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2005年3月

選手たちが立ち上がった

2005/03/31(木)

火曜日の埼玉スタジアム2002での練習後、日本代表のキャプテン宮本恒靖が、多くの人が薄々感じていたことをはっきりさせた…。
つまり、チームの方針を決めるのは選手であり、監督のジーコではないということを示したのである。
これはジーコジャパンの大きな進展と言える。ジーコの方針はここ最近の数ヶ月、数週間、選手を含めた多くの関係者をずっと困惑させてきたからだ。
そうして事実上、選手たちがこの戦いに勝利を収めた。ジーコはぎこちない4−4−2のフォーメーションを捨て、選手たちが支持している、より流動的な3−5−2を採用しなければならなくなったのである。

こうした方針転換に先立ち、テヘランでの敗戦(1−2)から2日後の日曜日、宮本と年長の中田英寿、それからジーコの三者による緊急会議があった。
火曜日に宮本が語ったところによると、ジーコは「提案」には驚かなかったそうだ。ブラジル人監督もとにかく3−5−2に戻してみようと考えていたのである。
チームの方針を決めるののはジーコなのか、選手なのかという質問が出たとき、宮本ははっきりと答えた。
「それは選手の仕事です」。

この発言から、以下の2つの仮説が考えられる。
1つ目は、選手たちが監督への信頼をなくし、自分たちで問題を処理しようとしたということ。そうであれば、ジーコ時代の“終わりの始まり”に繋がるかもしれない。
そしてもう1つは、ジーコが3−5−2を貫く決心をし、これまで明らかに機能していなかった好みのフォーメーションをついに諦めたということ。ジーコが進む道は決まっている。選手たちがすでに進むべき道を示しているからだ。

結果はどうであれ、今回の出来事は関係者全員に好意的に受け止められるに違いない。
心情がついに吐露され、ジーコは監督を続けたいとの思うのであれば、現在の状況を受け入れなければならない。
選手たちとファンが驚異的な忍耐力を発揮し、ジーコもワールドカップ予選の重要な試合をなんとか勝ち上がってきたために、今も監督の座にいる。
3−5−2の方が4−4−2より日本の選手たちにフィットしていることは、もう何ヶ月も前から明らかだった。

ジャマイカと1−1で引き分けた、ジーコの日本代表監督就任初戦の後にも、私は、ジーコのアイデアは立派ではあるが、モダン・サッカーでは実用的でないと述べていた。
フランスで開催された2003年のコンフェデレーションズカップ。日本はJ2レベルのニュージーランドに2−1で勝ったあと、3軍クラスのフランスに敗れ、それから、引き分けでも準決勝進出が決まるコロンビア戦に敗れた。そのとき私は、3−5−2に変更したらどうかと「提案」した。
中田英寿を使えるからといって、フォーメーションまで変えなければならないということはない。

ジーコは、もはや異議申し立てはできない。これまでにも答えを見つけるための十分な時間があったのだ。
彼に監督としての技量が欠けていることが明らかになり、選手たちがついに立ち上がって混乱を収拾し、チームを改めてまとめようとしはじめたのである。この効果は、バーレーン戦ですぐに現れると思う。
誰かがしなければならなかったことだが、今回それをしたのがジーコでなかったのは明らかだ。

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“弾丸ツアー”でテヘラン遠征

2005/03/28(月)

私は今回の「サタデー・コラム」をいつもより2日早く、実際には木曜の朝に書いている。
それにはちゃんとした理由がある。
私は今夜、羽田空港に向かい、「弾丸ツアー」に日本のファンと一緒に初めて参加するのだ。
目的地は、もちろんテヘラン(そうであって欲しい…)。

飛行機が羽田を発つのは金曜の午前3時だが、集合はその5時間前の午後10時。テヘラン到着は現地時間の金曜午前9時40分の予定だ。
ビザと旅行カバンとカメラの装備で、私たち速やかに入国審査を通過しなければならない。そのあと午前の遅い時間に繁華街のホテルに向かい、しばしの休息をとる。
それからホテルでランチ。バスは午後2時30分にスタジアムへ向けて出発する。
アザディ・スタジアムでのキックオフは午後6時5分。でも、イランのファンは早めにやってくるかもしれない…そう、3時間前くらいに!
もしそうなら、約10万人のファンが昼下がりのスタジアムにいることになる。
キックオフが近づくにつれ、緊張と興奮が1時間ごと、1分ごと、1秒ごとに高まっていくことだろう。

