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勝つため?それとも楽しませるため?

2005/09/29(木)

たいていの場合、アーセン・ベンゲル(アーセナル監督)の話は道理が通っている。
しかし、勝点制度を変更し、各チームがよりたくさんの得点を挙げるのを奨励しようというアイデアは、まったくの的外れである。
アーセンのプランというのは、3−0や5−2といった3点差以上で勝利したチームにボーナスポイントを与えるというものだ。
そうすれば、2−0でリードしているチームも攻撃を続ける気になり、これまで以上の「エンターテイメント」がファンに提供されるようになると言うのである。

このアイデアはどうだろう?
正直言って私は気に入らないし、フランスのこのプロフェッサーにしてはあまりにも短絡的な提案だと思う。
また、サッカーは勝つためにやるものなのか、それとも楽しませるためにやるものなのか、という疑問も感じる。

何年も前だが、イングランドの北東部でサンダーランドが退屈で全くリスクを冒さないサッカーをし、石にしがみついてでも1部残留を果たそうとしていたことがあった。
とりわけ面白みのない試合のあと、1人の記者がサンダーランドのアラン・ダーバン監督に、もっとファンが喜ぶような試合をしようとは思わないのか、とたずねた。
すると監督は「エンターテイメントが見たいのなら、サーカスに行けばいい」と答えた。「私がしなければならない仕事は、サッカーの試合に勝ち、チームを1部に残留させることだ」。

ファンというものは勝者に味方するもの。1994年ワールドカップの決勝で、0−0の引き分け後にブラジルがPK戦でイタリアに勝ったとき、多くのブラジル人が失望したとは思えない。
ドゥンガとマウロ・シルバが中盤にいたこのときのブラジルチームは、際立って創造的でも、楽しくもなかったが、ローマリオという傑出したストライカーがいたし、ベベトという最適な補佐役もいた。
ブラジル代表といえば、常に楽しく攻撃的で、天賦の才に裏打ちされたサッカーが連想される。しかしこのときのメンバーには、栄光の1970年以来手にしていないワールドカップトロフィーを奪還するために、自分たちはより現実的に、より組織的に、よりヨーロッパ的にプレーしなければならないという自覚があった。

現在のアーセナル、そして他のプレミアリーグのチームにとっての癪の種は、チェルシーばかりがいつも、しかも僅差で勝っているということである。チェルシーにはジョゼ・モウリーニョという抜け目のない監督がいるが、この監督は攻撃すべきときと、店じまいをすべきときを心得ている。
大半の監督にとって、完璧な結果とは1−0の勝利なのだろう。
しっかり守り、決勝点を奪い、それからゲームを締めくくる。
時には面白みに欠けるが、チームが勝っていればファンは文句を言わないだろう。
だから、サッカーとは勝つためにやるものであり、喜ばせるためにやるものではない。両方が揃っていれば申し分ないが…そう、1970年のブラジルのように。

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