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モナコ、ベンゲル、名古屋…デシャン?

2005/09/22(木)

数年前、正確には1994年のことだが、私は仕事でアラブ首長国連邦(UAE)にいた。
アブダビスタジアムの記者席に向かう途中、スタンドに見覚えのある顔を見つけた。
最初、顔と名前が結びつかず、アジアサッカー連盟担当の同僚に、スタンドにいるあの上品なヨーロッパ紳士は誰だったかなと聞いた。
同僚が名前を言うと、『ワールドサッカー』誌に掲載されていた記事と写真がすぐに思い出された。
その人物は、アーセン・ベンゲルだった。
ベンゲルは7年間務めたモナコの監督を辞めたばかりで、FIFA(国際サッカー連盟)の主催するコーチングコースの指導者としてUAEにいたのである。
次の立ち寄り先は日本。ベンゲルは私にJリーグのことを尋ね、サンフレッチェのバクスター監督とは知り合いなのだと言っていた。しかし、名古屋グランパスエイトとの交渉に応じるつもりだとは一言も言わなかった! その後のことは、ご存知のとおりだ。

私がこのシーンを思い出したのには、2つの伏線がある。
1つは、日曜日にネルシーニョを解雇した名古屋が、新監督を必要としていること。
もう1つは、モナコを率いていたディディエ・デシャン監督が月曜日に辞任したことだ。
2つの出来事には、何らかの関係があるのだろうか?
あるかもしれないし、ないかもしれない。
サッカー界では何があってもおかしくない。デシャンにヨーロッパ各地から多数のオファーが寄せられるのは確実だが、同じチームで監督を務めたベンゲル同様、彼も気分を一新したいと考えるかもしれない。

1998年のワールドカップ・フランス大会のときのスピーチでベンゲルが語ったのは、Jリーグで自分がいかにリフレッシュできたかということ。フランスに幻滅していた、とも話していた。当時はマルセイユの八百長スキャンダルでもちきりだったからで、日本での滞在はベンゲルに希望と楽観主義をもたらした。その恩恵を受けたのがアーセナルで、それは今も変わっていない。

ベンゲルの場合:モナコ→名古屋→ハイバリー(アーセナルの本拠地)
デシャンの場合:モナコ→名古屋? その可能性はある?

名古屋には、デシャンを獲得するだけの金銭的余裕がある。それは間違いない。また、 名古屋は必死だ。つまり、状況を一変させられる大物監督がどうしても欲しいのである。
天皇杯で2度優勝したほかには、名古屋はJリーグのタイトルを獲得していない。ベンゲル時代に惜しいところまでいったが、ステージ優勝も、ナビスコカップ制覇も果たしていないのである。
おそらく私は、偶然の一致から大胆な結論を導こうとしているのだろう!
しかし、考えてみる価値はある。デシャンには充電が必要だと判断した場合、ベンゲルならきっと、日本に移るべきだと勧めるだろう。

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