日本で暮らす“英国人フーリガン”として、私は今回は記者席からではなく、日本のサポーターを間近で観察し、そしてファンと一緒に座り・立ち上がるのを楽しみにしている。
旅行業界の情報によると、800人のファンが“弾丸ツアー”でテヘランを訪れるそうだ。飛行機は2機で、一方に450人、もう一方に350人が搭乗する。
面白いことに、参加者の20%が女性だ。彼女たちには、イスラム教のイランに入るための厳しい服装規定が伝えられている。
重要なのは、(スカーフで)頭部を覆うということ、それから、身体の線があらわにならないようなゆったりした服を着ることの2点。
テレビで観ることはできるものの、女性は通常、アザディ・スタジアムには入れない。おそらく日本の女性ファンはいつも以上の注目を浴びるだろう。

さて、試合については――。もちろん日本にとってグループBで最も厳しい試合になるだろう。
初戦が引き分けに終わったイランに対して、日本は埼玉で北朝鮮に辛勝している。ホームのイランにとっては、現在進行中の予選を勝ち抜くためにどうしても勝点3が欲しいところである。
日本は引き分けで良いし、日本ならそれができると思う。

私の予想は0−0。これはジーコにとって悪くない結果だろう。日本は予選最終戦となる8月17日の第6戦までイランと対戦しないで済むのだ。しかもその試合は、会場はまだ決まっていないものの日本のホーム戦。もし全てが計画通りに進んでいれば、日本はその時までに十分な勝点を積み上げてドイツでの本大会出場を決めている。そうなれば、イランとのホーム戦は(スケールは小さかったものの)昨年のホームでのシンガポール戦のように、祝賀会のようになるだろう。

試合後、私たちは直接空港に向かい、土曜の午前2時(現地時間)にテヘランを出発。日本時間の土曜夜9時に羽田に到着する。
全て順調にいったなら、私は土曜夜のスポーツ番組の時間には家に着き、アザディ・スタジアムのハイライトを全部チェックするのだ!
さあ、試合を楽しもう!

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マーカスはビエラを目指す!

2005/03/24(木)

ジーコ・ジャパンには、守備的ミッドフィルダーが不足しているわけではない。
ヨーロッパ組では小野、稲本、中田浩二がいるし、遠藤と福西のJリーグ・コンビもいる。
しかし、近い将来にジーコの注目を浴びるかもしれない選手が、もう1人いる。
実際には、とても近い将来になるかもしれない。日本が代表に呼ばなければ、米国が呼ぶかもしれないからだ。

その選手とは、大宮アルディージャのミッドフィルダー、ディビッドソン純マーカス。米国と日本の二重国籍で、いまはどちらの国の代表資格も満たしている。
土曜日、埼玉スタジアムで大宮がアルビレックス新潟を2−0で破ったナビスコカップの試合、ディビッドソン(チームメートたちからはマーカスと呼ばれている)が中盤を支配しているのを見た。
長身でパワフルなディビッドソンが数多くの新潟選手を抜き去り、中盤の奥深くからボールをキープしながら狙いを定めて攻め上がっていく姿は、常に精神を精一杯集中させ、次にすべき行動を決めようとする態度を窺わせるものだった。
また彼は、素晴らしいエンジンも搭載している。試合の終盤にも、長い距離を駆け上がってから惜しいシュートを放っていた。
まさしく、21歳のマーカスには有り余る天賦の才が備わっていると感じられた。JFA(日本サッカー協会)は早めに彼に目をつけておいたほうが良いとも思った。

ディビッドソン純マーカスは、とても興味深い人物である。
父親は米国人で、母親は日本人。母親が米国で美容師になるための勉強をしていたとき、二人は出会った。
自身は東京生まれの東京育ちで、東京ガスのジュニアユースでプレーしたあと、イングランドのサリー州にあるアメリカン・スクール(略称:TASIS)で1年を過ごした(サリーは豊かな南部にあり、瀟洒な住宅地が多い)。
その後、カリフォルニア州パサデナで3年過ごし、そして大宮へ。2003年にデビューした。
好きな選手はアーセナルのフランス人MFパトリック・ビエラで、テレビで見て研究し、ピッチではプレーを真似ようとしているそうだ。

「ビエラはすべてを兼ね揃えた、完ぺきな選手ですね」とマーカスは言う。
「なんていうか…、見習いたい選手です」(※筆者注: これぞまさにアメリカンな「なんていうか(kind of)」というフレーズが出た!)

