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ブラッター会長、姑息なプレーにもご発言を

2006/11/02(木)

近頃、最新のゼップ・ブラッター的問題提起をフォローしていますか?
読んでみると、とても面白い内容だ…いつものように。
当初、ブラッターは、イタリアのせいでオーストラリア代表がワールドカップ敗退を余儀なくされたことをオーストラリアの人々に謝罪したと伝えられていた。私にとっては、あれはダイビングとインチキで台無しにされた、今回のワールドカップのなかでも最悪で、もっとも憂鬱なシーンの1つ。
あのとき、オーストラリアのDFルーカス・ニールがボールを奪おうとすると、イタリアの左バックのファビオ・グロッソがわざとらしく転倒した。私見では、あれは決してPKではなかった。グロッソの狙いはただ1つ。彼はすれっからしのプロ意識でその課題を果たしたのだ。

残念なことに、「疑わしき被告選手は罰せず」という考慮もなしに、審判が拙速に決断を下してしまうことがある。そのようなことが、とてもアンフェアな方法で起こり、オーストラリアの異議申し立てに対して残酷な判断が下されたのである。オーストラリア式フットボールやラグビー、クリケットといった、ラフでタフなスポーツになじんできたスポーツ好きのオージーが、なんとか好きになろうとしているスポーツで自分たちがだまされたという感想を抱いたとしても、不思議ではない。

それはそうとして、ブラッターはその後、自分のコメントを蒸し返し、イタリアを批判するつもりはなく、ただオーストラリアに同情の気持ちを伝えたかっただけだ、と語った。
同情の気持ちだって?
そんなものが、一体何になるんだ?
FIFAのトップであるブラッターこそが、ダイビングや姑息なプレーを野放しにして、現在のレベルにまでエスカレートさせた張本人なのだ。彼なら、ずるい行ないをした選手を罰するためにビデオ再生の制度を導入し、人を欺くプレーに断固たる処置をとることだってできたはずなのだが、彼が選んだ方法は、FIFAのフェアプレー・スローガンがもはや存在していないような環境で、哀れな審判を苦しめること。

2006年のワールドカップは、私的には大変な失望であった。グロッソとニールのペナルティ事件のような出来事がいくつかあったのが、その主な理由だ。
ブラッターは、この病的な状況を矯正するためにもっと積極的に発言すべきで、真実を語り、今そこにある状況を明らかにするのを恐れてはならない。

スケールはもっと小さく、はるかに小さくなるが、土曜日の駒場の大宮対FC東京の試合でも、議論の的となるような出来事があった。
後半に1−0でリードしていたFC東京の選手が、どう見たってまったく異常がないように思えるときに、自陣で倒れこんだ。チームメートがボールを外に蹴り出して試合を止め、本当は必要のない治療を倒れた選手に受けさせようとしたが、その「負傷した」選手が自力で立ち上がったのだ。
今度は大宮のスローイン。東京のファンからはブーイング。アルディージャの選手がボールを東京の選手に戻すのを拒んだからである。大宮の三浦俊也監督が、ボールをキープして攻撃に移るよう選手を促したからだ。大宮は1点のビハインドを負っていたし、東京が図々しくゲームを止めたのには何の理由もなかった。

東京ファンのみなさん―― 私は君たちも、君たちのチームのことも評価している。だけど、あのときのことは、完全に君たちの方が間違っているよ。大宮には、スローインで君たちのチームにボールを返す義理なんて全くなかった。大宮がプレーを続行したのは正解だし、レフェリーもそれを認めていた。
以前にも書いたが、ゲームを止めるのはレフェリーの仕事。リードしているときの時間稼ぎのために、「負傷した」選手のチームメートがする仕事ではない。最近のサッカーでは、この種のやり口があまりにも多すぎる。

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