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2008年11月

J2で際立つ難波と太田

2008/11/27(木)

2008年11月26日:横浜FCの来シーズンのJ1復帰はなさそうだが、チーム内には冬のシーズンオフ中にJ1クラブに移籍しそうな選手が何人かいる。
土曜日、昇格を目指すベガルタ仙台をホームに迎え、2-2で引き分けた試合の力強いパフォーマンスを見ればよく分かるように、横浜には、クラブから声をかけられさえすれば、すぐにJ1に対応できそうな選手が少なくとも2人はいる。私が最も強い印象を受けたのは、センターフォワードの難波宏明とレフトバックの太田宏介だ。

難波は、川崎フロンターレの北朝鮮人ストライカー、チョン・テセを日本人にしたようなタイプで、精力的な動きが特徴。身長172cm、体重68kgと公表されているが、体格はそれより相当大きく見えるし、パワフルである。チョンと同じように難波もピッチを縦横に駆け回り、空中戦でも、地上戦でも相手ディフェンスにとって常に厄介な存在となっている。
難波は横浜FCが2007年に降格した当時から、まだ荒削りではあったものの有用な選手で、強いスピリットを持ってプレーをしていた。12月9日で26歳になるということなので、難波のJ1そしてJ2でのプロとしての出場試合数は50試合弱にすぎず、その走力と積極性はまだまだ衰える気配はない。強化を図りたいJ1のチームにとっては、難波はお買い得。もし移籍することになれば、横浜FCにとっては大きな痛手となるだろう。

太田も、横浜FCの4バックのなかで際立っていた。難波と同様、彼も2007年の降格を経験しているが、精神的にすれたところはまったくない。まだ21歳の太田は、大分トリニータの森重真人のような激しさとスピードを持つ選手だ――しかも、期せずして2人とも背番号は同じ「6」。太田は、178cm、74kgというがっちりした体格で、前線に駆け上がって攻撃に参加することを好む。

冬に備えて数多くの移籍話が水面下で進行中だが、難波と太田の名前がJ1のクラブの獲得候補に挙がっていても、私にとってはそれは驚きでも何でもないのだ。

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シンプル・イズ・ザ・ベスト

2008/11/24(月)

2008年11月21日:それは、日産スタジアムで行なわれたJ1の試合でのこと。アウェー側のスタンドに掲げられたバナーを、テレビカメラが映し出した。京都サンガのサポーターが掲出したバナーには、英語で「Simple is the best way」とあった。
水曜夜、日本代表がカタールを3-0で破ったドーハでの試合を見た私はふと、岡田武史監督もこのバナーを見て早速実行したのではないかと思った。それほど、日本代表のプレーはまさにシンプルそのものだったからだ。
最近の日本代表のプレーは、完璧な技術とタイミングが要求される複雑な動き、それからゴール前でのボールの回し過ぎにより、シンプルなはずのものを非常に複雑なものに見せていた。しかし、ドーハでの彼らはサッカーの原点に戻り、よりダイレクトなプレーで即結果を出したようだ。

日本は積極的にボールを前線へ送り込んでフォワードのペースをうまく生かし、カタールのディフェンス陣を後方に釘付けにしていた。田中達也の先制ゴールは、内田からのパスをスマートに決めたものだった。
先制ゴールを挙げる前から、闘莉王や田中達也は積極的にゴールを狙っていた。そして後半早々、玉田の素晴らしいシュートで2点目。このゴールは、カタールを完全に打ちのめした。
グランパス・ファン、そして日本代表のファンたちはこれまで、玉田が左足でシュートを打つチャンスに、カッコよく決めるためにワンタッチ余計なことをしてチャンスを逃すのを何度見てきだろう……。しかし今回は、ペナルティエリアの端からダイレクトで叩きこんだ。

日本はその後もエリア内にクロスを上げつづけ、相手キーパーにプレッシャーをかけつづけた。3つ目のゴールは、中村俊輔のファーポストへの美しいクロスを闘莉王がヘッドで決めた。
彼らは自信を持ってプレーし、シンプルなプレーに徹底していた。これが、この試合で私が日本に最も感心したところだ。シンプル・イズ・ベスト! これで、岡田監督の頭の中のモヤモヤが少しでも晴れたことを願っている。

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ストイコビッチの中のオシム的要素

2008/11/20(木)

