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2009年5月

クラシックな“クラシコ”

2009/05/28(木)

2009年5月26日:土曜日の午後、味の素スタジアムでの“多摩川クラシコ”は、その名に恥じない内容だった。このイベントは、東京スカパラダイスオーケストラによる「You'll never walk alone」のノリの良い演奏で始まり、川崎フロンターレが勝点3を獲得、さらにはFC東京の城福監督が怒り狂ったりと盛り沢山。

“JFK”こと城福監督は審判団に対してカンカンに怒っており、勝敗に関わる二つの重大なジャッジのせいでチームが2-3で敗北したと感じていた。
重要なジャッジの一つ目は、ブルーノ・クアドロス鄭大世(チョン・テセ)のシャツを引っ張ったときのもので、反則があったのはペナルティエリアの内側ではなく外側だったのだから、レフェリーはPKではなくフリーキックを与えるべきだった、というのが城福監督の主張だ。二つ目は、フロンターレが2-2の同点に追いつくきっかけとなったフリーキックが不当であるというもの。

二点目については、私も“JFK”に同意である。梶山のタックルは問題がないように見えた。では、一つめのジャッジについてはどうだろう?
残念ながら、あれはPKが与えられてしかるべきだった。プレーはペナルティエリアの内側に入るまで継続していたし、ゴールを決められる機会をチョン・テセから奪った反則だからだ。レフェリーの扇谷健司にとっては、何のためらいもなくレッドカードを出せる、めったにない状況であり、そのためレッドカードが妥当であるかどうかについては誰も議論しようとはしなかった。

内側だったのか、外側だったのか? それが問題だった。私にはどちらでもあるように見えた。それゆえ、あのような見え透いた反則を犯したあとに、東京がフリーキックという罰則で逃げおおせるのは無理というものである。
ブルーノ・クアドロスはどのように弁明すればいいのだろう? 「レフェリー、俺はタイミングを完璧に見計らってシャツを引っ張ったんだよ、ちょうどボックスのすぐ外になるようにな。どうしてそれがPKになるんだよ? みんな、騙されているんだよ!」
私にはそんな弁明が通用するとは思えない。

ジュニーニョがPKを決めてからは、ゲーム全体の様相がガラリと変わった。東京にしてみれば、11人対11人で2-0とリードしていた状況が、10人対11人となり2-1と一変したのである。
フロンターレが相手の場合こちらが11人でも大変だというのに、相手が怒り、貪欲に攻めてきているところを10人で持ちこたえるのは、ほとんど不可能である。たとえ、2-1でリードしていても。

それから、二つ目の出来事があった。梶山のプレーが反則だとジャッジされたのである。正当なタックルだと私には思えたけれど。
東京の選手たちは犯罪現場周辺で会議を開くつもりでいたようだが、フロンターレがすぐにフリーキックを蹴り、谷口の鮮やかなシュートでボールがゴール上方のネットを揺らし、スコアは2-2。
白いシャツの軍団がすごい勢いで前線に殺到し、レナチーニョが持ち前の機敏さと読みの鋭さを発揮して、ファーポストに決勝点のゴール。もはや避けられないと思われていたことが現実となった。

東京スカパラダイスオーケストラの演奏も、今野の見事な先制ゴールも(あのシュートは、コーナーキックで今野本人がヘディングしたボールがバーを直撃し、その跳ね返りを彼自身が改めて蹴り込んだものだったが、あのヘディングはシュートチャンスを生み出すための、自分へのアシストだったのだろうか?)、それから走りこんできた石川の低い弾道の豪快なシュートも、ホームチームのファンにとっては遠い、遠い過去の思い出となってしまった。
その思いは、城福監督とて同じであろう。

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チャンスが巡ってきた山田直輝

2009/05/25(月)

2009年5月23日:木曜日の午後、岡田武史監督が発表した日本代表メンバーは、多くの人の意表を突くものだった。JFAハウスでの記者会見、キリンカップとワールドカップ予選の代表メンバー選出については、初招集などのサプライズへの期待は薄かった。だから、10名のMFの最後に山田直輝の名前が発表された瞬間、集まった多くの記者がざわめいた。

