グランパス新監督が望む、玉田の復活
1993年のJリーグ発足をイングランドで最も有名な選手(ゲリー・リネカー)とともに迎え、その後、モダンサッカーの偉大な監督の1人(アーセン・ベンゲル)が指揮を執ったクラブだというのに、名古屋グランパスエイトは、J1で忘れ去られたチームとなってしまった。
トヨタから寛大な支援を受けているにもかかわらず、グランパスは自分たちよりはるかに小さい財務リソース、選手層そしてファンベースしか持たないクラブにも遅れをとるようになってしまった。
総括すれば、グランパスは非常に寂しい状態で2005年を終えた。順位は屈辱的な14位。優勝請負人のブラジル人監督、ネルシーニョが去ったのはずいぶん前のこと。今度はオランダ人のセフ・フェルホーセン氏が監督に就任し、グランパスの建て直しを担うことになった。
先週末に東京で行なわれたJリーグの毎年恒例の記者向け懇談会で、立派過ぎると言えなくもない口ひげを生やしたセフ・フェルホーセンと楽しく話す機会があった。
当然かもしれないが、フェルホーセンは新シーズンを間近にして気分が高揚しており、選手たちはとてもやる気に満ちていると語った。実際には、あまりにもやる気がありすぎ、シーズン前に故障者が何人か出てしまっていた。
負傷者リストには、歴戦の兵(つわもの)秋田豊、いつも若々しい藤田俊哉、それからベルギーのクラブ・ブルージュから移籍してきたスロバキア人のマレク・スピラールが名を連ねているが、フェルホーセンは、医療スタッフに全幅の信頼を寄せていると話していた。どうやら、すでにみんなが回復していることを知っているようだ。
それから話題はころっと変わり、「玉田圭司! 玉田圭司! 玉田圭司、ウォーーー!」というふうになった(読者には申し訳ないが、そのときは自分が日立柏サッカー場にいるのかと思った)。もちろん、玉田は降格したレイソルから、およそ3億円の移籍金――ええと、これは、私がこの移籍契約の関係者から聞いた額――でグランパスに入団した。
私はここ2、3年ほど玉田の大ファンだったが、最近は見解が変わってきた。私の、そしておそらくジーコの見解では、玉田は名古屋で再び実力を証明しなければならない。そのときというのはもちろん、彼が完全に復調したときである。
私は、パスコースに駆け出し、ディフェンダーと対峙し、あの素敵な左足でゴールを決める、ハングリーでエネルギーに満ちた玉田が見たいのだ。彼の不調と自信の欠如がレイソル全体に波及したように思えるが、玉田――それに柏――は、それぞれに異なった場所で再スタートをきることができるようになった。
「彼のことは大事に扱わなければならない」とフェルホーセンは言う。「カギを握る選手だし、彼が普通のレベルに戻るための時間を与えなければならない。」
「昨シーズンは、玉田にとって最高のシーズンというわけでもなかったようだが、もともと高い資質を持ったとても素晴らしいストライカーだったのだから、すぐに素晴らしい状態に戻るだろう」。
グランパスはJリーグ創設時の10チームの1つで、Jリーグにとって重要なクラブ。Jリーグは『強いグランパス』を求めているのだ。だからフェルホーセンには、斬新な手法と楽観主義でチームを一変させてもらいたい。
それに、グランパスファンは柏で作られた「玉田圭司」応援歌を口ずさむのをずっと楽しみにしているかもしれない。なんたって、あれはJリーグでも屈指の素晴らしい歌なんだから!!
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