼の計画には反対だった。そして私が反対する理由は、ベテラン選手を軽視することとは全く関係ない。
カズはプロフェッショナルの見本で、彼の仕事に対する意欲、態度は誰もが見習うべきものである。
ゴンも然り、サッカーへの情熱、そして彼の華々しいゴールの数々は彼の年齢の半分ほどの選手たちからも羨望のまなざしを受けるに違いない。
ラフでタフなイングランドスタイルのセンターハーフであり、鹿島アントラーズの成功の中核でもあった秋田は、常にお気に入りの選手だった。

私は決して、彼らベテランを軽視しているわけではない。
ただ、ワールドカップ予選というものは、こうした慈善ゲームを行なう場ではないだろう、ということだ。
ジーコ監督がベテラン選手に対して感謝の意を込めたゲームをしたいというのなら、日本サッカー協会が主催して、そうした目的のための試合を行なうべきだ。
例えば、オーバー30日本代表対オーバー30韓国代表、“キリン・ゴールデンオールディーズ・スーパーチャレンジカップ”、なんてのはどうだろう。きっと国立競技場も観衆で埋まだろうし、カズやゴン、秋田らにの感謝の意を表するにはもってこいの場になるだろう。

さて、シンガポール戦代表メンバーに話を戻そう。ジーコ監督はもっと新しいプレーヤーを選出すべきだったと思う。
選ばれたのは大久保だけ。ただ、“若きヨシト”にとってはフル代表での初ゴールをあげる良い機会であることは間違いない。
ジーコ監督には、オリンピック代表メンバーや他の選手たちにもっと目を向けてもらいたかった。2006年ワールドカップに向けて、来年は代表メンバーをもっと充実させなければならないのだから。
以前にも言ったが、茂庭、今野、そして石川といった選手たちにとって、シンガポール戦は経験を積む良い機会だっただろうし、左ウィングに村井のような新メンバーを選択することだってできたはずだ。
一方、ジーコ監督は、代表メンバーを軽視しているという非難を受けることもなく、これまで黙ってベンチでチャンスを待っていた何人かの選手たちに機会を与えられるのだ。
これは彼の最初の計画よりずっと意味があると思うし、いわゆる“ゴールデンオールディーズ”計画を断念した今、ずっとフェアな歩み寄りといえただろう。いずれにせよ日本サッカー協会にとっては、これで信頼度も上がり夜もゆっくり眠れるというものだ。

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ナビスコカップ決勝戦を前にして

2004/11/04(木)

Jリーグ待望の決勝戦である。
スポンサーのヤマザキナビスコにとっても、待望の決勝戦だ。
しかしそれは、FC東京にとっても待望の決勝戦なのだろうか?どうもそうではないような気がする。

カップ戦の決勝戦は何が起きるか分からないと言われていることは知っているが、水曜日に国立競技場で行なわれるナビスコカップ決勝戦直前の両チームの成績を無視するわけにもいかない。
浦和レッズは絶好調で、セカンドステージ残りわずか4試合の時点で、2位に勝点7差をつけて首位。初のステージ優勝を目前にした状態だ。
一方のFC東京は、ゴールを挙げるのにも、勝点を獲得するのにも苦労しているといった状態で、ナビスコカップ決勝戦でも苦戦は免れないように思える。
とはいえ、FC東京は大勢の熱狂的ファンが直近の対戦を思い出させ、チームを鼓舞してくれるかもしれない。
9月24日、両チームは味の素スタジアムでリーグ戦を戦い、FC東京が見事な戦いを見せ、1−0で勝利した。
その夜はディフェンスの中央に位置する茂庭とジャーンのコンビが素晴らしい働きをみせ、セカンドステージ開幕から5連勝中に21ゴールをマークしたレッズの攻撃陣を封じ込めた。

シーズン初めにはレッズが埼玉でFC東京を2−1で破っているので、リーグ戦での直接対戦を見るかぎりは互角と言える。
どちらが勝つにしろ、激しい戦いになりそうである。
浦和に勝って以来、リーグ戦でのFC東京の戦いぶりは悲惨なものだ。実際、浦和戦以降リーグ戦では1勝もしておらず、3分け2敗という成績。ひょっとすると、大一番に備えて力をためていたのだろうか?

同じ時期、レッズはリーグ戦で4勝し、引き分けは1つだけ。水曜日の決勝戦、どちらのチームが自信満々でピッチに登場するかは明らかである。
浦和には過去2シーズンの経験がある。いずれのシーズンも、浦和はナビスコカップの決勝戦を鹿島アントラーズと戦った。
2002年はアントラーズが勝ったが、昨年はレッズがリベンジを果たした。その日は、ハンス・オフトがシーズン終了後に辞任するというショッキングな発表をした日としても記憶されるようになるだろう。

オフトの後任ギド・ブッフバルトのこれまでの仕事ぶりは申し分がなく、チームはリーグチャンピオンシップ、ナビスコカップ、天皇杯の三冠も狙える状態である。
個人的にはFC東京の素晴らしいファンのために、そして一般的にはFC東京以上の財源を実際に持っている他のクラブのお手本となるように、青のユニフォームのFC東京にはレッズ相手に果敢に戦って欲しい。
しかし、リーグ戦の成績に反してFC東京が勝利すれば、ビッグ・サプライズとなるだろう。
さて、私の予想は、レッズが2−0で勝利だ。

*このコラムは11月2日に書かれたものです

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ジーコの役に立たないアイデア

2004/11/01(月)

以前、あるドイツ人ジャーナリストが、「FIFAのゼップ・ブラッター会長は毎日50のアイデアを思いつくが、そのうちの51は役に立たない」と書いていた。
ワールドカップ・アジア1次予選グループ3での日本の最終戦、11月17日のシンガポール戦でジーコが「黄金のベテランたち」を起用するプランを立てていると知った時、このフレーズを思い出した。

J1の16チームの多くはこのアイデアに反対のようで、その意思をJFA(日本サッカー協会)技術委員会の田嶋幸三委員長にはっきりと伝えた。

そりゃあそうだよね。
クラブの意向が考慮されてしかるべきだし、ジーコが代表選手の発表を行なう前に、プランそのものが取り下げられて欲しいと思っている。
報道によれば、ジーコが母国で今も続けている、おなじみの休暇から帰ってきたら、田嶋委員長がこの件について伝えるそうだ(来年に向けて自分のチームをさらに強化したいのなら、ジーコはJリーグの若き才能をチェックしたほうが良いのに、と私は思った)。

そんなわけで、過去ではなく、未来に向けての取り組みを進めている日本サッカー界の人々の希望がまったく潰えたわけでもないのである。
私は、当初からこのプランに反対である。とても多くの疑問点が浮かび上がってくるからだ。
たとえば、もしゴン中山がシンガポール戦で3ゴールを上げたらどうするのだろう? どのような理由をつけて、ジーコは彼を次戦のメンバーから外すのだろう?
もしキング・カズが、国立で6−3で勝利した1997年のウズベキスタン戦のように、4ゴールを決めでもしたらどうするのだろう? これまたどのような理由をつけて、ジーコは次戦でのカズの招集を見送るのだろう?

私は、こんな馬鹿げたプランはないと思っているが、嬉しいことに、他のJ1チームの多くも同じように考えている。JFAはこのプランを阻止すべきである。
シンガポール戦は、ジーコにとって、何人かの新顔にワールドカップ予選を経験させる、願ってもないチャンスなのである。
日本はすでに楽々と最終予選進出を決めているから、“次のラウンドへの予選”という意義はなくなってしまったが、それでもこの試合がワールドカップの予選であることには変わりはない。つまり、プレッシャーや期待を背負って戦う試合なのである。
何人かの新しい選手を試すのに、これ以上のチャンスが今後ジーコに訪れるだろうか? ジーコはいつも、ワールドカップまでに選手を見る時間が少なすぎるとこぼしていたのに、いざチャンスが来たら、功労者を感謝する試合に変えようとしているのである。

それから、ヨーロッパにいるスター選手を呼び戻す必要もない。
最後に、私が選んだシンガポール戦の日本代表を記して終わりにしよう。

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オマーンでの鈴木通訳の退席処分について

2004/10/29(金)

ジーコの通訳である鈴木国弘氏に対してFIFAが下した1試合のベンチ入り禁止処分については、日本サッカー協会(JFA)も申し立てはできないだろう。
マスカットのスルタン・カブース競技場で、私は日本ベンチの真後ろの席に座っていたが、審判団に対する鈴木氏の抗議はまさに度を超えていたと言っていいものであった。
それまでの長い時間は、ジーコが試合を支配しており、中国の陸俊主審に事細かに指示しているように見えた。

たとえば、後半7分の日本の先制点に結びついた、鈴木(ここでは国弘ではなく隆行)へのファウルに対するフリーキック。
まったく痛くない時でもよくやるように鈴木がピッチ上を転がり回っていると、ジーコは主審に4本の指を立てて見せ、鈴木へのファウルはこれが4度目であるとアピール。主審はオマーンのディフェンダーにイエローカードを与えた。

試合終了間際には中村がファウルを受けた。またも日本ベンチの前で、ジーコがピッチサイドにいる時だった。しかし、ジーコよりは通訳のほうがどちらかといえば声高で、ジーコの発言を翻訳するのではなく、明らかに事態を自分で処理しようとしているようであった。
たとえジーコの発言をポルトガル語から日本語に翻訳していたのだとしても、どちらの言語も話さない主審には理解できなかっただろう。
それでもレフリーは発言の要点を把握したようで、日本ベンチに近づいてきた時には激怒していた。

通訳には退席処分が下されたが、ルールを知らなかったのか、控え選手と並んでゲームを観戦しようとした。
もちろん、そんなことは許されないので、彼はピッチを歩いて半周し、選手入場口に行くよう命じられた。入場口に向かう途中、鈴木通訳にはボトルが投げつけられ、そしてアラビア語の辛辣なヤジが浴びせられた。

試合後、レッドカードを受けたのだから彼は次の試合ベンチ入り禁止になるかもしれないと私が言うと、多くの人が笑った。私が冗談を言っていると思ったのだろう。
しかし、彼だけが罰を回避できるというわけにはいかない。
選手が退場処分を受けたり、監督やベンチの選手が退席処分を受けた時には罰が与えられるのに、通訳だけが違う扱いを受けるなんてことはありえるだろうか?
結局のところ、通訳もゲームの一部であり、ベンチの日本選手団の一部なのだ。それに、彼は退席処分を受けたのである。
ブラジル育ちの日本人が何人かいるのだから、11月17日のシンガポール戦は、日本は鈴木通訳がいなくても大丈夫だろう。
ジーコはアレックスを通訳にして、左ウィングには三浦を起用するのだろう!
あるいは、カズやゴン、秋田と一緒にラモスを通訳として代表復帰させるかも!

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ねえジーコ、村井にチャンスをあげようよ!

2004/10/28(木)

土曜日(25日)、ジェフユナイテッド市原の村井慎二が素晴らしいタイミングでアピールした。
名古屋に2−0で勝利したジェフの先制点となるゴールも見事であったが、ゴールを決めたタイミングがなんとも良かった。

「消化試合」となってしまった11月17日のシンガポールとのワールドカップ予選で、どうやらジーコは実験を行なうつもりのようだ。
カズやゴンや秋田を起用するというアイデアには、私は強く反対だ。
ただし、オリンピック代表や(茂庭、今野、石川、大久保なんかどうだろう?)Jリーグで良いプレーを見せている選手の起用には賛成である。
オリンピック代表には左サイドに傑出した選手がいなかったが、ジーコがいつも選ぶアレックスや三浦淳宏以外にも、Jリーグには優れた左サイドの選手が何人かいる。
そうした事情があり、村井は良いタイミングでゴールを決めたと書いたのだが、日曜日の新聞紙上でも、当然といえば当然だが、いくつか好意的な評価が下されていた。

24歳の左ウィングである村井の存在は、右サイドの坂本とともに、ジェフのタイトな3−5−2のフォーメーションで絶妙なバランスを保っている。
村井には相手を抜き去る技術とスピードがあるし、左足で巧妙なクロスを上げることも、自身でゴールを狙うこともできる。
村井が市原に入団したばかりの頃、ライアン・ギグスをとても尊敬している、と語っていたのを憶えている――村井のポジションでは、ギグスは目標とすべき完ぺきなロールモデルなのである。
(ピッチの外でも、ギグスはマンチェスター・ユナイテッド(マン・U)のファン以外にも人気がある。余談になるが、マン・Uの選手の多くは他チームのサポーターに毛嫌いされているが、ギグスだけは例外である。ギグスはいつも敬愛されているのだ。)

名古屋戦の後、ジェフのオシム監督は、「村井は才能に恵まれた選手だから、今日のようなプレーをもっとたくさんできるはずだし、ゴールももっと決められるはずだ」と語った。

村井は明らかにゴールに飢えているように見え、ディフェンダーを2度かわしてから、得意の左足で自信を持ってシュートを放ち、楢崎の守るゴールの上隅にボールを叩き込んだ。
2週間前にも、村井は国立競技場の東京オリンピック記念試合でハンガリー選抜と戦った日本選抜チームの一員として、印象に残る成熟したプレーを見せていた。
ジーコがニュー・フェースを何人か試したいのであれば、左サイドに村井を起用すれば失望はしないだろうし、アレックスも安穏としていられなくなるだろう。
アレックスはいつも無理することなく要領良くプレーしようとし、何か特別なことがあった時のために余力を残しているように見える。しかし、特別なことなどは起こらないし、今シーズン、浦和でのアレックスのプレーぶりは少しがっかりさせるものだった。また、コーナーキックやフリーキックを蹴っても、一番前にいるディフェンダーの頭を越せないことがよくあったが、これにもイライラさせられた。

ねえ、ジーコ、だからシンガポール戦では村井に左サイドを任せてみようよ。
村井のような選手をリーグ戦で起用し、育ててきたのはJリーグの各クラブなのだ。このあたりでクラブの努力が報いられてもいいんじゃないかな。

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レイソル対セレッソ、Jリーグの過酷なサバイバル戦

2004/10/21(木)

間違いなく、日本では、土曜日の「注目の一戦」となるだろう。
もちろん、千葉県柏市でレイソルがセレッソ大阪を迎え撃つ一戦のことである。両チームがJ1残留を賭けた、負けられない試合である。
セレッソは大分やジュビロとともに勝点はわずか7でセカンドステージ最下位に低迷中。一方のレイソルは勝点8で13位である。
しかし、話はセカンドステージの順位だけでは終わらない。両ステージの勝点を合計し、大変なトラブルに見舞われているチームを発見しなければならない。
総合順位では、やはりセレッソが勝点17で16位、つまり最下位におり、レイソルは勝点20で15位。14位の大分とは4ポイント差がある。
つまり、最下位争いは両チームのマッチレースであり、最下位となったチームは、J1が来シーズンから18チームに拡大されるため、J2の3位チームとJ1の残りの席を賭けてプレーオフを戦うことになる。
レイソル対セレッソ戦は午後3時キックオフ。この重要な試合、柏には騒々しい観客が大勢やって来るに違いない。

レイソルが勝てば、セレッソに6ポイント差をつけることになる。セレッソにとって、残り5試合で詰めるには大きすぎる差だろう。
セレッソが勝てば、レイソルと勝点20で並び、自力でプレーオフを回避する望みが生まれる。セレッソにとって最後のチャンスというわけではないが、限りなく最後のチャンスに近いのは確かである。
賭かっているものがあまりにも大きいなか、両チームとも勝ちに行く試合をするだろう。
引き分けは両チームにとって、とりわけアウェーのチームにとって、満足のゆくものではないため、ファンは、コンパクトな日立柏サッカー場で、なかなか攻撃的な、ひょっとすればほとんどヤケクソ気味のサッカーを見る機会に恵まれるかもしれない。

日曜日(17日)のセレッソは、ホームの関西ダービーでヴィッセル神戸に1−2で敗れるという散々たる結果であった。試合は、播戸竜二がヴィッセルの先制ゴールを決め、先日国立競技場で行なわれた日本選抜対ハンガリー選抜戦での印象的なプレーに続き、代表チーム招集をアピールした。
一方、ホームにグランパスを迎えたレイソルも、セレッソのホームでの敗戦に充分につけ込むまでには至らなかった。
前半を0−1で折り返したレイソルは、後半に明神と大谷が立て続けにゴールを挙げ逆転したものの、終了間際に同点ゴールを許してしまい、名古屋から勝点3を奪うことはできなかった。レイソルにとって、逃した勝点2はあまりに大きかった。

この週末には、非常に魅力的な試合が他にもいくつかある。例えば、アントラーズがホームでレッズを迎える試合や、横浜でのマリノス対FC東京戦。しかし、レイソルとセレッソの激突が、両チームの近い未来を占う、もっとも見逃せない試合となるだろう
さあ、本当の降格争いを楽しもう!

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日本代表の成熟とプロ意識が輝いた夜

2004/10/18(月)

オマーンで行なわれたワールドカップ・アジア1次予選は、ほぼ予想通りの結果となった。
試合開始早々はホームチームが積極的に攻撃していたが、この一時的な攻勢をしのぐと日本代表は徐々に試合をコントロールしはじめた。
そして後半7分、中村俊輔のクロスを鈴木隆行が華麗なヘッドでゴールし、日本に待望の先制点をもたらした。
このゴールが結果として試合を決定付け、日本にグループ3の1位を確定させた。

5戦5勝、得点15に対して失点1、勝点15という日本代表の対戦成績が、全てを物語っている。
全般的に日本代表の成熟と集中力を感じさせる試合内容であり、随所でオマーンとのレベルの違いを感じさせた。
これはJリーグのプロ意識とヨーロッパ組の選手たちの経験の賜物である。
皆さんにも小野が堂々たる指揮官に見えたのではないだろうか?

とは言え、この試合のMVPは中澤だと私は思う。
アジアカップと同じく、彼は日本ディフェンス陣の大黒柱だった。
オマーンが日本サイドのペナルティエリア内に放り込むボールはことごとく中澤のヘッドに阻まれた。
彼は試合の流れをよく読んでいたし、タックルも目を見張るものがあった。

以前にもこのコラムで述べたことがあるが、もう一度言いたい。中澤はヨーロッパで成功するための要素を全て持ち合わせている。Jリーグのシーズン終了後にはヨーロッパでのチャンスを掴んでもらいたい。
試合後、全ての観客が帰ってしまったスルタン・カブース・スポーツコンプレックスは寂しいくらいに静まり返っていた。その中で私はアジアサッカー連盟のマーケティング部の人間と立ち話をした。
「今日の試合に出場した選手の一人が、今年のアジアの“プレーヤー・オフ・ザ・イヤー”候補ですよ。誰だと思いますか?」と彼は言った。
私は即座に中澤だと答えた。
「その通りです!彼は素晴らしい選手だ。ノミネートされると良いですね」彼はそう言った。
まったくその通りだ。クリエイティブで目立つ攻撃側の選手が必ずしも選ばれることはないのである。私は日頃からこのような賞の選考においてディフェンダーは軽視されていると思っていた。

全体的に見て、格下の相手とは言え油断できないテストに合格した日本代表にとって、非常に満足のいく夜であった。
日本は2006年ドイツワールドカップ・アジア最終予選出場の8ヶ国に残った。各グループの上位2チーム、そして3位のチームにもワールドカップ出場のチャンスがある。日本は出場を決めることができるはずである。
ただし、日本はマスカットで見せたような支配力と成熟ぶりを見せなければならない。そして全ての対戦国に敬意をもって対峙することだ。

2005年は騒がしい1年になりそうだ。

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熱く盛り上がるマスカット

2004/10/14(木)

日本では誰もが、水曜日に陽光輝くここマスカットの地で行なわれるゲームの大切さを知っている。
ただし、湾岸のサッカー界の小国に過ぎないという理由だけで、オマーンの人々はゲームの重要性を理解していないに違いない、などと考えるのは良くない。
オマーンには英語の新聞が3紙あるが、これら新聞でサッカーがクリケットを追い落としてスポーツ欄のメインになっていることからも、今回の試合が重要視されているのが分かる。
この地には在留インド人の大きなコミュニティーがあるため、毎日クリケットに多くの紙面が割かれている。本当なら、インドチームがホームでオーストラリアを迎え撃っている今の時期は、クリケットにもっと多くの紙面が割かれてもおかしくないのである。

「ジーコ・ジャパン、オマーン戦への準備完了」というのが、『オマーン・デイリー・オブザーバー』紙の見出しだ。
この記事は、月曜日のスルタン・カブース競技場での練習中に気温と湿度を測定する装置が使用されていたことに着目し、日本チームの精緻な調整方法を紹介するものであった。
また、オマーンチームが同国スポーツ相の訪問を受けたという記事、それから練習中の日本代表の写真も掲載されていた。

『タイムズ・オブ・オマーン』紙は今回の試合に半ページを割き、「対決間近、興奮は最高潮に」という見出しを掲げていた。
この記事では、かなりの数の日本人が街を歩いている様子とともに、マスコミ関係者の数が140人を越えていることに対する驚きが伝えられていた。
もちろん、ジーコの写真も掲載されていた。その表情はいつにも増して厳しく、いかめしくなっており、写真の傍らには、「日本はいつものようにプレーし、引き分けは狙わない。勝って最終予選に進むのが望ましい」というコメントが引用されていた。

日本チームは月曜日に試合会場で激しいトレーニングを行ない、とりわけコーナーキックの練習に力を入れていた。接戦になることが予想されるので、フリーキックやコーナーキックといったセットプレーが勝敗を左右するかもしれない。
スタジアムは見た目に豪華で、岩肌がむきだしの山々に囲まれているものの、付近の道路は両側にヤシの木が植えられている。
日本の練習中、1 人のイスラム教徒が唱える祈祷の声がラウド・スピーカーで増幅され、グラウンド中に響き渡っていた。

テレビカメラの前で行なわれたジーコの記者会見のあとは、「生ビール」が主な話題となった。
このような話題が出るのはジャーナリスト同士の会話では珍しいことではない。「記事を書いたあと、どこに飲みに行く?」なんて話をしょっちゅうしているからだ! しかし、今回は趣が異なっていた。
何人かの日本人ジャーナリストとのおしゃべりから、ジーコが水曜日の試合会場の雰囲気を生ビールのグラスの上の部分に喩えていることを知った。

「オマーンのサポーターは白い衣装を着用しているので、スタジアムはビールの入ったグラスのようになるだろうが、白はビールの泡にすぎないので、さほど重要ではない。重要なのは下のほう、つまりビールそのものであり、今回の試合の場合はピッチで起っていることなのである。」

う〜む、とても面白い。これが哲学者ジーコの発言だ。どちらかと言えば、エリック・カントナの発言のようではないか。
水曜日の夜は日本代表にとって本当に厳しい試練となるだろうが、私は以前に発表した0−0(ひょっとすると1−1!)という予想をそのまま維持する。日本が負けるとはどうしても思えないのだ。

さあ、リラックスして「生ビール」を楽しもう!

*このコラムは10月12日に書かれたものです。

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日本には“アウェー・アドバンテージ”があると宮本キャプテンは語る

2004/10/11(月)

水曜日に行なわれる日本対オマーン戦、もしオマーンが自分たちにはホーム・アドバンテージがあると考えているのなら、もう一度考えなおしたほうが良い。
もちろん紙上では、オマーンの美しい首都、マスカットで行なわれる試合では彼らにホーム・アドバンテージがあるとされている。
しかし、だからといってこれはビジターである日本代表がナーバスになったり、攻めのサッカーをすることをためらうという事ではない。

日本代表のキャプテンである“カイザー(皇帝)・ツネ”によると、日本は実際のところアウェーでの方がデキが良いと言う。
ホームゲームには毎回素晴らしいサポーターが集まることを考えると、少々変に聞こえるかもしれない。
ただツネは、 “美しいサッカー”や“怒涛の攻撃”、“ゴールラッシュ”をファンが求めると、それは選手にとってプレッシャーにもなると考えている。
そして、毎回毎回、ファンの望んだとおりの試合になるとは限らないのだ。

2月18日に埼玉で行なわれた対オマーン戦を思い出してみると良い。
日本代表は勢いやリズムを得られないまま闇雲に攻め立て、最後の最後、後半ロスタイムに決めた久保の決勝ゴールにより1−0で勝った。本当にラッキーだった。
ボールはオマーンのペナルティエリアの端でまるでパチンコ玉のように跳ね、そこに久保が飛び込んだのだが、みなさんは覚えているだろうか。

ホームグラウンドから離れると、チームはよりリラックスできるとツネは言う。そしてボールを奪ったらすぐに総攻撃をかけなければならないというプレッシャーを感じることもなく、より慎重なサッカーができる。
それは、ヨーロッパ遠征や中国で行なわれたアジアカップを見れば明らかだろう。だからこそ私は、水曜の夜に、よりナーバスになっているのは日本代表でなくオマーン代表だと思うのだ。

仮に日本が先制点を挙げたなら、そこで試合は決まるだろう。オマーンは今年になって埼玉で0−1、そして中国でも0−1で敗れたチームを相手に2点を奪わなければならなくなる。言い換えれば、オマーンは日本と2度対戦しているが、まだ1ゴールも奪っていないのだ。
オマーンの戦略としては、前半はとにかく日本に点を与えないように守備を固めてくるだろう。そして残り30分になった時点でゴールを狙いにくる。日本にとっては理想的な展開になるだろう。
ボールをキープして落ち着いてプレーし、攻撃のタイミングを見計らうこともできる。そしてオマーンのペナルティエリア周辺で鈴木隆行がフリーキックを得て、中村俊輔が魔法の左足でゴール!1−0で日本の勝利だ!

正直、私にはマスカットで日本が負けるとは思えない。
キャプテンのツネが言うように、日本代表はホームよりアウェーでプレーする時の方が、より試合をコントロールできているように見える。水曜の夜には、すべてのプレッシャーがホームのオマーンにかかる。
私のシナリオ通りに試合は進まないかもしれない。しかし、私の予想は0−0もしくは1−1のドロー。日本は順調に次のラウンドに進むだろう。

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アルパイが絶賛する日本のサッカーファンのひたむきさと観客数の関係

2004/10/07(木)

1993年のJリーグ発足以来、観客数にはいつも大いなる関心を抱いてきた。
先週末から、状況はリーグ全体にとってとても好ましいものとなっている。
現時点でJ1のセカンドステージの平均観客数は1万9,175人。
ファーストステージ15節の平均は1万8,763人であった。
このままいけば、シーズン全体の平均観客数は1万8,969人となり、240試合で1万7,351人という2003年の記録を大幅に上回りそうである。
浦和レッズが首位、アルビレックス新潟も上り調子にあるため、多くのファンを擁するこの2チームの勢いだけで、J1リーグの年間平均観客数1万9,000人越えが達成されそうである。
もしそうなれば、1万9,000人越えは1994年以来となる。その年はJリーグ発足2年目で、平均観客数は最高記録の1万9,598人となった。
1994年以降、一度離れてしまった観客がまたスタジアムに帰ってくるようになった。これは、日本のサッカー界にとってとても健全な兆候だ。
つまり、サッカーを理解せず、ファッションに追随していただけの発足当初のバブル期のファンに代わり、純粋なサッカーのサポーターが増えてきたのである。

スペイン、イングランド、イタリア、ドイツといったヨーロッパの4大リーグ、それからたぶんフランスリーグを別にすれば、Jリーグの観客数は、オランダやベルギーを含むヨーロッパのほとんどのリーグを上回るようになるだろう。
実際、華やかであると言われるイタリアのセリエAでも、日本のクラブが受けるサポートをうらやんでいるクラブがいくつかある。

土曜日のジェフ市原対浦和レッズ戦のあと、私はトルコの勇者アルパイ・オザランと話をした。
トルコ代表の試合を現地で観戦したことがある者なら誰でも、ファンの熱烈さを身に染みて知っている。そこで私は、東京とイスタンブールがどれくらい違うのか聞いてみた。
アルパイは即座に、日本のほうが雰囲気が良い、と答えた。
彼が言うには、1チームが優勝争いで独走するようになるとトルコのファンはサッカーを観に行かないようになるが、日本のファンは変わらずスタジアムにやって来て、声援を送り続けてくれるそうである。
アルパイ自身は、試合に負けたあとも長い時間、黄色いシャツのヒーローたちに声援を送り続けていたジェフのファンにとても感動したらしい。
「我々のファンもそうだ。埼玉から2時間もかかる場所だというのに、2万人以上のファンが来てくれたんだよね」とアルパイ。

観客数が堅実に伸びている現状を、世界中の多くのリーグがうらやんでいるに違いない。
日本の野球の世界が分岐点にさしかかっているのに反して、Jリーグは一歩一歩、静かに事業を拡大しているのである。

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復調に向けて模索する田中

2004/10/04(月)

レッズファンにとって嬉しいことは、チームが依然として首位を保っていること、そして田中達也の復調が近いということである。
私はアウェーでの対FC東京戦、ホームでのガンバ大阪戦と、最近のレッズの2試合を見たが、田中は、彼とは思えないくらい静かだった。
得点を挙げる機会もほとんど無く、ディフェンダーを粉砕しようという猛烈な勢いも感じられなかった。

駒場で行なわれた対ガンバ戦、2−1の勝利の後、私はギド・ブッフバルト監督に田中について尋ねてみた。
アテネオリンピックでの体験が田中を少し意気消沈させているのだと、監督は認めた。
「オリンピックは彼にとっては良いものにはならなかったね。プレーできなかったわけだから。」
ブッフバルト監督はそう言った。
「3〜4週間、観光に行ったようなものだ。それで心身ともに良い状態でいられるはずはない。」

しかし、ブッフバルト監督は田中の低迷についてはそれほど心配しておらず、それはレッズのファンも然りだろうと私は確信している。
「彼は一歩一歩、確実に復調してくるよ。心配はいらない。彼は我々にとってとても大事なプレーヤーだ。」
物腰のやわらかいドイツ人監督はこう言った。
田中は、いくつかゴールを決めるだけでなく、ボールに絡まないプレーをとおしてすぐに復調できるはずだ。

エメルソン、田中が揃えば、レッズはそのスピードとダイレクトランニングでディフェンダーをかき回すことができる。彼らを抑えるのはよほどのチームでないと大変である。
ジャーンと茂庭がFC東京のディフェンスの中心で素晴らしい働きをみせ、FC東京は先日、レッズを1−0で完封した。
茂庭と今野が代表メンバーに選ばれる日も近いのではないだろうか。

マスカットで行なわれる対オマーン戦が片付けば(日本が負けるとは思えないし、少なくとも引き分けに持ち込めるはずである)、ジーコ監督は11月17日にホームで行なわれるグループ3の残りの試合に何人かのオリンピック代表選手を使うかもしれない。
茂庭、今野、石川、そしてもちろん大久保が代表でプレーするのを私は見たい。それもずっと先でなく近いうちに、だ。しかしジーコ監督は、たとえベテラン勢がチームを離脱していても、これまで監督に忠実に従ってきた彼らを犠牲にしてまで若手をひきあげるつもりはないらしい。
田中もいずれチャンスを掴むだろう。しかしまずオリンピック前の調子を取り戻すことだ。
そうなった時には、相手ディフェンダー達は田中に注意した方が良い。

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最高の選手、中田英寿の日本代表でのポジションは?

2004/09/30(木)

読者の皆さんのほとんどは、中田英寿がいまでも日本で最高の選手であるという意見に同意するのではないだろうか。
小野伸二こそが最高だと言う人もいるかもしれない。その意見ももっともで、中田と小野の二人はヨーロッパでもその実力を認められ、際立った存在となっている。
しかし、多彩な才能を持つ中田の不在は日本代表チームに影響を及ぼすのだろうか?
今回はとても興味深い状況となっており、明らかにジーコは、10月13日にマスカットで行なわれるオマーンとの大事なワールドカップ予選に中田を急いで再招集する必要はない、と判断したのである。

ジーコの就任当初、私は、この新任の、経験不足の代表監督はあまりにも中田に依存しすぎると感じていた。
中田はキャプテンとプレイメーカーと実質的な副監督の役割を一度にすべてこなしていた。実際、中田のほうがジーコよりたくさん指示を出している代表練習もあったほどだ。
主力選手に頼るというジーコの方法は、前任のフィリップ・トルシエがなんとしても避けたいと考えていたシナリオであり、日本はチームとして機能しない状態であった。
トルシエにとっては中田も1選手に過ぎず、チームでの価値は松田や森岡、中田浩二と同じ、つまりは戸田と明神の関係のようなものであった。

中田がいない時のほうが、ジーコ・ジャパンはチームとしてまとまっているように見えるが、それは負担がより均等に分散されるからである。
また、フォーメーションも4−4−2から3−5−2に変更された。日本選手はこのスタイルのほうがはるかにプレーしやすいように見える。
中田の存在を少し脅威に感じる選手もいるかもしれない、という考えもあるだろう。ピッチでの中田は強烈な個性を発揮するからだ。
もちろん、これは中田が悪いのではない。選手は自信をもってプレーし、必要な時にコミュニケーションをとり、チームを鼓舞しなければならないのである。

日本が引き分けでアジア最終予選に進出できるオマーンでの試合は、中村が復帰し、3−5−2のフォーメーションのプレイメーカーを務める。
中田が脚の付け根のケガから完全復調すれば、ジーコはチーム最高の選手であり、キャプテンである彼をどのように遇するのだろう?
以前にも言ったことだが、もしジーコが3−5−2のフォーメーションを維持することを望み、さらに俊輔をプレイメーカーに、小野と稲本を守備的ミッドフィルダーに、アレックスを左ウィングに起用し続けたいのであれば、中田に残されたポジションは1つしかない。加持の代わりの右ウィングである。
パルマでの中田の2シーズン目は、本人は中央に近い位置でのプレーを望んでいたものの、悪くはなかったので、私は日本代表の右ウィングでも中田は立派な仕事ができると思う。
しかし、それは先の話。
オマーンでは、日本は最終予選進出に必要な引き分けを得るだろう。私の予想は、0−0だ。

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“99年ワールドユース組”から脱皮する播戸

2004/09/27(月)

1999年、ナイジェリアで開催されたワールドユースに出場した日本ユース代表を振り返ってみるのはいつも興味深く、時には驚きさえある。
日本ユース代表は決勝へ進出し、スペインに敗れた。そのメンバーのうち何人かはその後、日本代表としてプレーしている。
加地亮、中田浩二、遠藤保仁、小笠原満男、本山雅史、高原直泰、そして永井雄一郎がそうである(小野伸二は1998年フランスワールドカップ、対ジャマイカ戦ですでにA代表の試合に出場していた)。
フィリップ・トルシエ監督指揮下のU−20チームのもう1人が、今季ヴィッセル神戸で活躍している播戸竜ニである。

現在25歳の播戸は今シーズン19試合に出場して12ゴールを挙げている。これはガンバの大黒将志に次いで、日本人選手得点ランキングの2位である。
彼の直近のゴールは木曜日、国立霞ヶ丘競技場で行なわれ、2−2の引き分けに終わった対横浜F・マリノス戦で挙げたヘッドでのゴールである。
彼には2点目を決めるチャンスもあったのだが、彼のPKは左へ飛んだ榎本達也に阻まれてしまった。
後半に入り2枚のレッドカードで栗原と久保を退場で失い、9人となったマリノス相手の引き分けだったが、ヴィッセルは勝点を獲得できたことにまずは満足したようだ。

試合後、ヴィッセルのイワン・ハシェック監督は「シーズン当初、彼は交代要員だった。しかし今や彼は日本でも屈指のプレーヤーだ」と播戸を褒めちぎった。
「彼は勝利への執念を持っており、ゴールを狙うことに対する自信は毎試合、毎トレーニングのたびに大きくなってきている。」
ジーコ監督に代表メンバーとして選出されても良いのでは?との質問には、次のように答えた。
「私は日本代表監督ではない。もちろん彼にはヴィッセルに残ってもらいたいと思っている。」
そしてハシェック監督は、播戸は日本でもトップクラスのスコアラーであり、この調子でいけばもっと成長できると付け加えた。
「最近では多くの人が彼のプレーをほめている。しかし過大評価は日本人選手に間違いを犯させることもある。彼は今の姿勢を変えるべきではない。常にシンプルでいなければね。」
このまま得点を重ねていけば、播戸は次に日本代表メンバーとなる99年ワールドユースチームメンバーになるだろう。

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浦和にとっても痛い山瀬の負傷

2004/09/23(木)

今日(9月22日)は山瀬功治の23回目の誕生日である。
ただし、浦和レッズのプレーメーカーが誕生日を祝う気分かどうかは分からない。シーズンを台無しにしてしまうようなケガをヒザに負ってしまったからだ。
左ヒザを負傷したのは4−1で勝利した土曜日のアルビレックス新潟戦で、復帰まで5〜6ヶ月の時間が必要なようだ。

この才能ある若手選手が残酷な運命に見舞われたのはこれが2度目で、コンサドーレ札幌在籍時の2002年にも、右ヒザの故障によりシーズン途中での離脱を余儀なくされている。
当時、山瀬を高く評価していた浦和は2003年のシーズン前に彼を獲得。山瀬はリーグ戦24試合に出場した。
エレガントなボール扱いを見せるミッドフィルダーはレッズの今季セカンドステージ開幕5連勝に貢献し、チームは勝点2差で首位に立った。
しかし突然、山瀬のシーズンは終わりを告げ、チームはこれからリーグ戦、ナビスコカップ、そして天皇杯の3冠を目指して戦わなければならない状況にある。

レッズの次の試合は木曜日、味の素スタジアムで行なわれるアウェーのFC東京戦だ。
祝日の夜に飛田給のスタジアムで行なわれる試合には、満員の観衆が詰めかけることが予想される。
FC東京は勝点7で5位に位置し、浦和とは8ポイント差。またこの試合は、11月3日のナビスコカップ決勝の前哨戦であるとも考えられる。
レッズは名古屋と、FC東京はヴェルディと準決勝で対戦することになっているが、この両チームが決勝に勝ち上がる可能性が高そうなので、木曜日のリーグ戦はナビスコカップ決勝でどちらが心理的優位に立てるかを決める試合でもあるのだ。

もっとも、今の山瀬にできるのは来シーズンを目指すことだけである。
最初の大ケガのとき、山瀬は驚異的な回復力を発揮し、あともう少しでアテネ・オリンピックの日本代表の座を獲得するところまできた。つまり、山瀬には、このような状況に対応してきた経験があるのだ。
とはいえ、山瀬本人にとってもチームにとっても、これはとても大きな痛手だろう。明らかに、山瀬はJリーグで最も天賦の才に恵まれた選手の1人だからだ。
かなり前のことだが、かつてエスパルスとレイソルで監督を務めたスティーブ・ペリマンが、札幌でプレーしていた山瀬と堀井をベタ褒めしていたのを思い出す。トットナムの元キャプテンは、一目見ただけで良い選手が分かるのである。

すべてのレッズファンが、つらい状況にある山瀬の誕生日が素晴らしい日となるように祈っていることだろう。

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監督の信頼に応える大黒

2004/09/20(月)

普通のファンならメディアサービスというものにはあまり興味をもたない。しかし、Jリーグは特にこの分野に優れているといわれている。
1年のハイライトの1つ、メディアカンファレンスは新シーズンがスタートする数日前に開催される。
ここにはJ1、J2の全監督が出席し、メディアのインタビューを受ける。
これはJリーグによる素晴らしいアイデアである。TV、新聞、雑誌、そしてラジオと、全てのメディアに新任の監督と会う機会を与え、そして旧知の監督とは再び親交を温める良い機会になる。
私が今回この話を引き合いに出したのは、ガンバ大阪の大黒将志のことがあったからである。

2003年のシーズン(今シーズンではない)が始まる前、私はガンバの西野監督にメディアカンファレンスでインタビューした。
私は2003年のJリーグではガンバ大阪が優勝するだろうと思っていた。そして監督のコメントが欲しかった。
私たちは彼の予想ラインナップについて話をした。そしてフォワードの話になった時、私は、吉原か中山にマグロンとコンビを組ませてはどうかと提案した。

吉原は1999年のオリンピック予選の時の代表メンバーで、当時のフィリップ・トルシエ監督から“日本のロマーリオ”と評されていた。一方、“ガンバのゴン”こと中山も、韓国・釜山で行なわれた2002年アジアカップで素晴らしいゴールを決めていた。
しかし西野監督が推したのは、正直よく知らない選手だった。
その選手こそ、大黒将志であった。
それ以来、私は常に彼に目をつけていた。彼は左のフォワードとして勤勉に、そして集中してプレーしていた。
先シーズン、ガンバはリーグ優勝を果たすことはできなかった。ただ、大黒は10得点を挙げた。

今シーズン、ガンバはセカンドステージ4連勝。浦和レッズと勝点わずか1差の2位につけており(第4節終了時点)、大黒は14得点をマークしている。
彼は日本人最多のゴールを挙げており、15試合で18得点をマークしているゴールマシーン、エメルソンに次いで得点ランキング2位である。
大阪出身の24歳、大黒はガンバのジュニアユース、ユース、そしてトップチームと進み、1999年3月にJリーグデビューを果たした。

Jリーグの公式ホームページによると、大黒は73試合に出場して通算26ゴール。これは3試合に1ゴール以上、すなわちゴールゲッターとして成功といえるかどうかの境目の数字である。
先週土曜日の彼の柏レイソル戦での2ゴールはどちらも近い距離からのものだったが、彼のコンシスタントなゴール率は、西野監督が長い間彼を信頼していた証である。
ガンバはこのままガンバっていけるであろうか?
関西のためにも私はそう願いたいところだ。

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進化しつづける大久保嘉人

2004/09/16(木)

セレッソ大阪は、あとどれくらいの期間、チーム最高のストライカーである大久保嘉人を保有できるのだろう?
22歳のアテネ五輪代表選手は土曜日にも見事なゴールを2つ決めたが、チームは後半の途中まで3−1とリードしていたにもかかわらず、鹿島アントラーズに3−4で敗れた。
大久保がその魅力的な潜在能力を全開させるためには、遅かれ早かれ、というより早い時期に居心地の良いJリーグを抜け出すべきで、年末に移籍市場が開かれた時にはヨーロッパへ移籍して当然だろうと感じざるを得ない。

アントラーズ戦での大久保の1点目は見事であった。1998年のワールドカップ、イングランドのポール・スコールズがマルセイユでのチュニジア戦で見せた右足の素晴らしいシュートをほうふつさせた。
大久保はアントラーズのペナルティ・エリアの隅にスペースを見つけた。前途有望な新人である古橋がボールを供給すると、大久保が放ったシュートは曽ヶ端の伸ばした腕のはるか先を進み、ファーサイドのゴール隅に突き刺さった。
私の見間違いではないと思うのだが、ゴール裏のアントラーズファンの数人が拍手を贈っている姿も見えた。アントラーズファンが相手チームをもてなすのはあまりないことなので、これはまさに驚きであろう。

後半の2点目はきわめて困難な状況下で決められたものであったが、やはり上質のフィニッシュだった。
この時は、抜け目ないベテランの森島が絶妙のパスでチャンスを演出した。
大久保は完ぺきなタイミングでスタートを切り、2人の相手ディフェンダーの間を切り裂くように直進し、まるで勝負を誘いかけているようであった。もしディフェンダーが勝負をしていたら、少し触れただけで大久保は芝生の上に倒れ込むことになり、ディフェンダーはレッドカードを避けられなかっただろう。
2人のディフェンダーもこのような危険を察知したのかもしれない。大久保は2人もろとも振りきり、ゴールに突進。またも曽ヶ端を翻弄し、冷静にゴールを決めた。ゴール裏の熱心なセレッソファンは、わざわざ遠くまで遠征してきて良かったと思ったことだろう。

しかしこの日はアントラーズも素晴らしいゴールをいくつか決めた。特に、ドリブル突破からキーパーの脇を破ってニアサイドの下隅に決めた野沢の同点ゴールは注目に値するものであったし、そのあとには、右サイドから切れ込んで、左足でファーサイドの隅に決めた深井の勝ち越しゴールがあった。
アントラーズファンにとっては至福のゴールだったが、セレッソにとっても、大久保個人にとっても、これは辛いゴールであった。
しかし、これらの素晴らしいゴールは今後も人々の記憶に残ることだろう。

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最大の試練に立ち向かうジーコ監督

2004/09/13(月)

ここまでは順調だ。
ジーコ監督と日本代表は、ここまでの2006年ワールドカップの予選についてそう感じていることだろう。
グループ3の4試合で最高の勝点12を挙げ、すでに8チームによる最終予選へ片足を突っ込んでいると考えがちである。
しかしそれはまったく見当違いなのかもしれない。
勝点わずか3差でオマーンが控えており、10月13日に行なわれるグループ3の第5節ではマスカットでオマーンが日本を迎え撃つ。
2002年7月にジーコ監督が日本代表監督に就任して以来、最も重要な試合であることは疑うべくもない。

水曜の夜、シンガポールでの2−0の勝利の後、オマーンはすでにこの重要な一戦のことを考えていた。
オマーンがマスカットの母国サポーターの前で勝つ事ができたとしたら、日本代表のこれまでの成果は無駄になってしまうかもしれない。
オマーンはスター選手が勢ぞろいした日本代表チームを、たとえ彼らがアジアチャンピオンであるとしても恐れたりはしない。
彼らは埼玉でのワールドカップ予選、そして、中国でのアジアカップでのグループリーグで敗れた(両方とも日本の1−0)のはアンラッキーだったからだと考えている。
この湾岸の小さな国は、日本を破って最終予選へ進んだ場合(8ヶ国中4.5ヶ国がドイツへ行く。ここでいう4.5ヶ国とは4つの出場枠と、北中米・カリブ地区とのプレーオフ出場の1ヶ国のことである)、選手たちに高額の報酬を約束しているに違いない。

ロスタイムの久保のゴールで敗れた埼玉での試合の後、オマーンは日本と総得点で並ぶだけのゴールを決めてきた。
4試合を終え日本は14得点、失点はシンガポールでの1点のみ。一方のオマーンは14得点、2失点である。
しかし日本代表の中国での経験、そして水曜日のコルカタでの経験は、マスカットでの彼らの戦いで大きな糧となるだろう。彼らがもしこの試合に勝てないとするならそれは大きな驚きである。
日本代表にとって、1次予選を勝ち抜くには仮に引き分けでも充分ではあるが、日本代表は僅差で勝ち、グループ首位になってくれるだろうと期待している。
そして2005年、各グループ勝者の8ヶ国が4ヶ国ずつ2つのグループに分けられ、ホーム&アウェー形式での対戦が始まった時、本当の戦いが始まるのだ。

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俊輔なしでも、大丈夫

2004/09/09(木)

日本は中村俊輔がいなくても、水曜日にコルカタで行なわれるワールドカップ予選のインド戦は問題なく勝利できるだろう。
アジアカップのMVPは腰の故障で代表から外れたが、日本代表にはまだそれを補うのに充分なタレントが揃っている。
中国で開催されたアジアカップでは、中村の正確なフリーキックとコーナーキック、そして相手ディフェンスを切り裂く鋭いパスが日本優勝の原動力となったのは確かだ。
(ただし、私が選ぶのなら、大会のMVPはやはり中澤だろう。ディフェンダーの価値も認められるべきだからね。)

鋭くカーブするコーナーキックやフリーキックを持つ俊輔がいなくても、左利きの巧いキッカーなら、ジーコにはアレックスもいる。
調子の良い時には、アレックスもとても危険な選手となる。しかし何度も気になっているのだが、今シーズンは右サイドからのコーナーキックはしっかりとボールにミートせず、ニアポストのディフェンダーの頭を越せないことが多い。
ニアポストを狙うのがレッズの作戦なのかどうかは分からないが、ジーコなら必ず、高いボールを上げて、ファーポストの中澤に合わせるようにアレックスに指示するだろう。

他の代表候補では、柳沢も代表を辞退した。
ただし、柳沢を非難することはできない。
柳沢は自分が先発でプレーしないことを分かっているし、イタリアのシーズン開幕に合わせて、新しいクラブのメッシーナで練習を重ねるほうがはるかに重要だと感じていることだろう。
私はいつも柳沢を高く評価しているし、不遇の時期にもずっと注目してきたが、柳沢の欠場もやはり日本代表の痛手とはならないだろう。
つまりは、Jリーグは非常に多くの優秀な選手を輩出しており、日本代表で起用しても直ちに良い仕事をして見せる実力を持った選手があらゆるポジションで揃うようになった、ということだろう。最近の玉田がその一例だ。

インドは、最高の選手であるバイチュン・ブティアがケガで欠場する見込みだ。イングランド人のスティーブン・コンスタンチン代表監督はブティアについて、入れ墨はしていないが、「インドのデイビッド・ベッカム」と表現していた。
ブティアはインド代表のリーダー的存在で、中村や柳沢が欠けても日本にはさほど痛手にはならないのに対して、インド代表にとってはブティアの欠場は大きな痛手になるだろう。
今回はジーコ・ジャパンの楽勝が予想されるが、来月に控えたマスカットでのオマーン戦の参考にはならないだろう。

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稲本に与えられた新たな希望

2004/09/06(月)

稲本潤一の将来が不確実なものに見えていたまさにその時、ウェストブロムウィッチ・アルビオンが彼にプレミアリーグでもう一度プレーするチャンスを与えた。
対イングランド戦での負傷、そして2年のレンタル契約終了に伴うフルハムからの放出と、イナは彼の将来についてとても不安だったことだろう。
しかし、彼のフルハムでの頑張りはウェストブロムを感心させるに充分であり、移籍申請期間(8月31日)の終了直前での契約となった。
彼が出場を果たすまで移籍金20万ポンドは支払われず、さらには2005年1月1日までに出場が果たせなかった場合は一銭も支払われないのだが、イナには楽観できる理由がいくつもある。
今回の移籍はレンタルではなく完全移籍で、期間は2年半。1年間の契約延長オプションがついている。
これこそイナが最も必要としていたものであろうと私は思う。

アーセナル、次いでフルハムへレンタル移籍したイナ。彼は自身の将来のため、何とか雇い主を感心させようと毎試合戦っているように見えた。
しかしウェストブロムに合流し、契約が進んでいくにつれて、彼はようやく“チームの一員”になれたと感じるだろう。またこのことは彼に自信を与え、ここまで毎試合彼が背負ってきたプレッシャーを取り払ってくれることだろう。

ウェストブロムの今シーズンの出だしは良いと言えない。しかし現役時代稲本とよく似たタイプのMFだったガリー・メグソン監督は今夏何人かの良い戦力を補強した。
ミドルスブラからMFジョナサン・グリーニング、アーセナルからはナイジェリア代表FWのカヌ、カーディフからはウェールズのストライカー、ロビー・アーンショウをクラブ史上最高額の300万ポンドで獲得。そしてさらにアトレティコ・マドリードからレンタル移籍でルーマニア代表の右サイドバック、コスミン・コントラを獲得した。

ウェストブロムはノーリッジ、クリスタルパレスと並んで昇格したが、ワールドサッカーマガジンの記事によれば、この3チームの中でウィストブロムはコカコーラ・チャンピオンシップと改名された1部リーグへの再降格をまぬがれ、プレミアリーグに残留を果たすだろうという。イナは故障回復への意欲も高まるだろうし、イングランドでの存在感も感じることだろう。
3シーズンのレンタル期間を経て、彼のこれまでの頑張りが報われる時が来たのだ。

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インド人記者、日本の楽勝を予想

2004/09/02(木)

私は、日曜日の午後に予定されているオリンピック閉会式のメディア用チケットを求める列にいた。背後には、2人のインド人記者。
私たちはおしゃべりを始めた。
オリンピックの話だろうって?
まさか!
それよりはるかに重要なこと。ワールドカップの話である。
もっと詳しく言えば、9月8日にコルカタで行なわれる日本対インド戦の話題だ。

「日本は、スター選手を全員招集するの?」と聞かれた。
私は「わからない」と答えた。「しばらく代表チームを見ていないから。でも、ワールドカップの予選だから、ジーコは最高の選手を揃えたいと思っているだろうね。」

2人のインド人記者によれば、ジーコが誰を連れてこようが関係ないそうだ。どっちにしろ、日本代表が勝つのだから。
「2−0か3−0の負けなら、インドにとっては悪くない結果じゃないかな」と、インド人記者の1人が言う。「日本では7−0だったよね?」
私が「波乱の可能性はないのかな?」訊ねると、「ないね」という答えが返ってきた。「日本が5点差以上で勝てなかったら、波乱ということになるのかもね。」

でも、敵意をむきだしにした、地元の大観衆が影響を与えやしないかな?
「クリケットの試合じゃないからね。」もう1人のインド人記者が言った。
「観客は、5千人か、まあせいぜい1万人くらいじゃないかな。インドが勝てないって分かっているのに、自分たちのチームがやり込められるのをわざわざ見に行ったりはしないだろ?」

私は、ソルトレイク・スタジアムで試合が行なわれるのではないかと思っている。そのスタジアムなら、たぶん10年くらい前に、アジアクラブ選手権のイーストベンガルとサウスチャイナの試合を観戦に行ったことがある。当時、私は香港で仕事をしていて、香港のチャンピオンチームに帯同して取材をしていた。
ソルトレイク・スタジアムは、コンクリート製で、だだっ広くて、飾り気のない、中国でよく見るようなスタジアムだ。
その試合では観客は2、3千人しか入っていなく、サウスチャイナが1−0で勝ったが、身の危険を感じた記憶が今も残っている。

怖かったのは、インドのフーリガンではなく、一般のインドの人々がスタンドの上部から投げつけてきた爆竹だった。
爆竹があちこちで爆発しており、サッカーを観戦するのに好ましい環境ではなかった。
爆竹が顔の真ん前で破裂するときの怖さは、経験した者でないと分からない。
だから、カルカッタまで出掛ける日本人のファンの皆さん、気をつけて下さい。インド人は試合前の君が代演奏中にブーイングはしないだろうが、あたり構わず爆竹を投げてくるかもしれない。
もちろん、爆竹そのものには他意はなく、とても楽しいものなのだが、誰かがやけどをしたり、失明したりする危険を考えると、そうも言っていられない。

インド人記者によると、ピッチは、音楽のコンサートや他のイベントで受けたダメージを修復するために、2ヶ月間使用されていないそうだ。
「ピッチがひどい状態で、暴風雨で、日本人選手が走ることもパスすることもできなければ、インドにも勝つチャンスがあるだろうね」インド人記者の1人が笑いながら言った。
コルカタ(カルカッタ)まで遠征する日本のファンの皆さん、爆竹が破裂し始めたら危険を避けよう。
そして、日本の勝利に賭けましょう。まあ、4−0くらいが妥当なところかなあ。

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サッカーもホッケーを見習ってみたら?

2004/08/30(月)

オリンピックの舞台での韓国対日本戦、その魅惑に誰が抵抗できるだろうか。
たとえそれが朝8時半に始まろうとも、スタジアムに行くのに電車や路面電車を乗り継ぎ、さらに長い距離を歩く必要があったとしても、だ。
そして、それが女子ホッケーの試合でも、である。

私も例外ではない。それにはいくつかの理由がある。
まず、何より韓国と日本のライバル関係が良い。故郷のイングランドとスコットランドの関係を思い出してしまう。
2つ目はホッケーが好きだからである。11人の選手で戦うこと、4−4−2や3−5−2というフォーメーションを始め、ホッケーの色々な面がサッカーと良く似ている。
“ディフェンダー”、“リベロ”、“ミッドフィルダー”、“ウィング”、“ストライカー”、“プレイメーカー”、“ゴール・ポーチャー”等々、思いつく限りのものがホッケーにも存在する。たった1つ、明らかな違いは、彼らがスティックを持っていることだ(知らない人のために念のため)。
3つ目は半分寝ぼけていても、ビーチと輝く海を通り過ぎアテネの海岸線を行くスタジアムへの道のりが快適であるということである。

まだ8時半だというのに強い陽射しが肌をじりじりと焼いているその朝、日本は開始早々に0−3でリードされた。
キャプテンの三浦(カズではなく恵子である)がハーフタイムの直前に1点を返したが、以後のピリオドでは得点は挙げられず、日本は1−3で敗れた。

ホッケーの試合でもプレーの中断が多くあると思うのだが、その中で、選手交代に関するルールは非常に良いものだと思う。
2002年に釜山で行なわれたアジア大会の時、私はこの点を指摘したことがあった。サッカーの試合でも無駄な時間稼ぎを減らすために、FIFA(国際サッカー連盟)はこのルールを採用すべきだと私は強く思う。

1つ例をあげよう。後半、韓国は選手交代をしようとした。
ナンバー6がフィールドに入ろうと、彼女が交代する選手(ナンバー8)のプラカードを持ってタッチライン(サイドライン)に立った。
選手交代にはタイミングを見計らわなければならなかった。ナンバー8はサイドに走り、自分のナンバーが書かれた小さいプラカードを交代出場する選手(ナンバー6)から受け取った。これで交代が完了した。その間、試合は止まることがなかった。

これがサッカーではどうだろう。
後半、3−1でリードしているチームが選手の交代をしようとする。交代選手がベンチを出てタッチラインに立ち、4人目の審判が交代させる選手(たいていピッチの遠いサイド側にいる)の番号を書いたボードを掲げる。そしてプレーが全て止まり、選手はできるだけゆっくりとピッチから歩いて出る。
白熱した試合の終盤が、こうした選手交代の続出に流れを止められ台無しになってしまう。
もしサッカーがホッケーのルールを採用すれば、こうした時間稼ぎは少なくなるだろう(代わりに、選手が怪我を装いピッチに倒れ試合を止めるといったことが増えるだろうが…)。

オリンピックではさまざまなスポーツを見る機会がある。そして他のたくさんのスポーツを見ることで、改めて現代サッカーがいかにフェアプレーとスポーツマンシップに欠けているのかに気づかされるのだ。

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「3人目の松井」にうってつけのルマン

2004/08/26(木)

どうやら松井大輔が海外移籍を目指す次の日本人選手になりそうだ。
ここアテネでインターネットから得た情報によると、フランス2部リーグのルマンが京都パープルサンガの松井獲得に熱心なようだ。

数ヶ月前、横浜F・マリノスの練習グラウンドで、私は松井のエージェントである田辺さんとおしゃべりをした。
田辺さんは、松井はオリンピック後に日本を離れる可能性があり、フランスが移籍先の有力候補になっている、と言っていた。
2年前にツーロンのU−21大会で目を見張るプレーを見せた松井は、今なおフランスで好意的に記憶されているのだろう。
私の記憶では、同じ大会で頭角を現し、やがて国際舞台で素晴らしい活躍をするようになった選手がもう1人いる。その選手の名前は、ポール・ガスコインといった。
紛れもなく、松井は巧くて、エレガントなプレイヤーである。
数シーズン前に京都パープルサンガでプレーする姿を見て以来、私はずっと彼のバランスとボール・タッチに感心している。

オリンピックの少し前に、私は、かつての京都パープルサンガ監督で現在は浦和でギド・ブッフバルトのアシスタント・コーチをしている、ゲルト・エンゲルスとゆっくり話をする機会を持てた。
エンゲルスは、自分ならオリンピックの代表に真っ先に松井を指名する、と語った。松井はオリンピックのような大会では価値のある選手なのだそうだ。
エンゲルスは、松井にはスタミナと体力、それから持って生まれた才能があることを指摘し、このような資質がタイトなスケジュールを戦うチームに不可欠だ、と語った。
(ここで言っておきたいのは、エンゲルスの発言は、自分のチームの山瀬より松井を選ぶということではなく、自分が良く知るプレイヤーに関する個人的な評価にすぎない。)

田辺さんとのおしゃべりに話しを戻そう。彼は、Jリーグからヨーロッパへ移籍する日本人選手はいきなり高いレベルに挑戦しないほうが良いのだと話していた。ヨーロッパの試合はフィジカル面での負担がさらに大きくなるし、心理面でもより迅速な切り替えが要求されるからだ。
したがって、ルマンは松井にとって相応しい出発点となるし、ルマンなら、いちばん大切なことである、毎週プレーする機会も得られるだろう。

ルマンでの1シーズンでしっかりとした地歩を築いたあとは、どうすればいいのだろう?
マルセイユ? パリ・サンジェルマン? それとも、リヨン、モナコ?
フランスのクラブは、ヨーロッパのビッグで魅力的なリーグ、つまりスペインやイングランド、イタリアのリーグに移籍するための格好の土台となっているが、松井には我慢することも求められるだろう。
何事も一夜では成し遂げられないのである。
ルマンはヨーロッパでのキャリアの出発点であり、ゴールではない。ルマンは、松井がヨーロッパの地で選手および人間として適応し、成長するチャンスを与えてくれるであろう。
松井には才能があり、本人も自信をもっていることは疑うべくもない。ただ今後の松井は、安定したプレーを続けられるようになり、さらに派手なプレーをする時と確率を重視して堅実にプレーすべき時を、慎重に見極められるようにならければならないだろう。

この移籍が実現すれば、面白いことになる。
海外で3人の松井がプレーすることになるのだ。ゴジラ松井とリトル松井、そしてパープル松井である。

*このコラム(原文)は8月24日に書かれたものです

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日本に敬意を払う米国

2004/08/23(月)

さあ、勇敢なる日本代表のオリンピックでのメダルへの挑戦は終わった。
現実に目を向けると、メダルへの挑戦というほどでもなかったかもしれない。結局のところ2敗を喫したのに対して、わずか1勝を挙げたに過ぎないのだ(もちろん日本女子代表のことである)。
しかし、金曜夜のスウェーデン戦のセンセーショナルな勝利(1−0)と、テッサロニキで行なわれた強豪米国との対戦で、日本が女子サッカー界にその名を轟かせたことは間違いない。

試合は経験豊かな米国に1−2で敗れてしまったが、日本は米国人から多くの賞賛を受けた。それも試合の前からである。
テッサロニキはアテネの北500キロの所にあるので私は行けなかったが、米国人選手とエイプリル・ハインリッヒ監督の準々決勝についてのコメントを得る事ができた。
金曜夜、決勝ゴールを決めたフォワード、アビー・ワムバッハは、今や日本代表に勝つのは当然であるなどとは言えないことは充分理解していた。ここ3試合はすべて引き分けであり、ケンタッキー州ルイビルで6月6日に行なわれた直近の試合は1−1の引き分けだった。
「日本は出場国中、一番過小評価されているかもしれませんね。私たちは最高の試合をしなくてはなりません」ワンバッハはそう語った。
「準々決勝を迎える私たちトップシードが戦う、最もタフな試合ですね」
「日本は戦術にも長け、技術もあり、何より運動能力が高い。(6月の)試合では彼女達に封じ込められ、それこそ引き分けに終わったこと自体がラッキーだったのかもしれません。だからこそ準備を怠らず万全の体制で試合に臨まなければなりません」

両チームのオリンピックでの成績は非常に対照的である。
ドイツに次いで世界ランク2位の米国は女子サッカーが初めて導入された1996年、母国でのオリンピックで優勝し、4年前のシドニーでは決勝でノルウェーに敗れはしたものの銀メダルを獲得した。
一方、FIFAランキング13位の日本はアトランタでは3戦全敗、2000年には出場権さえ得られなかった。
それ以来彼女達は上田栄治監督のもと驚異的な進歩を遂げ、4月には東京で強豪北朝鮮を3−0で下してアテネの出場権を得た。
米国監督のハインリッヒもレベルの向上に注目していた。
「日本はあらゆる面で好敵手であることを証明しました。ここ最近の試合は接戦でした」とハインリッヒ監督は語った。
「彼女たちは運動能力もあり、技術もあり、効果的で、そして戦術面でも優れています。また、自信をもってプレーしていますね」

メダルへの夢は4年後に持ち越された。しかし女子サッカーはオリンピック後も人気を集めるであろうし、そうなるのも当然だ。

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サッカー競技から遠く離れて

2004/08/19(木)

先週の今ごろは、サッカーがオリンピックの中心であった。
おそらく、8月13日の開会式の2日前に開始されたサッカーが街で——実際には、複数の都市で——見られる唯一の競技だったからだろう。
しかし、今はどうだ?
サッカー競技は、道路を300キロも進まないところにあるボロスではなく、何百マイルもかなたで行なわれているように思える。伝統的なオリンピック競技、つまり水泳やドーピングのニュースが新聞の見出しを飾っているからだ。
オリンピックのスケジュールの合間を縫って、私は、先週の水曜日にボロスで行なわれた女子の日本対スウェーデン戦、その翌日のテッサロニキでの男子のパラグアイ戦を観ることができた。
今となっては、あの2試合は古代の歴史にように思える。まさに、この古代文明の首都にふさわしい感慨だ。

あれから、女子代表はナイジェリアに0−1で敗れ、男子はイタリアに2−3で敗れた。
私はテレビで女子代表の試合を全く観なかったが——柔道のヤワラちゃんと野村が金メダルを獲得するのを観ていた——重要なことは、女子代表が準々決勝に進出したということである。

男子代表に関して言えば、イタリア戦は、男子100メートル平泳ぎの北島康介の金メダルとかち合ってしまい、私が試合会場からオフィスに戻った時にはみんながテレビでサッカーを観ていた。日本は1−3で負けていて、単調な試合に見えた。それから、高松がダイビングヘッドでゴールを決め、迅速にゲームが再開されるのを防ぐためにイタリアのゴールキーパーがボールを保持し、ちょっとした小競り合いが起こった。
オリンピック精神だって? フェアプレーだって?
おいおい、これはサッカーで、少なくとも男子の試合だぜ。オリンピックだからって、やつらが改心するはずないじゃないか?

私は、イタリア戦を観戦した日本人ジャーナリストの何人かに話を聞いたが、山本監督が4バック、3ボランチ、3トップの布陣で試合に臨んだことには、みな一様に驚いていた。
そして、そのような布陣であっても、右ウィングには石川のポジションがなく、前線にはダイナミックで、危険な田中のポジションがなかった。
オリンピック予選の最高潮の段階から、まちがいなくチームは下降線をたどっており、監督は、一体どこでおかしくなったのだろう、と怪訝な気持ちであったに違いない。
チームにはキレがほとんどなく、やる気も自信もあまり見られなかった。要するに、青いシャツを着た5万人のファンの前でプレーしていたチームとは別のチームになっていたのだ。

今となっては、水曜日にボロスで行なわれるガーナ戦でかけられるのはプライドだけであるが、山本監督は、たくさんのお金をかけて、遥か遠くまで、この大々的でアンチクライマックスな試合を観るためにやって来るファンのためにも、チームを鼓舞しなければならない。
しかし、私は試合会場にはいないだろう。同じ夜に、北島が平泳ぎの2冠を目指して戦うから、サッカーを二の次にせざるをえない。
まあ、4年に1度のことだからね。

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ボロス、テッサロニキの対照的な夜

2004/08/16(月)

うーむ、アテネは暑い。
これを書いている今は金曜日の午後である。開会式を目前に控えて興奮度が増してくる。
ただ、日本のオリンピックは既に始まっている。そして、水曜日のボロスと昨夜のテッサロニキ(本当にたかだか昨日のことだったのだろうか?)のムードは全く違ったものであった。

まずボロスである。みなさんは“蒼き女戦士達”(実際はアウェー用の白とグレーのユニフォームを着用していた)がスウェーデンを1−0で破る試合を見ただろうか?
それは本当に素晴らしい、日本人なら(いや日本在住のイギリス人にとっても)誇らしく思える夜だった。
彼女達は見事な統率力、ハート、そして技術で才能溢れるスウェーデンチームを破った。もっとも私にはスウェーデンチームの選手達はポップグループ、“ABBA”に見えた。“ABBA”が人気絶頂だったのは日本のサッカーファンが生まれるより前のことだろうけど。
スウェーデンのナンバー10、フォワードのハンナ・ユングベリは非常に興味深い選手だ。ペルージャはかつて彼女をセリエAでプレーさせようとしたことがある。彼女のブルーのユニフォームとファンタジスタナンバーを背負った姿はフランチェスコ・トッティを連想させる。
この二人の大きな違いはと言えば、ハンナはトッティのように相手選手に唾を吐いたりしないし、トッティはハンナより綺麗な髪をしているということだろうか。日本はこのハンナが後半交代させられるほど、素晴らしい戦いをした。

日本の選手では、左サイドのMF小林に非常に感心した。前半の、チームの精神的支柱・澤へのパスはまさに珠玉と言って良い。右アウトサイドキックでスウェーデンのディフェンスを切り裂いたのだ。
しかし澤はこれをフィニッシュできなかった。ハーフタイムに入った時、日本はこの逃したチャンスのツケを払うことになるのでは、思った。
しかし私の心配は杞憂に終わった。上田監督、そして数百名の日本サポーターが、疲れを見せ始めた彼女達の集中力を途切れさせなかったのである。
日本にとって最高の結果に、日本サッカー協会の川淵三郎会長は試合後、彼女たちを抱きしめた(なんてラッキーなんだろう!これも会長の特典というものだろうか)。
さらに、川淵さんが満面の笑みを浮かべた奥様から温かい握手を受けていたシーンも素晴らしい瞬間であった。

翌日、私はバスでテッサロニキへ行った。しかしなんと期待外れだったことか。
那須は大舞台の緊張のためか、2つの初歩的なミスを犯した。その結果タフでスピードのあるパラグアイに2つのゴールを許してしまい、前半は2点のビハインド(1−3)を覆すことができなかった。高松はPKを2回勝ち取ることで先発メンバーとしての存在感を示した。PKは小野が2つとも決めたのだが、どちらもPKになったのはレフリーが甘かったおかげだろう。
ハーフタイムでは我々は目前の光景に途方に暮れ、山本監督が後半どのように選手を交代してくるかについて話していた。私は大谷と荒川の2トップと、また左ウィングに小林を入れるのも良いかもしれないと思った。
監督は那須だけを下げて松井を投入し、若干のポジション変更をしてバランスを整えようとした。

男子チームの可能性はどうかって?
個人的には石川を右ウィングで使いたい。彼は女子チームにだって入れるほど良いからね。そして闘莉王、茂庭と並べて徳永を右DFとして使い、2トップには大久保と田中を使う(2人はとても危険な存在だ)。
日本ではあれだけ雰囲気の良かったU−23代表だったが、テッサロキニの一夜は散々なものとなった。
とは言え、良くも悪くも、オリンピックとはいつもサプライズに溢れているものだ。

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中澤、またもMVP受賞ならず

2004/08/12(木)

中村俊輔がアジアカップのMVPを受賞したのは、もっともなことなのかもしれない。
結局このような賞は、たいていの場合、攻撃の選手に与えられるものだから。
でも、やっぱり納得がいかない。
私の感覚では、守備でことごとく決定的な仕事をし、攻撃でも2〜3回決定的な仕事をした中澤佑二にMVPが与えられるべきであった。
しかし、昨シーズンのJリーグ・アウォーズと同様に、中澤の受賞はまたも見送られた。

Jリーグ・アウォーズではレッズのストライカー、エメルソンがMVPに輝いた。エメルソンの能力にケチをつけるつもりはないが、ピッチの内外での彼の行動には疑問を感じている。
一方の中澤は、今や日本サッカーの素晴らしさを示す代表的な存在だ。
中澤はここに至るまで懸命に努力し、最近になってようやく日本代表の定位置を手に入れたのである。
中澤はムードメーカーであるとともにリーダーであり、ピッチと更衣室の両方でチームを鼓舞する存在となっている。
最近のコラムで私は、中澤が海外でプレーする最初の日本人ディフェンダーの最有力候補であり、中国での活躍によりその可能性がいっそう高まるかもしれない、と書いた。もっとも、中澤がヨーロッパでのプレーを望んでいるとしての話ではあるが。

ディフェンダーは得点に関わるゲームメーカーやストライカーとは違うが、選手としての価値に変わりはない。
もちろん、俊輔は信じられないようなプレーを見せてくれるし、左足でのプレース・キックはまさにワールドクラスである。
2003年のコンフェデレーションズカップ、バルテスの守るフランス・ゴールに突き刺さった俊輔のフリーキックは、人々の記憶にいつまでも残ることだろう。
エスパルスとレイソルで監督を務めたスティーブ・ペリマンが、中村は左足で缶詰めを開けられるのではないかと話したことがあったが、ペリマンのこのコメントは、俊輔の技術の素晴らしさをうまく表現したものであった。
しかし、流れのなかのプレーでは俊輔は線が細く、見えなくなってしまう時間が長いし、ボールを失うことも多い、と今も私は感じている。

俊輔は特に大会の序盤には日本チームに大いに貢献した。それを否定するつもりはないが、中澤のほうが安定して、信頼性が高く、ダイナミックなプレーを見せたと思う。
関係者は私に同意するつもりなど全くないだろうけどね!

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土曜午後のお楽しみ

2004/08/09(月)

オリンピック?
アテネに滞在して数日が経つが、私は今、オリンピックどころではないのだ。
今の私は、土曜夜に北京工人スタジアムで行なわれるアジアカップ決勝戦、日本対中国戦のことで頭がいっぱいだ。
端的に言うと、いかにしてここギリシャでその試合を見るかということだ。
グループリーグ、そしてヨルダン、バーレーンとの決勝ラウンドの試合は日本で大きな関心を呼んでいる。
しかし、中国から5時間遅れ、日本からは6時間遅れのギリシャで、午後3時キックオフの試合をどこでどうやって見る事ができるのだろうか。

数分前、嬉しいニュースが入ってきた。決勝戦がユーロスポーツチャンネルで生中継されるというのだ。
さらに嬉しいことに、実況はイタリア語で行なわれる。
北京で行なわれる中国対日本戦を、アテネにいながら、イタリア語で、土曜午後3時(イングランドではテレビ局の都合が優先されるようになる以前は、土曜午後3時キックオフと決まっていた)に見る。なんと素晴らしいことだろう。

ユーロスポーツ中継の知らせは思いもよらないところから来た。中国人ジャーナリストからだ。
私はこのコラムをメインプレスセンターの7階にある朝日新聞の豪華なオフィスで書いている。ペーパーボックスに入ったヌードルとプリンター用紙の束、そしてコンピューターのケーブルが絡み合う中、美しい地中海の陽射しがさしこむ窓からオリンピックスタジアムが見える。
私たちのオフィスの隣は中国の人民日報、そしてその隣は中国国営通信社、新華社の一大チームのオフィスである。
私は2つのオフィスを訪れ土曜の決勝戦について尋ねたが、両社とも中国サポーターの行動については何もコメントしなかった。
しかし、人民日報のシュー女史(本名Xu Liqun)は北京では重慶や済南のようにはならないと思うと語った。
「北京は中国の首都ですし、勝とうが負けようがたかだかサッカーの試合じゃないですか」彼女は言った。

彼女の言葉が正しいことを願いたいが、北京で行なわれた1986年ワールドカップの予選で香港が中国を2−1で下した後、中国のサポーター達が暴徒と化したことはまだ記憶に新しい。
試合の展開に関わらず、土曜午後、7階のオフィスでの時間は楽しいものになるはずだ。

4年前のオリンピックでの準々決勝、アデレードで開催された日本対アメリカ戦をシドニーのテレビで見たのを思いだす。翌日にシドニーで行なわれる女子マラソンの取材に間に合うようにアデレードから戻る飛行機が取れなかったためだ。
PK戦で中田英寿がポストに当てて外してしまい(彼は今いずこ?)、私は非常にイライラしていた。そして日本の報道陣が応援しているのが聞こえていた。
中田はそのミスのお陰で嫌われただろうか?
また、野球ファンはサッカーチームの敗戦を喜んだだろうか?

土曜日、そうしたことは起こらない。そして国中が1つになり青を纏った青年達を応援する。
試合を楽しもうではないか!私は… 彼らの情報が正しければユーロスポーツで中継を見ているはずだ。

*このコラム(原文)は8月5日(木)に書かれたものです

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サーカスもいいけどJリーグもね

2004/08/05(木)

今年もレアル・マドリード サーカスがやって来て、来年の再会を期して去っていった。
彼らの公演はご覧になりましたか?
「試合」ではなく、「公演」という言葉を使ったのは、その方がしっくりすると思ったからだ。
これはまさに家族で出掛ける催しのようなものであり、観客は目の前で披露されるテクニックに感嘆することを目的としている。
通常の試合のような緊張感は全くなく、スコアも無用のものとしてすぐに忘れ去らてしまう。

レアルは初戦でジェフ市原を破った。ただし試合の序盤では、右足ではあったが、マルキーニョスがロベルト・カルロスばりの電撃シュートで「銀河系集団」に衝撃を与えた。
ラウルのゴールは見事なもので、ペナルティ・ボックスの端から櫛野の頭越しに素晴らしいチップキックのゴール。その前にラウルは躓いており、おそらくジェフの選手は、倒れている限りは怖くはないと思い、ラウルをフリーにしたのだろう。
しかし、ラウルはこの後にもエレガントな技術を披露しており、レアルがどれほど多くの「銀河」を購入しても、地元出身の彼以上の選手は見つけられないだろうことを証明して見せた。

輝かしい白の軍団は、国立競技場から、ホームチームのヴェルディが待ちかまえる味の素スタジアムに移動した。
この試合ではジダンやロナウドも出場し、ゴールが量産された。
ジダンのゴールは、レアルが挙げた7つのゴールのうちで間違いなく最高のものであった。
ジダンに関しては、もう素晴らしいというしかない!とても背が高く、頑丈で、ラグビー選手のようにも見えるが、バレリーナのバランスとサッカーの神のボールタッチを持っているのである。
ヴェルディのディフェンスを突破するために見せたつま先でのターンは、大画面で再生されるたびにさらに素晴らしく見え、ゴールキーパーの高木は、マタドールに向き合い、悲惨な運命を迎えようとしている牛になったような気分がしたことだろう。

ただし、ジダンにとって試合は苦々しいものとなった。背後から林の激しいファウルを受けたからだ。
ジダンがこの攻撃に腹を立てていたのは明らかで、ファウルを犯したヴェルディのミッドフィルダーに食ってかかった。そしてタッチライン上で苦しそうに立ちすくんでいるところに、ベンチからチームドクターが駆け寄った。ジダンと彼のたくさんのファンにとっては、残念な結末であった。

もっとも、ここ数日間は日本におけるサッカーの隆盛ぶりを改めて示す日々だった。
レッズ対インテル、ジェフ対レアル・マドリード、日本女子代表対カナダ女子代表、U−23日本代表対ベネズエラ代表、ヴェルディ対レアル・マドリード、アントラーズ対バルセロナ等々、多くの試合が組まれていた。
日曜日の夜、私は五反田からいつも利用する電車に乗っていた。車内には、こちらにアントラーズ・ファン、あちらにバルセロナ・ファンがいて、そこかしこにレアル・ファンの姿。そう、素晴らしい光景だった!
彼らヨーロッパ・サッカーのファンがJリーグの日本人選手を応援し、来年の夏までサーカスがやって来るのを待つ必要がなくなればいいのにね。

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ゴールの感触を掴んだFW陣

2004/08/02(月)

そう、こうでなくては!
金曜日の東京・国立霞ヶ丘競技場、ここ5試合勝利から遠ざかり、3試合無得点だった日本五輪代表チームが息を吹き返し、ベネズエラA代表を4−0で粉砕した。
日本代表には8月12日のオリンピック初戦、対パラグアイ戦に向けて自信を取り戻すためにも良いプレーと得点が必要だった。
そしてチームはまさに望みとおりの結果を出した。さらに、挙げた4得点は全てフォワード陣によるものであり、また、後半のプレーには爽快感さえ感じるほどで、山本昌邦監督にとってはこの上もない嬉しい結果であった。

アテネで高原がフォワード陣を引っ張るというプランが崩れた後、平山相太や高松大樹にこの大役を委ねることは、山本監督にとって大きな賭けに違いないと私は思った。
高原が健在であれば、この2人のうちどちらかはチーム選考から漏れていたであろうだけに、山本監督は彼らがアテネで信頼に応えてくれる事を願っていただろう。

前半、平山の低いシュートがポストの内側に当たりゴール外へ出てしまったのはアンラッキーだったが、その数分後の、相手GKに止められたヘッドは決めるべきだった。
59分、力強いヘッドでネットを揺らした彼の表情からは安堵の気持ちがうかがえるようだった。何と言っても、五輪代表チームデビュー戦となった今年2月8日のイラン戦(さいたまスタジアム)以来のゴールだ。
松井からの巧妙なパスを右足で受け足取りを乱すことなく左へ切れ込んで放った大久保のゴールはまさに絶品であった。また、後半途中に投入され、高松のダイビングヘッドをお膳立てし、自らも切れの良いシュートで4点目を挙げた田中は日本の新境地を開拓した。
また、日本が頑強で活発なベネズエラチームを0点に抑えた事も重要なことである。

ファンもまた素晴らしく、熱烈な壮行会をなった。
来週ドイツでのキャンプから小野がチームに合流するが、山本監督は1週間前と比べてずっと気が楽になったことだろう。
ただし、パラグアイ、イタリア、ガーナはさらにタフで経験も積んでいる。金曜日の勝利にいつまでも酔ってはいられない。
予選グループを勝ち抜くためにも、日本は金曜の試合のようなペース、激しさで試合に臨み、チャンスをものにすることだ。

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逆境の日本代表

2004/07/29(木)

重慶でのアジアカップ。日本選手に対する中国ファンのヤジはきっと皆さんの耳にも入っただろう。
土曜日の夜のタイ戦でのヤジはとりわけ騒々しく、試合前の国歌の音もかき消されてしまいそうであった。
それほど頻繁ではなかったものの、タイが攻撃を仕掛けるたびに観衆が大騒ぎした。
そして日本がボールを持つと、観衆がブーイングを浴びせかけ、日本選手のミスを誘おうとした。
総じて言えば、確かに楽しくはないだろうけれど、日本選手にとっては良い経験である。
Jリーグはとても友好的な雰囲気のなかで行なわれており、選手が群衆からの敵意に直面することはほとんどないため、今回は強い精神力を養う機会になるだろう。

中国ファンのひどい振る舞いを見るのは、私にとって、これが初めてではない。
1989年、イングランドを離れて香港で仕事を始めた直後、ヴェルディ(当時は読売)がアジアクラブ選手権で香港に遠征し、南華体育會と試合をした。
2万8000人の収容能力しかなかった改築前の国立競技場は満員。ファンは日本人選手に対して思いやりを見せることはなく、罵声を浴びせ、ベンチに向かってプラスチック製のボトルやさまざまな物を投げつけていた。

次に南華体育會の試合を取材した時には、中国人が、同じ中国人を敵視するのを見た。この時は、遼寧省で行なわれた大連戦であった。
その夜、南華体育會は0−1で敗れはしたものの、2戦合計(ホーム&アウェー)の結果で上回り勝ち抜けが決まった。
茶髪で、ポップスターのような格好をしている裕福でわがままな南方の同胞を、大連サポーターは快く思わなかった。
まず始めに、彼らはスタジアムに火をつけた。試合終了のホイッスルが吹かれると、スタジアムのあちこちでゴミを燃やす炎が上がった。それから彼らは、香港の選手たちをホテルに搬送するミニバスに襲いかかった。
香港では、報道陣がチームと一緒に移動することが許されていたので、飛来物がバスの窓を叩くなか、私はずっとうずくまっていた。警察が隊列を組んでいたが、何もしてはくれなかった。

試合前には、南華体育會のボスが、選手たちと、彼にとっては英国からのゲストである私をカジノに連れて行き祝勝会を催すと約束していた。
しかし、海辺のホテルに戻ったあと、我々はホテルから外に出ないようにという勧告を受けた。街中に姿を見せれば、怒った大連のファンに取り囲まれる危険があったからだ。
このような経緯があるので、人々がサッカーのフーリガン的なものを「英国病」として紹介する時、私はそれを「中国病」と呼ぶことにしている。
日本の選手たちも、今、この現象に気づいているところだ。

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中田の移籍は前向きでなく横向き!?

2004/07/26(月)

ヨーロッパの2003−04シーズンが終了する時が、中田英寿にとってイタリアを飛び出し、新天地へと移る時だと私は思っていた。
だから彼がフィオレンティーナと契約したと聞いた時、私は非常にがっかりした。
もちろん中田にとっては新しいチームであり、フィオレンティーナの盛衰をめぐる話はおもしろいが、それは日曜の午後、スタジアムに半分しか観客の入らないセリエAの泥沼でもう1シーズン過ごすことを意味する。
周りから聞こえてくるのは、中田はイングランド、特にロンドンへ行きたかったらしいということだ。
ペルージャで1年半、ローマでも1年半、パルマで2年半、そしてボローニャで半年の合計6シーズンをイタリアで過ごした彼には転換期が来ていた。

私はスター選手とトップリーグでの経験を必要とする新興チーム、クリスタル・パレスに彼が加わることを想像していた。
中田のスタイルはプレミアリーグで要求されるものにピッタリだし、彼はこのチームが求めているものを与える事ができたはずだ。
彼には強靭な体力があり、速いペースでもプレーできる。またスタミナもあり視野も広い。そして、期待されているほどは得点を挙げていないが、彼には得点力もあり、何よりもチームメートの得点をアシストする力がある。
英語も流暢に話せるのでチームに溶け込むのも早かっただろう。

一体何が彼のイングランド移籍を阻んだのだろう?
恐らくはイングランドのチームが日本人選手の獲得を決めかねたのだろう。アーセナルで1年、フルハムで2年と、3年たった今も稲本は果たして「当たり」だったのか「ハズレ」だったのかはっきりしない。
また金額面の事もある。
中田の移籍金については、それほど高いものではない。しかし彼の年俸は高く、この点が彼に興味をもっていたいくつかのチームを遠ざけたのかもしれない。

中田は現在27歳、フィオレンティーナと3年契約を結んだ。すなわち引退するまでイタリアに残留することもできる。
サッカー以外にも興味があり、自分自身のサッカー人生後の将来についても準備を進めているほど賢い彼が、そういう年齢までサッカーをするとは私には思えない。彼は仮に明日引退することになったとしても、過去を振り返ることなく歩いていけるタイプの人間だ。
イングランドへ移籍すればきっと大成功だったろうし、個人的にはとても残念である。華やかなプレミアリーグの舞台で彼がプレーすることを見る日は永遠にないかもしれない。

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機が熟した中澤のヨーロッパ移籍

2004/07/22(木)

 新たな日本人選手がヨーロッパでプレーする日も、そう遠くはなさそうだ。
 これまでヨーロッパに渡った選手は、ミッドフィルダーかフォワードに限られていた。
 おそらく次にヨーロッパでプレーする選手はディフェンダーで、中澤佑二が有力だろう。
 そのプレーを見れば見るほど、中澤にはヨーロッパのクラブがふさわしいと感じるし、すでにドイツのクラブが興味を示しているようだ。

 ディフェンダーにとってもっとも重要な仕事は、もちろん、守ることである。
 中澤は、空中戦でも、地上戦でも、この仕事を見事にこなしている。ディフェンダーとしては完ぺきな体型で、背が高く、バランスもとれている。
 ボールを持っている時は、いつもリラックスしていて、余裕があり、守備の時は体の使い方が巧い。これは、フィリップ・トルシエが選手たちに言いつづけ、そして成功したプレー方法で、あらゆる局面で相手に体を寄せ、自由にプレーをさせないというものである。
 また、ジーコの3バックのディフェンスの左サイドから前線に攻め上がって行く姿も印象的である。
 中澤は攻め上がる時と、自重すべき時を知っているので、彼に限っていえば、自分のポジションをがら空きにして攻め上がり、相手チームに右サイドを突破されて慌てて駆け戻るといったことは全くない。

 2002年ワールドカップのチーム作りを進めていた時、トルシエは、日本のディフェンダーは他の国のディフェンダーにも身長や体重では引けをとっていないのだから、体が小さくて、華奢な日本人はヨーロッパでは通用しないという理屈はもはや通用しない、とよく話していたものだ。
 さらに、プレーが素晴らしいだけでなく、中澤は外向的な性格をしている。マリノスの岡田武史監督は昨シーズン、自身のMVPとして中澤を選び、両ステージ完全制覇の過程で、中澤は自然にリーダー的な存在になっていったと語った。
 もし中澤が中国のアジアカップで好調を維持すれば、移籍への道が開かれ、日本人ディフェンダーとして初めてヨーロッパでプレーする選手となるかもしれない。

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高原に固執しすぎた日本サッカー協会

2004/07/19(月)

不運にも高原直泰がアテネ五輪の代表から外れたことは、そう驚くことでもなかった。
それよりも私が驚いたのは、金曜日に代表メンバーを発表するまで日本サッカー協会が長い間待ちつづけたということである。
結果として、日本は18人の代表メンバーのうちオーバーエイジ枠としては、GK曽ヶ端と、MF小野伸二の二人のみを選んだ。

私にはなぜ日本サッカー協会が高原のメンバー入りをめぐってそこまで迷ったのか理解できない。
彼が健康上深刻な問題を抱えているのは明らかであり、彼が2度目の肺動脈血栓塞栓(そくせん)症の診断を受けた時点で、協会は彼を代表候補から外すのが妥当であったと思う。
これは5月末の事だった。そして私は常々、高温乾燥気候で呼吸も楽でないアテネで彼をプレーさせるのは非常なリスクを伴うと考えていた。
もし高原が健康だったなら、予選を通して攻撃の核を欠いていた日本代表の山本監督にとって彼はパーフェクトなチョイスであったろうと思う。

代わりに高松が選ばれたが、彼はあくまで交代要員であり、平山についても然りであると私は思う。
もし高原が健康だったなら、山本監督のフォワード残り3人のチョイスは、平山を除く田中、大久保、そして高松だったであろう。
現状、山本監督は高松・田中のコンビもしくは、高松・大久保のコンビで先発させることになり、平山は空中戦要員として途中出場となるであろう。
正直言って、この攻撃陣では強さにかけるのではと思う。

高原が病気であると診断された時、私は山本監督がもう一人のフォワードを選ぶものと思っていた。このコラムでも前に述べたが、鈴木隆行でもオリンピック代表チームに経験あるターゲットマンとして貢献できただろうと思う。
ただし、協会が彼にオリンピックスピリットを見せるよう、またダイビングを止めるように要請してくれれば、だが。

フォーメーションは中盤にプレーメーカーを置かず、田中、高松、大久保のFWラインを置く3−4−3システムが良いのではないかと思う。
ディフェンスとミッドフィールドには質の高い選手が多いが、それでもこのチームには新しいセンターフォワードが必要であろう。
日本サッカー協会は高原にあまりに固執しすぎた。数週間前に代案を用意しておくべきだったと私は思うのだ。

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キリンカップで大きな自信を得た日本代表

2004/07/15(木)

 火曜日の夜、横浜国際競技場でキリンカップ優勝を決めた日本代表は、大いなる自信とともに、木曜日、中国に旅立つ。
 とはいえ、3ヶ国の大会で優勝したことは私にはさほど印象的ではなく、むしろセルビア・モンテネグロを1−0で破った内容に感銘を受けた。
 日本の相手チームを見ていると、どうしてもユーゴスラビアと言いそうになってしまう。連盟会長となったドラガン・ストイコビッチの姿が見えるので、なおさらである。

 ユーゴスラビアは、その技術レベルの高さから、かつて「ヨーロッパのブラジル」と言われていた。
 ユーゴスラビアの選手は、とても背が高く、とても強く、時にとても荒っぽいプレーをした。
 こうした特徴が、かつても今もこのチームをとても手強い存在にしており、相手チームがこのチームを破るには勇気が必要とされている。
 火曜日の夜、日本はこの勇気を見せてくれた。
 日本代表は体力面での試練に堂々と立ち向かい、セルビア・モンテネグロをゴール付近に近寄らせなかった。その結果、川口はロングシュートを防ぐだけでよかったのである。

 もっとも、正直言うと、鈴木隆行の見苦しいプレーは好きではない。
 私はいつも、鈴木はダイバーで―同時に有益なターゲット・マンでもあるのだが―、ゴールのチャンスがない時には、ほとんどの場合軽い接触で倒れて相手ディフェンダーを不愉快にしていると思う。
 そうしてフリーキックを得られる時も、そうでない時もあるが、私には、こうした振る舞いはいたずらにトラブルを招いているだけのように思える。
 厳格なレフェリーなら、彼にイエローカードを出すかもしれないし―そのせいで、中国のアジアカップではチームに迷惑をかけるかもしれない―、あるいは相手ディフェンダーが鈴木のプレースタイルに癇癪を破裂さえ、このフォワードを傷つけようとするかもしれない。

 今回は、セルビア・モンテネグロに対する鈴木の作戦だったのかもしれない。セルビア・モンテネグロは、冷静さを失うことで有名だからだ。こうした気質のせいで、ストイコビッチはJリーグでたくさんのイエローカードやレッドカードを受けた。技術は申し分ないのだが、気性には欠点があるのだ。
 試合の終盤、セルビア・モンテネグロのリベロのペトコビッチが、日本の左サイドで背後から柳沢にファウルをお見舞いした。柳沢がプレーを続けられたことは幸いというべきで、ペトコビッチにはイエローカードが突きつけられた。

 とにかく、日本がこの厳しいテストに合格したことを祝福したい。
 日本代表が、アジアのライバルたちに対してもこのような集中力と気迫を見せつけ、さらに中国で戦う相手チームに対して無礼な態度を示すことがないように期待しようではないか。

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日本代表が得た3つの希望

2004/07/12(月)

苦あれば楽ありと言う。
これは、金曜夜に広島ビッグアーチで行なわれたキリンカップ、対スロバキア戦に臨んだ日本代表のためにあるような格言である。

ジーコ監督のチームには中田英寿、稲本、小野、そして高原といった経験ある選手が欠けていた。
そして新たに久保が怪我のため辞退した際には、日本代表は得点力に欠けるのではないかと思われた。
対スロバキア戦、彼らは3得点(うち2ゴールはフォワードによるもの)を挙げ、これらの予想が間違っていたことを証明してみせた。

日本の最初のゴールはセットプレーのエキスパートと言われるMF福西の、まさに彼らしいゴールだった。Jリーグの選手なら、福西はコーナーキックやフリーキックの際には厳しくマークしなければならないことを誰もが知っている。それくらい、彼のヘッドはニアポストでは危険なのだ。
それを充分承知していなかったスロバキアは福西をノーマークにしてしまい、俊輔のコーナーキックから、彼のヘッドによるゴールを許してしまった。これは福西にとってはイージーゴールであったが、負傷欠場の稲本や小野に代わって中盤を務める彼に大きな自信をもたらすことだろう。

中村は日本の2点目にも貢献した。鈴木への絶妙なパスでスロバキアのディフェンスを翻弄し、鈴木はいかにも彼らしい右足で得点を挙げた。
ここでも久保の代役としてチャンスを得た鈴木が結果を出し、ジーコ監督の期待に応えた。
ジーコ監督がテクニカルディレクターを勤めた、鹿島アントラーズにかつて所属していた柳沢が挙げた日本の3点目には、彼も満面の笑みを浮かべた。
彼のゴールは決して華麗なものではなかったが、彼のゴールへの執念と判断力については疑うまでもない。
MF三浦淳宏のプレッシャーがスロバキアの不用意なバックパスを呼び、そして柳沢をドリブルでかわそうとしたゴールキーパーの凡ミスを招いた。
メッシーナ所属の柳沢は彼の役目に徹し、ボールを奪いそして無人のゴールにボールを押し込んだ。
柳沢はこれまでも日本代表のために素晴らしいゴールを挙げてきた。今回のこのゴールはそうしたゴールではないが、サンプドリアで不完全燃焼のシーズンを過ごしてきた彼にとっては大きなゴールであった。

福西、鈴木、そして柳沢のゴール・・・。それはジーコ監督指揮下の日本代表チームが自信を深めていき、監督自身も選手達に対する理解を深めていくにあたっての良い兆しである。
もしかすると、我々がキーマンだと思っている選手達はそれほど重要ではないのかもしれない。

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私のオールスター不要論

2004/07/08(木)

 1993年の発足当初、Jリーグにはとても「アメリカ的な」雰囲気があった。
 ゴールデン・ゴール、PK戦での決着、引き分けなしのルール…。それから、もちろん、オールスター戦だ。
 何年もかけて、Jリーグはわざとらしい仕掛けのほとんどを廃止しつつあり、そうした方針は運営全体にも反映されるようになっている。
 たとえば、来シーズンからはJ1の参加チーム数が18になり、2シーズン制も1シーズン制に変更される。
 勝った場合の勝点が3で、引き分けの場合が1という通常の勝点システムは現行通り保たれるので、2005年シーズンのJリーグは世界のサッカー界のメインストリームにある他のリーグと同じような形態となる。
 Jリーグがこの新しいフォーマットを採用し、日本でも増加しつつある真のサッカーファンの声に応えようとしている点は大いに評価したい。

 私が気になるのは、次に着手すべきものである。
 これは個人的な意見であり、多くのファンが驚くかもしれないが、私なら、毎年恒例のオールスター戦を廃止するだろう。
 サッカーの世界では、このコンセプトはとても異質なもので、意味も重要性もあまりないように思える。
 私は、日曜日の新潟の試合をテレビで観たが、3−3のドローであったにもかかわらず、退屈だと思った。
 選手にとっては、ファーストステージ終了後のウィークエンドはオフのほうがありがたかっただろうし、各チームの監督たちも選手を休ませたかったことだろう。
 MVPの石川を筆頭に、何人かのオリンピック代表選手がピッチに登場した。ひょっとしたら山本監督は、石川、田中、闘莉王、今野らが接触プレーに巻き込まれないようにと考えていたかもしれない。山本監督はしかめっ面でゲームを見ていたに違いない。このような無意味な試合で中心選手がケガでもしたら、控えめに言っても、迷惑この上ないからだ。

 それはA代表の選手も同じである。
 先日の鹿島でのアントラーズ対ジュビロ戦の後、藤田俊哉と話したのだが、そのとき藤田は、体調は絶好調時の7割程度に過ぎないと言っていた。キリンカップとアジアカップが間近に迫っているなか、そんな俊哉がビッグスワンでプレーしているのは、私にとっては驚きであった。
 もっとも、藤田は広い心を持った男だから、きっとファンを失望させたくなかったのだろう。カシマでも、ジュビロがロスタイムに失点して敗れた後にもかかわらず、藤田は時間を割いて、スタジアムの外でアントラーズファンにサインをしていた。

 Jリーグはいつもと同じように派手なイベントを催し、大手スポンサーと大観衆を魅了したが、私には、オールスター戦は予定がぎっしり詰まったシーズンには余分であるという印象は拭えなかった。

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理解に苦しむ久保のキリンカップ代表選出

2004/07/05(月)

代表監督を務めるという事は色々な理由で難しいものである。
一つは、高給の選手たちを代表チームに出してくれるクラブチームとの信頼関係を築かなければならない事である。
今週の久保竜彦の場合を例にとってみよう。

彼が故障している事は周知の事実だが、それでもジーコ監督は彼をキリンカップ代表チームに選出した。
横浜F・マリノスが、故障中の右膝を休ませるためにも彼を代表から外してもらいたいと日本サッカー協会に要請した後だというのに、だ。私にはジーコ監督が何故彼を選んだのか理解できない。
木曜日の朝、久保の選出を知らされたマリノス側は驚き不快感をあらわにした。
膝の調子によっては、キリンカップでは先発メンバーとして使わないとジーコ監督は語ったが、それでも2週間くらいは休ませるべきだったのではないだろうか。

6月9日のワールドカップ予選でインドを7−0で破った後、マリノスの岡田武史監督は、久保には2〜3週間、ファーストステージ終了までの休養が必要だと言い続けてきた。
さらに岡田監督は、彼が100%の状態に戻らないのであれば、中国で行なわれるアジアカップでもプレーさせないとさえ言っていた。

ジーコ監督のやるべき事は、マリノスの要望を受け入れ、久保にしばしの休養を与える事だった。
キリンカップはしょせん、7月9日にスロバキア(タイと並んで世界ランキング61位)と、13日にセルビア(同44位、ただし侮れる相手ではない)と対戦する親善試合なのだ。
それにフォワードは他にも、2002年ワールドカップのFWコンビ、鈴木と柳沢、巧みで華麗なレフティー玉田圭司、そしていつも元気一杯の本山雅志の4人がいる。すなわちジーコ監督には、選手やコンビネーションについてまだ色々な選択肢があるということである。

マリノスの発表では、久保はどちらにしても代表を辞退するということである。選手たちは日曜日に広島に集合し、月曜日の朝からトレーニングを開始する。
恐らく久保は広島へ行き、プレーできる状態ではないというメディカルチェックの結果を提出する事になる。しかしそれよりも、7月7日に二人目の子どもを出産する予定の奥さんのいる故郷、福岡に彼を行かせてやる方が理にかなっていると思う。

ジーコ監督は、これまでの試合でいくつもの重要なゴールを決めてきたこの元サンフレッチェのフォワード、久保のゴールに頼れる事がわかっている。
ただ、今回のこの彼の選択は一体誰のためなのだろう。ジーコ監督自身?久保?それともマリノス?

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さよならサンパイオ、Jリーグの偉大なる奉仕者

2004/07/01(木)

 サンフレッチェ広島のファンが一心不乱にブラジルの国旗を振り、「サンパイオ、サンパイオ」と歌っていた。
 この光景は、なんと駐車場の中。しかも、土曜日の午後のジュビロ磐田戦が終わって、かなり経ってからのことである。
 その男、セザール・サンパイオは、最後にもう1度だけファンに控えめに手を振り、待たせてあったタクシーに乗り込み、夕暮れのなかに消えて行った。
 Jリーグは、偉大なる奉仕者を失った。

 現在36歳のサンパイオは、J1で最後となる、156試合目の試合に出場した直後であった。
 この中盤の達人も年齢には勝てず、スタミナやスピードも、かつては展開の速いJリーグに充分対応できていたが、最近はそうもいかなくなった。
「前半はまあまあだった。」
 試合後、サンパイオはそう話した。
「でも後半は、一生懸命走り回ったのに、ボールに触れなかったんだ」

 誠実な人間であり、サッカー選手である、彼らしい正直な告白だった。
 横浜フリューゲルスから柏レイソルに移り、最後は広島でプレー。彼の日本での選手生活を通じて、私にとってサンパイオは信頼できる紳士であった。
 最初に彼に会ったのは、1995年のタイ。アジアサッカー連盟のイベントで、フリューゲルスがタイ・ファーマーズバンクと試合をした時だった。
 サンパイオはクラブにやって来たばかりで、彼とともに、1994年ワールドカップ優勝チームのミッドフィルダー、ジーニョ、さらに長身のセンターフォワードのエバイールもフリューゲルスに入団していた。フリューゲルスはこのトリオを獲得するために1,000万ドル以上を払っていた(数年後の破綻も不思議ではないか!)。

 サンパイオは古典的な守備的ミッドフィルダーだった。エネルギーを節約して頭を使い、タイミングの良いタックルで相手チームの攻撃を分断すると、直後に短い、クレバーなパスを出してカウンター攻撃の糸口となった。
 彼のプレーは、おしゃれでも、スペクタクルでも何でもなかった。基本的なことを、とてもうまくこなした。簡単にプレーしているように見えた。

 サンフレッチェのファンは、J1昇格を勝ち取った際の彼の働きぶりに感謝していた。ファンは、ヤマハスタジアムに「Obrigado」(オブリガード:ポルトガル語で「ありがとう」の意味)と書いた大きな横断幕を掲げ、何人かは緑とカナリアイエローのブラジル国旗を振っていた。試合後、サンパイオは、サンフレッチェ・ファンの暖かさに感極まった様子であった。

 サンフレッチェの小野剛監督は、日本の若手選手たちは試合や練習で、そして彼の規律正しいライフスタイルを見て、ピッチの内外のサンパイオから学ぶことができたと言う。小野監督の言葉を引用すれば、サンパイオは完ぺきなプロフェッショナルだった。
「彼は、言葉では言い表せられないくらい多くのことを与えてくれました」と小野は言う。
 サンパイオは自分のチームのためだけでなく、ブラジルの国民のためにも、日本で大きなことを成し遂げたのである。
 Obrigado!(ありがとう!)

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川崎でのカンフー:J2の奇妙な一夜

2004/06/28(月)

昨年の今頃、柳下正明監督はジュビロ磐田の監督として優勝争いの真っ只中にいた。
水曜日、彼は等々力スタジアムのベンチで、彼が指揮するコンサドーレ札幌が絶好調の川崎フロンターレに0−6でこてんぱにやられるのを見ていた。
私は常々、札幌のサポーターには感心させられていた。そしてこの水曜日にも約400人のサポーターがチームカラーの赤と黒に身を包んでいた。
6点もの大量ゴールが札幌のネットに突き刺さっても、それでもサポーター達は悪戦苦闘しているチームの応援を続けていた。
試合終了のホイッスルが鳴り、両チームの選手たちが各サポーターへの試合後の挨拶に向かった。しかしこの後、ビジターサイドに何が起こるのか誰も予想だにしていなかった。

何人かの札幌サポーターは選手に向かって後半の彼らの不甲斐なさに対する怒りをあらわにしていた。
そしてペットボトルがスタンドから投げ入れられた。
札幌の選手たちはこれらのサポーターの反応に気を悪くすることもなく、ピッチとスタンドを隔てるフェンスに向かって歩き始めた。
突然一人のサポーターがフェンスを越えて、エリック・カントナのように一人の選手に向かって空手の蹴りのポーズをした。
5〜6人のサポーター達がそれにつづいてフェンスを越え、警備員達は小競り合いを止めようと間に割って入った。柳下監督も続いて何とかいざこざを収めようとした。
多くの人々が大きなショックを受けたが、札幌の選手たちのショックはさらに強いものだった。

さて、事態はどう収拾されるのだろうか?
コンサドーレは自チームのサポーター達をコントロールできなかったとして処罰されるのだろうか?
ホームゲームを非公開で戦わなければならなくなる?
乱入したサポーターの身元が判明したなら、彼らは今後、チームの試合観戦を禁止されるのだろうか?
フロンターレはアウェーチームのサポーターへの警備を怠ったということで問題にされるのだろうか?
マッチコミッショナー、難波邦雄氏のレポートはJリーグの調査の重要な鍵を握ることになる。

Jリーグで北海道を代表するコンサドーレの重要な役割を考えると、厳重な警告を発するのが妥当であろうと私は思う。
チームはいつでもサポーターの行き過ぎた行動に対して禁止を言い渡す事ができる。
しかし何が起ころうとも、サポーターのメッセージは、わずか勝点9でJ2最下位に甘んじている選手たちに伝わらなくてはならない。
この事件がチームに転機をもたらすかもしれない。そして結果的にポジティブなものを生み出すことになるかもしれない。

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1stステージはまだ終わっていない

2004/06/24(木)

 勝点2をリードして、ホームの試合を残している横浜F・マリノスがファーストステージ優勝の最有力候補であるのはまちがいないだろう。
 土曜日に最終第15節を残している現在、論理的に考えればそういう結論になる。
 しかし、昨シーズンのセカンドステージに迎えた劇的な結末は、サッカーの世界では何でも起りえるのだということを改めて立証するものであった。
 個人的には私は、ファーストステージはまだなにが起るかわからない、と思っている。

 マリノスは勝点33で、ホームの鹿島アントラーズ戦。
 ジュビロは勝点31で、ホームのサンフレッチェ広島戦。
 小野剛監督と彼の「三本の矢」にはまったく申し訳ないのだが、対戦相手にはどちらが恵まれているだろう。
 マリノスが勝てば、勝点が36になり、優勝決定である。
 引き分けで勝点が34になった場合、ジュビロが勝てば勝点34になり、その結果…、得失点差で有利なジュビロのファーストステージ優勝となる。
 その日は、緊張した1日となるだろう。マリノスもジュビロも、勝たなければならないと自覚しているからだ。

 先週の土曜日、私は鹿島に行っていたのだが、ロスタイムの失点で敗れたジュビロのロッカールームの外側には失意とあきらめの雰囲気が漂っていた。
 その夜には、状況はジュビロにとってさらに悪くなった。柏の葉でマリノスが2−1で勝利し、首位に立ったからだ。
 しかし、それから数日経った今の時点では、ジュビロの選手たちも気持ちを入れ替えているし、土曜日には、サンフレッチェに勝つというモチベーションは充分に高まっていることだろう。

 先週、ジュビロの選手たちは、アントラーズが誰にも譲歩しないこと、たとえ自分たちの順位に関係ない時であっても譲歩しないことを、骨身に感じたはずだ。
 アントラーズは誇り高く、威厳に満ちたクラブである。先週の土曜日には、カシマスタジアムでジュビロが優勝を祝うのを許さなかったし、今度もマリノスに敗れて、自分たちではなく、他のチームが優勝を祝う席には立ち会いたくはないだろう。

 今週、マリノスの岡田監督が次のように語った。「アントラーズは良いチームで、高いモチベーションで試合に臨んでくるから、簡単な試合にはならないだろうね。」
「ただし、うちのチームもモチベーションが高まっているし、コンディションも、コンビネーションも良くなっている。」
 両チームは素晴らしいプレーをしなければならないだろう。今回も土壇場の大逆転があり得る状況だからだ。

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宙ぶらりんの山本監督のプラン

2004/06/17(木)

 数週間前、オリンピック代表監督の山本昌邦は人もうらやむような立場にいた。
 日本の23歳以下の代表は3大会連続のオリンピック出場を決め、山本はアテネに連れて行くオーバーエージ枠の3選手を自由に指名することができた。
 慎重に考え、分析した末、山本はゴールキーパーの曽ケ端、中盤の小野、前線の高原を選んだ。
 現時点では、アテネで確実にプレーできるのは曽ケ端だけである。
 小野のアテネ行きは、フェイエノールトの許可が出るのを日本サッカー協会(JFA)が待っている状態で、高原はといえば、2002年ワールドカップ欠場を余儀なくされた病気にまたも悩まされている。

 フェイエノールトがあまり小野を行かせたくないという理由はわからないでもない。
 まず、ヨーロッパではオリンピックはあまり重要視されていない。それに小野はチームで最高の選手の1人だし、オランダでは2004-05年のシーズンがオリンピック期間中にスタートする。
 小野は次のシーズンのキャプテンに任命されるかもしれないし、新監督のルート・フリットはシーズン前のチーム強化の段階から小野のチーム合流を望んでいる。
 高原は、まだオリンピック参加が絶望になったわけではない。現在、日本に戻っており、JFAのメディカル・チームのお墨付きが出れば、所属クラブのハンブルガーSVはアテネでのプレーを許可するだろうと関係者は自信を持っている。

 山本は待つしかない立場であり、本当なら今ごろ問題なく出場が決まっているはずの、自分の選んだ選手の動向にやきもきしていることだろう。
 もし小野と高原の出場できなくなれば、山本はオーバーエージ枠の選手を曽ケ端だけにする覚悟に思える。
 表面的には、山本はJFAとジーコに他の年長選手の招集を求めていない。A代表には、7月17日からのアジアカップが待ち受けているからだ。
 オーバーエージ枠が曽ケ端だけということになるのであれば、山本の大胆な決断と言うほかはなく、若き日本代表は今まで以上のプレーを披露し、自分たちを信頼するという監督の決断に報いなければならない。

 日本代表のオリンピック予選を振り返ると、私には、ゴールキーパーと中盤の左サイド、それにセンターフォワードの3つのポジションが弱いように思える。
 山本は、おそらく今野の左でプレーする守備的ミッドフィルダーとして小野を起用するつもりだったのだろうか、それともツートップの後ろの攻撃的ミッドフィルダーとして起用するつもりだったのだろうか?
 ひょっとすると、我々には永遠にわからないかもしれない。

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久保:未完の大器からの脱却

2004/06/14(月)

今の久保竜彦は止められない。
いや、厳密に言うと右ひざに爆弾を抱えてはいるのだが。
その爆弾とは、久保が日本代表の頼れるストライカーとしてちょうど頭角を現し始めた頃の負傷で、彼にとって非常に嫌なタイミングだった。

水曜夜の対インド代表戦、彼はペナルティーエリアで三都主の絶妙なパスを受け、左ボレーで素晴らしいゴールを決めた。
そして、彼のヘッドで落としたボールが福西に2−0とするゴールを与え、その後久保が受けたファウルがチーム3点目となる中村のフリーキックのきっかけとなった。
ジーコ監督は久保の膝を考慮して、ハーフタイムで交代させた。

土曜日に神戸で行なわれる試合でも彼はマリノスの先発メンバーから外れることだろう。
金曜日、戸塚での練習後、岡田監督は久保をベンチには入れるかもしれないが、試合自体には出場させたくないと話していた。
チームドクターは岡田監督に、久保には休息をとらせるしかないと伝えたのだが、ファーストステージはまだ2週間残っている。チームドクターは久保には2〜3週間の休息が必要だと付け加えた。

岡田監督の下で久保はものすごく成長した。
サンフレッチェでの彼の未完の大器ぶりは忘れられないものだ。彼はワイルドで予測不能で、マークすることが困難だった。
現在の彼は、未完から完成された大器に見え始めている。完璧なセンターフォワード、頭でも足でもゴールを決めることができ、かつ、チームメイトのアシストもできる。

トルシエ監督は久保に幾度かチャンスを与えていた。といってもそう長いものではなかったが・・・。そして彼が2002年ワールドカップのメンバーの座を勝ち取るのを待っていた。しかしながら久保はそこには至らず、トルシエ監督は代わりに西沢を選んだ。
久保のターニングポイントは12月に開催された東アジア選手権、対中国戦で2ゴールを挙げたことだった。そして、それ以来彼は対オマーン戦、ハンガリー戦、チェコ戦、アイスランド戦(2ゴール)、そして今回のインド戦と得点を重ねてきた。日本代表11試合で8ゴールである。これはいくつかの強豪国相手に、素晴らしいゴール率である。

来月中国で行なわれるアジアカップでアジアのディフェンスを撃破するために、ジーコ監督は久保が必要である。彼の右膝の回復を祈ろう。

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中田浩二、代表復帰!

