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2009年10月

大分の叶わなかった「ミッション・インポッシブル」

2009/10/29(木)

2009年10月28日:何ヶ月も前からそうなることは予想されてはいたが、降格という冷酷な事実はやはり胸を痛めるものである。そう感じたのは土曜日の西京極総合運動公園陸上競技場。京都と1‐1で引き分けた大分のJ2降格がとうとう確定した。
遠征してきた大勢のファンがトリニータの選手と一緒に涙を流していた、試合終了後の胸を打つようなシーンは、サッカーの世界における浮き沈みの激しさを如実に示していた。大分がナビスコカップ優勝という最良のときを過ごしてからまだ1年も経っていないのだから。

当時は監督のペリクレス・シャムスカがチームを掌握し、中盤中央のエジミウソンとホベルト、前線のウェズレイという影響力のあるブラジル人トリオがチームの核となっていた。このトリオを活用して、トリニータはその地道なポゼッションサッカーで相手を支配し、ウェズレイのゴールに対する嗅覚から生まれた先制点を守りきることができたのである。
しかし、今シーズンは主要な選手の故障によって、チーム状態が2008年の良かった頃と比べて弱体化してしまった。ホベルトとウェズレイが去って久しく、シャムスカも、事態を好転させようという絶望的な努力の半ばで解任された。
新監督のランコ・ポポヴィッチは、自らに課せられた「ミッション・インポッシブル」を明らかに楽しんでおり、臆することなく若手にチャンスを与えてきたが、それまでに奪ってきた勝点があまりにも少なすぎるため降格は不可避の状況であり、今回、4試合を残した時点でそれが確定したわけである。

今後、若手の日本人選手がどれくらいトリニータに残留するかは、まったく不透明である。ゴールキーパーの西川と攻撃的ミッドフィルダーの金崎はそれぞれガンバと名古屋への移籍が噂されているし、「三位一体」の鉄壁の3バックの1人であった、センターバックの森重も故障から復帰後にはさまざまな選択肢が生まれることだろう。
誰が残ろうと、あるいは去ろうと、忠誠心あふれる大分ファンは、来年にはまた事態が好転し、J1にすぐに復帰できるような体制が整うことを願っているだろう。なんと言ったって、去年の今頃には大分が2009年の降格第1号となるとは誰も思ってはいなかっただろう。

京都対大分の試合については、スカイパーフェクTVに満点の評価を与えたい。試合終了のホイッスルが吹かれたあと、ピッチで展開されるヒューマン・ドラマを淡々と映し出し、ピッチサイドでのせわしない選手インタビュー――たとえば京都のゴールを決めたのインタビュー――によって貴重な瞬間の映像を台無しにするようなマネをしなかったからだ。
大分の選手のボディー・ランゲージ、とりわけキャプテンである高松のそれ、それからサポーターたちの表情は、降格による失望感とサッカーというゲームの明暗をよく表しており、言葉では語り尽くせないほどのストーリーが表現されていた。

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帰ってきた“アーアーア・カ・ミ・ネ”

2009/10/26(月)

2009年 10月23日:9月にカタールへ移籍したカボレについて、FC東京にとって良かった面を見てみよう。それは、赤嶺真吾がチーム内でポジションを奪回する機会を得たということだ。
今シーズン、城福浩監督は平山相太と長身のブラジル人ストライカーにコンビを組ませることにし、赤嶺は監督の構想から消えていった。 しかしいま、赤嶺に道が開かれている。先週土曜日のレイソル戦で彼が決めたゴールは美しかった。迅速で自然、いかにも赤嶺らしいフィニッシュは、カボレがいなくともゴールは再びいくらでも生まれると思わせるものだった。まるで物差しで測ったような羽生のパスに合わせた、赤嶺の低いドライブのかかったシュートは、レイソルのGK菅野がセーブを考える間もなくゴール隅に決まった。見事なゴール、大量4得点のきっかけとなったゴールだった。

カボレはその体格と機動力で存在感を示していたが、同時に何度もチャンスを逃してもいた。特にGKとの1対1。今シーズンのあるときなどは、このブラジル人選手の名前はカボレでなく、本当はキャバレーというのではないかと思ったほどだ。次に何をしでかすかを考えると逆に楽しみでもあった。 カボレはJリーグから中東へ移籍していったマグノ・アウベスや、ダヴィバレー、そしてレアンドロのように大量得点を挙げるわけではない。にもかかわらず、アルアラビをはじめ多数のチームが彼に興味を持っているのを知ったときには驚いた。

