“非公式”なフラメンゴ対リバプール戦の“公式”な記憶
2007年12月21日:それが公式であろうとなかろうと、1981年のトヨタカップでジーコ率いるフラメンゴがリバプールを3−0で撃破したという事実は誰も否定できない。たとえFIFA(国際サッカー連盟)であっても。
しかしながら、FIFAは現在のFIFAクラブワールドカップ(W杯)以前の勝者を認めないことで、彼らの功績を奪おうとしている。ジーコ氏もこの決定には不満を持っており、「FIFAの見解ではこの試合は行なわれなかったことになる。これはリバプールにとっては喜ばしいことなのかもしれないが、これは“オフィスで座っているだけの人々”が選手やファン、そしてメディアからサッカーの歴史を奪うことだ」と語った。
イングランドの自宅でその試合を見ていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。ジーコは得点を挙げることはできなかったものの、強力なリバプールをフラメンゴが叩きのめしたその試合のMVPに選出された。
リバプールのイングランド代表CBフィル・トンプソンの試合後のインタビューも記憶に残っている。彼は、リバプールは決して負けていなかったと強調。フラメンゴへの一切の賞賛を拒否した。
冬の陽射しのなか、東京・国立競技場を埋め尽くしたサポーターたちの鳴らすホーンが絶え間なく鳴り響き、日本中を湧かせたあの日のことも、よく覚えている。その素晴らしく、そしてエキゾチックな感動が、遥か遠くから伝わってきた。
しかし先日、日本で行なわれたクラブW杯で、FIFAは自身が主催する4つの大会しか公式に認定しないと発表した。ホーム&アウェーの2試合後、トヨタカップとして1試合を戦う他の方式は、公式な大会として認めないというのだ。まあ、何とでも好きにすればいい。人の記憶まで消すことはできまい。FIFAが認めようが認めまいが、フラメンゴのトヨタカップでの勝利は彼らの公式な功績として残る。
その試合は、1982年スペインW杯で有名になったあの伝説の“黄金のカルテット”ジーコ、ファルカン、ソクラテスそしてトニーニョ・セレーゾの誕生を感じさせた試合でもあった。彼らはもちろん偉大な選手たちだ。しかしW杯でのイタリア戦、肝心なところで守りきれなかったり(ロッシのハットトリックで2−3の敗戦)、時々ポカをするCFのセルジーニョがいたりと、チームとしては偉大とまではいかない。
私は以前、当時鹿島の監督を務めていたトニーニョ・セレーゾ氏にこの話についてインタビューをした。彼は首を振り、1982年のブラジル代表チームは偉大なチームではなかったと、自ら認めた。結局のところ、彼らは準決勝にも進むことができなかったのだ。
いずれにせよ、ジーコ氏もFIFAの決定についてはそれほど気に留めないだろう。伝統と歴史を理解する人たちなら誰もが、1981年に行なわれたフラメンゴ対リバプールの一戦の衝撃と素晴らしさを十分理解しているのだから――。
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