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2006年6月

闘莉王を試していれば…

2006/06/29(木)

遠く離れた東京で開かれた日本代表監督退任記者会見でのジーコのコメントを、とても興味深く読んだ。
日本がワールドカップで苦戦したのは、背の高い選手が少ないからで、これがオーストラリア戦はもちろん、クロアチア戦でも響いた。ジーコはそう指摘している。
これが事実だとしても、ジーコは、ライプツィヒで抽選が行なわれた去年の12月から、この点を認識していたはずである。日本はタフで、当たりの強いチームと同組になったと分かっていただろうし、今年初めにサンフランシスコで行なわれた親善試合で米国にズタズタに切り裂かれたときには、警告音がさらに大きく鳴っていたはずである。
しかしジーコはディフェンスの強化にはまったく手を打たなかった。したことといえば、以前からいる選手を重用することだけ。

前にもこのコラムで書いたが、調子さえ良ければ、松田直樹はJリーグで最高の日本人選手だ。ただし、彼は2005年、ワールドカップ予選を前にして自ら代表合宿を離れ、ジーコのみならず自分自身をも失望させる結果となってしまった。そうした経緯を考えれば、ジーコが松田を二度と招集しなかったのも理解できる。
ただし、この言い分は浦和レッズの闘莉王には当てはまらない。ペナルティエリア付近で荒っぽいことをすることがあるものの、彼の高さと筋肉は将来の日本代表に大いに役立つだろう。
2006年の一連の親善試合のなかで、私は、闘莉王はジーコが試す価値のある選手だと思っていた。しかし、ジーコは1度も闘莉王を招集しなかった。

レッズのギド・ブッフバルト監督は、坪井が先に代表チームに招集されたが、日本で最高のディフェンダーで最もヘッディングが強いのは闘莉王だと今シーズンずっと言い続けていた。
5月末に行なわれた外国人スポーツライター協会の会合で、ゲストとして講演したブッフバルトは、ジーコとサッカーの話をする機会は2年前に一度あったきりだと聴衆に語った。

なぜジーコは闘莉王にチャンスを与えないのかと質問されると、ブッフバルトはこう答えた。
「私にはわかりません。しかし聞いたところによると、闘莉王はピッチ上で喋り過ぎるとジーコは考えているそうです」。
おかしな話である。ジーコはいつも、相互のコミュニケーションの欠如が日本人選手の欠点だと言っているのに!
だから私は、日本には十分な高さを持った選手がいないという意見には賛成しない。こういう議論を聞いていると、日本のディフェンダーの体格について日本人記者から疑問を投げかけられたときのフィリップ・トルシエの返答を思い出す。

「メキシコには、松田くらい背の高い選手はいますか?」。
トルシエは言った。
「メキシコはいつもワールドカップに出ています。日本にとってこのことは問題ではないのです」。
もちろん、ジーコがやっておくべきだったことをいまさら話しても遅すぎる。しかし、新しい選手を入れ、チームをリフレッシュさせようとしなかった彼の姿勢が、日本の凋落の1つの原因となったのである。

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ヒデとガッザ

2006/06/26(月)

ハノーバー(6月23日)発:ヒデが“ガッザの涙”を再現することになろうとは、一体誰が考えただろう。
人前で感情をめったに露にしない日本の“アイスマン”中田英寿は、イングランドのポール・ガスコイン、そしてチームの敗退で悔し涙を流したその他大勢の選手達とともに、その名を歴史に連ねた。

ガスコインは、1990年のワールドカップ・イタリア大会、準決勝のドイツ戦でのことだった。トーマス・ベルトルドへのファウルでイエローをもらい、仮に決勝進出を決めても累積警告で決勝戦に出られなくなったガッザの目から、とめどなく涙があふれ出た。
チームメイトのゲーリー・リネカーが、ベンチで悲観に暮れるガッザを気遣っていたその姿が忘れられない。結局、イングランドはドイツにPK戦の末に敗れ、ガッザの目には再び涙が溢れた。
しかし、彼の涙は国中の人々の心を掴んだ。そうして彼の人生はすっかり変わってしまった。

自己中心的な選手だとか、サッカー選手というよりビジネスマンだと言われ、イタリア、イングランドと渡り歩いたヒデもまた然り。
しかし、ブラジル戦終了のホイッスル後に見せた、中田の絶望ともいえる落胆の姿はこうした誤解を氷解させた。
チームメイト達がファンに挨拶をしてロッカールームへ消えていったその後も、センターサークルで横たわっている姿には心が痛んだ。

