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2008年1月

調子は悪くても、俊輔は俊輔

2008/01/31(木)

2008年1月30日:岡田武史監督が下すべきもっとも重大な決断の1つは、中村俊輔の処遇である。中村をジーコと同じようにキー・プレーヤーとするの、それとも、やがて関係を絶つのか。岡田監督は、試合の勝敗を決める一瞬のきらめきを得るために中村をレギュラーとして使い続ける覚悟を決めるのだろうか?
今後数ヶ月は中村起用法に注目が集まるだろうが、それより何より、中村は調子を戻さなければならない。

日曜日のフォルカーク戦での中村のデキは充分というには程遠かったが、前半ロスタイムに上げたクロスボールが、この試合唯一の得点となるスコット・マクドナルドのヘディング・シュートを生み出した。
俊輔らしいプレーだった。この時点まではまるでお客さんのようで、彼の位置である、中盤の右側でボールを触ることはほとんどなかった。

それからロスタイムの3分の間には、ペナルティ・エリア右側にスペースを見つけて右足でボールをコントロール。もちろん左足にボールを持ち替え、走りこんで来たマクドナルドの動きを察知し、宝石のようなクロスを上げたのである。
コメンテーターが賞賛した。「あとはシュートを入れるだけの、完璧なアシストだ」。後半の中村はコメンテーターの言う“魅惑的なフリーキック”でフォルカーク・ディフェンスを翻弄。67分、途中交代でピッチを去るときには「明白なチームへの貢献」をコメンテーターに讃えられた。

まだ負傷離脱からの復帰途上であるため、動きにはまだキレがなく、スピードも物足りなく見えた。だが彼が最も求められるのは、試合の流れを変えてしまう、一瞬のプレーなのだ。
選手にとって何より必要なのは、試合に対処できる体調の良さである。岡田監督はそのあたりをうまく見きわめなければならないが、今すぐやる必要はない。それは5月末のキリンカップ、そしてホームで2試合、アウェーで2試合が予定されている6月のワールドカップ予選の時期が最適だろう。

セルティックの話題を続けるが、水野のジェフからの移籍がついに本決まりとなった。シーズン半ばだというのに、おなじみのグリーンと白の横縞に背番号「29」が付いたシャツがすでにオフィシャル・ウェブサイトで販売されている、しかも大幅なディスカウント価格で――。
契約期間は3年半。水野はスコットランドにじっくり腰を落ち着け、実力をアピールすることができる。それに、ひょっとして契約期間が終了するころには、見事なグラスゴー・アクセントを駆使するようになっているかもしれない!

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岡田監督始動

2008/01/28(月)

2008年1月26日:日本の選手たちが、金曜夜に開かれた記者会見で岡田武史監督が見せたパフォーマンスを真似できれば、日本代表の未来は明るい。そこには、やる気に熱く燃える男がいた。真剣に毅然としながらも、時折ジョークを飛ばす余裕。オレ流を貫く自信に満ち溢れていた。現場から距離をおいたのが良いリフレッシュになったのは明らかだ。

1997年、加茂監督更迭を受けアシスタントコーチから監督になった頃よりもずいぶんと力強い。言うなれば、サラリーマンのオカちゃんから岡田社長になったというところ。
とにかくやってみよう、そして試合に勝つための準備をしようという、ということが、その練習風景から見てとれる。前に監督を務めた時の保守的な手法からの、もう一つの変化だ。

岡田監督は、2010年のワールドカップで世界にインパクトを与える新しいブランドのサッカーを築きたいと語った。そしてそれを実現するため、スピード、スタミナ、積極性、そしてとりわけチームワークを選手たちに求める。早くも岡田監督の目にとまった一人の選手を挙げるならそれは、オリンピック代表のキャプテン、水本だ。4バックを採用するとなれば、彼はディフェンスの中央で中澤のパートナーになるだろう。

昨シーズン、水本はジェフで急成長した。ガンバはそのプレーに目をつけ、獲得を決断したのである。岡田監督がピッチ上の選手に求める素質を、水本は備えている。
大久保にも同じことが言える。日本代表としてのゴール数が誤解を招きやすいが、彼はデータで見るよりもずっと良い選手だ。昨年の日本代表の最終戦、エジプト戦でのゴールが大久保をその呪縛から解放し、今後のゴール量産に繋がってくれることを願いたい。

