日本サッカー界が確実に成長した1年
2004年は日本の野球界にとって非常に面白い1年となった。そう、「野球界」にとってだ。
このコラムはサッカーについてのコラムのはずだ、ということは百も承知だが、少し説明させて欲しい。
ここ数ヶ月、スポーツニュースというと野球の話が大部分を占めていた。ただし、そのニュースのほとんどは球場の外の話題だ。
2つのチームが多大な経常赤字のために合併。そして右往左往した末に新しいチームの加入が認められたが、野球界は突如、ファン離れを防ぐためには劇的な変化が必要だということに気がついたのだ。
一方、Jリーグは粛々とシーズンを進めていた。
ホーム&アウェー制のサントリーチャンピオンシップ・プレーオフに押し寄せた大勢のファン、新しいナビスコカップチャンピオン、18チーム制の導入が決まったJ1。10チームからスタートしたJリーグは、来シーズンから30チームとなる…。
これは、2ヶ月ほど前、私の北米人の同僚が「Jリーグは日本の野球界を当惑させている」と言ったことと無関係ではない。
しかし、Jリーグの関係者で、このことについてほくそ笑んでいる者はいない。彼らはまだこの国にサッカーの礎を築いている最中であり、まだまだ先は長いことを理解しているからだ。
2004年は日本サッカーにとって、Jリーグレベルでも国際レベルでも満足のいく年だっただろう。
FC東京はナビスコカップ優勝を果たし、歌と活気でチームを元気づけてきたサポーターたちにトロフィーを渡した。
横浜F・マリノスはファーストステージを制し、セカンドステージチャンピオンのレッズをPK戦の末に下してリーグチャンピオンの座を守った。岡田武史監督の経験と実用主義はピッチ上で選手たちによって存分に発揮され、彼は最優秀監督賞を受賞した。
就任1年目のギド・ブッフバルト監督率いるレッズは、どちらのトロフィーも獲れなかったができなかった。しかし来シーズンに向けて、チームはより良い選手を惹きつける魅力と経済力を持っている。
ナビスコカップ決勝、そしてサントリーチャンピオンシップ決勝の2試合、そのいずれの試合も得点シーンは多くなかった。しかしサッカー通の目には、組織にも個人にも、コーチング技術、テクニック、そして戦術の質の向上が見てとれた。
そうでない人達はきっと、90分で5−4という試合を好むだろう。しかし高得点ゲーム、多すぎるゴールは効果的な攻撃というよりもディフェンスの悪さが原因と考えられる。
また私は、ディフェンダーはスター性や独創性がないことから常に過小評価されがちだと考えていたが、今回、中澤佑二がJリーグのMVPに選出された。非常に良いことだと思う。ようやく正当な評価を得たと思うし、中澤はこの賞を受ける資格を十分持っている。
中澤は中国で行なわれたアジアカップでも日本代表として素晴らしい活躍をみせ、2000年にフィリップ・トルシエがレバノンで獲得したタイトルを、今回ジーコ監督のチームの一員として守った。
さらに日本代表は、ドイツワールドカップ(W杯)アジア1次予選を6戦全勝、失点はわずかに1(シンガポールで2−1で勝利した試合)で勝ち抜け、本大会の出場権は手の届くところにある。
今年最もがっかりしたこと(一番驚いたことではないが)は、オリンピックでの日本代表の戦いぶりだろう。春の予選後、全てがうまく回らなくなり始めていた。もし時計の針を戻すことができるのなら、山本監督は全く違うやり方をしただろうと、私は確信している。
とはいえ、全体的に見ると日本のサッカーが大きく成長した1年だった。
最初に述べたように、野球が日本のスポーツ界の話題をさらい、サッカーは目立たなかったかもしれない。しかし、便りのないのは元気な証拠、と言う。
2004年はJリーグにとって素晴らしい1年だったと言える。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント