国立でのコールドプレイ――黄色いシューズ以上に光った安田
2009年12月30日:火曜日の国立競技場、冬の日差しのなかで安田理大が輝いて見えたのは、その目も眩むような黄色のシューズだけが原因ではない。彼のパフォーマンスも晴れやかで、すがすがしく、ガンバ大阪が天皇杯準決勝でベガルタ仙台を2-1で下すのに貢献していたのだ。
12月20日に22歳になったばかりの安田は、ガンバとオリンピック日本代表の両方で向こう見ずな左バックとして名を馳せたが、この試合では出場停止処分中の加地亮の代役として務めた右サイドでとても居心地が良さそうであった。前列の中盤で堅実かつ機智に富んだプレーを見せていた橋本英郎とのコンビは、その午後を通じて右サイドをしっかりと支配し、仙台に危険なプレーが生まれるのを防いでいた。
前線に駆け上がったときの安田は、試合序盤にはゴールに繋がるクロスを供給していた。ルーカスの先制ゴールは、彼のクロスに対する相手キーパー林卓人のパンチングが小さいのに乗じたもの。
また守備面ではとくに自陣ペナルティエリアで上手く相手の攻撃を防いでいた。素晴らしかったのは36分に仙台のストライカー中島裕希から見事にボールを奪ったプレー。ゴール裏の仙台ファンは、あれはファウルでPKが与えられるべきだとアピールしていたが、安田の見事なディフェンスであり、クリーンに体を寄せてボールを奪い、コーナーに逃れたものだった。
その後、後半の終盤には左サイドを攻めあがってきた仙台の攻撃陣のプレッシャーを受けなければならなかったが、しっかりと地に足を付けてボールに集中するような成熟ぶりと落ち着きを見せ、慌てふためいてフリーキックを与えたり、無謀なタックルで退場処分を受けたりするような危険を冒そうとはしなかった。
安田はずっと集中し、プロらしい振る舞いをしていたので、試合後に彼がガンバ残留の決意をし、将来の見通しがはっきりしたということを聞かされても驚くことはなかった。
結局のところ、最近の数ヶ月は彼にとってフラストレーションのたまる期間だったのだろう。左サイドとしてはセンターハーフからコンバートされた高木和道、それから下平匠に次ぐ第三の存在、右サイドとしては加地に次ぐ第二の存在と見られているからだ。そのため早々に移籍を決断してもおかしくはなかったのだが、彼はガンバのためにプレーする道を選んだ。
火曜日は何から何までサッカーにうってつけの日であった。天候は完璧(公式には摂氏3.3度)で、試合開始は冬の日差しがまばゆい午後3時、試合終了時には照明が点灯され、このおなじみのスタジアムの上空には満月に近い月があった。
いつも思っているのだが、日本のサッカー・シーズンがこのように理想的な時期に終了するのはとても残念である。現在の日程では、選手もファンも蒸し暑い夏の7月と8月に試合をこなさなければならないが、このような季節はまったくサッカーには適していないのである。
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