キーガン、ガンバ、そしてシアラー
2008年1月19日:先日、ジェフユナイテッドが重大局面を迎えていると書いた。イングランドでも、意味は違うものの同様のことがニューカッスルで起こっている。ケビン・キーガンが監督に就任したのだ。“ジョーディーの救世主”と呼ばれた彼の、監督としては2回目、トータルでは3回目のニューカッスル入りだ。
イングランドのサッカーや文化を勉強している学生たちのために言っておこう。“ジョーディー”とはタイン川下流域で生まれ育った人たちのことである。キーガン監督はタイン川近くで生まれたわけではなく、多くのニューカッスルファンもジョーディーではない。しかし、ジョーディーの民衆にとってキーガンはヒーローであり、彼の復帰は世界中のニューカッスルファンにとって喜ばしいことだ。もちろん、私もうれしい。
先週末、マジパイズはオールドトラフォードで0−6の惨敗を喫し物笑いの種となった。あの有名な黒白ストライプのユニフォームを着るチームに何が期待できるのか、というパロディだった。しかし今、プライドと希望が再び生まれている。
1970年代半ばのオールドトラフォードでのリーグカップ戦で、ニューカッスルが2−7と大敗したことがある。だがその試合の彼らは決して、内容ではスコアほど劣っていなかったし、ファンも恥じる理由はなかった。そう、今日でも“We are the Mags”というニューカッスルのチームソングの中に「俺たちに7−2で勝ったマンU(マンチェスター・ユナイテッド)なんか大嫌いさ」という歌詞がある。
さて、次はキーガンと日本について。
1996年夏に万博記念競技場で行なわれたニューカッスル戦、どのくらいのガンバファンが観にいっていたのだろう。キーガンは当時の監督。1−3の敗戦ながら、“サーレス”ファーディナンドが美しいヘッドで1得点を挙げた。当時の名古屋グランパスエイトの監督、アーセン・ベンゲルもスタンドで観戦していた。
私はニューカッスルの朝刊紙、“ザ・ジャーナル”の仕事で、バンコクからシンガポールを経て吹田で終了した彼らの遠征を取材していた。正直なところ、強豪マジパイズの極東遠征の取材は楽勝だろうと高をくくっていた。
バンコクでチームのホテルを訪れたとき、ファンに追われながらロビーを足早に通り過ぎるキーガン監督を見かけた。私は自己紹介をしたが、キーガン監督には緊急な用事があり「申し訳ない。いま時間がないんだ。シアラーと契約したところでね。後で話そう」と語った。ニューカッスルはアラン・シアラーと1500万ポンドの契約を結び、史上最高額の契約金の記録を作ったばかり。そしてキーガン監督は、シンガポールでこの新加入選手と会うことになっていたのだ。
おかげで、私のバカンス気はすっかり吹き飛んでしまった!
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