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2006年11月

今年も、歴史は繰り返すのか?

2006/11/30(木)

それはないだろう。ありえるはずが、ないじゃなないか。
埼玉スタジアム2002でのレッズ対ガンバ。ちなみに、チケットは数週間前に完売している。
ガンバが浦和を抜くには、3点差以上の勝利が必要。やっぱり、ありえない。チャンピオンはすでに決まっており、土曜日のスタジアムは、アウェー・チーム用の一角を除き、赤・黒・白のビッグ・パーティーの場となるだろう。

そう、それが土曜日の論理的なシナリオなのだ。
しかし、ここ最近の数シーズン、Jリーグは論理で解決できるものではないことを見せつけられている。したがって「レッズ0−3ガンバ」なんて結果も排除はできない。
ちょっと想像してみてほしい。ガンバが2−0でリードして、残りはロスタイムの4分だけ。そのとき、マグノ・アウベスがペナルティ・エリア内で倒れ、レフェリーがPKを宣告。マグノ・アウベスがPKを決める――そして、ガンバがまたも信じられないような結末でリーグ・チャンピオンの座を防衛。
あるいは、マグノ・アウベスがPKを失敗――そして、ブッフバルトが指揮する最後のリーグ戦で初のリーグ・チャンピオンの座に就く。

2003年の最終戦で久保がロスタイムにヘディング・シュートを決めてマリノスがジュビロを破り、第2ステージ優勝と両ステージ完全制覇を決めたのを見ているから、さらには2005年のリーグ最終節でガンバが等々力で勝っているのを見ているので、私は、土曜日は何が起こっても不思議ではないという気分になっている。
サッカーでは、予想外のことが起こるもの。とりわけ日本でその傾向が顕著なのは、最近の歴史を見れば明らかである。

現実的に考えると、試合は0−0または1−1で終了し、ちょっとアンチクライマックスな雰囲気でレッズがチャンピオンになりそうだ。アンチクライマックスというのは中立な立場のファンにとってということで、もちろんレッズファンにとってはそうはならないだろう。なんといっても、タイトルは1日ではなく、1シーズンを費やして勝ちとったものなのだから。
それゆえ、最近では優勝チームがリーグの最高のチームということになっている。
2リーグ制の頃は必ずしもそうではなく、年間を通じてもっとも安定した強さを発揮したチームがホーム&アウェーのプレーオフにも進めないということもありえたし、最終的にリーグ・チャンピオンとなったチームが総合順位では2位のチームより勝点が数ポイント少ないということもありえた。
そのような日々が過ぎさったのは、幸いだ。
しかし、衝撃的で、信じられないような結末は今も存在しており、サッカーから決して消え去らないだろう。

私の予想?
引き分けだ。スコアは1−1。レッズが先制し(ワシントン、35分)ガンバが後半終盤に追いつき(マグノ・アウベス、80分)、ハラハラさせながら試合終了。タイトルは、レッズに。
しかし、ひょっとするとまた…。

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MVP候補に挙がるレッズトリオ

2006/11/27(月)

11月25日発:今年もまた、Jリーグアウォーズの時期がやってきた。今年のJリーグMVPには誰が選ばれるだろう。
とある日の午後、さいたまスタジアムでメディア仲間数人と話していると、3人の名前があがった。3人ともレッズの選手だ。

ワシントンを有力視する人が多いが、私の最有力候補は彼ではない。
もちろん、ワシントンは価値ある選手だ。
彼ほどの得点能力があれば、どんな選手だって価値があると言える。
彼は浦和に移籍してくる前にヴェルディでもこれを証明してみせた。
そして今年、J1の得点王としてゴールデンシューズ・トロフィーを手にするのはほぼ間違いないだろう。
ワシントンについては文句のつけようがないはずだ。数字は誤魔化しがきかないし、一目瞭然だ。

次に名前が挙がったのは、山田暢久だった。
いや、ノブヒサ・デルピエロと呼ぶべきだろうか。
先日の甲府戦での彼のゴールは、それほどに素晴らしかった。
ただし甲府にとっては、2つのPKにレッドカードと、試合から得るものは何もないと感じるほどの扱いを受けていた。

