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2009年6月

アントラーズ、ACL制覇の夢は持ち越し

2009/06/29(月)

2009年6月26日:水曜の茨城は長い一夜となった。そして、AFCアジアチャンピオンズリーグ制覇を目指す鹿島アントラーズにとって忍耐の1年が始まる。新たなタイトル、さらには12月にUAEで開催されるFIFAクラブワールドカップの出場権、何としても取りたいタイトルだった。

しかし、10時まであと10分というところで、彼らのチャレンジはベスト16でついえた。14人目のキッカー、FCソウルの朴容昊が曽ケ端を破り、PK合戦を5-4で制して2-2のドロー、120分の戦いに幕を下ろした。アントラーズは小笠原満男を退場で失い、残り55分を10人で戦い続けた。
Jリーグの王者が消え、そしてガンバ大阪も消えた。アブダビでの鹿島アントラーズ対バルセロナ戦は、夢と消えた。少なくとも今年は。

「これは我々の夢でした」。鹿島のオズワルド・オリヴェイラ監督は物憂げにそう言った。「来年まで延期です。まあ、あと1年夢が見られるということです」。
快活に会話を終わらせるのは、いかにもオズワルドらしい。今シーズンの残りもまだ長いというのに、彼はすでに来シーズンを楽しみにしているのだ。そして、彼らにとってJリーグ3連覇が最大の目標となった。

PK戦の前、アントラーズベンチ前で輪になった選手たちへの熱狂的なスピーチの内容を、どうしても私はオズワルドに聞きたかった。ホームチームのゴールの後ろに、8,069人の観客のうち7,000人は集まったのではないかというアントラーズ・ファンの歓声をおさえて、オズワルドの檄はメインスタンドの上まで聞こえていたのではないかとさえ思った。
「選手たちはプレッシャーを感じていたし、彼らを奮い立たせなくてはならなかった。特にこうした経験のない選手はね」彼はそう答えた。
小笠原は退場してしまっていたし、本山と野沢は疲れて交代させてしまっていた。頼れる3人が、鹿島のリストから消えていたのだ。途中出場の中田と増田は、最初の2本をFCソウルのキーパーに防がれ決めることができなかった。サドンデスに入って内田のPKはバーを大きく越え、朴に決勝ゴールを決められてしまった。

「彼らを慰めなくてはならなかった」。オズワルドはその3人について語った。「こんなことは、いろんな場所、いろんなチーム、そして偉大な選手にもよく起こる。我々は次の目標に向かって団結しなければならない」。
アントラーズにとって、今年の夢はついえたかもしれない。しかしまだ川崎フロンターレと名古屋グランパスが残っており、月曜日には準々決勝の抽選が行なわれるのだ。

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結果的に正解だった俊輔の移籍

2009/06/25(木)

2009年6月23日:熱烈な横浜F・マリノス・サポーターではない人にとっても、中村俊輔エスパニョール移籍はちょっと残念な気分だろう。
ずっと以前から、セルティックとの契約が6月30日に切れたあと、彼がマリノスに移籍するのはもう本決まりだと思われていた。しかし、エスパニョールが興味を持っていると報じられるようになると、競合の色合いが強まり、選手が最終的に夢であったスペインへの移住を決断したのである。彼にとって、最後のチャンスでもあった。6月24日の水曜日に31歳――つまり、こうした移籍の機会も徐々に少なくなる段階――になるのだから。

そして、俊輔はスペインに旅立つ。日本のファンからの祝福と、おなじみの緑と白のボーダー柄のユニフォームを着て、4シーズンにわたる成功をもたらしたセルティックからの感謝を受けて。
このような機会を得られるのは、俊輔にとってこの上ないことである。とくに、エスパニョールはこの夏に新しいスタジアムに移る予定であるし、彼の加入によって、バルセロナという同じ地の高名なクラブの影に隠れてきたこのクラブの注目度が高まるのは間違いない。
スペイン・カップで4度優勝の実績を誇る、このクラブの昨シーズンの最終成績は20チーム中の10位だったが、降格圏との勝点差は5にすぎず、俊輔がエスパニョールの中盤で確固たる地位を築けるかどうかが大きな意味を持つ。

