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アントラーズらしくない光景

2009/09/24(木)

2009年9月22日:土曜日、日産スタジアムの鹿島アントラーズには、何かが欠けていた。ただし、本山のいたずら心に満ちた創造的なプレーのことではない。
全体的には、肉体面よりも精神面が疲れているように見えた。まるで、3年連続リーグ制覇を達成するという緊張感とプレッシャーが、チームを蝕み始めているかのように。アントラーズという言葉からいつも連想される、妥協なきプロ意識と自信に満ちた態度が迷いと不安に変わり、マリノスに2-1とリードされる局面ではとても脆いチームのように見えた。

それでも、アントラーズの選手たちが試合後、自軍の少数のサポーターからブーイングや野次を浴びている姿は、私には驚きであった。その日の彼らのひたむきさ、あるいは依然として順位表のトップにいるという事実には疑いの余地がなかったからである。
他のJ1チームのなかで、この状況に満足するチームはいくつある? この質問は、もちろん言葉の遊びである。なぜなら、答えは17チーム、つまり残りすべてのチームだからだ。

何年も日本で過ごしてきたが、私が依然として予想できないのが、試合後、選手たちが挨拶に来たときのサポーターの反応である。ひどいパフォーマンスだったり、プレーにひたむさが欠けていたりした場合、私は選手たちが非難されると予想するが、拍手喝采で迎えられることがある。あるいは、アウェーのチームが負けたとき、ファン、とりわけ地元から遠征してきた、強い絆で結ばれたファンは誇りを失わず、チームへの忠誠を強く訴えるだろうと思っていると、さっと背中を向けてしまうこともあるのだ!

土曜日、選手たちがサポーターの前にやって来て頭を下げる試合後の恒例の儀式に、アントラーズの監督であるオズワルド・オリヴェイラが付き添っているのを見て、私はいつもと何かが違うと感じた。選手たちがコーナー脇の階段を降りロッカールームに向かおうとしているとき、選手への非難と怒声が渦巻いていたが、オズワルド監督が挨拶の場にまでやって来たのは、選手たちを守るためだった。

その後、通路に入り、あたりが静かになると、私は監督に、何が悪かったのか、彼の魔法の処方箋に何が欠けていたのかを尋ねた。オズワルド監督は、プレシャーを感じていた選手がいたこと、ピッチ上で強い自信を持ってプレーできなかったことを認めた。
「でも、そんなことはよくあることさ」と彼は言う。
「ゴールを決められないとき、チャンスをモノにできないとき、ミスをするとき、自分に自信を持てないときはあるけど、そういう状態が永遠に続くというわけでもない。状況を一変させることは可能だし、我々にはそれができるはずだ」。

後刻、レッズフロンターレを破ったのはアントラーズにとって願ってもない結果だった。つまり、Jリーグの“ウォーターゲート”事件――あるいはサッカー通としては“フラッド(洪水)ゲート”事件と呼びたい――とも言える例の試合の再開試合である、10月7日のフロンターレ戦を差し引いても、依然として勝点4の差を維持できるからだ。
勝点4差で首位に立ち、残り試合は8。3年連続リーグ制覇の夢が随分近くまでやって来た――今は非難をするときではなく、分け隔てなく団結すべきときなのである。

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投稿: | 2009年9月24日 (木) 15時48分

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