実は私は、中田が心身ともに疲れ果てているように見え、彼の健康を心配していた。
試合がブラジル優位に進んでいた後半半ば、中田浩二が投入されるとヒデはより前方へ上がっていた。日本が攻撃をしかけボールを失う度に、ディフェンスのヘルプで駆け戻るヒデのその姿が次第に辛そうに見えてきたのだ。
彼の体力はどんどん奪われ、ガス欠のまま走っているその姿は、まるで車の後ろでクビを振っているおもちゃの犬のようだった。

この試合、このワールドカップは、彼にとって非常に大きな意味があった。日本の1次リーグ敗退というフラストレーション、ブラジルを相手に日本が何もできなかったという事実は、非常に重かったに違いない。
中田はチームのことを考えているし、常にそうしてきた。ただ彼の場合、それが他の人と少し違い、多くの日本人にとって理解しがたいものなのだろう。
世の皮肉屋と疑い深い人たちに聞いてもらいたい。彼は日本のために精一杯戦った。1990年、ガスコインが帰国後ヒーローとなり伝説となったような評価に値するべきものなのだ。

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2010年も加地は当確

2006/06/22(木)

今回のワールドカップの日本代表を見渡してみると、2010年のワールドカップ・南アフリカ大会にも代表メンバー候補となっていると自信を持って言えそうなフィールドプレーヤーは、そう多くない。
(それに、日本が地区予選を勝ち抜いたら、という前提がつく。次回の地区予選では、実績あるアジアの強国となるオーストラリアが厄介なライバルとなるだろう。)
最も可能性がありそうな選手の1人は、攻撃でも守備でも、右サイドで精力的な働きを見せる、日本のカフーこと加地亮だ。
ニュルンベルクのクロアチア戦での加地は、日本代表でも指折りのパフォーマンスを発揮した。
クロアチアの左サイド、身体能力に優れたバビッチの攻め上がりに対処しながら、加地は隙を見つけては前線に駆け上がって相手ゴール前であわやというシーンを何回か演出した。

かつてFC東京に在籍し、現在はガンバ大阪でプレーしているこの選手は、4バックのライトバックでも、中盤5人の右サイドでも同じようにプレーすることができ、ここ2年ほどはジーコにとって不可欠な存在となっている。
徳永(FC東京)と中村(福岡)、ともに才能豊かな若手選手が右サイドバックいることも、ポジョションを奪われかねないというプレッシャーを常に加地に与えることになりそう。これも良いことだ。一方、オーストラリア戦で彼の代役を務めた万能選手の駒野は、左サイドに移り、三都主のポジションを狙うようアドバイスを受けるかもしれない。

クロアチア戦の加地の動きは興味深いものだった。4−4−2のフォーメーションで、ジーコは鹿島で名良橋と相馬に求めたようなサイド攻撃を加地と三都主に求めた。
両サイドを攻め上がり、深い位置からゴール前にクロスを供給するのは多彩な中盤の選手ではなく、加地と三都主の仕事。そのためにはチーム全体が上手く機能し、2人が適切なタイミングで、適切な位置にいるようにしなければならない。日本が時間をかけてボールをキープし、さらに冒険的なパスやまずいボールコントロールで不用意にボールを手放さなければ、2人が攻め上がるチャンスが多く生まれ、さらに相手DFを本来の位置から引きずりだせる。
日本代表はワールドカップ後に大きく作り変える必要があると感じているが、加地はそのままの位置で残るだろう。

もっとも、クロアチア戦での日本のMVPは、FIFAの公式の受賞者は中田英寿となったが、間違いなく川口だった。
オーストラリア戦で崩壊したあと、日本代表はうなだれてしまったが、川口がムードを変えた。スルナの強烈なPKに対して左に低く飛んだセーブはお見事。ペナルティの判定は妥当なもので、プルショに裏をとられたツネ(宮本)が慌ててボールを奪いに行った代償を払わされたのだ。
ヨシ(川口)は大一番に強いことをあらためてアピールし、ヒーローと賞賛されるに値するだけの働きをしたのである。

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“ルーニー狂騒曲”に終焉を

2006/06/19(月)