シーズン開幕間もない頃、私は山田の得点能力について書いた。
チャンスに飛びつき、そしてゴールを見たとたんにパニックに陥るほかの選手たちと違って、彼はいつもクールで落ち着いている。
だからこそ甲府戦で見せたように、左ウィングから切れ込み、3人のディフェンダーをかわしてファーポストにカーブをかけた美しいシュートを放てるのだ。
ニューカッスル・ユナイテッドやトットナムでポール・ガスコインのこうしたゴールをよく見たものだ。ノブヒサ・デルピエロにとってこれ以上の賛辞はないだろう。

タイトル争いが佳境に入るにつれ、山田も神憑りの様子を見せている。ポンテやワシントンとのコンビネーションが好調、またミッドフィールド中央から長谷部や啓太が、そしてウィングバックの平川とアレックスがきちんとサポートできる今、甲府戦で達也や伸二がベンチにいるのも頷ける。
後半開始早々、キーパーの頭上を越し、ゲーム最初のゴールとなったワシントンのヘディングを呼んだ、山田の左足からのクロスはまさに完璧だった。

それから、そう、闘莉王を忘れてはいけない。
彼は常に全力でプレーし、チームの核となれる選手だ。
闘莉王はレッズが許したゴールはすべて自身の屈辱と考えている。
要は、相手チームが得点を挙げ喜ぶ姿を見るのが何よりも嫌いなのだ。
得点されてもうなだれることなく、やり返すべく得点を狙っているのだ。

これらすべてを考えると、私のJリーグMVP最有力候補は闘莉王。次点は啓太だ。ほとんどの場合、こうした賞は得点を挙げ注目を浴びる選手が受賞している。しかし、重要でありながら目立たない役割を果たしている選手だって等しく表彰されるべきだ。
マリノスが完全優勝を果たした時、MVPは中澤もしくは久保、奥に与えられるべきだったのに、エメルソンが受賞したのはまだ記憶に新しい。

なんにせよ、12月18日にすべてがハッキリする。

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シュンスーキ、再び!

2006/11/23(木)

う〜ん、中村俊輔をほめたたえる表現はまだ残っているのだろうか?
かつてのマリノスのマジシャンが、セルティックのメンバーとしてまたもやってのけた。舞台は、火曜夜(日本では水曜早朝)にグラスゴーで行なわれた欧州チャンピオンズリーグのグループリーグ。相手はマンチェスター・ユナイテッドだ。

数週間前にオールド・トラフォードで見せたフリーキックもなかなか良かったが、今回のは美しかった。私が見てきた俊輔のゴールのなかでも最高のものの1つ。だが、フランスのコンフェデーレーションズカップでバルテスのゴールを破ったフリーキックにはまだ及ばないか…。
フランスでのフリーキックは、彼にとっては「ありえない方向」のゴール。ゴールの左に蹴りこんだのだ。しかし、今度のマンチェスター・U戦の宝石のようなフリーキックは、ゴールの右側――左利きの選手には、ずっと狙いやすいアングル――からのものだった。

ゴール前約25メートルの距離から俊輔が蹴った、完璧なフリーキックのボールは壁の上――それもはるか上――を越えてから急速に沈み、クロスバーの下をくぐってゴール上隅に。キーパーにはまったくお手上げの一本だ。
ゴールが決まった状況も申し分がなかった。全世界に多くのファンを持つ、2つのビッグ・クラブが戦った、いわゆる「ブリテンの戦い」の第2幕の81分に記録されたのである。

英語の実況は、日本の視聴者にとっては「生のサッカー英語」についての興味深いレッスンとなっただろう。早朝の放送中(俊輔のゴールが決まったのは、日本時間の午前6時25分頃)私がピックアップしたフレーズをいくつか紹介しよう。
「絶対的な完璧さ」とは、アナリストのデイビッド・プリートの弁。彼はまた、俊輔のゴールを、「ワンダフル・ゴール」そして「途方もないスキルが垣間見られた」と表現した。
プリートは、専門的な分析をしたり、プレーの合間に会話を繋いだりする実況チームの「キャスター」だが、解説者は同じゴールについて、「息を呑むようなゴール」「魔法の瞬間」と語った。
それから数分後、セルティックの1点リードのなか俊輔が交代でピッチを去るとき、解説者は「驚愕のゴールに対するスタンディング・オベーション」について話した。
ワンダフル、息を呑む、驚愕…冒頭で述べたように、俊輔のフリーキックを表現する英語はもうそう多くは残っていない。