友達にビエラみたいだと言われるととても嬉しい、とマーカスは話していたが、土曜日はまさにビエラのようなプレーであった。
ちなみに、マーカスという名は、父親が自分の好きなバスケットボール選手、マーカス・ジョンソンにちなんで名付けたそうだ。マーカス・ジョンソンはUCLAのスター選手で、大学でプレーした後NBAに進み、ミルウォーキー・バックスとロサンゼルス・クリッパーズでプレーした。

ワールドカップ予選の後にも、夏にはたくさんの国際試合が予定されている。ジーコには新しい代表選手が何人か必要になるだろう。ディビッドソン純マーカスは、見ておいた方が良い。

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Jリーグにうってつけの米国選手

2005/03/21(月)

フース・ヒディンクは、この地域では名の通った監督だ。
実際には、世界のほとんどでよく知られているだろう。
だから、彼が指揮するクラブ、PSVが欧州チャンピンズリーグの準々決勝に進出しても、それは驚くほどのことではない。

2002年のワールドカップ(W杯)で韓国代表を準決勝に導いた後、オランダに戻ったヒディンクは、李栄杓(イ・ヨンピョ)と朴智星(パク・チソン)の2人を呼び寄せた。
パクはもちろん京都パープルサンガで素晴らしい成功を収めていたが、今シーズンはPSVでも、京都で見られたような最高の調子を維持している。
PSVにはもう1人、とても興味深い選手がいる。俊足の米国人、ダマーカス・ビーズリーだ。

私は2002年W杯で米国の試合を2試合観戦したのだが、そのサッカーの質の高さとともに、個々の選手の成熟度、そして能力にとても感心させられた。
米国はセカンドラウンドの初戦「CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)ダービー」のメキシコ戦は2−0で制したものの、準決勝では残念ながらドイツに0−1で敗れた。
三流のブラジル人選手やJリーグのスタイルになじまない、あるいはなじもうともしない選手に相変わらず大金を投じているJリーグのクラブは、米国を新しい青田買いの地と考えたてみてはどうだろう。

先日、マリノスの練習グラウンドで、この件についてキーパーコーチのディドとおしゃべりをした。
この大柄のオランダ人は米国で指導をした経験があり、そこで出会った若い選手たちの技術レベルやサッカーの知識に驚かされたそうだ。
ディドは、ボスである岡田武史に、米国で才能のある選手を見てくるように勧めたそうで、たぶん岡チャンは多忙をきわめるスケジュールの合間に足を運ぶだろう、ということだった。

私は、米国の選手は日本で大成功すると思っている。
何よりも、彼らは自分の国を代表しているという意気込みを持ってプレーし、米国をサッカー(かの地ではフットボールではなく、サッカー)の国として認識させようとするだろう。その姿勢は第一級だ。
また、米国の選手は体調管理がしっかりしており、良い指導も受けているので、Jリーグのレベルでは魅力的な戦力となるだろう。それに、フィジカルが強いので、日本人選手にとっては難敵となるはずだ。
金銭的にも、ほとんどのブラジル人選手よりはるかに安く済むだろうし、支払った金額以上の価値を見せてくれると思う。
日本と米国は強く結びついているのに、Jリーグのクラブがメジャーリーグ・サッカーというマーケットに目を向けないのが不思議でならない。
まあ、そのうちどこかのクラブがあっと驚くような移籍劇を見せてくれるのではないかという期待は持っていたい。

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ささやかだけれど大切な、長谷川健太のスポーツマンシップ

2005/03/17(木)