ボン発(6月16日):イングランド代表のスベン・ゴラン・エリクソン監督は、トリニダード・トバゴに2−0で勝利した後、“ウェイン・ルーニー狂騒曲”の終結を歓迎すると多くの人々に話していた。
7週間前のマンチェスターユナイテッド対チェルシー戦でルーニーが右足を負傷して以来、イングランドの新聞のスポーツページには連日、ルーニーの中足骨についての記事で溢れていた。
しかし木曜日、ニュールンベルグでルーニーは途中出場ながら33分間プレーした。ワールドカップに初出場したのだ。

「ようやく騒ぎが収まってホッとしたよ」。
試合後の記者会見でエリクソン監督はそう言った。
「毎日毎日同じ話ばかりで我々もうんざりしていたんだ。でもそれも終わりだ」。
エリクソン監督は“騒ぎは終わった”と思っているらしい。

さて、次の質問。
「この24時間について話してもらえませんか?」
一人の記者が、医者の話や検査についての詳細を尋ねた。
サッカーの話題より医学の話ばかりで、まるで、ドラマ『ER』や『シカゴホープ』を見ているような錯覚を私は覚えた。

質問はさらに続く。
「ルーニーは次のスウェーデン戦に出れますか?」
エリクソン監督は苛立ちを抑えながら、トリニダード・トバゴ戦後のルーニーのコンディションについては1、2日待たねばわからないと答えた。

そしてピーター・クラウチへの質問。
「ルーニーが加わることでチームはどのように盛り上がりましたか?」
明らかに、クラウチもうんざりしていた。
「チームを盛り上げたのはウェインだけじゃない。レノンやダウニングもだ。攻撃陣は疲れていたからね」クラウチはそう答えた。

エリクソン監督は心底望んでいるようだが、これを見て皆さんにもおわかりのように、残念ながら“ルーニー狂騒曲”は完全には終わっていないようだ。
ルーニーの名前は、記者たちが陳腐なヘッドラインを書くのに最適なのだ。
例えばこんな感じ。
パラグアイ戦でルーニーがプレーしなかった時の見出しは「ウィッシュ・ルー・アー・ヒヤー(Wish you are here)」だったし、イングランドが2試合で勝点6を挙げ決勝ラウンド進出を決めた時は「ウィ・アー・スルー(We are through)」やアメリカ流に「ウェイン・トゥー・ゴー(Way to go)」などの見出しが紙面を躍った。
一人の選手がこれほど長い間スポーツニュースの話題を独占することはない。これはどれだけルーニーが特別な選手なのかという証拠。
しかし、最近のイングランドの記者会見に出席するのは苦痛だ。
次の質問が何なのか聞かなくてもわかる。
そう、ウェイン・ルーニーだ。

そこで私なりにこの“ルーニー狂騒曲”に便乗してみた。
「ディス・イズ・オール・ウェイン・ザ・トップ(This is all way over the top!)」
「ライト・アバウト・ザ・サッカルーズ・インステッド(Write about the Socceroos instead!)」
「ファーギー・シンクス・スヴェン・イズ・ア・ルーナティック・フォア・ブリンギング・ウェイン・バック・ソー・クィックリー(Fergie thinks Sven is a lunatic for bringing Wayne back so quickly!)」

読者の皆さんには本当(トゥルーリー)に申し訳ない。
しかしこれでこの馬鹿げた騒動は終わりにします。
じゃないと皆さんに怒られて(アンルーリー)しまいそうだ。
“ルーニー協騒曲”は、もう終わりにしよう。

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なぜ、巻を連れて来たのか?

2006/06/15(木)

ここドイツでワールドカップのイングランド代表を追いかけているメディアの多くは、パラグアイ戦でテオ・ウォルコットにチャンスを与えなかったスベン・ゴラン・エリクソンに批判的である。
ウォルコットのような、若くて未知の才能をとりあえず使ってみてはどうだ? ベンチ要員にするのは攻撃陣と噛み合わないとわかってからでも遅くはないのではないか、という理屈だ。
イングランドの慎重な戦い方に対して、このような考え方をする人が多くいたが、日本がサッカールーに敗れた後、私も似たようなことを考えていた。

