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怖れではなく高い意識を見せた日本

2005/02/10(木)

数年前、正確にいうと1997年9月、東京・国立競技場で日本代表の練習を取材したことを覚えている。
そのとき日本代表はホームでのワールドカップ予選を控えていた。相手は、偉大なるライバル、韓国。
非常に重要な一戦で、高い評価を受けているテレビ番組『Futbal Mondial(ワールド・フットボール)』のエグゼクティブ プロデューサー、ゲリー・ハリソンがロンドンから取材に来ているほどだった。

練習前の日本の選手たちは少年のように笑い、ジョークを飛ばし、ふざけあっていた、と私はゲリーに指摘した。
ゲリーは関心を示さなかった。
「それが本心だと思うかい?」と彼は言った。
「思うわけないだろ!」私は即座に、多少皮肉を込めて答えた。
「僕もだよ」とゲリー。「連中はリラックスして見えるように懸命に振る舞っているが、内心はビクビクしているね」。

その時の会話と、彼の鋭い洞察が忘れられない。
また、その時の試合も忘れられない。山口素弘の見事なゴールで日本が先制したにもかかわらず、結局1−2で敗れてしまったからだ。
山口がふわりと浮かせたボールがキーパーの頭上を越え、クロスバーの下、ネットの中に落ちたときのことを、みなさんは覚えているだろうか?
国立は熱狂に包まれた。しかし、すぐに静寂がやってきた。韓国が同点に追いつき、それから逆転したのである。この試合が、監督の加茂周にとっては"終わり"の始まりとなった。
過去のことを持ち出して、申し訳ない。しかし私は水曜日(9日)の北朝鮮戦を前に、気分はすでにワールドカップなのである。

火曜日の夜、私は埼玉スタジアムでの練習を取材した。するとまたもや、日本選手には笑いとジョークがあった。
ロンドンからゲリー・ハリソンが来ていないかと周囲を見回したが、彼の姿はなかった。
今回は様子が違っていた。ゲリーがいたら必ず気付いたと思うが、日本の選手たちはリラックスしていて、自信に満ちており、高い意識を持っていた。
それは、目前の大一番への心配と不安を隠すための振る舞いではなかった。チーム全体にみなぎる高い意識がそのまま反映されていたのである。

公式記者会見でのジーコはきわめてビジネスライクで、俊輔と高原はベンチスタートになると確約した。
ジーコの選択は賢明なものである。ジーコは、これまで彼を失望させなかった国内組への信頼を示したが、欧州組の2人の選手にも、自分たちは用無しだと感じさせない配慮を見せた。
ベンチスタートであっても、俊輔と高原の2人が試合で重要な役割を果たす可能性もある。そう、ちょうど昨年のオマーン戦で久保がやってのけたように!
北朝鮮戦の夜、日本の選手たちは常に高い意識を持ってプレーしなければならない。ただし、気迫に満ち、状態が良く、タフなタックルを誇る北朝鮮チームを破るには、忍耐も必要とされるかもしれない。
日本代表ならやれるし、2−0で勝つと思う。ひょっとすると、途中出場の俊輔のフリーキックで勝利が決まるかも!

*このコラムは2月8日に書かれたものです

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