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2009年1月

アジアカップ予選を無駄なく、有効に

2009/01/29(木)

2009年1月27日:年初にあるアジアカップの予選は仕方なくやる試合という意味合いが強いが、日本代表としては、オーストラリアをホームに迎える2月11日のワールドカップ予選のための準備試合として、これらの試合を有効活用しなければならない。
なにより、アジアカップ予選は真剣勝負であるので、肉体的な面だけでなく、試合勘という面でも選手が研ぎ澄まされ、間近に控えたシーズンへの対応が整う。さらに、岡田武史監督はこれらの試合でさまざまな組み合わせを試し、代表の当落線上にある選手に国際経験を積ませることができる。

イエメン、バーレーン戦の後にも、日本代表には2月4日にホームのフィンランド戦がまだ残されているが、この試合は親善試合なので、後半にさまざまな選手交代が予想される。通常、この種の試合は、1時間ほど経過したところで選手がころころ代わるものだから、試合全体のリズムが失われるだけでなく、両チームとも結束力が弱くなり意味のないものになってしまう。

実際、代表レベルとクラブレベルにおける最近の忙しい日程を見れば、クラブと選手にトラブルを招くためにあるとしか思えない親善試合は一切受け入れないという、アーセン・ベンゲルの考え方にまったく同意したくもなる。
横浜でのオーストラリア戦を見据え、ピム・ファーベーク監督は、オーストラリアよりも日本のほうにプレッシャーのかかる試合になるだろうと発言し、早くも日本に牽制球を投げている。日本は3試合消化の時点でオーストラリアに2ポイント差をつけられているし、今度はホームでの試合でもあるので、日本代表にはゲームを支配し、最大の勝点を奪取しなければならないというプレッシャーがかかる、というのがその発言の根拠である。
日本サッカーに精通しているファーベーク監督は勝ちにいくと公言しているが、小声でひっそりと、勝つ必要はないのだが、という一言も添えている。また、ウズベキスタンとのアウェー戦の方が日本とのアウェー戦より大変だろうと思っていたと語っている。つまり彼は、パフタコール・スタジアムで1-0の勝利をモノにし最大の勝点を得ているので、日本には余裕をもってやって来ると言っているのだ。

個人的には、私はこのオーストラリア戦は日本が絶対に勝たなければならない試合でもないと感じている。もちろん、勝てばそれにこしたことはないのだが、引き分けでも両チームにとって悪くない結果であるし、上位に留まることはできるのだ。日本にはまだ、ホームでのバーレーン戦とカタール戦が残っている。これら2チームをアウェーで撃破しているので、リーグ戦前半の4試合を無敗のまま、勝点8で締めくくれば南アフリカへの道のりは順調であると言えるだろう。
日本の最終戦、6月17日のオーストラリアとのアウェー戦はどうなのかって? そのときには両チームとも予選突破を決めていて、試合そのものはパーティーのようなものになる、と思っているのだが…。

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日本よ、W杯誘致は忘れるべきだ

2009/01/26(月)

2009年1月23日:日本サッカー協会(JFA)が2016年のオリンピックを口にすればするほど、2018年や2022年のワールドカップ開催のチャンスは減ることになるだろう。私には、彼らがなぜこのオリンピックとワールドカップ(W杯)を関連付けるのか理解できない。オリンピック誘致に成功することは、W杯誘致には有利というよりむしろ不利に働くことになると私は思うのだ。つまり、世界のいかなるスポーツ界も、2016年オリンピック開催直後の2018年や2022年に、同じ国でW杯を開催させることに気乗りしないだろうし、そもそも他の地域のスポーツ界がこれを許さないだろうということである。

メインスタジアムについては、日産スタジアムの現在陸上競技トラックのある部分に1万席のスタンドを増設し、収容人員8万のスタジアムに改修するのは、日本にとって簡単だ。ピッチと観客の距離を縮め、より良い環境にすることで競技場は飛躍的に良くなる。2万人の観衆が集まってもスタンドの1/3にしか満たない横浜F・マリノスのサポーターたちは、ホームゲームで大歓声を上げるのにJリーグで一番苦労している。
とはいえ、FIFA(国際サッカー連盟)の規定に合うメインスタジアムを持つために、東京が2016年のオリンピック誘致に成功する必要などどこにもない。W杯開催に必要なスタジアムはすでに十分過ぎるほどあるのだ。オリンピックと新たに建設されるスタジアムをセールスポイントにするのはやめた方が良い。

