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2007年10月

埼玉での準決勝の重要性

2007/10/29(月)

東京・10月26日:浦和レッズにとって、水曜夜に行なわれたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の準決勝、城南戦の勝利は非常に大きな意味を持つ。アジアサッカー界の発展という観点から見ると、ここ15年で最大級の意味。業界筋ではそう言われている。
ピッチの外ではスポンサー、マーケティング、テレビ中継、そしてピッチ上でもJリーグや各世代の代表チーム等、日本がアジアのサッカーを引っ張ってきたのは疑うべくもない。しかし、2002年、アジアサッカー連盟により、アジアクラブ選手権とアジアカップウィナーズカップ、そしてアジアスーパーカップ(前述の2大会の勝者同士で争われた)が「アジアチャンピオンズリーグ」として統合されて以来、欠けているものが一つあった。それはもちろん、日本のチームの勝利だ。

それがいま、変わろうとしている。レッズがセパハン(イラン)とのACL決勝に進んだのだ。マーケティング担当者たちは、一晩で大会の注目度が新たなレベルに達することを感じとっている。
「92年アジアカップ優勝、1993年のJリーグ誕生、97年フランスワールドカップ出場を決めたイラン戦の勝利。今回のレッズの決勝進出は、それらと同じくらい重要な意味を持つものです」。北アジアを管轄するワールドスポーツグループ香港支社のニック・モールド支社長はそう語った。
埼玉スタジアムで試合が行なわれた水曜の夜、すべてが終了した午後10時10分を回った頃の会話だ。

試合が全てだった。因縁の対決、そして試合の重要性にも関わらず、素晴らしい試合内容…。
ゲームは代表戦を彷彿させるような雰囲気のなか、キックオフ。私は、97年の国立競技場でのワールドカップ予選、日本対韓国に思いを馳せていた。
1点リードから逆に1−2とリードを許した時には、結果も当時と同じになるかと思われた。しかし今回は、長谷部がレッズを救ってくれた。そうして日本人(それからブラジル人とドイツ人監督)は、PK戦を制したのだ。
ドイツ人…準決勝PK戦…レッズが負けるわけがない。

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横浜FCが学ぶべき教訓

2007/10/25(木)

10月23日:降格というのは避けられないものだが、そのときが実際に訪れると心が痛む。
横浜FCにはそれが来るのが早く、土曜日に神戸で0−3と敗れ、J1の試合が5試合も残っている状態で早々のJ2復帰が決まってしまった。
数字は嘘をつかない。昨季のJ2王者にトップリーグで戦えるだけの選手層の厚みがなかったことは、数字が示している。29試合でわずかに3勝、これまでに奪ったゴールは17に過ぎず、勝点は8月18日以来、18という低い水準で留まっている。

昨シーズン、このチームの後塵を拝し、J2で2位だったレイソル、そしてアビスパとのプレーオフで昇格を勝ち取ったヴィッセルの両チームは、潤沢な資金、日本人選手のバランスの良さ、外国人選手の質の高さにより、横浜FCよりはるかに良いシーズンを送っている。

J2では、老練で、したたかな横浜FCはあまりミスを犯さず、規律正しく、一貫性のあるプレーでマラソン・レースのようなシーズンを首位でゴールした。しかしJ1では少しばかり力が足りなく、存在感を示すほどの選手層または勢いに欠けていた。簡単に言えば、ここまでが精一杯。あとは落ちるしかなかったのである。
高木琢也からジュリオ・レアルに監督を代えても事態は好転せず、つかの間の刺激になることもなく、10月20日という早い時期に降格が確定した。

シーズン開幕の時には、横浜FCは前途洋々であるように思えなかっただろうか?
開幕戦では、レッズに埼玉スタジアムで1−2と敗れたものの、新たに獲得した久保がいきなり年間最高ゴールの候補になるような強烈なシュートを決め、その後は三ツ沢で信じられないような試合をして、マリノスという巨艦を相手に1−0の勝利を収めた。あのときには、いかにもダービーという気分が充満し、試合後にそれぞれのチームが対照的な雰囲気でグラウンドから横浜駅にぞろぞろと向かう様子は、まさにサッカーならではの光景だった。

ただし今となっては、あれがまるで去年のことのように思える。次の試合――アウェーの大宮アルディージャにとっては大事な土曜日の試合――では、横浜FCが降格という事実をどのように受け止めているのかを見てみたい。