これはサプライズ、しかも嬉しいサプライズで、岡田監督の思い切った選手起用である。1998年の小野伸二の代表選出のときもそうだが、彼は何か光るものをプレーヤーに見つけたときは、たとえ未経験のプレーヤーであろうがチャンスを与えることをためらわない。
今回の山田もそうだ。166cm、64kgの体躯に、活力と創意あふれる若干18歳。今シーズン、レッズでめきめきと頭角を現し、中盤から前線へと突破し、ストライカーのエジミウソンと絶妙なコンビを組んで注目を浴びている。岡田監督がこのまま4-2-3-1のフォーメーションを使うのなら、山田のポジションはそうした相手ペナルティエリアへの中央突破を活かせる攻撃的MFの中央となるだろう。キリンカップでは、プレッシャーを受けることなく岡田監督は彼をテストできる。

山田の初選出は、話題性、メディアの注目度、ともに大きく、代表チームに対する報道も増え、Jリーグに対する波及効果も大きいので日本サッカー協会(JFA)としても大満足しているだろう。山田の何が良いかって、私は彼がジュニアユース、ユース、そしてトップチームと、レッズで一歩一歩、階段を上がってきたところが好きだ。全国高校サッカー等で“スター”として過度の注目を浴び、いきなりプロの世界へ放り込まれたのではない。

山田は、今回の3名の代表チーム初招集うちの一人である(ガンバの山口は2006年に一度選出されているので、実際は、初選出は二名)。他の二人はガンバのセンターバック山口と、サンフレッチェ槙野。怪我の寺田に代わって、岡田監督は中澤と闘莉王と組めるセンターバックが必要としている。ACLでの山口の経験と、槙野の若いリーダーシップとコミュニケーション能力に期待だ。
話題に富んだ岡田監督の発表だったが、やはり18歳の山田の初選出が一番の目玉だろう。

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希望に満ちたフィンケ・レッズ

2009/05/21(木)

2009年5月19日:最近2試合のホームゲームで得た勝点は1に過ぎないのに、土曜日の埼玉スタジアム2002では浦和レッズのファンに暗さや不安感はあまり見られなかった。実際には、そのような雰囲気は、これまで払われてきた努力を評価する気持ち、それから、新生レッズがチームとして成熟するにはまだ時間がかかるだろうと理解する気持ちに掻き消されていたようであった。
新監督のフォルカー・フィンケも同じような感触を抱いているようで、スコアレスドローとなったガンバ大阪戦のあとも、今シーズンを通じてたくさんの整備を行なわなければならないチームだから、この結果は受け入れられるものであると力説していた。

今シーズン、私がレッズの試合を生で観戦するのは今回が3度目であったが、今シーズンのレッズは昨シーズンに比べて随分と趣が違うようだった。
昨年のチームは生気がなく、それぞれが傍観者のようで、一致団結した集団からは程遠い状態であったのに、今シーズンのレッズは新たな目的を見出し、新鮮な気持ちで心を一つにしているようだ。相互に助け合い、それぞれがチームの一翼を担わなければならないのだと、選手たちが自覚しているのである。また、名前や実績だけでスタメンを保証されることはなくなっており、パフォーマンスやモチベーションのレベルが低い選手には、問答無用で交代やメンバー落ちの措置がとられている。

言い換えれば、選手たちは自らのポジョションを得るために、そしてそのポジョションを守るために戦わなければならず、その結果としてチーム全体にハングリー精神とやる気が再び漲るようになっているのだ。
このような変容を遂げるようになった大きな要因としては、ユースチーム出身の山田直輝原口元気の存在があるが、他にもさまざまな要因がある。
そうした要因の一つとして土曜日に感じたのは、病気と故障に見舞われた苦しい1年から復帰し、リベンジに燃えるキャプテン、鈴木啓太のプレーだった。

