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2009年12月

国立でのコールドプレイ――黄色いシューズ以上に光った安田

2009/12/31(木)

2009年12月30日:火曜日の国立競技場、冬の日差しのなかで安田理大が輝いて見えたのは、その目も眩むような黄色のシューズだけが原因ではない。彼のパフォーマンスも晴れやかで、すがすがしく、ガンバ大阪が天皇杯準決勝でベガルタ仙台を2-1で下すのに貢献していたのだ。

12月20日に22歳になったばかりの安田は、ガンバとオリンピック日本代表の両方で向こう見ずな左バックとして名を馳せたが、この試合では出場停止処分中の加地亮の代役として務めた右サイドでとても居心地が良さそうであった。前列の中盤で堅実かつ機智に富んだプレーを見せていた橋本英郎とのコンビは、その午後を通じて右サイドをしっかりと支配し、仙台に危険なプレーが生まれるのを防いでいた。

前線に駆け上がったときの安田は、試合序盤にはゴールに繋がるクロスを供給していた。ルーカスの先制ゴールは、彼のクロスに対する相手キーパー林卓人のパンチングが小さいのに乗じたもの。
また守備面ではとくに自陣ペナルティエリアで上手く相手の攻撃を防いでいた。素晴らしかったのは36分に仙台のストライカー中島裕希から見事にボールを奪ったプレー。ゴール裏の仙台ファンは、あれはファウルでPKが与えられるべきだとアピールしていたが、安田の見事なディフェンスであり、クリーンに体を寄せてボールを奪い、コーナーに逃れたものだった。

その後、後半の終盤には左サイドを攻めあがってきた仙台の攻撃陣のプレッシャーを受けなければならなかったが、しっかりと地に足を付けてボールに集中するような成熟ぶりと落ち着きを見せ、慌てふためいてフリーキックを与えたり、無謀なタックルで退場処分を受けたりするような危険を冒そうとはしなかった。

安田はずっと集中し、プロらしい振る舞いをしていたので、試合後に彼がガンバ残留の決意をし、将来の見通しがはっきりしたということを聞かされても驚くことはなかった。
結局のところ、最近の数ヶ月は彼にとってフラストレーションのたまる期間だったのだろう。左サイドとしてはセンターハーフからコンバートされた高木和道、それから下平匠に次ぐ第三の存在、右サイドとしては加地に次ぐ第二の存在と見られているからだ。そのため早々に移籍を決断してもおかしくはなかったのだが、彼はガンバのためにプレーする道を選んだ。

火曜日は何から何までサッカーにうってつけの日であった。天候は完璧(公式には摂氏3.3度)で、試合開始は冬の日差しがまばゆい午後3時、試合終了時には照明が点灯され、このおなじみのスタジアムの上空には満月に近い月があった。
いつも思っているのだが、日本のサッカー・シーズンがこのように理想的な時期に終了するのはとても残念である。現在の日程では、選手もファンも蒸し暑い夏の7月と8月に試合をこなさなければならないが、このような季節はまったくサッカーには適していないのである。

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ワールドカップ前に11試合? それはいくらなんでも…

2009/12/28(月)

2009年12月25日:先日、2010年ワールドカップまでに、日本代表が11試合を予定しているという発表がなされたのだが、私にはいささか驚きだった。
11試合だって? そんなにたくさん試合をする必要が本当にあるのだろうか? ざっとひと月に2回。これは多すぎるのではないだろうか。しかも、これらの親善試合の対戦相手には、10月のトーゴ戦のような茶番でなく、試合をする意義のあるプレーを期待しなくてはならない。

1月6日にアウェーで行なわれるアジアカップ準々決勝のイエメン戦、そして3月3日、ホームのバーレーン戦は国際Aマッチであり、この2試合では岡田武史監督は選手を幅広く使ってみることができる。そしてさらに2月初旬、東アジア選手権の3試合がある。これらの試合は選手交代も通常の3回しかできないため、日本代表にとって、特に中国戦と韓国戦は良いテストとなるはずだ。また、これらは決して楽観できる試合ではなく、フィジカルで厳しいものになるだろうが、日本代表はホームでの東アジア選手権3試合すべてに勝つべくベストを尽くすことだろう。

