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セントジェームズ・パークでの火の玉ファーギーの思い出

2006/11/09(木)

11月8日・名古屋発:サー・アレックス・ファーガソンは、今日の賞賛に充分値するだけの功績を残してきた。
現代のサッカーで、プレミアリーグになる前から、20年にわたり現職を務めてきたのは驚異的なことである。しかも、毎シーズン、関係するあらゆる大会でタイトル獲得が期待される運命にある、あのようなビッグクラブで。

イングランド北東部の朝刊紙でニューカッスル・ユナイテッドの担当記者をしていたころ、ある晴れた日の午後のセントジェームズ・パークで、火の玉ファーギーの怒りの矢面に立たされたことがある。
ニューカッスルがマンチェスター・ユナイテッドを2−1で破った直後、みんなの話題になっていたのは、マンチェスター・ユナイテッドのノーマン・ホワイトサイドがニューカッスルのジョン・アンダーソンに見舞った、ひどいタックルだった。ホワイトサイドは北アイルランド出身の大柄な強いフォワードで、戦闘的なプレースタイルでよく知られていた。一方のアンダーソンは敏捷でタフな右サイドまたは中央のディフェンダーで、アイランド代表でもプレーしていた。
ホワイトサイドのファウルはショッキングなもので、アンダーソンはタッチライン沿いで苦悶するしかなかった。アンダーソンは、選手が負傷したふりをするようになる前の、古いタイプ。痛くもないのに倒れるなんてことは決してしない選手だった。ホワイトサイドは当時、その規律上の問題とファウルがよくマスコミで採り上げられていた。

それはそうとして、試合後、ファーギーがセントジェームズ・パークのロビーにやって来た。そこでは、マスコミ陣が心細げに待機していた。
彼が我々の一団の前で立ち止まったとき、1人の年長の記者が明らかに震えていた。ファーギーは試合に負け怒っていたし、マンチェスター・ユナイテッドのあの激しやすい選手について質問されていたからだ。ファーギーがその質問を一蹴すると、質問をした記者は黙り込んでしまった。明らかに、その記者は、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルそのものについて、ファーギーの見解を聞きたかったのだが、勇気を奮い起こすことができなかったのだ。
私は、ファーギーの真横に立っていた。私は若くて無邪気で、ナイーブだったので、簡潔にファーギーにこう話しかけた。
「彼が言いたいのは、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルについて、あなたがどう思ったかということだと思うのですが?」
その時点で、みんな、ファーギーの怒りが届かないところまで一目散に逃げようとしていた。
ファーギーは私のほうを向き、叱り始めた。「君たちは最近、どうしていつもホワイトサイドのことを聞くんだ? みんなで質問すれば怖くないって具合に質問を繰り返し、彼をとても苦しめているじゃないか。彼は、1試合で1回ファウルを犯しただけなのに、君たちはそのことばかり話題にする。ファウルは他にもあったのに、どういうつもりだ? ホワイトハウスは、今では審判に目を付けられている。君たちが散々書き立てるからね」。

まあ、そんな感じだった。1987年、ひょっとすると1988年のことだから、詳細を全て覚えているわけではない――それに、私のテープレコーダーは、あの時、ファーギーのすさまじい熱気を浴びて溶けてしまった。
ファーギーの癇癪は、もちろん、次の日の全紙の見出しとなった。
「ホワイトハウスのほうが犠牲者だと!」
「大男のノーマンなんか辞めさせろ!」
そんな感じだ。
記者たちはみんな、ファーギーからあんな反応を引き出した私に感謝し、気持ちはわかるとでも言うように私の肩を叩いた。まるで、私がカップ戦の決勝のPK戦でシュートを外したみたいに。
しかし、私は、彼を怒らせたとは全く思っていなかった。私は、ある特定のプレーに関する具体的な質問を1つしただけなのに、彼が感情を爆発させたのである。そうなのだよ…Jリーグでの人生は、ずっとずっと穏やかなのだよ!

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