エンスヘーデの苦い思い出
土曜日のオランダ対日本の親善試合、プレーした選手たちもさまざまな場面で苦しみを感じたかもしれないが、ブルーのユニフォームを応援していた者にとってはずっと苦い気分の試合だった。オランダがこれほどひどいプレーをしたのはかなり久しぶりかもしれない。モチベーションが欠けていたし、ペースを上げなくてはならないという切迫感も見られなかった。
それでも日本は、長くボールを保持していたあいだに得点を奪うことができなかった。なぜ岡崎は、序盤にディフェンダーの頭越しの送られてきた俊輔からのパスをコントロールしようとしたのだろう? あんなにゴールに近かったのに、どうして直接打たなかったのだろう? なんと言ったって、彼にはディフェンダー越しに飛んでくるボールの軌道を読み、シュートを打てるポジョションに入るための時間は十分にあったのに。
前のパラグラフで、私はボールの「支配」ではなく、「保持」という言葉を使ったが、それは最初の1時間に日本はボールを持つ機会がたくさんあったが、けっして相手を支配していたわけではなかったからだ。相手陣地の奥深くで日本が危険に見えたことは一度でもあっただろうか? 決定的なチャンスを何回作れただろうか?
ゆっくり構えて、相手にしたいようにさせ、それから身体的な強さを持つディフェンダーが軽量の日本人アタッカーたちに1対1の勝負で勝つというのが、オランダの作戦のように見えた。
後半、オランダはギアをファーストからセカンドに上げ、最後の21分間に3つのゴールを奪った。こんなことは言いたくないのだが、日本は崩壊した。オランダが練習試合のようなプレーをしていただけに、懸念が残る。
ナイジェル・デヨングとウェスレイ・スナイダーのファウルについても一言書き記しておきたい。デヨングの俊輔に対するファウルは、左足を狙った、明らかに意図的なものであり、日本のプレーメーカーが「中足骨」の故障だけで免れたのはラッキーであった。イエローは出されなかった。デヨングにイエローが出されたのは、そのあと、長友へのファウルがあってからだ。
スナイダーについて言えば、ワールドカップやクラブ同士の試合であれば、長谷部を襲った両足タックルに対して即座に退場処分が下されていただろうが、親善試合であるためレフェリーが大目に見たのだった。オランダ代表のベルト・ファンマルバイク監督は、ハーフタイムに自チームの選手たちの暴力的な振る舞いをレフェリーに謝罪していたことだろう。
若き日本の読者たちに、皆さんが目にした「オラニエ」のスター軍団についての注釈を。1970年代の黄金期においても――クライフが率いた1974年のチームでも、1978年のクライフ抜きバージョンのチームでも――オランダはいつも身体的な強さを利用していた。オランダ代表を2度のワールドカップ決勝に導いた原動力はトータル・サッカーだけではなかったのである。だから、時折見られる骨を削るような厳しいプレーにもあまり驚かないように。
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コメント
オランダの監督は審判にその犯したファールを謝罪しただろうってどういうことかな。謝る相手が違うだろうと思うんですが。
で、無理して日本の良さを見付けて媚るような記事なら書かなくていい。叩けばいいんだよ、日本は甘いから。
投稿: | 2009年9月15日 (火) 17時40分
ガーナ戦についてもお願いします!
投稿: | 2009年9月11日 (金) 22時24分
今の日本はカウンターの戦術がない。
良い位置でボール取っても、あんなチンタラしてちゃあね。
投稿: | 2009年9月11日 (金) 16時53分