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2008年10月

東京でのガンバ対アデレード

2008/10/30(木)

2008年10月28日:少し前の夜に、アジアのサッカー関係者から興味深い質問を受けた。
「ガンバ大阪対アデレード・ユナイテッドは、万博記念競技場と大阪長居スタジアムのどちらでやる方がいいんだろう?」
正直言って、私はどちらもさほど好ましいとは思わない。万博はスタンドがピッチからかなり離れているし、2万1,000人しか収容できない。長居は大きすぎて、雰囲気が出ない。
「どちらもお勧めできないな」と私は答えた。「私なら、東京の国立競技場でやるね」。
友人は私の答えにひどく驚き、さらに詳細な質問を投げかけてきた。

「まあ、AFCチャンピオンズリーグの決勝というビッグマッチなのだから、長居より東京の方がより多くの観客を集められると思うよ」と私。
「でも、そうするとガンバのホーム・アドバンテージはどうなるの? それから、忠実なファンがこのゲームを観られなくなるじゃないか?」相手の、この2つの指摘はもっともである。

「長居スタジアムで試合をしても、ガンバにはホーム・アドバンテージはないだろう。ガンバのホームは吹田市であって、大阪市じゃないからね。ファンについては、そうだね、水曜夜の試合に東京まで移動するのは大変かもしれないけど、ガンバ・ファンは東京にもたくさんいる。東京近郊でJリーグの試合をするときもいつも大勢のサポータがいるけど、関西からわざわざやって来ているファンはそんなに多くはないだろうな。
だから、日本サッカーのホームである東京の国立競技場でやって、キックオフを7時30分にすればいいんだ。週の頭から全国メディアで大々的な宣伝を打てば、数千人の日本サッカーのファンが仕事後にやって来てガンバをサポートしてくれるはずさ。
それに、東京には、オージー(オーストラリア人)だけでなく、外国人のサッカー・ファンがどれだけいることか。水曜夜に国立競技場で日本対オーストラリア? 僕にはすごく面白そうに思えるけどな!」
というような説明を私はした。友人はこのアイデアを、とくにメディアとマーケティングという点で気に入っていたようだ。

11月5日の第1戦が直前に迫っている現在の段階で、国立競技場が考慮の対象となっているかどうかは私には分からない。アジアサッカー連盟の公式ウェブサイトでは会場は、Expo 70(万博)で午後7時キックオフとなっている。ただし、今週はじめの段階では、大阪長居スタジアムでの開催もまったくの想定外ではあったのだ。

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“日本のアーセナル”ガンバ準決勝突破!

2008/10/27(月)

2008年10月24日:先週行なわれた欧州チャンピオンズリーグは、アウェーチームが自信に溢れた最高の試合だった。ひしひしと重圧がかかるなか、彼らは非常に落ち着いていた。そして勝利を手にするため、ここぞというときに集中し、冷静なプレーをした。そう、それはアーセナルの、フェネルバフチェでの記憶に残る素晴らしいプレー。日本に居ながらにしてその感動を味わおうと、水曜日早朝に早起きした価値が十分あったというものだ。

その日の午後、場所は埼玉スタジアム2002に移る。アジアチャンピオンズリーグの準決勝・第2戦、今度はガンバが、まるでアーセナルのように浦和レッズを3-1で下した。
アーセナル同様、ガンバはパスと細かな動きを多用するチームである。そして、相手を十分に苦しめた上でトドメを刺す。ただ、ときに彼らはやり過ぎてしまうこともある。しかし、ひとたびそのスタイリッシュなスタイルに冷静さが加わると、易々とプレーしているように見えるものだ。歓声に沸く埼玉スタジアム、ガンバは特に後半に素晴らしいプレーを繰り広げ、レッズを完全に崩壊させた。

ガンバは、ホームチームの前半からの猛攻に備えていた。そして、ゴールを高原の先制点の1点に抑え形勢を逆転させた。試合後、レッズのゲルト・エンゲルス監督は、試合を支配している間に2ゴール目を奪えなかったのが敗因だと語った。もちろんガンバも、それを十分理解していた。