多くのFC東京ファンにとっては、さぞかし複雑な心境だろう。カボレを失うことは、Jリーグの中でも特にメロディアスで親しみやすい応援歌、“アーアーア・カ・ミ・ネ”でサポーターたちの人気を集める赤嶺に新たなチャンスが生まれるということなのである。

FC東京の応援歌についても一言。平山にもう少しいい歌を!
4音節の名前は、3音節の、あの有名な“ウーアー カンートーナ”にはフィットしない。“ウーアー ヒ・ラ・ヤ・マ”? 申し訳ないが、なんだかしっくりこない。ナビスコカップまでもう少しあるし、考える時間はあるだろうね。

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コーナーでのディエゴと副審の戦い

2009/10/22(木)

2009年10月21日:日曜日の午後、フクダ電子アリーナで行なわれたジェフユナイテッドサンガの試合は盛りだくさんな内容であったが、一つだけ欠けていたものがあるとすれば、それは勝者であった。

ピリッとしまった良い試合で、攻守交替のテンポが速く、雰囲気も申し分なく、1-1の引き分けというメインのストーリー展開を支える、サブプロットもいくつかあった。ジェフがようやく今シーズンのホーム2勝目を挙げるのだとずっと思っていたが、終盤にアウェー・チームが追いつくというお馴染みのツイストが用意されていた。
今回、ジェフに痛手を負わせたのは、がっしりした体格の攻撃的ミッドフィルダーのディエゴで、強烈な左足で放ったシュートが終了わずか4分前に岡本の守るゴールを破った。ディエゴの闘志は満々だった。後半を通じて、長い戦いを繰り広げてきたからだ――ただし、その相手は敵チームではなく、ラインズマンであったが!

その副審は、シャツの裾がショーツの外に出ているディエゴの服装を認めようとはしなかった。それゆえ、ディエゴが右サイドにコーナーキックを蹴りに行くたびに、シャツをショーツのなかに入れるようにキックの前に注意していた。
こういうのはばかげたルールに思えるかもしれないし、審判のなかにもそう考える人もいるかもしれないが、それがルールであることに変わりはないし、ディエゴは身だしなみが整うまで何もさせてもらえなかった。ラインズマンがコーナーに立ち、ディエゴにボールを置くことさえ許さず、苛立つ彼にその場で体を一周させ、背中を含めた体全体を検査しようとする場面もあった。
しかし、彼がボールをキックすると、どっちにしろシャツの裾がまた外側に飛び出てしまう。そのため、我々はアウェー・チームが終盤に攻勢をかけた局面では、この同じようなコメディーの一部始終を繰り返し見なければならないのであった。

日曜日の劇の「悪役」は、かつてのジェフのディフェンダーでガンバ大阪を経て京都に移籍した水本だった。水本は黄色の強大な一団から絶えずブーイングを浴びていたが、ロスタイムの見事なディフェンスで、ホーム・チームの終盤の勝ち越しの希望を絶ち、最終的な勝利を手にした。
ジェフのMFアレックスの序盤のプレーがきっかけとなり、試合を通じてタックルの応酬が見られたが、たくさんの身体的な接触に対してプレー継続を許可したレフェリーを高く評価したい。

ジェフにとってみれば、また勝点2を失った試合であった。ただし、中盤の右サイドでの工藤のパフォーマンスは見事だった。彼の攻撃能力とスピードは、中盤の中央で守備の責任を負わせるよりは、今回のような羽生スタイルの役割がよく似合っているようだ。中後と下村は、中盤のエンジン・ルームでのコンビネーションがより強固になっているが、ジェフが正しい組み合わせを見つけるまでの時間は残り少なくなっている。

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日本にとって練習試合にさえならなかったトーゴ戦

2009/10/19(月)

2009年10月15日:水曜夜の日本対トーゴ戦について、ノートに書かれた私のメモ書きをいくつか挙げてみよう。

キックオフ前――どうしたんだ? 試合前のテレビカメラが、俊輔だけじゃなく森本も映している。いつもなら俊輔以外の10人が映らないのだが、今日は9人だ。
画面の岡田武史監督の紹介には、“目標はベスト4”の文字が躍る。みんな、いい加減にこういうのをやめないか? 誰のためにもならないだろう。