FIFAの2018年、2022年ワールドカップ開催立候補の期限は2月2日となっている。個人的には、日本は立候補すべきでないと感じている。2018年ワールドカップがヨーロッパで開催されるのはほぼ間違いない。2010年南アフリカ、2014年ブラジルと、(ドイツで開催された2006年から)12年もの空白があり、テレビやスポンサーからプレッシャーもかかるだろう。
ひょっとすると、日本には2022年W杯開催のチャンスはあるのかもしれない。だがそれでも、韓国との共催でワールドカップを行なった2002年からわずか20年、他にも強力な候補国がある。私は、2022年はオーストラリアになるのではないかと思っている。ただ、アメリカや中国そしてカタールだってFIFAへの影響力は大きく、立候補してくる可能性はある。したがって、私は、日本は立候補を控えた方が良いと考えている。

すでに過密スケジュールをこなしていくのに精一杯。それだったら、W杯で巨額の出費をすることなく、草の根レベルからサッカーというものを発展させていくことを考えた方がいいだろう。そもそも、ハナから誘致は絶望的だと、私は思う。

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カカ――それから、マンチェスター・シティにまつわる記憶

2009/01/22(木)

2009年1月21日:イングランド・プレミアリーグのエリートに立ち向かうマンチェスター・シティが好きなので、度肝を抜くようなカカーの獲得交渉が失敗に終わったことは、私には残念でもなんでもない。
さまざまな報道を総合的に判断したところ、ミランがシティからの1億ポンド(約1億4,700万ドル、124億円)のオファーを受諾し、現在の不透明な経済情勢下では巨額といえる金額で自チームのブラジル人ゲームメーカーを売却するつもりでいたのは確かである。

この交渉は決裂に終わったのだが、その理由は選手本人の意思によるものであった。カカーは「ミランで年をとりたい」と以前から言い続けていたが、移籍を拒絶することでその言葉が真実であることを証明した。まさにお見事。彼への敬愛の念が世界中でさらに高まるような決断だった。
この結末を簡潔に表現すれば、サッカーの勝利であり、金で買えないものもあるということが立証されたのである。
スカイブルーのシティのユニフォームを着ているカカーの姿は、奇妙に映ったことだろう。あるコラムニストが書いていたように、ミハエル・シューマッハがミナルディのマシンを運転するようなもので、高い資質を持った人物が運転しても、失敗に終わることは目に見えていたのである(訳注:シューマッハはイタリアのフェラーリ・チームに所属していたことのある伝説的なF1ドライバーで、ミナルディはイタリアの弱小チーム。現在のチーム名はトロ・ロッソ)。

シティについて言えば、マインロードに古いスタジアムで、一時期よく試合を観ていたことがある。その頃は、1979年から1980年にかけてマルコム・アリソンが監督を務めていた。有名なキパックス(シティの熱心なサポーターが集まる、スタジアム内のエリア)のテラスで立ち見観戦をするのはいつも楽しかった。シティのファンはウィットに富み、残酷なくらい率直に自チームとその選手を品定めしていた。
シーズン・チケットを持っていた当時の友人と一緒にスタジアムにでかけ、グラウンドの脇に駐車するやいなや、地域の公営住宅に住んでいる子供の一団がやって来る。
「お車の見張りをしましょうか?」と彼らが尋ねる。
もっとも、これは実際のところ質問なんかじゃない。小銭を少しばかり与えるしか選択の余地がないのだ。
これは車の「見張り」に対する「料金」であり、基本的には「みかじめ料」なのである。なぜなら、彼らに何も与えないでいると、マインロードで観戦しているあいだに車を叩き壊されてしまうのだ!

アリソンが指揮していた頃のシティは、ウルブス(ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ)から獲得したミッドフィルダーのスティーブ・デーリーをはじめとして、高額な移籍金で獲得した選手が数多くいた。
その頃には、私の生涯でもっとも好きなヨーロッパ出身選手の1人もシティに在籍していた。才気に満ち溢れたカジミエシュ・デイナ、彼はポーランドのヨハン・クライフだった。
残念ながら、ディナは、1989年9月、41歳のときにサンディエゴで自動車事故により死亡。
Wikipediaでディナのことを調べていたとき、これまで私がまったく知らなかったことが明らかになった。それは彼のニックネームで、母国での彼のニックネームはなんと「カカー」であったのだ。

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リーダーを得た三木谷会長

2009/01/19(月)

