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2005年11月

ありがとう、ジョージ・ベスト!

2005/11/28(月)

美しい秋晴れの東京。太陽は明るく輝き、そしてひんやりと心地よい朝。
しかし同時に、とても寂しい朝となった。数時間前、ジョージ・ベストが59歳で亡くなったという知らせが飛び込んできたのだ。
アルコール依存症に、彼はついに勝つことができなかった。そしてそれは、彼のあまりにも早すぎる死へとつながってしまった。

BBCワールドでは、ノンストップで彼への追悼番組を放送している。当然のことなのだろうけれど、現時点で彼のことを取り沙汰すのはあまりにも不適切で不公平に思えてしかたない。
ジョージは、そのプレーで人々の記憶に残るのだろうか?それとも、その贅沢三昧の私生活でだろうか?
もちろんサッカーがなければ、彼にセレブとしてのライフスタイルはなかった。

日本の若い読者の多くは、ジョージ・ベストを知らないだろう。そしてこれから、彼のことなど聞いたことがないという人が増えていく。サッカーは、日本ではまだまだ新興スポーツなのだ。
ジョージはサッカー選手であると同時に、エンターテイナーだった。彼は速く、バレリーナのようなバランス感覚を持ち、そして何より勇気があった。彼がボールを持つとディフェンダーは恐れおののいた。立ち向かってくるディフェンダーを、彼は思いのまま手玉にとったものだ。
時にそれは、まるで闘牛を見ているようだった。ジョージがケープをまとい剣を手にし、戦いに疲れ果てた雄牛がまるで早く殺してくれと言わんばかりのよう。

ジョージ・ベストがまだマンチェスター・ユナイテッド(マンチェスター・U=イングランド)に所属していた頃、私のホームタウンチーム、ハリファックス・タウンと対戦したことがある。
それは、ワトニーカップと呼ばれるプレシーズンの大会。ワトニーカップは前シーズンに各4つのディビジョンで最も得点を挙げた4チームによって行なわれていたが、廃止になって久しい。
70年代前半、あの強豪マンチェスター・Uがハリファックスの質素なシェイスタジアムに来たのだ。その日は雨。私たちの前に立っていた1人の女性が傘を差したので、後ろの男性たちが「前が見えない」とひと悶着おきたっけ…。
当時、男たちは傘など持ち歩かないものだった。雨に濡れることを気にするほどヤワではない。彼らは雨をよけるためにハンチング帽をかぶり、さらにタバコが濡れないようにした。何せ、彼らは試合中ずっとタバコを吸っていたのだ。
そしてもちろん、皆立って試合を観ていた。当時は、座席シートなどは金持ちのためのもの。真のファンは雨の日も雪の日も吹きっさらしのテラスに立ち、寒さを堪えるために足踏みしながら観戦し、最後の5分は、試合終了と同時に駐車場やバス停にダッシュできるようゲートの前で観ていた。

とにかく、なんとあのジョージ・ベストがシェイスタジアムに来た。そして、さらに彼はPKを外したのだ。それこそ30年以上も前のこと。私の記憶が正しければ、彼はあまりにも緩く蹴りすぎ、ハリファックスのGKに容易にキャッチされてしまった。
彼のチームメートで、名ウィングだったウィリー・モーガンが得点を挙げたが、試合はハリファックスが2−1で勝った。なんという大番狂わせだっただろう!

イギリスの誰もが、“5人目のビートル”と呼ばれたジョージ・ベストの生涯を、引退した後も追いかけてきた。多くの人が彼を助けようとしたが、結局できなかった。
そう、今日はあまりにも悲しい土曜日だ。皆さんには是非、テレビのニュースを見てもらいたい。そして、買えるものならビデオを買って見てもらいたい。彼はそれほど優れたサッカー選手だったのだ…。

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降格は世界の終わりではない

2005/11/24(木)

