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2004年8月

サッカーもホッケーを見習ってみたら?

2004/08/30(月)

オリンピックの舞台での韓国対日本戦、その魅惑に誰が抵抗できるだろうか。
たとえそれが朝8時半に始まろうとも、スタジアムに行くのに電車や路面電車を乗り継ぎ、さらに長い距離を歩く必要があったとしても、だ。
そして、それが女子ホッケーの試合でも、である。

私も例外ではない。それにはいくつかの理由がある。
まず、何より韓国と日本のライバル関係が良い。故郷のイングランドとスコットランドの関係を思い出してしまう。
2つ目はホッケーが好きだからである。11人の選手で戦うこと、4−4−2や3−5−2というフォーメーションを始め、ホッケーの色々な面がサッカーと良く似ている。
“ディフェンダー”、“リベロ”、“ミッドフィルダー”、“ウィング”、“ストライカー”、“プレイメーカー”、“ゴール・ポーチャー”等々、思いつく限りのものがホッケーにも存在する。たった1つ、明らかな違いは、彼らがスティックを持っていることだ(知らない人のために念のため)。
3つ目は半分寝ぼけていても、ビーチと輝く海を通り過ぎアテネの海岸線を行くスタジアムへの道のりが快適であるということである。

まだ8時半だというのに強い陽射しが肌をじりじりと焼いているその朝、日本は開始早々に0−3でリードされた。
キャプテンの三浦(カズではなく恵子である)がハーフタイムの直前に1点を返したが、以後のピリオドでは得点は挙げられず、日本は1−3で敗れた。

ホッケーの試合でもプレーの中断が多くあると思うのだが、その中で、選手交代に関するルールは非常に良いものだと思う。
2002年に釜山で行なわれたアジア大会の時、私はこの点を指摘したことがあった。サッカーの試合でも無駄な時間稼ぎを減らすために、FIFA(国際サッカー連盟)はこのルールを採用すべきだと私は強く思う。

1つ例をあげよう。後半、韓国は選手交代をしようとした。
ナンバー6がフィールドに入ろうと、彼女が交代する選手(ナンバー8)のプラカードを持ってタッチライン(サイドライン)に立った。
選手交代にはタイミングを見計らわなければならなかった。ナンバー8はサイドに走り、自分のナンバーが書かれた小さいプラカードを交代出場する選手(ナンバー6)から受け取った。これで交代が完了した。その間、試合は止まることがなかった。

これがサッカーではどうだろう。
後半、3−1でリードしているチームが選手の交代をしようとする。交代選手がベンチを出てタッチラインに立ち、4人目の審判が交代させる選手(たいていピッチの遠いサイド側にいる)の番号を書いたボードを掲げる。そしてプレーが全て止まり、選手はできるだけゆっくりとピッチから歩いて出る。
白熱した試合の終盤が、こうした選手交代の続出に流れを止められ台無しになってしまう。
もしサッカーがホッケーのルールを採用すれば、こうした時間稼ぎは少なくなるだろう(代わりに、選手が怪我を装いピッチに倒れ試合を止めるといったことが増えるだろうが…)。

オリンピックではさまざまなスポーツを見る機会がある。そして他のたくさんのスポーツを見ることで、改めて現代サッカーがいかにフェアプレーとスポーツマンシップに欠けているのかに気づかされるのだ。

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「3人目の松井」にうってつけのルマン

2004/08/26(木)

どうやら松井大輔が海外移籍を目指す次の日本人選手になりそうだ。
ここアテネでインターネットから得た情報によると、フランス2部リーグのルマンが京都パープルサンガの松井獲得に熱心なようだ。

