北京は本田を待ってくれる
2008年1月23日:本田圭佑は、選手生活の適切な時期に、海外で運試しをしようとしている。この左利きのミッドフィルダーはまだ21歳。VVVフェンロ(オランダ)との契約期間は2年半となっているため、長い時間をかけてオランダリーグに慣れ、自身を成長させることができる。もし成功すれば、オランダのより大きなクラブ、あるいはヨーロッパのより大きなリーグに移ることも期待できる。たとえ移籍先に馴染めなくとも、帰国して日本でキャリアの再構築を図ればいい。ちょうど、グルノーブルで短期間プレーしたあとの梅崎と同じように。
身長182センチ、体重72キロの本田の体格は、オランダリーグに充分対応できるものである。ただし、日本よりフィジカルが強く、タックルと空中戦はより激しく、厳しいと感じるだろう。
私の母国では、サッカーをプレーする権利を勝ちとらなければならない、という表現がある。とりあえずは、より激しくプレーし、より多く走り、より積極的にプレーして相手を圧倒しなければならない、といった意味だ。そうして初めて、スタイルを発揮し、魅力的なサッカーができるようになるのである。
これは本田が最初に学ばなければならないことであり、戦術と技術の両方で、この新しい思考方法と規律に順応せねばならない。
技術面では、本田の左足が素晴らしさには疑いの余地がない。オリンピック予選の香港戦での驚異的なフリーキックは、誰も忘れることができないだろう。あのときは右サイドからのシュートが急カーブを描きながら落下、ファーサイドのゴール隅に突き刺さり、香港のキーパーは立ち尽くすだけだった。もちろん、このような特技はおまけのようなもの。本田のプレーを表現するには、フリーキックのスペシャリストという呼び名だけではまったく不十分だ。
本田は、左サイドでのプレーぶりにより、セフ・フォーセンのお気に入りの1人となっていた。オリンピック代表の招集で本田が不在のときにリーグ戦でチームが敗れたあと、このオランダ人監督がさんざんぼやいていたのを、そして、不満を漏らすだけの権利は充分にあると自分自身で思ったものだ。
ガンバの安田が台頭してきたため、本田はもはや無条件でオリンピック代表に選出される存在ではなくなっている。しかし、しばらくの間は、本田はこんな心配をするべきではない。優先順位と目標は、フェンロで自らの立場を確固たるものにし、ヨーロッパで成功することにある。これからの数ヶ月、北京のことは後回しでもよいのだ。
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