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大久保はオシム・ジグソーパズルの1ピースとなり得るか

2007/10/22(月)

10月19日:とにもかくにも、良かった。これで少しは安堵できるのではないだろうか。大久保嘉人がようやく、最高レベルで結果を出してくれた。
水曜日の対エジプト戦、4−1の勝利で見せた2本の素晴らしいゴール。誰もが待ち焦がれていたそのゴールは、2003年5月31日の代表デビュー以来21戦目にしてやっと訪れた。確かに、出場したうちの何戦かは交代要員として数分プレーしただけだった。しかしそれでも、出場機会が増えるにつれ、彼にかかるプレッシャーは増していった。そしてようやく…。

長らく待ち焦がれていたら、それは2本同時にやってきた。そう、まるでイングランドのバスのようだ。
これで20試合ノーゴールだったのが、21試合2ゴール。一晩でゴール成功率が跳ね上がり、大久保にとっても良かった。
一般に、このレベルのストライカーでは3試合に1ゴールが適正な成功率と言われている。この調子でいけば、大久保は来年には適正な成功率へ上げることができる。この2ゴールで呪縛から解かれ、これからも積極的にゴールを狙っていってほしい。

大久保に最初にチャンスを与えたのは、ジーコだった。2003年、ジーコは大久保についてよく語っていた。しかし大久保はゴールを挙げることができず、監督のお気に入りリストから外れ、2006年ワールドカップ代表入りのチャンスを逃してしまった。

オシム監督も、彼の素質はよくわかっていた。だがまずは大久保に学ばせ、そしてチャンスを待たせた。そして水曜日、大久保は監督の信頼に応え代表への定着に向けて一歩前進したのだ。
とはいえ、この先には、田中達也、佐藤寿人、そして播戸竜二との激しいポジション争いが待っている。
それでも大久保ファンにとっては、オシム監督のジグソーパズル、チームのスタイルと個性にあったピースが見つかったと感じたことだろう。結果はさておき、今回の2ゴールは日本代表にとって今年最後のボーナスだ。

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賭ける価値のあるギャンブル。監督ピクシー

2007/10/18(木)

10月16日:ドラガン・ストイコビッチがレッドスター・ベオグラードの会長の座を去るというニュースが流れたときには、次の行き先は決まりきっているように見えた。もちろん、行き先は名古屋。クラブとは深いつながりがあるし、長らく不遇をかこってきたグランパス・ファンは、彼をいまだにヒーローとして崇めているのだから…。
その後すぐ、新たな報道があった。グランパスは、シーズン終了後の辞任を示唆していたセフ・フェルフォーセン監督の後釜として、本当に「ピクシー」と交渉していたのだ。

サッカーでは、1プラス1は必ずしも2になるとは限らないが、今回のピクシー報道について言えば、現時点では実現性がかなり高い。契約が無事成立して、ストイコビッチに日本に戻ってきてほしい。彼は、きわめて興味深く面白い人物で、世界中で尊敬されている。

ピッチでは、レフェリーのストイコビッチに対する扱いがあまりに不当だと、よく思ったものだ。レフェリーが彼の激しい気性に過剰反応し、むやみにイエローカードを出す傾向があったのである。怒りやすいという評判が先に伝わり、ちょっとしたことでも大騒ぎになってしまう。それから、さらに事態は悪化した!
彼はピッチの横で、いかに振舞うのだろう? 物静かで自制心を持ち、成熟した責任ある態度を見せる? それともブッフバルトのように、イライラやむかつき、怒りによって、あるいはそれらがすべて溜まりにたまって、芝生にスーツの上着を投げつけるようになる可能性のほうが高いのだろうか?

