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2006年7月

達也の決勝ゴールに見た複雑な思い

2006/07/31(月)

7月29日発:サッカーでは時として、喜ばしいことと残念なことが同時に起こる。
水曜夜、駒場で行なわれた浦和レッズ対大分トリニータ戦(1−0で浦和が勝利)が、まさにそうだ。
それは78分、田中達也がこの試合唯一のゴールを決めたその瞬間だった。
達也の素晴らしくクールなゴール。
あの大怪我からようやく戻ってきたことを示した。
しかし同時に私は、大分が気の毒だと思わざるを得なかった。
これが、残念なことである。

その瞬間まで、私は大分はもっと良いチームだと思っていた。
仮に試合が引き分けに終わっていたとしても、浦和は不満を持たなかっただろう。
アウェーチームは巧妙にボールをキープして試合のペースを握り、そして時折、浦和のディフェンスの隙を素早く突いた。大分のこの慎重な試合運びにレッズファンはヤジを飛ばしていたが、その様子や、彼らがピッチの3分の1でボールを回しているのを見るのは面白かった。

大分は何度か明らかなチャンスを作っていたものの、フィニッシュの精度を欠き、ゴールを奪うに至らなかった。しかしレッズは達也がここぞという時に決め、それが勝負を決した。
レッズファンは大分の作戦に対し盛んにブーイングを飛ばしていたが、そんなことより彼らは自分のチームの心配をした方が良いかもしれない。
前半、長谷部から達也に絶妙なパスが渡り、達也の強烈なシュートを西川がなんとかセーブしたシーンもあったとはいえ、結局のところ、長谷部、鈴木啓太、そして小野をセンターに据えた5人のMFをしてボールを奪うことができずに終わった。

大分は非常にいいプレーをしていたが、試合巧者のレッズにとっては珍しいシーンだった。ただ残念だったのは、後半に入り引き分け、勝点1が見えてきた時にそれまでの作戦を捨て時間稼ぎに走ったことだ。
「そうした行為は相手チームに対し、自分たちがフェアに戦えるチームではないと宣伝しているようなものだ」。スティーブ・ペリマン監督の言葉を思い出した。

内舘からのショートパスをスペースに走りこんだ達也が受け、ゴールを挙げて試合を決めた。走る意欲と、ゴールが見えたらシュートを打つという積極性を見せた達也の良いフィニッシュだった。達也には、オシム監督に招集されても、常にこの積極性を持っていてもらいたいものだ。

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森本には、失うものなどないのだ

2006/07/27(木)

若き森本に幸あれ!
東京ヴェルディ1969からカターニャに1年間レンタル移籍する、このティーンエイジャーに、失うものなどあるのだろうか?
私は全く何もないと思うし、今回の経験はためになりこそすれ、無駄になることはないと感じている。
彼はまだ代表チームがどうこうという立場でもないし、海外移籍が彼の招集の足かせになるとも思えない。
森本は、まだとても若く、選手生活が始まったばかり。つまり、どう考えても海外移籍がマイナスになるとは思えないのだ。

カターニャで活躍し、ビッグクラブの関心を買うようなら、選手として「一人前」になるかもしれないし、日本の2部リーグ(J2)でプレーしている現状では選手として「ブレーク」するかどうか定かでない。近い将来に年齢限定の日本代表になるのが当面の目標だろうが、そのためだけに日本に残ってプレーするのというのでは、もったいない。

森本を観るための旅行を計画しているメディアやファンが、うらやましい!
私がカターニャを訪れたのは、1990年代の初頭。そのときはサッカー観戦ではなく、スコットランドで開催される7人制ラグビー世界大会の予選「シシリー・セブン」に出場していたラグビーの香港チームの取材だった。
イタリアのほとんどの街と同じように、カターニャは素敵なところで、観光名所もいっぱい。しかも観光の間に立ち寄るレストランもとてもたくさんあった!