監督と選手の関係も、信頼と尊敬に基づいた非常にプロフェッショナルなものに見える。岡田監督が異議を許容する姿は想像できないし、それ以前に、異議に直面することもないだろう。どのようなプランでゴールを達成するのか、岡田監督は掌握している。
金曜日に話していたが、少なくとも2月6日のワールドカップ予選、タイ戦までは多少の準備時間がある。この試合が、最初のターゲット。チリ、ボスニアとの親善試合が、そこに向けた正しい方向性を示してくれるだろう。

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北京は本田を待ってくれる

2008/01/24(木)

2008年1月23日:本田圭佑は、選手生活の適切な時期に、海外で運試しをしようとしている。この左利きのミッドフィルダーはまだ21歳。VVVフェンロ(オランダ)との契約期間は2年半となっているため、長い時間をかけてオランダリーグに慣れ、自身を成長させることができる。もし成功すれば、オランダのより大きなクラブ、あるいはヨーロッパのより大きなリーグに移ることも期待できる。たとえ移籍先に馴染めなくとも、帰国して日本でキャリアの再構築を図ればいい。ちょうど、グルノーブルで短期間プレーしたあとの梅崎と同じように。

身長182センチ、体重72キロの本田の体格は、オランダリーグに充分対応できるものである。ただし、日本よりフィジカルが強く、タックルと空中戦はより激しく、厳しいと感じるだろう。
私の母国では、サッカーをプレーする権利を勝ちとらなければならない、という表現がある。とりあえずは、より激しくプレーし、より多く走り、より積極的にプレーして相手を圧倒しなければならない、といった意味だ。そうして初めて、スタイルを発揮し、魅力的なサッカーができるようになるのである。
これは本田が最初に学ばなければならないことであり、戦術と技術の両方で、この新しい思考方法と規律に順応せねばならない。

技術面では、本田の左足が素晴らしさには疑いの余地がない。オリンピック予選の香港戦での驚異的なフリーキックは、誰も忘れることができないだろう。あのときは右サイドからのシュートが急カーブを描きながら落下、ファーサイドのゴール隅に突き刺さり、香港のキーパーは立ち尽くすだけだった。もちろん、このような特技はおまけのようなもの。本田のプレーを表現するには、フリーキックのスペシャリストという呼び名だけではまったく不十分だ。
本田は、左サイドでのプレーぶりにより、セフ・フォーセンのお気に入りの1人となっていた。オリンピック代表の招集で本田が不在のときにリーグ戦でチームが敗れたあと、このオランダ人監督がさんざんぼやいていたのを、そして、不満を漏らすだけの権利は充分にあると自分自身で思ったものだ。

ガンバの安田が台頭してきたため、本田はもはや無条件でオリンピック代表に選出される存在ではなくなっている。しかし、しばらくの間は、本田はこんな心配をするべきではない。優先順位と目標は、フェンロで自らの立場を確固たるものにし、ヨーロッパで成功することにある。これからの数ヶ月、北京のことは後回しでもよいのだ。

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キーガン、ガンバ、そしてシアラー

2008/01/21(月)

2008年1月19日:先日、ジェフユナイテッドが重大局面を迎えていると書いた。イングランドでも、意味は違うものの同様のことがニューカッスルで起こっている。ケビン・キーガンが監督に就任したのだ。“ジョーディーの救世主”と呼ばれた彼の、監督としては2回目、トータルでは3回目のニューカッスル入りだ。

イングランドのサッカーや文化を勉強している学生たちのために言っておこう。“ジョーディー”とはタイン川下流域で生まれ育った人たちのことである。キーガン監督はタイン川近くで生まれたわけではなく、多くのニューカッスルファンもジョーディーではない。しかし、ジョーディーの民衆にとってキーガンはヒーローであり、彼の復帰は世界中のニューカッスルファンにとって喜ばしいことだ。もちろん、私もうれしい。

先週末、マジパイズはオールドトラフォードで0−6の惨敗を喫し物笑いの種となった。あの有名な黒白ストライプのユニフォームを着るチームに何が期待できるのか、というパロディだった。しかし今、プライドと希望が再び生まれている。
1970年代半ばのオールドトラフォードでのリーグカップ戦で、ニューカッスルが2−7と大敗したことがある。だがその試合の彼らは決して、内容ではスコアほど劣っていなかったし、ファンも恥じる理由はなかった。そう、今日でも“We are the Mags”というニューカッスルのチームソングの中に「俺たちに7−2で勝ったマンU(マンチェスター・ユナイテッド)なんか大嫌いさ」という歌詞がある。