2008年11月19日:6試合で勝ち星なし。最大で勝点18が可能だったが、実際に獲得した勝点は4。最近3試合でのゴールは1つだけ……。降格の危機にさらされているチームにありがちな成績だ。
しかし、この場合は違う。この成績は名古屋グランパス――依然として3位につけ、3試合を残した時点でトップとは勝点差は2――のものなのである。
この状況は、混沌とした最近のJ1を象徴している。つまり、大詰めの重要な時期にさしかかっているのに、どのチームも連勝できず、混戦から抜け出すことができないのである。それゆえ、グランパスが今の順位を辛うじて維持することが可能になっている。

名古屋のドラガン・ストイコビッチ監督は、シーズンの終盤になりこのような不甲斐ない成績ではタイトル争いからの脱落は必至とわかっているが、同時にその長い経験から、サッカーでは、とりわけ日本のサッカーではどんなことも起こりえるのだということも知っている。
「我々は絶対にあきらめない」。土曜日、2-1で大宮を破った天皇杯の試合後、NACK5スタジアムからの去り際に、ストイコビッチは目を輝かせながらそう語った。
「この試合で最も大事だったのは、勝つための方策を見つけることだった。そうすれば、リーグ戦の残り3試合にも自信をもって臨めるからね。我々には自信が必要なんだ。アウェーで2点もとれるなんて、まったく驚きだね」

グランパスは、フローデ・ヨンセンの2つのヘディング・シュートで勝利をモノにした。最初のゴールは試合序盤に大宮ディフェンスからプレゼントされたものだったが、2点目は巧妙なシュートで、その前には左サイドで阿部とマギヌンの間で流れるようなボールの受け渡しがあった(実際、ライン沿いに阿部が出したパスは芸術的だった。大宮のディフェンスを迂回するようにボールがカーブし、それから左サイドを駆け上がってきたマギヌンにぴたりと合った)。ヨンセンは来シーズンはガンバでプレーし、その代わりに札幌からダビが来るという噂があるが、そのような移籍が成立したとしても、名古屋にとっては、空中戦での強さを誇るこのノルウェー人フォワードを失うのは痛手になるだろう。

いずれにしろ、グランパスはアウェーでの勝利という結果を出したし、その特徴とスタイルを十分に発揮することで、J1でのタイトルは手の届かないものではないという確信を監督に抱かせた。
さらに、かつてのボスであるイビチャ・オシムの言葉もストイコビッチを元気づけた。イビチャ・オシムは、ストイコビッチが名声を博した1990年のワールドカップで、彼が所属したユーゴスラビア代表チームの監督を務めていたのだ。
「グランパスのプレーはいつ観ても楽しい、と言ってくれたよ。彼からこのような言葉をもらえて、本当に嬉しいね」。試合終了後、オシムと数分間おしゃべりしたあと、彼はそう語った。

オシムと一緒に仕事をしていたときに彼から学んだことは何か、と私はグランパスの監督に尋ねた。すべての選手がチームのために仕事をするのが何より重要であるということ、と彼は答えた。
「選手は、自分勝手になってはならない。選手はグループのためにプレーしなければならないんだ」とストイコビッチは言った。
「彼(オシム)は、僕が優れた才能を持った選手だということを知っていたが、僕はその才能をグループの中で活かし、グループのためにプレーしなければならなかった。そうなれば、グループは試合に勝てる。代表チームの一員として、ワールドカップで一緒に仕事ができたのは、良い経験だったよ」。

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ガンバ…恵比寿の誇り

2008/11/17(月)

20081115日:今日の仕事も終わりに近づき、街のネオンが輝きだす頃…やはり東京の恵比寿が一番だなと思う。とりわけ、ビッグゲームを見るためにフットニックバーの外で5時の開店を待ち、ドアが開けられ暖かい店内で席に付いた時にそれを実感する。サッカーファンが行列をなし、その横を行き交う人たちが「一体この騒ぎは何だ」と訝しがる。水曜夜の光景は、まさにそんな感じだった。

そう、水曜の夜はもちろんアジアチャンピオンズリーグ決勝の第2戦、アデレード・ユナイテッド対ガンバ大阪戦だった。試合が始まる午後6時には、バーは青と黒の縦縞でほぼ満席。たまたま店にいた外国人たちは、どこのチームがプレーしているのか、どこで行なわれているのか、そして何の大会なのかなどと尋ねていたが、日本人たちはすっかり盛り上がり、やがてワイルドな祝勝会へと化していった。

機敏な佐々木の足が低いシュートを放つ。ルーカスがかわしてフィニッシュ! ガンバが1-0とリードした。これで2戦合計4-0、試合開始からわずか4分でほぼ終わったようなものだった。さらに前半15分、今度は二川の素晴らしいパスから再びルーカスが決めた。ダメ押しのゴールである。

