もっと積極的に攻めないと
2007年6月10日:カタール戦の引き分け(1−1)という結果に、イビチャ・オシム監督が腹を立てているのは確かだ。私も腹立たしかったし、日本の多くのファンもそうだっただろう。
言うまでもないが、日本が楽に勝てる試合だった。圧倒的にボールを支配していたし、選手一人一人の資質、そして大舞台での経験といった点では、相手チームとは格が違っていた。
しかし、追加点を挙げられなかったため、カタールにも追いつき引き分けるチャンスが最後まで残されていたのも確か。そのチャンスをものにされ、その夜がぶち壊しになってしまった。
阿部については、同点ゴールの引き金となったファウル、つまり日本が勝つ明らかなチャンスの1つをモノにできなかったことを責めようとは思わない。
どう見たって、阿部は川口が出てきてボールをクリアするのを待っていた。キーパーが来ていないことに気づいた彼はパニック状態に陥り、フリーキックを与えてしまったのだ。ミスを犯したあとの阿部のボディ・ランゲージがゲームの行く末を物語っていた――「同点にされるかもしれない」。
チャンスについて言えば、真っ先に頭に浮かぶのは高原の美しいヘディングに合わせたものの、バーの上を越えた山岸の左足のハーフボレーと、カーブをかけたボールがファーポストの外を通った終盤の羽生のシュート。この2つだ。
いや、もういい。チャンスを逃したことにはイライラしたが、私の怒りの原因はそれではない。
私ががっかりしたのは、ゴールが見えているのに日本がシュートを打たなかったことだ。とくに目立ったのが遠藤。彼はまるでアシスト王を狙っているようだった。日本は、遠めからゴール前にボールを放り込む代わりに、複雑に入り組んだパス回しをして、ボールを確実にゴールに入れようとしていた。日本はダイレクトなアプローチをもっと増やし、ピッチの残り3分の1の地点まで攻め込んだときには、よりダイナミックかつ積極的にプレーしなければならなかったし、そうしなければならないと思う。
そのためには、同じことを繰り返すが、私なら巻を高原と組ませ、ミッドフィルダーを1人減らす。ただし、減らすのは私のマン・オブ・ザ・マッチの鈴木啓太ではない。
巻と高原が並べば、地上戦でも空中戦でもより多くの選択肢が生まれるだろう。巻はゴールを挙げなくとも何かをやってくれる。チームのために懸命に動き回り、つねに相手ディフェンダーの脅威となってくれるのだ。
カタール戦の結果は期待はずれだったが、13日の金曜日、UAE戦に勝てないようであれば、日本は本当に厄介なことになってくるだろう。
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