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2007年12月

梅崎獲得で幸先の良いスタートを切ったレッズ

2007/12/31(月)

2007年12月29日:ここ数週間、浦和レッズが大分トリニータの梅崎司を獲得するという噂がささやかれていたが、水曜日、正式に移籍が決定した。
若干ハタチの梅崎だが、スピードと頭脳は群を抜いている。彼は様々な攻撃的ポジションをこなすことができ、1年前にジェフから移籍した阿部勇樹が守備的ポジションでそうだったように、監督にとっては様々なオプションが増える。
レッズは移籍金を公表していないが、報道によると2億円だそうだ。降格の危機を避けたい大分は、これで来季に向け全ポジションの補強を行なえる。当面に間は、大分はもちろんのこと、いまだ補強の終わらない浦和も積極的に移籍話をすすめることだろう。

先日の天皇杯5回戦、千葉で行なわれたガンバ対トリニータ戦で、私は著名な日本人エージェントと話をした。
アジアチャンピオンズリーグでの勝利とJリーグの観客収入で、浦和には潤沢な資金がある。彼らが獲得を狙う上位3選手は、梅崎、FC東京の今野、そしてサンフレッチェの柏木。日本人エージェントによると、レッズは長谷部、そして、1月あるいは来夏にヨーロッパ移籍の可能性がある鈴木の後釜が必要なのだという。
他にレッズへの移籍が噂されているのは、サンフレッチェの駒野、そしてワシントンの代役としてアルビレックスのエジミウソン。埼玉ではまだまだ移籍話が進行している。

梅崎の獲得は、幸先の良いスタートだ。彼はレッズの攻撃にひらめきと創造性を与えてくれることだろう。タイプとしては大久保似で、トップ下を走り回ってオープンスペースを探し得点に結びつけることができる。
JリーグでMVPに輝いたロブソン・ポンテの負傷は、梅崎にとっては来季の先発の座を獲得するチャンス。ただし、レッズのような強豪チームで自身の存在を示すことは大きな挑戦でもある。
さらに言うと、梅崎にはオリンピック代表入りの可能性も残されている。北京へ向け、反町ジャパンは進化し続けている。

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降格にめげず進むサンフレッチェ

2007/12/27(木)

2007年度Jリーグのシーズン最大の驚きは、サンフレッチェ広島の降格だった。
選手たちの顔ぶれを見れば、残留するに充分なほどの若さと戦力が備わっていたように思うが、サンフレッチェは入替え戦で京都サンガに敗れた。その後、3本の矢が元気を取り戻し、天皇杯の準決勝まで勝ち進んだのは、まったく見事である。その後の結果がどうなろうと、少なくともサンフレッチェのプライドはいくらか回復しただろうし、降格という憂き目を経験したサポーターにも元気を与えることになった。

正直なとこと、私はサンフレッチェが降格争いに加わるとは予想していなかった。全体的な選手の質から見ても、J2に落ちるとは夢にも思わなかったのである。
リベロのストヤノフ、中盤の中央の戸田と青山、前線のウェズレイと佐藤というチームのバックボーンを、トップ下の柏木、サイドの駒野と服部が補強するという陣容。さらに、森崎ツインズの経験と巧みさが加わり、バックにはユース代表チームのキャプテンである槙野、ゴールには下田という人材もいる。なぜサンフレッチェが瓦解したのかを解き明かすのが、難しいくらいである。
総じて言えば、サンフレッチェには順位表の中位で定着するのに不可欠な要素である、優れたディフェンダーが1人欠けていた――さらに言えば、サンフレッチェの降格こそが、Jリーグの進化を強く裏付ける証拠となっているのである。

ここ数ヶ月でも、Jリーグの進化を示す例がほかにも2つあった。1つはU−22(22歳以下)代表の北京オリンピック出場権獲得。もう1つはリーグ優勝でシーズンを終えようとしていた浦和レッズの見事なまでの苦戦ぶり。
反町ジャパンにはこれまでのチームのようなスター選手はいなかったが、チームは普段からJリーグ・サッカーで鍛えられ、良いプレーができるようになった。典型的な例としてすぐに思い浮かぶのは、水本と水野のジェフユナイテッド・デュオだ。

レッズについては、自信に満ちていると思える時期もあったが、最後の5試合で勝つことができなかった。最初の3試合を連続で引き分け、最後の2試合はホームでアントラーズに、アウェーで横浜FCに敗戦。この結果も、トップリーグの層の厚さを立証しており、実際にグランパス、フロンターレ、エスパルスがいずれもシーズン終盤に浦和から勝点を奪い取っているのである。
サンフレッチェは高価な代償を支払うハメになったが、一連の流れをトロフィーで食い止めることも依然として可能なのである。