土曜日の味の素スタジアムは、まるで昔に戻ったようだった。
ピッチの外には、おなじみのヴェルディの人気者、ラモスと北澤がいて、さらにパラグアイの陽気なGKチラベルトが最上段のエグゼクティブ・ラウンジで観戦していたのだ。
チラベルトはもちろん引退しているが、両チームのGKがともに相手を完封した0−0の試合結果に満足したことだろう。
もっとも、2人のGKが攻撃に参加せず、相手陣地でFKを蹴ろうとしなかったことは残念だったかもしれないが。
また、ジーコの兄であり、アシスタント(テクニカルアドバイザー)であるエドゥーとともに、日本代表のGKコーチ、カンタレリも来ていた。私は、派手ないでたちのヴェルディのGK高木がまたも注目を集めるだろうと思った。

川口が故障で離脱したため、ジーコには、楢崎、土肥に続く(あるいは、土肥、楢崎の順番か?)、日本代表の第3のGKが必要だ。
たぶん、月曜日には高木が代表メンバーに選ばれるんだろうな。
と、考えた私がバカだった。ジーコは鹿島アントラーズの曽ヶ端を招集した。とはいえ、高木にチャンスがやって来るのも、それほど先のことではないだろう。
ピンクのシャツに黒の短パン、ピンクのストッキング、そのうえ白のグラブと白のシューズの高木は、GKというよりは――まあ大柄だが――勝負服に身を包んだジョッキーのようだった。これなら、ジーコの目に入らないわけがない。

両チームともディフェンスが良かったが、とりわけエスパルスの4バックが素晴らしかった。
清水の新監督となった長谷川健太は守備陣を経験豊富な選手で揃え、右サイドには市川、中央には斉藤と森岡。左サイドにはジュビロ磐田から移籍してきた山西を配していた。
斉藤と森岡は危険なワシントンをマークし続けていたが、大変だったようだ。
「ワシントンはとても背が高いし、体も強いですね」と隆三。試合後の彼は、ラップのコンサートに――観客ではなく歌手として――行くような服装をしていた。
「彼は体を使ってボールをキープしますね。背中を向けられるとボールに届かないので、なかなかボールを奪えません」。

清水にとって幸いだったのは、ワシントンのシュートがゴールの枠を外れていたこと。それに、終了間際に放った見事なヘディングは、ボールが西部の手に当たったのだ。
実際には、エスパルスの方により決定的なチャンスがいくつかあった。特に前半、ゴールの外に飛んだ崔兌旭(チェ・テウク)のヘディング・シュートは決定的だった。

後半には、ささやかだけれど注目すべきことが1つあった。ヴェルディが攻勢に立っているとき、ボールがタッチラインを越え、エスパルスのベンチ前に転がった。
ボールを手にした人物は、スローインのために待ちかまえているヴェルディの選手に直接ボールを投げようかどうか、躊躇した。結局、その人物はボールをヴェルディの選手に届かないように放り投げることにした。
タッチライン沿いに立っていた健太は自らそのボールを拾い、ヴェルディの選手に投げた。それからベンチの方を向き、わざわざ混乱を招いたり、プレーを遅らせたりせずに、最初からこうするべきだったということを件の人物に知らしめたのである。

現役時代、誠実で、精力的に動き回るセンターフォワードだった健太が示そうとしたのは、いわばスポーツマンシップであり、これこそが世界中のサッカー界で求められているものだ。
冒頭に述べたように、まるで昔に戻ったようだった。昔は、このようなスポーツマンシップが当たり前だったのだ。現在は、ほとんど注目されなくなっているけれど…。

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シーズン序盤、攻撃力に欠けるマリノス

2005/03/14(月)

日本の整備された鉄道網と、ここ最近のサッカー熱の上昇に、感謝している。水曜日(9日)の夜、私は2つの大陸のチャンピオンズリーグ3試合を見ることができたのだ。
最初の試合は三ツ沢スタジアムで行なわれたアジアチャンピオンズリーグ(CL)、グループFの横浜F・マリノス対山東魯能戦。
試合後、全てのメディアが集まる取材を終え、三ツ沢の丘をおりて街へ戻り、横浜駅近くのイギリススタイルのパブへ行くと、店の大型テレビではACミラン対マンチェスター・ユナイテッド戦の後半が始まるところだった。
そして大宮へ向かう終電に乗って自宅に帰ると、ちょうどフジテレビでチェルシー対バルセロナ戦がスタートした。