つまり、前哨戦としてまずまずな試合が5試合あるということだ。だが、ワールドカップで対戦するのはアフリカのチームとヨーロッパの2チームであるのに、この5試合の対戦相手は皆アジアの国だ、という問題点もある。とはいえ、オランダ遠征でオランダガーナと対戦したのもそんなに昔のことではないし、南アフリカとも戦っているので、日本代表がヨーロッパやアフリカのチームとの対戦経験が不足しているとはいえない。

日本がアジア以外のチームと、できればアウェーで2試合ほどした方が良いという点は、私も認めよう。だが果たして、上記の5試合以外に予定されている6試合すべてを行なう必要があるだろうか?
個人的には2試合、最多でも3試合で十分ではないかと思う。さらに言えば、できればこれらの試合はヨーロッパのシーズンが終わるまで待つのが望ましい。そうすることによって、岡田監督はJリーグの選手とヨーロッパ組の選手とを両方使えるではないか。
3月から5月にかけて、6月14日のカメルーン戦の前はあちこちで親善試合をするより、国内でしっかりした通常練習を行なう方が、選手たちにはよほど役に立つはず。私はそう思っている。

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岡田監督がヤングブルーたちに込める新年の希望

2009/12/24(木)

2009年12月24日:ベテランたちに年始の休暇を与え、その代わりに若手の新顔を何人か1月6日のイエメン戦に招集するという、日本代表・岡田武史監督の興味深い試みを歓迎したい。
2011年アジアカップ予選であるこの試合は、真剣勝負なので、若手の日本代表であるヤングブルーたちにとっては絶好の学びの場となるだろう。また、すでに経験豊かな選手に負荷をかける必要も全くなかった。何といっても1月1日まではまだ天皇杯の試合が残されているし、2月の上旬には東アジア選手権も控えている。

注目すべき選考がいくつかあった。とりわけ注目を集めたのは、先ごろ香港での東アジア大会で銀メダルを獲得したU-20代表選手の招集。
ディフェンスの村松大輔(湘南)は、中央のディフェンダーとしてはすでに実績十分と言える風格があるように見えたし、攻撃面でも優れた感覚を見せ、決勝の香港戦ではゴールも決めていた。ストライカーなら、ゴールを狙う者なら誰でも、自慢したくなるようなゴールであった。
中盤では、青木拓矢(大宮)と山村和也(流通経済大)がエンジン・ルームで際立った働きをし、他の選手が前線に攻め上がった際にチームのバランスを保ち続けていた。まだ大学生の山村は、東アジア大会に向けたJFA(日本サッカー協会)の公式メディア・リリースではディフェンダーとしてリストアップされていたが、大会では守備的ディフェンダーとして活躍した。

前線のメンバーでは、永井謙佑(福岡大)と大迫勇也(鹿島)がイエメン戦に招集された。永井は、以前のコラムで書いたように準決勝の韓国戦の121分に決勝点となる素晴らしいゴールを決めた。相手のディフェンダーと前に出てきたキーパーのプレッシャーを受けながら、ゴールのファーコーナーに決めたものだった。
もっとも、大迫のほうは持ち味を十分に発揮することができなかった。本来なら、香港でのプレーよりはるかに良いプレーができる選手だ。韓国との準決勝では彼のワントップとなったが、ターゲット・マンとしての役割は居心地が悪そうで、ボールコントロールとパス回しがうまくいかずに落ち込んでいるように見えたが、決勝の香港戦ではやや下がり目の位置となり、ゴールに背を向けるのではなく、ゴールを前にしてボールを受けられるようになったので、デキははるかに良くなっていた。

大迫には来年6月のワールドカップ南アフリカ大会で岡田ジャパンの一員となれるだけの能力がある、アントラーズの監督オズワルド・オリヴェイラはそう考えており、昨シーズンはこの若手フォワードの学びの期間であると捉えていた。「大迫は来シーズンには間に合うよ」とは、先日のオズワルドの言葉――この言葉を信じようではないか!
長身の平山相太(F東京)と自信満々の渡邉千真(横浜FM)もフォワードとして招集されているので、イエメン戦では大迫はおそらくベンチスタートとなるだろうが、岡田監督はオズワルドの言葉が真実であることを証明するチャンスを必ず与えてくれることだろう。

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俊輔についての岡田監督の言は正しい

2009/12/21(月)

