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2008年12月

もう1度“アピール”のチャンスを与えられた阿部

2008/12/29(月)

2008年12月27日:今年のJリーグで優勝争いを繰り広げ、リーグ3位で2009年のアジアチャンピオンズリーグ出場を決めた名古屋グランパス。その躍進にはいくつかの理由がある。
ドラガン・ストイコビッチ監督の指揮力、フローデ・ヨンセンのゴール、ベンチからは杉本恵太の活力、そしてルーキー・オブ・ザ・イヤー候補・小川佳純の活き活きとしたプレー。こうしたことすべてが、名古屋躍進の原動力だ。そしてもう1つ、リーグ全34試合に出場し、左サイドをめまぐるしく走り回る姿が注目を集めた阿部翔平がグランパス躍進のカギだった。

1月20日に熊本で行なわれるアジアカップ予選、対イエメン戦に先駆け1月10日にスタートする鹿児島での日本代表合宿に、その阿部が招集されたのは喜ばしいことだ。日本代表の岡田武史監督も、以前、シーズン半ばの代表合宿に阿部を呼び彼のプレーを見ている。だが阿部は実力を発揮することができなかった。日本人選手はよく、機会が与えられたら自分自身を「アピール」したいと口にする。阿部は大人しすぎて自分をアピールできなかったようだ。

しかし、チャンスが再び巡ってきた。おそらく、ストイコビッチ監督は阿部に、彼が名古屋の監督を引き受ける時にアーセン・ベンゲル監督から受けたのと同じアドバイスをすることだろう。
「自分自身を信じること」そして「自分のやっていることは間違っていないと自信を持つこと」。つまり心の持ちようなのだ。阿部は素晴らしい左足を持ち、また、攻守にわたり左サイドを支配できる力を持っている。彼に必要なのは、自身の意志をプレーで体現すること。待っているだけでは何も起こらない。

ガンバの安田とFC東京の長友は、天皇杯があるため今回の代表合宿には呼ばれなかった。イエメンのような力の劣る相手でも、岡田監督は駒野と阿部勇樹を左サイドのディフェンスとして起用するかもしれない。しかし2人はともに右利きのプレーヤー、4バックの左サイドはやりにくいように見える。だからこそ、天皇杯に敗れたグランパスから阿部翔平が招集されたのである。

この名古屋のレフトバックは、Jリーグベストイレブン候補の30名にも入っていたが、5名のディフェンスから外れたのを知り私は非常にがっかりした。選ばれたのは鹿島の岩政、内田、浦和の闘莉王、マリノスの中澤、ガンバの山口だった。
確かに、正直、このディフェンス陣は良い。だが阿部翔平をセンターバックの山口と入れ替えレフトバックにすれば更に良いのでは? と思うのだ。闘莉王をリベロとし、長身でタフなマークマンの岩政と中澤の後方に置く。内田は右サイド。そして、阿部の素晴らしい左足がディフェンスに絶妙なバランスをもたらす。
日本代表の“3-5-2時代” がどうやら終わってしまったことは寂しいのだが。

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オールドボーイとカウボーイ

2008/12/25(木)

2008年12月24日:月曜のJリーグアウォーズの夜は、スタンド上部にいた少数の鹿島アントラーズ・ファンの歓声が響き渡っていた。とにかく、お祝いすることが山積みだったのだ。
マルキーニョスが、得点王とベスト11、それに最大の賞であるMVPを獲得するというハットトリックを達成。右サイドバックの内田篤人とセンターハーフの岩政大樹もベスト11に選出されたし、オズワルド・オリヴェイラ監督が2年連続で最優秀監督賞を受賞した。そしてさらに、アントラーズのOBである秋田豊、名良橋晃、黒崎久志の名が功労選手賞受賞者のなかにあった。
そのため、感極まったアントラーズ・ファンの歌が一定の間隔で流れ、まるでスタジアムのような雰囲気が会場に漂い始めた。場所は東京ドーム近くのMeets Port。念入りに計画された、蝶ネクタイ着用の徹底的にフォーマルなイベントだったというのに。

もっとも、彼らの声援が最高潮に達したのは、同じく鹿島のヒーローでありながら現在は京都サンガF.C.の一員としてプレーする選手が登場したときではなかっただろうか。言うまでもなく、その選手の名は柳沢敦。2名が選出されたベスト11のフォワードラインを、柳沢とマルキーニョスが占めることになったのだ。パープルサンガでの「アツシ・ゴール」は、直近のシーズンではリーグ戦32試合で14得点に達し、チームのJ1残留の原動力となった。ベスト11選出は3度目。鹿島から京都への転地をきっかけに再挑戦しようという気持ちが彼のプレーに火をつけたのは明らかである。