彼にとっては、セルティックのレベルが理想的であった。中盤でサポート役を引き受けてくれる頼りになる選手たちがいたし、すでにチームを去った監督のゴードン・ストラカンが彼のもっとも良い面を引き出してくれた。
エスパニョールでは、より厳しい洗礼を受けることになり、毎週戦う相手のレベルも格段に高くなるので、俊輔がスペインで成功するためには、スコットランドとレッジーナで学んだことをすべて出さなければならない。スコットランドのときのようにゆっくりとボールを持ったり、ためを作るために何回もボールタッチをしたりする余裕はないだろうが、スコットランドイタリアでの経験は、身体的により強い相手に対する準備をするのに役立ち、ボールを防護するようにキープする方法や体を使ってディフェンダーを寄せ付けないようにするプレーとして活かされるだろう。
もっとも、どこででも通用する彼のセールスポイントは、スペースが与えられたとき、そしてセットプレーでの危険な左足である。そのため、俊輔はチームが攻撃する際にしっかりと絡み、ニュースやチームのメンバー表の写真を常に飾れるようなプレーをすべきである。

個人的には、私はこの選手がスペインでプレーするチャンスを得られて良かったと思っている。キャリアのこのような段階でセルティックからJリーグに戻っていれば、私は非常に失望していただろう。彼は少なくともあと1シーズンはヨーロッパでプレーできるはずだったし、そうすることが2010年のワールドカップ・南アフリカ大会に備えた代表チーム強化のためにも不可欠であったのだ。
いま、俊輔は33歳になる2011年までの2年間、ブルーと白のエスパニョールのユニフォームを着る契約を交わした。日本で選手生活の最後を飾るのは、そのあとでもいいのである。

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ライバル争いから1歩抜きんでた豪州

2009/06/22(月)

2009年6月20日:しばし、サッカーからテニスへ眼を転じてみよう。ある時、アンディ・ロディックがロジャー・フェデラーに敗れ、TVのレポーターからフェデラーとのライバル関係について尋ねられた時、上手いことを言っていた。
「ライバルだって?」ロディックは困惑しながらも答えた。
「片方がいつも勝っているのに、それをライバルとは呼ばないんじゃないかな?」

水曜夜、MCG(メルボルン・クリケット・グラウンド=Melbourne Cricket Ground)でのオーストラリア対日本の試合を振り返ってみると、このロディックの言葉はここにも当てはまるかもしれないと、私はふと思った。
もちろんオーストラリア人はそう思っているだろうし、この有名なクリケット競技場に掲げられた“ニッポン・永久に我らの影に”の横断幕でそれを日本人に思い知らせた。

いざフタを開けてみれば、神出鬼没のティム・ケーヒルが2ゴールを挙げ、チームを逆転勝利に導くという、2006年夏のワールドカップ、カイザースラウテルンでのシーンの再現のような結末だった。その翌年、アジアカップの準々決勝で1-1と引き分けた後、PK戦で日本はオーストラリアを破ったとはいえ、南アフリカワールドカップの予選では、オーストラリアは2試合で勝点4を挙げ5ポイント差でグループ単独首位。8試合を終え、この差は非常に大きい。その2試合、オーストラリアは特に出来が良かった訳ではないが、現時点ではオーストラリアが日本とのライバル争いでは1歩前を進んでいるといえる。

横浜での0-0のドローでは、日本を恐れるあまり、ピム・ファーベーク監督は4-3-2-1のクリスマスツリー・フォーメーションを採用し、ケーヒルをワントップで前線に残して、自陣深いところでショートパスを多用するという危なっかしい戦い方をした。メルボルンでは長身のケネディが投入され、セットプレーで日本のDF陣を引き付け、ケーヒルをうまく機能させることができた。しかし、オーストラリア、特にカリナは90分のうち無気力でやる気の無さが目立つ時間が長かった。
彼らがやる気になったのは後半のうち25分だけ。それでもゴールを挙げ、試合に勝つのに十分だった。

中澤が不在のなか、闘莉王は勇敢に戦った。そして前半40分、中村憲剛の左サイドからのCKをケーヒルを抑えてヘッドでゴールを決めた。後半に入り、オーストラリアもようやくエンジンがかかり、闘莉王と並んで日本のDF中央でプレーしていた阿部はケーヒルを抑えられなくなっていた。グレラのペナルティエリア深くへのフリーキックでは、ケーヒルにケネディをマークしていた闘莉王の後ろへうまく抜けられ、ゴールを許してしまった。さらにカールの右サイドからのCKでもケーヒルに出し抜かれてしまった。

ケネディには、何としてもグランパスでプレーしてもらいた。194cmの長身の彼と毎週のようにプレーできるのは日本DF陣にとって良い練習になるはずだ。

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ダービー・デイの明暗

2009/06/18(木)