数ヶ月前、横浜F・マリノスの練習グラウンドで、私は松井のエージェントである田辺さんとおしゃべりをした。
田辺さんは、松井はオリンピック後に日本を離れる可能性があり、フランスが移籍先の有力候補になっている、と言っていた。
2年前にツーロンのU−21大会で目を見張るプレーを見せた松井は、今なおフランスで好意的に記憶されているのだろう。
私の記憶では、同じ大会で頭角を現し、やがて国際舞台で素晴らしい活躍をするようになった選手がもう1人いる。その選手の名前は、ポール・ガスコインといった。
紛れもなく、松井は巧くて、エレガントなプレイヤーである。
数シーズン前に京都パープルサンガでプレーする姿を見て以来、私はずっと彼のバランスとボール・タッチに感心している。

オリンピックの少し前に、私は、かつての京都パープルサンガ監督で現在は浦和でギド・ブッフバルトのアシスタント・コーチをしている、ゲルト・エンゲルスとゆっくり話をする機会を持てた。
エンゲルスは、自分ならオリンピックの代表に真っ先に松井を指名する、と語った。松井はオリンピックのような大会では価値のある選手なのだそうだ。
エンゲルスは、松井にはスタミナと体力、それから持って生まれた才能があることを指摘し、このような資質がタイトなスケジュールを戦うチームに不可欠だ、と語った。
(ここで言っておきたいのは、エンゲルスの発言は、自分のチームの山瀬より松井を選ぶということではなく、自分が良く知るプレイヤーに関する個人的な評価にすぎない。)

田辺さんとのおしゃべりに話しを戻そう。彼は、Jリーグからヨーロッパへ移籍する日本人選手はいきなり高いレベルに挑戦しないほうが良いのだと話していた。ヨーロッパの試合はフィジカル面での負担がさらに大きくなるし、心理面でもより迅速な切り替えが要求されるからだ。
したがって、ルマンは松井にとって相応しい出発点となるし、ルマンなら、いちばん大切なことである、毎週プレーする機会も得られるだろう。

ルマンでの1シーズンでしっかりとした地歩を築いたあとは、どうすればいいのだろう?
マルセイユ? パリ・サンジェルマン? それとも、リヨン、モナコ?
フランスのクラブは、ヨーロッパのビッグで魅力的なリーグ、つまりスペインやイングランド、イタリアのリーグに移籍するための格好の土台となっているが、松井には我慢することも求められるだろう。
何事も一夜では成し遂げられないのである。
ルマンはヨーロッパでのキャリアの出発点であり、ゴールではない。ルマンは、松井がヨーロッパの地で選手および人間として適応し、成長するチャンスを与えてくれるであろう。
松井には才能があり、本人も自信をもっていることは疑うべくもない。ただ今後の松井は、安定したプレーを続けられるようになり、さらに派手なプレーをする時と確率を重視して堅実にプレーすべき時を、慎重に見極められるようにならければならないだろう。

この移籍が実現すれば、面白いことになる。
海外で3人の松井がプレーすることになるのだ。ゴジラ松井とリトル松井、そしてパープル松井である。

*このコラム(原文)は8月24日に書かれたものです

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日本に敬意を払う米国

2004/08/23(月)

さあ、勇敢なる日本代表のオリンピックでのメダルへの挑戦は終わった。
現実に目を向けると、メダルへの挑戦というほどでもなかったかもしれない。結局のところ2敗を喫したのに対して、わずか1勝を挙げたに過ぎないのだ(もちろん日本女子代表のことである)。
しかし、金曜夜のスウェーデン戦のセンセーショナルな勝利(1−0)と、テッサロニキで行なわれた強豪米国との対戦で、日本が女子サッカー界にその名を轟かせたことは間違いない。