それはそれは楽しい夜だった。もちろん、最初の1試合を除いてである。
今シーズンの岡田武史監督は、アジアCLで何とか結果を残そうと必死だ。2003、2004年とJリーグを制してチームは更にレベルアップし、アジアのチャンピオンへ挑戦すべきだと感じているからだ。
しかし彼らのタイトルへの挑戦は、中国チームに活気を奪われ試合をさせてもらえないまま0−1で敗れるという憂鬱なスタートとなってしまった。

岡田監督はチームを落ち着かせる1点が欲しかった。しかし久保、安、そして坂田はみな負傷中。新たにやってきたブラジル人FWアデマールは本調子にはほど遠く、ベンチにいた。
大島は良い選手のようだが、J2の山形から移籍してきたばかりで、J1の速さに適応していく必要がある。また、清水はスピードもあり相手にとっては危険な選手だが、ゴールゲッターではない。
それでもマリノスには、試合を何とかするチャンスが十分あった。そして今、彼らは2戦連続のアウェーゲームを控えている。
ただ、後半の中国チームの呆れるほどの妨害行為には、岡田監督と選手たち、そしてマリノスファンへの同情を禁じえなかった。
足がつったとピッチに倒れ込んで試合を止める。ベンチからピッチへ余計なボールを投げ込んで進行を妨げる。ゴールキーパーはわざと明後日の方向へとボールを蹴り、ボールボーイに別のボールを要求する。

本当にみっともない行為だった。試合終了のホイッスルがなった時、ちょうどベンチ裏から1人のマリノスファンが山東のイレブンに向かって痛烈な野次を浴びせたのは面白かったが…。
彼は風邪をひいていたか、それとも花粉症だったのか。中国人選手とセルビア人のコーチングスタッフに向かって叫ぶために、マスクを外していた。
いいぞ!それくらいやったってかまわないさ。
その後、プレスルームを後にする岡田監督は、非常に深刻な表情をしていた。
12月に日本で行なわれるFIFA世界クラブ選手権に出場するという彼の望みは、今のところはるか遠くにあるようだ。

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テヘランでは中田英寿が不可欠

2005/03/10(木)

月曜日(14日)、ジーコがワールドカップ(W杯)予選のイラン戦およびバーレーン戦の日本代表メンバーを発表する。最大の注目は、「中田が復帰するかどうか」だ。
中田と言っても、英寿の方であって浩二ではない。確かに最近は、同じ中田でも知名度の高い前者より後者の方がマスコミにとりあげられることが多いようだけれど。
フィオレンティーナのMFを欠いても、最近の日本は好成績。中国のアジアカップで優勝したし、W杯予選も全勝している。しかし私はそろそろ、元ベルマーレ平塚のエースを呼び戻す時期であるように思う。

先月、埼玉で北朝鮮と戦った日本には、中盤のリーダーとなる人物、大試合の経験があってチームをまとめられる人物が明らかに欠けていた。
それを補うのが中田である。
中田は、オールラウンドな才能とイタリアでの経験によりリーダーシップを発揮するようになっており、私はいまでも、彼を日本最高の選手で、群を抜いた存在だと思っている。
また、中田は恐れることを知らない。肉体的にタックルを恐れないだけでなく、精神的にも恐れることがない。12万人の熱狂的なイランファン、そしてタレント揃いのイランと戦うテヘランでは、日本にはこうした資質が不可欠なのである。

週末、中田はフィオレンティーナのメンバーとしてはプレーせず、レッジーナ戦ではベンチを温めていたが、これは問題にはならないだろう。
というのも、日本代表は3月17日に日本を発ってフランクフルトに向い、現地で22日まで練習を行なうからだ。そして22日にテヘランに移動し、そこで25日(金曜日)の試合までに、もう2日、練習期間がある。
ジーコも選手たちと過ごす時間が長くなり、「ヨーロッパ組」を組み込んだシステムを練り上げることができる。

テヘランで戦う日本代表にとって、中田は不可欠な存在である。中田が入れば、ジーコ率いる日本は北朝鮮に苦戦したチームから一変することになるだろう。
ジーコには3−5−2のフォーメーションを維持し、中田を中央のゲームメーカーとして2人のストライカーの後ろに配置して欲しいところだが、4−4−2に変更し、中盤の「銀河系軍団」を全員起用するかもしれない。
キャプテンについては、知的で、有力なリーダーの宮本のままでよいと思う。
キャプテンやコーチの重荷を改めて与えなくても、中田はゲームメーカーとして充分な責任を負うのだ。