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“非公式”なフラメンゴ対リバプール戦の“公式”な記憶

2007/12/24(月)

2007年12月21日:それが公式であろうとなかろうと、1981年のトヨタカップでジーコ率いるフラメンゴがリバプールを3−0で撃破したという事実は誰も否定できない。たとえFIFA(国際サッカー連盟)であっても。
しかしながら、FIFAは現在のFIFAクラブワールドカップ(W杯)以前の勝者を認めないことで、彼らの功績を奪おうとしている。ジーコ氏もこの決定には不満を持っており、「FIFAの見解ではこの試合は行なわれなかったことになる。これはリバプールにとっては喜ばしいことなのかもしれないが、これは“オフィスで座っているだけの人々”が選手やファン、そしてメディアからサッカーの歴史を奪うことだ」と語った。
イングランドの自宅でその試合を見ていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。ジーコは得点を挙げることはできなかったものの、強力なリバプールをフラメンゴが叩きのめしたその試合のMVPに選出された。

リバプールのイングランド代表CBフィル・トンプソンの試合後のインタビューも記憶に残っている。彼は、リバプールは決して負けていなかったと強調。フラメンゴへの一切の賞賛を拒否した。
冬の陽射しのなか、東京・国立競技場を埋め尽くしたサポーターたちの鳴らすホーンが絶え間なく鳴り響き、日本中を湧かせたあの日のことも、よく覚えている。その素晴らしく、そしてエキゾチックな感動が、遥か遠くから伝わってきた。

しかし先日、日本で行なわれたクラブW杯で、FIFAは自身が主催する4つの大会しか公式に認定しないと発表した。ホーム&アウェーの2試合後、トヨタカップとして1試合を戦う他の方式は、公式な大会として認めないというのだ。まあ、何とでも好きにすればいい。人の記憶まで消すことはできまい。FIFAが認めようが認めまいが、フラメンゴのトヨタカップでの勝利は彼らの公式な功績として残る。

その試合は、1982年スペインW杯で有名になったあの伝説の“黄金のカルテット”ジーコ、ファルカン、ソクラテスそしてトニーニョ・セレーゾの誕生を感じさせた試合でもあった。彼らはもちろん偉大な選手たちだ。しかしW杯でのイタリア戦、肝心なところで守りきれなかったり(ロッシのハットトリックで2−3の敗戦)、時々ポカをするCFのセルジーニョがいたりと、チームとしては偉大とまではいかない。
私は以前、当時鹿島の監督を務めていたトニーニョ・セレーゾ氏にこの話についてインタビューをした。彼は首を振り、1982年のブラジル代表チームは偉大なチームではなかったと、自ら認めた。結局のところ、彼らは準決勝にも進むことができなかったのだ。

いずれにせよ、ジーコ氏もFIFAの決定についてはそれほど気に留めないだろう。伝統と歴史を理解する人たちなら誰もが、1981年に行なわれたフラメンゴ対リバプールの一戦の衝撃と素晴らしさを十分理解しているのだから――。

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夢見心地のオズワルド監督

2007/12/20(木)

2007年12月19日:月曜夜のJリーグアウォーズは、今シーズンのチャンピオンが鹿島アントラーズであるという事実を忘れさせるようなものとなった。ベスト11にはレッズから5人、ナビスコカップ王者のガンバから3人が選ばれ、年間最終選手はロブソン・ポンテ。レッズはさらに、アジアチャンピオンズリーグでの優勝、FIFAクラブワールドカップの3位が評価され、特別賞が与えられた。

ただし、特筆すべきものといえばオズワルド・オリベイラ監督の表情が全て。彼の嬉しそうな笑顔が事実を物語っていた。つまり、チャンピオンはアントラーズで、彼が今も夢見心地だということである。
最終節でアントラーズがエスパルスを3−0で破り、レッズがアウェーで横浜FCに0−1で敗れたため、アントラーズは最後に浦和を飛び越えた。そうしてアントラーズが5度目のリーグ優勝と計10度目のメジャータイトルを獲得してから2週間以上が過ぎた。
シーズン最終戦までの9連勝を含め、信じられないような仕事をやってのけたというのに、オズワルド監督がいまだに来シーズンの契約を更改していないのが、私には驚きである。
「これからの2週間で話がまとまるはずだ」とオズワルド監督は語った。
アントラーズファンは、最後の最後にどんでん返しがおこらないよう祈り続けることになるだろう。なぜなら彼は、過去の常勝アントラーズ時代の監督のような充分な選手層と金銭的な余裕がないまま、就任1年目で素晴らしい業績を残したのである。彼の起用した選手は求められたプレーをし、不安定な立ち上がりのあと、この監督は強固なチーム・スピリットを作り上げたのである。