いつかはそうなる運命だったのだろう。
ヴィッセル神戸のJ2降格が決まった。
実際のところ、ここ数シーズンずっとその恐れがあったわけだが、ヴィッセルはひたすら頑張って今年まで持ちこたえてきた。しかしついに、J1の地位を失ってしまったのである。
もちろん神戸のファンにはつらい日々だろうが、降格は世界の終わりではない。

1970年代にマンチェスター・ユナイテッド(マンU)がイングランドのトップリーグから降格したことを記憶している。マンUはそれから力をつけてトップリーグに戻り、以降、どんどん強くなった。
とはいえ、ヴィッセルにとって皮肉なのは、三木谷浩史氏が資金を提供するようになって2シーズン目に降格が決まったことである。
次々と投資がなされれば、ヴィッセルは後に誕生した「楽天ゴールデン・イーグルズ」と共に強くなってゆくのではないかと期待されていた。

しかし、結果はその反対。イルハン・マンスズは広告塔としては立派だったが、選手としては調子が上がらず、高価な無駄遣いとなった。短期間の日本滞在で彼がとてもリッチになったことは間違いない。
パトリック・エムボマも体調が不十分。彼を獲得したこと自体が不思議でもあった。ヴィッセルは明らかに「ネーム・バリュー」あるいはスター性を求め、三木谷社長がオーナーとなった最初のシーズンで2度も手痛い仕打ちに遭った。
それよりずっと良かったのは、三浦淳宏の獲得だろう。三浦淳は三浦知良に代わって今季途中からキャプテンを務めたが、短い蜜月の期間はあったものの、彼のリーダーシップもチームを救うことはできなかった。
フェアに評価すれば、ヴィッセルもシーズン半ばに効果的な選手獲得をいくつかしていた。たとえば、マリノスから遠藤、アントラーズから金古を獲得したし、チームにとって今季3人目の指揮官となったパベル・ジェハーク監督も、チェコの選手たちを呼び寄せた。

ヴィッセルがJ1残留に失敗したという事実は、Jリーグがどれほど質的に向上したかを示している。最近では層がかなり厚くなり、降格ゾーンから逃れ、残留を確実にするには、大分のように安定した成績を残さけなればならないのだ。
2つか3つ勝って、またスランプに陥るというのは、スランプの間に下位チームが調子を取り戻して上位に立ってしまうので上手くいかない。
最初に言ったように、神戸にとってはつらい日々になるだろう。とくに三木谷社長は、純粋に市の誇りになるようなチームを作ろうとしていたので、なおさらだ。

日曜日、降格が決まったあとの三木谷社長のコメントは心強いもので、ヴィッセルは1シーズンでJ1に復帰し、今後もトップクラスのチームを作るという目標に変わりはないと語っていた。
来シーズン、ヴィッセルは44試合を戦うことになる。これで忍耐強くチーム作りができるし、再建のチャンスにもなる。
問題の多い船出だったが、三木谷社長がサッカー、そしてヴィッセルから離れて行かず、またファンも同じように行動するよう期待しよう。

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レッズファンはアルパイの暴力行為には驚かない

2005/11/21(月)

さぁ今回は、アルパイ・オザランは誰のせいにするつもりだろう?
レフリー?
(対戦相手の)スイス代表?
それとも、鈴木隆行?

先週半ばに行なわれた2006年ワールドカップ(W杯)欧州予選のプレーオフ、トルコ対スイス戦のハイライト(いやむしろローライトと言うべきか)を皆さんがご覧になったかどうかわからないが、試合終了後のシーンは衝撃的なものだった。
この試合はトルコが4−2で勝利を挙げたが、アウェーゴールのルールが適用されスイスがドイツW杯の出場権を獲得した。試合後、選手たちがピッチから走って退場しようとしていた時、スタンドから“ミサイル”が飛んできた。
世界でも最も熱狂的なスタジアムの一つ、イスタンブールでは、これは避けようがない。何せ、数年前にはリーズ(プレミアリーグ)の2人のサポーターが刺し殺されるという事件が起きたスタジアムなのだ。

