中田のラストゲーム、そして思い出
たしかに、ブラジル戦後の中田英寿の様子は尋常ではなかった。
間違いなく、彼にとって最後のワールドカップの試合だと思ったし、おそらく日本代表での最後の試合なのだろうとも思った。
しかし、プロとしての最後の試合になるとは、思いもしなかった。
言うまでもなく、中田は自分でルールを決め、自力で目標を達成してきた。それがこの男のやり方であり、ライルスタイルなのだ。
彼は、決して付和雷同しなかったし、立ち止まろうともしなかった。ひたすら動き続け、自分自身に勝とうとしていた。
今、彼の新たなチャレンジが始まろうとしている。ピッチの外で。しかし、これまでやって見せてきたように、彼には成功するための資質がある。
中田についての思い出はたくさんあるが、ブラジル戦のさなかに私が思い出していたのは、はじめて彼のプレーを見たときのことだった。あれは1994年、ジャカルタのアジアユース選手権でのこと。中田はU−19日本代表の一員としてプレーしていた。
ブラジルとの試合は終盤にさしかかり、ブラジルが勝点3をほぼ手中にしている状況。日本は左サイドを攻め上がり、中田はファーポストまで走ってボールが来るのを待ち受けていた。
ボールは来なかった――そして、中田は崩れ落ちた。腹立たしそうに。チャンスがつぶれたあの瞬間、中田はこれがゴールの最後のチャンス――ボールがネットに突き刺さり、ラインズマンの旗が下に降ろされ、レフェリーがセンターサークルを指し示したときの快感を得られる最後のチャンス――とわかっていたに違いない。
チャンスが去ったあと、ブラジルが再び速攻を仕掛け、さらにゴールが生まれそうになると、中田は再び立ち上がり自陣に向かって走り出した。私は中田の姿を目で追っていたが、彼は明らかに疲れきっていた。頭を上下に揺らして走る姿は、全エネルギーを使い果たし、純粋に本能だけに頼って生きているように見えた。
試合終了後に起きたことは、もちろん、広く伝えられている。ドルトムントのメディア席から観ていた私は、彼の健康状態が心配でならなかった。同じように感じていた人間も少数いたようで、そのなかの2人、宮本とアドリーノは中田のもとに近づき、彼の状態を確かめていた。
そのとき、私はこれが彼の日本代表での最後の試合になるのだと感じた。あれが彼からファンへの「ありがとう」というメッセージ。今週、彼が引退を発表したときには、ドルトムントでのあの出来事を考えれば当然の結果であるように思えた。
中田は、自分自身のキャリアが今後下り坂になるのを知っていたのだと思う。いたずらに選手生活を延ばしてクラブからクラブへと渡り歩き、レベルをどんどん下げながらも、30代半ばまでサッカーで食べて行きたいという気持ちは全くなかったようだ。
彼の計画はそれよりはるかに壮大である。どこでプレーするのかを心配し、先行き不透明なままシーズン開幕を待つ必要もなくなり、現在の彼はむしろ安堵しているのだろう。
現時点では、私が抱いている中田についての思い出はこのようなものだ。ただし、将来には、より楽しい思い出がよみがえってくるのだろう。
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