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嵐のあとの菅沼

2007/05/03(木)

土曜午後の日立柏サッカー場には、感嘆すべきことがたくさんあった。
レイソル対グランパスの開始を49分遅らせた雷雨はまったく印象的で、よく晴れた暖かい日が、雷鳴と稲光をともなう土砂降りと強風に突如襲われたのである。
固い絆を誇るレイソルのイエロー・モンキーズもゴール裏からの退散を余儀なくされ、壁の向こう側にある高い木の下の安全地帯、つまり本来の生息地を目指したようだった。
それに、稲妻のなかにはごく近くで光ったものもあった。実際、その後に行なわれた試合のグランパスのフォワードより、ゴール近くに迫ったものもあったくらいだ。
雷雨のあとはひんやりとした夜がやってきたが、レイソルファン、とくにバックスタンドにいるファンが、Jリーグでも最高のスタジアムの1つで素晴らしい雰囲気を作り出していた。

積極的なプレーにより2−0の勝利を収めたレイソルの1点目は、李忠成が軽やかに決めたもの。2点目は李がお膳立てをし、菅沼実が見事にフィニッシュを決めた美しい得点だった。
今季5点目を記録した菅沼は、自信と冷静さを余すところなく披露した。李が名古屋の不用意なクリアをインターセプトし、走りこんで来た菅沼にヘディングでパス。菅沼は右サイドから内側に切れ込み、右足のインサイドで狙い澄ましたようにシュートを決めた。
走りこんで来たスピードを緩めることなく、菅沼はボールをワンタッチでコントロールし、ペナルティ・エリアの端から櫛野の守るゴールの左下隅にボールを強く蹴り込んだ。前半終了5分前にこのゴールがあったおかげで、レイソルは試合をコントロールし、勝点3をまるまる得ようとする名古屋の終盤の猛攻撃を阻止することができたのだ。

菅沼は面白い選手だ。フィリップ・トルシエならそう言っていたことだろう。菅沼は柏のジュニアユースの出身で、ユースチームを経て、トップチームに入団したのだが、現在に至るまでに、ブラジルのビットーリア、そしてJ2の愛媛FCでプレーしていた時期もある――しかもまだ21歳。
昨シーズン、愛媛でレンタル選手としてプレーしていた間、菅沼はリーグ戦45試合で11ゴールを記録。まだ始まって間もないJ1でのこれまでの活躍を論評するとすれば、昨シーズン出場したJ2での厳しい試合の経験がすべて彼の糧になっているのは明らかである。

2001年に京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)の一員としてJ2でプレーした経験が朴智星(パク・チソン)を変貌させた。ゲルト・エンゲルスがかつて力説していたことをいつも思い出す。
「毎週毎週トレーニングするのも良いけれど、厳しい試合でのプレーに勝るものはない」。2人がともに京都にいたとき、エンゲルスは朴智星についてそのように語っていた。
「J2では、土曜日、水曜日、土曜日というスケジュールでプレーすることがよくあるのだけれど、1年を通して朴が絶えず成長、向上しているのがわかったよ。彼には厳しい試合を戦う機会がとても多くあったからね。J2でのそのシーズン、彼は38試合のリーグ戦に出場し、本当に力をつけていったんだ」。

つまり、J1からJ2への降格、あるいは大きなクラブから小さなクラブへの移籍(たとえば菅沼の場合、それにレイソルも昨シーズンJ2を経験した)は、下のレベルでプレーするように感じられ、悔しいものだと思われるかもしれないが、充分な出場機会が与えられていないと感じる若手選手には、冒険してみるだけの価値があるキャリア転換のチャンスなのである。

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