ベスト11の選出については、オズワルド監督は鹿島から2〜3人の選手、とくにゴールキーパーの曽ヶ端と若手のライトバックの内田が選ばれるかもしれないと思っていたようだが、あまり気にかけてもいなかった。
私の場合、MVPはいつも優勝チームの精神的支柱となる選手を選ぶことにしているので、今回は岩政とした。岩政はアントラーズからただ1人、ベスト11に選ばれた。オズワルドに彼の選ぶMVPは誰かと尋ねたところ、彼はフロンターレのストライカー・ジュニーニョを選んだ。ただし、22ゴールで得点王を受賞するためMVPには選ばれないだろうとも思っていたそうだ。
さて、その素質と潜在能力からオズワルドがひそかに期待している選手はだれだろう? じつは、野沢である。野沢はシーズンの残り1試合の時点でレッズを破った、浦和スタジアムの試合であの美しく、きわめて重要なゴールを決めた選手である。

もちろん、アントラーズがリーグとカップのダブル優勝をする可能性も充分にありうる。土曜日に天皇杯の準々決勝を戦う相手は、ホンダFC。来シーズンを見据える前に、オズワルド・アントラーズにはまだもう1つやり遂げるべき仕事が残されているのだ。

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マルディーニにブーイング? 〜壊れたレッズファン〜

2007/12/17(月)

2007年12月15日:レッズファンの皆さんに、いくつか話しておきたいことがある。アジアチャンピオンズリーグ、そしてFIFAクラブワールドカップ(W杯)で大勢のファンがチームをサポートする姿は、非常に印象深いものだった。スタンドもまるで劇場の観客のように静かで、どちらかというと練習試合のようだったクラブW杯(トヨタカップ)で、あなた方は素晴らしい雰囲気を作ってくれたと言っても良いだろう。

しかし…あの名選手、パオロ・マルディーニに対するブーイング! あれは一体どういうことなのだろう? マルディーニは、その態度、誠実さ、プロ意識のどれをとってもサッカー選手のお手本のようなプレーヤー。紳士であり素晴らしいプレーヤーなのだ。彼のような偉大な選手が残り10分でピッチに現れたなら、たとえ相手チームであろうとそれなりの迎え方があろうというもの。何でもかんでも、ブーイングすれば良いというわけではない。それをレッズファンは知るべきだ。

例えば、田中達也にファウルを犯した土屋や、ジュビロの監督として埼玉スタジアムにやってきた山本昌邦・元オリンピック代表監督にレッズファンがブーイングをするのは正当化できる。私も、一サッカーファンとして特に文句はない。これもサッカーの一部。ブーイングを受けた側も、それに慣れていかねばならない。

しかし、マルディーニにブーイング? マルディーニが横浜の日本人ミランファンからだけでなく、スタジアムから盛大な歓声で迎えられていたら、どんなに素晴らしかったことか。セリエAのライバル・インテルのサポーターだって、マルディーニにはブーイングをしないのに…。
レッズファンも、味の素スタジアムのFC東京ファンを見習うべきだろう。イングランドから帰国した川口能活がジュビロ磐田のGKとしてやって来た、あのときのFC東京サポーターの対応には非常に感心した。
マルディーニほどではないにしても、川口も紳士。サッカーの伝道師と言って良い。ゴール裏に陣取ったウルトラス東京は、川口にスタンディングオベーションを送ったのだ。
フーリガンが席巻するイングランドに育った私は、GKがそれに応えると応援と歓声がヤジやVサインに変わるだろうと、半ば期待していた。しかし、東京のファンの態度は素晴らしいものだった。マルディーニにブーイング? レッズファンよ、あなた方はこんなレベルではないはずだ。

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ガンバの新星・寺田

2007/12/13(木)

2007年12月12日:土曜日にフクダ電子アリーナにやって来た熱心なファンをもてなしたのは、面白い試合と、強豪チームの主力選手へと急速に成長しつつある選手がまたも見せた素晴らしい個人技だった。その試合は天皇杯5回戦のガンバ大阪対大分トリニータ戦。選手はガンバ大阪の寺田紳一。今シーズン、寺田については以前にも書いたが、将来にはさらに多くとりあげることになるだろう。