ビジター(アウェーチーム)はアクションを起こすときが来たと判断し、後半開始と同時にロニーに代え危険な佐々木を投入した。彼らは、レッズがこのハイテンポなプレーを90分間つづけることは不可能だと分かっていた。そして、前半に暖めていたエンジンのギアをトップにシフトしたのだ。
ガンバのチームワークと結束力は、徐々にレッズの各選手のプレーを潰した。そして同点ゴール――遠藤のコーナーキックをヘッドで決めた山口のゴールは、予期していたよりも早く、そして容易に訪れた。
ガンバが2-1と逆転した明神のゴールは運に恵まれたのもあったが、両者のうちどちらがよりダイナミックで、どちらが勝者なのかはその時点で明らかだったのは言うまでもない。

試合が進むにつれ、ガンバがレッズゴールをカウンターで脅かす機会が増えた。最後の15分間などは、攻撃の度にゴールを挙げるのではないかという勢いだった。レッズファンの歓声が何とかレッズを前へ進めようとはしていたが、ガンバの精鋭たちの前にチームは完全に寸断され、むなしくピッチを走るしかなかった。
3点目のゴールはまた、格別だった。素早くスムーズなパス回しに、観客はもちろん遠藤によって無力化されたレッズディフェンス陣も惑わされた。そして完璧なフィニッシュ。まるで闘牛の終盤、マタドールが突き出した最後の一突きが、追い込まれた勇敢な敵を倒したかのような、残酷かつ必然的な終焉だった。

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結局、大久保はファンタジスタだったのか?

2008/10/23(木)

2008年10月21日:ヴィッセル神戸を観ていると、退屈しない。あるいは、大久保嘉人を観ていると退屈しない、と言ったほうが正確かもしれない。
ヴィッセルのこのエースは、土曜日の埼玉スタジアム2002で決勝ゴールに結びつく大きな働きを見せた。レアンドロが決めたこのゴールは、今シーズンのベストゴール候補に挙げられるほどのものだった。
試合終了まで残り8分、大久保は自陣の右サイドでボールを持つと、内側にドリブル。そして、待ち受けていたレアンドロに左足で見事なパスを送った。レアンドロはペナルティエリアの左サイドから鋭く切り返し、鈴木啓太のはかない抵抗を用心深く振り切りゴール右上隅に強烈なシュートを叩き込んだ。

「ファンタスティックなゴールでした」。松田浩監督はうれしそうに語った。
まったくその通り。昨シーズンの最終盤、鹿島がレッズを相手に貴重な勝利を挙げた試合があったが、その試合での野沢のスーパーゴールを髣髴(ほうふつ)させるゴールだった。
さらに松田監督はこう付け加えた。「全員参加のコレクティブなカウンター・アタックでした」。そのなかで、大久保が重要な働きを果たしたのである。

松田監督は最近、大久保を中盤の左サイドで起用しているが、それでも大久保が相手ゴール前での大きな脅威になっていることに変わりはない。
レッズ戦の前半、大久保は、金南一が出した絶妙のクロスをヘディング・シュートで決めるチャンスがあったが、これは横に外してしまった。さらにその後、ペナルティエリアの角でゴールがはっきりと見える場面があったが、シュートを打つのを躊躇。結果的に、フリーキックをもらおうとする見え透いた演技をして、阿部の強烈なタックルに倒れこんだ。

大久保は後半には良くなり、山岸がなんとかセーブしたシュートが2本あったし、至近距離からの強烈なシュートはバーを直撃。また、明らかにディフェンスを振り切ったときには、闘莉王に後方から引っ張られた。このときは何の罰則もなくプレーが流されたが、レッズのリベロがレッドカードをもらっていてもおかしくないプレーだった。

しかし、この日の勝利を最終的に決め、試合後に松田を意気揚々とさせたのは、大久保からレアンドロへのスルーパス。
「もともと彼はミッドフィルダーだったのです」とヴィッセルの監督は言う。「高校時代は攻撃的ミッドフィルダーで、私はずっと、そのパスセンスを買っていました。彼のラストパスは危険で、今日はそれがキラーパスとなりました。プレーシャーのなかでも、良く見えています」。
「彼の一番の長所はパスだと思います。自分でも決定的なチャンスを2つ得ましたが、外していましたね」。

いったい、大久保とは何者なのだろう? ゴールを奪う選手なのか、それともゴールをアシストする選手なのか?
私は今でも、代表レベルで前者の役割を果たして欲しいと思っているが、最近のプレーを見ると後者の方が正解なのかもしれない。