2009年12月18日:不遇を託(かこ)っている中村俊輔に、強力なサポーターが現れた。岡田武史監督である。
ハイペースのスペイン・サッカーになかなか対応できずにいる中村だが、岡田監督は、エスパニョールでの最初のシーズンがどうであれ、来年6月のワールドカップでは中村が代表のキーマンであることに何ら変わりはないと明言した。

現時点では、この左利きのプレイメーカーはリーグで自身のポジションを確立できずにいる。リーガはテンポが速いだけでなく、テクニックも必要。そして選手、とりわけMFは90分間動けるだけのスタミナと、フィジカル面の強さが要求される。さらに、彼はリーグの強豪チームでプレーしているわけではない。これは、弱小リーグの強豪チームでプレーし、毎週のように彼の持てる限りのテクニックを披露できていたセルティックでの4シーズンとまったく違う。
中村がスコットランドからスペインへあっさりとステップアップできると考えていた人がいたならば、それはまったくの見当違いというものだ。何より、移籍した時点で彼は31歳だった。それは一般に選手のピークと言われている年齢よりも3歳過ぎていたのである。

最近、フィリップ・トルシエ氏とエスパニョール監督のマウリシオ・ポチェッティーノ氏が中村の悪戦苦闘についてコメントしている。中村に対して常に辛口で、彼を持ち上げるメディアを嫌っていたトルシエ氏は、岡田監督はワールドカップでは中村を先発から外すべきだとまで言った。トルシエ氏によれば、中村の存在がチームの他のメンバーを抑えてしまうことがあり、彼がいなければチームはもっとダイナミック且つ多種のオプションプレーを使えるという。

自身のレベルに完璧にマッチし、2009-10年シーズンを通して十分にプレーできることが確約されていたセルティックに残留することやJリーグの横浜F・マリノス復帰するのでなく、エスパニョール移籍を選んだ中村の決断は正しかったのだろうか?
これについては今週、岡田監督が語った言葉が的を射ている。監督は、中村の個性と野望を顕著に表したその決断を支持した。スペインでプレーすることは中村の夢だった。そしてこれが彼の最後のチャンスだったのだ。受けるのは当然である。

中村にとっては、マリノスに復帰し群がるファンとメディアの上に胡坐をかいて楽をするのが簡単な選択だった。だが彼は31歳というピークを過ぎた年齢ながら、そんな気分にはなれなかった。おそらく、“中村がマリノスへ”という話はまたすぐに出てくると思う。しかし私は、彼が少なくともシーズンが終わるまではエスパニョールに残ってくれることを願っている。

5月になれば状況もよりはっきりしてくるだろうし、岡田監督も、ワールドカップが近づけば中村の肉体的、そして精神的な強さの程度を量ることができるだろう。監督は、中村により厳しく接したり、クラブのためにプレーしていなければ国のためにプレーはできないと警告を与えたりもできるのだが、現時点では彼は正しいことを言っている。

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日本代表が香港で得た教訓

2009/12/17(木)

2009年12月16日/香港:20歳以下の日本代表チームは東アジア大会で銀メダルに終わったが、この大会で国際試合というものについて、それから前途に立ち向かう課題について多くを学ぶことができたのは確かで、その得たものは金メダル以上の価値があった。

その要因の第一は、香港スタジアムがすさまじく騒々しかったことにある。ホーム・チームが決勝に進んだため、チケットは完売。ぎっしりとスタジアムを埋め尽くした観客の数は3万2,000人にもなり、それぞれのフル代表が激突した最近のアジアカップ予選、香港対日本戦の観客数よりも2万人以上多かった。
ホーム・チームのサポーターの情熱は本物で、地元チームを心からの誇りとしていた。私は1989年から1996年まで香港に住み、かつて英国領であったこの地のあちこちで数百の試合を観戦したが、私の覚えている限り、今回の東アジア大会ほど香港のファンが地元チームを熱心に応援したことはなかった。まるで1997年の中国への返還以来、香港の人々が初めてスポーツによって自らのアイデンティティを確認したように思え、醸し出された雰囲気はずっと大きなイベントのそれに匹敵するものだった。