転地ということで言えば、アントラーズのオズワルド監督も翌日、まったく同じことをした。彼の場合は故郷のブラジルで1ヶ月の休養をとるというものだが、その間には愛娘の結婚というお祝い事も含まれている――ただし、お相手はサッカー選手ではなく、エンジニアだそうだが。

シーズン最終日、12月6日に札幌でチームが優勝を決めてからの数日間は、オズワルド監督には長く感じられたことだろう。Jリーグアウォーズは12月22日という遅い時期にあり、しかもアントラーズはすでに天皇杯で敗退しているため、監督はバケーションまでの日数を指折り数え、実際に自炊生活も体験してきた。
「16日間、鹿島で独りぼっちで暮らしていたんだ」。セレモニーの開始前、彼はため息をついた。
「選手と練習することもなかったし、ブラジル人スタッフはもうみんな帰国して、いない。やることといえば、料理だけ。家は農場みたいになっていてね、僕はカウボーイみたいな生活をしていたんだよ!」
おそらく、このカウボーイスタイルの生活は来シーズンに役立つことだろう。決闘、 PK戦という決闘に勝つために。

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皆が満足した、横浜でのゴール合戦

2008/12/22(月)

2008年12月20日:8つのゴール、そして世界のスーパースターによるプレー。サッカーファンが歓喜したのは当然である。
5ゴールを挙げ観客を魅了したマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)がガンバを下し、FIFAクラブワールドカップの決勝に駒を進めた。サー・アレックス・ファーガソンも満足したことだろう。
一方、西野朗監督が落胆するのも当然だ。3-5で敗れ、それも前半はコーナーキックから立て続けにヘッドで2点を失い、とりわけ2点目はロスタイムに入ってからの失点。さらに山崎がファンデルサールからゴールを奪い期待が膨らんだ直後に3失点目…。ルーニーが中澤を抜き去りいとも簡単に挙げたこの3点目は、まさに致命傷だった。

フレッチャーとルーニーの2ゴール目でリードを5-1と広げたユナイテッドが、さらに7点、8点とガンバを粉砕するのもたやすいことのように思えた。だが試合終盤になってからのアジアチャンピオンの2ゴールは、皆を満足させるものとなった。そう、とりわけFIFAにとって。
6万8000もの観衆がスタジアムに訪れただけでなく、世界211ヶ国で何百万もの人がテレビを通して、とかく軽視されがちな大会そのものの存在意義を確認したのである。7-1、8-1といったユナイテッドの勝利では何の意味もなくなる。

とはいえ西野監督にとっては、ギグスの左足から放たれたコーナーキックをそれぞれビディッチとロナウドに決められ0-2で迎えたハーフタイムは非常にフラストレーションのたまるものだっただろう。
ウェールズ人のコーナーキックを、セルビア人とポルトガル人が決める。こうしたゴールはいかにもイングランド的だ。ビディッチは山口よりはるかに高く、まるで木からリンゴを捥ぐ(もぐ)ようにいとも簡単にヘッドで決め、ロナウドはより華麗な技術に隠れて見落とされがちな彼のヘディング能力を見せつけてくれた。
2チームの格の違いか、試合が親善試合のように見えた瞬間もあった。ユナイテッドはプレミアリーグでは普段見せないようなプレーで雰囲気を盛り上げ、特にギグスは日本人の観衆を喜ばせようとしていたようだ。

決勝でエクアドルの“オールブラックス”、リガ・デ・キトと対戦するユナイテッドは、これまでより数段高いプレーをしなくてはならない。また、3位決定戦でメキシコのパチューカと対戦するガンバ大阪にとっては、彼らのプレーのクォリティを証明する絶好のチャンスである。

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ジュビロを引き上げた松浦

2008/12/18(木)

2008年12月16日:ベガルタ仙台を迎え撃ち、トップリーグ残留を決めた試合のあと、ハンス・オフト監督はジュビロ磐田のこの1年を「ジェットコースターのようなシーズン」と表現した。しかし、ジェットコースターには高いところと低いところ、上昇と下降があるが、今シーズンのジュビロは下がりっぱなしだろう、と私は常々思っていた。入れ替え戦までは、まったくそうだった。
ちょうど最後の時期になり、ジュビロは新たなヒーローを見出した。19歳の松浦拓弥。入れ替え戦を2戦合計3-2で制したジュビロの全得点を叩き出した選手である。