さて、次はキーガンと日本について。
1996年夏に万博記念競技場で行なわれたニューカッスル戦、どのくらいのガンバファンが観にいっていたのだろう。キーガンは当時の監督。1−3の敗戦ながら、“サーレス”ファーディナンドが美しいヘッドで1得点を挙げた。当時の名古屋グランパスエイトの監督、アーセン・ベンゲルもスタンドで観戦していた。
私はニューカッスルの朝刊紙、“ザ・ジャーナル”の仕事で、バンコクからシンガポールを経て吹田で終了した彼らの遠征を取材していた。正直なところ、強豪マジパイズの極東遠征の取材は楽勝だろうと高をくくっていた。

バンコクでチームのホテルを訪れたとき、ファンに追われながらロビーを足早に通り過ぎるキーガン監督を見かけた。私は自己紹介をしたが、キーガン監督には緊急な用事があり「申し訳ない。いま時間がないんだ。シアラーと契約したところでね。後で話そう」と語った。ニューカッスルはアラン・シアラーと1500万ポンドの契約を結び、史上最高額の契約金の記録を作ったばかり。そしてキーガン監督は、シンガポールでこの新加入選手と会うことになっていたのだ。
おかげで、私のバカンス気はすっかり吹き飛んでしまった!

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ユナイテッドじゃなくなったジェフ

2008/01/17(木)

2008年1月16日:ジェフユナイテッド・ファンの苦しみは、いつ終わるのだろう? 新シーズンの始まりはまだ7週間も先なのに、二大スポンサーの古河電工とJR東日本にとっての「我らが不満の冬」が去ると、ユナイテッドな状態ではなくなったジェフが早くも降格候補として囁かれている。
水本(ガンバ)水野(セルティック)佐藤(京都)山岸(フロンターレ)羽生(FC東京)が移籍濃厚あるいはすでに移籍。万能選手である坂本のアルビレックスからの復帰が、唯一の明るい話題である。
ジェフは、これまでにも良い選手――山口、茶野、村井、阿部――を失う傾向があったが、これほどの規模の流出はかつてなく、1月の段階で“J1残留危機クラブ”と表現しても誇張にならなくなってしまった。

まあ、1996年と1997年にガンバを指揮した、クロアチア人監督のヨジップ・クゼを迎えたのは確かである。ただし、トレーニングが再開されたとき、どれほどの選手が揃っているかは定かではない。
ジェフにとっては、まったく残念な状況。ナビスコカップで2度優勝し、蘇我駅より近く、リーグでも最高のスタジアムの1つに数えられるフクダ電子アリーナを持つこのクラブは、すべてが順調であるように見えたのに。

昨シーズン、グラウンドの外でクラブ関係者と話したとき、その関係者は、シーズンチケットの保有者数が市原臨海競技場時代の1,800人から5,000人に急増したと言っていた。これはクラブにとっては素晴らしい数字だ。さらに、ジェフは遠く五井にあった市原臨海競技場でのホーム戦の観客数と同じくらいの数の観客を、アウェーでも動員できるようになりつつあった。

注目に値する魅力的なチーム。優れた選手を何人か擁していたジェフは、上昇の一途にあった。しかし、現在は崩壊状態。最近では羽生のFC東京移籍が重い一撃…。
羽生は、ユナイテッドのなかでも際立っていた選手の1人で、オシムが評価していた日本選手の特性を具現化した選手だった。もっとも、羽生の才能と潜在能力は、オシムが評価する以前の2002年に、ジョゼフ・ベングロシュ前監督も認めていた。
それが、筑波大学からユナイテッドへの入団を羽生に決めさせた最大の理由で、メディアが阿部に注目していたときも、ベングロシュは、羽生のように日ごとに、試合ごとに急速に伸びる選手は見たことがないと語っていた。またベングロシュは、羽生がプロのクラブに入るまでに大学で数年間を無駄にしたのは残念だったと話していた――彼によると、プロに入るのが6年遅かったそうである。

幸せだった頃の思い出。いま、ジェフのファンに残されているのは、それだけだ。

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水野は俊輔2世ではない

2008/01/14(月)

2008年1月11日:さて、水野晃樹は“中村俊輔2世”なのだろうか? ここ数年間ジェフでプレーする彼を私は見てきたが、そのテの比較をしたことがなかった。だが、スコットランドのメディアは今、セルティック繋がりで彼をそう紹介しているのだ。私には、水野と中村が日本人であるということ以外、何ら共通点を見出すことができない。

そういえば数年前、イングランドの新聞社が「西澤明訓が日本で中田英寿と同じくらい人気のある選手というのは本当なのか」と尋ねてきた。ボルトンの夕刊紙からの電話だったが、私が、西澤は中田英寿や中田浩二ほどの人気はないと答えると彼らは非常にがっかりしていた。

