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2010年1月

日本のマンチェスター・シティ、名古屋グランパス

2010/01/26(火)

2010年1月25日:現在、名古屋グランパスのファンはマンチェスター・シティのサポーターにかなり近い感情を抱いているに違いない。多額のお金を払ってスター選手を獲得し、タイトル奪取が話題となっているからだ。
名古屋についてとても興味があるのは、野心的な投資というポリシーを導入した最初のシーズンにトップまで上り詰めることができるだろうか、ということ。今回は監督のドラガン・ストイコビッチと彼の雇い主が求めていたものがはっきりと達成されたことになる。2011年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を得られる3位以内というのはもはや目標にもならなくなり、狙うのはナンバー1だけなのである。

土曜日には、浦和レッズにいた闘莉王と大分トリニータにいた金崎夢生の二人の名古屋移籍会見が行なわれた。ストイコビッチ監督によれば、闘莉王は最近の数シーズンはサッカーを楽しんでおらず、監督しての目標は、練習やサポーターたちとの交流の場で闘莉王の顔に笑顔をとり戻すことだという。
また、ストイコビッチ監督としてはささいなケガでもすべて完治させて欲しいと思っているだろうし、ワールドカップ・イヤーにおける闘莉王の変身によって、天皇杯決勝で失ったACLの 出場資格が再び名古屋にもたらされるかもしれない。

私個人としては、闘莉王の名古屋移籍が決まったときには少しがっかりした。そもそも移籍先の話題はヨーロッパのチームばかりに集中し、とくにウィガン・アスレティックFCトウェンテが有力視されていたからだ。闘莉王の野望はヨーロッパでもそれなりのリーグでプレーし、より高いレベルで自身を試すことであるのだと私は思っていたのだが、言うまでもなくピクシーはとてもカリスマ性のある、魅力的な人物で、さらに上記の2クラブでは、日本で提示されたようなサラリー(推定年俸1億5,000万円)を受けとることはできそうにない。

金崎の加入は、名古屋にとって大きい。彼のことを私は、岡田武史監督のワールドカップ代表メンバー入りのダークホースである、とみている。彼のスピード、ひらめき、意外性は日本の攻撃陣のオプションを増やしてくれるかもしれず、とくに厳しい試合の最後の20分間にベンチから送り込むと効果を発揮すると思えるからだ。
シーズンが終わった時にはアントラーズレッズをはじめ、ほとんどすべてのクラブが金崎を獲得したがっていたが、彼は名古屋を意中のクラブとしており、その思いを貫いた。

グランパスのファンにとっては心躍る時期だが、たくさんのお金をかけて作り上げたチームですぐに結果を出さなければならないピクシーにとっては、重責を負ったシーズンが前途に待ち受けていることになる。その気持ちはマーク・ヒューズ(マンチェスター・Cの監督であったが昨年12月に解任)ならよく分かるかもしれないね!

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稲本にも、岡田監督にもグッド・タイミング

2010/01/19(火)

2010年1月18日:稲本潤一がワールドカップ・イヤーの年頭に帰国し、川崎フロンターレ入りするのには納得だ。かつてのガンバのアイドルはこれまで数シーズンに渡ってヨーロッパで苦労を重ねてきたが、フランスの地は彼にとってはもはや「遠すぎた橋」であり、撤退すべき時期にさしかかっていた。非常に困難な環境のスタッド・レンヌではそれほどの印象を残すことができず、彼はついに、「もうやることはやった、Jリーグに戻ろう」と決心したのだ。
稲本にとってはグッド・タイミングである。南アフリカに向けての代表チーム強化の過程で彼にスポットライトが当たることが多くなるだろうし、彼自身も毎週、試合勘を養うことができるからだ。

代表監督の岡田武史にとっても、これは嬉しいニュースとなるだろう。レンヌのベンチで陰に隠れた存在となる代わりに、「イナ」が継続してプレーできることは分かっている。中盤のエンジンルームについては、岡田監督のお好みは長谷部遠藤のコンビなのは明らかだが、稲本がスタメンに割って入る可能性もまったくないとは言えない。彼のボールを奪う能力、身体的な強さと経験は日本代表にとって大きな戦力となるからだ。

また、すでに整っているチームに稲本が新加入したフロンターレでは、高畠監督が新シーズンの開幕週にどのような選手起用をするのかも興味深い。昨シーズン、関塚監督が好んでいたのは、中盤の中央で谷口横山がプレーし、(中村)憲剛がピッチを幅広く動き回るかたちだった。
谷口と稲本は、似ている点がとても多くある。二人とも自陣から相手陣まで精力的に動き回り、自陣の深い位置から駆け上がって攻撃に参加する選手である。もっとも、空中戦にかけては、稲本も谷口の非凡な能力にかなわないだろうが。
横山は関塚監督のお気に入りだったが、谷口と稲本が強力なコンビネーションを築けるのが証明されると、レギュラーに入るのは難しくなるかもしれない。

実は私は、2シーズン前に高畠監督が指揮を執った際に採用していた、憲剛と谷口のパートナーシップを中心とした実質4-2-4のフォーメーションが好きだった。おそらく高畠監督は今回もこのかたちを試すものと思われ、その際には憲剛がフォワード3人の後ろというはるかに前の位置でプレーし、稲本が谷口の横に来るのだろう。

名古屋グランパスと同じように、フロンターレも戦力層が厚く、それぞれの監督は適切な組み合わせを発見するまで時間がかかるかもしれない。ただし、稲本がベンチで過ごす日々が終わったのは確かであり、Jリーグ全体にとってもこの人気者の復帰はメリットとなることだろう。

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バヤリツァも期待する吉田麻也の海外移籍

2010/01/12(火)