イビチャ・オシムが代表監督を務めていたとき、鈴木は精力的かつ成熟したパフォーマンスにより中盤のアンカーとしての地位を確立していた。最近は代表チームへの招集がなくなっているが、ガンバ戦で見せたような力を維持できれば、また代表で鈴木のプレーが見られるようになるだろう。鈴木は調子と鋭さを取り戻しつつあり、阿部勇樹が横にいるため、機会があれば積極的に攻め上がろうという姿勢を見せていた。
5月21日木曜日の代表メンバー発表に、鈴木の名前がいきなり入るかどうかはまだ分からないが、フィンケ監督にしてみれば、鈴木にはまだしばらくは代表入りせず、クラブで調整を続けてもらったほうが、心配の種も少なくなるだろう。

エジミウソンも、右サイドのエスクデロ、中央の若き山田、それから左サイドの原口からのサポートを受け、ワントップのセンターフォワードとして効果を発揮しており、山田がゴールの枠に当てた2本のシュートで最終パスを供給していたのはいずれも彼だった。山田の最初のシュートは結果的にはポストに阻まれたが、それは藤ヶ谷の片手での巧妙なセーブでボールが方向を変えたから。2つめはバーに当たったが、ペナルティエリアの周辺からはじめて打たれたシュートで、ボールを浮かせ、キーパーの位置を迂回させながらボールをゴール上隅に決めようとした、小野伸二スタイルのシュートであった。

山田があのように積極的にゴールを狙ったことは、評価したい。レッズはボールタッチが多すぎ、ペナルティエリアの周囲でパスを回しすぎるきらいがあると私には感じられていたからだ。どんなに上手く攻めていたって、シュートがなければ意味がないのである。

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山瀬、前田の代表復帰は?

2009/05/18(月)

2009年5月15日:これからの5試合の日本代表メンバー、約26名の選出に向け準備を進めている岡田武史監督だが、すでに何名かの選手の名前が候補として挙がっている。岡田監督にとって、6月前半に行なわれるワールドカップ予選、重要な3試合に先駆け5月27日、31日に開催されるキリンカップの2試合は、さまざまなことを試す良い機会なのだ。今回の代表チームにはヨーロッパ組も含まれる。とはいえ、監督がキリンカップでそのうち何人使うのかはまだ分からない。

中村俊輔を例にとってみよう。金曜日、JFA(日本サッカー協会)によると、スコットランドのシーズン終了目前の中村は体調が万全でないうえ、グラスゴー・レンジャーズとの緊迫した優勝争いの真っ只中のセルティックはまだ重要な試合を2試合残しているという。セルティックのシーズン最終戦は5月24日、ホームでのハート・オブ・ミドロシアン戦となる。岡田監督はキリンカップではメンバーから外し、ワールドカップ予選まで温存するかもしれない。中村には休養が必要だと思うし、何より、彼について岡田監督は知り尽くしているはずなので、私も監督がそうしてくれることを望んでいる。

となると、4-2-3-1のうち3つの攻撃的MFのポジションのうち、右側が1つあくことになる。私としては、そのポジションで是非見てみたい選手がいるのだ。
その選手とは、岡田監督もよく知っているが、山瀬功治である。体調が万全のときの山瀬は実にダイナミックで、ディフェンダーにとって厄介なプレーヤー。速いテンポでのプレー、1対1のプレーを好み、距離のあるシュートでも恐れずに打っていく。事実、彼はゴールゲッターをサポートする攻撃的MF、中央でも左でもどこのポジションでもプレーできる。そういうクォリティを持った選手なのだ。
山瀬はチームに多くの貢献ができるはずだし、このレベルで十分やっていくことができるのだということを証明しなくてはならない。私は、山瀬がいま一度チャンスを与えられるよう願っている。また、もし彼がもう一度選ばれたなら、私たちがマリノスでプレーする山瀬に見ているようなセンスと自由奔放さ、そして積極性を見せてほしい。