2点目を挙げた後も、感心したことがいくつもある。まずガンバ。彼らは正確なパッシングゲームをその後も続け、時間稼ぎのムダな作戦をとらなかった(“日本のアーセナル”の再現だな)。それから、バーにいたたくさんのファン。彼らは盛り上がり、カップファイナルの緊張した雰囲気、興奮、そしてプライドをひしひしと感じさせてくれた。

さらにはハインドマーシュ・スタジアムの赤いシャツを着たオージーファン。彼らも、もう望みはないと知りつつ試合終了のホイッスルまで席を立とうとしなかった。キックオフの前から、第1戦を0-3で落としたアデレードが逆転する可能性は非常に低かった。勝負が決まってしまったにもかかわらず、ファンたちはスタジアムに残り、それがまた世界中に放映されたテレビ画像でもカラフルな光景を作ってくれた。生まれたゴール、それはどちらもブラジル人選手によるものだったが、特に日本人選手のスピードと技術も世界の視聴者を感心させるものだった。

地上波でもスカパーでも放映されなかったため少々お高くついてしまったが、フットニックでの最高の一夜だった。ファンたちは弾むような足取りで、軽くなった財布と共に大満足で帰路についた。昨年の浦和レッズ、そして今回のガンバと、日本のクラブチームはアジアのプレミアクラブ大会に堂々たる足跡を刻んだと言える。

AFCは、これまでのホーム&アウェー方式をやめ、東京の国立競技場でのシングルマッチ方式に変更することを決定した。オーガナイザーとしては、来シーズンの決勝にも日本のクラブチームが残ってくれることを願っているに違いない。

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大宮ダーリン、クレメン・タイム

2008/11/13(木)

2008年11月11日:このタイミングで、クレメン・ラフリッチが大宮アルディージャの熱烈なサポーターのアイドルになるとは!
後半の半ばを過ぎても1-1のスコアのまま、まったくの互角の展開だったアルディージャ対フロンターレ戦で、ラフリッチは記憶に残るようなゴールを決めた。そのシュートの噂は埼玉からスロベニアにまで伝わり、数シーズンにわたって語られることだろう……語り手は、主にラフリッチ本人ではあるが。

ライトバックの塚本泰史がフロンターレのゴール前に上げたクロスは、大柄のラフリッチにピタリと合っているようには見えなかった。ボールが少し後ろに流れたからだ。しかし、ラフリッチはゴールに背を向けワントラップでボールを少し浮かせると、オレンジの残像を残しながら体を反転させ、右足で狙い澄ましたような強烈なシュートをゴールのファーサイドの隅に叩き込んだ。
クレメンが活躍する“クレメン・タイム”が訪れ、アルディージャが2-1のリードを守りきった。そして、降格を避けるための戦いでは重要な意味を持つ勝点3を得たのである。

勇敢な大宮は、期待外れのデキだったフロンターレに勝って当然の戦いぶりだった。勝てば順位表のトップに躍り出るアウェーチームだったが、そのパフォーマンスからは、そうした立場にあるチームだとはとても思えなかった。フロンターレには、このような場合に必要とされる切迫感と自信が欠けていたのである。
アウェーチームのファンが試合後もチームに温かい声援を送っていたことに、私は意外な感じを受けた。その日のフロンターレは、チャンピオンになれるだけの選手は揃っているにもかかわらず、それにふさわしいメンタリティに欠けていることを如実に示していたからだ。
その午後は、大宮の方がずっとキレがあり、貪欲に見えた。また、J1通算300試合目の出場となった藤本主税の貢献により、良い立ち上がりを見せることもできた。藤本はラフリッチの低い弾道のシュートがポストに当たって跳ね返ったのを捉えて26分に先制点を決めると、ホームのサポーターに彼のトレードマーク“阿波踊り”のもてなしをした。

私は、これでフロンターレが目を覚まし、とにかくこの試合をなんとかしようと気持ちを切り替えるかなと思った。しかしその9分後、同点ゴールが決まったときにもそのような兆しはまったく見られなかった。左サイドからの中村のフリーキックはラフリッチがヘッドでクリアしたが、フロンターレのライトバックの森がフリーでそのボールに合わせ、ドライブのかかったシュート。ゴール前30mの地点から打たれたボレーシュートは江角の意表を突き、大宮のゴールネットを揺らした。
これよりすごいシュートはNACK5では当分のあいだ見られない。私はそう思ったのだが、その“当分のあいだ”はわずか42分だった。77分にラフリッチが強烈なシュートでホームの観客を熱狂させたからである。

