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優勝を陰で支えた人々

2004/11/25(木)

浦和レッズの救世主、ギド・ブッフバルトは、チームをセカンドステージで優勝させたのだから、賞賛や注目を集めても当然と言える。
しかし、今シーズンは彼のワンマンショーだったわけではなく、他の人々も自分の職務を全うした。
なかでも、同じドイツ人としてブッフバルトの助手となり、同僚となった、ゲルト・エンゲルスの仕事ぶりは特筆すべきものだった。

今回がブッフバルトにとって初の監督業という事実は見逃せないし、エンゲルスを自分の右腕として指名した手腕は見事なものだったといえる。
もちろん、エンゲルスはJリーグでの知識も経験も豊富で、横浜フリューゲルスで監督を務めたのを始めとして、ジェフユナイテッド市原や京都パープルサンガでも指揮を執った。フリューゲルスとサンガでは天皇杯を獲得しており、日本人のメンタリティーだけでなく、プレーにおける長所と短所を熟知している人物である。

その上、言うまでもなく、エンゲルスはサッカー関係の日本語もとても上手で、選手と直接コミュニケートできる能力は大きな利点となっている。
新監督のブッフバルトと経験豊かなエンゲルスの二人は、揺らぐことのない、気迫に満ちた姿勢でレッズを率いた。
ブッフバルトが白馬の背に跨がってグラウンドを1周し、引退式に詰めかけた観客の声援に応えた、1997年の駒場スタジアムでのシーンを、私は決して忘れないだろう。あのシーンはまさに彼の選手生活の最後を飾るもので、あの時の人気を見て、いつの日か必ず、彼は指導者として戻ってくるだろうと思わずにはいられなかった。

もっとも、ブッフバルトの前任者もレッズの成功に大きな貢献を果たした。ハンス・オフトは、2003年のナビスコカップで浦和を優勝に導き、信頼していたアシスタントのビム・ヤンセンともに、今日の成功の基礎を築いた。
オフトとヤンセンはレッズのプレーに規律と方法論を持ち込み、さらに熱狂的で、忠実なサポーターの姿により、クラブは日本中の若くて、才能のある選手の憧れとなった。

また、レッズのセカンドステージ優勝は坪井と山瀬という二人の主力日本人選手なしでは成し遂げられなかったということも記憶に留めておかなければならない。
ナビスコカップ決勝のFC東京戦と、ホームでのグランパスとのリーグ戦という、最高にプレッシャーのかかる2つの試合で浦和が敗れたため、総合優勝を賭けた戦いではわずかに横浜F・マリノスが有利という予想も成り立つが、坪井と山瀬を途中で欠いた状態でも、最後には優勝を勝ち取った浦和レッズの選手層の厚さも証明済みである。
レッズはシーズンの掉尾を勝利で飾りたいところだろうが、現実的で、忍耐強い岡田武史も新たな作戦を練って2試合のプレーオフに臨んでくるだろう。

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