代表復帰の可能性があるもう一人の選手は、ジュビロ磐田のFW前田遼一である。前田もまた怪我で代表から遠ざかっていたが、健康な彼は実に活発で効果的なプレーヤーだ。
前田は韓国からの助っ人、李根鎬(イ・グノ)と、抜け目のないジウシーニョに囲まれ、素早い動きと周囲の選手の繋ぎ役としてラインを引っ張っている。それはまさに岡田監督が代表チームに求めているものである。

選手の選考については、岡田監督には非常にたくさんのオプションがある。5月21日、JFAハウスで行なわれる選手発表に向けて、監督の頭のなかには山瀬功治と前田遼一の名前があるはずだ。

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播戸の大はしゃぎとキム・ナミルのロング・オウンゴール

2009/05/14(木)

2009年5月12日:FIFA会長のゼップ・プラッター氏がことあるごとに言っているように、サッカーは情熱と感動のスポーツである。問題は、情熱も感動も度が過ぎると、イエローカードをもらってしまうという点だ。播戸竜二を見れば、それがよくわかる。

土曜日の万博記念競技場、播戸が交代で入り、10分後に今季初ゴールを決めたとき、スタジアムは喜びに包まれた。ゴール下隅への冷静なフィニッシュは、右側を走り込んできた播戸にぴたりと合わせた遠藤の質の高いパスから生まれたもので、これでレイソルは息の根が止まり、0-4の敗戦を受け入れるしかなかった。
播戸は自分のプレーが大好きなようだ。ゴールを決めたあと広告板を飛び越え、シャツを脱ぎ、それを頭上でくるくる回しながらトラックを疾走する姿を見ていて、それがよくわかった。チョ・ジェジンレアンドロの加入によりスタメン獲得が困難になったが、その存在感をアピールしたいという彼の意欲は変わっておらず、ゴールとイニエスタ・スタイルの喜び方で見事アピールを果たし、結果的にイエローカードをもらってしまったのである。
もっとも、やって良かったと播戸は感じているに違いない。ベンチで待機していた憤懣(ふんまん)をぶつけるにはそうするしかなったのだろう。まあ、いろんな意味で胸のつかえはとれたと思う。

同日の午後のヴィッセル神戸名古屋グランパス戦では、面白いとも、奇怪ともとれる出来事があった。
私が言っているのはもちろん、ヴィッセル神戸のミッドフィルダーであるキム・ナミルのおかしなオウンゴールのことである。
テレビのリプレーを見ると、彼は長距離のバックパスを出してから、いったんはグランパス陣にしっかりと「動き出し」をし、それからまた自陣に戻って自分のパスがキーパーの榎本の手を掠めてゴールに入るのを見ていなければならなかった。グランパスのストライカーのダヴィは、ボールがゴールラインを横切るずっと前から祝福を始めていた。ヴィッセルのディフェンス陣にとっては手の打ちようのない状況だった。

今後、ヴィッセルと対戦する度にこのときのことをあてこすってやろうとグランパスのファンが思っているのなら、昔のトッテナムのファンが北ロンドンの憎きライバルであるアーセナルをあざけるために歌っていた歌を参考にするのも悪くない。
この歌の主人公はかつてトッテナムに所属していたミッドフィルダーのナジーム。サラゴサに移籍した彼は1995年のヨーロッパ・カップウィナーズカップ決勝のアーセナル戦に出場し、アーセナル陣に20メートルほど入ったところの右タッチライン沿いからロングシュートを決めたのである。ゴールキーパーのデビッド・シーマンがゴールラインから離れているのを察知した、ナジームのクロスバーの真下に落ちる正確無比なロブは、トッテナム・ファンからも祝福を浴びた。「ナジーーーム・フローム・ハーフウェイライン(ハーフラインからナジーム)!」という歌によって。
「ナミーーール・フローム・ハーフウェイライン!」とすると、語呂もぴったりだと思うのだけどね…。

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AFC総会。これまでの流れに逆らうサルマン氏

2009/05/11(月)