唯一のサプライズとして巻を召集したのだから、オーストラリア戦の終盤は彼がワールドカップ・デビューを果たすのにうってつけだと思ったのだ。
しかし、そうはならなかった。中田ヒデそして中村と並んでプレーする第3のプレーメーカーではなく、気迫の守りをしてくれるフレッシュな体力を持った選手が日本代表に必要だったとき、ジーコは小野を起用するという不可解な選択をとったのだ。
このシチュエーションに必要なのは巻だと思った。ジーコは巻をピッチに送り出し、動くものなら何でも、できれば金と緑のシャツをひたすら追いかけるように指示することもできたはずである。

日本は後半が進むにつれどんどん深い位置で守るようになっていたが、巻なら前線で守備を行ない、ボールを持っているオージーのディフェンダーやミッドフィルダーを悩ませ、彼らにプレッシャーをかけることもできただろう。それに、巻の背の高さとフレッシュな体力はオーストラリアのディフェンダーにとっても厄介だったはず。アタッカーとしても脅威になったかもしれない。

もっとも、そうはならず、交代で入ったオーストラリア選手が日本のペナルティエリアの外側あたりで秩序正しく列を作り、次々とハイボールが供給されて来るのを待つという状況となってしまった。
サッカールーがゴールを破るのは時間の問題にすぎず、川口が判断ミスを犯した直後にケーヒルが同点ゴールを決めたのは、驚きでもなんでもなかった。
ヨシには、気の毒と言うしかない。前半と後半を通じて、見事なセーブを次々と見せ、MVP並みの活躍をしていたのに…。
ミスがあったのは、左サイドからニールがスローインを入れたときだった。キーパーは前に飛び出したが、まったくボールに触れず、絶好の位置にいたケーヒルがルーズボールを強烈にとらえた。
これがまさに、終わりの始まりであった。日本が、瞬く間に崩壊してしまったのだ。クロアチア戦で巻に有意義な働きをさせても遅くはない。私はそう願っている。そうしないのなら、一体、何のために彼を連れてきたのだろう?

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ドイツの初戦勝利を祝うボン

2006/06/12(月)

ボン発(6月9日):私がこの記事を書いているインターネットカフェの外の騒ぎ。皆さんにも伝わるだろうか?
クレイジー!
熱狂!
2006年ワールドカップの幕が完璧な形で切って落とされた。

車がクラクションを鳴らし、窓からドイツの国旗をはためかせて通り過ぎていく。
家族はレストランやカフェでドイツ対コスタリカ戦のテレビ観戦を終え、夕日を浴びながら家路へ。子供たちは顔を赤、黄、黒にペイントしている。
若い男女のグループが巨大な旗を振りながら歩き、車の流れを止めている。
とは言っても、誰もがハッピーなわけではない。パトカーはけたたましいサイレンを鳴らしながら酔っ払いのスピード違反車を追いかけていく。
歓喜の列はケネディブリッジを越え、日本代表が宿泊しているボンのヒルトンホテルまでつづいている。日本代表の選手たちも、2006年ワールドカップに来ている実感を味わっていることだろう。

金曜日の今日、私は日本ではなくイングランドのトレーニングを見に、フランクフルトへ来た。ここに来て非常に好調と言われるイングランドチームを、一度見ておきたかったのだ。そしてそれはとても満足できるものだった。
フランクフルトからボンへ帰る途中、ブラックフォレストから来たというドイツ人のグループに誘われ、列車のバーで冷たいビールを飲みスタジアムで火照った体を潤した。
ドイツのリードが2−1、3−1と広がり、そして4−2…フランクフルトからボンへ向かう列車の乗客たちは試合の様子を追いながら、タイムアップ時にはすっかり盛り上がっていた。
ビールで体も潤い、ボンについた私はこの保守的な町の興奮ぶりに驚いた。

サッカーほど国を一つにするスポーツは他にない。ワールドカップで開催国のチームが期待通りの活躍をしている時のように、愛国心を高揚させるものは、戦争だけだという記事をつい最近読んだ。
そう。ワールドカップマジックの始まりだ。
そしていま、イングランドと日本はそれぞれのスタートを待っている。

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やっと親善試合が終わった!