森本は、サッカー選手としても、世界に旅立ったばかりの若者としても、カターニャで素晴らしい時間を過ごすことだろう。
今回のチャンスをものにできるかどうかについては、何とも言えない。
セリエBから上がってきた多くのクラブと同様、カターニャもセリエA残留のために苦労するのは確実。森本も、長く、苦しい日曜日の午後を経験することがあるだろう。
しかし、森本は選手としてはまだ原石の状態。伸びしろがある。彼はスピードがあり、強く、ボールを持ったときも積極的にプレーする選手。ゴールの決め方も知っている。

かつてヴェルディで監督を務めたオジー・アルディレスから聞いた話だが、ユース大会で森本のプレーを観たアレックス・ファーガソンが森本の大ファンになったそうだ。アルディレスによれば、マンチェスター・ユナイテッドが森本の成長ぶりを観察していたそうだ。しかしマンチェスター・ユナイテッドからの動きはない…いまのところは。
セリエAのカターニャでシーズンを過ごすようになれば、J2のヴェルディにいるときよりも注目を集めるようになるだろうが、森本にはプレッシャーは全くないだろう。
森本は、ピッチ外ではリラックスし、一生懸命練習し、一生懸命プレーし、イタリアでの生活を楽しめばよい。総じて言えば、才能ある若きフォワードにとって、そしておそらく日本サッカーの遠い将来にとって、今回の移籍は歓迎すべきものである。

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“冬シーズン”開催は検討の価値あり

2006/07/24(月)

7月22日発:彼の行く手には、大きな仕事が待ち構えている。
いや、イビチャ・オシム監督ではない。
新しいJリーグチェアマン、鬼武健二氏だ。

ここ最近、Jリーグには少なからず変革が必要だと思っていた。
個人的な意見ではあるが、改善の余地はあまりにも多くある。
オールスターゲームをやめるなど、リーグには合理化すべき点があるのだ。
私ならまず、シーズンの開催を夏から冬へと根本的に変更する。
暑く、また湿気の多い7月や8月にサッカーをするのは過酷すぎる。
9月初旬にシーズンをスタートし、5月に終えるヨーロッパ方式が良いのではないだろうか。
そうすれば、6月や7月に開催されるワールドカップやコンフェデレーションズカップといった大会に、シーズンを中断させることなく代表チームを招集できる。
また、ヨーロッパ方式を採用することでヨーロッパの移籍市場(通常選手の契約は6月30日まで)にスケジュールを合わせることができ、各チームは選手を放出するのも加入させるのも容易になる。

もう一つの利点、そして私が非常に重要なファクターだと思うのは、メディアへの露出度だ。
現時点ではJリーグと野球のシーズンが重なっていて、天皇杯は別として12月から2月に空白期間が生じている。
もしJリーグが9月から5月にかけてシーズンを開催すれば、野球がオフシーズンの冬の間、メディアの関心を独占できるのだ。
二つのスポーツが対抗している今、ナショナルチームは別として、依然として野球人気の高さはサッカーのそれとは比べ物にならない。

さらに、もしJリーグがヨーロッパ方式を採用すれば、平日に試合をする必要性が低くなる。水曜夜の試合は大観衆を集めにくい、そして1試合の平均観客数を下げている。9月から5月のシーズンにすれば平日の試合はナビスコカップや天皇杯のために使えば良いのだ。

もちろん、冬に開催することによって、札幌、山形、そして新潟などは厳しい環境の中での試合になるという欠点もある。
しかし、札幌にはドームがあるし、山形や新潟はスケジュールを調節してホームゲームを晩夏、秋、そして春に大部分を集中させれば、空白月は2ヶ月ほどで済む。
そうした変更について、当然ながら問題点や反論はあろうと思う。しかし9月から5月のシーズンへ変更する利点は、そうした欠点をはるかに上回ると思う。
総合的に見て、シーズンもずっとスムースに開催できる。
新任のJリーグチェアマンがこうしたことをチラッとでも考えているかどうか、私にはわからないが、子細なリサーチを行ない、検討してみる価値は十分にあると思う。
長期的な視野に立ってみれば、日本サッカー界のためになるはずだ。

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オシムの流儀は、全力プレーとチームへの貢献

2006/07/20(木)