試合は経験豊かな米国に1−2で敗れてしまったが、日本は米国人から多くの賞賛を受けた。それも試合の前からである。
テッサロニキはアテネの北500キロの所にあるので私は行けなかったが、米国人選手とエイプリル・ハインリッヒ監督の準々決勝についてのコメントを得る事ができた。
金曜夜、決勝ゴールを決めたフォワード、アビー・ワムバッハは、今や日本代表に勝つのは当然であるなどとは言えないことは充分理解していた。ここ3試合はすべて引き分けであり、ケンタッキー州ルイビルで6月6日に行なわれた直近の試合は1−1の引き分けだった。
「日本は出場国中、一番過小評価されているかもしれませんね。私たちは最高の試合をしなくてはなりません」ワンバッハはそう語った。
「準々決勝を迎える私たちトップシードが戦う、最もタフな試合ですね」
「日本は戦術にも長け、技術もあり、何より運動能力が高い。(6月の)試合では彼女達に封じ込められ、それこそ引き分けに終わったこと自体がラッキーだったのかもしれません。だからこそ準備を怠らず万全の体制で試合に臨まなければなりません」

両チームのオリンピックでの成績は非常に対照的である。
ドイツに次いで世界ランク2位の米国は女子サッカーが初めて導入された1996年、母国でのオリンピックで優勝し、4年前のシドニーでは決勝でノルウェーに敗れはしたものの銀メダルを獲得した。
一方、FIFAランキング13位の日本はアトランタでは3戦全敗、2000年には出場権さえ得られなかった。
それ以来彼女達は上田栄治監督のもと驚異的な進歩を遂げ、4月には東京で強豪北朝鮮を3−0で下してアテネの出場権を得た。
米国監督のハインリッヒもレベルの向上に注目していた。
「日本はあらゆる面で好敵手であることを証明しました。ここ最近の試合は接戦でした」とハインリッヒ監督は語った。
「彼女たちは運動能力もあり、技術もあり、効果的で、そして戦術面でも優れています。また、自信をもってプレーしていますね」

メダルへの夢は4年後に持ち越された。しかし女子サッカーはオリンピック後も人気を集めるであろうし、そうなるのも当然だ。

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サッカー競技から遠く離れて

2004/08/19(木)

先週の今ごろは、サッカーがオリンピックの中心であった。
おそらく、8月13日の開会式の2日前に開始されたサッカーが街で——実際には、複数の都市で——見られる唯一の競技だったからだろう。
しかし、今はどうだ?
サッカー競技は、道路を300キロも進まないところにあるボロスではなく、何百マイルもかなたで行なわれているように思える。伝統的なオリンピック競技、つまり水泳やドーピングのニュースが新聞の見出しを飾っているからだ。
オリンピックのスケジュールの合間を縫って、私は、先週の水曜日にボロスで行なわれた女子の日本対スウェーデン戦、その翌日のテッサロニキでの男子のパラグアイ戦を観ることができた。
今となっては、あの2試合は古代の歴史にように思える。まさに、この古代文明の首都にふさわしい感慨だ。

あれから、女子代表はナイジェリアに0−1で敗れ、男子はイタリアに2−3で敗れた。
私はテレビで女子代表の試合を全く観なかったが——柔道のヤワラちゃんと野村が金メダルを獲得するのを観ていた——重要なことは、女子代表が準々決勝に進出したということである。

男子代表に関して言えば、イタリア戦は、男子100メートル平泳ぎの北島康介の金メダルとかち合ってしまい、私が試合会場からオフィスに戻った時にはみんながテレビでサッカーを観ていた。日本は1−3で負けていて、単調な試合に見えた。それから、高松がダイビングヘッドでゴールを決め、迅速にゲームが再開されるのを防ぐためにイタリアのゴールキーパーがボールを保持し、ちょっとした小競り合いが起こった。
オリンピック精神だって? フェアプレーだって?
おいおい、これはサッカーで、少なくとも男子の試合だぜ。オリンピックだからって、やつらが改心するはずないじゃないか?

