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サッカー競技から遠く離れて

2004/08/19(木)

先週の今ごろは、サッカーがオリンピックの中心であった。
おそらく、8月13日の開会式の2日前に開始されたサッカーが街で——実際には、複数の都市で——見られる唯一の競技だったからだろう。
しかし、今はどうだ?
サッカー競技は、道路を300キロも進まないところにあるボロスではなく、何百マイルもかなたで行なわれているように思える。伝統的なオリンピック競技、つまり水泳やドーピングのニュースが新聞の見出しを飾っているからだ。
オリンピックのスケジュールの合間を縫って、私は、先週の水曜日にボロスで行なわれた女子の日本対スウェーデン戦、その翌日のテッサロニキでの男子のパラグアイ戦を観ることができた。
今となっては、あの2試合は古代の歴史にように思える。まさに、この古代文明の首都にふさわしい感慨だ。

あれから、女子代表はナイジェリアに0−1で敗れ、男子はイタリアに2−3で敗れた。
私はテレビで女子代表の試合を全く観なかったが——柔道のヤワラちゃんと野村が金メダルを獲得するのを観ていた——重要なことは、女子代表が準々決勝に進出したということである。

男子代表に関して言えば、イタリア戦は、男子100メートル平泳ぎの北島康介の金メダルとかち合ってしまい、私が試合会場からオフィスに戻った時にはみんながテレビでサッカーを観ていた。日本は1−3で負けていて、単調な試合に見えた。それから、高松がダイビングヘッドでゴールを決め、迅速にゲームが再開されるのを防ぐためにイタリアのゴールキーパーがボールを保持し、ちょっとした小競り合いが起こった。
オリンピック精神だって? フェアプレーだって?
おいおい、これはサッカーで、少なくとも男子の試合だぜ。オリンピックだからって、やつらが改心するはずないじゃないか?

私は、イタリア戦を観戦した日本人ジャーナリストの何人かに話を聞いたが、山本監督が4バック、3ボランチ、3トップの布陣で試合に臨んだことには、みな一様に驚いていた。
そして、そのような布陣であっても、右ウィングには石川のポジションがなく、前線にはダイナミックで、危険な田中のポジションがなかった。
オリンピック予選の最高潮の段階から、まちがいなくチームは下降線をたどっており、監督は、一体どこでおかしくなったのだろう、と怪訝な気持ちであったに違いない。
チームにはキレがほとんどなく、やる気も自信もあまり見られなかった。要するに、青いシャツを着た5万人のファンの前でプレーしていたチームとは別のチームになっていたのだ。

今となっては、水曜日にボロスで行なわれるガーナ戦でかけられるのはプライドだけであるが、山本監督は、たくさんのお金をかけて、遥か遠くまで、この大々的でアンチクライマックスな試合を観るためにやって来るファンのためにも、チームを鼓舞しなければならない。
しかし、私は試合会場にはいないだろう。同じ夜に、北島が平泳ぎの2冠を目指して戦うから、サッカーを二の次にせざるをえない。
まあ、4年に1度のことだからね。

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