2004/06/10(木)

 ジーコは、代表監督に就任して以来、面白い人選を何度かしてきた。
 バック陣に坪井を加えたのは、成功だったようだ。
 中盤の右サイドでは、加地が立派な新戦力となっている。
 また、前線では柔らかいボールタッチと優美な左足の技術を誇る玉田が観る者を魅了する。

 最近のジーコの絶妙な人選といえば、私のもっとも好きな日本人選手の1人である中田浩二を、故障による長期離脱から復帰したばかりであるにもかかわらず招集したことである。
 水曜日のインド戦は、浩二が先発メンバーに名を連ねるには1ヶ月早過ぎるように思われるので、稲本のポジションを埋めるのは福西になるだろう。福西は、コーナーキックやフリーキックの時にニアポストの空中戦で抜群の強さを発揮する選手だ。
 とはいえ、ジーコがさっそく浩二を代表に再招集したのは評価したい。浩二には前途洋々な未来があるからだ。

 2002年のワールドカップ後にジーコが代表監督に就任したとき、私は、浩二の起用が少なすぎる、と感じていた。新監督がいわゆる「黄金の4人」を中盤に起用しようとしていたからだ。
 浩二は、チームにバランス、まとまり、方向性をもたらす選手であり、金曜日の夜の11時に渋谷駅に集まった日本の「オールスター」の中盤に欠けていた才能なのである(あの時は、あらゆる方向から人々が殺到してきたなあ)。

 浩二が先発メンバーに復帰してからの鹿島のゲームは観戦していなかったので—鹿島ファンには申し訳ないのだが、最近の私はジェフやヴェルディのような「ビッグ・チーム」ばかり観ているのである—、渋谷駅で浩二のいわば「実物」を見たときには心底驚いた。
 浩二は体が大きく、たくましくなったように見えた。おそらく膝の回復期間に行なっていた水泳とウエイトトレーニングの成果なのだろう。

 私が最初に感じたのは、ほんの少しパワーと筋肉が増した、新しい外見の中田をトルシエが見たら、きっとディフェンスの左サイドに起用したがるだろうということだった。
 浩二の体重が増えたかどうかは確認できていないのだが、おそらく体重は変わっていないのだろう。JFA(日本サッカー協会)には74キロで登録されていて、シーズン当初のJリーグハンドブックにも同じ体重が記載されていたからだ。
 しかし、見た目ははっきりと大きくなっているし、これはモダン・サッカーでは悪いことではない。

 月曜日の高校チームとの練習試合で控えチームの一員としてプレーした浩二の調子は良さそうだった。特に、小笠原や本山が横に並び、アントラーズの同僚であった柳沢や鈴木が前線にいるときは、良く見えた。
 中田浩二が代表のレギュラーに復帰するのはさほど先ではないだろう。ジーコのチームに何より必要なのは、彼の経験と静かな威厳なのである。

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3−5−2システムの恩恵を受けるジーコ監督

2004/06/07(月)

ジーコ監督が日本代表監督に就任してほぼ2年になるが、最近のヨーロッパ遠征の結果は非常に明るいものがある。
それはなぜだろう?
個人的には、彼が“黄金の4人”を諦め、ディフェンス戦術を変更せざるを得なくなったからだと思う。

98年フランスワールドカップでの岡田武史監督、そして1998年から2002年のフィリップ・トルシエ監督も使っていた3−5−2システムはチームによりバランスをもたらし、またよりチームをまとめ、そしてその結果、自信をも生む。
ジーコ監督の4−4−2システムでは、守備の甘いディフェンダーのお陰でミッドフィールドが混乱することになり、対戦相手よりもむしろ日本の選手を混乱させた。
3−5−2システムの利点を少し述べてみよう。

1)2人のセンターバックの代わりに3人のセンターバックを使う事で、ジーコ監督は4−4−2システムでの坪井と宮本の代わりに日本のベストディフェンダー中澤を使えるようになった。
2)ディフェンス意識の欠如が目立ち、さらには彼のもつ天性の攻撃本能が抑制されてしまっていた三都主をこれ以上左サイドバックとして使わずに済む。
3)右サイドに加地、左には三都主、中央に小野と稲本、そしてプレーメーカーに中村という具合に中盤に5人のMFを配置する事によってチームはより良くまとまる。稲本の負傷は彼自身の将来にとって微妙な時期であり、非常に残念である。
4)2人のフォワード、久保と玉田はヨーロッパでベンチを暖めている選手と違い、毎週Jリーグでプレーしており非常に好調だ。ジーコ監督もこの点については思い知ったらしく、対イングランド戦では先発メンバーのうち8人がJリーグの選手だった。
5)ただ1人、中村だけがチーム構成の範囲内で、ある程度自由が認められる。

言葉を代えて言うと、今のジーコ監督のチームは3人のバック、5人のMF、そして2人のトップと、トルシエ監督のチームとほぼ同じだと私は思う。
もちろん今のディフェンスはオフサイドトラップと相手オフェンスの動きに合わせたラインの上げ下げに重点をおいた“フラットスリー”でなく、リベロ(宮本/井原)と2人のストッパー(中澤/秋田、坪井/中西)を配置した岡田監督の3バックシステムに近い。個人的にはリスクの高い“フラットスリー”より現在の3バックシステムの方が良いと思う。
2度のヨーロッパ遠征を終えた後、代表チームについてはトータルとしては楽観的に考えられるようになった。
もちろん、ジーコ監督が失敗から学んだのなら、である。
そこはまだ私にはわからない。それと言うのも中田英寿が復帰した時にジーコ監督が4−4−2システムに戻したとしても全く不思議ではないからだ。
そうなったらそれは重大な誤りだと私は思う。

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ブラジルの達人、ジャーン

2004/06/03(木)

 間違いなく、FC東京は若くて優秀なディフェンダーを多数輩出しつつある。
 これら若手ディフェンダーがするべきことはただ1つ。一緒にプレーしているブラジルの達人、ジャーン・カルロ・ウィッテを観察し、模倣すれば良いのだ。
 練習では、原監督が自分の持つあらゆる知識を伝授できるが、実戦の場では、ジャーンが戦士兼指導者となる。
 2002年にジャーンがこのクラブに入団して以来、私は彼がひどいプレーをしたのを見たことがない。
 しかし、ジャーンは堅実なディフェンダーであって、クリエイティブなミッドフィルダーや得点能力の高いフォワードではないので、注目に値するプレーぶりであっても、さほど注目は受けてはいない。
 ただし、彼が日本でプレーしている外国人選手のなかでも最良で、最も安定した実力を誇っている選手の1人であることは間違いない。

 土曜日、私は柏の葉公園総合競技場まで遠征し、ナビスコカップのレイソル対FC東京戦を観た。
 FC東京はキーパーの土肥とライトバックの加地が日本代表に招集され不在だったが、同じ理由で攻撃陣に玉田を欠いている不調のレイソルが相手では、さほど痛手ではなかった。
 そのうえ、FC東京にはライトバックに徳永がいたし、ディフェンスの中央にはジャーンと並んで茂庭もいた。また、左サイドでは金沢がバランスをとっていた。いつも私はジュビロのミッドフィルダーだった頃の金沢を思いだすのだが、彼はFC東京では守備の仕事を立派にこなしている。
 おそらく、これもジャーンの影響力なのだろう。

 私にとってディフェンダーの最大の仕事は、守ることであり、攻撃することではない(ここで、三都主が脳裏に浮かぶ)。
 そしてもちろん、ジャーンは素晴らしいディフェンスをする!
 馬場のフリーキックから狙いすましたようなヘディング・シュートを決めて先制点を叩きだしたのを見てもわかるように、ジャーンは空中戦に強く、しかもタックルすることを怖れず、ボールを持った時には常に正しい選択をする。
 時間とスペースが充分にあれば、ジャーンはディフェンスからボールを回し、そうでない時には確実にクリアするという方法を選ぶ。
 あまり格好良くは見えないかもしれないが、彼は絶対にリスクを負わず、絶対に余分なことをしないタイプの選手なのだ。
 日本人選手が0−0の時に危険な地域でひょいと無造作にバックヒール・パスをしようとするのを本当によく見かけるが、ジャーンは常に規律を重んじ、確率を考えてプレーしているのである。

 ジャーンは敏捷なセンターバックというわけではないが、常に試合をしっかり読み、自分の役割を全うしようとする。土曜日に何回か気づいたのだが、ジャーンは1度なら抜けるが、2度は抜けない。
 土曜日は土肥が不在のため、ジャーンがキャプテンを務めた。そして同時に、ジャーンは選手であり、コーチであり、得点者であり、教授でもあったのだ!

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いよいよ本番!山本監督率いるヤングブルース

2004/05/30(日)

水曜日の対トルコ選抜チーム戦を1−1で引き分け、山本監督がオーバーエイジの選手を呼び寄せる前に、U−23日本代表の選手が自分を証明する機会は残り1試合となった。
最後のテストは火曜夜に札幌ドームで行われる対マリ五輪代表戦である。
すでに皆さんの中にも、どのポジションを補強しなければならないか、それぞれ考えがあるのではないだろうか。
私個人のチョイスとしては、ゴールキーパー、左サイドMF、そしてセンターフォワード(日本語で言うなら“ポストプレーヤー”)である。
聞くところによるとゴールキーパーのポジションでは曽ヶ端が候補としてあがっているらしい。楢崎、土肥、高木、そして櫛野と、毎週試合出場を果たしているどのJ1キーパーをとっても良い選択であろうが、より経験があり、指揮を執ることができるキーパーは、コミュニケーションや組織といった点から闘莉王のプレッシャーをやわらげてくれるだろう。

左サイドMFには森崎浩司が山本監督の最有力候補となっているが、根本や駒野もいまだその視野に入っている。
森崎は几帳面かつ冷静で、貴重なレフティーではあるが、チームとしてはサイドを力強く突破する選手が必要だと思う。
私のチョイスはディフェンダーでなくアタッカーとして本来のポジションでプレーする三都主である。
徳永と石川のいる日本の右サイドは強い。しかし左サイドはパンチに欠ける。

水曜日に山本監督は5人のフォワードを使った。
レッズの田中を故障で欠いているため、山本監督は大久保と高松を先発させた。
平山は後半早々に高松と交代出場し、後半ロスタイムには試合を決めるゴールをもう少しで決めるところだった。
平山と同時に坂田が松井に代わって入り、そして残り19分で大久保に代わり前田(彼は攻撃的MFと言うよりFWだと思う)がピッチに入った。
高松、平山そして坂田。その誰もが、アテネでチームを引っ張ることができるとは思えない。だから攻撃面を考慮して高原直泰を、いや、鈴木隆行でも良いからチームに加えるべきだろう。
山本監督は将来を考えて、平山を選ぶかもしれない。しかしバーレーンや、レバノン、そしてUAEよりも強力なチームを相手に、平山では明らかにまだアテネの先発メンバーとしては荷が重い。

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嘉人か、ヒデか?

2004/05/27(木)

 ある特定の人物についてコメントを求められたとき、フィリップ・トルシエはいつもこう答えていた。
「そうだね、彼はとてもおもしろい選手だ。」
 これはトルシエが、“ある特定の人物”こと大久保嘉人に接触するようになる以前のことだ。

 セレッソ大阪のこのフォワードは、まさにとてもおもしろい選手である。
 私は、試合中の大久保の動きを観察するのが好きだ。もっとも、土曜の午後の市原スタジアムで私の前に座っていた、セレッソ大阪の女性ファンほど熱心ではないが。
 ピンクの、「Okubo 10」の文字入りシャツを着た、この女性ファンは、自身の若きヒーローの写真をできるだけ良い角度で撮ろうと、カメラを手にメインスタンドを動き回っていた。
 試合の序盤、この女性は私の前の席に座っていたが、あっという間に席を離れてしまった。最初、私は自分のアフターシェーブ・ローションのせいだと思ったが、あとになって、彼女は「嘉人パトロール」に出ているのだとわかった。

 試合終了後、私はセレッソのクロアチア人監督、アルベルト・ポボルと話をした。ポボルは大久保を「卓越した才能」と表現した。
 ポボルは、大久保はヨーロッパでプレーすべきだと語った。彼によれば、大久保はヨーロッパのどのレベルでもプレーでき、かの地に渡った多くの日本人選手とは違い、ベンチ要員に甘んじることもないそうだ。
 ポボルは、大久保は中田英寿より才能があるだろう、とまで言った。
「中田も素晴らしい選手で、偉大な選手だが、才能では大久保の方が上だと思う」とセレッソの監督は言う。
「大久保はとてもスピードがあり、素晴らしいテクニックがあり、まだ若い…、つまり大久保にはすべてが揃っているんだ。」

 おもしろい話だと思う、本当に。
 個人的には、大久保の才能とゴール前での一途さは認めるが、ピッチの内外で自身を律する方法など、中田から学ぶべき点はまだたくさんあるだろう。
 中田は、冷静で、集中力があり、自制心をもってプレーしている。大久保も、昨シーズン以降、少しおとなしくなったように思える。これは良いことだが、同時に気迫や情熱を失ってもらいたくはない。
 この気迫と情熱をうまく活かしてほしいものだ。
 土曜日の市原戦の試合中、大久保は右サイドでマーカーの坂本は抜けなかったもののコーナーキックを得たのに、悔しそうにボールをコーナーフラッグに投げつけた。(ひょっとすると、ラインズマンを狙ったのかもしれない!)
 この態度は悪くない(ボールをコーナーフラッグに投げつけたことである、念のため)。彼がゲームに集中していて、ひたすら勝ちたいという執念を持っていることがわかったからだ。

 中田が最初、それほど強くないペルージャへ移ったのは、移籍としては完璧だった。ペルージャで、中田はいとも簡単にチームに溶け込んだが、さて、オリンピック後の大久保はどうなるのだろう?
 トルシエなら、こう言うかもしれない。
「大久保…、うん、彼はとても面白い選手だね。」
 しかし、中田以上の才能なのだろうか?
 それもやがて明らかになるだろう。

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ドゥドゥ、レイソル苦悩の1stステージ

2004/05/24(月)

選手を熟知した新監督、国際経験豊富な新しいセンターフォワード、そして新たな二人のブラジル人プレーヤー・・・。2004年は柏レイソルにとって復活の年になるはずだった。
しかし、ファーストステージ10試合を終了してレイソルは16位、勝点わずか7でJ1の最下位に甘んじている。
勝点のうち6ポイントは最初の2試合で挙げたもので、それ以来、対市原戦での引き分けによる1点のみに留まっている。
正直言って、レイソルのこのありさまにはただただ驚くばかりである。

シーズン前、日立スタジアムで行なわれた千葉銀カップでジェフ市原を一蹴した時は、それこそ準備万端、意欲も得点力もあるように見えた。
しかし、新しいセンターフォワード、山下の負傷が大きく響いた。10試合で挙げた得点はわずか7ゴールである。
おそらくレイソルの崩壊は、昨年12月にUAEで開催されたワールドユース選手権にブラジルU−20代表として脚光を浴びた後、華々しく契約したドゥドゥのパーフォーマンスに表れている。
長身で、エレガント、そしてパワフルな守備的MFドゥドゥは現在21歳。かの偉大なソクラテスと比較される。
読者の中にはかつて1982年のワールドカップで「黄金の4人」と称されたジーコ、ソクラテス、ファルカン、そしてトニーニョ・セレーゾを覚えている方もいるだろう。
確かにドゥドゥには、にじみ出る大器の雰囲気がある。

しかし、本人と池谷監督によれば彼の問題は日本のサッカーのペースが速すぎると感じている事だという。
他の名選手同様、ドゥドゥも中盤でボールをキープすることを好む。そして芸術家が華麗に絵筆をふるうようにパスを出すのだ。
しかし彼は中盤で捕まり、何よりチームのパターンにフィットしていない。

金曜日にレイソルが広島へ向けて出発した時、ドゥドゥはベンチ入りさえできず、柏に残った。
現在低迷しているレイソルだが、私には彼らがいつまでも最下位に甘んじているとは思えない。これだけ多くの良い選手を抱えているのだ。ファーストステージが終了するころにはリーグ中位に浮上してくるはずだ。
シーズンを通して見れば、レイソルにとって良いシーズンになるだろうと私は思う。

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新たなDFを必要とするブッフバルト監督

2004/05/20(木)

 最近の浦和レッズの監督は、外国人選手にあまり恵まれていないようだ。
 最高の状態のネド・ゼリッチをレッズ・ファンが見ることはなかったし、今では「ロシアのロールスロイス」ことユーリ・ニキフォロフのキャリアも終焉を迎えようとしているように思える。
 監督のギド・ブッフバルトが怖れる最悪の状況は、ニキフォロフのプレーが絶望—つまり、シーズン前に受けたヒザの手術のリハビリのためにオランダに帰ってしまうことである。
 そのため、8月中旬のセカンドステージ開幕までに、チームを率いる新たなセンターバックを獲得するというのが、ブッフバルトの最優先事項となっている。

 土曜日、駒場でレッズ対ジェフの試合を観戦したファンには、ブッフバルトが経験豊富なディフェンダーの獲得にこだわる理由がわかったかもしれない。
 試合は、前半を2−0で折り返した時点で、ジェフが勝利をものにしたように思えた。
 まず、阿部の左サイドからのコーナーキックにマルキーニョスがヘディングを見事に合わせて、ジェフが先制。
 その直後にはマルキーニョスがまたも才能を発揮し、闘莉王を振りきって右側にパス。サンドロが完全にノーマークのままボールを受け、繊細なタッチのシュートを決め、前半のうちにジェフが2−0とリードした。
 浦和に追い撃ちをかけるように、前半終了4分前には長谷部が足を傷めて交代。さらに、後半4分にはエメルソンもピッチを去った。

 ジェフの監督のイビチャ・オシムは、この時点で選手たちがプレーをやめてしまった、と語った。ジェフの選手たちは、もう大丈夫だ、と安心してしまったのである。
 ビジター・チームは、その代償を払わなければならなかった。
 永井がゴール前でボールを押し込んで、レッズが1点を挽回。さらに、茶野がアレックスを倒した後のPKを闘莉王が決めて同点。なぜ茶野があえて無理をする必要があったのか、私には理解できない。アレックスが茶野の外側に逃げようとしたとき、ボールはアレックスの右足にあったからだ。
 あのポジションでアレックスがボールを巧妙に処理できるとは思えないのに、茶野は捨て身のタックルを敢行し、PKを献上。アレックスは、まるで自分が決勝のゴールを決めたかのような喜びかたをした。

 私の感想は、フェアプレーを重んじる無邪気な英国人の感想に過ぎないのかもしれないが、PKをもらったプレーヤーが大喜びする姿は見ていて気持ちの良いものではない。まるで、実際にゴールを奪うより、ペナルティを奪うのが目的だったみたいではないか!
 その後、完全に混乱してしまったジェフはディフェンダーの中途半端なプレーによって、「野人」にレッズ復帰後のリーグ戦初ゴールを決められてしまった。

 今度は浦和が3−2で勝利を手中にしたように見えたが、鈴木が山岸を倒した。鈴木本人はペナルティーエリア外の出来事だと思ったようだが、レフェリーはペナルティーエリア内での反則という判断を下し、阿部が冷静にPKを決めて、ゲームは3−3となった。
 レッズが優勝に値するだけの攻撃力を擁しているのは確かだが、新しいディフェンダーを獲得して、失点を抑えることも必要であるとブッフバルトは感じているのだろう。

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稲本:移籍か残留か?

2004/05/17(月)

現在の稲本潤一の状況には、皆さんも同情せざるを得ないことだろう。
彼はフルハムに残るのだろうか、それとも去るのだろうか?

6月末にガンバ大阪からのレンタル契約が切れる彼の将来は、ここ数ヶ月非常に不確かなものであった。
フルハムは、彼の完全移籍のためにガンバが要求するような額の移籍金は払うつもりはない。しかし、チームの一員として有能である事を証明してみせた彼をキープしたいとは考えている。
果たしてガンバはフルハムにチームが支払えるような額で稲本との契約を許すだろうか?
ここは稲本のために、何とかガンバがリーズナブルな移籍金で合意してくれる事を願おう。たとえその額が2年前にガンバが同意した400万ドルに満たなくてもだ。
あれ以来状況はかなり変化してきているのだ。

稲本はアーセナルでむなしい1年を過ごした。しかし2002年のワールドカップではベルギー戦、ロシア戦で得点を挙げ日本をベスト16に導いた。
彼は一躍、時の人。アーセナルでの経験にも関わらずロンドンに残りたかった彼にとって、フルハムへの移籍は申し分のないものだった。
フルハムでの1シーズンを終えても、チームは彼の能力に今ひとつ確かなものを掴めず、そこでガンバに2年目のレンタルを申し入れた。

2002年から移籍市場の事情は変化しており、なかでもフルハムは、仮のホームスタジアム、ロフタスロードにプレミアリーグの中でも最少の観客しか呼ぶことができない。
ある週にはフルハムの稲本は移籍先を探していると聞かされ、その次の週にはチームへの完全移籍もありえると伝えられる。
イナには本当に同情に禁じえない。

こういう状況の中、試合に集中することは非常に難しいに違いない。
ピッチに出れば、ボールにタッチする度に自分の価値を証明しようと非常なプレッシャーを味わっているに違いない。
願わくば、ガンバとフルハムが合意に達し、イナが、そう、例えば3年契約を結べないものだろうか。
100万ポンド、もしくは160万ドルの契約ぐらいが双方にとって妥当ではないだろうか。
国際経験豊富で、正直かつ素晴らしいプロフェッショナル プレーヤー。また、チームのために喜んで学び、プレーする稲本のため、そのくらいの額はフルハムだって惜しくはないはずだ。
またガンバも、イナには日本に戻る気がない事を受け止めなければならない。したがってそのくらいの額が帳尻をあわせるのに丁度良いのだ。
このゴタゴタが解決した時、我々はまた、イナのベストプレーを見ることができるだろう。

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岡田監督がこだわる日本人の得点能力

2004/05/13(木)

 先日のことだが、アジアチャンピオンズリーグで横浜F・マリノスがベトナムのビンディンを6−0で破った後の、岡田武史監督のコメントを読んで驚いた。
 岡ちゃんは、マリノスの選手は非情さに欠けると語っていた。また、少なくとも10点差で勝つべき試合だった、とも言っていた。
 この発言は私には意外だったし、少し厳しすぎるような気もした。ホームで6−0の勝利なら悪くない結果だからだ。

 数日後、岡ちゃんの発言の真意がわかった。
 火曜日(5月11日)の夜、アジアチャンピオンズリーグでマリノスと同じグループに入り、マリノスの最大のライバルとなっている城南一和が、インドネシアのペルシク・ケディリを15−0で破ったのである!
 そう、15点。6分に1点の割合だ!
 これで、マリノスが4チームからなるグループGで最終的に1位になり、準々決勝に進出できる可能性はかすかなものとなった。残り1試合の時点で、韓国のチームが得失点差で圧倒的に有利であるからだ。

 では、日本人選手の得点力不足の原因はどこにあるのだろう?
 一般的な意見は、日本人選手はシュートを打つ回数がともかく少ない、というものだ。
 私が観戦してきたほとんどの試合でも、シュートのチャンスがある選手がシュートを打たず、クロスを上げたり、チームメートにショートパスを送ったりして、ゴールに迫らずチャンスを無駄にしてしまうことがしばしばあった。
 日本人選手は、シュートを打つのを怖れてはいけない。言い換えれば、シュートを外すことを怖れてはいけない。

 世界のトップクラスのストライカーをテレビで観てみると良い。シュートを外した時—完璧な選手などいないのだから、もちろん誰でもシュートを外すことはある—、彼らは次の機会でシュートを打つのをためらうだろうか?
 ためらいなどしない。彼らはミスなど気にしていないのだ。ミスはすぐに忘れて、次のチャンスにひたすら集中するのである。

 J1の得点ランキングを見ても、このことがよく分かるかもしれない。
 現在のところエンルソンが得点ランキングのトップで、11ゴール(40シュート)。ロドリゴ・グラウが8ゴール(29シュート)、ウェズレイが5ゴール(46シュート)でこれに続く。
 さらに、6人の選手が4ゴールを挙げている。小笠原、サンドロ、アラウージョ、マルケス、マグロン、大久保である。
 つまり、ランキングのトップ9のうちの7人までもがブラジル人選手で、日本人はミッドフィルダーの小笠原と、下位を低迷するチームでプレーしている大久保の2人だけなのだ。
 他の日本人選手たちも上記の2人を見習い、ゴール前でもっと責任を負ってもらいたいものだ。

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最下位だけは避けたい各チーム

2004/05/09(日)

今シーズン、J1の最下位争いはこれまでとまったく違ったものになるだろう。
2005年度からJ1が16チーム制から18チーム制に移行されることに伴い、J1下位の2チームがJ2に降格するというこれまでの方式のかわりに、新しい方式が必要となっている。
今シーズンは、現在のJ1のうち最下位のチームのみが降格の危機にさらされる。とは言え、J2の3位チームとのプレーオフに敗れたら降格という事である。J2の上位2チームはこれまでどおり自動的にJ1に昇格する。

J1のいくつかのチームはこの新しい方式の採用に安堵のため息をつくだろう。
特に先シーズン終了とともにJ1に昇格した2チーム、アルビレックス新潟とサンフレッチェ広島はそうだろう。
要は最下位を避ければ良いので、彼らにとってJ2からJ1にアジャストする多少の余裕ができる。
もちろん彼らの狙うところはもっと上位である。しかし両チームとも今シーズン8節を終了してわずか1勝しかできていない。
サンフレッチェは1勝4分けで勝点7、そしてアルビレックスは1勝3分けで勝点6である。

現在最下位は6敗を喫しているセレッソ大阪で、勝ち点はわずか4である。
元旦の国立競技場でジュビロ磐田に敗れはしたが、昨年のセレッソは天皇杯の決勝まで駒を進め、楽観的な気分でシーズンを終えた。
しかしその後度重なる監督後退の結果、水曜日にはホームでサンフレッチェに1−2で敗れ絶不調である。

苦戦を強いられているもう一つのチームが柏レイソルである。
彼らはきっと今シーズンは良いだろうと私は思っていた。若手とベテランのバランスも良く、さらに才能溢れるブラジル人トリオ、特に昨年11〜12月にUAEで開催されたFIFAワールドユース選手権のスター、ドゥドゥがいる。
しかし最初の2試合に勝利した後に得た勝点はわずかに1ポイント、さらに水曜日のホームゲーム、対ガンバ大阪戦に0−2で敗れた。
ジュビロ磐田が2位との勝点差を7に広げた今、最下位争いが今後の焦点になってくるかもしれない。

*このコラム(原文)は5月8日に書かれたものです

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他チームに希望を与えたエスパルス

2004/05/06(木)

「ダービー・デー」の勝敗は、調子の良し悪しで決まるものではない。
 このことが実証されたのが、日曜日にエコパスタジアムで行なわれた、清水エスパルス対ジュビロ磐田の静岡ダービーであった。
 シーズン当初から控えめに言っても惨憺たるチーム状態であった、清水エスパルスがジュビロ磐田を破るなんて、誰が想像しただろう?
 さらに、J1でのジュビロの連勝記録が6で終わり、しかも連勝を止める相手が不調に喘いでいた同県のライバルだとは、一体誰が想像しただろう?

 まさしく、調子の良し悪しは関係なく、試合は太田が60分にこの試合唯一のゴールを決めて、勝敗が決した。
 左利きのゲームメーカー、アラウージョからのパスを受けた太田は右サイドから切り込み、ジュビロの2人のディフェンダーを背後に置き去りにしてシュートをゴールの上部に突き刺した。
 トップチームでの初ゴールが、このような時に訪れるとは!

 エスパルスが勝ったというニュース、いや、ジュビロが負けたというニュースを聞いて、ジュビロを追いかける各チームはやる気をかき立てられたに違いない。
 それまでジュビロは開幕から6試合で満点の勝ち点18を挙げていて、競馬にたとえれば、ファーストステージの優勝レースは半分も過ぎていないのに、レースを走っているのは1頭だけという状態になりつつあった。…その馬が、水色と白のジャージを着ていたわけだが。

 しかし、現在では、ジェフユナイテッドと横浜F・マリノスが勝ち点4の差でなんとか食い下がっており、まだ8試合を残している状況だ。
 マリノスはアウェーでFC東京に2−0で完勝。中澤や松田、ドゥトラ、久保といった中心選手をさまざまな理由で欠いた上での勝利であった。

 日曜日の夜、ホームに柏レイソルを迎えたジェフは、ジュビロとの差をなんとか勝ち点2に縮めておきたいところであった。
 しかし、千葉もやはり「ダービー・デー」であり、レイソルはプライドをかけて戦い、勝ち点を得た。試合はホームチームにとっては不満の残る1−1の引き分けという結果になり、ジュビロとの勝ち点の差は4となった。
 最近のジェフにとってはおなじみの成り行きであった。いつも絶好の位置にいるのに、本当に必要なときにほんの少しの差を詰められないのだ。

 ジェフとマリノスに続くのは、勝ち点11の4チーム。ジュビロとの勝ち点の差は7あるが、まだまだ優勝を狙える位置である。
 これらのチームは、ジュビロの取りこぼしは今後も起りえることであり、その時ジュビロのミスにつけ込むのは自分たちだ、とひたすら信じなければならない。
 エスパルスは、あらゆるチームに希望を与えた。なにが起っても不思議ではない、「ダービー・デー」での勝利であっても。

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ブラッターは本気!?

2004/05/02(日)

あるドイツ人スポーツジャーナリストがかつて、セップ・ブラッターFIFA会長は毎日50もの新しいアイデアを考え、そしてそのうち51はろくなものでないと言っていた。
先日ブラッター氏が引き分けを廃止すべきだと言っているという記事を読んだ時、私はその言葉をふと思い出した。
全ての競技には勝者と敗者が必要であり、なぜサッカーがそれと異ならなければならないのだとブラッター氏はコメントしていた。
90分を経過した時点でスコアが同点の場合、PK戦で決着をつけるべきであるとFIFA会長は付け加えた。
皆さんはどう思われますか?
いかなる競技においても、勝者と敗者は必要だと思われますか?

そのブラッター氏の新しいアイデアを読んだ時、私は正直驚いてしまった。何故なら、私は引き分けもサッカーには必要不可欠であると思っていたからである。
Jリーグでも数シーズンに渡り、延長サドンデス方式とPKによって試合を決着させ、引き分けを許していなかった時期があった。
最初にPKが廃止され、つづいて延長戦が廃止された。現在Jリーグは世界の主流派同様、90分で引き分けた場合、両者に勝ち点1を与えている。

個人的には引き分けだって勝利と等しくエキサイティングであり、そして重要だと思う。
93年のドーハでの日本対イラク戦、2−2の引き分けはドラマティックで特筆すべき結果ではなかっただろうか?
国内に目を向けてみても、昨シーズン終わりの浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦、2−2の引き分けは重要な結果だったのではないだろうか?
そしてまた、ジュビロ磐田はその同じ日の対横浜M戦を、どれだけ1−1の引き分けのまま終わることを願っていただろうか?
引き分けで終えていれば、ジュビロは第2ステージを制覇していた。しかし久保のヘッドがそれを打ち砕いた。

カップ戦ではどうしても勝者が必要になる。だから延長戦を行い、ゴールデンゴール、シルバーゴール、そしてPKで決着をつける。しかし、FIFAはゴールデンゴール、シルバーゴールを廃止し、30分の延長戦を行い、それでも決着のつかない場合はPK戦を行うことになる。
ブラッター氏の案が真剣でないことを祈ろう。さもなければ、ますます守備重視でPK戦を狙ったプレーがサッカー界にはびこるようになってしまう。

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日本の誇り「ガールズ・イン・ブルー」

2004/04/29(木)

 国立競技場の長い歴史のなかには、感動的で、ドラマチックな夜がいくつもあった。
 2004年4月24日の夜も、そんな歴史的な一夜となった。
 アテネオリンピック・アジア予選の準決勝で、日本の女子代表チームが3−0で北朝鮮を破った試合は、まさにセンセーショナルであった。

 試合前の予想では、真っ赤なユニフォームの北朝鮮が圧倒的に優位であったが、日本の「ガールズ・イン・ブルー」が北朝鮮を粉砕した。
 北朝鮮の選手たちは、何が起きたのか分からなかったかもしれない。まるで一陣の青いつむじ風がやってきて、何もかもを吹き飛ばして通り過ぎたようであった。
 北朝鮮はホームチームの精神力、気迫、技術に対応できなかったのである。また、ファンが果たした役割も大きかった。
 北朝鮮チームは、「鉄のバラ」と呼ばれる中国チームにとって代わってアジア最強の座についていたが、日本チームはまったく怯んではいなかった。
 日本は2つの守備のミスにつけ込んで先制し、前半でゲームの主導権を握る。
 最初のミスはヘッディングの失敗によるもので、荒川がボールを奪い、あっさりとゴールを決めた。
 2度目のミスはオウンゴールで、ここ一番の勝負で勝つためには絶対に不可欠な運を、日本は手にしたのであった。
 2点差でハーフタイムを迎えることができたし、ファンの興奮も高まっていたので、北朝鮮に追いつかれるかもしれないという心配はほとんどなかった。
 日本チームは勇敢にゴールを守り、さらにコーナーキックの際に見事な動きを見せた大谷がゴール前の至近距離から3点目のシュートを決めた。

 そのあと私がもっとも感心したのは、以前にも指摘したように、日本チームがひたむきにプレーを続けたことであった。
 時間稼ぎも、負傷したふりもなかったし、レフェリーを欺くような行為や冷酷なファウルもなかった。このような戦いぶりにより、日本の女子チームはサッカーそのものの魅力をアピールしたのである。

 FIFAのゼップ・ブラッター会長がいつも女子サッカーを讚えていることは良く知られている。
 女子サッカーの選手たちが見せるスポーツマンシップやフェアプレーは、男子選手たちの立派なお手本となるだろう。
 日本の「ガールズ・イン・ブルー」は素晴らしいことをやってのけた。そして、テレビの解説者を務めていた、かつてのスター・ストライカー、大竹奈美の感極まった涙の表情が記念すべき夜の締めくくりとなった。

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いまだ不確かなジーコ監督の将来

2004/04/26(月)

今週、ハンガリーでのジーコ監督のコメントは非常に興味深いものであった。
ジーコ監督は地元紙に「2006年まで代表監督を務めるつもりだ。それが私の仕事の一区切りだ」と語った。
本気なのだろうか?

続いて日本のメディアがジーコ監督に彼の将来について尋ねた。
彼は、Jリーグの監督就任や、ブラジル代表監督就任には興味がないと答えた。
これらを読んでいると、ジーコ監督指揮下の日本代表は着々と力をつけ、もし彼が代表監督の座を離れたとしたら、彼を監督に招きたいという要望が殺到するという風に考えがちである。
しかし事実はかなり違う。

ジーコ監督は日本代表を前進でなく後退させてきた。それは彼のコーチとしての信用度の欠如が理由である。彼は日本代表チームを、“よく組織化され、モチベーションも高く、訓練されたチーム”から“方向性もなければ戦術もない、単なるオールスターの寄せ集めチーム”にしてしまった。
その彼を監督として招こうとするチームがJリーグにあるか、私は甚だ疑問である。

日曜日に行なわれるハンガリーとの親善試合を目前に自身のアピールに余念のないジーコ監督だが、この試合結果は彼の将来になんら影響はないだろうと私は思う。
また来週のチェコとの試合、マンチェスターで行なわれる、アイスランド、イングランドとの試合もまた然りだ。
注目度も低く、選手交代も多いであろうこれらの試合で日本代表は1つや2つのチームには容易に引き分け、もしくは勝利できるだろう。

日本代表の次の重要な試合は、6月9日に日本で行なわれるワールドカップ予選、対インド戦である。そして彼らはまずその試合にも勝利できるだろう。
という事は、ジーコ監督の地位は7月17日から8月7日にかけて中国で開催されるアジアカップまでは安泰だという事である。

アジアカップは、ジーコ監督が長期政権を維持できるかどうかの運命の分かれ道だと私は確信している。
もし日本代表がこのグループで勝ち残れなかったら(オマーン、タイ、そしてイランは決して楽勝できる相手ではない)、日本サッカー協会はジーコ監督更迭に向けて動くと私は思う。
仮に日本代表がグループ上位2位に残ったところで、日本サッカー協会は準々決勝進出だけで満足するだろうか?
ジーコ監督が2006年ワールドカップを語るのは非常な自惚れであると思う。この夏、ジーコ監督は中国で重要なテストに直面する。アジアのライバル達にもっと敬意を払うべきであろう。

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高木義成、代表GKコーチにアピール

2004/04/22(木)

 土曜日、味の素スタジアムでのヴェルディ対サンフレッチェの試合。終わってみれば、「マン・オブ・ザ・マッチ」賞の候補は1人しかいなかった。
 ゴールキーパーの高木義成がその選手で、まったくミスのないプレーでゴールを守り抜き、チームの0−0のドローに貢献した。
 高木にしてみれば、賞をもらって喜んでいる場合ではなかった。フィールド・プレーヤーが待望久しい初勝利に貢献して「マン・オブ・ザ・マッチ」賞を獲得したほうが良かったのだろうが、その日のヴェルディは長いあいだ守備に専念しなければならなかった。
 というわけで、論理的には高木しか選択の余地はなかった。後半の高木はアクロバティックで俊敏なセーブを次々と披露し、サンフレッチェにつけ入る隙を与えなかったからだ。

 ローカールームでの高木は怒り心頭だったが、少しだけ慰めになるかもしれないこともあった。ジーコのチームのゴールキーパー・コーチであるカンタレリと、アシスタントを務めるジーコの実兄エドゥーが記者席で観戦していたのである。
 これからたくさんの試合が予定されているオリンピック代表は3つのオーバーエージ枠の1つをキーパーに振り分けることになるだろうし、日本代表も今後数ヶ月はオリンピック代表を見据えて編成を組まなければならない。高木のヒロイックな活躍はきっとカンタレリの目に止まったことだろう。

 高木はキーパーにしてはがっしりとした体格をしている。身長185cm、体重は86kg。年齢もキーパーとしてはまだ若いほうで、現在24歳。来月25歳になる。ヴェルディでのリーグ戦出場は53試合だ。

 ヴェルディ入団当初から高木の実力を認めていたのは、かつてのキャプテン、北沢豪である。
 2003年のシーズン開幕前、私はキーちゃんに、1993年のJリーグ発足から10年間のベスト・イレブンを選んでほしいと依頼した。
 ベスト・イレブンには外国人選手も3人まで入れていいことにした。
 キーちゃんが最初に選んだゴールキーパーの名前を聞いて、私は仰天した。高木だったのだ!
 ただし、キーちゃんはしばらく考えた後、高木のJリーグでの経歴は他の多くのキーパーに比べて短すぎると判断し、ゴールキーパーを川口にした。
 その時から、私は高木のプレーをじっくり見るように心がけてきた。そして、キーちゃんが高木を評価した理由がわかるようになった。

 ヴェルディのファンもよくわかっていて、サンフレッチェ戦の終了直後から「義成コール」が沸き起こった。
 高木と同じく、おそらくファンもフィールド・プレーヤーに「マン・オブ・ザ・マッチ」賞を受賞してもらいたかったのだろう、とは思うけれど。

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ジュビロ磐田:その表と裏

2004/04/18(日)

ジュビロ磐田に敬意を表する事はさして難しいことではない。
しかし好きになれるかというと、また別だ。
水曜の夜、我々は柏でジュビロのベストとワーストを見せられた。
前半、彼らは力強くかつ攻撃的なサッカーで早々に2得点をあげ、そのまま5・6点差をつけて勝つように見えた。
しかし後半、様相は一転した。

後半は反則すれすれのプレー、そして時間稼ぎなどのアンフェアなプレーが随所に見られ、58分にドゥドゥの退場でレイソルが10人になった後もそれが続いた。
私にはジュビロがなぜそんな不愉快な戦術をとるのか理解できなかった。彼らはそんな汚いやり方でなくてもスマートに勝てる力を持っているのだ。
いわゆる“ドゥンガ流プロ意識”というものなのであろう。

ジュビロの最初のゴールは素晴らしかった。
藤田は右ウィングの西にボールを出し、そのままニアポストへ走った。
しかし、西は彼を使わず、ファーポスト深くへクロスをあげ、グラウがヘッドで“デンジャーゾーン”へ落とした。
ベテラン中山はゴールポストのペンキの匂いが嗅げるくらいゴール近くにおり、ボールへ向かって飛び込み、ダイビングヘッドで得点を挙げた。
このゴールはジュビロ磐田のチームワークと相互理解、そして非情なまでの精度の表れである。
福西がやすやすとヘッドで2点目をあげた時点では、ジュビロは得点を挙げようと思えばいつでも挙げられるように見えた。
しかし、このチームは若いチームではない。きっと疲れたのであろう。そしてこれが戦術の変更につながった。次の試合へ向けて体力の温存をはかることにした。

理由はどうあれ、ジュビロ磐田の裏の一面を見せられるのは心底嫌だ。
選手達は怪我を装い、主審に対戦相手へのイエローカードを要求する。またゴールキック、フリーキック、コーナーキックでは時間稼ぎをする。ジュビロの選手達はこうした細かなトリックを知り尽くしている。そして主審に代わって試合をコントロールしようとするのだ。
だからこそ、中立の人々にとってジュビロは、彼らの成績には感心できても好きにはなれないのだ。

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頭角を現し始めた土屋

2004/04/15(木)

 土曜日に駒場スタジアムで行われたレッズ対ヴィッセルの試合にはジーコが観戦に来ていたが、おそらく代表チームの守備陣をチェックするためだったのだろう。
 ジーコのフォーバックのうち3人は、もちろん、山田暢久、坪井慶介、三都主アレサンドロという浦和の選手たちである。
 これらの選手がいるなか、その日の午後見た最高のディフェンダーは、明らかに…ヴィッセル神戸の土屋征夫であった。
 今シーズン、私がヴィッセルの試合を観戦したのは2度目で、0−0で引き分けた新潟の試合以来であった。
 私が見たいずれの試合でも、土屋は相手にとっても、味方にとっても驚異的な存在であった。

 土曜日の試合、土屋の立ち上がりは良くなかった。田中達也へのファウルに対して、PKという厳しい判定が下されたのである。三都主がPKを決め、ヴィッセルは開始2分にして追いかける立場となってしまった。
 ただし、それ以降、土屋のプレーは見違えるようであった。
 田中への2回のタックルは、これまで私がJリーグで見たなかでも最良の部類に入るもので、タイミングは完璧で、激しく、それでいてフェアであった。
 また、空中戦でも強さを発揮し、チームの精神的リーダーとなっていた。

 ヴィッセルの同点ゴールを決めたのも土屋で、左サイドからのコーナーキックのこぼれ球をゴール前で決めたものであった。ただし、その後に長谷部が浦和の勝ち越し点を決め、喜びは長くは続かなかった。長谷部のゴールも、今度は右サイドからであったが、コーナーキックがきっかけとなっていた。素晴らしいシュートで、ハーフボレーで蹴ったボールがネットの上部に突き刺さっていくようであった。

 ヴィッセルの敗戦は、現在29歳で、間違いなく選手生活のピークにある土屋には気の毒なものであった。
 私は、今月の末に東ヨーロッパで2試合を戦う日本代表の遠征に、ジーコが土屋を招集しないものかと思った。

 試合後、ヴィッセルの監督であるイワン・ハシェックにインタビューをした。
「土屋にはチームに残って欲しいね。」
ジーコが土屋を選ぶかもしれないと私が言うと、ハシェックはこう答えた。
「土屋はとても良い選手で、チームにとってとても重要な存在なんだ。」
「強靱な体とスピードを併せ持っているし、1対1の状況では抜群に強い。精神力もあるし、ゴールを決める能力もある。素晴らしい選手だよ。」

 ハシェックは選手個人について論評するのを好まないが、チームの副キャプテンである土屋については、いくら誉めても誉め足りないようであった。
 ジーコが土屋を見ていますように…。

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崇拝者の多いオシム監督

2004/04/12(月)

今週、日本代表監督のポジションを巡ってイビチャ・オシム監督の名前が取り沙汰された事については、別に驚きはなかった。
火曜日に日本のスポーツ紙で、ジェフ市原の監督イビチャ・オシムが低迷する日本代表ジーコ監督の後任候補最有力であると報じられた。
個人的には、日本サッカー協会(JFA)はそこまで先の事を考えていないであろうと思っている。
なにしろ、チームの状態はあまり良いものでないとしても、これまで2戦のワールドカップ予選で全勝しているのである。
先日、同業者が指摘していたように、サッカーにはフィギュアスケートとは違って芸術点というものは存在しない。純粋に勝利にのみポイントが与えられる。そして日本は両試合に勝利したのだ。

オシム監督に話しを戻そう。
彼はその記事について、信じられないことだと非常に怒っていたそうだ。
チームもJFAからの打診は一切なく、記事に関する情報はないと言った。
それでももし、ジーコ監督が退陣を決めるかJFAが彼を解任するとしたら、オシム監督は有力候補となるだろう。

経験も豊富で、実践的であり、選手にはまるで祖父と孫のように接する。厳格であると同時に選手の成長を何より楽しみ、タイミング良く選手を褒める。オシム監督がJリーグに与えた影響はとても大きい。
彼はスピード、フィットネス、テクニック、そしてチームワークといった日本人選手達の長所をすぐ理解した。
ジェフはよくまとまっており、リーグ戦とナビスコカップの3試合ではパスと機動力を活かし、対戦チームを撃破してきた。
ナビスコカップでの対エスパルス戦を観たが、清水の選手達は圧倒されていた。オシム監督の優秀な選手達がエスパルスを翻弄し、彼らは長い間ボールに触ることさえできなかった。

試合後、私はジーコ監督もジェフ市原を観戦することで多くのことが学べると感じた。まず、組織力、チームの規律、そして攻撃のリズム、さらにはチーム内の各選手達の役割についてなどである。
チームが一つのユニットとして動くさま、そしてポジションを外れた選手へのカバーリングなども見ることができる。
JFAにはオシム監督の崇拝者は多い。それは当然の事だ。コーチングを学んだ者なら、ジェフ市原を見ると感心させられる事ばかりだからだ。

しかしそうだとしても、今、日本代表監督の後任を語るのは早すぎると思う。
7〜8月に中国で開催されるアジアカップでこそ、ジーコ監督の未来は決まるであろう。
そして、おそらくオシム監督の未来も・・・。

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5児の父・エムボマから森本へのアドバイス

2004/04/08(木)

 東京ヴェルディ1969のメンバーとして、今シーズンのJリーグで衝撃的なデビューを果たして以来、15歳のストライカー、森本貴幸には「日本のロナウド」という呼び名がすっかり定着しているようだ。
 その坊主頭と骨太の長身、素早いステップを刻む走法により、森本はロナウドを若く、スリムにしたように見える。
 プレー・スタイルもちょっぴりロナウドに似ている。ただし、ロナウドならヴェルディでこれまで出場した3試合で5点か6点はとっているだろう。

 私が、プレーする森本をいわゆる「生」で初めて見たのは、土曜日、味の素スタジアムでのFC東京戦であった。
 ほとんどの人と同じように、私もすっかり気に入ってしまった。
 ロナウドのように強靱で、速い。ロナウドのように素早い足の動きで相手ディフェンスを簡単に抜き去ることができる。それに、ロナウドのようにゴールの位置を常に認識している。
 ただし、ロナウドと違って、森本のシュートはセーブされてしまった。もちろん、森本を批判しているわけではない。彼は恐ろしく高い可能性を秘めたティーンエイジャーである。ただ、「フェノメノ(怪物)」と呼ばれているロナウドの、その真に驚異的な才能も強調しておきたいのである。

 土曜日のゲームのあと、私は森本ではなく、森本のパートナーで、もっと経験豊かなストライカーである、33歳で5児の父、パトリック・エムボマとおしゃべりをした。
 森本が生まれた時、パトリックはすでに17歳であったが、アフリカや世界のサッカー界で敬愛される存在となっているにもかかわらず、今も遠い異国で現役を続けている。

「みんなと同じように、森本は良い選手だと思うけど、少しプレッシャーを感じているようにも見えるね。だって、みんなが彼のことを話しているんだもの」とエムボマ。
「彼には、今の状況には注意しろと言っているんだ。」
「デビューして間もない時期に良いプレーをすると、みんなが、最高だとか、素晴らしいとか言う。それで、いつも集中している状態になり、試合でも、練習でも一生懸命になり、毎日何かを学ぼうとする」

 森本は70分過ぎに交代し、ヴェルディは2−3で敗れたものの、このティーンエイジャーは試合終了後も注目の的であった。
 かつてのアフリカ最優秀選手であるエムボマは、味の素スタジアムのロビーの人込みの中でも常に目立つ存在である。

「森本には、新聞を読むなと言ってるんだ。新聞は、いつも厄介なものだからね」とエムボマは言う。
「良いプレーをして、みんなが誉めてくれるのなら、問題はない。しかし、その反対になれば、自分の心の中で疑問を抱くようになる。
「彼にとって大切なことは、周囲の雑音は忘れて、ピッチのなかで全力を出せるようにすることだけだよ」

 土曜日、ヒザの手術後を受けたエムボマは今シーズン初出場を果たし、週の終わりには奥さんが5番目の子供を出産した。女の子で、名前はケイナだそうだ。

「ヘブライ後で反逆者という意味だ。…日本には、反逆者はあまりいないからね」エムボマは、笑いながらそう説明した。

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藤田は日本代表にとっての模範

2004/04/05(月)

ジュビロ磐田を嫌う人もいれば、応援する人もいる。その中で、誰からも好かれる選手が一人いる。
水曜夜のシンガポールで日本を救った藤田俊哉、その人である。
熱帯気候の中、疲れを見せる日本代表を見てジーコ監督は67分に中村俊輔に代えて藤田をピッチに送り込んだ。
スコアは苦しい1−1のタイ、63分にホームチームが同点に追いついたところだった。
藤田が日本代表に活気を与えた。

もう一人途中から出場した鈴木隆行の右ウィングでの素晴らしいプレーから、70分に藤田がファーポストから左足で放ったシュートは横へそれてしまった。ここは得点を挙げておくべきであった。
日本代表は必死だった。引き分けなど屈辱以外の何物でもなかったし、ムシムシと蒸し暑い夜、盛大な歓声を送っているファンに対しても申し訳ない事だった。
82分、しかしここで藤田俊哉がやってくれた。中田の左コーナーキックをゴールキーパーが弾いたルーズボールをゴールネットに叩き込んだのである。
その直後のシーンは彼のゴールへの執念以上に私を感心させた。

彼はタッチラインへ走り、歓声を上げる日本のファンに向かってこぶしを宙へ突き上げて見せ、控え選手の腕の中に飛び込んだ。
こうでなくては!
これこそ32歳のベテラン藤田の情熱と誇りの表れである。ゴールは彼にとっても、またチームにとっても大きなものであったし、彼の行動がそれを示している。

試合後、私はジーコ監督に藤田の姿勢について尋ねた、しかし彼はカンカンに怒りながら答えた。
「こういうものをもっと他の選手にも期待していたんだ。ピッチ上にいなくてもね。チャンスがあるのだから、何ができるのか見せないと」とジーコ監督は語った。

中田の評価はさらにはっきりしたものだった。
彼は英語で、藤田の経験から他の選手はもっと学べるはずだと言った。
「僕にはこのチームから真の意気込みというものを感じられないのです。いつも親善試合を戦っているようで、真剣勝負に見えない。僕には理解できません。精神的な物だと思います」と中田は言った。

選手達への批判。そしてヨーロッパ組へ、代表の座が脅かされているとの警告。これこそまさにジーコ監督が答えなくてはならない事だ。
同時にコーチたちも、シンガポールに日本への勝利をチラッとでも思わせるような試合中の選手達の怠慢なプレー、不用意なプレーに対して大声で注意を与えるべきであった。

ジュビロファン達が藤田俊哉を敬愛するはずだ。

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シンガポールのサムライとシャワーと石鹸と

2004/04/01(木)

 シンガポールには、有力な新聞が2紙ある。
 朝刊といえば、きわめて健全な記事が載っている「ストレイト・タイムズ」。夕刊といえば「ニュー・ペーパー」で、こちらはセックスやスキャンダルがお好きなようだ。

 そうそう、それからサッカーも。

 月曜日、タブロイド判の「ニュー・ペーパー」にはスポーツ欄が18ページあった。
 そのうち11ページはイングランドのプレミアリーグに関するもので、8ページが、ハイバリーで行なわれたアーセナル対マンチェスター・ユナイテッド戦のレポート、分析、写真、図表に割かれていた。
 素晴らしい・・・1つの試合に8ページとは!
 プレミアリーグにはさらに3ページが割り振られていて、ボルトン・ワンダラーズがニューカッスル・ユナイテッド相手に幸運にも1−0で勝利した、信じられないような試合が1ページ丸々使って報じられていた(あ〜あ。ニューカッスルのファンとしてはこう書いているだけでも辛い。個人的には、1ページではなく、1行で充分だよ!)。
 サッカーの記事はさらに5ページあった(イタリア、スコットランド、シンガポールの記事が1ページずつ、それからベッカム/スペインの記事が2ページ)。
 つまり、18ページのスポーツ欄のうち16ページがサッカーの記事であった。また、残りの2ページは競馬の記事であった。

 水曜日の日本対シンガポールのワールドカップ予選が採り上げられていたのは、地元テレビ局の1ページ全面広告だけ。広告には、「ライオン対サムライ」と書かれていた。
 シンガポールの記者に、ライオンがサムライに襲いかかり番狂わせを起こす可能性があるどうかを、訊ねた。
 「ノー・チャンス・ラー」とシンガポールの記者は答えた(シンガポールの人は、いつもセンテンスの最後に「ラー」を付ける)。
 「刀を二振りして、サムライが勝つよ(サムライ・ウィル・ウィン・ラー)」

 月曜日の朝、私は試合会場である、ジャランベサル・スタジアムを訪れた。収容人員はわずか6000人。
 他のイベントと重なったため、5万5000人の収容能力がある国立競技場が使用できず、その結果、インターネットでチケット争奪戦が繰り広げられた。
 このスタジアムにはメインスタンドとバックスタンドしかなく、両方のゴールの後ろは壁である。
 砂の多いピッチに立つ一方の壁の後ろにはジャランベサル複合水泳施設があり、水曜の夜にスイミングを楽しむ地元の方はシュートミスのボールが飛んでくるのに注意しなければならない。
 壁のちょうど真後ろはスイミングプールに付設のシャワー室で、地元のリーグのゴールキーパーが強烈な石鹸の匂いに思いをかき乱される場所として有名である。
 あるいは、ひょっとして、シャワー室の泡が壁を越えて漂ってきて、キーパーの鼻先で弾けるというようなことはないのだろうか?

 日本は3点差か4点差で勝たなければならないが、楢崎の目に大きな石鹸の泡が入って、ロングシュートを許してしまっても、驚いてはいけない。
 つまり、これはワールドカップの予選であり、何が起っても不思議ではない。
 たとえサムライであっても。

*このコラム(原文)は3月30日に書かれたものです

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トレーニングキャンプで光る玉田

2004/03/28(日)

かの不名誉な“カシマキャバクラ”の一件の後出てきたポジティブな話の一つは、ジーコ監督が柏レイソルのフォワード、玉田圭司を代表候補に上げたことだ。
久保、大久保抜きでは、ジーコ監督は本山雅志と並ぶもう一人のJリーグのフォワードを探すしかなかった。他の3人のフォワード、柳沢、鈴木、そして高原はすべてヨーロッパ組である。
ジーコ監督による玉田の召集は良い選択である。
レイソルのサポーター達にもすぐわかったように、玉田は主に左足を使う選手である。彼のファーストタッチは素晴らしく、天賦の才に恵まれ、バランスの良いランナーでもある。
簡単に言えば、何をやっても素晴らしい選手に見える。

今週、成田市の練習グラウンドで、私は宮本恒靖と玉田について話した。
ツネはトレーニングキャンプに来るまで、玉田は左足しか使えないと思っていたと言った。
「彼と対する時は彼の左足にプレッシャーをかけなければならない。しかし、彼は右足もかなりうまくなってきていますよ」
「可能性はかなり高いと思います」
玉田は自身でゴールを狙うこともできるし、また、周りの選手をうまく使うこともできるとツネは言った。
「彼はエゴイストじゃないんです」ツネは言った。
「気迫もあり、良いシュートに良いクロスを持っています」

現在、玉田は代表候補23人の中に入っている。水曜夜、シンガポールでの試合までに、その人数は18人に減らされる。玉田は残る事ができるだろうか?
ジーコ監督がヨーロッパからわざわざ呼び戻したフォワード達を選ばないことはないであろうから、玉田は本山と4つ目のフォワードの座を争うことになるだろう。
仮に玉田が代表メンバーに残れなかったとしても、既に自身の存在を充分アピールした彼が、その事について落ち込むことはないだろうと私は思う。
彼はまだ23歳だ(4月11日に24歳の誕生日を迎える)。そして日本代表は2回のヨーロッパ遠征を控えて忙しい1年を迎える。
遅かれ早かれ、玉田にチャンスは訪れる。

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優先選択権は山本にあり

2004/03/25(木)

 日本のアテネオリンピック出場がようやく決まり、日本サッカー協会(JFA)もそろそろ選手選考方針について本格的な議論を進めなければならない時期に来た。
 オリンピックのサッカー競技は8月11日、アテネでの開会式の2日前に開始される。
 そのわずか4日前の8月7日には、アジアカップの決勝戦が北京で開催される。 日本は、フィリップ・トルシエ指揮の下、レバノンで4年前に奪取した王座を防衛する立場にあり、言うまでもなく、JAFは決勝まで進むものとして計画を立てておかなければならない。

 ジーコは、中国に遠征する代表チームに大久保や石川、茂庭、闘莉王、田中、その他の選手たちを選ぶのだろうか?
 山本昌邦は、アテネに行く23歳以下代表に加えることのできる、3つのオーバーエイジ枠に誰を選ぶのだろうか?
 これらの問題は、日本代表がシンガポールから帰国すれば、ジーコと山本、それからJFAの田嶋幸三協会技術委員長の間で議論されるべきことである。
 ただし、次のような方式なら、みんなが満足するかもしれない。

1)オリンピックの参加年齢制限を満たしているあらゆる選手に関しては、山本に選択権があるものとする。
 突き詰めれば、高原、柳沢、鈴木、久保、本山がいるのに、なぜジーコに大久保が必要なのか? 中澤、坪井、宮本がいるのに、なぜジーコに茂庭が必要なのか?

2)オリンピック参加年齢制限を満たしていないあらゆる選手に関しては、ジーコに選択権があるものとする。
 つまり、ジーコは海外組全員を招集し、数多くいるJリーグの選手を選ばないこともできる。オリンピック参加資格がある選手を選んで、ずっとベンチに置いておく必要もないのである。

3)山本は、ジーコにとって必要不可欠でない選手であれば、24歳以上であっても選ぶことができるものとする。
 たとえば、楢崎がトップのゴールキーパーであれば、曽ケ端か土肥の2人のうちどちらかを選び、選ばれた方がアジアカップではバックアップのゴールキーパーとなる。

 この戦略は、ほとんどの国では、おかしなものに思えるだろう。代表チームがオリンピック代表に優先するのが当たり前だからだ。
 しかし、日本ではオリンピックは特別なものであり、オリンピックのサッカー競技は、実際、他のどの国よりも高い注目を集めている。
 バーレーン、レバノン、UAEと日本で戦った先日の最終予選でも、埼玉スタジアムと国立競技場には合計16万人もの観客が押し寄せた。
 世界のどの国でも、オリンピックの予選がこんなに大勢の観客を集めることはないだろう。

 アジアカップとオリンピックの両方に出場するのは、明らかに無理である。両方の代表監督が事前に合宿を行うし、調整試合もあるからだ。
 しかし、山本には、大久保、茂庭、石川らを含め、23歳以下のレベルでは最高の選手を選ぶ権利がある。
 もし大久保に、異常な暑さゆえに「火炉」と呼ばれる重慶でのアジアカップを戦うか、アテネのオリンピックに行くか、どちらを選ぶかと訊ねれば、大久保はきっとオリンピックを選ぶだろう。

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波乱万丈の金曜日

2004/03/22(月)

金曜日は気分的に波乱万丈の1日となった。
金曜の朝、私は元気いっぱいで、駅へと向かう足取りも軽く、「オークボヨシト、ナナナナナ」と口ずさんでいた。
これはもちろん、前夜の対UAE戦に3−0で勝利し、オリンピックの出場権を得たからだ。
国立競技場で山本監督率いる若獅子達が城門を突破し、長い戦いの末にようやくアテネに入る事ができた素晴らしい、そして誇るべき一夜であった。

その夜の3得点中、2点を挙げた大久保はもちろんその中心で、UAEでの最初の3戦とは違った側面を日本にもたらした。
山本監督がアブダビに大久保を連れて行かないのは間違いなのではないかと、特に初戦の対バーレーン戦を0−0で引き分けた直後に思った。
しかし、本当に必要な場面までエースを温存し完璧な大当たりを引き当てたトランプの達人のように、監督は抜け目の無さと計算された戦術眼を証明してみせた。

しかし、それも木曜夜、そして金曜朝までであった。
金曜の午後はまったく違った展開になっていた。
3月31日にシンガポールで行われる代表戦のメンバー発表会見の場で、ジーコ監督はいつもに増して堅苦しい雰囲気であった。
いわゆる“キャバクラ・セブン”達は、前述の大久保嘉人を含め、対オマーン戦でのジーコ監督の救世主・久保、さらにはジーコ監督のお気に入りの小笠原でさえも全員処罰を逃れられなかった。
実際には7人でなく8人であるが、早々に自身の間違いに気づき、わずか数分でバーを出てホテルへ帰った山田暢久もまた処罰された。

スポットライトを浴びることを好み、自身のサッカー哲学等をノンストップでしゃべり続けたトルシエ監督と違って、ジーコ監督は会見の場では常に真面目である。
選手から裏切られ再び彼らを信頼できるかわからないと言う、今回のジーコ監督の気持ちは理解できる。
噂によると、選手達が外出禁止令を破った理由の一つは、いくらJリーグの選手達の出来が良くてもヨーロッパ組を優先するというジーコ監督の代表選抜方針にうんざりしていたことだという。
これが事実かどうかはわからない。しかし明らかにジーコのチームには問題がある。

ジーコ監督率いる日本代表の方向性を巡った疑問や不確実性が再び取り沙汰され、出場権を得たオリンピック代表から輝きを奪った。
日本のサッカー界に再び笑みを取り戻した山本監督率いる若獅子達にとっても非常に残念なことである。

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サッカーを愚弄したバーレーンの戦術

2004/03/18(木)

 およそ2年間にもおよぶ苦しい歳月の成果が、木曜日の夜、90分に凝縮されて示される。その日、日本はオリンピック最終予選グループBの最終戦を戦う。
 正直言って、アブダビでの3試合を勝点7で終えたとき私は、日本の本大会出場はもう決まったも同然で、その後も日本は充分な勝点を挙げ、木曜日のUAEとの最後の試合は「壮行パーティー」になるだろうと考えていた。

 しかし、最近の結果が示すように、サッカーでは予測や予想は不可能である。
 土曜日に埼玉スタジアムで日本がバーレーンに0−1で敗れたために、ライバルたちは新たな希望を抱き、日本は首位の座を維持するために、国立競技場でUAEに勝利しなければならない状況となった。
 しかも、西が丘でバーレーンがレバノンに大差で勝った場合には、僅差の勝利では不十分かもしれない。2つの試合は同時刻にキックオフされるので、どのチームもライバルのスコアを知ってからプレーすることはできない。

 その一方、日本は引き分けでもアテネに行けるかもしれないし、負けても予選を突破できるかもしれないのだ!
 何が起るかはわからない。
 現在も、主導権を握っているのは日本である。日本の得失点差はプラス6で、バーレーンの得失点差はプラス2であるからだ。勝点は両チームとも5試合を終え10となっている。また、UAEは、両チームとは3ポイント差の勝点7で3位に位置し、自分たちが日本に勝ち、バーレーンがレバノンに敗れれば出場権を獲得するチャンスが生まれる。

 スポーツ精神およびフェアプレーの観点から、私は日本が出場権を獲得して欲しいと心から思う。
 軽い接触があると負傷したふりをして倒れたままでいる、バーレーンのやり口は、最近の風潮がどうであれ、サッカーだけでなく「オリンピック精神」をも愚弄するものである。
 埼玉スタジアムの日本のファンもすぐに事情を察し、バーレーンの選手に精一杯のヤジで対応していた。
 土曜日の試合、ありもしないケガでピッチの外に出される前にゴールキーパーがボールをピッチ外に蹴り出したとき、日本の選手がバーレーンにボールを返さなかったのにも、多いに感心させられた。
 バーレーンの選手のような振る舞いは見苦しいものであり、サッカーのためにも、テレビを見ている何百万の若者のためにもならない。

 かつてエスパルスとレイソルで監督を務めたスティーブ・ペリマンはこの戦術が嫌いで、この戦術を行っている選手とそのコーチは、「自分たちにはフェアな試合をして勝つ能力がないと自覚しているのを露呈しているだけである」といつも言っていたものだ。
 私はペリマンには100パーセント同意する。そして、木曜日の夜にはレフェリーもそうであって欲しいと思う。
 日本にとってはタフな試合となるだろうし、選手たちは最大限に集中し、ゴールチャンスをものにしなければならない。
 日本はアブダビでUAEを2−0で破っているものの、今度はたとえ勝つとしても、私には2点差以上の勝利は考えられない。
 サッカーのためにも、そうなって欲しいとは思っている。

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有力チームが警戒する浦和レッズ

2004/03/15(月)

 ここ数週間、私は何人かの選手や監督に、今シーズンのJリーグ優勝争いの強敵となるのはどのチームだと思うか、と質問してきた。
 誰もが、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズが強そうだと答えた。
 これでは面白くも何ともない。
 ただし、全員がもう1つ別のチームも加えていた。浦和レッズである。
 クラブ関係者の間では、今年はついに浦和に順番が回ってきて、ファンは待ち望んでいたトロフィーを手にしそうだという雰囲気があるようだ。
 この冬もたくさんのお金が遣われたが、そのなかでも浦和は三都主アレサンドロの獲得に成功した。
 また、中盤の中央を酒井友之で補強したほか、バックには注目の闘莉王が入り、さらに首脳陣も一新してギド・ブッフバルトとゲルト・エンゲルスというドイツ人コンビになった。

 ブッフバルトは、ご存知のように1994年から1997年までレッズファンのヒーローとして君臨し、引退試合のあとは白馬に跨がって駒場のファンに別れを告げたこともある。
 アシスタント役のエンゲルスは、フリューゲルス、ジェフ、京都で経験を積んでおり、外国人のコーチとしてはもっとも日本サッカーに詳しい人物である。
 前線にエメルソンがいて、都築、山田、坪井、三都主という4人の日本代表と、闘莉王、鈴木、山瀬、田中という4人のオリンピック代表…まさしく、今シーズン優勝してもおかしくないほどの充実ぶりである。
 ブッフバルトは日本に戻ってきて、初めて監督の役目を引き受けることを嬉しく思っているにちがいない。

「とても嬉しく思っているよ。ここは僕の第2の故郷だからね」先日、ブッフバルトはこう語った。
「シュツットガルトでも、懐かしく思えるときがあったよ。
「浦和から監督就任の要請があったときはビックリしたし、とても嬉しかった。今はワクワクしていて、早くシーズンが始まって欲しいと思っている。」

 土曜日のマリノス・レッズ戦がシーズン序盤の大一番であることは間違いなく、およそ5万1,000枚のチケットが金曜日のお昼までに売れた。
 ブッフバルトは、自分がプレーしていた時代と比較して選手の質がずっと高くなっていると口にする。これは、昔のチームメートを批判しているのではなく、日本のサッカー界全体の急速な進歩に対するコメントにすぎない。
「僕の意見では、Jリーグの全チームが良くなり、強くなりつつある。レベルが上がったんだね」とブッフバルト。

 浦和および他の数チームが直面している問題は、代表チームの試合で中心選手が不在のときを乗り越えることができるかどうかである。
 この問題は、多忙なシーズンに大きな影響を及ぼすのだろう。

*このコラム(原文)は3月12日に書かれたものです

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青木の落選が証明する、日本代表の進化

2004/03/11(木)

 オリンピック日本代表の監督である山本昌邦は、来週日本で行われるアテネ五輪最終予選第2ラウンドに備え、2組の選手を入れ替えた。
 阿部勇樹が青木剛に代わり、攻撃陣では大久保嘉人が坂田大輔に代わって招集された。
 阿部と大久保が招集されたのはさほど意外ではなかった。もともと山本監督は、アブダビに遠征する代表メンバーを発表した席でも、選手入れ替えの可能性を示唆していたからだ。
 大久保と坂田の交代も、最初の3戦で活躍した田中、高松、平山を外すわけにもいかないため、予想できた。

 しかし、私にとって、このチームが昨年からどれほど進歩してきたかを理解するヒントとなったのは、青木のポジションがないという点であった。
 長い間、青木はこのチームに不可欠な存在であった。
 鹿島アントラーズ所属のこのミッドフィルダーは23歳以下代表ではリベロとしてプレーしていたが、このポジションを任せられたおかげでエレガントで、自然なボール扱いをあますことなく披露することができた。肉体的な強さとパワーも持ちあわせている青木は、このままさらに成長し、完璧な選手にもなりえるだろう。青木には、まだまだ成長の余地があるのである。
 しかし、現時点では、山本監督は青木を必要としていない。
 いま、山本監督には瞬く間にチームの精神的支柱となった闘莉王がいるからだ。闘莉王はその個性と気迫でチームを率い、自然にリーダー的な存在となった。
 日本の攻撃がうまくいっていない時、闘莉王は自ら攻め上がって状況を打開しようとするが、その場合には自身の抜けたスペースを今野にカバーしてもらうようにしているようだ。

 また、山本監督は阿部も招集した。ジェフユナイテッド所属のこの選手は、手術が必要であった、12月の足のケガからの復帰である。
 ジェフの監督であるイビチャ・オシムは、今シーズンのJリーグでは阿部をリベロとして起用する方針だが、山本監督のチームでは阿部はミッドフィルダーとなっている。
 山本監督が中央のミッドフィルダーである、鈴木と今野のいずれかを代えるとは私には思えない。ただし、今野には、相手選手のユニフォームを引っ張るのは止めて欲しい。アブダビでも、不必要な場面でこれをやっているのを何度か見た。
 もっとも、阿部には、第2ラウンドのなかで、バックか中央のミッドフィルダーのいずれかでプレーするチャンスが与えられるだろう。
 青木にはチャンスが与えられない。そして、この事実が、SARS渦によって最終予選ラウンドの実施が大幅に遅れていた間にオリンピック日本代表がどれほど進歩したかを、如実に示しているのである。

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ノーモア 平山!

2004/03/08(月)

アブダビでプレーしていたのはオリンピック日本代表チームだったのか、それとも平山相太、一人だったのか?
今週、私は日本代表の対バーレーン、対レバノン、そして対UAEの3試合を見ていぶかしく思った。
初戦で特に追うものがない時、例えばキックオフ前やファウル等で試合の進行が止まった時など、テレビカメラが追っているのは常に平山だという事にすぐ気がついた。
私にはカメラが日本の若干18歳のセンターフォワードを追い続ける事が理解できなかった。

試合はご存知のように0−0で終わり、翌朝、私は横浜に向かう電車の中で、ある男性が読んでいるスポーツ紙に大きな文字で「平山ノーゴール」と書かれているのに気がついた。
私は憤りを感じ始めていた。
私の隣には年配の女性が座り、娘さん、もしくは義理の娘さんと話をしていた。その年配の女性はバーレーンとの0−0の引き分けに終わった試合の事を話題にし、「平山君は点を取れなかったね」と話していた。
このように、年配の世代の人たちがサッカーに興味を持ってくれるのは、たとえ平山の事だけだったとしても良い事だと思う。

第2戦のレバノン戦では、“平山コンプレックス”に襲われた私はテレビのスイッチを切ろうかとさえ思った。
この日の田中は素晴らしかった。平山がヘッドで落としたボールを巧みなヘディングで先制ゴールを決め、キャプテンの鈴木啓太が挙げた2点目をお膳立てし、それからさらに、右サイドから左サイドへのクロスパスで高松の3点目をアシストした。石川の左足から繰り出された4点目は豪快そのものだった。
それにもかかわらず、テレビ局の人々はベンチに下がった平山の方が気になっていたらしい。

そして金曜日、昨夜も平山は途中交代させられた。高松と田中のゴールが日本に記念すべき勝利をもたらした後半は素晴らしかった。山本監督の目にも涙が光り、それは感動の瞬間だった。
テレビでは平山のインタビューの時間はなかった。田中、高松そして鈴木といった、限られた選手たちのインタビューのみであった。

もし、トルシエがまだ監督であったなら、この“平山ブーム”に激怒したにちがいない。そして多分彼をこの連戦から外していただろう。
もちろん平山には何の落ち度もない。しかしメディアのこの扱いはチーム環境に不均衡をもたらすのだ。
若い人材にたいするこのようなメディアの扱いは彼を迷わせるだけなのだ。そう、あのトルシエ時代の小野伸二のように。
サッカーはチームスポーツだ。そして平山はそのチームメンバーの一人に過ぎない。
彼の受けた扱いは彼自身にとっても、そしてまた、何よりもっと敬意と評価を受けて良いはずの彼のチームメートにとってもアンフェアである。

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柏レイソル、満開近し

2004/03/04(木)

 『ちばぎんカップ』は、日本でもっとも注目度の高いプレシーズンマッチの1つとなった。
 10回目を迎えた柏レイソル対ジェフユナイテッド市原の千葉ダービーは、日曜日の午後、日立柏サッカー場で行われ、ホームの柏が3−0で完勝した。その結果、大会の通算成績は柏レイソルの8勝2敗となった。

 レイソルのプレーは、とても印象的だった。好調そうで、やる気に満ちていて、何人かの若い選手は自分のスタイルを確立しつつあり、順調に成長して素質の開花も間近であると感じられた。
 そうした若手選手の代表は、ともに20歳である、バックラインの永田と近藤、そしてベテランの下平と並んで中盤の中央でプレーした19歳の大谷であった。
 また、ともに19歳である、ストライカーの矢野とミッドフィルダーの谷澤、21歳のディフェンダー中澤も、途中出場を果たした。
 レイソルのプレーには、最近の数シーズンにはなかった活気と自信が見られ、ジェフのプレーが緩慢で、混乱しているように見えるほどであった。

 コンディションは厳しいもので、ピッチは硬く、風が渦巻いていたが、ジェフの攻撃にはあまり見るべきものはなかった。
 韓国の鷲、崔龍洙(チェ・ヨンス)が抜けたため、攻撃の基点ができず、空中戦でも怖さがない。クレバーで、経験も豊富なマルキーニョスといえども、ジェフのシステムに順応できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうである。

 レイソルの新監督である池谷は、この試合への準備がよくできていた。
 池谷は、明神を中盤の右サイド、当たりが強くて、信頼のおける渡辺(毅)の前に置き、ジェフにとってきわめて重要な、左サイドでの村井の突破を防ごうとした。
 この戦術は期待通りの効果を発揮し、村井は試合のほとんどの時間で力を出せず、79分で交代してしまった。あまりにも簡単に奪われすぎたし、サイドで魔法をかけるためのスペースをまったく見つけることができなかったのである。まだ、調整は十分とは言えず、今後数週間で村井の仕上がり具合も大幅に良化することだろう。

 一方のレイソルは、今すぐシーズンが開幕してもよいというような仕上がり具合であった。前線では山下が新たな発見であり、彼と玉田―天性の非凡な才能がはっきり見てとれる左利きのストライカー―とのコンビネーションは、今シーズン日本中のディフェンダーをきりきり舞いさせることだろう。
 楽しみな大会にジェフのファンも大挙駆けつけており、一方のゴールの後ろには、レイソルカラーの黄色と黒のイエローモンキーが控えており、もう一方の側には明るい黄色と緑、赤のアウェーのサポーターが控えているという図式であった。
 しかし、『第10回ちばぎんカップ』を良き思い出とするのは、レイソル・ファンだけなのだろう。

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アテネ五輪世代は日本の「失われた世代」なのか?

2004/03/01(月)

 オリンピック日本代表候補の選手達は、来週のアラブ首長国連邦(UAE)での最終予選こそ彼らの実力を立証するポイントだと感じている。
 しかしそれは、バーレーン、レバノン、そしてUAEといったグループBのライバル達に対してではない。
 そうだ、それは日本にいる人たちに対してなのだ。

 FC東京のウィング石川直宏も認めるように、選手達は自身が強烈な先輩と後輩にはさまれた日本の「失われた世代」と呼ばれている事を知っている。
「僕は注目されない世代の選手だということには慣れています」と、小平の練習グランドでのインタビューで石川はそう答えた。
「でも、それが僕たちを強くしている部分もある。僕たちは必ず結果を出せると信じているし、その自信もある」
「他の人たちが何を言うか気にするよりも、それを僕たちはバネにして証明してみせることができる」
 これらは常にポジティブで正直な石川らしいコメントである。石川が3大会連続のオリンピック出場に挑む日本代表の要になることは間違いないであろう。

 山本昌邦監督率いる若い選手達にとってやりにくいのは、彼らの先輩たちが凄すぎたということであろう。
 4年前にシドニーへ行った中田英寿、中田浩二、稲本、中村、高原、柳沢、中澤、松田、宮本・・・スペースの都合上ここで書ききれない選手達には申し訳ないが、この顔ぶれを見ると良い。

 2月のオリンピック代表チームの3試合を経て、二人の選手に注目が集まっている。国見高校の18歳のストライカー平山相太とブラジルから帰化したDF田中 マルクス 闘莉王である。
 そのことからも、山本監督のチームに2000年のトルシエ監督のチームのようなスター性がないということが容易にわかる。
 ただし、トルシエ監督自身も常に指摘していたように、良いチームを作るには単に才能ある個人を集めるよりも他に、たくさんの方法がある。
 組織力があり、気迫があり、モチベーションも高く、戦術を理解し、そしてあらゆるポジションにおいて層が厚い、これが山本監督のチームを強く見せている。
 彼らに不信を抱く人たちにこれらを証明してみせる事によって、アテネへの切符を手にし、そして彼らが敬意と評価を得るに値するという事を示せるのだ。

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いまだ実行が疑われる、FIFAの計画

2004/02/26(木)

 横浜F・マリノスは、アジア・サッカー連盟(AFC)のチャンピオンズリーグ制覇に向けて順調にスタートした。
 2週間前にベトナムでビンディンを3−0で破ったあと、若い選手で構成された岡田武史のチームが、グループGの2戦目である、火曜日の夜の三ツ沢でのペルシク・ケディリ戦に4−0で快勝した。 マリノス・チームは、昨年Jリーグの王者となったチームとはまったく別のチームのようであった。というのも、年長の選手たちのほとんどが、A3・NISSANチャンピオンズカップのため上海にいるからだ。

 両チームの選手たちがピッチに向かう前、私はロビーをうろつき、選手たちのムード、モチベーションをすぐ近くから観察した。
 最初、私はマリノスの選手たちをボール・ボーイだと思っていた。FIFAのフェアプレー・フラッグを持って行進するのを待っているのだと。
 だが、そうではなかった。彼らがマリノス・チームだったのである。インドネシアから来た相手チームは、間違った大会に来てしまい、ユース大会でプレーするのかと思ったに違いない。

 寒い夜であったが、3,500人以上のファンが観戦していた。しかも、ファンの多くはキックオフの2時間ほど前から整然と列を作っていた。
 日本のファンの規律正しさと忍耐強さには、私はいつも感動する。なぜなら、イングランドでは、誰もがキックオフの10分前までパブにいて、それからスタジアムに向かって猛烈な勢いでダッシュするのである。その際、もっとも大切なことはまずトイレを見つけること。さらに、キックオフまでに用をすませ、ハーフタイムまでに2度目のトイレ訪問の必要がないように祈ることである。
 この戦術の唯一の問題点は、たとえば2万人いるスタジアムでは、1万9,000人が同じことを考えている点にある。その結果、苦肉の策が必要になることもしばしばある。苦肉の策がどのようなものであるかについては、敢えてここでは言及せず、みなさんの想像力に委ねることにしよう。

 健全な話題に戻り、緑に囲まれた三ツ沢の話しをしよう。
 岡チャンの望みは、AFCチャンピオンズリーグ制覇である。そうなれば、FIFAが2005年12月に日本での開催を検討している世界クラブ選手権に、マリノスはアジア代表として出場することができる。
 しかし、クアラルンプールのAFCの声明によれば、2004年あるいは2005年のAFCチャンピオンズリーグ優勝チームがアジア代表となり、ヨーロッパや南米、アフリカ、CONCACAF (北中米カリブ海サッカー連盟)、オセアニアの代表チームと戦うかどうかは未定であるらしい。
 この声明が意味するのは、ホスト国のクラブが予定されている参加6クラブに入らないというような事態もありえるし、そうなればファンの関心が大きく落ち込むということである。
 ともかく、マリノスとジュビロにはなんとかして今年のAFCチャンピオンズリーグに優勝してもらい、レアル・マドリードあるいはマンチェスター・ユナイテッドとのゲームを実現させて欲しいものである。

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岡田監督からジーコ監督への賢明な助言

2004/02/23(月)

不甲斐ない出来だった対オマーン戦の翌朝、私は電車で東戸塚へ行き、横浜F・マリノスの練習グランドへタクシーを飛ばした。
間近に迫った上海でのA3 NISSANチャンピオンズカップについての取材の他、前夜の試合について岡ちゃんに聞くことも私の目的だった。

オマーン戦は、個人的には最悪だったと思っている。
選手達は何をすべきなのかさえ全くわかっていないように見えた。パスはあらぬ方向へ飛び交い、ミスだらけの時間が過ぎていくとともに、選手達から自信が消えて行く。そして何よりも最悪だったのはオマーンに、もしかしたら勝てるかもしれないと思わせてしまった事だ。

とにかく、岡ちゃんはもちろんそれほど批判的でもなかったが、日本代表を唯一予選からワールドカップへと導いた彼の意見には重みがある。
岡ちゃんの主要な論点はこうだ。

ジーコ監督には二つの選択肢があった。体調も万全で出番をウズウズしながら待っているJリーグのチームからの選手達を選ぶ事、もしくはヨーロッパから彼が呼び戻した選手達(その中の何人かはシーズンのほとんどをベンチで過ごしたり、故障していたりだが)を使う事だ。
明らかにジーコ監督は後者を選んだ。だから俊輔、イナ、そして“アツシ・ゴール”を選んだ。

イナはプレーしていたのかな?私には彼が見えなかった。
長い故障欠場の後、レッジーナから戻ってきたばかりの俊輔がなぜ90分もプレーしたのだろうか?
ヤナギは? まあ、彼は最近の対チュニジア戦、対ルーマニア戦、そして対イラク戦で得点をあげているのでよしとしよう。

岡田監督は小笠原の投入がチームにまとまりをもたらし、久保は体調が万全だったと語った。
久保はもちろん、彼のロスタイムでの冷静なゴールでチームを救い、そして多分ジーコ監督のクビを救った。

岡ちゃんの意見をジーコ監督は心して聞くべきだ。ジーコが監督になった当初から私はよく言ってきたが、ジーコ監督はお互いにうまく合わせてやってくれるだろうという希望のみで、いわゆるオールスターチームを選んでいるにすぎない。
そしてそれは機能していない。

日本サッカー協会が、再び沈みつつある「日本丸」を救うには岡田監督の必要性を心しておくことだ。

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疑問に思う大久保の処遇

2004/02/19(木)

 大久保嘉人は、なぜなのだろうと悩んでいることだろう。
 先週の木曜日、ジーコ・ジャパンとイラクとの試合で交代選手としてわずかな時間プレーしたあと、大久保は水曜日に行われる、オマーンとのワールドカップ予選の代表メンバーには選ばれなかった。
 4日後、意外なことに大久保は、3月1日から5日までUAEでオリンピック最終予選の第1ラウンドを戦う、山本昌邦のU−23代表からも外された。
 昨年末、嘉人は注目の的であった。
 そして不意に、誰にも声をかけられなくなった。

 月曜日のオリンピック代表の記者会見で山本は、日本ラウンド(3月14日〜18日)では大久保を招集することを考えていると述べた。山本はさらに、大久保には休養が必要で、チームに招集した4人のストライカーの調子には満足している、と語った。
 それでも、私には、大久保の処遇は疑問である。
 大久保は、ジーコの代表チームに招集されていたため、イランとロシアを相手にしたオリンピック代表の2つの親善試合には出場できなかった。鹿島でのマレーシア戦では出場停止処分となっていたのに、である。
 次のイラク戦、イタリアから帰ってきた柳沢がいきなり先発で起用されたため、大久保はベンチであった。

 私はこれまでずっと、大久保―それから同じ理由で茂庭と石川―は、オリンピック代表に加わり、田中や新顔の平山と一緒に練習したり、山瀬、松井、前田といったアタッキング・ミッドフィールダーとの連携を磨いたりしたほうが良いと思っていた。
 今年の大久保は忙しくなりそうだというのは本当であるが、アテネへの出場権を獲得できなければ休養させた意味がなくなってしまう。
 そういう理由で、私には、大久保がUAE遠征メンバーから外されたのは驚きである。

 端的に言えば、大久保は試合を決める選手である。爆発力があり、ただ一途にゴールを狙う選手である。
 平山が参加した今でも、私は田中と大久保のコンビはダイナマイトのように危険であると考えている。2人のスピード、積極的なランニング、底知れぬスタミナは、相手ディフェンスを疲労困憊させることだろう
 今となっては、大久保の登場は日本ラウンドまで待たなければならない。
 その時には、再登場する大久保に過剰なプレッシャーがかからないようになっていることを望む。
 さらに言えば、大久保の再登場が遅すぎたというような状況になっていないことを本当に望む。

*このコラム(原文)は2月17日に書かれたものです

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日本のリゴベール・ソング、闘莉王

2004/02/16(月)

 結局ジーコがオリンピック代表から自身の代表チームに選んだのは、FC東京のディフェンダー茂庭照幸ただ一人であった。
 2月に行われた、A代表とオリンピック代表の合計4試合を見て、私には少なくとももう一人、どうしても23歳以下代表から選んで欲しい選手がいた。
 ただし、山本昌邦よりもジーコと練習していたほうが多かった、大久保嘉人や石川直宏のことを言っているのではない。
 私が言っているのは、23歳以下イラン代表戦とロシア代表戦の2試合で印象に残るプレーを見せた、ブラジルからの帰化選手、田中マルクス闘莉王である。
 闘莉王のエネルギーと気迫には本当に感心させられた。
 ロシアと1−1で引き分けた後に山本が言ったように、闘莉王はまだ完成した選手ではないが、プレーぶりは魅力に溢れている。

 現時点での私の結論では、闘莉王は、運動量豊富であきらめることを知らないカメルーンのキャプテン、リゴベール・ソングをブラジル/日本人にしたような選手である。
 闘莉王は粗削りで、時に荒っぽいプレーも見せるが、ただひたすら勝利を目指し、心でプレーする選手である。目の前の相手に全力を尽す闘莉王には、中途半端ということはありえない。100パーセントしかチームに貢献できないとしたら、それは調子の悪いときなのである!
 日本国籍を取得したのが昨年で、オリンピック代表では新入りであった闘莉王は、チームに入るなり積極的に発言した。そうするのが、日本では唯一有効なコミュニケーションの方法で、そうしなければ、日本では試合の際にも他の選手と大きな壁ができたままになってしまうのである。

 ロシア戦での高松のゴールは、闘莉王がすべてお膳立てしたものである。闘莉王は、自陣中央からブルドーザーのような勢いでロシア守備陣の中核を切り崩し、暴走トラックのようにゴールに突進した。まさに、フィリップ・トルシエが好みそうな、自発的プレーであった。
  試合後の正直なコメントも、私は好きだ。
「自分のプレーからゴールが生まれて良かったと思いますが、本当は自分でゴールを決めたかったですね」と闘莉王は言った。
 闘莉王が入ってからの2試合では、日本はそれぞれの試合で1点ずつゴールを許した。闘莉王の満足度はどうなのだろう?
「満足するのは、0点に抑えたときだけですね」と闘莉王は答えた。
 オリンピック代表の3バックでは、茂庭と闘莉王は先発メンバーとして決まりだと私は思っているので、山本は数ある候補者のなかからもう1人を選ばなければならない。私なら、左の茂庭、中央の闘莉王と並べて右側に徳永を起用する。そうすと、ちょっとのことではゴールを許さない、タフで激しい守備陣が完成する。
 闘莉王はオリンピック代表に新鮮な息吹を与えたが、必ずジーコの代表チームにも大きな影響を与えると思う、たとえしばらくは選ばれなくても。

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イルハン・ショー、東京で幕開け

2004/02/12(木)

 ショーのスターがアリーナに登場する準備が整ったときには、室内には期待と興奮が渦巻いていた。
 照明が落とされ、ドラムが轟くなか、「プリンス」が随員に守られながら登場した。
 ただし、プリンスはプリンスでも、ポップスターのプリンスではない。
 登場したのは、2002年ワールドカップでトルコ代表の一員として大活躍し、すさまじい数の日本人ファンから「プリンス」と呼ばれている、イルハン・マンスズであった。
 火曜日の午後、東京の高級ホテルで、プリンス・イルハン・マンスズが総勢200名(!)のマスコミにお披露目をしたのである。
 多くの人が、2002年当時の柔らかそうな長髪とはがらりと変わった短髪に驚いたが、白のTシャツの上に黄色のシャツと白のスーツを着たイルハンは、カメラの放列の前で輝いていた。

「明るい未来にしたいという希望を込めて、このスーツを選びました」とイルハン。
 髪形について。
「ファンの皆さんのほとんどが憶えているのは長髪の僕だと思いますが、今はこの髪形が気に入っています」
 デビッド・ベッカムについて。
「日本には、彼のファンがたくさんいるようですね。偉大な選手ですし、尊敬しています。彼のファンを横取りしようとは思いません。僕には僕のファンがいますからね。」
 微笑むたび、身振り手振りをするたびにカメラのシャッター音が立て続けに起り、19のテレビ局のスタッフがやたらと質問を浴びせかけた。

 豊富な資金力を誇る楽天の支援を受けるようになったヴィッセル神戸では、1万1000人弱だったホーム・スタジアムの平均入場者数を、今シーズンは2万人に増やしたいとしている。プリンス・イルハンは、躍進を目指す新生・神戸の象徴となる選手であり、彼自身と所属していたトルコのクラブであるベシクタシュには、相当な額の金銭が支払われた。

 どうかすると、とくに微笑んでいるときには、イルハンは、「愛と青春の旅立ち」のような映画に出ていた頃の若きリチャード・ギアを彷彿とさせた。
 ヴィッセルが獲得したのは、サッカー選手なのだろうか? それとも映画スターなのだろうか?
 もちろん、ヴィッセルとしては両方であって欲しいと思っているだろうし、ヴィッセルの幸運を願わずにはいられない。関西のサッカーには人気の起爆剤が必要であり、興味を喚起するために、ヴィッセルはプリンス・イルハンを獲得したのである。
 しかし、このストライカーに驚異的な活躍を望んではいけない。
 イルハンは28歳で、ワールドカップの英雄となったあとも、トルコに残っていた。ヨーロッパへのビッグクラブへの移籍はなかったし、チェルシーへの移籍もなかった。
 ワールドカップではトルコの7つの試合すべてに出場したが、最初の6試合は途中出場であり、フルタイム出場したのは3位決定戦の韓国戦だけであった。
 ゴール数は3。準々決勝のセネガル戦での決勝ゴールと、「死闘」となった韓国戦での2ゴールだ。

 イルハンは偉大な選手ではないが、ヴィッセル神戸にとっては偉大な存在である。
 今シーズンは、お近くのスタジアムでイルハン・ショーをお楽しみ下さい。

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エムボマを巡り不安を抱えるヴェルディ

2004/02/09(月)

東京ヴェルディ1969のオジー・アルディレス監督が、チームのスター、パトリック・エムボマに対して不安を抱くのは無理もない。
エムボマは昨シーズン終了後、軽い膝の故障を治すべく手術を受けることになっていた。
すなわち、3月のJリーグシーズン開幕に間に合わせるために、アフリカ選手権を欠場するはずであった。
しかし、カメルーン大統領がエムボマの“Indomitable Lions(不屈のライオン)”への参加を強く希望したため、手術を延期しチュニジアへ向かった。
グループCで、エムボマは対ジンバブエ戦のハットトリックを含む4得点を挙げ、カメルーンは現在準々決勝を争っており、ナイジェリアと戦うことになる。
そのため、アルディレス監督は複雑な心境にある。
エムボマが彼の母国のために得点を挙げることは、エムボマにとってもアルディレス監督にとっても嬉しいことだ。
しかし一方、アルディレス監督はエムボマの膝の故障が悪化してほしくはない。

「カメルーンが敗退すれば彼はすぐ手術する事になる。しかし本音を言わせてもらうと心配です」アルディレス監督は今週、読売ランドのヴェルディ本社でそう語った。
「彼がシーズン開幕を迎えられるかどうか微妙です。しかも彼は我々にとって重要なのです」
アフリカ選手権の決勝は2月14日である。そしてエムボマは手術後、回復するのに5〜6週間必要だと言っている。
ということは、もしライオンたちが決勝まで進むことになれば、エムボマが3月13日のシーズン開幕に間に合う可能性は低い。

ヴェルディとしてはエムボマが天皇杯直後に手術を受け、アフリカ選手権を欠場することを望んでいた。
しかし母国のためにプレーするということは、エムボマにとってあまりにも重大だった。 2001年のFIFAコンフェデレーションズカップで、同じくカメルーン代表として同じ新潟のホテルに宿泊した事によって選手間に特別な絆が生まれたようだ。彼らはまるで一つの大きな家族のようであり、だからこそ昨年フランスでのマルク・ビビアン・フォエの悲劇的な死は受け入れ難かったのではないか。

それはさておき、元ヴェルディのMFラモンがジェフ市原に入団するかもしれないと耳にした。イビチャ・オシム監督は中盤でボールをキープでき、攻撃の起点となれるベテランが必要だと言う。
元ヴェルディとマリノスのストライカー、マルキーニョスが、京都へレンタル移籍した崔龍洙に代わってジェフへ来るという話もある。
すべては1週間程度ではっきりするだろう。

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不可解だった、ジーコの新フォーメーション

2004/02/05(木)

 火曜日の午後から夕方にかけてカシマスタジアムで行われた日本代表の練習は、とても寒かったのはともかく、見ていてとても興味深いものであった。
 私は、ジーコが3−5−2のシステムを続けるだろうと確信していた。12月の東アジアサッカー選手権で日本代表がこのシステムを採用し、うまく機能していたからである。

 しかし、そうではなかった。監督はまた4バックに戻したのである。
 それだけではない。ジーコのフォーメーションは4−1−3−2になっており、山田(ヴェルディの山田ではなく、レッズのほう)、坪井、宮本、三都主、4人のディフェンダーの前にいる守備的ミッドフィールダーは遠藤1人だけであった。
 遠藤の前では、3人の攻撃的ミッドフィールダーがのべつまくなしにポジション・チェンジしながら、ピッチを縦横に駆け回っていた。この3人は、藤田と小笠原、本山であった。
 2人のストライカーは、先の東アジアサッカー選手権の韓国戦で退場処分を受けた大久保がマレーシア戦に出場できないため、久保と黒部のコンビであった。

 ジーコのフォーメーションは多くの人を驚かせたが、2月18日に埼玉で行われるワールドカップ予選のオマーン戦にヨーロッパ組が帰ってきたときのことを想定しているようにも見えた。
 オマーン戦までに、ジーコには、今回のマレーシア戦と2月12日(木曜日)のイラク戦という、2つの調整試合がある。
 日本の選手にもっとも適しており、チーム・バランスも良くなると私が思う、3−5−2 のシステムをジーコが放棄しようとしているのは明白である。
 マレーシアとイラクは、日本代表が楽勝しなければならない相手である。とりわけマレーシアにとっては、熱帯の自国とは違い、熱気も湿気もない世界が出現する、2月の夜の茨城海岸は厳しいものになるだろう。

 しかし、私には、日本がより強く、より野心に満ちたチームと対戦するときのことが心配でならない。山田と三都主は後ろに下っているより前に上がるのが持ち味であるのに、守備的ミッドフィールダー1人で大丈夫なのか?
 自由に動き回っても良い選手が3人いるようだが、それでは多すぎはしないだろうか?
 もちろん、ジーコが自身の選択を変更するのにまだ3日間あるわけだが、ともかく私は最初に述べたフォーメーションが好きではない。

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太陽(レイソル)の光を浴びて・・・

2004/02/02(月)

毎年この時期、Jリーグの各チームはメディアのために特別な日を設けている。
これらはいつもリラックスした、親しみやすいそしてポジティブな雰囲気の中で行われ、非常に楽しい行事である。
メディアは新入団選手や、監督、そしてチーム役員にシーズンの展望などを聞く機会を与えられる。

水曜日に上野から常磐線で柏へ行き、午後からのレイソルの記者発表会に参加したが、とても有益な体験であった。
発表会はイングランド下位リーグのスタジアムを思わせ、日本でもお気に入りのスタジアムの一つである日立柏サッカー場で行われた。
トッラクもないのでファンはピッチに近い。ホームチームのファンが一方に、そしてアウェーチームのファンはもう一方に、そして収容人員8000名と、実に良い雰囲気を出している。

水曜日にはもちろん、スタジアムに人の姿はなかった。
明るい冬の日差しに照らされ、新しいシーズンと新しいスタートがキラキラと輝いているようであった。

記者会見の始まる前、私は太陽の暖かい日差しを浴びながら、ピッチにしばらく座っていた。
無人のスタジアムを前に目を閉じ、グランドでサッカーが繰り広げられ、歓声に溢れたスタンドを想像するのは楽しい。
「ゴール!ゴール!柏ゴール!」
熱狂的な叫びとともに、レイソルのコーナーキック。そして対戦相手の選手達は“イエローモンキーズ”として知られる柏サポーターからの野次の集中砲火を浴びる。
日立柏サッカー場で、サポーター達がセーフティーネットを越えてピッチになだれ込まないように警備員達が常に目を光らせている光景は面白い。もちろんサポーター達もネットがあるからこそ熱狂できると私は思う。

ところで、2004年の干支は申である。これは柏を愛する人にとっては吉兆であるのかもしれない。
今シーズンもまたチームは大きな戦力補強をした。その中でも私は若いブラジル人MFドゥドゥを非常に楽しみにしている。
ロンドンのワールドサッカーマガジン今月号では、このビットーリア出身、20歳の彼をかつてのジーコ監督のチームメートであったソクラテスと既に比較していた。
ドゥドゥが柏に来るまでまだ1週間以上あるが、彼はすでに記者発表での一番の論点であった。

2004年はドゥドゥの年であるのかもしれない。

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女子サッカーもお忘れなく

2004/01/29(木)

 あらゆる年代の日本代表チームの動向が気になってしまいそうな今年、女子の代表チームも見逃すわけにはいかない。
 日本サッカー協会(JFA)もこのことはよく認識しているようで、火曜日には、女子サッカーのアテネ・オリンピック・アジア予選の組み合わせ抽選会が盛大に催された。
 アジアサッカー連盟の事務総長であるピーター・ベラパン氏が中心になって進行された抽選では、フットサル好きの、4人の若く美しい女性タレントがアシスタントを務めた。
 私のサッカー観戦歴を通じて、この4人が最高の「黄金の4人」であり、ジーコ・ジャパンの中田−小野−稲本−中村の組み合わせよりはるかに魅力的であった!

