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テレビの役割とは

2008/03/06(木)

2008年3月5日:英語にほとんど非の打ちどころがない、鹿島アントラーズのオズワルド・オリヴェイラ監督が、どの試合のあともメディアに対してコメントする様子は、まるでコメント製造機のようだ。
土曜日のゼロックススーパーカップ後も、彼はとりわけ調子がよかった。この試合は、ある英字新聞ではゼロックス・スーパーメス(スーパー騒動)と表現されていたが、まさにその通り。オズワルド監督の鋭い洞察には、このような問題でテレビが担っている役割――むしろ、どちらかというとテレビが担っていない役割――に関するものも含まれていた。私も以前に書いたことがあるのだが、この地でのテレビ局のアプローチは、イングランド、それからおそらく他のほとんどすべての国とは大きく異なっている。
オズワルド監督は、議論の的となる出来事が「やり過ごされ」、画面が次の瞬間にあっさりと「飛ぶ」ことがよくあると指摘した。スローモーションの再生なしに。分析もなしに。議論もなしに。誰が正しくて、誰が悪かったのか?

土曜日の試合のスポーツニュースは、ファウルの大盤振る舞いを受け、レッドカードから認められないゴール、ペナルティ・キックの裁定からキックのやり直し(両サイド)まで、そしてもちろん稀にしかないピッチへの侵入事件までを徹底的に切り刻み、消費した。
週末のサッカー番組でこのような瞬間をさまざまなアングルから繰り返し繰り返し再生し、レフェリーの誤審と思える事例(久保のペナルティ)を映すだけなく、レフェリーと彼のアシスタントが正しかった事例、たとえばクロスを出す前に新井場に対するオフサイドを示すフラッグがはっきりと上げられていた前半の田代のゴール取り消しも放送すれば、エンターテインメントになるし、教育的でもあるのではないだろうか? オフサイドを犯したのは、田代ではなかったのである。

最初に見たときには、レフェリーの判断の多くが誤っている、あるいは厳しいように思えるものだが、リプレーにより審判が正しかったことが判明することも多い。たとえば、イングランド・プレミアリーグの実況アナウンサーがレフェリーに謝罪し、実際にはレフェリーの裁定が素晴らしかったと認めたことも幾度かはあった。

土曜日には問題があまりも大きくなり、何が何だか分からない状態になっていた。テレビの評論家たちによる徹底的な議論そして分析があれば多少は助かっただろう。しかし、そんなことはありえない。日曜早朝に私が見たG+チャンネルでの再放送はPK戦後の大混乱を無視。佐藤寿人のヒーロー・インタビューに焦点を当て、背後で起こっていたドラマと騒ぎは完全に蚊帳の外であった。
オズワルド監督は両チームに公正な評価をしようとし、サンフレッチェへのレッドカードもアンフェアであると思うと語りながら、PK戦でダニーロと本山が失敗したときにはサンフレッチェのキーパーの方が、曽ケ端がストヤノフと斉藤のキックをセーブしたときよりもゴールラインの前に出ていたと指摘した。
議論を行ない、結論を得るには格好の話題だが、私が試合後に見た土曜日と日曜日の番組では、それらすべてが、オズワルド監督の言うように「やり過ごされて」いた。

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