日本代表のワールドカップでの不甲斐ないプレーを考えれば、日本人選手のヨーロッパのクラブへの移籍話がさほど多くないのも、当然かもしれない。
それに、現在の状況下ではこれは悪いことでもない。
ジーコ時代の最大の問題の1つは、相当数の主力選手がヨーロッパのクラブに在籍しながら、そのうちの何人かはピッチ上よりベンチで過ごす時間のほうが長いことだった。
そうした選手が代表チームでプレーするときには、当然、実戦慣れしていない――毎日トレーニングをしていても、相手のいる試合で実際にプレーするのとは違うからだ。

ヨーロッパでプレーしている日本人選手はJリーグの選手より優れている、というのがジーコの持論。そうでなければ、ヨーロッパのクラブが契約してくれるはずがないではないか、というのがその根拠である。その意見も分からないでもないが、Jリーグの選手たちにも広く目を向け自身の見聞を広めようとせず、試合に出ていないヨーロッパ組の選手たちを手放しで信頼していた、その姿勢は許容できるものではなかった。

最近報じられたJFA(日本サッカー協会)の川淵キャプテンのコメントによれば、オシムはジーコとは違うアプローチをとるようだ。オシムは、2002年の韓国代表でヒディンクがとった方針、つまりどこのクラブに所属していようとも、代表選手はそのクラブのレギュラーでなければならないという方針を貫くのだろう(たとえば、アン・ジョンファンは2002年の代表の落選候補だった。もし彼が韓国に戻らず、あのままペルージャに残っていれば代表ではプレーしていなかっただろう)。
オシムがこのような方針をとることは、Jリーグにとっても、選手にとっても、大歓迎だろう。ジーコとは違い、オシムは、アジアレベルから世界レベルにまでステップ・アップできる選手を見出すことができるだろうし、トルシエと同じような方法で若手選手を刺激してゆくだろう。

また、選手たち(それから、できれば彼らの代理人たち)は、舞い込んできたヨーロッパからのオファーに飛びつく前に、慎重に考えるようにもなるだろう。
絶えずプレーし、ゴールを挙げ、自信を持っている巻ではなく、ブンデスリーガでたいした働きもできていない高原を、なぜ代表監督が選ばなければならないのか?
最高のレベルでは、個々の選手の技量にはあまり大きな違いはなく、自信と調子が大きな違いをもたらすのである。
だから私は、オシムの選手選考は斬新で冒険的なものになり、このようなアプローチが国内サッカー全体に浸透するようになることを期待している。オシムは、暗く、抑圧されたジーコ時代が終わって差し込んできた一筋の光であり、希望なのだ。

ヨーロッパへのパスポートが代表チームへのパスポートという状況は好ましいものではない。オシムは自分の原理原則を犠牲にしてまで、いわゆる「ファンタジスタ」を使い続けることはないだろう。
女性ファンにハンサムだと思われているとか、テレビ局がメランコリックな「迷子の子ども」みたいな表情をしている選手のインタビューを流したがっているとか、そんな理由は、彼には通じない。問題は、その選手のスタイルがオシムのスタイル、日本代表のスタイルにフィットしているかどうか。つまり、選手は走らなければならず、ひたすら走り続けて、さらに走らなければならないのである。チームのために全力を尽くす気のない選手はお呼びではなない。オシムは、全力を尽くすことを流儀にしており、実際、全力を尽くす選手を重用している。
ヨーロッパが、最高レベルでの成功を望む日本人選手にとっての唯一の選択肢というわけではない。もうそんな時代ではないのだ。

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FIFAは恐れずビデオ判定を導入すべき

2006/07/17(月)

7月15日発:ジダンとマテラッツィのいざこざは、醜い挑発とそれに対する暴力行為でサッカー界に大きな波紋を投げかけた。
しかしこの醜態が、最終的には良い結果を生むことだって可能かもしれない。
例えば、FIFA(国際サッカー連盟)がビデオを審判の補助として導入し、試合中の誤審を訂正するようになるとか…。
個人的には、FIFAは数年前にビデオを導入すべきだったと考えている。ビデオ導入をためらったことが、サッカー界の進歩を遅らせたのではないかとも思うのだ。