1人のスイス選手が、トルコのチームトレーナーを追い越す際に彼の左足を蹴飛ばした。そして、1人のトルコ選手がそれに報復しようとしたのだ。
レッズファンの皆さん、それが誰かわかりますか?
そう、アルパイ。アルパイがスイス選手を後ろから蹴飛ばした。ただし、トルコのチームトレーナーを蹴飛ばした選手ではなかった。
これが発端となり、ロッカールームへ向かう通路でのレスリングマッチへと発展した。実際、私にはあの場に浜口京子やアニマル浜口がいたようにさえ思えた。
これは恥ずべき光景なのだが、アルパイの場合は予想の範囲内のものだった。
彼はデビッド・ベッカムへの“口撃”によりプレミアリーグを追い出され、韓国では所属チームを飛び出し、さらに、度重なる規律違反の結果浦和を解雇された張本人なのだ。

シーズン開幕日のさいたまスタジアムの天気も、今日のようにすっきりと晴れていた。そんな日に、アルパイは鈴木隆行への暴力行為で退場になった。
レッズのスタッフやファンが鈴木を責めるのはたやすいことだ。しかし、彼がフリーキックを獲得するためにそうした手(テ)を使うのは、周知の事実だ。
アルパイが鈴木の策にまんまとハマり、彼のアゴを掴んで退場になったという事実は他の誰でもなくアルパイ自身のせい。年齢と、そして経験から、彼はもっと物事を理解しているはずなのである。しかし明らかに、彼は理解していなかった。そして今、FIFA(国際サッカー連盟)から選手資格を剥奪される可能性さえある。

アルパイが、ピッチの外ではとてもフレンドリーで礼儀正しい。日本にいた頃の彼を知っている人間は、みな口をそろえてそう言う。
しかしながらいったんピッチに立つと、彼の頭上を“赤い霧”が包んでしまう。レッズも、この霧の被害者だ。今回の乱闘騒ぎで、レッズは彼を解雇したことが正しかったと感じただろう。

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セレッソの注目は小林采配

2005/11/17(木)

今年のJリーグで最も予想が難しいものの1つは、シーズン最優秀監督賞の行方である。
優勝チームの監督はもちろんだが、それ以外にも何人か候補がいる。
その1人に必ず入ってくるのが、セレッソ大阪の小林伸二監督だ。
小林監督はチームに奇跡をもたらし、残り4試合となった時点でも、セレッソ大阪にはリーグ優勝の可能性が残っている。

土曜日の午後、私は味の素スタジアムでセレッソがヴェルディに1−0で勝利した試合を観戦した。セレッソのパフォーマンスは、これといって特別なところはなかったが、それでも勝点3をとってしまった。これは、良いチームの証である。
もちろん、ヴェルディには少なくても1点、ひょっとすればそれ以上の得点を挙げるチャンスがあった。試合後、ヴェルディのバドン監督が指摘したように、ヴェルディには8回から10回のチャンスがあった。しかし、いずれも実を結ばなかったのだ。もう少しシュートを多く打っていれば何とかなったかもしれないが、自信を失いかけているチームによくあるように、選手は自分自身を信頼できず、ボールと、それから責任をチームメイトに引き受けさせようとしていた。

途中出場の平本は調子が良さそうで、やる気もみなぎっているようだったが、枠内にシュートが飛んでいかなかった。元気のいい玉乃も自力で素晴らしいチャンスを作ったが、やはり枠内に飛ばない。
しかし、こんな場面はほんの一例に過ぎず、全体的にはセレッソにとって苦しい試合だった。チャンスはほとんどなく、後半44分、古橋が見事なフリーキックを蹴り、ようやくこの試合唯一のゴールを高木が守るゴールマウスのニアポスト下隅に決めた。
セレッソが勝点3を獲得するには、この1点で十分なはず。ブルーノ・クアドロスが終了間際に負傷したふりをして、チームを同点の危機に導こうとしていたのは余計だった。ロスタイム、ブルーノ・クアドロスが自陣ペナルティーエリア内で倒れたときには、彼には何も起こっていなかった。私は、彼がすぐにピッチに戻ろうとするのを許さなかった奥谷レフェリーに拍手を贈った。
実際、チームメイトと一緒にリードを守るためにプレーしていなければならないときに、ブルーノ・クアドロスがタッチライン沿いに立ってピッチに入る許可を待っている間、ヴェルディが同点に追いつき、このウソつきなセレッソ選手を懲らしめてやればよかったのにとも思った。