水野はもちろん俊輔と同じ日本人ではあるが、“中村俊輔2世”とは程遠い。水野晃樹は根本的に右ウィングで、持ち前のスピードでマーカーを振り切りクロスを上げるタイプの選手。時には自身で中へ切れ込み、左足でも、右でもシュートを放つ。さらには中央でもプレーでき、トップ下で動き回って中央でディフェンダーの間を走りぬける。

つまり、水野は“中村俊輔2世”などではない。まったく違う選手だ。しかし、チームに貢献できる力は十分に持っている。セルティックのゴードン・ストラカン監督が典型的な日本人プレーヤーを探しているというのなら、水野はスピードはないものの時間とスペースさえあれば最高のパサー。セットプレーのスペシャリストである俊輔よりもはるかに日本人らしいプレーヤーだ。
スティーブ・ペリマン氏が日本にいた頃、彼は「中村は左足で豆の缶詰を開けることもできる」と私に語った。まぁ仮にそれが事実だとしても、私は足で開けた缶詰など味見したくないけどね…。

もしこの移籍が成立したら、水野のペースと中村のパスのコンビネーションはかなりうまくいくのではないだろうか。とは言え、ジェフファンにとってはさらに嬉しくないニュースである。

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またもスマートなガンバのルーカス獲得

2008/01/10(木)

例によって、ガンバ大阪が外国人選手の移籍市場で活発に動いている――ただし、彼の獲得にはそれほど苦労はなかったようだ。
今回、ガンバは、遠くFC東京にいた経験豊かなストライカー、ルーカスをターゲットとし、獲得に成功した。これまでの外国人選手と同じく、ルーカスはまったくリスクがない。これまでJリーグで数シーズンプレーしており、ストライカーとしての安定した実力が立証されているからである。
リーグ戦120試合出場で48ゴールという実績はなかなかのもの。来シーズンはパワフルなバレーとのコンビで力を発揮することだろう。ちなみに、バレーもヴァンフォーレ甲府から獲得した選手であることは言うまでもない。
ルーカスは残念な経緯で退団しなければならなかったマグノ・アウベスの後釜だが、ガンバはブラジルにも再び足を踏み入れ、ディフェンス陣でシジクレイの穴を埋める選手としてインテルナショナルからミネイロを獲得した。

とりあえず、Jリーグの他クラブで成功した外国人選手を獲得するという、ガンバのポリシーに話を戻そう。このクラブは選手の記録を綿密に調査し、ピッチの内外での気性もチェック。その上で、より多くのお金とタイトルに挑戦するチャンスをオファーするのである。本当にわかりやすいやり方でしょう?

数日前、私はこの方法について日本人の同僚と議論したのだが、この同僚はまったく異なる見解を持っていた。
クラブが海外に赴き新外国人選手を獲得してリーグへの関心を高めようとしないのは、日本サッカーにとって好ましいことではない。彼はそう考えていた。また、クラブが外国(ブラジルのこと。ほとんどのクラブではイマジネーションの欠如により外国といえばブラジルということになる)の新顔の選手に絶えずオファーを続ければ、ファンを引きつけることになると言うのである。

私には、理解に苦しむ考えだった。まったく未知の選手(とそのエージェント)にクラブは今まで以上のお金を費やすべき、つまりノンリーグの選手にプレミアリーグ並みの報酬を支払うべきだと言っているように思えるからだ。
そういう観点から見れば、ガンバのポリシーはまったく堅実なもので、うまいビジネスのやり方に思える。最高の外国人選手をガンバが「奪っている」と感じているクラブは、当初から2年または3年の契約を提示すべきなのだ。もっとも、そうするのは当然ながら大きなギャンブル。高いリスクがつきまとうものであるのだが…。
ガンバのポリシーを否定する人がいるのが、私には理解できない。

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トータルフットボール、トータルジャパン

2008/01/07(月)

2008年1月5日:日本代表監督に復帰して以来、岡田武史監督のコメントには彼の本心が随所に見られる。まず最初に選手たちに、目標はワールドカップ史上アジアのチーム最高の成績を残すこと、つまり2010年南アフリカワールドカップで3位以上に入ることだと告げた。さらに正月のインタビューでは、1974年に“トータルフットボール”としてサッカー史上にその名を刻んだオランダチームのように、史上に残る“ジャパン”ブランドのサッカーをしたいと語った。