活気に溢れ、知性的な攻撃型MFの寺田はまだ22歳。名門ガンバ大阪ユース出身の選手だ。この日は先制点を左足で、2点目のシュートを右足で決めただけでなく、中盤からタイミングよく前線に駆け上がり、自信と想像力を90分にわたって見せつけ、ガンバの3−1の勝利に貢献した。

最初のゴールはペナルティ・エリアの端から左足を一閃して決めたもので、その巧妙さと正確さが皆を驚かせた。また、2つめは右足でカーブをかけたボールをファーサイドに決める、小野伸二がよくやる類のシュート。あのような絶好のポジションをとったときからそうするのを決めていたのは明らかで、その証拠に寺田は自らのスペースを作り出し、ボールをファーポストにふわりと浮かすための角度をとっていたのである。試合の実況なら、「見事なゴール」あるいは「華麗なゴール」と表現するべきプレーで、いずれの表現もあの「小野タッチ」の技量に相応するものだった。

3,285人という観客数の少なさは驚くには値しなかったが、天皇杯への関心が弱まっていることは、はっきり分かった。とはいえ、千葉県の蘇我でガンバ大阪対大分トリニータ戦とはね。いまどき、こんな無意味なことがあるとは――。長いシーズンを戦ってきた両チーム、両チームのファン、あるいは地元のチームであるジェフユナイテッドのゲームを望む千葉の人々にとって、何の意味があるというのだろう? まったくもって、おめでたい。

天皇杯は今年で87回目。華やかさを保ちながら、過ぎ去りし日々の高貴な方針を守ろうとする努力はわかるが、JFA(日本サッカー協会)がこの大会の時期とフォーマットを大幅に変更しなければならないのは明白だ。しかし、この話題はまた別の機会に…。

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豪州代表監督の座に就いたピム氏

2007/12/10(月)

2007年12月8日:オーストラリア・サッカー協会にとって、代表チームの新監督選出は難しい選択だったに違いない。最終候補の2人は日本のサッカーファンにも馴染み深いフィリップ・トルシエ氏とピム・ファーベーク氏。最終的にファーベーク氏が監督に就任、2010年南アフリカ・ワールドカップの出場を目指す。
一方、トルシエ氏は自身のキャリアの建て直しを今しばらく待たねばならない。日本での良き4年間の後、2002年に日本を去ってからというもの、彼は思うように事が運んでいない。

トルシエ氏がベルティ・フォクツ氏とともにスコットランド代表監督の最終候補に挙げられていた数年前、私はスコットランドサッカー協会(SFA)にコンタクトを取った。もちろんSFAは、“トルシエ氏かフォクツ氏かの二択だった”とは認めないだろうが、そのとき私は、トルシエ氏がスコットランド代表チームの建て直しには適役だと話した。
彼は日本代表チームでしたように、才能ある若い選手を発掘し、代表チームのシステムにうまくはめ込むことに長けている。時に不可解なこともあるのだが…。

さて、話をピム氏に戻そう。彼はサッカー界でも指折りの“ナイスガイ”だ。関わりを持った誰もが、それを証言してくれるだろう。
ピム氏は1999年にJ2の大宮、翌2003年にはJ1の京都を率い、また2002年ワールドカップではヒディンク監督のアシスタントを、そして2006年ワールドカップではアドフォカート監督のアシスタントを務めた。
韓国滞在時、彼は日本でプレーする韓国人選手をチェックするため定期的に来日していた。彼とコーヒーを飲みながら話すのは、いつも楽しかった。

アジアのサッカーを熟知し、特に日本と韓国に関する知識は南アフリカへの長い道のりには非常に役に立つ(日本の場合少なくとも14試合、最終予選で3位になった場合はプレーオフを含めて18試合を戦う)。
オーストラリアのトッププレーヤーのほとんどはイングランドのプレミアリーグでプレーし、イングランドは母国オランダに近く、とても便利だ。
しかし、ピム監督はオーストラリアに住み、Aリーグの選手たちでチームを組み立てると言う。もちろん彼の言い分はもっともである。ヨーロッパに住んでいればヨーロッパの選手には目が届く。しかし、オーストラリアの選手たちには行き届かないからだ。

サッカー人気が盛り上がったいま。彼はとても良いタイミングでオーストラリアへ行く。何より、日本や韓国のように言葉の障壁がなく英語でコミュニケーションがとれるのがいい。
日本の誰もが、ピム監督の活躍を祈ることだろう。もちろん日本が出場を決めたら、の話ではあるが…。

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そろそろMVPの季節だけれど…

2007/12/06(木)