2009年6月16日:土曜日の埼玉ダービーのことを書きたいのだが、何から書き始めればいいのやら。6-2という結果となったこの試合には、レッズにとって明るい話題、アルディージャにとって暗い話題が非常に多くあったのだ。

レッズについては、試合前の段階で感じ入ることがあった。メンバー表の18人のうち少なくとも8人が、クラブのユースチームから直接昇格してきた選手たちだったのだ(先発4人、ベンチに4人)。先発の常連のうち、代表チームに招集されている都築、闘莉王、阿部と、故障者リストに入っているポンテと田中達也が欠けていた。そして、レッズはいつも厳しい戦いになるダービー・マッチに大差で勝利し、ドイツ人監督のフォルカー・フィンケはチームの進歩に満足感を抱いた。

6ゴールのなかには、とても鮮やかなものもいくつかあったが、私のお気に入りは5-1とした原口のシュートだ。最近の原口は、同じ十代の同僚・山田直輝の急成長によって影が薄くなっていたが、この試合では美しいシュートを決め、その潜在能力を証明した。ディフェンダーをかわしてから右足で放った、カーブのかかったシュートは、飛び出したキーパーの指先をかすめ、ゴールラインにいたディフェンダーの頭上を通過してゴール上隅に突き刺さった。
原口は凝りすぎることがよくあり、すでにスペースができているのにボールタッチを増やしてしまう傾向があるが、今回は言うことなしで、華麗な足技によってシュートの角度を作り、それから鮮やかなフィニッシュ。迅速かつ冷静だった。

エジミウソンと高原がサイドの2人の若者と上手く連係し、細貝と鈴木が中盤の底をしっかりと固めていたので、大宮には赤い軍団の侵入を阻む術はなかった。しかも、10人となってはなおさらである。
細貝のファーサイドへのクロスを追いかけるとき、なぜ藤本が高原の背中を押さなければならなかったのかが、私には理解できなかった。背中を押していたことはメインスタンドの中段からでもはっきりわかったし、タカ(高原)がボールに追いつくとはとうてい思えなかったのに。藤本は2枚目のイエローカードで退場処分となり、エジミウソンがPKを決めて2-0。しかも、アルディージャは10人なのだから、この時点でゲーム・オーバーである。

大宮は、クロアチア人センターバックのマト・ネレティアクがリーグ戦に備えナビスコカップは不出場。レッズのまずい守備のおかげで2点を奪ったのがせめてもの慰めで、苦境に耐え、苦境から脱出しようという意欲は試合途中で萎えていた。もちろん、38分に先制点を決められるまではよくやっていたように見えたし、山田直輝のゴールは明らかにオフサイドであるように見えたが、それも後半の瓦解の言い訳にはならない。
ナビスコカップの最初の3試合では勝点7を獲得し、失点はわずかに1だった大宮は、広島で0-7、ホームでマリノス相手に1-3、さらに今回レッズに2-6と3連敗し、以降の3試合で16点を献上するはめとなってしまった。
埼玉ダービー? どちらかというと、ぶち壊しダービーだったかな。大宮には、リーグ戦再開に向けての課題が山積となった。

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日本代表は、MCGに向けてもう一度焦点をはっきりさせるべき

2009/06/15(月)

2009年6月12日:カタール戦の1-1の引き分けは、ある程度想定内の出来事だった。チームはすでにワールドカップ出場を決めており、全てを賭けて出場権を狙う対戦相手と戦うモチベーションを上げるのに苦労していた。

それにしてもお粗末な試合だった。日本代表はある瞬間には無頓着、そしてリラックスしているように見え、またある瞬間には疲れきって前に進めない、そんなように見えた。仮に日本代表が水曜日、かの有名なメルボルン・クリケット・グラウンド(Melbourne Cricket Ground=MCG)でのオーストラリア戦に同じようなプレーで臨むとしたら、こっぴどくひっぱたかれることになるだろう。もちろん、オーストラリアがモチベーションを保ち、日本を警戒しすぎて逆にやられかねなかった横浜でのスコアレスドローでは見せなかった積極性を見せることができれば、だが。

岡田監督と大木コーチが、カタール戦でなぜ俊輔を後半81分まで使い続けたのか、私には理解できない。俊輔は明らかに疲れきっていたし、傷ついてもいた。それでも、本来なら夏季休暇に入っているにもかかわらずプレーを続けた。
キャプテンの中澤も良くなかった。だが、プレッシャーのかからない日本にとってそれほど重要な試合ではなかったのが救いだった。また、岡崎はゴールを挙げることよりフリーキックをもらうことに一生懸命になっていた。残念ながら、日本代表の悪い癖が出た試合だったと言えるだろう。