2分――TBSの解説者は、ペナルティエリアへの低いパスのことを“グラウンダー”と呼ぶ。これは酷い。やはり野球文化の国だからだろうか。サッカーの世界では“ヘディングシュート”と合わせて使うべきでない。他にもあるが、それはまた後日。

4分――これは消化試合だな。トーゴはとにかく酷い。

5分―― 1-0、岡崎はニアポストでフリー。

8分―― 2-0、憲剛の右からの低いクロスに、岡崎がヒールで軽く合わせる。

11分―― 3-0、ゴールを背にボールを受けた森本が、マーカーを抑え反転してシュート。ナイス!

この時点で私はメモをとるのを止めた。これ以上は意味がないからだ。試合は既に終わったようなものだったし、解説者も観客も飽きてきたようだった。10月の“日本サッカー祭り”は、“居眠り祭り”と化してしまった。
結果はみなさんもご存じのとおり5-0。岡崎は1週間で2度目、香港戦に続くハットトリック。今年の日本代表とエスパルスでのゴールをこれだけ見せられると、気になるのは彼のゴールセレブレーションだろうか。宮城スタジアムで見せた、あの中途半端で、照れながら腕をバタつかせるセレブレーション。もう少しなんとかならないものか。シュート練習以上にこちらの練習も必要かもしれない。

最後に真面目な話を一つ。
スコットランドが“怪我”を理由に主力選手10人を外して来日したことについて、批判が出ていた。しかし、少なくともスコットランドはベンチに7人の選手は残っていたし、残り8分でオウンゴールを許してしまうまでは試合はどちらに転ぶかわからなかった。
他方、トーゴが選手をわずか14人しか連れて来なかったことは、彼らに弁解の余地はまったくなく、これほど人を馬鹿にした話はない。日本サッカー協会(JFA)はこの件についてFIFA(国際サッカー連盟)に苦情を申し立てるべきである。

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スコットランド代表に憤るのはなぜ?

2009/10/15(木)

2009年10月14日:日本にやって来たスコットランド代表について何よりも驚いたのは、彼らは人を驚かすものを何も持ち合わせていなかった、ということである。岡田武史監督は、たくさんの選手が来日しないことにひそかに失望し、自分のチームの選手起用を再検討しようという気分になったようだ。

私個人としては、今回のスコットランド代表のメンバー構成になぜみんなが怒り狂っているのかが分からない。クラブと代表の両方で予定がぎっしり詰まっている時期に、ホームからかなり離れた場所で行われる親善試合なのである。来ない選手がいるのも当然だし、それが日本代表にいったいどういった影響を与えたのかが、私には分からないのである。

「相手のことは関係ない。いちばん重要なのはチームの一員として与えられた仕事をするようにしっかりと集中すること」と監督たちが言うのをよく聞く。それなのに、スコットランド代表のメンバー構成を不満とする今の状況は何なのだろう? 正規のメンバーから10人が欠けるというのはやりすぎな感じもしないではないが、日本の反応はスコットランドに対していくぶん礼を欠いたものである。

監督のジョージ・バーリーにとってみれば、2010年ワールドカップ南アフリカ大会への希望がついえた現在、新しい選手を見る良いチャンスであった。また、彼は、ディフェンスにはそれなりのメンバーを揃え、ゴールキーパーにはクレイグ・ゴードン、4バックの中央にはキャプテンのスティーブン・マクマナス、守備的ミッドフィルダーには同じくセルティックのガリー・コールドウェルを起用していた。
スコットランドはよく守ったし、日本の攻勢のなかで自分たちのプレーを楽しんでいるようにも見えた。いつも書いていることだが、日本はゴール前でのボールタッチが多すぎるし、パスが一つ多すぎると思われる場面もあり、そのためスコットランドのディフェンダーにとってみれば、インターセプトやタックル、ブロックをするチャンスが生まれていた。