もちろん彼の意図は、名将リヌス・ミケルスの戦術を真似ようということではない。そのためにはクライフ、ニースケンス、ファンハネヘン、ハーン、クロル、レップ…今でも名前がすらすらと出てくるような荘々たる顔ぶれの名選手の発掘、さらにはオレンジ・マジックが必要になる!
それよりはむしろ、日本らしいスピード、動き、パス回し、そして組織力を活かしたユニークなサッカー、オシム監督指揮下の日本代表がアジアカップで垣間見せたあのサッカーを完成させようということだろう。
南アフリカに向けてのタフな道のり(最低14試合、最高18試合)を控えた岡田監督からのなんという力強く野心に溢れた言葉だろう。

タイ、バーレーン、そしてオマーンを相手に日本はアウェーでもホームでするのと同じように主導権を握らねばならない。それだけでなく、プレーによりシャープさを加え、より積極果敢にゴールを狙っていく必要がある。
であるからこそ、私は大久保が今年一番注目の選手、高原のJリーグ復帰、レッズ移籍は岡田監督と日本代表にとって大きなボーナスだと思うのである。

高原は代表チームでの地位を危機に晒しながら、ヨーロッパのベンチで時間を無駄にする必要などない。埼玉スタジアムの5万人のファンや日本各地の満員のスタジアムでプレーできるのだ。高原のJ復帰で、アウェー戦でも数千人のファンが増えるだろう。何より、代表監督の目の届くところでプレーし、スケジュールだって合わせることができる。
非常に大事な時期を迎える日本サッカー界にとって、高原の復帰は賢明な選択だったと言える。そう、“トータルジャパン”の実現に向けて…。

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サンフレッチェの説得活動は続く

2008/01/04(金)

2008年1月2日:アントラーズとサンフレッチェが戦った元日の天皇杯決勝のあと、試合に出てさえいなかった選手の話題が多く出た。そのこと自体が、日本でもっとも期待されている選手の一人、柏木陽介の成長ぶりを物語っている。
J2降格が決まった今、柏木はサンフレッチェに残留すべきなのか、それとも満足のゆくオファーを受け入れキャリアアップを目指すべきなのか。柏レイソルが触手を伸ばしているそうだが、おそらく他のクラブも同様だろう。

J2でプレーする場合、オリンピック代表に選ばれる可能性そして2008年にA代表でプレーする可能性は減少するのだろうか?
当然、サンフレッチェでは柏木の残留を望んでいる。柏木はピッチ上のプレーだけでなく、その商品価値を考えればピッチ外でも重要な存在。柏木を出場停止処分で欠いたサンフレッチェが0−2で破れた天皇杯決勝後、私はクラブの常務取締役を務める高田豊治氏と少し話す機会があった。

柏木は残留して、J2でフルシーズン――チーム数増加により、来季は42試合――を戦うべき。そうすることでより安定したプレーができるようになる、というのが高田氏の見解だ。
「彼はまだとても若い。デキの良いときと悪いときがあるのは当然だと思う」。12月15日に20歳になった中盤の魔法使いについて、高田氏はこのように語った。「サンフレッチェに残留すれば、来季は好不調のギャップを埋められるようになり、プレーのレベルがより安定するようになるでしょう」。

高田氏の考え方は現実的で納得もできる。J2で1シーズンを過ごすことが、必ずしも後退を意味するものではないことも証明されている。
たとえば、京都の元監督で現在はレッズの監督補佐を務めるゲルト・エンゲルスに、パク・チソン(朴智星)が京都の一員としてJ2でプレーした結果どれほど成長したかを聞いてみればよい。過酷なスケジュールのなか、若き韓国人選手はほとんど毎週、土曜―水曜―土曜という間隔で厳しい試合に臨まなければならなかった。その結果、パク・チソンは練習では決して身につけることのできない切れ味を身につけたのである。PSV(オランダ)もマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)も、その点は認めるだろう。

広島の同じく有力選手・駒野友一の場合は、すでに代表チームで地位を確立しているので柏木とは状況が異なる。駒野については、ヴィッセル神戸が獲得を目指している。
ただし高田氏によれば、日本代表の岡田武史監督は、たとえ駒野や他の選手がJ2でプレーすることになっても選考の対象にすると言明しているという。

2007年にも懸命に努力したが、サンフレッチェは有力選手にJ2でプレーしてもらうための説得活動を今も続けている。さて、選手相手のこの戦いでクラブはどれだけの結果を出せるだろう?
1−1のドロー。これが妥当な予想か。

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