2006/06/08(木)

やっと、全て終わった。
2006年ワールドカップ・ドイツ大会に向けた日本代表の強化試合は、土曜日のマルタ戦(1−0で勝利)をもって正式に終了した。
しかし、ジーコ体制の4年間で戦った数多くの親善試合と同じように、マルタ戦もまったくの時間の無駄だった。
ジーコは一体何を学んだのだろう?
おそらく、何も…。
今回の中身のない勝利が、チームの士気と自信にどれほど効果があったのだろう?答えは、上に同じだ。
開始早々に日本の決勝点となるゴールを決めた玉田を除いて、誰にとってもあまり収穫のない試合だった。
マルタを完封したディフェンスの選手たちも、相手のレベルの低さをわかっていただろう。

試合中、たくさんの選手交代が行なわれたが、こちらもやはり意味はなく、日本は明らかに格下の相手を打ち破るのに苦労をしていた。まるで、個人の寄せ集めがおざなりにプレーしているような試合。本番になれば誰が選ばれ、誰が選ばれないか、選手たちはみなそれを知っているからだ。
もっとも、私自身は準備試合が終わって安心しているし、ジーコもそうかもしれない。
ジーコは、本当の戦いができる、オーストラリア戦を待ち遠しく思っているかもしれない。
テストはもうないし、やたら多くの選手交代もないし、言い訳も、もうない――あとは、グループFの初戦で、2つのチームが勝点3という大きな成果を得るために戦うだけなのである。

日曜日は、小野、稲本、小笠原、そして巻が途中出場した。高原と柳沢が欠場したにもかかわらず、ジーコが巻を先発で使わなかったのには驚いた。大黒はゲーム途中で送り出すのにうってつけの選手だからだ。
元ガンバ大阪のこのフォワードは、後半に出てくると危険な存在となる。彼のゴール前での動きの鋭さは大いに認めるが、私には、今回のような高いレベルでスタメンの11人に名を連ね、終始一貫して仕事ができるタイプの選手だとは思えないのだ。
60分か70分は巻が走り回って相手DFを消耗させ、それから大黒を送り出し、試合を決める方が…。

今回、玉田はチャンスをものにした。しかし最近、ジーコが4−4−2を採用したときの中盤の左サイドのほうが玉田に向いていると思うことがある。その場合、彼の後ろには堅実な左バックが必要だが。
それから中田浩二について。以前書いたことを繰り返すことになるのだが、彼をディフェンスの左サイドに使うのはもったいない。浩二は経験もサッカー選手としての頭脳も持っているのだから、中盤の中央で使うべき選手だ。
私は、3−5−2あるいは4−4−2の中盤で、中田浩二がもう1人の中田(英寿)と並んでプレーするところを見たくて仕方ない。中田浩二は天性のディフェンダーであるとともに、前線に駆け上がり、ゴールを決められる選手でもある。
前に書いたように、これまでの親善試合はどれも、問題を解決するより新しい問題を生み出してばかりいたように思えるが、とにかくそれが終わったのは喜ばしいことである。

さあ来い、オージー!
日本代表は、もうやるしかないのである。

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FIFAは馬鹿げたシャツプリングをなくす努力を!

2006/06/05(月)

東京発(6月2日):FIFA(国際サッカー連盟)は毎回、ワールドカップで遅まきながら近代サッカーの悪しき流行を取り締まろうとしている。
過去には背後からのタックル(この危険な行為はいまだに行なわれている。ドイツのシュバインシュタイガーが加地に対して犯したファウルは記憶に新しい)とシミュレーション。ダイビングにも注文をつけている(しかし、これもまたドイツのオドンコールがあからさまなファウルでイエローをもらい、この行為がまだはびこっている事を明らかにした)。
この先数週間、ドイツでレフリー達は何に目を光らせるだろうか?
個人的には、答えはハッキリしている。それはシャツを引っ張る行為(シャツプリング)だ。

新聞や雑誌上で、相手選手のユニフォームを引っ張っている選手の写真を見たことがある人は非常に多いはず…。
例えば先日のドイツ戦。柳沢をマークしていたボロフスキが彼のシャツを引き裂き、アツシの“6パック”腹筋(ビールや缶チューハイの6本パックを想像してもらえば私が“6パック”と表現したのを分かってもらえるんじゃないかな)があらわになった。
実際、それはまるで二人が打ち合わせていたかのようだった――ボロフスキが柳沢のシャツをわざと破き、テレビカメラがこの看板男の胸板を映し出す。そしてそれを見ている日本のフィットネスクラブやトレーニングジムのオーナー達が彼をCMキャラクターに起用しようと申込みが殺到する。そしてボロブスキーには巨額の契約金の一部が入る…。
いやいや、これは少々こじつけが過ぎた。しかし誰かがヤナギにオファーを出す可能性がないとも言えない。