私は、セルティックの勝利は正当なものだと思った。というのも、オールド・トラフォードでの第1戦でのPKは、ユナイテッド(これはマンチェスター・Uのこと。ニューカッスルでも、リーズでも、ジェフでもないし、他のあらゆるユナイテッドでもない。そもそも、不遜なマンチェ・ファンはそんなユナイテッドは相手にしない)に与えられるべきものではなかったからだ。
ちなみに、あのときはGKボルツがギグスにファウルを犯したと宣告された。今回、ボルツがリベンジを果たした。試合終了直前にサアのPKをセーブしたのだが、サアのゴールが決まるようにはまったく見えなかったでしょう。どういうわけか自分でもわからないのだが、私はいつも、「左利きの選手はPKを外す」と思ってしまう。サアは闘莉王に教えてもらったほうが良いのかもしれないね!
もちろん、右に跳んでサアのシュートを掻き出そうとしたとき、ボルツはゴールラインのずっと前にいたが、審判/線審が勇気を出してこの行為を違反だと断じたことが、完璧にラインから離れているときでも、どれくらいあるだろうか?

何はともあれ、中村がグラスゴーでの素晴らしい一夜を経験した。少し前に書いたように、スペイン・リーガエスパニョーラに挑んでおそらくベンチ暮らしをするよりも、セルティックに残留したこの決断は正解だ。
問題は…テレビの解説者が「シュンスケ(シュンスキ)」という発音をいつ学ぶかである。「シュンスーキ」という「スー」を強調した言い方ではなくて。
選手やファンについては心配はいらない。みんな、シンプルに「ナカ」と呼んでいるからね!

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オシム・ジャパンに寄せる期待

2006/11/20(月)

11月18日発:ワールドカップへの大きな期待で始まった1年は、水曜夜に行なわれたサウジアラビア戦(3−1)の勝利で未来への大きな期待と共に締めくくられた。
日本の勝利を見て嬉しかったし、また、同時にホッとした。
というのも、オシム・ジャパンの未来形を垣間見られたからである。

就任してまだ間もないオシム監督だが、優れた若い選手たちを起用してきた。
そして、才能と知性にあふれた選手たちは監督の指示をよく聞き、こうも早く監督から学んでいることは喜ばしい限りだ。
サウジ戦の2ゴール目を例にとってみよう。
我那覇の精巧なヘッダーを生んだ、今野が右サイドから左足で上げたクロスは素晴らしいものだった。
左サイドに走りこんだ駒野からのクロスを冷静に決めた3点目もそう。我那覇は難しいプレーでも簡単に決めて見せる。

闘莉王のプレーも良かった。
素晴らしいチームリーダーで精神的支柱でもある彼のゴールにより、試合は日本ペースになった。
ただし、彼にPKを蹴らせたことには少々疑問が残る。
PKは彼の得意分野ではない。
闘莉王はゴールに詰め、昔ながらの泥にまみれながらディフェンスをこじ開けゴールを決めるタイプの選手。
PK???
彼には似合わない。

ところで、サウジアラビアにPKを与えたオーストラリア人の主審は、一体何を見ていたのだろう?
テレビのリプレイを見た私に言わせると、あれはまるでジョーク。
サウジの選手が勝手に転んだだけでは?
ひょっとすると、ワールドカップで試合終了間際にイタリアのグロッソにやられたオーストラリア人として主審は“フォワードが転んだらディフェンダーが無実でもPKを与える”という、かの主審の手本を真似たのかもしれない。