 クジの結果を見ると、日本はベトナム、タイと同じ組で準決勝進出は問題なく、その時の相手は北朝鮮になりそうだ。
 北朝鮮チームは、「鉄のバラ」こと中国チームに代わってアジア最強の座につこうとしているチームであり、上位2チームに与えられる、アテネ大会のアジア出場枠を獲得するためには、日本チームは4月24日に東京で行われる準決勝ではかなりのがんばりが必要になるだろう。
 JFAの川淵三郎キャプテンが司会を務めた抽選会では、あらゆる発言者が女子サッカーの人気が上昇していることに言及した。
 そして、賞賛を浴びるのにはそれなりの理由もあった。

 1995年にコタキナバル(マレーシア)で開催されたアジア選手権を実際に観戦して以来、私はずっと女子サッカーのファンである。
 女子サッカーにはいくつも良い点があるが、とりわけプレー中の気迫が好きだ。
 男性のプロフェッショナルの最高レベルの試合と違い、ダイビングもないし、欺瞞的なプレーもないし、負傷を装うこともないし、レフリーを欺こうともしない。
 私にとっては、サッカーのきわめて純粋なかたちであり、女子サッカーは上記のような好ましくない振る舞いにまったく毒されていないのである。
 また、女性のほうが男性に比べて身体的なパワーに欠けている分、個人の力量やテクニック、動きがより重要視される傾向がある。
 とはいえ、パワフルなプレーがあまりないというわけでもなく、火曜日のオリンピック予選抽選会に出席していたゲストは、2003年の女子サッカーアジア選手権のハイライト映像を見て、一様に衝撃を受けたようであった。

 アテネオリンピックの予選は、4月18日から26日まで開催される。
 グループAには北朝鮮、台湾、シンガポール、香港が、グループBには中国、ミャンマー、韓国、グァムが入っており、この両グループの試合は4月18日、20日、22日に広島で行われる。
 グループCの試合は東京で行われ、日本は4月18日にベトナム、22日にタイと対戦し、タイとベトナムの試合は4月20日に行われる。 準決勝は4月24日で、順当に進めば日本は東京で北朝鮮と対戦することになる。また、3位決定戦と決勝は4月26日に広島で行われる。
 今年が日本のサッカーファンにとっては慌ただしくて、重要な1年であるのはわかるが、女子サッカーの大会にも足を運び、女子サッカー大会の面白さをぜひ実感していただきたい。
 トップチームの技術と戦術のレベルの高さに、ビックリすること請け合いである。

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慌しいシーズンに向けて早いスタートを切るマリノス

2004/01/26(月)

*このコラム(原文)は1月24日に書かれたもので、その後、アジアサッカー連盟は正式にペルシクケディリ対マリノスの試合を2月24日から2月15日へ変更することを拒否しました。その点をご考慮のうえ、お楽しみください。

3月13日のJリーグ開幕の約7週間前にあたる今週水曜日、横浜F・マリノスの選手達がトレーニングキャンプに戻ってきたのは無理も無い。
2月そして3月と、Jリーグチャンピオンのマリノスは少なくとも5つのコンペティションを戦うのだ。
そう、5つだ。

最初の大会はベトナムとインドネシアで行われる「AFCチャンピオンズ・リーグ」グループGの試合である。
そして、次に日本、韓国そして中国のチャンピオンと開催国の2位チームの合計4チームが参加する上海での「A3 NISSAN チャンピオンズカップ」がある。
さらに、マリノスは3月6日、シーズン開幕1週間前に天皇杯優勝チームのジュビロ磐田と「ゼロックススーパーカップ」を東京で戦う。
3月の最終土曜日の27日にはナビスコカップが始まる。

「今シーズン、もし我々が出場する全ての大会で決勝まで勝ち進んだとしたら、実に62試合も戦うことになります」
今週チームの戸塚トレーニングセンターでGKコーチ、ディド・ハーフナーはそう語った。「国際試合をあわせると、選手によっては年間で80試合も出場する事だってあり得るのです」
「だからこそ我々は4人のゴールキーパー、そして2つのチームが必要になるのです」

岡田武史監督は戻って来た選手達に、昨年より4点多い勝ち点62と、やはりこれも昨シーズンより4ゴール多い60ゴールを期待すると伝えた。
岡田監督は、リーグ連覇をするには得失点差30(昨年は得点56、失点33で得失点差23)が必要になると言う。
岡田監督の二大目標は、Jリーグ優勝とヨーロッパのUEFAチャンピオンリーグや南米のリベルタドーレス杯にあたるAFCチャンピオンズリーグの制覇である。
AFCチャンピオンズリーグと上海でのA3 NISSAN チャンピオンズカップの日程が重なる事は避けられたのでマリノスは両大会にベストメンバーで臨むことができる。
日程が重なった際、A3 NISSAN チャンピオンズカップよりも2005年からFIFAが復活させる予定の世界クラブ選手権の出場権を得られるAFCチャンピオンズリーグに重点を置くとした岡田監督の判断は正しい。

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Jリーグの価値ある進歩

2004/01/22(木)

 2004年は、2シーズン制が今シーズン限りでとりやめになるという、Jリーグにとって画期的なニュースで幕を開けた。
 つまり、Jリーグも世界のサッカー界に足並みをそろえ、2005年からは1シーズン制で行われるようになるのである。
 Jリーグの鈴木昌チェアマンは、火曜日の理事会で1シーズン制への移行を確認し、さらに2005年にはJ1のチーム数を16から18に増やすと語った。
 1シーズン制も、J1のチーム数増加も、ともに日本のサッカーにとって好ましいものであるが、特に2シーズン制の廃止決定は歓迎したい。

 過去に2〜3度はエキサイティングな結末が見られた年もあったが、私はもともと2シーズン制の支持者ではなかった。
 リーグ・チャンピオンとはシーズンを通じての総合力を問うものであると私は考えている。
 リーグ・チャンピオンはプレーオフで決めるべきものでないし、ましてや1999年にジュビロ磐田が清水エスパルスを破った時のように、PK戦で決めるべきものでもない。
 延長戦やゴールデンゴール、PK戦が適用されるのは、ノックアウト・システムで優勝者を決める、カップ戦だけに限定すべきである。

 ゆっくりではあるが、確実に、Jリーグの認識もそのような方向に向かっているようだ。
 最初にPK戦が廃止された。それから、ゴールデンゴールと延長戦が廃止され、今度は2シーズン制がとりやめになった。
 したがって、私は今回のJリーグの改正案を全面的に支持したいし、ファンもプレーオフなしのリーグ戦を継続的に支持してくれるはずだと考えている。

 過去2年は、結果的にプレーオフが必要なくなった。2年前はジュビロ磐田が、昨年は横浜F・マリノスが両ステージ制覇を達成したからだが、Jリーグは、プレーオフのスポンサー料やテレビの放映権料、入場料収入などで見込まれていた約1億2,000万円の収益を失ったことになる。
 チーム数を2つ増やすという決定に関して述べると、今回の決定によって、2005年の日本のチャンピオンチームは、これまでの30試合(各ステージ15試合ずつ)ではなく、34試合を戦って決められることになる。
 そのため、各チームのホームゲームの数も15試合から17試合に増えるので、収益の増加も期待される。
 J2参入に興味を示しているチームもいくつかあるので、2005年にはJ1が18チーム、J2が12チームという体制も可能かもしれない。
 2シーズン制からの移行が実現した将来の見通しは、これまでよりもずっとエキサイティングである。

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中国での試練に直面する日本代表

2004/01/19(月)

間違いがあってはいけない。今夏中国で行われるアジアカップで、日本代表には手を抜くような余裕は許されない。
1月15日に16ヶ国による組み合わせ抽選が行われた、ジーコ監督率いるグループDの日本代表は重慶でオマーン、タイ、そしてイランと対戦する。
各グループは4チームで編成され、4つのグループからそれぞれ上位2ヶ国が準々決勝に進出する。
日本代表の初戦は7月20日の対オマーン戦で、4日後にタイ、そして28日にイランと対戦する。

もちろんその頃には、2月18日に埼玉で行われる対オマーンの2006年ワールドカップ予選も終わっている。ユースでは好印象を受けるが、世界レベルでの経験の浅いオマーンにとって日本は強すぎるはずだ。
タイはスピードもあり技術もある。アジアのどのチームをも苦しめる力を持っている。韓国で行われた2002年アジア大会では、決勝でイランに敗れた日本代表に大敗を喫した。

日本対イランと言えば、もちろん1998年フランスワールドカップのアジア予選の対戦を思い出す。
試合は1997年11月に中立会場であるマレーシアのジョホールバルで行われ、サドンデス延長戦の末に岡野 雅行のゴールで日本代表が3−2で勝利を収めた。
そのゴールは日本サッカー史上最も重要なゴールであると私は思う。
もしイランがその試合に勝利し、日本がオーストラリアとのアジア・オセアニアプレーオフに敗れていたとしたら、現在の日本サッカー界はどうなっていただろう。
ワールドカップ予選敗退の後遺症が2002年ワールドカップの誘致やJリーグ人気に多大な影響を与えなかったとは言い切れない。“野人”岡野のゴールはそれほど大きかったのだ。

日本代表は7月のこのグループでの対戦を楽観視する余裕はない。
もちろん日本代表はグループで上位2位に食い込む力と経験を備えている。しかしアジアの強豪としての地位は常に下位から狙われているという事だ。
日本代表はグループリーグを勝ち抜くだろう。しかし簡単に勝たせてくれると思ってはいけない。

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2004年への意気込みが感じられる、グランパスとパープルサンガの補強

2004/01/15(木)

 2004年の注目の一戦は、京都パープルサンガ対名古屋グランパスエイト戦だろう。
 この試合は、まさにJ2最高のアタッカー陣とJ1屈指のディフェンス陣の戦いになるに違いない。
 もちろん、両者の対戦は、来シーズンの掉尾にある天皇杯でしか実現の可能性はない。
 しかし、冬の期間中の両クラブの戦力補強活動は、2004年への意気込みを感じさせるものである。

 パープルサンガはジェフ市原から韓国のゴールマシーン、崔龍洙(チェ・ヨンス)を獲得したのに続き、黒部と松井をともに残留させることにも成功した。
 崔と黒部の空中戦の強さに松井の柔軟なテクニックが組み合わされたアタック陣は、J2ではまさに脅威となるだろう。
 パープルサンガにとっては、J1復帰への直行便—それも陸路ではなく、空路の―を予約したようなものである。
 たとえ相手チームがパープルサンガのアタック陣に対策を立てたとしても、実際にこのアタック陣を止めることができるかどうかはわからない。

 グランパスの場合は、鹿島からベテランの秋田を獲得したのに続き、パープルサンガの若きディフェンダー、角田の獲得に成功した。
 11年もの間、茨城で実績を積み上げてきた末に鹿島から解雇されたにも関わらず、秋田はこの冬の補強の目玉である。
 秋田がいるだけでチームの他のメンバーへの刺激になるだろうし、その決してあきらめない姿勢によって、高い給料をもらってはいるものの、チームとしてはまだ発展途上にある名古屋の選手たちを少年から真の男へと変化させることにもなるだろう。
 秋田の獲得によって、名古屋は長い間求めてきたもの、つまり決して妥協しようとしない、厳しく、タフな日本人のリーダーを手にしたのである。

 パープルサンガも、1シーズンでのJ1復帰を目指して、大規模な投資を行ってきたのは明らかだ。
 もっとも、1年前、天皇杯に優勝したあとに、なぜ同じような投資をしなかったのかと不思議に思う方もいるかもしれない。
 その時には、体調が万全ではない高宗秀(コ・ジョンス)を獲得するという、途方もなく大きく、高くつく失敗をしていたのである。
 当時の監督、ゲルト・エンゲルスは高の獲得には当初より反対だったので、「新戦力は試合前に見るDVDプレーヤーだけ!」とこぼしていたものだ。

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ヨーロッパに賭ける川口

2004/01/12(月)

川口能活の努力と決意を誰も責めることはできない。
来週、彼は所属するデンマークのノアシェランの正GKになるという目標を胸に、日本を出発しヨーロッパに戻る。ヨシは自分の所属するチームでレギュラーとしてプレーしない限り、2006年ドイツワールドカップ予選で日本代表としてプレーできない事がよくわかっている。彼は、この目標に向けてこれまで以上にトレーニングを重ねることだろう。

2001年10月、横浜F・マリノスからイングランドのポーツマスに移籍して以来、彼は問題を抱えている。
それにも関わらず、彼は楽観的で、陽気で、そしてとても気持ちの良い若者である。
1月4日に東京で行われた井原正巳の引退試合の後に、彼と話すことが出来たのは良かった。
デンマーク語は難しいようだが彼の英語は今やかなり上達している。

「話す事、そして書く事は覚えつつありますが、ヒアリングはかなり難しいです」
彼は言う。(もちろんデンマーク語でなく英語で話している。)
「幸い、デンマークの人々は完璧な英語をしゃべりますし、とにかく彼らは親切です。ただ寒いだけですよ」

とにかく寒い。事実、デンマークリーグは春から初冬にかけて開催され、12月から3月まではオフである。

「デンマークに戻ったら、2ヶ月の準備期間があります」
彼は言った。
「練習試合と親善試合がたくさんあります。シーズンが始まる頃にはチームに定着できればと思っています」

20033年9月にポーツマスからノアシェランに移籍して以来、わずか4試合しかトップチームでプレーしていないとヨシは説明した。
そして足首の怪我で1ヶ月以上、試合にして7〜8試合の欠場を余儀なくされた。
「ドクターは手術が必要になる確率は5%で、95%は必要がないと言いました。僕は手術しない事に同意しました。休養をとったので足首はもう大丈夫です」

ジーコ監督に代表として選ばれた2試合、対ウルグアイ戦、そして対ルーマニア戦でのミスが、彼のトップチームでの出場経験不足に起因している事は明白であった。
ヨシにとって、Jリーグに復帰することは当然のごとく可能だ。しかし彼はヨーロッパに残って結果を出したいのだ。
彼はまだ28歳である。この年齢はキーパーとしてはまだ若い。そして何より、彼はまだ成長したいという意欲がある。
彼のような愛すべき人間には、今後の幸運を祈らずにはいられない。

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もう1つのスーパー・サッカーショーとなった、井原の引退試合

2004/01/08(木)

 2002年、世界は、日本にもスーパー・サッカーショーを開催する能力があることに気付いた。FIFAワールドカップという名のスーパー・サッカーショーだ。
 日本に住むサッカーファンである我々には、そんなことは当然であった。代表チームの試合も、Jリーグの熱戦も、トヨタカップのような一発勝負の試合も、常にワクワクするような舞台を提供してくれているからだ。

 土曜日、東京の国立競技場では、日本のサッカー界が1つにまとまり、日本サッカー界でも屈指の実力を誇り、日本サッカー界に多大な貢献をしてきた、井原正巳の栄誉を讚えた。
 過去、そして現在の代表チームのスターや、韓国の大物コンビである柳想鉄(ユ・サンチョル)と洪明甫(ホン・ミョンボ)など、40人以上の選手が1998年ワールドカップ日本代表キャプテンの引退試合に参加した。
 井原が引退したのは1年前であったが、3万1000人の観客がスタジアムに詰めかけ、井原への感謝を示した。
 試合には、木村(文治ではなく、和司のほう!)やラモス瑠偉といったかつての達人たちも参加して、昔を思い出させてくれただけでなく、国立競技場という舞台であらためて健在ぶりをアピールしてくれていた。
 また、才能に恵まれていたものの道に迷ってしまい、苦労を重ねてきた前園のプレーぶりも見ることができた。
 ただし、もっとも感動的であったのは、試合終了のホイッスルが吹かれたあとであった。

 その時の音楽は感涙させることを目的にしていたようであったが、井原は涙を見せることなく、いつもと同じようにプロフェッショナルであり続けた。
 意味深げに銀のシューズを脱ぎ、キャプテンの腕章を取り外したあと(シニカルな見方をして申し訳ないのだが、この部分はナイキのプロモーションのように感じてしまった)、井原はお立ち台の上で引退のスピーチを行い、ゴンから花束を受けとると、トラックを2周して声援に応えた。
 1周目は自分の足でトラックを回り、2周目はピッチを整備する車に乗っていたが、たくさんの風船のため良くは見えなかった。ひょっとすると、井原が乗っていたのはメルセデス・ベンツだったのかもしれない。
 仲間の選手からの握手とねぎらいは心からのものであった。代表で123試合、Jリーグで297試合の出場記録を持つ井原は、日本のサッカー史に永遠に残る名選手なのである。

「彼は、日本で最初のプロ選手に数えられるだろうね」とハンス・オフトは言う。
「サッカーで給料をもらっていたからではなく、一貫した姿勢と行動によってね。今から10年後に振り返れば、彼の偉大な功績がわかるだろう。キャプテンとして、井原は優れた資質を発揮していた。話し上手というわけではなかったが、存在そのものが人々を鼓舞していた。それが、人間性というものだ」
 その日の午後も、彼の人間性が発揮されていた。

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好調のままシーズンを終えたグラウ

2004/01/05(月)

正月に東京・国立競技場で行われた天皇杯決勝、ロゴリゴ・グラウには決勝ゴールを決める資格が十分にあった。
このブラジル人フォワードにとって、終わったばかりの昨シーズンは大いなる成功の年だった。
2002年のグラウは、両ステージ完全制覇の原動力となった中山―高原のコンビの影で出場機会に恵まれなかった。
事実、2003年にいたるまでの彼の成績は、9試合出場でわずか1得点であった。
しかし2003年には、レギューラーシーズンでは8本中8得点のPKを含む21得点、ナビスコカップで5得点、そして天皇杯ではセレッソ大阪戦での決勝ゴールを含む6得点を挙げた。
すなわち国内の3大会での総計32得点と、素晴らしい結果であった。

2003年のシーズン中、私はジュビロのオランダ人ゴールキーパー、アルノ・ヴァンズワムとグラウの資質について何度か長いやり取りをしたことがあった。
アルノはグラウについて、彼は基本的にゴールに近いところで力を発揮するペナルティーエリア内のゴールゲッターであると言った。
彼のゴールは華々しいものではない。しかしグラウにはルーズボールをネットに叩き込むための天性の才能が備わっているとアルノは言った。

これは疑うべくもなく事実である。ただ、グラウのプレーはアルノがチームを離れオランダに帰った後、更に成長したようである。
天皇杯準決勝の対エスパルス戦では彼は前田のおかげもあって1得点を挙げたが、ジュビロの他の3得点にも絡んでいた。
彼から西へのパス、西のクロス、そして成岡のヘディングシュートと、この一連のプレーは素晴らしいものであった。

決勝戦では、日本のストライカー達にフィニッシュの良い手本を示した。前田からの正確なパスを受けた後、グラウは厳しい状況のなか抜群のコントロールと冷静さで柳本をペナルティーエリアで抜き、キーパーをかわしてコーナーにボールを滑り込ませた。
それは後半にセレッソが崩壊しジュビロが支配した、荒れた試合を決めるに値する、まさに美しいゴールであった。
そうしてジュビロとグラウは勝者となり、高原は今や遠い昔の記憶となった。

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2004年は嘉人の年?

2003/12/31(水)

 2004 年はサルの年だそうだ。
 しかし、日本では嘉人の年になるかもしれない。
 セレッソ大阪のダイナミックな若きストライカーは、2003 年は常に”ニュースな”人物であった。
 良いニュースもあった。たとえば、Jリーグオールスターのファン投票で史上最多の票数を獲得。J1で16ゴールを記録して、5月の韓国戦では20歳で代表デビューを果たした。
 悪いニュースもあった。リーグ戦での14枚のイエローカードと2枚のレッドカード。さらに、東アジアサッカー選手権ではペナルティーエリア内でのダイブによって2枚目のイエローカードをもらい、退場処分を受けた。試合後、ジーコは大久保をかばったが、それはお門違いであった。レフリーの判断は正しかったのである。
 あの試合以降、大久保はセレッソ大阪で大活躍を見せ、元旦に行われるジュビロ磐田との天皇杯決勝戦にチームを導いた。
 準決勝のアントラーズ戦での2ゴールは見事であった。1点目は、右サイドにいた酒本からの絶妙なクロスに合わせたダイビング・ヘッド。2点目は、30メートル付近からゴール隅への強烈なシュート。

 クラブでは、大久保が韓国戦のレッドカードを教訓ととらえ、より責任感をもって振る舞うようになってほしいと考えているようだ。
 もっとも、大久保はまだ21歳で、プロサッカー選手としても、1人の人間としても、まだ成長途上にある。ピッチでは激しい気性を見せるが、これが大久保の良いところでもある。
 できれば、大久保にはこの気迫とエネルギーを正しい方向に導くようになってもらいたい。不必要なファールや、レフリーへの無駄な抗議はやめてもらいたい。

 2004年の日本代表には、大久保が体調万全で、集中力に満ちた状態を保つことが不可欠である。目前には、オリンピック代表の親善試合とアテネ大会のアジア予選が控えているし、予選を突破すれば8月にはギリシャでの本大会がある。また、A代表でも親善試合とともに、ワールドカップの2006年ドイツ大会の第1次予選があり、さらに6月には中国でアジアカップもある。それだけでなく、クラブでも忙しいシーズンとなるだろう。

 大久保がなによりも避けなければならないのは、イエローカードとレッドカードをどっさりと頂戴することだろう。
 2003年は大久保がブレークした年であったが、2004年の大久保はさらに良くなるだろう。
 ジュビロ磐田戦で、大久保がどのように1年のスタートを切るのか見てみよう。
 ファンタスティックなゴールか?
 レッドカードか?
 あるいは、その両方か?

*このコラム(原文)は2003年12月30日に書かれたものです

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外国人選手に無駄遣いするなかれ

2003/12/29(月)

日本のチームがよく知りもしない外国人プレイヤー、特にブラジル人プレイヤーのためにどれだけのお金をいまだに無駄にしているのか、ただただ驚くばかりである。
それはおそらく、新しいブラジル人プレイヤーを連れてくる事が魅力的で魅惑に溢れていると考えているからだろう。さらには、将来の代表選手を発掘できるのではないかという大当たりを望んでいるのであろう。
そうは言うものの、私が最近耳にした何人かの移籍選手、移籍予定の選手を見るとようやく日本のいくつかのチームは気づき始めたようだ。

まず、FC東京を退団したアマラオは湘南ベルマーレと契約した。
これは、チームが彼の獲得によって何を得られるのか、十分承知しているベルマーレにとって賢い選択である。
37歳のアマラオは選手としては高齢かもしれない。しかし、チームのために全力を尽くし、体調管理も十分、そして若い選手に良い刺激を与えられる本当のプロである事を示してきた。
選手の資質を知り尽くした上で契約をする事は、お金の事しか頭にないようなエージェントを当てにするよりよっぽど道理に叶う。

また、ガンバ大阪はヴィッセル神戸のシジクレイを獲得しようとしていると聞いた(※)。彼もまたいわゆるJリーグの“ベテラン”であり、私も日ごろから彼のプレーと態度に感心していた。
彼は“スター”ではないかもしれない。しかし、彼はバックでも、ミッドフィルダーとしても、さらには得点能力も備えた信頼のおけるプロである。
ガンバはこれまで、何億というお金を外国人プレイヤーに注ぎ込んできた。しかし、彼らがよく知るシジクレイなら支払った金額に見合う価値を得られるはずだ。

移籍先を探しているもう一人の選手がマルセロ・バロンだ。
最初のシーズンに9得点とそこそこの成績をあげたが、セレッソ大阪の保護選手にはなれなかった。そしてJ1、J2のチームから興味を持たれている。
バロンもまた、ヴァンフォーレ甲府から始まって、ジェフ市原、清水エスパルスと、常に彼のやるべき仕事をやってきた。
彼は常に得点を挙げてきたし、ハードワーカーであり、安定した選手だ。
アマラオやシジクレイのように、彼と契約したチームは良い買い物をする事になるだろう。

以前にも言ったが、チームは海外の選手にかける必要は無い。エージェントや過大評価された選手に高すぎるお金を失う事になるだけだ。

※このコラム(原文)は12月27日に書かれたものですが、ガンバ大阪は24日、すでにシジクレイ選手の獲得を正式に発表していました。

 

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岡田監督が語る、天皇杯の問題点

2003/12/25(木)

 火曜日の天皇杯準々決勝、横浜F・マリノスは鹿島アントラーズに1−4で敗れ、リーグ戦とカップ戦の両方を制覇する「ダブル」の希望はついえた。
 私の母国イングランドでは、リーグ戦とFAカップの「ダブル」は、各クラブの羨望の的となっている。
 しかし、日本では天皇杯の不自然な開催時期が理由となって、状況は同じとは言えないようだ。天皇杯が佳境に入るのはリーグ戦が終了してからで、選手も、ファンも、年度末の休養を必要としている時期であるからだ。
 この点に関しては、マリノスの監督である岡田武史も、12月23日の時点で天皇杯から脱落したのは、「我々にとっては良かった」と認めている。

「天皇杯は我々にとってはさほど重要ではありませんでした。モチベーションの上がらない選手もいますし、外国人選手のなかには国に帰りたがっている選手もいますからね」
 アントラーズに敗れた後、岡ちゃんはこのように語った。
「この大会は、プロのチームにとってはとても難しい大会だし、我々は次のシーズンに備えて休養しなければなりません。2月11日にはアジア・チャンピオンズリーグが始まりますから。だから、良かったと言ったのです」

 岡田のこのコメントはまさに核心をついたもので、日本サッカー協会(JFA)は、かつてはサッカーシーズンの注目イベントであった大会について、時間をかけて真剣に考えたほうが良いだろう。
 天皇杯は今年で83回目だが、正直言って、私はこの大会を見るのがとても好きである。この大会は大体が完ぺきなサッカー日和に―つまり、明るい冬の陽射しがあって、結構寒いが凍えるほどではないというコンディションのもとで―行われるからだ。
 元旦の決勝戦はいつも晴れ晴れしい雰囲気になり、たくさんの観客が国立競技場に詰めかける。
 しかし、この大会には、リーグ戦が終了してから1ヶ月間もプロの全チームにコンディション維持を余儀なくさせるほどの価値があるのだろうか?
 JFAにとっては難しい判断となるだろうが、近い将来に変更するべきである。

 さきの岡田の発言は、見事な勝利を飾った鹿島を貶めようとするものではない。
 アントラーズの選手の反発心と勝利への気迫は試合を通して衰えることがなく、まさに他のJリーグチームのお手本となるものであった。ただし、本山と深井が絶えず故障したフリをするのだけは止めて欲しかった。
 ゲームは終わった時、柳想鉄(ユ・サンチョル)が激怒していた。本山と深井の悪い影響を受け、曽ケ端がずっと倒れ込んでいたからだ。
 選手たちよ、立ち上がってゲームを続けろ!

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最多入場者数の答えは“Xファイル”にあり

2003/12/22(月)

2003年、Jリーグは過去最高の680万人の入場者数を記録した。
これは、1995年の単一シーズン記録、644万人を上回った。
この入場者数増加の理由は明白である。
理由はXファイルを見ればわかる。
いや、つまり“Albire X(アルビレックス)ファイル”である。
28あるJリーグのチームの中で、今期J2の優勝を遂げたアルビレックス新潟はダントツの1試合平均30,339人の入場者数を記録した。
これは浦和レッズ(28,855人)、横浜マリノス(24,957人)、そしてFC東京(24,932人)といったJ1のトップ3チームを大きく引き離す数字である。

今年のJ1の1試合平均入場者数17,351人は、94年(19,598人)以来最多で、リーグ11年の歴史上でも94年、そしてリーグ創設シーズンの93年(17,976人)に次いで史上3番目の数字である。
これはJリーグにとって大きな励みになる事であり、サッカーがそれぞれの地域に根付き始めた証であろう。
来シーズンのJ1の目標入場者数は今年より2,600人増加の1試合平均20,000人である。アルビレックスのJ1昇格を考えると、03年に平均入場者数21,708人を記録したベガルタ仙台のJ2降格を考慮しても十分現実的な目標である。

今週、Jリーグの理事であり事務局長の佐々木一樹氏は、01年のコンフェデレーションズカップが新潟の人々のターニングポイントになったと語った。
この大会が地域住人にサッカーの面白さを伝え、そして彼らがホームタウンチームをサポートする原動力となったと言う。
「新潟の人々は、新潟がまだ世界レベルに及ばないことをよくわかっています。しかし彼らは一つにまとまって自分達のチームを応援したいと願っているのです」佐々木氏はそう続けた。
「たとえチームが負けたとしてしても、これが彼らの団結を強めます。そのぐらい人々は新潟に誇りを持っていますし、アルビレックスを応援することによってその誇りを示しているのです」

J1の試合と重なる事が多いので、シーズン中に多くのJ2の試合を見ることは難しい。
しかし多くのファンやメディアにとって来季の新潟は、ビッグスワンがオレンジに染まる光景を見に集まる場所となるだろう。
今シーズンのJ1、J2、ナビスコカップ、オールスターサッカー、そしてゼロックススーパーカップの総入場者数は史上最多であった。しかし、アルビレックスがJ1に昇格する来年の平均入場者数20,000人は不可能な数字でないと思う。

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エメルソンのMVP受賞に異議あり

2003/12/18(木)

 エメルソンが2003年のJリーグMVPを受賞すると聞いたとき、私は正直言ってびっくりしたし、がっかりもした。
 MVPはJリーグのファーストステージとセカンドステージを連覇した横浜F・マリノスの選手が受賞するものと思っていたし、私見では、中澤佑二と奥大介、久保竜彦の3人が候補であった。
 私が1人を選ぶとすれば、MVPは中澤佑二である。監督の岡田武史の言葉を借りれば、中澤はピッチの内外でチームのムードメーカーの役割を務めていた。
 私は、マリノスの選手にはMVPを受賞する資格はあるが、エメルソンにはないと考えていた。

 でもね、落ち着いて下さいよ、レッズ・ファン!
 私は、エメルソンが良い選手ではないとは一言も言ってはいない。
 もちろん、エメルソンは素晴らしい選手で、彼のスピードと決定力が勝敗を左右するのは良く知られている。純粋な才能だけを言えば、おそらくエメルソンはJリーグで最高の選手であろう。
 エメルソンはJリーグのレベルを超えた選手であると言っても過言ではないし、ヨーロッパの主要リーグでも成功できると思う。浦和が払っているのと同じくらいの金額を、ヨーロッパのクラブが彼に払おうとするかどうかは、また別の話だが。
 しかし、高額のサラリーには、チームメートやコーチ、ファンに対する責任も含まれているのである。日本の外国人選手はみんな特権的な地位を与えられてプレーしているのだから、このことは認識しておいたほうが良い。
 この点において、エメルソンは自分の価値を下げているのである。
 監督のハンス・オフトがシーズン終盤に私に語ったところによると、エメルソンが今シーズンに課せられた、練習遅刻の罰金は総額で6万ドルにもなるそうだ。

 もっとも、私にはピッチ上のエメルソンの態度のほうが気になる。
 私は、相手選手が警告を受けたり、場合によっては退場処分を受けたりするのを狙って、大ケガをしたふりをしてピッチ上に倒れ込み、のたうち回る選手が好きではない。
 危険で、敏捷な選手だから、エメルソンがしょっちゅうファールを受けているのはわかるが、芝居っ気たっぷりにレフリーをごまかそうとするケースもよくある。

 たとえば、残り4試合の時点でJ1の首位に立っていたヴェルディとのホーム戦。
 前半終了直前の時点で、レッズが2−0と楽勝ペースであったのに、エメルソンはダイブでペナルティ・キックを得ようとした。エメルソンにはイエローカードが与えられ、累積警告により、次の2試合が出場停止処分となった。
 エメルソンが欠場したのは、アウェーの清水戦と名古屋戦であった。シーズンの趨勢を決めるこの時期、レッズはどうしても必要だったエース・ストライカーを欠いたため、2試合とも敗れてしまい、優勝争いから脱落した。

 エメルソンに対して厳しすぎるかもしれないが、チームがセカンドステージで優勝するチャンスを、彼が台なしにしたのも確かだと思う。前に述べたように、高額のサラリーをもらっている外国人選手として、エメルソンはクラブやチームに対して責任を負わなければならないのである。
 これでも、MVPなのだろうか?
 1人の選手としては、もちろん、エメルソンはゲームのカギを握る選手であるが、フェアプレーも評価の対象に加えられるべきではないだろうか。
 Jリーグの選考は間違っていたと思う。日本人選手や、試合を観戦している若者にとって、エメルソンは良き模範とはならないからである。

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岡ちゃんのMVP最有力候補は中澤

2003/12/15(月)

横浜F・マリノスの岡田武史監督は、月曜日に行われる2003Jリーグアウォーズで、マリノスのセンターバック、中澤佑二こそがMVPにふさわしいと信じている。
監督就任1年目で横浜を両ステージ制覇に導いた岡ちゃんは、中澤はシーズンを通して、チームの大黒柱としての頭角を現したと言う。
「彼が1対1の場面で非常に優れたディフェンダーだとは常々思っていました。しかし彼のポジショニングとカバーリングには正直驚かされました」
岡ちゃんは東戸塚にあるチームの練習グラウンドで先日そう語った。
「ピッチ上での意思決定能力は成長しましたし、とても強い精神力の持ち主でもあります」
「さらに、常にポジティブであり、決して諦めません」
岡田監督は、この25歳の日本代表ディフェンダーを堅実で信頼のおけるプロだと評する。「練習でも試合でも、彼は常にチームのムードメーカーです」
1998年ワールドカップで日本代表監督を務めた岡田監督は言う。

岡田監督が名前を挙げたもう一人の選手はオリンピック代表であり、セントラルMFの新星、那須大亮である。
那須は3人いる新人王候補のうちの一人である。そして彼がFW深井正樹(鹿島アントラーズ)、DF永田充(柏レイソル)をおさえ新人王の最有力候補である。

横浜の韓国人DF柳想鐵はMVPについて岡田監督とはまた違った意見を持っている。
柳はマリノスの主将、奥大介にその栄誉が与えられるべきだと考えている。
「彼のプレーはシーズンを通して非常に安定していた。さらにそれだけでなく、チームを引っ張る力強いリーダーシップを見せてくれた」
東アジア選手権で韓国代表の主将を務めた柳はそう言う。

事情を知り尽くした人たちの意見を聞くのは非常に興味深いものだ。そして彼らの選択は、中澤、奥、そしてセカンドステージでマリノスを優勝争いに留まらせるいくつかの重要なゴールを決めた久保竜彦の3人に落ち着く。
しかし、誰が岡田監督に異を唱えるだろうか。
結局、今シーズンの彼は何をやっても正解だったのだから。

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藤田より羽生だったのでは?

2003/12/11(木)

 東アジアサッカー選手権の期間中、ジーコはJリーグ・プレーヤーについて多くを学んだに違いない。
 結局、ジーコにはJリーグの選手を選び、テストするしか選択の余地はなかった。大会の日程が、FIFAの定める国際Aマッチデーと重ならなかったからだ。
 つまり、ヨーロッパから選手を呼び戻せなかったわけで、私はこのことはジーコにとって良かったと思っている。

 ほんの少し前、日本がホームでたくさんの親善試合を戦ったとき、ジーコは常に最強のチームを作ろうとしていた。
 このような姿勢は、ハンブルガーSVをはじめさまざまなクラブの逆鱗に触れただけでなく、選手たちにも厳しいスケジュールを課すことになった。
 数日間チームを離れるという余分な負担がなくても、すでにヨーロッパ組の選手たちはチームに溶け込み、ポジションを獲得するためにタフな生活を余儀なくされているのである。
 それに加え、ジーコの方針は、クラブ・サッカーとは異なったリズム、異なったプレッシャーのなかで戦われる、国際試合の感覚をJリーグ・プレーヤーから奪うものでもあった。
 このような観点から見れば、Jリーグ・プレーヤーを選び、彼らが国際試合のレベルでプレーするのを間近に見るのは、ジーコにとって意義あることであった。現在、ジーコに必要なのは、代表チームではなく、代表候補である。2月に始まるワールドカップ予選のための選手選考が、ケガや出場停止処分の影響を受ける可能性も考慮しなければならないからだ。

 水曜日の夜に横浜国際競技場で行われる日本と韓国の決戦が近づくなか、藤田俊哉は、オランダからわざわざ帰ってくる必要があったのだろうか、と悩んでいることだろう。
 私には、なぜジーコが藤田を選んだのかが本当にわからない。藤田にはプレーするチャンスさえ与えられないかもしれないからだ。
 火曜日の公開練習のあと、ジーコは、小笠原を先発で起用すると述べた。ハムストリングの負傷だけでなく、他にも具合の悪い部位があるため、小笠原は火曜日に練習をしていないのに、である。
 小笠原が練習を休んでいる間は奥が先発組でプレーし、藤田は他の選手とともに控え組に入っていた。
 ジーコは、藤田はまったく試合に出ないかもしれないし、途中出場のチャンスがあるかもしれない、と述べた。
 どうなるにせよ、ジーコは藤田の人間性と情熱が好きだと言った。つまり、試合に出ても出なくても、藤田にはそれだけの価値があるということなのだろう。

 もし私がジーコなら(みんなだって、自分は偉大な代表監督なれると思っているでしょう!)、今大会ではヨーロッパ組は招集せず、Jリーグの選手だけを選考対象にしていたと思う。
 そして私は、ジェフユナイテッドの羽生を選んでいただろう。羽生は、小笠原と奥の控えとして充分使えるだろうし、代表で経験を積むのも彼にとってプラスになっていただろう。
 羽生は大学を出てから、プロとして2回目のフルシーズンを終えたばかりである。とても利口な選手だと思うし、トルシエがよく言っていたように、非常におもしろい選手である。
 結局、藤田は韓国戦でプレーすることになるかもしれないが、ジーコは代表候補をさらに増やし、新たな才能を発掘するチャンスを逸した、と私は今でも思っている。

*このコラム(原文)は12月9日に書かれたものです

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チャンスをモノにした久保

2003/12/08(月)

ある日本人ストライカーが東アジア選手権で、代表初ゴールを挙げたのは至極当然の事であった。
何と言っても、今回代表に選ばれた4人のストライカーの誰もが、日本代表で1点も挙げたことがなかったのだ。
水曜日に東京で行われた対中国戦が近づくにつれて、フォワードの得点力不足はトレーニングでも最大の論点であった。
しかし、久保竜彦の得点のおかげで日本代表がその不安を打ち消すのにわずか4分30秒しかかからなかった。

横浜F・マリノス所属の彼は、ポストに当てるシュートを放った後、試合終了10分前に再び得点を挙げた。この試合まで、そのほとんどが途中出場だったとはいえ、14試合の代表出場で無得点だった久保は、これで15試合で2得点になった。そして、日曜日に埼玉で行われる対香港戦でも得点を挙げるだろう。
私はふと「1時間もバス停でバスを待っていた末に2台のバスが同時に現れた」という英国のお粗末な公共交通機関、バスの笑い話を思い出した。
久保はこうした数字は気にしないと言うが、この2ゴールが彼のプレーの心理的な壁を打ち破ることだろう。

久保の最初のゴールは小笠原の視野と粘りに負うところが多い。左サイドでの小笠原のフリーキックがそのまま中国選手に渡った時、私は思わず唸ってしまったが、アントラーズのプレイメイカーはすぐさまボールを奪い返し、久保へボールを浮かせたのだ。
その典型的な果敢なスタイルで久保はディフェンダーとゴールキーパーを突破し、右足でボールをゴールに押し込んだ。この左足一辺倒の選手にとって非常にめずらしいことだ。2得点目は、中央右寄りを突破した彼がその得意の左足で非常に冷静に決めた。
対香港戦は特に問題もないだろう。しかし、水曜日の対韓国戦は厳しい戦いになるだろう。

久保のパートナー、大久保嘉人は依然として初ゴールを待っている状態だ。現時点での彼はまるで正しい事をやっているにも関わらず、チャンスをものにできない「柳沢症候群」にかかっているようだ。
前半1対1の場面で大久保のシュートを中国のキーパーは素晴らしいセーブで止めた。後半は決めなければならない場面でクロスバーに当ててしまった。
対香港戦は、彼にとって代表初ゴールを決めるこれ以上のチャンスはないだろう。彼はきっとこの試合で決めてくれると思う。だからリラックスしましょう。嘉人ファンの皆さん。
もし嘉人もリラックスできるとすれば、それはゴールの前だろう。

*このコラム(原文)は12月6日に書かれたものです

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噂にしても不似合いな、リバウドとFC東京

2003/12/04(木)

 英国のサッカー月刊誌『ワールド・サッカー』の12月号の表紙には、リバウドの写真が掲載されている。
 「バルセロナ、ACミラン、それともスパーズ? ブラジルのさまよえるスターが次に行き着く先は?」というのがヘッドラインだ。
 このとおり、FC東京はまったく話題になっていない。
 FC東京とリバウドが接触を持っているという噂を私が聞いたのは先週末であったが、すぐに忘れてしまっていた。
 その後、月曜日にもう1度同じ噂を聞いたので、いろいろと考えてみた。
 まず、噂は本当なのか?
 次に、FC東京は資金面の問題をどうクリアするのか?
 最後に、FC東京にリバウドは必要なのか?

 ジャーナリストとしては、もちろん噂の真偽をクラブに確かめるべきであったが、私はしなかった。クラブ側に、まったくのでたらめだと否定されでもしたら、とてもおもしろい話の種が消えてなくなってしまうからだ。
 何よりも、私は噂が真実でないことを願っているし、そう確信している。
 FC東京は、Jリーグでも屈指の経営上手なクラブである。このクラブは選手の獲得でミスを犯すことはあまりないし、これまでの例を見ても明らかなように、昔からお金にはとても細かいようだ。
 これまで、私はいろいろなメディアでディフェンダーのジャーンと攻撃的ミッドフィールダーのケリーを賞賛してきた。2人は、日本でプレーしている最高の外国人選手に数えられ、もっとも安定した活躍を見せていると思っているからだ。いくら支払っているかは知らないが、2人はその金額をはるかに上回る価値を生み出しているのではないだろうか。

 リバウドを獲得すればメディアには格好の話題となるだろうが、クラブはかなりの金額を支払わなければならないだろう。結果的に、チームの和を乱すことになるのではないだろうか?
 また、リバウドの獲得費用が、クラブの財政に大きく響くようになるのではないだろうか?
 さらに大胆に言えば、リバウドのポジションはあるのだろうか?

 FC東京は、右サイドに石川、左サイドに戸田を擁する、スピードが身上のチームである。
 前線では、ケリーがすべてを完ぺきに掌握している。
 FC東京がアマラオに代わる新しいセンターフォワードを求めているのだとしたら、リバウドは適役とは言えない。
 このような議論を突き詰めると、実際はどうであれ、私にはFC東京でリバウドが守るポジションは1つしか思い浮かばない。宮沢が守っていた「左ボランチ」である。
 もう少し現実的になってみると、リバウドは最近出場機会に恵まれていないので、身体的コンディションとスタミナは、原博実監督の、若くて、積極性溢れるチームにも充分対応できるだろう。
 ニュースは憶測に過ぎないと私は信じている。
 実際、そうであって欲しいと思う。FC東京にはこのような取引に関わってもらいたくないからだ。
 Jリーグのクラブに、このような選択をして欲しくはない。先には破滅しかないのだから。

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夢見る岡田監督

2003/12/01(月)

コーチングキャリアを通して、岡田武史はいつも思慮深く、非常に論理的な監督であると見られてきた。
だから、今週東戸塚にある横浜F・マリノスの練習グラウンドを訪れ、話を聞いた時私は少し意外に感じた。

土曜日のホームゲーム、対ジュビロ磐田戦を目前に控え、岡ちゃんは2003年のシーズンスケジュールが発表される以前に、こうした状況になる夢を見たのだと話してくれた。
「シーズン最終戦、ジュビロ磐田と優勝を賭けて戦う夢を見ました」彼はこう言った。「大観衆の横浜でジュビロを破り優勝した夢です」

シーズンスケジュールの発表があり、ジュビロとマリノスはファーストステージ初戦を静岡エコパで、そしてセカンドステージ最終戦を横浜国際競技場で戦うことになった。
「夢が現実になろうとしています」岡ちゃんは言う。
「我々は今、非常に良い立場にあり、こうした状況で戦えることは喜ばしいことです」彼の夢の中ではマリノスが2−1か3−2でジュビロを破ったという。そして彼は大事な事は多くの良いプレーと多すぎないゴールの楽しめる試合であることだと言った。
第15節、そして最終節を迎え、ジュビロ(勝ち点26)が2位鹿島アントラーズ(勝ち点24)を2ポイントリードし、マリノスとジェフが勝ち点23で続く。

今週、ほとんどの評論家がそうであるように私も、マリノス対ジュビロ、レッズ対アントラーズの試合結果いかんでの可能性をすべて計算してみた。
私の考える最も可能性の高いシナリオは、マリノス対ジュビロが引き分け、アントラーズが引き分けもしくは負けに終わりジュビロが優勝するというものだ。
アントラーズがこうした状況に豊富な経験を積んできているのはよくわかっているが、出場停止からエメルソンが戻ってくるレッズが勝つだろうと思う。彼を止めるのは無理だ。エメルソンのいないレッズは全く違うチームだ。なぜなら、対戦チームのディフェンダーは田中、永井、そして彼らをサポートするMF山瀬を集中してマークできるからだ。

岡ちゃんの見た夢にはアントラーズは出てこなかった。そしてジュビロ戦に向けて、どう準備するのかもだ。
「アントラーズが勝つか負けるかなんて考えているわけにはいきません。ジュビロ戦に勝つ事に集中するだけ。プレッシャーもありません。とにかくベストをつくすだけです。何が起こるかは神様にしかわかりません」
ジュビロ戦でのマリノスの勝利、そして鹿島の引き分けもしくは敗戦、そうすると岡ちゃんのチームが1ゴール差でタイトルを手にする。これも十分可能である。
あながち夢ではない。

*このコラム(原文)は11月28日に書かれたものです

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胸を張れ、ジェフ・ファン

2003/11/27(木)

 日曜日の午後に市原スタジアムで観戦した気分は、ハッピーでもあり、悲しくもあった。
 悲しかったのは、ジェフがトリニータと1−1で引き分けたため、ジェフユナイテッド市原のセカンドステージ制覇の可能性が事実上消えてしまったからだ。
 ハッピーだったのは、試合終了後に熱心なファンが選手たちを暖かく受け入れる姿を見たからだ。選手たちはできる限りのことをしたが、この日、この1年を通じて、何かが足りなかった。

 残り1試合の時点で、ジェフのステージ制覇の可能性は、数字上まだ残されているものの、複数の試合の結果がすべて都合の良いようになった場合にという、奇跡に近い確率である。
 したがって、優勝争いは基本的に3つのチームに絞られることになる。まず、ジュビロ磐田。次に、土曜日にジュビロと戦う横浜F・マリノス。それから、鹿島アントラーズ。アントラーズは、土曜日に埼玉で浦和レッズとナビスコカップ決勝戦のリターンマッチを戦う。ジュビロ磐田にとっては悪くない組み合わせだ、と私は思っている。
 日曜日に勝ち点3を取っていれば、ジェフも混とんとした優勝争いに加わっていたのだが、残念ながらそうはならなかった。
 ジェフは前半にリードを許したが、後半に崔龍洙(チェ・ヨンス)がこぼれ球を決め同点に追いつき、以降は勝ち越しゴールをひたすら追い求めた。

 ジェフの問題は、私の感じたところでは、早い時間帯からパニックになり、必死に攻撃を仕掛けすぎたところにあった。
 「韓国の鷲」こと崔龍洙が同点ゴールを決めた時、まだ28分も残っていたのに、ジェフはまるでロスタイムのような戦いぶりで、大分にカウンター・アタックのチャンスを与えてしまっていた。
 この時のジェフで感心したことが1つあるとすれば、このようなことをチーム全体の姿勢として貫いたことである。チーム全体で云々というのは、監督やテクニカル・ディレクターが好んで使う、いわば常套句のようなものであるが、きわめて大切なものである。
 特に、阿部をはじめとして、見事にゲームをコントロールしていた佐藤、両サイドの坂本と村井、2人のストライカーの背後でプレーする羽生が構成する、5人の中盤では、チームとして機能することが基本となる。

 私は阿部が大好きだが、日曜日は大事な時のパス出しが正確ではなかった。
 また、さすがの崔もプレッシャーを感じていたようだ。前半には、これまでの崔なら決めていたはずのチャンスをもらっても、驚いたことに、自分でシュートを打とうとせず、パスを出す相手を探していたくらいだ。
 監督のイビチャ・オシムは、このようなことが起るのではないかと危惧していたそうで、ジェフはこうした重要な試合で勝てるチームにはなっていなかった、と語った。
 これは、ファーストステージとセカンドステージに共通して見られた、今シーズンのホームゲームでおなじみのパターンである。
 ただし、ささやかではあるがパワフルな応援を受け(とりわけ寒くて、風の強いコンディションのなか)、今シーズンのジェフは持てる戦力以上に勇敢な戦いぶりを見せてくれた。
 ジェフのファンは失望などせず、自分たちのチームを誇りに思って欲しい。

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ゴン効果

2003/11/23(日)

ジュビロ磐田のベンチがあわただしく動き出し、味の素スタジアムを埋めた数千の観客も素早く呼応した。
中山雅史がまるで現代の剣闘士のようにピッチに上がる準備を始めると、この試合で最高の歓声が上がったのだ。

81分に前田遼一に代わって中山がピッチに入った時、ジュビロは東京ヴェルディに0−1でリードされていた。
数秒後には、アレクサンダー・ジヴコビッチの右コーナーからのセンタリングにロドリゴ・グラウが合わせ、美しい同点弾で1−1に追いついた。ヴェルディのディフェンダーたちは皆、ゴンを見ていたに違いない。そしてこのブラジル人FWの事をすっかり忘れていたのだろう。
その6分後には、西野泰正の低いクロスがアンラッキーな三浦淳宏に当たり、オウンゴールで2−1となった。
ヴェルディにとっては無情といっても良いが、多くのオープンスペースを作っていたジュビロにとって、この勝利は当然の事であった。

試合後の取材は中山の話題に集中した。
彼にとって、これが5月以降初めての出場であったし、彼の登場によってわずか数分で0−1から2−1と逆転勝利を収めた。
2試合を残して、ジュビロ磐田にとってはまさに絶妙のタイミングですべてがうまく回り始めているように見える。
前節、仙台戦の試合終了間際のペナルティーで1−0の勝利を挙げたのも幸運であったし、今回の三浦のオウンゴールもまた然りである。

試合後、私は藤田俊哉に代わって左サイドMFに入り、チームでのプレーを楽しんでいるジヴコビッチと話した。
「そう言えば試合後に、2点入ったのは中山がピッチに入った後だったと気がついたんだ。これは何かあるかもしれないよね」
親友のアルノ・ヴァンズワム(現在アルノはオランダリーグのNACでプレーしている)と、いまだに携帯でよく話すというジヴコビッチはそう言った。
「彼はチームにとって大事な存在だ。いつも我々にプラスのエネルギーを与えてくれる。ハードなトレーニングをこなしてきた彼にとっても良い事だよ」
「3ヶ月もピッチから離れて、彼はフィジカルトレーニングと筋力トレーニングをクラブハウスでやってきたんだ。今日の試合結果は彼にとって当然の結果だし、我々も彼のために勝ったんだ」

まさにジュビロによる素晴らしい逆転劇であったし、この勝利の影にゴンの存在があった事は疑うべくもない。
今シーズン彼は長い間欠場してきたとは言え、ゴンはまだ健在だ。

*このコラム(原文)は11月21日に書かれたものです

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劇的だったエムボマの代表招集

2003/11/20(木)

 一度は代表でのキャリアは終了したと思ったのに、パトリック・エムボマは瞬く間に代表に復帰した。
 日曜日、東京ヴェルディ1969とジュビロ磐田のJリーグの試合が終わった直後に、どんでん返しはあった。
 私と、東京の別の英字新聞の記者の2人は、試合後エムボマにインタビューを行った。
 目的は、終わったばかりの試合の感想と、水曜日に大分で行われる日本対カメルーンの親善試合に対するコメントをとるためであった。
 その時点では、エムボマは代表のメンバーではなかった。カメルーン代表のドイツ人監督ヴィニー・シェーファーが彼を選ばなかったからだ。
 当然、エムボマは動転し、落ち込んだ。カメルーン代表は1つの家族のようなもので、6月のコンフェデレーションズ・カップでチームメイトのマルク・ビビアン・フォエが死亡してからは、チームの絆はかつてないほどに強くなっていた。

 私はエムボマに、君の代表でのキャリアは終わったのだろうか、と訊ねた。
「おそらくね」と彼は答えた。
 そのとき、エムボマの携帯電話が鳴った。
 電話の相手はシェーファーで、大分で代表に合流するようにとの要請であった。インタビューを始めた時、大分まで行って試合を観るつもりはない、とエムボマは言っていた。自宅でテレビ観戦をするつもりだったらしい。チームの部外者としてそこにいるのは、あまりに悲しすぎるから。

「コメントを変更したいんだけど」
 シェーファーとの会話を終え、エムボマはそう言った。
「僕の代表でのキャリアは、まだ終わってはいない!」
 ホッとしているようでもあったし、誇らしげでもあった。
 エムボマは、前の週にリヨンで行われた、フォエの家族のための慈善試合でカメルーン代表のメンバーたちと一緒にプレーしたが、これがカメルーン代表としての最後の試合になるかもしれないと感じていた。

 カメルーンの選手たちが、大分でエムボマと一緒にプレーしたいと望んだのは明らかであった。選手たちがシェーファーにそう要請し、シェーファーが自分の代表招集を決めたのだ、とエムボマは言っていた。
 選手たちにもそれぐらいの力があることが、証明されたのだ。
 エムボマには、自分の経験とプレーを通して、まだまだカメルーン代表に伝えたいことがあり、自分の存在が水曜日の試合のちょっとしたスパイスになるかもしれないとも感じている。
 日本のディフェンス陣は、そんなことにはなって欲しくないだろうけれど。

*このコラム(原文)は11月18日に書かれたものです

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ジーコ監督がバレーボールから学んだこと

2003/11/17(月)

皆さんはフジテレビの女子バレーボールワールドカップをご覧になっているだろうか?
もちろん私も見ており、思うに視聴率も良いのではないだろうか。

ワールドカップが開幕した2週間前、私は代々木体育館で2試合を観戦した。そして、特に対韓国戦の勝利には非常に感動した。
とりわけ私の目を引いたのが、日本選手のコート上での行動である。
チームワークの素晴らしさはもちろんだが、それ以上に全てのプレーヤーが常にお互いを励ましあい、指示を叫び、そしてその指示をしっかり聞いている。
ある時などは、監督がコートサイドに出ているにも関わらず、キャプテンは周りの騒音のために指示が聞こえなかったほどだ。すぐ隣にいたというのに。

これはサッカーのコラムではなかったかって?
要は、水曜日に大分で行われる対カメルーン戦のメンバー発表の記者会見が月曜日に行われたが、その席上でジーコ監督がこの二つのスポーツを比較していたのだ。
日本代表にはコミュニケーションが欠けているのでは、というある記者の質問に、自身も仙台で行われたキューバ対ブラジルの試合を観に行き、コミュニケーションのレベルに感心していたジーコ監督は、日本代表もバレーボールから学ぶ点が多いとコメントしていた。
私もこのジーコ監督のコメントには全く同感である。(私が彼に同意するのはたぶんこれが初めてだ)

2日後の水曜日、私はU−20日本対U−20オーストラリアの試合を観に国立競技場へ行った。日本は後半早々にペナルティーキックを与え、0−1で負けてしまったのだが、もっと点差を開けられていてもおかしくない試合だった。
前半には、頭越しにロングボールを入れられた場面で、GK川島とディフェンダーの間で明らかにコミュニケーションがとれていないことが多かった。
ゴールキーパーとディフェンダーが同じボールに突っ込み、混乱を招く。当然、キレの良いチームがこの弱点を突くことになる。

思い起こせば、私がイングランドの草サッカーで日曜日の朝プレーしていたローカルチームの方が、今回のU−20日本代表よりもコミュニケーションがとれていた。
そういった状況では、ゴールキーパーは公園の反対側へ、いや、町の反対側へさえも届くように「キーーーーーパーーーーー!」と叫びながらラインを飛び出し、誰もが邪魔をしないようにして、ボールを受けるかクリアしたものだ。

きちんとコミュニケーションがとれることがサッカーの基本である。日本の選手達はピッチ上でお互いに声をかけあい、もっと積極的に、もっと情熱的に、そしてもっと感情を露わにしても良いと思う。
そう、あの女子バレーボールの選手達のように。

 *本コラム(原文)は11月15日に書かれたものです。

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エメルソンとビスマルク、代えるべきか、代えざるべきか?

2003/11/13(木)

 週末のJリーグ、2人の監督は、明らかに異なった哲学を持っているように見えた。
 私が言っているのは、浦和のハンス・オフトとヴィッセル神戸の副島博志のことで、リーグ最終戦に出場停止処分になる危険性があった選手がこれに関わっている。

 まず、浦和から。
 ブラジル人のエース、エメルソンは、イエローカードを2枚累積した状態で、土曜日、ホームでのヴェルディ戦に臨んだ。つまり、ヴェルディ戦でもう1枚イエローカードをもらえば、すでにセカンドステージで1度出場停止処分を受けているエメルソンには2試合の出場停止処分が科されることになる。
 エメルソンは、「いかにもエメルソン」というスタイルで、5−1で勝利した浦和の先制点と2点目を決めた。しかし、2−0でリードしていたハーフタイムの直前、ヴェルディのペナルティーエリア内でペナルティーキックを得るためにダイブを試みた。
 結果は言うまでもない。エメルソンには、セカンドステージで通算6枚目のイエローカードが与えられた。そのため浦和は、エメルソンの力がもっとも必要となるリーグ戦の残り3試合のうち2試合で彼を欠くことになったのだ。
 試合後、私はオフトに、2−0になった時点で、イエローカードを防ぐためにエメルソンを代える気はなかったのかと質問した。
 オフトは、君の考え方は消極的すぎると言った。「2−0では、ゲームはまだ決まったわけじゃないし、ヴェルディが後半早々に得点して2−1となった状況は、我々にとって困難なものだった」とオランダ人の監督は言った。
「私はギャンブルを好まない。合理的ではないからだ」

 次に、土曜日の駒場スタジアムから日曜日の味の素スタジアムで行われたFC東京対ヴィッセル神戸の試合に目を転じてみよう。
 関係する選手はビスマルク。ヴェルディとアントラーズのかつてのスター選手は、ヴィッセルを降格の危機から救うためにやって来たのである。
 ビスマルクも、累積のイエローカードを2枚抱えた状態でゲームに臨んだが、ヴィッセルが0−4でリードされていた69分過ぎに、副島はビスマルクを交代させた。
 交代の理由は、すでに勝敗の決まった試合の終盤でビスマルクがイエローカードをもらって1試合の出場停止となるのを、副島が望まなかったということにつきる。
 副島の采配は興味深く、現実的であった。彼は、1−4で敗れたのは運がなかったせいだと考えたのかもしれない。

 FC東京の見事な攻撃的サッカーも讚えるべきだが、私にとってのホームチームのベストプレーヤーは、ゴールキーパーの土肥洋一であった!
 土肥は芸術的なセーブをいくつか見せた。特に、FC東京が先制点を奪うために攻勢に出ていた前半の活躍は見事であった。
 試合序盤にはシジクレイの強烈なシュートをセーブしたほか、ビスマルクのフリーキックを掌で巧妙にバーの上に弾き出した。

 もし私がヴェルディ戦のオフトの立場だったなら、2−0の時点でエメルソンを交代させて出場停止処分を逃れようとしただろう。一方、ビスマルクは、ヴィッセル神戸の主力選手として今度の週末にまたピッチに登場する。

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ヴェルディの投資に応えたエムボマ

2003/11/10(月)

東京ヴェルディ1969がパトリック・エムボマと契約するのは大きなリスクだと感じていたJリーグファンは手を挙げて欲しい。
そう、私もその一人である。
今シーズン初め、エムボマが日本に帰ってくるというニュースを聞いた時、私は少なからず驚いた事を白状しよう。
ここ数シーズンパルマで、そして短期間ではあったがサンダーランドでそれほどプレーしていなかったし、32歳の彼がヴェルディのためにシーズンを通して働けるのか疑問だったからだ。
しかし、ヴェルディとエムボマは私を含めそうした疑問を持った人たちが間違っていた事を証明してみせた。

今週末、セカンドステージ第12節を前に、ヴェルディは11試合で勝ち点20をあげ首位に立っている。そしてエムボマは19試合に出場、13得点をあげチームの得点王だ。
ジュビロのロドリゴ・グラウが首位に立つ得点ランキングでは6位。グラウはエムボマより多い25試合出場で17得点と、その差はわずかに4ゴールだ。
ガンバ大阪に在籍していた1997年の28試合で25得点という記録には届かないものの、カメルーンのスター、エムボマはこの結果には満足できるだろう。
ヴェルディはと言えば、もちろん得点力だけで彼と契約したわけではない。
ヴェルディグリーンをまとい素晴らしい働きをしたエジムンドに代わる、経験豊富で精神的支柱となれるリーダーが必要だったのだ。

金曜朝、読売ランドでのヴェルディの練習を見ていたが、なぜエムボマがヴェルディにとって重要なのかよく分かった。
彼はとにかくサッカーに夢中だ。そしてこれが同じサッカー文化の中で育ってこなかった彼のチームメートにも伝わっているに違いない。
通常のグランドの1/4のサイズで行う練習試合でさえも、エムボマのゴールに対する喜びは一見の価値がある。
ボールがゴールに吸い込まれネットに当たる音がした後、エムボマはワールドカップで得点を挙げたかのように右手を空に突き上げ走ってみせたり、喜びのあまりグランドにパンチする仕草をする。
どちらのポーズも、見ていてとても楽しい。なぜなら、そこに彼のサッカーに対する、そして得点を挙げることに対する純粋な喜びを見出せるからだ。

私は彼に全シーズンを通して活躍できる体力があるとは思えなかった。そして、確かに彼は数試合欠場している。しかし、彼はこの契約が単にヴェルディのためと言うよりJリーグのために素晴らしいことだったという事を証明してみせた。

日曜日正午から午後1時にかけて、エムボマはチームを代表して「江戸開府400年記念イベント in たちかわ」に参加し、夕方にはかつてのチームメート、マルク・ビビアン・フォエの家族のためにリヨンで火曜日に行われる慈善試合に出場するためフランスへと向かう。

*本コラム(原文)は11月7日に書かれたものです。

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田中達也ワンマンショー

2003/11/06(木)

 21歳の誕生日を前にして、浦和レッズのストライカー、田中達也はJリーグの顔となった。
 11月27日に21歳になる田中は、浦和が鹿島アントラーズを4−0で破って感動を呼んだ、月曜日のナビスコカップ決勝戦の前後に、大会の個人賞を総なめにした。
 まず決勝戦の前日、田中はこれまでの活躍により大会のニューヒーロー賞の受賞者となった。
 決勝戦のあとにはMVPにも選出されたが、これも文句のつけようのないものであった。

 爆発的な能力を持つブラジル人ストライカー、エメルソンとコンビを組む田中は、スピード豊かで、ダイナミックな浦和の攻撃の要である。浦和の攻撃陣は、準決勝の第2戦で清水エスパルスを粉砕したが、月曜日には鹿島を相手に同じことをやってのけた。
 先制ゴールは、鹿島のゴール前で秋田豊と曽ヶ端凖の虚を突いた山瀬功治の素晴らしいジャンピング・ヘッドであったが、右サイドから田中が左足で上げた危険なクロスボールに合わせてのものだった。
 エメルソンが決めた2点目のゴールは、平川の絶妙のパスに合わせた、見ごたえ充分のシュートであった。
 後半早々のこのゴールで、実質的には勝負は終わった。私には、アントラーズに2−0から巻き返す力があるとはどうしても思えなかったからだ。

 その後、田中が3点目の鮮やかなゴールを決め、レッズの勝利を決定づけた。左サイドでボールを受けた田中は、切れ込みながらディフェンスを2人かわし、得意の右足から放ったシュートは曽ヶ端の守るゴールの隅に突き刺さった。
 このゴールは、スピード、ボール・コントロール、自信、ゴール感覚という、田中の持てる資質がすべて凝縮されたものであった。代表監督のジーコも、今年の初めには、オリンピック代表とA代表の掛け持ちはあまりさせたくないとは言っていたが、田中を早くA代表で見たいと思っていることだろう。
 この点には注目して欲しい。今の田中は絶好調だ。カメルーン戦と、来月初めに控える4か国対抗の東アジアサッカー選手権で、その持てる実力を存分に発揮するのをぜひ見てみたいと思うのだ。

 月曜日は、レッズにとって素晴らしい1日であった。ただし、監督のハンス・オフトが、クラブの社長が来シーズンは彼に監督を続けさせる意思がないことを第三者から知らされたのを理由に、辞任を表明したのは残念であった。
 田中が今シーズン飛躍的に進歩し、ブレークした代表的な選手であることが、月曜日の試合で万人の目に明らかになった。

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今年こそレッズだ

2003/11/03(月)

月曜日のナビスコカップ決勝にむけて緊張と興奮が高まっていくなか、私は東京・国立競技場で浦和レッズが鹿島アントラーズを下すと強く感じている。
両チームは昨年の決勝でも対戦し、その時は小笠原満男のドライブのかかったシュートでアントラーズが1−0で勝利した。
鹿島に比べ、大一番の経験が明らかに不足していた浦和は、試合結果に異存はなかっただろう。

しかし今シーズンは違う。浦和が優勝候補と言っても良いくらいだ。
私がこのように言うのは不思議に思われるかもしれない。なぜなら1993年のJリーグ発足以来、彼らは3大カップ戦のいずれにも勝った事がないからだ。
ただ、今回のナビスコカップでの浦和、特に2−0で勝利したアウェーでの準々決勝第2戦の対FC東京戦、そしてアウェーでの0−1の敗戦を覆した準決勝第2戦、対清水エスパルス戦での6−1の快勝には非常に感心させられた。
オランダ人コンビ、ハンス・オフト監督とビム・ヤンセンコーチに率いられた浦和は、駒場で意気消沈したエスパルスを粉砕した。
ブラジル人点取り屋エメルソンは、パートナーの田中達也が清水のやる気を消失させた前半の2ゴール後、後半早々にハットトリックを達成した。
その夜のレッズには緊張感と信念が感じられた。私にはそれが決勝で消え去るとは思えないのだ。

アントラーズもまた準決勝、対ジュビロ磐田戦での勝利で個性を発揮した。しかし俊足の本山雅志は手術を受け欠場、また平瀬とフェルナンドは出場停止だ。
トニーニョ・セレーゾ監督率いるこのチームはギリギリの状態である。鹿島の経験豊富なディフェンス陣とレッズの若いフォワードの戦いは素晴らしいものとなるだろう。

5万5000枚のチケットは昨年より15分早く、わずか15分で完売した。そしてインターネットでは8万円で売買されている。
これは勝利に飢えたレッズファンにとっては安いものだ。私は月曜午後に彼らが失望しないと信じている。
私の予想は、2−1で浦和の勝利だ。

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ジェフ・ファンの皆さま、もう少々お待ちを

2003/10/30(木)

 ジェフユナイテッド市原の監督、イビチャ・オシムは、全15節のうち11節が終了した時点でのセカンドステージの順位表を見て、内心喜んでいることだろう。
 ジェフは4位で、トップとはわずか1ポイント差だが、セカンドステージで優勝する可能性があるチームだと思っている人はそうは多くない。
 ファーストステージの王者の横浜F・マリノスとナビスコカップの決勝戦に進出した浦和レッズが本命の2チームと考えられており、その評価は順位表のトップにいる東京ヴェルディ1969よりも高いようだ。
 まさにオシムが望んでいた状況である。

 ファーストステージの第14節、ジェフが清水エスパルスに惨敗したあと、私は日本平で彼と長い、長いおしゃべりをした。
 セカンドステージを見越して、オシムは、自分のチームにはあまり早い時期にトップに立って欲しくない、と語った。ジェフの選手たちはプレッシャーに対処できないと考えていたからだ。
「トップに近いポイント差で4位か5位につけていられたらと思うんだ」とオシム。
「そうすれば、最後の2試合で優勝に向けてスパートをかけられるからね」
 上位のチームがいずれも勝利できなかった先週末の試合が終了した時点で、ジェフは終盤に追い込みをかけるのに完璧な位置にいる。
 ヴェルディとマリノスが勝ち点20で、レッズとジェフが19。さらに少しの差でFC東京が勝ち点17の5位につけている。

 もっとも、ジェフの残り試合の相手も見てみなければならない。
 ナビスコカップの中断後の11月8日、ジェフは低迷する京都パープルサンガと西京極で戦う。
 翌週も、順位表のトップより最下位に近いチームとホームで戦う。相手は、セレッソ大阪である。
 その後、最後から2番目の試合はホームでの大分トリニータ戦。
 もしジェフが上記の3試合のうち1つでも落とすことがあれば、オシムにとって大きな失望となるだろうが、本人は当然全勝で勝ち点9を奪うつもりでいることだろう。
 シーズンの最終戦は優勝を賭けた大一番になる可能性が高いが、11月29日、ジェフは味の素スタジアムでヴェルディ相手にアウェーのゲームを戦う。
 京都、セレッソ、ヴェルディ…この対戦相手はジェフに有利に働くかもしれない。

 土曜日のジュビロ戦で崔 龍洙(チェ・ヨンス)が挙げた終盤の同点ゴールは、スタンドにいた熱烈な市原ファンの涙を誘ったことと思う。
 そして、たぶん、涙を流す機会はまだ何度かやって来るだろう。
 嬉し涙か、悔し涙か?
 結果はすぐに明らかになる。

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FIFAの大きな一歩

2003/10/27(月)

『ジョゼフ・ブラッター氏は毎日50もの新しいアイデアを考える・・・そしてそのうちの51はくだらないものだ』
かつてあるドイツ人のジャーナリストがこう語った。
こうした揶揄は、このFIFA会長をバカにしたものだが、FIFAがワールドカップ直前の会長選を行わないという今回のニュースは大歓迎である。
私はこれまでに、1998年のパリ、に2002年のソウルと、2度のFIFA会長選挙に出席した。 FIFAがこのような重要な選挙を、キックオフの前日に行っていた事は、まったく信じられない事だった。
この時期は、皆がサッカーとサッカー選手のことを考えていなければならないというのに、新聞記事になるのはサッカー界の権力闘争と裏取引のことばかりだった。
フランスではジョアン・アベランジェ氏が引退した後を受け、ブラッター氏がレナート・ヨハンソン氏を破った。
ソウルでは、ブラッター氏がイッサ・ハヤトウ氏を相手に、圧倒的な強さで2期目を勝ち取った。

もともとこの任期は2006年のドイツワールドカップ直前で満了となるはずであった。
しかしFIFAは最近、ブラッター氏の任期を2007年まで延長することを決定した。
これは素晴らしいアイデアだ。
すなわち、2006年ワールドカップ間近には皆がサッカーに集中することができ、そうした政争や会長人事は本来あるべき裏方にもっていくことができる。
さらには、FIFAの会長は2006年ワールドカップ後、会長選挙まで数ヶ月をかけて、様々な未決事項の解決、帳簿の締め、そしてあらゆる業務書類や会計書類の決裁を終わらせることができる。

フランツ・ベッケンバウアー氏が2006年ワールドカップの運営を取り仕切り、そして2007年に立候補するのではないかという噂があるが、まさに見ものだ。
韓国の野心的な家柄出身で、自身も相当な野心家である鄭夢準(チョン・モンジュン)氏も会長選出馬を目指すかもしれない。
いずれにせよ、会長選挙を1年遅らせるという今回のFIFAの決定は素晴らしい事である。

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クジ運に恵まれたオリンピック代表

2003/10/23(木)

 サッカー日本代表がアテネ五輪に出場できるかどうか、多くの人が気にかけていることと思う。
 しかし、組み合わせ抽選が終わってみれば、不安は楽観に一変したに違いない。
 日本は明らかにクジ運に恵まれ、グループBからの出場枠1を獲得できそうである。
 全体を概観してみよう。
 グループAは韓国、中国、マレーシアが構成し、グループBは日本とバーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)。そしてグループCはクウェート、サウジアラビア、オマーン、それからイラクまたは北朝鮮。
 それぞれのグループの1位がアテネ五輪の出場権を手に入れることになる。
 韓国、日本、クウェートの3ヶ国が第1シードとして3つのグループに振り分け分けられたのだが、日本にとってラッキーだったのは、中国およびサウジアラビアとの対戦を回避できたことだ。

 今回の日本チームは2000年の大会のチームに比べて個性や才能にかけているものの、私は出場権獲得についてはずっと楽観的に考えていた。ただし、中国との対戦だけは心配の種であった。
 1年前、韓国・プサンで開催されたアジア大会で日本と中国との試合を見て、中国にはとても感心させられた。
 この準々決勝の試合は、「ガンバのゴン」こと中山の素晴らしいゴールで日本が勝ったものの、中国の試合内容は見事で、とても危険な相手に思えた。
 だから、中国がグループAに入ってほっとしている。ちなみに、グループAは、韓国、イランが同居する大激戦区である。
 アジア・サッカー連盟の事務局長である、ピーター・ベラパン氏は、グループAを「死のグループ」と形容した。まさにその通りだが、それならグループBは「喜びのグループ」といったところか。日本が、アトランタ、シドニーに続く3大会連続の出場権を獲得する素晴らしいチャンスに恵まれたからだ。

 もちろん、日本もタフな試合に何度か遭遇するだろう。とりわけUAEは、巨費を投じてトップクラスの監督を招聘しているため、いつもベストコンディションで戦いに臨んでくるし、組織力もある。
 とはいえ、ハイレベルなJリーグで育まれてきた日本選手の能力、チームワーク、経験があれば、このグループは充分勝ち抜くことができるだろう。

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レッズを推す隠れたファン

2003/10/20(月)

横浜F・マリノスの強さが、昨年のジュビロ磐田のように両ステージ完全制覇を達成できるほどのものであることは、疑うべくもない。
もし、岡田武史監督率いるこのチームが2ステージ制覇を遂げたとしたら、東アジアサッカー連盟とジーコ監督にとっては喜ばしい事だ。なぜなら、12月4日から10日にかけて開催される東アジアサッカー選手権・決勝大会にすべてのJリーグ選手が出場可能になるからだ。
マリノス以外のチームがセカンドステージで優勝した場合は、12月6日〜13日のチャンピオンシップ大会出場のために、マリノス及びセカンドステージ覇者の選手たちは出場が不可能となってしまう。

Jリーグはもちろん、収益とリーグのアピールのためにチャンピオンシップ大会の開催を望んでいる。
チェアマンの鈴木氏は、昨年ジュビロ磐田の両ステージ完全制覇による損失額を7億円と述べた。これは相当のお金持ちにとっても巨額のお金だ。
リーグとしてはもちろん特定のチームを贔屓するわけにいかない。しかし、リーグにとって最善のシナリオとは、浦和レッズがセカンドステージで優勝し、チャンピオンシップ大会でマリノスと対戦することだ。
満員の観客に埋め尽くされた収容人員70000人の横浜国際競技場と、63000人のさいたまスタジアム2002、チームカラーの赤と青はテレビで見ても壮観であろう。そして阪神タイガースとヤンキースの松井に話題を奪われた今年の最後にサッカーを目立たせることができる。

東アジアサッカー選手権・決勝大会はFIFAの国際マッチスケジュールに含まれておらず、各チームは選手を手放す必要がない事も手伝って、ジーコ監督が欧州組の主力選手を呼び戻すことはできないだろう。
欧州組に加え、マリノスとレッズ(もし彼らがセカンドステージ優勝の場合だが)の選手達を除くとなると、ジーコ監督はどうしてもニューフェースを代表として加えなくてはならなくなる。
個人的には、これはジーコ監督にとって良いテストになると思う。それはジーコ監督のゲームプランの重要性が高くなるからだ。

最高の選手達とピッチ上のキャプテン中田に指揮を任せてしまうかわりに、今回は比較的楽な対香港戦、そしてタフな試合になるであろう対中国戦、対韓国戦において、ジーコ監督は招集した選手に合わせたしっかりとした戦術と戦略を採用しなければならない。
レッズのセカンドステージ優勝、そしてジーコ監督の新代表選出、個人的にはどちらも良いのではないかと思っている。

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キング・アマラオの治世はいつまで?

2003/10/16(木)

 首都のJリーグファンにとって、今度の土曜日、全ての道は味の素スタジアムのFC東京対浦和レッズ戦に続いている。
 どちらのチームのファンも、けたたましく、色彩豊かなスペクタクルを提供してくれるので、エキサイティングな試合が観られ、すばらしい経験ができることだろう。
 FC東京は前回のホーム・ゲームで鹿島アントラーズを5−1と圧倒したし、浦和レッズは先日のナビスコカップ準決勝の第2戦、駒場で清水エスパルスから6点を奪っている。
 どう考えても、土曜日の試合が0−0の引き分けになるなんてことはない!

 FC東京対アントラーズ戦の前、とあるFC東京ファンから、セカンドステージ最終節の日は柏に行ってはどうかと勧められた。その試合は、「東京の王様」ことアマラオのリーグ最終戦となり、FC東京が特別なセレモニーを行うから、というのが理由だった。
 その親切なサポーターの話によると、これまでFC東京に多大な貢献を果たしてきたアマラオはその試合を最後に引退するらしい。

 アントラーズ戦でのアマラオは調子が良く、ファーサイドのゴールラインぎりぎりのところからヘディングで1ゴールを記録したほか、その他の得点にもからんでいた。
 試合後、私はアマラオ本人に引退説について訊いてみた。以下に彼の発言を記す。
「今シーズンが終わっても、あと2年はプレーを続けられると思うよ。モチベーションを高く維持できているからね」
 アマラオは木曜日(*10月16日)、37歳の誕生日を迎える。
「もちろん、できればFC東京でプレーを続けたい。このチームが好きだし、自分の経験を若い選手たちに伝えることもできる。」
「でも、J2でプレーすることにも興味があるんだ。FC東京のJ1昇格に貢献できた時も、すごい充実感があったからね。FC東京でプレーできないなら、他のクラブで同じような経験がしたいね。」
「僕はこれまで、1シーズンでだいたい15〜16ゴールを記録しているけど、今年はリーグ戦で2ゴールしか挙げていない。でも、チームには今でも大いに貢献しているし、他の選手のゴールもアシストしている。僕は、自分のやっていることに満足している。チームが強くなっているんだからね」
 アマラオは、浦和戦では自分のゴール数を増やそうと必死だろうし、今度の試合自体も激烈なものとなるだろう。相手が、東京の監督である原博実の古巣ということも、面白い伏線である。

*1966年10月16日生まれ

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代表デビュー、輝く加地

2003/10/13(月)

木曜早朝の日本対チュニジア戦を観るために4時25分に起きた皆さんの体内時計は元に戻っただろうか?
きっとFC東京のファンの皆さんは、加地亮と茂庭照幸の活躍のおかげで早朝スタートの試合にもかかわらず早起きの後遺症はないことだろう。
両選手は代表チームのデビューを果たし、2人共素晴らしい出来であった。
特に加地の態度はプロフェッショナルで、自信に満ち、職人気質を感じさせるものだった。
彼は非常に運動能力に優れた右サイドバックであり、後半にはもう少しで得点を挙げることができた。

日本が1−0でリードしていたにも関わらず、加地は後ろに下がって守備をする事に満足しなかった。
彼は右サイドを駆け上がり、鈴木隆行からの絶妙なパスを受けた。
そして加地はサイドステップでコールキーパーをかわしシュートを放った。しかし、それは大柄でたくましいチュニジアのキャプテンで、センターバックのハレド・バドラに阻まれた。
加地の攻撃に対する決断と責任感は、プレーそのもの以上に、キャプテン中田英寿にも感銘を与えたようだ。
茂庭もまた、ディフェンスの中心で中沢とともに落ち着いて見えた。そして、柳沢の見事なゴールは茂庭の中央のパスから生まれたのだ。

さて、ジーコ監督は土曜夜の対ルーマニア戦に向けて何をするだろうか?
彼はこの一時的な、加地―中沢―茂庭―三浦のディフェンスラインをそのまま使うのか、それとも山田、坪井、三都主に戻すのだろうか。
山田―坪井―宮本―三都主のラインは、対アルゼンチン戦の失敗でジーコ監督が色々な変更を重ねた後、コンフェデレーションズ・カップ前の親善試合、対パラグアイ戦で採用したものだ。
しかし、彼らがパラグアイ戦で得点を許さなかったため、ジーコ監督がディフェンスのラインとしてフランスでも選択したのだ。
監督はチュニジア戦でプレーした4人を同じように使うのだろうか?
それは20%の視聴率が見込まれる土曜夜のテレビ放送で明らかになるだろう。チュニジア戦の視聴率はわずか2.1%だったが・・・。

*本コラム(原文)は10日に書かれたものです

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アントラーズ時代の終焉?

2003/10/09(木)

 土曜日の味の素スタジアム、FC東京が5−1で鹿島アントラーズを圧倒している試合を観戦していたら、自分は1つの時代の終焉を目撃しているのかもしれないと思えてきた。
 1996年以来4度のリーグ制覇、3度のナビスコカップ優勝、2度の天皇杯優勝を誇った、アントラーズ時代の終焉である。
 かつてのアントラーズはそこにはなかった。もちろん、どんなチームだって、2人が退場を食らっていれば勝負にはならないもので、アントラーズは、前半に名良橋がペナルティーボックスのすぐ外で戸田を倒し、後半には小笠原が2枚目のイエローカードをもらって退場処分となっていた。
 小笠原は前半に石川に対するファールで1度警告を受け、後半には茂庭との小競り合いのあとに2枚目のイエローカードをもらった。正直言って、私はどちらのケースもFC東京の選手が要領良く立ち回った結果だと思う。とりわけ、茂庭はきわめて巧妙であったし、2枚目のイエローカードは小笠原には気の毒であった。
 とはいえ、それだけが、アントラーズがゲームのあらゆる局面で圧倒された理由とはならないだろう。

 前半、FC東京が2−0でリードしていた時にはすでに、ホームのファンはパスが通るたびに「オーレ!」と揶揄の声を上げていた。ファンは、闘牛士に翻弄される、年老いて、くたびれきった闘牛にアントラーズの選手を見立てていたのだ。闘牛と同じように、結果は火を見るより明らかで、FC東京はさらに3点を上げ、哀れな生贄にとどめの剣を突き刺した。
 アントラーズの広報によると、鹿島がリーグ戦でこれほどの大敗を喫したのは、1995年にベルマーレ平塚に7−0で敗れた時以来だそうだ。
 鹿島の守備陣は年をとりつつあり、それに取って代わるべき羽田や金古といった選手たちはいつも故障を抱えているように見える。

 試合前、クラブの社長である牛島洋氏に聞いたところによると、不運な中田浩二はヒザの手術を受け、復帰は来シーズンのセカンドステージになるかもしれないそうだ。
 中盤に中田浩二の狡猾さときめ細かさを欠いているのが、アントラーズの泣き所だろう。私自身は、日本の歴代の名選手に比べて優るとも劣らない才能を持つ青木に大いに期待したいところではあるが。
 攻撃陣では、柳沢と鈴木がヨーロッパのクラブにレンタル移籍しており、エウレルは故障、長谷川は引退で、残っているのは平瀬とルーキーの深井だけで、ティーンエイジャーの中島が交替要員を務めているという有り様である。
 アントラーズには明らかに得点力が不足しており、今シーズンのセカンドステージ制覇はかなり厳しいのではないかと思う。
 アントラーズのファンは優勝慣れしているが、しばらくは忍耐が必要になるだろう。

 最後に、FC東京にも一言。約3万人の観客が詰めかけた、土曜日の「ブラジルDay」は、活気に満ちた、色彩豊かなスペクタクルであった。ホームチームが攻勢に出て、ゴールのアナウンスがポルトガル語で流されるたび、アントラーズのトニーニョ・セレーゾ監督は背筋がぞっとしたことだろう。
 アントラーズが、憎らしいほどに強かった数年前の状態に戻るには、まだまだ時間がかかるようだ。

*本コラムは、10月7日に書かれたものです。

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“ブラジルDay”の主役、加地

2003/10/05(日)

今週土曜日、FC東京の対鹿島アントラーズ戦は、“ブラジルDay”である。しかし注目すべきは初の日本代表入り間近の一人の若い日本人選手だ。
味の素スタジアムでエキゾチックなサンバダンサーズがファンを迎え、ミニ・リオ・カーニバル・パレードが行われた後、FC東京の右サイドバック、加地亮はジーコ監督が彼を10月8日、チュニスで行われる対チュニジア戦のメンバーになぜ選んだのか、証明してみせる事だろう。

兵庫県出身、23歳の彼の選出は、特に、今シーズン初めに早稲田大学の学生でもある徳永悠平にポジションを奪われていた事もあって、多くの人を驚かせた。
しかし、クラブの常務取締役、村林裕氏は加地の能力について一度も疑ったことがないと言う。
「シーズンの始まる前、1月や2月に私は、加地は今年、代表候補になると言い続けていました」村林氏は言う。
「ですから彼の選出は私にとっては驚きではありませんでした。選出後、火曜日に彼と話をしましたが、彼はいつも落ち着いているので、どう感じているのかはわかりませんでした」
「ただ、チームメイトが言うには、すごく喜んでいたようです」
村林氏は加地がオリンピック代表、徳永にポジションを奪われた後も、ポジションを奪い返そうという固い意志を見せていたと付け加えた。
「徳永が良かったので、加地はベンチに座る事になってしまいました」
「しかし、彼は一切不満も言わず、練習でも成果を上げ、また、ピッチ外でも常にポジティブでした。そうした時期の彼にクラブの皆は非常に感心していました。こうした経験が彼をより強くしたのだと思います」村林氏は言う。

クラブは毎年1回“ブラジルDay”を開催する。優勝候補の対鹿島戦には35000人の観衆を予測している。
ファンのために、ブラジルビールとブラジル料理が用意され、また、スペシャルゲストとして駐日ブラジル大使が招待される。
またFC東京は、キックオフ前にアントラーズのトニーニョ・セレーゾ監督を含め、両チームのブラジル出身選手に花束を贈呈する。
しかしお祭りはここまでである。
「まだセカンドステージ優勝を狙えると思っています」村林氏は言う。
「7試合を残して、首位とはわずか5ポイント差です。まずは対鹿島戦をはじめ、4試合のホームゲームに勝つことです」
「今回は5回目の“ブラジルDay”です。なんと言っても過去4回は全て勝っているのですから」

 *本コラム(原文)は10月3日に書かれたものです。

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おかえり、アツ

2003/10/02(木)

 今シーズンの開幕前、私は、京都パープルサンガの練習グラウンドである日の午後を過ごした。
 目的は、ドイツ人監督のゲルト・エンゲルスへのインタビューであった。エンゲルスは、横浜フリューゲルスを皮切りにジェフ市原、京都の監督を歴任し、Jリーグでさまざまな栄光と苦難を味わった。
 インタビューでヨーロッパの日本人選手の話題が挙がった時、エンゲルスはある選手のことをことさら話題にした。
 「僕が日本で一緒に仕事をした選手のなかで、ヨーロッパで大活躍できる可能性が一番高いと思ったのは、三浦淳宏だったね」とエンゲルスは言った。
 「何でもできたからね…。技術も、身体能力も抜群だったし…、フリーキックもコーナーキックも巧くて、クロスも良かった…、三浦ならヨーロッパでも全然問題ないと確信していたよ。プレースタイルがヨーロッパのサッカーに向いていたからね」

 もちろん、アツ(三浦淳宏)がヨーロッパでプレーすることはなかったが、日本代表選手にはなった。
 日本代表選手として16試合に出場して、1ゴールを記録している三浦は、今週、その実力から当然のことではあるが、北アフリカと東ヨーロッパで2試合を戦う日本代表の短期遠征のメンバーに久々に選ばれた。
 10月8日のチュニジアとの遠征の初戦は、三都主アレサンドロがナビスコカップ準決勝第2戦のため不在の予定で、ジーコには新しいレフトバックが必要であったのだ。
 そこで、ジーコは、アツを試してみることにした。ちなみに、アツは現在29歳で、今回選出された8人のディフェンダーのなかで最年長である。
 ここ数年は故障の連続と体調の不良で苦しんできたアツは、東京ヴェルディと同じく人々の注目から消える運命であるかのように見えた。
 しかし、アツは、オジー・アルディレスが進めたヴェルディ再興の中心的役割を務めるようになり、ジーコもアツは国際舞台でプレーできる段階にまで来たと判断をしたのだろう。

 エンゲルスが列挙した上記の資質とは別に、私は三浦のロングスローは日本の武器の1つになると思う。三浦のスローインは相手のペナルティー・エリアの中まで届くので、コーナーキックと同じ効果があるのだ。
 現在故障中の相馬直樹と同じく、三浦は右利きのレフトバックで、マーカーをかわして外側からクロスを上げることもできれば、内側に切れ込んでシュートを放つこともできる。
 ジーコには、良い働きをした選手は次の試合も起用するという傾向があり、「信用できるのは、前の試合の実績だけ」という方針が基本となっている。
 したがって、大型で当たりは強いが、動きは鈍いと思われるチュニジアとの試合でアツが良い働きを見せれば、その3日後にブカレストで行われるルーマニア戦でも続けて起用されることもあるだろう。

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“キーパースィーパー”楢崎へ、パナディッチの応援

2003/09/28(日)

ヨーロッパの各リーグのシーズンが本格化してきた今、海外に拠点を置く日本人選手たちがニュースを賑わしている。
来月早々に行われる2つの親善試合、対チュニジア戦、そして対ルーマニア戦に、ジーコ監督は全員ではないにせよ、その選手たちの多くを呼び戻すようだ。

日本で常に興味深い話題になるのは、Jリーグのどの選手が次にヨーロッパへ行くのかということである。
ファンにはそれぞれ独自の考えがあるようだが、それには正しいとか間違っているという事はない。なぜなら我々の話題に上るほとんどの選手にはヨーロッパに渡るチャンスはないからだ。
我々がそうした選手を考える場合どうしてもフィールドプレーヤーばかり考え、ゴールキーパーの事を忘れがちだが、私は楢崎正剛こそヨーロッパで成功できると考えている。
身長185㎝、これはキーパーとして充分であろう。しかし体重76kgはやや軽すぎるように思える。もし彼が、例えばイングランドに行くとしても、熾烈なセンターフォワードとセンターバックの闘いの中でゴールを守るために、ラフで激しいペナルティボックスでの戦いを覚悟しなくてはいけない。そのためにももっと体を大きくする必要がある。

しかし、楢崎は今や、不運続きの川口能活を大きく引き離して日本のベストキーパーに育ったと思う。現在では曽ヶ端準がスターティングスポットを争うライバルである。
楢崎はペナルティエリアを支配し、川口よりも空中戦においてクロスに飛び出すタイミングに優れている。さらに、彼は勇敢で優れたシュートストッパーでもある。但し、これはほとんどのキーパーにも言えることである。ポジショニングと判断能力が大きな違いを生むのだ。

楢崎の所属する名古屋グランパスエイトは今週末を迎え、リーグ首位である。私は、金曜日にグランパスのディフェンダー、アンドレイ・パナディッチと楢崎について話をした。
この長身のクロアチア人選手は「彼には非常に安心感がある。とても良いよ」と話した。
「人柄もすごくいいしね。だからキャプテンなんだ」

パナディッチは楢崎の最大の弱点はコミュニケーション不足だと言う。ディフェンダーと協力せねばならないゴールキーパーにとって、これは致命的とも言えるものだ。
「時として、彼は寡黙すぎる。ただし、これはほとんどの日本人選手にあてはまる事だけど」彼は言う。
「何をしなければならないか、お互いに声をかけあわなきゃ。自分もチームメートも助け合わなきゃならないよ」
とは言え、全般的にはパナディッチは楢崎がヨーロッパへ移籍しても何の問題もないだろうと言う。
「彼はヨーロッパでやっていけるだけの資質は持っているよ。バルセロナやレアル・マドリードのようなチームではなく、普通のチームならね」
「彼はとても強いし、試合を読むのもうまい。特にディフェンスの上を越すようなロングボールへの対処は良いよ。まるでリベロみたいだね」
「コミュニケーションについては、これから学べるよ」

次にどの選手が海外でプレーできるかと誰かに尋ねられたら、忘れられたゴールキーパーへも思いを巡らせてみると良い。

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「シックス・ポインター」を制するものが、セカンドステージを制する

2003/09/25(木)

 今シーズンのファーストステージは熾烈な優勝争いが見られたが、セカンドステージの優勝争いはさらに激しくなるかもしれない。
 全15節のうちの7節が終了した時点で、勝ち点3差で上位8チームがひしめき合っている状況は、「シックス・ポインター(six pointer)」がたくさん残っていることを意味する。
 日本でどう言うのかは分からないが、イングランドでは、「シックス・ポインター」は、優勝、昇格、あるいは降格をかけたチーム同士の重要な直接対決を意味する。
 直接対決で勝利したチームは勝ち点3を得ることができるが、大切なことはそれだけでなく、ライバル・チームが貴重な勝ち点3を得るチャンスを奪うこともできるのだ。「シックス・ポインター(勝ち点6の価値がある試合)」と呼ばれる所以だ。

 今週の土曜日、味の素スタジアムで東京ヴェルディ1969と名古屋グランパスエイトが対決する試合は、正真正銘の「シックス・ポインター」である。
 火曜日の祝日に組まれた試合が終了した時点では、グランパスが勝ち点13で首位に立っており、得失点差で鹿島アントラーズがこれに続いている。
 ヴェルディ、横浜F・マリノス、ジェフ市原、柏レイソルは、いずれも勝ち点12。さらに、浦和レッズが勝ち点11、ガンバ大阪が同10という状況だ。
 ファーストステージは、残り2試合の時点で6チームに優勝の可能性があり、最終日になっても3チームが優勝争いに参加していたが、最後は横浜F・マリノスが栄光を手にした。

 火曜日の試合は、味の素スタジアムのFC東京対ジュビロ戦と、駒場のレッズ対ジェフ戦以外、どれも観客にとっては少し物足りない内容であった。
 おそらくこれは、上位のチームが順位表の位置に相応しいような格別素晴らしいプレーをしているわけではないからであり、ファンもまだ半信半疑なのだろう。
 たとえばアントラーズは、セカンドステージの7試合で8ゴールしか記録していない。得点力不足は、アントラーズにとって、中田浩二の故障欠場と同じくらい大きな痛手となるかもしれない。
 少ない得点で勝ち点3を得るために、アントラーズを毎試合「帳尻」を合わせなければならない(つまり、ゴールを与えないようにしなければならない)。相手チームから見れば、1点を先に奪えばアントラーズにプレッシャーをかけることができるわけで、京都パープルサンガはこれを見事に実践し、火曜日のカシマスタジアムで1−1の引き分けに持ち込んだ。

 現時点では、確たる優勝候補と言えるようなチームはまったくなく、おそらく好内容の試合を最初に数試合続けることができたチームが混戦を抜け出すことになるのだろう。
 8月に、私はジュビロがセカンドステージを制すると予想した。現在、ジュビロは10位に低迷しているが、今も私の予想は変ってはいない。数字の上で注目すべき点は、ジュビロは現在勝ち点9で、トップとはまだ4差しかないということだ。
 このような差は、残り試合の勝ち点が最大24もあり、「シックス・ポインター」がまだたくさん残されている現状では、まったく無いも同然なのである。

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仙台の賢明な選択

2003/09/21(日)

勝ち点48点中5点しかとれないという事は、チームは何かが変わらなければならないという事だ。
ベガルタ仙台の場合、去らなければならなかったのは今週早々に解任された監督清水秀彦だった。
仙台は最初の4試合を3勝1分けと、勝ち点12点中10点を獲得し、好調な滑り出しであった。
しかし、彼らの最後の勝ち試合は4月19日で、それ以来5分け11敗である。
両ステージ合わせて最下位の仙台にとって、監督解任は避けられないことだっただろう。
不調が続いているにもかかわらず、仙台のファンはチームを応援しつづけ、ホーム試合には毎回スタジアムを埋めてきた。このサポートを失うのはJ1にとって大きな損失であり、Jリーグの誰もが仙台のJ2降格を望むはずがないことは明白だ。

チームは新しい監督人事で2つの賢明な選択をした。
一つは、ズデンコ・ベルデニックを選んだことだ。
彼はジェフ市原でその敏腕を振るい、市原のフロントの怒りを買いつつも名古屋グランパスエイトに引き抜かれた。
名古屋では2002年のファーストステージで大きな期待を持たせたが、セカンドステージでは尻すぼみになった。
今シーズン、ファーストステージでは引き分けがあまりに多かったが、それでも上位に食い込んでいる。私が思うに、グランパスは彼を解雇するのが早すぎたように思う。なぜなら、シーズン当初から彼はファーストステージでチームの下地を作り(まさにそれが彼のした事だった)、セカンドステージで優勝を狙うと話していた。
間違いなくベルデニックは仙台を引き締めることができるはずだ。しかし試合に勝つためには得点をあげなければならない。

2つ目は、仙台がこのスロベニア人監督と2005年のシーズン終了まで、2年4ヶ月の契約を結んだことだ。
この事は、日本サッカー界にとって大きな前進だと思う。ちょうど、鹿島アントラーズのようなチームが主力選手達と1年契約でなく長期契約を結ぶのと同じである。
なぜなら、それはチームに継続性をもたらし、監督は安心して2〜3シーズンかけて何かを築く事ができるからだ。
ベルデニックは現在まだスロベニアでビザが発給されるのを待っているが、仙台をJ2降格から救う時間は充分ある。
まだ10試合残っており、すなわち30点の勝ち点がかかっている。監督の交代は得てして事態の好転を招いたりするものだ。
ただし、仙台が望んでいるものは長期展望のできる成長で、だからこそベルデニックとこのような契約を結んだのだ。

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トップリーグは、Jリーグのライバル?

2003/09/18(木)

 Jリーグが、瞬く間に日本のスポーツ・シーンになくてはならない存在となったのは、誰もが認めるところだろう。
 発足はほんの少し前の1993年であったが、リーグはしっかりとした基盤を築き、ほとんどのクラブはそれぞれの地域に溶け込んでいる。
 だからといって、Jリーグの役員がふんぞりかえり、悠々と構え、将来の展望を考えてもいない、ということでもないようだ。
 今週私が耳にしたところによると、先週の土曜日、フェアプレーと面白いゲームを呼びかけたマッチコミッショナーが少なくとも一人はいたらしい。新たに全国リーグを発足させたスポーツが他にあり、新たなファンの獲得を狙っているから、というのがその理由だったそうだ。

 マッチコミッショナーが言及していたのはラグビー協会のことである。先週の土曜日、12チームが参加するラグビーの「トップリーグ」が東京・国立競技場で開幕したからだ。
 マッチコミッショナーは試合前に両チームの代表者を同じ席に集めるのも仕事の1つだが、この時のマッチコミッショナーは、ミーティングの席上で、スポーツファンの土曜日、日曜日の午後の過ごし方にラグビー観戦という選択肢が増えたのだ、と述べたそうだ。
 つまり、今後も観客が集まるようにするには、健全かつ公正で、楽しいショーを披露することがJリーグにとって大切である、ということらしい。

 この話を聞いて、私はとても興味深いニュースだと思った。
 これは、Jリーグがラグビーを恐れているということではなく、選手たちがもっと大きな視点を持ってゲームに臨まなければならないということなのである。
 スポーツ記者として私は、イングランド、香港、日本でラグビーのニュースを伝えてきたし、ラグビーの魅力も知っている。
 特に今年は、10月と11月にオーストラリアでラグビーのワールドカップが開催され、そして日本は、スコットランド、フランス、フィジー、米国と対戦する予定だ。

 イングランドと香港では、それぞれの競技の観客層は完全に異なっている。
 イングランドでは、ラグビーはアッパーミドルクラスのためにあり、サッカーは労働者のスポーツだった。
 ラグビー・ファンは、サッカー・ファンはみんなフーリガンで野蛮人だと考えていて、サッカー・ファンには、ラグビー・ファンはお上品な家柄に育ったスノッブだと考えていた。
 香港では、サッカーは地元の中国人のためにあり、ラグビーは英国、オーストラリア、ニュージーランドや他の国々から来た外国人のものだった。

 おそらくJリーグにとっての大きな懸念は、1993年のJリーグ・ブームと同じように、2003年にラグビー・ブームがおこるかもしれないということだろう。
 新たなラグビー・シーズンの開幕を告げる神戸製鋼対サントリーの試合に3万5000人の観客が詰めかけたという事実は、興味を抱いている人がそれだけいるといことであり、大学ラグビーの大人気から推し量っても、ラグビーにそれだけの集客力があったということだろう。
 しかし、ラグビーのクラブはいまだに企業に所属しており、ホームタウンそのものとの結びつきはさほどではない。
 この点については、Jリーグのやり方は見事で、クラブは企業の支援を受けるだけでなく、地域全体に貢献するものであると言い続けてきた。
 Jリーグはラグビーをそれほど恐れる必要はないと私は思う。いろんなタイプのスポーツファンがいるのだから、二つのスポーツは両立できるはずである。
 それでも、Jリーグが新たな挑戦者の存在を意識している様子は、なかなかに興味深い。

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守備ではなく、攻撃で光る三都主

2003/09/15(月)

ジーコ監督と日本代表がここまでの親善試合で何を学んだのか、一口に言うのは難しいが、ある1点については明白である。
その1点とは、三都主アレサンドロはディフェンダーではなく、ジーコ監督の4バックシステムの左サイドバックをやらせるべきでないという事である。
三都主の左サイドバック起用はジーコ監督の思い切った大胆な決断ではあるが、私にはそれが的確な起用であるとはどうしても思えない。
理由は明らかである。彼は攻撃の選手であって、守備の選手ではないという事だ。

コンフェデレーションズ杯で表面化した問題点は未だ解消されていない。そしてそれはワールドカップ予選で日本代表に重くのしかかってくる可能性が高い。
例えば、スタッド・ドゥ・フランスで行われた対ニュージーランド戦、試合が始まってまもなく、特に危ない状況でもなかったのに三都主はまずいファールでイエローカードを受けた。前半その後、ニュージーランドペナルティエリア内でのあからさまなダイビングで、三都主が退場となるはずの2枚目のイエローカードを受けなかったのはラッキーとしか言えない。
わずか1点のリードでチームが10人になってしまっていたら、試合結果がどう違ったか考えてみると良い。
対コロンビア戦では、三都主は自陣ゴール上にヘディングでボールをクロスさせるという中学生並みのミスをした。これはGK楢崎の素晴らしいブロッキングにより、コロンビアに先制を許す事を免れた。
今週、新潟で三都主は経験不足からくる不注意なヘディングでセネガルにコーナーキックを与えてしまうという同じ間違いを再び犯した。これは、セネガルがまったく同じ状況でゲーム唯一の得点を挙げた直後の事であった。

常に上がり気味で、後方にスペースを空けてしまいがちな彼のポジショニングと、彼のヘディングの弱さは、ディフェンダーの一番の仕事は守ることであるということを考えると、このポジションに彼が適していないという表れである。
仮に日本が3−5−2システムを適用するのであれば、三都主の攻撃能力、速さ、そしてトリッキーさは中盤の左サイドにあって有効である。さらに、彼のディフェンスの甘さも守備的MFがカバーしてくれるし、その後方にはまだ3人のバックが控えているため、チームにそれほどの打撃は与えない。
それでも私は、三都主は日本代表に必要だと思う。ただし、控えかもしれないが左ウィングとしてである。現状では左バックとしては的確ではない。
ジーコ監督のこの起用はワールドカップ予選早々の弱いアジア諸国相手ならば、何とか切り抜けられるだろう。しかし、新潟でのセネガルのアンリ・カマラのような強い相手にはトラブルを自ら招くようなものである。

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アントラーズが来た!

2003/09/11(木)

 週末のJリーグは、あまりぱっとしなかった。
 もちろん、鹿島アントラーズのファンは、そうは思っていないだろう。
 アントラーズが、東京・国立競技場で手に汗握る戦いの末、ジェフユナイテッド市原を3−2で破り、セカンドステージを4試合戦った時点で、早くも首位に躍り出たからだ。
 さらに、アントラーズのモチベーションが本当に高くて、気迫がみなぎっているようにも見えたからだ。

 昨シーズン、アントラーズは宿命のライバルであるジュビロ磐田が両ステージを制覇するのを甘んじて受け入れなければならなかったし、今シーズンのファーストステージも優勝の望みすら持てないままであったのだから、今回は気合いが入っているのだろう。
 中盤の中田浩二をケガで欠いてはいても、アントラーズは青木剛が立派に代役を務めていたし、その後、本田泰人も途中出場した。本田は、あまり熱心でない評論家には過小評価されることが多いが、実際はコーチが好むタイプの選手で、中盤や、時にはディフェンダーのうしろでルーズ・ボールをことごとく処理し、他の選手が前線に上がろうとするときは、背後のスペースを埋めるような働きもする。
 本田はオーガナイザーとしても優秀で、ピッチ全体を見渡すことができ、ゲームのあらゆる局面で自分が居るべき場所を心得ているのである。監督のトニーニョ・セレーゾにしても、本田を途中出場用の万能選手にしておくのはもったいないことだろう。

 本当に楽しいゲームで、得点もたくさん入ったし、カードもたくさん出たし、両チームの選手がエキサイトする場面もたくさんあったが、ジェフはまたも惜敗してしまった。
 ジェフのイビチャ・オシム監督は、ファーストステージの厳しい試合のあとにいつも言っていたことを、正確に繰り返した。つまり、ジェフはまだ首位にいるようなチームではなく、首位にいると毎週プレッシャーがかかりすぎて、毎試合100パーセントの力を発揮するのが難しくなる、ということだ。
 セカンドステージ開幕前、オシムは、ジェフにはシーズンのほとんどを4位か5位の位置につけていて、残り2〜3週の時点で「ラストスパート」をかけ、ゴールを目指して欲しい、と述べていた。
 しかし、オシムの選手たちはまたもスタートダッシュをかけてしまい、最初の3試合を連勝してしまったのである!

 もちろん、連勝を止めたのはアントラーズであった。
 平瀬のあのゴールは、なんと素晴らしかったことか! あの試合の前半を2−1で折り返せるなんて、なんという運の強さ! そして、決勝のゴールをヘディングで決めた秋田は、なんというキャプテンなのだ!
 そう、セカンドステージ、強いアントラーズが戻ってきた。

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鹿島の暗雲を晴らす本山の代表復帰

2003/09/08(月)

ここ数日、鹿島アントラーズには良いニュースと悪いニュースがあった。
悪いニュースとは、私のお気に入りの選手の一人であり、個人的には酷使と言って良いと思うほどジーコ監督に使われていた中田浩二の故障である。
中田が後方でどっしりと構えてくれているからこそ、攻撃的MFはより前線へ上がる事ができる。すなわち、私は彼が日本代表の中盤によりバランスとまとまりを与えると思っている。

先週土曜日(8月30日)の対大分トリニータ戦で膝の靭帯断裂を負った中田は、少なくとも6ヶ月、戦列を離れることになった。
彼は今月末に手術を受け、その後完治まで長い辛抱の道のりが始まる。
来シーズンの始まる頃には復帰できるだろうが、12月に行われる東アジア選手権にジーコ監督がヨーロッパ組を召集できなかった場合、彼の不在は痛いところである。

数日後、本山雅志が代表チームに復帰したというニュースが入ってきた。
本山と中田はもちろん1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユース大会で決勝戦まで進出したU−20日本代表のチームメートだ。
この大会で、中田は負傷欠場の金古聖司に代わってフィリップ・トルシエのフラット3の左サイドを勤め、出来が良かったため、トルシエは彼をオリンピック代表、日本代表、そして2002年ワールドカップ代表へと抜擢してきた。

当時トルシエは本山を左サイドウィングとして起用していた。私は特にナイジェリアで行われた対ウルグアイ戦での彼の素晴らしいプレーを覚えている。本山のスピードにウルグアイ代表はタックルどころか、ファールする事すらできなかった。
トルシエは本山を日本のライアン・ギグスと評し、実際本山を対ボリビア戦、対アラブ首長国戦、そして対韓国戦と、すべて2000年のことだが、3回代表に選んでいる。

ブラジル人司令塔ビスマルクが鹿島を去った後、本山は左サイドウィングよりむしろ攻撃的MFとしてプレーしてきた。そして、これが来週水曜日に行われる対セネガル戦でジーコ監督が彼に与える役目でもある。ジーコ監督は、先発MFはナイジェリア戦と同じでいくと決めているので、当然途中出場になるだろう。
本山は自信に満ち溢れており、また陽気な性格の持ち主でもある。彼のその個性が代表チームに加わる。
たとえ彼の役割は変わったとは言っても、彼の俊足とゴールへの目は試合を左右することができる。
彼が前回代表入りしたのは、ほぼ3年前のことになる。しかし彼はまだ24歳であり、力は充分にある。

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はかなく消えた、ガンバ優勝の夢

2003/09/04(木)

 土曜日、柏でガンバ大阪の戦いぶりを見られて良かった。
 今になって、私には、なぜガンバがチャンピオンシップに届かないのかがわかってきた。
 シーズン開幕前、私はガンバが2つのステージのうちの1つをとり、プレーオフでも勝つと真剣に思っていた。
 次のような、優勝を裏付けるファクターがあったからだ。
・ 宮本が率いる、経験豊かな3バックのディフェンス陣。
・ 変幻自在な5人の中盤。とりわけ、右サイドに新外国人選手チキアルセ、左サイドに新井場が控える両サイドが強力。
・ 両サイドのチキアルセと新井場から、ブラジル出身の長身選手、マグロンにクロスが供給される。
 マグロンはヘディングで直接ゴールを狙ってもいいし、ペナルティエリアでどん欲にチャンスを待っている吉原にボールを落とすこともできる。

 どうです、わかりやすいでしょう?
 しかし、ガンバは優勝とはほど遠い、下から数えたほうが早い位置でファーストステージを終えた。
 2人の新外国人選手、チキアルセとガレアーノは戦力を大幅に向上させると予想されていたが、予想通りにはならなかった。
 昨シーズン、私は、ファビーニョは中盤の底で遠藤とコンビを組み、精力的で気の利いた仕事をしていると感じていたのだが、そのファビーニョを解雇してまで獲得したガレアーノも、今シーズン半ばで解雇されてしまった。
 チキアルセは、右サイドで期待されていたような、突進力と運動量を未だ披露できないでいる。
 そのため柏では、西野監督は当初の3−5−2のシステムを断念して、3−4−3のシステムを採用し、橋本と二川がそれぞれ中盤の右サイドと左サイドを務めた。
 宮本、キャプテンの木場とともに3バックの一翼を担い、ガンバ優勝のカギを握る選手の1人と見られていた山口は、中盤の中央に押し出され、遠藤とコンビを組んだ。また、實好がディフェンスの右サイドに入った。
 マグロンが故障のため欠場していたので、「ガンバのゴン」こと中山が最前線に位置し、吉原が右サイドから、大黒が左サイドからサポートしていた。

 ガンバのプレー内容は、ひどくはなかった。ひどいことはまったくなかったが、セカンドステージで優勝できるほどの力があるとも思えなかった。
 ガンバの選手には、ためらいや自信のなさそうなプレーが目立ち、まるで自分たちも勝つとは思っていないかのようであった。
 ガンバは、ピッチの左右を自由自在に駆け回って来た遠藤がきれいに決めて先制したが、印象的な働きをしていた柏の玉田が見事なシュートを決め、ゲームは振り出しに戻った。
 リカルジーニョがガンバ・ディフェンス陣の中央を破ったあとのこぼれ球を、格好のポジションにいた玉田が、ペナルティー・エリアの端からゴールの下隅に左足で会心のシュートを決めたのである。
 おそらく、ガンバは良くなっているのだろう。終盤にゴールを許して負けるかわりに、1−1のドローで踏ん張ったのだから。
 しかし、シーズンは目論み通りには進んではいない。なにもかもが変ってしまっているのを見ても、それは明らかだ。
 サポーターは、フラストレーションを感じていることだろう。

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冷静さを保つオフト監督

2003/09/01(月)

水曜夜、味の素スタジアムはまさに接戦だった。
私が言いたいのはナビスコカップ準決勝、FC東京対浦和レッズの第2戦のことではない。
大事な試合に華を添えた二つのサポーターグループのことである。
公式発表の観客数は17,343人であったが、両サイドのサポーターから上がる歓声でその倍の観客数であったように感じた。
結果は皆さんもご存知の通り、ブラジル人FWエメルソンの絶妙な2ゴールで浦和が2−0で勝った。

このアウェーでの対FC東京2−0の勝利に加え、セカンドステージ緒戦、対ジュビロ磐田3−1の圧勝はレッズの大きな進歩の表れである。
試合後、ハンス・オフト監督と話をした際に、私はセカンドステージのタイトルが狙えるのではと彼に尋ねた。
「いや、まだだね」彼は慎重に答えた。
「1試合1試合、1週間1週間を大事にして、そして8試合か9試合、いや、10試合終わった時点でハッキリするんじゃないかな」
「過剰な期待はしてないよ。空想にふけることもしない」

しかし、オフト監督は彼のチームが、そして選手達が強くなってきている事は充分わかっている。
山田、坪井、そして永井は今年に入って日本代表の経験もした。さらに鈴木、山瀬、そして田中はオリンピックU−22代表メンバーだ。
FC東京戦では、ワールドカップのロシア代表、ユーリ・ニキフォロフが素晴らしい働きをした。不運にもハムストリングの負傷をしたゼリッチも間もなく復帰する。オフト監督は他の監督が羨むようなメンバー選択のジレンマに陥る事になる。
「すべては選手のおかげだ。この1年半、彼らは非常に頑張ったと思うよ。だからチームも強くなったんだ」彼は言う。

セカンドステージが始まったばかりのこの時期、選手達に無用なプレッシャーを与えないためにも、当然ながらオフト監督はチームのチャンスを控えめに受けとめなければならない。
しかし、私は心からレッズには充分チャンスがあると感じている。
さらには、横浜F・マリノス対浦和レッズのプレーオフは最高の見せ場になるのではないだろうか。
第1戦、横浜国際総合競技場での70,000人の観衆、そして埼玉スタジアムでの第2戦、60,000人の観衆を想像してみてもらいたい。
スタジアムを埋め尽くす日産ブルーと三菱レッド、まさに素晴らしい光景となることだろう。しかしまだ道のりは遠い。
オフト監督の言葉通り、空想に浸るヒマはない。
もちろんレッズのファンもである。

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アルディレスが惚れ込む、小林の才能

2003/08/28(木)

 オジー・アルディレスは、一目でミッドフィルダーの才能を見分けることができる。
 今、アルディレスは、東京ヴェルディ1969で小林慶行という素晴らしい才能に出会ったと感じているようだ。
「彼があまりに素晴らしいのには驚きました」
 1978年のワールドカップで優勝したアルゼンチン代表チームのミッドフィルダー、アルディレスの言葉である。
「代表入りも間近でしょうね。他にも代表入りの候補はいるけど、ヨシ(小林のこと)が最有力でしょう」

 アルディレスは、6月に監督に就任して以来、かつて栄華を誇ったヴェルディの建て直しを進めてきた。
 Jリーグが発足した1993年と翌年の1994年に2年続けてチャンピオンシップを制した名門ヴェルディは、降格ゾーンから抜け出し、セカンドステージでは降格候補どころか優勝候補と見られるようにまでなった。
 小林は、劇的な変貌を遂げたチームの象徴でもある。
「私が就任した当初は、彼はプレーしていませんでした。ベンチにもいなかったので、どこかに移籍するのかと思っていました」とアルディレス。
「前の監督から批判を受け、起用もされなかったので、自分は用無しだとヨシは思ったのです。」
「これまで私が見た限りでは、ごく近いうちに代表入りを狙える選手になるでしょうね」
 小林の素晴らしい点を挙げてほしいと頼むと、アルディレスはこう答えた。
「パサーとして優秀ですし…知性的で…ポジショニングがいつも良く…空中戦が強くて…シュート力もありますね。一言で言えば、とても素晴らしい選手なのです」

 25歳の小林は、1999年に駒沢大学からヴェルディに入団し、J1での出場試合数は、日曜日の鹿島アントラーズ戦で92となった。
 ゴール数がわずかに3というのは明らかにこれから改善しなければならない点である。とりわけ、ワールドカップのカメルーン代表ストライカーである、パトリック・エムボマが、日曜日に傷めた右足の外転筋が原因となり長期の離脱を余儀なくされるようであれば、小林にとって得点能力の改善は緊急の課題となるかもしれない。
 アルディレスが指摘するように、小林はエレガントで、ボール扱いに秀でた、天性の素質を持つミッドフィルダーである。
 小林は、スペインに短期留学の経験もあるが、そのときもケガに悩まされた。
 しかし、今年予定されている国際試合のいくつかで、ジーコが中田英寿や中村俊輔、小野伸二、稲本潤一などの招集を断念するようなことがあれば、代表監督の注目が小林に向けられるときが来るかもしれない。

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日本サッカー協会はFIFAに抗議すべき

2003/08/25(月)

日本サッカー協会(以降、協会)がナイジェリアサッカー協会に対して、水曜日に東京で行われた親善試合に来日したスーパーイーグルスの質について抗議したのは、やむを得ない事であった。
いや、協会としては、こうした国際マッチを認定する組織であるFIFAにまで抗議すべきであったかもしれない。
FIFAのモットーは「サッカーの発展のため」である。しかしこうした事はサッカーのためには百害あって一利なしである。

おそらく協会は、ナイジェリアに対してかなりの出場料を来日に際して支払っているだろう。
ただし、それは彼らがそれなりのチームを派遣すると期待しての事である。
ところが実際に来日したチームは、経験も、チームとしてのまとまりさえもないもので、試合が始まるや否や闘う意志さえないことが明白だった。
ジーコ監督は7回目の挑戦でようやく初勝利をあげ喜んでいたが、私はこの試合には何の意味もなかったと思う。
もちろん、私はジーコ監督の初勝利に対してケチをつけるつもりはない。日本代表にできる事は、目前の相手を破る事だけだからだ。

それよりも協会が直面する問題は、来月新潟で対戦するセネガルと11月に大分で対戦するカメルーン、この2つのホームゲームである。
ナイジェリア同様、これら2ヶ国のトッププレーヤー達の多くは、ヨーロッパのトップリーグでプレーしている。
しかし、所属チームでリラックスしながら練習したり、ケガの治療に専念したり、そして次のリーグ戦に備えている時に、彼らが地球を半周してまで親善試合に来てくれるのだろうか?
コンフェデレーションカップでの失望の後、ジーコ監督にはナイジェリア戦に勝たねばならないというプレッシャーがあり、そのためにベストメンバーがどうしても必要だった。

「ジーコ監督は代表チームを前進させているのか、後退させているのか?」
水曜日の試合はこの疑問に答えるものではなかったが、試合結果はジーコ監督に一息いれる時間をもたらしたのは事実だ。
対戦相手の質の低さだけが目立った水曜日の試合は、ファンを馬鹿にしたものだったように思える。ナイジェリアはベンチを埋めるだけの選手を集める事さえできなかったし、韓国の主審もGKが柳沢をエリア外で止めた、本来退場となるべき明らかなハンドさえ見逃した。

せめて、次の親善試合2試合はマシな試合が見られることを祈ろう。

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ジーコ・ジャパンの今後を占う一戦

2003/08/21(木)

 ジーコが代表監督に就任してから1年以上経つというのに、未だにこのブラジル人監督が率いるチームのホーム初勝利が待ち望まれている状況である。
 しかし、東京・国立競技場で行われる、水曜日のナイジェリア戦は、不名誉な記録を終わらせる、願ってもないチャンスであり、おそらくは最大のチャンスとなるだろう。

 ナイジェリア代表チームはスーパー・イーグルスの異名で知られているが、今回の試合の準備状況にはスーパーなものは何も見当たらない。
 アーセナルのカヌ、エバートンのヨボ、そしてボルトン・ワンダラーズ所属で変幻自在のオコチャといったスターの名前は今回の代表メンバーにはなく、火曜日の夜に行われた国立競技場での練習に間に合うように到着したのは、ほんの12名に過ぎなかった。
 運営者によれば、火曜日の夜にさらに3名が東京に到着し、さらに試合当日の朝に4名がやって来る予定らしい。
 どう考えても、万全の準備とは言いがたい!