ヴィッセルには、来シーズンに中澤佑二と山瀬功治のマリノス・コンビを獲得するという噂がある。実現すれば、億万長者の三木谷浩史は、Jリーグのロマン・アブラモビッチと呼ばれようになるだろう。
その噂について松田監督に質問したのだが、「それは自分には関係のないことだ」というのが彼の答えだった。
「来シーズンも監督でいるかどうかさえ分からないのですから」。
「今月末までには、それをはっきりさせたいですね」。

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岡田監督はまだ軌道修正できる

2008/10/20(月)

2008年10月18日:ここは少し、冷静になってみよう。日本は次のワールドカップに向け順調に予選を戦っている。2試合で勝点4は十分満足できる結果。このペースで最終予選を戦えれば、勝点は計16ポイント、上位2位に入るのに十分だ。
予選突破のお決まりのルートといえば、アウェーで引き分け、ホームで勝つというものだが、そうした点では、初戦のバーレーン戦の勝利は2ポイント先行ということになる。ウズベキスタンとは1-1で引き分けたが、日本は予定通りのコースに戻っただけである。
パニックに陥る必要はまったくない。犬飼基昭JFA会長も、岡田武史監督を解雇し軌道修正するつもりはないと明言している。

軌道修正の必要があるかどうか判断せねばならないのは、むしろ岡田監督の方だろう。ただしプレースタイルについて、だ。
小柄ながらもスピードのあるフォワード、そしてパスと動きでディフェンダーをかわすという岡田監督の方針を維持するのか。それとも基本に戻り、他の選手を使いサイドからのクロスを使ったより直接的な攻撃をするのか。

個人的には、方針を変え、上背があり、より経験豊富なチームに戻してくれないかなと思っている。とりわけFW陣については、岡田監督の選んだ選手たちにはまだ荷が重いのではないだろうか。
確かに、2試合で勝点4を挙げた。だが現在のチームはどこか脆く、危うさを感じる。崩壊するのではないかと思ってしまう。11月19日のカタール戦に向け、今ならまだチームの強化も間に合うはずだ。

ウズベキスタン戦で私が最もガッカリしたのは、ベンチに直接的な攻撃のできる選手がいなかったこと。岡崎と興梠を途中で投入したが、彼らは大久保と玉田と同じタイプだ。香川については、岡田監督が早々に呼び戻したことに驚かされた。オリンピック代表に選ばれ、U-23オーストラリア代表戦では良いプレーをしていたが、北京ではまったく能力を発揮できなかった。
香川については、Jリーグで成長するのをもう1~2年待つのがベストだと思う。岡田監督も、彼の持つ何かに気づいている。それは長い目でみれば、いずれ証明されるかもしれない。しかし、現状では、岡田監督には差し迫った問題がある。まずは、明日のことより今日のことだ。

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クラマー氏の提言:第2の釜本を探せ

2008/10/16(木)

2008年10月14日:大量のゴールが生まれた月曜日のU-18全日本ユースサッカー選手権決勝の後、ドイツのコーチング教授であるデットマール・クラマー氏の脳裏には、あるただ1人のストライカーがあった。そしてその1人は、彼が目撃したばかりの驚くべき試合、つまり浦和レッズ9-1グランパスという結果の決勝戦――そう、間違いなく9-1だった。もっとも、この日に限っては名古屋が8点になっていなくてよかったもしれないが――に出場していた選手ではなかった。
目をキラリと輝かせながら、クラマー氏は日本のヒーロー・釜本邦茂の思い出をいとおしそうに話しはじめ、どこかにもう1人の釜本がいるはずだ、と語った。日本サッカー協会がしなければならないのは、その人物を探し出し、彼が“アジア病”と呼ぶもの――代表チームに傑出したストライカーがいないことを――を治すことだったのだ。

「60年代に起こったことは、21世紀にも起こりえます」。83歳になったクラマー氏は、埼玉スタジアム2002でそう語った。
「日本は、第2の釜本を見つけるためのスカウティング・システムを構築しなければなりません。それには時間と組織とやる気が求められます。才能はどこかにいるのです。私も目にしてきたのですから。ただし、才能は発掘せねばなりません。我々は1960年代、それを京都で発掘しました。ひょっとすると、次の釜本は北海道にいるかもしれない。その才能を見つけることが、日本の課題です」

