« 中田の移籍は前向きでなく横向き!? | トップページ | ゴールの感触を掴んだFW陣 »

逆境の日本代表

2004/07/29(木)

重慶でのアジアカップ。日本選手に対する中国ファンのヤジはきっと皆さんの耳にも入っただろう。
土曜日の夜のタイ戦でのヤジはとりわけ騒々しく、試合前の国歌の音もかき消されてしまいそうであった。
それほど頻繁ではなかったものの、タイが攻撃を仕掛けるたびに観衆が大騒ぎした。
そして日本がボールを持つと、観衆がブーイングを浴びせかけ、日本選手のミスを誘おうとした。
総じて言えば、確かに楽しくはないだろうけれど、日本選手にとっては良い経験である。
Jリーグはとても友好的な雰囲気のなかで行なわれており、選手が群衆からの敵意に直面することはほとんどないため、今回は強い精神力を養う機会になるだろう。

中国ファンのひどい振る舞いを見るのは、私にとって、これが初めてではない。
1989年、イングランドを離れて香港で仕事を始めた直後、ヴェルディ(当時は読売)がアジアクラブ選手権で香港に遠征し、南華体育會と試合をした。
2万8000人の収容能力しかなかった改築前の国立競技場は満員。ファンは日本人選手に対して思いやりを見せることはなく、罵声を浴びせ、ベンチに向かってプラスチック製のボトルやさまざまな物を投げつけていた。

次に南華体育會の試合を取材した時には、中国人が、同じ中国人を敵視するのを見た。この時は、遼寧省で行なわれた大連戦であった。
その夜、南華体育會は0−1で敗れはしたものの、2戦合計(ホーム&アウェー)の結果で上回り勝ち抜けが決まった。
茶髪で、ポップスターのような格好をしている裕福でわがままな南方の同胞を、大連サポーターは快く思わなかった。
まず始めに、彼らはスタジアムに火をつけた。試合終了のホイッスルが吹かれると、スタジアムのあちこちでゴミを燃やす炎が上がった。それから彼らは、香港の選手たちをホテルに搬送するミニバスに襲いかかった。
香港では、報道陣がチームと一緒に移動することが許されていたので、飛来物がバスの窓を叩くなか、私はずっとうずくまっていた。警察が隊列を組んでいたが、何もしてはくれなかった。

試合前には、南華体育會のボスが、選手たちと、彼にとっては英国からのゲストである私をカジノに連れて行き祝勝会を催すと約束していた。
しかし、海辺のホテルに戻ったあと、我々はホテルから外に出ないようにという勧告を受けた。街中に姿を見せれば、怒った大連のファンに取り囲まれる危険があったからだ。
このような経緯があるので、人々がサッカーのフーリガン的なものを「英国病」として紹介する時、私はそれを「中国病」と呼ぶことにしている。
日本の選手たちも、今、この現象に気づいているところだ。

固定リンク | | コメント (0)

コメント

この記事へのコメントは終了しました。