 対して、日本はどうか。
 不運な小野伸二を除けば、ジーコはトップクラスの選手を全て呼び戻しているので、日本は7戦目にしてホームでの初勝利をなんとしても勝ち取ろうと、ワールドカップに出場した経験豊かな選手を多数揃えてくるだろう。
 これまで日本代表は、ジーコが監督に就任してから、ホームではジャマイカ、ウルグアイ、パラグアイと引き分け、アルゼンチンと韓国に敗れている(アルゼンチンには2敗)。

 今週の初めに、私は宮本恒靖と話しをした。ちなみに、6月のコンフェデレーションズカップでは、日本は宮本のミスにより、グループリーグ突破をかけたサンテティエンヌでのコロンビア戦に1−0で敗れている。
 ツネ(宮本)は、サポーターもホームでは勝つものと期待しているだろうし、自分自身も「家族のため、ジーコのため」に勝ちたい、と述べた。
 ツネによると、合宿では勝利に向けて盛り上がっていたそうだ。
 「コロンビア戦のあとでも、雰囲気は良かったよ」とツネ。
 「たぶん、みんな良い試合をしたと感じていていたんだろうね。結果が良ければもっと良かったんだろうけど。フランスでは良い経験をしたけど、まずい、と思う瞬間もあった。ミスが出たときなんかそうだったね。僕のミスも含めて」

 準備状況はひどいものであっても、ナイジェリアを取るに足らない相手と考えてはいけない。なんといっても、国際舞台では最近、素晴らしい実績を残しているチームである。
 ナイジェリア・チームはいつも予想外のことをやってのける能力を持っているし、選手たちは真のサッカー文化のなかで育ってきている。ナイジェリアの選手の多くが外国でプレーしているのも、そういうバックグラウンドがあるからだ。彼らには、ヨーロッパで成功するだけの基本的なスキル、戦術知識、強靱な身体能力がそなわっているのである。
 だが、今回は日本が勝たなければならない試合であり、私は勝つものと思っている。

      *本コラム(原文)は8月19日に書かれたものです。

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勝利に飢えるジュビロ

2003/08/18(月)

横浜F・マリノスはジュビロの再現、すなわちリーグ完全制覇が難しい事にすぐ気づくだろう。
しかし、岡田武史監督率いるマリノスにそのチャンスがある事は疑うべくもない。

私は水曜夜に横浜で行われたナビスコカップ準々決勝、マリノス対ジュビロの第1戦を観に行ったのだが、ジュビロ磐田の熱意、組織、そして決意に感銘を受けた。
マリノスは出だしが遅く、前半にはこれといったチャンスも無かった。しかし、後半に入ってペースを掴み、同点にする決定的なチャンスがいくつかあったのだが、結果として1−0でのジュビロの勝利は妥当な結果だと思う。
アレクサンダー・ジヴコビッチの退場後、彼らは72分間を10人で闘い、西野泰正の素晴らしいゴールで得たリードを優れたディフェンスで守りきった。
このように、打倒マリノスに全チームが意欲を燃やす今、横浜にとってセカンドステージを勝ち抜くのはかなりタフになるであろうと思われる。

ファーストステージ2位のジュビロは、水曜夜の試合を見る限り、依然として勝利に飢えているようだった。ただ、セカンドステージでは藤田俊哉の抜けた穴は大きいだろう。
鹿島アントラーズもナビスコカップでグランパスを5−1で下し、そのセカンドステージにかける意気込みを見せたし、また、個人的には浦和レッズも良いのではないかと思う。
なぜかというとそれは、単にロシア人プレーヤー、ユーリ・ニキフォロフの加入だけでなく、ハンス・オフト監督が若い日本人選手を軸にしてチームを作ってきたからだ。
坪井、山瀬、長谷部、平沢、そして田中といった選手達がレッズにエネルギーと深さを与え、そして常にゴールを狙うエメルソンを擁し、セカンドステージ制覇のチャンスは高い。

一方、ファーストステージ3位のジェフ市原もまた、今やJリーグでの生活にも慣れたブラジル人FWサンドロがファーストステージ以上の働きをしたとしても、ファーストステージのようにはいかないだろう。
ファーストステージ4位のFC東京は失点が11と、確かに少ないのだが、得点が14では、真の挑戦者となるには得点力が低過ぎる。逆に、5位セレッソ大阪は失点が29と多いものの、得点力が29点と高くJ2降格から免れている。

セカンドステージを制覇するのはジュビロだろう。そして、プレーオフはマリノス対ジュビロ。そして人員不足ではあるが、日本が東アジア選手権を制するだろう。

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勝利しか見えない、ジーコ

2003/08/14(木)

 ヨーロッパのクラブが、8月20日に東京で行われるナイジェリアとの親善試合に、日本がわざわざ自分たちのクラブの選手を呼び戻したがるのを理解できないのは、当然である。
 しかしその一方で、ジーコが、どうしても彼らを呼び戻したい、というのも当然なのである。
 はっきり言えば、ジーコは勝って、一息つきたいのである。
 それに、ナイジェリアだけでなく、来月に控えるセネガル戦、11月のカメルーン戦と苦戦が続けば、ジーコの代表監督の座も危ういものとなるだろう。

 ジーコの代表監督1年目は、満足のゆくものではなかった。
 Jリーグにはオーソドックスなフルバックがほとんどいない状況であるのに、ジーコはシステムを3−5−2から4−4−2に変更しようとした。さらに、選手たちが自分で考えることを奨励した。そのような姿勢は、日本の一般の社会様式とはかけ離れたものであるのに、だ。
 上記の二つが主な原因となり、ジーコ・ジャパンは満足な成績を残すことができず、10試合でわずかに2勝したのみ。ホームでは未勝利が続いている。
 日本代表は、コンフェデレーションズカップではなんとしても準決勝に進むべきであった。せっかく緒戦のニュージーランド戦で楽勝したのに、戦力落ちのフランスに敗れ、最後は、日本にとって後々まで尾を引きそうな試合をして、前の世代のような才能、きらめきを持ち合わせていないコロンビア代表にも敗れてしまった。

 ジーコは、プレッシャーを感じている。
 最高の選手たちを呼び戻そうとするのも、そういう事情があるからだ。なんといっても、ヨーロッパでは新シーズンがすでに始まっていて、日本人選手たちは新たなチーム、新たな監督、新たなシステムに溶け込もうとしている最中なのである。
 8月20日はFIFAの国際Aマッチデーとなっているため、クラブには選手を送り出す以外に選択の余地は残されていない。他にも多くの試合がこの日に組まれているが、今回の日本人選手のように、きわめて短期の日程で、きわめて多くのタイムゾーンを通過する、きわめて長距離の旅が設定されている例はない。

 ドイツでは、すでにシーズンが開幕していて、高原はハンブルガーSVの先発メンバーに名を連ねている。イングランドのプレミアリーグは今週末に開幕で、稲本はイングランドでの3度目のシーズン、フルハムでの2度目のシーズンで地歩を固めようと必死だし、イタリアのセリエAは今月末に開幕を控え、レッジーナ(中村が所属するチーム)とサンプドリア(柳沢が所属するチーム)が対戦する。ただし、中田が2週間後にもパルマにいるかどうかはわからない。

 ジーコはすでに、ナイジェリア戦では高原と大久保をトップに使う予定で、コンフェデレーションズカップで感じた勢いをそのまま持続させたい、と発言している。
 ならば、なぜジーコが、ベンチに座っているだけのために、あるいは45分程度プレーするだけのために柳沢を呼んだのかが不可解である。その期間に柳沢はジェノアでトレーニングを積み、腰を落ち着けることだってできるのである。

 日本サッカー協会は、これからの3試合は来年2月に始まるワールドカップ予選の準備である、と言明している。協会は各クラブに対しても同じような説明を行い、クラブとの関係をできるかぎり円満に保とうと努めている。
 しかし本当の理由は、ジーコが何試合かで勝利し、代表チームが後退ではなく、前進しているというアピールをしなければならないということなのだろう。
 チームとしての規律より個人の能力に大きく依存するジーコの戦略を考えれば、最高の選手たちを呼び戻し、チームに活力を与えてもらおうとしているのだということがわかる。
 現状では、ジーコにとっては自身の将来のほうが、ヨーロッパの日本人選手たちの将来よりも明らかに重要なのである。

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欧州組を外してのテスト

2003/08/11(月)

さあ、またはじまるぞ!
コンフェデレーションズ・カップが終わり数週間の休息の後、来週再びナショナルチームにスポットライトがあたる。
月曜日には、ジーコ監督が8月20日に東京・国立競技場で行われるナイジェリアとの親善試合(キリンチャレンジカップ)の代表メンバーを発表する。
欧州組は開幕直前の強化に入っていたり、あるいはすでにリーグが開幕してしまっているため、ジーコ監督が彼ら全員を呼び戻す事は考えられない。
こうしたシーズンの大事な時期にあって、選手達には快適な環境の中でチームに専念し、なるべく早いうちに監督に好印象を与える事が重要だ。
この点について、ジーコ監督もすべてを熟知しており、中田英寿、小野伸二、稲本潤一、柳沢敦、中村俊輔、そして高原直泰といった選手達を何としても招集しようとは思わないだろう。
それにしても、まさにそうそうたる顔ぶれではないか。

仮に、ジーコ監督が代表をJリーグの選手達から選ぶとすれば、どこから始めるだろう?もちろんその筆頭は、ファーストステージの覇者、横浜F・マリノスである。
マリノスのGKコーチ、デイド・ハーフナーは、榎本達也が楢崎についでリーグNO.2のゴールキーパーであると言う。その彼が、曽ヶ端や土肥を抑えて代表のポジションを手に入れられるか見ものである。思うに、ジーコ監督はコンフェデ杯の時に怪我をしていた曽ヶ端を選ぶのではないだろうか。
ディフェンスでは松田が選ばれるはずだ。彼はJリーグにおける日本人プレーヤーのベストDFだと思う。そして、彼のチームメートである中沢も選ばれるかもしれない。
ミッドフィールドには、右サイド候補に佐藤由紀彦、そしてジーコ監督は経験ある奥を選ぶだろう。また、久保竜彦はFWとして選出されるだろう。

次にファーストステージ準優勝のジュビロだが、福西以外に何人が選ばれるのだろうか。個人的にはより高いレベルでプレーする前田を見てみたい。
3位のジェフ市原では、阿部勇樹がMF中央で有力だし、左ウィングの村井慎二も良いのではないか?

FC東京はリーグ1タフなディフェンスを誇る。中央に茂庭、そして左サイドの金沢にもチャンスがある。FC東京は4バックシステムを採用しており、それこそジーコ監督の望むものだ。金沢はまさにそのシステムにフィットしている。石川はコンフェデ杯では選に漏れたが、今回は選ばれるだろう。

コンフェデ杯代表選手でJリーグ在籍の選手の中からは、楢崎、小笠原、大久保、三都主、中田浩二、宮本、遠藤、坪井、山田、奥、そして永井は残るだろう。しかし、ディフェンスの名良橋、秋田、森岡、そして服部には少々疑問が残る。
この4人はジーコ監督が、山田、坪井、宮本、そして三都主の4人をディフェンスとしてプレーさせたため、3試合で1分もプレーしていない。
もしジーコ監督がJリーグ在籍の選手のみで対ナイジェリア戦の先発メンバーを選ぶなら、以下のようになるのではないだろうか。

GK:楢崎
DF:山田、宮本、松田、三都主
MF:佐藤、福西、中田浩二、小笠原
FW:大久保、久保

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あまりに性急だった、グランパスのベルデニック解任

2003/08/07(木)

 名古屋グランパスエイトが、土曜日のファーストステージ最終節終了後に監督のズデンコ・ベルデニックを解任したというニュースを聞いて、私はショックを受け、少なからぬ怒りを覚えた。
 ベルデニックの名古屋での仕事ぶりは堅実で、素晴らしく、グランパスをJリーグの強豪チームにするためには何が必要であるかをよくわかっている、と感じていたからだ。
 ファーストステージ終了まで残り2試合となった時点で、グランパスには、わずかながらも優勝のチャンスが残されていた。
 グランパスはトップリーグで無敗を続けていた唯一のチームであり、ファーストステージの13試合を終えた時点での成績は5勝8引き分けであった。
 しかし、最後の2試合、ホームでの東京ヴェルディ戦とアウェーのセレッソ大阪戦を連敗したことで、最終的にグランパスの成績は順位表の中位という不満足なものとなり、ベルデニックには解任が告げられた。

 ベルデニックと最後に話をしたのは、5月18日、豊田スタジアムで行われたグランパス対ベガルタ戦のあとだった。
 その日の試合は、オーストラリア代表、イヴィツァ・ヴァスティッチの「お別れ試合」となり、ヴァスティッチは試合終了直前に見事なゴールを決め、感動とともに名古屋での選手生活を締めくくった。
 試合後、ベルデニックは、ヴァスティッチには残留して欲しかったが、ヴァスティッチの放出はトヨタ社の上層部が決めたことだ、と言った。
 彼の説明によれば、ヴァスティッチがうまくチームに溶け込んでくれたおかげでチームは好調だったそうだ。それに、代わりの選手も決まっていなかったらしい。結局、ヴァスティッチを戦力と考えてやってきたことがすべて無駄になり、未知の外国人選手を加えて新たに戦力を練り直さなければならない、というのがベルデニックの弁であった。

 また、ベルデニックは、戦う意志の見えなかった選手を何人かクビにし、どん欲に成功を望んでいる若手選手と入れ替えた、と述べた。
 ベルデニックは、ファーストステージはセカンドステージで優勝するための基礎作りの期間だと考えていた。
 シーズンは構想通りに進み、グランパスは守備のリーダー役のパナディッチを大森と古賀がサポートして、ゴールキーパーの楢崎の前に強固な壁を形成する、なかなか負けないチームとなった。
 グランパスがほんの2試合、引き分けではなく勝利していたら、最後の2週間はグランパスがトップの位置におり、F・マリノスやジュビロ、ジェフと優勝争いを繰りひろげていたことだろう。

 グランパスのフロントによるベルデニック解雇は、あまりに性急であったと思う。ベルデニックは名古屋の前にも市原で素晴らしい仕事をしてきた実績があるからだ。
 優勝する実力のあるチームを作り上げるには時間もお金もかかるものだが、名古屋は目標に向かって着実に進んでいた。
 グランパスがベルデニックと同じ元スロベニア代表監督、シュレチコ・カタネツに興味を示しているという噂は昨シーズンも聞いたが、ワールドカップのあと、カタネツはギリシャに移った。
 セカンドステージは8月16日に始まるが、グランパスは優勝を狙うどころか、またも「再出発」になりそうである。
 グランパスのファンは、もっと報われて然るべきである。

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湧き上がる興奮、だけど・・・

2003/08/04(月)

2003年ファーストステージもいよいよ最大のヤマ場を迎えている。
今週末、最終戦の第15節を迎えるにあたって、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、そしてジェフ市原の3チームに優勝のチャンスがある。
1週間前には上記3チームに加え、名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、そしてFC東京の6チームにファーストステージ制覇のチャンスがあったわけだ。
このような接戦は多くの観衆を引き寄せる事ができるし、それは日本のサッカーにとって喜ばしいことだ。
ただし、興奮に沸き立つことと公平なチャンピオンシップは別物である。
私はかねてから2試合のプレーオフ(チャンピオンシップ大会)を伴う2ステージ制には賛同できなかった。なぜならシーズンを終わって年間のベストチーム、最もコンシスタントであったチームが優勝することが少なかったように思うからだ。
リーグチャンピオンとはシーズンを通して最もコンシスタントだったチームに送られるべきだと思う。

先週土曜日、私は清水エスパルス対ジェフ市原の試合を観に日本平スタジアムへ行った。もし、その試合にジェフが勝ち、マリノスとジュビロの両チームが負けていれば1試合を残してジェフのファーストステージ優勝が決まっていた。
この事については試合前に日本人の同僚とも話したのだが、2ステージ制に対する反証として以下のようなシナリオを思い付いた。
仮にジェフが先週末にファーストステージ優勝を決めていたとしよう。その時点で12月に行われるセカンドステージ優勝チームとのプレーオフ(チャンピオンシップ大会)への出場が決定する。すなわち、J2降格の危機もなくリーグ優勝か準優勝が約束されるわけだ。
論理上は、ジェフはファーストステージ最終戦とセカンドステージ15試合、さらにはプレーオフの緒戦と、その全てに負けたとしても12月13日のプレーオフ第2戦に勝ってリーグ優勝を果たす事ができることになる。
という事は、ジェフはたとえ17連敗をしたとしても、日本で最強のチームとしてJリーグチャンピオンになれるというわけだ。
これでいいのだろうか?
これで公明正大と言えるのだろうか?
こんなことは世界のどこでも起こりうる事なのだろうか?

もちろん私の言っているのは極論であるし、先に述べたような事は実際にはまず起こらないだろう。
しかしポイントは、こうした事が起こり得るということなのだ。12月13日のプレーオフ第2戦まで、8月から11月の4ヶ月間勝っていないチームがリーグチャンピオンとなり得る。
現状でもそれなりに興奮をかきたてられるとは言っても、私が2ステージ制に感じる根本的な欠陥とはそこなのである。
Jリーグはこれまで延長戦の廃止、ゴールデンゴール方式の廃止、そして4人目の交代枠の廃止と、大きな改革をしてきた。そして今では試合は90分で終了するようになった。
次の思い切った改革は2ステージ制を改めるという事だろう。
ファンも興奮も必ずついてくるだろう。
必ずである。

*このコラム(原文)は、8月1日に書かれたものです。

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マリノス、ファーストステージ制覇に王手

2003/07/31(木)

Jリーグ・ファーストステージも、あと1節を残すのみ。横浜F・マリノスが優勝のタイトルと、シーズン終了後のチャンピオンシップ出場権に王手をかけている状態だ。
今ステージは、残り2試合となった先週の時点で6チームに優勝の可能性があった。ジェフユナイテッド市原、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、FC東京の6チームだ。
グランパスとアントラーズ、FC東京のチャンスはわずかなものであった。これらチームは残りの2試合を連勝し、他の5チームが揃って連敗しない限り優勝の可能性はなかったわけだが、サッカーはとかく予測不可能なものである。
たとえば、2000年のファーストステージ最終日、セレッソ大阪がホームで川崎フロンターレに敗れ、優勝のタイトルがマリノスに転がり込むなどという結末を、誰が予想しただろうか?

先週土曜日、私は日本平スタジアムに出向き、ジェフユナイテッドの試合を観戦した。ジェフがエスパルスに勝ち、さらにマリノスとジュビロが共に敗れると、ジェフのファーストステージ優勝が決定するからだ。
ありえないような確率であったが、優勝が決まった場合に備え、Jリーグの関係者はジェフの選手たちに授与するファーストステージ優勝トロフィーをスタジアムに持ち込んでいた。噂によれば、15分過ぎにエスパルスが2−0とリードすると、関係者はトロフィーを箱の中に戻したそうだ。
ジェフの選手たちは、ここ数週間見せていた、飢えた若ライオンのような戦いぶりとは異なり、どちらかというとおびえたウサギのようで、優勝争いのプレッシャーと注目の高さに金縛りの状態であった。

マリノスとジュビロはともにアウェーで、それぞれガンバ大阪と柏レイソルが相手だったが、両チームともプレッシャーへの対処はジェフよりはるかに上であった。マリノスとジュビロがともに勝利して、ジェフを追い抜き、ジェフは首位から3位に転落した。
ガンバ対マリノスの試合は、月曜日の夜にJスカイスポーツで観たが、久保竜彦の2ゴールがとても印象に残った。
1点目は、ファー・サイドでの高い打点からのヘディング・シュート。2点目は左足でのジャンピング・ボレーで、ほとんどネットを突き破りそうな迫力があった。
この試合の久保の2ゴールにより、今シーズンのマリノスの総得点は14試合で26点になったが、ジュビロ磐田(33点)とジェフユナイテッド(32点)の記録には水をあけられている。しかし、岡田武史が率いるこのチームが許したゴールはわずかに16。FC東京(10点)とグランパス(14点)に次いで、失点の少なさでは第3位となっている。

マリノスの強さは、まさしくディフェンスにあり、4バックには、柳想鐵(負傷欠場中の波戸の代理)、中澤、金髪の松田、ブラジル人のドゥトラが並ぶ。
波戸が復帰すれば、柳が中盤の中央の位置に入ることが予想されるので、セカンドステージにはマリノスはさらに強いチームとなるだろう。
久保とマルキーニョスのコンビが前線でうまく機能し、右サイドの佐藤由紀彦と左サイドの奥とその後ろのドゥトラが、両サイドから崩すことができれば、マリノスが昨シーズンのジュビロに次いで両ステージを制覇することもありえるだろう。
土曜日、マリノスがホームでのヴィッセル神戸戦を落とすとは思えない。ヴィッセル神戸は、先週土曜日、ホームでの大分トリニータ戦に0−8で敗れたショックが尾を引いているに違いないからだ。
それはともかく、おもしろい優勝争いであった。

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相手を圧倒する事を学べ

2003/07/27(日)

水曜夜の東京・国立競技場での対韓国戦、1−1の引き分けでオリンピック日本代表は圧倒されていたとは言え、私は山本昌邦監督率いる若者達のアテネ五輪予選突破は間違いないと確信している。
なぜかと言えば、山本監督はしっかりした組織作りをしてきたし、来年3月にアジア最終予選が始まった際にはこの事が非常に重要な意味を持つことになってくるからだ。
国立競技場のスタンドに座りながら、私は韓国の選手達が入場してきた時、まるで彼らがバスケット選手のように思えた。
それほどまでに彼らはライバルである日本代表よりも背が高く、日本のディフェンス陣は空爆にさらされるであろうと思えた。
しかし、すぐに韓国陣は地上でも巧みな攻撃的サッカーができることを見せつけたのであった。
後半、彼らには試合を決める機会はたくさんあった。日本代表のなんとか引き分けにもちこもうというファイティングスピリットを褒めるべきだろう。

山本監督の若いプレーヤー達は日々学んでいる。そして青木剛も水曜日の経験から多くを学んだはずである。
韓国代表の先制ゴールは、青木の中途半端なパスが崔兌旭にわたって生まれた。ただし、崔には日本サイドの内側でボールを奪った後もやらなければならない事があった。彼の右足でのシュートは強烈で、空気を切り裂きネットに吸い込まれたが、GK川島は止める事ができたはずだったと感じているだろう。
あのエリアには他に日本選手もいなかったし、私には青木が何をしようとしたのかわからない。
彼のミスは、自陣ゴールにパスしてトラブルに陥った対コスタリカ戦でのパープルサンガのDF角田のそれを思い出させた。
それでも私は豊かな才能の持ち主で、素晴らしいテクニックと強靭な肉体の持ち主である青木の信奉者である。あと2・3年のうちに彼は必ずトップクラスのMFに成長している事だろう。
日本オリンピック代表は石川、阿部、鈴木、そして根本の4人のMFのお陰で調子も良い。さらに山本監督には大久保、前田、松井、そして“ガンバのゴン”こと中山ら、昨年10月に釜山で行われたアジア大会でゴールを量産したFW陣のオプションも多い。

日本はアテネオリンピックでアジア枠3つを巡って争う12ヶ国の一つである。12チームは3つのグループにわけられ、各グループの勝者がギリシアへ行く事となる。
来年3月にはオリンピック日本代表はアジア各国の才能ある若手プレーヤーと対峙する事になるのだ。それまでに彼らは不注意な個人的なミスをしないという事を学ばねばならない。このレベルでさえ、そうしたミスは致命的なのである。

総括すると、山本監督はよく訓練された経験あるJリーグ選手達に恵まれているが、だからと言って、当然のごとく他のチームがなすすべなく崩壊すると考えてはならない。
ホームで戦っているのにアウェーで戦っているように見えるほど、もっと対戦相手を圧倒しなければならないのだ。
来年夏には日本代表はアテネに行けるだろう。しかし油断はできない。

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グラウのマスクは、やり過ぎ?

2003/07/24(木)

今年もまた、ジュビロ磐田のホーム・グラウンドではJリーグの歴史に残る試合が見られた。
昨シーズンは、ファーストステージの終盤に、ジュビロが5−4でガンバ大阪を破った試合があった。この試合は、サドンデスの延長戦にガンバのディフェンダー、宮本恒靖のオウン・ゴールで勝負がついたのだが、「Jリーグイヤーブック 2003」には西紀寛のゴールと記録されている。
宮本は、少しホッとするだろうとは思うが、あれは明らかに西が蹴った低い弾道のボールの方向を彼が変え、ゴールに押し込んでしまったものであった。

日曜日、こじんまりしたジュビロ磐田スタジアムにジェフユナイテッド市原を迎えての首位攻防戦は、まさにはち切れんばかりの人出であった。
試合は、結局2−2の引き分けであったが、最後の最後まで、どちらが勝ってもおかしくない試合であった。
見事なスペクタクルであり、Jリーグにとって広告効果抜群の試合だ、と私は思った。
火曜日の夜、私はスカイスポーツ・チャネルでこの試合をもう一度観た。たまたまこの試合にチャンネルを合わせた事業家が、日本のスポーツへの投資を考えていたとしたら、翌日にJリーグのマーケティングかスポンサーシップの担当部署に間違いなく連絡をとっていただろう。
そう、それくらい素晴らしい試合であった。展開が速く、華やかで、刺激的であった。
先週、私はロドリゴ・グラウの活躍ぶりについて書いたが、それに応えるように彼はジェフ戦でもまさに要領の良いゴールを決めた。
しかし、その後に起ったことに、私はなんだか嫌な気分になった。

最初、グラウはジュビロ・ブルーのユニフォームの下に着ていた、”100% Jubilo”というスローガンが胸に書かれた白のTシャツを披露しようとしているだけに見えた。
だが、そうではなく、グラウは自分が着ていたものをあちこちまさぐり続け、青いマスクを取り出した。グラウはその青のマスクをかぶり、ジェフのサポーターが集まっているゴール裏の席の前で、浮かれ始めたのである。

ファンのお行儀がさほどでもない国でこんなことをやったら、暴動になっていたかもしれない。
私には、アウェー・チームのファンがグラウにプラスチック・ボトルやコインなどを彼に投げつける姿や、一部の者がフェンスを乗り越えて彼に襲いかかろうとする姿が目に浮かんだ。
相手チームの選手からはスポーツマンシップに反する行為と無礼さゆえに、および地元の警察からはファンをいたずらに刺激する行為ゆえに、訴えが関係当局に出され、グラウは懲戒処分を受けていたかもしれないのだ。
ゴールを決めて浮かれるのはかまわない。しかし、アウェー・チームのサポーターの前でのあのような振る舞いは、やりすぎではなかっただろうか?
ジェフの監督であるイビチャ・オシムにこのことについて訊ねてみたが、オシムは気にしてはいなかった。
ただし、グラウの先制ゴールの直後、ジェフの茶野とサンドロの二人がファールを犯してイエローカードをもらっていたのは、興味深い出来事であった。
選手たちは、苛立ち、怒りを感じていたのだろうか?
もしそうなら、グラウのマスクが効果を発揮したのだろう。
個人的に、私はグラウの振る舞いは行き過ぎだと思う。
ただし、これで素晴らしいゲームの価値が落ちるわけでもない。

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ナオヒロからロドリゴへ…。新旧ヒーロー交代

2003/07/21(月)

ジュビロ磐田のファンの前に、“ナオヒロ”に代わる新しいヒーロが現れた。
ロドリゴ・グラウは昨シーズンのJリーグMVPで、現在ドイツのハンブルグでプレーする高原直泰に代わる今シーズンの得点源として、頭角を現したストライカーだ。
日曜日にホームで行われる首位決戦の対ジェフ市原戦を前に、グラウは12試合でPKでの4得点を含む11得点をあげている。
これはジェフの韓国人FW崔龍洙と並んでJリーグ得点ランキングのトップの成績である。

すなわち、日曜日の首位ジェフ(勝ち点26)と2位ジュビロ(勝ち点24)による試合は、ファーストステージ残り2試合を残すのみとなったリーグ戦の、二人の最も熱いストライカーの一騎打ちとも言える。
高さ、強さ、そしてパワーで(時として肘で)ディフェンスをねじ伏せ叩き潰すプレースタイルの崔に対して、どちらかと言えば得点を掠め取るのがグラウのプレースタイルだ。
今シーズンに入るまで彼は2002年3月17日のデビュー戦、対札幌戦での1点しかあげてなかった。しかしすっかり開花し、今やチームの先発メンバーの中に確固たる地位与えられている。

ジュビロのオランダ人GKアルノ・ヴァン・ズワムはグラウが脇役から主役へと浮かび上がってくるのを見てきた。
「彼は最高のタイミングで最高の場所にいたのさ。“お手軽”ゴールも多いよね」ヴァン・ズワムが言う。ここで言う“お手軽”とは“簡単”という意味である。確かに彼のゴールはジュビロの怒涛の攻撃後、敵のゴール間近であげたものが多いが、“お手軽”という言葉は決して彼の働きを否定するものではない。
「ゴール前の彼はとてもシャープだし、機会をじっくり待っているね」
ということは、この26歳のブラジル人プレーヤーはベテラン中山雅史と似通った所があるのだろうか?
「中山はよりチームのために動きまわるのに対して、グラウは瞬間を掴むんだ」

ある日、東京のオフィスで女性の同僚が、テレビでJリーグハイライトを見た際にフランチェスコ・トッティがジュビロ磐田のユニフォームを着ているのかと思ったと話した。
確かに、ブロンドの髪をヘッドバンドで留めたその外見はよく似ているが、ヤマハにはイタリア・セリエAの達人にJリーグ入りを納得させられるような財力はあるはずないと説明した。

グラウはまた、片方のシューズを脱ぎポイントを押し耳にあて、あたかも携帯電話で話しているかのようなゴールセレブレーションで知られるようになった。
この事は、出だしは悪かったものの、グラウが今や日本の生活にもすっかり馴染んだ事を証明している。

*このコラム(原文)は、7月18日に書かれたものです。

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カタールも悪くない

2003/07/17(木)

 あの試合から1年が過ぎ、フィリップ・トルシエがついに監督業に復帰した。
 今週の初め、トルシエはカタール代表チームの監督として2年間の契約にサインしたが、選手をじっくり見る時間はない。
 いきなり大きな試練が待ち構えていて、カタールは、2004年に中国で開催されるアジアカップの本大会に、なんとしても出場しなければならないのである。
 トルシエは、4年に1度開催される、アジア版のヨーロッパ選手権とも言うべきこの大会を熟知している。日本代表チームの監督として、2000年10月にレバノンで開催された同大会で優勝した経験があるからだ。
 しかし、カタールが入った予選グループBを突破するのは困難な仕事で、来年夏に中国で行われる本大会に出場するには、パワフルなクウェート、それより力は落ちるもののシンガポールやパレスチナを破らなければならない。予選は 9月から10月にかけて行われるので、トルシエは大急ぎでベスト・チームを編成しなければならないのだ。

 先月、フランスで開催されたコンフェデレーションズカップの期間、私は何度かトルシエと話す機会を得た。
 私は、トルシエがカタール代表監督の仕事に一心不乱に打ち込み、選手たちが経験したこともないような緊張感をチームに持ち込むのは間違いないと思っているが、当時のトルシエはヨーロッパのクラブから好条件のオファーがなかったことに、とてもがっかりしていた。
 トルシエは、フランス、スコットランド、アイルランド共和国の各代表の監督候補にあがっていたし、昨年は中国代表の監督に就任する可能性もあった。中国は、日本代表チームと同じ手法で、若くダイナミックな一群の若手選手を発掘し、鍛えてもらうことをトルシエに望んだが、トルシエ自身は同じことはしたくないと考えていたようだ。
 トルシエはエリートの仲間入りがしたかった。とりわけイングランドのプレミアリーグで、アーセン・ベンゲルや、悪くてもジェラール・ウリエくらいの成功はしたいと思っていた。

「イングランドから要請があると思っていたけど、市場が完全に冷え込んでいるね。どのチームも監督を替えようとしないんだからね」トルシエは、今でも諦めきれないようであった。意中のクラブはトットナム・ホットスパーであったが、グレン・ホドルの留任が決まっていた。
 フランス、スペイン、イタリアのクラブでも良かったのだろうが、エジプト、リビア、イラクからの要請は拒否していた。
 しかし、トルシエはカタールを選んだ。カタールの国内リーグは現在、注目の的である。10年前のJリーグ発足当時と同じように、大物選手が次々と入団しているからだ。
「カタールも悪くないさ」と懐かしのトルシエ・スタイルが出た。
「カルロス・ケイロスも、4年前はアラブ首長国連邦の監督だったけど、今はレアル・マドリードの監督だ」
 来年のアジアカップか2006年ワールドカップの予選で、カタールが日本と対戦するとしたら?
「僕はプロフェッショナルだから、自分が指揮するチームが日本に勝って欲しいと思うだろうね。負けてやろうなんて思わないよ」とトルシエ。
「でも、変な気分だろうね。僕は日本の強さを知っているし、日本の選手は僕の監督術を知っている。僕には、日本の選手はみんな自分の息子みたいに思えるし、4年間ともに過ごしたことは、忘れられない思い出だからね。」
「さあ、新しい冒険の始まりだ!」

 日本には今なお彼を批判する者はいるが、私はトルシエには是非ともアラブ湾岸の国で成功して欲しいと願っている。

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日本サッカー界に小細工はいらない

2003/07/14(月)

先週土曜日(7月5日)に東京・国立競技場で行われたイベントに私はショックを受け、そしていささか心配になった。
そのイベントとは清水エスパルス対横浜Fマリノスのリーグ戦である。試合は後者が1−0で勝利を収めた。
形式上はエスパルスのホームゲームであり、スポンサーのJALは3万人をこえる観衆を集めるのに力を尽くした。これはJALの努力のたまものであり、スタジアムはまるでオランダ代表戦のようにオレンジを身に付けたサポーターで埋まった。
とは言え、私が気に入らなかったのは、安っぽい小細工である。

例えば、選手交代の際には音響システムから音楽が騒々しく鳴り響き、まるでヘビー級ボクシングのタイトルマッチのように選手を紹介する。
正直、最悪だと思った。ファンには、シンプルで控えめなアナウンスで十分である。
エスパルスのサポーターは魅力的なメロディーと多くの応援歌で有名である。しかし私が思うに、クラブ側は少々ハメを外し過ぎたようだ。
エスパルスがコーナーキックを得た時などは、大スクリーンに「ゴール、ゴール」の巨大な文字が点滅した。どうも観衆を煽ろうとしていたようだ。
言うまでもないが、こんなことは不必要だし、さらにはゲームに集中しなければならない選手への妨害である。
誰もがコーナーキックだとわかるし、攻撃側のチームのファンはコーナーキックになれば期待と願いをかきたてられるものだ。
いくつかのクラブがこうしたアメリカ的なお祭り騒ぎを熱心に取り入れようとする理由は私にも理解できるが、サッカーには必要ないものだ。
私はJリーグに、こうしたものはゲーム自体に何の益をもたらさないと強く訴えたい。

そういえば、1996年に初めて京都パープルサンガの試合を見に行った時の出来事を、忘れられない。
「キィーーーック オーーーーーーーーーーーーフ」という間の抜けたアナウンスを聞いた時、私はスタジアムの席から転げ落ちそうになったものだ。
これは英語の「キックオフ」のアメリカ語である。
このアナウンスは、まるで初めて試合を見にきて試合開始がわからないファンがいた時のため、もしくはピッチ上でウォームアップに余念の無い選手達のためとばかりに、試合開始と、後半開始に行なわれた。

Jリーグよ、一体何をやっているのだ。
こんなナンセンスなことはやめてくれ。
これこそ真のサッカーファンを・・・そう、今や日本中に溢れる真のサッカーファンをバカにする行為に他ならない。

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カフーなんて、知らない

2003/07/10(木)

横浜F・マリノスのファンは、ブラジル人ディフェンダー、カフーの新しいスペルを発見した。
現在、マリノス・ファンは、カフー(Cafu)を“Caf-Who”と綴っているそうだ。
そう、これは英語のジョークで、言葉遊びの類いだが、私なりにこのジョークを翻訳してみよう。
意味は明白で、カフーがF・マリノス入団を拒否したおかげで、現在アジアで有数のオールラウンド・プレーヤーがJリーグに復帰できるようになったということだ。
それはもちろん、柳想鐵(ユ・サンチョル)のことである。私にとって、柳は韓国のブライアン・ロブソンである。つまり、マンチェスター・ユナイテッドとイングランド代表の伝説のスターと比較するほど、彼を評価しているのである。
柳はどのポジションでもプレーできる。おそらくGKだってできるだろうが、土曜日の夜、東京・国立競技場で行われた、清水エスパルス戦ではライトバックを務め、横浜への復帰緒戦を飾った。

試合開始1分、柳は右サイドのコーナーフラッグ付近から素晴らしいクロスをエスパルスのゴール前ファーサイドに供給した。さらにその後、マリノスのペナルティー・エリア内の奥深くで、トゥットがヒールキックしようとしたボールを奪った。
柳は背番号2のジャージを着ていたが、これはクラブがカフーのためにとっておいたものであった。
しかし、ワールドカップの覇者、ブラジル・チームのキャプテンは契約から手を引き、横浜は彼の代わりに柳を獲得した。
土曜日のゲームのあと、マリノスの岡田武史監督は新たに獲得した選手に満足そうであった。

「本当に驚きました。チームのメンバーとの練習は4日しかやっていませんでしたからね」と岡ちゃん。
「彼が、(ディフェンスの)サイドでもプレーできるとは知らなかったけど、完ぺきだった! とても満足していますよ」
つまり、岡田監督はカフーのことなんか完全に忘れてしまったのである。それで、Caf-Who? というわけだ。
「カフーには、プロはこうあるべきだというものを見せて欲しかったけれど、柳想鐵のほうが、使いやすい選手ですね。いろんなポジションでプレーできますから。」
「日本のサッカーを知っているし、マリノスには親しい選手もいる。チームにとってはとても貴重な新戦力です」

岡田監督によれば、柳は当分の間、ケガで欠場中の波戸康広に代わってライトバックのポジションに入る予定だが、チーム内に新たなケガ人が出た場合には他のポジションに入る可能性もあるらしい。
「メンバーが揃えば、ウチもそんなに悪くはない」と岡田監督は謙遜する。
「でも、ケガ人が1人でも出たら、チーム全体のパフォーマンスが落ちてしまう」

この点に関して言えば、フィールドの10あるポジションのどこでも任せられる、柳を獲得したのは申し分のない補強であった。
柳はダイナミックな選手で、現在アジアでプレーする最高のアジア人選手だろう。昨年、柏レイソルが退団を認めたあと、どうしてヨーロッパのクラブに入団しなかったのかが不思議でならない。
ヨーロッパの移籍市場が冷えきってしまったのが、おそらく原因なのだろう。クラブが、ワールドカップのセミファイナリスト獲得に見合った金額、あるいは柳本人の能力や経験に見合った金額を払えなくなってしまったのである。
ヨーロッパの損失はJリーグの利得である。
もっと具体的に言えば、それはマリノスの利得である。
カフーなんて、知らない。

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柳沢よ、リラックスしてチャンスをものにせよ

2003/07/06(日)

人気ストライカー、柳沢敦が来週鹿島アントラーズからサンプドリアへ1シーズンのレンタル移籍をし、海外移籍組の仲間入りをする。
ジュビロ磐田ファンも含め、全ての日本人のファンが彼の活躍を祈っていることだろう。もちろん私もその中の一人である。柳沢は過去数シーズンに渡って、私のお気に入りの選手の一人だった。
私はこれまでも、多くの場面で彼のいわゆる「決定力不足」を取りざたす他のジャーナリストから擁護してきた。
そう、確かに柳沢はこれまで何度か決定的な場面でミスしてきた。しかしそれはどのストライカーだって同じだ。あのペレでさえ全ての場面で得点していたわけではない。
最も重要なポイントは、次のチャンスにどう活かすかだ。

柳沢のフォワードとしての総合的な評価は悪くない。
土曜日に鹿島で行われる対ジュビロ戦以前、177試合に出場して70回の「アツシゴール」を決めている。
ストライカーの合格点が3試合に1得点と言われるなか、彼は2.5試合に1得点である。
すなわち、統計的には柳沢は優れていると言える。
ただし、この記録はあくまでイタリアと比較してディフェンスの甘い、Jリーグでのものである。
もし柳沢がイタリアで成功したいと思うなら、なすべき事は一つ。得点を重ねる事である。
しかし、世界屈指の百戦錬磨、巧妙なディフェンス相手では決して簡単な事ではない。
サンプドリアはセリエA再昇格を果たしたばかりで、来シーズンの目標は昨シーズンのレッジーナのように、リーグに残留することである。
柳沢がチームになるだけ長く残り、彼自身の居場所を確立させるためには、最初のシーズンに8〜10得点を目標とすることは決して多すぎない。

柳沢にはイタリアでうまくやっていけるだけの資質がある。
ボールを持たない場面でもよく走れるし、ディフェンダーをポジションから引きずり出す事もできる。また、瞬発力も素晴らしい。
さらには、左右どちらの足でも、またヘッドでも決める事ができるし、何よりペナルティエリアで恐れ知らずだ。
もしイタリアでチャンスが到来したら、柳沢は落ち着いて得点を焦らないことだ。
例えばガブリエル・バティストゥータのような偉大なストライカーの証は、ゴールが見えたらパニックになるのではなくリラックスする事なのだ。
だからヤナギよ、落ち着け。サンプドリアのサポーター達が「アツシゴール」の歌を歌う日も近い。

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称賛よりも勝利を

2003/07/03(木)

 正直なところ、私はコンフェデレーションズカップでの日本代表の戦いぶりには納得がいかなかったのだが、ともかくフランスでの2週間の滞在を終え、東京に戻ってきた。
 コロンビアに1−0で敗れて日本チームが大会の途中で帰国したあとも、中立の立場の専門家から聞こえてくるのは、好意的な意見ばかりであった。
「日本は準決勝に進出できるだけの力はあった」と言う人がいた。
「日本はあまりにも運がなかった」という意見もあった。
「日本は今大会でも屈指の素晴らしいチームであった」と言う人さえいた。
 土曜日、パリで開かれ、大勢の記者が出席した記者会見で、FIFAのジョセフ・プラッター会長は、大会では「素晴らしいサッカー」を見ることでき、個人的には、トルコと日本が、そのプレーと「斬新な」チームワークで印象に残った、と述べた。

 その翌日、私はフランス競技場で決勝戦を観戦した。その日は、記者全員による大会最優秀選手の投票も行われ、イングランドから来た同僚は中村俊輔に投票していた。
「中村は1試合半しか出場していないのに?」と私は訊ねた。
「うん。でもフランス戦でのフリーキックは、この世のものとは思えなかったからね」というのが答えであった。
 そう、その点には同意しよう。中村俊輔のフリーキックはまさに驚異であった。力の入れかたも、精度も申し分なく、ファビアン・バルテスもお手上げであった。実を言うと、私はあのフリーキックは遠藤保仁が蹴るだろうと思っていた。左利きの中村より、右利きの選手が蹴ったほうが角度的に良さそうだったからだ。
 おそらく、あのフリーキックはジーコ・ジャパンを象徴するものであったのだろう。すべてが、個人の能力によるものであったから。

 最優秀選手の投票に話しを戻すと、私は1番目にティエリ・アンリを選び、その次にトルコの背番号20の守備的ミッドフィールダー、セルクク・サヒンを選んだ。サヒンは若干22歳ながら、その成熟度と落ち着きぶりは見事なもので、これから長く国際舞台で活躍する選手だと思えた。
 3番目には、中田英寿を選んだ。身内びいきだと思われるかもしれないが、中田はやはり日本になくてはならない存在であった。
 個人的な意見では・・・まあ、MVPの投票はこれが全てなのだが、私は選手としての格でも、実力でも、中田はMVPに値する選手だと思った。
 残念だったのは、キャプテンの中田が経験の少ないチームメートを懸命に励まし、引っ張ろうとしていたにも関わらず、日本チーム全体は中田個人の才能に見合うプレーを見せられなかったことだ。

 日本に戻り、コンフェデレーションズカップの結果をホームではどう受け止めているかを見たが、日本のファンの反応はフランスの専門家の意見よりはるかに現実的で、合理的であり、ジーコは代表監督として現在も様々な課題を抱えたままであると感じさせるものであった。
 ホームで戦う、8月のナイジェリア戦、9月のセネガル戦、11月のカメルーン戦は、ジーコの今後にとって重要なゲームとなるだろう。
 フランスでの戦いは失敗であり、成功ではなかったのだ。

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中田は素晴らしいがアーセナルに空きはない

2003/06/30(月)

 アーセン・ベンゲルはとても人目を引く。
 背が高く、スリムでハンサム、そして成功者の輝きを持っている。ベンゲルは常に引く手あまたである。
 1996年に名古屋グランパスエイトからアーセナルへ移り、イングランドに新風を送り込んだ。
 知性があり、明確で、教養もある。それはまるで平均的イギリス人サッカー選手像とは正反対で、彼の最大のライバルであるアレックス・ファーガソンのようなラフでタフなスコットランド人とは明らかに違っている。

 準決勝のフランス対トルコ戦では、私はスタッド・ドゥ・フランスの観客席の上段に座っていたが、そこからでもテレビ局のクルーと話したり、知人と握手をしているベンゲルの姿がよく見えた。
 どういうわけか、チケットやパリの地図、ノート、メンバー表や試合結果表などを入れたカバンを失くしてしまい、インタビューエリアに入れなかった私が試合後にベンゲルと1対1で話をできたのは本当に偶然の事だった。

 壁際で二人の中国人ジャーナリストに捉まっていたベンゲルの姿を見かけた時、私のそれまでの憂鬱な気分は吹き飛んだ。
 彼はすばやく私を見つけると、二人をかきわけて私の方へ歩み寄り握手してきた。そしてそのままその場所を後にしたのは言うまでもない。
 すでに彼はインタビューで話し疲れていたうえに、車も待っていたので長話はできなかったが、中田英寿や日本代表について非常に興味深い話を聞くことができた。
 中田英寿は本当にアーセナルへ移籍するのだろうか?
「チームにはすでに10人のMFがいるんだ。中田をどこでプレーさせるって言うんだい?もっと現実的に見てもらいたい」彼はそう言った。
「どのチームだって選手は多すぎるくらいなんだ。需要がないよ」
 そこで私は中田がプレミアリーグで成功できると思うか尋ねてみた。
「もちろんだとも。昨シーズンと比べても彼はタフになったし、成長したよ」ベンゲルは断言した。

 かつて、代表監督は隠居の仕事だと私に話したベンゲルは、フジテレビで放映したサンテティエンヌでの日本対フランス戦の解説をした。
 その試合が彼個人の見た唯一の日本戦だったが、彼は日本代表の素晴らしい試合に感心した、いや、むしろ日本はフランス相手に頑張りすぎて、引き分けで良いコロンビア戦に0−1で負ける羽目になったのだとベンゲルは語った。
 私が思うに、おそらくベンゲルはフィリップ・トルシエと話したに違いない。3−0でニュージーランドに勝利した日本は、すべてのエネルギーをコロンビア戦に温存しておくべきだったとトルシエは言う。トルシエは日本代表が同じメンバーで最初の2試合を戦ったのは大きな間違いだったと語った。
 また、彼は日本体表を評して「ビーチサッカー」と言う。プレーしたり観戦したりするのは楽しいが、規律も組織もないと・・・。
 相変わらずトルシエは喋り続ける。
 しかしもうスペースも残り少ない。この続きはいずれまた。

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ジーコの不平は聞きたくない

2003/06/26(木)

 日本代表の選手名がコンフェデレーションズカップの試合を見に来た観衆に発表されても、地元のファンにとってはほとんどが知らない名前であった。
 しかし、監督の名前が読み上げられると、フランス人のファンはジーコに喝采を贈った。
 もちろん、喝采は監督としてではなく、選手時代の名声に対して贈られたものであり、とくに1986年ワールドカップでのフランス対ブラジルの名勝負を讚えるものであった。
 ジーコが、選手時代の能力とワールドカップでの活躍により、世界中で尊敬されているのは確かだ。
 それゆえに、サンテティエンヌでフランスが日本を2−1で破ったあと、彼がワールドカップのもう一人のヒーロー、ミシェル・プラティニに向かって大声で文句を言う姿を見て、いたたまれない気分になった。
 ジーコには、FIFAが割り当てたレフリー、とくにニュージーランド戦のコフィ・コジア氏(ベナン)とフランス戦のマーク・シールド氏(オーストラリア)が不満であったらしい。
 いわゆるサッカーの発展途上国出身のレフリーを選ぶなんて、FIFAは国際大会で日本を軽んじている、というのがジーコの言い分だ。

 試合後、最初はプラティニを相手に、そしてメディアを相手に、ジーコは感情をあらわにした。さらに、翌日の練習後もメディアを相手に同じことを繰り返した。
 もっとも私は、ジーコがかくも怒りをあらわにしたのは負けたチームの監督がよくやる類いの負け惜しみであり、日本のファンにはあまり良い印象を与えなかったと思う。
 コジア氏は力不足であったかもしれない。さもなければ、ニュージーランド戦の32分、ダイビングをしたアレックスに2枚目のイエローカードを出してしかるべきであった。アレックスは試合早々のファールでイエローカードを1枚もらっていたので、欺瞞的行為で2枚目のイエローカードが出されていれば、退場処分となっていたのである。
 おそらく、10人になっていても、日本が弱体のニュージーランド代表に敗れることはなかっただろうが。

 フランス戦では、右からのコーナーキックの場面でジャンアラン・ブームソングが倒れ、フランスにペナルティー・キックが与えられた時、レフリーは厳しすぎると思った。
 しかし、テレビのリプレーでは、ブームソングが稲本に妨害されている姿がはっきり映し出されていた。稲本は、コーナーキックに合わせようとしていたフランス人選手の体に両腕を巻き付けていたのである。
 レフリーは適切な位置におり、日本にとって残念なことに、レフリーの判断は正解であった。
 稲本にはイエローカードが出され、ニュージーランド戦でも1枚イエローカードをもらっていたため、コロンビア戦は出場停止となってしまった。

 ジーコがレフリーについて文句を言っているのを聞いていると、悲しい気分になってしまう。
 今回のコンフェデレーションズカップの成績は、日本のスタッフにはまだまだ学ぶべきことがたくさんあることを示すものであった。

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コンフェデ杯は4年に1度にすべき

2003/06/23(月)

そもそもコンフェデレーション杯など無ければ良いと思っている人は少なくない。
ニュージーランドと日本を除くほとんどのチームはベストメンバーではない。さらには主催者側でさえ、大会の盛り上げに苦心している。
1998年のワールドカップを観戦した際に得た、途方もない情熱と感動と比べるまでもないのは致し方ない。
どのチームも多くのサポーターが来るわけではないが、ただトルコからは木曜夜の対アメリカ戦に12000人もの熱狂的なサポーターが応援に駆けつけた。
トルコ人はいたる所に溢れており、彼らのチームへの愛着は強い。
カメルーンからもパリで行なわれた対ブラジル戦、1−0の勝利に多くのサポーターが駆けつけた。しかし、これもほとんどが現地に住んでいるカメルーン人である。

日本について言えば、いくつかの少人数のグループが歩き回り、フランスのカフェ文化に浸っているのを見た。これは時間つぶしにはもってこいで、街角のちょっとした広場で太陽を浴びながら座り、ミネラルウォーターやコーヒーを飲みながらクロワッサンを楽しむ。
金曜日の朝、私はサンテティエンヌの中心街へ日本円をユーロに換金するために出かけたのだが、ステージが用意されており、風のない夏空に日本とフランスの旗が掲げられていた。
1998年の時に比べるとチケットの入手も簡単だが、試合が始まってもそうそう多くの日本人が来るとは想像できない。
当時、購入したチケットを安く売ってくれた現地の善良なフランス人たちのお陰で、多くの日本人サポーターは無駄な出費をせずにすんだ。

今回は食事、みやげもの屋、宣伝、交通、ホテル等に、少々難があった上、さらに一番重要なFIFAのサービスが欠けていた。
全てがお金と手間をかける事なく行なわれたようだ。
こうまでして何故FIFAはこの大会を開催するのだろうかと思ってしまう。
コンフェデ杯は4年に1度で良いと思う。特に、2001年に韓国と日本で行なわれたように、ワールドカップの前年に行なわれるべきではない。
本番前のリハーサルとしては良いのだろうが、独立した大会としては不適格だろう。

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オセアニア・チャンピオンの実力拝見

2003/06/18(水)

 コンフェデレーションズカップでの日本代表の緒戦は、水曜日の夜、フランス競技場のニュージーランド戦となるが、日本が勝利するであろうというのが大方の予想である。
 しかし、オセアニアのチャンピオンが日本を苦しめたとしても、驚くには値しない。
 これは、火曜日の午後、パリで開かれた記者会見でFIFA会長のジョセフ・ブラッター氏が述べた見解だ。
 オセアニアのチームはどこも強くなるとブラッター氏が確信するに至った主な根拠は、オセアニアが2006年ワールドカップの出場枠を1つ確保したということである。
 これまでオセアニア連盟のチームがワールドカップ出場権を得るには、他の連盟のチームとプレーオフを戦う必要があった。相手は、あるときには南米のチーム、またあるときにはアジアのチームで、ヨーロッパのチームと戦わなければならないときもあった。
 しかし、2006年の大会から、オセアニアには32の出場枠の1つが与えられることになり、プレーオフを戦う必要はなくなった。

「出場枠が与えられたことは、オセアニアの各国にとって大きな刺激となり、サッカー・レベル向上の誘因となるでしょうね」とブラッター氏。
「オセアニアは当然のものを得ただけなのです。ワールドカップの出場枠という当然のものをね。
「ワールドカップ以外のFIFA主催の大会では、オセアニアはずっとチームを出場させていました。ですから、ワールドカップでも出場枠を得るべきだというのは、論理的に当然の帰結なのです」

 ニュージーランドは、地域の強豪国であるオーストラリアを破るために強いチーム作りを熱心に進めており、コンフェデレーションズカップをチーム作りの第1歩と位置づけている、とブラッター氏は感じているようだ。
 だから、日本チームも用心しなければならない!
 先日、私は神戸ウィングスタジアムでU−22ニュージーランド代表が日本に4−0で敗れた試合を観戦し、ニュージーランドのサッカーはまだまだ発展途上だという感想を抱いた。
 ニュージーランドの選手はボールを持ったときの動きがぎこちなく、敏捷で、テクニックに優れた日本選手とは厳然たる差が見られた。
 しかし、水曜日の夜の日本戦では、ニュージーランドにはとても有利な点が1つある。これは、月曜日の練習のあと、稲本潤一も指摘していた。
「ニュージーランドは、長身の選手が揃っています」と稲本。
「僕は181cmで、日本代表ではいちばんの長身ですが、ニュージーランド代表では平均身長が185cmですからね。
「ビデオでスコットランドとの試合(1−1)を見ましたが、コーナーキックとフリーキックは無茶苦茶怖いなあと思いました。ですから、充分に気をつけないと」
 稲本の言う通りだ。
 自分たちの実力をアピールしたいキーウィ(ニュージーランド代表)にとっては、大会の第1戦は願ってもないチャンスである。
 それでも私は、新チームは多くの点で経験不足であるとしても、好選手の揃った日本がニュージーランドに負けることはないだろうと思っている。
 日本代表の練習はまだまだリズムやパターンが欠けていたが、日本がオールホワイツに負けるとはどうしても思えないのだ。
 日本が勝つだろうが、接戦になり、スコアはおそらく1−0だろう。

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ヒデのイングランド移籍を歓迎するイナ

2003/06/15(日)

 もし、皆さんの中に中田英寿がイングランド・プレミアリーグではうまくいかないと思っている方がいらっしゃるとしたら、この稲本潤一の言を聞くと良い。
 イナは過去2シーズン、最初のシーズンはアーセナル、そして昨シーズンはフルハムと、イングランドで過ごした。そして来シーズンもガンバ大阪からのレンタルとしてイングランドに残留する。
 中田がチェルシー、アーセナル、そしてマンチェスター・ユナイテッドとの契約は近いとの報道が飛び交う中、私は大阪でのトレーニングキャンプでイナにこの状況について尋ねる機会を得た。
 インタビューは全て英語で行われた(インタビュアーの日本語の下手さはさておいて)。

「イナちゃん、ヒデはプレミアリーグでうまくやっていけると思うかい?」
「当然だよ」イナはそう答えた。
「それはなぜだい?」
「なぜって、とっても良い選手だし、イタリアでだって結果を出しているでしょう」イナはそう言う。
「スピードがあってフィジカルなプレミアリーグでもいけると思うかい?」
「まったく問題ないよ、彼のスタイルはプレミアにピッタリだと思うよ」
「彼にイングランドに来てもらいたい?」
「もちろんだよ。だってプレミアリーグはリーグもファンも素晴らしいからね。プレミアリーグで成功するといいね」イナはこう締めくくった。

 イタリアに移籍して5年、どうやら中田も新天地へ移る時が来たようだ。
 私もイナ同様、中田はラフで荒いプレミアリーグのサッカーには何の問題もなく適応できると思っている。
 中田はスピードがあり、タフで、大胆だ。更にいくつものポジションをこなす事ができる。
 怪我で小野伸二を欠く日本代表だが、中田は他の代表選手と比較するとまるでどこか他の惑星から来た選手のようにさえ見える。
 彼は完成された、また責任感あるリーダーであり、そして熱狂的ともいえるフィットネス愛好家だ。大阪での対アルゼンチン戦の翌日、先発メンバーは練習を休む事を許可されたにも関わらず、中田はピッチを何往復か走り、ストレッチを繰り返していた。

 今のところチェルシーが移籍先として有力視されているが、私はそう、あのマンチェスター・ユナイテッドへの移籍もありえると思う。
 考えてみると良い。マン・Uはベッカムをレアル・マドリードかバルセロナに3000万ポンドで放出し、そしてヒデをパルマから1000万ポンドで獲得する。
 マン・Uは右ウィング、センターMF、もしくはファンニステルローイの後方を任せられる優秀なチームプレーヤーを得るだけでなく、シンガポール、タイ、マレーシア、インドネシアそして香港で人気があるマン・Uがさらに極東で、巨額の利益を得る事のできる選手を獲得することになる。
 サッカーをビジネスと捉えた場合、中田はユナイテッドにとって最適と言えるのだ。

ends

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昨年の日本代表は、遥か昔のことのよう

2003/06/12(木)

 1週間前はずっと昔、というサッカーの格言がある。
 もしそうなら、1年間は永遠のように思える。
 日曜日の夜、長居スタジアムから長居駅まで歩きながら、そのようなことを考えた。
 日本はアルゼンチンに1−4で完敗。試合では、1年前のワールドカップで披露してくれた気迫、プロとしての姿勢、ダイナミズムは微塵も見られなかった。

 憶えておられるだろうか。日本がチュニジアを2−0で破ってグループ首位の座を獲得し、日本サッカー史上初のセカンドラウンド進出を決めたのは、同じ長居スタジアムであった。
 あの日、森島と中田英寿のゴールで国中が歓喜の嵐に巻き込まれた。
 しかし現在では状況はうってかわって、ファンは静かに帰途につこうとしていた。私が何より驚いたのは、ファンがことさら落胆しているように見えなかったことだ。
 まるで、カンビアッソ、アイマール、サビオラらに率いられたチームが相手なら、こんな負け方をしても当然だ、とファンが予測していたようだった。
 ただし、心しておかなければならないのは、相手は事実上アルゼンチンの控えのチームであり、ディフェンダーのサミュエルやアジャラ、ゲームメーカーのベロン、レフトウィングのソリン、フォワードのクレスポとクラウディオ・ロペスが欠場していた。
 しかし日本も後半の開始から15分程度はアルゼンチンを圧倒することができた。その時間帯には不屈の秋田豊がヘディング・シュートを決めて1−2とし、前半のサビオラとサネッティの見事なゴールによる2点差を1点差に縮めた。

 サネッティのゴールは素晴らしいの一語で、両チームの実力差をまざまざと見せつけた。
 まず、アルゼンチンは日本の左サイドにいた中田英寿に殺到し、ボールを奪うと、あっさりと突破して見せた。それから、サネッティが交わしたのか、突破したのか、まるで稲本がいなかったかのような動きで突進し、サビオラにパス。
 サビオラのリターン・パスは効果抜群で、森岡を誘い出し、外側から回り込んだサネッティがノートラップで蹴り込んだボールは、楢崎も止めることができず、ゴールの上隅に突き刺さった。

 1−4の敗戦に対するジーコの対応は、次のパラグアイ戦では楢崎と中田英寿を除きチームを総入れ替えするというものだった。
 これも憂慮すべき事柄だが、ともかくパラグアイ戦がコンフェデレーションズ・カップを前にした最後の調整試合となる。
 もし日本がパラグアイ戦で良い内容を見せたとしても、ジーコは選手選考でさらに悩むことになるだろう。

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小野と大久保の欠場、それぞれの事情

2003/06/09(月)

 金曜日にジーコ監督がコンフェデレーション杯代表メンバーを発表した。その内容は納得と驚きの入り混じったものであった。
 小野伸二は日本代表としてフランスへは行かない。これは寂しいことだが仕方の無いことだ。
 このことは十分予想されていた。ヨーロッパでの2シーズンを休養なしで過ごしてきた彼は明らかに疲れきっているし、怪我もしている。
 埼玉スタジアム2002で行われた浦和レッズ対フェイエノールトの親善試合後に、フェイエノールトのベルト・ファンマルバイク監督は小野には5〜6週間の休養が必要で、さもなければ今後の彼のサッカーキャリアさえも壊しかねないと語った。
 この件については極めて常識的な結論として、小野は来シーズンに向けて長い夏休みをとれる事となった。

 小野に関する決定は十分予想されたが、ジーコ監督が大久保嘉人を23人の代表から外したことは、大きな驚きであったとともに大きな落胆であった。
 先週土曜日の日韓戦、途中交代で日本代表としてのデビューを果たした時、大久保はフォワードラインにエネルギーと活力を与えたし、彼の選出は間違いないと思われた。
 個人的には、これはジーコ監督にとって大久保や、さらには石川直宏をフランスへ連れて行き大きな国際大会を経験させる良い機会だったと思う。
 今の日本代表が必要としているのは新しい力である。しかしジーコ監督は、チームとしていつか一つにまとまってくれるだろうとの期待だけで結果を出せない選手に固執している。

 金曜日の午後、コンフェデレーションズ杯の代表メンバーが発表された直後に、セレッソ大阪のトレーニンググラウンドで行われた日本代表の練習風景は興味深いものがあった。
 練習試合では、大久保のダイナミックな動きに中山、鈴木、そして永井といったコンフェデ杯代表選手達がかすんで見えた。大久保のスピードと積極的な走りに彼らは立ち尽くすしかなかった。ジーコ監督も明らかに彼を気に入ったようであった。
 それだけに、なぜジーコ監督が大久保を外したのか、驚きはさらに大きくなった。
 高原と俊輔は両名とも欠席で、月曜日にチームに合流する。
 フランスでの予選突破を目指すのであれば、日本代表にとって高原が体調万全であることが必要不可欠である。
 高原・大久保のコンビというのもディフェンダーにとってはやりづらかったのではなかろうか?

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後退するジーコ・ジャパン

2003/06/05(木)

 日韓戦は、日本のファンにはおもしろくない試合だったのではないだろうか。
 私は、韓国は充分勝利に値する内容だったし、1−0というスコアは日本とって幸いだった、と思う。
 日本は、2−0あるいは3−0で負けていてもおかしくない内容であった。
 実際、後半の半ば、シュートを決めようとしていたユ・サンチョルのシャツを森岡が明らかに引っ張った場面で、レフリーが順当にペナルティー・キックを韓国に与えていれば、スコアはもっと開いていただろう。

 月曜日、私は東京・品川のホテルで開催されたワールドカップのシンポジウムに出席して、懐かしい顔に会った。アジア・サッカー連盟事務局長のピーター・ヴェラパン氏だ。
 週末は別のワールドカップ1周年記念行事に出席するために、氏は韓国にいて、日韓戦はテレビで観ていたという。
 2002年のワールドカップでFIFAのコーディネーターを務めたヴェラパン氏は、「特に後半、日本チームに組織力、気迫が欠けていたことにはまったく驚いた」そうだ。
 ヴェラパン氏は、アルゼンチンとパラグアイと対戦する、これからの2試合は日本代表にとって「きわめて重大」である、とも述べた。
「日本代表は、規律、まとまりとともに、戦術の一端を披露しなければならない時期に来ています。日韓戦では何も見られませんでしたからね」

 ジーコ・ジャパンを注意深く追いかけてきた者なら、ヴェラパン氏の論評に驚くことはないだろう。戦術や組織力が育まれていると感じている者は、ほとんどいないからだ。
 それ以上に問題なのは、実は、日本代表に気迫、情熱が欠けていたことである。
 この点は試合終了を待つまでもなく、試合中でもはっきり分かった。
 選手たちは援助、アドバイス、指導を求めるばかりで、自発的なものは何も見て取れなかった。

 キリンカップに目を向けると、注目は中田英寿と高原直泰に集められるだろう。
 何よりも、この2人はチームにとって、そしておそらくジーコにとっての救世主と見られるだろう。
 しかし、一部の選手に過度に依存するのは、ジーコ・ジャパンが進もうとしている方向が、トルシエ・ジャパンとまったく正反対であることを意味する。
 ヴェラパン氏は2人の監督を比較しようとはしなかったが、日本はJリーグから無名の若手選手を抜擢してみてはどうか、という意見は述べていた。
 2006年ワールドカップの予選が始まるまでの今後1年間は、実験期間として考えても良いのではないかとヴェラパン氏は言う。そうすれば、ワールドカップの2年前には、少なくとも30人の代表候補が持てるようになる。
 氏の発言は、ジーコの指揮で5試合を戦い、前進ではなく、後退しつつある日本代表にとって、良きアドバイスであるように思える。

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秋田と崔、日韓の柱

2003/06/02(月)

 伝統の一戦、日韓戦が近づくにつれ、テストステロンの分泌が盛んになりテンションもあがる。
 この試合には両者とも負けられない。勝者は母国にもたらした国家威信に胸を張るだろう。
 敗者は傷を舐めながら敗走し、次回の雪辱の機会を待つことになる。
 こうした激しい対抗心が背景にありながらも、金曜午後の東京国立競技場では心暖まる1シーンがあった。

 日本代表はチームの練習時間を終え、ミックスゾーンと呼ばれる取材を受ける場所を通りチームバスへと向かっていた。
 ちょうどその時、韓国代表が到着し、日本に続いてピッチへ上がるために粛々と更衣室へと向かって歩いていた。
 突然、秋田豊の前に見覚えのある顔が見え、彼は「ヨンス!」と声をかけた。
 ジェフ市原でプレーしている韓国代表の要、センターフォワード、崔龍洙も一瞬この声に驚いたようだったが、チームメートから離れ秋田に近寄った。
 二人は握手を交わし、笑いながら土曜日のお互いの健闘を誓い合った。

 ピッチ内外を問わず日本で崔の笑顔を見る機会はそうあるものではない。特に試合中の彼は得点する事だけに集中しているからだ。
 だからこそ彼はチームから高給を支払われているわけで、彼もゴールする事でこれに応えている。今シーズンだけでも既に彼は9得点をあげ、得点ランキングをリードしている。
 崔も秋田もお互いの力をよく知っている。そして、お互いのできが試合結果を大きく左右することも知っている。
 これはまさに恐れを知らないディフェンダーとフォワードの典型的な戦いであり、両者はお互いのライバルに打克つために己の全てをぶつけ合う事になる。

 崔は日本戦での得点を何よりも欲しているし、今シーズンあげた9得点と土曜夜の勝利を交換しても惜しくないと思っていることだろう。
 また、ベテラン秋田もアンドラーズの誇るベストディフェンダーとして、フォワードとの激しく果敢な争いを何よりも求めている。
 照明に灯がともり、ホイッスルが吹かれ、そしてスタジアムが青色に染まった時、両チームからそれまで交わした笑顔は消える。
 金曜午後に秋田のとった行動は試合の格好の広告になっただけでなく、また秋田のフェア精神と人間性をも表した出来事だった。

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延長戦廃止に拍手!

2003/05/29(木)

 J1リーグは、代表チームの試合が控えているため、6週間の中断期間に入った。
 第1ステージの第10節を終わって、ジュビロ磐田が勝ち点21で首位。ジェフユナイテッド市原(勝ち点20)、鹿島アントラーズ(同19)、名古屋グランパスエイト(同18)がこれに続き、さらに横浜F・マリノスと柏レイソルも勝ち点17を挙げている。
 つまり、勝ち点4の差で上位6チームがしのぎを削っており、7月5日のリーグ再開から劇的なクライマックスに至るのは必至の状況である。
 観客数も増加している。
 合計で135万2,973人のファンが開幕からの10節を観戦し、1試合当たりの平均観客数は、2002年の1万6,368を上回る1万6,912人。
 Jリーグの鈴木昌チェアマンによれば、観客数増加の要因の一つはエキサイティングな試合が増えたことであり、もう一つは延長戦とVゴールを廃止したことであるそうだ。

 私は、延長戦に関する論評では、鈴木さんは的を射ていると思う。
 延長戦を止め、世界のサッカーに合わせてリーグ戦を90分制にしたことは、Jリーグにとって大きな前進であった。
 ファンや、選手とともに、監督やテレビの編成担当者たちも、きっと現在の制度に感謝していることだろう。
 試合が90分で終了すると思えば、監督だって3人の交替選手を戦略的に起用することができる。以前なら、延長戦が頭にあるので、ケガ人が出たときのために交替選手を温存するかどうかが、悩みの種であった。当時、Jリーグでは90分間での交替は3人までで、延長戦では4人目の交替を認めるという制度を採用していたが、これは世界のサッカーの趨勢から完全に逸脱するものであった。
 さらに、新しい制度はフェアーであるとも思う。
 私は、90分間を立派に戦ったのに、延長戦のラッキーなゴールで負けてしまったチームを、いつも気の毒に思っていた。努力はまったく報われず、相手チームだけが勝ち点2を得るのである。

 名古屋グランパスを例にして、考えてみよう。
 グランパスは今シーズン4勝6引き分けで、リーグでは唯一の無敗チームである。
 引き分けの6試合を延長戦で勝っていると仮定したら、現在の勝ち点は24(90分以内で勝った4試合の勝ち点12と延長戦で勝ち点2を獲得した試合が6試合で同じく勝ち点12)。この数字なら、順位表のトップに立つことになるが、90分以内で4試合しか勝てなかったことの言い訳にはならない。
 引き分けの6試合を延長戦で負けていると仮定したら、勝ち点はわずか12で、首位から遠く離れた位置にいることになる。これもまたアンフェアーで、グランパスの安定した実力は上位に位置してしかるべきものでもある。
 グランパスにとっては、4位は妥当な位置なのである。

 延長戦の試合内容は、大味なものになりがちであった。選手の疲労ぶりは、夏の季節にはことさら目立った。決勝のゴールも、見事なプレーから生まれたものではなく、ミスが原因となることがよくあり、ぱっとしない結末となることもあった。
 これからJリーグがすべきことは、2シーズン制の廃止とヨーロッパのような1シーズン制の導入だろう。
 ただし、これはまた別のお話だ。

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サッカーの奇跡

2003/05/25(日)

「神様からの贈り物だよ。たぶん。こんなことはサッカーの中でしか起こり得ないよ」
 これは先週日曜日、豊田スタジアムでベガルタ仙台を2−1で下した名古屋グランパスエイトのスロベニア人監督、ズデンコ・ベルデニックの、ワールドカップにも出場したことのあるオーストリア代表FWイヴィツァ・ヴァスティッチが終了間際に挙げたゴールについてのコメントである。

 試合はまさにヴァスティッチのグランパス最後のホームゲームにふさわしいものとなった。
 ベルデニックの希望に反して解雇されたヴァスティッチのサヨナラ試合は、5月24日、土曜の夜に磐田スタジアムで行われる対ジュビロ戦のはずだった。
 そういうシナリオだった。
しかし仙台戦の76分過ぎ、ヴァスティッチは今シーズン3枚目のイエローカードを受け、ジュビロ戦への出場が不可能になった。
 残り14分、ヴァスティッチはこれがグランパスでの最後の試合であると気が付いた。
 ロスタイムも残り1分となった時、試合は依然として1−1のままであった。
 興奮高まるなか、グランパスは仙台ゴールから30メートルの地点でフリーキックを得た。ウェズレイがヴァスティッチにボールを落とすと、ヴァスティッチは右へ切れ込み、右足でシュートを放った。
 ボールはネットに吸い込まれ、仙台にはキックオフの時間しか残されていなかった。そしてホイッスルが鳴った。
 なんとドラマチックな結果だろう!

 プレス席で、ジャーナリストは常に公平でならなくてはならない。そして感情をあらわにしてはならない。そんな事は十分理解していた。
 しかし、この日に限っては違った。ネットが揺れ歓声が絶頂に達したその時、思わず私は両こぶしを空に突き上げていた事を白状しなければならない。
 だが、このこぶしは名古屋の勝利のためではなく、サッカーの奇跡を祝福したものだ。
 いみじくもベルデニックが言ったように、まったく起こりえないことだった。
 しかし、ヴァスティッチはそれを実現した。そして彼の名古屋における短かいキャリアは忘れがたいものとなった。
 これが世界中にあるサッカーの奇跡なのだ。
 先週土曜日、それがたまたま豊田スタジアムで起こっただけなのだ。

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レイソル復活の兆し

2003/05/22(木)

 柏レイソルの日立柏サッカー場を訪れるのは、いつも楽しい。
 ゴール裏にいる、イエローモンキーと呼ばれる一団のアクションが見られるだけでなく、全体的な雰囲気が格別なのである。
 スタジアム自体がこじんまりしていて、ファンがピッチのすぐ近くにいる。
 イングランドの下部リーグやプロのリーグに属していないクラブを観戦したときのことが思い出される。
 たとえ満員でなくても素晴らしい雰囲気を醸し出すことはできるが、先週土曜日に横浜F・マリノスとの試合を観戦したとき、スタジアムは満員であった(1万2,000人以上の観客がいた)。
 イエローモンキーが一方のゴール裏に集い、マリノス・ブルーがもう一方のゴール裏を占める光景は、地元の人々に支持されるチーム作りを目指してきたJリーグの理念が実現しつつあることを明確に示すものであった。
 試合も見事な内容で、レイソルが3−1で勝利した。

 昨シーズン、レイソルはあとわずかでJ2に降格するところであったが、今は復活の兆しがはっきりと見てとれる。9試合を戦った時点での勝点16は、トップのジュビロ磐田からわずかに4ポイント差。
 横浜戦では、頭脳的かつ精力的な働きを見せた玉田圭司がマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。玉田は、マリノスが2−1と反撃したあとに駄目押しとなる3点目のゴールを決めたほか、ジュシエと新人の谷澤達也が挙げた最初の2ゴールにも貢献していた。

 2000年の第2ステージ制覇を惜しくも逃したあと、急な坂を下るように低迷していったレイソルだが、マルコ・アウレリオ監督は、疲弊し、不調にあえいでいたチームをゆっくり、しかしながら確実に立て直しつつある。
 さらに、日本人の選手たちが、エジウソンがいないことをチャンスと感じているようだ。エジウソンは、昨年夏のワールドカップでブラジルの優勝に貢献したあと、いったんは古巣のレイソルに復帰していた。
 その時期のレイソルを見ていると、まるでエジウソンとリカルジーニョの二人だけでプレーしていて、攻撃陣の日本人選手をみんな無視しているようだった。
 エジウソンが退団したあと、リカルジーニョがチームの中心となっているが、ことあるごとにエジウソンを探していた以前とは違い、今はチームメート全員にボールをパスしなければならない状況である。

 ただし、レイソルの完全復活までにはまだまだ時間がかかるだろう。
 土曜日、レイソルは試合の大部分をアウェー・チームのように戦い、守備を固め、カウンター・アタックを狙い、後半には徹底的に時間稼ぎをしていた。
 このことで、マルコ・アウレリオがまだチームに全幅の信頼を置いていないことがわかるが、チームが向かっている方向に間違いはない。
 ここ数年、レイソルは高価な外国人選手を次々と獲得し、日立からの潤沢な資金を無駄に遣ってきた。
 しかし、ピッチには外国人が3人しかいないのに対して日本人選手は8人いるのだから、地元出身の選手の育成をつねに心がけることが大切なのは自明の理である。

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J2降格は終わりではなく新たなスタート

2003/05/19(月)

 J2に降格したからといって、何も世界が終わるわけではない。
 J2のシーズンスケジュールには、鹿島アントラーズやジュビロ磐田といった豪華なチームとの対戦はないが、J2でのひと時はチームを若返らせ、よみがえらせてくれる。
 昨シーズンの天皇杯覇者、京都パープルサンガを見ると良い。
 また、昨シーズン大分トリニータに続いてJ2から昇格したセレッソ大阪は、今やどのJ1チームにだって勝てる力をつけた。

 次に続くのはサンフレッチェ広島だ。
 12試合終了時点(5月14日)で、サンフレッチェは2位のアルビレックス新潟に9差をつけ、勝ち点31でJ2の首位を独走している。
 水曜夜、等々力スタジアムでのサンフレッチェ対川崎フロンターレ戦を見に行ったのだが、どうやら私は彼らにはバッドラックを運んだようで、試合は0−1で負けてしまった。10勝と1引き分け後、今シーズン初の黒星である。
 監督はフランスワールドカップで岡田武史監督の下、アシスタントコーチを務めた小野剛である。彼は聡明で、また人望も厚く、さらにはJFAのコーチングプログラムを通した的確な人選だったと言える。
 敗戦後も、彼は一切不満を口にすることなく、フロンターレの善戦を褒めていた。一番大切なのは、サンフレッチェが次の試合にこの敗戦をどう活かすのかだと彼は強調した。この敗戦で選手達の自信は揺らいだりはしないと主張し、そして次戦は勝たねばならないと言った。
 チームのゼネラルマネージャーは、JFAの理事でもある高田豊治氏である。
 福島のサッカー総合施設「Jビレッジ」の成功における高田氏の力は大きい。そして今また、サンフレッチェの成功に寄与している。
「我々は確かに今シーズン幸先の良いスタートを切りました。しかしまだ先は長いのです」高田氏は言う。
「我々の今シーズン第一の目標はJ2から抜け出す事です。そして、4年の間にJ1のトップを争うまでになりたいと考えています」

 オリンピック最終予選が来年3月に延期されるなど、SARS騒動はサンフレッチェにとっては良い方向に働いたようだ。
 それはすなわち、森崎兄弟や駒野友一がシーズンを通してプレーできるという事だ。
 ベテランブラジル人選手、35歳のセザール・サンパイオは、若い選手と経験ある選手のチームバランスが良いと言っている。
 1998年ワールドカップ代表であり、チームを攻守にわたって引っ張れるサンパイオを獲得した事は、サンフレッチェにとって素晴らしい事だった。
 チームとしてはJ1に残留する事を望んでいただろうが、J2降格を機にチームの再編成に取り組み、試合に勝ち、自信とチームワークをつけた。また、より多くのファンを獲得し、地元のメディアの注目を受ける機会を得る事もできたのである。
 要するに、全ては終わりではなく、新たな始まりだったということだ。

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大久保は日本の将来を担う

2003/05/15(木)

 火曜日の午後、渋谷にある日本サッカー協会事務局でジーコが発表した、東アジア選手権の日本代表候補は、楽しみの多いメンバー構成となった。
 30人の候補選手のなかには、オリンピック代表チームのメンバーが3人含まれていた。松井大輔と石川直宏、そして大久保嘉人である。
 5月28日の大会初日までにメンバーは20人に絞られるが、上にあげた3人のうち1人が代表入りすることになる、とジーコは語った。
 この発言後、瞬く間にさまざまな憶測が入り乱れた。
 3人の才能豊かな若手選手のうち、日本のエリートに仲間入りできるのはだれか?
 石川は頭の良い、スピードのある右ウィンガーで、いまだ横浜F・マリノスからのレンタル移籍中という立場でありながら、FC東京のファンから確固たる支持を受けている。しかし、ジーコは中盤ではなく、フルバックから仕掛ける、奥行きのある攻撃を指向しているので、石川が選ばれる可能性は低いのかもしれない。

 そうなると、松井と大久保の一騎打ちということになる。
 個人的には、大久保が選ばれて欲しいと思っている。
 私は、国見高校にいたときから大久保に注目していた。大久保は、これまでに大きなケガとJ2降格を経験しているが、そのような経験を力に変えてきた。とはいえ、まだ20歳、J1に昇格したセレッソ大阪に所属している。
 今シーズンの初めに、万博スタジアムで行われたナビスコカップのガンバ対セレッソ戦を取材したときのことを憶えている。
 大久保の速さと積極的な動きに、ガンバのディフェンダー、宮本恒靖もなかなか手を焼いていたように見えたが、セレッソの若手選手は終了前に交代させられてしまった。
 試合後、更衣室の外で大久保は西村監督と話しながら泣いていた。まるで1990年のワールドカップの準決勝でドイツに敗れ、人目もはばからず号泣する、イングランドのポール・ガスコインを彷彿とさせる光景であった!

 西村によれば、どの試合でも全力を尽すのを旨とする大久保がベストのプレーを見せることができなかったので、フラストレーションがたまっていただけ、だそうだ。
 私は、このような姿勢が好きだ。そして、ピッチの大久保を見るのが好きだ。チャンスでしくじると、大久保は、芝生とか、ゴール脇にある水のボトルとか、いろんなものを蹴ろうとする。ゴールを決めると、大久保は得意満面になる。
 大久保のプレーは情熱と感情に溢れており、あまりにも控えめな態度が目立ち、勝とうが負けようが気にしていないようにさえ見える選手が多い日本では、際立った個性となっている。
 大久保のプレーには荒っぽい一面もある。空中戦では相手選手にヒジが入ってくることもあるし、自分の思い通りに物事が進まない時にはファールも辞さない。
 大久保を候補の30人に選んだのは、ジーコにとって大きな前進であり、私は大久保には20人の代表枠に入って欲しいと思っている。
 松井に対する私の想いは、すでに発表済みだ。素晴らしくて、才能豊かな選手であるが、プレーに自制心が欠けている。(*)
 しかし、ジーコは才能があり、派手なプレーをする選手を好む傾向があるので、おそらくは松井が選ばれるのだろう。

*5月8日掲載 『松井の大成には自制心が必要』

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後味の悪いカフーの移籍話

2003/05/12(月)

 カフーはそもそも横浜Fマリノスに移籍する意志を持っていたのだろうか?
 それとも、彼の代理人は移籍話を単に道具として使ったのだろうか。
 カフーが7月に日本へ来る可能性は、ここ数週間のイタリアでの動きから見て、ほぼなくなったと見るべきであろう。
 母国のため、過去3回のワールドカップ決勝に出場したカフーは、6月30日までのASローマとの契約が切れ次第、7月上旬にも来日する予定になっていた。
 今年1月、マリノスはカフーとの2年半、400万ドル(約4億8千万円)の契約を発表した。
 そしてその数週間後には、カフーはまだ決心していないという噂がイタリアから聞こえてきた。

 私は、3月のナビスコカップ、対FC東京戦の後に岡田武史監督にこのことを尋ねてみた。すると彼も、もしかするとカフーは来ないかもしれないという噂をチームのフロントから聞いたと認めた。
 岡田監督は、カフーが仮契約に署名したという事で本契約を結ぶつもりなのだと考えていたようだ。ただし、契約書は見ていないと彼は付け加えた。
 その後イタリアで、カフーはACミランと交渉中であり、またローマにさらに1〜2年残留するかもしれないという報道がされた。
 どちらにせよ6月30日をもってカフーはフリーエージェントとなり、移籍金が発生することなく、巨額な契約金を手にできるのだ。

 3週間前、私はあるサッカー関係者から電話を受けた。彼の話によると、カフーの代理人は既にマリノスに、カフーは日本へ行かないと伝えたという。どうやら、SARS感染を恐れてアジアへは行きたくないということらしい。
 マリノスは、カフーが既に公式な契約書に署名したものをファックスで返送してきた事を強調しており、依然として彼がチームに移籍してくれる事を望んでいる。
 しかし、選手とその代理人は通常最終的な決断をするまでオプションを残しておくために、いくつもの仮契約にサインするものである。
 代理人の権限は強まる一方で、今やまったく逆らえないと言う人もいる。移籍事情を根底から一変させたボスマン裁定以来、法的にもチームの権利より選手個人の権利を重視する傾向にある。
 カフーと彼の代理人がJリーグのチームと交渉を始めた段階では、彼らは純粋に移籍を意図していたと信じたい。
 マリノスの発表が早すぎたのだろうか?
 はたまたカフーの代理人が、他のチームとの交渉のためにマリノスの契約条件を利用したのだろうか?
 いずれにせよ、日本の他のチームには良い勉強になったことだろう。

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松井の大成には自制心が必要

2003/05/08(木)

 私は、ずっと松井大輔の大ファンであった。
 J2に降格する2シーズン前、京都パープルサンガに入団してきた頃の松井を、私は今も憶えている。
 ボール扱いのうまさに聡明さと利口さが備わった松井の才能は、すぐに目についた。
 ボールを持っている時の松井の体の動きは、ニューカッスルやリバプールでプレーした私の生涯のお気に入り、イングランドのピーター・ベアズレーを彷彿させた。
 しかし、最近私は松井のことが心配で、彼が真の才能を充分に発揮できるかどうかが不安でならない。
 そう感じるようになったのは、昨秋韓国で開催されたアジア大会が最初で、先日のミャンマーと2試合戦った、アテネ・オリンピック予選でも同じような感情を抱いた。

 もちろん、松井はいまでも抜群のテクニックを持っている。だが、彼のプレーには自制心が欠けているように思えるのだ。
 試合では、単純にプレーしなければならない時がある。ボールをコントローしたり、キープしたり、あるいはチームメートに簡単なパスを送ったりするのがそうだ。
 また、派手にアピールする時もある。たとえば、3−0でリードしていて、残り時間がわずかな時は、ファンを喜ばせることも必要だろう。
 私が松井に感じるのは、その持てる実力、才能ゆえに派手なプレーが多すぎ、一生懸命サッカーに取り組み、チームプレーに集中するという姿勢が見られないということだ。
 フィリップ・トルシエと数日一緒にいれば良い薬になるかもしれない。あのフランス人なら、現在クラブや代表で松井がやっているような勝手なプレーは決して許しはしないだろう。

 オリンピック予選が佳境に入り、相手がどんどんタフになってくると、危険な時間帯での不用意なプレーが、日本のオリンピック出場のチャンスを台無しにしてしまうかもしれない。
 だから、大切なことは、いざというときに不用意なプレーが出ないように、事前にその芽を摘んでおくことなのである。
 前述したように、私は松井の技術を評価しているが、経験が豊富で、ずる賢くて、粗っぽいチームと対戦するとき、松井が華麗にプレーしたいと思っていると、ケガに繋がりかねない。
 そういう事態になって欲しくはないが、日本代表について事前にきちんと分析をしてきた監督なら、試合の序盤から松井だけを徹底マークするように指示するかもしれない。つまり、松井を削って、松井の働きを弱めようとするのだ。
 ミャンマーも何回か松井にファールを仕掛け、レッドカードの対象となったプレーもあった。私は、1999年の国立競技場、フィリピンの選手になぎ倒された小野伸二の姿をまざまざと思い出した。あの時の負傷で、小野は1年後のシドニー・オリンピックになっても、完全復調できなかった。
 ゲルト・エンゲルスと山本昌邦は松井を厳しく指導すべきだ。そうすることが、チームのためであるだけでなく、前途有望な選手のためになるからである。

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鈴木の帰国は日本の現実

2003/05/04(日)

 鈴木隆行の1年間のレンタル契約が切れ、ゲンクは再契約をしないという事だが、これは十分に予想しえたことだった。
 理由は明白。鈴木はゲンクに貢献できなかったという事だ。
 ベルギーリーグにはアンデルレヒトやブルージュといった古豪チームはあるものの、ヨーロッパではメジャーなリーグとは言えない。
 スペイン、イタリア、イングランド、そしてドイツがトップ4リーグと呼ばれ、フランス、ポルトガル、そしてオランダがそれに続く。
 すなわち、鈴木がベルギーリーグの中堅チームの中でポジションを得られなかったという事は、仮に彼がヨーロッパ残留を望んだとしても、彼のヨーロッパでの未来は決して明るくないということだ。
 現時点では恐らく、彼はレンタル移籍するまで所属していた鹿島アントラーズに戻るしかないだろう。
 それでは、鈴木にとって日本を出てシーズンをベンチで過ごした事は結局間違っていたのだろうか?
 いや、そんな事はない。
 フィジカルなベルギーサッカーのゲームペース等、学んだ事は決して少なくないはずだ。

 ワールドカップの数ヶ月前、私はゲンクの試合を見る機会があり、その試合後にウェスリー・ソンクにインタビューする事ができた。
 サッカーのスタイル、そしてスタジアムの様子などは「リトル・イングランド」と呼んでも良いくらいだと思った。スタジアムは大歓声に包まれ、選手たちは試合の経過に関わらず諦めずに得点をあげようと走る事をやめない。
 こうした文化的側面から見ても、鈴木はサッカーというものに対する視野が広がったはずであり、日本に戻った時には、相変わらずプロレベルとしては初歩段階にある日本のサッカーにショックを受けるかもしれない。

 ワールドカップ、対ベルギー戦での鈴木のゴールが、彼のベルギーへの移籍を決定させたわけであり、彼のフィジカルなプレースタイルとフォワードラインでの彼の存在がベルギー人たちを感心させたのは間違いないのだ。
 鈴木にとって良いワールドカップだったのは確かであり、そしてフィリップ・トルシエは今でも、鈴木と柳沢でなく、アレックスと西沢をトルコ戦で起用した事を後悔しているはずだ。
 鈴木がベルギーでポジションを得られなかった事実は、すなわち日本の選手たちがまだまだ成長しなければならないということの裏返しでもあるのだ。

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真っ赤に燃える、崔龍洙

2003/05/01(木)

 シーズン終了後の表彰の話をするにはあまりにも早すぎるが、すでに受賞に値すると思えるような、素晴らしいプレーを続けている選手が一人いる。
 6試合で5ゴールを挙げ、2試合連続でハットトリックを達成した崔龍洙(チェ・ヨンス)は、今、Jリーグで最もホットなストライカーである。
 今年は、この29歳の韓国人選手にとってジェフユナイテッド市原での3年目のシーズンになるが、どうやら最後のシーズンになりそうでもある。複数の韓国人ジャーナリストの話によると、母国で選手生活を終えるのが崔の希望らしい。

 日本に来るずっと前、韓国のオリンピック代表チームやA代表のメンバーであった頃から、私は崔の能力を買っていた。
 崔は体が大きく、強靱で、ひたむきにゴールを狙い、そしてとことんチームプレーに徹することのできる選手である。端的に言えば、理想的なターゲットマンであり、攻撃陣のリーダーなのだ。
 苦しい時、チームメートは崔を探せば良い。どんなボールにも必ず競りかけて、ひたすらゴールを目指してくれるからだ。
 ジェフ・サポーターの間でも、崔の人気は圧倒的だ。サポーターたちは、崔のことが本当に好きなようだ。
 それはそうだろう。崔は給料に見合うだけの働きをしてくれている。この点は、他の外国人選手と比べてみると、明らかである。
 巨額の契約を交しているが、どのゲームでも契約に見合った働きをしようと全力を尽くしているのだ。
 空中戦では、崔は相手ディフェンダーにとってまったく油断ならない選手である。ある時は自分でヘディング・ゴールを狙うし、またある時は、ペナルティー・エリア内のチームメートに正確で、素早いボールを頭で折り返すこともできる。
 ボールが空中にない時も精力的に動いて、ボールを求めてピッチを縦横に駆け巡り、相手ディフェンダーを引っ張って味方にスペースを提供することができる。

 日本での最初のシーズンでゴールを量産した2001年と、MVPの高原直泰に比肩する活躍を見せた昨シーズン、崔がJリーグのベスト・イレブンに選ばれなかったのは、とても残念であった。
 安養LGチータースから移籍してきた、このストライカーの日本での通算成績を見ると、2シーズンで49試合に出場、37ゴールを記録している。
 試合数に対するゴールの多さが印象的だが、試合対ゴールの比率は現在さらに上がっており、2003年には6試合で8ゴールを記録しているため、現時点での通算成績は55試合出場で45ゴールとなっている。
 このような崔の活躍により、ホームで神戸相手に3−0で敗れるという、信じられないような試合をしたあとも、チームは立ち直ることができ、勝ち点を13にまで伸ばした。火曜日にガンバ大阪を下し、6試合終了時の勝点を15とした首位の鹿島アントラーズとは、わずかに2差だ。
 韓国の記者たちの話が真実で、今シーズンが崔にとって日本での最後のシーズンであるとすれば、崔はチームに最高の恩返しをしようとしているのかもしれない。

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関西の憂鬱

2003/04/27(日)

 2003年、Jリーグのシーズンが始まってまだ日は浅い。しかし、関西での盛り上がり不足に対するリーグ首脳の心配は大きいはずだ。
 いや、正確にはイベント不足と言うべきだろうか。
 Jリーグチェアマン、鈴木昌氏は、ガンバ大阪、昇格を果たしたセレッソ大阪、天皇杯の覇者・京都パープルサンガ、そしてヴィッセル神戸といった4チームの活躍が今年こそ関西に過去最高の盛り上がりをもたらし、また今年がこれらのチームにとって躍進の年になる事を期待していた。
 しかしこれまでのところ、ファンはすでに審判を下し、大きな失望に変わりつつある。

 それは先週土曜日のゲームを見ても明らかだ。
 神戸ウイングスタジアムで行われたヴィッセル神戸のホームゲーム、対ベガルタ仙台戦ではわずか6325人しか集客できなかった。
 前週末の市原での3−0勝利の後、仙台に勝てば少なくとも翌日の横浜マリノス対大分トリニータの試合までは勝点9でトップに躍り出る事を考えれば、この数字はヴィッセルにとっては最悪の数字であろう。
 結局ヴィッセルは1−2で負けたのだが、この結果はファン離れを増幅させかねない。

 一方、吹田は更に悪い状況だった。万博スタジアムで行われたガンバ大阪対ジェフ市原の観客数は4828人だった。
 両チームとも魅力のあるチームであり、3−3の引き分けという試合結果がそれを物語っている。
 とは言え、ガンバファンの求めているものは手に汗を握るような面白さではなく、勝利であり、勝点であり、優勝杯なのだ。
 ガンバはシーズン開幕前の私の優勝候補の一つであり、今でも彼らにその力は十分あると思っている。
 今日現在(4月23日)で勝点5、トップのマリノスとは5点差である。しかしファーストステージはまだ11試合残っているのだ。
 1−0で勝てば心理的効果は絶大だっただろうに、ジュビロ戦は1−1の引き分けに終わり、彼ら自身をも落胆させた。
 さらには、大分に2−3で敗れ、トリニータにJ1での初勝利を献上した。

 得点力はあるが、勝ち星を計算できないセレッソ大阪、そして昨シーズンと打って変わって低迷しているパープルサンガ、すでに関西にとって寂しいシーズンになりそうな感がある。
 関西には鼓舞してくれる何かが必要だ。
 また、Jリーグのためにはその何かが今すぐにでも来てくれる事を祈らずにはいられない。

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オール・ホワイツに気をつけろ!

2003/04/24(木)

 スポーツ好きならだれでも、ニュージーランド・ラグビー・ユニオンの代表チーム、オール・ブラックスのことは知っているだろう。
 では、オール・ホワイツはどうだろうか?
 答えは、ニュージーランドのサッカー代表チーム。6月18日、パリ・サンドニで日本代表がFIFAコンフェデレーションズカップの緒戦を戦う相手だ。
 日本の選手やコーチが簡単なチームだと見くびっていると大変な目に遭う―、と語るのは、浦和レッズのオーストラリア人ディフェンダー、ネディエリコ・ゼリッチ。
 オーストラリアとニュージーランドはFIFAのオセアニア連盟の二大強豪で、ゼリッチはオール・ホワイツのことを熟知している。
 ニュージーランドは日本にとって手ごわい相手になりえる。ゼリッチはそう確信しているようだ。

 実際のところ、FIFAがオセアニア連盟に2006年ワールドカップの出場枠を1つ与えたことにより、オセアニア地域のレベルは向上の一途を辿っている、というのがゼリッチの意見である。
「今回、ワールドカップ出場のチャンスが与えられたことで、オセアニア地域のチームは本当にレベルが上がっていると思うよ」とゼリッチ。オーストラリア、ドイツ、イングランド、フランスでプレーした後、昨年日本にやって来て、最初は京都パープルサンガに入団した選手である。
「フィジーやパプア・ニューギニアといったチームも強くなるだろうね。
「ニュージーランドについて言えば、昔から簡単な相手ではなかったよ。オーストラリアはニュージーランドにはだいたい勝ってきたけど、今はどんどん強くなっているところだ」
「次のワールドカップの出場枠が一つ空いているということで、選手のモチベーションも上がっているからね」

 先週の土曜日、プレーするゼリッチを見ることができて良かった。その日の試合は、エメルソンと鈴木啓太がともに見事なゴールを決め、駒場で浦和が京都を2−0で破った。
 自慢するわけではないが、私は、ゼリッチが京都パープルサンガのメンバーとしてプレーした唯一の試合、ジェフユナイテッド市原に敗れた試合を見た、数少ない人間の一人なのである!
 その唯一の試合に出たあと、ゼリッチは個人的な理由でクラブを去り、シーズン後半には浦和でプレーするために日本に戻ってきた。
 しかし、昨シーズンはケガが重なり、浦和での出場は1試合のみ。冬のオーストラリア・キャンプでもハムストリングを断裂し、シーズンの冒頭は欠場を余儀なくされた。
 ゼリッチは、スキルの高さとエレガントさを持ち合わせた良い選手で、その安定性、冷静さ、経験を発揮すれば、レッズのようなチームでは大きな戦力になりえる選手である。
 彼は、チームメートである永井雄一郎の大ファンで、永井が代表デビューの韓国戦でゴールを決めたことを、ことのほか喜んでいた。
「僕に言わせれば、永井は代表レベルの選手だよ。世界レベルで必要な技術は全て持っているし、一人や二人なら自由自在に抜くことができるからね。こんなに才能のあるやつは、絶対に代表チームでプレーすべきだよ」というのが、このオーストラリア人の弁である。

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「ゴンは特別」ジーコが語る

2003/04/20(日)

 ゴン中山ももう若くはない。しかし一体彼に引退の日は来るのだろうかとさえ思う。今年や来年では決してないだろう。彼はまだまだルーキーのような、いやそれ以上の情熱とゴールへの執念を持ち続けている。
 彼は現在35歳である。そして先週、日本代表として51試合目の出場を果たした。それは丁度彼がキャプテンとして出場したソウルでの対韓国戦0−1の敗戦以来3年ぶりの先発出場であった。

 ジーコ監督が彼をキャプテンに指名したのは驚きであった。ポジション的に見ても秋田豊を指名する方がより論理的に思われ、さらに今回の韓国対日本戦はおそらく中山のいるサイドとは反対のサイド上で展開されるだろうと予想されたからだ。
 しかしゴンは彼の務めを十二分に果たした。
 試合開始早々から、センターバック曹秉局(チョビョングク)のフェアだが厳しいチェックに苦しめられ、韓国ベンチ前で倒された時には韓国サポーターの歓声もひときわ高まった。
 しかしすぐに立ち上がり、その後も日本のカウンター攻撃の先鋒であり続けた。後半開始早々も韓国の激しいディフェンスの中、こぼれ球にヘッドを合わせ、ファーポスト外にはずしたとは言えガッツを見せた。
 また、その数分後には右サイドバックの名良橋の素晴らしい動きによって得た決定的チャンスにバーを大きく外して潰してしまったが強烈なシュートを放った。

 ジーコ監督は他の選手達の良い手本だと、ゴンの経験とリーダーシップを褒めちぎった。
 「他の選手達が仕事は終わったと思っていても、ゴンはいつももっとやろうとしているんだ」とジーコ監督は金曜日に外国人記者クラブでのゲストスピーカーとして招かれた際にそう語った。
 「だからこそ彼の年齢をして、未だに中心選手としてプレーできるんだ」
 ジーコ監督は、監督をしている者なら誰もが自分のチームに中山のような選手を欲しがり、そしてたとえ彼が現役の引退を決意したとしても日本サッカー界から消え去ることはないと確信している。
 「たとえ彼が引退したとしても、彼は日本のサッカー界にとって必要な人材になるよ」ジーコ監督は言う。

 言葉にはしなかったが、ジーコ監督は他の若い選手達が中山のせめて半分でもピッチの内外を問わず、サッカーに対する願望や責任、そして自信を見せてくれる事を願っていたに違いない。

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老ボランティアが語る日韓の未来

2003/04/17(木)

 道に迷ったとき、思わぬ人に出会うことがある。
 私は月曜の朝に成田国際空港を飛び立ち、2時前にソウル・インチョン空港に到着した。
 空港からソウル・ワールドカップスタジアムまではリムジンバスがあり、1時間の移動の運賃はたった6,000ウォン(約600円)だった!
 とはいえ、インフォメーション・デスクではバスはスタジアムに直行すると言っていたのに、降ろされたのは銀色のスタジアムの輝きが視界の遥かかなたに見える地点。それはまるで新横浜駅で電車を降り、遠くの横浜国際競技場を眺めているようなものであった。
 天気は素晴らしく良かったが、コンピュータと旅行カバンは重く、持ち歩くのは厄介であった。おまけに新しい靴を履いていたおかげで踵が靴ズレしており、スタジアムへの道のりは楽しいものではなかった。

 最初に私は練習場であるサブグラウンドを探さなければならなかった。日本代表が4時から練習を予定していたからだ。
 私は地図を見て、目指す方向に歩き始めた。
 サブグラウンドにもスタンドがあると思っていた私は、何の標示も付いていない入口を通り過ぎてしまい、途方に暮れた気分でソウル・ワールドカップスタジアムに辿り着いた。
 私は見るからにカッカしていたようで、とても親切そうな韓国人の紳士が完ぺきな英語で私に話しかけてきた。「お困りですか?」
 はい、お困りです!
 紳士の案内で、来た道を引き返した。サブグラウンドの入口もわかった。ただし、サブグラウンドの手前には、だだっ広い駐車場エリアがあり、スケートボーダーたちが春の陽射しのなか集まっていた。

 紳士の名前は、ミスター・ホー・ピル。韓国式の年齢では70歳であったが、生まれたのは1934年。ボランティアのガイドをしていて、海外からやって来たサッカーファンにスタジアムの案内をしているという。訪問客のほとんどは中国や香港からやって来ると聞いて、SARSウイルスを連想した私はマスクをつけ、彼からさっと離れた(ふざけただけですよ!)。
「ホーのあとにコンマを打ったほうがよろしいでしょうね」私がノートブックに氏の名前を書きつけると、こうおっしゃる。「ホーは名字ですから」
 彼の言葉に従い、私は”Ho, Pil”と書いた。
 水曜日の試合のことを訊ねてみると、彼は2002年のワールドカップでベスト4入りした韓国が勝つと予想した。

 約65,000人収容のスタジアムの切符は5時間で完売。水曜日の夜は、約4,000人の勇敢な日本人がジャパン・ブルーのシャツに身を包んでやって来るというが、スタジアムの残りは韓国の赤に包まれる。
「韓国のファンは日本のチームとサポーターにどのように応対するのでしょうね?」私は好奇心でそう質問した。両国の激しいライバル関係から、イングランド代表がグラスゴーでスコットランド代表と対戦する時のことを思い出したからだ。そのような時、グラスゴーはイングランド人にとって愉快な場所にはならない。
 「人々の感じ方も変りつつあるのではないでしょうか」とピル・ホー氏。
 「これまで両国の関係は良くありませんでしたが、我々は心を新たにして、将来について考えなければなりません。
 「過去にすがっていてはいけないのです。ワールドカップはとても役に立ちました。両国の関係はこれまで以上に親密になっています」
 このようなコメントを聞くことができて良かった。
 たとえ踵の血が靴下にしみ込んでいても、仕事中にSARSに感染する恐れがあるとしても・・・。

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久保のプレースタイルが変わった?!