7月17日(対名古屋、2-1)にJリーグデビューを果たしたばかりだというのに、松浦には自信と勢いが備わっており、年季の入ったチームメートたちのリーダー役を務めていた。アウェーで戦った初戦でジュビロがリードを奪われたあとも、松浦はペナルティエリアの端からの強烈な左足シュートを決めチームメートの士気を高めた。試合は1-1で終わったが、ジュビロはアウェーゴールという貯金を得た。

松浦は、ホーム戦ではハーフタイムの4分前に目を見張るような先制ゴールを決め、仲間の神経を沈静化させた。前田の左サイドからのクロスに胸で合わせたボールがキーパーの頭上を越え、ファーサイドの隅に入ったのである。まぐれのシュートではなかった。よく動く、小柄なミッドフィルダーが見せた即興的な技巧で、ボールがあのような高さにあれば、彼にはあれしか方法がなかったのである。
試合開始から70分後の2点目には、彼の野心、スキル、ポジティブ・シンキングの強みがよく表れていた。駒野のクリアボールに合わせると、相手ディフェンダー2人を抜き去り、チップキックのシュート。ボールはキーパーを越え2-0となった。
次の日の豊田スタジアムでは、アデレード・ユナイテッドのキャプテン、トラヴィス・ドッドがほとんど同じような状況に遭遇し、ガンバのディフェンスを瞬く間に切り裂いたが、シュートはファーポストの外に流れ、一連の動きを得点で締めくくることはできなかった。松浦の冷静なフィニッシュのおかげで、ジュビロは2-0のリードを保ったままロスタイムを迎えることができた。

だが、最終盤にドラマのないJリーグはJリーグではない。ベガルタのキャプテン梁勇基(リャン・ヨンギ)が鮮やかなフリーキックで川口のゴールを破り、興奮のクライマックスを迎える準備を整えたのだ。アウェーゴールがもう1つ決まれば、ベガルタがJ1昇格、ジュビロはJ2降格となる。
しかし、ジュビロが頑張り抜いた。終了のホイッスルが吹かれたとき、安堵した川口はピッチに崩れ落ち、数分のあいだ立ち上がることができなかった。ジュビロがJ1に残ったのだ。下がりっぱなしのシーズンに上昇をもたらした、松浦のおかげで。

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クラブワールドカップ ~サッカーのさらなる発展のために~

2008/12/15(月)

2008年12月13日:FIFAクラブワールドカップを批判し、そしてアデレード・ユナイテッドやワイタケレ・ユナイテッドのようなチームは世界のステージにはそぐわないというのはたやすいことだ。しかし、それはワールドカップ(W杯)にしても同じではないだろうか。4年に一度のワールドカップに出場する32チームは、本当に世界のトップ32チームなのか?

いや、違う。もちろんそうではない。
FIFAが世界の上位32チームでW杯を開催するとなれば、そのほとんどがヨーロッパ、そこにブラジル、アルゼンチンが加わり、そしてその他の地域から1~2チームということになってしまう。
だが私が言いたいのはそうしたことではない。
大会は、FIFAの6つの地区連盟のために開催される。そのなかで、ワイタケレ・ユナイテッドは最も力の弱いオセアニアの代表になったというだけで、それは別に非難を受けるようなことではないのだ。

現在6つの連盟が存在する以上、FIFAは全ての連盟をサポートし、全ての地域でサッカーの普及に努める義務がある。そのために、クラブワールドカップは誕生した。各大陸の大会を制し、ヨーロッパや南米の強豪チームと決勝トーナメントで対戦するチャンス。これこそがクラブワールドカップの最大の魅力であり、だからこそ、世界中のチームがこの大会への出場を狙っているのである。

マンチェスター・ユナイテッドにとっては、クリスマスや新年の行事を控えるこの忙しい時期に日本へやってくるのは面倒なことだろう。しかし、彼らの存在が大会そのものの価値を上げてくれる。これは世界のサッカーにとって大きな貢献だ。単なるプロモーションツアーでの親善試合とは違い、FIFAの公式戦、記録にも残る。
一方、日曜日に準々決勝で戦うガンバ大阪やアデレード・ユナイテッドの選手たちにとっては、彼らの生涯で最も重要な試合の1つとなるだろう。
準決勝で、世界の注目を浴びながらマンチェスター・ユナイテッドと対戦するチャンスなのである。