私は、イタリア戦を観戦した日本人ジャーナリストの何人かに話を聞いたが、山本監督が4バック、3ボランチ、3トップの布陣で試合に臨んだことには、みな一様に驚いていた。
そして、そのような布陣であっても、右ウィングには石川のポジションがなく、前線にはダイナミックで、危険な田中のポジションがなかった。
オリンピック予選の最高潮の段階から、まちがいなくチームは下降線をたどっており、監督は、一体どこでおかしくなったのだろう、と怪訝な気持ちであったに違いない。
チームにはキレがほとんどなく、やる気も自信もあまり見られなかった。要するに、青いシャツを着た5万人のファンの前でプレーしていたチームとは別のチームになっていたのだ。

今となっては、水曜日にボロスで行なわれるガーナ戦でかけられるのはプライドだけであるが、山本監督は、たくさんのお金をかけて、遥か遠くまで、この大々的でアンチクライマックスな試合を観るためにやって来るファンのためにも、チームを鼓舞しなければならない。
しかし、私は試合会場にはいないだろう。同じ夜に、北島が平泳ぎの2冠を目指して戦うから、サッカーを二の次にせざるをえない。
まあ、4年に1度のことだからね。

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ボロス、テッサロニキの対照的な夜

2004/08/16(月)

うーむ、アテネは暑い。
これを書いている今は金曜日の午後である。開会式を目前に控えて興奮度が増してくる。
ただ、日本のオリンピックは既に始まっている。そして、水曜日のボロスと昨夜のテッサロニキ(本当にたかだか昨日のことだったのだろうか?)のムードは全く違ったものであった。

まずボロスである。みなさんは“蒼き女戦士達”(実際はアウェー用の白とグレーのユニフォームを着用していた)がスウェーデンを1−0で破る試合を見ただろうか?
それは本当に素晴らしい、日本人なら(いや日本在住のイギリス人にとっても)誇らしく思える夜だった。
彼女達は見事な統率力、ハート、そして技術で才能溢れるスウェーデンチームを破った。もっとも私にはスウェーデンチームの選手達はポップグループ、“ABBA”に見えた。“ABBA”が人気絶頂だったのは日本のサッカーファンが生まれるより前のことだろうけど。
スウェーデンのナンバー10、フォワードのハンナ・ユングベリは非常に興味深い選手だ。ペルージャはかつて彼女をセリエAでプレーさせようとしたことがある。彼女のブルーのユニフォームとファンタジスタナンバーを背負った姿はフランチェスコ・トッティを連想させる。
この二人の大きな違いはと言えば、ハンナはトッティのように相手選手に唾を吐いたりしないし、トッティはハンナより綺麗な髪をしているということだろうか。日本はこのハンナが後半交代させられるほど、素晴らしい戦いをした。

日本の選手では、左サイドのMF小林に非常に感心した。前半の、チームの精神的支柱・澤へのパスはまさに珠玉と言って良い。右アウトサイドキックでスウェーデンのディフェンスを切り裂いたのだ。
しかし澤はこれをフィニッシュできなかった。ハーフタイムに入った時、日本はこの逃したチャンスのツケを払うことになるのでは、思った。
しかし私の心配は杞憂に終わった。上田監督、そして数百名の日本サポーターが、疲れを見せ始めた彼女達の集中力を途切れさせなかったのである。
日本にとって最高の結果に、日本サッカー協会の川淵三郎会長は試合後、彼女たちを抱きしめた(なんてラッキーなんだろう!これも会長の特典というものだろうか)。
さらに、川淵さんが満面の笑みを浮かべた奥様から温かい握手を受けていたシーンも素晴らしい瞬間であった。

翌日、私はバスでテッサロニキへ行った。しかしなんと期待外れだったことか。
那須は大舞台の緊張のためか、2つの初歩的なミスを犯した。その結果タフでスピードのあるパラグアイに2つのゴールを許してしまい、前半は2点のビハインド(1−3)を覆すことができなかった。高松はPKを2回勝ち取ることで先発メンバーとしての存在感を示した。PKは小野が2つとも決めたのだが、どちらもPKになったのはレフリーが甘かったおかげだろう。
ハーフタイムでは我々は目前の光景に途方に暮れ、山本監督が後半どのように選手を交代してくるかについて話していた。私は大谷と荒川の2トップと、また左ウィングに小林を入れるのも良いかもしれないと思った。
監督は那須だけを下げて松井を投入し、若干のポジション変更をしてバランスを整えようとした。