このコラムのタイトルの元ネタは、もちろん有名なあの曲『オーマイ・ダーリン・クレメンタイン(愛しのクレメンタイン)』である。クレメンというラフリッチのファースト・ネームを耳にするたびに、私はいつもこの曲を思い出してしまうのだ。そう、今回このフレーズを使わなければ、いつ使うというんだ!
ラフリッチの代理人――彼のJリーグのクライアントの1人である、サンフレッチェ広島のミハイロ・ペトロビッチ監督と一緒にこの試合を観戦していた――も、試合終了のホイッスルが吹かれたときに何かの歌を口ずさんでいたのを私は聞き逃さなかった。もっとも、その曲はアバの名曲のようだったが。『マネー、マネー、マネー…』。

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初タイトルに向け加速するフロンターレ

2008/11/10(月)

2008年11月7日:月曜日に等々力で行なわれた天皇杯4回戦、川崎フロンターレがモンテディオ山形を迎え撃った試合。J1とJ2の力の差をこれほど大きく感じたことは、今までなかった。ビジター(モンテディオ)が早々にリードしたものの、フロンターレに格の違いを見せ付けられ、1-3で敗れた。けなすわけではないが、ゲームの残り1/3の時間は、フロンターレは勝利を確信しクルーズコントロールで軽く流しているかのようだった。
当日の観客のなかには、大宮アルディージャの樋口靖洋監督の姿があった。土曜日のNACK5での対フロンターレ戦に備え、おそらく彼のノートはびっしりと埋まっていることだろう。

今シーズンのJ1も残すところあと4試合。フロンターレは首位と2ポイント差の3位だが、威信と柔軟性をもってプレーしており、チーム初のタイトルを獲得する可能性は十分ある。
土曜日の大宮戦後、フロンターレはガンバ大阪、ヴィッセル神戸と2試合つづけてホームゲームを戦い、そしてヴェルディとのアウェー戦でシーズンを終える。いずれの4チームも、攻撃陣の豊富なフロンターレにとっては難しい相手ではない。
フロンターレは屈強な北朝鮮人CF(センターフォワード)鄭大世が攻撃を引っ張り、レナチーニョが右サイドから、そしてジュニーニョは左サイドから彼をサポートする。3人目のブラジル人選手、ヴィトール・ジュニオールはMF登録だが、キャプテンの憲剛と谷口のMFコンビのおかげで守備の負担は少なく、トップ下でプレーする。
鄭大世は日本の愛知県生まれなので、フロンターレは4名の強力な外国人選手を一度に出場させることができるようなものだ。

フォーメーションは4-3-3より4-2-4を多用している。ストライカーだけでなく、後方からエリア内に走り込んでくる谷口、セットプレーからの中村の正確なシュート、そして長身DF陣のヘディングなど、フロンターレはどこからでもゴールを狙える。
山形戦でのプレーは、冷酷、そうでなければ容赦のないというものだった。スタンドにいた樋口監督は、土曜午後に大宮で対戦する彼らのこれほどの攻撃陣をどうやって止めるか悩んだことだろう。

今現在、フロンターレの驚異の強さを見るにつけ、3人の外国人選手プラス1人のアジア人の選手が出場できるという“3プラス1”ルールが導入される来シーズン、彼らはさらにどれほど強くなるのだろうと思ってしまう。フロンターレにとっては、それは“4プラス1”になるようなもの。3人のブラジル人選手に1人の北朝鮮人選手、そしてそれに加え韓国もしくはオーストラリアの選手?
シーズン後、選手が残留するとすれば、ベンチにはさらに我那覇や黒津が控えているということなのだ…。

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順当だけど、やっぱり驚き

2008/11/06(木)

2008年10月4日:土曜日の国立競技場。シャンパンのコルクが弾け、その泡が最後に消えたあとに振り返れば、ナビスコカップ決勝の結果はまったく順当で、予想通りでさえあった。それでも、やっぱり驚きなのだ。少なくとも、私にとっては。
本当のところ、私は、この試合に限ってはエスパルスが勝つと思っていた。エスパルスが決勝に向けて勢いづき、調子も良さそうだったのに対し、最近の大分は少しもたつき気味で、危なっかしい感じがしていた。だが、この日のトリニータは完璧な試合運びを見せ、おなじみの、効率的で非情なサッカーでじわじわとエスパルスを葬った。

こうした試合では、いつも先制点が大きな意味を持つものだが、先制後のトリニータは、チーム全体が完璧に統率がとれた状態になったように見えた。エスパルスを絶えずその支配下に置くことができただけでなく、機を見て攻撃に転じることもでき、絶好の時間帯に追加点を奪い、その日の勝利を決定的なものにした。
クラブにとっても、若きブラジル人監督ペリクレス・シャムスカにとっても記念すべき勝利だったが、それを巧みにアシストしたのはピッチ上の3人のコーチ、つまり中盤のエジミウソンとホベルト、前線のウェズレイである。もちろん、彼らが正式なアシスタント・コーチでないことはわかっている。しかし彼らは“選手兼コーチ”と呼べるほど強い影響をチームに与えている。

