平塚での午後
J1もナビスコカップもなかったので、5月20日の土曜日はJ2観戦にうってつけの日となった。
だから、「美しい海」と言う意味のベルマーレがプレーする、神奈川の海岸で1日を過ごすのも悪くはない。
湘南はホームに水戸ホーリーホックを迎え、最終的にはアウェーチームが3−1で勝利を収めた。
この週末、私はテレビのスポーツニュース番組を土曜日に1つ、日曜日に1つ、計2つ観たが、どちらの番組でもこの試合のゴールシーンは流れず、とても残念だった――もちろん、あなたがベルマーレファンなら話は別だが。
その試合の最初のゴールは、水戸のMF小椋が決めたもの。そんなものがあればの話だが、「シーズン最優秀ゴール」の候補となるような1発だった。
小椋が右足で力いっぱいボールを蹴った地点はゴールから35mは離れていたはず。美しい海からの強い風を追い風に、ボールは小林が大慌てで守るホームチームのゴール上隅に届いた。あんな距離からのシュートを決められた小林を責めるのは酷というもの。あの状況では、川口と楢崎と土肥が全員でゴールを守っていたとしても、電撃的なシュートは阻止できなかっただろう。そう、それほどすごかったのである。
水戸の2点目も見事なもので、このときは金がもう少し前からシュートを決めた。また、3点目は、フラストレーションのたまったベルマーレのディフェンスにペナルティエリア内で倒されたアンダーソンが自ら決めたPKだった。
0−3とされたベルマーレは、かつてのレイソルの人気者、加藤が渦巻く風を利用してボールにカーブをかけ、左サイドから直接ファーポストに決め、終了間際に1点を返すのが精一杯だった。加藤も分かっていたと思うが、散々やられてきたホームチームがあのような時間帯にゴールしても、大勢には影響しない。
試合後、ベルマーレの上田監督はがっくりと落ち込んでいた。彼はどうしても勝って順位を少しでも上げたいと考えていたのだが、敗れたため5位に留まることとなった。
上田監督によれば、J2では13チームのうちの6〜7チームに昇格のチャンスがあるそうなのだが、レイソル独走という、恐れていた事態になりそうな気配もある。ベルマーレが3,504人のファンの前でプレーしていたのに対して、元の所属選手として有名な中田英寿は日本代表チームの一員としてJヴィレッジで約1万3,000人のファンに見守られながら練習をしていた。
もちろん、中田は一介のサッカー選手ではなくなっており、そんな状態がもう何年も続いている。中田はいまや数百万ドル規模の産業。平塚における彼の名残は、「nakata.net」の広告ボードと、かつてのプレーメーカーを指していると思われる「Pride Gate 7」と書かれた大きなバナー(現在のキャプテンである佐藤に捧げたものだったら、ごめんなさい!)に今も見られる。
1994年、インドネシア・ジャカルタのアジアユース選手権でU−19日本代表の一員としてプレーする中田を初めて見たときのことを思い出すと、サッカー人生というものはどのように転ぶかわからないものだなと思う。当時、中田はサイドでプレーしており、伊藤卓が日本代表のキャプテンで、プレーメーカーだった。
伊藤はすでにJリーグでのキャリアを終えており、彼は今、ある大学でコーチを務めている。一方の中田は、世界で活躍するスーパースターだ。
電車が平塚駅を離れると、短い雷雨から一転。空は見事に晴れ渡り、きれいな青空に虹が見えた。虹のかなたに行けば夢がかなうという言い伝えは、本当かもしれない――だって、中田英寿はそれを実現したのだから!
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