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2010年2月

俊輔の復帰が日本を盛り上げるかも

2010/02/23(火)

2010年2月22日:現在、日本のサッカーには盛り上がりが必要であり、中村俊輔がそれを提供してくれそうな雰囲気だ。ファン、メディア、それからひょっとすると選手たち自身も東アジアサッカー選手権での代表チームの低迷ぶりに意気消沈し、何か明るい材料、自尊心と自信を高めてくれるようなものを必要としている。
だから、スペインで期待に応えられなかったからという理由であっても、俊輔の帰国を歓迎するムードには変わりはなく、彼は帰ってきたヒーローなのである。

中村俊輔がセルティックを去る決意をした昨夏に彼の獲得に失敗したマリノスは、今度は同じ失敗を繰り返したくないだろうし、年俸や契約期間、契約金の交渉になれば中村サイドに席を蹴られないよう万全の体制を敷くだろう。契約はまだ成立していないが、両者が速やかな契約合意を望んでいるようなので、中村は余裕を持ってJリーグに帰り、試合に向けて体調を整えることができる。
それから、注意をワールドカップに向ければいいし、岡田武史監督とっては、俊輔をエスパニョールのベンチに座らせているより日本に戻す方が安心だろう。

スペインではうまくいかなかったが、かの地に移り、子供時代からの夢を叶えようとした中村を、誰も批判することはできない。私自身も、お金が一番の理由だったとは考えてもいない。31歳になった彼が大好きだったリーグでプレーするチャンスを受け入れようとしただけで、そのチャンスを見過ごしたなら彼は選手生活の残りの期間、ずっと後悔していたことだろう。

スコットランド――ヨーロッパの低レベルのリーグで、そこの2大クラブの一つでプレーしていた――から、スピードがはるかに速くて、競争も厳しく、チームもエリート・クラブではないスペインへの移籍は、選手生活の後期に差しかかってきた彼にとっては負担が大きすぎることが明らかとなった。
しかし、俊輔の評価は損なわれてはいないし、彼は今でもその経験を大いに活用することが可能であり、刺激を本当に必要とする現在の日本のサッカー界に彼のスター性が新風を吹き込むかもしれない。

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代表はどうなってしまうのか?

2010/02/16(火)

2010年2月15日:惨憺たるありさま。日曜日に韓国に1-3で敗れたあと、東アジア選手権における日本の戦いぶりはこう表現するしかない。
中国と0-0の引き分けというのは良くない出足であり、3-0の勝利を収めた香港戦も、圧倒的に優位な立場でありながらフィニッシュを決められず苦労し、不満足な内容だった。
ホームで3試合して1勝、優勝しなければならない大会での3位という結果は、ホスト国という立場を考えると紛れもない失態で、南アフリカに向かうまで4ヶ月も残されていない現時点で、日本代表が今後チームを建て直し、自信と気迫をとり戻すことができるのかどうかという不安も残る。

それから、俊輔がいなかったし、長谷部もいなかったし、本田も、松井も、森本も……という言い訳はどうか勘弁して欲しい。日本には、遠藤と憲剛、大久保と玉田といったような、チームを本当にステップアップさせ、ゲームを管理すべき経験豊かな選手が充分に揃っていたのだ。ただ、彼らは今回、その存在感を発揮することができなかった。

韓国の2点目は、日本代表が落ち目にあることを如実にあらわしていた。李昇烈イ・スンヨルのシュートは中澤の背中に当たり、為す術のない楢崎の頭上を越え背後のゴールネットを揺らした。ツキに見放されているときはこのようなゴールが決まってしまうものである。

その後すぐ、ペナルティエリア内でまたも発生した小競り合いにより闘莉王に退場が宣告されたときの韓国の態度は本当に気分の悪いものであった。キャプテンの金正友(キム・ジョンウ)は自チームの選手が倒れていることをレフェリーが見逃していないかどうかをわざわざ確認していたし、レッドカードが出されたときに他の韓国選手がこぶしを握り締め喜んでいる光景はとりわけ不愉快だった。ゴールに喜ぶのはわかるが、相手選手が退場を宣告されたときに喜ぶのでは、手の込んだ策略で相手を罠にかけたことを示唆しているようなものである。「Fair Play Please」なんて、冗談にもならないぜ!

まあ、後半早々には正義が果たされたのかもしれない。前半に大久保へのファウルによってイエローカードをもらっていたキャプテンのキムが、岡崎に対するレイト・タックルにより闘莉王と同じようにピッチを去らなければならなくなったからだ。

日本がこの試合を乗り切るには自らの長所をせいいっぱい発揮する必要があったが、1-3であっさり敗れ、最下位の香港の1つ上なだけの順位で大会を終えた。
今後数週間で、日本代表は今よりはマシになるのだろうか? 面白くない日々が続くなか、岡田監督にとっての救世主あるいは運命の好転が訪れる可能性があるとは、私にはどうしても思えないのだが。

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不満の声が代表チームを鍛える

2010/02/09(火)

2010年2月8日:岡田武史監督はワールドカップの準備としてタフな試合を何試合かしたいと望んでいたが、東アジア選手権では早くもそのような試合があり、日本は中国と0-0で引き分けた。
名前だけは豪華なヨーロッパのチームが、半分の戦力、半分のスピードで相手をする無意味な親善試合とは違い、この試合はまっとうな相手と戦う公式戦。選手たちにはそれ相応のプレッシャーがかけられ、それに相応しいコンディション調整が求められていた。
日本は勝つことができず、楢崎正剛がPKを止めていなかったら負けているところでもあり、南アフリカのワールドカップでも楢崎がチームにとって貴重な存在であることがはからずも証明された。