現在、セレッソは勝点53。首位ガンバとの4ポイント差は変わっていないが、直前の勝ち試合は、ゼ・カルロス、久藤、西沢といったレギュラークラスを数人欠いた状態でのものだった。
中盤の中央でプレーしている布部と下村は純粋な意味での繋ぎ役。バックの前田は見るたびに上手くなり、古橋は知性があり、よく動き回るフォワードだ。
小林監督は素晴らしい仕事をしている。しかし、最優秀監督賞の行方は予断を許さない状態だ。

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JFAが注目するなか、西野監督はプレッシャーをはねのけられるか

2005/11/14(月)

ガンバ大阪にとって、特に西野朗監督にとって、試練の時だ。
3週間前、ガンバは少なくとも1つ、いや、2〜3のタイトルだって取れるのではないかと思わせるほど好調だった。
27試合を終え、ガンバは鹿島アントラーズに5ポイントの差をつけリーグ首位。そして、ジェフ千葉とのナビスコカップ決勝、さらには天皇杯が控えていた。
しかしホームでの大分戦、アウェーでのFC東京戦の連敗で鹿島に1差と迫られ、今では5ポイントのなかに5チームがひしめいている。

このようななか、ガンバは先週ナビスコカップ決勝に臨んだが、結果は0−0の引き分け。PK戦の末、ジェフに敗れた。
3冠の夢は断たれた。しかしガンバと西野監督はリーグ初制覇を成し遂げ、関西初のJリーグタイトルをもたらすだろう。
彼らの目標はハッキリしている。とはいえ、鹿島には優勝するだけの力が十分あることは証明済みだし、浦和レッズだって、昨年セカンドステージ制覇した実績がある。
首位を死守しようとするガンバにすべてのプレッシャーがかかるなか、こうした優勝争いの経験は極めて重要である。

一方、鹿島には、2000年に就任1年目で3冠を達成し、これまでに日本の全タイトルを獲得してきたトニーニョ・セレーゾ監督がいる。
今年はセレーゾ監督の最後の年。彼が去るという発表は、チームの結束を強めたに違いない。誰もが、特に選手やサポーターは、多大な貢献をしてくれた彼を良い形で見送ってあげたいところだろう。
こうした結束、経験、そして静かな決意はシーズン終了間際になってチームを鼓舞する大きな原動力となる。一方のガンバには、ここまで好調だっただけに首位を守ろうというプレッシャーがかかる。

数年前、西野監督はレイソル時代にナビスコカップを制し、リーグでもセカンドステージ制覇目前までいったことがあった。その時はセカンドステージ最終日、国立競技場での鹿島戦がスコアレスドローに終わり、優勝できなかった。
ワールドカップが終わり、ジーコが去った後、日本サッカー協会(JFA)が日本人監督を候補として考える場合、ガンバの優勝は西野監督を日本代表監督の有力後継者に押し上げるだろう。
もちろん、西野監督には今は他に考えることがたくさんあり、日本代表監督のことまで考えていられない。とはいえ、この数週間、数ヶ月先、JFAにとっては重要な要因となっていく。
もしガンバが首位の座を守りきり、西野監督がこのプレッシャーをはねのけることができれば、この元オリンピック代表監督は来年夏にはジーコの後継者の最有力候補になることだろう。

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オシム発言から生まれた「FIFAワールドプレミアリーグ」構想

2005/11/10(木)