要因の第二は、ピッチだ。このように大きなスタジアムでありながら、残念ながらグラウンドの状態はビリヤード・テービルのように緑豊かで滑らかな日本のピッチとは大きく異なっていた。ピッチは傷みやすくなっており、シューズのスタッドで鋭くひねると、大きな芝生の塊が飛び散っていた。やっぱりそれも、日本の若者たちにとってはアウェーでの得がたい経験だった。

要因の第三はレフェリーであった。普段、私はレフェリーを批判することをできるかぎり避けるようにしている。レフェリーというのは務めるだけで十分に過酷な仕事だからである。しかし、日本がいくつかの不可解な判定に苦労していたのは確かで、とくに自陣ペナルティエリア付近で相手にフリーキックを与える判定ではそれが顕著であった。

もっとも、いちばん面白い判定は、延長の終了を告げるものだった。スタジアムの時計は明らかに14分49秒をさしていた。確かに11秒短かっただけかもしれないが、かなり珍しいことではある。日本の選手たちもそれが分かっていたようで、終了を受け入れ、ペナルティキックの準備をする代わりに彼らはレフェリーを取り囲み、スタジアムの時計を指差していた。レフェリーはそれに対して、自分の腕時計を指差した。おそらくその腕時計は、その日の試合前に旺角(モンコック)の露店でかなり安く値切って購入したものだったのだろう。

1-1のドローのあとのPK戦で日本は2-4で敗れたが、西村監督に率いられた若手選手たちは銀メダルより価値があるたくさんのお土産を持って返ることだろう。ひょっとすると、新しい腕時計も。

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努力や闘争心に勝るものはない

2009/12/14(月)

2009年12月11日/香港発:私は日本に長く居過ぎたのかもしれない。ときどきそう思うことがある。
例えば昨夜(木曜日)のこと。私は香港メディアの友人に、東アジア大会のサッカー準決勝、日本代表対韓国戦の、土壇場での2-1の勝利についてどう考えているか尋ねてみた。私は彼から日本代表のフォーメーションや戦術、戦略に関する答えが返ってくると思っていた。しかし、彼はこう言った。
「日本には感心したよ。最後まで諦めずによく戦ったからこそ、延長戦後半ロスタイムでゴールが生まれたんだ」。

思えば、これはごく当たり前の答えである。私は、こんな質問をしたことを恥じた。だが、これが日本に長く滞在したことの代償なのかもしれない。試合の根本的な要素である努力やハードワーク、チームワーク、そして前向きな姿勢、こうしたものをつい忘れてしまう。彼らU-20日本代表の勝利が、日本でどれほど報道されているのか私には分からないが、香港スタジアムでのこの夜は間違いなく、忘れえぬ一夜となった。

前半9分、日本は山本康裕ジュビロ磐田)の鋭いシュートで先制した。しかし韓国も11分後、フリーキックから同点に追いついた。30分の延長戦に入っても、両サイドはまったくの互角。このまま勝負はPK戦で決まるものと思われた。延長戦ロスタイムに入り、それを救ったのが永井謙佑(福岡大学)だった。右サイドから中央へ切り込み、韓国のGKとディフェンダーのプレッシャーを受けながらもファーコーナーへ渾身の決勝ゴール、日本ベンチを歓喜に沸かせた。

私の隣に座っていたもう一人の友人は、マイケル・オーウェンのようなシュートだったと言った。だがしかし、ジョージ・ベスト(北アイルランド代表)の頃からのマンチェスター・ユナイテッドファンとして彼はそう言ったのであって、より伝統を重んじる私としては、スコットランド代表とリバプールのマエストロ、ケニー・ダルグリッシュのような角度のあるシュートだったと思っている。

いずれにしても、試合開始から121分、苦労しながらも試合終了まで戦い続けた日本代表に永井が勝利をもたらしたのだ。時として我々は、日本のサッカーを語るときに戦術や技術そして戦略に着目しがちである。しかし、これらも木曜日の東アジア大会で日本代表が見せたような闘争心や姿勢がなければ無意味なのだ。

土曜日、北朝鮮をPK戦の末に破った香港との決勝戦は、素晴らしい試合になることだろう。日本でも決勝戦が見られることを、私は願っている。

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タフな初戦に対する岡田監督の現実的な見解

2009/12/10(木)