大会についてのネガティブな意見や出場チームの質に対する批判も少なからずある。だが、クラブワールドカップは世界中のサッカーの普及を促進するという観点から見なければならない。そうした意味で、これはFIFAの重要なイベントであり、大会の地位も上がりつつあるのだ。木曜日に東京で行なわれたアデレード対ワイタケレ戦は、ハードでフェアで、両チームが全てを出し切った、好ゲームだった。2万人近い観衆も、私も、ひじょうに楽しんだ。

そうそう、もしJリーグのチームで来シーズンに“3+1ルール”を利用してレフトバックを探しているなら、オーストラリアのスコット・ジェイミーソンがいる。
初戦で素晴らしいプレーをし、次のガンバ戦でも注目したい。特に佐々木との対決が楽しみだ。

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マルキーニョス。その数字以上の価値

2008/12/11(木)

2008年12月11日:Jリーグアウォーズはシーズン末の12月22日にならないと決まらない。日本中のファンが議論をするための時間はまだたっぷりあるわけだ。
単刀直入に、私が選ぶMVPを紹介しよう。それは鹿島アントラーズのマルキーニョスだ。足技も鋭いが、頭脳はもっと鋭いこのブラジル人ストライカーは、鹿島が浦和レッズを土壇場で追い抜いた2007年にはチームのキープレーヤーの1人にすぎなかった。しかし、今シーズンの彼は疑いの余地なくチームの中心選手である。間違いない。
もしも小笠原がシーズン終了まで万全の状態でプレーしていたとしても、私はやっぱりマルキーニョスを選ぶだろう。9月20日の柏レイソル戦で小笠原が膝を負傷する以前から、マルキーニョスはチームでもっとも影響力のある選手である、と私は思っていた。

ただし、得点王争いで2位のダヴィ(コンサドーレ札幌)に5点差をつける、21ゴールを記録したからマルキーニョスを選ぶのではない。もちろん、30試合でこれだけの得点を叩きだしたマルキーニョスのゴール量産率は素晴らしいが、本当に際立っているのは、彼の全体的なパフォーマンスとチームに対する影響力。これらの特徴は、昨年から継続しているものでもある。
ピッチ上でのマルキーニョスは真の意味でのリーダーであり、その経験と技量が、2007年の田代、今シーズンの興梠の成長に大いに役立った。興梠との連携の取り方、そして1-0での勝利のみならずシーズン優勝をもたらした土曜日の札幌ドームでの野沢のファンタスティックなゴールをお膳立てしたプレーを見るだけでも、彼の貢献度の高さがよくわかるだろう。
確かに、野沢もよくやった。ボールをコントロールし、ゴール前25mから右足でゴール隅にシュートを決めたのだから。しかし、その野沢のシュートコースを作り出したのは、マルキーニョスの巧妙なパスだった。

鹿島がホームでジュビロに勝利した先頃の試合のあと、私はオズワルド・デ・オリヴェイラ監督に、JリーグMVPにふさわしいのは誰かと質問した。
オリヴェイラ監督は具体的な選手名を挙げず、チームとしての素晴らしさを強調したが、その時々で輝いた選手がいたことは認めた。大分で大きな勝利を収めた試合については内田の名前を挙げ、ジュビロ戦では終了直前に値千金のゴールを決めた岩政――昨シーズンの私のMVP――を引き合いに出したが、シーズン全体を通して、マルキーニョスが一貫して救世主の役割を果たしてくれた、とも話した。
21ゴールも挙げたのだからマルキーニョスにMVPをあげよう、という単純な発想もありえるだろう。しかも、その得点の多くが個人としての働きによるものであるのだから。しかし、彼のプレー自体には、そのゴール数をはるかに上回る価値があるのだ。
マルキーニョスがチームメートの内田、岩政、青木を抑えて、私のMVPとなった。ピッチの中央で、彼は一貫して成熟したプレーを見せ、チームを主導し、小笠原が抜けた穴を補ってきたのである。

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常識論が勝った俊輔移籍話

2008/12/08(月)

