ある街の物語
東京・12月2日発:一方では、涙と怒りをあらわにした横浜フリューゲルスの選手たちがJリーグに別れを告げたのは、それほど昔のことではなかったように思える。
それは1998年の終わり。Jリーグを日本スポーツ界の頂点に押し上げたバブルがはじけた後の、三ツ沢スタジアムでのことだった。
しかしまた一方では、それは遠い過去の話のような気もする。
Jリーグは当時まだ2ステージ制だったし、J2もなかった。クラブはとうに峠を過ぎた選手たちに、それこそ馬鹿げた給料を払い(パウロ・フットレ、フリューゲルス・1998年)また、入場料収入が非常に少なじ時期に、ビジネスセンスが欠如しているとしか思えないような投資(セザール・サンパイオ、ジーニョ、そしてエバイールのトリオに1000万ドルを投資した――確かに彼らには才能はあったが…)をしていた。
1999年。フリューゲルスは消滅し、横浜マリノスは横浜F・マリノスとなった。その後、フリューゲルスの灰から横浜FCが誕生。2001年にJFLからJ2に参入してきた。
そして来る2007年、横浜FCはJ1に昇格し、横浜・Fマリノスとダービーマッチを戦うことになる。
これは驚くべきサクセスストーリだ。
今年のJ2の優勝争いは激しかった。
レイソルとヴィッセル神戸がペースを掴んでいたように見えたが、終盤に失速。横浜FCがあっという間に彼らを追い抜き、優勝してしまった。
2006年シーズンの最終日、横浜FCは栄冠を一身に浴びていた。その一方で、神戸と柏はJ1昇格の残り1枠を賭け、またセレッソもしくはアビスパとのプレーオフを避けるべく戦う(編集注:12月2日時点)。
横浜FCの復活は、チームや応援し続けたサポーターたちの勝利だけでなく、Jリーグ、そしてサッカー界の勝利でもある。
ピッチの内外を問わず、優れたチームマネージメント(高木琢也監督の功績はもちろん大きい)と、ハングリーな選手たち、経験豊富な真のプロフェッショナルが揃えば、チームは無理なくゴールを達成できるのだ。
とは言え、チームの誰もがこう言うだろう。まだ始まったばかりだ、と。
基礎はできあがったが、ただそれだけなのだ。
J1で確固たるポジションを築き、それを長期にわたり維持するために、横浜FCは、来季、さらにその先に向けて難しい選択をしていくことになる。
佐藤工業が撤退し、全日空がマリノスに移ってフリューゲルスは消滅した。
これはJリーグにとって苦い経験だった。
横浜FCは、これらの苦い経験から学んだのだ。そしてリーグの未来は良いものになるだろう。
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