ジダンの退場直後、ビデオリプレイは繰り返し何度も放映された。しかし、それはジダンの行為を糾弾するために使われたのだ。
主審はこの行為を見ていない。試合はピッチの反対側で展開されており、1組の目しか持たない主審に罪はない。しかし、ピッチサイドの両チームのベンチの間でビデオモニターでリプレイを見ていた第4の審判員がこれを見ていた。
FIFAは即座にこれを否定した。第4の審判はジダンの頭突きを自身の目で目撃し、主審に伝えたと。さらに、彼らはビデオは一切使っていないと強調した。

ここで大きな疑問が残る。このような事態が起こった時に、テレビモニターでリプレイを見て確認することの一体何がいけないのだろうか?
FIFAのゼップ・プラッター会長はそうした変更を歓迎するどころか、ビデオの導入は審判の権威を失墜させると言う。
しかし、ビデオの導入は主審、副審が正しい判定を下すのに大いに役立つに違いない。
ブラッター会長は、レフリーだって人間、誰にだって間違いはあると言うが、これだけ技術が進歩し、かつ近代サッカーにこれだけ巨額のお金が絡んできている現在、それだけではあまりにも説得力がない。

1998年ワールドカップの準決勝のフランス対クロアチア戦で、ビリッチがケガをしたふりをしてフランスのブランが退場させられた一件をよく思い出す。ブランは2試合の出場停止となり、自国でのワールドカップ決勝に出場できなかった。
テレビのリプレイで世界中の人々がビリッチが審判をまんまと騙した様子を見たにもかかわらず、FIFAは判定を覆すことを拒否した。
不正行為をした者が勝ち、正直な選手が負けたのだ。
この時、状況が違っていて、ビデオ判定が導入されていたとしたらどうなっていたか考えてみると良い。
試合後、審判がビデオでビリッチの芝居を目にし、2試合の出場停止を取り消す。これについて誰が文句を言うだろうか? 今でも、ブランが決勝に出場できなかったのは当然だと心から言えるのだろうか?

FIFAは即刻、ビデオの導入を決めるべきだ。
試合の流れを止めるなどとは言えないはずだ。
特に今回のワールドカップでは、そうした卑劣なファウルでどれだけのホイッスルが吹かれたことか…。
もう、試合に流れなんてものはないじゃないか。

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ジダンには「ゴールデン頭突き賞」を

2006/07/13(木)

冗談としか思えない。
何の話か。もちろん、ワールドカップのMVP(「ゴールデンボール賞」)がジダンに決まったことである。
FIFA(国際サッカー連盟)は、この賞の名称を「ゴールデン頭突き賞」に変えたほうがいいのかもしれない。いっそ、「ゴールデンハゲ頭突き賞」でもいいくらいだ。
こんな賞の贈り方ではまったくサッカーのためにならないし、FIFAは決定を覆すよう動くべきだったと思う。

実際、サッカーファンであるかないかにかかわらず、たくさんの人にとって、この受賞はお笑いでしかないだろう。ジダンの暴力行為は世界を震撼させ、サッカーの歴史でも最高の選手の1人という自身への評価(私はそうは評価していないが)を台無しにしてしまったからだ。
能力あるいは天賦の才、そしてキャプテンシーというものは責任と自制があって初めて成り立つもの。ジダンのフーリガン的な振る舞いには、言い訳は一切認めらない。たとえ、おしゃべりのマテラッツィが彼を「テロリストの売春婦の息子」と呼んだとしても。

ジダンには、そんな中傷の相手をしないくらいの器量の大きさがあってしかるべきなのだが、その短気を抑えることができず、1998年のワールドカップでも、フランスのグループリーグ2戦目、サウジアラビア戦で相手を踏みつけ、退場を宣告されている。その行為も悪意に満ちたもので、ジダンには2試合の出場停止の処分が下され、フランスが決勝に進出するまでの大きな足かせとなった。
決勝戦では、ご存知のとおり、ジダンはブラジルを相手にヘディングで2ゴールを挙げ、サウジ戦での暴力行為には蓋がされた。