2007年12月5日:浦和レッズがまさかの敗北を喫し、鹿島アントラーズが優勝という信じられない結末となり、2007年のJリーグMVPの選考もわけがわからない状況になっている。
Jリーグには傑出した資質を持った選手が何人かいるが、私自身は、MVPはつねに優勝チームから選ばれるべきだと考えている。
レッズがそのまま優勝していたら、ロブソン・ポンテが有力な候補だったろうし、鈴木啓太と阿部勇樹も候補に入っていただろう。とはいえ、12月17日のJリーグ・アウォーズの夜、このなかの1人が受賞者になっている可能性もなきにしもあらず。

しかし、私の選ぶMVPは鹿島の選手。このクラブでも候補を3人に絞り込んでいる。第1候補は、自らの実力を発揮しただけでなく、若く、経験不足の選手が起用されることのよくあったフォワード陣を牽引することでもチームに貢献した、Jリーグの渡り鳥・マルキーニョスである。マルキーニョスは敏捷に相手ディフェンダーを抜き去るプレーが特色だが、素晴らしいゴールもいくつか決めている。

候補の2番手は、小笠原満男になるだろう。もちろん、彼が鹿島でプレーしたのは、イタリアから戻ってからの半シーズンだけだ。しかし、アントラーズは彼抜きでも優勝していただろうか? 小笠原の貢献と影響力なしで、アントラーズはチームとしてあんなに成熟、発展し、9連勝を飾っただろうか?
2つの疑問に対する答えは、間違いなく「ノー」だ。だからと言って、私がシーズンMVPとして小笠原を選ぶということにはならないのだが。

ということで、3番目の候補に話は移るが、この選手が私の最有力候補となりそうである。その選手の名前は、岩政大樹。
この大柄のセンターハーフは私の好きなタイプの――行動で範を示し、全身全霊でプレーする、相手にとって手強い――選手だ。言い換えれば、岩政はアントラーズの伝説・秋田の後継者となる資質を持つ選手なのである。ちなみに、秋田は今シーズン、京都で引退を表明したが、彼のスピリットは岩政の姿を借り鹿島で今も息づいているのだ。
岩政にはこれ以上の褒め言葉は必要ないだろうし、今シーズンのアントラーズの戦う姿勢を具現化したのが彼だと思う。
ここ2シーズンは闘莉王(浦和)と中澤(横浜FM)がMVPを獲得しており、ディフェンダーにも正当な評価が下されるのが立証されている。今回、私が選ぶのは、岩政になりそうである。

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岡田監督――JFAの安全で理に叶った選択

2007/12/03(月)

2007年11月30日:“安全で理に叶った”というのが、実践主義者、岡田武史氏のコーチング哲学を表す二つのキーワード。そして彼がJFA(日本サッカー協会)にとっての“安全で理に叶った選択”だった。これが、岡田氏をイビチャ・オシム監督の後任として指名したというニュースを聞いて受けた印象だ。
もちろん岡田氏には1998年フランスワールドカップ(W杯)で日本代表を率いた経験がある。第一線(トップレベルの監督)から長く離れ、来年2月に始まる2010年南アフリカW杯予選にむけて十分リフレッシュし、準備は万端だろう。

97年、加茂周監督のアシスタントコーチを務めていた岡田氏はアジア最終予選、アウェーでの2連戦で更迭された加茂監督の後を受け監督に昇格した。彼はチームを生き返らせ、韓国で大きな勝利を挙げ、ジョホールバルでの忘れえぬ一夜、イランとのプレーオフで日本代表を勝利に導いたのだ。今回もまた、彼は途中から大役を受け継ぐことになる。しかも脳梗塞で倒れたオシム監督の後という衝撃的な状況下。倒れる以前のオシム監督は、新たなスタイルを確立しチームを順調に立て直しているところだった。岡田氏の仕事は、チームのムードを保ちつつ、彼なりのタッチをチームに加えることだ。

横浜F・マリノス監督時代の経験から、岡田氏はJリーグの選手達、そしてヨーロッパ組の選手について熟知している。そう、彼はまさに安全で理に叶った選択なのだ。JFAは今さら外国へ目を向ける必要はない。他にも西野監督やオジェック監督といった適任者がいる。後者のオジェック監督には、日本語の話せるエンゲルス・コーチがピッチでもミーティングルームでもサポートしてくれる。
世界のサッカー界同様ショックを受けたJFAにとって岡田氏はまさに適役だったのだろう。最後にもう一度言おう。彼はJFAにとって“安全で理に叶った”人選だったのだ。

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