先にも述べたが、試合結果を見て私は非常に嬉しかったし、安心もした。
これは個人的な意見だが、オシム監督が引き受けた仕事の大変さを理解していない人が多すぎると思う。
ワールドカップで崩壊したチームを立て直すには、新しい手法、新しい方向等、あらゆるものが必要なのだ。
オシム監督はこれらをこなしてきた。今後は欧州組の中からチームに貢献できる選手を加える段階に入っていくが、チームの将来は非常にエキサイティングなものになるだろう。
強いチームを作るにはチームのバランスを崩してはならないことを、オシム監督はもちろん承知している。
しかし、監督が見せてきたJリーグでプレーする選手たちへの信頼は、ピッチ上でブルーのシャツをまとった成果、エネルギー、そして誇りとして報われるはずだ。

昨年の今頃、多くの人が日本代表に期待を寄せていたが、私はそこまで自信がもてなかった。
しかし今、私は日本代表への期待に胸を膨らませている。

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それでも大事なサウジ戦

2006/11/16(木)

名古屋発・11月15日:日本とサウジアラビアの両国がすでに来年のアジアカップ本大会出場を決めているものの、水曜日の夜に札幌で行なわれる試合は、やはり重要な意味を持つと思う。
読者の皆さんがこのコラムを読んでいるときには、試合はすでに終わっており、その試合結果が、オシムの再建プロセスの第1段階が完了したことを示しているかもしれない。
この試合を重要視するのは、以下のような理由からだ。

もし、日本が素晴らしい内容でこのアジアの強豪に勝てば、オシムの方針が正しかったことになる。現在の選手の多くが、来年も、その先の将来も、代表に残るだろう。
しかし、内容がまずく、散々な結果ということになれば、オシムは、来年のための戦略そして選手選出ポリシーを見直さなければならなくなるだろう。
そうなれば、もちろん、ヨーロッパ組の出番だ。ヨーロッパ組のうちの数人――たとえば、中村と松井――を来年のアジアカップに招集することをオシムが考えているのは確かだ。そのため、来年の春に日本代表がヨーロッパで1つ2つ親善試合をするというのも悪くないアイデアである。
オシムが使ってきたJリーグの選手にとっても良い経験になるし、同時に、オシムにとっても、クラブでの活動と体内時計の妨げにならない方法でヨーロッパ組をチームに合流させるチャンスとなる。

サウジアラビア戦は無意味だという見方もあるが、こうした理由で私はその見解には賛同しない。今回の試合は、オシムの再建の第1段階の最後に行なう、きわめて重要なテスト。私はそう思っている。
個人的な意見としては、ジュビロの前田が選ばれたのが良かった。前田はいつも激しく速いプレーをしているし、非常に創造性豊か。走りながら直接的な動きをしている。タイプとしては、得点のチャンスがやってきたときに、躊躇せず自分を疑うこともしない選手のように見える。
言い換えると、あまり考えすぎないのだ。考えすぎは、フォワードにとって厄介なものになることがあるが、前田は体の動くままにプレーしているようだ。

これを読んでいる今、皆さんは日本対サウジ戦の結果を知っているだろうけれど、現在の私は、日本が見事なプレーを見せ、2006年ワールドカップ後の再建活動の第1段階が成功裏に完了したことを示してくれるだろう、と感じている。

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高原は先発の座を守らねばならない

2006/11/13(月)

名古屋発・11月11日:ああそうだった。高原直泰のことを忘れていた。
彼はどうしたかな思っていた矢先、高原はフランクフルト(ドイツ)で連続ゴールを挙げ、その存在が再び浮かび上がってきた。
こうなってくると、「オシム監督は高原を代表に選ぶべきだ」とファンやメディアが盛んに言い出すことだろう。
しかし私は、現時点ではそうは思っていない。

私が高原ファンクラブに入る、いやファンクラブのメンバーシップを更新するには、2ゴール(今季通算では3ゴール)では不十分だ。
私は、病気で2002年ワールドカップ(W杯)代表チームの選から漏れるまで、ジュビロ磐田で、オリンピックチームで、そして日本代表でゴールを挙げていた頃の高原の大ファンだった。
高原は2006年W杯での最大の失望だった。
そして、ひょっとすると彼はもう二度と日本代表でプレーできないのではないかとさえ思ったし、今でもその疑念は晴れていない。