2009年1月17日:こんなに数多くの代理人はじめサッカー関係者がいる今日、これほどの大型移籍話が何の噂もなく、いきなり決まるというのは珍しい。宮本恒靖のヴィッセル神戸移籍というニュースは、多くの人々を驚かせた。しかし、これほど多くのメディアが神戸の新しい“プリンス”を品川のグランドプリンスホテルに見に来たのは、まったく驚くことではない。

ツネはいつも通り、グレーのスーツに身を包み真紅のネクタイをしめ、まるでファッション雑誌から抜け出たようないでたちで会見場に現れた。そして、レッドブル・ザルツブルグでの不完全燃焼にもかかわらず、公式会見で非常に前向きな姿勢を見せた。
選手生活のほとんどをガンバで過ごした彼が、ヴィッセルでなくガンバを選んだとしても何も不思議ではなかった。だが、神戸を2010年のACLに導くという新たなチャレンジを口にした彼は、プロとして実に見事だ。だからこそ、三木谷浩史会長は彼を獲得したのだ。楽天の会長は、複数年契約と言うだけで期間も金額も明かさなかったが、他のことについては包み隠さず話してくれた。

宮本の獲得をいつ考えたのかと尋ねたところ、彼は昨年12月半ばに、ひょっとすると宮本を獲れるかもしれないと思ったという。
「1月2日に、宮本を神戸の自宅に招待しました。そして、彼と長時間にわたり話をしました」と三木谷会長。
「我々は彼の能力以上に、その知性と人間性に惹かれました。彼は日本代表でも70試合以上に出場していますし、キャプテンにに指名されようとなかろうとリーダーシップを発揮してくれるでしょう。チームをうまくまとめ、チームに強いスピリットをもたらしてくれると考えています」。

より多くのファンをホームスタジアムに呼びたいヴィッセルにとって、ツネは高額の年俸で移籍した大久保嘉人の抜けた穴をしっかり埋めてくれるだろう。
「もちろん、彼は嘉人とはまったく違うタイプです」三木谷会長は付け加えた。
「宮本はより成熟しており、女性サッカーファンにもとても人気があります。しかし、何よりも我々は選手としての彼が好きなのです。それが最も重要なことです」。

私は、中澤佑二の獲得失敗が宮本獲得に何らかの影響があったかについても尋ねてみた。すると彼は、もし中澤がマリノスから神戸に移籍していたら、宮本との契約は実現しなかっただろうと認めた。
「我々は、他の誰でもなく宮本を獲得できたことを喜んでいます。宮本はチームのまとめ役で知性もあり、さらにリーダーとしての経験も豊富です。中澤は、攻撃面での強さはもっていますが、宮本はディフェンスのまとめ役となれるでしょう」。

彼の元ボス、ジョバンニ・トラパットーニ監督は宮本を左サイドバックで起用しようとし、現在の監督、コー・アドリアンセにいたっては宮本をまったく使おうとしなかった。そのオーストリアでのことを思うと、少なくとも彼は正当に評価されていると感じることだろう。

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画竜点睛を欠いたロナウドのCWC

2009/01/15(木)

※画竜点睛(がりょうてんせい)
 物事を完璧(かんぺき)なものにするための最後の仕上げ


2009年1月13日:先月の日本ではベストの状態の彼を見ることはできなかったけれど、クリスチアーノ・ロナウドはそれまでの過程で2008年FIFA年間最優秀選手の大本命候補となるだけの十分な働きをしてきていた。
予想通りではあったが、今週月曜日、マンチェスター・ユナイテッド(マン・U/イングランド)の23歳のウィンガーがこの賞を受賞することが正式に発表された。ここ数週間で大きな個人タイトルを3つも獲得するという偉業が達成されたのである。

好き嫌いに関係なく、ロナウドが特別な才能を持った選手であることは疑いの余地が無い。高速で発揮される超絶的なスキル、トリッキーな即興プレー、ゴールを奪う能力により、ロナウドは、エンターテイナーと勝利者という困難な二役を見事に演じのけた。さらに言えば、私はマン・Uのファンではないけれど、ロナウドはビッグゲームに弱いという評論家の意見は理解しかねる。マン・Uの場合はどの試合もビッグゲームであると思うのだ。毎週毎週のプレミアリーグがそうだし、FAカップもリーグカップも、伝統を誇る欧州チャンピオンズリーグはクラブにとってとりわけ重要な試合となる。

