中田に直接決めて欲しかった
月曜日の夕方に東京で開かれた外国人スポーツライター協会の会合で、ギド・ブッフバルト(浦和監督)がゲスト講演した。
ワールドカップの優勝者であるとともに地元シュツットガルトの大使でもある、レッズのボスは、外国のスポーツメディアに最新の準備状況とドイツの人々の希望と期待を伝えるにはピッタリの人選だった。
しかし、サッカー界の人間である彼からは、当然ながら、日本やブラジル、ヨーロッパのサッカーについても興味深い話が聞けた。
ブッフバルトが日本人選手に感じていることの1つは、ゴール前での攻撃精神の欠如だ。もちろん、ブッフバルトがこの話題を語るのにうってつけの人物というわけでもないが、彼に語る資格が全くないわけでもない。
日本人選手は完璧なゴールを求めると感じている人がいる。日本人選手は、パスして、パスして、最後にボールをゆっくりとネットに流し込みたいのである。アーセナルのファンは、自分たちのチームはシュートを打たずにこまごまと(パス交換を)やりすぎると感じているが、それと同じことだ。
ギドの言葉は、水曜日の早朝にドイツ対日本戦を観ている私の頭に新鮮なまま残っていた。
その言葉がとくに鮮やかに思い出されたのは終了間際、日本が素晴らしい得点チャンスを得たにもかかわらず無駄にしてしまったとき。
右サイドの俊輔からの精妙なクロス。俊輔は、中田英寿が機敏な動きでファーサイドに走るのを見ていたのである。ボールが届いたとき、私は中田が体を投げ出してシュートすると確信していた。2002年のワールドカップのチュニジア戦、最近ではボスニア戦でやったように――。
しかし中田はボールを折り返し、走りこんで来る大黒に合わせようとしたのだ。
言うまでもないが、中田は自分でゴールを狙うべきだった。確かに角度はあまりなかったが、あんなにゴールの近くにいたのだから、ニアポストからレーマンの脇を破ることが十分できたし、ファー・ポストを狙う時間的余裕もあった。
中田が大黒にボールを渡し、大黒が最終的に囲まれ、チャンスが消滅したとき、私は信じられないような思いがした。テレビのカメラは大黒を映していたが、チャンスをモノにできなかったのは大黒ではなく、中田の方だ。
中田がゴールを決めていれば、中盤で彼と俊輔が相互に影響しあい、次々と日本のチャンスを作り出していた、この試合がより印象的なものになっていただろう。柳沢もスペースに数多く走りこみ負傷からの復調をアピールし、ジーコが信頼するのももっともだと思わせる結果を出した。
もっとも、2点を挙げたのは高原で、2点とも素晴らしいシュートだった。とはいえ、2点目のときのドイツのディフェンダー、とくにバラックは、高原が体をひねりながらペナルティーエリア内に入り込むのを許すべきではなかった。
中田には、日本が息を吹き返すゴールを決めるチャンスが回ってきた――しかし、パスが1本多かった。
反省する時間はまだあるはずだし、6月12日のオーストラリア戦で同じようなチャンスが巡ってくれば、中田は一心不乱にゴールを狙うものと思いたい。
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