気迫に満ちた中国チームとたびたび激しく競り合ったシーンで、ひたむきさや集中力が欠けていたというわけではないようだが、日本は点を取って勝ち切ることができず、味の素スタジアムの観客から野次とブーイングを浴びせられた。
ファンには、よくぞやってくれた、と言いたい。ワールドカップを間近に控えた今、選手たちを引き締めるにはそれしかないのである。Jリーグでは寛容で、物分かりの良いファンに選手たちが甘やかされており、代表の試合にやってくる観客のなかには、ブルーのウェアを身に着け、自分の贔屓選手を徹底的に応援するのが大好きな「ファッショニスタ」がかなりの割合でいることは周知の事実である。

だから、味の素のスタジアムでのファンの反応は岡田監督にとっても良いことで、今後は批判的な目が向けられているなかで自分の選手たちを観察できるようになるだろう。こうした厳しい状況に自ら立ち向かう選手も出れば、プレッシャーや期待に押しつぶされる選手も現れ、監督にとってはワールドカップ代表の23人を選ぶ参考となるだろう。

次の試合である木曜日の香港戦は、残念ながらあまり試練の場にはなりそうにない。日曜日の夜の韓国対香港戦で、両チームに力の差がありすぎるのがはっきりと見てとれたからだ。それでも日本にとっては、気持ちを落ち着かせるために早い段階でゴールを奪うことがやはり必要だし、韓国がそうしたようにチームの勢いというものをアピールしなければならず、そのような課題が新たなプレッシャーとなるだろう。

チャンスが巡ってきたときには、日本は、あわてふためいて逆上したり、再び訪れたチャンスにさらに硬くなったりするようなことなく、リラックスし、状況を冷静に見定めてそのチャンスをものにする必要がある。
日本は、日曜日の韓国との厳しい試合の前に、ファンを味方につけ、ファンの信頼と勝点3を得ておかなければならない。 つまり、この大会は岡田監督にとって非常に大きな意味のある試合になりつつあるのだ――岡田監督が想定していた以上に、あるいはひょっとすると監督が望んでいた以上に。

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立候補したい気持ちもわかるけど…

2010/02/02(火)

2010年2月1日:2018年または2022年のワールドカップ開催地に立候補している国のなかには、すぐにでもこのイベントを開催できるところがいくつかある。そのうちの一つは、もちろん日本で、大会の円滑な運営と成功を保証するのに必要なスタジアム、インフラストラクチャ、ファン層をすべて持ち合わせている。
ただし、そうだからといって日本が再び開催地に立候補するのが名案だとは私は思わない。とくに2002年に韓国(同じように2022年開催に限定して立候補を表明)とワールドカップを共催したばかりのこの時期には。

まあ、日本の開催地立候補もわからないでもないし、過去の代表監督であるフィリップ・トルシエやジーコイビチャ・オシムをはじめとする多くの人々の支援もあるにはあるが、私には、勝つチャンスはひいき目に見てもごくわずかであり、勝つ確率は2016年のオリンピック開催都市に立候補した東京よりもはるかに低いと思えるのだ。
第一に、2018年ワールドカップはヨーロッパ開催が確実な情勢だ。フットボールが隆盛しているこの大陸で2006年のドイツ以来ワールドカップが開催されていないということになるからだ。FIFAのゼップ・プラッター会長もそのような発言をしており、他の大陸には開催の見込みはまったくないようである。1966年の開催国であるイングランドが2018年大会開催の本命と目されているが、ロシアもダークホースとして台頭してきており、12月のFIFAの投票でサプライズを起こす可能性も否定できない。

したがって、日本の最大のチャンスは2022年になるのだろうが、やっぱり私には日本以上に可能性のある国があるように思える。たとえば、これまで開催経験がなく、FIFA にとって新しいマーケット、新しいフロンティア開拓のチャンスとなる国々である。
具体的に言えば、オーストラリアが頭に浮かぶし、2022年はオーストラリアで開催してもいいと思う。オーストラリアは素晴らしいスポーツ国だし、ファンタスティックなワールドカップとなるだろう。オーストラリアはラグビー・リーグ(13人制ラグビー)やラグビー・ユニオン(15人制ラグビー)、オーストラリアン・フットボール、クリケットと比べてサッカー(この場合、まさに「soccer」という用語の使用が適切なのかもしれない)があまりなじんでいないという評論家もいるが、大都市のスポーツ好きな住民は大会を心から楽しむだろうし、ワールドカップを一つの長いお祭りに変えてしまうかもしれない。

2000年のシドニー・オリンピックのときにキャンベラとブリスベンで日本代表の試合を観戦する際にあちこちを旅したが、その雰囲気は信じられないほどで、もしワールドカップが開催されれば同じように素晴らしい雰囲気は再現されるが、その規模は海外からやってくる数千人の旅行者をも巻き込み、はるかに壮大なものになるに違いないと確信したものだ。

日本の立候補にはリスクはないが、正直言って、2002年からそれほど離れていない時期にまたも立候補を決めた理由、それから関係者が勝てると思っている理由が私にはわからない。
もし日本が2018年大会の開催地となれば、いや2022年大会の開催地になっても、南アフリカ大会で岡田武史監督の代表チームが準決勝に進出する以上のビッグ・サプライズとなるだろう。

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