2009年5月8日、クアラルンプール発:チェルシーバルセロナの試合をハプニングと疑惑に満ちたものだったとお思いなら、一度、AFCの総会をご覧になってみるといい。金曜日にクアラルンプールで開催された第23回AFC総会は、なんと6時間(90分×4)にも及び、開始のホイッスルと同時に非常に興味深いシーンが展開された。スタンフォードブリッジさながらの痛烈な批判が飛び交い、そして陰謀がはりめぐらされたその様子は、FIFAの理事を選出するという本来の議題、“11.1”を忘れてしまいそうなほどだった。そう、まるで勝者には権力と利権が約束されたAFCの会長選挙そのものだった。

結果は、既に報道されているように、現AFC会長のモハメッド・ビン・ハマム氏が、対立候補のバーレーンサッカー協会会長、シェイク・サルマン・ビン・イブラヒム・アル・カリファ氏を23票対21票で破った。46の有効投票数のうち2票は無効とされ、1996年以来無投票でFIFA理事の席を維持してきたハマム会長を、半数が支持しなかったということだ。日本は、韓国と並んでシェイク・サルマン氏を支持した。
このアジアの両巨頭は前日の午後、サルマン氏を支持する28の協会とのミーティングに出席していた。もし全28協会がサルマン氏に投票していたら――これは余談だが、彼は熱心なマンチェスター・ユナイテッドのファンでもある――彼らのスローガン、“アジアに変革を!”が達成できていたに違いない。しかし、その前に行なわれた財政に関する投票でサルマン氏側は大敗、その予兆はあった。これらの投票は議事場内での公開投票だったが、FIFA理事選は非公開だった。ハマム氏側の監視やプレッシャーを受けることなく、また仕返しを受ける恐れなくFIFA理事を選出できる。これは変革に向けて大きなチャンスだったのだ。しかし、チェルシー対バルサ戦のように、彼らは僅差で敗れた。

総会では、これまでに蓄積したサッカー界、もちろん両陣営の膿が明らかになった。そして勝利した後、ハマム会長は彼の使命の一つとして、大々的に報道された痛烈な批判合戦を繰り広げた鄭夢準氏との関係修復を挙げた。アジアを一つにまとめるためにやるべきことは多い。ハマム会長はやり方を変えるつもりはないと言っているが、今回の結果により、彼の影響力は明らかに落ちるはずだ。

さて、本来のサッカーに戻ろう。
そもそも世界的なスポーツというものは権力闘争に陥りがちだが、今回のドタバタ劇は度が過ぎてしまったようだ。

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ピクシーにとって最も価値ある選手

2009/05/07(木)

2009年5月6日:先日のこと、欧州チャンピオンズリーグの準決勝で魅力的なフォワードの競演が見られそうなので、私はドラガン・ストイコビッチに最近のヨーロッパ・サッカーについての見解を聞いてみるのも面白いかなと思った。
私たちは日立柏サッカー場の外にいて、ピクシーにはレイソルグランパス戦までに若干の時間的余裕があった。

「じゃあ、現在、世界最高の選手は誰?」と私は彼に尋ねた。予想された答えが返ってくるだろうなと思いながら。彼の答えは、私の予想とはまったく違っていた。マンチェスター・ユナイテッドの選手であるところは、当たっていたが。
「僕はマイケル・キャリックが大好きなんだ」とピクシー。
「自分のチームにぜひともいて欲しい、そう監督に思わせるような選手だ」
「守備から攻撃に移る際の橋渡し役をしてくれて、絶対にボールをとられない。派手なプレーをする選手ではないけど、欠かせない選手なんだ。試合を組み立て、チームをコントロールしてくれるからね」

サッカー選手としての素質に恵まれた人物、天賦の才を持ち、超絶的な技巧で相手を翻弄することのできた人物がキャリックを選んだのは、ある意味、驚きであった。しかし、グランパスのボスも中年になって円熟味を増しつつあり、堅実で、安定感があり、結果を出せるチームを作るには、しっかりと仕事のできる選手が必要であると感じているのだろう。

