ガッザとシェリル〜1992年の思い出〜
ポール・ガスコインが今なおニュースになっているのは不思議な感じがするし、やりきれない気持ちになる。
先日、私はある短い記事を読んでいた。見出しは「妻を愛してなどいなかった、とガッザ語る」。
内容は、見なくたってわかるだろう!
記事中でガスコインは、シェリルとの結婚は2人の子供を手元においておくための方策にすぎなかったと話している。
この発言は、私には驚きでもなんでもない。1992年、私はローマでシェリルに会ったのだが、彼女に良い印象は受けなかった。
私はオリンピックの取材のため勤務していた香港の新聞からバルセロナに派遣されていたのだが、スペインからの帰り道はヨーロッパのどの主要都市にも立ち寄ることができた。
航空会社のリストを見て、私はローマを選んだ。ガスコインがラツィオと契約を結んだばかりだったからだ。
イングランドでニューカッスル・ユナイテッドの担当記者をしていたときに、私はガスコインとかなり気心が知れた仲になっていた。そう、今でも彼のことだけで2ヶ月分以上の記事が書けるほど!
それはともかく、ガスコインはテニスもすばらしく上手で、釣りも大好きだった。ノーサンバーランドの沖合まで釣りに連れて行ってもらい、ガッザが釣ったサーモンをディナーで食したというのが私の自慢。でも、それもまた別のお話。
話を戻すと、ある晴れた日の朝、私はラツィオの練習グラウンドの外でガッザが登場するのを待っていた。
1年前にスパーズの一員としてとしてフォレストとFAカップ決勝戦を戦ったときに酷い怪我を負った彼。その膝のリハビリを依然続けており、他の選手と離れて別メニューのトレーニングをしていた。
2時間後、彼が真っ赤なBMWだったか、メルセデスベンツだったか(13年も前のことだからね!)でやって来て、私を見て驚いたような表情をした。
「おたく、こんなところでなにやってるの?」。
彼は強い北東部の訛りで尋ねてきた(実際は"What yee deein' 'ere?"と言ったのだが、英語に翻訳すると"What are you doing here, kind sir?"となる)。
「君に会いに来たんじゃないか。何だと思ったんだい?」と私は答えた。
「今夜(“tonight”ではなく“toneet”)は、どこに泊まるんだ?」と、彼。
私は、コロシアムのすぐ近くにあるダウンタウンのホテルを予約してあると言った。
「あいにくだな」と彼は言った。「仲間は昨夜みんな帰っちゃったし、大きな屋敷には俺しかいないんだけどさ.…」
私は、がっかりさせられるのを待った。
「でも、これから空港にシェリーを迎えに行かなくちゃならないんだ。彼女は喜ばないだろうがね」。
普段はとても無頓着で、陽気なガッザが、別人のようになっていた。
空港に向かう前、彼は練習グラウンドに案内してくれ、私はドル、リードレ、ヴィンター、ベッペ・シニョーリといった選手たちを間近で見た。
彼が戻ってくると、シェリルが助手席にいた。
ポールは、ニューカッスル時代からの親しい記者として——タブロイド紙のゴシップ・コラムニストではないという意味を込めて——私をシェリルに紹介しようとしたが、シェリルは興味がなさそうだった。とても気取った感じで横を向き、ポールは困惑しているようだった。
そのとき、私は彼を気の毒に感じ、こう思った。「なあ、ポール、なんでこんなことになっちゃったんだよ?」
ブロンドの髪、スーパーモデルのようなファッション。非情さと抜け目のなさを持った彼女の人生の目標はサッカー選手の妻になることであり、今、彼女は大当たりを引いたのだ。
ポールが彼女を愛してなんかいなかったと実際に言ったとしても、彼女が彼を愛してなんかいなかったのも確かだ。
私は当時もそう思っていたし、今もそう思っている。
彼女は自分の目的を果たしただけなのだ。
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