ジダンがサッカーシューズを脱ぎ、引退してしまった今となっては、問題を隠すことも、贖罪することもできない。
しかし、賞の選考を振り返ってみよう。この賞は記者の投票によって決まる。各記者がMVP候補の上位3人を選んで投票し、1位に選ばれた選手には5点、2位には3点、3位には1点が与えられる仕組みだ。
個人的な意見を言えば、私ならカンナバーロに投票していただろう。彼はイタリアのディフェンスの中核として、とくにネスタが負傷で欠場する中、見事な働きをしていた。ジダンが退場にならず、そしてフランスが優勝していたとしても、私はカンナバーロに投票していただろう。ただし、カンナバーロがOGで3点を献上し、PKも1回与え、さらにつば吐きや同様の不快な行為で退場を食らっている場合は、その限りではないが…。

私はジダンには投票しなかっただろうし、多くの人はロマンチックな理由でジダンに投票したのだと思う。2004年に代表チームから引退したジダンが1年後に34歳で復帰し、選手生活最後の試合となる決勝戦にチームを導いたことは、なんだかんだ言っても素晴らしいストーリーなのだ!
問題は、多くの記者が決勝戦の前に投票していたことである。決勝戦のあと、インタビューや記事の執筆で大忙しのジャーナリストたちにとって、いちばん煩わせられたくない存在が投票用紙の記入を迫るFIFAの「背広組」だったからだ(たとえば、日本のナビスコカップでは事情が違い、FC東京のそれぞれの試合のあとに余裕を持って今野か伊野波かを決められる!)。
世界中のウェブサイトで面白いコメントをたくさん読んだが、酔っ払いやハゲ頭の山羊みたいな行動が原因でレッドカードをもらっても、その選手の全体的な評価には影響しない、という意見があった。本当かねえ?
言わせてもらうと、決勝戦で退場を食らってPK戦に出られず、結果的に同僚を疲弊させ、チームを敗北させた。ワールドカップ全体から見れば、これは大したことではないのだろうか?

今回の件で、数シーズン前の三都主アレサンドロのことを少し思い出した。当時エスパルスに所属していた三都主はジュビロとのチャンピオンシップの第2戦で退場を食らい、結果的にジュビロがJリーグチャンピオンになった。次の日、三都主はJリーグのMVPを受賞したのだが、私はこれもおかしな話だと思っていた(最近の例では、エメルソンがいるが、もうその話はやめておこう! ところで、エメルソンは来週、19歳になるようだ)。
投票は深夜まで受付けているものの、メディアには早めの投票を呼びかけていたため、このシステムは、間違いやバカらしい結果を生み出す原因となっている。次回は、決勝戦の翌朝に投票結果を吟味し、技術委員会との議論を経て最優秀選手賞を選んだほうが良い。言い換えれば、メディアの投票は賞に影響を与えるが、賞を決定するわけではない。
ジダンは不面目な立場にある。取りやめることもできたのに、FIFAがこの賞を与えたため、サッカー全体の評価が失墜した。受賞者としてはカンナバーロのほうがふさわしかった。もっとも、カンナバーロ本人は気にしてもいないだろね…なんたって、4年の間ワールドカップを保持できるのだから!

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もういい加減に終わりにしよう!

2006/07/10(月)

7月8日発:ここ最近、ワールドカップでのダイビング、ケガを装う行為、そしてファウルぎりぎりのプレーに関する記事をよく目にする。これは非常に良い傾向だと思う。国際サッカー連盟(FIFA)も、そうした撲滅しなければならない忌むべきことがあるという事実を認めた。
私が“喜ばしい”と書いたのは、常々メディアはこのような穢れた事実を書かず、最近の流行として受け入れているように感じられていたからだ。
この問題について、私はここ数年ずっと書き続けてきた。そして私は今後も、このような卑劣な行為から目を背けるつもりはない。

以前、とある日本人記者に“古いサッカーにしがみついている”と批判されたことがあるのだが、彼が言っていたのはおそらく“正直なサッカー”という意味だったという程度に考えている。
私は、こうした行為について一言モノ申さずにはいられないようだ。そのおかげで、シュツットガルトで行なわれたイングランド対エクアドル戦の記者席では激しい口論まで引き起こしてしまった。