ロナウドメッシが世界最高だと言うのは簡単だけど、監督というものは、どの試合でもチームを一つにまとめあげ、レベルを落とさないようにしてくれる選手を探しているものなんだ」ともピクシーは言った。
「キャリックはパスの選択を誤らないし、決してミスをしない。彼のポジションでミスを犯せば、チーム自体が台無しになってしまうんだ」

私はピクシーの選択に感銘を受けた。それは、英国の北東部出身で、アラン・シアラーピーター・ベアーズリーらの偉大なイングランド選手を数多く輩出してきた、名門ウォールズエンド・ボーイズ・クラブに在籍していたキャリックを私が好ましく思っているという単純な理由だけではない。
キャリックは、スーパースターや奇抜なフェイント、派手な演出、派手な動き、ファンタジスタがもてはやされる現代では、その真価が認められないことが多くあるタイプの選手である。

「ヨーロッパの人と話しても、あんなスタイルのサッカーが好きじゃないという人がいるよ。あれじゃまるでサーカスだと言っている」とピクシーは話を締めくくった。ストイコビッチの慧眼は、自チームのマイケル・キャリックである吉村圭司が中盤のエンジンルームでする働きがいかにグランパスにとって重要であるかを、すでに見抜いているのである。

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MVPは関塚監督!?

2009/05/04(月)

2009年5月1日:試合後の選手と監督の採点表を見るのは、いつだって面白い。しかし、水曜日の川崎フロンターレ対京都サンガ戦のそれには、とりわけ目を奪われた。それというのもエル・ゴラッソのマン・オブ・ザ・マッチで、10人中8人がフロンターレの監督、関塚隆を選んでいたからだ。
賛否は敢えて問わずにおくとして、関塚監督自身はきっと少々照れていることだろう。ただし彼の選手起用、そして交代がチームをよみがえらせ、さらに試合が進むにつれてチームに活力を与え、その結果、4-1の勝利に繋がったのだ。

0-3とリードを許した京都が最も見たくなかった鄭大世に代わりトップで出場した矢島卓郎は特に良いプレーを見せ、今季初ゴールを決めた。63分(後半18分)、フロンターレお得意のカウンター攻撃からの素晴らしいゴールで、急速にチームが崩壊しはじめた京都にとどめを刺す1発だった。
ヴィトール・ジュニオールの京都ディフェンス陣を寸断する頭脳的なジュニーニョへのパス、そして彼の左サイドからファーポストへの低いクロスに、京都のレフトバック、染谷悠太を抜いて走りこんだ矢島が決めたシーンが、テレビのリプレイで映し出されていた。だがプレー自体は、シジクレイの右クロスをフロンターレのエリア内でヘッドでクリアしたところから始まっていた。フロンターレは京都のライトバック渡邉大剛とシジクレイがポジションから外れてできたスペースをうまく使った。
見ていて胸のすくようなプレーだった。そしてジュニーニョのゴール、矢島に代わって入った黒津のダメ押しゴールで、抵抗する京都の息の根を止めた。試合終了間際、不注意から加藤弘堅にゴールを許したフロンターレの選手たちは落胆をあらわにしていた。それは出だし不調だった今シーズン、何とか順位を押し上げようという彼らの意識の表れだろう。

前半、染谷の完璧なクロスを豊田陽平が決め損ねたことは、フロンターレにとっては幸運だった。しかしフロンターレは気持ちを早々に切り替えリードを奪った。ここでも、関塚監督の変更が効いていた。左MFに起用した田坂祐介が京都のライトバック角田誠をブロックしてスペースを作り、ヴィトール・ジュニオールの先制ゴールをお膳立てした。田坂にしてやられた角田は、前半終了後に途中交代させられてしまった。

一方、京都ベンチでは、加藤久監督が選手たちを叱咤し何とかリズムを掴もうとしていた。だがこの日のフロンターレには歯が立たなかった。起爆剤が必要だったフロンターレ。試合前、試合中と関塚監督がその起爆剤となったのだった。だからこそ採点表で7.5をマークしたジュニーニョを差し置いて、珍しいことではあるが、監督がマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたわけだ。

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