しかし、私が最もがっかりしたのは阿部だ。遠藤と長谷部が欠場で、せっかくチャンスが回ってきたというのに…。日本を悩ませ続けた、疑問の残るファウルもあったとはいえ、それにしても、阿部は相手をかわそうとして不用意にボールを奪われたり、強敵相手だったら手痛いメにあっていたであろうミスが多すぎた。阿部はこの程度の選手ではない。ディフェンス面でミスを補おうと努力はしていたが、ミスの代償は大きく、後半58分にベンチに下げられた。
この試合の日本のベストプレーヤーは橋本だろう。きちんと自分の役目を果たすべく、忙しく動き回った彼のプレーは、他のチームメートを見劣りさせるものであった。

オウンゴールだったとはいえ、試合開始早々に得点を挙げたことにより日本はこれは楽勝だとばかりに散漫なプレーになってしまった。このような試合は見ていて面白くもないし、彼らは自分たちが世界でどの程度のレベルにいて、どこを目指そうとしているのか、それを常に忘れないようにするべきである。
ワールドカップ本戦を前に自分自身を取り戻すためにも、ひょっとすると日本代表にとってオーストラリアでの敗戦は必要なのかもしれない。このさき、彼らの前には困難な挑戦が待ち受けているのだ。

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ベスト4の話はあと回しで

2009/06/11(木)

2009年6月8日:南アフリカのワールドカップ(W杯)でベスト4を狙うって? 現時点では、私にはそんなことに思いを馳せるつもりはない(それに、岡田武史にはもうこの話はやめて欲しいと思っている)。何と言っても、1次グループの顔ぶれも分かっていないし、それが分かるのはもう6ヶ月ほどあとなのだから。
実は、私が思いを馳せているのは岡田監督が最初にその職に就いたとき、つまり、やむなく引き受けた仕事を見事に成し遂げた1997年当時のことだ。

UAEと1-1で引き分けたあとの、国立競技場の暴動騒ぎを覚えておられるだろうか?
ファンが怒り狂い、国立競技場の正門の外側でイスや様々な物を投げつけていたのは、98年フランス大会の予選突破が危うい状況となり、W杯出場経験のないまま2002年大会を共催するようになってしまうかもしれないという不安が、現実のものとなりつつあったからだ。
そうなっていたら、どれだけ嫌な気分になり、日本サッカー全体にどれだけのダメージがあっただろうか? その後に、ソウルでの予期せぬ勝利があり、ホームではカザフスタンを圧倒した。それからもちろん、ジョホールバルでの魔法の一夜があり、中田英寿がリーダーとなった日本がプレーオフでイランを3-2で破り、最終的にアジアの3つめのW杯出場枠を獲得したのである。

いま、岡田監督が2度目の指揮を執る日本代表は、2試合を残して予選突破を果たした。当分の間は、ベスト4の話は抜きにして、お祝い気分でいればいいのだ。
この時点での予選突破というのは、日本がアジアで存在感を高めてきたという証明である。そうなった主な要因はJリーグの強化にあり、敗戦後の相手監督は例外なくこの事実を強調しているのだ。

先日、日立柏サッカー場でフローデ・ヨンセンとおしゃべりをした。ナビスコカップの予選リーグでエスパルスがレイソルを破った試合の後であったが、ヨンセンが言うには、エスパルスには良い選手がたくさんいて、J1で戦えるチームを2つ作れるほどだそうだ。
クラブレベルでさえ、選手層にこれだけの厚みがあるのだから、代表チームには絶えず選手が供給される環境が整っており、岡田監督はそれをもとにチームの基礎を作り、それからヨーロッパでプレーしているタレントを組み入れて、経験を加味し、メンタル面と身体面を強化すればいいのである。

今回の予選は楽だった。正直言って、2つのグループの弱いほうの組に振り分けられ、具体的な国名を挙げれば韓国やイラン、サウジアラビアがいないので助かった。
1997年の最終予選で日本が戦ったのは韓国、UAE、ウズベキスタン、カザフスタンで、フランスへの出場権を自動的に獲得できるのは1位のチームだけであった。日本はこのとき2位となり、イランとプレーオフで対戦しなければならなかったが、現在ではアジアは自動的に本大会に出場できる4枠とオセアニアとプレーオフを戦う0.5枠を持つという恵まれた立場となっている。1997年に比べて予選突破が簡単になったのは確かだが、当時はオーストラリアがAFCの加盟国でなかったということも忘れてはならない。この違いは大きいし、西アジアの多くの国がオーストラリアのオセアニア復帰を熱望する理由もそこにある。

南アフリカでの日本の成算を語るのはあとでもいいだろう。ただし、2試合を残して予選突破を果たし、1年の準備期間があるという事実は過小評価すべきではない。アジアの2大強国であるサウジアラビアイランは、自分たちと代わって欲しいと思っていることだろう!