スコットランド代表はあまり攻撃的ではなく、セットプレーの内容もがっかりするものだったが、それでも73分にはバーンリースティーブン・フレッチャーがキーパーと1対1になったものの川島永嗣に得点を阻まれた場面があり、スコットランドが先制していてもおかしくはなかったということを忘れてはならない。そうなっていたとしたら、スコットランドのチーム構成に対する試合前の批判を考えれば、日本代表にとってはきわめて不面目な結果となっていただろう。

スコットランドは0-0のドローという好ましい結果を得られそうであったが、終了8分前に駒野友一の素晴らしいクロスをカットしようとしたクリストフ・ベラ(ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ)が不幸にもオウンゴールを献上してしまった。また、終了間際には本田圭佑がゴールを決め、最終的なスコアを1-0よりははるかに格好のつくものとした。

アーセナルの監督であるアーセン・ベンゲルが、自分なら国際親善試合を全面的に廃止する、と語っている。このような試合は、選手が「故障中」の期間を引き延ばしたり、故障のリスクにさらされたりするし、代表チームの監督は実際の試合の状況でなにか建設的なもの、あるいは参考になるものが生まれるという希望をほとんど持たずに2軍の選手を起用したりするため、意味はほとんどないというのがその理由である。
6万1,000人以上という当日の観客数を見れば明らかなように、日本サッカー協会がベンゲルに同意しない理由は観客の数ほどあるだろうが、それでも招待した国の代表が力の落ちるメンバーで構成されていても、驚くべきではないし、不平を言うべきでもない。

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香港戦の日本のGKは誰だった?

2009/10/12(月)

2009年10月9日:サッカーの試合を見るのに、アパートを出て地元のパブでパーティーさながらに観戦する。これが自宅でNHK BSが見られないことの良いところである。そして時として、他の観戦者の様子が見られるのもまた楽しいのだ。例えば木曜夜の日本対香港戦のこと。

「日本のゴールキーパー(GK)って誰?」
そう尋ねた彼のために言うと、そのとき試合はすでに5-0だった。彼は遅れて店にやってきて、まだ15分ほどしか試合を見ていなかったのである。無理もない質問だ。我々はしばらく画面で日本のGKを見ていなかったし、実際、誰が先発したのかなかなか思い出すことができなかった。

そのとき誰かが言った。「西川だよ」。
そうだ、確かにそうだった。しかし、これが闘莉王や中澤でも同じことだったかもしれない。それほどに日本は哀れな香港を支配し尽くしていたのだ。
それはまるで、公園でゴールを一つだけ使い攻守を交代しながらやるミニゲームみたいな試合だった。日本が6-0で圧勝したアジアカップ予選は、日本が何度もあった決定的チャンスでミスをしていなければ10点を挙げていたと思われるようなワンサイドゲーム。
ホームグラウンドでプレーした岡崎はハットトリックを達成、とりわけ長谷部からの鋭いパスを決めた先制ゴールはベストゴールに選ばれた。

長友のゴールも素晴らしかった。彼は積極的な姿勢を見せてくれたし、素早いプレーで相手GKを破り、右足でニアポストに強烈なシュートを突き刺した。レフトバックは身長の高さがそれほど重要なファクターではないし、長友はヨーロッパで成功できる資質と個性を持ち合わせていると、私は思う。

他の選手はどうか。大久保と松井は、南アフリカへ行きたければもう少し頑張らねばならないだろう。新たな選手たちが彼らにプレッシャーを与えるべく、どんどん現れるのだ。ひょっとすると、これが今回の香港戦で岡田監督が気づいたことかもしれない。他の選手たちもスコットランド、トーゴとの残り2試合、プレーする機会を得ようと必死になるだろう。

香港についても話そう。彼らのプレーのレベルの低さに、私は本当にがっかりした。私は香港に8年間住み、現地のサッカーをずっと見てきたのだ。1990年代前半、香港には古くは1967年からプロチームとなった5クラブ、60人の選手たちがおり、そのなかには中国人、外国人を問わず良い選手がそれなりにいて、サッカーは根強い人気を誇りファンも多かったのだ。
マークの甘さ、スタミナ不足、フィジカル面の強さ、さらにはプレッシャーがかかったときにロングボールでサイドへ逃げるのではなくて、中へボールを集めてしまう不用意さなど、今回来日したのはベストチームではなかった。とはいえ、それはお粗末なプレーの言い訳にはならない。