W杯の数週間前、私はクロアチアの新聞の取材でジーコ監督にインタビューした。
その際、ジーコ監督はW杯で活躍するであろう3人の選手の名前を挙げた。
中田英寿、俊輔、そして…そう、高原だ。
それは少し楽天的かなと、私はそのとき思った。
日本で、アルゼンチンで、そしてドイツでも、高原は世界レベルのディフェンダーを相手に戦えることを証明しきれなかった。
とはいえ、ハンブルグからフランクフルトへの移籍で彼をリフレッシュし、停滞していたキャリアを前進させたようだ。

さて、それでは。Jリーグでプレーする選手たちを一通りテストしたオシム監督の来年のプランの中に、高原の名前はあるのだろうか?
もちろん高原のことは注視しているはずだ。ブンデスリーガでコンスタントに得点できるということは、良い選手に決まっている。
ただ、オシム監督に招集を決断させるには、彼はいまの調子を維持しなくてはならない。
それも、数週間ではなく数ヶ月という単位で。

以前にも話したことだが、もう一度言っておこう。
欧州組の選手たちを今年は招集せず、彼らを所属クラブでのプレーに専念させたオシム監督の決断は正しい。
高原自身も、インドやイエメンのような国々と対戦する度に帰国せずに済むのは助かると言っていた。
来年のアジアカップ連覇を狙う代表チームに、欧州組を合流させるにはまだまだ時間がある。それがオシム監督の考えなのだ。

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セントジェームズ・パークでの火の玉ファーギーの思い出

2006/11/09(木)

11月8日・名古屋発:サー・アレックス・ファーガソンは、今日の賞賛に充分値するだけの功績を残してきた。
現代のサッカーで、プレミアリーグになる前から、20年にわたり現職を務めてきたのは驚異的なことである。しかも、毎シーズン、関係するあらゆる大会でタイトル獲得が期待される運命にある、あのようなビッグクラブで。

イングランド北東部の朝刊紙でニューカッスル・ユナイテッドの担当記者をしていたころ、ある晴れた日の午後のセントジェームズ・パークで、火の玉ファーギーの怒りの矢面に立たされたことがある。
ニューカッスルがマンチェスター・ユナイテッドを2−1で破った直後、みんなの話題になっていたのは、マンチェスター・ユナイテッドのノーマン・ホワイトサイドがニューカッスルのジョン・アンダーソンに見舞った、ひどいタックルだった。ホワイトサイドは北アイルランド出身の大柄な強いフォワードで、戦闘的なプレースタイルでよく知られていた。一方のアンダーソンは敏捷でタフな右サイドまたは中央のディフェンダーで、アイランド代表でもプレーしていた。
ホワイトサイドのファウルはショッキングなもので、アンダーソンはタッチライン沿いで苦悶するしかなかった。アンダーソンは、選手が負傷したふりをするようになる前の、古いタイプ。痛くもないのに倒れるなんてことは決してしない選手だった。ホワイトサイドは当時、その規律上の問題とファウルがよくマスコミで採り上げられていた。

それはそうとして、試合後、ファーギーがセントジェームズ・パークのロビーにやって来た。そこでは、マスコミ陣が心細げに待機していた。
彼が我々の一団の前で立ち止まったとき、1人の年長の記者が明らかに震えていた。ファーギーは試合に負け怒っていたし、マンチェスター・ユナイテッドのあの激しやすい選手について質問されていたからだ。ファーギーがその質問を一蹴すると、質問をした記者は黙り込んでしまった。明らかに、その記者は、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルそのものについて、ファーギーの見解を聞きたかったのだが、勇気を奮い起こすことができなかったのだ。
私は、ファーギーの真横に立っていた。私は若くて無邪気で、ナイーブだったので、簡潔にファーギーにこう話しかけた。
「彼が言いたいのは、アンダーソンに対するホワイトサイドのタックルについて、あなたがどう思ったかということだと思うのですが?」
その時点で、みんな、ファーギーの怒りが届かないところまで一目散に逃げようとしていた。
ファーギーは私のほうを向き、叱り始めた。「君たちは最近、どうしていつもホワイトサイドのことを聞くんだ? みんなで質問すれば怖くないって具合に質問を繰り返し、彼をとても苦しめているじゃないか。彼は、1試合で1回ファウルを犯しただけなのに、君たちはそのことばかり話題にする。ファウルは他にもあったのに、どういうつもりだ? ホワイトハウスは、今では審判に目を付けられている。君たちが散々書き立てるからね」。