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日本の大黒柱

2009/06/08(月)

2009年6月5日:現在の日本代表の大黒柱って、一体誰なんだろう? その問いに、多くの人々は、セットプレーの達人であり、多くのビッグゲームを経験してきた中村俊輔だと答えるだろう。あるいはひょっとすると、週末に赤色を身に纏う人々は、天性のリーダーシップとファイティングスピリットの持ち主、そして全般的な技術力の高さから闘莉王を選ぶかもしれない。

それじゃあ、私は誰を選ぶのかって? ここ最近の試合を見ていると、これはもうダントツで中澤佑二だろう。的確なポジショニング、そして闘莉王と違いケガにも強い。頼り甲斐があり、精神的支柱でもある。要するに、主将として大きく成長した中澤は、彼のよく知る岡田武史監督の右腕としてうってつけということだ。
実際、土曜日のタシケントで中澤が決勝ゴールを決め、2試合を残して日本代表が南アフリカ行きのチケットを手にしたとしても私はまったく驚かない。俊輔のコーナーキックから、はたまた遠藤のフリーキックからチームを勝利に導く中澤の正確なヘディングが相手ゴールのネットを揺らす…。

今年1月にバーレーンで行なわれたアジアカップ予選、右サイドからの深いフリーキック後の内田のまずい守備により0-1で敗れた試合。その日の中澤は別格だった。彼は誇りあるプレーとチームメイトを遥かにしのぐ決断力で日本代表を重苦しい敗戦から守ったのだった。
土曜日のウズベキスタン戦にも、中澤は同じような気持ちで試合に臨むだろう。ただ、今回は、キリンカップでの2戦連続4-0の快勝で活気づいている他の選手からのサポートを十分に受けられるはずだ。主要選手をクラブから招集できず、完全な状態のチームを送れなかったチリとベルギーのお家事情もあったとはいえ、日本は目の前の相手を叩くだけ。対戦相手のことより自分自身について多く学ぶだけである。

他の選手からのサポートとして一つ例をあげると、それは岡崎だろう。キリンカップの2試合で3ゴールを挙げた彼が、3人の攻撃的MFの前でワントップとして先発するハズ。これらのゴールが彼に大きな自信を与え、日本代表がキリンカップ同様ポジティブな態度と積極性を見せてくれることを願っている。キリンカップは、日本代表にとって大きな大きな2試合だったのだ。

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頭一つ抜きん出た岩下

2009/06/04(木)

2009年5月31日:昨シーズンが終わり、高木和道ガンバ大阪への移籍が決まったとき、清水エスパルスの監督・長谷川健太にとって、その代わりの選手を探すのはそれほど困難というわけではなかった。代わりはすでにいたからだ。その選手の名は、岩下敬輔

土曜日の日立柏サッカー場、岩下はディフェンスの中央で素晴らしい仕事をし、ナビスコカップのグループBでエスパルスが柏レイソルを2-1で破った。
その日のエスパルスは、23歳以下の選手を対象としたニューヒーロー賞への投票をメディアから集めそうな選手が3、4人いたが、私の投票をしっかりと獲得したのは、統率力と闘争力を発揮していた岩下であった。

昨季、ディフェンス中央には高木と青山直晃という長身と才能に恵まれたコンビが居座っていたため、やむなく左バックを務めていた彼の姿を私は覚えている。しかし、高木が冬にアジアのチャンピオン・チームに移籍したため、岩下には4バックの中央の位置を獲得するチャンスが与えられ、彼は両手でそのチャンスをしっかりと掴みとった。いや、両足と頭も使ったかもしれない。というのも、兵働のコーナーキックに合わせて高々と舞い上がった彼のファーポストからのヘディングシュートは、その跳躍力と力強さでレイソルのディフェンスとファンを一様に驚かせたのである。