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阿部のフリーキック、憲剛の安堵

2009/10/08(木)

2009年10月7日:この週末は、2人の日本代表選手の姿に目を奪われた――一人はその鮮やかなフリーキックのゆえに、もう一人は芝生を手で打ちつけてチームメートの貴重なゴールを祝福する姿によって。

最初は土曜日の埼玉スタジアム2002。古巣のジェフユナイテッドとの試合で決めた阿部勇樹(浦和)のフリーキックが脚光を浴びた。ゴールまで20メートルの距離。阿部の前には5人の壁が立ちはだかっており、壁の中央には青木、福元、巻が立っていた。
ディフェンスの壁には、しっかりと体を密着させていないために隙間があるものや、あるいは選手が目を閉じたり、ボールに首をすくめたりするものもあるが、今回のジェフの壁はしっかりと体を密着させ、ボールをブロックしようと高くジャンプしていた。
それでも阿部の蹴ったボールは壁の右上を通過し、岡本が守るゴールのニアサイドを破った。それまで岡本は一連のプレーで素晴らしいセーブを連発していたが、このキックにはわずかの差で触れることができなかった。

ジェフにとっては痛い失点だった。深井がアウェー・チームのサポータの前で先制点を決めてからわずか3分後のことであったからだ。一方のレッズは、このゴールの映像が大きなスクリーンに映し出され、さまざまなアングルの映像が再生されるたびに感嘆の声がどんどん大きくなるのを感じて、やる気がさらにみなぎったのである。

岡本にしてみれば、ゴールのニアサイドをもう少し注意していればという後悔は残るかもしれないが、ほとんど無造作に打ったように見えるのに、美しい軌道を描いた阿部のフリーキックには賞賛を贈るしかない。私が日本で見たもっとも素晴らしいゴール――2004年アテネ・オリンピック代表の強化試合として行なわれたコスタリカとの親善試合で、壁を迂回しながら高速でゴールに突き刺さったフリーキック――を決めたのも阿部だったから、レッズでなぜ彼がもっとフリーキックを蹴らないのか、私はよく不思議に思っていた。今回のジェフ戦のゴールにより、この傾向も今後は変わるだろう。

さて。話題は埼スタから日曜日の等々力に移る。ここではフロンターレが2-0でマリノスを破り、勝点3を確保した。74分、谷口の鮮やかなヘディング・シートでフロンターレが先制したあと、その9分後にはレナチーニョがジュニーニョのパスを冷静に決めて勝利を決定付けたのである。
面白かったのは、ゴールの祝福現場からかなり離れた場所にいた中村憲剛のリアクションだった。彼はハーフライン近くで膝を折り、安堵のあまり芝生を手で打ちつけていたのだ。ACLでの敗戦からわずか4日後に行なわれた、チームの底力を問われる厳しい試練に打ち勝ったのを実感したのである。

憲剛はこの試合が大きな意味を持っているのを知っていたのだ。試合終了のホイッスルが吹かれたあと、彼がチームに円陣を組ませ、チームの気迫と意欲を再確認しようとしていた姿が印象生的であった。ACLからは脱落してしまったが、リーグ・チャンピオンの栄誉はフロンターレのすぐ近く、手の届く位置にあるのだ。

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岩下初選出。代表の門戸はまだ開かれている

2009/10/05(月)

2009年10月3日:先月のオランダ遠征で浮かび上がった日本の問題点の一つは、ディフェンスの中央で主導権を取れなかったということだ。中澤佑二闘莉王が日本の4バックの中央、要の二人なのは間違いないが、オランダ戦、ガーナ戦ではミッドフィールドにかけてうまく機能していないシーンがかなり見られた。だからこそ、アジアカップ予選の香港戦、そしてスコットランドトーゴと親善試合を戦う日本代表に岩下敬輔がサプライズ・初招集されたのである。

昨季はレフトバックだった清水エスパルスの岩下だが、今季からセンターバックへとポジションが変わり、絶好調のシーズンを送っている。シーズン開幕早々、私はエスパルスが柏レイソルを破った直後にフローデ・ヨンセンにインタビューをした。その際、この長身のノルウェー人ストライカーは岩下のことをとても褒めていたのを思い出した。フローデによると、岩下の長所はスピードと試合を読む力、さらにとりわけ褒めていたのは練習熱心なところだった。