1つ確かなことは、グランパス・ファンが彼を敬愛し、彼を救世主と崇める。また選手たちは彼を尊敬し、刺激を受けるということだ。結局のところ、毎年毎年、Jリーグの有力チームになろうとしてなれずにいる(この事実を認めようではないか)グランパスにとって、今回のストイコビッチとの交渉は理にかなったものである。

フェルフォーセンの方針の功罪については、「功」の部分も少しはあったが、チームにとっては「罪」のほうが大きくなってしまった。彼がツキに見放され、選手の故障、とりわけディフェンダーの故障に苦しめられたのは事実だが、あれほど見事なスタートを切りながら上位からは大きく離されてしまった。
フェルフォーセンのために言っておくと、彼は、いつも上位5位以内に入れば上出来だと話していた。しかし、現状ではその位置まで駆け上がることは絶望的だ。まぁ、降格の危険もないけれど。

ピクシーがすべてを一変させてくれるのだろうか? クラブでは、彼の監督就任については、やってみる価値のあるギャンブル――そして、ピッチ内外でのクラブのイメージアップを保証するもの――と考えているようだ。ピクシーの復帰は名古屋だけでなく、Jリーグにとっても喜ばしいものとなるだろう。

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フロンターレはACL制覇に挑戦しただけ

2007/10/15(月)

東京・10月12日:川崎フロンターレ論争を、私は今も興味深く見守っている。アジアチャンピオンズリーグの準々決勝、第1戦と第2戦の間に開催された柏でのJリーグ戦で、フロンターレは先発メンバーのほとんどを休養させた。これは正しかったのだろうか?あるいは、他のJ1チームやファンのために最強メンバーでレイソル戦に臨むべきだったのだろうか?

私にしてみれば、答えは明快。フロンターレの行動は正当なものだ。どの選手を起用するかは、いかなる試合でも、誰も、彼らに指図するべきでない。プレーした選手たちは、プロとして登録されているのだ。当然、先発メンバーとして選ばれてもおかしくない。

見方を変えれば、彼らは標準レベルに達していない、という侮辱にもなる。
事実、9月23日の柏戦に臨んだフロンターレ陣営を見てみると、十分に強い。川島、佐原、河村、伊藤、井川、養父、谷口、フランシスマール、大橋、我那覇、黒津。このメンバーで毎週戦ったとしても、おそらくJ1でやっていけるだろう。
後半にチームが崩壊し0−4で負けはしたが、良いチームだった。勝つか引き分けていれば、誰も文句は言わなかっただろう。

今回のことは、他のJチームがこれまで満足な結果を残せなかったアジアチャンピオンズリーグを、フロンターレが真剣に考えていた表れだろう。それに、対戦相手のレイソルはタイトル争いも降格争いもしていない。
たとえばそんな状況であれば、ライバルチームが文句を言うかもしれないが、それでもそれはフロンターレの問題ではない。彼らはチームにとってベストな選択をしただけ。アジアチャンピオンズリーグ制覇を狙っただけなのだ。そう、それで処分されるいわれはない。

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ガンバの意気を示した寺田のプレー

2007/10/11(木)

10月9日:浦和レッズにプレッシャーをかけ続ける意欲がガンバにあるかどうかは、疑わしい。そう思っている人たちに、土曜午後の日立スタジアムでの試合を見せてやりたかった。バレーが負傷して前半だけでピッチを去り、後半開始早々6分に先制点を奪われたときには、ガンバの前途は暗澹としているように見えた。
しかしガンバはチームを立て直した。スタイリッシュなプレーで反撃し、最終的には2−1の勝利を収めて勝点3を獲得。ディフェンディング・チャンピオンへの追撃の手を緩めなかった。日曜にレッズが勝ったので、1位と2位の勝点差は依然として6だが、残りが6試合ある状況では、タイトルの行方はまだ不透明だ。

土曜の柏では3ゴールが生まれたが、うち2つは最高級だった。
1つは、レイソルのフランサが右足で放った、めったに見られないような華麗なシュート。ボールはゴールポストの外からカーブを描きながらゴールに入り、レイソルの先制点となった。李忠成の仕事ぶりも見事で、彼が右サイドから切れ込んだ結果、ボールがフランカのところに渡り、あの強烈なシュートが生まれたのである。2人の素晴らしい仕事があのシュートに結びついたのだが、敵陣深くに位置するセンターフォワードのプレー方法については、李は最高のお手本だ。

ガンバの同点ゴールも美しかった。播戸が加持の右サイドからのピンポイント・クロスにジャンプして合わせ、南の守るゴールに力強くヘッディングシュートを決めた。
ガンバの決勝点はどうだったかって? 寺田がペナルティエリアに切り込み、相手ディフェンスともつれて倒れてPKが与えられたが、あの判定は厳しすぎるように思えた。ただし、右サイドの小林亮にとっては不必要なイエローカードだった。