200812月5日:横浜F・マリノスにも、常識を取り戻した人がようやく出てきたようだ。1月の移籍解禁と同時に、マリノスが中村俊輔を呼び戻すため1000万ドルを準備するという話自体、そもそも私には理解できなかった。俊輔はどのみち、2009年6月30日には自由契約になるのだ。最新の情報によると移籍金は500万ドルまで下がったそうだが、それでも6ヶ月後にはタダで獲得できるのだから、ムダというほかない。

とはいえ、移籍話が立ち消えた今となっては、まぁもうどうでもよい。経済の冷え込んだ現在でも、日産がその気になれば500万ドルぐらいは用意できたに違いない。だが彼らは待つことにしたようだ。セルティックにしてみれば、この日本のスターが4連覇に貢献してくれるのはしあわせなこと。またマリノスファンも、7月には俊輔が戻ってくることがほぼ確実視されているのだから、それほどガッカリすることもないだろう。

莫大な移籍金の話は、一体何だったのだろう。1月の中村移籍のために、マリノスが本当にセルティックに1000万ドルを支払うと申し出たなら、セルティックは間違いなく受け取っただろう。いずれにしても、シーズン終了後には俊輔を失うのだ。受けない方がおかしい。

しかし、マリノスがそれを払うのは狂気の沙汰だと私は思った。

マリノスが獲得を急ぐ理由として思い当たるのはただ1つ。来年の夏、俊輔の移籍が自由になったときに日本の他のチームが獲得を防ぐことだ。例えば浦和レッズ、名古屋グランパスそして、ヴィッセル神戸までもが、俊輔に莫大な額の複数年契約をオファーする可能性だってある。おそらく、マリノスはそうした契約と同等のものをオファーできないことを危惧したのだろう。だからこそ、他のチームが躊躇しているときにそれだけ高額な移籍金を支払う必要があったのだ。

1000万ドルのオファーが届けば、契約が残りわずか6ヶ月となった中村をセルティックが手放すのはほぼ確実。中盤には良い選手が揃っており、スコットランド・プレミアリーグでの勢いを削がれることもない。

個人的には、俊輔がシーズン終了までセルティックに残ることを決めたのを喜ばしく思っている。来年早々のワールドカップ予選に向けトップコンディションを保つことができるし、日本代表でのプレーには間違いなく、セルティックで培った勝者のメンタリティが反映されるだろう。

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オズワルドの情熱はさらに強く

2008/12/04(木)

2008年12月3日:シーズンはまだ終わったわけではないが、土曜午後のカシマサッカースタジアムは「終わったも同然」という雰囲気だった。
岩政の信じられないような終了直前のゴール、その後の祝福シーン、アントラーズにとってシーズン最後のホームゲームが終わったあとのさまざまなイベント、その間のオズワルド・デ・オリヴェイラ監督の振る舞いは、優勝が決まったかのような感覚を確かに抱かせるものであった。しかし、これはJリーグである。まだ1試合残っているし、最近の歴史を見れば分かるとおり、今度の土曜日には何が起こるか分からない。

基本的には、鹿島は2位の名古屋グランパスに2ポイント差をつけ、得失点差でも圧倒的に有利(その差は12点)に立っているため、札幌では引き分けるだけで王座を引き続き保持することができる。この状況は昨年の最終日とそっくりだ。そのときは、すでに迷走していたレッズがすでに降格が決まっていた横浜FCに苦杯を喫し、アントラーズがうなりを上げてレッズを抜き去りホームで5度目のリーグ優勝を決めた。
ただし、私には今回はアントラーズが苦労しているとは思えない。アントラーズはその点についてはプロフェッショナルらしい冷淡さを持っており、本当に結果が必要なときにはそれを生み出すための方法を必ず見つけることができるのだ。面白いサッカーにはならないかもしれないが、アントラーズは一致団結し、必死にプレーして目標を達成するだろう。土曜日の札幌ドームの試合は、アントラーズにとってその「アントラーズ主義」を見せつけ、優勝銀皿のコレクションを増やすための絶好の舞台なのである。