来る3試合では、もちろん2011年にカタールで行われるアジアカップの予選、香港戦が一番重要である。岩下のホームグラウンドで行なわれるその試合に、岡田監督が果たして彼を先発させるか、注目である。おそらく先発は中澤と闘莉王で、後半に入り日本が試合を支配していれば、国際試合の経験を積ませるために岩下をファンの前でお披露目することになろう。
何はともあれ岩下にとっては良い経験になるし、岡田監督も、いつでも新しい候補選手を見る用意があるということだ。すなわち、南アフリカ・ワールドカップの日本代表の門戸は今でも開かれている。来年のワールドカップまで、様々なことが起こり得る。

現在23歳の岩下だが、私が感心するのは積極果敢な空中戦とプレーのテンポの良さである。彼のしつこいマークとボールをめがけた恐れのないチャージとタックルは、相手のセンターフォワードにとって厄介なのは容易に想像できる。身長181cmと決して長身のセンターバックではないが、岩下にはジャンプ力という強みがある。これは、セットプレーでも決定力と合わせて相手チームの脅威だろう。
今回は他にも興味深い選手が招集されたが、ヘッドラインを飾るようなニュースでなくとも、私にとっては岩下の招集が何といっても一番のニュースだ。

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ジョシュア・ケネディだけは欠かせない

2009/10/01(木)

2009年9月29日:「ケネディは一人だけ。ケネディはかけがえのない存在……」。
誤解しないでいただきたいのだが、ケネディがまたもゴールを決めたあとに名古屋グランパスのファンが歌う応援歌ではない。歌っているのは、最近日本を訪れた、オーストラリア代表監督のピム・ファーベークなのである(まあ、実際には歌を歌っていたわけではないけれど、オーストラリア代表の大柄のターゲット・マンの賛歌を唱えているようだったのは確かだ)。

ヨーロッパでプレーしている40名、さらにオーストラリア国内でプレーしている数名の選手が、ピム率いる、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のオーストラリア代表入りを目指しており、チームのあらゆるポジションで競争は苛烈なものとなっている――ただし、ピムによれば例外のポジョションが一つあるそうだが。

「第2のジョシュ・ケネディはいない」とピム監督は言う。「体調さえ整っていれば、ジョシュの代表入りは確実だね」。
次のW杯まであと9ヶ月ほどの期間が残されているなか、ケネディにとっては本当に心安らぐ発言である。ケネディ本人も、その高さと空中戦での強さで日本のディフェンダー陣に厳しい試練を与えており、彼の獲得がグランパスだけでなく、広くは日本サッカーにとって有意義であったことを立証している。

監督が個々の選手にこれほどの信任を置くことはあまりない。通常、監督の口から出るのは「どの選手にもポジョションは保証されていない」とか「過去の実績ではなく、現時点での実力によってポジションを決める」といったような平凡なフレーズがほとんどだが、ケネディの場合はそこまで信頼されている理由もよく分かる。
ケネディはグランパスの一員として毎週、毎週その実力を証明しており、彼がそこにいるだけで、相手ディフェンスは仕事がやりにくくなり、チームメートにはつけいるためのスペースが生まれるのである。

それをとりわけ得意としているのが、オーストラリア代表でのティム・ケーヒルで、ケネディをおとりにして完璧なタイミングで走り込み、狙い澄ましたようなヘディングシュートを決めるのである。だから、横浜でのワールドカップ予選の日本戦におけるピムのきわめて慎重な選手起用には、私はとてもびっくりしたのだ。ピムはケネディをベンチに温存し、4-3-2-1のクリスマス・ツリー型のフォーメーションのワントップに、エバートンで故障が続発したときにやむなくストライカーを務めていただけのケーヒルを起用したのである。

終盤にケネディが投入されてすぐに、日本のディフェンス陣はこれまでの85分間で経験しなかったような苦労を経験させられた。
あの夜は、ピムが日本に敬意を表しすぎたのだと私は今でも思っているが、この現実的なオランダ人監督なら、結果が出ればその過程は関係ないのだ、と答えることだろう。南アフリカを目指すその過程において、少なくともジョシュア・ケネディ本人は自分が来年の夏、南アフリカでプレーすることが分かったのである。

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