2010年1月11日:本田圭佑VVVフェンロからCSKAモスクワに移籍すると、今度は同じく名古屋グランパスに所属していた吉田麻也がオランダに移り、フェンロのジャパニーズ・コネクションを維持する。
では、この若きセンターバックはオランダでとの程度やれるのだろうか? 結局のところ、海外に移籍した日本人ディフェンダーはそれほど多くはいない。海外のクラブは、日本人トップ・プレーヤーのディフェンス力ではなく、創造性やテクニックに着目するのが普通になっているからだ。

吉田の実力判断にかけては、かつて名古屋のディフェンス中央で彼とコンビを組んだミロシュ・バヤリツァ以上の人物はいない。二人とも、名古屋での最後のゲームが元旦の天皇杯決勝となり、バヤリツァは残留せず母国のセルビアへ旅立とうとしていた。
要約すれば、バヤリツァは、吉田にはヨーロッパで成功する要素がすべて揃っていると考えているが、吉田はもっと強くなり、ミスを減らさなければならないとも感じているようだ。
「あのリーグは難し過ぎるというわけじゃないし、日本に似ているから吉田なら上手くやっていけると思うよ」とこのセルビア人は言った。「まだ21歳という若さなのにとても物静かで、自信を持っている。空中戦は強いし、ゲームも読めるようになりつつある」。

ただし、バヤリツァもご多分に漏れず、日本的なお行儀の良さ――たとえば、ファウルをしたあとに相手に謝ったり、手を貸し立ち上がらせてやったり――が、ヨーロッパでは災いするかもしれない、と指摘をしている。ヨーロッパでは競争がもっと激しく、練習でもスタメン入りを目指して選手がしのぎを削っているからだ。
日本での美徳やしきたりは忘れ、大きな失敗をしないように注意したほうが良いだろうね。ヨーロッパで大きな失敗をすると、チームから弾き出されるというのが普通だからね。それだけは気をつけないと」。

これは、吉田のプレーのなかで私もはっきりと気づいていた点であった。とくに、ボールをしっかりコントロールするかわりに、胸でボールの方向を変えチームメートに渡そうとする、彼のあのやり方には困惑していた。あれはとても無造作で、リスキーなプレーであり、オランダでは即座に禁止されるような類のものなのである。
バヤリツァに同じよう感じているかと尋ねると、彼はこう答えた。「彼は若いよね。あれはジャパニーズ・スタイルなんだよ!」。

本田がロシアのビッグ・クラブに移籍したように、吉田もフェンロで地位を築けば、同じようになるかもしれない。最初の試合は1月14日のフェイエノールト戦だ。
「フェンロが足がかりになるかもしれないね。彼はとても若いし、私が来た最初の頃よりずっと進歩してプレーのレベルも上がっている。彼を手助けし、指導し、それから場合によっては彼をなだめることもしてくれるような選手がチーム内にいるともっといいんだけどね」とバヤリツァは会話を締めくくった。

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ごめんね、ピクシー、でも判定はまったく正しかったよ

2010/01/04(月)

2010年1月2日:ドラガン・ストイコビッチのことは大好きだし、尊敬もしているけれど、元日の「玉田事件」についての彼の見解には同意しかねる。
要約すると彼は、74分にガンバのペナルティエリア内で玉田圭司が倒れたとき、グランパスにペナルティキック(PK)が与えられてしかるべきだった、と考えていたのだ。その時点でのスコアは1-1であったが、PKが与えられていれば、「ガンバ4-1グランパス」というスコアとはまったく異なった結果となっていたかもしれない、とグランパスの監督は試合後の記者会見で述べた。

ピクシーには悪いが、ダイビングとみて玉田にイエローカードを出したレフェリーの扇谷健司の判断はまったく正解だと私は思った。右サイドでじっくりとした組み立てがあったあと、玉田がガンバのボックス内に突進した。そのときの彼の体勢は右足でシュートを打つのに最適であったが、彼はシュートの代わりに体を地面に投げ出し、PKを得ようと考えたのだ。
玉田が圧倒的に得意とする左足の方にボールがあれば、おそらくシュートを打っていただろうが、利き足でないほうにボールがあったため、彼はそのシュートの機会を生かそうとはしなかった。ダイビング/シミュレーションに対するイエローカードは当然であり、私はレフェリーのこの断固たる処置を評価した。何と言っても、この日はニューイヤーズ・デイ(元日)であり、エイプリルフール・デイではないのだから。

ただし、ピクシーの見解は異なっていた。「PKが与えられてまったく当然であるのに、玉田がもらったのはシミュレーションに対するイエローカードだった」と彼はメディアに語った。
「シミュレーションだったのかどうかは私にはわからない。ロッカールームで玉田の話を聞いただけだが、彼はガンバのディフェンダーと接触したと話していたよ。ベンチから見た感想を言えば、ガンバはとてもラッキーだったね」

このような状況下では、監督は選手に対して、なぜシュートを打つ代わりにダイブしたのかを問い詰め、さらに場合によっては選手を叱責して欲しいと私は思う。こうしたことは公の場で行なう必要はないし、試合後2、3日して冷静になってから2人だけで面談してもいいだろう。
ピクシーの言うとおり、結果はまったく違ったものになっていただろう――ただし、「レフェリーがPKを与えていたら」ではなく、「玉田があの明らかなシュートチャンスをものにしていたら」と仮定すればだが。

ガンバについては褒め讃えるしかない。天皇杯優勝に値するだけのファンタスティックなプレーを見せたし、アジア・チャンピオンズリーグの出場権をすでに獲得しているのにあれほどのモチベーションと集中力を発揮できたのは驚きであった。

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