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オシムの流儀は、全力プレーとチームへの貢献

2006/07/20(木)

日本代表のワールドカップでの不甲斐ないプレーを考えれば、日本人選手のヨーロッパのクラブへの移籍話がさほど多くないのも、当然かもしれない。
それに、現在の状況下ではこれは悪いことでもない。
ジーコ時代の最大の問題の1つは、相当数の主力選手がヨーロッパのクラブに在籍しながら、そのうちの何人かはピッチ上よりベンチで過ごす時間のほうが長いことだった。
そうした選手が代表チームでプレーするときには、当然、実戦慣れしていない――毎日トレーニングをしていても、相手のいる試合で実際にプレーするのとは違うからだ。

ヨーロッパでプレーしている日本人選手はJリーグの選手より優れている、というのがジーコの持論。そうでなければ、ヨーロッパのクラブが契約してくれるはずがないではないか、というのがその根拠である。その意見も分からないでもないが、Jリーグの選手たちにも広く目を向け自身の見聞を広めようとせず、試合に出ていないヨーロッパ組の選手たちを手放しで信頼していた、その姿勢は許容できるものではなかった。

最近報じられたJFA(日本サッカー協会)の川淵キャプテンのコメントによれば、オシムはジーコとは違うアプローチをとるようだ。オシムは、2002年の韓国代表でヒディンクがとった方針、つまりどこのクラブに所属していようとも、代表選手はそのクラブのレギュラーでなければならないという方針を貫くのだろう(たとえば、アン・ジョンファンは2002年の代表の落選候補だった。もし彼が韓国に戻らず、あのままペルージャに残っていれば代表ではプレーしていなかっただろう)。
オシムがこのような方針をとることは、Jリーグにとっても、選手にとっても、大歓迎だろう。ジーコとは違い、オシムは、アジアレベルから世界レベルにまでステップ・アップできる選手を見出すことができるだろうし、トルシエと同じような方法で若手選手を刺激してゆくだろう。

また、選手たち(それから、できれば彼らの代理人たち)は、舞い込んできたヨーロッパからのオファーに飛びつく前に、慎重に考えるようにもなるだろう。
絶えずプレーし、ゴールを挙げ、自信を持っている巻ではなく、ブンデスリーガでたいした働きもできていない高原を、なぜ代表監督が選ばなければならないのか?
最高のレベルでは、個々の選手の技量にはあまり大きな違いはなく、自信と調子が大きな違いをもたらすのである。
だから私は、オシムの選手選考は斬新で冒険的なものになり、このようなアプローチが国内サッカー全体に浸透するようになることを期待している。オシムは、暗く、抑圧されたジーコ時代が終わって差し込んできた一筋の光であり、希望なのだ。

ヨーロッパへのパスポートが代表チームへのパスポートという状況は好ましいものではない。オシムは自分の原理原則を犠牲にしてまで、いわゆる「ファンタジスタ」を使い続けることはないだろう。
女性ファンにハンサムだと思われているとか、テレビ局がメランコリックな「迷子の子ども」みたいな表情をしている選手のインタビューを流したがっているとか、そんな理由は、彼には通じない。問題は、その選手のスタイルがオシムのスタイル、日本代表のスタイルにフィットしているかどうか。つまり、選手は走らなければならず、ひたすら走り続けて、さらに走らなければならないのである。チームのために全力を尽くす気のない選手はお呼びではなない。オシムは、全力を尽くすことを流儀にしており、実際、全力を尽くす選手を重用している。
ヨーロッパが、最高レベルでの成功を望む日本人選手にとっての唯一の選択肢というわけではない。もうそんな時代ではないのだ。

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