試合開始のホイッスルから、エクアドルは0−0の引き分け、延長戦、そしてPK戦に持ち込むことを明らかに狙っていた。そしてそれは、ただのぶち壊し屋から勇敢なヒーローになれる機会があっても変わらなかった。
一人のエクアドル選手が大したプレーでもないのにピッチに大げさに倒れ、彼のチームメイトがボールを外へ蹴り出した時、私は思わずペンを机の上に投げ捨て「ふざけるな!」と言ってしまった(実際は“F”から始まる汚い言葉を使ってしまったのだが…)。
激情を抑えられなかったことについては、素直に反省せねばなるまい。

私の右隣には4〜5人のスペイン語圏のジャーナリストが座っていた。
彼らは明らかにエクアドルを応援していた。
そう、応援していたのだ。
彼らは私がエクアドルの選手がケガをしたフリをしていると感じていることに気分を害したようで、私が口にした“F”から始まる言葉を何度か繰り返していたその様子はそれはそれで面白かったが…。

「じゃあ“F…”リオ・ファーディナンドはどうなんだ?」。
私の隣の、ペンもノートも持っていないヤツが言った。
「あの“F…”フェアープレーキングだよ」。
そして彼はヒジ打ちのマネを始めた。それはまるで、グループFの初戦、日本対オーストラリア戦で、コーナーフラッグの所でボクシングの仕草でゴールを祝ったオーストラリア代表のティム・ケーヒルのようだった(今でも思い出したくないシーンだったかもしれませんね。読者の皆さん、申し訳ない)。
「女のゲームでなく男のゲームだからね」。私はそうやり返した。

ここまででお分かりのとおり、この件については様々な見方がある。
おかしなことだが、イングランドの“ベッキンガム宮殿”のプリンスが見事なフリーキックで得点を挙げた後は、エクアドルのそうしたプレーはピタッとなくなったのだ。
もちろんその後は珍しいことに、エクアドルも得点を挙げようとしていた。
私の隣にいた連中にも、チームがリードを許すと時間稼ぎが減るという理屈がわかっただろうか?
いや、おそらく無理だろう。

とにかく、ポルトガル、特にクリスティアーノ・ロナウドには感謝している。
今回のワールドカップで、サッカーの醜い部分をすべてさらけ出してくれた。
そして、今年後半に選手、審判、コーチで組織する委員会でこれらの問題について話し合うと語った、“フェアプレーの皇帝”フランツ・ベッケンバウアーにも…。
もちろんその頃にはそんな問題はなくなっているかもしれないけれどね。
選手さえ本気で望めば、フェアプレーを取り戻すことなど簡単なのだ。

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中田のラストゲーム、そして思い出

2006/07/06(木)

たしかに、ブラジル戦後の中田英寿の様子は尋常ではなかった。
間違いなく、彼にとって最後のワールドカップの試合だと思ったし、おそらく日本代表での最後の試合なのだろうとも思った。
しかし、プロとしての最後の試合になるとは、思いもしなかった。
言うまでもなく、中田は自分でルールを決め、自力で目標を達成してきた。それがこの男のやり方であり、ライルスタイルなのだ。
彼は、決して付和雷同しなかったし、立ち止まろうともしなかった。ひたすら動き続け、自分自身に勝とうとしていた。
今、彼の新たなチャレンジが始まろうとしている。ピッチの外で。しかし、これまでやって見せてきたように、彼には成功するための資質がある。

中田についての思い出はたくさんあるが、ブラジル戦のさなかに私が思い出していたのは、はじめて彼のプレーを見たときのことだった。あれは1994年、ジャカルタのアジアユース選手権でのこと。中田はU−19日本代表の一員としてプレーしていた。

ブラジルとの試合は終盤にさしかかり、ブラジルが勝点3をほぼ手中にしている状況。日本は左サイドを攻め上がり、中田はファーポストまで走ってボールが来るのを待ち受けていた。
ボールは来なかった――そして、中田は崩れ落ちた。腹立たしそうに。チャンスがつぶれたあの瞬間、中田はこれがゴールの最後のチャンス――ボールがネットに突き刺さり、ラインズマンの旗が下に降ろされ、レフェリーがセンターサークルを指し示したときの快感を得られる最後のチャンス――とわかっていたに違いない。
チャンスが去ったあと、ブラジルが再び速攻を仕掛け、さらにゴールが生まれそうになると、中田は再び立ち上がり自陣に向かって走り出した。私は中田の姿を目で追っていたが、彼は明らかに疲れきっていた。頭を上下に揺らして走る姿は、全エネルギーを使い果たし、純粋に本能だけに頼って生きているように見えた。

