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ヒディンク監督が一波乱巻き起こすかも

2009/02/23(月)

2009年2月20日:シーズン終了まで、フース・ヒディンク氏が指揮を執ることになったチェルシー。今季の優勝はもう無理だなどと言う人はいるのだろうか。マンチェスター・ユナイテッドをリバプールが猛追するなか、スタンフォード・ブリッジではヒディンク監督が指揮を執るのだ。何が起こっても不思議ではない。彼は世界でもトップクラスの監督で、何と言っても選手の扱いに非常に長けている。さらにはアジアとの縁も深く、2002年には韓国を、そしてその4年後にはオーストラリアをワールドカップ出場に導いた。

私が初めて彼にインタビューしたのは1988年、場所は読売ランドだった。
トヨタカップのバスコ・ダ・ガマ戦を控えたレアル・マドリードのトレーニング――試合はラウルの豪華なゴールでレアルが2-1の勝利を収めた――でのこと。その日のレアルのトレーニングセッションは、怒声を上げながら掴み合いになったクラレンス・セードルフとイバン・カンポをチームメートが引き離さなければならなかったりするという、波乱に満ちたものだった。だがトレーニングセッションを終えたヒディンク監督は落ち着きはらって「個性がぶつかり合っただけで、そうした衝突もサッカーの一部だ」と話した。

それから数年後の2002年3月、私はチュニスでのワールドカップ前哨戦、対チュニジア戦に臨んだ韓国代表のトレーニング中の彼を訪れた。その時、韓国メディアはヒディンク監督の代表監督としての姿勢を疑問視し、彼を散々てこずらせていた。そして、そのことに怒り心頭となっていた彼は、韓国メディアの取材を拒否した。
幸い、私は当時ヒディンク監督のナンバー2だったピム・ファーベークとの交友関係を使って、ヒディンク監督との仲立ちをしてもらえた。監督は韓国取材陣から離れて私を呼ぶと、イライラが絶頂に達しているにもかかわらず、親切にも数分の時間を割いてくれた。

韓国メディアは当時、ヒディンク監督を辞めさせたがっていた。2002年ワールドカップのあと私は、トルシエ監督の後任として日本サッカー協会(JFA)はヒディンク監督を雇うべきだと書いた覚えがある。しかし、任期切れまでもはや数ヶ月しかなく、それは実現しなかった。

現在、ヒディンク監督は2つの仕事をしている。一つはロマン・アブラモビッチ氏のためにチェルシーを指揮し、そしてメインはロシア代表の監督だ。国際サッカーというものにかかわりの少ない人は、クラブコーチをしながらもパートタイム的に代表監督も務まるのではないかと考えがちだ。
先日オーストラリア監督として来日したピム氏と、月曜午後にコーヒーを飲みながらこんな話をした。
月曜の朝にはまだたったの3人しか選手が集まっていなかったのだ。さらに数選手がその日に来日する予定になってはいたが、こんな状態で代表監督に何ができるというのか。
スコット・マクドナルドは、中村俊輔同様にセルティックからの許可をもらっていたのでもっと早い来日も可能だった。しかし、ピム監督は日本に来て一人で練習するよりも、その週末にセルティックの試合に出場した方が良かったと言う。

ヒディンク監督はすでにシーズン終了と同時にチェルシーの監督の座を降り、ロシア代表の仕事に専念すると言っている。彼のこのリラックスした心境と、失うものは何もないというアプローチが、今シーズンのプレミアリーグの優勝争いに波乱を巻き起こすかもしれない。

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コメント

いくら何でも日本にもプライドがあるので、韓国を率いたヒディンクを監督にすることは当時の協会も考えなかったでしょう。そう願いますが…。

しかし、監督就任するたびに結果を残すヒディンクは本当に偉大な監督ですよね。チェルシーでも、ロシアでも良い結果を残すでしょうね。

投稿: LILI | 2009年2月25日 (水) 23時23分

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