もっとも、ロナウドにも不調なときがあるのは否定のしようがない。日本でのクラブワールドカップ(CWC)、とくに決勝戦では、それがはっきり見てとれた。十分な準備をしてグラウンドに登場していなかったというのは仕方がない。現代のサッカーでは、多くの選手がそうならざるをえないからだ。
問題は、審判が手を振ってプレー続行を指示したときに、動くのを止めてしまい、自分にフリーキックを与えるべきだったと文句を言っていたことである。誰かが少しでも触れれば、自分にはフリーキックがもらえる権利があるものと思い込んでいるようにも見えたし、そのような振る舞い方が私を苛立たせた。

彼の出場する試合で審判を務めることは、悪夢であるに違いない。審判はロナウドのような桁外れの才能を持つ選手を相手側のファウルや妨害戦術から保護する義務を負う一方で、毅然とした態度をとり、芝居がかった振る舞いやそれを支持するベンチの大げさな騒ぎに惑わされないようにもしなければならないのだ。

現代のサッカーの潮流について言えば、先日、テレビのサッカー番組で『あの人は今』のサッカー版が放映されているのを偶然目にした。話題の中心は、かつてのチェルシーのディフェンダー、ロン・ハリス。彼はその名前よりも“チョッパー”というあからさまなニックネームでよく知られていた。
あるフレーズが、私をドキリとさせた。チョッパー・ハリスが次のように発言したのだ。「俺がプレーしていた時代、サッカーはコンタクト・スポーツだった…」
タックルするのなら激しくタックルしろ、という意味だ。今日のサッカーは、もはやコンタクト・スポーツとは言えない。触れただけでファウルになり、ファウルをするとイエローカードになるからだ。
チェルシーのチョッパー・ハリスがマン・Uのクリスチアーノ・ロナウドをマークしたらどうなるのだろう? 今なら大騒動必至だろう!

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さらなる前進を目指すエスパルス

2009/01/12(月)

2009年1月9日:昨シーズンのナビスコカップ決勝、大分トリニータ対清水エスパルスのゲームでは、両チームに関する様々なことが明らかになった。
トリニータは、良く組織され、訓練され、そして3人の優れたブラジル人プレーヤーがすべてを1つにまとめているチーム。一方のエスパルスは、技術もあり、活気に満ちたプレーをする。だが、大舞台での経験が、とりわけ攻撃陣に不足している。
結果、トリニータが2-0で勝利を収めた。

エスパルスの長谷川健太監督は、シーズン終了後、フローデ・ヨンセンと永井雄一郎の獲得によりチームに欠けていたものを補うことに成功した。
長身のノルウェー人センターフォワードは、プロ意識の高さとコンスタントな得点力で名古屋グランパスに大きな貢献をした。ヨンセンはおそらく年俸に見合った働きをしてくれるし、2007年のシーズン後に韓国代表ストライカー曹宰榛が去ってからチームに欠けていた攻撃力をもたらしてくれるだろう。

永井については、ヨンセンよりも機動力と多用性がある。彼のスピードと運動能力は、トップのみならず右ウィングとしても効果的だろう。そして、永井の加入は、監督のチーム編成により多くのオプションをもたらすはずだ。
さらに永井は、2007年のAFCチャンピオンズリーグで大舞台に強いところを見せてくれた。昨季は永井が浦和の緩慢なプレーを引き締めることができたはずだと思うのだが、どうも、エンゲルス監督とうまく意志の疎通ができていなかったようだ。そして今、その永井もエンゲルス監督も埼玉を去った。
昨シーズン、埼玉スタジアム2002で行なわれた対FC東京戦、多くのレッズサポーターを興奮させた、永井の素早いカウンターからのゴールは、リーグのシーズンベストゴールの1つだと思っている。

ヨンセンと永井は、全く違うタイプの選手。来シーズンのポジション争いは熾烈になるだろう。昨季の原一樹のプレーは長谷川監督にとって申し分のないものだったし、この若いストライカーはJリーグの最優秀新人王候補の3名(優秀新人賞)に選ばれるという評価も受けた。
だが、エスパルスをさらに前進させるには強さと経験を必要としていた長谷川監督は、今回の補強に感謝していることだろう。何だかんだいっても、健太は良いストライカーを一目で見分けられるはずである。

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ポジティブ思考が大久保の強み

2009/01/08(木)

2009年1月6日:大久保嘉人の新しい年、新しいスタート。スペインのレアル・マジョルカでは芳しい実績を残せなかった、この26歳のストライカーに、ボルフスブルクの一員としてヨーロッパで再チャレンジするチャンスが与えられたのだ。
このドイツのクラブの公式ウェブサイトによれば、大久保は2011年6月30日までの2年半の契約にサインした。大久保から見れば、好条件である。ボルフスブルクの新しい背番号8には、新しい環境に慣れ、トップチームでしっかりと地歩を固める時間が与えられるのだ。