試合終了後に起きたことは、もちろん、広く伝えられている。ドルトムントのメディア席から観ていた私は、彼の健康状態が心配でならなかった。同じように感じていた人間も少数いたようで、そのなかの2人、宮本とアドリーノは中田のもとに近づき、彼の状態を確かめていた。
そのとき、私はこれが彼の日本代表での最後の試合になるのだと感じた。あれが彼からファンへの「ありがとう」というメッセージ。今週、彼が引退を発表したときには、ドルトムントでのあの出来事を考えれば当然の結果であるように思えた。

中田は、自分自身のキャリアが今後下り坂になるのを知っていたのだと思う。いたずらに選手生活を延ばしてクラブからクラブへと渡り歩き、レベルをどんどん下げながらも、30代半ばまでサッカーで食べて行きたいという気持ちは全くなかったようだ。
彼の計画はそれよりはるかに壮大である。どこでプレーするのかを心配し、先行き不透明なままシーズン開幕を待つ必要もなくなり、現在の彼はむしろ安堵しているのだろう。
現時点では、私が抱いている中田についての思い出はこのようなものだ。ただし、将来には、より楽しい思い出がよみがえってくるのだろう。

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オシム騒動に決着を!

2006/07/03(月)

7月1日発:オシム監督をめぐるドタバタ劇の真相は、一体何なのだろう。
日本サッカー協会(JFA)にとって、手順はいたって単純なものになると思っていた。

まず、JFA技術委員会がワールドカップ後のジーコ監督の後継者リストを作る。
次に、リスト中の最有力候補者にコンタクトを取る。彼がどこかのチームの監督なら、チームと連絡を取り、彼と話をする許可をもらう。
そして候補者にオファーを出し、契約期間や給料等の条件面を提示、合意できない場合は次の候補者を当たる。今回ならオジェックかな?
合意に達したなら、次はチームとの交渉だ。もちろんこれは「もし必要なら」である。
そして最後に、メディアに向け新たな代表監督就任を発表する。

しかし、6月から7月になろうとしているのにオシム監督をめぐる迷走劇はいまだに続いている。日本サッカー界のため、そしてオシム氏がそもそも監督として採用されるべきでなかった、かのブラジル人監督によって受けたダメージの修復に着手できるよう、この迷走劇が早く終わってくれることを願うばかりだ。

ドイツから日本へ帰国するや否やJFAの川淵三郎キャプテンがオシム監督と交渉していることを明らかにした。そしてさらに、その交渉はワールドカップ前から既に始まっていたという。これには驚かされた。
これは明らかに、川淵キャプテンの巧妙な政治的手腕だ。オシム監督の名前を挙げることにより、ジーコ監督と日本のワールドカップ敗退への人々の関心をそらしたのだ。
その発表は、オシム監督との交渉の打診さえ来ていなかったジェフ千葉を含め多くの人を驚かせた。

金曜日夕方のNHKのニュースで、岐阜でバツが悪そうに花束をもらっているオシム氏を見た。
JFA、ジェフそしてオシム監督。三者の間で近日中に話をまとめ、正式に発表してほしい。そうすれば我々は1日も早くジーコ監督のことを過去の事にし、前へ進むことができるのだ。
新たにチームを再建する必要がある日本代表の監督には、日本人選手のことをよく理解しているオシム監督が最適。私は2年ほど前からそう言ってきた。
今から2010年ワールドカップのことを考える必要はない。特に、オシム氏の場合は…。
2007年のアジアカップまでの1年、長くとも2年の契約で十分だ。そして誰もが満足したなら、そのときに2010年ワールドカップまでの契約を考えれば良い。

それから、ジーコ氏の哲学の継承者としてオシム氏が最適であるという川淵キャプテンのコメントを聞くのには、もううんざりしている。
これは、何の経験もなく、4年という長期間に何も結果を残せなかったジーコ氏と違い、名将として尊敬され、実績も残しているオシム氏に対する侮辱だろう。

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