男子チームの可能性はどうかって?
個人的には石川を右ウィングで使いたい。彼は女子チームにだって入れるほど良いからね。そして闘莉王、茂庭と並べて徳永を右DFとして使い、2トップには大久保と田中を使う(2人はとても危険な存在だ)。
日本ではあれだけ雰囲気の良かったU−23代表だったが、テッサロキニの一夜は散々なものとなった。
とは言え、良くも悪くも、オリンピックとはいつもサプライズに溢れているものだ。

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中澤、またもMVP受賞ならず

2004/08/12(木)

中村俊輔がアジアカップのMVPを受賞したのは、もっともなことなのかもしれない。
結局このような賞は、たいていの場合、攻撃の選手に与えられるものだから。
でも、やっぱり納得がいかない。
私の感覚では、守備でことごとく決定的な仕事をし、攻撃でも2〜3回決定的な仕事をした中澤佑二にMVPが与えられるべきであった。
しかし、昨シーズンのJリーグ・アウォーズと同様に、中澤の受賞はまたも見送られた。

Jリーグ・アウォーズではレッズのストライカー、エメルソンがMVPに輝いた。エメルソンの能力にケチをつけるつもりはないが、ピッチの内外での彼の行動には疑問を感じている。
一方の中澤は、今や日本サッカーの素晴らしさを示す代表的な存在だ。
中澤はここに至るまで懸命に努力し、最近になってようやく日本代表の定位置を手に入れたのである。
中澤はムードメーカーであるとともにリーダーであり、ピッチと更衣室の両方でチームを鼓舞する存在となっている。
最近のコラムで私は、中澤が海外でプレーする最初の日本人ディフェンダーの最有力候補であり、中国での活躍によりその可能性がいっそう高まるかもしれない、と書いた。もっとも、中澤がヨーロッパでのプレーを望んでいるとしての話ではあるが。

ディフェンダーは得点に関わるゲームメーカーやストライカーとは違うが、選手としての価値に変わりはない。
もちろん、俊輔は信じられないようなプレーを見せてくれるし、左足でのプレース・キックはまさにワールドクラスである。
2003年のコンフェデレーションズカップ、バルテスの守るフランス・ゴールに突き刺さった俊輔のフリーキックは、人々の記憶にいつまでも残ることだろう。
エスパルスとレイソルで監督を務めたスティーブ・ペリマンが、中村は左足で缶詰めを開けられるのではないかと話したことがあったが、ペリマンのこのコメントは、俊輔の技術の素晴らしさをうまく表現したものであった。
しかし、流れのなかのプレーでは俊輔は線が細く、見えなくなってしまう時間が長いし、ボールを失うことも多い、と今も私は感じている。

俊輔は特に大会の序盤には日本チームに大いに貢献した。それを否定するつもりはないが、中澤のほうが安定して、信頼性が高く、ダイナミックなプレーを見せたと思う。
関係者は私に同意するつもりなど全くないだろうけどね!

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土曜午後のお楽しみ

2004/08/09(月)

オリンピック?
アテネに滞在して数日が経つが、私は今、オリンピックどころではないのだ。
今の私は、土曜夜に北京工人スタジアムで行なわれるアジアカップ決勝戦、日本対中国戦のことで頭がいっぱいだ。
端的に言うと、いかにしてここギリシャでその試合を見るかということだ。
グループリーグ、そしてヨルダン、バーレーンとの決勝ラウンドの試合は日本で大きな関心を呼んでいる。
しかし、中国から5時間遅れ、日本からは6時間遅れのギリシャで、午後3時キックオフの試合をどこでどうやって見る事ができるのだろうか。

数分前、嬉しいニュースが入ってきた。決勝戦がユーロスポーツチャンネルで生中継されるというのだ。
さらに嬉しいことに、実況はイタリア語で行なわれる。
北京で行なわれる中国対日本戦を、アテネにいながら、イタリア語で、土曜午後3時(イングランドではテレビ局の都合が優先されるようになる以前は、土曜午後3時キックオフと決まっていた)に見る。なんと素晴らしいことだろう。

