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2009年9月

狙った方向へ飛んで行く“3本の矢”

2009/09/28(月)

2009年9月25日:試合終了間際に同点ゴールを決め、ホームチームから勝点1をもぎ取れば、チームはある程度は満足する。普通はそう考えがちだ。しかし、ここ最近のサンフレッチェ広島は違う。先日の柏レイソル戦の1-1の引き分けは、彼らにとって勝点1を取ったというより勝点2を失ったと見なされている。これは、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の指揮下、この弱小チームが新たな野望を胸に驚異の躍進を遂げている証だろう。

事実、クロアチア出身のミハエル・ミキッチはJ1優勝を諦めていない。「勝点3を取れるチャンスだった。J1優勝への足掛かりだった」。「この試合に勝ててさえいれば、首位とのポイント差はわずか4になっていたんだよ」
サンフレッチェの流れるような3-4-2-1のフォーメーション、右サイドにバランスと一貫性をもたらしたミキッチの実に闘志あふれるコメントだ。

「今シーズンの俺たちはとても良い状態だ」彼は言う。「J2からJ1に昇格して、それが今優勝争いをしているんだ。夢のようだよ」「サンフレッチェは強豪チームじゃない。弱小チームだ。だが監督がこのチームにもたらしたもの、そして俺たちのプレーは今までの日本にはなかったものなんだ」。

レイソル戦、ボールの支配率で圧倒したものの、エリア付近では綺麗に決めようとし過ぎて結果を出せないという実にフラストレーションに包まれた午後、サンフレッチェはまるでアーセナルのようだった。ミキッチも、レイソル戦でのプレーは、いつもの彼らのプレーではなかったと認めた。
「16~20mの距離からのシュートチャンスがあれだけあったのに、パス、パス、パス。まるでアーセナルだったね。ゴールにボールをたたき込みたかった。ひょっとすると、16~20mの位置からももっとシュートを打たなくちゃいけないかもしれない。でもボスはパスで繋ぐ試合をしたいんだ」。

ミキッチは来日1年目のシーズンをめいっぱい楽しんでいる。そして、ヨーロッパの人たちが日本のサッカーはレベルが低いと思っているなら、それは大きな間違いだと言う。大きな違いがあるとすれば、それはサポーターだろうと考えている。ただし、そのことについてもミキッチは何の不満も持っていない。
「日本のサポーターは大人しいだけさ。彼らはいつだってサポートしてくれている。プレッシャーのきつさが、ヨーロッパのサポーターとちょっと違うだけさ」。「日本ではリーグの上位から中位に位置していれば問題はまったくない。ただ下位にいるとね……。もちろんサポーターは不満だろうけど、それほど大きなストレスではないのかな」。

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アントラーズらしくない光景

2009/09/24(木)

2009年9月22日:土曜日、日産スタジアムの鹿島アントラーズには、何かが欠けていた。ただし、本山のいたずら心に満ちた創造的なプレーのことではない。
全体的には、肉体面よりも精神面が疲れているように見えた。まるで、3年連続リーグ制覇を達成するという緊張感とプレッシャーが、チームを蝕み始めているかのように。アントラーズという言葉からいつも連想される、妥協なきプロ意識と自信に満ちた態度が迷いと不安に変わり、マリノスに2-1とリードされる局面ではとても脆いチームのように見えた。

それでも、アントラーズの選手たちが試合後、自軍の少数のサポーターからブーイングや野次を浴びている姿は、私には驚きであった。その日の彼らのひたむきさ、あるいは依然として順位表のトップにいるという事実には疑いの余地がなかったからである。
他のJ1チームのなかで、この状況に満足するチームはいくつある? この質問は、もちろん言葉の遊びである。なぜなら、答えは17チーム、つまり残りすべてのチームだからだ。

何年も日本で過ごしてきたが、私が依然として予想できないのが、試合後、選手たちが挨拶に来たときのサポーターの反応である。ひどいパフォーマンスだったり、プレーにひたむさが欠けていたりした場合、私は選手たちが非難されると予想するが、拍手喝采で迎えられることがある。あるいは、アウェーのチームが負けたとき、ファン、とりわけ地元から遠征してきた、強い絆で結ばれたファンは誇りを失わず、チームへの忠誠を強く訴えるだろうと思っていると、さっと背中を向けてしまうこともあるのだ!