2003/04/13(日)

 英語のことわざに「豹はその紋様を変えない」というものがある。
 ※日本語では「三つ子の魂百まで」
 日本語に同じことわざがあるのかどうかは分からないが、その意味は、人のもって生まれた性格は変わる事がないというものだ。
 ただ久保に関して言うと、まるで彼の性格は変わってしまったようだ。
 これは私が今シーズンのJリーグ開幕から彼を見てきて思ったことだ。
 久保という選手は私にとって、背が高く力強いセンターフォーワードで、恐れを知らず攻撃的で、考えている事といえば強烈な左足のシュートと高いヘディングでゴールネットを揺らす事だけというものであった。
 また、横浜F・マリノスがサンフレッチェ広島から彼を獲得したのは、まさにチームがそれを起爆剤にしたかったからに違いない。
 しかし、今シーズンの久保は私の見る限り違って見える。
 今までならシュートを打っていた場面でパスをする。ゴールエリア内、ヘッドでゴールを狙っていた場面で、今はボールを戻してしまう。

 先週土曜日の対ベガルタ仙台戦の後、会見場からロッカールームへ戻る岡田武史監督と数分間話した。
 その時私は岡田監督に、久保に個人プレーからチームプレーに徹するようスタイルを変えるよう命じたのか聞いた。
 岡田監督はそう命じた覚えはないと答えた。しかし、選手は11人全てが、チームに対して等しく責任を負わなければならないと付け加えた。
 そして私は岡田監督に、開幕戦の対ジュビロ磐田戦で久保が左サイドを突破し、中央の佐藤由紀彦にパスし佐藤が得点した場面に驚かなかったかとたずねた。私が期待していたのは、彼の豪快な左足のシュートでゴールキーパーごとボールをゴールに押し込む場面だった。
 岡田監督は彼自身も久保がシュートを打たなかった事については非常に驚いたと認めたが、同時に横浜の得点という結果には非常に喜んでいた。

 先週土曜日には、クロスが仙台のゴールエリアへ上がった時に、ファーポストにいた久保はやはり自身でゴールを狙わずマルキーニョスへパスしようとしていた。
 仮に久保がスタイルを変えようとしているのだとしたら、私は以前の彼の方が好きだ。
 色々な意味で、彼は箱詰めのチョコレートのようだった。次は何味にあたるのかわからない。
 彼は荒削りで意外性のあるプレーヤーだった。以前のコラムにも書いたが、それこそ彼自身が次に何をするのかわからない、そして久保自身がわからなければディフェンス陣はなおさらである。
 きっと今シーズン、一度でもゴールすれば久保は自分でゴールを狙う自信を取り戻すに違いない。
 いや、是非そうなって欲しい。もし久保が単なるチームプレーヤーになってしまうと、彼の特別な才能が失せてしまう。

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山瀬はレッズ・ファンの元気の素

2003/04/10(木)

 浦和では、交代選手にいちばん大きな声援が送られるのは、不穏な空気が立ちこめる前兆であると言える。
 しかし、レッズがホームで名古屋グランパスエイトと戦った、日曜日の駒場スタジアムは様子が違っていた。
 試合の大半はアウェーのグランパスが支配していたが、攻撃的ミッドフィルダーである長谷部誠に代わって山瀬功治がピッチに登場してからの17分間、レッズ・ファンが一気に元気になったように見えた。

 山瀬のJリーグ登場は、実に8月17日以来のことであった。その日、山瀬はコンサドーレ札幌の選手として、ホームで行われた2002年のファースト・ステージ最終戦、東京ヴェルディ戦に出場し、ヒザに重傷を負ったのである。
 このようなケガにも関わらず、浦和は冬に山瀬の移籍交渉を進め、山瀬も順調に回復しつつあるようだ。
 これは浦和にとっても、日本代表にとっても良いニュースだろう。21歳の山瀬は疑いようもないくらい聡明で、創造性に溢れた選手であるからだ。このまま成長を続ければ、オリンピック代表入りもありえるかもしれない。
 外国人選手に関して不透明な状況が続くレッズにあって、何より必要なのは、安定した戦力を持つことであり、才能を持った日本人選手の登場である。
 この点に関しては、リーグ戦では10月19日以来勝ち星に恵まれていないとはいえ、状況は好転しているようである。
 バックラインには、坪井慶介がいる。坪井は、日曜日の試合では危険なブラジル人ストライカー、ウェズレイに手を焼きながらもしっかりと対処し、良いディフェンダーであることを証明してみせた。中盤には、山瀬とともに精力的な働きをする鈴木啓太がいるし、前線には、永井雄一郎と田中達也がいる。永井はいつも多くの人々を魅了するだけでなく、日曜日にはグランパスのディフェンダーであるパナディッチをも魅了したし、田中は素晴らしいスピードと潜在能力を持っている。

 外国人選手を見ると、エジムンドが退団して、バスコ・ダ・ガマに復帰した。エメルソンも万全ではないが、一応フォワードの柱として期待されている。オーストラリア出身の不運なリベロ、ゼリッチは、シーズン前のオーストラリア・キャンプで左足のハムストリングを断裂し、いまも治療を続けている。
 ゼリッチは今週の練習に参加して、軽い運動をするそうだ。大きな戦力になりうるゼリッチの完全復帰は、レッズのファンも楽しみにしていることだろう。
 こと、山瀬に関していえば、彼は日曜日にほんのわずかの時間プレーしただけであるが、苦労が続くレッズ・ファンの元気の素となったのである。

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再びフォワード不足に陥った日本代表

2003/04/06(日)

 4月16日、ジーコ監督の指揮のもと日本代表は4戦目を戦う。 2002年ワールドカップベスト4、韓国代表との試合がソウルで行われるのだ。(韓国のベスト4というのも未だに信じられないのだが)そして、ジーコ監督はその代表チームの選出をJリーグでプレーする選手の中から行うこととなる。
 代表チームのスケジュールが立て込む中、ジーコ監督は海外でプレーする選手を呼ぶのは中止になってしまったアメリカ遠征と、6月にフランスで行われるコンフェデレーションカップのみであると明言していた。
 従って、火曜日に対韓国代表戦のメンバーが発表される際には、対ウルグアイ戦のために帰国した海外でプレーする7人の選手達は含まれないと考えざるを得ない。
 これは、ジーコ監督にとってベストコンディションで頼れるストライカーが決定的に不足している事を意味している。
 23人のアメリカ遠征のメンバーに、フォワードはわずかに4人しか選ばれていなかった。ヨーロッパ組からは高原と鈴木、そしてJリーグからはゴン中山と黒部である。中山はウルグアイ戦を負傷のため辞退したが、土曜日の対ガンバ大阪戦ではチームに復帰した。

 私の考えでは、現在のJリーグでプレーするベストフォワードは柳沢敦だ。
 彼は、2月19日に東京・国立競技場で行われたA3マツダチャンピオンカップのジュビロ戦で受けたファールで足首と膝を負傷し、今週末ようやくチームに復帰したばかりだ。
 ジーコ監督は明らかに代表戦で充分に戦えない中山と柳沢を選ぶのだろうか?
 選ばないのであれば、誰を代わりに選ぶのだろうか?
 おそらく彼は、2000年に福岡大学から京都に入団し、めざましく上達した黒部を選ぶだろう。対ウルグアイ戦でも、この茶パツのストライカーは怯むことがなかった。韓国のホームグラウンドで対峙する日本代表に必要なものは、このような積極的な姿勢と勇気、そして選手それぞれが役目をきちんと果たす事だ。

 私が考える韓国戦でのフォワードは、まず横浜F・マリノスの久保竜彦である。
 彼は強く、攻撃的で、そして空中戦でもパワフルで恐れを知らない。高原や柳沢のように、ボールに絡んでいなくても、彼の疲れを知らない走りはピッチを広くカバーする。そして他の選手のためにスペースを確保しチャンスを作るのだ。
 私は今でも、久保がフィリップ・トルシエ率いるワールドカップ日本代表に選出されなかったのは不運だったと思っている。経験の割に荒削りなところはあるが、彼には意外性がある。
 久保については、誰も次に何が起こるのか想像がつかない。そして、久保自身が何をするのかわからないという事は、守備陣にはなおさら想像がつかないだろう。
 彼は何と言っても爆発的なプレーヤーであり、私の中では韓国戦のフォワード第一候補である。そして、黒部が入るだろう。また、土曜日のレイソル戦で問題がなければ、私は柳沢も選ぶだろう。
 しかし、ジーコ監督にはそれほど選択肢は残っていないだろう。そう思いませんか?
 おそらくは、4−3−2−1のように1トップ、小笠原とアレックスが久保の後ろに、そして3人のボランチを4バックの前に置く陣形が答えになるだろう。

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トルシエ登場

2003/04/03(木)

 そこには、ジーコがいた。川淵三郎もいた。山本昌邦もいたし、もちろん彼が指揮するオリンピック代表チームも勢揃いしていた。
 しかし、本当に話を聞きたいと思う人物は、ただ一人。
 フィリップ・トルシエだった。

 このフランス人が日本に戻ってきたのは、共催国をセカンド・ラウンドまで導くという使命を達成した、2002年ワールドカップ以来である。
 火曜日、彼は愛知県豊田市の豊田スタジアムにいて、日本とコスタリカのU-22代表による国際試合のテレビ中継にゲスト出演することになっていた。
 トルシエが試合後にメディアの取材に応じるかどうかに関心が集まっていたが、日本サッカー協会は親切にも試合後に簡単な記者会見の場を用意してくれた。同席者は、よりによってトルシエの後任であるジーコと、トルシエが在任した嵐の4年間にトルシエ批判の急先鋒に立っていた川淵三郎・日本サッカー協会会長であった。

 キックオフの2時間ほど前にスタジアムに到着した私は、トルシエに出会わないものかとスタジアム内の通路をあちこち歩き回っていた。
 実は、私はもう一度彼に会いたいと思っていた。彼のユーモアや哲学、練習法、サッカーに対する情熱にもう一度触れてみたいと思っていたのである。
 ふいに目の前のドアが開かれ、トルシエが外に出てきた。両わきには通訳と中継をするテレビ局の担当者がいた。
 トルシエはとっさに関係者用のパスを見せびらかした。パスには”Official”という文字が記されている。
「どうだい!」とトルシエ。「僕もメディアの一員になったというわけだ。質問に答える側から、質問する側になったんだ」
 私は、昨年末に手術を受けたヒザの具合を訊ねた。
 具合が申し分ないことを証明するために、トルシエは速いテンポでアイルランド風のダンスを踊ってみせた。「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオのように華々しくはなかったが、なかなか見物ではあった。
「また、試合のあとで。これからキャプテンに会わなければならないので、時間がないんだよ」トルシエはウインクしながらこう言うと、テレビのスタッフにエスコートされ、その場を去った。
 トルシエが会う相手は、もちろん、川淵さんである。氏のニックネームは、日本サッカー界のトップの座を継承したことにより「チェアマン」から「キャプテン」に変っていた。

 試合後、私は冗談まじりに、就任後の成績がぱっとしないジーコに代わって日本代表監督になって欲しいと川淵会長から頼まれなかったか、とトルシエに訊ねた。
 トルシエは一瞬考え、それから答えた。「頼まれたよ…。でも、45歳以上の日本代表だった」
 真面目な表情に戻ったトルシエは、今回のオリンピック代表は、今後も一生懸命練習し、経験をつめば、2000年のシドニー・オリンピックで自分が指揮したチームと同じくらい素晴らしくなれる、と語った。
「今日の試合は、アテネ・オリンピックの予選を突破するための強化策の第一歩だったわけだが、選手たちの姿勢は申し分なかった。結果も満足できるものだ」。1−1で引き分けた日本代表について、トルシエはこうコメントした。
「一緒にやる機会がもっと多くなれば、チームはさらに良くなると思う」 私はトルシエに、「キックオフの前に『君が代』が斉唱された時、どのように感じたか」と訊ねた。
「日本人になったような気分が少しした」とトルシエ。
「日本が負ければ、私はパリの自宅で泣く。勝てば、一杯やりながら祝う。サッカーと、飲むことはまったく切り離せないね。負けた時は悲しいから飲むし、勝った時はもっと飲む」
 トルシエがいたおかげで、いつも真面目なジーコも明るくなったように見えた。ジーコは、見事な曲線を描いた阿部のフリーキックを「スゴイ・シュート」と日本語で表現した。
 ブラジルのフリーキックの達人から、素晴らしいお褒めの言葉が飛び出したのである。

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進化する中田英寿

2003/03/30(日)

中田英寿のキャリアを細かに追ってきた者にとって、彼のピッチ上、そしてピッチ外での変貌には目を見張るものがある。
水曜の午後、鹿島ワールドカップスタジアムでの出来事が良い例である。
代表チームのトレーニングセッションの間、彼はチームメートを指揮し、ジーコ監督よりも多くの指示を出していた。時には個人に、そしてある時はグループに、それはまさに完璧なキャプテンの姿だった。ジーコ監督の弁を借りれば、監督自身がピッチに立つ事ができない以上、監督の戦術を理解し、それをチームに的確に伝えることのできる誰かが必要であるということだ。

トレーニング終了後、ホテルへ向かうバスに乗り込む選手をつかまえようと、報道陣が選手出口付近に集まっていた。
日本の取材陣が小野や中村、そして稲本をはじめ他の選手を追っている間に気づかれないようにと思ったのか、中田は最後の方に出てきた。
しかし、東京で働く数人の外国人ジャーナリストを見つけ彼は立ち止まった。
「ヒデ、いくつか聞いても良いかい?」我々はそう話しかけた。
「OK、だけど少しにしてよ」と中田は流暢な英語でキッパリと言った。
皆さんもテレビでご覧になったと思うが、インタビュー中の彼はリラックスし、始終ユーモアに溢れていた。
「ウルグアイ戦ではキャプテンを務めるのかい?」
きっとそうなると知っている中田の答えは「どうかな?たぶんね」と返ってきた。
「ジーコ監督は経験のある君が他の選手達をリードしていく事を期待しているのかな?」
「どうかな?監督に聞いてよ」

掴み所がなく、やや分かり難いが茶目っ気があるやり取りは、彼がベルマーレ平塚にいた頃や、1998年にイタリアに渡ったばかりでペルージャにいた頃の彼とは比較にならないほど変わった。
当時の彼は一匹狼で、ピッチ上では勇気や才能を見せつけるものの、ファンに対しては距離を保ち情熱や感情を表にだすことはなかった。
私は、対香港戦で素晴らしいフリーキックで得点を決めた彼の姿を覚えている。それこそデビッド・ベッカムなら両腕を広げてスタンドに走り寄り、観衆の喝采を全身に浴びるところだが、中田はバツが悪そうに自陣へ小走りに帰っていった。

私は彼に、なぜ他の選手のように喜びを素直に表さないのか尋ねた。
「その時一瞬の事でしょう。何も特別な事じゃない」彼はそう答えた。そして、彼はたまたまサッカーが得意だっただけで、もしかしたら他のものが得意だったかもしれないと付け加えた。
「そうでしょう?もしかしたらピアニストになっていたかもしれないよ。だけど、たまたまサッカー選手だっただけのことだよ」彼は言った。

エスパルスとFマリノスの元監督、オジー・アルディレスでさえ、中田については2・3年前に彼を代表チームのキャプテンに推しながらも、彼は試合のことなどどうでも良いように見えると言っていた。
中田は常に真剣だ。そして、イタリアではチームメートやライバルから選手として、また人間として非常に評判が良い。
単に、サッカーが彼の人生の全てではないと言うことだ。いつの日か彼は次の人生へと進んでいくだろう。
イタリアでの様々な経験が彼を成長させ、そして今や信頼できるリーダーになった。
まさに驚くべき変化である。

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ジーコの課題は解決されるか?

2003/03/27(木)

 ジーコ監督の日本代表がまもなく3戦目を迎えるが、このブラジル人監督の課題はまだ何も解決されてはいない。
 ワールドカップの伝説であるペレから、「ジーコにはブラジル代表チームでの経験があるし、サッカーの知識も豊富だから監督としても成功する」と御託宣を受けても、私にはまだ信じられないのだ。
 ジーコが指揮する日本代表は準備不足で、戦略や戦術的規律が欠如していたことは、1−1で引き分けたジャマイカ戦、2−0で敗れたアルゼンチン戦、これまでの2戦を見れば明らかであった。
 金曜日に東京の国立競技場で行われるウルグアイとの親善試合に向けた強化練習において、ジーコは、自身が選んだ4−4−2のフォーメーションから、直近の2人の前任者である、フィリップ・トルシエと岡田武史が好んでいた3−5−2に変える可能性があると語っている。
 先日の東京での記者会見では、選手たちが4バックになじめないのなら3バックに変えてもいいと述べた。
 明らかにジーコは、今の段階になって自身の方針を変更するつもりだ。JFA(日本サッカー協会)の川淵三郎会長がジーコを代表監督に任命した主な理由を、鹿島アントラーズで長い経験があり、日本のサッカーや日本の選手を熟知しているからとしていたにもかかわらず、だ。

 日本は中盤が強く、ディフェンダーには身体的に頑強というよりは機動性に富み、多彩な動きができる選手が揃っているので、私には3−5−2がより適したシステムに感じられる。
 ジーコが黄金の4人--中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一--を中盤で使いたいと思っているのなら、中盤を5人にした方がやり方はもっと簡単になる。その場合、この4人にプラスされるのは中田浩二であろう。中田浩二のディフェンス能力によりチームのバランスがずいぶんと良くなるからだ。
 中村は左サイド。中田英寿はパルマでも良く機能している右サイドに配置するのだろう。小野は、2トップの後ろの中央の位置。この2トップは高原と鈴木が有力で、黒部が途中出場で初キャップを獲得するかもしれない。
 稲本と中田浩二は中盤の中央でディフェンスの安定に務めるが、2人ともチャンスがあれば攻撃に参加することもできる。
 ディフェンス陣は、ジーコが3バックを採用するとすれば、右に森岡、中央に宮本を配し、左は秋田(あるいは服部)となるだろう。
 4バックの場合は、中西、秋田、宮本(あるいは森岡)、服部の並びが考えられるが、私としては、相馬がレフトバックに戻って欲しい。A3マツダ・チャンピオンズカップをご覧になった方は、相馬の方が服部よりはるかに調子が良いことがお分かりになっただろう。相馬なら、攻撃参加も多くなりそうだ。

 やはり、3−5−2のフォーメーションが日本チームには合っているように思える。4−4−2に適した、オーソドックスなフルバックがどうしても見当たらないからだ。
 ただし私は、ジーコはまだしばらくは4−4−2を試すだろうと考えている。
 ウルグアイ戦のフォーメーションがどのようなものであれ、ジーコは素晴らしい試合を提供しなければならないし、初勝利も必要であろう。
 我々がすべきことは、ジーコ・ジャパンがどちらの方向に進んでいるのかを見定めることである。
 前進なのか、後退なのかを。

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アメリカ遠征中止は正解

2003/03/23(日)

 日本サッカー協会(JFA)が、当地で2試合戦う予定であった日本代表の米国遠征を取りやめる決断を下したのは、予想できたことであり、当然だと思えた。
 さらに言えば、正しい選択であった。
 JFAに批判的な人々もいる。とくに日本に住む北米出身の人々は、JFAはパニックに陥っており、危険はないはずだと申し立てている。
 しかし、先のことはだれにもわからない。ましてや、米国を中心とした軍隊が国連の承認なしにイラクを攻撃したあとの世界がどうなるかなんて、だれにわかるというのだろう?
 いちばん怖いのは、もちろん、イラク攻撃をジハード(キリスト教徒対イスラム教徒の聖戦)の始まりと考えるイスラム過激派の反撃であろう。
 このようなテロリストに2001年9月11日に起ったようなことができるのなら、連中はどんな場所で、どんなことでもできることになる。
 それゆえ私は、JFAが選手の安全を最優先に考えたのは正解であり、適切であると考える。

 試合をやって欲しいと思うのはみんな共通であるが、たとえわずかであってもテロの恐怖が存在するなか、戦時国家に飛行機で遠征し、西海岸の都市から都市へと飛行機で移動するという不必要なリスクを、いまの時点で負う必要はまったくない。
 世界がこのような状況になってしまったのは悲しいことだが、JFAに責任はほとんどなく、用心しすぎであるとJFAを批判するのは的外れである。
 自国に留まり、ジーコが希望するように合宿を行うほうがずっと良い策であろう。さらに3月29日に親善試合を、できればウルグアイを相手に組めれば良いと思う。

 ジーコがアメリカ遠征メンバーとして選出した23人の代表メンバーには、ヨーロッパでプレーしている選手が7人含まれているが、7人が日本までやって来るかどうかは疑問である。
 中村俊輔が所属するイタリアのクラブ、レッジーナは、中村が米国に行くことも好ましく思っていなかったくらいだから、合宿するためだけに日本に帰国するのには賛成しないだろう。
 ハンブルガーSVも高原直泰に対して同じように感じており、現在のようなデリケートな状況下で高原には世界中を飛行機で移動するような真似はして欲しくないと考えているようだ。

 遠征中止のニュースを私が聞いたのは、金曜日の午後のジュビロ磐田対横浜F・マリノスのJリーグ開幕戦の前であった。
 JFAの決定にはだれも驚いてはいなかったが、ジュビロが開始10分で2点をリードされ、岡田武史が刷新したチームに4-2で敗れたことにも、驚いた人はそれほど多いというわけではなかった。
 ジュビロはシーズン前の調整が順調ではなかったし、ベテラン選手の何人かは疲労しているように見え、動きも鈍かった。
 これは、練習不足というよりは練習過多が原因であるように思える。新監督の柳下正明がハードな練習を選手に課しているからである。
 もっとも、今シーズンの柳下の使命は達成不可能なものであると言える。昨シーズン、ジュビロは鈴木政一指揮のもとすでに両ステージ制覇を達成しているからだ。
 今年のジュビロには下がり目しかなく、上り目はない。
 柳下は、チームをオーバーホールして新戦力を使うか、2002年と同じベテラン選手でシーズンを乗り切ろうとするかを決断しなければならない。
 Jリーグの魅力的な新シーズンは、まだ始まったばかりである。

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日本のスポーツ文化の変化を象徴する、U-22日本代表

2003/03/20(木)

 4月1日に愛知県の豊田スタジアムで行われる、コスタリカとの親善試合に招集されたU-22日本代表のリストを眺めていて、とてもおもしろいことに気がついた。
 山本昌邦監督が選んだ23名の選手のうち、22名がJリーグのクラブに所属しているのだ。
 例外は、早稲田大学の学生である、ミッドフィールダーの徳永悠平だけである。
 この数字は、日本のサッカーが高いレベルで大きく進歩した理由を示すものであると思う。

 数年前まで、U-22の日本代表チームはほとんど全てと言っていいくらい大学生で占められていた。
 Jリーグの現役のトップ選手、あるいは最近引退した選手を見れば、それがよくわかる。
 1998年ワールドカップの日本代表キャプテン、井原正巳は筑波大学に所属していた。ジュビロ磐田のゴール・マシーン、中山雅史も同じ大学の同級生だ。
 ジュビロの他のベテラン選手では、服部年宏(東海大学)、名波浩(順天堂大学)、藤田俊哉(筑波大学)らが、遅くにプロ入りした。

 世界では、大学に行ってからプロのクラブに入団する選手はきわめて珍しい。
 例えばイングランドでは、選手は14歳のときにプロ・クラブと「学童用」の契約を結び、16歳でプロの見習いとしてクラブに入団することができる。17歳になると、もうプロの選手である。
 イングランドでは、人々は職業上の専門性を高めるために大学に行くが、プロ・サッカー選手としての職業上の専門性は大学では学べない。それにクラブは、大学を卒業した選手とは契約したがらないだろう。大学を卒業した選手は、16歳でクラブに入団した選手に比べて、プロとしてのトレーニングや戦術知識といった面で5年遅れている、と感じるからだ。
 高校や大学のサッカー部に所属することは日本では普通だったが、それゆえに日本は1998年までワールドカップに出場できなかったと考えることもできる。
 日本の選手は、プロとしての環境がなかったため、他国の選手より遅れていたのである。こういった観点から見ると、Jリーグは、選手が高校から参加してハシゴを駆け上がるための完ぺきな基盤を提供している。

 ただし例外もある。それは今回ジーコが発表したアメリカ遠征のメンバーを見ればわかる。
 黒部光昭は、J2から天皇杯優勝まで躍進した京都パープルサンガのメンバーとして、チャンスを見事にモノにした。
 黒部もデビューは遅く、プロ入りは福岡大学卒業後であった。京都入団は2000年で、プロとしてのデビューは22回目の誕生日の直後であった。
 これはプロのサッカーでは極端に遅い例であるが、3年後に黒部は代表チームのメンバーとなった。
 Jリーグ発足前は、選手がプロとなる環境がまだ整っていなかったため、多くのベテラン選手が大学でのプレーを選んだ。同じような例でもう一人思い浮かぶ選手としては、早稲田からプロ入りした相馬直樹がいる。
 そして、今度は徳永が現れた。
 しかし、このような選手は、将来そんなに多くは出ないだろう。

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もちろん、ペレは社交もキング

2003/03/16(日)

 これから私が伝えることに、どうか嫉妬しないで欲しい。
 先日の夜、東京で日本のサッカーについてペレと話したのは、とても楽しかった!
 ペレに関する唯一の問題は、彼が有能なサッカーの大使であると同時に世界中のマスターカードを代表する外交官であるため、受け答えの内容がほとんど予測できてしまうことである。
 本当のところ、ペレの答えは質問する前に書いてしまえるほどであった!

 オーケイ、真実を話そう。
 実は、ペレは東京にはいなかった。彼はドイツのベルリンで、スポンサーが開いた記者会見に出席していたのである。この会見の主旨は、マスターカードが過去5年間にサッカーに寄与するために支出した額が2億ドルに達したというものであった。
 私は、渋谷のセルリアンタワーの16階にある、マスターカードのオペレーション・オフィスにいた。ペレとの会話は電話を通じてであったが、アジア各地のメディアにワールドカップの伝説と話をするという希有な機会が与えられていた。
 私はペレに、クラブでもナショナル・チームでも監督経験がないジーコが代表監督になったことについてどう思うか、と訊ねた。
 ペレは、「もちろん」ジーコは成功する、と語った。
「ジーコはフランス・ワールドカップではブラジル代表チームのスーパーバイザーを務めましたし、ブラジルの2部リーグのチームも所有しています」とペレ。
「ジーコには才能も経験もあるし、サッカーをよく知っています」
 ただし、そのあとでペレは意味あり気に付け加えた。「しかし、いつの場合も、監督にはほんの少しの幸運が必要です。ジーコも日本で幸運に恵まれればいいと思います」
 ほとんどの質問に対する答えを、ペレは「もちろん(no doubt)」で始める。
 ペレのあまりの愛想良さは、仮に「シンガポールは次のワールドカップで優勝できますか?」と訊ねても、「もちろん。しかし、まず強いリーグを作り、選手たちに国外で経験を積ませることが必要でしょうね」と答えたのではないかと思えたくらいだ。

 次に、東京から私の同僚がペレに質問した。
 「日本が2006年のワールドカップで準々決勝まで進む可能性はあると思いますか?」 ペレは答えた。「もちろん。昨年の活躍は見事だったし、日本は良いチームです。しかし、ヨーロッパでの戦いは自国での戦いより、少し難しくなります。それに、自国で戦う時のようなサポーターの後押しがないことも忘れてはいけません」
 2006年の大会では日本はベスト8に進出できないとペレは暗に示唆しているのだ、と私は感じた。
 個人的には私は、日本のファンは2006年ワールドカップの準々決勝のことなど考えるべきではないと思っている。まず考えるべきは、予選を突破することである。韓国や中国、サウジアラビア、UAE、クウェート、イランなどが一堂に競い合うだから、結果は予断を許さないものとなるだろう。
 でも、ペレとのおしゃべりは楽しかっただろうって?
 もちろん!

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それでも、ガンバが優勝候補

2003/03/13(木)

 第一印象がいちばん大切だとよく言われる。
 それが正しいのなら、ガンバ大阪が秘めたる実力を発揮し、今シーズンのJリーグの王者となるには、まだ足りない部分があるのかもしれない。
 土曜日の午後、私は万博スタジアムを訪れ、ナビスコ・カップでのガンバ対セレッソのダービー・マッチを観戦した。リーグ・シーズン前に関西の2チームの仕上がり具合を見る良い機会であったからだ。
 私はすでに今年の優勝候補にガンバを挙げている。その考えには変りはないが、攻撃陣の動きには多少物足りなさを感じた。
 ゲームでは、注目すべき点が二つあった。

 一つ目。デキは良くなかったが、途中出場の松波が試合終了間際にゴールを決め、ガンバは勝った。松波はスーパー・サブ的な働きをする選手だと思う。チャンスを与えられるとつねに全力を尽くすし、常に危険であるからだ。
 二つ目。ガンバは1点も与えなかった。セレッソの強力な攻撃陣を相手にしても、だ。何といっても、相手は、新キャプテンとなった西沢明訓が前線におり、早熟な才能、大久保嘉人が後ろからサポートし、ベテランの森島寛晃が駆け上がり、しかも空中戦で抜群の強さを発揮するマルセロ・バロンがベンチに控えているチームである。
 ガンバの3バックは堅実な守備を見せた。印象的な働きを見せた山口が右サイドに位置し、宮本が中央、キャプテンを務める陰の実力者、木場が左サイドを守った。
 ガンバの監督である西野朗は、新たに獲得した南米出身の二人の選手、右サイドのパラグアイ人選手フランシスコ(チキ)・アルセと中盤の中央を遠藤と守るブラジル人選手ガレアーノは、昨年のマルセリーニョ・カリオカとファビーニョのコンビを相当上回る活躍をすると感じていることだろう。
 アルセは、マリノスに入団が決まっているカフーと非常によく似た攻撃的な選手で、今シーズン、彼のフリーキックやコーナーキック、クロス・ボールは相手ディフェンスを苦しめ、長身のセンターフォワード、マグロンはアルセの加入によりずいぶんと良い思いができるだろう。左サイドからは新井場がクオリティーの高いクロスを上げることができるので、ガンバは両サイドからの攻撃が可能になる。

 アジア大会のヒーロー、中山悟志が左サイドを駆け上がる姿も印象的であったが、ガンバには吉原の活躍が欠けていた。
 吉原は、かつてフィリップ・トルシエがそのペナルティー・ボックス内の動きから「日本のロマーリオ」と呼んだこともあるくらい、ダイナミックで、積極的な選手で、相手選手にとっては本当に厄介な存在である。
 吉原が調子を上げれば、ガンバにとって大きな戦力となるだろう。
 セレッソにとっては、0−0の引き分けでも満足のゆく結果となっていただろうが、松波の土壇場のゴールにより、全てが台無しになってしまった。

 セレッソでは、私はミッドフィルダーの久藤に強い印象を受けた。ボールタッチが素晴らしいし、ボールを持ったとき、常にシンプルなパスを出すように選択していたからだ。
 選手というものは、野心的パスや冒険的なパスをしばしば狙うもので、そのようなパスは10回に1回くらいしか成功しないのだが、久藤は短く、シンプルなパスを選択していた。おそらく、監督の西村もイージーなパスを好んでいるのだろう。
 ゲームの終盤、久藤は右のバックに下がり、二川に突破されてしまった。その直後、ガンバのゲームメーカーが中央にクロスを上げ、松波のゴールが生まれた。
 久藤とセレッソにとっては痛恨のエンディングであったが、これがJ1とJ2の違いであり、セレッソの選手も試合の最初から最後まで集中し、どのようなボールにも激しく競りかけてゆかなければならないとわかっただろう。
 ガンバは優勝できるだけの実力を持ったチームであるが、フォワード・ラインには吉原の完全復調が不可欠である。

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毅然とした態度を迫られるJリーグ

2003/03/09(日)

 数週間前、私はトットナムに移籍した戸田和幸の事で、イングランドの自宅にいたスティーブ・ペリマンと電話で話をした。
 最初は弾んだ会話も、最後には沈んだものとなってしまった。
 これは、前清水エスパルスの戸田和幸とは関係ない。

 柏レイソルのブラジル人ストライカー、エジウソンの事である。ペリマンはエジウソンについて、彼が今まで関わったプロサッカー選手の中で最悪であったと言い放った。
 彼のように経験があり、高い給料を支払われている選手が求められる責任を果たそうとしないだけでなく、怪我をしたフリをしてまで試合から出ようとする等、彼の選手としての態度は最悪だったとペリマンは言う。
 数週間前にレイソルから解雇されていたペリマンには、単にワールドカップ優勝のブラジル人という事を利用しているだけのエジウソンにあまりにも寛容なレイソルが理解できなかった。

 あれから数週間、ペリマンが間違っていなかったことが再び証明された。
 1月28日、レイソルの選手達がトレーニングのために集合した。しかし、その中に先シーズン直後に帰国したエジウソンの姿はなかった。
 クラブからの情報によると、エジウソンは先シーズンあげたゴール以上の言い訳をこの数週間でしているようだ。
 最初の言い訳はビジネス上の理由で来日できないというもので、次には歯医者に行かなければならない(千葉県に歯医者はいないとでも言うのか)、そして更には家族の事が理由だと言うのだ。
 最新情報では、エジウソンは土曜日に日本へ帰ってくるらしい。レイソルがナビスコカップでベガルタ仙台と戦うまさにその日にである。

 エジウソンには、なんとも呆れ果ててしまう。また一方、エジウソンと同じ代理人を持つ浦和レッズのエメルソンも来日が遅れたようだ。こちらはビザ取得上の問題で、新しいパスポートが必要だったらしい。(これも数ヶ月前に気が付いていても良いはすだ)
 クラブにはこうした選手達に毅然と対し、時には処罰してもらいたいと思う。彼らは高額の年俸を得、優雅な生活をさせてもらっているのだ。
 昨シーズン、チームメートの奥大介を蹴って即刻解雇されたマリノスのウィルのように、彼らがどれだけ日本で厚遇されているのか気づくべきであろう。

 また私は、Jリーグがもっと立ち入って選手を罰することがあっても良いと思う。特にエジウソンのようにサッカーというゲームそのものに悪評を持ち込む恐れのあるものについてはだ。
 日本のサッカーはまだまだ若い。そして、いまや多くの日本の子供たちがこの素晴らしいサッカーを始めている。
 クラブが誰と契約し、どのような扱いをするのか注意を払わなければならない理由はここにある。若いファンや更には若い日本人選手たちが、これらの外国人“スター”を見本としてしまう恐れがあるからなのだ。
 ベテランの選手達はただ、また金目当ての奴等が騙されやすい日本のサッカー界を利用しているだけと肩をすくめるだけだろう。

 昨年夏、エジウソンは柏レイソルと2年半の契約を結んだ。すなわち、彼はまだあと2年の有利な契約が残っているということだ。
 次には何が起こるのだろう?
 クラブは他の外国人選手、おそらくは他のブラジル人選手で本当にこのチームのためにプレーしたいと望む(もしくは最低限、そう口にしている)選手と契約するために、多額の違約金を支払ってエジウソンを切るのだろうか。
 ペリマンから昨シーズンの話を聞いた後では、レイソルに対してもあまり同情心はわかない。
 しかしこれだけは言える。レイソルのファン達はもっと良い思いをしても良いはずだ。少なくとも私は、今シーズン彼らが“ゴージャス・エジウソン”の横断幕を外すことができるのを願っている。

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またも真価を発揮した、藤田

2003/03/06(木)

 A3マツダ・チャンピオンズカップを無得点で3戦全敗したあと、ジュビロ磐田を新シーズンの優勝候補からはずしてしまった人もいるかもしれない。
 中国の大連実徳の監督、ミロラド・カサノビッチもその1人である。
 A3大会の最終戦でジュビロを1−0で破ったあと、カサノビッチ監督は、これからは大連の時代で、ジュビロの時代は終わりつつあると述べた。また、鹿島アントラーズが今シーズンのJリーグ・タイトルの本命であるとも言った。
 ただし、ジュビロの実力を疑わなかった人もいる。京都パープルサンガのドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスである。
 先週土曜日のゼロックス・スーパーカップの前、エンゲルスは、3連敗後のジュビロとの試合は「危険」である、と語った。
 そして、予想は的中した。

 ぱっとしない0−0の前半を終えると、ジュビロはついに本来の動きを取り戻し、あっさりと3−0で勝利した。
 見た目はフランチェスコ・トッティそっくりのブラジル人ストライカー、ロドリゴ・グラウが2得点を挙げて多くの注目を集めたが、チームに活力を与えたのは、高い信頼性を誇る藤田俊哉であった。
 前半は京都のオフサイド・トラップが見事に機能し、ジュビロのフォワードはおもしろいように罠にかかっていた。
 状況を打破するには特別なことが必要であったが、藤田は特別なことをやってのけた。

 2001年のJリーグMVPも、昨シーズンは26ゴールを挙げた高原直泰の影に隠れてしまったが、調子自体は決して悪くはなかった。
 藤田はどの選手にも負けないくらいチームにとって貴重な存在であるが、それは彼がサッカーに必要な明敏な頭脳を持ち、常に考え、常に走っているからである。
 中盤から長い距離を駆け上がる藤田の動きで、京都のディフェンスは混乱をきたした。また、藤田はペナルティー・エリア内の密集の中でも冷静さと優れたテクニックを披露し、結局それが先制点に結びついた。
 2点目のゴールも藤田が演出したのもので、タイミング良く走り込んで打ったシュートにより、ブラジル人ストライカーにスペースが与えられることになった。藤田は3点目のアシストも決め、右サイドからの正確なコーナーキックを福西崇史がバック・ヘッドで後ろに流したボールを、グラウがダイビング・ヘッドで楽々とゴールした。
 その日の藤田は見事で、MVPを受賞した2シーズン前と同じような動きとリーダーシップを見せていた。

 先制ゴールを挙げてジュビロは気が楽になったようだが、昨シーズンのような強力なチームを作り上げるにはまだまだすべきことがたくさんある。
 ストライカーは自信によって成長するものであり、グラウが2ゴールを挙げたことは、本人にとっても、チームメートにとっても今後自信となるであろう。
 もっとも、グラウが今後もずっと中山のパートナーを務めるかどうかは、まだわからない。
 しかし、イキが良くて、聡明な藤田が今シーズンもジュビロ磐田のキーマンになることは、まず間違いないだろう。

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藤本がJポップスのトップに!?

2003/03/02(日)

 3月19日に発売されるJリーグの新しいオフィシャルソングのスターは誰なのか。
 そして、名古屋グランパスエイトのサポーターマガジン「グラン」3月号の表紙を飾るのは誰なのか。
 それはもちろん藤本主税だ。
 J2に降格したサンフレッチェ広島からグランパスへ、この冬の藤本の移籍はオフシーズンのビッグニュースだった。
 “チーキー”主税は、ピッチ上でもピッチ外に負けず劣らず明るくクレバーだからだ。
 そのオフィシャルソングは「飛躍」というタイトルで、藤本主税をはじめ中田浩二、中西永輔、森島寛晃、宮本恒靖、そして中山雅史と、そうそうたるJリーグのスター達がボーイ・バンド”スタイルのビデオに出演している。
 ゴン中山も含めそのメンバーの中では、藤本が一番テレビカメラの中で自然に、リラックスし、自信タップリ、感情タップリに見える。その様子は土曜夜のテレビ番組、「スーパーサッカー」にメインゲストとして出演しているかのようだ。

 私は、セネガルとナイジェリアとの親善試合のためにパリに到着した日本代表チームに同行した際、藤本が空港で待ち受けていたフランスやその他の国のメディアの輪の中心にいた事を思い出した。
 ただ、その時は取材陣が彼を中田英寿だと勘違いしたに他ならなかった。
 確かに2人は似ている。そして藤本は注目を浴びるのが好きだ。中田と間違えられたという事も、彼にとってはとるに足らない事だったようだ。

 名古屋のスロベニア人監督、ズデンコ・ベルデニックは藤本をとても気に入っている。
 前ジェフユナイテッド市原監督でもある彼は、「彼はうちのチームにすっかり溶け込んでいるよ」と語った。
「彼は良い選手だね。能力的にも優れているし、何より2トップの下で自分がどうプレーするのかとてもよく理解している。彼は我々にとって重要な選手になると思うよ」
 過去には藤本を名指しで、チームプレーより何でも一人でしたがると非難する者もいた。
 もちろんベルデニック監督はその事についても十分承知している。
「その事についてなら、彼にも話したよ。彼が一人でやり過ぎてしまうのを私は見ているからね」
「いまや彼もチームのために変わろうとしているところさ」
グランパスのサポーター達は藤本がミュージックビデオだけでなくピッチでもヒットする事を願っているに違いない。

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コ・ジョンスという名のギャンブル

2003/02/27(木)

 京都パープルサンガが新たに獲得した韓国人選手、コ・ジョンス(高宗秀)は、日曜日にジュビロ磐田と戦うゼロックス・スーパーカップは規定により出場が許されていないのだが、どうやら新シーズンのリーグ戦も当初は欠場するようだ。
 京都のドイツ人監督ゲルト・エンゲルスによれば、コの体調はさほど良くなく、鹿児島のキャンプでは新たなチーム・メートに追いつくのに苦労しているようである。
 ヒザの大けがによって選手生活を左右されてきた24歳のゲームメーカーは、オランダのクラブPSVアイントホーフェンに移籍した、2002年ワールドカップのヒーロー、パク・チソンの穴を埋める選手としてやって来た。
 しかし京都のファンは、かつての水原ブルーウィングスのスターがトップチームでポジション争いをできる状態に戻るまでには、数週間余分に待たなければならないようだ。
「彼はまだ、体力面を強化しなければならない。ヒザの具合が大丈夫だといいんだけどね」とエンゲルス。彼が指揮するチームは、前のシーズンの天皇杯で優勝し、東京の国立競技場でリーグ王者のジュビロ磐田とスーパーカップを争う資格を得た。
「数ヵ月練習しないまま京都に来たようだし、体重も少し多めかな。
 「でも、まだそれほどの年でもないし、すぐに復調して、強靱さ、パワーも戻るだろう」

 コは、韓国の中村俊輔とも言える選手である。左足のキックが素晴らしく、コーナーキックとフリーキックが危険で、女性からの支持も高い。
 途中出場の2試合を含め、コは19歳にして1998年のワールドカップで韓国代表が戦った3試合全てに出場したが、昨年の大会ではヒザの故障のためにオランダ人監督フース・ヒディンクが指揮するチームには招集されなかった。
 エンゲルスはコの実力については熟知している。
 「良い選手だ。それは間違いない」と語る。
 「左足のタッチは素晴らしいし、シュートも打てる。それに、アイデアも良い。
 「古いタイプのゲームメーカーだが、うちのチームではもっと動いて、走り回る必要がある。練習は一生懸命やっているし、うちでは攻撃しかしない選手はいらないということもわかっているんだろうね」

 京都の開幕戦は、3月23日にホームでガンバ大阪を迎え撃つ関西ダービーだが、その後リーグ戦は代表チームのアメリカ遠征のため中断する。リーグ戦が再開される4月初旬にはコの準備も整っている、というのがエンゲルスの希望である。
 コが1年契約で受け取ったと報道された80万ドルという数字は的外れで、実際の数字ははるかに少ない、とエンゲルスは強調した。
 しかし、遠い将来の見通しがまったく見えない選手に多額の支払いをするのは、京都にとってはやはり危険なギャンブルであるように思える。

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ドゥンガの警鐘

2003/02/23(日)

 ジュビロ磐田のテクニカルアドバイザーで、元キャプテンのドゥンガは不調のチームが3月21日のJリーグシーズン開幕までに復調することを確信している。
 しかし、彼はプレーヤー達に今シーズンタイトルを守る事は、昨シーズンの両ステージ完全制覇のように簡単にはいかないと警告した。

 柳下正明新監督の指揮下のジュビロは、ここまで不本意な成績に終わっている東アジア初のクラブ・トーナメント「A3マツダチャンピオンズカップ」を土曜日に東京の国立競技場で締めくくる。
 先週日曜日の韓国、城南一和との初戦を0−2で落とし、続く水曜日にはライバル鹿島アントラーズに同じく0−2で敗れた。
 鹿島は土曜日の対城南戦で、引き分けでタイトルと40万ドルの優勝賞金を手にする事ができる一方、ジュビロはプライドを賭けて中国の大連実徳と対戦する。

 1994年ワールドカップ優勝ブラジルのチームキャプテンだったドゥンガは言う。「この最終戦を勝つ事は非常に大事だ。勝つ事によって、選手達が自信を取り戻すだけでなく、コーチングスタッフやサポーター達も同時に自信を取り戻すことができるからね」
「選手達が日々のトレーニングでやっている事を何とかピッチで見せてもらいたい。特に20〜25mの距離からのシュートをね。それにゲームのリズムを変える事も必要だ」
 ジュビロの躓きについてドゥンガは、「波に乗るのに2・3試合かかる事は別に珍しい事じゃない。ただ、すべての試合、練習でレベルは確実に上がっていると思うよ」と語った。
「Jリーグのシーズンが始まる頃にはチームも強さを取り戻しているはずだ。ただ他のチームもうちとの試合ではもっとアグレッシブ且つ攻撃的にくるだろうから決して簡単にはいかないと思うよ」
「鹿島との試合では、最初の試合より多くの良いクロスを上げていたし、後半ではスピードも上がり、試合のテンポを変える事もできていたからね」
「しかしチームはもっとバランスが必要だね。高原はもういないし、中山や名波は鹿島戦ではプレーしなかった。若い選手達にはチームプレーや連係にまだまだ時間が必要だ」

 高原がドイツ、ハンブルグに去った今、柳下監督はマツダチャンピオンズカップの両試合で西紀寛をトップとして起用した。しかしドゥンガは、通常は右ウィングの西がジュビロの得点力のカギになる事はないと感じている。
「西にとってゴールを背にプレーするのは難しかったようだ。彼はゴールを向いた方が彼のスピード、ドリブル力、そして得点力が活きるだろう」

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キャプテン浩二、変身中

2003/02/20(木)

 中田浩二は、その短いキャリアのなかでピッチ上で多くのことを成し遂げてきた。
 中田はまだ23歳であるが、これまで1999年ナイジェリアで開催されたFIFAワールド・ユース選手権、2000年のシドニー・オリンピック、2002年のワールドカップで日本の代表となった。
 クラブ・レベルでは、帝京高校から入団した鹿島アントラーズで、さまざまな国内タイトルを手にしてきた。
 現在開催されているA3マツダ・チャンピオンズカップで、中田のキャリアはさらにレベルアップした。というのも、鹿島のブラジル人監督、トニーニョ・セレーゾが、チームの緒戦となった先週土曜日の大連実徳戦で中田をキャプテンに指名したからだ。

 アントラーズが見事なスタイルを見せて3-1で勝利した試合のあと、自分は中田が子供から大人の男に成長するのを2000年の監督就任以来ずっと見守ってきた、とトニーニョは語った。
 トニーニョによれば、中田をキャプテンに指名したのは、より大きな自信と責任を持たせるためであるとともに、監督が信頼しているのだということを彼にわからせるためでもあった。
 守備的ミッドフィールダーという鹿島での中田のポジションは、キャプテンとして理想的である。守備、中盤、攻撃のあらゆるプレーに目を配ることができるし、戦術、戦略の中心にいるからだ。
 トニーニョは中田のゲームでの「広い視野と深い洞察力」は大いに評価しているが、キャプテンとなるためにはまだ成長しなければならないと感じている。
 それは、なぜか?
 あまりもシャイだ、とトニーニョは言った。これは月曜日、西が丘競技場での練習後にトニーニョと話したときのことである。
「キャプテンというものは活発に話をして、チームメートを鼓舞しなければならない」
 トニーニョによれば、土曜日まで開催される今回のA3大会では中田は引き続きキャプテンを務めるそうだが、これは今シーズンのJリーグでも中田がキャプテンとなる可能性が大きいことを示唆するものである。
 昨シーズンは本田泰人がキャプテンを務め、もう一人のベテラン秋田豊が補佐をしていた。本田がケガをしたときには、トニーニョは将来を見据えたかのようにキャプテンの腕章を秋田ではなく、中田に手渡していた。

 中田は素晴らしい実績を残し、日本でも屈指の万能プレーヤーに成長した。
 タックルもパスも、ゴールを入れることもできるし、試合の読みも鋭い。フィリップ・トルシエのもとではスリーバックの左サイドで起用されて多くを学び、今では国際的なレベルでも豊富な経験を持つようになった。
 中田がシーズンを通じてキャプテンを務めるかどうかは、まだわからない。
 トニーニョは中田を近くから見守り、リーダーとしてチームメートにズバズバと指示を送るように中田を指導するだろう。
 もっとも、先週の土曜日はキャプテン浩二としてはなかなかのスタートであった。

 この早い時期に他に目立った選手といえば、中田とともに鹿島の中盤の機関室を担当した青木剛がいる。
 青木はかなりの選手になると思う。長身で、強靱で、ボール扱いにも自信を持っているし、ゲームを成熟した目で見ている。ボールを奪ったときには楽々と前線に駆け上がるし、画家が絵筆を持ってキャンバスに向かい合っている姿を連想させる芸術的なパスも繰り出す。
 中田と青木が中盤でダイナミックなコンビ・プレーを見せれば、鹿島の今シーズンがエキサイティングなものになることは約束されたようなものである。

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静かにジュビロの熱いポストを手にした柳下監督

2003/02/16(日)

 サッカーの監督とは実にさまざまである。
 ある者は、例えばフィリップ・トルシエのように、有名でいつもスポットライトを浴び、常に人の噂になる。
 またある者は無名、そしてなかなか自分をさらけ出そうとしない。しかしチームの事はきちんと把握している。まるでサラリーマンのような鈴木政一氏がそうであった。
 鈴木監督はあまりにも知られていなかったため、ジュビロ磐田が完全優勝を遂げ、監督を辞任した時でさえ、日本サッカー界を揺るがすようなニュースにはならなかった。
 そして大騒ぎされる事もなく、鳴り物入りでもなく、鈴木監督の下でヘッドコーチとして監督をアシストしてきた柳下正明氏がJリーグのチャンピオンチームの監督に昇進した。

 金曜日の夜、東京で開かれた4チームにより争われる『A3マツダチャンピオンズカップ』の監督の公式記者会見に出席した柳下氏は、マスコミの注目というものを初めて味わったことだろう。
 彼は43歳と、まだ若い。しかしチームでの経験は豊富である。
 1993年以来、彼はコーチングスタッフとしてチームに在籍し、サテライトチーム、シニアチーム、そしてユースチームを指導してきた。したがって彼以上にジュビロの選手達を熟知している人物などいないだろう。
 彼は、ジュビロをファースト・セカンドステージ完全制覇に導いた攻撃的なプレーを踏襲する事を断言した。また彼は、高原直泰の代役を勤められる選手などいないと言うことを素直に認められるほどに経験豊かである。
 昨シーズン、高原は27試合で26ゴールを挙げ、JリーグMVPと得点王に輝いた。
 その彼がドイツ北部のハンブルガーSVに移籍した事は驚くことではないが、彼の抜けた穴をジュビロが補強しなかった事は驚きであった。

「それは高原の抜けた穴を埋める事ができないからですよ」柳下監督は金曜日にそう語った。
 ベテランストライカー中山雅史についても同じだと、新監督は言う。
「チームには、他にも1人の選手を補強しても穴を埋められない選手が大勢います。だからこそ、高原の抜けた穴は個人ではなくチームで埋めるのです」

 柳下監督は、『A3マツダチャンピオンズカップ』で中山とコンビを組む可能性のある選手を2人あげた。
 先シーズン9試合でたった1ゴールしか決められなかったブラジル人、ロドリーゴ・グラウ、もしくは弱冠二十歳、鹿島アントラーズの柳沢敦と同じ富山第一高校出身で、ジュビロではまだ1試合しか出場していない西野泰正である。
 西野は183センチと身長が高く、また体重79キロとがっしりしている。そして、オリンピックレベルにはすでに達している。
 もう1人の若きプレーヤー、前田遼一もまた中山とコンビを組むスターターの可能性がある。柳下新監督は、どのコンビがポスト高原時代のベストコンビネーションなのか、誰にもまして興味深く思っていることだろう。

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ジェフ飛躍のカギを握る男、望月

2003/02/13(木)

 中西永輔にはできた。名良橋晃にもできた。そして、秋田豊にもできた。
 何ができたのか、とお思いだろうか?
 答えはもちろん、代表スタメンへの復帰である。現在の日本代表はジーコ監督が率いているが、ジーコの前任者であるフィリップ・トルシエの時代には、これらの選手は長らく代表から離れていた。
 ジェフユナイテッド市原の社長である岡健太郎氏によれば、ジェフが今年獲得した望月重良もこの再招集の流れに加わるかもしれない。

 ヴィッセル神戸からジェフに移籍した望月は、1997年から2001年にかけて日本代表戦15試合に出場し、ゴールはわずか1。
 しかし、この1ゴールはとても重要なゴールであった。2000年の10月、レバノンのベイルートで開催されたアジア・カップの決勝、日本がサウジアラビアを破った試合の決勝ゴールなのである。
 29歳のミッドフィールダーには代表チーム入りのチャンスがまだあるのかと尋ねると、岡氏はこう答えた。「あります。望月には再び代表選手になれる可能性があると思います。彼はとても魅力的なプレーをしますからね。
「ジェフで良いプレーをすれば、ジーコは代表メンバーに選ぶでしょう。今シーズン、そうなる可能性が高いと私は思っています」

 1996年から2000年まで名古屋グランパスエイトでプレーした望月は、京都パープルサンガに短期間在籍した後、この冬ジェフが獲得した大物移籍選手の1人となった。もう1人は、韓国の水原三星ブルーウィングスからやって来たブラジル人ミッドフィールダー、サンドロである。
 新監督も豊富な経験をもつボスニア人イビツァ・オシムに決まり、クラブのトップである岡氏は、今年のジェフは1993年のJリーグ発足メンバーとなって以来初の優勝を飾ってもおかしくないと感じている。
「新監督はとても有名で優秀な人です。望月、サンドロをはじめとして新メンバーも揃っているので、今年は昨年よりレベルが上がったと思っています」と岡氏は語る。
 「今シーズンはぜひとも優勝したいですし、その可能性は高いでしょう」

 確かに、ジェフの攻撃陣はかなり強力だ。
 大柄の韓国人フォーワード、チェ・ヨンスが3年目のシーズンを迎え、彼らしい積極果敢さでチームを引っ張ってゆく。
 新監督のオシムはチェをポスト役として前線に一人で張り付かせ、後ろから大柴克友とサンドロがサポートする形をとるだろう。
 村井慎二を左ウィング、羽生直剛を右ウィングに配置すれば、強力なフォワード・ラインとなるはずだ。
 望月と阿部勇樹は中盤で安定した守備力を供給し、その背後には、ユーティリティー・プレーヤーの中西やスロベニア代表のゼリコ・ミリノビッチらが形成する3バックが控えている。
 岡氏は、今年はジェフ大飛躍の年になると感じているのだろう。少なくとも、Jリーグに加入して以来もっともエキサイティングで面白いシーズンになるのは間違いなさそうだ。

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コンフェデレーションカップは本当にミッキーマウスカップ?

2003/02/10(月)

2003年FIFAコンフェデレーションカップの組み合わせ抽選が水曜日にフランスで行われる。
この日、日本は彼らの命運、すなわち6月にフランスで行われる8チームによるコンフェデレーションカップのファーストラウンドの対戦相手3チームを知る事になる。
しかし、サッカー関係者の中にはこの抽選どころか、大会自体を楽しみにしていない人たちも少なくない。彼らにしてみれば、こうした大会が多すぎるとさえ感じているのだ。

大会の批判者、すなわちFIFAの各6大陸チャンピオン国及び、ワールドカップ優勝のブラジル、そしてゲスト国トルコは大会自体を廃止したいと考えている。
これらの中にはアーセナル監督、アーセン・ベンゲルとチームのフランス人スター、ロベール・ピレスも含まれる。
「ドイツ、イタリア、そしてスペインはこの“ミッキーマウス”カップの出場を拒否しました」今週、ベンゲルはそう語った。
「フランスはニュージーランドと対戦します!これには興奮しますよ!」皮肉タップリに彼はそう付け加えた。(2月12日まで抽選は行われないので、事実とは異なる)
韓国と日本で行われた2001年コンフェデレーションカップのMVP、ピレスは大会の開催時期について非常に批判的である。
ヨーロッパ各リーグのシーズンが終了して5週間後に大会を行うというのは、選手達のコンディションも良くないし、怪我の恐れが非常に高いとピレスは言う。

2001年の日本でブラジル、カメルーン、カナダ、オーストラリアそしてフランスが対戦した大会は、私自身とても楽しめたとはいえ、ベンゲル監督の意見には全く同感である。
大会が多すぎるのだ。そして選手への負担も大きすぎるのだ。
4年に一度、選手達はワールドカップのために大事なオフが削られてしまう。そしてヨーロピアン・チャンピオンシップもまた然りだ。
すなわち4年のうち2年、夏のオフシーズンにはトップクラスの国際大会が行われ、残りの2年しか選手達は、いやファン達も休息する暇がない。
コンフェデレーションカップが2年に1度行われる事によって、ただでさえ過密なスケジュールがさらに混み合う事になる。
例えば、2000年にはヨーロピアン・チャンピオンシップ、2001年コンフェデレーションカップ、2002年ワールドカップ、2003年コンフェデレーションカップ、2004年ヨーロピアン・チャンピオンシップ(ポルトガル)、2005年コンフェデレーションカップ(ドイツ)、そして2006年ワールドカップ・ドイツ大会といった具合である。
あまりにも馬鹿げているとしか言えない。

今年の大会では、ヨーロッパからフランス、トルコ、南米からはブラジルとコロンビア、アフリカからカメルーン、北中米カリブ地区からはアメリカ、オセアニアからニュージーランド、そしてアジアからはかつてトルシエに率いられ、レバノンで行われた2000年アジアカップで優勝した日本の計8チームが出場する。
これらのチームは4チームずつ2組に分けられ、今回は特にFIFAは南米とヨーロッパはそれぞれ違うグループにする事を決定している。
すなわち、ブラジルとトルコが一つのグループ、そしてフランスとコロンビアがもう一つのグループに入るということである。
もしジーコジャパンがブラジル、トルコ、アメリカのグループに入ったとしたら、かなりの苦戦を強いられる事になるだろう。勝利を挙げるというより、これらの3戦のうちひとつでも引き分ける事ができたらラッキーだと私は思う。一方、フランス、コロンビア、ニュージーランドのグループに入ったなら、上位2チームに残りセミファイナルに進む事も十分可能だと思う。しかし現在のFIFAランキングでは、日本より下位にいるのはニュージーランドだけで、どちらのグループに入ったとしても苦戦する事は間違いないだろう。
ピレスは出場したくない。ベンゲルも彼の大事なスターたちを出場させたくない。
FIFAはもう少し批判に耳を傾けるべきであろう。

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ガンバへの期待と不安

2003/02/06(木)

 シーズン開始まで7週間もあるこの時期には早すぎるかもしれないが、2003年度のJリーグ総合優勝チームがどこになるか、私の予想をここに記しておきたいと思う。
 いや、やっぱりやめておこうか…。
 こっそり言うと、私の優勝予想は、ガンバ大阪なのだ!

  はいはい、わかります。ステージ優勝もしたことないチームが総合優勝なんてするか、というご意見でしょう。じゃあ、総合優勝は忘れて下さい。
 でも、私は昨シーズンのガンバには好印象を抱いていたし、西野朗監督のもと、今年はさらに良くなると思っている。
 正直言って、昨シーズンにタイトルを獲っていても少しもおかしくはなかった。実際、ファースト・ステージは獲れていた。そうなれば、総合優勝のチャンスも50パーセントはあったわけだ。

  私は、Jリーグの歴史でも最高の試合を観戦した数千の観客の一人であった。
 その試合、ガンバは残り8分まで4-2で磐田をリードしていたが、サドンデスの延長に持ち込まれ、宮本の不運なオウン・ゴールで5-4で敗れた。
 もしガンバが90分で勝利を決めていたら、勢いとやる気が備わり、おそらくファースト・ステージで優勝していただろう、と今でも思っている。

  昨シーズンの終了後、ガンバは3人の外国人選手のうち2人を入れ替えたが、ブラジルのパルメイラスからフランシスコ(チキ)・アルセを獲得したのは大いに評価したい。
 私は、アルセはスーパー・プレーヤーだと思っている。最初はセットプレーの専門家として注目されたが、彼は他にも素晴らしい点をいくつも持っている選手である。
 アルセの獲得により、ガンバはサイドが強化されることになる。西野監督の3-5-2フォーメーションでは、31歳のアルセはおそらく森岡に代わり右サイドに入るだろう。左サイドにはスタイリッシュな新井場もいるので、ペナルティー・ボックスで待ち受ける、ガンバの「でこぼこコンビ」の2トップ、吉原とマグロンにはクロス・ボールが多く供給されるようになるだろう。

  マルセリーニョ・カリオカはシーズンの後半は交替選手として使われ、途中出場で右サイドに入って良い働きをしていたが、解雇は仕方ないだろう。外国人選手をトップ・チームでずっと使うわけにはいかないのなら、それはお金の無駄にほかならないからだ。
 ただし、ガンバがファビーニョとも契約を更新しなかったのは、少し驚きだった。中盤でのファビーニョと遠藤のコンビを私は高く評価していたからだ。
 ガンバの二人目の新外国人選手、マルクス・アウレリオ・ガレアーノはブラジル出身で、職人肌の30歳。直前はボタフォゴに在籍していた。
 もしガレアーノがしっかりとした仕事をしてくれれば、ガンバはとても強いチームになるかもしれない。
 山口、宮本、木場が守備を固め、現状の評価以上に高い実力を持つ二川がツー・トップの後ろでプレーするとすれば、ガンバにとってタイトルは手の届くところにある。
 アジア大会のヒーロー、中山でもポジションが見つけられないほどである。

  問題は、「自分たちは優勝できるんだと信じることができるか?」である。
 昨シーズン、ガンバがジュビロを4-2でリードしていたときにも、心理的な壁があるように思えた。ガンバの選手たちは、実際に勝てるのかどうか、半信半疑のように見え、この弱さにジュビロはお馴染の抜け目のないスタイルでつけ込んだのである。
 もちろん、ジュビロもアントラーズも、優勝候補から外すわけにはいかない。
 浦和レッズも、エメルソンとエジムンドのコンビを擁して台風の目となるかもしれないし、岡田武史が指揮を執り、フォワードに久保、右サイドにカフー(シーズン途中に移籍)が入る横浜F・マリノスも怖い存在である。
 名古屋グランパスは降格したサンフレッチェから藤本を獲得したのが大きく、ベルデニクの監督2年目の今年は、安定した実力を発揮するかもしれない。

  しかし、注目はガンバ大阪である!
 読者の皆さん、最初にガンバ大阪に注目したコラムをどこで読んだか、お忘れなきように…。

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アマラオ最後のシーズンに備えるFC東京

2003/02/02(日)

 終わり良ければ全て良しと言う。
 アマラオのFC東京での長く輝いたサッカー人生も来シーズンで終わりを告げるようだ。
 36歳のブラジル人CFは、まだチーム名が東京ガスだった1992年からプレーしてきた。
 FC東京がJリーグに参加した1999年、アマラオの得点力はチームを最初の挑戦でJ1昇格に導き、以来FC東京はJ1で善戦してきた。

 先シーズン、アマラオは29試合で15ゴールを挙げた。彼の年齢でのこの成績は、チームとしては無視するわけにはいかなかった。
 クラブの常務取締役、村林氏は今週こう語った。
「アマラオはFC東京にとって、特別な人であり、また特別な選手でした。彼のような人には2度と会えないと思います」
「FC東京は創立からまだ5年ですが、アマラオはすでに10年以上もこのチームでプレーしてきたのです。しかし、彼もすでに37歳ですし、誰もが彼のピークが去ったとわかっています」

 調布の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)でのアマラオの人気は絶大だ。
 ファンは彼を「東京のキング」と呼び、スタジアムには「キング・アマラオ・スタジアム」との横断幕が掛けられている。
 この事がFC東京をして彼に2003年の新しい契約を提示した大きな理由であり、また村林氏をはじめ、チームスッタフが彼のために特別な1年にしようとする理由でもある。
「我々はもっと多くのアマラオグッズを企画し、また彼の背番号11を特別企画に使っていきたいと思います」そう村林氏は語った。
「例えば、東京スタジアムの11番ゲートは“アマラオ・ゲート”、そして全ての11番席を“アマラオ・シート”と呼ぶ予定です」

 FC東京は横浜Fマリノス(日産)、浦和レッズ(三菱)、そして名古屋グランパスエイト(トヨタ)などと比較して最も低予算のチームの一つだが、ビジネスの観点から言うと、最も健全経営のチームの一つでもある。
 チームは来期も原博実監督のもと、アマラオ、攻撃的MFケリー、そしてDFジャーンと同じ外国人選手で更なる成長を目指して戦う。
 昨シーズン、チームに欠けていた左サイドMFとしてジュビロ磐田から獲得した金沢浄は、チームにバランスをもたらすはずだ。
 右サイドには、オリンピック代表候補の石川がマリノスに移籍した佐藤由紀彦に代わって完全移籍する見込みだ。
 その佐藤由紀彦が同じ右サイドに入るであろう、ブラジルワールドカップ体表、カフーの獲得をどう思っているのかはまた別の問題である。
 また一方のヴェルディはマリノスが田中隼磨をレンタルではなく完全移籍に同意してくれる事を望んでいる。

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いまも健在、ペリマン主義

2003/01/30(木)

 Jリーグ関係者の多くが、スティーブ・ペリマンを忘れないだろう。
 ペリマンは最近またニュースに登場するようになった。かつて指揮を執った清水エスパルスの選手、戸田和幸が、かつて自分が誇りをもってキャプテンを務めたクラブ、トットナム・ホットスパーズに移籍することが決まったからだ。

 土曜日、私はロンドンの自宅にいるペリマンに電話をして、戸田の移籍について感想をたずねた。
 大半の人とは違い、ペリマンは驚いていなかった。というのも、ペリマンはトットナム・ホットスパーズへの移籍をここ2年間ずっと戸田に勧めてきたのである!
「どういうわけか、これまでトットナムは戸田に関心を示そうとはしなかった。でも、その戸田がプレミアリーグの他のクラブでトレーニングしていると聞いて、急に焦りだしたんだよ」ペリマンは、戸田がサンダーランドの入団試験を受け、監督のハワード・ウィルキンソンから高い評価を受けたことを話題にした。
 結局戸田はスパーズと1年契約を交わしたわけだが、ロンドン北部のこのクラブは、戸田の報酬とは別に移籍金としてエスパルスに30万ドルを支払うことになった。

 ペリマンは、その正直さとフェアプレーの精神により日本でも忘れられない存在となるだろう。
 ペリマンは攻撃的なサッカーをするようチームを鼓舞し、ずるいことをしたり、時間稼ぎをしたり、ダイブをしたり、あるいは何もないのに負傷したふりをしたりする選手を嫌ってきた。
「日本はフットボールの世界に遅れてデビューした。」
 土曜日、ペリマンは私にこう語った。
「でも、日本は世界中のチームから学ぶことができる。ブラジルでも、イングランドでも、オランダでも、どこでも、良いところだけをとればいいんだ。
「それに、嫌いなところ、不必要なところはそぎ落とすこともできる。イングランドなら、もちろんファンの情熱は見習うべきだよね。でも、フーリガンはごめんだ」
 ペリマンの考え方は、いつも揺るがない。

 彼がエスパルスの指揮を執っていたころ、同じ静岡を本拠地とするジュビロ磐田との対立関係は激しいものであった。
 もっとも、ペリマン本人は、ジュビロ磐田はレフリーやリーグ関係者からごひいきにされ、特別な恩恵を受けているチームであると考えていたようで、「JリーグのJはジュビロのJだ」と言い放ったこともあった。
 事の真偽はともかく、昨シーズンジュビロ磐田が両ステージを制覇するほどの頑張りを見せたのには、ペリマンのこうした発言が多少は影響していたのかもしれない。
 ジュビロが両ステージを制覇したのは、「欺くことより、サッカーに意識を集中するようになったから」とペリマンは感じているようだ。

 彼がよく憶えているのは、1999年の4月に日本平で行われた、ジュビロが5−2で勝利を収めた試合だ。
「4−2となるゴールが決まり、エスパルスの服部(浩紀)がボールを持ってセンター・サークルに戻ろうとしたんだ」とペリマンは回想する。
「しかし、彼はジュビロの選手2人につかまり、ゴールネットに押し付けられてしまった。
「小競り合いがあり、レフリーが下した判断は服部へのレッドカードだった。ゲームをすぐに再開しようとしていた選手が退場処分を受け、その選手の邪魔をした2人の選手はそのままピッチに残ったんだ!
「試合後、私はジュビロの監督に、Jリーグ史に残るような、日本サッカーにとって最悪の日だと言ってやったよ」
 ペリマンはマスコミでジュビロを批判した。発言は多少の効果があったかもしれないと言う。
「言いたいことを言えば、敵もできるだろう」とペリマン。
「でも、もしジュビロがサッカーだけに集中していれば、我々を5−2ではなく、10−2で破ることができたかもしれない。ジュビロの方が我々よりずっと素晴らしかったからね」
 ペリマンのことを、ジュビロ磐田は忘れるかもしれない。しかし、フェアプレーを望む多くの人々は彼のことを忘れないだろう。

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カフー獲得が示すJリーグの向上

2003/01/26(日)

 カフーの獲得を喜んでいるのは、何も横浜F・マリノスのサポーターばかりではない。
 6月末にASローマとの契約が切れる、2002年ワールドカップ優勝チーム・ブラジルのキャプテンが日本でプレーする。それはJリーグ全体をも興奮に包むことになるだろう。
 カフーは現在32歳、そしてF・マリノスでプレーする頃には33歳になっている。
 彼の体調は万全で、クラブのトッププレーヤであり、決して峠を越えたプレーヤーではない。
 2002年ワールドカップは、カフーがカナリア・イエローに袖を通した3回目の大会であった。そして彼はブラジルの7戦全てにフル出場した。トータル630分、すなわち10時間半もの間、途中交代もせずにである。これは彼がどれだけチームにとって重要であったかという事を証明している。
 彼以外にフル出場したのはGKマルコス、DFルッシオ、そしてアトレチコ・ミネイロからアーセナルへ移籍し、イングランドスタイルのサッカーに素早く適応したMFジルベルト・シルバの3人しかいない。

 おそらくカフーはイタリアに残り、ローマより下位のチームに移籍する事もできたはずだ。
 もしくは、彼の右サイドをえぐる攻撃力、そしてリーダーシップと経験は、尊敬され、威厳のあるキャプテンを求めているチームにとってかけがえのないものとして、他のヨーロッパの国へ行くこともできたはずである。
 しかし彼は日産のバックアップを受け、セリエA並みの年俸を払える横浜を選んだ。
 来季より岡田武史が指揮を執る横浜は、レッジーナへの完全移籍が決定した中村俊輔に代わるスタープレーヤーが必要だったのだ。
 カフーの移籍はより多くの観衆をスタジアムに呼ぶことは間違いない。そして来季は、スタイリッシュなブラジル人プレーヤーを見ようと多くの人々が集まり、チームは新たなファンを獲得できるだろう。

 カフー(本名:Evangelista de Moraes Marcos)は1989年にサンパウロでデビューした(所属:1988〜1994年)。ブラジルのパルメイラスに戻る前の1994〜1995年の1年間をスペインリーグのレアル・サラゴサで過ごした。
 1997年にはイタリアのローマに移籍し、6月30日に契約が切れるまでの6シーズンを過ごす。
 かつてのローマでのチームメート、中田英寿についてカフーがどう考えているのか興味深いところだ。特に今シーズンのローマは中田の攻撃力が必要だったように思える。
 ローマにとって、ほとんどベンチで座っているだけの選手に対する2600万ドルのオファーが断りきれないものだったとしても、カフーはローマが中田を手放したことは間違いだったと思っているのではないだろうか。
 カフーが横浜に来るということは、すなわち3度のワールドカップに出場し、1994年、そして昨年と、2度の優勝を手にした男からJリーグが認められたということである。

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アジアサッカーの地平を広げる新大会

2003/01/23(木)

 日本、中国、韓国のチームが競い合うA3マツダ・チャンピオンズカップ。
 今週、東京の記者会見で発表されたこの新大会には、上記の東アジア3か国のチャンピオン・チームが出場する。
 第1回大会は2月16日から22日まで東京・国立競技場で開催され、日本からはジュビロ磐田(リーグ・チャンピオン)と鹿島アントラーズ(ナビスコ杯優勝チーム)の2強が出場し、中国からは大連実徳、韓国からは城南一和が出場する。
 賞金額も出場4チームにとってきわめて魅力的なものとなっており、4チームのリーグ戦で優勝したチームには賞金総額85万ドルのうち、40万ドルが贈られる。

 重要なのは、この大会が代表チームの大会ではなく、クラブ・チームの大会であることだ。クアラルンプールに事務局を置く、競技の地域統括団体、アジア・サッカー連盟(AFC)は、この点を何度も強調した。
 AFCはもちろんA3マツダ・チャンピオンズカップのような注目度の高い大会を歓迎しているが、それにはAFC版のチャンピオンズ・リーグが未だ実現されていないという事情もあるのだろう。
 日本のファンにも、東京・国立競技場で戦われる6試合を楽しみにしていただきたい。
 昨年のワールドカップは日韓の関係を深めるのに大いに役立っており、両国のパートナーシップの延長線上にあるのが今回の新たなイベントであると言える。中国もワールドカップ初出場を果たしているので、今回の大会は大きな話題となるかもしれない。

 1997年に香港から日本に移り住む前に、私は何度か中国を訪れている。クラブ・チャンピオンシップやアジア・カップ・ウィナーズ・カップ、アジア・スーパーカップといったAFCのイベントを観るのが目的であった。(これら3つの大会は、単一のフォーマットに新たに再統合され、AFCチャンピオンズ・リーグとなっている。)
 しかし、一般やメディアの関心の低さにはがっかりさせられたものだ。
 個人的には、たとえばタイやイラクであっても、外国のサッカー選手を見て、テクニックや戦術、身体能力を日本のチームや選手と比較するのはとても楽しいことだと思う。
 サッカーは基本的には世界共通である。それゆえ世界中で人気があるのだが、同時に姿勢、戦い方、心理には個性が表れるものだ。

 2004年の第2回A3開催国は中国(A3とは日本、中国、韓国のアジア3強の意)、2005年大会では韓国が開催国となる。 Kリーグ事務局長のキム・ウォンドン(金元東)氏によれば、大会の最終目標は12チーム参加の東アジア・スーパー・リーグであり、その大会では3つのグループ・リーグを勝ち上がった4 つのクラブがホーム・アンド・アウェイ方式で優勝を争う。
 そのときには、大会の試合は週の半ばに行われ、リーグ戦は中断されることなく週末に行われることになり、費用と大会に見合った賞金を提供してくれるスポンサーが見つかれば、このフォーマットは2006年にもスタートする見込みだそうだ。
 ワールドカップの成功後、アジアのサッカー界には新たなエネルギーが生まれている。
 ファンの皆さんにはA3マツダ・チャンピオンズカップを応援するとともに、中国や韓国のスター選手と日本のスター選手を見比べて欲しいと思う。
 サッカーを堪能できる、1週間となるだろう。

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ヴェルディの楽観的な選手補強

2003/01/19(日)

 東京ヴェルディ1969がパトリック・エムボマを獲得した事には、少なからず驚いた。 そして、それがきっと大勢の正直な感想であろう。
 昨シーズン終了後にエジムンドを失ったヴェルディは、ファンのためにも新たなスターを連れてくる必要があった。
 1997年、1998年とガンバに在籍し、ヒーローとして活躍したエムボマなら最適だろう。 しかし32歳になった彼は、ヴェルディやメインスポンサーである日本テレビが費やした額に見合う活躍を今もできるのだろうか?
 これは答えに窮する難しい質問だが、私が思うのはもしこのカメルーン人CFがシーズンをフルに活躍できるとヴェルディが考えているなら、それはあまりにも楽観的過ぎるということだ。

 ここ数シーズンというもの、エムボマはとても好調といえるものではなかった。
 私はスカイパーフェクトTVで中田英寿を追い続けているが、エムボマは不調にあえぐ先シーズンのパルマでさえ自分の居場所を得る事ができなかったではないか。
 シーズン途中でエムボマはパルマからプレミアリーグのサンダーランドに移籍した。
 その移籍が成立した頃、英国のジャーナリストから取材を受けた私は、「彼がガンバにいた頃は絶好調で多くの素晴らしいゴールを決めたとはいえ、それも過去の話で、今はイングランドのサッカーについていくには遅すぎる。エムボマ獲得は良いとは思えない」と話した。

 ワールドカップでエムボマはカメルーンの全3試合、対アイルランド戦、対サウジアラビア戦、対ドイツ戦のいずれも途中交代している。
 1−1の引き分けに終わった新潟での対アイルランド戦で先制ゴールを決め、そしてFIFAよりリゴベール・ソング、サミュエル・エトー、サロモン・オレンベと並んでカメルーンの4人のベストプレーヤの1人に選ばれた。
 従って、彼がまだスターである事は証明されたが、それが長いシーズンを通してコンスタントに発揮されるかどうかは疑問である。
 ヴェルディは大胆なことをしたと思うが、1つ確かな事はJリーグに有名選手を連れてくる事でメディアからの注目度が上がるということだ。


 ガンバにいた頃のエムボマは、まさにセンセーショナルな選手であった。34試合に出場し29得点を挙げ、1998年ワールドカップの後、イタリアのカリアリに移籍した。  彼のパワフルな左足は彼に、“ブームブーム”というニックネームをつけさせた。そしてカメルーン代表を率い、アフリカ最優秀選手にまでなった。
 来シーズンのヴェルディはエムボマをかばいつつ、主力エジムンドの抜けた穴を彼が埋めてくれる事を願うことになるだろう。
 しかしエムボマにとって、それは容易な事ではない。

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高校サッカーの違和感

2003/01/16(木)

 年始に行われる高校サッカーの決勝の取材はいつも楽しいものである。
 選手権の主催者には敬意を表したいし、試合中の雰囲気も素晴らしいと思う。サッカーはつねにサッカーであり、選手たちは学校の名誉のために全力を尽している。
 とは言え、ビックリするのはこのイベントの取材に駆けつけるメディアの数だ。
 たとえば月曜日の東京国立競技場。240人の記者と140人のカメラマン、取材するテレビ局の数は6つのキー局を含めて20。
 試合終了後に選手たちが数多くのメディアに追いかけられる様子は、横浜でのワールドカップ決勝戦後のロナウドを彷彿させるものであった。
 ただし、私はこのようなやり方を批判したいのではない。ヨーロッパや南米とどれくらい違っているかを示したいだけだ。

 日本では、選手のほとんどが17歳か18歳で、高校に在学している。将来Jリーグに入る者もいれば、大学に進む者もいるだろう。
 イングランドでは、この年齢の若くて優秀な選手たちはすでにプロ・クラブに所属している。彼らは学校を出て16歳で練習生としてクラブに入り、17歳でプロになることができる。ちょうどウェイン・ルーニーがエバートンでやってみせたように。
 イングランドの高校サッカーの決勝はどうだろう?
 私はそれがあるのかどうかさえ知らない。メディアがまったく取り上げないからだ。デイリー・テレグラフのような大新聞には、決勝の結果が一行くらい載るかもしれないが、選手自身やその両親以外はだれも興味を示そうとはしないだろう。

 しかし日本の高校選手権はビッグ・イベントとなっており、これには良い点も悪い点もある。
 もちろん、若くて優秀な選手を見ることができるのは良い点だと思う。彼らの多くがJリーグのレギュラーになるのだから。
 だが、こんなにも名が知れ渡り、こんなにもメディアの注目を浴びることは、この年代の選手たちにとって果たして良いことなのだろうか?
 私は6年間日本にいるが、外国人や一部の日本人が異口同音に言うのは、日本ではあまりに若いうちに「スター」になってしまうということだ。サッカー選手としてさほどの実績を挙げもしないうちから、選手は持ち上げられ、有名雑誌でも取り上げられる。
 フィリップ・トルシエが言っていたのだが、このような扱いは選手たちを軟弱にし、うまくなりたいという熱意を奪い、自分がすでに大物になったと思い込ませてしまう。

 ジュビロの若きフォワード、前田のことをあまり取り上げないでくれと、ドゥンガから頼まれたことがあった。あれは前田が見事な個人技のシュートを決めた、エコパでの試合のあとだった。日本の選手は早いうちから注目されすぎる、とドゥンガは言っていた。
 さらに、ジェフ・ユナイテッド市原の前の監督であるジョゼフ・ベングロシュは、阿部や羽生などの若手の有望選手について語るのをいつもはばかっていた。メディアに取り上げられ、うぬぼれてしまうかもしれないというのがその理由であった。ただし、彼らの才能はひそかに評価していた。

 高校選手権の取材は私にはとても楽しいものであるが、選手の実力は世界のサッカーという高い視点に立って評価されなければならない。

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戸田は新たなチャンスに感謝すべき

2003/01/12(日)

2002年ワールドカップにおいて、最もがっかりさせられた事の一つが、トルコ戦敗戦後の戸田のコメントであった。
多くの日本人の友達から聞いた話だが、テレビで戸田はフィリップ・トルシエには2度と会いたくないとコメントしたそうだ。
トルシエは戸田に大きなチャンスを与えたにもかかわらず、だ。
戸田は2001年5月31日に新潟で行われたコンフェデレーションカップ、対カナダ戦で日本代表としてデビューした。
彼のアグレッシブさと、相手の攻撃を分断する能力は、一躍彼を稲本潤一と並んで日本代表ミッドフィールドの大黒柱に押し上げた。
戸田はワールドカップ全4試合でフル出場を果たし、中田英寿からも彼のホームページで絶賛された。
そう、戸田はトルシエから与えてもらった大きなチャンスにもっと感謝すべきであったし、さらにはその感謝への大きな借りがあったはずだ。
トルシエの後継者ジーコに、最初の2試合で日本代表から外されたことで、彼の目が覚めたと私は信じたい。

いずれにせよ、このコラムで私が言いたいのは、戸田は今、日本の“ヨーロッパ派遣団”の一員になるチャンスにあるという事だ。
彼はサンダーランドの2週間にわたるトライアルに招かれたのだ。そして彼も明らかにプレミアリーグに残りたいと思っている。
彼はエスパルス監督、ズドラヴコ・ゼムノヴィッチと折り合いが悪く、昨年は良いシーズンを送ることができなかった。
しかしサンダーランドからのオファーにより、ここにきて状況は俄然明るくなっている。

私はサンダーランドをよく知っている。まだ私がイングランド北東部で新聞記者をしていた頃、多くの試合を取材したものだ。サンダーランドはイングランドでも最も寒い場所の一つだが、ファンの情熱と熱気はイングランドでもピカ一だ。
彼らは使えるヤツ・使えないヤツをすぐに見抜き、誰が気合が入っているか、手を抜いているかすぐわかるのだ。
戸田は持てる限りの力を発揮するだろうが、ハイレベルな彼らについていけるかどうかはやってみなければ何とも言えない。
プレミアリーグのペースはJリーグや、更には国際マッチに比べて格段上だ。タックルはすばやく激しい。それこそ戸田が日本でプレーしている時のように、ボールを長くキープしている暇などないはずだ。
戸田のポジションでは、マンチェスター・ユナイテッドのロイ・キーン、アーセナルのパトリック・ヴィエラ、そしてリバプールのサリフ・ディアオといったワールドクラスのプレーヤーがひしめく。
戸田はトレーニングでの態度や努力でサンダーランドの監督、ハワード・ウィルキンソンを感心させる事ができるかもしれない。しかし、練習試合ではイングランドスタイルのスピードとパワーに素早く慣れる必要がある。

今でも私は、彼がトルシエについて語った事は間違っていると思っているが、選手として更に成長したいという彼の挑戦が実りあるものになるよう願っている。

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久保の苦渋の決断

2003/01/09(木)

 1人の選手がチーム全体よりも重要ということは絶対にありえない。
 しかし、シーズン最終日に降格が決まったサンフレッチェ広島の場合、1シーズンでのJ1復帰を目指すとしたら、センターフォワードの久保がいるといないでは大きな違いがあるだろう。
 現時点では、久保は将来を決めかねている。
 サンフレッチェからは契約更新の申し出を受けているが、横浜F・マリノスをはじめとするJ1の複数のクラブも久保獲得へ興味を示している。
 将来については口を閉ざしたままの久保の態度から、サンフレッチェでは広島に残るかもしれないとかすかな望みを抱いているようだ。
 クラブの広報部長である真鍋茂はこう説明する。「久保はチームにとってとても重要な選手ですから、ぜひサンフレッチェ広島に残って欲しいと思っています。
 「そのため、クラブの社長も、コーチ陣も、チームメートも、チームに残るよう久保を説得しているところです。しかし、複数のチームが久保の獲得を目指しているという情報も、もちろん知っています」

 久保はサンフレッチェの柱となる選手であり、1996年のデビュー以来リーグ戦で67ゴールを記録している。
 空中戦に強く、スピードも勇気もある選手であるが、トルシエが率いた23人のワールドカップ代表チームに選ばれなかったとても不運な選手でもある。
 私なら西沢明訓の代わりに久保を選んでいただろう。
 たしかにワールドカップの先発レギュラーというわけにはいかなかっただろうが、久保は途中出場で何か違ったこと、何か予測不可能なことをやってくれていただろう。
 たとえば、トルコ戦。日本チームはまったく機能していなかったが、元気と意欲に溢れた久保を後半に投入していれば何らかの結果が得られたかもしれない。
 もちろん仮定の話に過ぎない。しかし久保が何かをしてくれる選手であるというのは、確かである。

 ジュビロ磐田も久保獲得に興味を示している。高原直泰の代わりという意味もあるが、中山雅史がいつまでも溌剌としたプレーを続けられる保証はないという事情もあるからだろう。
 高原と同じように、久保もボールから離れた位置でも精力的な動きを見せるので、中山とのコンビは効果を発揮するかもしれない。
 さらに、タレント揃いのジュビロなら、点をとらなければならないというプレッシャーも広島のときより軽くなるかもしれない。
 ピッチを離れた久保は物静かな性格で、静かな生活を好むタイプなので、幼い子供のいる家族とともに広島の地に残り、1シーズンでチームをJ1に復帰させることを目指す可能性もないとは言えない。

 また、久保のチームメートであり、調子の良いときにはとても理知的でクリエイティブなプレーを見せる藤本主税の動向にも大きなクエスチョンマークが付いている。
 藤本は名古屋グランパスエイト入団の可能性が高い。トヨタ出資のクラブが中盤でイマジネーションを発揮できる選手を求めているからだ。
 現在はサンフレッチェにとって苦難のときかもしれないが、ブラジルのベテラン選手セザール・サンパイオを柏レイソルから見事獲得したという明るい話題もある。
 ただし、来シーズン、久保と藤本がサンパイオと同じチームでプレーするかどうかは未だ不明である。

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ようやく注目を浴びた手島

2003/01/06(月)

 日本ユース代表が準優勝した1999年ナイジェリアでのFIFAワールドユース大会を思いかえす時、皆さんは誰を思い出されるだろうか?
 決勝の対スペイン戦には累積イエローカードで出場できなかったとはいえ、もちろん小野伸二がいた。
 続いて、鹿島アントラーズのトリオ、レフトウィング本山雅志、中央には小笠原満男、そしてトルシエの3バックの左サイド、中田浩二がいた。
 決勝戦で小野からキャプテンマークを引き継いだ高原直泰も忘れてはいけない。
 しかしどなたか、手島和希を覚えておられるだろうか?
 京都パープルサンガのチームメート、辻本茂輝と中田、そして手島がディフェンスのレギュラーだったのだ。
 しかし小野や高原がヨーロッパへ飛び立ち、本山や中田らが日本代表へと成長していったのに対して、手島はほとんど誰にも注目されてこなかった。

 正月に行われた天皇杯決勝の鹿島アントラーズ戦での目を見張る活躍と勝利は、この23歳のキャプテンへの評価を一転させた。
 手島はパープルサンガのタイトなディフェンスをコントロールし、アントラーズのFW陣をことごとくオフサイドトラップの餌食にした。トルシエの残していった遺産は、手島の中にしっかり活きていた。
 小笠原のクリエィティブな才能や柳沢敦とエウレルの機動力をもってしても、アントラーズはスペースを見つけることができず、チャンスらしいチャンスを作ることもできなかった。
 京都のドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスによると、これはすべて若き司令塔、手島のなせる技だという。
「彼にはスピードがあるし、ディフェンスをしっかりまとめられるうえに他のディフェンダーに対するカバーもきちんとこなすことができる」エンゲルスはそう語る。
「手島が中央にいることによって、他のディフェンダーはよりアグレッシブに動ける。手島が必ずカバーしてくれると信頼しているからね」
 私はエンゲルスに、手島は1999年ナイジェリアワールドユース大会のU−20代表チームのチームメートに比べて遅咲きなのかと尋ねてみた。
「いいえ、そうは思いません」彼は強く否定した。
「理由は分かりませんが、彼は過小評価されているのです、そして他の選手のように注目を受けていないのです」
「彼がチームの司令塔になってすでに2年になります」

 2001年にJ2で優勝、そして再昇格するや5位に食い込み、京都はこの2年ですっかりJリーグに定着した。
 本山は怪我で欠場したが、小笠原や中田率いるアントラーズ相手の天皇杯での勝利はエキサイティングなJ1復帰シーズンの締めくくりとなった。
 また、エンゲルスにとっては至極当然のことではあったが、ようやく手島に注目が集まった。

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京都の希望、関西の希望

2003/01/03(金)

 黒部光昭が天皇杯決勝で決めた見事な決勝ゴールは、歴史的なトロフィーを初めて京都パープルサンガにもたらしただけではなかった。
 黒部のゴールは関西のあらゆるクラブに、来シーズンは自分たちも栄誉を手に入れ、ジュビロ磐田と鹿島アントラーズの2強支配に割って入ることができるのだ、という希望を与えたのである。
 黒部がペナルティー・エリアの端から放った左足の強烈なシュートがゴールキーパー、曽ヶ端準の手をかすめ、ゴール上隅に突き刺さって決勝ゴールとなり、京都はアントラーズとの激戦を2−1で制した。
 黒部のゴールが決まったのは80分過ぎ。日本のカップ戦で抜群の成績を誇る鹿島の、ナビスコ・カップと天皇杯の2冠を阻止するには、京都は10分間耐えればよかった。

 京都に対する祝福の嵐が自然と巻き起こった。祝福は京都のファンだけでなく、中立の立場の全てのファンからのものでもあった。
 権威あるトロフィーに新しい名前が刻まれ、日本中にその栄光が響き渡るのは、やはりさわやかで画期的なことなのである。
 だから、この日は黒部にとって、京都にとって、そして関西にとっても誇りある日であった。何と言っても、1993年のJリーグ発足以来関西のクラブが初めて手にした栄誉なのである。
 Jリーグ発足時の10チームに列していたガンバ大阪に加え、その後セレッソ大阪や京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸が次々とリーグに参加したが、どのチームもリーグ総合優勝やナビスコ・カップ、天皇杯といった主要なタイトルとは縁遠かった。
 一方のアントラーズは1993年以来、9回の主要タイトル獲得を数え、リーグで4度、ナビスコ・カップで3度、天皇杯で2度優勝を飾っている。
 さらに、ジュビロ磐田は今シーズンを含めてリーグ優勝3回を数え、ナビスコ・カップでも1回の優勝がある。

 パープルサンガの勝利を振り返った黒部は、関西地域全体にとって意義のある勝利だと強調した。
「京都が天皇杯を獲得したことは、来シーズン、関西のあらゆるクラブの刺激になると思います」と黒部は語る。
「今日は挑戦者の立場でしたし、負けてもともとでもありました。
「しかし試合が始まるとチーム全体に、優勝するぞという気迫、やる気がはっきり出ていました。
「下馬評が低くてもタイトルは獲れるんだということを僕たちは証明しました。今回の京都の優勝は来シーズン、関西の自信になるでしょう。
「個人的には、この試合の後、早く次のシーズンが始まって欲しいと思っています!」

 前半15分過ぎ、柳沢敦の絶妙なチップキックのシュートがクロスバーを叩き、ブラジル人ストライカー、エウレルが至近距離からのヘディングでゴールを決めた時には、鹿島がゲームを支配するように思えた。
 しかし後半、韓国代表のスター、朴智星(パク・チソン)のポジションをライトウィングからストライカーの後ろで自由にプレーできる位置に変えた、京都のドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスの決断が功を奏した。
 後半ちょうど5分過ぎ、右サイドでの鈴木慎吾のフリーキックに朴が頭で合わせて同点ゴール。
 これでゲームの流れが大きく変り、黒部を先頭に5人の攻撃陣を配した特徴的な布陣で京都が攻勢に転じる。
 そして80分過ぎ、栄光へのチャンスを掴んだセンターフォワードが堂々たるゴールを決める。
 京都にとって忘れられない日となったのはもちろんだが、今回の京都の勝利により関西が心理的なバリアーを打破し、来シーズンのJリーグをより活発にする起爆剤になって欲しいと思う。

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新しい年への希望

2002/12/30(月)

 2002年を振り返りつつも、2003年に目を向ける時が来たようだ。
 私には新しい年へ向けて3つの願いがある。

 最初の願いは、2003年も日本のサッカーが成長し続け、多くのファンがそれをサポートしていく事だ。
 1993年の発足以来、Jリーグは国民のサポートや、企業のサポートといった面では何度か危機を迎えた。
 なかでも、1998年のシーズン後に2つのメインスポンサーの1つが撤退した横浜フリューゲルスがマリノスと合併した事件はその最たるものであった。
 当時、観客数は激減した。しかしここ数年でそれも取り戻しつつある。
望むべくは、このままJリーグが安定し、流行としてではなく社会の一部としてファンが Jリーグをサポートしてくれる事だ。
 Jリーグバブルは既にはじけた。しかし、ファンはより固定してきたように思える。ワールドカップも過去のものとなりつつあるが、私は人々がこれからもJリーグを見続けるであろうと感じる。

 2つめの願いは、日本人プレーヤーが引き続き積極的に海外へ出て行く事。そしてヨーロッパの各リーグで実力をつけていく事だ。
 最も新しいところでは、高原直泰がハンブルガーSVへ移籍する。そしてこれでヨーロッパ4大リーグのうち3つ、すなわちドイツ、イングランド、そしてイタリアでトップクラスの日本人選手がプレーする事になる。
 Jリーグのスター達が日本から去っていくとはいえ、新たなスターの卵たちが入ってくる。それはファンの注目を集め続けていくだろう。

 3つめの願いは、Jリーグが世界のサッカー界に歩調を合わせ、2004年から1ステージ制を取り入れる事だ。
 延長戦とゴールデンゴール方式を廃止したことは、2003年の大きな前進だ。
 試合は90分で終わり、引き分けの場合は両チームに勝ち点がつく。
 延長戦とゴールデンゴールによる決着は、リーグ戦ではなくノックアウト方式のカップ戦で適用するのが世界の流れなのだ。
 Jリーグ自体も、延長戦とゴールデンゴール方式は世界のサッカーでは主流でないと認めている。そして2ステージ制やプレーオフもまた然りである。
 それはアンフェアーであり、不規則である。願わくば、2002年シーズンのジュビロの両ステージ完全制覇が、Jリーグが来シーズン終了後に1ステージ制を再考するきっかけとなってほしいものだ。

 これらの3つが私の2003年のJリーグに向けた願いだ。
 なんとかその願いが叶う事を祈っている。
 そしてまた、皆さんの願いも。
 素晴らしい新年をお迎えください。

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ワールドカップはアジアの誇り

2002/12/26(木)

 1年の終わりが近づくこの時期、その年の出来事についてのアンケートに参加するのは、いつもなかなか楽しいものだ。
 私は、CNNテレビと雑誌のスポーツ・イラストレイテッドが行うスポーツ人気投票の投票者であり、ここで日本が1位に選ばれたことを報告できるのを嬉しく思う。
 投票のカテゴリーは、「2002年最高のスポーツ・ストーリー」と「2002年の年間最優秀アスリート」の2つであった。
 主催サイドから候補がいくつか上がっていたが、「最高のスポーツ・ストーリー」で私は、ためらうことなく「アジア初のワールドカップの成功」に投票した。
 日本と韓国がピッチの内外で成し遂げたことは、アジアのサッカーの地平を広げるものであった、と私は心から思う。ワールドカップのような大規模なイベントの共催を見事にやり遂げたことにより、現在、選手やリーグ、ファン、運営サイドにはこれまで以上の敬意が払われている。

 アメリカ合衆国と日本が明らかな例外となっているものの、世界の大部分ではワールドカップはオリンピックよりはるかに重要なイベントであるとみなされている。
 おそらく今後数年間で、日本もワールドカップを重視する傾向に変わってゆくだろう。
 特定のスポーツの会場に若干の例外があるものの、オリンピックが1つの都市が主催するものであるのに対して、ワールドカップは国全体で行われるものであり、さらに今回は2つの国で共催された。
 私の投票後、最新の結果が発表され、アジアのワールドカップが有効投票の50パーセント以上を獲得しているのが明らかになった!
 この結果は世界中を驚かせるだろう。FIFAも日本と韓国を誇りに思うだろう。

 2つ目のカテゴリーである「年間最優秀アスリート」では、私はリストには上がっていたものの、ロナウドには投票しなかったことを告白しなければならない。
 ロナウドはワールドカップの月という、まさにタイムリーな時期に登場したため、「FIFA年間最優秀選手」や「フランス・フットボール誌ヨーロッパ年間最優秀選手」、「ワールド・サッカー誌年間世界最優秀選手」といったサッカーのあらゆるタイトルを独り占めすることとなった。
 しかし、このカテゴリーで私が投票したのはアメリカのサイクリスト、ランス・アームストロングであった。この選手は今年、ツール・ド・フランス4連覇を達成した。
 ツール・ド・フランスは世界でもっともタフなスポーツ・イベントである。1度の優勝でも素晴らしい偉業である。アームストロングのように何回も優勝する選手は、そのまま生きる伝説と言っていいだろう。
 さらに、癌の病から復帰してこのようなことを達成するなどというのは、この世のものとは思えないほどだ。
 ロナウド自身は、まだ生きる伝説となる過程にいるのであり、ワールドカップ以外の場における活躍はあまりなかったことも考慮されなければならない。
 偉大なワールドカップといえども、ピッチ内の出来事はいつまでも記憶に残るわけではないかもしれない。しかし、ピッチ外の記憶はそうではない。
 だからこそ、今年最高のストーリーなのだ!

 読者の皆さんに、メリー・クリスマス!

*このコラムは2002年12月24日に書かれたものです。

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アジアはワールドカップ出場枠に喜ぶべき

2002/12/22(日)

 2006年ドイツワールドカップで出場枠5を狙っていたアジアサッカー連盟だが、今週マドリードでFIFAから得た出場枠には満足したはずだ。
 32チームの出場枠中、アジアは4.5すなわち4カ国プラス北中米カリブ地区とのプレーオフによる枠を得た。
 これは2002年の韓国・日本ワールドカップの際に得た枠(ただし4つの枠のうち2つは開催国の韓国と日本に与えられた)と全く同じである。
 残りの2つはサウジアラビアと中国が得たものの、イランはアイルランドに敗れ、アジアはいわゆる“ホームエリア”でのワールドカップで5カ国出場のチャンスを失った。
 私個人的には、南米がドイツワールドカップでプレーオフでの出場権を失い、4カ国のみの出場になった事に比べれば、アジアは今回の結果に満足すべきであると思う。
 確かに南米10カ国中4カ国出場というのは、割合からすると高いかもしれない。しかし、ベネズエラを除く残りの国は実力も有り、どこも甲乙つけがたい。

 一方、アジアのワールドカップにおける成績は惨憺たるものであった。
 2002年ワールドカップ以前はというと、アジアは本大会では44試合中たった4勝しか挙げていない。1966年北朝鮮の対イタリア戦、1994年サウジアラビアの対モロッコ戦、対ベルギー戦、そして1998年イランの対アメリカ戦である。
 今大会では、韓国はポーランド、ポルトガル、イタリアそしてスペイン(PK戦)を破り準決勝まで、そして日本はトルコに敗れはしたもののセカンドラウンドまで進出した。
 しかしここで注目しなければならないのは他の2カ国の成績である。
 3大会連続出場のサウジアラビアはドイツ戦に屈辱の0−8で破れ、中国はブラジル、コスタリカ、トルコと同グループ(ワールドカップを終えた今となっては強豪揃いのグループにも思えるが)で全く結果を出せずに終わった。
 南米がわずか4カ国の出場に対して、次回のワールドカップで5カ国出場のチャンスを得たアジアは、FIFAの好意的な決定に感謝すべきであろう。

 1998年以来の3大会連続出場を狙う日本は、アジアのトップ4に入るのにさほど苦労はしないだろう。
 もし仮にアジアの5位になったとしても、メキシコかアメリカが最強である北中米カリブ地区の4位とのプレーオフで勝つ実力は十分ある。
 ワールドカップでの5カ国出場は、常にアジアサッカー連盟の夢であった。
 しかし今回のアジアは、ワールドカップのピッチ上ではなく、FIFAでの政治において勝利を挙げたというべきだろう。

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巣立ちゆく高原

2002/12/19(木)

 高原直泰がジュビロ磐田のフォワードとして中山雅史と組んだ当初は、「魔術師とその弟子」のエピソードそのものであった。
 これは古い民話で、若くて熱心な弟子に自分の魔法をすべて伝授する魔法使いのお話だ。
 中山と高原を見ていると、私はいつもこのお話を思い出す。
 中山は何でも知っている知恵深き老魔術師で、高原は、その老魔術師に仕え、魔法を身につけたいと思う、熱意に満ちた初心者である。
 高原は23歳にして2002年シーズンJリーグ最優秀選手に選ばれ、そして今、教育の時は終わりを告げようとしている。
 中山は自分の仕事をまっとうし、高原も師匠の教えを熱心に吸収した。
 高原が、「ゴン」と呼ばれる選手以上の教師と今後巡り合うことは、おそらくないだろう。

 ピッチでは、ゴンはゴール・マシーンである。ゴンはペナルティー・エリアの略奪者であり、いつどこにポジションをとればいいのかを本能でわかっている。ゴールの位置を感じとり、ターゲットに狙い打つという驚異的な能力も、やはり彼の本能なのである。
 たとえこれだけの才能があったとしても、選手というものはチームのために全力でプレーしなければないものであり、ゴンは素晴らしい得点記録を残しながらも、自分勝手なプレーをする選手と言われたことは一度もない。
 ピッチを離れても、中山の態度は称賛すべきものである。中山は心からサッカーを愛しており、この姿勢は高原にも受け継がれた。2人の選手は一生懸命練習し、個人の能力を向上させようと常に努力してきた。
 高原のMVP受賞は、まったく文句のつけようのないものである。27試合で26ゴールを挙げただけではなく、1998年のMVPである中山とともにチームを前線で引っ張ってきたからだ。

 いま、タカはドイツに旅立ち、ハンブルガーSV(SVはドイツ語のSport Vereinの略で、「スポーツクラブ」の意味)に入団しようとしている。かの地では、彼はすべてを一から学び直さなければならないだろう。
 体力が要求されるドイツのサッカーに順応しなければならないし、執拗で荒っぽいマークをし、マークを外されそうなときには相手を削ることさえ厭わない、狡猾で、機を見るに敏なディフェンダーともわたり合わなければならないだろう。
 タカにとって、ヨーロッパの4大リーグの1つ—ドイツはイタリア、スペイン、イングランドと並び称されている—でのプレーは貴重な経験であり、名を上げるチャンスでもある。
 選手時代にどこでプレーしようとも、自分はサッカーの魔術師、中山以上の教師に巡り合えないということは、タカもわかっているだろう。
 弟子は、修業期間を終えたのである。

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さらばエジムンド 君の事は忘れない!