1960年代に日本サッカーの基礎を築いた功績から、クラマー氏は“日本サッカーの父”と呼ばれている。その活動の集大成はもちろん1968年メキシコ・オリンピックの日本代表の銅メダル。釜本は大会の得点王となった。クラマー氏はそのチームでテクニカル・ディレクターを務めていた。
「彼が初めて私のところに来たのは1961年。当時は京都の高校生でした。私はジュニア向けのキャンプを開催していて、彼はトライアル・マッチで半分だけ出場した。45分間で2ゴールを決め、私はすぐに彼を代表チームの新選手として抜擢したのです」
「1965年にアジア最高のセンターフォワードになり、1968年にはオリンピックでも目立っていました。彼は16チームが参加した大会で最高のストライカーだったのです。ブラジルやスペイン、ハンガリー、ブルガリア、フランスといった国々も参加していたのに」

1970年代の半ばにバイエルン・ミュンヘンの監督を務め、ヨーロッパの2つのカップ戦でチームを優勝に導いたクラマー氏は、釜本本人にも、第2の釜本を見つけるよう求めた。
「『カマ、君は日本国内を飛び回って第2の釜本を探さなければならない』彼にそう伝えました。釜本二世は、日本にきっといることでしょう」

スカウトが追い求めなければならない資質とは、どのようなものなのか?
クラマー氏はこう答えた。
「自分に自信を持てるという特性です。ゴールを決めたいのなら、自分自身を信じることです。強い意志の力を持っていなければなりません。スキルというものは、そうすることで向上するのです」。

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日本代表の不甲斐ない結果

2008/10/13(月)

2008年10月11日:香川がゴールを挙げ、そして興梠がエネルギッシュなプレーを見せたにもかかわらず、日本対UAE戦を観て最もハッピーな気分になったのはウズベキスタンだろう。
日本のヤング・ガンたちについて、彼らがいかに試合を変えたか、とやかく言われている。だが正直なところ、新潟での1-1の引き分けでは何ひとつ良いところがなかった。いや、それどころか最悪である。おそらく、2007年アジアカップの3位決定戦のドロー(0-0)、PKで敗れたあの試合以来最低の試合だったように思う。

そもそも、JFAがなぜこの親善試合を組んだのだろうと感じさせるような、まさにそんな試合。水曜のウズベキスタン戦前のフォワード陣のテストと言われていたが、自信をつけるどころかかえってマイナス効果になってしまった。
いくら決定力がないといっても、これじゃまるでコメディである。特に大久保。後半早々に玉田が右サイドから低いクロスを入れたとき、あれはまさに決定的チャンスだった。しかし、チャンスはボールと一緒にバーの上へ…。
私はこれまでずっと大久保をサポートし、ゴール決定率の低さをかばってきた。なぜなら、彼はほとんどが試合終盤の交代出場だったからだ。しかし今回ばかりは何も言えない。

日本がゴールを挙げたときは、すでに72分だった。アントラーズの興梠のヘディングシュートがバーに当たり跳ね返ってきたところをチームメートの内田が拾い、ファーポストでフリーだった香川にパス。イージーゴールだった。
香川がミスるはずがないって? いや、わからないぞ。実際、その後もっとイージーチャンスだったヘディングシュートを外してしまったしね。彼が何歳だろうと、まだ19歳だとかそんなことは関係ない。このレベルでプレーするなら、あのようなチャンスは決めて当たり前だ。

さらに私を不安にさせたのは、UAEがすぐに同点に追いついたこと。わずか5分後のことだ。
キックオフするまでは、UAEはスコアレスドローで良いと思っていたはずである。スローペースで、攻撃にはまったく興味がないようにさえ見えた。しかし本気になったそのわずかな間に、イスマイル・アルハマディにゴールを許してしまった。そもそも、長谷部がファーサイドで彼に競り負けるべきではなかった。
イスマイルのシュートはディフェンダーに当たり、そのまま楢崎の後方のゴールに吸い込まれた。誰か驚いたかって?