まるで優れたセンターハーフのように、彼は空中戦に果敢に挑み、常に集中してプレーするため、相手のストライカーを決して楽にさせたり、安心させたりもしない。岩下と青山の空中戦での果敢さを見ていると、2人はどちらが高くジャンプでき、どちらが遠くにボールをクリアできるかを2人だけで競い合っているのかと思えるときもある。
2人ともまだ22歳だから、これから6年かそれ以上の間、コンビが続く可能性が高い。これはエスパルスにとってはとても良いことで、クラブには長期契約で2人をチームに繋ぎ止めるようにしっかりとアドバイスしたいところである。また、より大きな、お金のあるクラブに略奪された場合に備えて、もしまだであるのなら、巨額の移籍金だけでも得られるように準備しておくべきである。

試合後、私はエスパルスのノルウェー人ストライカーのフローデ・ヨンセンと話をしたが、この大柄の男は岩下を絶賛した。
「彼は、エスパルスにとってとても重要な選手だ」とヨンセン。「偉大なサッカー選手であり、練習でも、試合でも、つねに全力でとり組んでいる」。
自分がグランパスのフォワードでプレーしていたとき、正直言って岩下のことはあまり印象に残っていなかった、とヨンセンが言うほど、高木が移籍する前の岩下はエスパルスでは地味な存在だった。
「左バックでプレーしていたときがあったと思うけど、彼は強くて、速くて、テクニックもある。それにゲームが読めるんだ。それが大事だよね」。

青山、それから注目の存在である中盤の中央の山本真希もニューヒーロー賞の候補だったが、この日は岩下が他の候補より頭一つ抜きん出ているように見えた――ちょうど彼がレイソルの攻撃陣と空中戦を競っているときのように。

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“VVV” 活力(Vitality)、活気(Vibrancy)、勝利(Victory)

2009/06/01(月)

2009年5月29日:水曜夜に大阪で行なわれた日本対チリ戦、日本代表のプレーは素晴らしいものだった。将来に希望が持てるような活力溢れる戦いぶり、そしてチリに反撃の隙を与えないほどの活気。これらが4-0での快勝に繋がった試合だった。活力(Vitality)活気(Vibrancy)勝利(Victory)。この3つの“V”が、現在、本田圭佑が在籍しているVVVフェンロの“VVV”を表しているといっても良い。

岡田武史監督の4-2-3-1のフォーメーションで、右の攻撃的MFとして中村俊輔の代わりを務めた本田の、守備に対するエネルギーと意欲、そしてシュートはズバ抜けていた。公式記録によると、彼のシュートは、冷静に左足で決めた試合終了間際のシュートを含めて計7本。これは、シュートチャンスに打つことを躊躇することの多い日本人選手をいつも見ている私たちにとって嬉しい数字だ。

前半20分、岡崎の1点目のゴールが良い例だろう。エスパルスの活気溢れるストライカー、岡崎がボールをうまくコントロールし、相手ゴールに背を向けDFをうまくあしらい本田へフィード。距離はあったが、本田の頭の中には、強力な左足でシュートを放つということしかなかった。チリのキャプテンでGKのミゲル・ピントがボールをはじいたところに岡崎が詰め、ボールを押し込んだ。
そして中澤佑二の“トータル・フットボール”さながらのプレー。長身のセンターハーフが右ウィングへオーバーラップし絶妙なフットワークを見せ、チリのDFの後方へ、岡崎への素晴らしいスルーパス。この日2本目の素晴らしいシュートで、スコアは2-0となった。岡崎は代表で2回目のダブル、2得点である――彼の最初のダブルは対フィンランド、5-1と圧勝した試合だったが、その甲斐なく、次戦のオーストラリアとのワールドカップ予選では代表から外された。

岡崎は左の攻撃的MFで、中村憲剛は中央でスタート。岡田監督から、スティーブン・ジェラードを意識してプレーするようにとアドバイスされていた中村だが、ワントップのストライカー玉田と、前半39分に彼がベンチに下がる前に既にポジションを交代していた。
大したことのない当たりでピッチに倒れベンチからの指示あるいは治療を待っている玉田には、正直言ってうんざりした。試合中に何度か見せた岡田監督の冷たい態度から考えると、おそらく彼もそうなのだろう。泣き言をいわず、やるべきことをやる玉田を岡田監督は見たいはずだ。
岡崎がここまで素晴らしいプレーを見せている今、岡田監督にとってフォーメーションのワントップを変更する時が来たかもしれない。

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