ジェフがナビスコカップの決勝戦でガンバ大阪を破ったあと、ジェフのイビチャ・オシム監督から(いつものように)面白い発言が出た。
オシムは、優勝という結果は素晴らしいが、クラブが得られるのは賞金だけであるとし、ナビスコカップ優勝の価値について疑問を呈した。
オシムは、ナビスコカップとヨーロッパのカップ形式の大会を比較していたのである。ヨーロッパでは、国内カップ戦の優勝チームには次のシーズンのUEFAカップ出場権が与えられるからだ。
UEFAカップはヨーロッパでは2番目のクラスのクラブ大会。実入りが多く、ゴージャスな欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)とは比べものにならない。
しかしそれでも、ヨーロッパ規模の大会への出場権は、国内のカップ戦に対する意欲を高める大きなインセンティブとなっている。

ナビスコカップ決勝戦のあと、共同通信のインタビューでオシムは、ナビスコカップの優勝チームに次のシーズンのUEFAカップ出場権を与えてはどうだろう、と語っていた。
もちろん、冗談だと思う。だって、日本のクラブがヨーロッパでプレーできるわけがない。
不可能、ですよね?

まあ、カザフスタンが所属先をアジアからヨーロッパに鞍替えしたのはそれほど前のことではないし、オーストラリアもオセアニアからアジアに移ってきた。
ヨーロッパがもっと金儲けをしたいのなら――最近のサッカー界では皆そうだが、日本のチームを招待して、欧州CLかUEFAカップへの参加を認めるなんてことも、ありえる話だ。テレビの放映権料や関連グッズの販売、チケット収入などで、かなりの金額になるだろう。

言うまでもないが、遠征や日程という難問もあるだろうし、アジアの統括団体はおそらく参加を認めないだろう。
しかし、将来のことなんて誰にもわからないし、欧州CLが発展して「FIFAワールドプレミアリーグ」なんてものができるかもしれない。そうなれば、出場チーム総数は12くらいで、試合は国内リーグ戦とヨーロッパのカップ戦のスケジュールの合間に組まれるようになり、なにかと問題のタネになりつつある、FIFAの定めたインターナショナルマッチデーは廃止されるだろう。

そりゃあ、私だって、突飛で、非現実的なコンセプトであるのはわかっている。しかし、サッカーの世界はどんどん狭くなっており、全世界からの需要を満たすには新しいアイデアが必要なのだ。
FIFAワールドプレミアリーグ。う〜ん、私にはそう悪くないように思える。
11月の、風が強くて、じめじめした水曜日。市原臨海競技場でのジェフド対バルセロナなんて試合。
ロナウジーニョは、この真剣勝負の場でマーカーを務める、実力と意外性を備えた斉藤を何回くらいかわせるのだろう!
ま、たぶん、そこのところはオシムがうまくやるだろうけどね。


 

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天皇杯に取って代わるナビスコ杯

2005/11/07(月)

土曜日だ。カップ戦の決勝だ!
イングランドで言うなら、シーズンの幕を下ろすFAカップ。これは夏休みに入る直前、5月に行なわれる。
日本でカップ戦決勝といえば、最近ではリーグカップのことを指す。日本のFAカップにあたる天皇杯に代わって、ナビスコがスポンサードするこのイベントが年々重要になってきている。
天皇杯は、通常はシーズン終了まで本格的には始まらない。そうはいっても、有力クラブにとっての天皇杯はシーズンの初めにすでに始まっているのだ。

私はこのシステムがどうしても好きになれない。すべてのチームが天皇杯を真剣に戦っていると言えないからだ。さっさとシーズンを終わらせ、長い休暇を楽しもうとしている。
サポーターも、さほど興味を持っていないようだ。正月の決勝戦以外は観客もそれほど入らない。ここは晴れの舞台。天気もたいがいスッキリと晴れ渡り、サッカーには完璧のシチュエーションだ。チームもここまで頑張ってきて、声援を送ってくれたサポーターのためにもトロフィーを獲得し、長い1年にピリオドを打ちたいところだ。
天皇杯だって、以前はシーズンの最後を飾る一大イベントだったのだ。そして、国内サッカーをより高い水準に引き上げた。
しかし時は流れ、Jリーグの素晴らしい成功と共にサッカー文化が日本中で育ってきた。

