遠藤の評価~トルシエは正しかった~
2009年1月3日:1999年にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユースを思い起こしてもらいたい。誰の名前が浮かぶだろうか?
高原と永井をトップに置き、本山を左のウィングに。MFには小野、稲本、そして小笠原。導入したばかりのフィリップ・トルシエ監督の“フラットスリー”ディフェンスの左サイドには中田浩二がいた。あのラインナップは、本当に才能に満ち溢れていた。
スペインにつづいて堂々の準優勝、3年後の日韓ワールドカップ代表の基礎を築いたチームだった。
このチームの何人かの選手はヨーロッパへと巣立ち、また何人かは、ガンバの加地、遠藤、そして播戸のトリオのように時間をかけて国内で地位を確立していった。
いま、遠藤が選手としてピークに達していることは間違いない。そして、試合を重ねる毎に、日本代表への影響力が増している。
次のワールドカップでは、中村――2010年6月24日に32歳になる――に代わり遠藤が日本の攻撃の起点になっているかもしれない。そんなことは誰にもわからない。
元日の天皇杯決勝、遠藤のパフォーマンスで心に留まったことが二つあった。一つは後半終了間際、レイソルの黄色いユニフォームがゴールへ大挙押し寄せたとき、遠藤が駆け戻ってフランサに絶妙なスライディングタックルをしたこと。遠藤はその後、負傷と疲労で立ち上がることができなかった。
だが、ガンバ大阪のシーズンはそれでは終わらなかった。延長の30分が残っていたのだ。
延長前半12分、ガンバの西野朗監督はサイドラインまで出てきて遠藤のプレーに拍手を送った。遠藤の右サイドへのパスは、それほどまでに素晴らしかった。
フリーキックを得(え)、プレーを落ち着かせて一息ついた直後の、ハーフボレーで撫でるようなパスは、彼の冷静さ、洞察力、技術を余すところなく見せつけるものだった。
フランサも、彼のトリッキーなプレーでボールを奪われた時でさえ、観客に息を飲ませたり悲鳴をあげさせたが、この遠藤のパスは珠玉のものだった。
1999年、ナイジェリアでのいわゆる日本の黄金世代、誰がプレークし、そして誰が消えていったかをいま思い返してみると、遠藤の時代はまだこれからもつづく。
トルシエ監督はかつて、私に、遠藤のパス範囲の広さ、そしてロングシュートの力を「日本のレドンドだ」と言った。そして、遠藤は小野、稲本、そして高原と比べると遅咲きだろうと…。トルシエが正しかったことが、証明された。
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コメント
ナイジェリアでのミドルは確かにすごかった。
サンデーオリセーが日本にもいた!って幸せな気持ちになった。
今はもう大黒柱だよね。代表でもガンバでも。
遠藤の系譜を継ぐのは狩野か小椋のような気がする。
投稿: サンガサポ | 2009年1月 6日 (火) 12時20分
トルシエの日本サッカーへの影響は、深く大きい。
投稿: ケン | 2009年1月 5日 (月) 20時51分
Do you know GACHAPIN?
ナイジェリア99のポルトガル戦のミドルは美しかった!
マンU戦の無回転ミドルにも息を呑みました。
左足でも、冷静にゴールを決めるし
PKだけじゃないですよね。
投稿: 夏鳥 | 2009年1月 5日 (月) 17時52分
遠藤は素晴らしいけど、こんな鬼のようなスケジュールじゃ今年の啓太みたいになっちゃうかもね。
協会は見て見ぬふりしないでください。
投稿: | 2009年1月 5日 (月) 14時25分