まあ、そんな感じだった。1987年、ひょっとすると1988年のことだから、詳細を全て覚えているわけではない――それに、私のテープレコーダーは、あの時、ファーギーのすさまじい熱気を浴びて溶けてしまった。
ファーギーの癇癪は、もちろん、次の日の全紙の見出しとなった。
「ホワイトハウスのほうが犠牲者だと!」
「大男のノーマンなんか辞めさせろ!」
そんな感じだ。
記者たちはみんな、ファーギーからあんな反応を引き出した私に感謝し、気持ちはわかるとでも言うように私の肩を叩いた。まるで、私がカップ戦の決勝のPK戦でシュートを外したみたいに。
しかし、私は、彼を怒らせたとは全く思っていなかった。私は、ある特定のプレーに関する具体的な質問を1つしただけなのに、彼が感情を爆発させたのである。そうなのだよ…Jリーグでの人生は、ずっとずっと穏やかなのだよ!

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なぜジェフが責めを負う?

2006/11/06(月)

東京発(11月4日):まずは、ナビスコカップ連覇を果たしたジェフ千葉におめでとうと言いたい。
正直なところ、ホームで大宮アルディージャに惨敗したのを見て、彼らが連覇するなんて思ってもみなかった。
しかし、水野と、Jリーグ最高のヘッダー(ヘディングの名手)であることを改めて証明してみせた阿部主将のゴールで鹿島アントラーズを粉砕したのだ。

ナビスコカップ決勝の日の朝、ある日本人サッカーライターと話をしたのだが、ジェフに対するメディアの評価が二分されていることを知りとても驚いた。
わかりやすく言うと、ある新聞はオシム体制を嫌っており、日本代表もジェフも失敗すれば良いとさえ思っている。
そしてもう一方は、ジーコ監督の後を引き継いだ彼を100%サポートするとまではいかなくとも、静かに見守っているというのだ。
ジェフがこれまで誰かに対して何をしたというわけでもないし、こうした状態はあまりに不可解だ。

もちろん、ある人々(主に浦和近辺に住み、赤や黒のシャツを着ている)がリーグを引っ張ってきた鹿島アントラーズやジュビロ磐田を嫌うのは理解できる。それは、多くのイングランド人がマンチェスター・ユナイテッドやリバプールを嫌うのと同じだ。
しかしなぜジェフ千葉を?

数あるクラブの中で、私はジェフを評価していることを隠そうとしていない。それにはいくつかの理由がある。
まず、地域に根付いたフレンドリーなクラブであるということ。
リーグの中での地位に関していうと、財政的には苦しいなかで運営されてきているということ。
経営陣のトップはとてもうまいことクラブを運営してきたし、ファンはチームの成績の良し悪しに関わらずサポートしてくれる。
そして、才能ある日本人選手を育ててきている。

ひょっとすると、オシム監督は日本代表に彼の教え子を多く選びすぎたのかもしれない。
しかしこれは、あくまで必要とされるポジションに他の選手たちが現れるまでの一時的なものだ。
よく知るジェフの選手たちは、オシムにとって信用できる存在なのだ。また同時に、選手たちも監督が求めるものを熟知している。
そう、だから、(ジェフの選手が多く選ばれるのは)現時点では仕方の無いことだと思う。

ただし、巻、阿部、水本、そしておそらく羽生は、オシム監督が率いる限り代表に定着するだろう。彼らはオシム監督の愛する“日本人選手としての特徴”を持っている。
仮にオシム監督が本当にジェフを偏重しているのなら、ジェフで最も過小評価されている選手、斎藤大輔を選んでいただろう。
私は密かに、斎藤を“プロフェッサー”と呼んでいる。彼はディフェンスの何たるやをよく知っており、水本にとって理想的な教師でもあるのだ。