土曜日、選手たちがサポーターの前にやって来て頭を下げる試合後の恒例の儀式に、アントラーズの監督であるオズワルド・オリヴェイラが付き添っているのを見て、私はいつもと何かが違うと感じた。選手たちがコーナー脇の階段を降りロッカールームに向かおうとしているとき、選手への非難と怒声が渦巻いていたが、オズワルド監督が挨拶の場にまでやって来たのは、選手たちを守るためだった。

その後、通路に入り、あたりが静かになると、私は監督に、何が悪かったのか、彼の魔法の処方箋に何が欠けていたのかを尋ねた。オズワルド監督は、プレシャーを感じていた選手がいたこと、ピッチ上で強い自信を持ってプレーできなかったことを認めた。
「でも、そんなことはよくあることさ」と彼は言う。
「ゴールを決められないとき、チャンスをモノにできないとき、ミスをするとき、自分に自信を持てないときはあるけど、そういう状態が永遠に続くというわけでもない。状況を一変させることは可能だし、我々にはそれができるはずだ」。

後刻、レッズフロンターレを破ったのはアントラーズにとって願ってもない結果だった。つまり、Jリーグの“ウォーターゲート”事件――あるいはサッカー通としては“フラッド(洪水)ゲート”事件と呼びたい――とも言える例の試合の再開試合である、10月7日のフロンターレ戦を差し引いても、依然として勝点4の差を維持できるからだ。
勝点4差で首位に立ち、残り試合は8。3年連続リーグ制覇の夢が随分近くまでやって来た――今は非難をするときではなく、分け隔てなく団結すべきときなのである。

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読売ヴェルディの思い出

2009/09/21(月)

2009年9月18日:クラブの終焉が近いのではないか――誰もがそう思ってしまうほど、東京ヴェルディの状況は悪化しているようだ。1969年のクラブ発足以来、日本サッカー界の発展期、転換期の中で彼らは大きな役割を果たしてきた。すべての伝統主義者のためにも、そうならないことを祈りたい。

ヴェルディは、私が見た初めての日本のチームだった。1991-92年アジアクラブ選手権で地元の人気チーム、南華と対戦するため香港にやってきたのだ。それまでにも私は香港で数々の試合を見ていたが、それらの試合はすべて、選手たちのミスをからかうのを楽しむような、ひねくれた観衆の前で行なわれる盛り上がりに欠けた試合ばかりだった。香港のサッカーファンは、どちらのチームも負ければ良いと考える、ある意味公平なファンなのだと私は思っていたものだった。

しかし香港にヴェルディ、当時の読売サッカークラブが来たとき、それまでの試合とはまったくの別物だった。湿った夜の空気のなか、コーズウェイベイから国立競技場までの歩道は興奮に包まれ、スタジアムに入ると場内は騒然としていた。ミスを嘲るのでなく、自国を応援するファンたち。試合は間違いなく“まっとう”なものだった。香港のファンが日本側のベンチに物を投げ続け、南華はアジアサッカー連盟から罰金を科せられたほどだ。