長谷部誠がすでにこのチームに在籍しており、ドイツおよびブンデスリーガでの暮らしに適応しているということも、大久保にとっては大きなメリットであり、現地での生活の助けとなるだろう。さらに長谷部は、かつてのハンブルクと西ドイツ代表のミッドフィルダーで、指導者としてはハードなトレーニングを課すことで知られているフェリックス・マガトのコーチング・スタイルを大久保に伝術することができる。大久保は、トレーニングに真剣に取り組み、チーム内でのポジションを獲得するための本当の意味での戦いに加わらなければならないだろうが、その何もかもが、彼のキャリアにとって良いこととなり、彼をもう1段上のレベルに引き上げるのに役立つのである。

もちろん、大久保は容易な道を選ぶこともできたわけで、ヴィッセル神戸に残るという選択肢――つまり、キャプテン、スター、簡単な金儲け、代表チームのメンバーであれば必ずあたるスポットライト――をとることができた。日本にとどまるほうが、ドイツに移るのよりはるかに簡単であったのだから、大久保の挑戦は賞賛に値する。ストライカーというものは、自身のDNAを強く信じていなければならない。マジョルカでの経験は忘れ、大久保は積極的に挑戦する姿勢をとるだろう。

ただし、ドイツへの移籍により失うものもある。ワールドカップの前年に、代表チームでのポジョションを失うのだ。ボルフスブルクでスタメンの座を得られず、ゴールを奪えず、コンディションと自信が低下すれば、岡田武史監督も彼以外の選択肢を考慮せざるを得なくなるだろう。
しかし、このようなネガティブ思考は大久保にはふさわしくない。これから、キャリアの新しいステージに向けて彼の船出が始まるのだ。
ヨーロッパの4大リーグの1つでプレーできることは彼にとって大きなチャンスだし、サッカーの伝統にあふれた、美しい国で生活できるのは、彼だけでなく彼の家族にとっても素晴らしいことである。

プレーについて言えば、大久保は非常に激しい試合を経験することになるだろうが、小柄ながら強靭な身体を使い、ディフェンダーを抜き去り、ゴールを決めて欲しいと思う。すぐに倒れてフリーキックを要求するという態度は、やめてもらいたい。これは大久保のプレーにおける好ましくない、不要な側面であるのだから。

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遠藤の評価~トルシエは正しかった~

2009/01/05(月)

2009年1月3日:1999年にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユースを思い起こしてもらいたい。誰の名前が浮かぶだろうか?
高原と永井をトップに置き、本山を左のウィングに。MFには小野、稲本、そして小笠原。導入したばかりのフィリップ・トルシエ監督の“フラットスリー”ディフェンスの左サイドには中田浩二がいた。あのラインナップは、本当に才能に満ち溢れていた。
スペインにつづいて堂々の準優勝、3年後の日韓ワールドカップ代表の基礎を築いたチームだった。
このチームの何人かの選手はヨーロッパへと巣立ち、また何人かは、ガンバの加地、遠藤、そして播戸のトリオのように時間をかけて国内で地位を確立していった。

いま、遠藤が選手としてピークに達していることは間違いない。そして、試合を重ねる毎に、日本代表への影響力が増している。
次のワールドカップでは、中村――2010年6月24日に32歳になる――に代わり遠藤が日本の攻撃の起点になっているかもしれない。そんなことは誰にもわからない。

元日の天皇杯決勝、遠藤のパフォーマンスで心に留まったことが二つあった。一つは後半終了間際、レイソルの黄色いユニフォームがゴールへ大挙押し寄せたとき、遠藤が駆け戻ってフランサに絶妙なスライディングタックルをしたこと。遠藤はその後、負傷と疲労で立ち上がることができなかった。

だが、ガンバ大阪のシーズンはそれでは終わらなかった。延長の30分が残っていたのだ。
延長前半12分、ガンバの西野朗監督はサイドラインまで出てきて遠藤のプレーに拍手を送った。遠藤の右サイドへのパスは、それほどまでに素晴らしかった。
フリーキックを得(え)、プレーを落ち着かせて一息ついた直後の、ハーフボレーで撫でるようなパスは、彼の冷静さ、洞察力、技術を余すところなく見せつけるものだった。
フランサも、彼のトリッキーなプレーでボールを奪われた時でさえ、観客に息を飲ませたり悲鳴をあげさせたが、この遠藤のパスは珠玉のものだった。

