カカ――それから、マンチェスター・シティにまつわる記憶
2009年1月21日:イングランド・プレミアリーグのエリートに立ち向かうマンチェスター・シティが好きなので、度肝を抜くようなカカーの獲得交渉が失敗に終わったことは、私には残念でもなんでもない。
さまざまな報道を総合的に判断したところ、ミランがシティからの1億ポンド(約1億4,700万ドル、124億円)のオファーを受諾し、現在の不透明な経済情勢下では巨額といえる金額で自チームのブラジル人ゲームメーカーを売却するつもりでいたのは確かである。
この交渉は決裂に終わったのだが、その理由は選手本人の意思によるものであった。カカーは「ミランで年をとりたい」と以前から言い続けていたが、移籍を拒絶することでその言葉が真実であることを証明した。まさにお見事。彼への敬愛の念が世界中でさらに高まるような決断だった。
この結末を簡潔に表現すれば、サッカーの勝利であり、金で買えないものもあるということが立証されたのである。
スカイブルーのシティのユニフォームを着ているカカーの姿は、奇妙に映ったことだろう。あるコラムニストが書いていたように、ミハエル・シューマッハがミナルディのマシンを運転するようなもので、高い資質を持った人物が運転しても、失敗に終わることは目に見えていたのである(訳注:シューマッハはイタリアのフェラーリ・チームに所属していたことのある伝説的なF1ドライバーで、ミナルディはイタリアの弱小チーム。現在のチーム名はトロ・ロッソ)。
シティについて言えば、マインロードに古いスタジアムで、一時期よく試合を観ていたことがある。その頃は、1979年から1980年にかけてマルコム・アリソンが監督を務めていた。有名なキパックス(シティの熱心なサポーターが集まる、スタジアム内のエリア)のテラスで立ち見観戦をするのはいつも楽しかった。シティのファンはウィットに富み、残酷なくらい率直に自チームとその選手を品定めしていた。
シーズン・チケットを持っていた当時の友人と一緒にスタジアムにでかけ、グラウンドの脇に駐車するやいなや、地域の公営住宅に住んでいる子供の一団がやって来る。
「お車の見張りをしましょうか?」と彼らが尋ねる。
もっとも、これは実際のところ質問なんかじゃない。小銭を少しばかり与えるしか選択の余地がないのだ。
これは車の「見張り」に対する「料金」であり、基本的には「みかじめ料」なのである。なぜなら、彼らに何も与えないでいると、マインロードで観戦しているあいだに車を叩き壊されてしまうのだ!
アリソンが指揮していた頃のシティは、ウルブス(ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ)から獲得したミッドフィルダーのスティーブ・デーリーをはじめとして、高額な移籍金で獲得した選手が数多くいた。
その頃には、私の生涯でもっとも好きなヨーロッパ出身選手の1人もシティに在籍していた。才気に満ち溢れたカジミエシュ・デイナ、彼はポーランドのヨハン・クライフだった。
残念ながら、ディナは、1989年9月、41歳のときにサンディエゴで自動車事故により死亡。
Wikipediaでディナのことを調べていたとき、これまで私がまったく知らなかったことが明らかになった。それは彼のニックネームで、母国での彼のニックネームはなんと「カカー」であったのだ。
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