ジェフ千葉を批判するようなナンセンスは、もう十分だろう。
1997年のバブル崩壊以来、彼らはJリーグで大きな成功を収めてきた。
オシム監督は、時に日本のメディアに対し無礼な振る舞いをしているかもしれない。
そう、あのトルシエ監督がそうだったように。
穏やかなジーコ監督とスターを集めた代表チームを懐かしんでいるメディアも多いのかもしれない。
しかし、それにしたってジェフを責めるのはお門(おかど)違いというものだ。

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ブラッター会長、姑息なプレーにもご発言を

2006/11/02(木)

近頃、最新のゼップ・ブラッター的問題提起をフォローしていますか?
読んでみると、とても面白い内容だ…いつものように。
当初、ブラッターは、イタリアのせいでオーストラリア代表がワールドカップ敗退を余儀なくされたことをオーストラリアの人々に謝罪したと伝えられていた。私にとっては、あれはダイビングとインチキで台無しにされた、今回のワールドカップのなかでも最悪で、もっとも憂鬱なシーンの1つ。
あのとき、オーストラリアのDFルーカス・ニールがボールを奪おうとすると、イタリアの左バックのファビオ・グロッソがわざとらしく転倒した。私見では、あれは決してPKではなかった。グロッソの狙いはただ1つ。彼はすれっからしのプロ意識でその課題を果たしたのだ。

残念なことに、「疑わしき被告選手は罰せず」という考慮もなしに、審判が拙速に決断を下してしまうことがある。そのようなことが、とてもアンフェアな方法で起こり、オーストラリアの異議申し立てに対して残酷な判断が下されたのである。オーストラリア式フットボールやラグビー、クリケットといった、ラフでタフなスポーツになじんできたスポーツ好きのオージーが、なんとか好きになろうとしているスポーツで自分たちがだまされたという感想を抱いたとしても、不思議ではない。

それはそうとして、ブラッターはその後、自分のコメントを蒸し返し、イタリアを批判するつもりはなく、ただオーストラリアに同情の気持ちを伝えたかっただけだ、と語った。
同情の気持ちだって?
そんなものが、一体何になるんだ?
FIFAのトップであるブラッターこそが、ダイビングや姑息なプレーを野放しにして、現在のレベルにまでエスカレートさせた張本人なのだ。彼なら、ずるい行ないをした選手を罰するためにビデオ再生の制度を導入し、人を欺くプレーに断固たる処置をとることだってできたはずなのだが、彼が選んだ方法は、FIFAのフェアプレー・スローガンがもはや存在していないような環境で、哀れな審判を苦しめること。

2006年のワールドカップは、私的には大変な失望であった。グロッソとニールのペナルティ事件のような出来事がいくつかあったのが、その主な理由だ。
ブラッターは、この病的な状況を矯正するためにもっと積極的に発言すべきで、真実を語り、今そこにある状況を明らかにするのを恐れてはならない。

スケールはもっと小さく、はるかに小さくなるが、土曜日の駒場の大宮対FC東京の試合でも、議論の的となるような出来事があった。
後半に1−0でリードしていたFC東京の選手が、どう見たってまったく異常がないように思えるときに、自陣で倒れこんだ。チームメートがボールを外に蹴り出して試合を止め、本当は必要のない治療を倒れた選手に受けさせようとしたが、その「負傷した」選手が自力で立ち上がったのだ。
今度は大宮のスローイン。東京のファンからはブーイング。アルディージャの選手がボールを東京の選手に戻すのを拒んだからである。大宮の三浦俊也監督が、ボールをキープして攻撃に移るよう選手を促したからだ。大宮は1点のビハインドを負っていたし、東京が図々しくゲームを止めたのには何の理由もなかった。

東京ファンのみなさん―― 私は君たちも、君たちのチームのことも評価している。だけど、あのときのことは、完全に君たちの方が間違っているよ。大宮には、スローインで君たちのチームにボールを返す義理なんて全くなかった。大宮がプレーを続行したのは正解だし、レフェリーもそれを認めていた。
以前にも書いたが、ゲームを止めるのはレフェリーの仕事。リードしているときの時間稼ぎのために、「負傷した」選手のチームメートがする仕事ではない。最近のサッカーでは、この種のやり口があまりにも多すぎる。

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