1つ確かなこと。オズワルド監督はチームを戦う集団に変えるための十分な準備をし、高いモチベーションと冷静さの両方をチームに植えつけるだろう。
12月5日の金曜日は、実はこのブラジル人監督の誕生日である。つまり、彼は、新たな年齢になって2日も経たないうちに、リーグチャンピオンの座を獲得できそうなのだ! サッカーそして成功することへのオズワルド監督の情熱は、先週土曜日のホームでのジュビロ戦の様子を見る限り、さらに強くなっているようである。
岩政のゴール後の監督はとても興奮しており、勝利が決まったあとはとても誇らしげだった。数人の日本人選手たち――当然ながら、ほとんどが控え選手――は、ブラジル人らしい彼のにぎやかな振る舞いの相手をするのに困惑しているように、見えないこともなかった。彼らの様子は、「ロスト・イン・トランスレーション」というよりは、「ロスト・イン・セレブレーション」という感じだった。

試合後、オズワルド監督がピッチのマイクロフォンを通じてファンに向かって絶叫した――本当に、絶叫した――メッセージについて、私は本人に尋ねた。
「人生で最高の瞬間を与えるために、私を鹿島に住まわせてくれた神に感謝したのです」とオズワルド監督。そのときにはとても物静かであった。
「昨年は、最終日に一方が勝ち、もう一方が負けるという結果によってチャンピオンになることができました。今日は優勝のチャンスを逃してしまう可能性もありましたが、最後の瞬間に点を取ることができました。選手たちは素晴らしい。彼らは常にトライし、決してあきらめない。それがチャンピオンの振る舞いなのです」。

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ハリウッド・レッズ

2008/12/01(月)

2008年11月29日:浦和レッズがバイエルン・ミュンヘンと提携しているのも、うなずける。彼らはかつて、ピッチ内よりピッチ外でのさまざまな出来事により“FCハリウッド”と呼ばれたバイエルンにそっくりなのである。
埼玉の昼メロドラマ(ソープ・オペラ)の最新の展開は、ゲルト・エンゲルス監督の後任として、同じくドイツ人のフォルカー・フィンケ氏が決まるという監督人事だ。舞台裏で繰り広げられる密談あり、噂あり、要求あり、否定あり、こじれた関係あり、そしてラストシーンでの犠牲者ありと、まるでハリウッド映画さながらの様相を帯びている。

今回、レッズの不甲斐ない成績のツケを払わされたのは、エンゲルス監督だけではない。これらの問題に愚かな対処しかできなかったクラブもである。社長から直々に解雇を言い渡される前から、こうなるであろうことはおそらく大多数の人が分かっていたようだが、エンゲルス監督の解雇が正当か否かは別として、少なくともこの温厚なドイツ人監督はもう少しマシな扱いを受けるべきだっただろう。
リーグ戦3試合を残した時点で、アントラーズと1差のレッズにはまだタイトル奪還のチャンスが残っていた。正直なところ、今シーズンの彼らは全てのポジションに良い選手が揃っていながらチームとしてはまったく良いプレーができていなかった。それでもレッズは2位、優勝するチャンスだってあったのだ。これが冷厳な事実だ。

ところが、経営陣は待つことができなかったのである。先週日曜日のエスパルス戦、フィンケ氏が埼玉スタジアムに来ていたのだ。試合の2週間以上も前から、代理人や監督らの間ではメッセージがやり取りされている。それにも関わらず、レッズは、エンゲルス監督がこうした事態を全く知らないだろうとタカをくくっている。信じられないことだ。
こんな居心地の悪い環境で、そして彼の監督としての命運も尽きたなか、エンゲルス監督はエスパルスとの重要な一戦より大きなものと戦っていた。そして、レッズは負けるべくして負けた。その3日後、クラブは契約が1年残っているにもかかわらず、今季限りでの解任をエンゲルス監督に言い渡すことを決定した。
ある英字新聞では今週、エンゲルス監督の処遇について“粗末”と表現していた。彼は少なくともそれなりの額はもらえるようだが、まさにピッタリの表現である。これで、日本でのエンゲルス監督の解雇はジェフ、京都、そして浦和と3度目。しかし彼は残り2試合を黙って耐え、今シーズンのレッズを最後まで見届けることになる。

今季はじめ、2試合終了時点でエンゲルス監督がホルガー・オジェック前監督のあとを継いだとき、私は彼を“サバイバー”だと書いた。あの日本語の能力とコーチ経験があれば他クラブでも十分コーチが務まるとは思うが、彼はどちらかと言うと、ナンバー2のポジションの方が合っているのかもしれない。
この哀れな状況のなか、エンゲルス監督はレッズよりはるかに大人の対応をした。エンゲルス監督は解雇されるべきだったのか?――それについてはここではあえて語らない。しかし、浦和ほどのクラブなら、もう少しマシなやり方があったはずだ。

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