それから2年後、1993年10月に私はアジアクラブ選手権でヴェルディ川崎と国立競技場で対戦する香港のチーム、東方に同行した。旺角大球場(モンコクスタジアム)での第1戦を0-1で落としたヴェルディが、ビスマルクと藤吉のゴールで4-2(2戦合計4-3)と逆転したのだった。ヴェルディは日本代表の選手をみな欠いていたのだが、その夜の国立競技場には4万4,000もの観衆が訪れた。日本代表はそのとき、1994年ワールドカップ最終予選のためドーハに行っていたのだ。
そして日本の最終戦、対イラク戦当日の朝、私はヴェルディコーチのフランス・ファン・バルコム氏に読売ランド内のクラブハウスを案内してもらった。そこで見たものは、今まで見たこともないような、廊下に所狭しと積んである箱、箱、そして箱。それはカズ北澤武田、そしてラモスへのファンレターの山だった。

その夜、私は日本対イラク戦を見に行った六本木のバーで、東方の外国人選手にばったり遭遇した。そしてそこでもまた、これまで見たことのないようなシーンに出会ったのである。歓喜のお祭り騒ぎは次の瞬間に悲痛な叫びに変わり、そしてイラクの同点ゴールと共にバーは空っぽになった。
読売ランド、そしてドーハ……。色々なことがあった、3日間の日本滞在だった。ヴェルディは読売新聞のスポンサーシップを失い戦ってきた。そして今度は日本テレビの援助を受けることなく生き残っていかねばならない。何とか彼らが生き残ってくれることを祈ろう。残ったものは思い出だけ、なんてことにならないように。

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フクアリでの不快な光景

2009/09/17(木)

2009年9月15日:昨シーズン、ジェフユナイテッドのファンはミラクルを目のあたりにした。いや、ひょっとすれば、あれは「ミラークル」と呼んだほうが良いのかもしれない、千葉をJ1に残留させたアレックス・ミラーの功績にちなんで。
しかし今年、スコットランド人の監督が去って久しいが、フクダ電子アリーナの周囲にはどんよりとした空気が立ち込めている――ただし、煙を吐く煙突や鉄工所が周囲にあるからではない。

土曜日、アルビレックス新潟を相手にしたホームでの0-1の敗戦は、この上なく厳しい結果であり、ジェフが立ち直り、またも劇的な降格回避を達成するための時間は残り少なくなりつつある。ホームでの(再度の)敗戦だけでも辛いのに、フリーキックで相手のセンターフォワード(矢野)に空中戦で競り負けての失点、その後いくつかあった同点のチャンスでの失敗が、ホームのサポーターの落胆をより大きなものにした。

今回の戦犯は深井であった。ジェフの復活劇に大いに貢献した昨シーズンの彼であれば、いくつかあったチャンスの少なくとも一つはモノにしていただろう。とくに後半、得意の左足で強烈なシュートを打てる場面が生まれたのに、ボールをクリーンヒットできなかった。また、前半の半ば頃には、ペナルティエリア付近でアルビレックスのディフェンス陣のなかに割って入ったが、ボールの位置があまりよくなく、かなり苦手としている右足でシュートを打たなければならないハメになり、シュートはバーの上に浮いてしまった。
もっとも、ミスはピッチのあちこちで頻繁に見られた。ジェフは不注意なパスを送り、結果的に不必要なファウルをあまりにも多く犯したのだ。

試合の流れは、米倉が右サイドのコーナーフラッグ近くでフリーキックを得た、序盤早々にできてしまった。その時点でまだ4分しか経っておらず、私は深井がゴールに向かって切れ込むボールを蹴り、アルビレックスのディフェンスとキーパーにプレッシャーを与えるのだと思っていた。ボスナーがバックから上がってきて、得点に絡もうとしているのがはっきりと分かったからだ。しかし、深井は、ボールが途中で止まってしまうような、パス練習かと思うような弱いゴロをペナルティエリアの外側に向けて蹴った。そのため、遠くのエンドにいたジェフのキーパー櫛野のほうがセーブをするハメになったのだ!

