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フロンターレの当たり月

2007/04/30(月)

川崎フロンターレにとって、2007年4月はJリーグでの9年の歴史の中でとりわけブレイクした月として記憶されることだろう。
それはさいたまスタジアムで浦和を2−1で破ったからだけではなく、アジアの舞台でも彼らのカラー(色)を見せ付けたからだ。
アジアチャンピオンズリーグ・グループFは残りわずか2試合。韓国の全南ドラゴンズに2連勝したフロンターレは彼らに6ポイント差をつけており、ベスト8進出をほぼ手中に収めている。

同大会での日本チームのふがいない成績は周知の通り。韓国のライバルチームを相手にアウェーで3−1の勝利を収め、そして水曜夜には等々力で3−0と、2勝をもぎ取ったことは大きな進歩と言えるだろう。
その前にホームゲームで行なわれたバンコク大学との無様な引き分け試合(1−1)と違いJリーグのムードに溢れるフロンターレは、タフで必死になる韓国チームでさえも手に負えなかった。
最終ラインは強くアグレッシブ、中盤はクリエイティブでよく動き、そしてスピーディーでデンジャラスなフォワード陣。彼らのパワーとペース、そして組織力は日本で最も恐るべきチームへと変身させた。
箕輪、寺田、伊藤。この3バックの、落ちてくるまで待つことのない浮き球への攻撃的な姿勢はとても良い。
こうした、一歩間違えばミスを犯し混乱しがちな状況下でも、ミスも少なくリスクを犯さない彼らは安定した守備ができていた。

全南とのホームゲームは、実際は3−0というスコア以上に接戦だった。
1点リードされた全南は後半に入りボールをキープして積極果敢に攻め、試合の主導権を握った。また、フリーキックも得て、まるでホームチームのようだった。
一方のフロンターレは、プレッシャーを与えカウンターを繰り返していた。
しかし、先制点を決めたジュニーニョが81分に鄭大世のゴールをお膳立て。勝点3をほぼ手中にすると、さらに鄭は1ゴールを挙げた。
この日、我那覇の代役を務めた鄭は非常に良くやっていた。
ポジショニングも良く、典型的な韓国スタイルのプレーを見せていた。

とは言え、サッカーシーズンはまだまだこれから。
フロンターレは日曜日にホームでジェフ千葉と対戦する。
しかし明日の等々力で何が起ころうとも、2007年4月は川崎の“ビンテージ・イヤー”ならぬ“ビンテージ・マンス”として記憶に残ることだろう。

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