ユーロスポーツ中継の知らせは思いもよらないところから来た。中国人ジャーナリストからだ。
私はこのコラムをメインプレスセンターの7階にある朝日新聞の豪華なオフィスで書いている。ペーパーボックスに入ったヌードルとプリンター用紙の束、そしてコンピューターのケーブルが絡み合う中、美しい地中海の陽射しがさしこむ窓からオリンピックスタジアムが見える。
私たちのオフィスの隣は中国の人民日報、そしてその隣は中国国営通信社、新華社の一大チームのオフィスである。
私は2つのオフィスを訪れ土曜の決勝戦について尋ねたが、両社とも中国サポーターの行動については何もコメントしなかった。
しかし、人民日報のシュー女史(本名Xu Liqun)は北京では重慶や済南のようにはならないと思うと語った。
「北京は中国の首都ですし、勝とうが負けようがたかだかサッカーの試合じゃないですか」彼女は言った。

彼女の言葉が正しいことを願いたいが、北京で行なわれた1986年ワールドカップの予選で香港が中国を2−1で下した後、中国のサポーター達が暴徒と化したことはまだ記憶に新しい。
試合の展開に関わらず、土曜午後、7階のオフィスでの時間は楽しいものになるはずだ。

4年前のオリンピックでの準々決勝、アデレードで開催された日本対アメリカ戦をシドニーのテレビで見たのを思いだす。翌日にシドニーで行なわれる女子マラソンの取材に間に合うようにアデレードから戻る飛行機が取れなかったためだ。
PK戦で中田英寿がポストに当てて外してしまい(彼は今いずこ?)、私は非常にイライラしていた。そして日本の報道陣が応援しているのが聞こえていた。
中田はそのミスのお陰で嫌われただろうか?
また、野球ファンはサッカーチームの敗戦を喜んだだろうか?

土曜日、そうしたことは起こらない。そして国中が1つになり青を纏った青年達を応援する。
試合を楽しもうではないか!私は… 彼らの情報が正しければユーロスポーツで中継を見ているはずだ。

*このコラム(原文)は8月5日(木)に書かれたものです

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サーカスもいいけどJリーグもね

2004/08/05(木)

今年もレアル・マドリード サーカスがやって来て、来年の再会を期して去っていった。
彼らの公演はご覧になりましたか?
「試合」ではなく、「公演」という言葉を使ったのは、その方がしっくりすると思ったからだ。
これはまさに家族で出掛ける催しのようなものであり、観客は目の前で披露されるテクニックに感嘆することを目的としている。
通常の試合のような緊張感は全くなく、スコアも無用のものとしてすぐに忘れ去らてしまう。

レアルは初戦でジェフ市原を破った。ただし試合の序盤では、右足ではあったが、マルキーニョスがロベルト・カルロスばりの電撃シュートで「銀河系集団」に衝撃を与えた。
ラウルのゴールは見事なもので、ペナルティ・ボックスの端から櫛野の頭越しに素晴らしいチップキックのゴール。その前にラウルは躓いており、おそらくジェフの選手は、倒れている限りは怖くはないと思い、ラウルをフリーにしたのだろう。
しかし、ラウルはこの後にもエレガントな技術を披露しており、レアルがどれほど多くの「銀河」を購入しても、地元出身の彼以上の選手は見つけられないだろうことを証明して見せた。

輝かしい白の軍団は、国立競技場から、ホームチームのヴェルディが待ちかまえる味の素スタジアムに移動した。
この試合ではジダンやロナウドも出場し、ゴールが量産された。
ジダンのゴールは、レアルが挙げた7つのゴールのうちで間違いなく最高のものであった。
ジダンに関しては、もう素晴らしいというしかない!とても背が高く、頑丈で、ラグビー選手のようにも見えるが、バレリーナのバランスとサッカーの神のボールタッチを持っているのである。
ヴェルディのディフェンスを突破するために見せたつま先でのターンは、大画面で再生されるたびにさらに素晴らしく見え、ゴールキーパーの高木は、マタドールに向き合い、悲惨な運命を迎えようとしている牛になったような気分がしたことだろう。