ナビスコカップも天皇杯も、完璧とは言えない。しかし外国人である私の目には、ナビスコカップの方がより価値のあるタイトルに映る。
土曜(11月5日)に国立競技場で行なわれるナビスコカップの決勝戦。どちらが勝つとしても好ゲームになるだろう。
ガンバ対ジェフ、万年劣等生対万年優等生の対決。関西(のガンバ)はどうしてもタイトルが欲しい。一方のジェフにとっては、思慮深い経営陣、こじんまりとしたホームタウンのサポーター、素晴らしいコーチと才能溢れる地元選手たちの集約を証明するチャンスだ。
土曜日は、サッカーにとって素晴らしい1日になるだろう。

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マカオで光る伊野波

2005/11/03(木)

ここマカオで、土曜日の午後に東アジア大会の日本とチャイニーズ・タイペイの試合を観戦しているなんて、妙な気分である(チャイニーズ・タイペイとは台湾のことだが、中国を刺激しないためという政治的な理由でスポーツ団体ではこのような名称を使っている)。
なんにしろ、マカオ理工科大学の運動場のメインスタンドに足を踏み入れると、いつものように青いシャツを着た熱心なサポーターたちがいて、そのうちの1人が太鼓を叩き、もう1人が歌の指揮をしていた。
驚いたことに、彼らはチャイニーズ・タイペイから来たサポーター。“Taiwan”の文字がプリントされた青のスカーフを振り、おそろいの青のTシャツの背中には“Soul? Just”というスローガンが入っていた。
日本で見る多くのスローガンと同じように、私には全く意味がわからなかったが、このような文化的衝突はいつも楽しいものだ。

日本はとても良いプレーを見せ、後半に4点を決めて6−1で勝った。
とはいえ、チャイニーズ・タイペイは強い相手ではなく、とくにバックが弱点。大柄のセンターフォワード小松が優位さを生かし、2ゴールを挙げた。187センチのこの選手は関西学院大学でプレーしており、第2の平山といったところ。
また、オランダで行なわれたワールドユースでキャプテンを務めた兵藤(ただし、今回のチームでは徳永がリーダーとなっている)が、長い距離からドライブがかかった見事なシュートを決めた。彼にはどうやらファンクラブもあるようだ。

試合後、私はフェンス越しに桜の花が付いたプラスチック製の枝を振り、選手たちの注目を引いていた数人の日本人に取材を試みた。
彼らが持っていた横断幕の1つには、“Hyodo – Pride of WMW”と書かれている。“WMW”は、Waseda(早稲田)Maroon(えび茶)White(白)の略で、かなりしゃれているが、正直言うと、私には20歳の学生の選手にこんなに熱心なサポートがいることが驚きだった。

日本のチームでは、セントラルミッドフィルダーの伊野波(宮崎出身・阪南大)が本当に気に入った。
伊野波のプレーを見て、私は、伊藤卓がキャプテンを務め、中田英寿もいた1994年インドネシアのユース日本代表で熊谷(浩二)を初めて見たときのことを思い出した。ディフェンスの少し前にいた伊野波は、中盤のスィーパーのようにルーズボールを処理し、タックルやパスのようなシンプルなプレーを正確にこなしていた。
基本的なことを言っているように思われるかもしれないが、正確なパス、安全なパスを仲間に送りつづけることは、ことあるごとに華々しいスルーパスを狙うのと違ってかなりの自制心と成熟度が必要とされるのである。

今夜(水曜日)、日本はメインのマカオスタジアムで韓国とあたるが、すでに準決勝進出は決まっている。
マカオでの日韓戦。そのあとはポルトガル料理のレストランでディナーと赤ワイン。それからたぶん、新しくできたオシャレなカジノにくり出し、ヴィッセル神戸を買えるくらい大勝ちするかもしれない(笑)。
そう、サッカーライターは大変なのだ――でも、誰かがこの仕事をやらないとね!

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