それから、そう、ネット・バイアーノはどうしてしまったのだろう? その日の午後をフリーキックのアピールだけに費やした彼は61分に交代を告げられ、不満そうであった。彼は、交代させられた理由を尋ねるためにいやいやながらベンチに立ち寄ったあと、そのままコーナー付近にあるトンネル通用口に向かった。現在のような時期にこそ必要なチーム・スピリットのかけらも見られない行動だった。特筆すべきは、そのときに――チームのためなら頑丈なレンガの壁さえ突き破るという選手 ――が、起用されるのを待ちながら、ベンチでこの一部始終を見ていなければならなかったということである。

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ユトレヒトで日本代表が取り戻した誇り

2009/09/14(月)

2009年9月11日:水曜日のユトレヒトでの4-3の逆転勝利のおかげで、今回の遠征は万事めでたしで終えることができた。同じく2010年ワールドカップ進出を決めているチームを相手に4得点を挙げたことはもちろん、そしてそれ以上に、後半に日本代表がみせた姿勢は特筆すべきものがあった。

0-2とリードを奪われたときには、試合はもう決まったかに見えた。中村憲剛のスピンをかけたボールがガーナ・ディフェンス陣を破ってなんとか命綱をつないだかに思われたが、ガーナが再び3-1とリードを広げると、試合は完全にガーナのペース、まるで大人と子どもの試合のよう。2戦連続の惨敗になるかと思われた。しかし、日本代表はここから玉田岡崎、そして稲本のゴールで驚異の逆転劇を演じて見せた。

日本代表の何が素晴らしかったかと言うと、それは試合後半の彼らの不屈の精神力だ。ガーナにはキックオフ時から、まるで日本を格下に見下すかのような傲慢さがあった。そして中盤から後半にかけては派手なプレーを繰り返した。こうしたガーナの自信過剰と自惚れにつけ込んでのゴールラッシュ。日本代表が彼らに当然の報いを与えたのを見ることができ、胸がすく思いだった。オランダ戦のように、運命を黙って受け入れるのでなく、日本代表が敢然と困難に立ち向かえるということを証明できたのは、彼らにとって非常に良いことである。

この試合の立役者は、FC東京のレフトバック、長友だ。前半にはガーナの先制点を許すPKを与えてしまった。だが、左サイドでの長友の疲れ知らずのプレーが、ガーナの不用意な守備をついて玉田がファーコーナーからの左足のシュートを決めるきっかけになったし、稲本の逆転ゴールの起点となったのも、これまた長友の左サイドの突破だった。そしてこの間には、パーフェクトなタイミングでディフェンスの裏を取り、ヘッドで3-3の同点とした岡崎への左サイドから稲本のクロスがあった。

岡田武史監督としては、このようにミスが多くゴールを取って取られての4-3の勝利よりは、引き締まった内容での1-0での勝利を望むだろうが、監督は少なくとも、試合の決定機となり得る2度のゴールを代表がはねのける誇りと意志を確かに見たはずだ。とはいえ、最も重要なのは彼らがいかに混戦を制したかではなく、そもそもなぜこういう展開になってしまったかと言うことである。岡田監督には、次のテストまでに対処すべきことが山ほどある。

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エンスヘーデの苦い思い出

2009/09/10(木)

土曜日のオランダ対日本の親善試合、プレーした選手たちもさまざまな場面で苦しみを感じたかもしれないが、ブルーのユニフォームを応援していた者にとってはずっと苦い気分の試合だった。オランダがこれほどひどいプレーをしたのはかなり久しぶりかもしれない。モチベーションが欠けていたし、ペースを上げなくてはならないという切迫感も見られなかった。
それでも日本は、長くボールを保持していたあいだに得点を奪うことができなかった。なぜ岡崎は、序盤にディフェンダーの頭越しの送られてきた俊輔からのパスをコントロールしようとしたのだろう? あんなにゴールに近かったのに、どうして直接打たなかったのだろう? なんと言ったって、彼にはディフェンダー越しに飛んでくるボールの軌道を読み、シュートを打てるポジョションに入るための時間は十分にあったのに。