ただし、ジダンにとって試合は苦々しいものとなった。背後から林の激しいファウルを受けたからだ。
ジダンがこの攻撃に腹を立てていたのは明らかで、ファウルを犯したヴェルディのミッドフィルダーに食ってかかった。そしてタッチライン上で苦しそうに立ちすくんでいるところに、ベンチからチームドクターが駆け寄った。ジダンと彼のたくさんのファンにとっては、残念な結末であった。

もっとも、ここ数日間は日本におけるサッカーの隆盛ぶりを改めて示す日々だった。
レッズ対インテル、ジェフ対レアル・マドリード、日本女子代表対カナダ女子代表、U−23日本代表対ベネズエラ代表、ヴェルディ対レアル・マドリード、アントラーズ対バルセロナ等々、多くの試合が組まれていた。
日曜日の夜、私は五反田からいつも利用する電車に乗っていた。車内には、こちらにアントラーズ・ファン、あちらにバルセロナ・ファンがいて、そこかしこにレアル・ファンの姿。そう、素晴らしい光景だった!
彼らヨーロッパ・サッカーのファンがJリーグの日本人選手を応援し、来年の夏までサーカスがやって来るのを待つ必要がなくなればいいのにね。

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ゴールの感触を掴んだFW陣

2004/08/02(月)

そう、こうでなくては!
金曜日の東京・国立霞ヶ丘競技場、ここ5試合勝利から遠ざかり、3試合無得点だった日本五輪代表チームが息を吹き返し、ベネズエラA代表を4−0で粉砕した。
日本代表には8月12日のオリンピック初戦、対パラグアイ戦に向けて自信を取り戻すためにも良いプレーと得点が必要だった。
そしてチームはまさに望みとおりの結果を出した。さらに、挙げた4得点は全てフォワード陣によるものであり、また、後半のプレーには爽快感さえ感じるほどで、山本昌邦監督にとってはこの上もない嬉しい結果であった。

アテネで高原がフォワード陣を引っ張るというプランが崩れた後、平山相太や高松大樹にこの大役を委ねることは、山本監督にとって大きな賭けに違いないと私は思った。
高原が健在であれば、この2人のうちどちらかはチーム選考から漏れていたであろうだけに、山本監督は彼らがアテネで信頼に応えてくれる事を願っていただろう。

前半、平山の低いシュートがポストの内側に当たりゴール外へ出てしまったのはアンラッキーだったが、その数分後の、相手GKに止められたヘッドは決めるべきだった。
59分、力強いヘッドでネットを揺らした彼の表情からは安堵の気持ちがうかがえるようだった。何と言っても、五輪代表チームデビュー戦となった今年2月8日のイラン戦(さいたまスタジアム)以来のゴールだ。
松井からの巧妙なパスを右足で受け足取りを乱すことなく左へ切れ込んで放った大久保のゴールはまさに絶品であった。また、後半途中に投入され、高松のダイビングヘッドをお膳立てし、自らも切れの良いシュートで4点目を挙げた田中は日本の新境地を開拓した。
また、日本が頑強で活発なベネズエラチームを0点に抑えた事も重要なことである。

ファンもまた素晴らしく、熱烈な壮行会をなった。
来週ドイツでのキャンプから小野がチームに合流するが、山本監督は1週間前と比べてずっと気が楽になったことだろう。
ただし、パラグアイ、イタリア、ガーナはさらにタフで経験も積んでいる。金曜日の勝利にいつまでも酔ってはいられない。
予選グループを勝ち抜くためにも、日本は金曜の試合のようなペース、激しさで試合に臨み、チャンスをものにすることだ。

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