エスパルスについていえば、持ち味を発揮できなかったのではないだろうか?
エスパルスが苦戦していることは、中盤のダイヤモンドの頂点にいて、強い走力を持つ2トップの原と岡崎の後方でプレーしていた枝村が精彩を欠いていたことを見れば明らかであった。82分に代えられたとき、私は彼がまだピッチにいたのを忘れていた。それほど、大分のディフェンスが見事だったのである。
前半には、高木が惜しいシュートを横に外したり、終盤に登場した矢島の左足の際どいシュートがあったりもしたが、その日の午後を通して、エスパルスはシュートを打てる位置でボールを得るのに苦労していた。

正直いうと、試合開始早々1分に妙な感じがしていた。深谷が原にファウルを犯し、大分が自陣のペナルティ・エリア左側からのフリーキックを与えた直後のことだ。
試合が始まったばかりなので、エスパルスは得点力のある青山と高木をゴール前に置き、兵働が正確な左足でゴール前にボールを供給するものとばかり思っていた。決勝戦のこのような段階では神経がまだ高揚しているかもしれないので、ディフェンスのミスもありえないことではないからだ。
しかし、エスパルスはそうではなくやたら凝ったパス回しをし、それは失敗に終わった。結果的に、兵働が苦手の右足でシュートを打つはめになってしまったからだ。ボールは、高さも、幅もゴールから大きく外れ、大分は何の苦労もすることなくこのフリーキックをやり過ごすことができた。なんという無駄だろう!

トリニータは、勝利に値するサッカーをした。一方、エスパルスの長谷川健太監督は、時計の針を戻して土曜日のランチタイムからもう一度やり直したいと思っていることだろう。

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申し分ない選出だったニューヒーロー賞

2008/11/03(月)

2008年11月1日:チームスポーツの世界では、個人賞の選出は得てして激しい議論を招く。しかしナビスコカップの前夜祭で発表された「ニューヒーロー賞」には、誰も異存はないだろう。
土曜日に国立競技場で行なわれるナビスコカップ決勝、清水エスパルス対大分トリニータ戦の前夜、Jリーグは19歳の金崎夢生の受賞を発表した。両チームには他にも数名の候補者がいたのだが、金崎が栄えある賞に選ばれたのだ。

来年2月16日に二十歳になる攻撃的MFの金崎は、華麗なフットサル・テクニックとハイテンポなプレーで今やすっかり有名人となっている。そしてもう1つ、有利なのはその体格――筋骨たくましい180センチの長身は、ヨーロッパのスカウトの目にも留まりやすいというものだ。
巷の話では、グランパスをはじめ、金崎に惚れ込んだいくつかのJリーグのトップチームの冬のショッピングリストに、チームメートの森重真人と共に入っているという。当然。グランパスのドラガン・ストイコビッチ監督は、長身で自信と創造性に溢れた選手を好む。金崎は様々な面で彼らのニーズにフィットする。そしてストイコビッチ監督のような知識と経験豊富な指導者のもとで、さらに進化できる選手だろう。

こうした栄誉称賛は、トリニータのブラジル人監督、12月22日に東京ドームで行なわれるJリーグ・アウォーズ・ナイトでの最優秀監督賞の有力候補、ペリクレス・シャムスカの功績が大きい。
2人のブラジル人MF、エジミウソンとホベルトが確固たる基盤をつくり、金崎がピッチの残り1/3でマジックを織り成す。そして2人と共に3バックの前で森重がアンカーとしてプレーし、チームのバランスと形を維持している。これにより金崎は守備的な責任から解放され、自由にピッチを動きまわってオープンスペースを探し、2人のストライカーにボールを繋ぐことができるのだ。

金崎は才能溢れるエキサイティングなプレーヤーである。今シーズン、まさかの快進撃を見せたチームにあって目覚しいゴールを数多く挙げた。この「ニューヒーロー賞」は彼の功績を称えるものであり、チームは今シーズンさらなるトロフィーをチームとして獲得できることを願っていることだろう。
土曜日のエスパルスとのナビスコカップ決勝は、リーグカップ、リーグチャンピオン、そして天皇杯の3冠への第一歩。シャムスカ監督には創造性豊かなプレーヤーたちと金崎のエネルギーが、今後さらに必要になっていくはずだ。

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