2002/12/15(日)

 かのヴェルディ・グリーンのユニフォームに、エジムンドが袖を通したのはわずかに1年余りだったかもしれない。しかし彼にはヴェルディー殿堂入りの資格が十分ある。
 彼が来シーズン、ヴェルディに戻ってこないと知った時、私は言いようのない寂しさに襲われた。クラブの親会社である日本テレビが、一説によると2億円とも言われる金額を用意できなかったためだ。
 エジムンドが2001年10月に日本にやって来た時、彼に対する風評といえば、「短気」「問題児」そしてチームの練習よりもリオのカーニバルでサンバを踊るほうが好きであると、散々であった。
 ヴェルディにとって、エジムンド獲得は大きな賭けだった。しかし、2001年シーズン最後の5試合を彼のおかげで乗り切った。 それは十分価値のある賭けだったようだ。

 そして今年、エジムンドをチームにとどめるため、日本テレビは通常の予算に2億円をプラスする事に同意した。
 そして再び、エジムンドは16得点を挙げただけでなく、チームに方向性を持たせ、そしてチームの調整役としてその類まれなリーダーシップを発揮した。
 チームのブラジル人監督、ロリ・サンドリはピッチでの最も信頼できる指揮官を得、それ以来徐々にチームは自信を取り戻していった。
 彼を失うヴェルディの痛手は大きい。横浜F・マリノスは日産のバックアップを受け、エジムンドの獲得を目指しているという。

 好調だったシーズンを終え、来シーズンは再び苦しいシーズンを迎えることになるだろう。
 元気を取り戻したレフトサイドバックの相馬直樹は、鹿島アントラーズのアウグスト解雇によって鹿島に戻る。マリノスからレンタルで来ている田中隼麿は何とかキープしたいところだ。両チームの間で移籍金交渉がうまくいかなければ、ヴェルディーはレンタル期間の1年延長をするかもしれない。
 しかし、エジムンドの抜けた穴は大きい。
 彼はJリーグに来た外国人プレーヤーの中でも紛れもなくトップクラスだ。キング・カズ、ルイス・カルロス・ペレイラ、ラモス瑠偉、北澤豪、そして武田修宏といったヴェルディーの歴代スターたちと肩を並べる。(個人的には桜井直人も含めてもらいたい)

 最終戦の対ベガルタ仙台戦の試合前、ヴェルディの全選手が集まり、母国ブラジルで射殺されたエジムンドの弟の冥福を祈った。その試合で2得点を挙げ、さらに永井秀樹へのアシストを記録した彼の活躍には感動を覚えた。
 実に彼らしいヴェルディでのキャリアの終え方ではないか。
 しかしまだ天皇杯が待っている。

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中田と中村の差

2002/12/12(木)

 中田英寿と中村俊輔のレベルの差は、パルマがレッジーナを2−0で破った、日曜日のイタリア・セリエAを見ればまったく明らかであった。
 日本代表監督のジーコもエンニオ・タルディーニの1万4000人の観客の中にいたが、そのコメントはまさにズバリであった。
 以下は、パルマのオフィシャル・ウエブサイトに掲載されたジーコのコメントである。
「彼(中田)のほうが、中村より大人であった。イタリアでの経験が長い分だけ中田は成長し、スターになれたのだろう」

 それぞれの年齢は25歳と24歳で、中田の方が1歳年上なだけなのだが、パルマのホームスタジアムでの2人は、まるで大人と子供であった。
 中田は個人として秀でていたというわけではないが、そのプレーぶりはとても成熟していて、自信に満ち、自分の責任をよく理解したものであった。
 昨シーズンの中田は、ローマからの移籍に支払われた2600万ドルに見合った働きをしようとしたのか、がんばり過ぎであった。相手ディフェンスを切り裂くようなパスばかりを狙ったり、ボールを持ったときには何か特別なことをしようとしたりしていた。
 そして何といっても、高給の新加入選手であり、背番号10であり、ゲームメーカーであったわけだから、自分の価値を証明しなければならないというプレッシャーがあったのである。

 しかし、今シーズンの中田は、ブラジル人のアドリアーノが中央、ルーマニア人のアドリアン・ムトゥが左に位置する、3人のパルマ攻撃陣の右サイドに新たな居場所を見つけた。
 今シーズン、アドリアーノとムトゥの2人はリーグ戦で13ゴールを記録しているが、中田のプレーも格段に良い。個人技が傑出しているというのではなく、チームの一員として見事に機能しているのである。
 日曜日の試合でもっとも印象に残ったのは、ボールを持った時の、中田の自己抑制の素晴らしさ、落ち着きとともに、ボールを機能させようとする新たな能力で、それはあたかも簡単なパス、簡単な選択のほうが、派手なプレーよりも効果を上げることがよくあるのだと言っているようであった。
 現在の中田は、日本代表のときと同じようにセリエAでもリーダーのように振る舞っているが、これは1998年にペルージャでデビューして以来中田がどれほど成長してきたかを示すものである。

 一方の中村はイタリアではまだ新人である。パスやドリブルに才能の片鱗は見えるが、現在の中田のような安定感を持ち合わせてはいない。
 ただし、中村は学習意欲の高い、クレバーな選手だから、これは時間が解決してくれるだろう。現在、中村は弱小チームで厳しいシーズンに直面している。レッジーナは13試合で勝ち点を7しか挙げておらず、わずか1シーズンでセリエBに逆戻りするのが確実な様相である。
 しかし、中村のプレーぶりは、たとえレッジーナが降格しても、セリエAに留まってプレーできるかもしれないと十分予感させるものである。ゲームが止まったときの左足のコーナーキック、フリーキック、ペナルティーキックはつねに相手チームの脅威となるだろう。
 しかも、イタリアではファウルがしょっちゅうあるため、ゲームがよく止まる。そのため、中村は今シーズンすでに挙げている5ゴールへの上積みも可能だろう。 とはいえ、日曜日にも素晴らしい動きやボールタッチがいくつかあったが、安定感やチームプレーでは、中村はまだまだ中田のレベルには達していなかった。

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爽やかさ溢れる朴智星

2002/12/08(日)

 ワールドカップの喧騒もおさまった頃、京都パープルサンガのドイツ人監督ゲルト・エンゲルスは韓国人FW朴智星の態度を褒めていた。
 ワールドカップ以来一躍、朴にヨーロッパからの注目が集まっていたとエンゲルスは語った。
 しかし朴は、日本を離れて海外でプレーしたいというような話は周囲の人々に一言もしていなかった。
 この青年の爽やかな態度はエンゲルスの心を打った。

 今、朴はオランダ一部リーグのPSVアイントホーフェンで、元ワールドカップ韓国代表監督フース・ヒディンクのもとで再びプレーするチャンスにある。
 しかし彼は即決することなく時間をかけて考えているようだ。エンゲルスは、朴が新たに2年契約を結んで京都に残る事を望んでいる。
「彼は京都が気に入ってるようだね」今週、エンゲルスはそう語った。
「このチームが彼にとって最初のプロチームだし、朴智星と言えば京都パープルサンガでしょう。日本語も上手だし、何人かの選手とは本当に仲が良い。今の時点ではまだ彼は迷っているみたいだね。だからこそ、チームに残ってくれるんじゃないかと少し楽観視しているんだ」

 現在21歳の朴には、まだまだ長いサッカー人生が待っている。そしてエンゲルスは、今は休養を十分にとり、あわててヨーロッパに行かない事が彼にとっては大事だと考えている。
「ワールドカップの準備やチームとの契約で、彼はここまでの2年間まったく休暇をとっていない。もし彼が日本に残ることを選択すれば、3月のシーズン開幕までゆっくり休むことができる。海外への移籍は夏にすれば良いと思う。もちろんオファーは必ずあると思うよ」
「1月からPSVに移籍してしまうと、すぐにトレーニングに戻ってシーズン後半をプレーすることになる」

 エンゲルスによると、京都は朴に好条件のオファーを出したという事だ。したがって金額面が朴の決断の要素になることはないだろう。
「朴はPSVの方が提示金額が多いからといって移籍することはしないだろうし、京都の金額提示が少ないからといって移籍することもないだろう。彼はこれからの彼のサッカー人生をよく考えて決断するはずだ」
 朴が移籍するかどうかは別として、彼の態度は他の選手への良いお手本になるだろう。日本での生活も良し、Jリーグも良し、チームの柱でもあり、そして何より彼の母国である韓国にも近い。
 隣の芝は、必ずしも青いとは限らないのだ。

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私のベスト・イレブン

2002/12/05(木)

 リーグ・シーズンが終わったばかりのこの時期、自分のベスト・イレブンを選ぶのはいつも楽しいものだ。
 皆さんは、もう選びましたか?
 今回は、私のベスト・イレブンを紹介させていただこう。両ステージを制覇してリーグ・チャンピオンに輝いたジュビロ磐田の選手がやはり多く入っている。
 私が選んだジュビロの選手は、6人。チームの強さを考えれば当然のことかもしれない。

 ジュビロは3−5−2のフォーメーションを採用しているので、まず選んだのはディフェンスの右サイドの鈴木秀人だ。
 鈴木は今でも自分をコントロールできなかったり、かっとなってしまうことが時折あるが、俊敏だし、果敢である。鈴木が抜かれ、ジュビロの右サイドが突破されるというシーンは、あまり見たことがない。
 3−5−2システムのディフェンダー、残りの2人は、FC東京のブラジル人センターバック、ジャーンと横浜F・マリノスの松田直樹にした。ジャーンは東京の貴重な戦力であったし、日本で最も過小評価されていた外国人選手の1人である。一方の松田は、そのリーダーシップとスタイリッシュなディフェンス術により、総合順位でジュビロに次ぐ2位の成績を残したチームに貢献した。

 もちろんジュビロがあらゆる分野で傑出しているのだが、中盤の5人も豪華で、強力なものとなった。
 福西崇史と服部年宏は中盤の「機関室」で安定して、信頼性の高いプレーを見せており、中盤あるいは両サイドで攻撃を組み立てる際にしっかりとした基礎となっていた。
 この2人を入れたため、同じポジションで高い評価を受けている他の2人の選手を落とさなければならなかった。それは鹿島の中田浩二とガンバ大阪の遠藤保仁である。
 右ウイングは、京都のパク・チソン(朴智星)だ。ダイナミックで、しかも粘り強い選手であり、PSVアイントホーフェンでも間違いなくいい仕事ができるだろう。左はジュビロの藤田俊哉。インテリジェントかつクリエイティブな万能選手で、昨年のMVP受賞は伊達ではない。
 ゲームメーカーは、ヴェルディのブラジル人選手エジムンドにしたい。チームを1つにまとめて、目的と方向性を示し、素晴らしいゴールもいくつか挙げたからだ。彼の移籍は、ヴェルディとJリーグの両方にとってプラスであり、12月16日に発表されるJリーグMVPでも有力候補だろう。

 残るは、ストライカー。
 有力な選手は何人もいる。たとえば、ガンバの大柄なブラジル人マグロン、電撃的なスピードを誇る浦和のエメルソン、名古屋で安定した働きを見せているウェズレイなどがそうだ。
 しかし、ベスト・イレブンにもっとも相応しいのはジュビロの2人、高原直泰と中山雅史だろう。
 リーグ戦での2人のゴール数の合計は、42。タカは27試合で26ゴールを挙げたし、コンビネーションもとても良い。
 そうそう、ゴールキーパーも!
 やはりこのポジションも候補は何人もいるが、鹿島に在籍し、プレッシャーのかかる試合で安定した力を見せてきた曽ケ端準が抜けている。

 さあ、私が選んだ2002年度Jリーグ・ベスト・イレブンを改めて紹介させていただこう。フォーメーションは3−5−2。選手は、曽ケ端準がゴールキーパーで、鈴木秀人、ジャーン、松田がディフェンス。中盤は、パク・チソンに福西、服部、藤田、エジムンド。フォワードは、高原と中山だ。

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入れ替え制度がシーズンを救う

2002/12/01(日)

同じ日本に住む外国人なのだが、どうも北米の人たちはスポーツに対する考えが違うと感じる事が多い。
大方のアメリカ人にとっては、野球、アメリカンフットボール、バスケットボール、そしてアイスホッケーが4大スポーツとされる。
これら4大スポーツのうち、バスケットボールだけがフットボール(彼らは混同を避けるためサッカーと呼ぶ)と同じくらい人気があると言って良いようだ。サッカーという名称はもちろん英語で、ラグビー・フットボールとアソシエーション・フットボール(サッカーの正式名称)とを区別するため1800年中頃につけられたものだ。

少々話がそれてしまったようだ。
そのアメリカ人にとって、サッカーが野球より面白いと思える一面がある。それがチームの入れ替えである。
日本のJリーグとプロ野球を例にとってみよう。
Jリーグの優勝はすでに決まってしまっている。しかし土曜日の最終戦を控えて、まだまだ多くのファンの注目を集めているのは、3チームが降格争いをしているからだ。 (*11月29日現在)
コンサドーレ札幌は数週間前にJ2降格が決まってしまったが、サンフレッチェ広島、ヴィッセル神戸、そして柏レイソルのうちのどこかが来期はJ2でプレーすることになる。
つまり、ジュビロ磐田の選手、そしてファンはアウェーで行われる対名古屋グランパスエイト戦を余裕を持って楽しめる一方で、サンフレチェ、ヴィッセル、そしてレイソルはJ1生き残りをかけてシーズンの最終戦を戦うことになる。この3チームが戦うシーズン最後の3試合は、最後の瞬間まで何が起こるかわからないというドラマで大きく盛り上がるだろう。

さて今度はプロ野球に目を向けてみよう。
読売ジャイアンツはシーズン終了の数週間前にセントラルリーグ優勝を決めた。パシフィックリーグの西武ライオンズもまた然りである。
各リーグわずか6チームしかいない中、残りのチームは長く退屈なシーズンをダラダラとプレーすることになる。
シーズンはペナントレースがすべてであり、そのレースから脱落したものはそこでシーズンは終わると言っても良い。
例え、下位に低迷していても降格の心配もない。選手たちもファンも早くシーズンが終わり新たなシーズンが始まるのを待ちながら惰性の中でシーズンが続く。
私のアメリカ人の知人の何人かも、チームの入れ替えはシーズン最後まで興味を失わせない良いアイデアだと考えている。
やはり、着々と地盤を整備してきたチームがその後のシーズンで上位を占める事になるのだ。

来シーズン、大分トリニータとセレッソ大阪の2チームはJリーグ優勝を考えるわけではない。再降格を避け、J1に残留することが彼らの最大の仕事となるはずだ。その目標が達成された時に、初めて彼らは将来のシーズンのための下地作りができるのだ。
Jリーグに入れ替え制度が導入された1999年以来、シーズンの目標は単に勝つだけではなくなった。
アメリカ人がサッカーという競技の何に賛同しているのか、これで明らかになったと言えるのではないだろうか。

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FC東京の大ヒット、ジャーン

2002/11/28(木)

 FC東京はJ1でも指折りの安い予算でチームを運営しているため、新しい選手の獲得にさいしては、石橋を叩いて渡らなければならない。
 ブラジル人センターバック、ジャーンは、今シーズンのリーグでもっとも過小評価されていた選手の一人であった。
 リベロのサンドロの後任としてバイーアFCよりやって来た25歳のこの選手は、FC東京の青のユニフォームに袖を通し、見事なデビュー・シーズンを飾った。

 たとえば先週土曜日の東京スタジアム。ジャーンは東京ディフェンスの中心として見事なプレーを見せ、延長にもつれこんだ浦和戦での1−0の勝利に貢献した。
 浦和が誇るブラジル人ストライカー・コンビ、エメルソンとトゥットは、ジャーンと将来性豊かな21歳、茂庭のコンビが仕掛ける積極的な守備により、ゴールのチャンスを得ることがほとんどなかった。
 どのチームでもディフェンスの頑張りは攻撃陣にも伝わるもので、東京のフォワード、ミッドフィールダーもしっかりとしたチームプレーを見せ、36,000人以上の観客が見守るなかでエキサイティングな試合を演出した。
 ジャーンが何よりも満足したのは、東京のチームとしてのパフォーマンスであり、その次が、日本での最初のシーズンにおける自分のプレーであった。「最初は、チームに適応することだけを考えたんだ。そしてその次は、Jリーグに適応すること」ジャーンは謙虚である。
「日本での初めてのシーズンだったから、試合のたびに自分のプレーに集中しなければならなかった。みんながちゃんとプレーすれば、結果はついてくる。今年の東京は、そういうことなんだよ」

 セカンドステージ全15試合中14試合が終了した時点で、FC東京は4位に位置し、勝ち点は22。ジュビロ磐田との勝ち点差は10。ちなみに、ガンバ大阪が2位で勝ち点27、鹿島アントラーズが3位で勝ち点23である。
 最終節の土曜日、東京はアウエーで鹿島と対戦する。
「アウエーの最終戦も、勝つことが大切なんだ。できるだけ上の順位で終わりたいからね」とジャーン。
 将来については、こう語る。「チームには若い選手がたくさんいる。彼らも経験を積んで、うまくなっていくだろうね。」「最終的には、みんながそれぞれの力を伸ばすことができるだろう。」
「監督(原博実)は、しっかりしたディフェンスとカウンターアタックというコンセプトを持っているけど、今年はみんながこのコンセプトを守って、強いチームになろうとしているんだ。」「選手全員が監督のコンセプトを信じているから、ピッチでも良いプレーができるんだよ」

 12月16日の夜、毎年恒例のJリーグ・アウォーズでジャーンがベスト・イレブンに選ばれることはなさそうだが、彼がリーグでも屈指のディフェンダーであることは、FC東京のファンが知っている。
 それに、トゥットとエメルソンも知っている。

 

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高円宮さまの急逝:日本にとって大きな損失

2002/11/24(日)

 突然の高円宮さまのご逝去は、日本のサッカーにとってあまりにも大きな損失であったと、若かりし高円宮さまにサッカーの面白さを目覚めさせた男、岡野俊一郎氏はそう語った。
 日本サッカー協会の名誉総裁を1987年から務められていた高円宮さまは、木曜日にスカッシュをされている途中に心室細動のため、帰らぬ人となられた。
 しかしそれ以前から、高円宮さまはサッカーに興味を持っておられた。
 昨年12月に赤坂の高円宮邸においてインタビューした折に、高円宮さまは小学生時代に岡野氏の司会していた三菱ダイヤモンドサッカーを見ていた事を話された。
 スポーツをこよなく愛された高円宮さまは当時から、サッカーと言えば岡野氏だった。そして彼らは後々懇意になっていった。
「本当に日本のサッカーの為に尽くしてくださっていただけに、殿下のご逝去はショックです」。日本サッカー協会名誉会長の岡野氏はそう語った。
「殿下はサッカーのみならず、色々なスポーツに対して、また音楽や芸術に対しても造詣が深かった。文化やスポーツに対して非常に興味を持っておられた」
 また岡野氏は、高円宮さまが2002年ワールドカップ誘致のために、日本を訪れる貴人をお招きしたりと、たいへんなご尽力をされたと語った。

「ワールドカップ開催中、殿下は日本のサッカー関係者の誰よりも多い、実に19試合も観戦されました」
「私は18試合観戦しましたが、殿下のお隣に座らせていただく機会が多かったですね」
「大阪で観戦した日本対チュニジアの試合で日本が勝ちセカンドラウンド進出を決めた瞬間に、殿下は立ち上がり両手を突き上げ、2人で喜び合った事を今でも印象強く覚えています」
「ワールドカップ決勝戦では、殿下と私は天皇皇后両陛下、そして韓国の金大中大統領ご夫妻の後ろに座らせていただきました。大変光栄な事でした」

 高円宮さまは2002年のワールドカップを、日韓両国に理解と尊敬を深める良い機会になったと評した。
「このワールドカップで最も大切な事は、韓国と日本の両国が過去半世紀の間に歪められたその関係を修復する事です」
「両国にとって世界の中、アジアの中でお互いが等しく重要であるという事を理解する大きなチャンスなのです。我々が手に手をとって協力しながら、アジアの文化と経済を21世紀に伝えていかねばならないのです」
 高円宮さまを偲びつつ岡野氏は、「殿下には本当に色々な思い出があります。一緒にサッカーもしましたし、お話もよくさせていただきました。時には日本のサッカーの将来について真剣に話し合ったりもしたものです」
「殿下のご逝去は日本サッカー協会にとって、本当に大きな損失です」

  日本にとって、特に日本のサッカーにとって、ワールドカップ開催の年が非常に寂しく過ぎていこうとしている。
 高円宮さまのご尽力が日本のサッカーの発展に与えた影響は大きい。
 そして日本サッカーの発展に寄与した高円宮さまの役割は、決して忘れるべきではない。

 

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今も世界屈指の実力、アルゼンチン

2002/11/19(火)

 水曜日の夜、埼玉スタジアムで日本代表がアルゼンチンに対してどう戦うかが注目される。
 理論的には、日本代表はこれまで以上に堂々と、積極的にプレーすべきだということになる。
 なんと言っても、日本は6月のワールドカップでセカンド・ラウンドまで進出し、そしてまた今回もワールドカップの時と同じようなホームの大声援、大歓声のなかでプレーすることができる。さらに、母親の死去のためブラジルに帰国した代表監督、ジーコのためにも勝ちたいと、モチベーションはさらに高くなっているだろう。

 アルゼンチンはワールドカップではフランスと揃って敗れ去り、大波乱を巻き起こした。勝ったのは1−0のナイジェリア戦だけ、イングランドとの「大一番」に0−1で敗れ、ファースト・ラウンドで姿を消した。しかも、ワールドカップ以来初の試合となる今回は、準備もほとんどできていない。
 月曜日の夜、私は東京の西が丘サッカー場でアルゼンチンの公開練習を見た。グラウンドには、ゴールキーパー1人を含めて10人の選手しかおらず、トレーニングといえば、ジョッギング、ストレッチと、選手たちが小さな円を作ってボールを蹴りあうだけであった。
 そのうえ、パブロ・アイマールとファン・ロマン・リケルメがケガで欠場となれば、マルセロ・ビエルサ監督もチーム編成にはお手上げ状態であろう。

 結局、日本は攻めるのか、それともタレント揃いのアルゼンチン代表に用心してかかるのか?
 もし私が日本代表の監督なら(サッカー・ファンなら、誰だってこんなこと考えますよね?)、私は後者の方法を選ぶだろう。
 ワールドカップでは2ゴールしか奪えず敗退したとは言え、私はやはり、アルゼンチンは世界屈指の強豪チームだと思う。
 1994年のワールドカップでは、アルゼンチンは私にとってのベストチームであった。ディエゴ・マラドーナの薬物乱用問題がなければ、アルゼンチンが優勝していたかもしれない。
 98年大会では、セカンド・ラウンドでのイングランドとの激戦で疲れ切っていたアルゼンチンは、マルセイユでの準々決勝でデニス・ベルカンプに豪快なシュートを喫して敗れたが、あれはまさに不運であった。
 今年、アルゼンチンは見事な攻撃サッカーの片鱗を見せてくれた。しかし、バティステュータ、クレスポ、オルテガ、クラウディオ・ロペス、ベロン、アイマールら、豪華な攻撃陣が揃っていたにも関わらず、アルゼンチンはゴールを量産することがまったくできなかった。
 一方、失点もわずか2点−デビッド・ベッカムのペナルティー・キックとスウェーデンのアンドレス・スべンソンの見事なフリーキック−であり、ワールドカップの3試合をすべてケガで欠場していたキャプテン、リベロのロベルト・アジャラが復帰する今回は、ディフェンスはより一層強固になるだろう。

 ジーコの不在により山本昌邦コーチが指揮を執る日本代表は、今回は充分な組織力が必要であり、とりわけ福西崇史と中田浩二の守備的ミッドフィールダーがその中心とならなければならない。ただし、独特の存在感を誇り、チームのなだめ役にもなる、中田英寿、小野伸二、稲本潤一らがいないのは、選手たちにとってはキツいかもしれない。
 日本は負けを回避しようとするだろう。引き分けは日本にとっては上出来であるが、アルゼンチンにとっては満足できるものではないだろう。このあたりは、1年前に同じ場所で戦い、プライドを傷つけられることなくハッピーな気分で帰国したイタリア代表とは事情が違う。
 アルゼンチンは実力を誇示する必要がある。つまり、日本にとっては非常に難しい試合になるのである。

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高原は小野を追ってオランダへ行くべきだ

2002/11/18(月)

 日本のトップストライカー・高原直泰は、小野伸二を見習ってオランダへ行くべきだというアドバイスを受けたという。
 23歳のFWは今シーズン、ジュビロ磐田で24ゴールをあげ(11月10日・セカンドステージ第12節終了時点)、ファーストステージのMVPに選出された。
 彼の代理人が、この冬のイタリアもしくはイングランドへの移籍に向けて準備を始めているとの噂もある。
 しかし、彼のチームメートでオランダ人のアルノ・ヴァン・ズアムは、高原にとってはオランダへ移籍する方が良いのではないかと考えている。

「彼はまだ23歳だし、毎週プレーするべきだよ。ベンチに座っているべきじゃない。」セカンドステージで控えに回されてしまったGKはそう語った。
「僕には彼がイングランド向きとは思えない。もしイングランドに行けば、稲本のように1年間をベンチで無駄に過ごす事になるんじゃないかと思うんだ」
「さらにはポーツマスで全くプレーできない川口のように、日本代表の座まで失う事にもなりかねない」
ヴァン・ズアムは高原にオランダリーグに行くよう勧めたと言う。「オランダリーグでなら彼は毎週プレーできると思うし、それが一番良いと思うよ」
「小野を見てくれよ。彼はフェイエノールト移籍1年目でUEFAカップに優勝し、今じゃ彼を知らない人間なんていないじゃないか」
「高原も1年か2年オランダでプレーし、それからスペインかイタリアへ移籍すれば良い。それでも彼はまだ25歳だし、まだまだ長いキャリアが待っているさ」
「海外移籍のタイミングはまさに今だよ。ただし、今度は南米じゃなくヨーロッパへね。絶対に行くべきだと思うよ」

 アルゼンチンのボカ・ジュニアーズでの得点はわずか1、決して満足したプレーではなかった。さらにはエコノミー症候群による肺動脈血栓塞栓(そくせん)症でワールドカップ出場も棒に振った。
 しかし、今やそれらの逆境をはねのけ、Jリーグの得点王になりチームメートの藤田俊哉と並んでシーズンMVP争いをしている。

 一方エバートンでは、アジアからのプレーヤーを受け入れるに十分な準備が整っている。マーシーサイドにあるこのクラブには、MF李鉄(リ・ティエ)、DF李偉鋒(リ・ウェイフェン)、2人のワールドカップ中国代表メンバーが既に在籍している。
 ただ、エバートンには17歳のワンダーボーイ、ワイン・ローニー、カナダ人のトーマス・ラジンスキー、そしてケビン・キャンベルの3人のストライカーがいる。
 したがって高原が毎週プレーするのは難しいだろう。

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またも驚きのジーコ流

2002/11/14(木)

 ジーコが選んだ選手の顔ぶれと彼の手法には、本当に驚くばかりだ。
 月曜日の午後、私は東京で開かれたジーコの記者会見に出席していたのだが、全くわけが分からなくなってしまった。
 まず、ジャマイカ戦の前と同じように、11月20日のアルゼンチンとの親善試合の先発メンバーを発表したことに仰天した。
 代表チーム監督はたいてい、試合の当日まで先発メンバーの発表はしないものだ。
 それには、相手チームを疑心暗鬼にさせておくという意味合いもある。
 さらに、選手の気を引き締めるだけでなく、やる気と、自らがチームの一員であるという意識を保たせるという意味合いもある。
 ジーコが先発メンバーを発表してしまったあとでは、選手たちは練習、調整に熱が入らないようになるかもしれない。
 たとえば、坪井慶介、遠藤保仁という2人の前途有望な若手選手は、すでに自分たちが試合の先発メンバーからはずれることを知っている。
 このことは、練習に臨む2人の姿勢に影響しないのだろうか?
 もし自分たちがスタメンに入るかもしれないと思うと、調整にも、より一層やる気が出るというものだ。スタメンに入るチャンスがあると思って練習したときよりも、現在は動きに溌剌さが欠けるかもしれない。

 もちろん、ジーコがこんなに早く先発メンバーを発表してくれてメディアは大歓迎だろうが、それは監督がわざわざすべきことでもない。
 アルゼンチンの監督、マルセロ・ビエルサにとってもこの発表は大歓迎だろう。相手に合わせて先発メンバーを選べばいいからだ。
 アルゼンチンの選手たちのレベルの高さを見れば、ビエルサが攻撃的な布陣を組んでくるのはまず間違いないだろう。ビエルサのチームは脅威であり、埼玉スタジアムの試合でアルゼンチンを封じるためには、日本はモチベーションを高くし、戦術上の規律を強く保たなければならない。

 選手選考の面では、29歳の中西永輔の再招集は、典型的なフルバック・タイプの選手が不足している日本の現状を際立たせる結果となった。日本では、多くのチームが4−4−2より3−5−2の布陣を採用しているからだ。
 1998年ワールドカップ・フランス大会のアルゼンチン戦、岡田武史監督が採用した3バックで中央の井原正巳、左側の秋田豊と並んで右側を守った中西は、見事な働きを見せた。 中西がクラウディオ・ロペスをマークして、何も仕事をさせなかったのを今も憶えているが、あれは素晴らしい活躍ぶりであった。
 ジェフにおいては、中西は3バックのディフェンスのどの位置も守ることができる。しかし、繰り返すが、中西は3バックでプレーしているのであり、オーソドックスなフルバックの選手ではない。本来右利きである中西の、左サイドでのプレーを見るのは、興味深いものとなるだろう。

 さらに私は、ジーコがなぜ上野良治を招集したのかも理解できない。守備的ミッドフィールダーに福西崇史と中田浩二の2人を起用しようとしているのなら、なおさらである。
 上野をスタメンで使う気がないのなら、代表チームにいるだけでもさまざまな経験を積むことのできる、阿部勇樹のような若手を抜擢したほうが良かったのではないか、と私は思った。
 とはいえ、ジーコが守備的ミッドフィールダーを二人配するというのは好ましい兆候である。ジーコの代表監督デビュー戦では、この部分が弱くてジャマイカにつけ込まれていたからだ。
 日本代表のフォワードは強力に見えるが、ゴール前でチャンスを掴んだ時には思いきり良くプレーしなければならないだろう。
 気迫に満ちたアルゼンチンとの試合は日本代表にはとても厳しいものになるだろうが、ジーコにとっても監督としての技量が問われる厳しいテストの場となるだろう。

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危機に直面するサンフレッチェ

2002/11/10(日)

 Jリーグもあと4節を残し、サンフレッチェ広島はJ2落ちの深刻な危機を迎えている。
 コンサドーレ札幌は勝ち点10ですでにJ2降格が決定しているが、30試合中26試合を終えて、勝ち点19のサンフレッチェはヴィッセル神戸と柏レイソルに7点差をつけられ、ほぼ降格が決まったようなものだ。
 シーズン終了を控え、最大でも12点しか得ることができないなか、7点差を縮めるのはかなり難しい。
 したがって、今週の試合はサンフレッチェにとってリーグ残留をかけた最後の正念場だ。
 土曜日に彼らはホームで出場停止のプレイメーカー、アリソンを欠くヴィッセル神戸と戦う。そして翌日曜にはレイソルがジュビロ磐田と、やはり出場停止の明神智和、根引謙介、そして平山智規のトリオ抜きで戦わなければならない。
 サンフレッチェにとっては、Jリーグ発足以来守ってきたJ1の地位をかけ、これらの2チームとの差を縮める大きなチャンスである。

 サンフレッチェの危機はシーズンが始まる以前に始まっていたと私は思う。
 外国人選手の獲得にも出遅れ、結局チームの戦力となれたのはカメルーンの大型DFビロングのみだ。
 若いDFトゥーリオ・タナカも外国人選手として登録されているが、チームの骨組みを支えるには外国人選手の補強が十分ではなかった。
 ジュビロ磐田は、良い日本人選手が揃っていれば外国人選手の補強は必要がないという事を証明してみせたが、サンフレッチェは残念ながらジュビロにすべての面で劣っている。

 今シーズンのサンフレチェの選手補強面での失敗は、彼らにとって貴重な体験になるはずだ。
 サンフレッチェの降格を見るのは非常に寂しい。
 彼らはいつも技術面、戦術面で素晴らしいサッカーを見せてくれてきた。
 久保竜彦は今シーズン不調でわずか6ゴールしかあげていないが、それでもアグレッシブなセンターフォワードだ。私は今でも彼をワールドカップ代表に選ばなかったのはフィリップ・トルシエのミスだと思っている。
 私なら西沢明訓の代わりに違ったタイプの久保を選んでいただろう。 そしてきっと彼はトルコ戦で役に立った筈だと思う。
 クレバーで目を引くプレーでヨーロッパの注目を浴びた藤本主税も素晴らしいと思う。
 釜山アジア大会で負傷した青木剛に代わってチームキャプテンを引き継いだ若きMF森崎和幸やウィングバック、駒野友一もまたチームの一員である。

 サンフレッチェは今シーズン怪我に泣かされてきた。特にシーズンが始まったばかりでのDF上村健一の怪我が大きく響いた。しかし、怪我もまたサッカーというスポーツの一面であり、だからこそピッチでは強いチームと強いリーダーシップを持つことが重要なのだ。
 今週、チームスタッフの一人と話をした。彼はこれまでのシーズンは、チームが不調でも何とか選手たちがこらえてきたが、今回は徐々にJ2降格への不安が選手たちの間に広がってきていると話した。
 いまだかつてJ2への降格争いをサンフレッチェが戦うことになるとは誰も考えてこなかったが、突如として目の前に突きつけられたのだ。
 しかしそれが現実だ。
 すべては先シーズンが終わった時点で始まっていた。先にも述べたが、今シーズンを戦うための補強に出遅れたのだ。
 チームはまさにそれが原因で今苦しんでいるのだ。

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またも見せつけた、アントラーズのプロ精神

2002/11/07(木)

 試合前の話題は、カップ戦の決勝初登場の浦和レッズばかりに集中していた。
 しかし、ナビスコ・カップがロマンチックな結末を迎えるだろうと予想していた人は、当惑してしまったかもしれない。鹿島アントラーズが、チーム力の高さと冷酷なまでのプロ精神をまたも見せつけたからだ。
 中立の立場の観戦者ならレッズとその忠誠心に溢れたファンに対して同情したかもしれないが、あの決戦の日は鹿島のほうが明らかに上であった。

 アントラーズのブラジル人監督、トニーニョ・セレーゾは大きなリスクを覚悟の上で、直近の10月27日のコンサドーレ札幌とのリーグ戦に先発出場できなかった5人の選手を起用した。
 その5人とは、ライトバックの名良橋晃、ディフェンダーのファビアーノ、ミッドフィールダーの小笠原満男と本山雅志、そしてストライカーのエウレルである。
 試合前には、トニーニョは、まずチームの長所を可能な限り前面に押し出し、試合が進み、選手の疲労が顕著になると交代選手を送りだすという戦術をとるのだろうと思えた。
 だが、鹿島の先発メンバーは、本山がより守備的な内田潤と交代するまで、87分間持ちこたえた。さらに2分後には、エウレルに代えて長谷川祥之が送り込まれた。
 トニーニョの戦術は見事に機能し、経験豊かなアントラーズの選手たちは、爆発的な攻撃力を誇るレッズのコンビ、エメルソンとトゥットを封じ込めた。
 トゥットはできがあまり良くなく、秋田のミスによってもたらされた、浦和にとって願ってもない決定的チャンスを無駄にしてしまった。その一方で、鹿島はエメルソンのスピードに巧妙に対応した。
 追いつめられた浦和のオランダ人監督、ハンス・オフトは、78分過ぎにかつて鹿島に在籍していたディフェンダー・室井市衛をピッチに送りだし、パスを回すよりも空中戦で鹿島陣に攻撃を仕掛けることを決断した。
 これ以降、鹿島はリードを守りやすくなった。エメルソンにゴール前でボールが回らなくなったからだ。この時点では、エメルソンのスピードに疲労してきた鹿島ディフェンダーが苦労するようになっていたのである。

 鹿島が完ぺきなチーム・パフォーマンスを見せる。その典型は、中盤の中央での本田泰人と中田浩二のコンビネーションであった。
 本田と中田の二人はチームの動きを円滑に保ち、中盤でルーズボールを多く奪い、野心的なパスよりは主にイージーなパスを供給する。これには、ボールを長く保持しようという狙いがあるのだ。
 代表監督のジーコは、アルゼンチンを迎え撃つ11月20日の試合において、中盤の中央に相応しい選手は、チームにバランスとまとまりをもたらす中田浩二であるということをはっきりと理解しなければならない。
 小笠原は、試合の帰趨を決定する選手であることをまたも証明した。もっとも、この試合唯一のゴールとなった59分過ぎのシュートは、井原正巳の体にあたり大きく跳ね返ったものであった。
 小笠原は、クレバーで、意志が強く、自信に満ちた中盤のゲームメーカーであり、前の代表監督フィリップ・トルシエが高く評価した選手である。実際、トルシエはとても小笠原を好いており、来年、彼がヨーロッパのクラブを指揮するようになった時には、鹿島に対して小笠原と、そしておそらく中田の移籍を申し出ることが充分に予想される。
 二人の移籍は鹿島にとっては大きな損失であるが、このチームを見ていると、代わりの選手もすぐに見つかるかもしれないという気になる。

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「エメルソンが日本に与える困惑(9/16)」について

2002/11/05(火)

 私の記事は、「Daily Yomiuri」で読んだエメルソンのインタビュー記事をもとに書いています。
 また、その記事のライターとも詳細について話しもしました。もし、エメルソンが過去にブラジル代表でプレーしていたことが理由で、日本代表としてプレーする資格がないというのであれば、もちろん彼自身がそのことについて知っていたのではないでしょうか?
 私は、U−21まで代表でプレーしていた選手は、他国のためにプレーすることができないと解釈しています。エメルソンはU−21、もしくはユースでプレーしていたのでしょうか?しかし、もしユースチームでプレーしていたとしても、彼は日本代表でプレーする資格はあります。

 例えばライアン・ギグスのように。
 ライアン・ギグスは、ライアン・ウイルソンの名前でイングランド・スクールボーイズのためにプレーし、両親の離婚後、母方の姓をとってライアン・ギグスになったということを、皆さんはご存知ですか?彼は父親を責めるため母方の国籍を選び、イングランドではなくウェールズのためにプレーしたのです。

 私の論点は、以下のとおりです。
 アレックスのように、プレーヤー自身が信念を持って日本にきて、帰化する権利を得るのであれば、何の問題もありません。私が言いたかったことは、日本がブラジル選手を連れてきて、日本代表でプレーできるよう、すぐに彼等に市民権を与えるようになってしまうのは間違っているということです。そうした行いをすれば、日本はアイデンティティーを失うことになるのではないでしょうか。

 また、コンサドーレは本当にエメルソンを残留させたかった。このことは岡田武史・元監督が私に直接話してくれました。ただ、本当に素晴らしい活躍をみせたシーズンの後であったため、エメルソンの年棒の要求額もかなり大きく、コンサドーレは要求をのむことができなかったのです。
 私もエメルソンのバックグラウンドについては確認しなければなりません。しかし、日本代表としてプレーする資格があるかどうかを知っているのか、彼のコメントを読む限りでは、彼は明らかに自分には資格があると考えているように思えます。

 とにかく、こんなにたくさんの皆さんの意見を聞けたことが嬉しい!

 Best wishes, Jeremy Walker

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不安をつのらせるエスパルスの“エアーバロン”

2002/11/03(日)

 エスパルスの“空の男爵”は今シーズンのほとんどをサイドラインに取り残され、選手生活を清水以外に求めることを考えている。
 身長186cmのブラジル人センターフォワードはジェフ市原で2年、そしてエスパルスで2年の過去2シーズンにわたって空中戦の強さを証明してきた。
 しかしエスパルスのユーゴスラビア人監督、スドラヴコ・ゼムノヴィッチはバロンのヘディング力は清水のゲームプランには必要ないものと思っている。
 監督が望むのは、むしろ慎重で、ボール回しを多用するパッシング・ゲームである。バロンを中心に攻撃を組み立てるとなると、この長身のバロンをめがけてロングボールを上げることを他のプレーヤーに強いることになり、エスパルスのアイデンティティーを失うことになる。
 これがゼムノヴィッチの考えなのだが、バロンは当然これには納得していない。

 1999年以来、111試合で51得点を挙げてきた28歳のストライカーには、彼が攻撃の中心となれないことがまったく納得いかないのだ。
 事実、左に三都主アレサンドロ、そして右に安貞桓を配置すれば、スピード、技術そして空中戦の強さと、完璧なコンビネーションになると信じている。
「試合に出られないのは本当に辛いよ。これまでの僕の選手生活の中でこんなに長くベンチに座っているのは初めてだしね」今週の柏戦、0−1の敗戦でわずか5分の途中出場した後、彼はそう語った。
「できるだけ前向きに考えようと、これもまた良い経験なんだと思おうとはしているんだけど、なかなか難しいね」彼は正直な気持ちを語った。「僕の後ろに2人をおいた3トップが一番うまくいくと思うんだけどな」

バロンはこの先どうなるのか、最悪の場合を想定して準備を始めた。
「契約の話は11月末から始まるけれど、それまでは来季も契約するかどうか決まらないからね」
「現段階では僕はチームの一員だとは言えないよ。だからチームがどう考えているかわからないね。来シーズンは僕と契約しないかもしれないね」
 もしエスパルスがバロンの放出を決めても、バロンは遠くへ行く気はない。
「日本に残れれば良いなと思ってるよ」彼は言う。
 彼の得点力そして日本語とJリーグに対する知識に併せ、ヘディング能力と空中戦の強さは、オールドファッションとは言え、まだまだ役に立つのではないだろうか。

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残念なコンサドーレの降格

2002/10/31(木)

 日曜日、カシマ・サッカースタジアムで心動かされる経験をした。コンサドーレ札幌のJ2降格が決定した日だ。
 コンサドーレはとてもおもしろい試合を見せてくれ、小倉隆史のゴールで2度のリードを奪った。
 そのたびに鹿島アントラーズが挽回した。柳沢敦が巧妙なゴールを2つ決め、ゲームは2−2で延長戦に突入した。
 大方の予想に反して、コンサドーレはJ1残留をかけてなおも勇敢に戦っていた。
 しかし、102分、鹿島の若きレフトバック、石川竜也のゴールによりアントラーズが3−2で勝利し、ジュビロ磐田を追うための勝ち点2を獲得した。と同時に、J1での試合を4つ残してコンサドーレ札幌の降格が決定した。
 来シーズン、私はコンサドーレがいないのを、とりわけJのトップリーグにいないのを残念に思うだろう。
 理由は、Jリーグ最北の地でがんばっているというだけでなく、北海道のチームであることをアピールした結果、コンサドーレには素晴らしいファンがついているからである。
 特にアウエーの試合で、ゴール裏などのアウエー・チームのサポーター席を特徴的な赤と黒のチームカラーで占めている光景は、いつも鮮烈な印象を与えてくれる。

 日曜日の試合の後、寛大な精神をあまり示したことのなかったアントラーズ・ファンが、長く辛いシーズンを送ってきたビジター・チームの苦労を讚えて、なんと「コンサドーレ」というチーム名の連呼を行なった。
 コンサドーレのファンも、「鹿島アントラーズ」というコーラスでこれに応え、それから威勢よく、そしてふてぶてしく「ウイ・アー・札幌」(「ウー・アー・カントナ」の憶えやすい節)で自分たちのチームへの忠誠を誓った。
 素敵な時間だった。Jリーグに関わる外国人がJリーグを見ていると、古き良き時代に戻ったように感じることがよくあるが、それは敬愛の念、家族的雰囲気があり、敵対するチーム間でも暴力沙汰がないからである。
 Jリーグにはずっとこうであってほしい!

 今シーズン、コンサドーレには3人の監督が次々とやって来た。最初は柱谷哲二であったが、監督業の厳しい洗練を受ける羽目になった。
 不運なケガにも見舞われた。特に、機転が利き、知性溢れる山瀬功治の故障は大きかった。
 しかし、コンサドーレはこれまでにもJ2からJ1に復帰した経験があり、今回も戻って来ることは可能である。コンサドーレは1998年にJリーグに加盟し、J1でわずか1シーズンを過ごしただけで降格。1999年と2000年のシーズンをJ2で過ごし、2000年のシーズンにJ2優勝を果たした。
 昨シーズン、コンサドーレ札幌はJ1リーグで11位であった。この成績は、24ゴールをあげたブラジル人選手ウィルに負うところが大きく、今シーズンは同じような強力な戦力には恵まれず、結果を出すことができなかった。
 コンサドーレが—その熱狂的なファンとともに—早くJ1に戻ってくれることを願う。

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トヨタカップで新しく適用されるルール

2002/10/27(日)

 12月3日に横浜国際スタジアムで行われるトヨタカップ、レアル・マドリード対オリンピア(パラグアイ)戦が非常に楽しみである。
 まずはもちろん、ロナウド、ルイス・フィーゴ、ジダン、ラウル、ロベルト・カルロス といった素晴らしい5人のプレーヤーが見られることだ。
 しかしそれ以上に興味深いのは、今回のトヨタカップで初めて導入される、延長戦についての新しいフォーマットである。

 今週東京で行われた記者会見で、日本サッカー連盟は以下のように発表した。 1.15分間の延長戦前半終了後、より多くの得点をあげたチームを勝者とする。 2.延長戦前半で決着がつかなかった場合においては、15分間の延長戦後半を行う。 3.延長戦前半・後半を終了した時点で同点の場合は、PK戦を行って勝者を決める。
 延長戦前半で試合を終えるという新しいルールは、ヨーロッパのUFEAによって提案された。南アメリカのUEFAにあたる、CONMEBOLもこの提案に同意した。そこでトヨタカップの運営委はヨーロッパ以外で初めてこのルールーを適用した。

 この変更の背景には、ヨーロッパの国々が延長戦でのゴールデンゴールによるサドンデス方式を好まないという事情がある。
 ヨーロッパの監督たちはゴールデンゴール方式が、プレーヤーたちから同点に追いつき追い越そうという意欲を奪うアンフェアなルールだと考えているようだ。
 また彼らはこの方式は試合に乱雑・混乱を招きかねないと考えている。例えば、皆さんはユーロ2000大会の準決勝、フランス対ポルトガル戦を覚えておられるだろうか? 延長戦でフランスにPKが与えられ、ジダンがゴールを決め試合に決着がついたのだが、ポルトガル陣の怒りはおさまらなかった。(彼らが怒る理由はなかった。ポルトガルDFは明らかにゴールエリアでボールを止めようと手を出していた。明らかにPKである。)

 ヨーロッパ側は、昨季、グラスゴーで行われたチャンピオンズ・リーグ決勝戦のレアル・マドリード対バイエル・レバークーゼン戦で適用されるはずだったこのルールが妥当であると信じている。
 ゴールデンゴールではなく、リードされたチームには同点に追いつく機会が与えられる。但し、延長戦前後半30分ではなく、前半戦終了後どちらかがリードしている場合は、そこで試合が終了する。
 例えば、レアル・マドリードとオリンピアが90分を過ぎて1−1の同点だったとする。 レアル・マドリードが延長前半で得点し、オリンピアが追いつく、そしてレアルが再び得点をあげる。すべて延長前半に、である。その場合、延長前半終了のホイッスルが鳴るとともに、レアルが3−2で勝者となる。

 グッド・アイデアだと思われますか?  個人的には、ノック・アウト方式のカップ戦ではサドンデス方式の方が好きだ。(リーグ戦ではない)
 そもそも全てのチームには、試合に勝つための90分が与えられているのだ。
 延長戦で最初に得点をあげたチームが勝利を与えられるのは、当然のことではないだろうか?なぜ、他方に同点に追いつく機会を与えなければならないのだろう?
 90分を終了した時点で同点だった場合の試合の終え方については、色々と議論が重ねられてきた。そうした意味では、今回のトヨタカップの方式は一見の価値がある。
 ただ、レアル・マドリードが90分で勝てないというのは、それ以上の驚きだが…。

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フィリップ・トルシエ、充電中

2002/10/24(木)

 答えは、ノー。日本対ジャマイカは見なかった。
 次の答えも、ノー。少なくとも今後6か月間はクラブ・チームも、代表チームも指揮するつもりはない。
 フィリップ・トルシエは、ほんのしばらくの間であったとしても、自宅でひっそりと過ごす生活を気に入っているようだ。
「見なかった。見るつもりもなかったけどね」トルシエは、ジーコが初めて指揮をとった、先週水曜日の日本代表の試合について、こう語った。
「6か月の休息が必要だし、日本についても語りたくはない。日本について語ってくれという申し出は、すべて断ったよ。少なくともこの6か月間は、何もする気はないんだ」

 現在、トルシエの心中では、来月の初めにパリで予定されている手術が最も差し迫った用件となっている。
「右ヒザの手術を受けることに決めたんだ。リハビリテーションには、2か月かかるだろう」とトルシエは言う。
「20年前、選手だった頃からの古傷なんだけど、そろそろヒザもきれいさっぱりと治す時期がきたようだね。
「時々痛むけど、そんなにひどくはない。私も年なんだろうね」

 7月、日本代表をワールドカップのセカンド・ラウンドに導いた後、トルシエは日本を去った。
 それ以来、トルシエのもとにはクラブや各国協会からのオファーが殺到したが、次に指揮するチームについては結論を急ぎたくない、というのがトルシエの回答であった。
「先週のイプスウィッチ・タウンからのオファーを断ったのも、そんな理由からだし、中国、セネガル、チュニジア、モロッコ、イラン、サウジアラビアからのオファーも同じ理由だった」と47歳のフランス人は語った。
「サンダーランドやスタンダール・リエージュからも打診があったし、3日前にはクロアチア代表チームから話があったよ。
「中国には興味がなかった。4年前日本でやったのと同じようなことに取り組むことになるからね。即断を求められたので、休息が必要だ、と答えたよ。
「自分を檻の中のライオンみたいに感じたりする。女房が調教師でね。まあ今は、3本足のライオンだけどさ」
「6か月経てば、体調も万全になって、誰とでも戦えるようになるよ」とジョークも出た。

 日本再訪は1月上旬に予定されている。前の雇い主である日本サッカー協会の招きにより講演を行う予定だ。
 日本について語るのは休養のあと、と言っていたにも関わらず、トルシエは浦和レッズがJ1の首位にいることを知っており、鹿島アントラーズの若手ミッドフィールダーで、ワールドカップでは人気者の中村俊輔を犠牲にしてまで代表入りさせた、小笠原満男の調子について知りたがった。
「浦和レッズには驚いていない。素晴らしい攻撃力のあるチームだからね」とトルシエは語る。
「首位の座が入れ替わるのはいいことだ」
 注目すべき選手の一人として、トルシエは浦和レッズのストライカー、永井雄一郎の名を挙げた。
「彼は、1999年にナイジェリアで戦った私のユース・チームでも指折りの素晴らしい選手で、準決勝のウルグアイ戦では見事なゴールを決めたんだ。私は、彼を代表候補の40人にも選んだ。彼は代表チームでもとても特別な選手になれると思ったからね。
「小笠原も考え方のしっかりした、とても良い選手だね。とても将来性のある選手だね」
 トルシエが語っていた場所はパリの自宅であったが、今後はモロッコのラバトでリハビリ期間を過ごすそうだ。

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必要なのは、時間だけだろうか?

2002/10/20(日)

 ジャマイカと1−1で引き分けた、ジーコの代表監督デビュー戦には2通りの見方がある。
 1つは、フィールドに4人の黄金の男たち—中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一—を配した勇気を讚えるもの。
 4人は才能豊かな選手であり、ジーコは彼らを一度にフィールドに送り出した場合どうなるかを見ようとした。彼は、パターンを作りだすのは選手の責任だとし、選手たちの能力と経験を信じた。
 それは早い話、実験であり、負けて失うものはなかった。

 日本代表のパフォーマンスに対するもう1つの見方は、無茶苦茶であり、リズム、繋がり、戦略に欠けるというものであった。
 ジーコが中盤の4人に出した次のような指示をフィリップ・トルシエが聞いたなら、仰天したことだろう。「臨機応変に。試合中もお互いにポジション・チェンジをするように」
 これはジーコのやり方であり、トルシエのやり方とは違う。フランス人監督が作り上げたのは、強固で、機械のように統制のとれたチームであった。部品を1つ交換しても、エンジンは滑らかな回転を続けるというわけだ。
 トルシエのもとではチームワークが最優先事項であり、チーム内での自分の責任を理解した選手だけが、個人の才能を発揮する自由を与えられるのであった。こうした事情により、トルシエが中田英寿を理解するまでには長い時間が必要だった。中田は個人プレーが多すぎる、とトルシエが感じていたからである。
 (個人的には、私は中田にはこのような感情は抱いてはいない。中田のレベルが他の選手よりはるかに高いことが最大の問題であり、他の選手は中田の動きやパスを読めないのだ、と私はつねづね思っていた。)

 日本にとっては素晴らしい船出というわけではなかった。ジーコは新たな戦術の準備期間を充分には設けてはいなかったし、名良橋晃や秋田豊など、代表チームに数年間参加していなかった選手もいた。
 ジーコの監督就任で私が絶えず憂慮しているのは、監督としての経験がないことである。
 ジーコは有名人かもしれないし、ブラジル代表の偉大な選手かもしれない。あるいはトルシエよりメディア受けするかもしれない。しかし、これだけで彼が名監督だと言えるだろうか?
 もちろん、トルシエがそうであったように、ジーコにも時間が必要である。ただし、フランス・ワールドカップ後にチームを再建しようとしていたトルシエとは事情が違う。ジーコにはチームを再建する必要はない。ジーコは、才能も経験も豊かな代表チームを引き継いだのである。
 ジーコは、自分にはチームを上のレベルにまで引き上げる能力があることを証明しなければならない。ジャマイカ戦では素晴らしいと思う選手を送り出しただけであり、プランや戦術が欠如していたことについては、彼も対策を練ってくるだろう。
 11月20日のアルゼンチン戦が次のテストの場であり、ジーコがこの試合で進歩を見せなければ、おそらく彼には助けが必要なのである。
 結局、鹿島アントラーズではジーコはいつもテクニカル・ディレクターであり、毎日選手と実際に向き合うのではなく、首脳陣や監督を監督するのが役目であった。 監督デビュー戦については、実験でもあったのでそれほど悲観的にはなりたくないのだが、最高の選手が最高のチームを作るわけではないというトルシエの哲学を、私は強く支持したい。
 バランス、規律、戦術は必要なのである。

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「ニュー・ゴン」、鮮烈デビュー

2002/10/17(木)

 中国代表の監督である瀋祥福(Shen Xiangfu)は、日本は「新たな中山」の力でアテネ・オリンピックに出場できるだろう、と考えている。
 これまでの10年は、ジュビロ磐田の「ゴン」中山(雅史)こそが日本代表の柱であったし、彼は2回のワールドカップを経験した。
 しかし瀋は、U−23の大会であるアジア大会で、日本は同じ名字の、そして同じくらい強力なストライカーをもう一人見出したと感じている。中山悟志である。
 現在20歳のガンバ大阪のフォワードは、アジア大会で計5ゴールを決め、U−21代表チームの銀メダル獲得に貢献した。
 グループDでの日本の初戦、パレスチナ戦でこそゴールはなかったものの、それ以降のバーレーン、ウズベキスタン、中国、タイ、イラン戦で中山は5試合連続ゴールを記録した。
 マサン市で行われた準々決勝の中国戦で、3人の強力なアタック陣をリードした中山のゴールとパフォーマンスは、瀋に深い印象を残した。

「日本のチームワークと組織力は素晴らしい」と瀋は語った。
「個々の選手のテクニックまで考えると、日本はとてもやりにくい相手」
 個々の選手をどうこう論じるのは難しい、と瀋は言う。
「日本チームは、ほとんど全員が同じレベルにあります。しかし、格段に印象深かった選手を1人だけ選ばねばならないとしたら、それは背番号19の選手、中山ですね。
「彼は前線を縦横に駆け回り、最後まで足を止めなかった。彼は中国戦で我々を破る見事なゴールを決めましたが、あれは本当に素晴らしいフィニッシュでした」

 準々決勝では、8月に上海で日本を1−0で破った中国が有利とみられていた。両国とも、来年行われる2004年アテネ・オリンピックのアジア予選に備えて、プサンにはU−21チームを送り込んでいた。
 両チームの差はほとんどなく、マサンでは日本が1−0勝ったが、逆に中国が1−0で勝っていても不思議ではなかった、と瀋は述べた。
「1人の監督がいくら頑張っても、1つのチームが1ヶ月でそんなに成長するわけはない。それは不可能です」とも瀋は語った。
「違いは、シュートの質にありました。
「中国は17本のシュートを打ったけれど、1点もとれなかった。一方、日本は試合を通じてたった5本しかシュートを打たなかったけれど、中山がゴールを決めました。我々が質の良いシュートを打っていたならば、結果は逆になっていたでしょう」
 瀋は1988年から1995年までの8年間、現在の川崎フロンターレの前身である富士通クラブで選手・コーチとして過ごした。
「当時、我々はパートタイムの選手で、プロではありませんでした。あれ以来、日本選手のレベルははるかに向上しました」と瀋は言う。
「中国、そして日本にも、アテネ・オリンピックの出場権を獲得して欲しいと思っていますが、おそらく大丈夫でしょう」

 火曜日、プサンからの帰路で私は、キメ空港でテヘランへのフライトを待つイランチームに出くわした。
 イランの選手たちに印象に残る選手を尋ねると、ここでも中山の名が挙がった。そしてさらに、中盤の中央でとても成熟したプレーを見せた、キャプテンの森崎和幸の名前も挙がった。
 しかし、彼らによれば、韓国の方が日本より上だったそうだ。
 ただし、このことは日本にとっては関係のないことだし、気にする必要もない。日本は銀メダルを持ち帰ったのだし、韓国は銅だったのだから。

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天性のリーダー、阿部

2002/10/13(日)

 日本の若きライオンたちは、目に見えて成長している。チームはアジア大会を勝ち抜き、ついに日曜日の決勝まで進出した。
 なかでも、阿部勇樹の成長ぶりが目を引く。
 ジェフ市原所属の21歳の選手は、稲本潤一と似たようなプレー・スタイルで、Jリーグでは中央のミッドフィールダーとして注目を集めていた。
 しかしここプサンで阿部は、キャプテンでリベロの青木剛の代役を務めている。先週の土曜日、激しい戦いの末ウズベキスタンを1−0で破った試合で青木が負傷したからだ。

 準々決勝の中国戦(1−0)、準決勝のタイ戦(3−0)で、日本はただ1つのゴールも許さなかった。
 これは、優れたチーム・ディフェンスに負うものである。日本チームのディフェンスは、フォワードが相手ディフェンダーにプレッシャーを与え、ミッドフィールダーがボールを奪いやすくすることから始まる。ボールを奪う役割に特に秀でていたのが鈴木啓太で、タイ戦での試合を決定づけた見事なゴールはまさにこのようなディフェンスから生まれたものであった。
 ただし、鈴木はリーダーではない。少なくとも、今のところは。

 しかし、バックラインでは、瞬く間に阿部が自然とチームを鼓舞するリーダーとなった。
 タイ戦で、阿部は日本のベスト・プレーヤーであった。集中力を保ち続け、試合の序盤ではチームメートの何気ないプレーにも指示を与えていた。
 中盤で三田光がボールを奪われた時も、阿部は見事なタイミングのタックルでカバーし、窮地を救った。
 後半もタイが攻勢を続けたが、阿部は空中戦でも強いところを見せつけ、ペナルティーエリア内外の重要な位置での競り合いにも多くの勝利をおさめた。

 ウズベキスタン戦の後、私はアジア・サッカー連盟の技術委員会の一員である、カ・コクミン氏と話す機会を得た。氏は、元香港代表監督であり、コーチのサークルで高く尊敬されている人物である。
 カ・コクミン氏は日本チームの技術と組織力を評価したが、日本にはピッチでのリーダーがおらず、大会が進むにつれ重大な問題になるかもしれないと述べた。
 実際、タイ戦において、タイの選手たちが絶えずお互いを鼓舞しあっていたのに対して、日本の選手は長い間声が出ないことがあった。
 ウルサン・ムンス・サッカー競技場はほとんどガラガラだったので、フィールドの声も良く聞こえる。
 日本の側に立ってみると、声が聞こえることはあまり多くはなかった。声のほとんどは、タイの選手たちが発したものであった。

 フィリップ・トルシエは、チーム内での会話とコミュニケーションの欠如についていつも語っていた。練習中に雰囲気が暗くなると、怒鳴り合ったり、話し合ったりするように、しょっちゅう選手たちを鼓舞していたものだ。
 コミュニケーションはサッカーでは重要な要素であり、この点に関しては日本チームの若者たちにはまだまだ学習すべきことがある。
 ただし、リーダーになれる人物としては、阿部がいる。ディフェンス中央での阿部の存在感は、何ものにも換えがたいものであった。

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タレントは揃ったが・・・

2002/10/10(木)

 ジーコの代表チームが月曜日に東京で初めて発表されたが、少なくともある一点については予想通りだった。それは、「スター選手」の人数だ。
 前任者のフィリップ・トルシエはスターのいないチームを好んだ。彼が好んだのは、プロフェッショナルかつビジネスライクな方法で自分の仕事を果たそうとする選手による、機能的なチームである。
 ジーコの哲学は、まったくその逆である。ジーコがやろうとしているのは、まず最高の選手を選んで、それからチーム作りを始めようというものだ。

 トルシエの考え方は、自分のシステムに適応できる選手を選ぶというものであり、最高の選手が最高のチームを作るとは限らないというものであった。
 この考え方ゆえに、中村俊輔はワールドカップに出場できなかったのである。
 トルシエは、小野伸二、服部年宏、アレックスらが激しく競う中盤の左サイドの位置でも、あるいは中田英寿、森島寛晃、小笠原満男がポジション争いでリードしている攻撃的ミッドフィルダーの役割でも、中村の入り込む余地はないと考えた。
 それゆえ、中村俊輔がファンからも、メディアやスポンサーからも絶大な人気を博していたのにもかかわらず、トルシエは自身の哲学を貫き、中村を選ばなかったのだ。
 トルシエが終始こだわり続けた二人の選手、戸田和幸と明神智和をジーコが外したのも、二人の思考プロセスの違いを示すものである。

 かつてトルシエは、完ぺきなチームとは明神が8人いるチームだと語ったことがある。つまり、しゃれたプレーやスター気取りもなしに、ひたすら自分の仕事を果たそうとする明神のような選手が8人いて、残りの3人がチームの個性、成績を決定するというわけだ。
 8人どころか、ジーコは1人の明神も入れずにチームを作ろうとしている。
 名波浩の招集も予想できたことであった。ただし、ジーコといえども名波、中村、アレックス、小野の全員を同じチームで一度に使うことはできない。
 もちろん、ジーコの選考はファンやメディアをハッピーにしたし、スター選手の起用を好む、日本サッカー協会の会長、川淵三郎氏をもハッピーにした。
 しかし、チームのバランスは大丈夫なのだろうか?
 素晴らしい才能に恵まれた選手たちとはいえ、全員を同時にプレーさせることは不可能である。とすれば、ジーコは、メンバーを最大限に活用するだけの戦術的知識を持っているのだろうか?
 ピッチ上で自我の強い選手が多くなりすぎて、相互に競い合うかわりに、目立つことだけを考えてプレーしてしまうことにはならないのだろうか?

 波戸康広がまたも選に漏れたのは残念だが、名良橋晃が招集されたのは嬉しいことだ。
 ここ6年かそれ以上、名良橋は日本最高の右ライトバックであった。トルシエが5人の中盤の右サイドになぜ名良橋を選ばなかったのか、私には不可解であった。
 たしかに、タックルする時や攻め上がるがどうかの決断を下す時に自制心を失うことはあるが、名良橋は激しく、積極的で、そしてプライドと勇気を持ってプレーをしている。
 魅力的なプレーヤーは用意された。
 しかし、勝つためのシステムはどうだろう?

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サッカーが他のスポーツから学ぶべき事

2002/10/06(日)

 サッカーは実に素晴らしいスポーツである。しかしこれはサッカーが完璧であるという事ではない。
 むしろサッカーは完璧からほど遠い。
 私はサッカーには他のスポーツからまだまだ学ぶべき点があると思っていた。そして、ここ釜山でアジア大会の試合を見て、その思いをますます強くした。

 その日は、男子ホッケーの日本対インド戦を観戦した。
 チーム構成と戦術面において、ホッケーはサッカーと非常によく似ている。1チーム11人のプレーヤーで闘う事、ゴールキーパー、リベロの存在、そしてマンツーマンのマーク、中盤のゲームメーカーとエースストライカーの存在等である。
 また、ディフェンダー、ミッドフィールダー、そしてオフェンスに分かれているため、サッカーファンにとって観戦していて非常にわかりやすいのだ。

 私がホッケーについて特に感心したのは、選手交代の仕方だ。
 皆さんがどう考えておられるかは分からないが、私はサッカー観戦の際、特にゲーム終了間際の選手交代にイライラする事がある。
 1−0で勝っているチームが、あるいはなんとか引き分けのまま試合を終わらせようとするチームが、残り数分という場面で選手を交代し、またロスタイム残りわずかの場面でさらに選手を交代するといった場面をこれまで何度見させられた事だろう。
 もちろんこれらはルール違反ではないが、ファーサイドにいる選手をベンチへ引き上げさせ、またその選手もベンチまでゆっくり歩き、そしてベンチ前で他の選手と握手を繰り返す。そんな事のために、試合は30秒以上も中断されてしまうのだ。
 なぜこんな三文芝居のためにスタジアム中が待たねばならないのだ。

 それならば、サッカーはホッケーから学べば良いのではないだろうか。
 ホッケーの試合において、選手交代の時は代わるべき選手の背番号を書いたボードを持ちハーフラインへ向かう。
 ボードに書かれた背番号の選手はサイドラインへ走り、そのボードを受け取ってベンチへ走って帰るのだ。
 その間、ゲームが止まる事はない。
 ピッチ上には11人の選手しか入れない。その為に交代して下がる選手は速やかにピッチを去らねばならない。
 このシステムは非常に上手く機能しており、サッカーの試合でも試してみると良いのではと私は思う。きっと無用で反則スレスレの時間稼ぎは減り、試合終了まで熱戦を楽しむことができるはずだと思う。

 もう一つ、サッカーが見習うべきスポーツはラグビーだ。ラグビーには7人制と15人制がある。
 ラグビーは激しく、またスピードもあり選手が負傷する事も多い。
 ラグビーの場合、選手が負傷して治療が必要な時には、たとえプレーが続いていても、チームドクターがピッチ内に入る事が許されている。
 まったく怪我などしていないのに、怪我をしているように装って審判を欺き、プレーを止めるといった行為をやめさせるためには、これをサッカーに取り入れてみると有効であろう。
 サッカーが世界中でも最も素晴らしいスポーツの一つであることは間違いない。
 ただし、問題点がないわけではないのだ。

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パレスチナ戦の辛さ

2002/10/03(木)

 もちろん、パレスチナから来たサッカーの代表は気の毒だと思う。
 先週の土曜日、アジア大会での日本戦で、パレスチナのメンバー表には最終的に16人の選手しか登録されていなかった。
 日本は最大限の20人を登録していた。
 4人が欠けていたわけだが、その4人は騒乱の故郷でイスラエルの検問所を通過することを許されなかったのである。
 韓国までたどり着いた16人の選手のうち、プロの選手はヨルダンのリーグでプレーしている1人だけ。
 残りの選手の9割以上は外出禁止令下のヨルダン川西岸で暮らしており、大会に参加している他のチームのようなトレーニングはできなかった。

 日本がパレスチナを2−0で破った後、我々が話を聞いた選手の1人は、イスラエル軍のブルドーザーに実家を解体されたそうだ。
 解体の前、イスラエル軍は彼と16人の家族に20分以内に身の回りの持ち物をまとめて立ち去るよう命じたという。
 このようなことが日本戦の背景にあり、電車がほんの数分遅れただけで不満をもらす日本の我々に、このような人生もあるのだということを示した。
 しかし日本戦でのパレスチナ代表チームには、がっかりした気持ちしか抱けなかった。
 試合開始から、パレスチナの目的は1つしかなかった。それは0−0で引き分けて勝ち点を得ること、である。

 ストライカーは1人しか配していなかった。このこと自体はさほど珍しいことではないが、日本とまともにサッカーをしようとしないパレスチナの姿は、見ていて楽しいものではなかった。
 ゴールキーパーは事あるごとにグラウンドに倒れ込んで負傷したふりをし、ゴールキーパーの同僚たちから圧力を受けた韓国の気弱なレフリーは、救急チームを呼ぶ以外になす術がなかった。
 これは西アジアのチームに共通の戦術である。攻め込まれるとゴールキーパーが倒れ、そのまま立ち上がらない。ペナルティー・ボックスの真ん中でキーパーが倒れたままで、どうしてプレーを続行できよう?
 キーパーはできる限り時間を稼ぎ、日本のフォワードがハーフライン付近まで下がり、キーパーがボールをキックするのを待っていると、ボールを足元に置いてただ立っているだけ。最後には、日本の選手がキーパーのところまで駆け寄り、なんとかボールを拾わせ、ゲームを進行させた。
 日本選手とちょっとした接触があるたびに、フィールドのあちこちでパレスチナの選手がさも苦しそうにのたうち回る。それはまさに試合を台無しにする行為であり、アジア大会の精神を冒涜するものであった。

 結局日本は、田中達也と根本裕一が後半にゴールを上げ、見事に勝利した。
 パレスチナ選手の振る舞いにかかわらず、いかにもそれが大切であるかのように日本選手は規律と集中力を保ち続けた。
 ・・・しかし、その苦労も67分の田中の先制ゴールまでで充分だった。
 不思議なことに、このあとにナンセンスが終わった。パレスチナは攻めて、同点にしなければならなかったのだ。
 国際試合の皮肉な世界を経験したのは、日本の若者たちには良い勉強となっただろう。
 しかし、見ていて辛い試合であった。

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チーム力を強調する鈴木

2002/09/30(月)

 釜山で行われているアジア大会の日本U−21代表は、4年前のタイでの大会の時のようにスター選手がいるわけではないが、とてもバランスのとれたチームである。
 浦和レッズの未来のスターであり、土曜日にパレスチナと対戦した日本代表の中盤を預かる鈴木啓太はそう語った。

「確かにチームにはスターと呼べる選手はいません」鈴木は認める。
「だけど我々は強いチームですよ。皆よく動くし、一緒に考えるし、これはこのチームの優れたところだと思います」
 グループDの日本代表はパレスチナ戦を皮切りに、火曜日にはバーレーン、そして来週土曜日にはウズベキスタンと対戦する。
 準決勝へは、6つの各グループの勝者及び各グループ2位のうち上位2チームが進出する。

 今回のアジア大会で、アジアサッカー連盟は初めて、オリンピックのようにU−23以外に3人のオーバーエイジプレーヤーの参加を認めた。
 しかし、今回の日本代表はプレーヤー全員が21才以下という不利を背負っている。代表監督、山本昌邦は2004年アテネオリンピックの出場権を得る事を考えたチーム編成をした。すなわち、今アジア大会の顔ぶれはそのまま新しいジーコの日本代表のスタートラインということになる。

 土曜の午後に梁山で行われた試合で、ヨルダンに代わって急遽参戦したパレスチナを破る事は日本にとっては難しい事ではないが、火曜日の夕方に蔚山で行われる対バーレーン戦はタフなものになるだろう。
 そして来週土曜日に馬山で行われる日本の第3試合、元ソビエト連邦の一員、対ウズベキスタン戦もまたハードなものになると思われる。1994年に広島で開催されたアジア大会で、ウズベキスタンはビッグアーチで行われた決勝で中国を4−2で下し見事金メダルを獲得している。

 Jリーグで経験を積んだ選手が数多くおり、山本監督は、特に中盤の選手には困らないはずだ。
 ハンス・オフト監督の指揮下、浦和レッズで成長を遂げた鈴木、そして16才にしてJリーグ入りし、今やジェフ市原のレギュラーに定着した阿部勇樹。
 森崎和幸はサンフレッチェ広島の中盤を指揮し、横浜F・マリノスから移籍した石川直宏はFC東京の中盤右サイドで素晴らしい働きをしている。石川のチームメイトである茂庭照幸もいる。
 さらに2人の人材を挙げるとすると、東京ヴェルディ1969の右バック、田中隼磨とセレッソ大阪のフォワード、大久保嘉人であろう。
 長崎の国見高校時代からずば抜けていた大久保は、今シーズンJ2とは言え素晴らしい得点力を見せている。

 今大会ではあまり有力視されるチームでない上に、また4年前のバンコクでのアジア大会での小野伸二のようなスターもいないが、あらゆる面で目を見張るべき質の高さがこのチームにはある。
 スター不在のチーム?
 それこそ前代表監督、フィリップ・トルシエが聞けばほくそ笑むに違いない。

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降格ではなく、優勝

2002/09/26(木)

 Jリーグの2ステージ制には、それはないだろうと思うことや、訳のわからないことがたくさんある。
 セカンド・ステージ第5節が終わり、柏レイソルはそんなおかしな状況の真っただ中にいる。
 レイソルは他のチームと違って、優勝を目指す戦いと同時に、降格から逃れるための戦いをしているのである。
 奇妙な話ではないだろうか。
 しかし、これこそが2ステージ制の産物であり、私はこのような制度は一刻も早く廃止されるべきだと感じている。この制度は、リーグでの延長戦と同じように、世界のサッカーの潮流からはずれたものであるからだ。

 土曜日、柏の葉公園総合競技場で鹿島アントラーズを1−0で破ったあと、レイソルのブラジル人監督、マルコ・アウレリオは、降格については考えてもいない、と述べた。
 アウレリオの視線は下ではなく、上を向いている。「チームがセカンド・ステージ優勝を目指してチャレンジするのを見たい」というのが彼の言葉だ。
 アウレリオのこの発言の前、レイソルは久々に勝利したのだが、この勝利は4月20日以来なんと12試合ぶりであった!
 しかし2ステージ制であるため、アウレリオのコメントは表面上はさほど奇妙には聞こえなかった。
 レイソルはファースト・ステージ14位に終わり、勝ち点は最大45点のところ11点。これは最下位のコンサドーレ札幌の勝ち点を5、15位のサンフレッチェ広島を1だけ上回るものであった。
 セカンド・ステージ、レイソルの勝ち点は3つの引き分けと鹿島戦での勝利により、現時点で6。
 ジュビロ磐田との勝ち点差は6となった。残り10試合、勝ち点に換算するとまだ30点が残されているため、数字上は、柏レイソルにも優勝のチャンスがもちろんある。

「1つ勝ちさえすればチームのツキは変わる」とマルコ・アウレリオは言っていたが、とにかく彼のチームは1つ勝ったわけだ。
 しかし、サンフレッチェ広島やヴィッセル神戸といった他の下位チームも最近勝ち点を挙げているため、リーグ残留が今後の柏にとっての大命題となることも確かである。
 実際、新監督は懸案であったチームの大改造にも着手した。
 土曜日、アウレリオは19歳のリベロ、永田充に2度目の、同じく19歳のフォワード、宇野沢祐次には4度目のリーグ戦出場機会を与えた。
 2人のうちでは、宇野沢の方が印象的だった。空中戦に強く、積極的な動きを見せ、ワールドカップ優勝のブラジル・メンバー、エジウソンとのコンビは脅威であった。
 53分のリカルジーニョの決勝ゴールは、宇野沢の自信に満ちた動きとタイミングの良いパスから生まれたものであった。

 一方の永田は緊張していたようで、危険な位置で不注意なパスを出してボールを失うことが2度ほどあった。後半、ディフェンスの後方に出されたロングボールの処理をミスした時には、幸運にも柳沢がしくじってくれた。危険な場面ではあったが、柳沢のシュートはクロスバーの上を過ぎた。
 鹿島戦での勝利により、長らく苦しんできたサポーターも心穏やかに残りのシーズンを迎えることができるだろうが、優勝より降格の可能性が高いというのも柏の現実である。
 柏には、降格するとは思えないほど良い選手がたくさんいるが、シーズンが期待外れになった時には、柏の誰もが中位の平凡な成績にもほっと胸をなで下ろすことになるのだろう。

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安貞桓の来日はJリーグにとって大きなプラス

2002/09/23(月)

 清水エスパルスは韓国のワールドカップスター、安貞桓との契約にこぎつけた。
 26才のFW安は先週火曜日に来日し、水曜日の朝にはホテルでの記者会見でメディアにお披露目された。
 その後彼はすぐ清水に向かい、水曜夕方のジュビロ磐田との静岡ダービーにおいてファンに紹介された。

 0−2でその試合に敗れたエスパルス。フォワードラインへのスピードとエネルギーの注入が必要である事は明らかだ。
 安はチームにそれらだけでなく、もっと多くのものを与えるだろう。
 その端正な顔立ちと流れるような長髪で、日本でも多くの女性ファンを獲得した彼の移籍によって、エスパルスも多くの観客をスタジアムに呼ぶことができるようになるはずだ。
 そしてこれはエスパルスにとって良い事というだけでなく、Jリーグにとってもワールドカップで火のついたサッカー熱を保つ事ができるという面で良い結果になるに違いない。

 安はスピードもあり、空中戦にも強い。それは対アメリカ戦や、あのパオロ・マルディーニの更に上から決めたセカンド・ラウンドの対イタリア戦でのゴールデンゴールがそれを証明している。
 良くも悪くもないファーストステージを経て、そして出だしから躓いてまだまだ落ち込みそうなセカンドステージをスタートさせたエスパルス。しかし、そのエスパルスのシーズンを、安なら今からでもガラっと変えることができるだろう。

 エスパルスはトーナメントには強いがリーグ戦には弱いという、喩えて言うならイングランドのトットナム・ホットスパーのようなチームであると評される。
 ある時は相手がどこであろうと勝つが、その力をシーズンを通してコンスタントに保つ事ができない。
 しかしそれは、安とエスパルスにはまだ3本のトロフィー獲得のチャンスがあるという事でもある。
 10月2日にアウェーで鹿島アントラーズと準決勝を戦うナビスコ杯、そして9日に第1試合を行なうAFCチャンピオンズリーグ、さらには年末の天皇杯の3つである。

 1年の契約を結んだ安だが、「さて実際日本にはいつまでいるのだろう」というのが大方の日本人の思うところだろう。
 結局、来年1月に再びヨーロッパへの移籍が取りざたされるようになった時に、エスパルスが移籍金を得る事ができるように1年契約を結んだというのがウラの話というところであろう。
 もし今年末までの4ヶ月契約であれば、彼はフリーエージェントとなりエスパルスは安のために支払ったお金さえ回収できないという事態になる。
 安は今、エスパルスの事しか考えていないと言う。
 ならば我々ファンも、できるだけエキサイティングなこの才能を楽しもうではないか。

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ジーコの抜擢は、田中?

2002/09/19(木)

 日本代表の新監督、ジーコが示唆したところによれば、10月16日の日本代表対ジャマイカ戦では、一人か二人、意外な選手の抜擢があるかもしれない。
 ジーコの親友であり、東京ヴェルディの監督であるロリ・パウロ・サンドリは、その「意外な選手」の一人はわかっているつもりだ。
 彼が指揮するチームの若きライトバック、田中隼磨である。
 長野県出身の田中は、今シーズン初めに横浜F・マリノスからレンタル移籍でヴェルディに入団した。
 サンドリは、ワールドカップ前の親善試合でマリノスがナイジェリアと対戦した時、田中のプレーを見た。そして、ヴェルディは迅速な行動で田中を獲得した。
 それ以降、田中はチームの若返りを図ったヴェルディで独自の地位を築き上げ、間近に迫った韓国・プサンでのアジア大会に出場する、U−21日本代表メンバーにも選ばれた。

「そうですね。ヴェルディからジーコのチームに入る選手がいるでしょうね」とサンドリ。田中の名を挙げる前に、ミッドフィルダーの山田卓也やゴールキーパーの高木義成も可能性があると述べた。
 しかし、サンドリによれば、一番可能性が高いのは田中だそうだ。
「彼は、これまでチームのためにとても良い仕事をしてくれています。実際私は、現時点では田中は日本最高のライトバックだと思っています。」
「田中はヴェルディでプレーを続けることを望んでいますし、ヴェルディも移籍金を支払い、彼を完全移籍させることができるのではないでしょうか。まだ若い選手ですから、それほど高くはつかないでしょう」
 7月でやっと20歳になったばかりの田中は、横浜フリューゲルスのユースチームで経験を積み、チーム合併後はF・マリノスの所属となった。
 Jリーグ・デビューは2001年3月。出場歴は、今シーズンの11試合を含めて27試合。

 日曜日、鹿島アントラーズとのスリリングな試合で田中は柳沢敦を倒したことにより退場処分を受けたが、その件に関してサンドリは田中を批判したりはしなかった。
「彼(レフリーの上川徹氏)が田中のプレーの何がレッドカードにあたると判断したのか、私にはわかりません。柳沢がしたのは演技であり、シミュレーションだと思うからです。田中はボールに行っていましたよ」ゲーム後にサンドリはそう語った。
 田中は、ドレッシング・ルームに向かう途中でシャツを脱ぎ、水の入ったボトルを蹴飛ばして判定への不満をあらわにした。
 このような経験はその時は辛いものだが、田中の将来の糧となるものである。おそらくジーコは、10月7日の代表監督としての初戦に田中を選ぶだろう。
 ジーコはシステムを3−5−2から4−4−2に変更するようだが、新しいシステムでは、攻撃指向の強いウイングバックより、オーバーラップのできるオーソドックスなフルバックが必要となる。
 ジャマイカ戦のポジション争いにおいて、この点は間違いなく田中に有利に働くだろう。

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エメルソンが日本に与える困惑

2002/09/16(月)

 浦和レッズのブラジル人スター、エメルソンが日本代表入りを考えているという報道に、私はいささか困惑気味だ。
 もちろんエメルソンは素晴らしいプレーヤーであるのは事実である。彼には爆発的なスピード、コンスタントな得点能力があるだけでなく、ディフェンス面でもタックルやプレッシャー等、きちんとこなしている。現時点では彼なら容易に日本代表の座を獲得できる事は間違いない。

 私が心配しているのは、日本がブラジル代表入りには一歩及ばないブラジル人選手達の「裏口」になってしまうのではないかという事だ。
 こうした事が頻繁に行われるようになると、ブラジルのみならず、他の国から将来の日本代表入りを狙って来日する選手が増え、結果として日本代表チームのアイデンティティーが失われてしまうのではないだろうか。
 これは非常に危険な事だと思うし、起こってはならないと祈るばかりである。

 1988年のワールドカップではラモス瑠偉、呂比須ワグナー、そして2002年ワールドカップでの三都主アレサンドロ。これまでに3人のブラジル人が日本代表としてプレーした。
 今、エメルソンはいかなるレベルのいかなる大会であろうと日本代表としてプレーするのは光栄な事だと語る。
「日本も日本人も大好きだし、日本の人々が僕に良くしてくれる事にとても感謝しているよ。僕はいつだって全身全霊でプレーしているし、それは代表チームに入っても同じ事だ」
 仮にエメルソンが日本代表入りを希望しても、実現にはまだ1〜2年はかかるだろう。
 ただし、彼が日本帰化を決意し、日本サッカー協会の後押しを受ければ、2006年のドイツワールドカップに日本代表としてプレーする事は、あながちあり得ない事ではない。

 21才のリオ・デ・ジャネイロ出身のストライカーは2000年、当時J2にいたコンサドーレ札幌に入団。34試合で31得点を挙げた。
 おかげでコンサドーレはJ1昇格を果たしたが、資金的にエメルソンを手放さざるを得ず、彼は同じJ2の川崎フロンターレに移籍し、J1浦和へシーズン途中で移籍するまでの18試合で19得点を挙げた。
 そして、浦和移籍後は11得点を挙げ、ナビスコカップ準決勝進出の原動力となった。

 個人的にはエメルソンの日本代表入りは実現しないと思っている。
 その最大の理由は、彼が祖国ブラジルの代表入りをできる実力を十分持っているからだ。
 彼は間違いなく1〜2年の間にスペイン、イタリア、ドイツといったヨーロッパのリーグへ移籍することになるだろう。
 そして蓋を開けてみれば、2006年のドイツワールドカップで彼が袖を通すのは、日本代表のブルーではなく、ブラジル代表のカナリアイエローかもしれない。

※本コラムに関しまして、BBSにたくさんの書き込みをしていただき、ありがとうございました。
 ジェレミー氏本人からの返信を11月5日付けで掲載しておりますので、どうぞご覧下さい。

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帰ってきたゼリッチ

2002/09/12(木)

 オーストラリア代表、ネディエリコ・ゼリッチの日本での滞在は、すばらしいツキに恵まれている、という具合ではないようだ。
 京都パープルサンガの選手としてゼリッチはシーズンの開幕を迎えたが、京都のためにわずか1試合プレーしただけで、家庭の事情により帰国を余儀なくされた。
 ゼリッチも京都パープルサンガのドイツ人監督、エンゲルスも事情をつぶさに述べようとはしなかったが、明らかに重大な問題であったようだ。

 ゼリッチのJリーグ・デビューはジェフユナイテッド市原とのアウエー戦であったが、それはまさに待ち望まれていたものであった。というのも、このリベロにして中央のミッドフィールダーは、ヨーロッパでプレーしていたあいだ、エレガントでスタイリッシュなサッカー選手という評判を得ていたのである。
 実際、パープルサンガがゼリッチを獲得したのは、1860ミュンヘンからであった。
 そのような事情もあり、先月ゼリッチが日本に戻り、彼の獲得のためにブラジル人ミッドフィールダー、アリソンを放出した浦和レッズに入団したことは多少なりとも驚きであった。

 しかし、ゼリッチはまたもツキに見放された。練習中にふくらはぎの筋肉を断裂してしまい、現在少なくとも6週間は試合出場が不可能な状態。浦和の赤のユニフォームを着てのデビューはそのあとになりそうである。
 レッズのオランダ人監督、ハンス・オフトはシーズンを通してリーダーとなれる選手を求めていた。
 オフトは、昨シーズンの終盤にアーセナルが自由移籍を認めたのを受けて、フランス人のディフェンダー、ミッドフィールダーのジル・グリマンディを獲得しようとした。しかし、グリマンディは浦和の施設を訪れたあと、浦和の申し出を拒否した。
 しかし、もしコンディションがよければ、ゼリッチの方がはるかに期待に沿った選手となるだろう。

 ゼリッチは、ドイツのシュツットガルトでオフトと移籍について話し合った時、ディフェンスの中央を守ることになるだろうと言われた。
 つまり、長い目で見て、レッズ在籍の元日本代表キャプテン、井原正巳の将来に疑問符がつけられたのである。
 それでも浦和はしばらくの間、長身で圧倒的な才能に恵まれたゼリッチを欠いたままで戦い続けなければならない。
 浦和は現在のところ、手のつけようも無いほどひどいわけではない。。
 浦和レッズはセカンド・ステージの開幕からの2戦をどちらも延長で制して勝ち点4を獲得し、降格ゾーンからは脱した。また、ナビスコカップでは柏レイソルを1−0で破り、来月の準決勝進出を決めた。

 シーズン開幕時に監督に就任したオフトの浦和評は、1994年に彼が指揮を執った時のジュビロ磐田と同じ発展段階にあるということだった。
 しかし、浦和は着実に進歩しているとオフトは感じており、彼のもとには今、中央のミッドフィールダーである鈴木啓太と俊敏なストライカーである田中達也という2人のU−21日本代表選手もいる。
 ゼリッチは、ベガルタ仙台を1−0で破った土曜日の試合を埼玉スタジアム2002の上層部の席で観戦し、満足した。
 「雰囲気は最高だったし、チームは高い潜在能力を持っています」とゼリッチは語った。
 「このチームは現在の順位にいるようなチームではない。もっと高い位置に行ければいいね。前回、あんなにすぐにチームを去らなければならなかったのは残念だった。しかし、戻って来ることができて良かった。僕はここで良いプレーができるよ」

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ヴェルディのため、そして代表復帰のため

2002/09/09(月)

 ジーコが代表監督に就任するやいなや、前任監督フィリップ・トルシエが好んで使っていた3−5−2システムに代わって4−4−2システムが導入されるのではという憶測が広まった。
 もしジーコがシステム変更をよりスムーズに行うための頼れる左サイドバックが必要だとしたら、それは相馬直樹をおいて他にはいないだろう。
 今年で31才の東京ヴェルディのディフェンダー、相馬はこれまで59試合に日本代表として出場していたが、横浜で行われた対イラン戦以来この3年間は代表に招集されることはなかった。
 しかし、かつて鹿島アントラーズの一員としてプレーしていた彼は、特にジーコが代表監督に就任したということもあって、代表復帰への望みは決して捨てていない。
「ジーコと共にプレーしてきましたが、彼が4−4−2以外のシステムでプレーした事はなかったですね」Jリーグの中でも数少ない典型的なフルバックである相馬はそう言う。「僕もまだ代表でプレーしたいと思っていますし、これからも一生懸命プレーするだけです」

 先週土曜日に行われたセカンドステージ初戦、ヴェルディがパープルサンガを5−0で下した試合をジーコは観戦していたが、その試合における相馬の、ワールドカップ韓国代表、朴智星に対するディフェンスは抜きんでたものだった。
 試合後のロッカールームでジーコと相馬は長い間話していたのだが、相馬は話の内容については明らかにする事はなかった。
「ジーコのためとでも言っておきましょうか」と相馬は言った。
「ただ彼は以前からJリーグでのプレーが一番大事だと言っていましたしね」
「いまはヴェルディが少しでも順位を上げられるようにプレーするだけです。そしてチームが強くなれば自然とジーコは注目してくれるはずですよ」
「また、チームとして良い結果を積み重ねていけばファンもついてくるし、そうすれば個人的にも良い結果を残せると思っています」
 1998年のワールドカップフランス大会での日本のベストプレーヤーの一人である相馬の、いかにも現実的な姿勢の現れた言葉である。

 フランス大会から1年後の彼は、所謂トルシエによる日本代表チームの大改造に伴う犠牲者のようであった。トルシエは彼のシステムでの5人のMFには小野伸二や中村俊輔のような、より攻撃的な選手を好んだのだ。
 その上、2000年12月に相馬は天皇杯準決勝のガンバ大阪戦で膝のじん帯を故障してしまった。
 そして彼の故障欠場中、アントラーズはブラジル人プレーヤー、アウグストと契約し、彼の活躍により相馬は故障から復帰したもののチームの中でのポジションを失ってしまったのだ。
 結果として、相馬はヴェルディにレンタル移籍をし、今、ヴェルディを引っ張っている。
「昨年のヴェルディはJ1に残る事さえ厳しい状況でした。だから今シーズン当初は僕もやらなければならない事がたくさんあったのです」彼は言う。
「しかしチームもまとまり、結果として3連勝で自信も戻りつつあります」
ヴェルディがこのまま快進撃を続けている限り、ジーコが相馬を再び日本代表として選出しても驚くべき事ではない。

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宙ぶらりんのユ・サンチョル

2002/09/05(木)

 ユ・サンチョルはなんとも不思議な窮状に陥ったものだ。
 数週間前は、彼はワールドカップのヒーローであった。中盤での力強いプレーぶりで韓国の準決勝進出に貢献し、FIFAの技術委員会が選出する16人のオールスター・チームにも加えられた。
 しかし今、ユ・サンチョルには所属するクラブがなく、ヨーロッパへの移籍話が不成立に終わってしまったため、数か月間試合に出場するチャンスさえないかもしれないのである。

 ワールドカップ期間中、ユは柏レイソルの選手であった。このJリーグのクラブはきわめて寛大な態度で、彼が6月末にチームを去り、ヨーロッパでプレーするという夢を追うことを許してくれた。
 その時点では、少なくとも5つのクラブが彼との契約に強い関心を示しており、そのなかにはドイツのレバークーゼンや、ワールドカップの韓国代表監督、フース・ヒディンクが現在指揮を執っているオランダのクラブ、PSVも含まれていた。
 レイソルは交渉権を韓国にあるユのマネージメント会社に譲渡した。しかし、ヨーロッパの移籍期限が終了する8月31日の土曜日までに、交渉はひとつも成立しなかった。
 ユをこのような状況に導いて、どうしようというのだろう?

 彼の代理人たちは、興味を示したクラブにあまりに多額の金を要求したのだろうか? なんといっても、この選手は現在30歳で、来月には31になるのであり、今回が夢に見たヨーロッパ進出の最後にして、最大のチャンスであったはずだ。
 さらに問題なのは、おそらくヨーロッパ・サッカーの景気が後退したことによってクラブには余剰な現金が不足しており、クラブとしては新たな選手を加入させるよりは増えすぎてしまった選手の数を減らすことに重きを置いているということである。
 ユは日本で年間約8千万円を稼いでいた。おそらく彼の代理人たちは、ヨーロッパに移籍するとしても減俸に応じるつもりはなかっただろう。クライアントが世界の最高峰に対して素晴らしいプレー見せたあとでは、なおさらである。
 ヨーロッパで次に移籍が認められるのは来年の1月という現状ではあるが、ユにはまだもう一つ選択肢がある。日本への復帰だ。しかし、レイソルでは不可能だろう。レイソルはすでに彼の代役にブラジル人ストライカー、エジウソンを獲得している。

 ユのワールドカップでのチームメート、アン・ジョンファンが、来年1月にドイツのブンデスリーガに移籍するまでJリーグでプレーするという噂もある。
 しかし、たとえ4か月だとしても、アンとの契約に必要な金額を支払える日本のクラブは、どれくらいあるのだろう?
 間違いなく、アンは絶大な人気を得るだろう(サッカー・ファンだけでなく、信奉者の女性たちからも)。彼のマネージメント会社は、何の問題もなくスポンサーを獲得できるだろう。
 アンが日本で素晴らしい4か月を過ごすことを心待ちにしているのに対して、ユは、一体どこで何もかもがおかしくなったのだろうと考え込んでいるに違いない。
 ヨーロッパはひょっとして、ワールドカップにおける韓国の活躍をもう忘れてしまったのだろうか?

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ジュビロ黄金時代到来

2002/09/02(月)

 Jリーグセカンドステージの開始とともに、ジュビロ磐田のシーズン完全制覇への道のりが始まる。
 1993年のリーグ立ち上げ以来、未だかつてファースト・セカンドステージの完全制覇を達成したチームはない。

 ファーストステージを横浜Fマリノスに3ポイント差をつけて優勝したジュビロ磐田にとって、今シーズンはチャンスである。
 控えめな鈴木政一監督の指揮の下、ジュビロはよく組織され、統率もとれ、怪我や出場停止をカバーできるだけのベンチの深さも持っている。
 要するに、これこそチームであり、才能ある個人がそれぞれ勝手にプレーするグループではない。
 きっとジュビロはこのままセカンドステージも制し、すなわちシーズン後のプレーオフもないだろう。

 しかし、もちろん他のチームも黙って見ているわけではない。
 最右翼は過去2年を含む4度の優勝経験を持つ鹿島アントラーズである。
 ブラジル人監督、トニーニョ・セレーゾのもと、過去2シーズンの彼らの戦略は明白である。ファーストステージはセカンドステージの為のウォームアップ、シーズン後半に向けてチームをピークに持っていき、体力的、精神的に疲れたファーストステージ勝者を叩くというものだ。
 アントラーズもまたよく訓練され、また海外からの移籍組の影響も大きい。しかしジュビロほど日本人選手の経験はない。

 名古屋グランパスエイトもまた注目すべきチームである。
 彼らはファーストステージ最後の6試合を6連勝で3位に終わった。ズデンコ・ベルデニック監督はシーズン途中で鋭い選手補強をした。オーストリアのシュトゥルム・グラーツでコンビを組んでいたことのあるアンドレイ・パナディッチとイヴィツァ・ヴァスティッチである。
 クロアチア人、パナディッチはディフェンスを引き締めたし、クロアチア生まれのオーストリア人ストライカー、ヴァスティッチはウェズレーとのコンビネーションが抜群だ。
 98年のフランスワールドカップ、オーストリア代表のヴァスティッチは、8試合の出場で5得点を上げ、高原直泰、マグロンとならび得点ランキングトップ(13得点・ファーストステージ終了時点)のウェズレーをうまくアシストしている。

 横浜Fマリノスはファーストステージを、リーグ最少の11失点という素晴らしいディフェンスでジュビロに次ぐ2位で終えた。しかし中村俊輔を失った今、セカンドステージを闘うには攻撃力が足りないと思う。
 ガンバ大阪はファーストステージ終了間際になって急に失速し、ファーストステージ制覇を賭けた磐田との大事な一戦に敗れた。
 もしガンバがチームを立て直す事ができればセカンドステージは面白い事になるだろう。なぜなら、ジュビロ、アントラーズ、そしてFマリノスの3チームは万博競技場でのアウェー戦があるからだ。

  総合的に見て、やはりジュビロが頭一つ抜けているように思える。そして彼らのコンスタントな実力は彼らをリーグチャンピオンに導く事になるだろう。

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アジア人選手のヨーロッパ侵攻、ついに始まる

2002/08/29(木)

 はじめに若干のつまずきはあったものの、間違いなくアジア人選手はヨーロッパ・サッカーに侵攻しつつあるようだ。

 8月27日火曜日は日本サッカーにとって意義深い一日となったが、中国や韓国の選手だって、ヨーロッパ大陸のあちこちでその存在をアピールしている。
 火曜日にもっとも輝かしい活躍を見せたのは、ワールドカップでも日本のために見事なゴールを2度決めた稲本潤一であった。
 元ガンバ大阪のミッドフィールダーは、UEFAインタートト・カップ決勝の第2戦、フルハムがイタリアのボローニャを3−1で破った試合でハットトリックを達成したのである。
 「イナ」は2−2で引き分けた第1戦でもゴールを決めており、その結果、通算得点5−3でフルハムは勝利した。
 インタートト・カップはUEFAカップの予選トーナメントに過ぎないとしても、アーセナルで悲惨な一年間を過ごした稲本の活躍は、フルハム・ファンの間で稲本の人気を高めるものとなるだろう。
 今回の活躍は、少数の皮肉屋が間違っていたことを証明したかもしれないが、もちろん、シーズンはこれからまだまだ続く。稲本はさらに、フルハムのプレミアリーグ用のチームでもレギュラーでやっていけることを立証しなければならない。彼のサッカー人生では、このことが当分の目標でなければならないのである。

 もう一段高いレベルに目を移してチャンピオンズ・リーグの予選ラウンドを見てみると、フェイエノールトがトルコでフェネルバフチェを2−0で破った試合で、小野伸二が先制ゴールを決めている。最終的には、ロッテルダムのクラブが通算3−0で勝利し、お金の儲かるチャンピオンズ・リーグの出場権を獲得した。
 トルコでの試合は、個人にとって厳しい試練の場となるのが常である。ホームのファンは、その情熱と迎え撃つ相手チームに対する敵意でよく知られているからだ。
 このような状況下で、小野が自身の評価をさらに向上させるようなプレーを見せたことは、まさに偉業である。

 チャンピオンズ・リーグの1次リーグには、フェイエノールトだけでなく、ベルギーのチャンピオン、ゲンクも参加する。ゲンクはチェコ共和国のアウエー戦ではスパルタ・プラハに4−2で敗れたが、ベルギーでの初戦を2−0で勝利しており、アウエー・ゴールのルールが適用され、1次リーグ進出を決めた。
 ホーム・アンド・アウエーの2試合のスコアの合計がこの試合(4−4)のように等しい場合、アウエー・チームのゴールは2倍して計算されるため、プラハでゲンクが奪った2ゴールが勝敗の分かれ目となったのである。
 鈴木隆行は、ヨーロッパでの最初のシーズンにしてチャンピオンズ・リーグ出場のチャンスをつかんだわけである。

 ヨーロッパの他の地域では、中国の李鉄(リ・ティエ)はエバートンの中盤の即戦力としてやっていけることを立証したし、同じくイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・シティーの孫継海(スン・ジハイ)も上々のデビューを飾っている。
 ワールドカップでの韓国のスター、ソル・ギヒョンはベルギーのアンデルレヒトで4ゴールをあげ、得点ランキングのトップにいる。しかし、同胞であるアン・ジョンファンのブラックバーン・ローバーズ入団は、イギリス政府が労働許可証の発行を拒否したため、不可能となった。

 9月中旬に開幕するイタリアのシーズンでは、セリエAの古株でパルマ所属の中田英寿と、新入りでレッジーナ所属の中村俊輔にあらゆる注目が集まり、日本を中心としたアジア全域で熱狂が巻き起こることだろう。
 さあ、新たな世代のサッカーのパイオニアたちが好調を維持し、より多くの日本人選手、韓国人選手、中国人選手がサッカーの主流に加わることができるよう門戸を広くしてくれることに期待しようではないか。
 ワールドカップにおける韓国と日本の活躍は、海外のアジア人サッカー選手に対するいくつかの誤解を間違いなく、取り除いてくれたのである。

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アジアは2006年ワールドカップで5ヶ国出場枠を得る資格があるのか?

2002/08/26(月)

 新しいアジアサッカー連盟会長、カタールのモハメッド・ビン・ハマム氏は早速ワールドカップ出場枠について彼の見解を述べた。
 彼は、2006年ドイツワールドカップにプレーオフを行う事なく、5カ国のアジア出場枠を希望している。

 今月始めにアジアサッカー連盟の会長に就任したハマム氏は2002年ワールドカップの成績を基にこうした要望をした。
「我々は世界にアジアがトップレベルで競い合える事を証明した」ハマム氏は言う。もちろん彼の言っている事は、ある意味正当だと言える。
「未だかつて開催国はファーストラウンドで敗退した事がない」という伝統を韓国、日本の両主催国ともに守った。
 日本はセカンドラウンドで敗退してしまったが、韓国は準決勝まで駒を進めた。ただ、準々決勝の韓国対スペイン戦は大いに物議を醸し、現在でも後味の悪いものとなっている。

 確かに韓国と日本は活躍したが、他のアジア代表の2カ国がどうだったのかという事も忘れてはならない。
 3大会連続出場のサウジアラビアはファーストラウンドの3戦を全敗、中でも札幌ドームで行われた対ドイツ戦にいたっては0−8の大敗である。
 また中国は、初出場でありしかも結果的には一番タフなグループだったとは言え、ブラジル、トルコ、コスタリカのグループでやはり3戦全敗である。

 2002年の大会以前はというと、アジアは1966年の北朝鮮と1994年のサウジアラビアのわずか2カ国しかセカンドラウンド進出を果たしていない。
 たしかに今大会でのホスト国2カ国の活躍で全体的なランキングは上がったかもしれないが、ここまでのアジアの対戦成績はと言うと、44戦してわずか4勝しかしていないというのが事実なのだ。

 2006年の大会では開催国のドイツのみが出場権を得ている。優勝国のブラジルでさえ出場権はまだ得ていないのだ。と言うことは、12月に行われるFIFA総会で残りの31カ国の出場枠を巡って話し合いが行われる事になる。
 ゼップ・ブラッター会長は事実上オセアニアに1カ国の枠を与えると約束している。そうなると、アジアに5カ国の枠を与える余裕はあるのだろうか?
 アジアの主張は、世界の人口の半分以上が中国、インド、インドネシアを主とするアジア地域に住んでいるという事、そしていくつかのFIFAのビジネスパートナーは日本をはじめとするアジア諸国だと言う事である。
 しかし、ワールドカップは純粋にピッチの上での結果が問われるべきで、どこかの密室での事は含まれるべきでない。

 個人的にはアジアは4カ国の出場枠で満足するべきだと私は思う。
 4ヶ国+プレイオフ出場枠1ヶ国を得られればラッキーとすべきであろう。
 アジアサッカー連盟会長とブラッターFIFA会長との親密な関係をしても、アジアが5ヶ国の出場枠を得るのは難しいだろう。

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アレックス成功のカギは、プレー・スタイルを変えること

2002/08/22(木)

 数年前、ドイツの偉大なストライカー、ユルゲン・クリンスマンがトットナム・ホットスパーに入団したとき、最初の記者会見でクリンスマンは次のような質問を投げかけ、駆けつけた記者団の虚を突いた。
「だれか、この近くでダイビング・スクール知らないかなあ?」

 イングランドでは、クリンスマンはダイバー(スイミング・プールではなく、サッカーのピッチでの話である)として評判が高かったが、この種の振る舞いはプレミアリーグの激しい戦いでは容認されてはいない。
 ドイツ人選手は自身の評判に気づいており、まずそのことをジョークの種にしようとしたのだろう。つまり、賢明なクリンスマンらしい賢明な行動であったわけで、クリンスマンは、フリーキックやペナルティー・キックを得るためのダイビング能力ではなく、ゴールをあげる能力によってイングランドでとても敬愛される選手となった。
 しかしクリンスマンも、そのプレー・スタイルを変えたのである。グラウンドに体を投げ出してばかりいては生き残っていけない、と悟ったのである。

 いま私は、プレミアリーグのクラブ、チャールトン・アスレティックが興味を示している、アレッサンドロ・ドス・サントスも同じだと感じている。
 アレックスは良い選手で、もちろんクリンスマンと同じレベルだとは言わないが、巧く、危険なフォワードである。
 しかし、アレックスもダイビングに関する評判が高い。ディフェンダーを抜き去る能力や、左足で巧妙なクロスを送る能力は認めるものの、私は彼を完全に評価しているわけではない。激しいタックルをもらった時も、軽いファールの時も、ひどいケガをしたふりをするからだ。

 清水エスパルスと鹿島アントラーズの試合ではいつも、試合とは別にもう一つの魅力的な戦いを見ることができる。アレックスとアントラーズの向こう見ずなライトバック、名良橋晃との間で繰り広げられる戦いだ。
 激しいタックルで有名な名良橋は、ウイングの魔術師の持ち味を消すためアレックスにぶつかっていくことを何よりも好む。しかし名良橋の問題は、時々アレックスがボールを持っていない時にもぶつかっていき、イエローカードの原因となってしまうことである。

 イングランドに移籍すれば、アレックスは名良橋に感謝するようになるだろう。イングランドでは、どのディフェンダーもアントラーズのライトバックのようなタックルをしてくるからだ。
 イギリス人にとっては、アレックスはもちろんブラジル人で、ワールドカップで有名な青と白の日本代表のユニフォームを着たと言っても、日本人ではない。
 イングランドの土壌で、イングランドのディフェンダーの前にブラジル人のウイングが現れれば、結果は見えている。トラブル、である。
 アレックスは相手チームの荒っぽい対応を覚悟しておいた方がいいだろう。勇気を持つ必要もあるだろう。彼がグラウンドに倒れても、レフリーはJリーグのように優しくはない。
 レフリーはプレー続行を促し、アレックスは自分で立ち上がり、プレーを続けなければならないだろう。
 あまりに頻繁に倒れるようであれば、ファンは手厳しく非難するだろう。プレミアリーグでは、欺瞞や不正を容認することはできないのだ。そのスピード、正直さ、激しさによって、プレミアリーグは世界中で人気を博しているのである。

 アレックスはクリンスマンから学ばなければならないだろうし、自身のスタイルをかの地のスタイルに合わせなければならないだろう。
 成功するだけの技術とスピードがアレックスにあることは疑いもないが、早急に頑健さを身につけなければならない。
 イングランドで数ヶ月プレーしたあとでは、名良橋のタックルも名波浩のタックルのように優しく思えることだろう。

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大観衆に湧くビッグスワン

2002/08/19(月)

 新潟のビッグスワンではJ2のアルビレックスのゲームに多くの観客が訪れる。
 例えば、先週末のJ2の首位争い、アルビレックス対セレッソ大阪の試合には42,211人ものファンが訪れた。これは鹿島アントラーズ対横浜Fマリノスという好カードよりも10,000人も多い。

 1999年にJ2の発足とともに参加したアルビレックスには2つのホームスタジアムがある。一つはワールドカップでも使用されたビッグスワン、そしてもう一つはやや小さいが、新潟市陸上競技場だ。
 今シーズンのアルビレックスの平均観客数はビッグスワンでは30,111人、そして新潟市陸上競技場では11,687人だ。
 一試合平均23,025人の観客数はJ1全16チームのうち、なんと12チームの平均観客数よりも多いのだ。
 アルビレックスよりも平均観客数が多いのは、浦和レッズの29,040人、横浜Fマリノスの27,192人、鹿島アントラーズの24,882人、そしてFC東京の24,307人だけである。

 「まったく驚異的な数字だと思います」Jリーグ事務局企画部のチーフスタッフ、佐野毅彦氏はそう言う。
 「J1のチームでさえ観客数を上げる事には苦労しています。20,000人の観客数は決して簡単な事ではないですよ」

 佐野氏は、アルビレックスが浦和レッズや鹿島のようにファン獲得について急成長を遂げているのには、いくつかの理由があると考えている。
 「まず、新潟は札幌、仙台、そして福岡のように東京から離れた大都市であると言う事、そして市民がホームタウン意識を持っているという事です」
 「そして新潟にはプロ野球のチームもありませんので、市民がアルビレックスを“我がクラブ”、“我がチーム”と考え易いのではないでしょうか」

 また佐野氏はワールドカップが新潟に与えた影響も少なくないと見ている。「ワールドカップはこれまでサッカーにあまり興味のなかった年輩の人々にもサッカーに対する興味を持たせました」
 「これまでこうした人々は野球や、スキー、そしてスケートにはある程度興味を持っていたものの、サッカーについては興味の範疇外でした。しかしワールドカップがこれらの人々にサッカーというスポーツを強く印象付けたのです」

 佐野氏をはじめ、リーグ企画部のスタッフ達はクラブの運営組織にも満足している。1998年に横浜フリューゲルスが経営破綻して以来、Jリーグは常に各チームが経営難に陥らないように注意してきた。

 「1955年に現在のアルビレックスの基となるチームが作られて以来、長い年月をかけて彼らは堅固な組織を作ってきました」
 「彼らは決して焦る事なく、1999年にJリーグに参加、そして鹿島、浦和、そして清水のようなチームを常に参考にしてきました」
 「もちろんすべてが良いことばかりじゃあありません。アルビレックスはそれらの中からベストだと思われる事を吸収して、地域の中でしっかりとしたチーム作りを行ってきたのです」

 こうした多くの観衆を引きつけるチームを来期こそJ1で見たいと思うのは、何もアルビレックスファンだけではないと思う。

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タカがピッチに帰ってきた

2002/08/15(木)

 ワールドカップでの日本の戦いを振り返ることはあっても、代表チームから重要な選手が一人欠けた経緯については忘れられやすいものである。

 誤解しないで欲しいが、中村俊輔のことを言っているのではない。
 今回取り上げたいのは、ジュビロ磐田のストライカーであり、肺血栓でワールドカップ出場を断念しなければならなかった高原直泰のことである。

 現在、ありがたいことにタカは元気で、そして燃えている!

 彼は土曜日、ジュビロがホームでベガルタ仙台を4-0で破った試合で3度ゴールを決め、今シーズンの通算得点は12試合出場で12点となった。
 病に襲われる前、ワールドカップを見据えた時期に、高原は5試合に出場して2度ゴールを決めていた。つまり、シーズンが再開されてから高原は7試合で10ゴールを決めたことになるのである。驚異的な得点率というほかはない。

 まだ23歳のタカがもしワールドカップを絶好調で迎えていたなら、柳沢敦と並んでストライカーの一番手となっていたはずである。
 これはシドニー・オリンピックにおける、前の代表監督、フィリップ・トルシエのお気に入りのコンビであり、トルシエがワールドカップでもこのコンビを続けて起用することは確かなように見えた。

 高原は、ストライカーが成功するために必要な要素をすべて持っている。そのなかには、ワールドカップ出場経験のある歴戦のフォワード、中山雅史という最高の教師までも含まれている。
 今シーズンこれまで、ファースト・ステージ優勝を目指すジュビロにあって、中山は得点王争いでは高原に大きく水を開けられていた。34歳の「ゴン」は、13試合に出場して、5ゴールしか上げていなかった。
 しかし、ペナルティー・エリアに中山がいるだけで、もう一人のストライカーである高原のためのスペースが生まれ、若きストライカーは目の前に現れた自由なスペースで暴れ回ることができるのである。

 181センチで75キロの高原は長身で、細く、柳沢と同じようにボールから離れた位置で素晴らしい走りを見せる。
 ペナルティー・エリア内では神出鬼没で、すばしっこく、絶妙のファースト・タッチによってゴールのチャンスを高めることができる。
 この点が、高原と柳沢の違うところである。柳沢はファースト・タッチにまだ改善の余地があり、ゴール前で高原が見せるような、プレッシャーがかかった状況での冷静さにも欠ける。

 高原は自信ももっているし、得点することを楽しんでいる。
 ベガルタ仙台戦で3ゴールを上げたときの彼の反応を見れば、それは明らかである!

 そう、ワールドカップで日本が高原を欠いたのは痛かった。トルシエのチームにはストライカーが一人欠けていて、その一人がタカであった。
 現在、ワールドカップで高原がどれだけできるかを見るためには、我々は2006年まで待たなければならないのである!

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再スタートが必要な柏レイソル

2002/08/13(火)

 監督ステファン・ペリマンの解雇は柏レイソルを変える事ができるだろうか?
 昨年夏の前任者、西野朗の解雇はチームに変化をもたらしただろうか?
 答えはいずれも「ノー」である。

 柏レイソルは過去数シーズンにわたって、最も安定したチームのひとつとして、常にJリーグの上位をキープしてきた。
 特に2000年のレイソルは、ファースト・ステージ、セカンド・ステージのいずれでも優勝できなかったとはいえ、まさに絶頂期を迎え明らかにJリーグの最強チームのひとつであった。
 ファースト・ステージでは4位、そしてセカンド・ステージ最終戦では優勝をかけてアントラーズと戦い、勝てば優勝というところを一歩及ばず0−0の引き分けに終わった。
 またその前年には、ナビスコ杯決勝でアントラーズを2−2の引き分け後のPKで破った。

 こうして見ると、やはりレイソルのピークは2000年であったと言わざるを得ない。
 その後のレイソルは降下の一途で、昨シーズン途中では西野監督の解雇、そして今再びペリマン監督の解雇である。
 しかし、今レイソルの経営陣が本当に見直さなければならないのは選手達だ。
 彼らはまだ「ハングリー」でいるのか?
 チーム内に競争意識はあるか?
 毎週の先発メンバーが固定してしまって、選手達には危機感がないのではないか?

 西野監督は才能あふれた魅力あるチームを作った。しかし、新監督はレイソルを再びJリーグのトップチームに戻すために一からやり直さなければならない。
 チームはブラジル人監督の獲得を望んでいる。そして、新監督の最初の使命は、レイソルを「2部降格ゾーン」から引き上げることである。
 ファースト・ステージ15試合のうち、13試合で勝ち点わずか11と苦戦している。8月31日に始まるセカンド・ステージでJ2降格争いを免れるためには、もっと勝ち点が必要だ。
 そこをクリアできたら、次はチームの再編である。新戦力を加え、現在の選手達に危機意識を持たせる。

 日立がメインスポーサーの柏レイソルは、Jリーグの中でも資金力に恵まれたチームである。新しく、若く優れたプレーヤを獲得する事に何ら問題はないはずだ。
 ベテラン、黄善洪は彼の年俸に見合う働きをしていると言えるだろうか?
 否である。
 確かに彼はリーグでもトップクラスの選手だ。しかし、それはピッチの上に立ってこそである。彼はあまりにも怪我が多すぎる。

 監督を解雇することは簡単である。
 しかし、柏レイソルにはまだまだ問題が残る。

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海外でプレーすべき選手、松田

2002/08/08(木)

 成功の度合いはさまざまだが、海外に渡った日本人選手に思いを巡らせるのは楽しいものである。
 ゴールキーパーは一人、川口能活だ。
 ミッドフィールダーは何人かいる。中田英寿、名波浩、小野伸二、稲本潤一に中村俊輔が新たに加わった。
 さらにフォワードも数人。1994年の三浦知良に始まり、城彰二、西沢明訓、高原直泰がいて、今回の鈴木隆行だ。
 日本がいまだ選手を輸出していないポジションは、ディフェンダーだけとなった。
 しかし、現在、日本にはJリーグを後にして、ヨーロッパでキャリアを積み重ねることのできるディフェンダーがいる、と私は信じている。その選手とは、松田直樹である。

 横浜F・マリノスの25歳のキャプテンは、つねに才能に恵まれた選手であった。
 しかしかつては、集中力の欠如や時折見せる日本人らしからぬ逆上ぶりによって、評価を落とすこともあった。
 前の日本代表監督・フィリップ・トルシエのもと、松田は大きく成長し、フランス人監督の在任期間最後の年には、日本代表でもっとも安定性のあるディフェンダーとなっていた。
 日曜日、京都で行われたマリノスの試合での松田を見れば、この選手がJリーグを凌駕しているのは明らかであった。
 つまり、松田はJリーグのレベルでは突出しており、その能力をさらに向上し続けるには、より高いレベルに移らなければならないのである。
 一般的には、25歳という年齢はセンターバックにとってはまだまだ若年であり、松田がそのポジションでのピークを迎えるまでには、少なくとも6年か7年の余裕があるだろう。

 ワールドカップ以前の西側世界の認識は、日本人選手は身体的に小さいので、とくにディフェンダーは、トップレベルのサッカーには対応できないだろうというものであった。
 しかし、日本代表チームを見渡せば、これが思い込みに過ぎないということがわかる。
 松田は、身長が1メートル83で、体重が78キロ。俊敏さもあるし、ゲームもよく読める。
さらに、相手のペナルティー・エリア内でフリーになれると見れば、リベロとしてしばしば前に攻め上がることもできる。
 日本代表で、松田は外国チームを相手に必要不可欠な判断力と気迫を見せてきたが、もし彼が海外でのプレーを望むなら、これは長所となるだろう。国際舞台でも、松田は臆することもないし、ためらうこともない。名波は臆し、ためらったがゆえに、イタリアで成功できなかったのである。

 Jリーグは松田にとっては簡単すぎる。ヨーロッパのクラブが日本選手を物色に来るのなら、攻撃的ミッドフィールダーやストライカーだけでなく、ディフェンダーを獲得することも考慮して欲しい、と私は思う。
 松田は、ヨーロッパのクラブの期待に応えられるだけの選手である。

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サッカーは冬のスポーツか、それとも夏のスポーツか?