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サッカーの世界を変えたミケルス氏

2005/03/07(月)

いつもはここで、日本のサッカーについてコラムを書いている。私は日本に住み、日本のサッカーを見ているからだ。
しかし今回は、サッカーについてもっと全般的なことを書こうと思う。金曜日(4日)、私はある記事に大きなショックと悲しみを受けたのだ。
記事というのは、1974年のワールドカップで世界に衝撃を与えた“トータル・フットボール”の生みの親、オランダの名将リヌス・ミケルス氏の死去についてだ。

その年の夏、私は自宅のテレビでワールドカップ(W杯)西ドイツ大会のオランダ代表を見ていた。そして、14歳だった私の人生が変わった。
英国人は海外の趨勢(すうせい)については無関心。66年のW杯を制したこともあって、私たちはいまだにイングランドが世界のトップだと思っていた。
イングランドが優勝したのは、西ドイツ大会のわずか8年前のこと。にもかかわらず、ツキに恵まれたポーランドのGKトマシェフスキー(伝説の名将、ブライアン・クラフにテレビの解説で“道化師”と呼ばれた)によって西ドイツへの道を断たれた。
そう。イングランドは西ドイツ大会には出場さえできなかったのだ。しかしそれでも私たちは“ジョニー・フォーリナー”よりも優れていた(ここで言う“ジョニー・フォーリナー”とは個人名ではなく、外国および外国人を指す代名詞だ)。
これは偏ったイギリスメディアによる独断とプロパガンダだった。

そこに現れたのが、ヨハン・クライフとその仲間達!
ワォ!これがサッカーだ!トータル・フットボールだ!
“戦術家”として知られたミケルス氏は才能溢れる選手を自由に使いこなし、知力、フィットネス、的確な技術、そしてコミュニケーションを必要とするシステムを考案した。
選手全員が攻撃に参加し、ポジションを変え、そして一番近い相手選手をマークすることから、ミケルス氏自身は“プレッシング・フットボール”と呼ぶことを好んでいた。
彼らの走力と視野はサッカーを活性化しただけでなく、スペースと時間を奪うことで対戦相手にサッカーをさせなかった。

74年W杯で私が覚えているのは、天才クライフがまるで自分のオーケストラを指揮するように緑のピッチ上をオレンジで覆いつくす光景だ。
彼らの美しいサッカーは美しいゴールを生み、次の攻撃がどこから来るか掴めず息を切らせる相手チームを置き去りにした。
ウルグアイの攻撃的なアプローチでさえ、優雅でタフなオランダには歯が立たなかった。彼らはこの領域においても十分対応できたのだ。1次リーグではブルガリアが、2次リーグではアルゼンチン、東ドイツ、そしてブラジルが、まるでハエが叩かれるように一蹴され、唯一、柔軟性に富んだスウェーデンだけが1次リーグで何とかスコアレスドローに持ち込んだ。

ミュンヘンでの決勝では、オランダが開催国の西ドイツを引き裂く様を見た。ミケルス氏率いるオランダは、西ドイツがボールに触る前に先制したのだ。
キックオフからオランダは細かくパスを繋ぎ、クライフがエリアに飛び込み、へーネスからファウルを受けた(よく間違われるが、フォクツではない)。
そのPKをニースケンスが決め、オランダが1−0とリード。あとは、オランダがさらに何ゴール決められるか、だった。
しかしチーム内に驕りと慢心が広がり、結局オランダがそれ以上ゴールを挙げることはなかった。
西ドイツのブライトナーがPKで同点にし、そして“爆撃機”ミュラーが決勝点を決めたのは、まだ前半のこと。オレンジの魔術にハマっていた私にとって、それは生涯忘れられない1日だった。