喧騒が収まるのを待ってから、遠藤が、彼のトレードマークの1つであるPKを決めた。遠藤は、PKをとても簡単そうに決める。もちろん、そうでないときもあるのだろうが、あのように平然とPKを決められるようになるには、精神力と自信、それからしっかりとしたテクニックが必要である。

ただし、この日の午後に私を本当に感心させたガンバの選手は、前述の寺田だ。ご多分に洩れずクラブのユースチーム出身。この22歳の攻撃型ミッドフィルダーは、後半にギアを一段上げたようにピッチ中を駆け巡り、クロスを上げたかと思うと、ドリブル突破を見せ、その次にはシュートを放っていた。私は、ガンバ逆転の原動力となったのは寺田であり、すでに実績のあるチームメートたちが彼の野心に満ちたプレーに応えたのだと思った。

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新潟でひときわ輝く千葉

2007/10/08(月)

10月5日:2〜3週間前のある夜、大宮でワシントンに出くわし少しばかり話しをした。
彼に日本人DFの中で誰が一番やりにくいかと尋ねると、まず中澤、そして岩政の名を挙げた。しかし今なら、アルビレックス新潟の千葉和彦も彼のリストに入ってくるかもしれない。

埼玉スタジアムで行なわれた第27節のレッズ対アルビレックス戦で、千葉はとても良いプレーをしていた。まだ22歳の彼はワシントンのマンマークを、しかもワシントンのホームグラウンドで任された。日曜の午後に請け負う役割としては、決して嬉しいものではない。
しかし千葉は、目を見張るような活躍で見事にその役目を果たした。ワシントンがその試合でゴールを挙げられなかったのは、千葉の溢れる闘志と途切れることのない集中力によるものだ。

水本のように個性あふれるプレーヤーで、たとえ相手がリーグ屈指のブラジル人ストライカーでも一歩も引かない。また、伊野波のように年齢以上に熟成し、冷静なプレーで周囲の選手たちを引っ張る。さらには阿部のように、バックスでもセントラルMFとして素晴らしいプレーをする。シーズン開幕当初、私は実際に駒場での大宮戦で見ている。

要するに千葉は、オランダでの経験もさることながら、生まれながらにしてサッカー選手なのだ。いまは2006年5月のアルビレックスでのデビュー以来、Jリーグの選手としての自身を確立している最中。身長183cm、体重74kgと恵まれた体格、2本の素晴らしい足、スマートな頭脳を持ち、そしてさらにサッカーに取り組む態度も良い。相手DFを抜いてボールを運ぶ能力を見せたかと思えば、果敢にパーフェクトなタイミングでワシントンをブロックしていた。
オシム・ジャパンは、多用性と適応性を重視する。千葉がオシム監督のプランに入ってくる可能性は、十分ある。

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アルディージャに突きつけられた厳しい課題

2007/10/04(木)

10月1日:少し前に埼玉スタジアムでレッズを破り、最近は日産スタジアムでマリノスに勝ったチームだと聞けば、優勝を狙えるチームだと思うだろう。
しかし、そうではない。話題の主は大宮アルディージャ。上記の2試合で注目に値する結果を出したにもかかわらず、27試合を終え勝点24。順位表の下から2番目の17位と、自動降格圏から脱け出せないでいる。

佐久間監督は残留(降格安全圏)にはあとどれだけ勝点が必要かと尋ねられると、勝点40と答えた。つまり、残り7試合で5勝1引き分けの成績が求められる。
選手たちにとっては厳しい要求だが、アルディージャの今後のスケジュールには、同じように降格の危機にある、サンフレッチェとのホーム戦、横浜FCとのアウェー戦、大分とのホーム戦、甲府とのアウェー戦が含まれている。しかもトリニータと戦う11月7日には、アルディージャは改修を終えた大宮公園のホームスタジアムにようやく戻ることができる。

確かなことが1つある。佐久間監督は、駒場の乳牛牧場を離れ、芝生のピッチでプレーできることを喜ぶだろう。
佐久間監督は言う。「うちには、テクニックのある小柄な選手がたくさんいる。だから、ピッチ状態の良い埼玉と日産スタジアムで、レッズとマリノスに勝てた。駒場では、ピッチが悪くてサッカーにならない。体力の勝負になるから」。