2002/08/05(月)

 そもそもサッカーのシーズンとは誰の都合によって定められるべきなのだろうか?選手達だろうか?それともサポーター達だろうか?

 私の見たところ、日本ではどうやらJリーグはファンの意見が最も重要であると考えているように思える。だからこそJリーグのシーズンは、暑くてしかも湿気の高い夏を含む3月〜11月に設定してあるのだろう。
 スポーツを観戦する人々の立場で考えるなら、それこそ夏はベストシーズンだろう。夜でも気温が高く、よく冷えたビールでも飲みながら選手達のエネルギッシュなプレーを見るのは最高だと思う。しかし、一方の選手達の立場ではどうだろうか?

 私は以前から、サッカーは野球やクリケット、そしてテニスやゴルフといった夏のスポーツではなく、典型的な冬のスポーツだと考えていた。
 私自身、選手としては日曜日の朝に行なわれるイングランド北部のパブリーグの試合、ピッチが湿気で少し重いくらいで、空気がヒンヤリと感じる中でプレーするサッカーが好きだった。時には霧がかかったり、雨が降ったり、さらには雪がちらついたりしたものだが、降り注ぐ太陽の中、硬いピッチでサッカーをプレーすることなど、それこそシーズン序盤の8月や、シーズン終了間際の5月くらいだったものだ。

 Jリーグは、日本のファンは夏にこそサッカーを見たいのだと言う。しかし選手達は、プレーするには冬こそ最適だと思っているはずなのだ。
 日本のサッカーシーズンをヨーロッパのように8月末、もしくは9月初旬から5月末までと変更する事にはいくつかの利点がある。
 第一に、夏期の野球シーズンとバッティングすることがなく、ファンだけでなくテレビや新聞などのメディアにもきちんと扱ってもらえる。Jリーグが、プロ野球がオフの間に行なわれていれば、それこそメディアを独占でき、もっと多くの人々に注目してもらえるはずだ。
 第二に、選手の契約である。現状の毎年1月末までの契約でなく、ヨーロッパのように6月末までの契約になれば、選手達ももっと海外への移籍が楽になることだろう。
 そして最後に、選手達のコンディショニングである。夏の高温多湿は90分間、延長の場合はそれこそ2時間ピッチを走りまわる選手達の健康状態に良いはずがない。

 確かに、コンサドーレ札幌やアルビレックス新潟などは冬のゲームの開催が難しい場合もあるかもしれない。しかしコンサドーレには札幌ドームがあるし、アルビレックスはホームゲームの何試合かを仙台で行っても良いのではないだろうか。
 しかしこのことについて、多数のチームがヨーロッパシーズンの導入に積極的ななか、この2チームの状況が変わる事を黙って待っているわけにはいかないという三浦知良の意見には、私は大賛成だ。
 テレビ放送の契約上、2006年までは現状のままだが、それ以降には遂に日本にも冬のスポーツが誕生するかもしれない。

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和多田充寿的責任の取り方

2002/08/01(木)

 日本各地でゴールが量産されたこの週末、和多田充寿がとった行動について考えて欲しい。
 ジェフユナイテッド市原所属の26歳のストライカーは散々な思いをした。ホームでジュビロ磐田と2-2で引き分けた試合で、和多田はペナルティー・キックを2度外したのである。
 問題なのは、彼がペナルティー・キックを外して監督であるジョゼフ・ベングロシュの不興を買ったことではなく、試合の序盤に一度ペナルティー・キックを外した後に、チームの規律を破って2度目を蹴ったことである。
「プロには、絶対に破ってはいけないルールがある」ゲームの後、ベングロシュが説明した。
「それは、一度ペナルティー・キックを外したら、同じ試合でもう一度蹴ってはいけないということだ。自信を失っているんだからね」

 その試合では、ジェフに3回、ジュビロに2回、合計で5回のペナルティー・キックが宣告された。
 ジェフの最初のペナルティー・キックを蹴ったのは和多田。ベングロシュによれば、最初からそう決められていたそうだが、和多田はボールを噴かしてしまい、ゴールを大きく外す。
 後半の序盤、ジェフが2度目のペナルティー・キックを獲得したときにも、和多田は自分が蹴るつもりでボールを手に持っていた。
 しかし、阿部勇樹に蹴らせろ、とベングロシュが指示を出した。和多田はしぶしぶボールを阿部に手渡した。阿部は難なくゴールを決め、スコアは1-1となった。

 数分後、ジェフが3つ目のペナルティー・キックを得た。ベンチから、これも阿部が蹴るようにベングロシュが指示を出した。阿部は一度ゴールを決めていて、ジュビロのゴールキーパー、アルノ・ヴァンズワムに対しても明らかに心理的に優位に立っているからだ。
 しかし、和多田がすでにボールを拾い上げていた。和多田はペナルティー・スポットにボールを置き、助走のため後ろに下る。そして、シュート。しかし、ヴァンズワムが左にダイブして、ボールをセーブ。
 ベングロシュは怒り狂い、ファンも怒り狂った。和多田はその後すぐに交替を命じられ、ブーイングとヤジを浴びながらピッチを去った。
 和多田は最善を尽くそうとしただけだが、彼はまずチームのことを第一に考えるべきで、自己満足のためだけに失敗を埋め合わせようとすべきではなかったと、ベングロシュはきわめて正確に指摘した。
 腹は立てていても、監督が和多田にしようとしていたのは、建設的批判であった。

 普通、一度ペナルティー・キックを外した選手は、2度目は蹴りたがらないものである。失敗が本当に影響を及ぼした場合、その試合で2度とペナルティー・キックは蹴りたくないという選手だけでなく、そのシーズンで2度と蹴りたくないという選手もいるし、残りの選手生活で2度と蹴りたくないという選手だっている。
 つまり、ある意味においては、和多田の勇気と決断力は非難されるべきものではない。最初に失敗した後も、彼は責任を受け入れる心構えをしていたからだ。
 今後のシーズン、重要な試合でジェフがペナルティー・キックを得るときが来るかもしれない。その時には、積極的にキッカーの役目を買って出るような勇敢な選手が必要となるだろう。
 ベングロシュは、そんな挑戦の意欲を持った選手が自分のチームに少なくとも一人はいることを知っている。和多田充寿だ。
 しかし、和多田がシュートを決めるかどうかは、誰にもわからない。

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関西からの熱い挑戦

2002/07/30(火)

 ガンバ大阪や京都パープルサンガがJリーグの上位陣で頑張っている。大変喜ばしい事だ。
 こうした様々なチームの活躍が、日本のサッカーにとってサッカーファンの拡大につながるのだ。
 前述の2チームはJリーグの優勝を争った事はないが、今期の彼らの闘いぶりは関西地方のファンを再びスタジアムに引き戻しつつある。
 この原稿を書いている時点で、ガンバ大阪は勝ち点21で首位の横浜Fマリノスと5点差、ジュビロ磐田とは4点差の3位である。
 一方京都パープルサンガは勝ち点15で5位。4連敗後の6連勝中である。

 ドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスに率いられたチームの状態は非常に素晴らしく、先週水曜日は1万8000人以上のサポーターで膨れ上がった西京極スタジアムで、あの強豪、鹿島アントラーズを2−1で破った。
 特に平日は、5000人の観衆を集める事さえ四苦八苦しているパープルサンガにとって、この数字は驚きの大観衆である。
 ワールドカップで一躍注目を集めた韓国代表の朴智星の存在は大きい。ワールドカップ後初の出場を見ようとサポーターがスタジアムに押し寄せているのだ。パープルサンガにとってはこの流れのままいきたい所だろう。

 一方のガンバは、これまでも常に多くの優秀な日本人選手を輩出してきた。そして現在は、おそらく日本人最高の監督であろう、西野朗がチームを率いている。
 好調ガンバの最大の理由は28才、192cm、84kgの大型ブラジル人フォワード、マグロンである。
 ワールドカップ開催前には、たった3得点しかあげていなかった元ヴェルディのフォワードが、その後エスパルス戦での4得点、グランパス戦での2得点、そして水曜日の広島戦でのPKで1得点と、併せて10得点あげている。
 先週、吹田市の万博スタジアムで行われたガンバ対名古屋の試合では、2万3000人収容のスタジアムにほぼ満員の2万1621人が押し寄せた。これは昨年7月に行われた稲本潤一のアーセナル移籍前最後の試合の観客数より多いのだ。
 これはガンバ史上5本指に入る大観衆で、1993年、1994年のJリーグのバブル時代を彷彿させるものだ。

 アントラーズやジュビロといった強豪チームのチーム運営手腕はたいしたものだと思う。しかし、ガンバやパープルサンガの活躍が、ワールドカップ後の日本のサッカーブームを少なからず支えているのだ。

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新チェアマン、前途洋々のスタート

2002/07/25(木)

 Jリーグの新チェアマン、鈴木昌氏の口からはとても力強い言葉がいくつも発せられた。火曜日の午後、東京で行われた就任後初めての記者会見でのことだ。
 あるスポーツ・ジャーナリストの質問に答えて、Jリーグは近い将来に延長戦を廃止する意向である、と鈴木氏は述べた。
 個人的には、これはJリーグにとって大きな前進であると思う。世界各国の主要なリーグで、リーグの試合に延長戦を導入しているところはどこにも見当たらないからだ。

 鹿島アントラーズの前の社長である鈴木氏は、ワールドカップによって日本のファンも引き分けが刺激的な結末になりうることをわかったようだ、と語り、日本が2-2でベルギーと引き分けた試合を引き合いに出した。
 私は、鈴木氏が2002年ワールドカップの引き分けだけを引き合いに出したのに驚いた。というのも、私が憶えている、日本代表にとってもっとも意味深い引き分けは、前回のワールドカップの予選でのものだからだ。
 もちろん、私が言っているのは1993年10月、ドーハの日本対イラク戦の2-2の引き分けだ。この結果により、翌年アメリカで開催された本大会に日本が出場するチャンスがついえたのである。
 今も憶えている。残りほんの数秒まで日本が2-1でリードしていて、そしてイラクが追いついた。6チームのグループで日本は1位から3位に落ち、サウジアラビアと韓国に出場権を奪われてしまった。

 引き分けはサッカーの重要な一部であるが、リーグ戦を90分で終了させるというJリーグの決定は、いますぐ実行するというわけにもいかないだろう。
 Jリーグでは、次のシーズンの開幕から引き分けが廃止されるように取り計らってもらいたい。
 1993年にリーグが発足したとき、Jリーグ関係者は、ファンはどの試合でも決着がつくのを望んでいるとして、延長戦とさらにPK戦を導入した。90分の勝利では勝ち点3が与えられ、延長戦のVゴールでの勝利には勝ち点2、PK戦での勝利には勝ち点1が与えられた。
 この制度はあまりに複雑だったので、幸いにもリーグは、1998年のシーズン以降、PK戦を廃止した。
 延長戦やVゴール、PK戦は、リーグの試合ではなく、ノックアウト・システムのカップ戦にとっておくべきものである。

 さらに私は、Jリーグに2シーズン制ではなく、1シーズン制で戦って欲しいと思っている。いちばん多く勝ち点を獲得したチームが、プレーオフなしでリーグのチャンピオンとなるのだ。プレーオフは、世界のサッカー界ではきわめて特殊なものである。
 もっとも、1シーズン制を近い将来に実現させるのは容易ではないだろう。2試合のチャンピオンシップは、テレビ放映権料やスポンサー料、観客収入など多額の収益をもたらしてくれているからだ。
 とはいえ、延長戦をやめることは、正しい決定であり、大きな前進である。

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次のキングは誰だ

2002/07/22(月)

 The king is dead! Long live the king!(キングは倒れた!キング万歳!)
 この英語のフレーズは現在の日本サッカー界をよく表している。
 これはリーダーがいなくなっても必ず誰かが次のリーダーとして皆の支持を得るという意味だ。
 だからJリーグファンは、鹿島アントラーズの鈴木隆行や横浜Fマリノスの中村俊輔が日本を離れた事をそれほど悲しむ必要はない。

 鈴木はベルギーリーグチャンピオンのゲンクに合流すべく、ベルギー入りしている。
 私は3月にロンメル対ゲンクの試合を見たのだが、早いボール回しとフィジカルなプレー、そしてロンメルのこじんまりとしたスタジアムの環境は素晴らしいものだった。
 ベルギーリーグは小規模ながらもイングランドのプレミアリーグに非常に似ている。フィジカルな試合を好む鈴木は、ことサッカーに関しては何ら戸惑いもなく上手く溶け込めるはずだ。

 埼玉での日本対ベルギー戦、2−2の引き分けでの鈴木のゴールはベルギー人にとって非常に印象に残っているに違いない。大きく強いベルギーのディフェンス陣相手に鈴木が自分の存在を認めさせるには、ワールドカップの時と同様の強い決意とスピリットを見せなければならない。
 ゲンクでは昨シーズンのベルギー一部リーグ得点王、エネルギーと積極性に満ちあふれたウェズレー・ソンクと肩を並べる事になる。
 この移籍は鈴木にとって非常に良い結果をもたらすだろう。時に物静かでセンターフォワードとしてはあまりにも控えめな印象があった性格も成長する事だろう。

 一方中村は昨シーズンセリエAに昇格したレッジーナに移籍する。
 レッジーナはペルージャとよく似ている。小さいながらも上位グループに生き残り、イタリアンカップであわよくば勝ち、そして翌シーズンのUEFAカップの出場権を得る事を第一の目標としているチームである。
 しかし中村は中田英寿ではない。中村がイタリアで活躍するには、プレーのペースアップを図らなければならない。もちろん彼はセリエAで充分通用するだけのスキル・テクニックを備えている。
 イタリアでもっとも熱狂的なサポーターを持つチームの一つであるレッジーナへの移籍は、中村にとってレアル・マドリードに行ってジダン、フィーゴ、そしてラウルに囲まれ出場機会のないまま過ごすよりずっと良い筈だ。

 話を元に戻そう。鹿島のキングとマリノスのキングはチームを去っていった。しかし若い選手達が必ず次のスターになるべく昇ってくる。

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エンゲルスのイチオシ、黒部光昭

2002/07/18(木)

 日本代表が新ストライカーを探しているのなら、自分は一人知っている、と京都パープルサンガの監督、ゲルト・エンゲルスは思っていることだろう。ストライカーとは、黒部光昭のことだ。
 24歳のセンター・フォワードは、昨シーズン41試合に出場して30ゴールを挙げてJ2で旋風を巻き起こし、京都のJ1昇格に貢献した。
 黒部の勢いは依然続いており、今シーズンは7試合で6ゴールを挙げ、京都はJ1の6位に進出した。
 出場停止処分により8試合のうちの1試合を欠場したが、6ゴールは、ジュビロ磐田の藤田俊哉と並ぶ今シーズンのJ1での日本人選手最多ゴールである。
 得点王争いで黒部と藤田の上にいるのは、9ゴールのエメルソン(浦和レッズ)と7ゴールのマグロン(ガンバ大阪)という二人のブラジル人選手だけである。

 エンゲルスは、元福岡大学生はさらに進歩を続けることができると考えている。
 「うん。黒部は良いスタートを切れたね。ヴェルディ戦ではハットトリックもしたし」とドイツ人の監督。
 「ヒザのケガのせいで、黒部はシーズン前の準備がそれほどでもなかったんだけど、現在7試合で6ゴールとは、すばらしい得点記録だね。」
 「大学を卒業してからプロではまだ3年目なんだけど、彼はいつも学んでいる」

 エンゲルスによれば、黒部は器用さも急速に身につけているそうだ。
 「彼はもともとパワフルな選手で、いちばんの得意はヘディングだった。でも、現在では足技もずっとうまくなったし、緩急のつけかたも学んでいるところだ。」
 「動き方は、改善の余地がある。黒部の場合、ゴール前でボールを待ちすぎる傾向がある。彼はディフェンダーの周りでもっと動く必要がある。そうすれば、ディフェンダーから離れてプレーできるんだけどね」

 これまで見たかぎりでは、黒部は今後も学び続け、代表の座も獲得できるとエンゲルスは感じている。
 「チャンスがあると思わないかい?」とエンゲルス。
 「黒部は、フィジカルは強いし、スピードもパワーもある。テクニックも動き方もさらに向上させることはできるし、ゴール前での感覚も、経験とともに研ぎ澄まされるだろう」

 今シーズン、エンゲルスは黒部の目標として15ゴールを設定している。昨シーズンJ2で記録した数の半分という計算だ。
 「黒部は2試合に1度ゴールを決めてくれたら満足だ。今シーズン、黒部が最終的に15ゴールを挙げたら、私は嬉しいが、チームは良いプレーをして、黒部にチャンスを供給しなければならない。一人の選手のことより、そっちのほうがもっと大事なんだけどね」とドイツ人監督は付け加えた。

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マリノス−仙台戦に見るワールドカップ余熱

2002/07/17(水)

 先週土曜日、ワールドカップフィーバーを引き継ぐように、長かった休みをはさんでJリーグが再び始まった。
 いくつも好ゲームがあったのだが、私は横浜の三ツ沢スタジアムで行われたFマリノス対ベガルタ仙台を見に行った。
 そしてその試合は私の期待を裏切らない好ゲームであった。

 14,762人の観衆でスタジアムはほぼ満員で、そのうえスタジアム周辺のマンションのバルコニーからは、無料で観戦できる特等席だとばかりに住人たちが試合開始のかなり前からピッチを見下ろしていた。
 スタジアムはまるでヨーロッパでよく見られるサッカー風景のように、一方のゴール裏には黄色のシャツを身にまとったベガルタ仙台のサポーターの一団が、もう一方にはマリノスブルーの一団が陣取っていた。

 試合はと言うと、レッドカード1枚、イエロー3枚が出されたにもかかわらず、テンポの良いフェアな試合だった。
 ベガルタ仙台の森勇介は55分に1枚目のイエロー、そして試合終了6分前にはマリノスの俊足FW坂田大輔の足をひっかけ2枚目のイエローをもらい退場になった。
 とは言うものの、その時点で既にマリノスは奥大介とブラジル人DFナザのゴールにより2−0でリードしていた。
 レッジーナへの移籍が決まった中村俊輔が怪我で出場できなかった為、2トップ下中央で司令塔としてプレーしていた奥が58分に均衡を破るゴールを決め、続いてナザが30メートルの距離からFKをディフェンスの壁を突き破り右隅にゴールを決めた。
 しかし一方のベガルタも決して試合を諦めることなく、なんとか追いつくべく素晴らしいプレーをしていた。

 また主審の松村和彦氏の主審ぶりも素晴らしく、できるだけ試合の流れを断たないように、そして怪我を装いピッチに倒れ込む選手達にもすぐに立ち上がるよう指示していた。
 特に15分、ブラジル人FWマルコスが上野良治にファールされた時の主審は素晴らしかった。
 マリノスの主将、松田直樹がマルコスの手を引いて立たせようとしたのだが、マルコスは足をひどく痛めたフリをして見せ、松村氏は即座にイエローカードを提示した。マルコスはあくまで怪我をしているフリを続けるしか術がなく、30メートルほど足を引きずりながらサイドラインまで歩き、試合が続行されるなか治療を受けていた。
 この主審の毅然とした姿は素晴らしいものだった。こうしたことが、選手が無用にプレーを止めてファンの楽しみを奪うことを防ぐのだ。

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Jリーグのお手本、イングランドとアイルランド

2002/07/16(火)

 今シーズン、Jリーグのテーマの一つは、フェアプレーである。
 そして、選手たちに良きお手本を示すため、リーグの関係者たちはワールドカップのゲームを録画したビデオの編集を行なったのだが・・・、さて、どのチームがお手本になるのだろう?

 チャンピオンのブラジル? はずれ。
 準優勝のドイツ? はずれ。
 じゃあ、FIFAフェアプレー賞を受賞したベルギーはどうだろう?
 これも、違う。

 Jリーグがビデオで採り上げた2チームとは、じつはイングランドとアイルランド共和国であった。
 Jリーグの関係者は、これら2チームはあるべき精神、姿勢でゲームを戦ったと感じており、Jリーグの監督、選手にこのお手本を見習って欲しいと思っているのだ。
 主力選手であるリバウドのきわめて巧妙な、反則スレスレのプレーを見せられては、さすがにブラジルをお手本にはできないということなのだろう!

 Jリーグはビデオを全クラブに送り、クラブの会長から事務スタッフ、コーチ、選手に至るまで関係者全員に「ファアプレー」を要請した。
 このことは、1993年の発足以来未だ揺籃期にあるJリーグにとって、重要な出来事であった。
 Jリーグでもダイビングや負傷したふりをする選手は多くいるが、ファンが正直で、フェアな試合を楽しむことができるように、このような流れを早急に止めることは可能なのである。

 Jリーグが前述の2チームに注目するのは、まったく良いことだと思う。というのも、これらのチームの選手たちはすべてイングランドのプレミアリーグの出身であるからだ。
 プレミアリーグは、世界中で多くの愛好者を得ており、その数はイタリアやスペインをはるかに凌駕している。理由は、試合がハードで、フェアで、速いからだ。
 プレミアリーグでは、セリエAとは違い、レフリーはできる限りプレーを流そうとする。セリエAでは、ファールが激しく、素早いため、選手たちはゲームを進行させることより、倒れて、フリーキックをもらうことを好むのである。
 だから、Jリーグが再度注目を集めるときには、選手たちがプレーだけに意識を集中させ、リバウド・スタイルのトリックを真似ないように希望しようではないか。
 リバウドは偉大な選手ではあるが、彼はワールドカップを見た、世界中の数100万人の子供たちのお手本とはなっていないのである。

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チャンスだ、イナ

2002/07/15(月)

 ワールドカップは、日本の稲本潤一にとって最高の舞台となった。
 そして今、稲本は最高の移籍先を獲得した。イングランド・プレミアリーグのクラブ、フルハムである。
 アーセナルの監督、アーセン・ベンゲルは、稲本はガンナーズ(アーセナルの愛称)では実力不足だとはっきり感じとり、1シーズンで稲本を放出した。
 Jリーグからやって来た稲本のほうはロンドンを去るのを嫌がっていたので、今回のガンバ大阪からフルハムへの移籍は誰もが満足のゆくものであった。

 フルハムには潤沢な資金がある。エジプト出身のオーナー、アル・ファイド氏は、ロンドンの名門百貨店、ハロッズのオーナーでもあるからだ。
 とはいえ、同じくロンドンを本拠とする他のクラブ、アーセナルやトットナム、チェルシーに比べると、フルハムはまだスモール・クラブにすぎない。
 昨シーズンは、3番目の重要度しかないリーグ・カップやUEFAチャンピオンズ・リーグの試合の終盤に2、3回交替として起用されただけの稲本にとっては、1軍でプレーするチャンス、とくにプレミアリーグでのチャンスはずっと多くなるだろう。
 ポジション争いも激しくなるだろうが、毎週プレッシャーを感じながらプレーすることも、稲本のためになるだろう。
 もっとも、ベンゲルが築き上げたヨーロッパ最強の軍団、アーセナルに匹敵するような激しいポジション争いはどこにも存在しない。
 つまり、稲本も、多くいる日本人の稲本ファンも、彼がハイバリー(アーセナルの本拠地)で成功できなかったと言ってがっかりする必要はないのである。

 アーセナルの練習場とベンチでほとんどの時間を過ごしてきた稲本は、ワールドカップの期間、闘争心を全面に出し、自身の良い点をアピールしようとする若手選手のようなプレーを見せた。
 ベルギー戦とロシア戦では、見事なゴールを2つ決め、彼の自信と技術レベルは依然高いレベルにあることを示した。
 元ガンバ大阪のミッドフィールダーはまだ22歳で、ヨーロッパのクラブ・サッカーの最高レベルで実力を発揮する時間はたくさんある。

 稲本はプレミアリーグで成功するだけのフィジカル面の強さとパワーを備えている。しかし、レギュラーとしてプレーする場合、ゲーム展開の速さに対応できるようになるには時間がかかるかもしれない。
 試合勘が欠けていることは、ワールドカップの準備に日本に帰国したときに明らかであったが、新しいチームメートとうまくプレシーズンを過ごすことによって、チームに対応できるようになり、さらに新しいシーズンで先発レギュラーの座を獲得できるようになるかもしれない。
 稲本は、ガンナーズでの物足りない思いから多くを学んだかもしれない。かつてのフランス代表ミッドフィールダー、ジャン・ティガナが率いるフルハムでは、稲本は臆せず、ためらわず、ゲームを支配しようとしなければならない。

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名選手ジーコは果たして名監督になれるか?

2002/07/15(月)

 正直なところ、ジーコが新しい日本代表監督に就任すると聞いて驚いた。
 私はてっきり日本サッカー協会は、トルシエの後を引き継いで日本代表チームを次のレベルに引き上げてくれる、経験あるヨーロッパ人の監督を選ぶだろうと思っていた。
 今年の正月、トルシエがワールドカップ後に日本を去る事を正式に発表した直後、私はすぐにフース・ヒディンクこそ次の監督にふさわしいと思った。
 その当時、ヒディンクは韓国代表で結果を出せずに苦悩の日々を送っていたが、ワールドカップで準決勝まで進出するや一転、素晴らしいコーチであることを証明してみせた。
 今となってはもちろん、ヒディンクを雇う事など遅すぎるのだが、果たして彼に日本サッカー協会から代表監督の就任要請があったかどうか興味深いところだ。

 ジーコ監督の就任はどうやら一人の人物の一存によって決められたようだ。川淵三郎。岡野俊一郎の後継者として日本サッカー協会会長就任がほぼ決定している人物だ。
 ファン、メディアを通じて有名で、且つ日本のサッカー界をよく知っていること、それこそ川淵が徹頭徹尾望んでいたことだからだ。
 もちろん日本のサッカー界を知っていることは利点と言えよう。しかし、知名度や人気は、良い監督の条件だろうか?
 今の段階では答えは見つかるべくもない。

 事実、ジーコは監督としての経験はないに等しい。
 1994年の現役引退以来、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを数シーズン務めてきた彼だが、実際の指揮はあくまで監督代理として12試合にすぎない。
 1999年のセカンドステージは11試合中8勝をあげ、2000年トニーニョ・セレーゾが監督に就任する前、彼の最後の1試合は負け試合だった。

 ブラジルの伝説的なプレーヤーと並び、現役時代は名選手として活躍したジーコだが、トルシエがしっかりとした基盤を作った日本代表を次のレベルに引き上げるための戦術的な知識や、代表選手達とのコミュニケーション能力はあるのだろうか?
 選手達がヨーロッパ的なサッカーを身につけてしまった今、日本サッカー協会がジーコを代表監督に就任させるのは、ある意味とてつもなく大きな賭けだと思う。
 もしかすると、私はあまりにも悲観的なのかもしれない。しかし私にはやはり経験あるヨーロッパ人の監督が最適だったように思えてならない。
 今はただ黙って見守っていくしかないだろう。

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完ぺきだったカーン、そうでなかったリバウド

2002/07/03(水)

 2002年ワールドカップの最高の選手に贈られる、ゴールデン・ボール賞の候補者10人のうち4人は、ブラジルの選手である。
 しかし、日曜日の投票では、私はドイツの選手を選ぶつもりだ。
 私にとっての最高の選手は、ドイツのキャプテンにして、ゴールキーパーのオリバー・カーンである。

 カーンはこれまで6試合で1ゴールしか許しておらず、ドイツの決勝進出の最大の功労者であった。
 私はドイツの全6試合のうち5試合を現場で見ており、サウジアラビアに8-0で圧勝した試合だけは、ソウルから成田に戻った後のテレビ観戦であった。
 どのゲームでも、カーンは少なくとも1点、ほとんどの場合は2点か3点、確実に失点となるピンチを、その勇気と機敏さ、予測能力で防いできた。
 欠点もなかった。あえて言えば、ボールをキャッチせずにパンチングで処理したことが多すぎたくらいだろうか。
 しかし、これは新しい試合球である、アディダス社のフィーバーノヴァが原因かもしれない。
 大会が始まって間もない頃、アイルランドのゴールキーパー、シェイ・ギブンが言っていたのだが、フィーバーノヴァをキャッチするのは濡れた石鹸の塊をキャッチしようとするようなもので、彼もボールをパンチングでクリアしなければならない場合が普段より多くあったそうだ。

 念のため残りの9名の候補者を紹介すると、ミヒャエル・バラック(ドイツ)、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ(いずれもブラジル)、エルハジ・ディウフ(セネガル)、フェルナンド・イエロ(スペイン)、ホン・ミョンボ(韓国)、ハッサン・シャシュ(トルコ)がFIFAのテクニカル・スタディー・グループによりノミネートされている。
 カーンが受賞すると思うが、ブラジル選手の可能性もある。
 ロナウドかロナウジーニョが受賞するのなら構わない。ロナウジーニョは、準々決勝のイングランド戦で退場の憂き目に遭っているからなおさらだ。
 もしリバウドが最優秀選手に選出されるなら、私はその決定はばかげたものだと思う。

 今回のワールドカップの開幕前から、よく見られる2種類の反則行為はレフリーが厳しく取り締まることになっていると、FIFAは述べてきた。その反則行為とは、シャツを引っ張ることと負傷したように見せかけ、相手チームを不利な状況に陥れることであった。
 ブラジルの初戦のトルコ戦でリバウドがしたことは、ゲームを冒涜する行為であったし、イングランド戦でも負傷したふりをして、時間稼ぎを2、3回続けた。
 トルコ戦では、リバウドはボールが顔に当たったように見せかけて負傷を装い、トルコ選手が退場処分を受けた。実際には、ボールは大腿に当たっていたのである。
 これこそが、世界中の青少年への悪影響を考慮し、まさにFIFAが撲滅しようとしているものであった。
 もし子供たちにリバウドのこのような振る舞いを見せて、しかも彼をワールドカップの最優秀選手に選定するのなら、教訓はいったいどこにあるのだろう?

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ロナウドのもたらしたハッピーエンド

2002/07/02(火)

 ワールドカップ2002はこれ以上の終わり方はなかった。 
 決勝戦後半での25才のスーパースターによる2ゴールは、激しい追撃をしかけるドイツにとどめを刺し、ロナウドとブラジル代表チームは再び世界一の栄冠を手にした。
 ロナウドにとっては1998年から続いた悪夢と、そして近年繰り返していた膝の故障を断ち切る、まるでおとぎ話のエンディングのようであった。

 4年前の対フランス決勝戦の朝、ひきつけを起こしたロナウドは、その影響もあってか、試合ではとても本来の彼自身ではなかった。
 その後、事態は好転するどころか、かえって故障の連続でどんどん悪化していった。しかし彼は代表監督、ルイス・フェリペ・スコラーリの信頼を裏切る事なく、1970年ワールドカップメキシコ大会で西ドイツのゲルト・ミュラーが記録した10得点以来最多の8得点を記録した。
 ロナウドはこれで伝説のプレーヤー、ペレと同じく、ワールドカップ通算12得点をあげ、サッカーの神話にその名を刻んだ。
 アジアで初めて、共同開催として初めてという今大会は、これ以上はないという終わり方をしたのではないだろうか。

 5月31日から6月30日までの今大会で他に特筆すべき事をあげると、全国を赤一色に染めた韓国代表が準決勝へ進出した事、日本代表も国を青一色に染めたがセカンドラウンドでトルコに敢えなく敗退した事、そして優勝候補にまであげられたフランスやアルゼンチンがファーストラウンドで敗退した事だろう。

 それでは共同開催は果たして成功だったと言えるのだろうか?

 私個人の感想だが、苦い過去を抱えた韓国と日本両国が共同で開催したと言う事実と社会的見地から見ると、成功したと言い切って良いのではないだろうか。
 一つの事例をあげると、韓国代表がスペイン代表を破った後、青いシャツをまとった日本の若者達が赤いシャツをまとった韓国の若者に混じって韓国の勝利を祝っていた。
 すべては韓国の勝利の為にである。そして今度は突然韓国サポーターから「ニッポン!ニッポン!」の声があがった。

 サッカー、そして経済的な見地から言うと、私は20都市、20スタジアムでの開催は多すぎると感じている。
 個人的には以前のように1・2都市を基盤として開催される大会の方が好きだ。
 移動は少なくて済むし、各国代表や集まったサポーター達がもっと深い絆のようなもので結ばれる。
 1ヶ月の大会期間中、少なくとも1カ所で少なくとも6試合を行う事ができる、8〜10会場でワールドカップを行うのが経済的に見ても妥当だと思う。
 日本が10都市で大会を開催すると発表した後、自然と韓国も同様に決定したが、これらの会場のうち特に韓国では何箇所が、将来にサッカー会場として使われるのだろうか?
 殆どの会場がたった3試合をホストしただけでワールドカップは終わってしまった。特に鹿島などは6年もの準備期間をかけ、たった1週間で終わってしまったのだ。
 各地域の準備委員会にとって、巨額の費用を注ぎ込み、また多くのトラブルを味わい、果たしてワールドカップを誘致した事は良かったのかと思わせるような事は実にばかげていると思う。

 FIFA会長、セップ・ブラッター氏は2大会分の出費で1大会分の収益しかあがらないと語っていた。
 確かに二つのワールドカップが同時に開催されているようだった。日本に居ると韓国での大会の様子がなかなか伝わらないし、逆の場合もまた同じだ。
 セカンドラウンドの取材で韓国に滞在していた時などは韓国―ドイツ戦が決勝戦のように思えたし、日本で行われたブラジルートルコ戦などは韓国では誰も注目していなかったようであった。

 しかしFIFAが1996年に共同開催を決定してから、韓国と日本はアジアの名誉を賭けて最善を尽くしたと言って良いだろう。
 そもそも両国とも共同開催を望んでいたわけではなかったのだから。

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ロナウド完全復活!

2002/06/29(土)

 皆さんにはワールドカップ準決勝、対トルコ戦でのロナウドの素晴らしい決勝ゴールシーンで何が起こったのか見えただろうか?
私には見えなかったし、きっとトルコ代表GKリュストゥ・レチベルにも何が起こったのか見えなかったに違いない。

 ロナウドがMFジウベルト・シウバからパスを受けた時、そのポジションからはシュートを打つのは難しいように見えた。
 彼はペナルティーエリアの外に居たし、彼の前にはトルコチームの半数のプレーヤーが居た。
 しかし、ディフェンス陣は彼に突破を図るのに充分なスペースを与え、4人のディフェンダー達が今にもタックルをしようとしていた。
 次の瞬間、突如ボールがどこからともなくゴールネットを揺らしたのだ。
 彼の右足はほとんど後ろに振り上げられることがないまま、つま先だけでファーサイドに向かってボールを突き刺したのは見事だった。
 キーパーはなんとかボールに触る事はできたが、ファーコーナーにボールが吸い込まれるのを防ぐ事はできなかった。

 それはディフェンダーをかわし、GKを1対1で破って決めるいつもの彼のようなシュートではなかった。
 どちらかと言えば、ここ2大会では代表に選ばれていないが、1994年のワールドカップでブラジルを優勝に導いたスター、「ペナルティーエリアの狩人」ロマーリオのようなシュートだった。
 しかし、これは代表監督ルイス・フェリペ・スコラーリの選択が正しかった事を証明した。
 ロナウド、リバウド、そしてイングランド戦での警告で準決勝には出られなかったロナウジーニョの3人がいればブラジルにはロマーリオは必要ない。

 トルコ戦での彼のゴールはまぎれもなく、ずば抜けた予測不能な技術で接戦をものにする事のできる真の天才のなせる技だった。
 それはまさしく独創的で、突飛でもあり、いやこれこそロナウドなのだ。

 ファーストラウンドを日本で観戦し、セカンドラウンド、準々決勝、準決勝と韓国で観戦した私にはこれが今大会ブラジルを見る初めての機会だった。
 魅力的ではあるが、ここ一番の決定力にやや欠けるトルコ戦での僅差での辛勝は、私にとっては少しも不満を抱かせるものではなかった。

 試合後のミックスゾーン(ロッカールームからバスへ向かう途中に設置されたインタビューエリア)でロナウドは自身のゴールを「ロマーリオ・スペシャル」と表現し、ようやく悪夢から解放されたと語った。
 その悪夢は1998年のワールドカップ・フランス大会で膝の故障に加え、引きつけの発作を起こしその後不調に陥った事に始まった。

「今じゃ全てのゴールが勝利さ」
「ピッチに入る事がこれほど光栄で喜ばしい事はないよ」彼は語った。

 今の彼に4年前のような、弾けた、爆発的でダイナミックな姿はないかもしれない。しかし25才になったこのスーパースター今大会でブラジルを優勝に導き、自身も得点王に輝く力を充分持っている。
 彼はすでにワールドカップで通算10ゴールをあげている。この数字はかの伝説のプレーヤー、ペレが1958年〜1970年にあげた12ゴールに2ゴール足りないだけである。
 ロナウドもまた伝説として語り継がれるプレーヤーになるのだろうか?
 もし日曜日に行われるドイツとの決勝戦で彼が2ゴールをあげ、ブラジルを優勝に導いた時、彼の名は間違いなくワールドカップの歴史にその名を刻む事になるだろう。

 彼にとってピッチに入る事は栄誉と喜びであるとしたら、我々にとってもピッチに入る彼を見る事は等しく栄誉であり喜びである。
 もちろんそれはドイツ人であったとしても等しく感じる事だろう。

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韓国選手が、ヨーロッパ・サッカーに新風を吹き込む?

2002/06/26(水)

 イングランドで活動する、あるサッカー代理人は、ワールドカップでの韓国の躍進が、ヨーロッパ・サッカーに新風を吹き込むことになると信じている。

 韓国が大会で勝ち進むにつれ、何人かの選手がヨーロッパのクラブの関心を集めている。
 たとえば、スター・ストライカーのアン・ジョンファンには、チェルシーとエバートンが注目していると言われているし、同じくフォワードのソル・ギヒョンにも、イングランドのプレミアリーグのスカウトが好印象を抱いたそうだ。
 韓国の3トップの右サイドでプレーした、パク・チソンも京都パープルサンガからイタリアに移籍するかもしれない。彼のことを、中田英寿のように強靱で、ダイナミックな選手だと評価する、セリエAのクラブがいくつかあるようだ。

 現在、ソル・ギヒョンはベルギーのアンデルレヒト所属である。
 昨年の夏に3年契約を結んだので、契約期間はまだ2年残っている。
 ただし、それだけでソルがアンデルレヒトに留まるということにはならない。1年目のシーズンのほとんどを、彼はベンチ要員として過ごしたからだ。

 ソル・ギヒョンのイギリス人の代理人、マイケル・ダーシーによれば、アンデルレヒトはワールドカップでのソルの力強いプレーに非常な衝撃を受けているようだ。
「アンデルレヒトは、感心しています。というのも、アンデルレヒトは彼の起用方を間違っていたからです」とダーシーは語る。
「アンデルレヒトは、ゴールに背中を向けてプレーする、トップ・ストライカーとしてソルを起用してきました。しかし、彼のプレー・スタイルは、左右に開き、足もとでボールを受けてディフェンダーと勝負するほうが合っている。このプレー・スタイルでやったから、彼はワールドカップで活躍できたのです」

 アンデルレヒトの上層部はソルが残留することを望んでいるが、次のシーズンで定期的にプレーできるという保証が得られなければ、ソルは移籍を要望することができるかもしれない。そうなれば、ベルギーのクラブは多額の移籍金を手にすることができる。もともとソル・ギヒョンは、ロイヤル・アントワープで1年プレーした後、ほとんどタダ同然で獲得した選手である。
 ソルはまだ23歳で、2000年の夏、大学を卒業して直接アントワープに入団した。

 韓国のレギュラー11人のうち60パーセントの選手はヨーロッパの最高のレベルでもやれる、とダーシーは信じている。
「韓国選手は、ヨーロッパ・サッカーにおける北欧系の選手のような存在になれると思っています」とダーシーは説明する。
「北欧の選手は、フィジカルがとても強くて、つねに100パーセントの働きをします。北欧の選手と契約したチームは、どれだけの働きをしてくれるのかを正確に把握できます。私は、同じことが韓国の選手にも言えるのではないかと思っています。
「韓国の選手、アジアの選手に能力があるのは、我々には前からわかっていました。今、世界中の他の人々もそれがわかるでしょう」

 ダーシーによれば、いちばん重要なファクターは適切なクラブを選ぶことだそうだ。アーセナルと契約するのは、あまり適切とは言えない。稲本潤一の例を見ればわかるように、レベルが高すぎるからだ。

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世界はアジア主催のワールドカップをどう評価するのか?

2002/06/24(月)

 全ては韓国代表チームを準決勝へ進ませる為の陰謀なのか?
 それとも単に審判達の偶発的なミスジャッジがたまたま韓国の対戦相手に不利に働いたというのか?

 日曜の朝、正直なところ私は複雑な気持ちを胸に光州を後にした。
 アジアのチームが準決勝に進出を果たし、そして国中をあげてチームの勝利を祝う人々を見る事ができたという事はとても嬉しい事だ。
 しかし同時にスペイン代表チームに対しては主審やラインズマンのとんでもない誤審の犠牲になったと気の毒に思えた。

 最悪の事態は延長戦に入ってすぐに起こった。その日スペインの右ウイングとして素晴らしい働きをしていたホアキンがエンドゾーンすれすれから中へクロスを上げ、それに合わせたフェルナンド・モリエンテスが頭でボールを押し込んだ。
 しかしラインズマンはホアキンがクロスを上げる前にエンドゾーンを割っていたとジャッジした。テレビのビデオリプレイでは明らかにエンドゾーンを割っていなかった上に、ラインズマンにはそれがはっきり見えていた筈であった。一体何故彼は誤審したのだろうか。

 韓国は防戦中にも関わらず、ラインズマンが旗を挙げ、主審が笛を吹くやいなやゴールキーパーの李雲在を含め全員が動きを止めた。一方のモリエンテエスと言えば、もちろん笛は聞こえていたと思うが、それにかまわずヘッドでボールをゴールへ押し込んだ。
 これでスペイン、イタリア、そしてポルトガルが韓国の前に破れ去った。これまで5回の大会、14試合に一度も勝った事のない韓国にである。疑わしいって?

 囁かれている陰謀説とはこうである。

 韓国で行われる試合のチケットの売れ行きは韓国戦を除いて非常に悪い。これは渡航にかかる費用の高さと韓国が遠いという事なのだが、FIFAにとってはワールドカップ熱が冷めないように、そしてこの一大イベントのイメージの崩壊、そして韓国側のオーガナイザーにとっては大赤字を防ぐためにはどうしても韓国に勝ち進んでもらわなければならない。
 韓国が準決勝にすすんだ為、火曜日に行われる準決勝のドイツ戦のチケットは売り切れだ。もし韓国が負けたとしても3位決定戦は土曜日に大邱で行われる。
 仮に準決勝で韓国がドイツに勝ったところで決勝戦のチケットは問題なく売り切れるだろう。そして韓国の快進撃を妬んだ日本人は韓国人に闇でチケットを売って大儲けすると言うのだ。

 ヨーロッパの国々が韓国をトーナメントに残す為の陰謀だと主張しているが、実際には韓国戦のみならず、単に審判員のレベルが低いというのが妥当であろう。
 これはFIFAにとって由々しき問題である。
 日本を3−2でベルギー戦勝利に導いたはずの稲本潤一が完璧なゴールがファールでもないのにファールだったとして取り消した主審も居た。これはホスト国をなるべく残すという陰謀説には明らかに反する。

 史上初めてアジアのチームが準決勝に進出したというのは素晴らしい事だ。
 ただ願わくばこういった疑惑を招くような状況でなければよかったと思う。そうであったならばアジアのサッカーも、そしてアジアで初めて開催されたワールドカップ自体も世界から正当な評価をしてもらえたはずなのだ。

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アジア、ガウチに反撃

2002/06/23(日)

 アジア・サッカーのボス、ピーター・ヴェラパン(アジア・サッカー連盟・事務局長)の言う通りだ。ペルージャなんて、もういらない。

 ヴェラパンのコメントは、ワールドカップのセカンド・ラウンドでペルージャのプレーヤー、アン・ジョンファンがイタリアの脱落を決定づけるゴールを決めたあと、イタリア人のクラブ・オーナー、ルチアーノ・ガウチがした信じられないくらい無軌道な発言についてである。

 ガウチは、6月末で期限切れとなるアンの契約を更新するつもりはなく、ペルージャはアンを保有することには興味がない、と言明した。
「ペルージャに来たとき、彼は哀れな、迷える小羊のようで、サンドイッチを買う金もなかった」とガウチ。
「彼は特別たいした仕事もせずに金持ちになり、それから、ワールドカップでイタリアを破滅させたのである」

 ガウチのコメントに対して、ヴェラパンは激しく反論した。日本や韓国といったアジアの選手が今回のワールドカップでやったように、アジアがヨーロッパに対して立ち向かうのは、良いことだと思う。

 ペルージャがアジアの選手と契約したのは、レプリカ・シャツやテレビ放映権料、それにアジア企業のスポンサー料で金儲けをしたいがためにすぎない、というのがヴェラパンの言い分だ。
 この点に関してはヴェラパンの言う通りであり、アンがペルージャにこだわる理由なんてない。

 昨年10月、私はローマとのサタデーナイト・ゲームを見るためにペルージャを訪れた。
 次の日には、中田英寿が出場するピアチェンツァ戦を見るために、電車でパルマに向かった。

 ペルージャは美しい歴史都市で、ウンブリアの山々の眺めは息をのむほどであった。
 街の窪地にある、ペルージャ・フットボール・クラブは荒廃していた。スタジアムは古くて、オンボロで、選手やオフィシャル、VIP、メディアのための設備は、ひどい有り様だった。
 しかし、クラブは強運に恵まれていた。1998年のワールドカップの後、移籍金330万ドルでベルマーレ平塚から中田を獲得したのである。

 中田は、セリエA初戦のユベントス戦でいきなり2ゴールをあげるという衝撃的なデビューを果たした。最初は日本で、それからアジア各地で、ファンが中田の背番号7の付いたペルージャのユニフォームを先を争って買い求め、日本の観光客は、ローマから電車でわずかの距離にある、ペルージャに大挙押し寄せた。
 1シーズンと半分が過ぎたとき、ペルージャは中田をローマに1,600万ドルで売りに出した。シャツの販売やテレビなどの儲けを別にしても、ペルージャは1,200万ドル以上の利益を得たことになる。

 その後、ペルージャは2匹目のドジョウを狙い、中国では馬明宇と、韓国ではアンと契約を結んだ。
 どちらの契約も、完全移籍ではなく、レンタル移籍だった。大金を費やしたあげく、もしその選手が中田ほど良い選手でなく、売れない選手だとわかった場合にその全額を失うことを、ペルージャが望まなかったからである。

 もちろん、彼らは中田のようにピッチの内外で大ブームをおこすような選手ではなかった。
 アンはペルージャではほとんどの時間をベンチで過ごした。アンの完全移籍契約を結ぶために、ガウチがアンの所属する韓国のクラブ、プサン・アイコンズに400万ドルを支払う気があるとは、私にはどうしても思えない。

 イタリアの敗北は、ペルージャとガウチに宣伝のチャンスを与えた。
 しかし、その結果として、イタリアはまたも敗者になってしまったのである。

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次の日本代表監督は誰だ?

2002/06/21(金)

 日本代表監督としてのトルシエの時代は終わりを告げた。日本サッカー協会の次なる一手はどうなるのだろうか?
 既に巷では空席となる監督の座を巡って色々な名前が取り沙汰されている。

 1998年のワールドカップでフランス代表チームを優勝に導いたエメ・ジャケ氏、初出場のセネガルを率いて今大会で旋風を起こしたフランス人監督ブルーノ・メツ氏、過去5大会に連続してそれぞれ違う国を率いたボラ・ミルチノビッチ氏、そして今や韓国の英雄となったオランダ人監督フース・ヒディンク氏などがそうだ。

 トルシエは自身を評して、若いチームを育てる事に才があるとよく言う。
 この点についてはユースチーム、オリンピック代表チーム、そして日本代表チームを率いた彼の仕事ぶりからよく見てとれる。

 トルシエはユースチームから中田浩二、稲本潤一、小笠原満男、本山雅志、そして高原直泰を代表チームに抜擢し、彼らは将来の日本代表チームを支える強力な礎となるまで成長した。
 そして今、日本が必要としているのはチームを次のレベルに導いてくれる監督だ。

 前述した候補者の内、ヒディンク氏が最適のようにも思えるが、仮に日本サッカー協会が彼に監督就任を依頼したところで実現する可能性は殆どないだろう。
 それこそ、今大会の準備期間からコツコツと積み重ねてきた日韓両国の関係はアッという間に崩壊してしまうに違いない。ヒディンク氏の監督就任はないと言っていいだろう。

 ミルチノビッチ氏は今大会では中国代表チームをセカンドラウンドに導く事ができなかったが、彼は率いるチームをセカンドラウンドに導く術を知っている。日本は彼を高く評価するべきだろう。
 ジャケ氏はトルシエよりも年長で、さらに思慮深く、そして温厚であり日本サッカー協会が最も切望している一人である。トルシエが実績を挙げ、サポーター達の人気を得るまで何かと衝突を繰り返してきた日本サッカー協会にとってはジャケ氏はずっと扱いやすいだろう。
 メツ氏はアフリカ諸国の代表監督を務め、さすらい者、異端児と称される所などはトルシエとよく似ている。
 ただ、近年メツ氏はセネガル人女性と結婚し、アブドゥル・カリーム・メツと現地名まで持っている。彼にとって、今やアフリカが母国になってしまったのかもしれない。

 現時点ではジャケ氏が最有力であろう。
 しかし、誰が最適であるかと問われれば、それは間違いなくヒディンク氏だろう。

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最後まで不可解だった、トルシエ

2002/06/19(水)

 日本のワールドカップは、終わった。
 そして、なにかと物議を醸しながらも結果を残した代表監督、フィリップ・トルシエの職務も終わった。

 フランス人監督は選手起用でいつも人々を驚かせてきた。選手の取捨選択では、わざとエキセントリックに振る舞おうとしているのではないかと思えるときもあったくらいだ。
  この点においては、彼は以前と変わらず予測不可能であり、セカンド・ラウンドのトルコ戦での1−0の敗戦には、どうしても後悔の気持ちが残ってしまう。

 グループ・リーグの3試合では、トルシエは3−5−2のフォーメーションを採用し、鹿島アントラーズのコンビである、鈴木隆行と柳沢敦をトップに配していた。
 二人のストライカーは、初戦のベルギー戦での鈴木の同点弾1ゴールしか記録できなかったが、コンビとしての連携は良く、力強いランニングとボールから離れた位置での仕事ぶりにより、相手ディフェンダーに手を焼かせていた。

 それゆえに、トルコ戦でトルシエが二人を先発から外したときには奇妙な感じがしたものである。これは、自分のチームことを考えるより、相手のチームを警戒するほうに、トルシエの心が動いたからだろう。トルコはアントラーズ・コンビを徹底的に研究しているとトルシエは踏んだのに違いない。
 そして、トルシエは西沢明訓とブラジルから日本に帰化した、アレッサンドロ・“アレックス”・ドスサントスを先発に起用した。

 不可解であった。
 西沢はグループ・リーグの3試合ではまったく出場していなかったし、アレックスはトルシエの5人のミッドフィールダーのうちの1人として左サイドで起用されたことがあるだけで、日本代表のストライカーとしてプレーしたことはなかった。
 この選手起用を考えると、日本をセカンド・ラウンドに導いたやり方を貫く代わりに、トルシエはトルコの機先を制することを優先したのである。

 西沢は感情の起伏の激しい選手で、チーム・プレーを怠ったり、集中を欠くことがよくある。実際、彼は前の代表監督、岡田武史に代表候補合宿からの帰宅を命じられたこともある。やる気がないというのが、その理由だった。
 驚くことに、トルシエはおよそ彼らしくないくらい西沢に執着してきた。しかし、西沢は、スペインのエスパニョールに続き、イングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズでも散々な失敗をしてきた。鈴木と柳沢の2人のほうが信頼できるし、チームの一員としてうまく機能することができるだろう。

 アレックスは左足のフリーキックでボールをゴールの角にぶつけたし、西沢は後半の開始早々にシュートを2本打ち、1本はヘディング・シュートでキーパーの正面に飛び、もう1本はバーのはるか上を越えたが、日本はグループ・リーグを席巻してトップに立ったときのような勢いとリズムを失っていた。

 さらに、トルシエはどうして試合終了5分前まで、森島寛晃をベンチに置いていたのだろう?
 精力的に動き回る、小柄なストライカーは、チュニジア戦では日本の流れを変える働きをしたのに、またもベンチに座らされたままでは、かなりフラストレーションを感じていたに違いない。
 トルコ戦では、日本でのできが良くなかったのは残念だが、その原因がトルシエの変心にあるのは確かである。

 トルシエは日本代表の監督としてとても良くやってきた。しかし、実績があって、信頼もできるラインアップでゲームに臨んでいれば、トルコには勝てたのではないかという気持ちも残る。
 フランス人監督は、こんな形で代表監督の職務を終えるべきではなかった。

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「ヒディンク症候群」に溢れる韓国

2002/06/17(月)

 日本ではトルシエ株が急上昇しているらしい。しかし、韓国でのフース・ヒディンクのそれには比べるまでもない。
 いまや韓国全土のあらゆる新聞、そしてテレビにこのオランダ人監督の現れない日はないとさえ思える。
 彼は韓国代表チームをワールドカップ史上初の勝利、そしてさらにはベスト16に導いた。そしてそれは、韓国の人々にとって単なるスポーツでの成功ではないのだ。
 彼らが過去のワールドカップで背負ってきたコンプレックスを吹き飛ばし、韓国に国家の威信と誇りを取り戻してくれたのだ。

 例えば、英字新聞の「Korean Times」日曜版の社説欄に目を通してみると、「世界の他の国の人々には、200万人以上もの人々が街に溢れ大スクリーンの前で心を一つにし、熱狂的に代表チームを応援している様子が想像できるだろうか」
「代表チームの偉業は単にサッカーでの勝利というだけでなく、我々の国際的威信と国民の自信と士気を世界に示すことなのだ」
 この力に溢れた言葉は、まぎれもなくこれまで5回のワールドカップに出場し引き分け4、敗戦10のあの韓国から発せられた言葉なのだ。
 まさに韓国は「ヒディンク症候群」で溢れている。

 国民の中には、韓国代表がポーランド代表相手に歴史的な勝利をおさめた6月4日を祭日にしようとする声もあり、またその会場だった釜山スタジアムを「釜山ヒディンクスタジアム」と改称するという報道もあった。
 いまや彼は韓国全土、全ての女性の憧れの男性となり、街には「ヒディンク人形」やTシャツがいたるところで売られている。

 思えば、ヒディンクが解雇の危機にさらされたのはそれほど昔の話ではない。
 今年初めにロサンゼルスで行われた北中米カリブ海サッカー連盟のゴールドカップで韓国代表は散々な成績だった。そして韓国メディアのほとんどが代表監督の解雇を叫んだのだ。そう、まるでトルシエが日本のメディアの総攻撃を受けた2002年春のように。

 しかし、この2人の監督は地道にしかし確固とした歩みでチームを率いてきた。
 選手達に自己表現力と自信を持ち、ポジティブであれと指導する以前にそれぞれの文化をも相手に戦わなければならなかった彼らの道は険しいものだっただろう。
 いまや、国民、選手のみならず、あれだけ批判を繰り広げていたメディアまでがヒディンンクやトルシエは間違っていなかったと言う。

 ワールドカップが白熱していく中、この二つの共催国がたとえ敗れ去ったとしてもこの極東の国々にとってはすべてが始まったばかりなのだ。

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日本の終わりなき物語

2002/06/16(日)

 ワールドカップでの日本の冒険は、グループHを見事勝ち抜き、いよいよ3週目に入る。
 青のユニフォームに身を包んだフィリップ・トルシエのチームは、金曜日に大阪で行われたチュニジア戦で引き分けてもベスト16進出が可能だったが、勝ちに行くだろうというのが大方の予想であった。
 そして日本は、先週の土曜日にロシアを破り、ワールドカップでの歴史的初勝利を果した試合に勝るとも劣らないパフォーマンスを発揮した。

 大阪の陽射しのなか、日本の選手たちはピッチを縦横に駆け回り、うだるような暑さの後半戦、アフリカのチームを粉砕したのである。
 次の試合は、火曜日の午後、仙台近郊の宮城スタジアムでのトルコ戦だが、わずか2回のワールドカップ出場で日本がさらに先のステージに進出することも充分考えられる。

 トルコは、グループCでの立ち上がりがあまりよくなく、まったく望みのない中国をなんとか3−0で破り、コスタリカを抜いてグループ2位の座を確保した。
 日本がトルコを怖れる理由はなにもない。トルコは、地区予選のグループでスウェーデンに次いで2位となり、ホーム・アンド・アウェイのヨーロッパのプレーオフで、弱体のオーストリアを破ってようやく本大会出場を決めたチームなのである。
 また日本戦では、トルコは、エムレアシクとエムレベロゾールの2人が出場できない。一方の日本は、ベスト・メンバーでゲームに臨むことが可能である。

 日本は5人の選手—稲本潤一、中田浩二、宮本恒靖、戸田和幸と控えのストライカー、中山雅史—が前の2試合でそれぞれ1枚ずつイエロー・カードをもらっており、チュニジア戦で2枚目のカードをもらえばセカンド・ラウンドの次の試合が出場停止になるところであった。
 しかし、だれもカードをもらわないようにプレーしたこと、とくにディフェンダーの中田と宮本、激しいタックルの中盤のコンビ、戸田と稲本がカードをもらわないようにプレーしたことに、日本チームの規律の高さが表れている。

 日本とトルコは過去に1度だけ対戦をしている。1997年6月15日、毎年行われるキリンカップの大阪での試合で、日本は森島寛晃のゴールにより1−0でトルコを破っている。
 その時と同じ選手が、チュニジア戦の後半開始から交替で入り、48分に先取点をあげたわけである。先発メンバーには入れなくても、森島は現在もトルシエが好み、もっとも信頼する選手である。
 森島はつねに利発で、精力的で、守備をディフェンダー任せにはしない。ゴールを奪う感覚も持っており、自身の所属クラブであるセレッソ大阪のホーム・グラウンドで行われたチュニジア戦では、素早い反応で右足のきれいなシュートをゴールネットに叩き込んだ。

 どの試合でも、トルシエは、柳沢敦、鈴木隆行という2人のストライカーを起用し、中盤から中田英寿がサポートするという形をとってきたが、専門家の多くは、日本は1人のストライカーを2人のミッドフィールダーがサポートする形のほうが良いのではないかと感じている。
 この戦術は、チュニジア戦の後半ではものの見事に当たった。このときは、鈴木がいつもの位置にいて、中田と森島が下った位置から相手を攻めるというものであった。
 トルシエがストライカーを2人配した場合には、中盤で中田の仕事が多くなりすぎることがよくあったのだが、森島が入ると、中田の負担がかなり軽減されるのである。

  その中田はチュニジアに大きく立ちはだかり、後半では見事なヘディング・シュートを決め、MVPを受賞した。
 ゴールを決めた後、中田は、右からクロスのボールを出した市川大祐に左手で投げキッスを送った。
 84分に中田が交替でピッチから下がるとき、チームメートたちは次々と中田の手を握った。
 タッチラインのトルシエも同様で、ダッグアウトに向かう中田の背を親しげに叩いた。

 青の熱病は日本中に広まった。トルシエの言うように、ワールドカップの3試合で彼のチームは「ダイナミックな勢い」を得たのである。
 そして、火曜日にトルコを破るのに必要なのは、その勢いなのである。

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日本よ、気を抜くのは早い!

2002/06/14(金)

 日本は金曜日の午後、大阪長居スタジアムで行われるグループHの最終戦でチュニジアにたとえ負けたとしてもセカンドラウンドに進出できるチャンスが残っている。
 だからといってまだ気を抜くのは早すぎる。

 日曜日の対ロシア戦、歴史的な勝利の後、日本はヨーロッパ勢、北アフリカのライバル達を押しのけてグループの首位にたった。
 現在のグループHの状況はと言うと、日本は勝ち点4、得失点差は+1である。
 ロシアは勝ち点3、得失点差は+1だが総得点数で日本より1点少ない。
 ベルギーは勝ち点2,得失点差は0、そしてチュニジアは勝ち点1、得失点差は−2だ。

 数字的には日本にとっては非常に単純な事である。
 次戦でチュニジアを破れば勝ち点7でセカンドラウンド進出である。
 仮に引き分けであっても勝ち点5でやはりセカンドラウンド進出だ。
 さらに0−1で破れたとしても、静岡で行われるベルギー対ロシア戦の結果如何に関わらずセカンドラウンドの進出が決まる。なぜなら、チュニジアと勝ち点4同士で並んだとしても得失点差でチュニジアの成績を上回るからだ。

 それでは日本は次戦をいかに闘うべきか?
 慎重に引き分け狙いでいくのか、それともあくまで勝ちを狙っていくのか?

 諸条件を検討するとどうやら勝ちを狙っていく事になるだろう。日本としてはグループ首位になる事によってセカンドラウンド初戦でグループC首位が決定しているブラジルと対戦する事を避けたいからだ。

 日本代表のレプリカユニフォームがアディダスから発売されているが、当初の販売目標である70万着の半数近くの30万着がここ2週間で飛ぶように売れたらしい。それほど今やサポーター達がフィリップ・トルシエ率いる日本代表チームに夢中になっていると言う事だ。
 まさに対ロシア戦、1−0の勝利の後はニッポンフィーバーが列島を席巻している。
 日本中が勝利に浮かれ、金曜日のチュニジア戦を待ちきれないといった様子である。

 日本はチームキャプテンであり、ディフェンスの要、森岡隆三を怪我の為に欠いていたにもかかわらずロシアを破った。
 鼻骨骨折の為バットマンのマスクのようなプロテクターを付けた宮本恒靖が、タイミングの良いタックルとパスカットで森岡の穴を見事に埋めた。
 チュニジア戦では森岡が怪我から回復したとしてもトルシエは自信をつけた宮本を先発させる事になるだろう。
 宮本はスピードの無さを補って余りある頭脳を持っている。

 しかし仮にトルシエが先発メンバーの変更をするとすれば、それは小野伸二の代わりに三都主アレサンドロ(アレックス)を起用する事だろう。
 アレックスはスピードに溢れる左サイドウィングで、トルシエにとって彼のスピードとドリブルでの突破力はチュニジアのディフェンスを崩すのに非常に有効であると感じているだろう。一方の小野は長いヨーロッパでのシーズンを終え疲れ切っているようだ。

 日本中の熱い応援とここまでの彼らの活躍を目の当たりにした世界中の人々の期待を背に日本代表チームはきっと最後のハードルも超える事ができると私は確信している。

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日本が本当に認められた日

2002/06/11(火)

日本サッカー最高の夜!
 ロシアを見事1-0で破った試合の戦術やスタイルの見事さだけを言っているのではない。横浜国際競技場のファンタスティックな雰囲気だけを言っているのでもない。日本人のファンが夜遅くまで勝利を祝ったことを言っているのである。

全てはゲームのため
 勝たなければセカンドラウンド進出が難しくなる日本は、過去4年間フィリップ・トルシエが育んできた結束力を見せ、強敵ロシアを破った。

稲本潤一、またも殊勲のゴール
 2-2で引き分けたベルギー戦では、稲本は強引な走りでベルギー・ディフェンスを突破し、左足の強烈なシュートをゴールネットに叩き込んだ。
 今回の試合の51分、稲本は長い距離を走り前線に辿り着いた。中田浩二が左サイドからペナルティー・エリアに供給したボールに対して、柳沢が絶妙のタッチで稲本にボールを流す。
 オフサイドの疑いもあったが、稲本が右足で冷静にシュートしたボールは、ロシアのゴールーキーパー、ルスラン・ニグマトゥリンの横をすり抜けた。
 過去1年間をアーセナルの練習場で過ごし、時折ベンチに入るだけで、アーセン・ベンゲルからプレミア・リーグでプレーするチャンスを与えられなかった稲本は、自分をアピールしたい若手選手のようなプレーを見せた。

ついに、サッカーの虜
 ワールドカップでの日本の初勝利は、実際にはチームワークの勝利であった。
 4年前のフランスでは、日本は3戦全敗を喫し、今回の緒戦はベルギーとドロー。
 いわば、勝利は論理的帰結であったわけだが、現在、日本はセカンドラウンドに進出する公算が高い。ファーストラウンドで残っているのは、金曜日大阪で行われる、チュニジア戦のみ。チュニジアはグループHの4チームのなかでいちばん弱いと見られている。

 スタジアムの雰囲気は信じられないくらいであった。6万6千人以上のファンがほとんど全て、青を着ていたのである。
 試合後、スタジアムから新横浜駅までの道筋では思いがけない光景が展開されていた。
 羽目を外さないことで知られる日本人が、感情をほとばしらせ、南米でよく見られるような国民的自尊心をあらわにしていたのである。
 自動車のドライバーがクラクションを鳴らしながら、日の丸を窓から出して振っている。サポーターのグループが路上で応援歌を歌い、ビールをまき散らしている。知らないもの同士が抱きあい、ハイタッチをしている。

 私は道路沿いのバーで、数人の同僚とともにこの光景を間近に見ていた。我々がイギリス人だとわかると、日本のサポーターたちは、「ベッカム! ベッカム!」と連呼し始めた。
 我々は、「イナモト! イナモト!」と応えた。

ワールドカップ・パーティーへようこそ、日本
 やって来たのは遅かったけど、今日から君たちも大切なゲストだ。

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白熱してきたワールドカップ

2002/06/10(月)

 大会前から今回のワールドカップは複数の優勝候補が挙げられていた。
 メディアも観衆も次に何が起こるかわからない、まさに大会前の評判通りになってきた。

 前大会覇者のフランスは開幕戦でセネガルに1−0で破れ、ウルグアイ引き分けに終わり、今やセカンドラウンドに進出できないかもしれないというピンチにたたされている。

 アルゼンチンはさい先良く初戦のナイジェリアを1−0で下したものの、次戦は65%ものボールキープ率を上げたにもかかわらず、試合は0−1でイングランドに破れた。

 イタリアも初戦はクリスチャン・ビエリの2ゴールで快勝した。そして次戦、対クロアチア戦の後半でビエリの今大会3得点目のゴールが決まった時は誰の目にもイタリアが連勝する事は間違いないように見えた。
 しかし、クロアチアは素晴らしい粘りを見せ、3分の間に2ゴールを決め2−1の逆転で勝利を得た。何千人ものアズーリブルーを身にまとい、セリエAのスーパースター達を見に来た日本人達は試合に負けたイタリアの選手以上に呆然とし、あるいは当惑しながらスタジアムを後にした。

 いわゆるサッカー大国の中では予選で18試合でたった6試合しか勝てなかった程の絶不調だったブラジルだけがトルコ、中国相手に唯一2戦全勝である。この2勝が彼らに与えた自信は一躍彼らを優勝候補筆頭にあげた。

 同じ事がスペインにも言える。パラグアイに3−1で逆転勝ちを納めた彼らも2勝全勝である。ようやく彼らにもワールドカップを制する時が来たのだろうか。

 ダークホース的に見られていたポルトガルはアメリカに2−3で破れてしまった。

 サッカー大国がひしめくヨーロッパや南アメリカから遠く離れた極東の地が開催国である事、そして暑さと湿気は各チーム間の実力差をぐんと縮め、まさにそれらが白熱したワールドカップを演出しているようだ。

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イングランド・ファンも変らなきゃ

2002/06/10(月)

 今回のワールドカップでは、ドキッとすることやビックリすることがいくつかある。
 おそらく、そのなかでも最大のものは、イングランド・サポーターの振る舞いだろう。
 彼らは見事である。数の多さでも、醸し出す雰囲気でも、全来訪国のなかで最高である。

 12月1日のプサンでワールドカップの抽選会が行われ、イングランドが日本でプレーすることが決まってからというもの、日本のメディアはフーリガンの話題でもちきりだった。
 大げさに煽り立てるばかりで、そこに内包される問題を理解しようともしない日本のメディアは、普通の日本人を心底怖れさせてくれた。
 そのような観点から見れば、メディアはがっかりし、人々は困惑し、同時に喜びもした。

 金曜日の夜、札幌ドームでのイングランド・アルゼンチン戦のあと、私は2時間ほど繁華街を散歩してみた。
 その光景は、信じられなかった。
 バス停からホテルに向かって歩いていると、遠くの方から大騒ぎの声が聞こえてきた。
「やれやれ」と私は思った。「イングランドのファンが集まって、騒いでいるんだ」
 飛び跳ねて騒いでいる群衆に近づいてみると、ほとんどが日本人であったので、私はほっとした。

 札幌ドームでは、3万5千人の観客のうちの1万人がイングランドのファンで、応援のすこしずつ熱気を帯びていった。
 しかし、ベッカムやオーウェンのユニフォームを着た日本人のファンも1万人くらいいて、イングランドの応援歌に合わせて、礼儀正しく手を叩いていた。
 件の繁華街で、大声を出しているのは日本人の若者たちである。
 若者たちはあちこちで飛び跳ね、歌を歌い、楽しんでいた。イングランドのファンはちょうど彼らの輪の中にいる。イングランドのファンが日本人と一緒に歌い、声援は「イングランド」から「ニッポン」に変った。
 すでに午前3時であったが、街路はファンと、勝利を祝う様子を見物する地元の人たちで一杯になっていた。

 心配そうにしているのは、地元の警察だけであった。警察の挑戦的な態度には、まさに寛容さと忍耐が必要であった。
 警察はファンのグループを取り囲み、懐中電灯を高く振りかざして、盛り上がっている人々を狭いエリアに閉じこめようとしていた。彼らがパニックに陥っているのは、目を見ればわかった。
 つまり、自国の若者たちがその感情をほとばしらせ、彼らにとっては脅威でしかないイングランドのファンと一緒に勝利を祝っているのを見るのは、警察にとっては、相当なワールドカップ・ショックであったわけだ。

 日本への旅費と付随する滞在費、それに英国政府が犯罪歴のあるトラブル・メーカー1000人以上に対して、ワールドカップ期間中の出国を許さないという対策をとったことが、それぞれフーリガンを遠ざける効果をもたらした。
 同時に、イングランドのファンも自主的なルールを作り、パーティーを台なしにするような連中は相手にしないようにしている。

 今後の3週間、ピッチではなにが起きるかわからないが、札幌での光景は、いつまでも素敵な思い出となって残るだろう。イングランドが国外でプレーするときはいつもこうであって欲しいし、これが新しい、脱フーリガン時代の幕開けとなればいいと思う。

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アメリカの勝利は番狂わせなのか?

2002/06/08(土)

 アメリカがポルトガル戦に3−2のスコアで勝利を得た事には確かに驚いた。
 しかしそれがワールドカップ史上に残るほどの大番狂わせだったとは私には思えない。
 多くのメディアがアメリカの勝利をワールドカップ開幕戦、セネガルがフランスを下した大番狂わせに匹敵するかのような報道をしている。
 しかし私はどうしてもそう思う事ができない。
 理由はいくつかある。

 最初にセネガルのフランス戦1−0の勝利はもちろんワールドカップ史上に残る大番狂わせだ。なぜなら、セネガルにとっては初出場、初試合だったし、一方フランスは前大会の覇者だからだ。
 この一事だけでワールドカップ史上に刻まれる大番狂わせに値する。セネガルがフランスの植民地であった事、また彼らの監督はフランス人だという事実がまた興を誘う。

 さて、一方のアメリカ対ポルトガル戦に目を向けてみよう。
 アメリカはこれまで6回のワールドカップに出場し、1930年には準決勝進出を果たし、1950年には1−0であのイングランドに勝っている(この試合は1966年に北朝鮮がイタリアを破った試合に継ぐ大番狂わせとされている)。
 しかも1990年のイタリア大会から4大会連続でワールドカップに出場しているのだ。
 したがって、アメリカは多くの人が考えているほどワールドカップ新参者ではない。しかも彼らの中心選手の多くは長年にわたってヨーロッパでプレーしているのだ。

 一方ポルトガルと言えば、我々はもちろん個々の有名な選手、ルイス・フィーゴ、ルイ・コスタ、そしてフェルナンド・コートなどはよく知っている。
 しかしチームとしてのワールドカップでの成績はどうだろう。
 今回はたかだか3回目の出場で、しかも1986年以来の出場なのだ。
 すなわち、ポルトガルが出場できないでいた過去3大会でアメリカは勝てないまでも貴重な経験を積んできたのだ。

 前半終了時点でアメリカが3−0と大きくリードしている事は確かにショッキングであったし、実際3−2と勝利を得た事は驚きであった。
 しかし、ポルトガルの有名主力選手達の存在がチーム力を実際以上に見せ、結果としてそれが敗戦を大げさに見せているだけだろう。
 ユーロ2000大会では準決勝でフランスに延長戦の末サドンデスPKで破れたのだが、考えてみると彼らはチームのピークを早く迎えすぎたのかもしれない。

 ただ、次回、いや次々回のワールドカップではアメリカ3、ポルトガル2の試合結果は今大会のセネガルの大番狂わせほどではないにしても、番狂わせだと見られるのかもしれない。

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クロアチアの凋落

2002/06/06(木)

 4年前のフランス、ワールドカップ初出場のクロアチアが3位になったときには、だれもが驚いた。
 しかし、月曜日の午後、新潟でのメキシコ戦に1−0で敗れたときには、だれもまったく驚きはしなかった。

 ロベルト・プロシネチキ、ダボル・シュケル、アレン・ボクシッチと、クロアチア代表にはおなじみの名前が揃っていたが、さて、これらスター・アタッカーたちの生年月日はご存知だろうか。

 ワールドカップ・フランス大会で6点をあげ、得点王となったシュケルは、日本に苦杯を舐めさせた選手でもあるのだが、現在は34歳で、チームのキャプテンである。
 月曜日、シュケルは試合の開始早々に積極的に左足でボレー・シュートを打ったが、見せ場はそれだけで、64分には交替させられてしまった。
 プロシネチキは33歳。柔らかいボールタッチから生まれる技術は健在だが、中盤での動きが緩慢で、何本かのコーナーキックとフリーキックを無駄にしてしまった。プロシネチキはハーフタイムで交替。
 前回のワールドカップを故障で棒にふったボクシッチは、32歳にして攻撃陣の「最年少」であったが、まったく見せ場はなく、67分に交替した。

 メキシコが自分たちに敬意を払うとクロアチアが思っていたのなら、それは勘違いというものだ。
 クロアチアがボールを持つたびにメキシコのファンはひっきりなしに口笛を鳴らし、プレーが上手くいかなくなるたびに騒々しいヤジを飛ばした。

 初夏の美しい陽光のなかにいる、約6千人のメキシコのファンの姿は、新潟のビッグスワン・スタジアムでは素敵に目立っていた。
 彼らは早朝から東京発の新幹線に次々と乗り込み、巨大なソンブレロ、太鼓、笛、オモチャの木の楽器と歌とテキーラで車内を占領していた。90分間、彼らの素晴らしい声援は途切れることがなかった。
 「オーレ! オーレ!」メキシコが自在にボールを回し始めると、この声援が続いた。まだ試合開始から5分しか経っていないのに!

 暑さと湿度のなか、クロアチアは年老いて、疲労しているように見えた。前のワールドカップでの見事なプレーは見る影もなかった。
 クロアチアの次の相手はイタリアである。そして、2度負けてしまえばセカンドラウンド進出は事実上不可能となる。
 今回、クロアチアが早々と帰国することになっても驚く人はいないだろう。

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日本中が待ち焦がれた日

2002/06/04(火)

 さいたまスタジアムでベルギーと対戦する火曜日の夜、日本中が味わってきた鬱憤がようやくとける。
 1998年、日本代表は史上初めてワールドカップ出場を果たしたものの、楽勝かと思われたジャマイカ戦を含めて3戦に全敗し失意のうちにフランスより帰国した。
 ワールドカップ出場の経験もないサッカー後進国としては多大過ぎる程の期待を持っていた日本人にとっては受け入れがたい現実であった。

 日本代表監督フィリップ・トルシエと代表チームは、トルシエが作戦面、技術面そして戦略面での準備は完了したと語った昨年末から来るべきワールドカップ初戦に備えて来た。
 そしてその時点で23人の代表候補のうち欠けていた1〜2つのポジションについても既に決まった。

  日本代表キャンプは非常に明るく選手達も火曜日の夜に満員のさいたまスタジアムのピッチに出るのが待ちきれないといった様子だ。
 チームは調子も雰囲気も申し分ない。そして中田英寿をはじめチームの柱となるべきMF達も好調である。
 パルマでの不調を乗り越え中田は今や彼のキャリアの絶頂期を迎えようとしている。そしてチームの攻撃力の柱という重責を果たそうとしている。

 小野伸二はフェイエノールトで素晴らしいルーキーシーズンを過ごしてきたし、一方稲本潤一もベンチに居ながらも大きな成長を見せてきた。
 特に稲本はガンナーズではほとんど試合に出る機会がなかったとは言え、トップクラスの選手達との練習で多くの事を学んだ筈で、アーセナルでの将来を確固としたものにする為にもワールドカップでは張り切ってプレーする事だろう。

 怪我で大幅な戦力ダウンを余儀なくされているベルギーに日本は勝つこともできるだろう。
 ただ、ベルギーは6大会連続でワールドカップ出場を果たしているし、1986年には準決勝進出も果たしている。そう楽観できる事ではないと言う事は選手達もよくわかっているはずだ。
 初戦に勝つ事ができればそれこそ国中が熱狂の渦になるが、それ以上に重要な事は負けないと言う事だ。負けると6月9日のロシア戦で大きなプレッシャーを受ける事になってしまう。
 引き分けで良しとする事を選手達もファンも覚えておく事が重要だ。ファーストラウンドの3試合の初戦で統制と冷静さを失うわけにいかないのだ。

 この試合についてはテレビの瞬間最大視聴率の記録を作るだろうと言われている。最大で70%とそれこそ国中の殆どの人がテレビを見る事になるのではないか。
ニッポンフィーバーが列島を揺らす事になるだろう。

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お祭り気分のサッカー界と世界の現実

2002/06/03(月)

 ワールドカップでの楽しみの一つはサッカーのみならず、会場に集まる有名人が多い事だ。
特に我々サッカーレポーターにとっては、お菓子屋で子供が次に何を買おうかと迷っている状態そのものだ。

 先日行われたFIFA総会でも懐かしい顔を見る事ができた。ユーゴスラビア代表として2回のワールドカップ出場歴を持ち、37歳にして現ユーゴスラビアサッカー協会会長、ドラガン・ストイコビッチである。

「現役時代は選手としてサッカーを考え、プレーする事が僕の仕事だったんだ」FIFA会長選挙についてストイコビッチは「でも今は政治をやってるみたいでどうも勝手が違う」と語った。

 選手の頃も一旦ピッチを出ると人なつっこく愉快であったが今もそれは変わらず、どこの国が優勝するかと尋ねられた彼は「周りではナンバーワンだとかチャンピオンだとか言ってフランスが優勝候補だと言っているけれど、誰もブラジルには注目していないみたいだね」「でもねこれだけは言っておきたいんだけど、ブラジルは素晴らしいチームだよ。きっとチャンスだと思うよ」と語った。

 また5月中旬にモスクワで行われたトーナメントでユーゴスラビアと対戦したロシアを見て、日本は十分にセカンドラウンドに進出できるはずだと語った。
「ロシアはあまり状態が良くない。たしかに良いチームではあるけど強いという程ではないね。だから日本はきっとセカンドラウンドに進めると思うよ」
 また日本のキープレヤーは中田英寿、小野伸二、そして鈴木隆行だと語った。
「特に鈴木が良いね」と多少のお世辞も込めてそう言った。

 翌日は、かの皇帝フランツ・ベッケンバウアーが主賓として来るというのでマクドナルド主催の式典に出かけてみた。
彼のスマートで均整のとれた身体にはジャンクフードは似つかわしくないが、それはともかくとしてベッケンバウアーには不満に思っていることがあるようだ。

 それはもちろんビッグマックについてではなく、試合数の多さについてである。
「ジダンやフィーゴの所属するレアル・マドリードなどはシーズンに70〜80試合もするのです」かつてのドイツの英雄はそう語った。
「どう考えても多すぎるし、彼らも疲れているはずです。疲労が蓄積していけばそれだけ怪我をするリスクも大きくなりますし、それは非常に問題だと思います。試合数は減らさなければなりません。単純な事なのです」

 その後、ユニセフとFIFAが共同で開いた記者会見にはイギリス人の俳優ロジャー・ムーア(ある年代以上の人にはジェームス・ボンドと言った方がわかりやすいだろう。
また彼のスウェーデン人の奥方はイングランド代表監督のスヴェン・ゴラン・エリクソン監督と同郷らしい)が参加していた。
ムーアはユニセフ大使としてワールドカップに関わる数字にちなんでこう語った。

「皆さん、ワールドカップが開催されている30日間という間には100万人の子供達が戦争、飢饉、そして伝染病で死んでいくのです。そして90分間では540人がHIVに感染し85人がエイズで亡くなります。また400人の子供達が親を失うのです」

 ワールドカップのお祭り気分でビッグマックを頬張り、バドワイザーを流し込んでいた我々には衝撃的な話ではあった。
 レッドカードをくらったとか左足を骨折すといった事に我々は一喜一憂していたがそれは悲劇というにはほど遠いものだったようだ。

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小野はさらに大きくなる

2002/05/30(木)

 オランダ・リーグの歴戦の勇者、アーニー・スチュワートは、フェイエノールトのミッドフィールダー、小野伸二はロッテルダムのクラブで見事なデビュー・シーズンを送ったあとも、ヨーロッパでさらに大きくなれると信じている。

 33歳のアメリカ代表選手は、1994年と1998年の大会に続き、韓日共催の大会で3度目のワールドカップ出場である。
 そして、彼は小野のことを、これまで対戦してきたなかでもっとも才能に恵まれた選手の一人であると感じている。

 「試合中に、その実践テクニックのすごさに感心するような選手にはそうしょっちゅうは出会わないものさ」と言うスチュワートは、現在オランダ・リーグのNACブレダに在籍している。
 「たとえば、ボール扱いの巧さ。小野は、それを左足でも、右足でもできるんだぜ・・・見ていて楽しいと思うときもあるぐらいだよ。
 「小野はフェイエノールトで素晴らしいシーズンをおくった。UEFAカップで優勝したし、おそらく今シーズンのオランダ・リーグで活躍した選手の一人に数えられるだろう」

 22歳の小野は昨年の夏に浦和レッズからフェイエノールトに移籍し、自身2度目のワールドカップ出場である。
 もっとも、4年前のフランス大会は、日本代表の3戦目であり、最終戦であったジャマイカ戦に、小野は交替で登場し、最後の12分間プレーしただけであった。

 最終的には小野はスペインやイタリア、イングランドなどのヨーロッパのトップ・リーグに移ることができるだろうかと質問されたスチュワートは、こう答えた。
「小野は、間違いなくキャリア・アップできる選手だ」
 「今でもハイ・レベルのプレーヤーだけど、まちがいなく、もうワン・ランクは成長できる選手だよ」

 アメリカ代表で80試合に出場し、15ゴールをあげたスチュワートは、1988年7月、VVVフェンローでオランダ・リーグでのキャリアをスタートさせ、ブレダ入団前にはビーレムⅡチルブルグでもプレーした。

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最終調整、是が非でも勝ちたいトルシエ

2002/05/27(月)

 テスト期間は終わり代表メンバー選考も終わった。そしていよいよフィリップ・トルシエと日本代表チームにとって本腰を入れる時が来た。
 目標はズバリ試合に勝つ事だ。

 今週土曜夜には6月4日にさいたまスタジアムで行われるH組第一戦、対ベルギー戦を控えた最後の調整とも言えるスウェーデン戦が行われる。
 スウェーデンとの親善試合は5月17日に行われた代表チームメンバー発表以来初の試合となる。
 トルシエの事だからベストメンバーを先発させてくる筈だ。

 ゴールキーパーのポジションについては、最近では楢崎正剛が代表チームで良い働きをしている。しかしこうした大舞台の経験が豊富な川口能活が正キーパーのポジションを得るだろう。
 トルシエのフラット3ディフェンスには故障から戻った森岡隆三が必要となるはずだ。彼は今年にはいってからハムストリング・ストレインの為すべての試合に欠場していたが、トルシエは彼を対ベルギー戦の為に温存するか、それとも多少のリスクは覚悟して対スウェーデン戦に出場させるか決断しなくてはならないだろう。
 右サイドに松田直樹、左サイドに中田浩二を従えて森岡が出場する可能性は高いと思う。 ミッドフィールドの右サイドには市川大介、そして左サイドに小野伸二をトルシエは先発させるだろう。そして守備的ボランチには戸田和幸と稲本潤一がくるだろう。
 戸田と稲本が司令塔の中田英寿をサポートする事になる。
 現時点での日本代表チームの問題点はフォワード達の調子が今一つであるという事だ。 トルシエは信頼厚い鹿島アントラーズの柳沢敦と鈴木隆行のコンビを先発させるだろう。そして控えには残り数分といった場面で力を発揮する西沢明訓と中山雅史の二人だ。

 スウェーデン戦は厳しいものとなるだろう。しかしそれは日本代表にとっては対ベルギー戦の為の申し分のない調整となるはずだ。
 今月初めのヨーロッパ遠征で、レアル・マドリードの2軍相手に1−0で破れ、ノルウェーに3−0で叩きのめされた日本代表は一日でも早く自信を取り戻さなくてはならない。そしてその為にはとにかく勝つ事が必要だ。

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素晴らしい藤枝市のもてなし

2002/05/23(木)

 日曜日、静岡県の小さな町はワールドカップの熱気で溢れ、躍動していた。

 藤枝市は、セネガル代表の受け入れ先である。初めてのワールドカップを戦う韓国に渡るまで、セネガル代表はこの藤枝市で過ごすのだが、その風景は絵はがきのように美しい。
 小さなスタジアムは森とお茶の段々畑に囲まれており、車やタクシー、バスの駐車場からスタジアムへ行くのにも、かなりの坂を上らなければならない。

 スタジアム内部の雰囲気は友好的で、セネガルの「心優しきライオンたち」とJリーグの柏レイソルの練習試合であるのに、まるで夏のカーニバルのようであった。
 片方のゴールの裏では、セネガル人の小グループが、代表チームと同じ明るい緑、黄色、オレンジ色の衣装でアフリカン・ボンゴを叩き、90分間ひっきりなしにビートを刻んでいた。その回りには、地元のクラブである清水エスパルスのファンも駆けつけ、Jリーグのライバルと戦うライオンたちを応援していた。

 スタジアムのもう一方の側では、我らがチームを追いかけ千葉県からやって来た、黄色いシャツのレイソル・ファンが、いつもより控えめな態度で集まっていた。人数が少なかったし、会場の雰囲気ものんびりしていたからだろう。
 試合は両チームとも無得点で終わったが、8000人以上のファンは幸福な気分で、まもなく始まるワールドカップの祝祭に参加できたと感じながら、帰途についた。

 静岡駅に到着したときも、地元の人々の態度はとても礼儀正しく、暖かいもてなしぶりで藤枝行きの乗り換え電車まで外国からの訪問客をエスコートしていた。
 小さな駅のキオスクはどれもカラフルに飾り付けが施されており、たくさんのボランティアが待機して、タクシー乗り場やバス乗り場への道順を間違う人がいないように心配りをしていた。また、タクシーのドライバーもクリップ・ボードを持ち、海外から来たカスタマーにクリップ・ボードに書きつけられた英語のフレーズを読み上げる用意をしていた。セネガルの人々が話すのはフランス語だが、大切なのは、その心である!

 今後の数日間が本当に重要となる。ピッチの内外で物事を進めるのは、より大変になるし、情熱も必要となるだろう。
 しかし、日本は藤枝市を誇りにすればいい。セネガルの選手も、関係者も、サポーターも、ワールドカップで、とても暖かい歓迎を受けている。
 これからの5週間、このようなもてなしと規律正しさが提供されるなら、日本でのワールドカップは忘れることのできない経験となるだろう。

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トルシエが俊輔を代表から外した理由

2002/05/20(月)

 金曜日に行われた日本サッカー協会のワールドカップ代表発表で、秋田豊と小笠原満男の名前が読み上げられた瞬間、会場の記者達は思わず息を呑んだ。
 そして中山雅史の名前が4人のFWの一人として発表された時、会場には喝采が起こった。
 しかし、やがて中村俊輔が代表から漏れたという事実に気がつきはじめた。

 先月行われたキリンカップでの対スルバキア戦、ホンジュラス戦では横浜マリノスの23歳MFは代表監督フィリップ・トルシエに認めてもらうべく全力でプレーした。
 不本意だった昨シーズンから一転、彼は代表チームへの手応えを感じていたに違いない。
 しかし、フタを開けてみるとやはり肝心な場面で彼は取り残されてしまった。

 ハンサムであり、性格も穏やかで何より左足から放つ素晴らしいフリーキックに魅了された多くのファン、特に若い女性達はガッカリしたに違いない。
 しかし、トルシエにとってはそれだけでは物足りなかったのだ。

 中村や彼のサポーター達にとっての厳しい現実とは一体何だったのだろうか。

 トルシエは中村を左MFとしてしか使えないと見ていた。ただ、このポジションは攻撃のみならず守備に対しても積極的に関わるスタミナと当たり強さが必要とされる重要なポジションである。
 トルシエがこのポジションの第一候補に選んだのは小野伸二である。そして交代要員として、攻撃に転じる時は三都主アレサンドロ、守備を固める場合は服部年宏がいる。
 従って中村は第4候補という事になるのだが、GKを除いた20人のメンバーの中で一つのポジションに4人のプレーヤを選ぶ余裕が果たしてあるのか?
 答えは明らかに「ノー」だ。

 一方、横浜マリノス監督のセバスティアン・ラザロニはトルシエが中村の使い方を間違えていると考えている。
 中村は左サイドMFではなく、中央で司令塔をさせるべきだと考えている。
 しかし、そのポジションには中田英寿がいる上に、トルシエの信頼厚い森島寛晃がバックアップとして控えている。
 仮にトルシエが中村を司令塔として考えるなら(実際は彼の当たりの弱さゆえあり得ない事だが)3番候補となったのかもしれない。
 しかし、鹿島アントラーズの若き司令塔、小笠原満男が選ばれた。
 結局ここにも彼の居場所はなかったのだ。

 彼のフリーキックとコーナーキックが素晴らしいというのは間違いない。しかしそれをしても中田英寿、小野、三都主に次いでここでも彼は4番手なのだ。

 結局のところ、トルシエはメディア、世論、そしてスポンサーからの俊輔を推す圧力を拒んだ形となった。
 そしてトルシエのこの決断は彼に対する批判を噴出させる事になるだろう。しかしこれは間違いなく正しい決断なのだ。

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ベルデニックが求める名古屋のリーダー

2002/05/16(木)

 チームはアウェーの試合を5-1で勝利したが、監督であるズデンコ・ベルデニックは失望していた。

 「精神面の問題。うちの選手たちは自分を信じることができないのです」ベルデニクの愚痴は、土曜日の午後、駒場スタジアムで名古屋グランパスエイトが浦和レッズを一蹴したあとのことであった。
 最終的には、この日の勝ち点3を加えても、グランパスはナビスコ・カップの予選D組を突破して準々決勝に進出することはできなかった。鹿島アントラーズが、1-0でサンフレッチェ広島を破り、浦和に次ぐ予選2位での準々決勝進出を決めたからだ。

 「そうですね、結果にはとても満足しています。積極的な試合ができましたし。でも、うちのチームはまだ成熟していないのです。集中力も足りないし、経験もまだ充分とは言えません。方策も浮かびません。帰りたくなる気分になるときもあるくらいです」。
 そう、今はベルデニックにとって苦悩のときなのである。トヨタがサポートする名古屋のクラブがベルデニックに監督を依頼したのは、グランパスを「ジェフユナイテッド」にして欲しいからであった。つまり、ぱっとしなかったチームを、1部に残留させるだけではなく、優勝を争えるチームに変えて欲しかったのである。
 「ジェフユナイテッドを変えるのに8か月かかりました。しかし、グランパスではもう少し早くできるのではないかと思っています」とベルデニックは付け加えた。

 ベルデニックが直面している二つの問題は、彼の言葉を借りれば、大きな年齢差と指導する選手たちの資質である。二つ目の問題は、キャプテンとしての資質を有する者がいないということだ。
 「ウエズレイ(ブラジル人ストライカー)だけはなにか変ったことができますが、チーム・リーダーがいません」
 たしかに、ドラガン・ストイコビッチのような選手はいない。ストイコビッチは名古屋での7年間、カルト的な存在であったが、昨年の夏に引退し、ユーゴスラビア・サッカー協会の会長に就任した。

 グランパスは、クロアチア人のゲームメーカー、ロベルト・プロシネツキをイングランド1部リーグのポーツマスから獲得することを目指した。プロシネツキは当初は日本への移籍に同意したが、最終的には名古屋の申し出を拒否した。
 「かまいません。彼ももう33歳ですからね。でも、日本に来たら、2、3年はプレーできたでしょう。Jリーグのスピードはイングランドほどでもないし、相手のあたりもそれほど厳しくはありませんから」とグランパス監督。
 そのあと、グランパスはこれもクロアチアの選手で、フランス・ワールドカップの得点王、ダヴォール・シュケルに目をつけたが、シュケルはドイツのTSV 1860ミュンヘンと新たに契約を結んだ。
 結局、グランパスは、シュトゥルム・グラーツに8年間間在籍し、1998年のワールドカップでもプレーした、32歳のオーストリア人フォワード、イビカ・バスティッチの獲得を決定した。

 グランパスには3人の外国人選手—ブラジル人のウェズレイとマルセロ、それからオランダ人のミッドフィルダー、タリク・ウリダ—がいるが、マルセロの立場がもっとも危ういようだ。
 理想を言えば、ベルデニックは同胞のスロベキア人選手、ゼリコ・ミリノビッチに市原から名古屋の自分のもとにやって来て欲しいのだろうが、クラブはあまり乗り気ではないそうだ。理由は、昨年末、物議を醸すような方法でベルデニックがジェフ市原を退団したことにある。
 ベルデニックは、最後に予定されていたジェフユナイテッドの役員との会見の2日前に、名古屋の申し出を受諾した—市原で5000万円であった年俸は倍になったと言われている。
 しかし、土曜日のベルデニックはそのことを後悔しているような話しぶりであった。

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小野と中田、日本の誇る2人のプレーヤー

2002/05/14(火)

 この1週間は日本のサッカー界にとって素晴らしい1週間であった。
 水曜日は小野伸二がフェイエノールトの一員としてUEFA杯優勝に貢献し、金曜日には中田英寿がパルマの一員としてイタリア杯の優勝に貢献した。
 彼らの各所属クラブでの活躍はワールドカップを3週間後に控えた日本人選手すべてに恩恵を与えることになるだろう。

 特に小野にとってこの勝利は感慨深いものに違いない。
 他の日本人選手達がいきなり強豪リーグへの進出を考えるのと違って、Jリーグ、浦和レッズで3年半プレーした後違ったプレースタイルに徐々に慣れることのできるよう中堅リーグへの強豪チームに移籍したのだ。
 オランダでは所謂強豪チームと他のチームとのレベル差が大きく、海外から移籍してくる選手達にとっても、強豪チームに移籍した方がリーグに慣れるのも容易なのだ。

 水曜の夜、12000人ものボルシア・ドルトムントのサポータが押し寄せ、熱気と興奮に包まれたデカイプスタジアムの観衆すべてに小野は自身の成長を見せつけたのだ。
 小野は強烈なタックル(時として激しすぎるきらいもあるが)を見舞い、またルーズボールを果敢に拾い、そして正確無比なパスで短期間のうちにチームの柱とでもいうべきMFに成長した。後半に入り、DFのユルゲン・コーラーを退場で失い10人になったボルシアが攻勢にでた時、小野の攻撃的センスが本領を発揮しはじめた。
 試合を決定づけた3点目のゴールを決めたヨン・ダル・トマソンへのスルーパスは小野の真髄であったと言える。
 85分で交代し、90分フルでプレーできなかったのは残念だったが、彼のプレーは間違いなく世界中に日本のサッカーというものを知らしめた事だろう。

 一方、シーズン当初絶不調に苦しみぬいた中田だがシーズン後半になって徐々に調子を取り戻し、イタリアンカップ決勝での対ユヴェントス戦ではチームの優勝に大いに貢献した。
 中田の対ユヴェントス戦緒戦のゴールは試合に負けはしたがチーム優勝の鍵となった。
 第2戦ではジュニオールのあげたゴールを守りきり1−0の勝利を得、中田が第1戦であげたアウェイでのゴールが功を奏しユヴェントスを破ってパルマのイタリアンカップ優勝を決めたのだ。

 先月ポーランドで中田は「シーズンをどう始めるかよりも、シーズンをどう締めくくるのか、それが大事です。ファンにもその方が印象に残りますからね」とそう話していた。
 ある意味、彼の言っていた事は正しい。珍しく27000人の観衆で満員になったタルディーニスタジアムの主役の一人はまさに中田だった。

 とにかく、日本の誇る2人のプレーヤーの活躍は日本のサッカー界にとってまさに喜ぶべきことなのである。

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まさに”Real”な時間の無駄

2002/05/09(木)

 ワールドカップの期間ずっとツキに恵まれ、そのうえピッチが水浸しでプレー不可能な状態であれば、共催国の日本はなかなかのものだろう。

 それはさておき、火曜日の夜に行われた、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムでのレアル・マドリードとの親善試合は完全に時間の無駄であった。
 26分のコンゴのゴールによって日本が敗れ、昨年10月から7試合続いた不敗記録が途切れたから言うのではない。
 5月31日ソウルで開幕するワールドカップへのカウントダウンが続くさなか、代表監督であるフィリップ・トルシエにとってなにひとつ得るものがない試合だから言うのである。

 なぜ日本が無意味な試合の相手を務めることに同意しなければならなかったのかがどうしてもわからない。レアル・マドリードは、グラスゴーで行われるヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝であるバイヤー・レバークーゼン戦を5月15日に控えており、二線級のチームで試合に臨んだ。
 マドリードの選手はやる気がなかったが、それはファンも同様であった。雨がやむことなく降り続き、有名なスタジアムの観客席は閑散としていた。

 スペイン・リーグの試合であったなら、レフェリーは90分間プレーさせることはなかっただろう。選手たちがドレッシング・ルームから水たまりだらけのフィールドに再登場する後半開始の時点で、試合は中止を宣告されていただろう。
 結果的に、今回の試合はお笑いとなってしまった。ボールは深い水たまりで止まってしまうか、ピッチの外に蹴り出されて試合が中断するかのどちらかであった。
 いわゆる創設100周年記念試合にマドリードが関心を抱くことができなかったという事実は、先発メンバーを見れば明らかであった。守備陣にはフェルナンド・イエロがいなく、中盤にはジネディーヌ・ジダンがいなく、前線にはラウルもいなかった。

 ロベルト・カルロスはキャプテンであったが、前半の最後までプレーすることもなかった。フィーゴも同様で、チャンピオンズ・リーグの決勝戦とワールドカップを間近に控え、明らかにケガだけは避けようとしているようであった。
 結局、日本はオフサイド戦術の失敗によって得点されてしまった。

 ロベルト・カルロスが左足で蹴ったフリーキックの低い弾道のボールがゴール・マウスを横切ったとき、日本の守備陣はわずかに陣形を押し上げ、レアルの選手からオフサイドを奪おうとした。
 しかし、ファーのポストにいた中田浩二がほんの少しラインから取り残されたため、中田と同じライン上にいたコンゴが方向を変えたボールは曽ヶ端準の手に触れることはなかった。
 非は中田にあるのではない。このような戦術は、ペナルティー・エリア内の紛らわしい、混乱した状況ではトラブルを引き起こすだけであるということだ。ロベルト・カルロスがフリーキックを蹴るような状況ではなおさらである。
 とはいえ、中田は日本チームでは最高のプレーをしていた。ピッチがまだプレー可能な状態であった前半には、完ぺきなタイミングのタックルもいくつかあった。

 トルシエにとってもう一つ良かったことは、ひどい状況で90分プレーした稲本潤一のプレーぶりであった。アーセナルでトレーニングとベンチだけのシーズンを過ごした稲本は、ワールドカップの開幕までに試合勘を取り戻さなければならないのである。

 総じて言えば、完全に時間の無駄であった。
 終了数秒前にキーパーにブロックされた服部のゴール前のボレーがゴールに入っていたとしても、なんの意味もなかっただろう。

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ワールドカップでアーセナルにアピールしたい稲本

2002/05/08(水)

 ほとんどの選手達はワールドカップ代表入りを賭けてそれぞれの所属チームで良いプレーを心がける。
 しかし、稲本潤一の場合は少し訳が違う。彼は所属チームのポジションを得る為にワールドカップで良いプレーをしようとしているのだ。
 これはイングランドプレミアリーグの古豪、アーセナルでデビューし不本意なシーズンを過ごしている稲本にとっても異常な状態だと言える。

 昨年7月にガンバ大阪から移籍した稲本だが、アーセン・ベンゲル指揮下の経験豊富で才能溢れたトップクラスMF達の中では後塵を拝するしかなかった。
 彼が得た出場機会と言えばプレミアリーグ戦やFA杯ではなく、チームとして重要度の低いUEFAチャンピオンリーグやイングリッシュリーグ杯での交代要員としてだった。
 プレミアリーグとFA杯の2冠を狙えるほどのアーセナルではそもそも稲本は必要とされていなかったのだ。
 そうした状況下では彼が日本に戻り代表チームのユニフォームに袖を通し、単にワールドカップでプレーする以上の事を望んでいるのも仕方のないことだ。

 「ロンドンもアーセナルも気にいってます。なんとか残りたいです」と彼は言う。
 「もしワールドカップで日本の為に良いプレーをする事ができれば、アーセナルに僕が充分チームの一員としての力を持っていると納得させられるんじゃないかと期待しているんです」

 木曜日に神戸で行われたホンジュラスとの3−3の混戦での日本代表チームの収穫の一つは稲本のプレーだった。
 彼は好調だった頃のように走り、タックルし、そしてフォワード達にプレッシャーをかけていた。3日前の1−0で勝ったスロバキア戦では見せられなかった彼のプレーに対する飢え、決心、これこそ日本代表監督、フィリップ・トルシエの求めていたものだった。

 イングランドでわずかなプレー時間しか得られなかった稲本にとってフィジカルコンディショニング以上に試合勘が欠如しているというのは当たり前の事だ。そしてそれはホンジュラス戦前の「ワールドカップが始まるまでにまだ4試合あります。その全部の試合に90分間フルに出場したいです。そうすればワールドカップに向けて万全のコンディションに持っていけると思います」という彼のコメントにも現れている。

 日本がグループHの中で、ベルギー、ロシア、そしてチュニジアに競り勝っていく為には稲本が万全の状態でいる事が必要なのだ。
 アーセナルがそれでも彼を必要としているかは別問題として…。

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柳沢のウイング起用

2002/05/02(木)

フィリップ・トルシエの筋書きが狂ってしまったのか?

柳沢敦は自信だけではなく、スピリットまで失ってしまったのか?

 フランス人監督が、月曜日東京国立競技場でのキリンカップ、スロバキア戦で鹿島アントラーズのストライカーを中盤の右サイドに起用するという奇抜な策に出たあとでは、上記の2つの疑問も当然であろう。

 試合前日、トルシエはびっくりするようなメンバー構成を予告し、まさにそれを前面に押し出した。

 西沢明訓をワントップにした3-4-2-1というフォーメーションを採用しただけでなく、トルシエは柳沢を中盤4人の右サイドに起用したのである。

 柳沢はスピードとパワーを併せ持っており、チャンスをモノにするよりはチャンスを作るタイプであると自分自身を表現してはいるものの、ウイング・バックの選手ではない。守備力が無いも同然であるからだ。

 このことが赤裸々にされたことが前半に1度あったが、それでも柳沢は失敗には懲りず、右サイドで与えられた仕事を遂行しようとしていた。

 後半の早々にはシュートも放ったが、キーバーに楽々とセーブされ、56分には監督から交代を命じられた。

 柳沢は明らかに不満そうであったが、トルシエは物事が計画通りに運んでいないときのスケープゴートとして柳沢を巧妙に利用したのかもしれない。

 はっきり言えば、より論理的な選択は西沢を外して柳沢をフォワードに移し、ベンチにいる2人の中盤右サイドのスペシャリスト、市川大祐と波戸康広のうち1人を起用することであったはずだ。

 実際には波戸が入ったものの、柳沢との単純な交代であり、カヤの外であった西沢はそのまま前線に残った。

 セレッソ大阪のフォワードは38分に日本の勝利を決定づけるゴールをあげたと言っても、それは公式記録がきわめて寛大であったということに過ぎない。西沢は右サイドから低いクロスを上げただけなのだが、ゴール前で混戦となり、ボールがゆっくり転がってゴールラインを割ったのである。

 一見したところ、2人いたスロバキア・ディフェンダーのうち1人のオウンゴールであったし、ゴールを西沢に与えるか、スロバキア人ディフェンダーにサンドイッチされていた森島寛晃に与えるかでマッチ・オフィシャルの意見が分かれるようなケースであったとも思える。

 しかし、だれがゴールをあげたのかということ以上に気になったのは、ワールドカップまで5週間しかない時点での柳沢の心理状態である。

 昨年末、柳沢は疑いなく日本のナンバーワン・ストライカーであった。だが、今の彼はチームでの役割を模索して混乱し、自信を失っているにちがいない。

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優勝杯への大きなチャンス

2002/04/27(土)

東京発(4月27日):ワールドカップが近づいてきた。それは弱小チームにとってはナビスコカップ優勝という願ってもないチャンスが出てきたという事だ。
ナビスコカップ予選は今週土曜日から始まる。16のチームが4つのグループにわかれ、5月12日にかけて総当たりのリーグ戦を行い、それぞれのグループの上位2チームが9月に行われる準々決勝に進出する。

弱小チームにとってのチャンスとは、強豪チームはベストメンバーで戦えないと言う事だ。例えば、鹿島アントラーズやジュビロ磐田の主力選手達は、来週のキリンカップの日本代表としてスロバキア、ホンジュラスとの試合に備えチームを離れている。
弱小チームにとっては、強豪チームを破ってベスト8に進出する大きなチャンスなのだ。

アントラーズからはGK曽ヶ端準、MF中田浩二、小笠原満男、そして、FW鈴木隆行、柳沢敦の5人が、そしてジュビロからはDF田中誠、MF服部年宏、福西崇史が、また昨年のナビスコカップ覇者の横浜Fマリノスに至っては、DF中沢佑二、松田直樹、MFトリオの奥大介、中村俊輔、波戸康広が代表チームの参加の為に出場できない。
こうした主力選手達の欠場は、ガンバ大阪やベガルタ仙台といったチームを優勝候補に押し上げる事になるに違いない。

今シーズンJ1へ初の昇格を果たしたベガルタ仙台は快進撃を続け、7試合を終わった段階でリーグ3位という好成績を残している。
ベガルタ仙台は土曜日にグループAの1回戦を鴨池競技場でジュビロと対戦するが、出場できないのは日本代表候補で、ここまで5ゴールをあげている山下芳輝の一人だけである。

現在4位のガンバは代表チーム主将の宮本恒靖が出場できない。しかしチームの柱である宮本が不在でも、戦力的にはナビスコカップを制する力は充分持っている。

浦和レッズからは代表チームに呼ばれた選手はいない。現在得点王で絶好調のブラジル人プレーヤー、エマーソンに率いられ、グループDを勝ち抜くチャンスは大きいだろう。

弱小チームにとっては、ナビスコカップで強豪チームを破る絶好のチャンスである。
それこそ1992年にリーグが発足して以来の絶好のチャンスなのではないだろうか。

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マリノスの見事な補強手腕

2002/04/25(木)

 あるシーズン、チームが1部リーグ残留に苦労すれば、チームのオーナーはほとんどの場合間に合わせの補強をするものである。
 つまり、外国人選手を解任したり、未知の選手を寄せ集めて建て直しをはかったりだ。

 しかし、横浜F・マリノスは既知の日本人選手でも良い選手なら幸運を呼び戻してくれることを知っていて、ほんの数ヶ月で降格候補から優勝を争うチームへと変身を果たした。1995年のリーグ・チャンピオンであるマリノスは、昨年11月のまさにシーズン最終日まで2部降格の危機にあった。
 1部生き残りが決定すると、クラブは3人のブラジル人選手のうち2人-ディフェンダーのナザと左サイドのミッドフィルダーであるドゥトラ-の残留を決定した一方で、ストライカーのマルコ・ブリットの退団を認めた。
 ブリットのあとに入ったのは、コンサドーレ札幌から移籍してきた、確かな実績、評判をもつウィルであったが、マリノスはそれ以外にも日本のクラブと3つの重要な移籍契約を交した。
  この巧妙な取引により、マリノスはワールドカップの長い中断を控えた第1ステージ第7節、ジュビロ磐田、ベガルタ仙台を抑え、リーグの首位に立ったのである。

 バック・ラインでは、マリノスは長身で、自信に満ちた若きセンターバック、中澤祐二を東京ヴェルディから獲得し、中澤は日本最高のディフェンダー松田直樹とのコンビにも素早く適応した。
 ミッドフィールドでは、中盤の中央でのポジションを約束してジュビロ磐田から奥大介を獲得。奥はジュビロの強力な5人の中盤での左サイドの役割に倦んでいたのだった。 前線でウィルのパートナーを務めるのは、これも元ジュビロの清水範久。清水はつねに1軍にいるのが精一杯という立場で、レギュラーとして先発メンバーに入ることはほとんどなかった。

 日本人選手たちはマリノスの経営陣の信頼に応えようとし、ブラジル人選手たちはカリスマ監督、セバスティアン・ラザロニの忠実な部下となっている。
 ただ不安な点がひとつあるとすれば、ワールドカップ後に予想される、ゲームメーカー中村俊輔のレアル・マドリードへの移籍であろう。

 噂によれば、ラザロニはビスマルクを日本に呼び戻したいらしい。ビスマルクはかつてのヴェルディとアントラーズのゲームメーカーで、昨シーズン終了後鹿島を解雇され、現在はフルミネンセ在籍である。
 ビスマルクが中村の代りにゲームメーカーを務めるとすれば、すでに3人のブラジル人選手を登録しているため、1人が身を引かなければならない。
 チームの首位の座を保つために、ラザロニには中断後もしなければならない仕事が山積しているというわけである。

 しかし、代理人任せで未知の選手を獲得する代りに、自分たちで実績のある選手を獲得するというクラブの賢明な選手獲得方針が成功したことは確かだ。
 おそらく他のチームも、高価な新ブラジル人選手で間に合わせの補強をするよりは、マリノスのやり方を見習うのだろう。

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変革の必要性を映す光景

2002/04/22(月)

東京発(4月17日):Jリーグで行われる延長戦がどれだけ無駄な事なのか、先週土曜日の東京スタジアムでの試合はまさにその良い例だと言える。
前後半レギュレーションタイム90分が終了した時点で東京ヴェルディとヴィッセル神戸は1対1の同点だった。
世界中のほとんどの国では試合はそこで終了し、チームはそれぞれ勝ち点を獲得、ファン達はある者は喜び、そしてある者は肩を落として家路へ向かう。
それまでの話だ。

しかし日本のJリーグでは、プロサッカーの新しいファン獲得の為にできうる限り勝敗の決着をつけようと様々な方法を模索し試行錯誤している。
喜ばしい事に、1998年のシーズンを最後にPK合戦による方法は中止された。しかし、Vゴール方式による前後半各15分の延長戦がまだ行われている。

そもそも延長戦というものは、ゲームの中でも最も面白くない部分である。
選手たちは既に90分間フルに闘い疲れ切っている。そして延長戦ではそれが見事に現れている。
ミスパス、(最近のヴェルディでは見慣れてしまったが…)ミスタックル、そして怪我。弱いチームは対戦チームにポイントを与えない為(延長戦で勝った場合は2ポイントの勝ち点、90分で勝った場合は3ポイントが与えられる)に30分間を守る事だけに専念する。
ゴールデンゴール(JリーグではVゴールと言うが、国際マッチではこう呼ぶ)とは言うものの、実際はゴールデンと呼ぶにはほど遠く、大概は対戦相手の失策や疲労の結果と言うに等しい。そして2時間近くを健闘したにも関わらず勝ち点を全く得られないという結果になる。

こうしたJリーグの方式には多くの批判はある。そして今シーズンになってからはJ2では延長戦が廃止されたにもかかわらず、J1では依然として延長戦が行われている事に対して批判があがっている。
同じリーグであるにも関わらず、違う勝ち点システム?
まったく奇妙な話である。

サッカーの世界において一番の醍醐味は、格下と言われるチームがトップチームのホームスタジアムで戦法、戦術、そして気力を駆使しホームチームを押さえ、あわよくばゴールを決めるという事である。
トーナメント戦での延長戦、ゴールデンゴールはそれこそ歓喜に満ちたシーンを演出する事もあるのだろうが…。

1993年のリーグ発足以来、Jリーグは今までのように企業中心ではなく地域中心といったように短い間に色々と新しい事に挑戦してきた。
プロ化した事によって、リーグはまるでコンベヤーベルトのように日本代表チームに優秀な選手を送る事ができるようになった。しかしそのシステムは諸外国のリーグと足並みを合わせる必要がある。

ヴェルディ対ヴィッセルの試合を見た人なら誰もが延長戦はただの時間の無駄だと感じたに違いないのだ。
結局試合は1−1の引き分けに終わったのだから。

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結局、俊輔はどうなるのか?