もっと言わせてもらうと、長谷部のいくつかの不用意なパスに非常にガッカリしている。特に、右ウイングにゴロのパスを出し、あっさりとインターセプトされたとき。あれには岡田監督も目を疑ったことだろう。
この試合の日本代表のプレーは、まったくもって酷いものだった。埼玉で行なわれるワールドカップ予選でウズベキスタンに勝つには、驚異的に進歩しなくてはならないだろう。

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報われた、エスパルスの冒険

2008/10/09(木)

2008年10月8日:FC東京対清水エスパルス戦の翌日、取材にきていなかったメディア関係の同僚数人がそろって同じような質問をした。「FC東京、どうしちゃったの?」
それに答えるのが大変だった。私には、5-1で勝利した清水エスパルスのプレーの躍動感と質の高いゴールしか印象に残っていなかったからだ。
前半の東京の守備は、良くはなかった。それは確かだ。しかし、残り30分の時点でエメルソンがゴールを決め3-1とし、FC東京に反撃の機運が出た直後、誰あろう今野のヘディング・シュートが相手GK山本(海人)の正面に飛んでいなければ、結果は違っていたかもしれない。

もっとも、その日の勝利――5ゴールの得点者がすべて違うという見事な勝利――を呼び込んだのは、エスパルスの選手たちの終始一貫した冒険心と自信だった。
東京の選手たちが山本(真希)の右サイド突破に注意を払っていたとき、山本はゴールのファーの隅を狙っており、低い弾道の鋭いシュートがネットに突き刺さった。FC東京0-1清水。
東京のディフェンス陣が兵藤のゴール方向に曲がってくるコーナーキックへの対応を誤り、密集のなかで待ち構えていた岩下がチャンスをものにする。FC東京0-2。
梶山が自陣深くでボールを持っているところを急襲され、枝村から原にボールが渡る。原はジダンのようなターンで茂庭を翻弄、塩田の頭上を抜いてゴール。このファンタスティックなゴールでFC東京0-3。そして前半終了。

実際のゴールシーン以外で私が本当に感銘を受けたのは、原の歓喜の雄叫びだ。その声はピッチサイドのマイクに拾われ、おなじみの『Jリーグアフターゲームショー』でもハッキリ聞きとることができた。原は楽しんであれをやっているのだろう。そうだとすれば、ナビスコカップの決勝戦でロスタイムに決勝ゴールでも決めたものなら、いったい何をするつもりなのだろう?
原は、岡崎がゴールを決めたときも重要な役割を果たしていた。ゴール前に突進して東京ディフェンスを引き付けてから“岡ちゃん”(ナイス・バナーだ、エスパルス・ファン)にパス。岡崎は長友を振り切り塩田の守るゴールに強烈なシュートを決めた。1-4、ゲームオーバーだ。

さらに、岡崎が戸田の5点目のシュートをお膳立て。ゴール前でキープしたボールをマイナスのパスで元FC東京の人気者に渡すと、狙い済ましたようなシュートがゴール下隅に決まった。戸田はホームのファンから暖かい歓待を受けると、ハイ・ファイブでお返しをした。まあ正確にいえば、スコアはワン・ファイブ(1-5)だったが。

FC東京はどうしたのか?
実際のところ、まったく悪いというわけでもなかった。ビジター・チームにすべてが好転したときには、こんな試合になることもある、ということだ。

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気温が下がり、温まってきた田原

2008/10/06(月)

2008年10月3日:数ヶ月前のこと。雑誌『週刊サッカーマガジン』から日本のサッカーライターたちに、“現在は代表メンバーには選ばれてはいないものの、チームにインパクトを与えそうな選手を選んで欲しい”という依頼があった。私の選択は、京都サンガF.C.の大型センターフォワード、田原豊だ。

堅いところでいえば、小笠原満男とか他の選択肢もあるのだが、せっかくなので、敢えて無名の選手を選んでみた。日本代表が最も欲しているエリアということでも、田原がピッタリだと思う。
カップ戦決勝のウェンブリーのぬかるんだペナルティエリアで、フライングブーツを履きダイビングヘッドで決勝ゴールを挙げる。大きく勇敢な背番号9が少年漫画のヒーローだった私のイギリス人としての血が、田原を選ばせるのだろう。
田原にはそうした素質と可能性を感じる。だから彼の名を一見の価値がある選手として雑誌のアンケートに挙げたのだ。ただし、彼が日本の決定力不足を即解決してくれると言うわけではない。
モジャモジャの長髪といった点ではバティストゥータと似ているが、彼を日本の“バティゴル”(バティストゥータの愛称)とするつもりはない。