2009年12月9日:ワールドカップでは、初戦が大きな意味を持ち、そのチームの大会全体での成否を決めることが往々にしてある。勝てばグループリーグ突破に向けて有利な立場となり、勝点3を持って残り2試合を戦うことができる。引き分けなら、今後への礎ができたことになる。負けたら、即座にプレッシャーが襲いかかってくるのだ。
「初戦での敗戦は絶対に避けなければならない」。ケープタウンでの抽選会から日本に戻る途上、岡田武史監督はそう話していた。こういう発言は決して弱気から生まれたわけではない。むしろ実践的で現実的な考え方である。勝点1でもとればチームに自信が芽生えるし、次の2試合につなげることができるからだ。

南アフリカでは日本はカメルーンと初戦を戦う。不屈のライオンは以前のような怖さは――ここ何年にもわたって――なくなっているが、アフリカの大地で大勢の観客を味方につけた彼らが厄介な相手となるのは間違いない。パスや動きやテクニックは忘れること。その日の日本にとっていちばん大切なことは、自分を見失わないことと気迫であり、強靭で運動能力に優れたアフリカ勢に立ち向かう心、目前にいるスター選手たちと過去の実績に怯まない心なのである。

スポットライトが多く集まるのはインテルのストライカー、サミュエル・エトオだろうが、カメルーンには他にもフィールドの大事な場所で活躍する、日本にはあまりいないタイプの選手がいる。アレックス・ソングがそうだ。
世界中でアーセナルのファンが増えており、ファブレガスファンペルシー、ナスリ、ウォルコット、ロシツキー、アルシャビンらを高く評価する人もいるだろうが、中盤のエンジン・ルームでの見事な働きによってチームにバランスをもたらしているのはソングである。まだ22歳のソングは、このようなレベルの高いリーグで年齢に相応しくないほどの成熟したプレーを見せており、日本の攻撃陣にとってはこの岩のような存在を突き崩さない限りゴールに近づくという希望さえ抱くことができなくなるだろう。

ソングがガナーズ(アーセナルの愛称)のディフェンス中央でもプレーしているという事実は、彼の強さと器用さを示すものであり、彼がディフェンスを前からサポートできるだけでなく、中盤でボールを確保でき、さらに相手の流れを断ち切ることのできる理想的な選手であることをうかがわせる。6月14日の試合を迎える頃には、ソングは遠藤や長谷部、中村(両方の中村)のことを徹底的に調べ、相応の準備をしてくるだろう。

岡田監督が言うように、初戦で負けないようにすることがなにより大事であり、そのためにはしゃれたテクニックやうまいボール回し以外のものが数多く必要になるだろう。日本代表には、闘志満々で、大陸全体を代表したような気概でプレーしてくる相手に対して堂々と戦えるだけの準備をしておいて欲しいと思う。

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FIFAよ、お願いだからアフリカのチームはやめてくれ!

2009/12/07(月)

※編集中:このコラムはW杯組み合わせ抽選の前日、12月3日に書かれたものです

2009年12月3日:来年のワールドカップ(W杯)の組み合わせ抽選で、南アフリカと同じ組に入ればいいと考えている日本のファンは多いと思う。だが私は違う。
8つのシード国のうち、南アフリカと同組になるのが良さそうだというのも理解できるが、えてしてそういう試合の方が難しかったりするものだ。結局のところ、FIFA(国際サッカー連盟)はどうしてもアフリカでW杯を開催したかった。そして、大会を盛り上げるためできるだけ多くのアフリカチームにファーストラウンドを突破してもらいたいとFIFAが考えるのも、当然のことである。

南アフリカ対日本? ホスト国が受ける様々なアドバンテージを思うと、日本にとっては難しい試合になるだろう。となれば、日本は11人の選手だけでなく、アフリカ大陸、そして地元チームの勝利を願うFIFA、それらすべてを相手に戦うことになるのだ。
読者の皆さん、マイナス思考になって申し訳ない。しかし、今のゴタゴタしたサッカー界、そしてアンリの“神の手アシスト”騒動があったにもかかわらず、改善しようとさえしないFIFA。こうした状況でフェアな試合ができるとは、私には思えないのだ。FIFAは南アフリカには勝ち上がって欲しい。そのために間違いは犯せない。私は日本には、その生贄の子羊になってもらいたくないのである。