前の週にホームでジェフに0−1と惜敗したあと、大宮は調子とモチベーションをV字回復させ、素晴らしい2ゴールでマリノスを破った(2−0)。
かつては名古屋グランパスのバッドボーイズの1人で、Jクラブを渡り歩く平野孝はキックオフ前にマリノスファンから厳しい野次を浴びていたが、ファーポストに決めたジャンピングヘッドで最高のお返しをした。平野にとっては、この試合がアルディージャでの2戦目。チームには5月21日に合流していたが、練習初日に負ったヒザの故障に苦しみ、2ヶ月の欠場を余儀なくされていたのである。
「人柄の良い、経験豊かなプロフェッショナルで、練習も毎日全力でやっている。信頼している」というのが、かつてマリノスに在籍していた平野に対する佐久間の評価だ。

2点目を決めたのは吉原。走り込んで来て榎本を唖然とさせるほど強烈な右足のシュートを決め、そのままゴール裏の大宮ファンのところまで走り抜けてしまった。広大な日産スタジアムでは、この間の距離が2kmほどあったが…。もっとも讃えられるべきは審判の柏原丈二氏だ。彼は吉原の栄光の瞬間をそのまま続けさせたのである。時計は見ていたが、イエローカードは出さなかった。まさに、良識あるレフェリングである。

まったく楽しいことに、4分ほど試合を止めた吉原がイエローカードをもらったのは、結局、中澤を引きずり倒したとき!まあ、何もかもうまくはいかないもの…。7試合で5勝という結果、佐久間監督にとっては案外ありえないことではないのだろう。

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フロンターレFW鄭大世の弁護

2007/10/01(月)

9月28日:水曜夜に川崎フロンターレが等々力で敗れた結果、アジアチャンピオンズリーグでの日本チーム同士による決勝戦の望みは打ち砕かれた。
PK戦前から、正直私は最悪の結果を想像していた。試合自体はフロンターレが支配していたが、決定的なチャンスを逃していた。対するセパハンは後半開始前からPK戦を狙うかのような試合運び。全てがセパハンの勝利へと向かっていたようだった。そんな状況下、セパハンは失うものが何もなく、一方のフロンターレはさらに大きなプレッシャーを背負う。フロンターレはそれでも結果を出そうとしていたが、結局、叶わなかった。

ここは、セパハンを褒めるべきだろう。彼らは運も味方に付け、GKアバス・モハマディのファインセーブと決定力不足のフロンターレ(特にジュニーニョ)に救われたのだ。大柄で頑強、時として暴力的、そして極めて冷笑的なセパハンのDFに対して、ジュニーニョはいつもより小さく、そして軽く見えた。しかしそのスピードとスペースを探す目で、彼は攻撃をつづけるフロンターレの中で得点圏に何度も身を置いていた。
大胆不敵な鄭大世(チョン・テセ)とジュニーニョの2トップでは我那覇の出番は少なく、数分プレーしただけだった。

鄭のディフェンスについて、私から一言。
延長に入り、鄭がセンターハーフのハジ・アギリーとの空中戦でヒジを使っているとセパハン選手たちがクレームをつけていたが、あれはヒジでなく頭だ。ジャンプするのが少々遅かっただけ。しかし悪意のあるものではなく、何と言うかそう…韓国スタイル?
アギリーのチームメイトの芝居じみたリアクションからして、大量に出血でもしていたのだろう。医師と担架がピッチに呼ばれた。

こういう場面は、主審は非常に判断が難しい。選手が本当に負傷しているのか、もしくは他の選手同様、怪我したフリをしているのか。見極めなくてはならない。この時は実際に負傷していたのだが、事態をしばらく見ていた主審を、誰が責められるだろう? セパハンの選手達はここまでに何度も、怪我を装っていたのだ。
セパハンは鄭がヒジ打ちをしたと事を荒立てようとしたが、実際のところ彼はヒジを使っていない。ゲームが再開された時に寄って来たセパハンDFに対し、自分の頭を指していた。

フロンターレが消えた今、レッズには頑張ってもらいたい。
ファンとして言わせてもらえば、アジアや世界に対して誇れる成功を残してきたし、チャンピオンズリーグでそれを示し、FIFAクラブワールドカップの出場権を獲得してもらいたいものだ。たとえJリーグで何位に終わろうとも。

マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン卿も溢れんばかりのレッズファンに感心し、プレミアリーグのトップ10以下のチームになら、レッズは決して引けを取らないとコメントしている。
トップ10? その程度かなあ?

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