前のパラグラフで、私はボールの「支配」ではなく、「保持」という言葉を使ったが、それは最初の1時間に日本はボールを持つ機会がたくさんあったが、けっして相手を支配していたわけではなかったからだ。相手陣地の奥深くで日本が危険に見えたことは一度でもあっただろうか? 決定的なチャンスを何回作れただろうか?
ゆっくり構えて、相手にしたいようにさせ、それから身体的な強さを持つディフェンダーが軽量の日本人アタッカーたちに1対1の勝負で勝つというのが、オランダの作戦のように見えた。

後半、オランダはギアをファーストからセカンドに上げ、最後の21分間に3つのゴールを奪った。こんなことは言いたくないのだが、日本は崩壊した。オランダが練習試合のようなプレーをしていただけに、懸念が残る。
ナイジェル・デヨングとウェスレイ・スナイダーのファウルについても一言書き記しておきたい。デヨングの俊輔に対するファウルは、左足を狙った、明らかに意図的なものであり、日本のプレーメーカーが「中足骨」の故障だけで免れたのはラッキーであった。イエローは出されなかった。デヨングにイエローが出されたのは、そのあと、長友へのファウルがあってからだ。
スナイダーについて言えば、ワールドカップやクラブ同士の試合であれば、長谷部を襲った両足タックルに対して即座に退場処分が下されていただろうが、親善試合であるためレフェリーが大目に見たのだった。オランダ代表のベルト・ファンマルバイク監督は、ハーフタイムに自チームの選手たちの暴力的な振る舞いをレフェリーに謝罪していたことだろう。

若き日本の読者たちに、皆さんが目にした「オラニエ」のスター軍団についての注釈を。1970年代の黄金期においても――クライフが率いた1974年のチームでも、1978年のクライフ抜きバージョンのチームでも――オランダはいつも身体的な強さを利用していた。オランダ代表を2度のワールドカップ決勝に導いた原動力はトータル・サッカーだけではなかったのである。だから、時折見られる骨を削るような厳しいプレーにもあまり驚かないように。

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カップ戦の攻防

2009/09/07(月)

2009年9月5日:今年の川崎フロンターレは、間違いなく何らかのタイトルを獲るだろう。水曜夜に等々力で行なわれたナビスコカップ準決勝の第1戦、彼らは横浜F・マリノスを2-0で破り、決勝進出に向け好調のようだ。また、リーグ戦でも来週土曜日に鹿島に勝てば、アントラーズとの差が4ポイントとなり優勝争いが一段と白熱しそうである。そしてさらに、9月23日には東京・国立競技場で名古屋グランパスエイトを相手にAFCチャンピオンズリーグの準々決勝・第1戦を戦う。そして最後に、もしも誰も天皇杯を忘れていなければ、リーグシーズン終了から4週間後に決勝戦が行なわれる。すなわち、フロンターレは4つのタイトル争いをしているということになる。

水曜の等々力での試合は面白かった。とりわけ終盤の20分、マリノスが何とかアウェーゴールを挙げようと選手をどんどん前線につぎ込んでいったこと。途中出場の狩野健太は巧みなパスや正確なクロスでフロンターレ・ディフェンスを悩ませていたし、長身の金根煥(キム・クナン)は渡邉千真をサポートすべく積極的に前線に上がっていた。また、栗原勇蔵も自陣から上がりってフロンターレのエリア内でヘッドで競り勝っていたし、山瀬功治はスナイパーのようにエリア枠からゴールを狙っていった。
それでもこの夜、マリノスがゴールを挙げられなかったのには驚いた。