とはいえ、これは深刻な問題だ。
“純粋”なファールと違い、意図的で計画的。ダイビングのように芸術の域にまで達しつつある。
レフリーの目前でわからないように相手選手のシャツを掴むなんて、できるのだろうか?現実にそれは日常的に行なわれ、その結果、選手達はレフリーの注意を引き、ファウルをもらうためにグラウンドに大げさに倒れるのだ。
シャツプリングは巧妙でずる賢い。シャツを引っ張った選手は何事もなかったようにそのままプレーを続ける。それじゃあ、やったもの勝ち? それとも、やられた選手がイエローやフリーキックをもらうために立ち止まったり、倒れたりして伸びたシャツをレフリーに見せたら良い?

FIFAには、ワールドカップでこの問題に真剣に対処してもらいたい。明らかに意図的なシャツプリングにはイエローカード、そして2度目にはレッドカードを出すべきだ。
オフィシャルがこのシャツプリングに対して真剣だと示さない限り、こうした行為はなくならないのだ。

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中田に直接決めて欲しかった

2006/06/01(木)

月曜日の夕方に東京で開かれた外国人スポーツライター協会の会合で、ギド・ブッフバルト(浦和監督)がゲスト講演した。
ワールドカップの優勝者であるとともに地元シュツットガルトの大使でもある、レッズのボスは、外国のスポーツメディアに最新の準備状況とドイツの人々の希望と期待を伝えるにはピッタリの人選だった。
しかし、サッカー界の人間である彼からは、当然ながら、日本やブラジル、ヨーロッパのサッカーについても興味深い話が聞けた。

ブッフバルトが日本人選手に感じていることの1つは、ゴール前での攻撃精神の欠如だ。もちろん、ブッフバルトがこの話題を語るのにうってつけの人物というわけでもないが、彼に語る資格が全くないわけでもない。
日本人選手は完璧なゴールを求めると感じている人がいる。日本人選手は、パスして、パスして、最後にボールをゆっくりとネットに流し込みたいのである。アーセナルのファンは、自分たちのチームはシュートを打たずにこまごまと(パス交換を)やりすぎると感じているが、それと同じことだ。

ギドの言葉は、水曜日の早朝にドイツ対日本戦を観ている私の頭に新鮮なまま残っていた。
その言葉がとくに鮮やかに思い出されたのは終了間際、日本が素晴らしい得点チャンスを得たにもかかわらず無駄にしてしまったとき。
右サイドの俊輔からの精妙なクロス。俊輔は、中田英寿が機敏な動きでファーサイドに走るのを見ていたのである。ボールが届いたとき、私は中田が体を投げ出してシュートすると確信していた。2002年のワールドカップのチュニジア戦、最近ではボスニア戦でやったように――。
しかし中田はボールを折り返し、走りこんで来る大黒に合わせようとしたのだ。
言うまでもないが、中田は自分でゴールを狙うべきだった。確かに角度はあまりなかったが、あんなにゴールの近くにいたのだから、ニアポストからレーマンの脇を破ることが十分できたし、ファー・ポストを狙う時間的余裕もあった。
中田が大黒にボールを渡し、大黒が最終的に囲まれ、チャンスが消滅したとき、私は信じられないような思いがした。テレビのカメラは大黒を映していたが、チャンスをモノにできなかったのは大黒ではなく、中田の方だ。

中田がゴールを決めていれば、中盤で彼と俊輔が相互に影響しあい、次々と日本のチャンスを作り出していた、この試合がより印象的なものになっていただろう。柳沢もスペースに数多く走りこみ負傷からの復調をアピールし、ジーコが信頼するのももっともだと思わせる結果を出した。
もっとも、2点を挙げたのは高原で、2点とも素晴らしいシュートだった。とはいえ、2点目のときのドイツのディフェンダー、とくにバラックは、高原が体をひねりながらペナルティーエリア内に入り込むのを許すべきではなかった。

中田には、日本が息を吹き返すゴールを決めるチャンスが回ってきた――しかし、パスが1本多かった。
反省する時間はまだあるはずだし、6月12日のオーストラリア戦で同じようなチャンスが巡ってくれば、中田は一心不乱にゴールを狙うものと思いたい。

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