2002/04/18(木)

 フィリップ・トルシエは、つねに選手とのゲームを好む。
  ゲームとは言っても、サッカーではなく、心理ゲームのことだ。
 そして、そのゲームに巻き込まれるのはいつも、もっとも才能豊かな選手である。
 最初は、小野伸二であった。
 次が、中田英寿。
 今回は、中村俊輔の番である。

 左利きのフリーキックの魔術師は、ワールドカップの日本代表選手枠23人に入るのだろうか?

 現時点では、フランス人監督のみぞ知る、だ。だたし今週、彼は中村が代表枠に入ることをはっきりと示唆した。能力を評価してのものではなかったが。
 ファンもビジネス界も中村の代表入りは大歓迎であろう。トルシエも認めるように、サッカーという競技がまだ定着の過程にある日本では、こういうことも極めて重要なのである。

 水曜日のコスタリカとの親善試合を前にしてのおなじみの冗舌な記者会見で、トルシエはワールドカップの日本代表枠を次のような3つのグループに分けることを明らかにした。
 1)先発候補としておよそ14人。このグループに入ると思われるのは、二人の中田(英寿と浩二)、小野、松田直樹、波戸康広、戸田和幸、稲本潤一、服部年宏、宮本恒靖、森島寛晃、柳沢敦、鈴木隆行、高原直泰。
 2)途中出場でインパクトを与えることのできる選手、あるいは複数のポジションをこなせる選手。ここに含まれるのと予想されるのは、三都主アレサンドロ、明神智和、それから中山雅史(と私は信じる)。「2番目のグループは、心理学で言えば別の人格」とトルシエ。「出場が1分、あるいは10分、20分だけでも力を発揮できなければならない選手達」である。
 3)大会中出場するかどうかはわからないが、「スポンサー、イメージ、写真映りのための選手」(1,2名)。ここでトルシエが話していたのは、まさに俊輔のことではないか!

 昨年ほとんど起用しなかったものの、みんなをハッピーな気分にするために中村は結局23人の代表枠に入る、とトルシエは示唆したのだ。
 トルシエの話は冗談なのか、真剣なのか?

 問題は、いかんせん彼がしばしば前言を翻してきたということである。
 実際は、トルシエは昨年末にワールドカップ代表選手枠に入る23人をすでに決めていて、昨今の親善試合は状況を複雑にしたにすぎなかった、ということなのかもしれない。
 小笠原満男や三都主のように、新たな選手が次々とやってきてはそれぞれ素晴らしいプレーを見せたが、トルシエには全員を選ぶことはできない。選ぶことをできるのは、23人だけだ。

 中村は上記の1番目のグループにも、2番目のグループにも当てはまらない。中村は途中出場では力を発揮できないというトルシエの過去の言もある。
 したがって、この横浜マリノスの選手が代表選手枠の23人に入るルートは、3番目のグループということになる。

 私の考えるところでは、トルシエは真剣で、中村は現在またも考え込んでいるのかもしれない。
 トルシエは、最適なバランスとみんなをハッピーにする方策を求めるという厄介な仕事を抱えており、多くの選手が同レベルで並んでいるため、彼の思考を読み取ることは困難な課題である。
 しかし、この瞬間も、中村はフランス人監督以上に悩んでいるに違いない。

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ゴンを忘れちゃいませんか?

2002/04/15(月)

 今年に入ってからフィリップ・トルシエに選出された代表チームのいずれからも外れたゴン、中山雅史だが、外れた事によってかえってその存在が注目を浴びている。
 一体、日本で最も頼りになるベテランストライカーに何が起こったと言うのだろう。
 トルシエ監督のワールドカップ構想から既に外されてしまったというのだろうか。
 それとも、中山については全てを知り尽くしたトルシエ監督が単に他の選手を見たかっただけなのだろうか。
 私は後者であると思いたい。

 来週のコスタリカとの親善試合の出場メンバーからも中山は外されてしまったが、私は彼がワールドカップの出場メンバーに選ばれる事は間違いないと思う。
 きっとトルシエ監督も中山がコンディションの調整と体調維持に専念できるように、既に彼にそれを告げているのではないかと思う。

 中山は34才である。ワールドカップでフォワードとして出場するには年をとりすぎているとも言える。(カメルーンのロジェ・ミラにはそんな事はないと言われそうだが…)
 トルシエは中山を日頃からチームのムードメーカーで若い選手にとって彼の存在は非常に大きいと見ている。
 彼がいつも見せる情熱、責任感、そして代表チームのユニフォームを着る事への誇りは非常に大切で、トルシエは若い選手の何人かにはそれらが欠けていると感じている。

 これまで225試合のリーグ戦に出場し、127得点をあげている中山の得点力という事について言うと、今年はいまいちベストには遠い状態だ。5試合で1得点しかあげていない。
 しかしこの事は中山にとって代表入りへの障害となる事はないだろう。トルシエ監督も彼の得点能力は知り尽くしている。数試合ゴールできていなくても、特に彼のような選手にとっては取るに足らない事だ。

 ワールドカップが近づき、選手達にプレッシャーがひしひしと押し寄せた時こそトルシエ監督には中山が必要になるのだ。
 彼の興奮と意欲そして自信が周りの選手達によい影響を与える。
 なんと言っても、中山には98年のフランス大会で日本で唯一のゴールをジャマイカ戦で決めた経験がある。

 ジュビロのサポーターとゴン中山のファンの皆さん!心配する事はない。中山のワールドカップ代表入りは間違いない。

 もしトルシエ監督が中山を代表から外すような事があるとしたら、それこそ大騒ぎになるだろう。日本代表が決勝トーナメント進出という目的を果たすには彼の力が必要なのだ。
 仮にベンチに座っているだけだとしても。

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名波をめぐる騒動

2002/04/11(木)

 オーケイ。だから私だって、名波浩は良い選手だってわかっているんだ。でも、ちょっと待って欲しい。

 先週土曜日の名波のジュビロへの復帰はまるでキリストの降臨みたいな歓迎ぶりで、例によって日本のメディアの扱いは下にも置かぬという具合であった。
 膝の故障による6か月の戦線離脱のあと、29歳の左利きのミッドフィールダーはジュビロが1-0で勝利した神戸の試合の後半に出場した。試合は、延長の1分過ぎ、福西崇史のゴールで勝負が決した。
 結果、名波は47分足らずプレーしたことになるのだが、彼を崇拝する日本のメディアは、代表候補ではもの足りず、代表チームへ名波が即刻復帰することを求めた。

 だが、 名波は日本にとってそんなに重要な選手なのだろうか?
 彼はトップクラスの偉大な選手なのだろうか?
 フィリップ・トルシエが作り上げた現在の若きチームに、名波が付け足すものがあるのだろうか?

 たぶん私はメディアの少数派に属しているのだろうが、上記の3つの設問には「ノー」と答えたい。

 名波のことを考えると、私の思考はポジティブではなく、ネガティブなものとなる。
 不注意なヒールキックでボールを奪われてしまったシーンが思い出されてしまうのだ。まあ、そのときも技巧に観客は歓声をあげたりしていたのだが。
 3年前にイタリアのベネチアに入団したときのことも思い出されてしまうのだ。いかんせん弱体チームで彼は結果を残すことができなかった。ほとんどのシーンで、彼は左サイドに張り付いたまま。そこにいることが幸福であるように見え、総じて言えば何らかの印象を与えることはなかった。

 さらに私には、中国戦での日本代表メンバーであった姿が思い出されてしまうのだ。その試合では、トルシエは彼を左サイドに起用したのだが、彼がしたことといえば、イタリア仕込みの審判団との口論のみ。
 2000年10月、日本が優勝したレバノンでのアジア・カップで彼がMVPに選ばれたのは認めよう。しかし、相手の実力を見ることも大切ではないだろうか? ウズベキスタンの実力は? イラクは? カタールは?

 技術的に言えば、名波はもちろん良い選手である。左足のプレーが過度に多いが、なかなかのパサーであり、試合を見る目もあるし、危険なフリーキックも持っている。
 しかし、最高のレベルで成功するにはより以上のものが必要となる。
 必要なのは、ハートであり、気迫であり、精神力であり、決断力であり、エネルギーであり、打てば響くということなのである。このような面で、私は名波が代表に値するのかと疑うのである。

 ミッドフィールド左サイドでの名波の起用を考えているとトルシエは言うが、この発言は私には意外である。名波にはスピードがないし、ディフェンスの裏に回ることもほとんどないからである。
 中央の攻撃的ミッドフィールダーのポジション争いは中田英寿、森島寛晃、小笠原満男らがすでにリードしており、名波に空いているポジションは守備的ミッドフィールダーしかない。
 ボールを奪うだけでは名波は満足しないだろうし、名波がタックルできない場合に備えて誰かを配置するのは好ましくない。

 もちろん、私は名波がチームの救世主になるだろうとはまったく思ってはいないし、先週土曜日に名波が復帰したさいのメディアのヒステリックな歓迎ぶりにも驚いてはいない。
 私は思うのだが、彼を選ぶことは時代を逆行することになるのではないだろうか。なんといっても、日本代表チームは最近の数ヶ月、名波なしでも極めて良好な結果を残してきたのである。

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集客不足に喘ぐJリーグ

2002/04/08(月)

「日本のサッカーファンよ!一体どうしたと言うのだ!」
 ワールドカップ開催の年であるにも関わらず、観客動員数の伸び悩みにJリーグ関係者は頭を痛めている。まさに彼らはそう叫びたい筈だ。

 第4節を終えて平均観客動員数は15440人である。これは昨シーズンの平均より1000人以上も少ないのだ。
 ワールドカップを目前に控えて国内のサッカー熱も高まっているというにも関わらず、それがなぜ国内の試合の観客動員数に反映されないのかリーグ関係者は理解できない。

 「もちろん我々も現状はよくわかっていますし、大きな問題として捉えています」リーグ事務局企画部チーフスタッフの佐野毅彦氏は言う。
 「最も心配なのは、我々にはその理由がわからないという事です」「恐ろしささえ感じます」

 今シーズンJ1に昇格を果たしたベガルタ仙台は、これまでのホームゲーム3試合についてまずまずの集客数を得て健闘しているが、他のチームは苦戦している。
 これらの中にはゲーリー・リネカーやドラガン・ストイコビッチ等を擁し人気チームの一つでもあった名古屋グランパスエイトも含まれる。ここ2週間、東京ヴェルディーとの試合では7231人、そしてその後のコンサドーレ札幌戦では11279人の観客動員数しかあげる事ができなかった。
 スーパースターだったストイコビッチの引退に加え、楢崎正剛を除いて日本代表選手がいないという事がファンをスタジアムから遠ざけていると見る人もいる。

 ヴェルディも深刻な状況だ。土砂降りの雷雨の中の試合とは言え、ホームの国立競技場で先週土曜日に行われた柏レイソル戦の観客数はわずか8349人だった。
 仮にJ2に降格するような事になれば、今シーズン後はチームの運営が成り立たなくなる可能性もある。

 佐野氏によれば、Jリーグ自体もワールドカップ後の観客動員数の減少はある程度予想していたが、ワールドカップ前に減少している事実については相当危機感を感じ、各クラブに注意を呼びかけている。
 「観客動員数を増やす事は難しいだろうとは思っていたが、ワールドカップ人気も手伝って希望的観測をしていた事は事実です」
 「観客動員数をいかに増やすか、リーグやクラブは決して楽観視してはならないという事だと思います。どんなスポーツでも同じですが、お客様に来てもらえないと言う事はリーグとして成り立たないからです」
 「かといって、観客動員数を増やす特効薬なんてありません」

 先シーズンの平均観客数は16922人で、これはバブル崩壊前1993年にリーグがスタートした後、1995年以来最多の数字だった。
 天候が良くなり、ゴールデンウィークになれば多少は観客数も増えるだろう。しかしワールドカップ後にまた人気選手が海外移籍等で日本を離れる可能性を考えるとリーグ関係者にとって観客動員数の伸び悩みは頭痛の種となりそうだ。

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ベングロシュの見た日本代表

2002/04/04(木)

 ワールドカップのキックオフまで残り2か月をきり、日本代表は肉体的にも、精神的にも素晴らしい状態にある。

 ここに記すのは、日本在住のジョゼフ・ベングロシュの見解である。ベングロシュは、FIFAやUEFAのコーチたちの間でもっとも尊敬されるサッカー関係者の1人である。
 ベングロシュは国際的な経験も豊富で、12年前、イタリアでのワールドカップではかつてのチェコスロバキア代表を指揮し、チームを準々決勝にまで導いた。
 現在Jリーグのジェフユナイテッド市原の指揮をとる、歴戦のスロバキア人監督は、先週の水曜日ロッズで日本代表がポーランドを2-0で破った試合を見て、強い印象を抱いた。
 ただし、手放しで褒め称えているというわけでもない。かの試合は、日本と韓国で開催される本番へのウォームアップ・マッチに過ぎないからだ。

 「日本チームのパフォーマンスは素晴らしかったし、とても良い結果が出たと思います」その長いキャリアにおいて、アストン・ビラやフェネルバチェ、セルティックを指揮したベングロシュはそう語る。
 「チームとしての自信、気迫、それにチームワークも見せてくれました。しかも、—これがいちばん大切なのですが—選手たちが自分自身を信じていることがわかりました」

 今回の勝利により、日本のフル代表は、1971年にアイスランドを2-0で破って以来、ヨーロッパの代表チームにアウエーで初めて勝ったことになる。とはいえ、最近のホームでの戦績を見ると、日本代表はユーゴスラビア(1-0)、ウクライナ(1-0)をそれぞれ破り、昨年11月にはイタリアと1-1で引き分けている。

 「はい。ポーランドでの結果には驚きませんでした」とベングロシュは言い添える。「なぜなら、あれは強化試合にすぎないからです。
 「大きな大会の前にはかならず、強化試合を何試合かこなす必要がある。ただそれだけのことなのです」
 「ただし、日本チームの雰囲気は悪くないし、フィリップ・トルシエはよくやっています。しかし、大切なのはワールドカップでの試合なのです」

 その日の日本チームのスターは、パス・センスと試合勘で抜きんでていた、パルマのゲームメーカー、中田英寿であった。

 「彼はヨーロッパでプレーしていますが、これは重要なことなのです。なぜなら、経験と自身が具わるからです。同じことは、小野伸二にも言えるでしょう」とベングロシュは語った。

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実力を見せつけた中田

2002/04/01(月)

 3月28日:中田英寿をめぐって交わされてきた批判や論争は一気に解消した。水曜日にポーランドのロッズで行われた強豪ポーランド代表との試合で、中田は再び彼が抜きんでた選手である事を証明した。
90分間フルに走るスタミナ、ボールコントロール、視野、それに付け加えパスの正確さは日本代表のみならず、ポーランド代表を加えた中でも最も秀でていた。

 誰もその日の中田を止める事はできなかった。ゴール前への素晴らしい詰めで1点目のゴールを決め、市川大介のクロスを高原が決めた2点目では逆サイド市川へのお膳立てとなるパスを出した。

 ポーランド代表のイエルジ・エンゲル監督は中田を絶賛し、彼のプレーを見る事ができて光栄だとまで言った。
また、普段めったに個人を誉める事のないフィリップ・トルシエ監督でさえ、中田のプレーには非常に満足であり、中田がこういうプレーをする限り日本代表チームの重要な一員であると語った。
もともとトルシエ監督の目には、中田の才能は明白に映っていた。ただ、トルシエの思い描く“チーム”の枠の中でプレーできるか、また母国の為にプレーするという意欲を中田が持ってくれるかという事が問題だったのだ。
試合後の記者会見でトルシエ監督はポーランドでの4日間というもの、中田の姿勢はこれまでとまったく違ったと言い、今シーズン、パルマで味わってきた苦悩が彼を変えたと考えている。
「以前なら中田はマネージャー5人、専属の医者を2人連れてヘリコプターで現れていた。しかし今回は一人で自転車でやってきたんだ」トルシエ監督はその姿勢の違いをそう表現した。

 今後、中田とトルシエ監督の確執が話題になる事はないはずだ。トルシエ監督と日本代表チームには今や理想的なチームリーダとして成長した中田は欠かす事ができない。
以前には中田の事を14・5人居る先発メンバー候補の一人と言っていたトルシエ監督だが、やはり心のどこかでは中田は特別だとわかっていたようだ。
水曜日はその事がはっきりと証明された。そしてワールドカップを2ヶ月後に控えて、日本代表チームは最高の状態にある。

 ポーランドのエンゲル監督は「日本は単に11人の良い選手が居るだけではない。その11人と同じようなレベルの選手が25〜30人いるんだ」と指摘した。
「ワールドカップでは、中田のような選手が一人居ることで、チームはガラリと変わるんだ。今回は非常に勉強になったよ。今日の中田は最高だった」

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宮本はキャプテンを目指す

2002/03/28(木)

 フィリップ・トルシエは、日本代表監督在任中に多くのことを成し遂げた。
 しかし、まだ成し遂げていないことがあるとすれば、一つはキャプテンを固定させることだろう。

 宮本恒靖は、フランス人監督が抱えている問題の答えを知っているつもりだ。答えは、「俺」、だからだ。
 このガンバ大阪のディフェンダーは、フィールド外でもフィールドにいるときと同じように頭の回転が早く、理知的であり、キャプテンの腕章をつけてプレーすることの責任を楽しんでいるのである。

 ウッジのビジェフ・スタジアムで水曜日に行われるポーランドとの親善試合でも日本代表のキャプテンを務めるのかという質問に、宮本は、「できれば」と答えた。
 「僕のポジションはチームにとってとても重要なので、選手として大きな責任を負わなければなりません」
 「キャプテンを任されたら、他の選手にも指示を出さなければなりません。でも、それも楽しみたいと思っています」

 リーダーになりたいと公言する日本人選手はめったにいないし、このような姿勢をトルシエが見過ごすはずもない。トルシエが宮本をキャプテンに任命したのは、昨年11月のイタリア戦が最初だった。
 宮本は神懸かり的なプレーで応えた。ハイライトは、至近距離で決定的なチャンスを掴んだローマの王子様、トッティへの信じられないようなタックルで失点を防いだことだった。

 先週木曜日のウクライナ戦での1−0の勝利によって宮本の地位が確固たるものとなったとは必ずしも言えないが、故障により森岡隆三の離脱が続けば宮本がポジションを保持し続けることになるだろう。
 25歳のセンターバックは、ワールドカップの日本代表メンバー23人に入る絶好の機会を得たことを認識している。
 「もちろん、森岡さんのケガは僕にとってチャンスなのかもしれないけれど、僕はそれ以前からもずっとポジション争いをしてきたんです」宮本は素早く指摘した。

 事実、森岡が故障する前でも、昨年10月にサウサンプトンで2−2で引き分けたナイジェリア戦や、1−1で引き分けたイタリア戦において、宮本はなにかと議論の的となるトルシエのフラット3のバックラインを率いていた。
 「森岡さんの気持ちはわかります。僕も前にケガをしたことがありましたから。森岡さんがケガから復帰するまでに僕がしなければならないことは、トルシエに僕の能力をアピールすることです」

 日本代表のフラット3は、極めて積極的にオフサイド・トラップを仕掛け、中盤で相手チームにスペースを与えないように素早く押し上げるものであり、チーム全体の成功に関わる重要な要素である。
 もしフラット3のシステムが崩壊すれば、チームは苦境に立たされ、もしスムースに機能すれば、しばしば相手チームを混乱させることができる。

 センターバックにはプレッシャーがかかるものだが、その役目をこなすだけでは宮本は満足しない。
 ムッシュ・トルシエ、キャプテンの腕章をどうか宮本に。

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韓国代表の熾烈なポジション争い

2002/03/24(日)

 ワールドカップ韓国代表のストライカーのポジション争いで最有力なのが、柏レイソルのストライカー、黄善洪(ファンソンホン)だ。
 3月20日にスペインで行われた対フィンランド戦、2−0で勝利を収めた韓国代表の両得点を決めた33歳の彼の決定力には代表監督、フース・ヒディンクも満足したことだろう。

 オランダ人監督の下、着々と組織的かつ戦術的にも統制のとれたサッカーを身につけてきた韓国代表だが、以前から決定力不足が心配視されてきた。
 そういう意味では、この黄善洪の華麗な2ゴールは、3月26日にドイツで行われる対トルコ戦にむけてますますヒディンクの意欲を湧かせる事だろう。

 対フィンランド戦に臨み、ヒディンクは「ワールドカップに向けて23人のメンバー選考はバランスを重視したい。二つしかないフォワードのポジションに6、7人のフォワードを選ぶ訳にはいかないんだ」
 「お互い競い合い、個性を見せてもらいたい」
 「決定力とアシスト能力を見せてくれた者が23人の中に残ってくるだろう」と語っていた。
 黄善洪にはヒディンクの意図する所が明確に伝わっていたようだ。

 日本のサッカーファンも黄善洪の得点能力はよく知っている。彼は柏レイソルに移籍する前はセレッソ大阪でJリーグの得点王にもなっているし、柏レイソルでもイングランド人監督、ステファン・ペリマンにとって貴重な戦力だ。

 彼はすでに1994年のアメリカ大会で、2−3で敗れた対ドイツ戦で決めた素晴らしいゴールでワールドカップ史上にもその足跡を残している。しかし、怪我の多さとそのタイミングの悪さが黄善洪の活躍を邪魔してきた。
 対フィンランド戦の彼の2ゴールは、彼がその頃のボールタッチを失っていないという事を見事なまでに証明した。

 最初のゴールは、オフサイドのようにも見えたが、ペナルティーエリアの狭いスペースで落ち着いて冷静な計算でシュートをゴールの隅に決めた。
 また、二つ目のゴールはまさに彼の本領発揮と言うところで、右ウィングからのクロスに合わせるべくゴールに詰め、ヘッドでネットに突き刺した。

 現時点では、ヒディンクが韓国代表の2トップとして、黄善洪と並んでジェフ市原の崔龍洙(チェヨンス)を使う可能性が高い。
 ヒディンクは崔龍洙をジェフ市原のマスコットにかけて「ジェフィー」と呼びまた、彼のアグレッシブなプレースタイルをとても好んでいる。
 確かに常時出場していないベルギーリーグ、アンデルレヒトの薛叙ゥ鉉(ソルギヒョン)やセリエAのペルージャの安貞桓(アンジョンファン)よりもこの二人が選ばれる可能性は高いだろう。

 0−0で引き分けた対チュニジア戦後、ヒディンクはイタリアでほとんどの時間をベンチで過ごしている安貞桓が本来のコンディションを取り戻すのにはかなり時間がかかると語った。
 また、韓国でプレーする李東國(イドング)は過大評価されているし、金度勲(キムドフン)に至っては今回の遠征メンバーから外れた。

 黄善洪と崔龍洙はこの調子を維持できれば、ワールドカップでは栄光の代表チームの攻撃陣を率いる事になるだろう。

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オーストラリア代表からのアドバイス

2002/03/21(木)

 オーストラリア代表のヨジップ・スココは、今夏の韓日ワールドカップでは、梅雨の影響はそれほどでもないと考えている。
 スココは、昨年6月のFIFAコンフェデレーションズ・カップで3位となった、オーストラリア代表のメンバーであり、8カ国が参加した大会はワールドカップの予行練習でもあった。

 「コンフェデレーションズ・カップの前には、話題は梅雨のことばかりで、土砂降りの雨の中で試合をすることになるんじゃないか、なんてみんな言っていたよ」とベルギーでミッドフィルダーとしてプレーしているスココは語る。
 「でも、韓国と日本にいた間、雨が降ったのは一度だけ、準決勝の日本戦だけだった」
 豪雨のなかの試合、日本のキャプテン、中田英寿の強力なフリーキックが守備の壁を貫通してゴールまで突き刺さり、サッカルー(オーストラリア代表の愛称)は0−1で敗れた。
 その後、オーストラリア代表は韓国に戻り、3位決定戦でブラジルを破った。

 「コンディションにはなんの問題もなかった。ピッチも素晴らしい状態だったしね」とスココは言い添えた。彼は現在、ベルギー1部リーグで優勝を目指しているヘンクでキャプテンを務めている。
 「スタジアム、ホテルはどの土地でも最高だった。あの時点では、ホテルや輸送の面で韓国は日本ほどではないとも思ったけどね。
 「でも、コンフェデレーションズ・カップのあとも、さらに良くなっているんだろうね」

 スココは、日本チームへの注意点も述べた。6月4日、埼玉スタジアムでのグループHの緒戦の相手がほかならぬベルギーであるからだ。
 スココは、ヘンクの同僚、ウェスリー・ソンクにとりわけ日本は用心すべきだと感じているそうだ。今シーズンのベルギー・リーグでは、ソンクはすでに27ゴールを挙げるという、衝撃的な活躍ぶりである。

 「僕はソンクをとても高く評価しているんだ」とスココ。
 「彼は今シーズンとても多くのゴールを決めているけど、チームへの貢献度はそれ以上なんだ」
 「足が速くて、冷静にゴールを決めることができる。ペナルティー・エリアでは、まったく危険な選手だろうね」

 ソンクはベルギー・リーグからワールドカップにレベルアップしても大丈夫かという質問には、このオーストラリア代表選手は自信をもって答えた。「ソンク自身にとって実力を世界にアピールするこれ以上ないチャンスだし、彼はこういったチャンスで最高のプレーができるプレイヤーだと思う。
 「もちろんスピードも技術レベルも違うので、適応するには時間がかかるかもしれない。でも、彼にはそこで成長できるだけの才能、頭脳が具わっている。
 「彼は、なんだってできるんだ」

 日本代表、ベルギーの新星ソンクには最高ランクのご用心を!

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小笠原のチャンス

2002/03/17(日)

 小笠原が待ちに待ったワールドカップ出場へのチャンスがついに来た。
 トルシエ監督は、鹿島アントラーズの若き司令塔を3月21日の対ウクライナ、3月27日の対ポーランドの親善試合日本代表メンバー、22人の1人として選出した。

 トルシエ監督が小笠原に代表候補のイスを与えたと言うことは、単に彼の2シーズンに渡る活躍を認めたと言うだけでなく、日本代表が使う3−5−2システムで2トップ下の攻撃的MFのポジション争いをめぐって中田英寿に大きなプレッシャーを与える事になる。

 2000年、2001年と鹿島アントラーズでの安定したパフォーマンスでチームの勝利に貢献してきた彼を見てきた人々にとって、小笠原の代表候補入りは遅すぎたと言っても良い。
 彼はビスマルクからMFの役割を学んだ。そしてついには、チームにビスマルクの解雇を決断させる程小笠原は大きな成長を見せた。

 彼の持って生まれた才能は早くから認められていた。1999年にナイジェリアで行われた世界ユース大会で日本がスペインについで準優勝を遂げたのは、この物静かな青年の力によるところが大きい。
 主将の小野伸二、ウィングの本山雅志、そしてストライカー高原直泰と注目を集めた選手達の中で、小笠原は司令塔として淡々と、しかし大きな成果を出した。

 彼のように個人プレーよりチームプレーを大事にするタイプの選手は、コーチング哲学としてチームプレーと個人犠牲を掲げるトルシエにとって魅力的なはずだ。
 小笠原は、元々競争の激しい攻撃的MFのポジションでなかなかチャンスをつかめず、シドニーオリンピックの18人の代表メンバーにも選ばれなかった。

 調子が悪いとは言え、セリエA、パルマの中田英がそのポジションの第一候補であることは間違いない。その他にも、森島寛晃、小野伸二と候補がひしめく中、小笠原はチャンスを待つしかなかった。
 トルシエ監督は小笠原の抜擢は、今こそがベストタイミングだと確信している。もし、小笠原がウクライナ戦、ポーランド戦で良い結果を出すようなら、不動のように見えた中田英のワールドカップでの先発出場も危うくなるかもしれない。

 高校時代からのガールフレンドを若くして人生の伴侶として迎えた小笠原だが、日本代表の座というサッカー人生の伴侶を迎えようとしている今、その関係が末永く続く事を願っている。

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怒りのヴァンズワム

2002/03/14(木)

 川口能活のポーツマスからの移籍をジュビロ磐田が申し出たことにより、オランダ人ゴールキーパー、アルノ・ヴァンズワムは磐田退団も辞さずという覚悟でいる。
 イングランド南海岸のクラブで年頭にメンバーから外され、現在も先の見えない川口と自分との交換トレードをジュビロ磐田が画策しているのを知り、ヴァンズワムは激怒した。

 さらに、大柄のオランダ人は、6月の末に契約が切れたとき、自身の将来について再考することを明らかにした。
 「マネージャーが電話してきて、ジュビロが川口と僕をトレードさせるというニュースが新聞に出ているって言うんだ。僕はポーツマスに移籍させられるってさ」とヴァンズワム。

 「そんなこと、なにも聞いていなかったから、クラブに行き、どうなってるんだってたずねた。
 川口には興味があるし、僕がポーツマスに行きたがると思ったってクラブ側は言ったけど、こうなるまでに僕の意向を聞こうともしなかったんだ。
 クラブに対して僕はきわめてプロフェッショナルな態度で応対してきたけど、選手をこんなふうに扱うのは、間違っている」

 契約が切れたあともジュビロに残りたいかという質問に、ヴァンズワムは答えた。
 「日本には残りたい。家族は日本が気に入っているし、子供たちも学校でうまくやっている。でも今はどうなるかわからない。ジュビロからの回答は、今月末までに伝えられるそうだ」

 ヴァンズワムは、32歳。オランダリーグのフォルトゥナ・シッタルトで14シーズン、プレーしたあと、2000年にジュビロに入団した。
 ジュビロ磐田がJリーグのファースト・ステージで優勝し、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れた昨シーズン、ヴァンズワムは、Jリーグのベスト11に選ばれた5人のジュビロ選手のうちの1人であった。

 昨シーズンの30試合でジュビロが許した得点は、リーグ最小の26点。ヴァンズワムはこの30試合のうち26試合でプレーし、欠場は肩の故障による4試合のみ。
 ヴァンズワムがジュビロと新たな契約を結ぶことができず、ジュビロがポンペイ(ポーツマスFCの愛称)の悪夢から代表ゴールキーパーの川口を救いだすことができるとすれば、ヴァンズワムの次の可能性は浦和レッズへの移籍であろう。

 ハンス・オフトとビム・ヤンセンのオランダ人コンビが現在指揮する浦和レッズは、昨シーズン鹿島でプレーした高桑大二郎の獲得に失敗し、開幕2連敗。高桑は、その後東京ヴェルディ1969に移籍した。
 ただしヴァンズワムが入団したとしても、浦和レッズは3人のブラジル人、フォワードのエメルソンとトゥット、攻撃的ミッドフィルダーのアリソンのうち1人を手放さなければならないだろう。

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新たな強豪を待つJリーグ

2002/03/10(日)

 今年こそ新勢力の台頭を見たいというサッカーファンの希望とともに、Jリーグ10年目のシーズンが先週始まった。
 Jリーグチェアマン、川淵三郎もその一人である。彼にはリーグの両巨頭、鹿島アントラーズとジュビロ磐田にとっても新勢力の台頭がどれだけ大事かよくわかっている。

 過去6年間にわたって、アントラーズは1996年、1998年、2000年、2001年、そしてジュビロが1997年、1999年と2チームでリーグチャンピオンをわけあってきた。
 特に川淵チェアマンは、関西から新たに強豪と呼ばれるチームが誕生して、大阪や神戸、そして京都でのサッカー人気が上がる事を望んでいる。
 大阪はその在阪2チームのうち、セレッソが昨シーズンJ2に降格した。しかし今シーズンのガンバは両強豪にとって新たな脅威となる予感がする。

 ガンバは元々良い選手には恵まれていた。そして今、日本人監督として最も優れていると評判の西野朗を得た。
 彼は1996年アトランタ・オリンピックでブラジル代表を1−0で下したオリンピック日本代表チームの監督だった。そして柏レイソルでも素晴らしい成果をあげた。Jリーグの2ステージ制というシステムに泣き、チャンピオンにはなる事ができなかったが、明らかに2000年のレイソルはベストチームと言ってもよかっただろう。

 レイソルではそれ以上の結果を出す事ができず、彼は昨シーズン半ばで解雇されてしまったが、ガンバ大阪の監督として再び表舞台に戻ってきた。
 彼はガンバで、代表候補GK都築龍太、DF宮本恒靖、MF遠藤保仁、そしてFW吉原宏太と、才能ある選手達を得た。
 日本代表監督、フィリップ・トルシエはよく日本人選手と海外のスター選手を比較する。かつて、吉原がペナルティエリアでディフェンダーを巧みにかわす姿を見て、彼の事を日本のロマーリオと呼び、また遠藤のパス、シュートレンジの広さをフェルナンド・レドンドに喩えたりした。

 ガンバは開幕戦で昨シーズンまで西野が率いたレイソルを1−0で破り、さい先の良いスタートを切った。そして日曜日には関西ダービーのライバル京都と対戦する。
 ガンバ以外にも、FC東京はアントラーズを4−2で破り、サンフレッチェ広島は5−1でコンサドーレ札幌を破りそれぞれ良いスタートを切ったようだが、2002年のJリーグではガンバの時代が訪れようとしているのかもしれない。

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レアル・マドリード、なにするものぞ−FC東京の心意気

2002/03/07(木)

 フォワードを一人にして戦うことを考えたとき(この場合は、35歳のブラジル人フォワード)、FC東京の監督、原博実はある野心的な目標をたてた。

 新しいシーズンの開幕戦、東京スタジアムで自身が指揮するチームが王座に君臨する鹿島アントラーズをどう猛に攻め立て、4−2で粉砕したゲームを見守ったあと、原はFC東京の将来のあるべき姿について語った。
 「ウチはビッグクラブじゃありません」と原は認める。「でも、ビッグクラブを悩ませるようなチームにはなりたいと思っています」

 彼はスペインを引き合いに出し、レアル・マドリードやバルセロナといったビッグクラブに対するアラベスやベティスにFC東京をたとえた。
 「アラベスやベティスがレアル・マドリードと戦うとき、選手もファンも一丸になります。FC東京もそんなチームになってくれたらと思っています」
 「エキサイティングで、攻撃的なサッカーを続けていたら、ファンも増えるし、収益も上がる。そうすれば、トップクラスの選手とも契約ができる。現状は、うまくやりくりしていくしか、仕方ないですけれどね」

 かつて日本代表のストライカーだった原は、今シーズンからFC東京の監督に就任し、前任者の大熊清が東京ガス時代から7年にわたって基礎を築いてきたチームを引き継ぐことになった。

 24歳のバイーア出身のブラジル人選手、ジャーンがサンドロに代わってディフェンスの中央部に入った以外は、選手も変っていなかった。
 原は4−5−1のフォーメーションを採用し、ベテランのブラジル人選手、アマラオをただ一人トップに置き、右サイドからキャプテンの佐藤由紀彦、左サイドから小林成光、中央をブラジル人の同僚、ケリーがサポートするようにした。
 アントラーズ戦では、小林が2ゴールし、残りの2点はセンターバックの伊藤哲也とケリーが得点した。

 とはいえ、実際に目を奪ったのは23歳の宮沢正史のプレーぶりであった。中央大学出身の宮沢は、これまでFC東京でのリーグ戦出場経験は1試合だけ。しかし、鮮やかな白のシューズとエレガントな左足の技巧により、宮沢はミッドフィールダーとして堂々たるプレーを見せた。

 原は、この試合が宮沢にとって2試合目のリーグ戦出場であることを知りもせず、宮沢を選んだのは、練習試合で調子が良かったからだと述べた。
 原がこのようなやり方でつねに選手達を刺激し、次々とゴールが生まれるなら、FC東京のファンもきっと今シーズンの活躍に応えてくれることだろう。

 レアル・マドリード、なにするものぞ!

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トニーニョ・セレーゾに聞くシーズン展望

2002/03/03(日)

 来日して2年、鹿島アントラーズのブラジル人監督、トニーニョ・セレーゾは6つの主要なトロフィーのうち過去2年のリーグチャンピオンを含む4つを手にした。
 しかし元ブラジル代表MFのトニーニョ・セレーゾは、土曜日に10年目のシーズンが始まったJリーグにずば抜けた優勝候補はないと言う。

 今シーズンの一番のライバルはどこかと尋ねられたトニーニョ・セレーゾは即座に「皆さ」と答えた。
 「今シーズンはどの試合をとっても簡単には勝たせてもらえないだろう。ざっと見ても6〜7チームに優勝の可能性があると思う」

 アントラーズがそのうちの1チームであることは間違いない。しかし彼らは先シーズン後契約を更新されず、現在フルミネンセの一員としてブラジルのチャンピオンシップを闘っているビスマルク抜きでシーズンを闘わなくてはならない。
 「彼は経験豊富な選手だった。その彼に代わる選手なんていないさ」トニーニョ・セレーゾは付け加えた。

 チームの10番は日本代表候補の本山雅志に継がれた。彼は日本がスペインに次いで準優勝を果たしたナイジェリアでの1999年のワールドユース大会でFIFAのオールスターチームに選出された。
 本山はこれまでどうしても先発に定着する事ができなかったが、ビスマルクのいない今ようやくそのチャンスを得た。
 スーパーサブだった本山と小笠原満男が今期のアントラーズの攻撃の起点となるだろう。

 「抜けた穴を埋めるだけの戦力はあると思う」トニーニョ・セレーゾは語る。
 「今シーズンの課題は若い選手を育てる事だが、Jリーグの実戦でするのが一番だ。ディフェンダーにも経験豊富な選手はいるから、きっと若手を育ててくれる」

 アントラーズが一番警戒するのはやはり昨年の準優勝チーム、ジュビロ磐田だろう。なんといってもボカ・ジュニオルスから日本代表のストライカー高原直泰が帰ってくる。
 元ブラジル代表MFセザール・サンパイオと、日本代表MF明神智和を擁する柏レイソルもあなどれない。
 「特にサンパイオには感心するよ」レイソルのイギリス人監督、ステファン・ペリマンはそう語る。
 「ハムストリング(太ももの裏側)の故障で充分なトレーニングができなかったとは言え、彼の頭脳は健在だからね」

 昨シーズンは最終戦でようやく2部降格の危機を免れたが、横浜F・マリノスもまた今シーズンは良いはずだ。
 ブラジル人監督、ラザロニ監督率いるF・マリノスは積極的に戦力補強を行った。ジュビロ磐田からはMF奥大介とFW清水範久。東京ヴェルディ1969からはDF中沢佑二、そしてコンサドーレ札幌からはブラジル人CFウィル。ウィルは2部の大分トリニータから札幌へ移籍し、昨シーズンは24ゴールで得点王となった。

 全16チーム中、7チームが新しい監督の指揮の下、新しいシーズンを迎える。
 浦和レッズもその一つで、監督にハンス・オフト、ヘッドコーチにビム・ヤンセンのオランダ人コンビを起用する。この二人は日本のサッカーを熟知している。オフトは過去に日本代表チーム監督を務め、また、ジュビロ、京都パープルサンガの監督を務めたし、一方ヤンセンはサンフレッチェ広島で2年間監督を務めた。

 しかし、オフトはチームがすぐに良くなるとは考えていない。
 「サポーターは日本一なんだけど、チームがね…」オフトは言う。
 「レッズはレベル的には監督に就任した1994年のジュビロと似たようなものだ。5年ほどかけて順序を追って育てていくしかない」

 ワールドカップ熱がヒートアップする中、スポンサー、テレビ局と長期の契約を結んだJリーグは、2002年に新たなサッカーブームが起こる事を望んでいる。

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ジェフの新指揮官 ドクター・ベングロシュ

2002/02/28(木)

 ドクター・ジョゼフ・ベングロシュは、日本での短い滞在中、広報活動には勝利した。
 しかし、これからの課題はさらに困難となる。ジェフユナイテッド市原の前任監督、ズデンコ・ベルデニックの素晴らしい業績が相手となるからだ。
 今月66歳になるベングロシュは、クラブ・チームと代表チームの両方で錚々たる実績を築いてきた。

 2回のワールドカップでかつてのチェコスロバキア代表を指揮し、90年のイタリア大会では準々決勝に導いた。また、ヨーロッパ選手権でも2度、チェコスロバキア代表を指揮し、1976年のベオグラードでは、スデニック・ネホダ、マリアン・マスニー、アントニン・パネンカといった名選手達を擁して大陸王者にもなった。

 クラブ・チームでは、1990年代にアストン・ビラ、フェネルバチェ、グラスゴー・セルティックスなどを指揮し、現在は千葉県のローカル都市で、洗練されているとは言い難いJリーグのチームを指揮しようとしている。

 ジェフユナイテッド市原の監督に就任してから数日後、この人当たりの良いスロバキア人の監督は一群の報道陣との懇談で、これから指導する選手達の名前とニックネームをよどみなく並び立てた。
 「来日前に選手のことは予習していました」とベングロシュは認める。

 「昨年末、監督就任を要請されたとき、何人かに相談しました。そのなかに、ジェフユナイテッドでプレーしたことのある、イワン・ハシェクもいました。もちろん、彼のことは良く知っていますから。ハシェクは、行くべきだって言ってくれました。良い人々がいる良いクラブだ、と」
 「決心したら、ジェフにチームの詳しい資料を送ってくれるように頼みました。仕事を始めるときに、名前をしっかりおぼえておけるように」

 ジェフユナイテッドは昨シーズンの総合順位で、Jリーグの強豪である鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田に次ぐ3位という称賛に値する成績を収めたものの、スロベニア人監督のベルデニックは、選手獲得に金をかけている割には成績が今一つの名古屋グランパスエイトに移籍してしまった。

 そこにやって来たのがベングロシュである。昨年の11月下旬、ベングロシュは日本に滞在しており、アジア・サッカー連盟とUEFAが共同で開いていた上級コーチング・コースを指導していた。
 「昨シーズン、チームは好成績を収めました。私は継続を好むタイプの監督ですので、変更のための変更はしようとは思いません」
 「サッカーではつねに期待が高くなりがちですが、私がお約束できるのは、真面目に、一所懸命、プロとして仕事をするということです。チームには良い成績を収めて欲しいのですが、何位になるかは予測できません。拮抗したチームばかりの戦いですから」

 現時点ではジェフに日本代表の選手はいないが、ワールドカップに出場する選手はいる。スロベニア人のセンターバック、ゼリコ・ミリノビッチと韓国人のストライカー、崔龍洙(チェ・ヨンス)である。
 5月31日のソウルでのキックオフへカウントダウンが進むなか、この二人が代表選手に選出されるのはほぼ確実だろう。

 「ワールドカップは選手にも、国にも、共催する両国にとっても重要な行事であり、ワールドカップ前のリーグ戦について選手がどのように感じているかは、わかっています」とベングロシュはさらに語った。
 「クラブでのハードなトレーニング、ハードなプレーをワールドカップの準備と両立させなければなりません。クラブでのプレーが代表チームへの良い準備となることを、選手は理解しなければなりません」

 Jリーグの新たなシーズン、ベングロシュの最初のテストの場となるのは、日曜日、昨シーズンのJ2チャンピオン京都パープルサンガとのホームでの試合である。
 選手達が監督のように余裕と目的意識を持てれば、ジェフはベルデニックの輝かしい業績のあとも、順位表の上位に居続けることができるだろう。

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ブレーク間近のもう一人の「ONO」

2002/02/24(日)

 小野伸二は彗星の如く現れた。そして今、彼はロッテルダムの強豪、オランダ1部リーグ、フェイエノールトでまた頭角を現し、確実にヨーロッパの名プレーヤーへの道を歩いている。

 しかしJリーグには最近成長著しい攻撃的MF、もう一人の「ONO」がいる。来週末に開幕を迎えるJリーグの優勝候補のひとつ、柏レイソルの23歳、プレーメーカー、大野敏隆がその人である。

 レイソルのイギリス人監督、ステファン・ペリマンは今シーズンの大野はチームの鍵だと感じている。そしてそれを証明するかのように、彼をキャプテンに指名した。
 「彼は優れた技術を持った個人プレーに秀でた選手だ。しかし今ではそれだけでなく、周りのプレーヤーの事も活かす事ができるようになった」ペリマンは語った。
 「そもそも、私は彼の個人プレーについてどうこう言うつもりはない。彼はもともと優れたパサーでもあるからね」

 浦和レッズの本拠地、埼玉出身の大野は1997年7月に隣県千葉の柏レイソルからデビューした。出場数はちょうど100試合、そして16ゴール挙げている。
 ペリマンは昨シーズン途中から、チームを立て直しここまで育てた西野朗監督の後を継いでヘッドコーチから監督へと昇格した。
 西野監督指揮下のチームでは、大野はチームの司令塔としてプレーしていたが、ペリマンは一人のプレーヤーに大きなプレッシャーを与える事は相手のチームにとってもディフェンスしやすく、ひいてはチーム機能を止めてしまう事になると考えたのだ。

 そこで、ペリマンは大野にチームの為にこそ彼の天賦の才を行かしてくれるよう言ったのだが、既にその効果が現れていると感じている。
 「昨シーズンのセカンドステージでは、それこそ彼はチームプレーに徹してくれた」ペリマンはそう付け加えた。
 「彼は決して不満を言う事もなかったし、それどころか彼はきちんと自分の役目を果たしてくれた。それを見て、彼ならきっとキャプテンとしてチームを引っ張っていってくれると感じたんだ」

 レイソルサポーターから「ヒットマン」と呼ばれる大野敏隆は、浦和のキャプテンを務めた小野伸二よりも注目を受けるのは遅かったかもしれない。しかし彼もまた輝かしい未来に向けて歩みだしている。

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ビッグイヤーに備える崔龍洙

2002/02/21(木)

 先週末、注目を集めたプレシーズン・マッチのあと、崔龍洙(チェ・ヨンス)は、選手生活でもっとも重要な年に向けて順調に調子をあげている、と語った。
 日曜日、この28歳のストライカーが所属するジェフユナイテッド市原は、柏レイソルの本拠、日立柏サッカー場での「第8回ちばぎんカップ」でレイソルに0−1で敗れた。

 ゲームでの唯一の得点は、75分。崔と同じく韓国代表のメンバーである、柳想鐡(ユ・サンチョル)がディフェンスのミスからボールを奪い、ゴールのすみに低い弾道のシュートを決めた。
 得点は、レイソルが10人になったあとのことだった。後半4分に、レイソルのもう一人の韓国人選手、黄善洪(ファン・ソンホン)がジェフのDF茶野隆行ともつれあい、退場処分を受けていたのである。

 これら3人の韓国人プレイヤーにとって、今年は大切な年である。3人は、5月31日から6月30日まで日韓で共催されるワールドカップで、フース・ヒディンク監督が指揮する韓国代表チームのメンバー23人にそろって選出されることが予想されているのだ。

 「はい。エキサイティングな試合でした。柳と黄が相手にいましたから」と崔。
 「でも、負けたことはそれほど気にしてはいません。シーズンの開幕まで、まだ2週間ありますから。チームで練習したのはたった3週間だし、僕が練習に出られないときもありました。韓国代表チームのメンバーとしてアメリカでのゴールドカップに参加していましたから」

 「新加入の選手もいました。僕の調子も最高というわけではなかったけど、3月3日の開幕戦とあとに続く試合には間に合わせたいと思っています。長い1年になりそうですね」

 昨年、Kリーグの安養LGチータースから千葉を本拠とするジェフユナイテッドに移籍した崔は、すばらしいデビュー・シーズンをおくった。
 21得点は、リーグの得点王ウイル(コンサドーレ札幌)とは3点の差であり、ジェフユナイテッドは年間総合順位で3位という好成績をおさめた。

 日曜日、崔は前半、レイソルのタフなDF渡辺毅から厳しいマークを受けたが、後半は多くのスペースを見つけ、レイソルのゴールを何回も脅かした。
 彼はまた、ゴール裏での騒々しい振る舞いゆえに「イエロー・モンキー」として知られている一群のレイソル・ファンの罵倒の的にもなっていた。

 相手プレイヤーが声の届く距離までまで来ると、レイソルの黄色のユニフォームを着た若いファンは金網まで突進し、この不運なプレイヤーを露骨に侮辱するのである。
 崔はレイソル・ファンの挑発的な振る舞いに明らかにショックを受けた様子で、前半には警告として件のファン達を指差したりしていた。

 しかし、ワールドカップ・イヤーには、他に注意すべき大事なことがまだまだたくさんあるのである。

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川口の心強い味方

2002/02/17(日)

 川口能活にとって、イングランドでの日々が厳しいものになる事は最初からわかっていた事だ。
 昨年10月に川口が横浜F・マリノスからポーツマスに移籍する以前から、日本代表監督のフィリップ・トルシエは川口にラフでタフなイングランドスタイルのプレーには心するよう忠告していた。

 こうした心配は現実となりつつある。そして川口自身、リーグ戦、FAカップで失点を重ねた末にポジションを失い、それを嫌という程思い知らされた。
 しかし、人気者でカリスマ的でさえもあるこのキーパーは、クラブの中で少しずつサポートを得る事ができるようになってきたようだ。

 ポーツマス所属でスロベニア代表チームの一員としてカールスバーグカップの為に香港に来ていたスロベニア人ストライカー、ムラデン・ルドニャは川口は必ず戻ってくると力強く語った。
 「彼はイイ奴だよ。ただアンラッキーなだけさ。ディフェンスが我々の一番の弱点なんだよ。悪い時に来たものさ」ルドニャは語った。
 「ヨシが悪いわけじゃない。慣れるまでもう少し時間が必要なだけさ」ルドニャはこの経験が川口をもっとたくましく成長させる筈だと強調した。

 「彼はいつだって率直に現状を受け入れている。誰だって一番になりたいものだよ。それに今、彼が経験している事は、彼のトレーニングに対するモティベーションを上げているんだ」
 「彼は今までにないくらい厳しい練習をこなしているよ。それは彼が真にチームの一員となりたいと望んでいるからなんだ」
 「しかしうちのディフェンスには困ったものだよ。デイブ・ビーサントをまたゴールキーパーとして呼び戻したけれど、相変わらず1試合で3点、4点と取られるんだからね。ヨシのせいじゃないって事が証明されたようなもんさ」スロベニア人ストライカーはそう付け加えた。

 どんなチームであっても、チームがうまく機能する為にはゴールキーパーとディフェンダーのコミュニケーションは大切だ。ルドニャはこの点が川口の弱点の一つだと感じている。
 「彼はまだ英語がうまくないからね。でも日を追って上達しているよ。あと数ヶ月もすれば問題なくなるさ」
 「ファンには人気があるし、彼もこの町が気にいっているみたいだ。彼がピッチに戻ってくるのは時間の問題さ。我々には彼が必要なんだよ。なんと言ったってデイブ・ビーサントは42歳だからね」

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いまだ損なわれていない中田ヘの評価

2002/02/14(木)

 イタリアでプレーしているホルヘ・カバイェーロは、苦戦続きのMF中田英寿はパルマで成功する、と擁護する。
 セリエAでのパルマのライバル、ウディネーゼのDFカバイェーロは、パルマでの2シーズン目には中田は最高のプレーをファンに見せると確信しているのだ。

 「イタリアでプレーするのは大変なんだ。リーグはタフだし、良い選手もたくさんいるしね」そう語るカバイェーロは、火曜日、香港の旧正月に開催された大会の準決勝、ホンジュラス代表がワールドカップ予選を通過したスロベニアを5−1で圧倒した試合で、ディフェンスを統率したところだ。

 「昨シーズンが終わってから中田は移籍したんだけど、新しいチームに慣れるのは大変じゃないかな。チームの成績が良くないし、今シーズンだけですでに3人の監督が来てるわけだし」
 「でも、もしパルマがセリエAに残留するなら−−僕は多分残留すると思っているけれど、来シーズン、中田は実力を存分に発揮するだろうね」

 昨年夏、パルマは中田の移籍金として550億リラ(約32億円)をローマに支払ったが、中田は先発メンバーの座をフランス人のヨアン・ミクーに奪われてしまった。
 中田はパルマのカップ戦用のメンバーとなっており、セリエAの試合ではほとんどの場合ベンチスタートである。

 それでも、カバイェーロは中田への評価はいまだに損なわれていないと感じている。
「イタリアじゃあ、中田は良い選手だって、誰もが知っている。彼はスピードがあるし、テクニックもあるし、ゴールもできる」とディフェンダーであるカバイェーロは言う。 
 「イタリアでは移籍するという話もあるけど、中田はパルマでうまくやっていける、と僕は思っている」

 1998年、フランスでのワールドカップのあとペルージャに入団して、中田のイタリアでの冒険が始まった。
 ウンブリア州での1年半にわたる大活躍のあと、2001年1月に中田はローマに移籍し、昨シーズンのローマの優勝に貢献した。

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時代遅れに見える日本の移籍制度

2002/02/10(日)

 ようやく中澤佑二の移籍騒動に決着がついた。横浜F・マリノスは中澤を獲得、そして東京ヴェルディ1969は移籍金としておよそ1億7000万円を得た。

 中澤とF・マリノスにとっては希望通りの結末ではあったが、ヴェルディにとっては少なくともブラジル人ストライカー、エジムンドの年俸が移籍金によってカバーできるとは言え、若き才能あるDFはチームにとどめて置きたかったはずだ。
 それにしても日本の移籍制度は時代遅れであり、勇気あるボスマンのような人物が法廷で制度の改善を訴えたとしても不思議ではない。

 中澤の契約は1月31日迄であった。しかし契約終了と共に選手が自由に移籍できるヨーロッパと違って、彼が自由契約となる事はなかった。
 契約終了となってもクラブ側に支配下登録され、移籍するには移籍金が必要となる日本の制度は奇妙に映る。

 ただ、Jリーグがというよりも、日本のクラブは変わりつつあるようだ。例えば、鹿島アントラーズはヨーロッパのクラブからできるだけ高額の移籍金を獲得できるように、従来の単年契約ではなく、3〜4年の新しい契約をチームの若手主力選手達と結んでいる。

 一方、Jリーグは移籍について違う見方をしている。
 リーグとしては、若い頃から大事に育てあげたクラブの財産とも言うべき選手を他クラブに奪われる事のないようにクラブを保護したいと考えている。

 中澤がその良い例だ。
 埼玉出身で今月24歳になる中澤は1999年3月のデビュー以来、ずっとヴェルディでプレーしてきた。
 日本代表監督、フィリップ・トルシエはいち早く彼の才能を見抜き、代表メンバーに抜擢した。しかし、彼は先シーズンから監督の信頼を失い、11月のヨーロッパ遠征、そしてイタリア戦のメンバーからも外れた。

 中澤は、ヴェルディに残留するより代表メンバーのDF松田直樹や、右MFの波戸康広のいるマリノスに移籍した方が代表に復帰するのには有利だと感じたのだ。
 もちろん彼の年俸も移籍の理由だ。
 彼は3年、1億6000万円の契約を結んだ。これはヴェルディではとても望めない金額だ。
 彼はヴェルディでは年俸2500万円(推定)を得ていた。従って、年俸が倍増した上にヴェルディよりもより可能性の高いチームに移籍した事になる。

 移籍騒動はようやく決着を見た。しかし日本の移籍制度が抱える問題は深い。

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高原には、グッドタイミング

2002/02/07(木)

 1年間のレンタル契約の半ばで日本人ストライカー高原直泰を手放すことにしたボカ・ジュニオルスの決定は、高原にとっても、代表チームにとっても、完ぺきなタイミングであった。

 昨年の夏、Jリーグ・ファーストステージの終了後、高原がジュビロ磐田を去り、ブエノス・アイレスに移る決心をしたのには、本当に驚いた。
 ジュビロ側の情報によれば、ヨーロッパのチームからのオファーもあったが、高原が選んだのは、通常は才能豊かな選手の輸入国というよりは輸出国であるアルゼンチン。

 その当時のボカの監督カルロス・ビアンチは、契約交渉を進める前に日本代表のフランス人監督、フィリップ・トルシエにも相談をしており、高原が入ってもボカの攻撃陣は強化されないということがすぐに明らかになった。
 もっとも、高原を入団させたのは日本のファンやテレビ局から金を儲ける方策の一つに過ぎないという、辛口評論家の見解も誤りであることもわかった。バイエルン・ミュンヘンとボカが戦う、トヨタ・カップの東京遠征のメンバーにも高原は選ばれなかったからだ。

 確かに、高原のシャツを売り、ボカの若きストライカーとなった高原を東京のファンにお披露目すれば、ボカにとっては格好の商売となったはずだ。
 高原がトヨタ・カップの遠征メンバーに選ばれなかったという事実は、高原は商売の道具としてではなく、純粋にサッカー選手としての能力を買われてボカと契約したことを証明するものであり、いままでの海外移籍の流れとは違うものであった。

 ただ、気がかりなのは、高原がボカで結果を残すことができなかったことと、なにもかもがアルゼンチンの絶望的な財政状況によるものだと高原が思い込んでしまわないかということだ。
 高原は不満を口にすべきではない。トルシエも同様だ。

 少なくとも現在は、高原は慣れた環境でトレーニングすることができるし、代表候補の合宿にも参加することができる。また、3月2日のJリーグの開幕には、ペナルティー・ボックスで名人芸を発揮する中山雅史ともコンビを組むことができる。
 ボールから離れた位置で精力的に動き回る高原と独特のゴール感覚と勇気を持つ中山。コンビとして、二人は見事に機能する。

 高原は海外でのプレーを目指したものの、今回は失敗した。しかし、問題とすべきは、彼の能力の欠如ではなく、アルゼンチンへの移籍を勧めるような、ひどいアドバイスがあったことかもしれない。

 高原は今でも、ゴールするコツを知っている、強くて速い、素晴らしいストライカーである。そして日本がすべきことは、彼が帰ってきたことを祝福して、ワールドカップでフル出場できるような調子に戻っているように希望することである。
 ただし、彼が自信を失っていないかどうかはまだわからない。
 ストライカーには、これがいちばん重要な問題である。

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廣山は何処へ

2002/02/03(日)

 数ヶ月前まで、右ウィング、廣山望はワールドカップ日本代表チームの候補選手だった。今、ワールドカップへのカウントダウンが続く中、廣山と言えば…どうも彼の存在は忘れ去られたようである。
 いや… そうした意味では注目されない存在になってしまったというべきか。

 ジェフ市原からパラグアイのセロ・ポルテーニョへレンタル移籍中だった廣山は、10月初旬に行われた代表チームのヨーロッパ遠征での対セネガル戦で日本代表としてデビューした。

 パラグアイのシーズン終了後、廣山は日本に戻りクラブ側と2度に渡って長いミーティングを持った。ジェフ市原としては彼がチームに復帰し、フィリップ・トルシエにワールドカップ候補選手としてのアピールをする事を望んでいた。
 しかし24歳の廣山は日本でのプレーを拒否、海外でのプレーを続ける事、できればヨーロッパでプレーする事を望んだ。しかしどこからもオファーはなかった。

 彼のジェフ市原との契約は1月31日に切れた。しかしクラブ側は今のこの時期になっても彼の所在さえもわからないと言う。
 「我々の聞いている話では、彼はブラジルのフラメンゴでプレーする事を望んでいたらしい。新聞報道によると入国審査書類の不備があったらしい」クラブ広報担当の利渉洋一は語った。
 「どうやら彼はパラグアイに戻ってトレーニングをしながら移籍先を探しているらしい。メディアからのプレッシャーの多い日本には戻りたくないようだ」

 多くの日本人選手が海外でプレーする事を望む気持ちは理解できる。しかし廣山にとっては明らかにワールドカップでプレーするというチャンスを逃しつつある。事実道は閉ざされたと言ってもよいだろう。
 廣山がチームに復帰する意思を見せない以上、ジェフ市原もまた彼を再び迎えいれる事はないだろう。

 彼にはまた契約上の問題もある。彼の契約はJリーグと日本サッカー協会の規約に基づいているとはいうものの、契約が切れるや否や彼が自由契約選手になるという事ではない。
 ジェフ市原としては、彼がいまだ支配下登録にある以上、移籍金を獲得できる道を探すだろう。

 3年前にはスターダムへの片鱗を見せた廣山なのだが、その彼がこのまま埋もれてしまうのは残念でならない。

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フーリガンに困惑する日本

2002/01/31(木)

 最近の二つの面白い出来事により、ワールドカップでのお行儀のよろしくないファンへの対応においては、日本では困惑と誤解がトレンドになっていることがわかった。
 ワールドカップと言えば、必ずフーリガンの来襲にどう対応するかという話題になる。とくに、イングラントとドイツがどちらも1次リーグを戦うことになった日本では、この傾向が強い。

 イングランドが「死のグループ」でアルゼンチンと戦う札幌では、警察がスパイダーマンみたいな「ネットガン」をテストしている。これで乱暴なファンを一網打尽にしようというのだ。
 「乱暴をはたらく者はみんなこのネットで捕まえて、動けないようにします」と広報官が誇らしげに語る。
 「同様の物がヨーロッパでも使われていたそうですが、これはワールドカップ用に独自に開発したものです」

 想像できるかい?
 イングランド代表のエンブレムがついたTシャツを着て、少しばかりビールをきこしめして、仲良く歌っているチェルシーファンのグループが突然、身震いしながらネットガンを構えている札幌の新米警察官のターゲットになるのである。

 そりゃあ、怒るよ! ネットに反発したファンが徐々に「乱暴な」振る舞いに及ぶのが、私には想像できる。そうなるとお笑いである。
 問題は、フーリガンが存在しない日本で、浮かれ騒いでいるのと紛れもない暴力行為の違いを人々がわかっているのかということだ。
 絶対に、わかっていない。先週の土曜日埼玉で催されたイベントを見ればそれがわかるかもしれない。

 埼玉のワールドカップ委員会がボランティアのために研修会を開催し、フーリガンのように騒ぎたてる役として、5人の英会話教師が採用された。
(はっきりしているところでは、5人分のポストに18人の英語教師が応募して、推測するところでは、英語教師が普段絶対やらない仕事に対して時間給が支払われた。ひどく振る舞うことで収入を得たのであるが、これはそれほど特殊なことでもない。だって、マイク・タイソンはこれで巨万の富を得ているじゃないか!)

 この研修会の目的は、ボランティアたちにイギリスのサッカー文化とはどのようなものであるかを示すとともに、勝利を祝う威勢のいいファンと暴徒化しつつあるファンの違いをボランティアが理解し、見分けられるようにすることであった。
 まあ、この研修ではなにもかもがめでたし、めでたしと解決しましたとさ。ボランティアとファン役が一緒になってEuro96のテーマ曲をコーラスしたんだから。「帰ってきたよ、帰ってきたよ、・・・フットボールが帰ってきたよ」
 おいおい!

 日本での試合のチケットを入手できなかったファンも、ストリートで展開されるもうひとつの楽しいショーは見ることができるかもしれない。
 ただし、ネットには注意しよう!

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京都はエンゲルスの安住の地となるか?

2002/01/27(日)

 ドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスほどJリーグでの浮き沈みを経験してきたコーチはいないだろう。
 彼が今何よりも望んでいるのは、J1への復帰を果たした京都パープルサンガがJ1に定着できる事、そして彼自身の身分が安定する事だろう。

 パープルサンガは昨シーズンJ2で初優勝を果たし、3月2日のシーズン開幕とともに、華やかなJ1の舞台に再び戻ってくる。
 シーズンの目標を問われたエンゲルスはこう答えた。「難しい質問だね。我々の目標は数年にわたって強いと言われるチームを作る事だからね」
 「J1に定着できるチーム作りを目指したい。しかしその為には2、3年はチームの確固たる地盤作りをしなければならないだろうな。その上で、リーグのトップチームを目指さなければならないのだが、もちろんこれは一朝一夕でできる事じゃない」

 エンゲルスはJリーグの発足した1993年、横浜フリューゲルスのコーチングスタッフとしてチームに在籍した。しかし、1998年、チームのメインスポンサーの撤退によってチームは解散を余儀なくされた。
 他のフリューゲルスの選手同様、エンゲルスもチームの消滅という苦痛を味わった。しかし、チーム最後の試合となった1999年の天皇杯で優勝を果たし、サポーター達と感動的な惜別の涙を交わした。
 フリューゲルスの選手達が、横浜マリノス等の他チームに移籍していったように、エンゲルスもジェフ市原に移籍したが、数ヶ月で解雇されてしまった。

 その後、彼は京都パープルサンガにアシスタントコーチとして雇われ、そして監督を引き受けたのは、チーム力の低下によってJ1からの降格の危機に陥ったまさにその時であった。
 2000年の彼はパープルサンガ同様辛抱の1年だったが、昨年チームを見事にJ2チャンピオンに導いた。

 昨シーズン終了後、チームはベテランDFの大嶽直人を解雇、しかしエンゲルスはチームの得点源である黒部光昭を始め、チームにとって必要な人材は一人残らず確保したと語った。
 黒部についてエンゲルスは、「プロ選手として2年目のシーズンにも関わらず、彼は30得点をあげチームに大きく貢献してくれた。彼はパープルサンガ入団1年目に多少なりともJ1の経験があるとは言うものの、J2とJ1の実力差はやはり大きいからね。チームの得点源として、当然他のチームは彼を警戒し、マークも厳しくなるだろうし、なによりJ1はディフェンス自体も厳しいからね」
 リーグでの浮き沈みを誰よりも経験してきたエンゲルスにとって、2002年のチーム安定の鍵を握る黒部の得点に寄せる期待は大きい。

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中村俊輔の“リアル”なレアルの夢

2002/01/24(木)

 こんな攻撃陣はいかかですか? フィーゴ、ジダン、ラウール、モリエンテスときて、・・・中村というのは?
 本当なんでしょうか?
 かの強豪レアル・マドリードが、日本では堕ちた英雄となってしまった、中村俊輔を本当に欲しいのだろうか?

 いろいろと見たかぎりでは、イエスである。レアルは本当に中村を欲しがっている。そして、若きレフティーは今夏のワールドカップ後に横浜F・マリノスを去り、サンティアゴ・ベルナベウを目指すようだ。
 23歳の中村がワールドカップでプレーするかどうかは関係ない。とは言っても、中村にとって2001年は散々だった。代表チームでレギュラーをとれないばかりか、長らくは代表にも選ばれなくなってしまった。

 しかし、レアルのゼネラル・マネージャーであるホルヘ・バルダーノは左利きの中村にかなり前から注目していたし、2年前には、セットプレーのスペシャリストである中村は獲得リストに含まれている、と明言していた。
 2000年のJリーグMVPである中村を評価している、元アルゼンチン代表のワールドカップ・ウィナーは彼だけではない。前横浜FM監督である、オジー・アルディレスはつねづね、中村のような若いプレーヤーはヨーロッパの高いレベルを経験するべきだと主張していた。

 ただし、レアル自体の動機は財政的なものである。レアルは世界規模のファン層を魅力ある市場である日本にまで拡大したいのである。
 1メートル78センチ、69キロという中村の体格では、ヨーロッパのトップクラスのスピード、パワーに吹っ飛ばされてしまうかもしれない。フリーキックは素晴らしい。それは、確かだ。しかし、その点に関してはフィーゴだって、ジダンだってそうだし、ロベルト・カルロスはわざわざ言うまでもない。

 中村はレアル・マドリードに入るのか?
 計算に合わないように見えるが、レアルのフロレンティーノ・ペレス会長にとってはそうではないようだ。
 中村は向上心が強い、感じの良い好青年で、いわゆるスターをこきおろすのをなによりも好む代表監督フィリップ・トルシエのやり方にはしばしば困惑していた。

 レアルが明らかにしているところでは、中村とまず契約を交わしてから、スペインの他のクラブ等にレンタル移籍させ、中村が徐々に適応できるようにするそうだ。
 これはこれで、いい方法かもしれない。しかし、フィーゴ、ジダン、ラウール、モリエンテス、そして中村という「ドリーム・チーム」は、まさに文字通りのものだし、日本のファンの夢でもあるだろう。

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岡野会長とトルシエ監督、それぞれの後任人事

2002/01/19(土)

 2002年のワールドカップ後に、70歳になる日本サッカー協会会長、岡野俊一郎氏は引退するにあたって、次の日本代表監督人事について次期会長への助言と援助を惜しまないと語った。
 岡野氏の後任はまだ決まってはいないが、後任が誰であれトルシエの後任を選ぶという大役が待ち受けている。
 1998年に日本代表監督に就任したトルシエだが、彼は既にワールドカップ後に日本代表監督を辞任する意向を明らかにしている。

 後任の代表監督選出について岡野氏は、「後任人事については引退する私は何も言うべき立場にないが、次の会長が望むのであれば、喜んで助言はさせていただく」また、「とは言うものの、まずは技術委員会の判断が中心となるだろう」と語った。
 技術委員会では最終候補者のリストを検討し、このまま外国人監督に依頼するのか、また、日本人監督に戻すのか決断することになる。

 協会には岡野氏の後任として一番有力と見られているJリーグチェアマンの川淵三郎氏をはじめ、小倉純二氏、森建兒氏、そして釜本邦茂氏の4人の副会長がいるが、過去には痛烈なトルシエ批判の先鋒であった川淵氏と釜本氏のどちらかが会長に選出されたとしたら当初は無難に日本人監督を選出する道を選ぶだろう。

 トルシエが代表監督に就任した当初、彼は人事を始めチームを根本から改造しはじめ、代表チームが発展途上の1999年には7試合の国際試合に未勝利という我慢の年を味わった。協会がトルシエ批判で揺れたその年ですら、岡野氏は孤軍トルシエを擁護し続けた。そして、彼の擁護はこの18ヶ月でようやく実を結んだと言えるだろう。

 岡野氏は会長選の日程についてはまだ未定であると語ったが、その日は確実に近づいてきている。
 また、トルシエについても彼が日本を去る事についてはまったく驚いてないと語った。
「もともと彼とはワールドカップまでの契約であったし、トルシエとは契約延長について一度も話し合った事はない」また、「ワールドカップ後に、代表監督が辞任するというのはワールドカップに出場するという任務を達成した監督にとって極めて当たり前の話だ」と岡野氏は語った。

 現時点では代表監督候補は、前代表監督の岡田武史氏、1998フランスワールドカップ優勝監督のエメ・ジャッケ氏、そして、現韓国代表監督のフース・ヒディンク氏の3人だ。

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トップチームの試合に出ていないことへの不安

2002/01/17(木)

Jリーグのトップ・プレーヤー達が今年最初の代表候補合宿に準備を進めている一方で、監督であるフィリップ・トルシエは合宿に参加しない選手達への懸念を深めていることだろう。
 つまり、海外でプレーしている、高原直泰や稲本潤一のことだ。
 2人は昨年Jリーグをあとにした。ストライカーの高原はジュビロ磐田からボカ・ジュニオルスに入団し、ミッドフィルダーの稲本はガンバ大阪からアーセナルに移った。

 とは言っても、2人の姿はトップチームのゲームではほとんどお目にかかれず、ワールドカップまで残り5カ月もない現在では、トルシエにとっては不安の種にちがいない。
 稲本と高原は、トルシエが世代交替させた日本代表チームの代表的な存在である。トルシエにより、2人はユース代表からオリンピック代表を経て、A代表に抜擢されたのである。

 数か月前までは、2人は文句なくワールドカップの日本代表選手であった。しかし、現在では試合に臨む準備ができているかどうかが疑問であるし、なにより新しいクラブで認知してもらおうと懸命な2人が自信を維持できているかどうかもわからない。
 トルシエは、Jリーグで試合に出ている選手よりは、たとえ毎日トレーニングしているだけでも海外のクラブにいる選手を選ぶと口外しているものの、高原も稲本も昨年10月の代表のヨーロッパ遠征では絶好調からはほど遠い状態であった。

 韓国でトルシエと同じような立場にある、オランダ人のフース・ヒディンク監督はまったく異なった意見の持ち主である。ヒディンクは、選手がどこのチームのベンチを暖めているかには関心を払わない。つまり、どこであれ自分の所属するクラブのトップチームでレギュラーを張れない選手は、代表チームの先発に入る可能性も少なくなるということだ。

 代表チームのストライカー、西澤明訓はすでにボルトン・ワンダラーズを去り、日本に戻ってしまった。トルシエは、たとえ小さなクラブへのレンタル移籍であっても稲本、高原にとっては幸いである、と考えていることだろう。
 その他の海外組の日本人選手では、ゴールキーパーの川口能活は苦労しながら経験を積んでおり、中田英寿は一貫してプロフェッショナルであり続け、パルマの苦境にも動じる気配はない。

 フランスの伝説的プレーヤー、ミシェル・プラティニは逆境の中田に対して別の見方をしている。
 「毎週クラブでプレーしていないのなら、ワールドカップは万全でフレッシュな状態でプレーできるだろう」とかつてのユベントスのキャプテンは言う。
 ワールドカップが近づくなか、トルシエも同じフランス人であるプラティニほどポジティブでいられんことを。

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西澤の移籍で明らかになった問題点

2002/01/13(日)

 西澤明訓がプレミアリーグで成功できなかった事実は、彼をよく知る者にとっては最初からわかりきっていた事ではあった。
 ただ、残念な事にそれに気づかなかったボルトン・ワンダラーズは大きな代償を支払う事となった。

 一方、西澤は来シーズン、J2のセレッソ大阪に戻り、森島寛晃と再びコンビを組む。思えば昨年の8月、西澤がボルトンにレンタル移籍をした際のボルトンのコメントに多くのサッカー関係者は驚かされた。
 ボルトンの監督、サム・アラダイスは西澤の日本代表としての国際経験と、スペインリーグのエスパニョールでのプレーについて述べたものの、実際にはビデオで見ただけだと認めた。ましてや、西澤が充分な働きができなかった事については知る由もなかっただろう。

 マーケティング担当者は西澤の日本での人気の高さに注目したようだが、それは他の海外でプレーする日本人選手、中田英寿、稲本潤一、そして川口能活に遠く及ばないものだ。そしてボルトン・イブニング・ニュースでさえ西澤の事をクラブにとって金の卵を生む鶏として紹介していた。
 仮にボルトンの狙いがシャツの売り上げ、テレビの放映権、そしてその他諸々の副産物に期待していたのだとしたら、彼らの期待は大きく外れたという事だろう。いや、彼らこそこの契約での一番の敗者だ。

 西澤にとって最大の問題点は、皮肉にも彼が2000年の6月の対フランス戦、2−2の引き分けの試合で決めた素晴らしいゴールにある。フランスと言えば、1998年ワールドカップ優勝に加えて、ユーロ2000のタイトルも手中にした世界最強チームだ。
 そのフランス相手に、左サイドから三浦淳宏が敵陣深くにクロスを上げ、ボールに合わせて走りこんだ西澤が右足ボレーをたたき込んだのだ。ボールは呆然とするファビアン・バルテズの守るゴールの隅に吸い込まれた。

 それはまさに素晴らしいシュートだった。もしワールドカップ中でのシュートであったなら、それこそテレビで何度も何度もリプレイを見るようなシュートだった。
 セレッソでも西澤はいくつもの素晴らしいゴールを決めている。そして、代理人達にとって、西澤のゴールシーンを集めたビデオを作る事は西澤を売り込む為には当然な事である。
 エスパニョールもボルトンも悪く言えばそれに引っかかったのだ。但し、彼らは西澤の技術的、そして精神的な欠陥に気づくのも早かった。

 そんな中、唯一西澤を買っている人物がいる。それは日本代表監督のフィリップ・トルシエだ。トルシエは西澤の練習態度に我慢できず、1998年ワールドカップ代表メンバーから外した岡田武史前監督と違って、1月21日からの鹿児島でのキャンプで彼にチャンスを与える。

 西澤には、彼の名前だけが海外で一人歩きしている事について何の責任もない。そしてもちろん、彼が海外での評判通りの選手でない事も彼の責任ではないのだ。
 じゃあ。誰の責任なのか…。ジャパンマネーでの一稼ぎをもくろむヨーロッパのチームの責任だろう。
 この不幸な問題点から皆が何かを学ぶ事を望んでやまない。

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トルシエと三都主

2002/01/10(木)

 Jリーグのスターになることと、フィリップ・トルシエの関心を得ることはまったく別の問題である。
 この問題に直面しているのは、ブラジルから日本に帰化した、清水エスパルスの左ウイング、三都主アレサンドロである。

 24歳である彼の能力に疑いの余地はない。1997年にエスパルスに入団して以来、一貫して勝利に貢献する働きを見せてきた。
 1999年、エスパルスがセカンド・ステージで優勝し、チャンピオンシップではPK戦の末ジュビロ磐田に敗れた年には、彼はJリーグのMVPにも輝いた。
 彼は一人の才能豊かな選手である。ゴールを決めることもできるし、アシストもできる。スピード、ボール・コントロール、ドリブルはつねに脅威である。

 しかし、同じように才能豊かな中田英寿が辟易しているように、トルシエはチームの一員として適応できない選手には関心を示さない。
 三都主がなおも全力でしなければならないのは、この面でのアピールである。
 トルシエは、それを証明するチャンスは与えてくれる。鹿児島で2週間にわたって行われる、2002年の最初の代表候補合宿に三都主を招集したからだ。

 三都主は、1994年、高知の明徳義塾高校でプレーするためにブラジルから日本に渡り、昨年11月に日本国籍を獲得した。
 とはいえ、これで自動的にトルシエの最終選考枠の23人に入ったことにはならない。一方、1998年9月の代表監督就任以来の3年間ともに仕事をしてきた選手達にフランス人の監督が義理を感じるということもありえない。

 トルシエはすでに、ワールドカップ後に日本を去ることを明らかにしている。必要なのは、今年の夏に結果を出すことだ。
 新参の三都主が、たとえば中村俊輔や本山雅志からポジションを奪ったとしても、それはトルシエが単に最強のチーム作りを目指したからにすぎない。

 結局、三都主に日本国籍を取らせたのはトルシエではないわけだし、トルシエがしなければならないのは、自らの裁量で最高の選手を選考することなのである。
 1月10日、トルシエは年末年始の休暇から戻り、1月21日からの合宿の計画を練り始める。

 三都主がすべきことは、Jリーグで培った実力を余すところなく発揮するだけでなく、むしろ過剰なくらいのアピールで、2002年ワールドカップでの自分の役割をあらためてトルシエに認識させることである。

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トルシエの決断

2002/01/06(日)

今年のワールドカップ後にトルシエが日本を離れる事はもう間違いないと言って良いようだ。
 いや、それよりも未だに彼が日本に居る事の方が大きな驚きかもしれない。今年の夏に彼の契約は切れるが、1998年9月に就任して以来、4年にわたって日本に居る事になる。
 日本代表監督に就任する前のトルシエはアフリカの数カ国で10年間のコーチング歴を持ち、数々の好成績を挙げ、白い魔術師と呼ばれる気性の激しいコーチであるといった以外あまり知名度はなかった。
 東京で行われた彼の最初の記者会見でトルシエは、彼の2年契約について満足していると述べていた。すなわちそれは、長期の契約を望んでいなかったに他ならない。

 彼は代表チームの建て直しを図るにあたって、ユースチームとオリンピック代表チームの強化をまず始めた。
 1999年までの結果はおおむね良好で、数人のプレーヤーは順調に成長し、日本代表チームに入るまでの成長を見せた。しかし、代表レベルでは結果を残す事がまったくできなかった。その年に行われた7試合の国際マッチに1勝もする事ができなかったのだ。
 その間、トルシエはよく日本サッカー協会の柔軟性を欠く姿勢や、洞察力のなさを批判していた。一方、周囲が彼を批判し続ける中で、会長の岡野俊一郎のみがトルシエを擁護し続けていた。

 2000年に入ると、ようやくトルシエの指導が代表レベルで結果を出すようになって来た。10月にはアジアカップで優勝し、昨年の6月にはコンフェデレーションカップでの準優勝を果たした。
 レバノンで行われたアジアカップでトルシエは、日本がレベルアップする為に新しいコーチが必要になるだろうと話していた。トルシエには自分自身が若いチームの将来を見据え育てる事が一番適しているとわかっていたのだ。

 そういった意味では、一時は世界でもトップレベルだったにも関わらず、今回のワールドカップ出場権を逃したスコットランド代表チームがトルシエを熱心に監督として迎えようとしている事は当然の事だろう。
 同時に、スコットランド代表監督の地位はトルシエにとっても魅力的だ。なぜなら、トルシエがよく口にする日本に欠けているもの、すなわちサッカーの文化と伝統、そしてサッカーのレベルの高さを持つヨーロッパで彼の手腕を発揮する事ができるからだ。

 5ヶ月後、トルシエは日本から去る。そして、彼が去った後の日本サッカー界はまったく違ったものになるだろう。

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歴史を刻んだバロン

2002/01/03(木)

 元旦、東京国立競技場での白熱の決勝戦。延長の末セレッソ大阪を3−2で破った清水エスパルスにとっては、まさに天皇杯での3度目の正直だった。
 エスパルスは近年、決勝戦で2度の敗北を喫していた。3年前の横浜フリューゲルス戦と昨年の鹿島アントラーズ戦だ。最後の11分間にセレッソが2得点を挙げ、試合がVゴール方式の延長戦に入ったときには、2度あることは3度あるといった危惧を抱いたことだろう。

 しかし、エスパルスは立ち直り、延長前半の7分、ブラジル人ストライカー、バロンの決勝ゴールにより勝利をものにした。
 このゴールを演出したのは、エスパルスの左ウイングであり、2002年のワールドカップでプレーするチャンスを得るために日本国籍を取得したばかりの三都主(アレックス)だった。 1999年のJリーグMVPは左サイドを突破し、横山貴之とのワンツーから、ファー・ポストのバロンにクロス。最初のシュートはセレッソのキーパー、下川誠吾にブロックされたものの、バロンの2度目のシュートはゴールに。

 セレッソにとっては、非情なシーズンの幕切れとなった。リーグ戦を3試合残した時点で降格が決定してしまったセレッソは、失望から立ち直り、日本版FAカップとも言うべき天皇杯の決勝戦に進出してきたのだった。
 トロフィーを受け、日本サッカーにゆかりの深いスタジアムをほぼ満員にした46,728人の観客の前を一周したあと、ようやくエスパルスの選手達は新年を祝うことができたのである。

 「うん、どちらにも勝つチャンスはあった。ただ、幸運にも我々が延長でゴールすることができたということだ」とは、勝利の立役者バロン。
 「延長が始まる前、(ゼムノヴィッチ)監督に、同点にされたけどまだ勝てる、って言われた。うちのほうが良いチームなんだから、さっさと決めて来いって」

 エスパルスは素晴らしい立ち上がりを見せた。三都主が20分に、キャプテンの森岡隆三が68分に得点したときには、結果は明らかだと思えた。
 だが、セレッソはリーグ戦とは違い闘争心をあらわにした。79分には森島寛晃の近距離からのシュートで1点を返す。
 終了間際には、交替で入った大久保嘉人がペナルティー・エリア内でルーズボールを奪いに行き、エスパルスのキーパー黒河貴矢に倒される。韓国人ミッドフィルダー、尹晶煥(ユン・ジョンファン)が落ち着いてペナルティー・キックを決め、2対2に追いつき、ゲームは延長戦を迎えた。

 しかし、エスパルスにはもう最後のハードルにつまづくつもりはなかった。そして、かつてのジェフのストライカー、バロンはエスパルスでの最初のシーズンを見事なタイトルで締めくくったのである。

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変わらなければいけない天皇杯

2001/12/30(日)

 天皇杯とは本当に真の王者を決める為の物なのか、それともそろそろ再編を考えなければならない物なのだろうか…。
 もちろん、それは前者であるべきなのは間違いないが、この12月の大会を見ているとどうも後者のように思えてならない。

 今年で81回目を迎える日本サッカー協会の最大イベント、天皇杯はイングランドより贈られたトロフィーをめぐって毎年行われる。
 しかし、日本の天皇杯と本家イングランドのFA杯が似ているのはその1点だけだ。イングランドのFA杯は全英はもちろん世界中からショックと驚き、そして熱い情熱をもって注目を浴びる。

 一方天皇杯はどうだろう?
 どうやら誰もあまり気にしていないようだ… 出場するチームでさえも…
 長いリーグ戦が終わった後、全国で行われる予選を勝ち抜いて各県から1回戦を闘う為にチームが集まる。
 所謂トップチームと呼ばれるチームはイングランドと同様、3回戦からの参戦となるが、大学チームと対戦する事も珍しくない。

 今年は16のJ1チームのうち、6チームが3回戦で早々と敗退した。それを誰もが悔しがるでもなく、選手自身でさえも早めのクリスマスと正月休みで、来シーズンのトレーニングが始まる1月中旬までの良い骨休めだと考えているらしい。
 Jリーグ以外からは、佐川急便がただ1チームが4回戦に進出した。彼らの4回戦の対戦相手は来季からJ2落ちするセレッソ大阪で、アマチュアチームがベスト8入りする可能性もあると思われた。

 果たして全国のサッカーファンはアマチュアチームの快進撃への期待に胸を躍らせただろうか?
 否である。 名古屋近郊の豊田スタジアムで行われた試合にはたった2,042人しか集まらなかったのだ。 この集客の悪さが天皇杯のもう一つの問題点だ。

 1回戦から決勝までのスケジュールは天皇杯の始まる前には決められ、会場もサッカーをより宣伝する為に全国で行われる。
 それぞれのラウンド後の抽選も行われる事なく、イングランドのように、マンチェスター・ユナイテッドか、マンスフィールド・タウン?会場はオールド・トラッフォードかフィールドミル?と、テレビやラジオの前で次の対戦相手がどこかと息を呑むファンの姿もない。

 日本のそうしたトーナメント組み合わせの方法は時として奇妙な状況を生む。2〜3年前だっただろうか、ヴェルディとフロンターレの間で行われた初の川崎決戦はなんと遠く離れた熊本で行われたのだ。
(偶然にも、彼らは今年の準々決勝で対戦、東京スタジアムで行われたにも関わらず、収容人員の50,000人に対して観客数はたった8,000人だった。)

 また、今年の準決勝の浦和レッズはホームスタジアムの埼玉スタジアムでセレッソ大阪と対戦した。日本サッカー界の頂点を決める大会でこうした会場選定が行われていいものだろうか。

 唯一天皇杯が救われているのは、決勝が1月1日に行われている事だろうか。1月1日は日本のスポーツ界にとって最も重要な日だ。だからといって天皇杯がもっと注目され、もっと意味のある大会になるよう、一から見直す必要がある事には変わらない。
 なんと言ったって、別の皇室行事が皇居で行われる為、天皇陛下のお出ましもないではないか。

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ブラジル人選手からの悪しき影響

2001/12/27(木)

 3人いるブラジル人選手のうち2人しか出場しなかったものの、浦和レッズは24日の天皇杯準々決勝でジェフ・ユナイテッド市原を2−1で破った。
 抜群のスピードを持つストライカー、エメルソンが母親の看病のためにブラジルに帰ったが、トゥットと新たに獲得したアリソンがジェフに立ち向かった。

 2人ともゴールはなかったものの、試合には多大の影響を及ぼした。
 良い影響もあった。たとえば、右足のアウトサイドでのアリソンの絶妙のパス。あるいは、トゥットのボール・キープ力もそうだ。しかし、悪しき影響のほうがずっと多かった。

 ジェフが前半戦を支配すると、ブラジル人の監督ピッタが指揮する浦和のプレイはおなじみのパターンに陥ってしまった。
 アリソンが中盤でボールをもらうと、前に突破。それから、相手がほとんど触れてもいないのに大げさにひっくり返る。

 アリソンは苦悶の表情でピッチ上を転げ回る。コンパクトな仙台スタジアムでは、アリソンのわめき声が観客席のざわめきを通しても聞こえてくるほどだ。そして、トゥットが主審の布施直次に駆け寄り、カードを出すように要求する。
 ほんとに後味の悪い光景だった。日本のプロ・サッカー・リーグはすでに9年目のシーズンを終えており、こういう行為はもはやまったく意味をなさない。


 ジェフもまったく責任がないとは言えないだろう。キャプテンの長谷部茂利が開始早々、タックルでひどく負傷したように装い、悪しき前例を作ってしまったからだ。
 足首を抱えて長谷部はグラウンドに倒れていたが、FIFA審判員である布施が無視すると、すくっと立ち上がり、すぐにボールを追いかけ始めた。「負傷」は、奇跡的に数秒で治ったのである。

 ただし、アリソンの場合にはまさに正義の鉄槌が下された。ボスニア人のミッドフィルダー、エディン・ムイチンが34分にゴールしたときのことだ。
 中盤でボールを奪われたアリソンは、なんとなんと、倒れ込み、ありもしないファールをアピールしたのである。
 守備に戻ってチームメートを助ける代わりに、アリソンは主審を欺こうとしたのである。彼がピッチに寝転がってスネている間に、前線ではムイチンがジェフのゴールをあげていた。

 エメルソンが出ていたら、ファンは同様の行為をもっとたくさん見せられたかもしれない。敏捷さをもつエメルソンこそが達人であり、勝負できる状況でもフリーキック、ペナルティー・キックを勝ち取ってしまうのである。
 これは日本での危惧すべき傾向であり、浦和のブラジル人選手達はかかる悪病の感染に多大な影響を及ぼしている。


 レッズ・ファンはこの国では最高のファンであり、29日に埼玉スタジアムでプレイされるセレッソ大阪との準決勝を楽しみにしていることだろう。
 しかし、できるものならば、トゥットとアリソンには各試合の前に持ち込まれるフェア・プレイ・フラッグに対する自分たちの責任を認識してもらい、母国の誇りであり、伝統であるサッカーの良い面を見せてもらいたいものである。

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小笠原の歓喜と名良橋の憂鬱

2001/12/23(日)

 鹿島アントラーズのサポーター達は、フィリップ・トルシエが金曜日に発表した来年1月の代表チームのトレーニングキャンプに参加する40人のメンバーリストを複雑な思いで見た事だろう。
 2000年、2001年の連続優勝の立役者である22歳の小笠原満男がミッドフィルダーの一人に選ばれたのを始め、他にもGK曽ヶ端準、DF秋田豊、代表チームでは左のDFの中田浩二、攻撃的MF本山雅志、FW鈴木隆行と柳沢敦の6人がアントラーズから選出された。

 アントラーズのブラジル人監督トニーニョ・セレーゾをはじめ多くの人がJリーグ随一の右サイドプレーヤーであると考え、フランスワールドカップの時には岡田武史前代表監督のチームの要だった名良橋晃は今回もトルシエの目にとまる事はなかった。
 来年のワールドカップに向けて俄然周囲が熱気を帯びてくるなか、名良橋は2001年のベストイレブンに選ばれた9人の日本人選手のなかでたった一人代表キャンプメンバーに選ばれなかったのだ。


 多くの人にとって、トルシエが何故アグレッシブなタックラーであり、休むことなく勇猛果敢に右サイドをかけ続ける30歳の名良橋を無視し続けるのか不思議だろう。
 1998年9月に代表チームの監督を引き継いで以来、トルシエは3−5−2システムを採用した。そしてそのシステムにとって、名良橋は最適な右サイドMFだと言うのが大勢の意見だと思う。

 しかし、トルシエの目には指示を守らない、攻撃体制が崩れた時に見せるポジショニングのまずさ、そして自陣のゴールに近い時に見せる判断のまずさによって味方ディフェンスに不必要なプレッシャーを与える等としか映っていない。
 Jリーグのリーグ戦ではそうした批判を受ける事のない名良橋だが、やはり代表レベルでは冷酷なまでに判断されてしまう。そしてトルシエも甘く見るつもりはない。

 トルシエがいつも重要視するのはチームワークと規律であって、彼の戦術とフォーメーションの中では、名良橋を使うのは彼の長所を考えてもそれを上回るリスクがあると考えているに違いない。
 しかし、トルシエのそれなりの理由も、常に全力でプレーする名良橋にとっては慰めにはならないだろうし、またサポーターにとっては残念な事に違いない。


 一方、1999年にナイジェリアで行われたワールドユースの決勝でスペインと闘ったU−20代表チームでトルシエの目にとまった小笠原も、良い選手がひしめくミッドフィルダーの中では、昨年のシドニー五輪の代表メンバーの座を勝ち取る力はまだなかった。
 しかし今季、彼はめざましい成長を遂げ、チームにヴェルディ川崎で2回そして、1997年の移籍以来アントラーズで3回のリーグ優勝を経験したベテランブラジル人選手ビスマルクの契約を更新しない事を決断させた。

 小笠原をはじめ、彼のチームメイト達が来年のワールドカップでプレーする事を夢見ている一方、名良橋はどうしてこんな事になってしまったのか当惑している事だろう。

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意気消沈のジェフ・ファンの希望

2001/12/19(水)

 ジェフ・ユナイテッド市原のサポーターは、華やいだ気分でシーズンの終盤を迎えてもよかった。
 なんと言っても、毎年降格争いに加わっていたチームが、終わったばかりのJリーグの総合順位でチャンピオンである鹿島アントラーズやジュビロ磐田に次ぐ3位という、堂々たる成績を残したのである。

 だが、選手も、関係者も、ファンも、一様にショックを受けていた。スロベニア人の監督ズデンコ・ベルデニックがクラブを去り、来年は名古屋グランパス・エイトで指揮をとることが明らかになったからだ。

 さらに、Jリーグ・アウォードの夜、クラブはあらゆるカテゴリーで落選してしまった。
 韓国人ストライカー、崔龍洙(チェ・ヨンス)はデビューのシーズンで21ゴールをあげ、年間最優秀選手の候補となっていたし、スロベニア人のセンターバック、ゼリコ・ミリノビッチも素晴らしい働きを見せたので、ベスト・イレブンの候補になっていた。

 しかし、二人ともベスト・イレブンには選出されず、アントラーズ勢とジュビロ勢にほとんどのポジションを占められてしまった。また、ベルデニックの監督としての立派な功績も、報われなかった。

 それでも、ジェフの暗いトンネルの先にも光は見え始めている。ワールドカップにも出場する28歳のストライカー、崔が新たな、より好条件の契約にサインし、来年もジェフでプレーする意向があるからだ。

 クラブの広報、利渉洋一は、こう言う。「崔は素晴らしい結果を残したし、ファンにも人気があるので、残って欲しいと思っています。
 「ただ、韓国にいる崔のマネージャーによると、ドイツのブンデスリーガの3つのチームが彼との契約に興味を示しているそうです。まだ、社長には正式なオファーは届いていませんが。
 「来年分の提示はすでに行っていますし、崔も契約内容を検討しているところです。たいした問題はないでしょう。彼が残ってくれると、確信しています」

 崔が契約を更新すれば、ジェフのファンを元気づける格好の材料となるだろう。さらに利渉は、ミリノビッチも契約の更新に同意したことも明らかにした。

 指揮の面では、ベルデニックはグランパス入団発表後にスロベニアに帰国してしまった。シーズン最後を飾る天皇杯でチームの指揮をとる意欲はないだろうというのが、クラブの考えである。
 ベルデニックのアシスタント、神戸清雄が監督代行に昇進し、ジェフを12月24日の準々決勝に導いた。次は、仙台での浦和レッズ戦である。

 利渉はまた、ヨーロッパの監督との交渉は進展しており、今週末にも正式に発表する意向であることを明らかにした。

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ピッチを去るモットラム

2001/12/16(日)

 鹿島アントラーズの小笠原満男の素晴らしいフリーキックがジュビロ磐田のゴールネットを揺らし、ジュビロ磐田のシーズンが終わった。
 そしてそれは、レスリー・モットラムの主審としてのキャリアが終わった瞬間でもあった。

 50才のスコットランド人主審は試合終了後、静かにホイッスルを置いた。しかし彼は来年1月にまた日本に戻ってくる。今度は日本サッカー協会のチーフインストラクターとして新たに3年の契約を結んだのだ。

 設立して9年を経たJリーグの審判技術向上の為、彼は約70人もの主審、副審、そしてレフリーインスペクターと共に働く事になる。モットラムはイエローカード、レッドカードを出す事について、いささかもためらわない事で有名だが、それは他の審判にとって色々な場面で良い手本となった筈である。

 1994年のアメリカワールドカップ、そして1996年のイングランドで行われたヨーロッパ選手権で審判を務め同年、彼は日本にやってきた。彼が他の主審に比べて優れているのは選手が本当に負傷したのかどうか的確な判断を下せる事である。

 Jリーグでは、選手達がファール欲しさにグズグズとピッチに倒れ込んでいるシーンによくお目にかかる。日本人の主審が選手達の芝居がかった仕草にプレーを止め、救護員をすぐピッチに呼び入れるのと対照的に、モットラムは毅然として彼らに立ち上がってプレーを続ける事を促す。そうすると、選手たちはバツが悪そうにしながらも芝居を続けるが、突然全速力で駆け出すのだ。
 モットラムの今後の一大使命は、ダイビングがゲームに与える悪影響を認識させる事のみならず、こうした不愉快なプレーに対する対処法を日本人の審判に教えていく事だ。

 「日本人の審判は僕なんかよりずっとルールには詳しいさ。ルールブックの一語一語しっかりね。」モットラムは言う。
 「ただルールを知っている事と、それを実際に試合で適用する事は違う事なんだ。ルール通りに審判する事は難しいよ。時にはルールよりも自分の判断を優先する勇気も必要なんだ。」いついかなる時もゲームに対する感覚、サッカー精神に対する感覚、そして試合状況に対する感覚を持ち続ける事が主審として最も必要であると彼は言う。

 「僕が思うに、日本人の審判が一番苦手としているのが選手達の扱い方だ。ただそれは一朝一夕には身につくものではない。徐々に身につけていくしかないんだよ。」
 「ヨーロッパでは審判も選手達もまずお互いを知ろうとするんだ。けれども、日本人の選手にとっては週によってまた、主審によって判定が変わるようでは混乱するばかりなんだろうね。」  Jリーグで4度の年間優秀主審賞の受賞者であるモットラムにとって、今日の試合には審判の目を誤魔化して、手っ取り早くヒーローになろうとする選手があまりにも多すぎる。

 「フェアプレー?」彼は言葉を続けて、「そんなものは国際サッカー連盟のフェアプレーフラッグにしかないのさ。プロの世界ではフェアプレーからかけ離れた行為は多いし、すぐにそういう状況が変わるとは思えないね。」
 来月にもその状況を変えるべく日本での彼の新しい使命が始まる。

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トニーニョ・セレーゾは今でも特別な存在

2001/12/13(木)

 トニーニョ・セレーゾが語ると、人々は耳を傾ける。そして、トニーニョ・セレーゾが踊ると、人々は喝采する。
 ショーがストップした瞬間。月曜日、横浜アリーナ、きらびやかなJリーグ・アウォーズの夜。

 鹿島アントラーズを率いるブラジル人監督は2年連続でチームをリーグ・チャンピオンの座に導いた功績により、ステージで年度優勝監督賞を受けることになっていた。

 赤じゅうたんの階段からステージにあがったとき、トニーニョは突然阿波踊りをはじめ、列席の著名人やJ−ポップのスターに贈るような歓声をあげていた約2千人の女性ファンらの称賛を浴びた。
 「サンフレッチェの藤本に習ったんだ」トニーニョは、広島の藤本主税のゴール後のパフォーマンスを引き合いに出した。

 爆笑が静まると、トニーニョは語った。技術、戦術、ファン・サポートの各方面における、ここ10年間のJリーグの進歩に驚いている、と。
 「こんなことは、世界のどこでも見たことありません」1982年ワールドカップ・スペイン大会で、ジーコ、ファルカン、ソクラテスとともにブラジル代表の豪華絢爛たる中盤の一員であった、トニーニョの言葉だ。

 彼ら4人は、ブラジルでは「黄金のカルテット」として知られていたが、トニーニョ自身も、ベスト・イレブンに選ばれた、中田浩二、小笠原満男、柳沢敦ら、鹿島での「黄金の若者達」を得たのである。

 また、ジュビロ磐田を讚える言葉もあった。チャンピオンシップの2連戦で延長の末のVゴールにより、鹿島が通算スコア3対2で破った相手だ。「どちらも、高い資質、戦術、技術をもったチームだったと思います」。

 日本サッカー協会の後援者であり、皇室の一員である高円宮殿下のお言葉も、トニーニョのスピーチをサポートしてくれた。Vゴール・システムの延長戦で、小笠原のフリーキックにより鹿島が勝利した、チャンピオンシップの第2戦に、殿下はおふれになった。「中身の濃い、本当に素晴らしい試合でした」。
 「10日前、ヨーロッパと南米のチャンピオンが戦うトヨタ・カップを東京で観戦いたしましたが、今回のJリーグの試合はそれよりずっと良かったように感じました」。

 高円宮殿下のすてきなお言葉と本人のすてきな阿波踊りは、トニーニョ・セレーゾがスポット・ライトの当たる場所では今でも特別な存在であることを教えてくれたのである。

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JリーグMVPの行方は・・・

2001/12/08(土)

 Jリーグ年間表彰式「2001 Jリーグアウォーズ」が月曜夜に迫ってきた。気になるのは最優秀選手賞を誰が手にするのかという事だが、今年は明らかなMVP候補が見あたらない。候補と呼べる選手は何人かいるが、さぞかし審査員にとっては難しい選択になるだろう。

 ファーストステージ、セカンドステージを通して鹿島アントラーズと競り合い、勝ち点では鹿島に17点もの差をつけたジュビロ磐田には2人の有力なMVP候補がいる。MF藤田俊哉とFW中山雅史だ。

 藤田はファーストステージのMVPに選出され、セカンドステージでは小さい故障があったものの好調を持続していた。彼の頭脳的なプレーとディフェンスからオフェンスへの転換能力はジュビロの好調の大きな要因であり、彼はMFのポジション争いさえ熾烈なものでなければ間違いなく日本代表候補だ。

 中山については、言うまでもなく1998年のMVPであり今年もゴールを量産した。彼は16ゴールでゴールランキングの6位であるが外国人選手がトップ5を占める中、日本人としては1位だ。
 また、彼をして真のプロフェッショナルと呼ばしめるのは、彼が今年の30試合全てに出場している事である。

 一方、日本代表監督、フィリップ・トルシエのお気に入りであるアントラーズの若きMF中田浩二もまたMVP候補だ。彼はチームの守備的MFとして、また代表チームの左バックとして、そして素晴らしいオールラウンドプレーヤーとして成長してきた。

 コンサドーレ札幌のブラジル人ストライカー、ウィルは大分トリニータからの移籍後驚異的なJ1デビューを果たした。戦力的にはやや劣るコンサドーレにあって彼はリーグ1位の24得点を挙げ、それこそ彼の孤軍奮闘でチームはリーグ戦を闘い抜いた。

 名古屋のウェズレイと並んで21得点を挙げ得点ランキング2位タイは、こちらもJリーグルーキーの崔龍洙(チェ・ヨンス)である。
 崔は安養LGチタスからの移籍後、故障でシーズン当初は出場できなかったものの、ジェフ市原で調子を取り戻すのにそう時間はかからなかった。彼はアグレッシブな点取り屋として来日したが、充分その片鱗を見せつけたと言ってもよいだろう。

 難しい選択ではあるが、私ならば毎シーズンJ2への降格と闘っていたジェフ市原をリーグ3位に導いた韓国人ストライカー崔のMVPと、最優秀監督としてはズデンコ・ベルデニック氏を選ぶ。

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「西澤は大きな間違いを犯している」元セレッソ監督のレネ氏が語る

2001/12/02(日)

2001年12月2日(日)釜山
by ジェレミー・ウォーカー
 元セレッソ大阪監督、レネ・デザイェレ氏は日本代表FW西澤明訓がJリーグを去った後、彼のキャリアは後退し続けているとしか思えないと考えているようだ。レネ氏は西澤が海外でプレーするにあたって、ベルギーでプレーする事を勧めたらしいが、西澤はもっと華やかなリーグでプレーする事を望んだようだ。

 土曜日のワールドカップ抽選会に来ていたベルギーのサッカー協会の関係者も「私は西澤にベルギーのチームを紹介する事もできたんだ。そこでなら彼は選手としてもっと強く成長し、また彼のプレーをより向上させる機会に恵まれたはずなんだ。しかし、彼は既にオランダでプレーしていたし、それについてはもうウンザリだと言ったんだ」と、海外移籍についてそう語った。

 また彼は「もし西澤がベルギーに最初に来ていたなら、そこからスペインリーグでもイングランドのプレミアリーグでも行く機会はあったはずだ。結局彼がスペインへ行き、今ボルトン・ワンダラーズへ行った事は3年の無駄だったと思うよ」と付け加えた。

 それを裏付けるように、スペインでの西澤は結果を出す事ができず、今またボルトンではベンチ入りするのにも四苦八苦の状態だ。その結果として、西澤は日本代表のフィリップ・トルシエ監督に代表選手として選出するべきかどうかの判断材料さえ見せる事ができずにいるのだ。

 一方、レネ氏は来年のワールドカップ1次リーグ第1戦のベルギー戦は、日本代表にとって、ディフェンスこそがキーであると警告している。日本代表は6月4日(火)に埼玉スタジアム2002で、ワールドカップ常連国、ベルギーとの対戦でグループHの試合の口火を切る。レネ氏は日本が勝ち点3を挙げる事にこだわってはいけないと言う。

 日本はベルギーに勝てるかと尋ねられ「もちろんだとも!そりゃあ簡単ではないだろうが、引き分けならもっと可能性はあるさ」彼はそう答えた。「日本は守備的な良いチームだ。一方ベルギーは統率のとれたチームで、日本に対してはカウンター攻撃を使ったゲームをしてくると思うよ」

 さらに言葉を続けて、「日本は守備に重点を置いた試合運びをするべきだね。それがキーだ。それができなければこれは問題だね」さらに「日本のサポーター達はベルギーがそれほど強くないと思っているし、ベルギーとの対戦をラッキーだとさえ思っているから代表チームへの期待は大きい筈さ」と言った。

 過去の日本対ベルギーの対戦は1999年6月3日の東京・国立競技場でのキリンカップのみである。その試合は0−0のドローに終わったが、ベルギーは来年の埼玉での対戦が同じ結果に終わっても良いと思っているだろう。

 レネ氏は、ベルギー代表チームについて、統制力と組織のサッカーに定評があるが、攻撃力についても光るものがあると言う。「エミール・ムペンザ、バート・ゴール、マルク・ビルモッツが率いるベルギーのオフェンスは強力だし、ウェスリー・ソンクも注目すべきプレーヤーだ」レネ氏はそう付け加えた。

「日本が勝利するのは決して簡単ではないだろう。しかし開幕戦でもあり、過去のワールドカップ開催国は全て2次ラウンドに進出している。ロシアやチュニジアも強いチームではあるが、私は日本には2次ラウンドに進出できる力が十分あると信じている。グループHは非常にバランスのとれたグループで、ゲームとしては点差の開くようなゲーム展開にはならないだろう。グループHの4チーム全てに2次ラウンド進出の可能性があるのだ」

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