水曜夜の京都対浦和戦(2-2)で複数のメディアが田原をマン・オブ・ザ・ゲームに選出していたのを見て、私も自分の選択に自信を持った。
前半26分にバイシクルキックを試みて不運にも負傷退場したフェルナンジーニョ、そして柳沢と並んでプレーした田原は、空中でも地上でも浦和ディフェンス陣を悩ませ続けた。柳沢の同点ゴールのときも、柳沢のために一人で壁を作るなど大きく貢献し、その後も高いヘッドで相手ゴールを脅かした。

「彼の今季ベストゲームでしょうね」。京都の加藤久監督は試合後、田原についてそう語った。
カトキュウはさらに続けた。「夏場は調子を落としていました。これは毎年のことなのですが、彼は夏に調子を崩すんです。暑い鹿児島県出身だというのに…私も不思議です」。
「夏場の彼は、汗をかくと共にエネルギーを失っていくのだが、今の彼は最高のパフォーマンスを見せてくれています」。

以前カトキュウさんと話したとき、高温多湿の関西の夏に、田原は糖分の高いドリンクを取りす体重コントロールに苦労すると聞いた。だが、暑くて湿度の高い夏の野球気候から、温度も湿度も下がりサッカーに適した気候になり、田原はようやく温まってきたようだ。岡ちゃん! 見てますか?

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ガンバ、MF陣でヴェルディを粉砕

2008/10/02(木)

2008年10月1日:今シーズンはナビスコカップ優勝のチャンスをすでに逃し、リーグ戦でもかなりの試合を落としているガンバ大阪だが、自信だけは失っていない。
土曜日の味の素スタジアムでの試合では、それが一目瞭然。ガンバは東京ヴェルディを圧倒し、3-1と快勝した。

序盤に2つのゴールを奪ったガンバは試合をコントロールし、試合終了まで残り約20分となった69分には西野監督の冴えた選手交代から3点目を生み、ヴェルディの追い上げの望みを断ち切った。
西野監督にはようやく、DFミネイロのJ1デビューを実現させる時間も与えられた(ロスタイム、前線で機能していなかったロニーに代わって出場)。身長184cm、体重72kgという、スラッとした体格のこの選手は、ブラジル出身ながらケニヤのマラソン・ランナーのように見える。ミネイロはロスタイム中にやたらと走り回り、左足でシュートも2本放った。新たなセンターフォワードを求めている西野は、ひょっとするとAFCアジアチャンピオンズリーグ準決勝の浦和レッズ戦で、身体能力に優れるミネイロを秘密兵器として起用するかもしれない…。

もっとも、その日の勝利を呼び込んだのはガンバの奔放なミッドフィルダーたちだった。最初は遠藤が右足で巧みなシュートを決め、次に明神が、攻撃陣をサポートするために果敢に前に出た行動が報いられたかのように、左足で2点目の鋭いシュートを放った。
遠藤はいとも簡単そうに決めたが、私自身は、最初のチャンスでシュートを打つべきだったと思っている。彼はシュートの代わりに播戸に短いパスを渡し、確実に相手を崩してから打った。邪魔者がいなくなれば、シュートは入れて当然ということになる。そのときのシュートは小野伸二スタイルと言えるもので、遠藤はボールに軽くカーブをかけてキーパーを迂回させ、ゴールのファーポストに決めた。まるで豆の皮をむくように、簡単に。

ヴェルディの驚異的なディエゴは、いつもどおりの気迫とパワーに満ちた動きでチームを牽引。後半の10分過ぎにはゴールを決め、ガンバとの点差を詰めた。その後の62分、西野監督は播戸に代えてすばしっこく動き回る右ウィンガーの佐々木を投入。西野監督の狙いは明らかだった。左のバックにいる、ヴェルディの35歳のキャプテン服部に佐々木をぶつけるのである。

そして佐々木はいきなり、ヴェルディのDF陣を混乱させた。服部を困惑させ、ロニーのシュートのお膳立てもした。シュートはバーの上を越えてしまったが、二川が同じようなポジションにいた佐々木にパスを送ったときには、彼が同じような動きをすると誰もが思った。
ヴェルディのDF陣は準備を整えたが、佐々木には別のアイデアがあった。右足で鋭く放ったシュートが土肥の意表を突き、ゴールに突き刺さったのである。J1出場通算12試合の、佐々木の初ゴールだった。

ゴール製造マシーンのバレーがチームを去って久しい。ルーカスが故障、山崎は出場停止、播戸は精彩を欠き、ロニーが失敗続きとなれば、ガンバはもう、フォワード抜きで勝利を目指したほうがいいかもしれないね。

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