一方のフロンターレはというと、試合がまだ落ち着いていない前半15分の鄭大世(チョン・テセ)、そして彼らの優勢を誇示するような後半12分のジュニーニョのヘッドと、肝心なところでゴールを挙げることができた。フロンターレにとっては、攻めざるを得ない状況に追い込まれた相手にカウンターでゴールを狙うという状況は願ったり叶ったり。すなわち、日曜日の第2戦では、マリノスは前半にゴールを許さないよう警戒せねばならない。でなければ、彼らにとっては長い夜となることだろう。
なるべく高い位置でプレーさせ、早い時間に攻撃のリズムを作ってしまうこと。そして守りを固めジュニーニョを中心として相手攻撃陣の速攻を封じること。マリノスの木村浩吉監督は、この2点のバランスを考えた采配をしなくてはならない。これこそまさにカップ戦の攻防、リーグ戦との大きな違いである。

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オレンジとブルーの激突まであとすこし

2009/09/03(木)

2009年9月1日:伝説の「オラニエ(オランダ語でオレンジ色)」とサムライ・ブルーが対戦。試合開始は土曜日、オランダ時間の午後、日本時間の夜のゴールデンアワー。来年のワールドカップ南アフリカ大会への出場をすでに決めている2チームがエンスヘーデで戦うこの試合は、なんとも興味深い親善試合である。
今回の遠征は、岡田武史監督のチームが受けておく必要がある、アウェーでのテストのようなものであり、来週水曜にユトレヒトで戦うガーナ戦も相手が軽くなるというわけにはいかないだろう。ヨーロッパのエリート軍団と戦い、さらにパワフルで身体能力の優れたアフリカ勢と戦うこの連戦は、日本の実力が試される非常に厳しい試練の場となるのだ。

岡田監督は、ワールドカップまで残り10ヶ月となった時点におけるチームの長所と短所をしっかりと把握できるだろう。このようなことは、オーストラリアを除けば比較的レベルの劣るアジア勢が相手ではなかなかできないことである。
日本の中央のミッドフィルダーが、闘争心溢れるナイジェル・デヨングをどのように抑えるのだろう? 日本の中央のディフェンス陣が、機動的かつ積極的なディルク・カイトの動きにどのように対応するのだろう? 日本のフルバックが、ロビン・ファンペルシーアリエン・ロッベンをどのように封じ込めるのだろう?
このような攻撃のオプションに加えて、クラース・ヤン・フンテラールやウェスレイ・スナイダー、ラファエル・ファンデルファールト、あとから招集されたライアン・バベルといった怖い存在もいるし、それ以外にもオールスターのリストがずらずらと続いている。
良い知らせもある。オランダ代表監督のベルト・ファンマルバイクが先発に起用できるのは、もちろん、11人だけなのだ。もっとも、試合が進むとベンチから何人かの選手を送り込むことになるだろうが。

その日の午後に私がぜひとも見たいと思っている選手の一人は――内田篤人は見たくないだろうが――ハンブルガーSVの若きウィンガー、エルイェロ・エリアである。この22歳の左ウィングは古巣のFCトゥエンテに復帰する見込みで、ファンマルバイク監督に起用されたなら、かつてのホーム・グラウンドで印象に残るプレーをしたいと思っていることだろう。

フル代表レベルでこの両国が初めて対戦するこの歴史的な試合では、オランダ代表の有名なオレンジ色のユニフォームが、ラグビーのニュージーランド・オールブラックスが対戦チームに与えるような、心理的なインパクトを日本チームに与えるかどうかが興味深い。

経験豊富な主戦キーパー・楢崎正剛を欠いてはいるが、日本代表が自信、安定性、秩序のあるプレーを見せ、不注意や緊張によるミスでゴールまたはPKをオランダにプレゼントしなければ、結果は予想とは異なったものになるかもしれない。
もっとも、日本代表は一人ひとりがしっかりとしたプレーをしなければならないし、ホームチームにおじけづいてはならない。日本にとっては、技術的なスキルではなく、その意思の強さや集中力が試される試合であり、日本でテレビ観戦をするファンにとってはキックオフが待ちきれない試合である。

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