その後、1988年に、北東イングランドでサッカーレポーターをしていた私は西ドイツで開催された欧州選手権(ユーロ)を取材した。ミケルス氏率いるオランダはデュッセルドルフでファンバステンのハットトリックでイングランドを粉砕。ハンブルグで行なわれた準決勝では、やはりファンバステンの決勝点で2−1で西ドイツを破った。
まさに、胸のすくような復讐劇。
ミュンヘンでの決勝では、フリットとファンバステンのアクロバティックで止めようのないボレーでソビエトを破った。
ミケルス氏のオランダはようやく、1974年に受け取るべきだったもの…トロフィーを手に入れたのだ。

ミケルス氏の死去は世界のサッカー界にとって大きなショックであり、寂しい1日となった。
彼は戦術的にゲームを変えただけでなく、ファン、コーチ、そして選手にとっても全く新しい世界を開いた。
リヌス・ミケルスとトータル・フットボール、そして74年W杯で世界に魔法をかけたオレンジの魔術師たちを、人々は忘れないだろう。

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ダークホースはヴェルディ?

2005/03/03(木)

東京ヴェルディ1969は、まるでイングランドの公共バスサービスだ。1969年のバスサービスとは言わないが、現在のバスサービスもさほど変わってはいない。
寒さや雨に耐えながらいくら待ってもバスの姿は見えない。そうこうするうちに、2台一度にやって来るんだ!
長い間タイトルとは無縁だったヴェルディが、元旦の天皇杯優勝につづき、土曜日(2月26日)に横浜国際競技場で行なわれたゼロックス・スーパーカップでも勝利してしまった。
結末にはハラハラさせられたが、素晴らしい試合というわけではなかった。両チームともまだ調整段階で、マリノスは主力選手が何人か欠けていたからだ。
シーズン開幕直前だというのに、久保や安貞桓(アン・ジョンファン)、松田、坂田、アデマール、それから山瀬までもが揃ってピッチの外にいるというのは、岡田監督にとっては憂慮すべき事態だろう。
一方ヴェルディでは、主力選手では米山が欠場していた(この点も指摘しておいたほうがフェアだね)。

ヴェルディが土曜日に勝つ以前から、私はヴェルディが今シーズンのタイトル争いのダークホースになるかもしれないと思っていた。
アルディレスは独特のまとまりを持った、なかなか良いチームを作り上げており、ヴェルディは冬の間に十分な準備をしていた。

ヨーロッパと日本の複数のクラブがワシントンの獲得を目指していたが、ヴェルディは思い切った出費をし、彼との契約を勝ち取ったのである。
ワシントンは昨シーズンのブラジル全国選手権38試合で 34 ゴールをマークしていたが、土曜日にはその記録も当然だなと感じさせられた。
大柄な選手だが、前半は中澤でも捕まえられなかったし、ワシントンがシュート前にペナルティ・ボックスの端で体をひねり、抜き去ろうとしたときには、栗原の体はまるでコマのようにクルクル回らされていた。
さらに後半、マリノスのディフェンス陣を強引に突破し、2度のゴールを決めた時のワシントンは、まるで人間ブルドーザーのようだった。

それから、大橋(マリノス)の見事な先制点につながるクリアミスをしてしまったものの、かつてのエスパルスのファイター、戸田を獲得したのはヴェルディのファインプレーだ。
トルシエのお気に入りながらも、ジーコからはお呼びがかからない戸田の加入により、ヴェルディのバックラインあるいは中盤は大いに補強された。相手選手はみな戸田の存在を意識せざるを得なくなるだろう。
また、平本はずっとお気に入りだったが——柳沢(将之ではなく、敦の方)を思い起こさせる——2005年は彼にとって飛躍の年になるかもしれない。

ヴェルディがダークホースになるかもしれないと思ったのは、チームをまとまったまま維持できるからでもある。他のチームは、代表への招集で一定期間は選手を欠いた状態になるのである。
この点をアルディレスに指摘してみたが、同意は得られなかった。
「そんなことはないよ。今年はうちのチームからも代表選手が出るからね」。
たとえば?
「相馬。素晴らしい選手だし、日本で最高の左バックだと思うよ」。
アレックスやアツ(三浦淳宏)よりも上かな?(もちろん、アルディレスはこの2人をよく知っている)「比較はしたくない」とアルディレスは答えた。
「2人とも友達だからね」。

さあ、読売ランドに面白いシーズンがやって来そうだ!

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