それじゃあどのシード国と当たれば良いか? 私なら、イタリアを選ぶ。
イタリアは前回の優勝国じゃないかって? だがイタリアはスロースターターで有名だし、こういう大きな大会ではいつも自信喪失して戦っている。さらにいえば、イタリアは攻めて攻めて攻めまくって、相手をこてんぱんにやっつけるというチームではない。「1-0でも5-0でも勝点は同じ3ポイントだろう?」そういうチームなのだ。
これが彼らの国際大会での考え方だから、日本はボールキープもしやすく、戦い易いはず。ブラジルスペイン、そしてオランダのような攻撃中心のチーム相手だと、ディフェンスの薄い日本にとっては辛いことになるだろう。

組み合わせ抽選を明日に控えたいま、日本のセカンドラウンド進出に有利かなと思える組み合わせはこうだ。
イタリア(第1ポット)日本(第2ポット)チリ(第3ポット)スロバキア(第4ポット)

お願いだから、アフリカのチームだけはやめてくれ!

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ガンバを怒らせたマルキーニョスの余計な振る舞い

2009/12/03(木)

2009年11月30日:先週土曜日のガンバ大阪戦で見せた鹿島アントラーズのパフォーマンスには、目を見張るべき点がたくさんあった。興梠のフィニッシュ、野沢の巧妙なゴール、この重要な試合をものにするのだという鹿島の選手たちの意欲と気迫。
ただし、試合終了間際の鹿島には私がどうしても好きになれない光景が見られたし、鹿島が勝利し、3年連続の優勝を達成するのであれば、今週土曜日の埼玉スタジアムで同じような光景は繰り返して欲しくないと思う。

その光景の主役となったのはマルキーニョスで、自らのテクニックを見せ付けるかのようにボールをふわっと浮かせ、ガンバの選手たちを嘲るような動きをしたのだ。このプレーは、すでに1-5の敗勢であったガンバの選手たちを大いに刺激した。
明神は頭から湯気が出るほど怒り、その怒りはマルキーニョスがパスを出した後のタックルとなって即座に表れた。また、前半にわざとらしいダイブで警告処分を受けていたガンバのストライカー、ペドロ・ジュニオールもこの同胞のブラジル人選手のもとに近づき、一体全体どうして相手をこんなに侮辱するような行為をしているのかと尋ねた。

このような類の振る舞いは、下手をすれば、怒った相手に復讐されて脚を折られたり、あるいはピッチ上の乱闘やそれを原因とした暴動を起こしたりするかもしれない。今週の土曜日、埼玉スタジアムでアントラーズが残り5分の時点で2-0とリードしており、そこでマルキーニョスが相手選手を愚弄してやろうと考え、タッチライン沿いでボールをいたずらにキープしようとするというシナリオを想像して欲しい。そうなればシーズンの終わりを不快で、暴力的な雰囲気のなかで迎えることになるかもしれない。だから、オズワルド・オリヴェイラには、大切にしているこのストライカーに、そのようなことがないようにとはっきり告げておいて欲しいのだ。

実際、交代選手3人を使った局面でマルキーニョスが試合終了のホイッスルが吹かれる前にピッチを去り、アントラーズが10人で戦わなければならなかったのは、あの行為が原因になっていたのではないかと私には思えた。勝利を手中にしていたのは確かだが、ピッチを去ることで少なくとも彼は危険を避け、怒りに駆られ、報復を求めるガンバの選手からの突き刺すようなタックルから逃れることができたのだ。マルキーニョスがベンチに下がったのは背中に違和感があったからだ、とオズワルドは述べたが、アントラーズの監督には、自軍ベンチのすぐそばで起こったこの出来事についてガンバの選手たちが腹を立てているのも知っていた。

やっぱり、私は、マルキーニョスがしたこの不必要な振る舞いが気に入らない。彼はオズワルド率いるアントラーズの興隆に大きな貢献を果たし、興梠や田代大迫といった選手たちを教育するアシスタント・コーチ的な役割を果たしているのは分かっているが。
土曜日が盛り上がることは間違いない――レッズは激しくしのぎを削ってきたライバルが自分たちの庭で優勝を飾るのをなんとか阻止しようするだろう。十分に盛り上がるのは確実なのだから、余計なゴタゴタは必要ないのだ。

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