1999年、ナイジェリアでのいわゆる日本の黄金世代、誰がプレークし、そして誰が消えていったかをいま思い返してみると、遠藤の時代はまだこれからもつづく。
トルシエ監督はかつて、私に、遠藤のパス範囲の広さ、そしてロングシュートの力を「日本のレドンドだ」と言った。そして、遠藤は小野、稲本、そして高原と比べると遅咲きだろうと…。トルシエが正しかったことが、証明された。

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王者ガンバに不公平なACLのルール

2009/01/03(土)

2009年12月30日:私は決してアンチ・レイソルではないが、元日の天皇杯決勝ではガンバ大阪に勝って欲しいと思っている。
落ち着けよ、イエロー・モンキーズ。理由は簡単さ。ガンバには来シーズンのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)に出場する権利が与えられてしかるべきだからだ。本来なら、大陸王者の座を防衛するために天皇杯で優勝しければならない、などということはあってはならないのだ。

アジアサッカー連盟(AFC)が打ち出したフォーマットの変更は数々あるが、参加チームを32に規模拡大したACLの出場枠の割り振りを決める際、彼らは前回王者の取り扱いを忘れていたのではないか、私にはそう思えてならない。
前回の王者には、やはり次のシーズンの大会への出場権を自動的に与えるべきであった。優勝へのご褒美であるだけでなく、マーケティングおよびメディア露出を考慮すればそうするのが当然である。ディフェンディング・チャンピオンの戦いぶりは常にニュースになり、その結果、イベントそのものにアイデンティティーを与え、アジア、そしてそれ以外の地域における各クラブの注目度を高めるからだ。

最近の大会では、AFCは、前回王者をベスト8にシードするという大盤振る舞いを行なっていたが、この措置自体もあきれたものだった。たとえば、昨シーズンのレッズは1勝1敗の成績でACLの準決勝に進出できたのである。今回はまったく正反対の措置をとり、前回王者も資格を得ないと出場が適わないようになってしまった。

AFCのおかしな措置はこれだけではない。来シーズンのACLでは、日本のチームには最も多い4つの出場枠が用意されているが、そのうちの3つにはリーグ戦の上位3チームが入り、残り1つが国内の主要カップ戦の優勝チームに与えられるという規則となっているのだ。
そのため、アントラーズとフロンターレはゆっくり休暇を楽しみ来シーズンに思いを馳せることができ、期間は短いもののグランパスも同じようにシーズンオフを過ごせているのに対して、かわいそうなガンバは次々と負傷者を出しながら、なお(天皇杯で)戦いを続けなければならないのである。

なぜカップ戦の優勝チームにチャンピオンズリーグの出場権を与えなければならないのか、私にはさっぱり分からない。ACLに出場するのはアジアの強豪国の強豪チームであるはずで、カップ戦の優勝チームを加える必要などないのだ。レイソルであっても、あるいは天皇杯の準決勝で敗れた他の2チーム、FC東京やマリノスのどこであってもいいが、わざわざガンバを犠牲にしてまで来シーズンのチャンピオンズリーグに出場させる意味がどこにあるというのか?

リーグ戦の上位3チームと主要カップ戦の優勝チームが日本の4枠を占めるという規則の代わりに、AFCは、「日本の4つの枠にはACLの前回優勝チームが入っていなければならない」というルールを明文化しておいたほうが良かったかもしれない。
そうして残りの3チームは、リーグ戦の順位にもとづいて決定する。たとえば、ガンバがJ1で3位に終わったなら、4位のチームがACLへの出場権を得るのだ。最強のチームを決めるのは、天皇杯ではなく、リーグ戦なのである。
地域全体のバランスを維持するために、このルールを出場するすべての国に適用させてもよかった。つまり、翌シーズンの振り分け枠の1つに前回王者が入るように定めるのだ。

来シーズンのACL出場資格を改めて得なければならないという、現在のガンバの状況はどこかおかしい。AFCは、ガンバが天皇杯に優勝してもらって、この規則上の欠陥の穴埋めをして欲しいと願っているに違いない。
今年、アジア代表としてFIFAクラブワールドカップでマンチェスター・ユナイテッドと戦い、世界中の注目を集めたガンバが、その翌年には注目を浴びるための機会さえ与えられないかもしれないのだ。こんなバカげたなことはない。

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